2006年06月26日

夢の大量殺人計画の共謀が発覚!

日本経団連では「2006年度日本経団連規制改革要望」 http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2006/038.html において、ビンボー人から吸い上げた金を仲間同士で分け合っている善人、宮内義彦オリックス会長を議長とする「規制改革・民間開放推進会議への期待」を恥ずかしげもなくアラワにしつつ、「わが国産業の国際的競争力を強化する視点から労働基準法の見直しを行うことが必要である」との見地から、つまりこれは労働者は俺たちのために会社の犠牲になって死ねと、まあそんな下品な言い方はしませんが、そういう下品なことを言っているわけです。こういう連中が「俺たち」のことを指すときには「わが国」とか言いますから「わが国の旅」とか「わが国は天使だ!」とか色んなTVドラマがあったものですが、そういうことで、これは僕なんかの国とは違う国の連中に違いない。

それでせっかく厚生労働省が「自律的労働制度」なんていう言葉を作って事の真相を隠蔽してまでなんとか良きに計らってくれようというのに、「ホワイトカラーエグゼンプション制度の早期導入」などどいう身も蓋もない言い方をして、しかも急かすとはなんとデリカシーに欠けることでしょうか。商人に人並みの品性を要求しても無駄かな。まあ、とりあえず関係するのは次の4項目くらいでしょうか。

   雇用・労働(8) 
企画型裁量労働制に関する対象業務の早期拡大
   規制の現状
企画型裁量労働制の対象は、「事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務であって、当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を労働者の裁量にゆだねる必要がある」業務であることとされている。
   要望内容
営業職を含め、ホワイトカラー労働者の業務全般に企画型裁量労働制を適用するため、同制度の対象業務を大幅に拡充する、もしくは対象業務の制限を原則撤廃すべきである。
   要望理由
企画型裁量労働制をホワイトカラー労働者に広く適用することで、自律的で自由度の高い柔軟な働き方が可能となるほか、企業にとっても、労働者自身が「仕事の質・成果」を追求することにより、生産性の向上、競争力の強化が期待できる。
「今後の労働時間制度に関する研究会報告書」(2006年1月27日)は、適用拡大に関する言及がなく検討が不十分である。包括的な指示の下、業務遂行を自己裁量に委ねているホワイトカラー労働者は増えており、現行の対象範囲は狭すぎる。営業職であっても、個々人が異なるニーズ等を分析しながら企画提案を行うケースも多くみられ、対顧客営業というだけの理由で対象外とすべきではない。対象範囲は、業務実態を知る個別労使に委ねるべきである。
   根拠法令等
労働基準法第38条の4
   制度の所管官庁及び担当課
厚生労働省労働基準局監督課


「企画型裁量労働制」について誤解しているような気もしますが。てゆうか営業マンは「対顧客営業」であるが故にその業務時間帯は顧客企業等の営業時間帯に拘束されますし、そのうえ朝は朝礼に会議があるんで出社時間の拘束を受け、夜は残業をして「個々人が異なるニーズ等を分析しながら企画提案を行」なっているのが現状なので、「見なし労働時間制」適用自体ちょっと疑問なんですが。

   雇用・労働(9)
企画型裁量労働制に関する手続きの簡素化の早期実施
   規制の現状
1 企画型裁量労働制を導入するには、労使委員会を当該事業場に設置し、労使委員会で決議を行わなければならない。
2 企画型裁量労働制を適用するには、適用しようとする労働者本人の同意を得なければならない。
3 制度運用上、使用者は6ヵ月以内ごとに労働基準監督署長に企画型裁量労働制に関する報告をしなければならない。
4 制度運用上、出退勤時刻又は入退室時刻の記録等による方法により、使用者が対象労働者の労働時間の状況等の勤務状況を把握しなければならない。
   要望内容
1 労使委員会の決議に替え、労使協定の締結等により制度導入ができるようにするべきである。
2 本人同意要件をなくすべきである。
3 労働基準監督署長への届出が義務付けられている報告書の届出頻度を現行の6ヵ月以内ごとから1年以内ごとに延長するべきである。
4 勤務状況の把握義務をなくすべきである。
   要望理由
1 「今後の労働時間制度に関する研究会報告書」(2006年1月27日)は、労使委員会の設置負担を理由に中小企業でその設置を求めないことを提案しているが、設置や届出等の諸手続きの負担は中小企業に限られるものではなく、広範かつ大幅な手続き緩和が求められる。労使委員会の決議要件を廃止することで、制度の利用拡大を図ることができる。
2 専門型裁量労働制の場合、本人同意は要件となっておらず、企画型裁量労働制についても同様とすることが望ましい。例えば、チームで仕事を行う場合、チームの中に企画型裁量労働制適用に同意しない者がいると、業務に支障をきたしかねない。また、同意した者と同意しない者を区分して管理することは非効率である。
3 労働基準監督署長に対する報告書の届出は、実務上負担となっている。
4 勤務状況の把握は、労働者の健康への配慮措置として義務付けられているところ、健康への配慮は、企業実態に応じた様々なものがある。勤務状況の把握義務を一律に課すことは、業務の遂行方法や時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねるという裁量労働制の本来の趣旨に反する。
   根拠法令等
労働基準法第38条の4
平成15年10月22日厚生労働省告示第353号
平成11年12月27日労働省告示第149号
   制度の所管官庁及び担当課
厚生労働省労働基準局監督課


さすがに自らの言い分が酷いものであることは分かるらしく、いくら「自律的で自由度の高い柔軟な働き方が可能となる」なんておためごかしを言っても労働者がだまされない場合を想定して、本人同意用件の撤廃を要求しています。当然労働者は過労死してしまいますので、責任逃れのために最初から勤務状況の把握もしないということです。「未必の故意」による殺人にあたる例です。もっともそれでは前項に言うような「業務実態を知る」というわけにはいかなくなっちゃうんだけどね。

   雇用・労働(10)
管理監督者に対する割増賃金支払い義務の見直しの早期実施
   規制の現状
労働基準法第41条は同法第4章、第6章及び第6章の2で定める労働時間、休憩及び休日の規定を適用除外としているが、深夜業の関係規定(第37条の関係部分及び第61条の規定)は適用除外とされるものではない。したがって、管理監督者であっても、深夜に労働させる場合は、深夜業の割増賃金を支払わなければならない。
   要望内容
現行の管理監督者に対する深夜業規制の適用除外について積極的に検討を行い、早期に実施すべきである。
   要望理由
使用者と一体的な立場にある管理・監督職は必要に応じ深夜業を行うことが求められる一方、製造現場における交替勤務のように深夜業が常態となることは考えにくく、深夜業の規制について適用を除外しても保護に欠ける危険性はない。「規制改革・民間推進3か年計画(再改定)」(2006年3月31日)では、管理監督者の範囲見直しとあわせて深夜業規制の適用除外について検討するとしているが、一体的に検討しなければならない理由はない。管理監督者の範囲の見直しとは切り離して、現行の管理監督者に対する深夜業の規制の適用除外を検討すべきである。
   根拠法令等
労働基準法第37条、第41条
   制度の所管官庁及び担当課
厚生労働省労働基準局監督課


ふつう、会社では「管理監督者」の範囲をむやみに広く取っていますし、サービス業なんかでは「深夜業が常態となること」は考えやすいものです。てゆうかそんなに深夜業が少ないんだったら「割増賃金支払い義務」をそんなに「早期」に見直さなくても大丈夫なはずですが、何か?

   雇用・労働(12)
ホワイトカラーエグゼンプション制度の早期導入
   規制の現状
管理監督者等に限って、労働時間規制の適用が原則的に除外されている。
   要望内容
管理監督者に限らず、裁量性の高い労働者など一定の要件を満たす労働者等を労働時間規制の適用除外とするホワイトカラーエグゼンプション制度について、対象者の要件が客観的かつ包括的なものとなるよう留意しつつ検討を行い、2006年度の早期に結論を得るべきである。
   要望理由
ホワイトカラーの場合、労働時間と非労働時間との境界があいまいであり、ブルーカラーと比較して、労働時間と仕事量との関連性が低いにもかかわらず、その賃金は労働時間を基礎に計算されている。そのため、効率的に短時間で成果を上げた労働者よりも非効率的に長時間働いて同じ成果を上げた労働者の方が、結果として報酬が多くなるといった矛盾が生じる。
また、多様な働き方を実現するためには、労働者が自己の裁量で労働時間を弾力的に運用できる制度が必要である。ホワイトカラーエグゼンプション制度の導入により、職務の遂行手段や方法、時間配分等を労働者の裁量に委ね、労働時間にとらわれない自律的かつ自由で多様な働き方を可能とする社会の形成を目指すべきである。「今後の労働時間制度に関する研究会報告書」(2006年1月27日)が提案する適用除外者の対象者は限定的であり、その基準も不明確であるため、上記を十分達せられない制度となることが懸念される。
   根拠法令等
労働基準法第41条
   制度の所管官庁及び担当課
厚生労働省労働基準局監督課


「効率的に短時間で成果を上げた労働者よりも非効率的に長時間働いて同じ成果を上げた労働者の方が、結果として報酬が多くなるといった矛盾」は生じません。同一の成果を上げるのに長時間働いた場合、その損失はその労働者の人件費、すなわち時間外賃金の発生として容易に見て取ることが出来ます。短時間で成果を上げた労働者と比較すると、同一の成果に対して過大な人件費コストがかかっているのが分かるので、一方の労働者の所定内賃金を上げたり、他方の労働者のを下げたりすることでこの問題を調整することが可能です。「結果として」報酬の調整がされていないのは会社の不手際に過ぎませんが、実は時間外賃金をきちんと払っていないので気がつかないのに違いない。何時間残業をしても会社の決めた限度内しか支払われないような会社が沢山あるみたいですが、そういう場合には上記の二人の労働者の人件費コストが比較できないのです。なぜなら二人とも限度いっぱいに残業をしているからです。ホワイトカラーエグゼンプションの導入はこのような違法状態を放置し、更に進んで現状の過小な時間外賃金すら支払わず、会社が「労働時間にとらわれ」ずに「自由」に働かせることを可能にします。「自由」にといっても生きている間だけで、「英霊」みたいに死んでもこき使うわけにはいかないんですが。もちろん本人の同意も勤務状況の把握もなしです。

労働者が死んだらそのかわりに安くて便利な派遣労働を入れる、いや、まだ息のある「正社員」も派遣に取っ替えたいので、それを妨げる法制の撤廃をも求めているのが下記5項目になります。

16. 自由化業務における派遣期間制限の撤廃
17. 派遣労働者を特定することを目的とする行為の禁止の撤廃
18. 派遣労働者への雇用契約申込義務の廃止
19. 派遣禁止業務の解禁
20. 労働者派遣法上のいわゆる26業種の見直し

これは明らかな「計画性」が認められるし、「反省の情」なんか望むべくもないし、長期に渡って生命を削り取ってゆく手口は「残虐」で、人の生き血をすすって肥え太る身勝手さには情状酌量の余地は全くないし、少なく見積もっても3人以上は確実に殺されるでしょうから、当然死刑相当ですな。まだ最高裁がある!
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お笑い国会道場

「ウィキペディア」の記事では、血中アルコール濃度100%の女優川島なお美さんの発言として、「私の出発点はお笑い漫画道場である。」とされていますが、ホンマかいな。酒のうえでの発言としてもあんまりな事です。同記事によると川島なお美さんは見合いの相手に「お笑いマンガ道場に出ていたくせに」と言われてしまったそうですが、そういうことを言う奴は富永一朗と車だん吉と森山祐子(イリア!)と柏村武昭にタコ殴りにされます。森山祐子さんは最近ちょっと見かけませんが、良かったですねえ「ゼイラム」、蛍雪次朗が。

柏村武昭氏は「お笑いマンガ道場の司会をしていたくせに」今じゃ立派な参議院議員、「反日分子」などのネタでお茶の間を笑いの渦に巻き込んでいます。最近でも6月15日の総務委員会での質問がファンを沸かせたところであります。

気韻頭日記(http://kagee.blog23.fc2.com/blog-entry-173.html)によると

46:00 放送終了時に君が代を流さなくなったのはなぜかと追及

48:25 トリノオリンピックで荒川選手が日の丸を身体に巻いてウイニング・ランをした場面を放映しなかったのはなぜかと追及

50:00 日本ダービーの折、ソプラノ歌手が君が代を独唱した場面を放映しなかったのはなぜかと追及 

51:50 去年3月に<国旗・国歌で教師処分・・・・>を放送した「クロ ーズアップ現代」が都教委の規制を強制と断じたのは国歌・国旗について偏見を持たせる番組作りではないか、都教委から抗議を受けたことをどう思っているのかと追及。

(柏村議員)「なぜ抗議をされたのか。それは、番組の中で、国谷キャスターが都教委はなぜ強制してまで徹底を図ろうとしているんですかと繰り返し質問して、都教委の規制を強制と断じて、明らかに東京都の教育委員会が教員に国旗掲揚、国歌斉唱を強制していると印象付ける編集内容であったからだと私は思います。・・・・・・・」

54:40 
(柏村議員)「・・・・・・自主自律をいつも強調されている永井副会長さんから、NHKの国歌・国旗に対する明確なご見解を」と永井副会長に答弁を指名

(永井副会長)「(国旗・国歌が法制化された経緯等をおさらいしたうえで)今いろいろとご指摘ございましたけれども、公共放送として、対立する意見については双方の意見をお出しするということで、公共放送として間違った放送をしているとは考えておりません。」

(柏村議員)「では、なぜ〔都教委から〕抗議されたんですか。私は見ていて、非常に偏った放送だと思いました。」

(永井副会長)「都教委から抗議されたことは事実でございますが、その一方で、また東京都の指導に対しては現在裁判も行われておりますし、教育現場からの反応ということも私ども放送では取り上げております。その放送をお出しして、あとは視聴者の的確な判断におまちするというところではないかというふうに思っております。」

(柏村議員)「・・・・・・これで私は、今副会長がおっしゃったようなもう公平にやっているという考え方は非常に納得できかねまね・・・・・・・やっぱり、国歌・国旗はもう法律までなってて、国の誇りですよ。旗も、歌も。そうすると、やっぱりそれを助長するような責務があるんじゃないでしょうかね、NHKは、公共放送としてはですよ。・・・・・・・・」       

このあと

(柏村議員)「・・・・・NHKを見た人はみんな、あっ、これはNHKが言っているから中立公平なんだと思うわけですよ。中立公平を標榜しながらマインドコントロールするというのは一番ひきょうなやり方である、そう思います。 だから、もう1回チェックをするべきじゃないですか、現場の人間も全部。・・・・・」


反日分子」の時と同じく、自らを戯画化する事によって発言の表面上では批判している対象を図らずも擁護してしまうというお間抜けぶりを演じるのが彼の真骨頂なのですが、今回もなかなかの名調子であります。一方の当事者から抗議されたから良くない、などと言うのは明らかに抗議を入れた側に立った発言なわけで、最初から「自分の立場が偏っている事に気がつかない人」の滑稽さを表現しています。これは「非常に危険な場所にいながら、その危険性を認識せずに平気な顔をしている」という「モダンタイムス」だっけ?チャップリンがたしかデパートでスケートしてて落っこちそうな、ああいうギャグを言葉でやるとこうなりますよ、というかなり高度なものです。

そのうえで、あたかも「政府の方針に従うのが公共放送である」と言わんばかりの「自信満々で言葉の意味を取り違える愚者」のパターン、それから「NHKを見た人はみんな、あっ、これはNHKが言っているから中立公平なんだと思う」という「自らの愚かさを図らずも露呈してしまうが、自分だけそれに気がつかない」パターンと、様々なギャグを矢継ぎ早に積み重ねていく手法は見事としか言いようがありません。これではまるでNHKが公共放送として極めて妥当な判断をしているかのようではありませんか。腹がよじれます。

また「落ち」も秀逸で、「もう1回チェックをするべきじゃないですか、現場の人間も全部」なんて言ってくれてますが、これは戸田のもつ煮が来賓の「ブラックリスト」を作成しようとしているのと同様、NHK職員の「思想調査」をやれ、「赤狩り」をしましょう、というちょいとブラックなギャグで締めています。才能ある芸人が堅苦しい国会で下ネタの一つも使えないのは大変残念な事で、来年任期切れの際には是非とも再び野に下っていただき、本人にそのつもりがなくてもみんなで引きづり降ろし、浅井企画に入って車だん吉と「コント0番地」を復活させるのも良し、安井まみ子と「柏村武昭のテレビ宣言」を再開するのも悪くないでしょう。葉山レイ子もいますがこのさい関係ありません。

おまけコーナー
posted by 珍風 at 04:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

戸田の名物もつ煮を知ってるかい

全国一千万のホルモンファンの皆さん今日は。本日はここ、競艇で知られる埼玉県の戸田市よりお送りします。この戸田というところは大変に野蛮なところで、食人の習慣があります。なんでも内臓を煮て食うとのことで、競艇場の食堂で「もつ煮」を頼んだりすると、その中身が教育長だったりすることがあるようです。

起立せぬ親と来賓調査 君が代
式典で徹底図る
 埼玉県戸田市の伊藤良一教育長が今月十三日の市議会で、同市立小中学校の卒業式や入学式の君が代斉唱の際に起立しない来賓や保護者について「はらわたが煮えくりかえる」と答弁、調査する方針を示していたことが分かった。伊藤教育長は十九日、本紙の取材に対しても起立しなかった来賓の氏名や人数を調査する意向をあらためて表明。起立の徹底を図ることを明らかにした。
■教育長『はらわた煮えくりかえる』
 君が代斉唱をめぐっては、東京都教委が、起立しなかった教員を処分するなどしているが、教委に指導権限のない来賓や保護者までも調査対象とするのは異例だ。
 関係者によると、十三日の定例市議会で、民主クラブの高橋秀樹市議が「保護者や来賓で起立しない人がいる」と指摘。これに対し、伊藤教育長は「(事実なら)はらわたが煮えくりかえる」「『内心の自由だ』と言う人がいるようだが、生徒たちの前で規律を乱すようなことはあってはならない」と答弁し、調査する意向を示した。
 伊藤教育長は、本紙の取材に対しても「表現は適切でなかったかもしれない」としながらも「式典は規律や礼節を学ぶ大切な場。来賓らには子供の模範となってもらいたい」と不起立を批判。市立の全小中学校長に、今春の入学式・卒業式の君が代斉唱で起立しなかった来賓の氏名や保護者の人数の報告を求める考えを明らかにした。
 起立しなかった来賓や保護者に対しては、教育委員に対応を慎重に検討してもらう方針。市教委では、以前から校長を通じて式典前に、君が代斉唱の際に起立するよう来賓らに文書で協力を依頼していたという。
 市教委は、教員や児童・生徒の不起立については「チェックしていないし、報告も受けていない」としている。
■教員以外にも「強制」が波及
 学校行事での君が代斉唱をめぐっては、東京都教委が校長の職務命令に違反して起立しなかったことなどを理由に、教職員延べ三百四十五人を戒告や減給などの懲戒処分にしている。権限の及ばない来賓や保護者に対しても、間接的に起立を強いる動きも出ている。東京都品川区では二〇〇一年、若月秀夫教育長らが君が代斉唱時に起立しない来賓を今後招待しない方針を示し、波紋を広げた。区議会で若月氏は「結婚式でも(式のやり方に)従わない人は招待しない」と述べた。
 〇四年四月には、中野区立小学校の入学式で当時PTA会長だった男性が教職員の大量処分問題に触れ、「子供たちが内心の自由を傷つけられるような事態にならないことを願う」と発言。
 その後、PTA会長を辞任した男性は「発言を問題視した校長に辞表を書くよう迫られた」と主張し、東京弁護士会は今年三月、人権侵害に当たるとして、当時の校長と副校長に警告書を出した。
 今春の都立高校の卒業式では、前任校に招待され、来賓席で起立しなかった教員が職務命令を受けていなかったにもかかわらず、「公務員として不適切」とされ、都教委から厳重注意を受けた。
東京新聞 2006年6月19日


古い話で申し訳ありませんが、ここのところ「殺人」だの「報復」だのと殺伐とした話題が続きましたんで、今日は普通のブログのようにおいしい食べ物のお話なんかをさせていただこうと思った次第であります。

それで、「はらわたが煮えくりかえる」という発言については後ほど取り消したようですが、一度煮えちゃったものは元には戻りません。この際ですからよく煮込んでおいた方がおいしく食べられますが、伊藤さんの脳は「特定危険部位」ですから忘れずに除去することが肝心です。

今回は保護者については調査だか照会だかの対象から外されましたが、それは多分学校が起立しなかった保護者までいちいち覚えていなかったからに過ぎません。最初から言ってくれれば調べておくものを、後から言われても無理ですよそんな。今後はきちんと調べるようになるでしょう。もちろん今のところは来賓とか保護者には教育委員会の「指導権限」は及びませんが、教育基本法の改定案にはこんな条文があるのです。

13 学校、家庭および地域住民などの相互の連携協力
 学校、家庭および地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携および協力に努めるものとすること。


自治会や警察などとの「連携協力」をもってすれば、たとえ入学式においても保護者の特定は全く可能なのです。それだけでなく卒業式や入学式に来なかった保護者もリストアップして、来なかった理由を「調査」するようになります。入学式を正当な理由なく欠席したり「起立」しないような保護者のところの餓鬼は先生にいじめられたり、不公正な処分によってちょっとした事で退学させられたりする事でしょう。中学校の卒業式で言う事を聞かない保護者についても教育委員会を通じて高校に通知されますから、高校では最初から目の敵です。

そればかりではなく、この食人種流の改定案によると保護者や来賓だけでなく学区内の住民すべてが学校の管理下に入る事になり、すべての人に対して教育委員会の「指導権限」が及びます。住民みんなが一人残らず「生徒たちの前で規律を乱すようなことはあってはならない」ので、路上でセックスしたり政府を批判したり休みの日に赤丸旗を掲げないと教育委員会に怒られる事になりそうです。

そもそも学校制度はキリスト教の教会制度にその範をとっており、教会の機能の一部を引き継いだのが小中学校であると言っても良いようなものですが、このたびの改定案によって、学校は「地域住民の管理監督」という教会のいまひとつの機能を復活させる事になります。これは「悪魔払い」や「魔女狩り」、「異端」の摘発と排除殲滅に至るものですが、これに伴って「火あぶり」などの食人的習慣の復興も期待されているところです。広場で誰かのお肉を焼いて、程よい頃合いを皆でいただく日もそう遠くない事でしょう。お肉が「反省」しているとその味はまた格別だと言われております。
posted by 珍風 at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

反省!

デートする時は遊園地に行って絶叫マシンに乗ると良いということはよく知られています。もしかするとこれも遊園地が意図的に流したデマなのかも知れませんが、遊園地へ行った後でヨロシクやっちゃった人もいるでしょう。ちなみに僕の場合は、二人ともさんざん遊んで疲れたので、そのまま帰って寝てしまいました。人生本来の目的を見失って目先の快楽に溺れること、かくのごとしと言うべきで、まことにお恥ずかしい限りです。などと、ちょっといわゆる「反省」をしてみたところですが、アメリカから今日牛肉を仕入れることが決まったようなので、二人でドキドキしたいのでしたら吉野家で牛丼を食べるくらいにしておけば安上がりで疲れないし、当座のセックスの足しにはなるんじゃないすか。

<光市母子殺害>死刑の可能性「恐怖と向き合い反省を」��[ 06月20日 21時10分 ]
 「これからまた、どれだけの歳月が流れるのか」。山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の上告審判決に対し、被告の元少年(25)に死刑を求め続けてきた遺族の本村洋さん(30)は「最高裁自ら判決を下してほしかった」と静かに切り出した。一方で、無期懲役判決の破棄で、被告が死刑になる可能性は高まった。「命を取られる恐怖と向き合って反省し、人の心を取り戻してほしい」。本村さんは語気を強めた。【安部拓輝】
 午後3時。妻弥生さん(当時23歳)と夕夏ちゃん(同11カ月)の遺影を両手に抱えた本村さんは、うつむき加減に目をつむり、判決を聞いた。「原判決を破棄する」。閉廷後、そばに寄り添う遺族らと立ち上がって、裁判官に深く頭を下げた。
 「最高裁で死刑判決を下してほしかった」。本村さんは会見で切り出した。「無期懲役にならなかったことに感謝はしている。しかし、ここまで7年かかった」と裁判が続くことに徒労感をにじませた。
 結審後の4月中旬、現場のアパートを訪れた。7回目の命日に届いた花の鉢のそばにジュースを供え、手を合わせた。語りかける言葉は何も浮かばず、自分にそっと言い聞かせた。「どんな判決が出ても、僕は自分の人生を一生懸命生きるから」
 「私がこの手で殺す」。1審判決後、無念さを吐き出した発言には、批判も相次いだ。インターネットでは「人殺し」と中傷の書き込みをされ、犯罪被害者の権利拡大を求めて運動する姿を、被告にまで揶揄(やゆ)された。
 そんな被告が判決を前に、反省の心境を語っていると漏れ聞く。「自分の命を取られることを初めて実感したときに、自分の犯した罪の重さを知る。それこそ死刑という刑罰の意味だと思う」。会見で力を込めた。
 「被告は18歳以上。刑法でも死刑を認めている。何とか人間の心を取り戻して死刑を受けてほしい。悔い改めてもなお、命を落とさなければ償えない罪がある。その残酷さを知って、犯罪が起こらぬようにする方法を社会は考えなければならない」。2、3日後には、2人が眠る北九州の墓を訪れる。「区切りがついたよ」と語りかけるつもりだ。
(毎日新聞)


上告審は原判決について憲法違反とか、判例にそぐわないとか、法律解釈が間違ってるとか、そういう法形式的な判定をします。で、なんか間違いがあったんじゃないかと判断すれば原判決を破棄して差し戻しします。上告審では事実認定については証拠調べをせず、原判決のそれを維持しているので、上告を棄却して原判決を確定させるのとは違い、原判決を破棄する、まして死刑相当という判断を下す場合には書面だけで判決を確定するのは危険です。そういうわけで「最高裁で死刑判決を下してほしかった」と言ってもちょっと難しいでしょう。まあ、被害者遺族という立場はとにかく被告人が死ねばそれで良いという立場ですし、多少常識に欠ける発言も許されるようなもんですから、平気ですが。ちなみに上告審要旨は以下の通りでおます。とりあえず資料です、飼料。

 最高裁が20日言い渡した山口母子殺害事件の上告審判決要旨は次の通り。
 【上告趣意について】
 検察官の上告趣意は、判例違反をいう点を含め、実質は量刑不当の主張であり、刑事訴訟法の上告理由に当たらないが、職権で調査すると、2審判決は破棄を免れない。
 【死刑の判断基準】
 死刑は究極の厳しい刑であり、慎重に適用すべきであることは疑いがない。しかし、判例が示すように、死刑制度を存置する現行法制の下では犯行の罪質、動機、態様、特に殺害手段方法の執拗(しつよう)性・残虐性、結果の重大性、特に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などを併せて考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡や一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択をするほかない。
 本件についてみると、女性暴行目的で被害者を殺害、さらにいたいけな幼児までも殺害した各犯行の罪質は甚だ悪質であり、2名の尊い命を奪った結果も極めて重大だ。動機、経緯に酌むべき点はみじんもなく、強固な犯意の下に、何ら落ち度のない被害者らの生命と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は、冷酷、残虐にして非人間的な所業といわざるを得ない。
 犯行後の情状も良くない。遺族の被害感情は峻烈(しゅんれつ)を極め、慰謝の措置は全く講じられていない。白昼、ごく普通の家庭の母子が、何の責められるべき点もないのに自宅で惨殺された事件として、社会に大きな影響を与えた点も軽視できない。以上の諸点を総合すると、罪責は誠に重大で、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない。
 【酌量すべき事情】
 被告は、暴行については相応の計画を巡らせていたものの、事前に被害者らを殺害することまでは予定しておらず、被害者から激しい抵抗に遭い、被害児が激しく泣き叫ぶという事態に対応して殺意を形成したものにとどまることを否定できない。当初から殺害することをも計画していた場合と対比すれば、その非難の程度には差異がある。
 しかし、反抗抑圧の手段や発覚防止のため殺害を決意して次々と実行しており、殺害が偶発的なものといえない。計画性がないことは、死刑回避を相当とするような特に有利に酌むべき事情と評価するには足りないというべきだ。
 少年審判を含む2審判決までの言動、態度などを見る限り、罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難。成育環境も、不遇または不安定な面があったことは否定できないが、特に劣悪であったとまでは認められない。本件以前に見るべき非行歴は認められないが、犯罪的傾向には軽視することができないものがある。
 結局のところ、酌むに値する事情といえるのは、被告が犯行当時18歳になって間もない少年であり、改善更生の可能性が否定されていないことに帰着すると思われる。少年法は、犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないとしており、その趣旨から、犯行時18歳になって間もない少年であったことは、死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが、死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない。犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性および遺族の被害感情などと対比・総合して判断する上で考慮すべき一事情にとどまる。
 2審判決および1審判決が酌量すべき事情として述べるところは、個々にみても、総合してみても、死刑を選択しない事由として十分な理由には当たらない。2審判決が判示する理由だけで、その量刑判断を維持することは困難だ。
 2審判決は量刑で考慮すべき事実の評価を誤った結果、死刑の選択を回避するのに足りる特に酌量すべき事情の存否について審理を尽くすことなく、無期懲役とした1審判決の量刑を是認した。刑の量定は甚だしく不当であり、破棄しなければ著しく正義に反する。
 【結論】
 2審判決を破棄し、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかについて、さらに慎重な審理を尽くさせるため、本件を広島高裁に差し戻す。
(岩手日報)


なんかこれは「上告理由には当たらない」そうで、だったらさっさと棄却してしまえば良いようなものですが、浜田邦夫裁判長、上田豊三、藤田宙靖、堀籠幸男各裁判官は全員一致で、やらなくても良い「調査」をした結果、原判決を破棄したものであります。手続き上の瑕疵を無視してまで死刑判決を促したものですから、よく覚えておきましょう。藤田さんの名前は読みにくいですが「ときやす」です。

見出しでは「恐怖と向き合い反省を」といい、遺族の「自分の命を取られることを初めて実感したときに、自分の犯した罪の重さを知る。それこそ死刑という刑罰の意味だと思う」という発言も引いて、マスゴミとしては先日と全く同様、「死刑」と「反省」を結びつけているところです。あたかも死刑存置にこだわる人たちがその根拠を失った挙げ句、「反省」に活路を求めたかのようです。これが本村氏のオリジナルのアイデアなのかどうか分かりませんが、もしそうだとすればちょっとした功労賞ものです。しかしこれは当初の私的報復宣言とは相容れない考え方のようにも思えますが。

しかし、何でも言った者勝ちとはいえ、普通に考えると「死刑」と「反省」の間に因果関係を見いだすことは困難だと思われます。「反省」するかどうかは死刑囚の人柄考え方次第と思われていますし、判決確定から刑の執行までに「反省時間」をとる、などという規定はどこにもありません。第一、実際問題として死刑囚は「反省」するもんでしょうかね。しないと思いますよ。しないと思うでしょう。ところがするんですよこれが。「反省」なんて簡単です。猿でも出来ます。

人が違法行為をなした場合に、自分がやった違法行為に対する自分の評価はそれほどでもないかもしれません。たいしたことじゃないと思い、それほど高い価値を認めないことがあるでしょう。誰にも見つからなければそれっきりで、別段なんの悩みもなく普通に生活できたりします。夢に出てきてうなされたりしません。ところがこと志と違って違法行為が明るみに出てしまったら、彼はかなり不本意な境遇に置かれることになります。このような場合には「ヤだなー」という不協和が生じますが、これを解決するために以下の戦略のうちいずれかをとることが出来ます。

(1)、「不本意な境遇」を変更するように努力する。例えば再審請求をするなど。

(2)、その「境遇」の不本意さを自らの違法行為への価値付けの低さにまで低めて考える。例えば死刑による死の恐怖を無視し、顧みないことにする。

(3)、その「境遇」の不本意さの度合いまで、自らの違法行為の価値付けを高める。例えば自分の違法行為について「とっても悪いことをしてしまった」と考える。

「認知的不協和」の理屈だと上記のうち(2)か(3)のいずれかやりやすい方を採用することになります。心理学は外的現実を変革することはあまり考えに入れません。そうすることによって心理学的問題のいくらかは解消してしまう恐れがあります。そいつは困った。それで(1)は最初から考慮されないことになるんですが、「不本意な境遇」(たとえばもうすぐ死刑になるなど)は変えることが出来ないものとして考えるのが心理学というものの、癖のようなもんです。また実際に確定判決を変更させるのはなかなか難しいことでもありましょう。

それで「反省」というのは実は、囚人が上記の(3)の方法をもって不協和を解消することに他なりません。もちろん彼は(2)のように考えることも出来るわけで、彼がどのような戦略をとるかは分かったものではありません。ただし、被害者遺族の立場では死の恐怖を過大に評価する理由があります。近親者の死に直面した者が最も強い死の恐怖を感じ、それは殺された者や殺した者が感じるそれを大きく上回るものであるのかもしれません。従って遺族は囚人もまた死の恐怖を高く評価して(3)の戦略をとることを過度に期待しがちであるとしても、それは置かれた立場上仕方のないことであり、仮にその期待が囚人の実情とかけ離れていたとしても遺族を責めることは出来ません。

このように「死刑」と「反省」との結びつきは遺族の希望的観測に過ぎないのではないか、という疑いが濃厚なのですが、しかし、遺族が求めているのは要するに「不本意さ」を共にすることなのではないか、と解することも出来そうです。そうだとすれば無理に被告人に死を宣告することは必ずしも必要ではないのかもしれません。むしろ死刑執行までの長期の待機は偶然に過ぎず、出来れば早めにやってしまうのが本当なのですから、死刑は実は遺族の期待に著しく反するものであると考えられます。また、いたずらに「審理の迅速」を主張して「裁判が続くことに徒労感」を感じるのではなく、その期間を被告人の「反省」の時間としてとらえることも出来るのではないでしょうか。それでも殺したいのであれば、むしろ犯人の出所をこそ歓迎し、その迅速化を図り、自ら報復するという初心を果たすのがよろしいかと存じます。
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2006年06月19日

死刑!

八丈島のきょん!週末はのんびりしてたらもう明日は20日なんだから全く油断も隙もあったもんじゃありません。

光市の母子殺害、20日に最高裁判決…「命で償って」
 最愛の妻と娘を守れなかった。その後悔が、今も胸を締め付ける。山口県光市で1999年、本村洋(もとむら・ひろし)さん(30)の妻、弥生さん(当時23歳)と長女、夕夏(ゆうか)ちゃん(生後11か月)が、元会社員(25)(犯行時18歳)の被告に殺害されて7年2か月余り。
 本村さんは悩み、苦しみながら被告に極刑を求め続けてきた。
 1、2審で無期懲役の判決を受けた被告に、最高裁は20日、どんな判断を下すのか――。
 今年4月、本村さんあてに、被告から初めて手紙が届いた。本村さんがまだ開封すらしていない、その手紙のコピーが5月18日、マスコミに配られた。弁護側が被告の「反省の表れ」として、最高裁に提出した書面の一部だ。本村さんは「被害者がまた利用されている」と感じた。
 批判を覚悟で、公の場で犯行時少年だった被告に死刑を求め続けてきた。犯した罪の重さを知ってほしいと思ったからだ。被告は2審が始まる前、友人に「無期懲役はほぼ決まり。7年そこそこで出られる」などと書いた手紙を送っていた。
 死刑を言い渡されたら、被告はどうなるのか。それが知りたくて、1審判決後の2002年、米・テキサス州に渡り、死刑囚に会った。18歳の時に白人1人を射殺し、死刑を言い渡された黒人男性は、自分の罪と真摯(しんし)に向き合い、「死刑判決が僕を変えた」と語った。
 「命をもって償うことは必要だと確信した。酷かもしれないけれど、僕は同じことを被告にも求めたい」。被害者として悩み、苦しみながら、たどり着いた結論だった。
 最高裁は今年4月、検察・弁護側双方の意見を聞く口頭弁論を開いた。書面審理が中心の最高裁が弁論を開くことは、2審判決が見直される可能性があることを意味する。
 判決は、遺影の2人と一緒に聞くつもりだ。量刑不当を理由に、無期懲役の2審判決が破棄され、死刑相当とされた例は、戦後2件しかない。
 「何の落ち度もない女性と子どもを、身勝手な理由で殺したらどうなるのか。裁判所には、過去の量刑との均衡だけでなく、市民感覚に合う判断を示してほしい」。その問いに対する答えは、3日後に出る。
(2006年6月17日14時33分��読売新聞)


アメリカの死刑囚に会見した件を持って来て、死刑判決を下すと被告は反省をするものだ、というオハナシをしているのは本村氏なのか、それとも嫁売新聞なのかちょっと曖昧なんですが、ちょっとそれはやはりどうかと思います。反省する人もいればそうでない人もいるでしょう。ひどい仮定であるけれども、被告の元少年が死刑判決を受けて、「あの世でもう一発犯ってやる」と言ってしまえばそれっきりの話でしかありません。そもそもこれは死刑の執行が判決確定後相当の時間を経過するという場合においてしか意味がなく、刑の確定後直ちに執行するような場合には反省もの何もなんだか知らないけどあっという間にあの世行きです。まあ、そういう生意気なことを言っているうちは刑の執行をしないというのなら別ですが、それだと反省の意を表さなければ死刑囚は死を回避できることになりますので、それも如何なものか。

被害者遺族が加害者に対して報復感情を抱くのは当然で、たまたまこの被害と加害との関係が違法行為によるものであれば法による処置がなされるわけですが、法が被害者に代わって報復を果たしてくれることを期待できるものなのでしょうか。そもそも刑法というものがそのような目的で編まれているものなのかどうか、議論の分かれるところではあります。しかし秩序の維持、あるいは身体生命等の法益の保護など、刑法の目的として考えられる様々な観点からは「報復」を刑罰の目的として直接に導きだすことは困難です。犯罪行為に見合った刑罰の応報性がたまたま「報復」とほぼ等しい程度の加害者の権利への侵害をもたらす場合があることにより外見的には「報復」が行われたように見えますが、どちらかというと被害者に代わってお仕置きをするという意義は薄く、むしろ法秩序の侵害をいかに処理するかという観点から、たとえば加害者の「反省」によってある程度「処理」が進行したものとみて量刑を勘案したりすることがあるわけです。つまり「反省」することによって「犯罪者」が自ら法秩序に恭順の意を示すことによって、法規範が被支配者のすべてに内在化されるという意味での法的な秩序というものが回復された、あるいはここでまた一人を征服した、ということが出来るからです。

もちろん、遺族が仕返しのために加害者を殺害し、加害者の遺族が被害者の遺族をまた殺す、といったことになると困るので国家が代わって報復をするのだよ、という議論もあり得ますが、これでは裁判所は常に被害者が満足するような判決を下さなければならなくなります。つまり専ら被害者の報復感情の満足を図る量刑を下すのみならず、法により犯罪行為として規定されていない行為によるものであっても「被害者」が「被害」に遭ったと主張するならば「加害者」を処罰するのでなければなりません。痴漢をされたお嬢さんは加害者を殺してやりたいと思うかもしれませんし、触った手を切断するくらいで勘弁してやろうと思うかもしれませんが、このような場合司法の判断は残念ながら概ね被害者の期待を下回ります。また、この痴漢が誤認であった場合には、痴漢と間違われたおじさんは職や家族を失っために、それ相応の「報復」を自分を痴漢であると訴えた女性に対して要求するかもしれません。刑法の目的を「報復」におくと、こういうときには法はその目的を果たしていない、ということになりかねません。なぜなら被害者の報復感情を満足させないことによって、被害者が私的報復に走ることが予期されるからです。

そういうわけで「償う」といってもなかなか難しいこともあるんですが、本件の被害者遺族の場合は、死刑という、当該犯罪における最高刑をもって満足すると言明しているところであります。これは一応穏当な、穏当に過ぎる態度でありましょう。別段死刑のないところに死刑を新設しろとか、牛裂き鋸挽き火あぶりを復活させようと言っているわけではなく、彼が被告人の死を要求するのはそこにたまたま死刑があるからに過ぎないことに注意すべきでしょう。仮に殺人の罪の最高刑が懲役5年と決められていれば懲役5年で納得するという立場であります。本村氏は被告人が死刑にならずに出所した際には自らの手で報復を行うそうでありますが、仮に法が被告人に死を課すことが不可能であれば、それは裁判としては最高度の刑を科したとして納得したうえで、改めて私的な報復を行うことを排除していません。

それはそれでまた恐ろしい考えでして、本村氏は被告人が死ねばまあ良しとするらしいのですが、他の人はホンの些細な、60円盗んだなどのことで相手の血を望むかもしれませんし、もし自分が本村氏と同じ立場に置かれたら、なにしろこっちは二人も殺されてるんだ一人の命じゃ足りねえぜこっちの一人についてテメーら10人だ容赦はしねえ地獄の底まで追っていくから覚悟しやがれ、という人もいるかもしれません。死刑が報復感情を満足させるのは本村氏のごとく感情が抑制され、いわば適法化された場合に限られ、またこのように抑制されるのであれば仮に死刑がなければそれなりの法定範囲内に抑制されることが予想されますが、そうでない人は仮に死刑が行われたとしてもそれでは飽き足らず、加害者の家族親族をつけ狙い始めます。

また、死刑が行われない場合に遺族が自ら報復するというときには、これは法により規定された手続きによる死刑の執行よりもはるかにオッカナイものである恐れがあります。出所後、幸福な家庭を築くのを待って、被告人の肢体を切断して全抜歯を行ったうえで被告人の行ったことをその眼前で同じように行うなどが通常考える比較的おとなしめの手段ですが、一般予防論の見地からみるとこちらの方がより威嚇・抑止効果が高いかもしれません。しかしながらこの場合、加害者側からすると報復に出ようとする遺族を前もって殺してしまおうということにもなりかねませんが。なお、死刑の抑止効果と言われるものについては、犯罪の隠蔽の強い動機付けにはなると思います。一方、たとえば政治的な「テロ」の場合には主観的に自他の生命を超える価値を持つ「大義」に基づいて行われることから全く抑止効果が期待できない、また、すべてを失って破れかぶれの人に対してはやはりちょっとどんなもんか、という限界があるでしょう。てゆうか別に捕まるつもりで悪いことはしません。開き直って澄ましてられるのは日銀総裁くらいなもので。

それにしても死刑などというものはあっけないものです。実際には裁判記録を精査して死刑の起案をして、いろんな人の決済を貰ったら執行命令書が出て、なんて、お役所のことですから沢山ハンコがつくんですが、命令書が出ればあとはルーチン、まあそうは言ってもいろんな人が関わっていて、それぞれに思うところはあるんでしょうし、なんたって人殺しですからツライことも多々あるであろうとはいえ、そこはこらえてもらって滞りなく吊り落としてみれば何ということはありません。たいていの場合あっさり死んでしまいます。本村氏は残念に思うかもしれませんが、被害者遺族が刑の執行に立ち会うことはないようです。人の生命の儚さを知ることが遺族にとって些かの慰めともなろうかというと、全然そんなことはないんで、即死したりしようものなら怒りだす遺族もいるでしょうな。
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2006年06月15日

ちょっとそこまで侵略に

さあいよいよ戦争だ、みんな武器を取ってそこら辺の連中をぶち殺しましょう。

恒久法:議員立法原案で治安維持、警護の任務付与
 自衛隊が国際平和協力活動を行う際の海外派遣要件を定める「恒久法」に関し、自民党がまとめた議員立法原案が13日明らかになった。活動を「非武力紛争地域」に限定したうえで武器使用基準を緩和し、治安維持任務や警護任務を与えるのが柱。国連決議などのほか、政府の独自判断による派遣も可能としているが、歯止めとして国会の関与を義務付けた。14日の党防衛政策検討小委員会で報告される見通しで、停滞していた政府・与党の恒久法議論が本格化する。
 原案によると、派遣先の地域が「国または国に準ずる組織による武力紛争」が行われていないことを確認し、非武力紛争地域と認定した地域に限り、政府は自衛隊を派遣できる。派遣隊員の武器使用権限は現行では正当防衛と緊急避難に限定されているが、国際標準とされる「任務遂行のための武器使用」を認める。これに伴い、(1)治安維持(2)警護(3)自衛隊が武器を持って救助に向かう「駆けつけ警護」−−を容認している。
 一方、派遣の条件は国連決議、国際機関や受け入れ国の要請に限らず、政府が「国際社会の取り組みに寄与することが特に必要と認める事態」と判断した場合も派遣を可能とした。いずれの派遣も国会の事前承認が必要で、国会の判断による派遣の終了も盛り込んだ。また、政府の独自判断による派遣に対しては、これらに加えて「1年ごとの国会承認」も義務付けた。
 このほか、テロリストの移動防止や経済制裁の実効性確保のための「船舶検査」を認め、船長の承諾なしの停船検査、乗員の拘束、積み荷の没収などの措置も行えるようにしている。【田中成之】
毎日新聞 2006年6月14日 3時00分


創価学会信者の記憶障害と民主党のウスラバカ加減がたよりの自衛隊の「防衛省」昇格に伴って、自衛隊は専守防衛の自衛軍から海外出兵を任務とする侵略軍に「昇格」するんだそうですが、現在のところアメリカの対外侵略のお手伝いをしているのは時限立法なので、これではこれからの「自衛」隊の性格にそぐわないということで、侵略行為の法的根拠を明らかにすることになりました。

これはどういうことかというと、分かりやすくいえば「非武力紛争地域」、すなわち善良な市民が普通におとなしく生活しているところへ、
「国連決議、国際機関や受け入れ国の要請に限らず」、誰からも頼まれてもいないのに好きなときに押し掛けていって、武力を使用して「治安維持」や「警護」を行うという、そういうことをちゃんと法律に定めてやっていこうということです。

ここで一応、条件としてはその「非武力紛争地域」の状態が「国際社会の取り組みに寄与することが特に必要と認める事態」に至っていると判断された場合に限るわけですが、ここで言う「国際社会の取り組み」というのがアメリカの軍事行動を指すことは明らかでしょう。そうすると「政府の独自判断」なるものもなんだか怪しげになってくるわけで、政府はアメリカの非公式な要請に基づいて海外に出兵し、しかもそれがあたかも自らの判断で行ったものであるかのように振る舞わなければならない、ということになりそうです。

これではまるでレイプされたのを訴えたら合意のうえだということにされてしまった人のようですが、実際のところイヤよイヤよと言いながら(言ってないか)体は正直だぜ奥さん、アソコはもうグッショリだ、触りもしないうちから自衛隊員が太股を伝って海外に出て行こうとしているんだから世話はありません。これではほとんど憲法を「改正」する必要すらありません。

アメリカは日本が憲法を「改正」して「ならず者」の仲間に入ることを切望していますが、その前提となる国民投票法案の成立が難航しているのにシビレをきらしたのか、アメリカ国内にあるものを除けば世界で最も親米的な人々の集まりである自民党にはたらきかけて自衛隊を「侵略軍」に格上げすることで、憲法改定の実を取ることにしたようです。これで日本もアメリカ野蛮国と同じく、恥も外聞もなく「侵略の出来る国」になるわけですが、9・11を思い出すまでもなく、「国会の承認」を引き出すための侵略の口実として「テロ」が行われるのはよくあることです。戦争は何よりもまず自国民への攻撃から開始されるのです。もちろん開戦後も自国民との戦いは続きますが、それはだいたいのところ戦争に反対する国民を主なターゲットにしています。しかし開戦の口実としての「テロ」は概ね無差別に行われますので、侵略軍を抱える国の国民は誰でも、いつ何時そういう目に遭うか分かりません。大変残念なことですが、善良な国民として政府の言うことを聞いていても何の役にも立たないし、お題目で救われることもありません。ここはひとつ「愛国心」をもってスッパリと諦め、おとなしくくたばりましょう。
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2006年06月14日

ホワイトカラー・エグゼンプション=「自律的労働制度」?で盟神探湯の復活だ!

「デトックス」なんて面倒だな、解毒だろ、「ゲドックス」でいいじゃん、なんて言っていると、周囲の若い、あるいはベテランのお嬢さんがたから白い眼で見られる、それを「オヤジギャグ」と言います。これは寒いものということで、これからの季節には欠かせない夏の風物詩ですが、まだ夏じゃないのに早くも一発かますのが季節を先取りしたオシャレ感覚なのです。

労働法制見直し始動 一定年収で残業代なくす制度も提案
2006年06月13日21時40分
 働く人と会社の雇用契約のルールを明確にする新しい「労働契約法」と労働時間法制の見直しに向けて、厚生労働省は13日開かれた労働政策審議会の分科会で、素案を示した。長時間労働の是正のために賃金に上乗せされる残業代の割増率を引き上げる。一方で、一定以上の収入の人は労働時間の規制から外して残業代をなくす仕組みなどを提案している。会社員の働き方を大きく変える内容だ。
 同省では7月に中間報告、今秋までに最終報告をまとめ、来年の通常国会に労働契約の新法や労働基準法改正案などの関連法案を提出したい考え。素案は残業代の割増率の引き上げなど労働者を守るため規制が強化される部分と、残業代が必要ないなど企業にとって使いやすい人材を増やす側面の両面を含む。労使双方から反発が出ており、どこまで一致点が見いだせるか議論の行方は不透明だ。
 素案では、長時間労働を是正するために、現在最低25%の残業代の割増率を、月30時間を超える場合に50%とする▽長時間残業した人の休日取得を企業に義務づける▽整理解雇の乱用を防ぐルールの明確化などを盛り込んだ。
 その一方で、一定以上の年収の人を労働時間規制から外して残業代の適用対象外にする「自律的労働制度」の創設▽就業規則など労働条件変更の際、過半数の社員でつくる組合の合意があれば個別の社員の合意と推定▽裁判で解雇を争って無効になった場合でも解雇を金銭で解決できる仕組みの検討――なども示した。
 自律的労働制度の対象となる社員について、厚労省案では具体的な基準は示されていないが、日本経団連は昨年、年収が400万円以上の従業員を労働時間規制の対象外にするよう提案しており、基準の設け方によっては多くの正社員の残業代がなくなる可能性もある。
 同日の分科会では、労働側が、労働時間規制の適用除外を広げる案や解雇の金銭解決などが盛り込まれていることに「これまでの議論が反映されていない」と強く反発。労使の一致点が見つからなければとりまとめをしないよう求めた。
 一方、使用者側も「雇用ルールを明確にするのに必ずしも法制化は必要ない」などとして、ルールの厳格化によって人事・労務管理などが規制されることに警戒感を示した。
asahi.com


カタカナ言葉をなくそう!とかなんとか言って、新しい言葉に拒否感を示すのが「オヤジ」の特徴でありまして、「ホワイトカラー・エグゼンプション」は日本語で「自律的労働制度」ということになったそうです。シャレにもなっていないところが「オヤジギャグ」の条件を満たしています。意味も全く違う。何が「自律的」なのかわかりませんが、労働者の「自律」とは全然関係なさそうですから、雇用者の方が労働法制に対して「自律的」であるということでしょうか。そういえばなんだかそういう意味のことを言いたい人たちもいるようです。

厚生労働省の冗談は、「規制改革・民間開放推進会議」や「今後の労働時間制度に関する研究会」の報告書に沿うもので、「ホワイトカラー・エグゼンプション」のようなものをなんとかして導入して労働時間の最大化を図るものですが、ここでは労働者を2種類に分断することが重要な点であります。すなわち「一定以上の年収の人」とそれ以下の年収の労働者に。いわば「正社員」と「不安定雇用者」、あるいは流行の言葉で言えば「勝ち組」と「負け組」に。

しかし年収400万で「勝ち組」とはちょっと待ってくれという感じです。これは「正社員」の平均年収よりちょっと少ないくらいの金額にすぎません。だいたい人に雇われている立場で「勝ち組」もないものです。しかしこれからは大多数の労働者が短期契約や派遣で働くようになることを考えると、とにかく就職時の競争で他の人を蹴落として「正社員」になった、というくらいの意味で「勝ち組」と言えないこともありません。もっとも一部では年収1千万以上の被雇用者を「勝ち組サラリーマン」と、これは皮肉でも冗談でもなく言っているようですから、まあその予備軍くらいのところでしょうか。

この人たちが「自律的労働制度」、というのはつまり労働時間規制の適用除外対象ということで「ホワイトカラー・エグゼンプション」の基本的な意味を十分満たす制度ですが、これの対象になっています。年収400万で無制限労働。現在法定労働時間は週40時間ですが、この人たちがどのくらい働かされるか、無制限ではいくらなんでもちょっと可哀想なので、控えめに週80時間とすると、年に4160時間です。年収400万をこの年間労働時間で割ると1時間あたりの金額は961.54円となります。これが「勝ち組」の「時給」です。

次に「負け組」諸君ですが、この人たちには残業手当がつくそうですけど、んなものは所定内賃金を低くすることによって対応可能です。どうしても支払わなければならない金額は「地域別最低賃金」として決められていますが、このなかでも一番高いのが東京で、それでもその金額は714円にしか過ぎません。いくらなんでもこれではちょっと可哀想なので、800円にしてあげましょうか。この人たちも「勝ち組」同様に週80時間働くとします。残業時間は週に40時間。1ヶ月には160時間くらいですが、「現在最低25%の残業代の割増率を、月30時間を超える場合に50%とする」ので、これの適用が130時間になります。そうするとこの人たちの年収は、およそ時給の5030倍となります。時給が800円とすると402万4千円。これが「負け組」の年収です。なんだ一緒じゃん。

もっともここでは「サービス残業」とか不当なペナルティその他通常行われている労働慣行を無視して、雇用者が法律を遵守するものという仮定をしていますので、現実離れした数値を出してしまっているかも知れませんが、仮に残業がゼロだとするとこの人たちの月収は14万円にも届きません。最低賃金ではもっと低く、12万3千円くらいです。残業しなければ生活できない程度ということになります。

もちろん「正社員」諸君は、うまくするとそれこそ年収1千万とかの「勝ち組サラリーマン」になれる可能性はあります。もっともそれはごく一部の人の話であり、大多数はそこまで行かないうちに病に倒れたり、死んでしまったり、気が狂ったりします。そこら辺は諸君の「自律」に任されており、会社はいっさい感知しません。そんなわけで諸君はみんなくたばるのです。

「負け組」諸君も同様で、先ほどのように週80時間の残業があればともかく、実際には仕事があってもただ働きする「正社員」にやらせた方が安上がりですから、諸君の仕事はありません。もし仕事が回ってきても、残業代が支払われることは現実には極めて稀です。支払われない場合に文句を言うと首になります。しかしたとえ支払われたところで、こんなに長時間労働を続けていれば病に倒れたり、死んでしまったり、気が狂ったりします。そんなわけで諸君はみんなくたばるのです。

「分断」に意味はありません。勝っても負けても結局は負けるしかないゲームなのですから、「勝ち組」だろうと「負け組」だろうと、正社員だろうとアルバイトだろうと、諸君はみんなくたばるのです。しかも「使用者側」は「雇用ルールを明確にするのに必ずしも法制化は必要ない」などと、政府がこれだけ使用者側に有利な案を出しても、まだ不足のようです。彼らは過激にも無法状態を求め、他人の生命を奪う自由を要求しています。もちろん自らの生命と財産を守る法制度と警官と岡っ引きを手放すことはありませんが、労働者が自らの生命と権利を擁護するにあまりに無頓着であるのを見て取って、来年からは奴隷制と食人の習慣とを復活させ、戦士の魂をたたえて酋長に土下座し、すべての労働紛争の解決には盟神探湯をもってあたる予定です。
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2006年06月12日

畠山鈴香さんと「深い人間関係」したい人

この事件では「住民」は最初から「語り」っぱなしですけど。

「もっと結束を」語り始めた住民
畠山容疑者 逮捕から1週間
豪憲君殺害事件の舞台となった藤里町の朝日ヶ丘団地。手前左端が畠山容疑者宅(本社ヘリから)
 2児の失跡と死、逮捕、捜索……、静かだった町営団地が疲弊している。藤里町の小学1年米山豪憲くん(7)が殺害された事件で、同じ団地に住む畠山鈴香容疑者(33)が死体遺棄容疑で逮捕されてから1週間。“すべての始まり”とみられる畠山容疑者の長女彩香さん(当時9歳)の水死以降、住民たちは2か月にわたり、心をかき乱され続けてきた。それでも住民の中に「これまで」を振り返る声が出始めている。「これから」について考えようとしている。
 〈藤琴川による浸食などによってできた階段状の「河岸段丘」が広がる藤里町。その一角にある朝日ヶ丘団地は、過疎対策と低所得者層向けの住宅提供を目的にした町営4団地のうち最も新しいもの。入居が始まったのは12年前。町外からの転居者は、28戸中、畠山容疑者を含め6戸ある〉
 「とにかく集まりがない。このままではいけない」
 彩香さんと同じ藤里小4年の娘を持ち、畠山容疑者と同い年。団地住民の男性会社員(33)は事件後、団地内の交流の少なさに危機感を募らせ始めた1人だ。
 団地内には両親共働きの家庭が多く、地域の集まりのために時間を割くことは容易ではない。それでも男性は語気を強める。「そうも言っていられない。事の大きさを本気で考えているなら集まれるはずだ」。事件の傷跡は深い。傷跡は処置しなければならない。
 〈藤里村として1955年に合併する前は、藤琴村と粕毛村に分かれていた。団地が所在する「藤里町粕毛家の後」という一風変わった地名は、役場や学校、家々が立ち並ぶ旧粕毛村春日野地区の裏手、という立地に由来するという。河岸段丘の田畑、藤琴川に挟まれた、そんなのどかな団地が今、揺れている〉
 団地内で回す回覧板が、畠山容疑者の家でいつも止まってしまう。畠山容疑者の玄関を通りすぎ、隣の家に回すようになった。
 「団地ぐるみで、彼女ともっと交流を持っていれば、違った結果になったのではないか」。男性会社員(35)は悔やむ。「こちらから働きかけて、もっと深い人間関係を作れていれば……。小さな変化などに気づいて何らかのブレーキをかけることもできたかもしれない」
 朝から晩まで、事件のニュースが続く。男性は「面倒くさがらず、粘り強く、声をかけていくなり地域の行事に誘うなりしていくほかにない」と思い始めている。
 〈4月10日、彩香さんが水死体となって発見された。住民の心が癒やされようとしていた矢先、豪憲君が殺された。そして畠山容疑者の逮捕。自宅に捜索が入り、団地は再び騒然となった。9日には、県警幹部や検事らも加わり、再度の捜索、10日にも検証が行われた。団地住民の記憶から消えることはないだろう〉
 「会を開いて、まずは集まる。自分たちの身近に何が起こったのか、これからどうしていくのかをみんなで考えなければ」。彩香さんと同級生の娘を持つ男性は続ける。「どうしても参加できない人には、会の内容がわかるような掲示板を作ったりして情報を共有したい。同じ団地に住む人間同士の結束を強めていきたい」
 事件が起き、団地に足りなかったものに住民が気付き始めた。具体的な何かが始まったわけではない。それでも、団地内で親しい友人と顔を合わせると、必ずこうした話になるという。
(2006年6月12日��読売新聞)


サービス残業で多忙な男性会社員諸君は知らなかったかもしれませんが、テレビを見るかぎりでは沢山の「近所の人」たちが畠山鈴香さんに注目していたようです。それこそ普段の食生活から以前の職業まで、前の夫のことから今のボーイフレンドまで、「住民」は余すところなく知っているのです。「結束」や「集まり」や「情報の共有」は、十分に行われていたとみることが出来ます。仮に畠山さんちが参加していなかったとしても、28戸のうち27戸、実に96%が「結束」していたのであり、これは一般の町内会等の参加率と比較しても極めて高い数値なのではないでしょうか。しかも「近所の人」が持つ鈴香さんに関する情報のあるものは、鈴香さん本人がソースであるとしか考えられないものもあるところから、鈴香さんを含めた住民全体は大変よく「結束」していたと考えられます。

失礼ながら彼女はそんなに人々の注目を集めるほど魅力的だとも思えません。しかし朝日ヶ丘団に住む「地低所得者層」世帯の多くが、このような「男性会社員」とその家族によって構成されているとしたら、畠山家のような家族構成は珍しいものであり、注目を集めがちであります。とくにその「家族」のほうにとっては、鈴香さんは誠に興味深い存在であったと考えられます。鈴香さんと直接交際がなかった人でも、噂話などを通じて「情報の共有」を図っていたものでしょう。上記の「男性会社員」諸君は、奥さんたちの噂話の輪に入っていなかったので、いろいろな面白い話を聞き逃していたのが残念だったようです。たとえ団地内に「親しい友人」がいたとしても、女っ気がないとどうもねえ、という気持ちはわからないでもありません。さかんに「集まり」たがったり、「行事」をしたりなんかして「こちらから働きかけて、もっと深い人間関係」をアレするつもりでいるようですが、不倫はいけませんよ。

朝日ヶ丘団地ではこれからいろいろと楽しいこともあるのかもしれませんが、他のところは違うようです。嫁売新聞では同じ日にこんな「調査」結果を発表しています。

人間関係「希薄に」80%…読売世論調査
 読売新聞社が実施した全国世論調査(面接方式)で、社会の人付き合いや人間関係が希薄になっていると思う人は、2000年7月の前回調査よりも7ポイント増え、80%に達した。
 希薄になっていると思う人は、大都市よりも、中小都市や町村で急激に増えており、人とのつながりの喪失感が大都市部だけでなく、全国的に広がっていることが浮き彫りとなった。
 調査は5月13、14日の両日実施した。人間関係が希薄になりつつあると思うかとの質問に、80%の人が「そう思う」と答え、「そうは思わない」という人は19%だった。
 「そう思う」人を都市規模別にみると、中都市(東京23区と政令市を除く人口10万人以上の市)が81%で最も高く、次いで、小都市(人口10万人未満の市)80%、大都市(東京23区と政令市)78%、町村75%の順。前回調査と比較すると、大都市は3ポイント増だったのに対し、中都市と町村が6ポイント、小都市は10ポイントと、大幅に増加した。
 その理由では、「人と接するのをわずらわしいと思う人が増えた」49%が最も多く、次いで、「人の立場を理解できない人が増えた」48%、「テレビゲームやパソコンなどでひとりの時間を過ごす人が増えた」45%――などの順だった。
 人間関係の希薄化で社会にどんな悪影響が出るのかについては、「自己中心的な人が増える」62%、「社会のモラルが低下する」55%、「地域のつながりが薄れる」53%――など。
 一方、友人や知人とのコミュニケーションで携帯電話のメールを使う人は計46%。年代別では20歳代で、93%、30歳代で81%に達した。
 携帯電話のメールが人間関係に及ぼす影響では、「誤解が多くなる」34%、「人間関係が表面的になる」29%、「感情や思いを面と向かって伝えられなくなる」25%など、マイナス面が上位。プラス面では、「コミュニケーションの回数が増え、人間関係が深まる」18%、「けんかをしたときに、謝るきっかけを作れる」13%などが多かった。
(2006年6月12日0時24分��読売新聞)


なにしろ「人間関係」が「希薄」なのは現代の常識です。実際に希薄なのかどうか、そもそも人間関係の「濃度」をどうやって測定したのか知りませんが、「人間関係」といえば「希薄」と答える、山のこだまの楽しさよ。このような「打てば響く」関係は、相当に濃密な人間関係であるといえるでしょう。しかし19%の人が、新聞社の人との人間関係が希薄であります。

嫁売新聞と濃密な人間関係を築いている人は、それ以外の人間関係が希薄だと思っているということになりますが、その「理由」については、「人と接するのをわずらわしいと思う人が増えた」、「人の立場を理解できない人が増えた」、「テレビゲームやパソコンなどでひとりの時間を過ごす人が増えた」と、すべて他の人に原因があると考えています。「私の顔が醜いから」みんなが私と「接するのをわずらわしいと思う」んだとか、「俺の性格が悪いせいで」いろんな人が自分を避けているのだ、他の人たちは「お前なんかとつきあうくらいなら「テレビゲームやパソコンなどでひとりの時間を過ごす」方がよっぽどましだわい」と思ってる、とは考えもしないようです。このような80%の人々は「人の立場を理解できない人」であって相当に「自己中心的な人」にみえますが、嫁売のほうでそのような選択肢を示さなかった可能性があります。すなわち調査の方法が適当ではありません。

また、「人間関係の希薄化で社会にどんな悪影響が出るのか」について問うていますが、「社会にどんな良い影響が出るのか」についての質問が見当たりませんので、嫁売としては「人間関係の希薄化」が悪いことででもあるかのように考えていることが分かりますが、かなり強引なやり口であるという印象は否定できません。あたかも先述の記事において、濃密な情報交換がなされていた朝日ヶ丘団地を「交流が少ない」ことにしてしまったのと同様であります。どうも「人間関係の希薄化」というシロモノも、そのものがずいぶんと「希薄」な存在だったりするわけで、嫁売といえども「そういう風に思っている人が多い」という言い方しか出来ません。他人任せにもほどがありますね。たとえばたまたま目についた「広報よこはま あさひ区版」2004年4月号は、「特集 地域の力で防犯を!!」ということで、こんなことを言っています。

皆さんは近所に住んでいる人と会ったとき、あいさつをしていますか?最近は、地域の人間関係が希薄になってきているようです。犯罪が身近になっているいま、大切なのは「地域における人と人との関わり」です。今月は、地域で取り組む防犯を特集します。地域で話し合い、情報交換をし ながら防犯活動について考えてみてください。


何なんですか「ようです」とは。今時天気予報でもそんな投げやりな言い方はしません。いい加減なものですが、そもそもの前提がこんなにあやふやなことで、はたして「防犯」が出来るのでしょうか?他人事ながら心配になってきます。まあ他人事なのでどうでも良いんですが。

防犯活動には、住民同士のつながりがとても重要です。隣近所に 住む人を知っているだけでも、不審者などの発見は早まり、犯罪を 未然に防ぐことにつながります。下の表を参考に近隣の人と話し合 い、できることから始めましょう。それが地域防犯の第一歩です。


「下の表」は略しますが、「まずはあいさつをしましょう」とか「子どもたちへの声かけ」、「路上駐車をしない、させない 」なんてことが書いてあります。これは一昨年の文章ですから仕方ありませんが、近所の人ではない「不審者」が犯罪をする、という神話はとっくの昔に崩壊してしまいました。いくら待っていても不審者が餓鬼を殺してくれません。実際におこるのは親とか、顔見知りの犯行ばかりです。「肥えかけ」なんてキタナイことする人は悪いヤツに決まっています。そこでこれからは、「隣近所に住む不審者」の「発見」がますます必要とされるところです。

実は「路上駐車」も「防犯上」の見通しが悪いことが問題視されており、最近になって岡っ引きに厳しく取り締まらせているのも渋滞の解消のためばかりではありません。路上に止まっている車はロケット砲を発射したり爆発する恐れがあるのですし、車の中はよく見えませんから「防犯」上は著しく不透明です。しかし住宅はもっと不透明であって、僕んちの近所のおまわりさんは、「泥棒が隠れるから庭の木の枝を刈ってしまったほうが良い」と説得して回っていますし、あたかも鈴香さんへの批判の中には「カーテンを閉め切っている」というものもありました。カーテンを閉めるのは犯罪者です。雨戸なんてもっての他、シャッターなど降ろそうものなら即逮捕です。お互いによく見えるように、相互に監視、みんなで密告、「国民皆警官」で明るい社会を作りましょう。「共謀罪」は七たび生まれかわって国に報いることでしょう。
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2006年06月11日

地球防衛軍対地球人

「常識」とは社会の個々の構成員が他の構成員と共有していると信じている知識や判断ですが、実際に「共有」できているのは「信じている」という点だけのことが多いようです。それで逆に「これが常識だ」といわれたら、それを信じなければならないような気になってしまうものですが、そう言われるものに限って常軌を逸した主張だったりします。

防衛「省」昇格法案を国会提出 政府・与党、秋の臨時国会で成立目指す
 政府は9日、防衛庁の「省」昇格法案を閣議決定、国会に提出した。政府・与党は今国会では継続審議とし、秋の臨時国会での成立を期す。成立はなお流動的だが、省昇格を悲願としてきた防衛庁は、党内に根強い慎重論があった公明党の了承を得たことで、「大きなヤマを越えた」(幹部)と安堵(あんど)している。
 法案では、防衛庁を防衛省、防衛庁長官を防衛相に改称、内閣府の外局から独立させる。諸外国では国防担当はミニストリー(省)が一般的で、エージェンシー(庁)は特異な例だ。
 小泉純一郎首相が9日、記者団に「なんで『庁』である必要があったのか。当然だ」と述べたように、国防を担う組織を常識的な“格付け”に修正する措置といえる。
 実務的には、これまで防衛庁は、閣議にかける必要のある法案提出や予算要求を内閣府を通じて手続きをしなければならなかったが、省になれば直接できる。不審船に対処する「海上警備行動」発令の承認を得るための閣議開催も要求できるようになり、「対処が迅速化する」(防衛庁幹部)メリットもある。
 ただ、自衛隊の最高指揮監督や、武力攻撃事態における防衛出動発令については、従来通り首相の権限で、「防衛相の権限は限定的」(政府筋)といえる。
 また、現行自衛隊法で付随的任務と規定されている国連平和維持活動(PKO)やイラク派遣などの国際平和協力活動は、省昇格に伴う法改正で、防衛出動と並ぶ「本来任務」に格上げされる。
 防衛庁の省昇格問題について、公明党の神崎武法代表は8日、(1)自衛隊の活動は憲法9条の枠内に限定(2)集団的自衛権の行使は認めない(3)防衛費の増大を防ぐ−の3原則を条件に容認する考えを示した。同党や支持母体である創価学会の一部に「防衛省」への拒否反応があることに配慮した形だ。公明党としては、統一地方選、参院選が続く来年に法案処理を持ち越すのは避けたいのが本音で、同党の東順治国対委員長は9日、「秋の臨時国会で必ず成立させねばならない」と強調した。
 臨時国会は防衛「省」昇格法案以外にも、教育基本法改正案、国民投票法案、社会保険庁改革法案など多くの重要法案を抱える見通しになっているが、自民党は「新政権発足の勢いで成立させる。防衛軽視といわれないため、小沢民主党は反対できないだろう」(国対幹部)と楽観視している。
Sankei Web(06/09 21:00)


「防衛庁長官、防衛庁副長官及び防衛政務官並びに防衛庁の事務次官及び防衛参事官並びに防衛庁本庁の内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、統合幕僚監部、情報本部、技術研究本部、契約本部その他の機関(政令で定める合議制の機関を除く。)並びに陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊並びに防衛施設庁(政令で定める合議制の機関並びに防衛庁設置法(昭和29年法律第164号)第5条第24号から第25号までに掲げる事務をつかさどる部局及び職で政令で定めるものを除く。)を含む」組織を「自衛隊」と称しますが(自衛隊法第2条)、ということは「防衛庁」というのはほとんど「自衛隊」と同じなんですな。で、この自衛隊を格上げするんだというんです。なかなかどうもこれはひとつの「常識的な措置」だそうで、なんでも「諸外国では国防担当はミニストリー(省)が一般的で、エージェンシー(庁)は特異な例だ」というわけで、他の国と同じにしたいらしいんですが、こっちは世界に冠たる平和憲法の国であって、最初から「特異」なんだから、そのへんは得意になっていればよろしいのではないでしょうか。

しかし「昇格」といってもたいした利点があるようにも見えません。総じていろんな手続きが早くなるんで便利だ、という程度のことのようですが、よっぽどの緊急事態でもない限り業務を迅速化する必要もないでしょう。ところがその「緊急事態」の場合には出動を命令するのは従来通り内閣総理大臣の権限なんだそうですから、昇格しなくても差し支えありません。「なんで『省』である必要があるのか」よく分かりませんよ。もっとも今後、「防衛大臣」の権限を拡大して最高指揮権限を持たせたり、憲法を変えちゃって武官が防衛大臣をつとめたりという方向への第1歩ということであれば、分からないこともありませんが。

で、どうもこの「昇格」と一緒に、自衛隊法に規定するところの自衛隊の任務を変更してしまおうというのが今回のキモでして、第3条に「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。」とされているところ、最近では「わが国」でも何でもないところの「防衛」に一生懸命になっているわけですが、それはさすがに本来の任務ではないわけです。コイヌミ流に「自衛隊の行くところが『わが国』だ」なんて言ってるとイラクが日本になってしまうし、「自衛隊が防衛しているのが『わが国』だ」ということになると、アメリカが日本になってしまいます。どうもやはりそういうデタラメは通用しないようで、今度からは本来任務として「自衛隊は、わが国とわが国でない国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国とわが国でない国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする」ことにしたいようです。ほとんど地球防衛軍です。地球防衛軍は地球上のいろんな「国」を、地球人から守るのがお仕事です。

それにしても創価学会の信者もナメられたものです。秋の臨時国会で決めてしまえば、来年春の選挙までには公明党がこれに賛成したことを忘れているだろうと思われています。創価学会の信者は半年上の記憶は保持できないのでしょうか。もしかするとその通りなのかもしれませんが、もうちょっと物覚えの良い信者も少しくらいはいるのではないか。それにいくら創価学会の信者だからといって、こう正面から馬鹿にされれば頭に来るものです。公明党などに投票してくれるのは信者をおいて他にはないのですから、公明党は支持者にもっと敬意を払う必要があります。そのくらい常識です。
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2006年06月10日

人間が猿になるについての敬語の役割

ヤメ記者弁護士様からのトラックバックにより、問題の「不敬記事」の全貌が明らかになりました。

両陛下がお忍びで皇居外を散策
2006年 5月15日 (月) 06:07
 天皇、皇后両陛下は14日朝、皇居近くの北の丸公園をお忍びで散策した。両陛下は朝食前に皇居内を散策するのが日課だが、「外出」を伴った散策は極めて異例。宮内庁によれば、最近では03年8月に皇居外苑を散策して以来という。
 両陛下は出かける際に同公園そばを通ることが多く、以前から公園内での散策を希望していたという。この日、ともに軽装の両陛下は皇居・北側の乾(いぬい)門を徒歩で出発。途中の横断歩道では、赤信号で信号待ちする珍しい光景も見られた。数分で公園に到着した後、約30分間、植物を見るなど散策を楽しんだ。
 両陛下の姿に公園に居合わせた人は一様に驚いた様子だったが、両陛下は「おはようございます」と声をかけていた。犬の散歩中だった主婦は「母の日に合わせ、天皇陛下から皇后さまへのすてきなプレゼントになったのでは」と話した。
asahi.com


先月の14日に天皇は皇后と一緒に近所の公園を散歩したそうです。結構なことで、それがどうした、というようなものですが、よく考えてみれば老人の「外出」ということになると小坂氏ならずとも「転倒」が気になります。散歩予定地の危険な段差や思わぬ溝、落とし穴や対人地雷を徹底的に精査したうえでのことでしょう。当日は天候に恵まれなかったようですが、過密スケジュールを縫っての「雨天決行」となった模様です。

天皇の行為には憲法上の国事行為と公的行為というのがあります。もちろん天皇とてそのほかに単なる私的行為というようなことを行わないと生きてゆかれませんが、この「公的行為」というのもの性格がきわめて曖昧です。新年の一般参賀とか園遊会がこれにあたるようですが、じゃあたとえば天皇やら皇太子なぞの性行為はきわめて「公的」な意味合いが強いものですが、これを単なる私的行為として放っとくのかという問題もありまして、たとえ近所を散歩しただけとはいえ、天皇のやることなすこと何かと問題になるのは畠山鈴香なみの不幸な事態であるといえましょう。

そこで早朝にもかかわらず記者は金魚の糞のごとく付いていって写真を撮ったりそこら辺の人を捕まえて話を聞いたりするわけですが、やはり新聞というものは記事にはなるべく私情を挟まないのが原則とされています。容疑者だからといって犯人扱いして悪し様に罵って敵意をむき出しにしたり、天皇だからといってミョウチクリンな言葉を使って敬意をむき出しにしてはいけないのです。

ところでこの記事ですが、警備やら取材やら沢山いて物々しい雰囲気であったにも関わらず、早朝の公園に仲良く散歩する老夫婦がいる、という暢気な風景描写に成功しています。宮内庁としてはそういう風に書いてほしかったのかもしれませんが、ここで敬語表現など使用するとせっかくの都会の朝の空気がだいなしです。それはあたかも天皇がぶらぶらしているとそこらの人たちが土下座をするような感じですかね。天皇はボスザルと違って噛み付きゃしませんが、山猿の感覚ではやっぱりそんなもんなんでしょうな。キーキー鳴いて、「ボスザルが怒るぞ!」と周りに警告してくれているわけですよ。しかもそんな風に猿並みに扱われても天皇は文句一つ言えないんですからいいかげんイヤになるよな。
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2006年06月08日

教育基本法改定のテーマが明確だな

現在お米のコマーシャルで大飯を食らっている荒川静香さんが金メダルを貰ったときに、「ロシア選手がコケた時は喜びましたね」と、対応に窮するような発言で彼女を苦しめたのが小坂憲次氏であります。そりゃもしかしたら喜んだかもしれないけど、こういう場合に素直に喜びを表現しないのがスポーツです。まして荒川静香さんは亀井静香さんと違って「クール・ビューティー」ですから。こういう時と場合をわきまえない発言で政治家としては4代続いた小坂家の没落を招くのが憲次氏の「格差対策」です。

小坂文科相、教基法改正の必要を改めて強調
 小坂憲次文部科学相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、教育基本法改正案が継続審議となる方向になったことに関連し、現行基本法を戦後60年を経て変容を遂げた現代社会に即したものへと改正する必要性を改めて強調した。
 小坂文科相は「現教育基本法の理念も引き継ぎつつも、補うべき理念を追加した。今日の日本、教育の直面する課題を解決するのに必要な新たな理念、戦後半世紀たち、求められる理念を追加した」と指摘。その上で、「国民の理解も少しずつ進んでいる」と述べて、教育基本法改正案の早期成立に意欲を示した。
 自民党の臼井日出男氏への答弁。
SankeiWeb(06/08 11:02)


せっかく「国民の理解も少しずつ進んでいる」ところなんだそうですが、早くも馬脚を現すところが小坂憲次の小坂憲次たるゆえんです。

陛下報道で敬語なしを批判 文科相、教基法特別委で
 小坂憲次文部科学相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、天皇、皇后両陛下が公園を散策されたことを報じた一部の新聞記事で敬語表現がなかったことについて「新聞だから、字数が限られているから、で済まされる問題ではない。敬語を使うべき方には敬語を使い、親しみを持つために使う言葉と敬語をうまく混ぜて伝えることが必要だ」と述べ、記事を批判した。
 安倍晋三官房長官はこれに関連し「個人的には」と前置きした上で「ここで敬語を使わなければ誰に敬語を使うのかと感じる。感じ方を強制するわけではないが、政治家個人としては違和感がある」と述べ、天皇、皇后両陛下を報じる記事に敬語を用いないことに疑問を示した。
 同時に安倍氏は「陛下への敬語の使い方は(報道)各社でニュアンスが違う。使い方に対して政府がとやかく言うべきではない。各社の判断と思う」とも述べた。
(共同通信) - 6月8日12時45分更新


早くもお昼前からまずは静香ちゃんの時から恨みがあるマスゴミに一撃です。露助が転んだら手を打って喜び、天皇がおコケあそばされたときには敬語を使うのが教育基本法改定の神髄であります。とはいえ、この場合の敬語表現は正確にはどうなのか、僕は無学のせいでわからないので、天皇は今度どっかで転んでいただければ喜ばしい。

バカ殿はさすがに口だけは「使い方に対して政府がとやかく言うべきではない」なんて殊勝ぶりを発揮していますが、こやつも陰では何をやっているかみんな知っています。しかし小坂氏は直球勝負です。報道に対して「政府がとやかく言う」のは全く当然のことであり、堂々と文句を付けてはばからないところはさすが4代目、頭がどうかしています。

さらにしっかりお昼ご飯(金芽米か?)を食べてからはいよいよアクセル全開です。

歌わない自由の指導不適切 国歌斉唱で文科相
 小坂憲次文部科学相は8日午後の衆院教育基本法特別委員会で、学校現場での国歌斉唱の指導の在り方に関連し、「指導的立場の教師が『内心の自由があるから歌わなくてもいい』という言い方をすれば、逆の指導をしていると取られてもやむを得ない場合もある」と述べ、歌わない自由を生徒に伝えるのは適切な指導でないとの認識を示した。
 文科相はその上で「日本の国には国旗、国歌があることを客観的に教える。歌うか歌わないかは最終的に生徒がその場の状況で判断することはあるかもしれない。学習指導要領に従った方法で適切な指導が行われれば、(生徒に)素直に受け入れられる」と強調した。
 これに関連して、安倍晋三官房長官は「最初に立っても立たなくてもいいと教えれば誤解を与える」との考えを示した。
(共同通信) - 6月8日19時51分更新


「適切な指導」がどういうものを想定しているのか知りませんが、しかし生徒から「歌いたくない人は歌わなくていいんですか?」と聞かれたら、教師は「内心の自由があるから歌わなくてもいい」と答えざるをえないじゃないですか。教師自身は別である可能性はありますよ。教師なんざ国家に買われたようなもんですから、そういう議論は可能でしょう。だからといって売りっぱなしでいるヤツは単なる馬鹿ですが。「体は売っても心は売らない」のがお約束ですぜ。

でもいくらなんでも生徒は違うでしょう。なにしろ生徒側からお金を払っているわけだし。逆にそういう答えをするなということになると、これは国民の「内心の自由」を否定することになるわけだけど、もちろん否定したいんでしょうね。小坂氏は先祖伝来のおっちょこちょいな間抜けぶりで図らずも教育基本法「改正」の本質を露呈してしまいました。もちろん「内心の自由」を敵に回した戦いは常に苦戦を強いられ、最終的には敗北を喫するのを覚悟の上でしょうな。卒業式の時期は寒いから、女子生徒たちはキスミーの「ポップティーン ぷるぷリップ」を塗って「Kiss Me」と歌うね。男子生徒はどうするか知りません。男子生徒の席は後ろだ!男なんてつけたしなんだよ!
posted by 珍風 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

暗い家族計画

「避妊全書正しい性智識(新説)」の著者石川福一氏のいわゆる「新説」とは「精子が子宮内に侵入できる機会は、女性が快頂に到達して、子宮が強力な吸引運動を起した場合の瞬間に限られる」というものであります。「女性がイかなければ妊娠しない」という俗説は、昭和37年刊行の本書をもって嚆矢となします。なぜなら、この本を誰かに紹介すると、その謝礼として「コンドム」1ダースをもらえることになっていたからでありますが、なんだか矛盾しているような気もします。しかしこの本はそもそも「相模ゴム」製「コンドム」の通信販売の宣伝のために著されたものなのです。

出生率1・25、最低更新 人口動態統計
 1人の女性が生涯に産む子供数の推定値である合計特殊出生率が、5年連続で過去最低を更新し2005年は1・25となったことが1日、厚生労働省の人口動態統計(概数)で分かった。
 昨年生まれた赤ちゃんの数(出生数)は約106万3000人で過去最少。出生数から死亡数を引いた「自然増加数」は、統計を取り始めた1899(明治32)年以来、初の減少となるマイナス2万1000人(データのない1944−46年を除く)。厚労省が昨年12月に発表した推計を裏付け、05年が「人口減少元年」となった。
 出生率の減少幅が0・04ポイントと大きく、政府の対策にもかかわらず少子化に歯止めがかかっていないことが示された。社会保障制度や労働力確保に影響が出るのは必至
(共同通信) - 6月1日19時29分更新


なんだ、人口が減ってるっていってもマイナス2万1千人じゃん。自殺より少ないやね。出生率が回復するまで自殺を繰り延べしてもらったら、人口減少は食い止められますな。どうやって延期してもらうかは大問題ですが。

経済社会に深刻−安倍氏 政府、歯止めに妙案なし
 政府は1日、合計特殊出生率が5年連続で過去最低を更新したことを深刻に受け止めている。少子化対策に全力を挙げる構えだが、出生率低下に歯止めをかける妙案は浮かんでいないのが実態だ。安倍晋三官房長官は1日午後の記者会見で「少子化の進行は将来の経済社会に深刻な影響を及ぼすもので、国の基本にかかわる重要な問題と認識している」と危機感を強調した。
 安倍氏は会見で、今月決定する政府、与党の新たな少子化対策では、財政負担を伴う児童手当拡充など給付型も含めた「メッセージ性のある対策」を盛り込む考えを強調。また「子育てから得るものがあるといった家族の価値の見直しも重要だ」と指摘した。
2006年06月01日木曜日


「再チャレンジ」だの「格差」だのには本当は何の関心もないこのバカ殿は「家族の価値の見直し」だなどと寝ぼけたようなことを言っていますが、ワルいクスリでもやってるんじゃないでしょうか。もっとも思考力と定見のないことではつとに知られた大人物ですから、これでも意外と素面で大真面目、澄み切った意識でこの体たらくなのかも知れませんが。だいたいそんなことを言っているからダメなんじゃないの?とはいうものの、悪徳商人の総本山、日本経団連でも同じようなことを言っているところをみると、あっちもこっちもインサイダー。

産業界・企業の少子化対策、「基本的取り組み」で提言
−「働き方の再考」など提案
日本経団連(奥田碩会長)は10日、「産業界・企業における少子化対策の基本的取り組みについて」と題する提言を公表した。また、同日、和田紀夫副会長および茂木賢三郎少子化対策委員長から猪口邦子内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)に、また15日には茂木委員長から川崎二郎厚生労働大臣に提言書を手交し、国等に対する要望事項の早期実現等を要請した。
日本経団連は、昨年5月に少子化対策委員会を新設し、「人口減少社会への対応=人口減少を前提とした経済・社会システムの構築」と「少子化対策=出生率の低下に歯止めをかけ、上昇に転じさせる努力をすることで、できるだけ人口減少の速度を緩和すること」の両面でのアプローチによる検討を重ねてきた。このうち、ここ5年程度においては、いわゆる団塊ジュニア世代が子どもを産む主な年代となることなどを受け、緊急かつ集中的に「少子化対策」に取り組むことが必要であることから、今般は、人口減少の速度を緩和し、日本経済・社会が新たな時代にソフトランディングしていくための「少子化対策」に焦点を絞り、産業界・企業が取り組むべき事項を中心にとりまとめた。
同提言の主なポイントとしては、まず、少子化対策に“特効薬”はなく、国や地方自治体、産業界・企業、地域コミュニティ、国民といった各主体が連携し、「国民的運動」を展開するとともに、複合的な取り組みが必要であることを指摘している。
その上で、産業界・企業の立場・役割を踏まえ、産業界・企業としては、「働き方の再考―多様な働き方の整備」と「両立支援を促進する職場風土の醸成」に向けて、主体的に取り組むべきであることを挙げている。なお、その際には、少子化対策を自らの問題と認識し、短期的にみるとコスト負担となる可能性もあるが、将来への“投資”と位置付けて、可能な限り対応することの必要性も示している。
日本経団連はこれまでも、多様な働き方の選択肢の整備・提供を主張してきたが、今回はさらに深掘りして、選択肢それぞれに応じて、仕事の内容や処遇、キャリア形成やその速度が異なることを企業が明確に打ち出すことの重要性を説いている。
また、制度の整備のみならず、それを利用しやすい職場風土醸成など、制度の運用面での改善や工夫も重要であることから、特に各職場のキーパーソンとなる管理職が、自らも当事者の1人であるという意識を持って、自らの時間管理を含む職場管理や部下育成に努めることの必要性も指摘している。
さらに同提言は、国や地方自治体・地域等の対策の重要性と、それに対して企業がどのように協力・連携でき得るか、ということについてもまとめている。「保育サービスの充実・効率化」については、これまで同様、民間活力の活用や競争原理の導入を求めるとともに、いわゆる学童保育等小学校就学後の保育サービス充実の必要性なども指摘。「地域における子育て支援」については、自治体・NPO等による地域で子育てを支援する仕組みづくりの必要性や、企業における協力の一例として、地域での子育て支援に関心の高い従業員やOB・OGへの情報提供等を挙げている。
また、どのような価値観を持つかについては本来個人の自由であり、出産や育児に関する意識についても画一的に啓発すべきものではないが、子育てにおけるマイナス面ばかりが強調される傾向があることから、同提言では、あえて、「意識啓発・教育」の問題にも踏み込んでいる。具体的には、子どもを持つこと・育てることの意味・意義やすばらしさについて、小・中学校の時から、教育の現場などを通じて伝えることや、職業とともに、子育てを重要な一部として含んだ人生設計全般について、教え、考えさせるキャリアデザイン教育・研修の実施が望まれることも指摘している。
日本経団連タイムス5月18日


とっても長くて立派に太い黒光りした引用になりましたが、多くの人は雇用されているんだから、企業が個人生活にほとんど支配的な影響力を持つことは自明でなのに「国や地方自治体、産業界・企業、地域コミュニティ、国民といった各主体が連携し、「国民的運動」を展開するとともに、複合的な取り組みが必要である」などと無責任きわまりない御託を並べたあげく、結局は差別待遇、「多様な働き方」の推進にあくまで行き着いてしまうのはやはり経団連ならではの味わいです。

それでやっぱりバカ殿と同様、「国、教育界は、子どもを持つこと・育てることの意味・意義や家族の重要性について、小・中学生の時から、教育の現場などにおいても伝えていくべきである」なんて話になってしまうんですが、そんなことは商人風情に言われるようなことではござらん。無礼であろう。そればかりではなく対策としては結構手間と時間がかかり、効果のほどは全く期待できないというスグレものです。小学1年生にお望みの「教育」を施したとしても、その餓鬼どもが子供を産むまでには最低でも5年は必要です。そもそも「子育てにおけるマイナス面」ってのはどこのどなたの為にそういうことになっているのか、全く無自覚なんですから、何をやってもくるくるぱーです。

それでも少し前までは「少子化対策のためのコスト負担なんざイヤなこった」と言ってはばからなかった経団連は、労働者なんてものは自然にそこら辺から生えてくるという、ほとんど近代資本制生産の黎明期というか、労働力の供給源であり不況の緩衝材である農村の存在を前提とした「後進国」的な考え方を臆面もなく公表するだけの蛮勇を有しておったものですが、最近ではそういうのは「将来への”投資”」だよ、という風に考えるようになったのは、少しは進歩したようです。進歩といっても畑に肥料をまくことを覚えたぐらいのことですが。野菜と同じです。酒鬼薔薇君につぶされちゃいますよ。

経団連が「企業が競争力を維持・強化し、中長期的に事業を継続していくため」に少子化対策が必要だと言っているのは、たぶんその通りなんでしょうが、なにしろ「なお、そのほか検討できなかった、夫婦別姓、里子・里親、非摘出子など家庭・家族のあり方、税制のあり方も含む経済的支援、子育てしやすい良質な住宅・住環境、街づくりの推進、不妊治療や乳幼児医療など出産・育児に関わる医療政策、若年者を中心とする雇用対策、外国人労働者の活用、国際養子縁組を含めた移民政策などについては、今後の課題である。」で終わってしまうようなまことに素晴らしい「提言」であります。普通に考えつくような「対策」はまるっきり全部「今後の課題」なので、これでは要するに何も言っていないのと同じなんですけど。まさかウケを狙ってない?まあ、たくさんの労働者を余らせている現状では、人口をこれ以上増やすことに本気汁が出るはずもありませんが。

そういうわけで合計特殊出生率1.25の段階での政界財界の発想は、「教育でなんとかしよう」ということで、どうやら少子化をダシに教育基本法の改訂による国家の「家族計画」に話を持っていこうというだけのことだったようです。だからまあ、要するに、「少子化」なんていう問題は、最初から存在していなかったんですよ。少なくとも今のところは、もっと糸を引くような本気汁を出させたかったら、もうちょっとジラすなどのテクニックが必要です。そのうちバカ殿と御手洗が潤んだ目であなたを見上げて「お願い、中で出して!」と懇願するようになるでしょう。萎えるなあ。
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2006年06月04日

自殺率世界一への途

杉村太蔵氏は大学を中退して就職していなかった頃に父親から「死にたければ死になさい」と言われたそうですが、父親は大した見識だと思います。そこで杉村氏は父親の勧めに従ったものかどうか知りませんが、大雪山で自殺を志したと主張しています。しかし誰も本気にしてくれません。本当かどうか調べようとする人すらいないようですが、死を弄ぶのが好きなお家なんだな、ということは確かでしょう。おっかない歯医者です。「マラソンマン」みたいですが、杉村氏が書き写した本の「やっぱりおまえはバカじゃない?」という書名が泣かせます。

<自殺者>8年連続で3万人超える 20〜30代で増加
 全国の自殺者は昨年、3万2552人と8年連続で3万人を超えたことが1日、警察庁のまとめで分かった。例年と同じく中高年の自殺が多いが、20〜30代の若者の自殺者数が前年比で5%以上増えているのが特徴。原因・動機は健康問題と並んで「経済・生活問題」が目立っている。社会の将来を支える若年層の苦悩ぶりをうかがわせる結果になった。
 同庁によると、昨年の自殺者数は、過去最悪だった03年の3万4427人より減少したが、記録を取り始めた78年以降4番目に多かった。男性が2万3540人で全体の72.3%を占めた。
 年代別では、60歳以上が1万894人(前年比0.9%減)と最も多く、続いて▽50代7586人(同2.4%減)▽40代5208人(同2.1%増)▽30代4606人(同6.3%増)▽20代3409人(同5.0%増)▽10代以下608人(同3.2%増)などだった。また、小学生が7人、中学生が66人、高校生が215人あった。大学生は433人と、前年の370人より63人増えた。
 動機のトップは「健康問題」1万5014人(46.1%)。次いで「経済・生活問題」7756人(23.8%)▽「家庭問題」3019人(9.3%)▽「勤務問題」1807人(5.6%)――だった。「経済・生活問題」はバブル景気に沸いた90年には1272人だったが、景気の悪化とともに増加し、98年には6000人を超え、近年は主な動機として注目されるようになった。
 20〜30代の自殺は、厚生労働省の調査で同年代の死亡理由の中で最も多い。今回の警察庁のまとめで、遺書を残しており動機が明確な30代1409人のうち「経済・生活問題」は412人(29.2%)で「健康問題」452人(32.1%)に次いだ。20代では976人のうち「健康問題」313人(32.1%)▽「経済・生活問題」177人(18.1%)――だった。
 職業別では無職者が1万5409人(47.3%)▽サラリーマンなど被雇用者8312人(25.5%)▽自営業者3700人(11.4%)だった。【遠山和彦】
(毎日新聞) - 6月1日12時7分更新


この自殺数は警察庁の発表ですから、野口さんの分も入っているのでしょうか。これも本当かどうかわかったものではなく、とてもすべてを鵜呑みに出来る数字ではないのですが、ちなみに日本での年間の殺人事件の件数は1200〜1300件で、この20年間ほどあまり変動しません。ところが世の中は治安が悪くて危険になっているんだそうですから、増えた分の殺人を警察が自殺として処理している可能性も否定できません。もっとも仮にそういう事例が1000件ほどあったとしても、自殺者数はやはり3万人を超えてしまうことになります。

政府では自殺の主な原因となっている「経済・生活問題」(「健康問題」の一部は実は経済問題だと思われます。「勤務問題」はおそらくそのほとんどすべてがこれに含まれそうです)について、これを改善するという予定がさらさらないことから、特に20代から40代の被雇用者の自殺の多さが企業活動にとって大きなリスクとなっていることに鑑みて、「自殺防止対策基本法」を制定しようとしています。

自殺対策法、今国会で成立へ
国などの責務定め、総合的に対策推進
【ライブドア・ニュース 06月01日】− 自殺対策を国や自治体の責務と定めた「自殺防止対策基本法案」が今国会で成立する見通しとなった。日本の自殺者数は先進国では突出しており、法制化により官民が連携して総合的な対策の推進を目指す。
 1日発表された警察庁のまとめでは、日本の自殺者は8年連続で3万人を超えた。自民党は同日開いた内閣、厚生労働の合同部会で法案を了承。民主、共産、社民の各党はすでに党内で了承済みで、公明党も了承する方向で検討している。
 法案では自殺について、個人だけの問題ではなく社会に関わる課題だと指摘、社会的な問題だと位置付けた。自殺対策では、国と自治体に(1)調査研究(2)自殺防止知識の普及啓発(3)人材育成(4)未遂者や遺族、民間団体への支援─を要求。さらに、これまで個々に活動をしていた国、自治体、企業、民間団体、学校など各種団体の連携を図るよう求めている。
 政府は05年12月、10年間で7000人程度の自殺者の削減を目指すとする自殺予防の総合対策を発表したが、法的根拠がなかった。法案では対策の実効性をあげるため、政府内に関係閣僚会議の設置し、毎年、国会に自殺防止対策の実施業況に関する報告書の提出も義務付けた。
 自殺防止対策を巡っては、05年5月にNPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」(東京都)が開催したシンポジウムに尾辻秀久厚労相(当時)が出席。同年7月には参院厚生労働委員会が「自殺に関する総合対策の緊急かつ効果的な推進を求める決議」を全会一致で採択した。その後、ライフリンクなどが中心となって法制化を求める署名活動を展開し、尾辻氏などが中心となり超党派で取り組んでいた。【了】


謙譲の精神を発揮して「先進国では突出」などと言っていますが、実際には「先進国」中第1位の栄冠に輝いています。しかしここでいい気になってしまってはいけないので、先進国ではない国も含めた統計では、日本の自殺率は世界で第10位にすぎず、両手の10本の指には入りますが、ヤクザの9本の指には入りません。それでもなかなか健闘しているとは言えるでしょう。一方で日本の人口は減少しており、自殺者数がこのままのレベルを維持できれば、自殺率においても世界のベスト・エイト入りも間近です。

それではいかにして現在の自殺レベルをキープし、望みうればさらにレベルアップを図ることが出来るのでしょうか。日本の高い自殺率を支える要因を探り出し、それを増強しましょう。

日本の自殺率の高さについては、WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士はこう言っている。「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向だ。」こうした点は当の国の人間では気づきにくい見方かと思われる。(2004年)


いかにもホセあたりの考えそうなことです。日本では未だにサムライがハラキリをしてると思っているのです。「当の国の人間では気づきにくい」のも当然でありましょう。ところが最近では日本にはサムライがいないどころか、「名誉」だの「責任」だのというシロモノに気を使う風習も見当たらなくなりました。もっともそれは、そういう倫理観の持ち主が自殺しているのであって、倫理の欠如した連中が生き残っていることによる結果であるという見方も出来ますが。

日本の自殺の多さについては、その原因としてこのような文化的な要因が挙げられることが多いようなのですが、ここ数年特に自殺が多いんだとすれば、それはやはり、自殺率世界一のリトアニアやロシアと同様に社会生活の激しい変動による影響が無視できません。社会全体はそんなに激動しているようには見えないのですが、個人の生活条件の変動が自殺を誘発する程度に激しいものとなっており、そのような状況に陥った個人が社会的に意味を持つ程度の数量をなしているということでしょう。

一方で伝統的要因としての「名誉」や「責任」といった封建的価値観の残滓や、「勤勉」で「真面目」とかいった手前味噌的な国民性への言及もあいかわらず有力視されているようですが、自殺の「防止」がなかなか進捗しない原因のなかには、自殺が日本人に残された数少ない自由であることを忘れてはならないでしょう。日本では個人の自由な生存は必ずしも歓迎されませんが、国家や企業、家族や地域社会への様々なしがらみや義務が嫌になっちゃった人、一生懸命働いても上手くいかないで他人の踏み台に甘んじている人が離脱していくことには比較的寛容です。これは多くの人々が、自分もいつその気になるかわからないと思っているからこそでしょう。

そういうわけで、自殺を「防止」するといってもあまり効果が上がるとは思えませんが、効果が上がらないといっそのこと「防止」を「禁止」に格上げしてしまおというのが人情というものです。どうせ禁止されても死にたければ死んでしまうのですが、この上さらに自殺まで取り上げたんじゃ、いくら何でも日本人が可哀想です。そうなるとかえって逆効果のような気もしますので、世界首位、なんてことも夢ではないのですが、いたずらに栄光のみを追い求めることなく無心に精進を重ねてこそスポーツマンシップです。
posted by 珍風 at 04:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

マエバリの偉いところは、彼がいないというところだ

皆さん昨日は朝から暑くて大変でしたが、当面危機は回避された模様です。しかし地球が回っている限り台風がグルグルとやってくるのと同じく、傀儡政府に支持を与えている限りこーゆーのはまた来るんですから、落ちやすい看板は今のうちに直しておくのが利口です。

「共謀罪」今国会成立 与党、事実上断念
  与野党は2日、「共謀罪」創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案の衆院法務委員会採決をめぐり攻防を繰り広げたが、与党側は同法案の今国会成立を事実上、断念した。与党側は民主党案を「丸のみ」し、同案を採決して成立を図ろうとしたのに対し、民主党は、改正案成立後の修正に言及した自民党幹部の発言などを理由に採決を拒む異例の展開となった。
 与党は2日の与党幹事長・国対委員長会談で、民主党との協議が整わない場合は継続審議とする方針を確認した。
 同法改正案は、国連で採択された国際組織犯罪防止条約の批准に必要な国内法整備の一環。しかし、麻生太郎外相は2日の記者会見で「(処罰対象を国際的犯罪に限った)民主党案では条約の条件を満たしていないので、批准できない」と述べた。また、自民党幹部は今国会で民主党案を成立させたうえで、次期国会以降に改めて改正し批准条件を整える考えを示した。
 これに対し、民主党の鳩山由紀夫幹事長は、「信頼関係は失墜した。われわれの案をのむといっても審議できる状況ではない」と反発。民主、社民両党は同日夕の委員会審議を欠席し、与党は採決を見送った。
 一方、自民党の細田博之国対委員長は記者団に「民主党が応じないなら仕方がない。惜しかったが、自分たちの法案を通そうという気があったのか」と、民主党の対応を批判した。
SankeiWeb(06/02 20:28)


参詣新聞は馬鹿の人権に配慮して実名での報道を差し控えているようですが、「改正案成立後の修正に言及した自民党幹部」が記事の最後に登場する細田博之国対委員長であることを知らない人はいないでしょう。そうするとこの細田氏、相当の間抜けであります。結果的には「共謀罪」の採択を阻止するきっかけを与えた立派な人として歴史に名を残すのかもしれませんが、ドジはドジですから、後になって民主党のせいにしようとするようなことをブツブツとつぶやくのはみっともなくて見ていられません。こんな発言を報道するのは細田氏に恥をかかせるものであり、参詣新聞は失敗した人への思いやりが不足していると言わざるを得ません。

しかし実は今回は危ないところだったので、もし民主党の代表がマエバリのままだったら一発で通っていた話です。したがって今国会での「共謀罪」関係法案が成立しなかったとすれば、その功績は細田氏とともにマエバリも名誉を分け合うことになりそうです。そういえばあいつどこに行ったんですか?不在においてこそ際立つのは人生の達人の奥義ともいえます。ほめてあげましょう。

ところが民主党の「対案」は「教育基本法」もあるし「国民投票法」もあるし「憲法」もあるのです。だいたい与党の提案に対して常にあわてて「対案」を出すというのは、決してほめられたことではありません。著しくオリジナリティに欠けると言わざるを得ません。もっともアメリカの言うなりに憲法を変えようとする連中がオリジナリティ豊かであるとは必ずしも言い切れませんが、第一、「対案」が出るということは、少なくとも同じ価値観を共有しているということに他なりません。憲法や教育基本法を変える必要は特にないので、これは糞饅頭と毒饅頭を並べてどっちかを食えと言っているのと同様、どちらも負の誘因性を持ったものの間で葛藤を起こすことであり、他に選択肢のない場合には出口なしの絶望的な状況を演出することになるでしょう。これは神経症を引き起こしかねないものであるとされています。

実際には他の選択肢はあるわけだから僕たちは神経症に陥らずにすませていますし、うんこを食べなくても大丈夫です。しかしマスゴミの報道はともすれば「与党対民主」の対抗戦のような、格闘技的な単純化を好みますし、民主党の「対案」はとりあえずリングにあがって目立ってみるには良い方法かもしれません。しかしやはり与党の設営したリングにあがるのは弊害が大きいということです。そういうわけですから必要なのは場外乱闘であり、竹刀を持って乱入することであり、ついにはリングを破壊する旅に出ることなのです。何を言っているのかよくわかりませんが、長いのでまだ全部観てもいないのです。
posted by 珍風 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月02日

対案を出しても一文の得にもならないよ

共謀罪が一転成立強まる、修正案丸のみ
 「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法などの改正案をめぐり与党は1日午後の衆院法務委員会理事会で、民主党が提出した共謀罪の適用範囲を限定する修正案を全面的に受け入れる考えを表明、2日午後の委員会採決を提案した。
 民主党は採決に先立つ質疑で政府側の見解をただし「納得できる答弁」が得られれば採決に応じる方向。同改正案は一転、今国会中に成立する見通しが強まってきた。
 ただ民主党の小沢一郎代表は鳩山由紀夫幹事長に「(修正案を)通しても一文の得にもならない」と慎重に対応するよう指示、最終決着には流動的な要素が残されている。
 民主党が4月に提出した修正案は(1)共謀罪の適用を国境を越えた組織犯罪集団が関与した行為に限定(2)対象を政府案の4年以上の懲役・禁固に当たる罪から5年超の犯罪に絞る−が柱。同党は、その後の与党側との修正協議も踏まえて新たな修正案をまとめ2日の法務委員会に提出する。
 政府、与党は民主党の修正案について「国際組織犯罪防止条約から逸脱する」と反対してきた。このため民主党幹部は「民主党案に賛成するなら、今までの政府答弁をやり直さなければならない」と主張しており、2日の質疑ではこの点に論議が集中しそうだ。
 同改正案は小泉純一郎首相が継続審議とし次期国会で成立させるよういったんは指示。しかし与党側は継続審議にしても成立に向けた展望が開けるわけではないことを考慮し「修正しても通した方がいい」(自民党国対筋)との判断に傾いたもよう。自民党の細田博之国対委員長は1日午後の衆院本会議で、民主党の渡部恒三国対委員長に「基本的に民主党案をのんで解決したい」と伝えた。
日刊スポーツ[2006年6月1日23時59分]


4月21日の日刊スポーツによると「民主党は「(反対も)やり過ぎると『ただの抵抗政党だ』とのレッテルを張られる」として「欠席戦術」は見送り、独自の修正案を提出する方針」であり、そのとおり「修正案」を出したわけですが、僕は「ただの抵抗政党」でいいじゃん、と思ってたんですがねえ。やっぱりそう来ましたか。こんなことになってしまったら民主党の責任は重大、急上昇した人気も一気に下降線に。まさに一石二鳥であります。

だいたい「共謀罪」の旨味は、たとえ結果的には有罪ということにならなくても、対象をとりあえず逮捕拘留、起訴裁判と一連の法的手続きの中で日常の活動から切り離し、社会生活を崩壊させることにあります。簡単なでっち上げで誰でも簡単に引っ張れる夢の法律であり、民主党の「修正案」でもその本質は変わりません。

もっとも警察は駐車取り締まりを岡っ引きにやらせるなど、「共謀罪」などを使った抑圧体制に向けてすでにシフトしてしまっていますから、ここで成立させないと今まで駐禁の取り締まりをしていた警官の行くところがなくなるわけですよ。人が余るんで困るわけです。小人閑居して不善をなす。暇な警官は危険な存在です。

しかしそんな人たちに「共謀罪」を振り回させるとなると、これはもっと危険です。警察がどの程度の遵法意識を持っているか、皆さんご存知の通りですが、いくら適用対象犯罪を限定したところで、日本警察の卓越した能力をもってすれば、電子顕微鏡なみの拡大解釈であなたの心の中の犯罪の種をたちどころに発見することができるのです。健康な心の中には必ずそういうのがいるのです。大腸菌みたいなもんですよ。
posted by 珍風 at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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