2006年11月29日

熟女狂淫糞害地獄

昨日の話ですと要するにほとんど全ての人間が「いじめ」の心理的体制を持っていることになってしまいますから、「いじめっ子」と「いじめられっ子」が交代するような事態を予想の範囲内のものとするでしょう。また、一定の集団においてほぼ全員の欲求不満状態を基盤として誰かが「いじめっ子」という、いわば満足を積極的に享受する特権的に見える立場を獲得するのですが、この時「いじめっ子」とともに「傍観者」が成立します。このようにして「いじめっ子」の出自は「傍観者」にあるのかも知れません。「傍観者」は強者の攻撃を逃れているように見えますが、逆に労せずして攻撃される対象が崩壊する光景を楽しむことが出来るのだから一番得ではないのか、そうだとすると「いじめっ子」は「多数の奉仕者」であり「いじめられっ子」は「多数の犠牲者」であるように機能するものなのか、といったことが考えられます。これは「傍観者」を中心に事態を見ることになりますが、だからといってここからも解決策は見いだせません。少なくとも「いじめをなくす」ことは「家庭教育」を根底から覆すような「改革」が起こらなければ不可能ということになってしまいます。もっともこれはバカ殿好みの「改革」とはならない可能性が高いばかりではなく、そもそも大多数の人間が欲求不満で気の狂った中年女がブヒブヒいっているような状態にある、と仮定していますので、法律とか上からの「提言」でそう簡単にどうなるものでもありません。

いじめ緊急提言決定
『見て見ぬふり』も加害者
 政府の教育再生会議(野依良治座長)は二十九日午前、安倍晋三首相、伊吹文明文部科学相も出席して首相官邸で総会を開き、いじめに関する緊急提言をとりまとめた。提言は八項目で、冒頭、いじめを生む素地をつくらないよう予防策を講じる必要性を指摘。問題解決に学校、教育委員会、保護者、地域を含む「社会総がかり」で取り組むべきだとしている。そのうえで、「問題を起こす子どもに指導、懲戒の基準を明確にし、毅然(きぜん)として対応する」と明記。具体的な指導内容として社会奉仕、個別指導、別教室での教育などを挙げた。 、緊急提言の全文<2>面
 いじめに加担したり、いじめを放置した教員を懲戒処分とすること、自殺が起きた場合、学校はチームで対応し、教育委員会が支援チームを派遣することなども明記。
 さらに、教委や学校に、いじめを見て見ぬふりをする子どもも「加害者」であることを徹底して指導するように促し、学校にいじめを訴えやすい場所や仕組みを設けるなどの工夫も求めている。
 いじめをした生徒への措置としては、同会議担当室長の義家弘介氏が「出席停止措置」を盛り込むことに積極的だったが、総会では、いじめを未然に防ぐ抜本策を優先させるべきだという意見が強く、最終的に明記は見送られた。
■緊急提言骨子
▼いじめ解消の第一次的責任は校長、教頭、教員。教育委員会、保護者、地域が社会総がかりで早急に取り組む
▼いじめを見て見ぬふりをする者も加害者と指導。いじめを訴えやすい仕組みを設置
▼学校は、問題を起こす子どもへの社会奉仕や別教室の教育など指導、懲戒の基準を明確化。毅然とした対応をとる
▼いじめを理由とする転校も認められることを周知する
▼いじめにかかわったり、放置・助長した教員に懲戒処分適用
▼いじめがあった場合、学校は隠さず保護者らに報告、家庭と地域一体となって解決に取り組む。教育委員会もチームをつくり学校を支援
2006年11月29日東京新聞


教育毀損法案の成立を焦って「緊急」に取りまとめた場当たり的な「提言」でお茶を濁すことにしたようですが、「いじめ」がどうなろうと規定の方針を考え直すわけにはいかないのですから、こんなものは出さなくても同じことでした。「いじめを生む素地をつくらないよう予防策を講じる」のは結構なものの、「いじめを生む素地」って何だと思っているのか、心もとないものがありますが。二言目には「保護者、地域が社会総がかりで」とさっそく動員をかけるのも浅ましいものですが、いざとなると「問題を起こす子どもに毅然として対応する」、つまり「懲戒」するくらいしか思いつかないようです。教員にも「懲戒」です。おまけに「傍観者」の諸君まで「連座制」で脅迫し始めました。いかにも杜撰で乱暴、この「提言」自体が暴発する攻撃性の見本というか「いじめ」のお手本のようなものです。「転校」も悪くはないのですが、転校先でいじめられる可能性を考えると、むしろいじめた側を転校させたらどうか。何かと言うとすぐに「社会奉仕」が出て来るところも相変わらずで、まあ一種の「編集」、あるいは「敷衍」であり、「バカ殿方式はいじめ問題にも適用できますよ」と言いたかったんでしょう。もっともこれで問題が解決するかどうかは保証の限りではありませんが、解決しなくても現場の教師が悪い、教委が悪い、親が悪い、果ては子どもが悪いと言えば良いのですから無責任なものです。

もっとも「効果的」と思われるのは、「自殺が起きた場合、学校はチームで対応し、教育委員会が支援チームを派遣する」という対応でしょう。何かあると上の人が飛んで来て、現場の連中がうかつなことを喋ったりしないようによく気を配る、もちろん証拠を隠滅したりでっち上げたりもするかも知れませんが、この措置は何よりも学校の校長やら教員やらに対して問題の隠蔽を謀る圧力になります。「いじめっ子」への「懲戒」、「傍観者」への「連座制」は「いじめ」を餓鬼共の間で隠させますが、もうひとつの予防措置によって「いじめ」が校舎から漏れ出て行かないようにするわけですね。2枚かぶせれば安心です。何をだ。
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2006年11月28日

欲求不満の中年女アナル攻めに随喜の涙

いじめの背景に親の教育不在あり65%…読売調査
 読売新聞社が11、12日に実施した全国世論調査(面接方式)で、いじめが原因とみられる子供の自殺が相次ぎ、いじめが大きな問題となっている背景を八つの選択肢の中から選んでもらったところ(複数回答)、「親が社会のルールを教えていない」が65%で最も多かった。
 次いで、「他人の痛みを思いやることができない」(55%)「親が子どもの悩みを把握できていない」(52%)の順で、家庭での教育の問題が大きいと考えている人が多かった。
 4、5位は、「教師の指導力や資質に問題がある」(48%)「学校が責任逃れをして問題を隠す」(45%)だった。
 全国の高校で起きた「必修逃れ」の問題で、文部科学省が決めた救済策について、「納得できる」と答えた人は、「どちらかといえば」を合わせて59%に上った。「納得できない」は計36%だった。文科省の救済策では、70時間を上限に本来受けるべき補習授業の時間数を減らすことにしている。
 10月に発足した安倍首相の諮問機関「教育再生会議」(野依良治座長)については、「期待している」が計58%で、「期待していない」(計38%)を上回った。
 男女別にみると、「期待している」は、女性(62%)が男性(54%)より多かった。年代別では、30、40歳代の「子育て世代」と70歳以上が、いずれも62%と高かった。
2006年11月18日読売新聞


いじめ世論調査 原因は「保護者のしつけに問題」が5割超
 毎日新聞が実施した全国世論調査(電話、今月25〜26日)で、いじめが行われる最大の原因を聞いたところ、教育制度や教師の指導よりもいじめる側の保護者のしつけに問題があると答えた人が5割を超えた。いじめをなくすために家庭・地域の役割を重視する回答も計6割を超え、学校の役割や教育改革に限界を感じているとみられる回答内容になった。
 「いじめをなくすためには、どうしたらいいと思いますか」という質問には、「家庭での会話を増やす」(42%)▽「地域で子どもを育てる環境を作る」(22%)ことを挙げ、「教師の指導力を強化する」(10%)▽「少人数学級を導入する」(9%)は少数だ。
 「教育制度」に問題と回答した人も、解決方法には家庭・地域(計63%)を挙げる回答が最も多く、保護者のしつけを原因に挙げた人は、計8割弱が解決方法を家庭・地域の改善に求めた。
 また、「いじめた子に厳しい罰を与える」はわずか7%で、政府の教育再生会議が提言する見通しの生徒指導の厳格化の方向性に否定的な回答だった。
 参院特別委で審議されている教育基本法改正案には、新たに家庭教育の項目が盛り込まれているが、いじめをなくすには63%が「役立たない」と答えた。「役立つ」と答えたのは23%で、安倍内閣を支持する人も54%は「役立たない」だった。【高山純二】
2006年11月27日毎日新聞


よくもまあこれだけ似たような記事を掲載できるもんです。さすがに嫁売では「教育再生会議」に「期待している」のが58%もいたりする一方では昧日は「教育基本法案」は「役立たない」と思っているのが63%としているなど、それぞれ違うんだよ、と言わんばかりですが、「家庭教育が悪いんだ!」という趣旨は共通です。ウラでこそこそ共謀していないで、合併して「売日新聞」になればいいじゃん。

売日新聞によれば、いじめという問題が起こるのは「家庭教育」が悪いんで、「教育基本法案」成立後も「教育再生会議」がますます活躍して「家庭」や「地域」をどんどん規制していくのが良いんだ、学校はそんなに悪くない、と考えてる人が多いんだぜイ、ということであります。学校制度の問題点を探る社会部の報道とは裏腹に、学校批判を沈静化させて「家庭教育」「地域教育」を問題化しようという流れになりますが、家庭と地域の統制を進めようとするバカ殿には大変好都合な点、まるでタウンミーティングのようです。謝礼は出るのでしょうか。

ところで、仮に、もしかして、「いじめ」の原因が「家庭教育」であると考えるとすると、どのようなことになるでしょうか。「いじめ」とは「弱者への継続的攻撃」ですが、自分にとって無害な「弱者」を何故攻撃しなければならないのでしょうか。逆に言えばその攻撃がいじめっ子にとって何の得になるのか。これを「家庭教育」との関連から考えることが出来るかも知れません。

「家庭教育」には「しつけ」ということがつきものです。「しつけ」というのは「仕付け糸」の「仕付け」のことですから、出荷前に型くずれしないように留めておくことです。布製品がその本来の勢いに任せて動くことによって皺になったりするのを防ぐのです。人間でもこれは一緒に考えられているようで、本来の在り方に任せておくと不都合であることから、「しつけ」という言葉が使われ、「躾」という字が作られました。「身」が「美しい」ということは「成形加工されている」という意味です。

「本来の在り方」というものは、着物なんかだと物質を支配する法則に従うわけですが、人間についてはこれは様々な欲求となって表現されます。これが良いものなのか悪いものなのか知りませんが、とにかく「不都合」なので、これを「禁止」するのが「しつけ」の役割です。禁止によって欲求の充足は妨害されることになりますので、このとき抵抗を感じますが、欲求の不充足がかえって結果として快適な状態をもたらすので、そういう場合には不充足を受け入れることが出来るでしょう。

逆に欲求の不充足が快適な結果をもたらさない場合には、充足を妨げる障害を排除しようとする、つまり障害物を攻撃しようとします。この障害物というのが要するに親ですが、親は餓鬼より大きくて強いので、概ねこの障害の排除には失敗し、欲求は充足されません。この場合は欲求が満たされない不満と、欲求を満たそうとすることへの無力感を感じることになりますが、これが欲求不満という状態だと思われます。この場合に、満たされることのない欲求は諦められ、目標はこの欲求から「攻撃そのもの」に転じることがあります。この攻撃性は挫折した反抗なので常に弱いモノに向かい、対象をたたきつぶすことで満足しますが、もともとの欲求は忘れ去られてしまったわけではなく、欲求不満は解決されないままに残っていますので、あくまで代理的な満足に留まります。もともとの欲求不満が解消されるまで、このような攻撃は対象を替えて生涯繰り返されます。この、本来の目的を見失った八つ当たり的な攻撃性の発散の一つの形態が「いじめ」であると考えることが出来ます。

いかなる欲求の不充足が快適な結果をもたらすのか、またどのような欲求の充足が最後まで妨げられ、欲求不満に基礎を置いた心理的体制を形成するのか、よくわからないことが多いのですが、攻撃の利得が欲求不満の代理満足であるとするならば、「家庭教育」での「しつけ」が「いじめ」の成立に大きく関わって来る可能性があります。これが「しつけ」のやり方の問題であるのか、抑圧される欲求の性質の問題であるのかもよくわからないんですが、「甘えるな」とか「他人に迷惑をかけるな」とか「 生かされて生きることを自覚せよ」などというまるで人を邪魔者扱いするような態度で「しつけ」を行なう場合には、重大な欲求不満状態が惹起される可能性があり、大変危険です。

もっともこのような状態におかれた人は「いじめ」を含めあらゆる形態の代理的な満足に容易に引き寄せられる反面、自己破壊的行動に出ることもあります。自己破壊的行動そのものを代理的な満足として追求するように操作することも極めて容易ですから、このような人間を形成することはバカ殿にとっては「いじめ」問題の解決なんかよりよっぽど大事なことなのです。

ちなみに「最近の親はしつけが甘い」というよくある意見もちょっと疑わしいものです。こういう意見は概ね「昔の親」が言うことが多いものですが、祖父母というものは母親が怖い顔をして孫を叱っていたりすると今度は逆に「鬼嫁だ」「虐待だ」「鈴香だ」「美香だ」「線香だ」「そりゃ死んだ婆さんだ」などと言い始めたりするものですから当てにはなりません。何よりも親が甘かったり弱っちかったりすることは、欲求の充足を容易にすることから好き勝手なことばかりやる餓鬼が出来上がる可能性があり、それはそれで困ったことかも知れませんが、何の得にもならない「いじめ」をやるよりももっと自分が楽しめることをやらかすことになります。他人に対する過剰な興味はそれ自体欲求不満の現れですが、批判的な口出しは体力の衰えた老人による「いじめ」の主要な形式となっているのかも知れません。若い人にもそーゆーのはいますが。

そういえば「欲求不満」というのは中年女性の専売特許のようですが、まさに「性欲」が問題になっているのかも知れません。しかしながらセックスというのがケツの穴までなめ合うまでの存在の承認であるとすれば、幼児期の問題はその線で考えることができる可能性はあります。あなたは女の人をセックスの対象だと思っているのですか?女の人はあなたのことをセックスの対象だと思っていませんが。ところで最近奥さんの肛門をなめたのはいつでしたか?奥さんがあなたの肛門をなめたのは?だんだん話がおかしくなって来たようです。
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2006年11月24日

子どもの自殺、オヤジの自爆

自称「福祉・財政・税制の分野では第一人者」が不案内な文部科学相でしかも「教育基本法」「いじめ」「やらせ」で大弱り。バカ殿の的確な人事は僕なんかにネタを与えてくれるのが唯一の取り柄とはいえ、ものには限度というものがありますよね、伊吹さん。「自殺」したくならない?とか言ってたら自爆。

「特定の思想を禁止」 教育行政で伊吹文科相
 伊吹文明文部科学相は24日午後の参院教育基本法特別委員会で、教育行政について「教育は、法律の定めるところにより行うべきもの」と規定した政府の教基法改正案について「国会で決めた法律は、国民の意思で全体の意思だ。これと違うことを特定のイズム(思想)や特定の思想的背景を持ってやることを禁止しているのがこの条項だ」と述べ、法に基づく学習指導要領などの運用の在り方が法改正で明確になるとの認識を示した。
 文科相は、いじめを主な原因とする子どもの自殺問題について「党派を超えて子どもの命を守っていくことに協力したい」と述べた。
 民主党の福山哲郎氏への答弁。
 このほか民主党の神本美恵子、共産党の小林美恵子、社民党の近藤正道、国民新党の亀井郁夫、公明党の山下栄一、自民党の岩城光英の各氏が質問に立つ。
2006年11月24日北海道新聞


はい、残念でした。「国会で決めた法律は、国民の意思で全体の意思」ではないんですねえ。だからこそ「基本法」というものがあるわけなんですよ。国会というものはその時々によって偏った法律を作ってしまうことがあります。それが酷く偏らないように基本的なラインを決めとくのが「基本法」なわけですが、そうすると「基本法」は立法及び法解釈に一定の枠をはめるように作用することになります。「法で定めたことはなんでもやっていいんだ」というような伊吹氏の解釈は「基本法」の基本法たる所以を理解していませんし、「教育基本法改正案」がそのつもりで立案されているものだとすれば、これは「基本法」の呈をなしていません。素人考えの白痴作文です。つまり僕と五十歩百歩ということで。一緒に逃げますか?僕の身長は低くても脚は長いからあなたが五十歩逃げる間に百歩分遠くに行ってますが。

もっとも伊吹氏は

国民全体の意思でないグループ、あるいは国民全体の意思でない思想によって教育を行うという場合、これは当然それ(不当な支配)にあたる。


と言っていたという話もあります。ここで言う「国民全体の意志」とは国会の多数党のことであることは報道された記事から明らかですが、たまたま今のところ多数を占めている政党の人間が超楽天的なバカを言っているのか、それとも今後国会において永続的に多数を占めるという確かな保障でもあって言っているのか、もし前者なら文相はくるくるぱーという大スキャンダル、後者なら不正選挙で独裁政権という歴史に残る国の恥、一体どっちだ。

もっとも、「国民全体の意志」なんて不用意極まる言葉を乱用するところから見ると、あながち前者も間違ってはいないのかも知れません。だいたい「全体」の意味がヘンテコです。「国民全体の意思でないグループ」の存在を考えると、「国民全体」は「自称国民全体」と「国民全体の意志でないグループ」に分かれますから、「全体」とは「全体のつもりでいる一部分」でしかありません。この場合は相手方も「全体」を自称して可なるわけですから、どっちが「全体」かを決するのは物理的暴力しかありません。喧嘩か?喧嘩上等だ。なんて、まるで青年会議所なみの醜態をさらしてしまいましたが、京都はバカの産地か。

もっとも、伊吹氏の言葉を正確に解釈すればナンミューホーレン思想こそ「国民全体の意志である思想」ということになってしまうわけで、それはそれでお互いに頭の痛いところでありましょう。一方では戸塚ヨット小学校も妄想の産物たる「脳幹思想」によって教育を行なうと言う場合には「不当な支配」にあたることになりますんで注意が必要です。しかしながらおそらく伊吹氏は「自分と考えの違うヤツは「不当」だ」と言っているだけの単なるオヤジなのであります。駅のホームで酔っぱらっている人と全く同様なのですが、伊吹氏は「精神文化で日本再生−政治家の能力は「哲学」、「信念」、「説得力」−」なんだそうで、たしかに「哲学」と「信念」は「独りよがり」でも当座は何とかなりそうですが、「説得力」が数を頼んで押し通すことだと思ってるんなら大間違いだな。「教育基本法」を「文相」が論ずるにあたってこの程度であることが現在の日本、いや自称「国民全体」たる自民党の悲劇でございます。僕はこんな「全体」の中に入っていないので、そっちで勝手に困って下さい。
posted by 珍風 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

セレブ脳の恐怖

夢と志のステージ:人前で夢と志語る中学生、応募ゼロで中止 /京都
 ◇親子で出場、自己主張…恥ずかしい?−−京都青年会議所、23日のステージ
 京都青年会議所が、中学生に将来の夢などを披露してもらおうと、23日に予定していた「夢と志のステージ」に応募者が無く、開催を中止することが分かった。松尾定信・同会議所専務理事は「定期試験に重なるなど時期も悪かったが、人前での主張を嫌がる生徒が増えたのも事実だろう」と無念さをにじませる。
 同ステージは、次代を担う中学生が大人になる自覚と誇りを持つ機会にと、今年初めて企画。登壇して一人一人に「どのような大人になりたいか」「将来に向けての志」などを表明してもらい、それを聞いた親からのメッセージの披露も想定していた。
 ポスターや案内書を制作し、京都市教委を通じて市内公立中などで参加を呼び掛けたが、定員10人の枠に自主的な応募はなく、同会議所側から声をかけても、1、2人しか参加見込みがなかったことから中止を決めた。
 松尾専務理事は「思春期は親子ペアの出場を嫌がるようだ。忙しかったり、恥ずかしかったりするのも分かるが、それを乗り越えて自己主張してもらいたかった」。同会議所は、グループ発表にするなど形式を変え、改めて主張の場を設けることを検討している。【山田奈緒】
毎日新聞2006年11月23日


餓鬼共に現状肯定的な「夢」を語ってもらおうとしたんでしょうが、残念でしたね、ホント。事前に内容にチェックが入るでしょうし、言いたいことを言ってしまって同席の親に迷惑がかかるのは可哀想だ、さりとて金にもならないのに心にもない事を言っていい子ちゃんになってもいじめられるだけの話です。とまあ、これくらいの事が青年会議所のセレブ脳には想定出来ないのですからあきれたもんです。だいたい餓鬼共は生活の苦労を知らないもんですから、金持ちに媚びておいた方がいいんじゃないか、などという「日本の魂(こころ)」を持ち合わせていないようです。

こんな京都青年会議所でも日本青年会議所の構成員であります。日本青年会議所は今年の正月の「京都会議」における「新年式典会頭所信表明演説」ではさも偉そうに

この国を「まともな国」にしていきましょう。他人のせいにするのはもうやめて、自分たちの国を、自分たちの地域を、自分たちの手で、手遅れになる前に理想社会へと変えていくのです。


なんて言ってますが、「まともな国」というのがどんなもんだか知りませんが、いやこの人たちが「まとも」だと思っている事がどういう事なのかは知らないわけではないのですが、そう言うご本人が「まともな人」なのかどうか今ひとつ確証が持てないので何とも言えません。とんでもない妄想にとらわれている人に限って自分はまともだし自分の言っている事もまともだと本気で信じているようですし。いずれにしても「まともな」とか「美しい」とか、形容詞を自分の方から持ち出すのは感心できません。美人が美人であることは自ずと現れるもの、形容詞をつけてくれるのはあくまでそれを見た人の方です。自分で自分を美人だと言ってくる人は、ブスがギャグで言っている場合か、妄想にとらわれている場合か、救いようのないバカなので誰も手を出しません。

それはともかく、「他人のせいにするのはもうやめる」と言っているわけです。どうやら去年までは何でも他人のせいにしていたらしいのですが、今年からはそういう事はやめよう、ということをお正月に誓ったはずなのです。ところが身に付いた癖というものは抜けないものでして、今回の件でも自分たちの立てた企画が悪いのに、「思春期は親子ペアの出場を嫌がるようだ。忙しかったり、恥ずかしかったりするのも分かるが、それを乗り越えて自己主張してもらいたかった」などとまるでもう中学生の方が悪いと言わんばかりの言い草であります。ご存知の通り青年会議所というのは「経済人」の集まりです。商人としては品物が売れなければ商品が悪いとか売り方が悪いとか考えて売れるように変えていくのが普通で、買わない客が悪いんだ、なんてことを言っていてはまずいのではないでしょうか。やっぱりぼんぼんはあきまへんな。

殿様バカなら家来もバカというわけで、日本青年会議所では「真の自立国家「美しき日本」の創造に向かって!!」「精神ルネッサンス」などと、与党2党を両方とも見習ったいかにも優等生のような看板を出して喜んでいますが、見習い方が足りません。これに懲りて来年からはお小遣い付きのやらせに切り替えることを強くお奨め致します。金さえ出せば何でもする、というのも嘆かわしいことかも知れませんが、他人が自分の思い通りに動いてくれるものと素朴に信じてしまうセレブ脳に比べればまだ「まとも」です。
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2006年11月23日

女教師 老人狩り

子どものしつけは親がする、大人のしつけは誰がする、国民を厳しく「飼いならす」必要がある!というわけで、地域社会から解放されている危険な存在として「一人暮らしの高齢男性」が注目されています。特に企業を退職後、いかなる組織にも所属していないで野放しになっている人々をいかに捕捉していくかが問題になっているようです。じーさんを逃がすな!

独居高齢男性「親友なし」4割…内閣府意識調査
 内閣府は21日、「世帯類型に応じた高齢者の生活実態等に関する意識調査」の結果を発表した。
 一人暮らしの男性高齢者は、4割以上が「親しい友人はいない」と答え、「近所づきあいがない」とした人も約4人に1人に上った。一人暮らしの高齢男性が地域社会で孤立している姿が浮き彫りになった形だ。
 調査は1月、全国65歳以上の高齢者4500人を対象に行い、回答率は61・2%だった。前回調査は2002年12月、一人暮らし世帯に限った高齢者を対象に行われた。
 一人暮らしの高齢者のうち、近所づきあいに関して、「つきあいはない」と回答した人は、男性の24・3%で、前回から8・9ポイント増えた。女性は7・1%で、0・2ポイント増えた。
 「親しい友人の有無」については、「いない」と答えた人は男性で41・3%(前回比3・6ポイント減)、女性で22・4%(同3・7ポイント減)だった。
 一方、老人クラブや町内会などのグループ活動について「所属していない」男性は47・6%、女性は37%に上った。
 一人暮らし世帯で、15分以内の距離に、子どもや兄弟などを含めた親類がいない割合は、前回から12・4ポイント増えて57・8%と過半数を占めた。
 逆に、15分以内に子どもがいる世帯の割合は、前回調査から7・6ポイント減少して22・2%になった。
 一人暮らしの人の63%が「日常生活で心配ごとがある」としており、前回よりも21・8ポイントも増加した。心配ごとの内容を複数回答で聞いたところ、「自分が病気がちであったり、介護を必要としている」(34・9%)が最も多く、「頼れる人がいない」「大地震などの災害」「生活のための収入が足りない」などとする回答が続いた。
 内閣府は、男性高齢者が地域で孤立している結果について「長年、会社人生を送ってきた男性は、すぐには地域社会に入れない。孤立させないことが今後の政策課題だ。地域社会も意識的にネットワークを作る必要がある」としている。
(2006年11月21日22時2分��読売新聞)


現在のところ「一人暮らしの高齢男性」は比較的正常な生活を送っているようです。「親しい友人はいない」人が4割以上なんだそうですが、男が65年も生きてきますと、人間に対する考え方もそうそうユルンユルンではありませんから、「親友」と呼べる人間がいないのはむしろ当然、それだけ当人の考え方がしっかりしているのだと思われます。逆にいい歳をして「親友」が沢山いるという人は考えものです。

一方女性は全ての世代において友達とキャピキャピしていることが多いので、高齢者においても「親友」のいる人は多いようです。いずれにしても気になるのが、男女とも「親友」のいない人の割合が減少していることで、「親友」のハードルが徐々に低下していることを伺わせます。ま、どのような関係を「親友」と呼ぶにしても、それはその人の勝手です。

てゆうか、この調査で「親しい友人」というのが、果たして僕が「親友」と言っているものに該当するのかどうか、明らかではありません。ついでにいえば「親しくない友人」というものが存在しうるのかどうかもよくわかりません。更にいえば、この調査結果は「自分には親しい友人がいる、と思っている人」の割合を示すもんですから、一方的に「親しい」と思い込んでいるストーカーのような人もここには入っています。一度自分の「親しい友人」とやらに、相手はこっちのことをどう思っているんだか確認した方がよさそうです。もっともこれは高齢者の健康に有害な結果をもたらすかも知れません。

反対に「近所づきあい」をしない人は男女とも増加傾向で、単に家が近い、というだけの関係よりも、「親友」だかなんだか知りませんが気の合う仲間との交際を重視するようになって来ているようです。町内会といえば不倫の温床となっている楽しい地域社会もありますが、これって原則的には住人全部が「所属」してるんじゃないんですかね。よくわからんけど。「老人クラブや町内会」といった地域集団活動への参加も一人暮らしの場合、男性の半分強、女性の3分の2程度であります。実は家族などと同居しているのも含めた「全高齢者」では、「所属していない」割合が男性で33.7%、女性では41.9%とほぼ逆転しています。同居家族がいる場合に男性の参加率が増加するあたり、家でぶらぶらしていると邪魔だから老人クラブに行ってこいと言われているじーさんがいることが予想されます。嫁の尻ばかり見てると嫌われますよ。

「日常生活で心配ごとがある」人が3分の2しかいないのも意外です。一人暮らしの人の63%が「日常生活で心配ごとがある」としていますが、全高齢者でも「心配ごとがある」のは58.3%ですから負けてはいません。逆に言えば高齢者の3分の1は「心配ごとがない」というわけで、僕たち青二才には想像もできないような楽天主義を生きているようです。もっとも「心配ごと」というのも、「自分が病気がちであったり、介護を必要としている」というような高齢者共通の問題だったりします。これに次ぐのは一人暮らしの場合「頼れる人がいない」30.7%、全高齢者では「子どもや孫のこと」22.6%です。「頼れる人がいないこと」と「頼りにならない人がいること」が心配なんだそうです。3位以下は一人暮らしも全高齢者でも順位はほぼ同じで「大地震などの災害のこと」「収入が足りない」「外出時の転倒や事故」「家事が大変」「自宅内での転倒や事故」「社会の仕組みが分からない」「先祖の祭祀やお墓」「財産の相続」「人づきあい」となっております。「北朝鮮が核攻撃して来る」「中国に侵略される」という選択肢はありません。ただし「犯罪に巻き込まれた」(「巻き込まれる心配がある」ではなく実際に被害にあっている人)は一人暮らしの場合順位が高く「社会の仕組みが分からない」と同じ、全高齢者では「財産の相続」と「人づきあい」の間です。社会の仕組みが分からない人は犯罪に巻き込まれやすいですし、相続するような財産を抱えていると犯罪のターゲットになります。

というわけでこの調査から直ちに「男性高齢者が地域で孤立している」からよろしくない、ということになるのかどうかは大変疑問です。「生活の満足度」をきいてみると一人暮らし高齢者世帯のうち73.9%が「満足」か「まあ満足」であり、全高齢者世帯の80.7%と比較してそんなに少ないわけではありません。「生活の満足度」にどんな意味があるのか大変曖昧ですが、少なくとも他人が騒ぎ立てる程には当人は「孤立」を問題にしていないようです。そもそも「孤立」というと聞こえが悪いんですが、「孤独」はそれほど悪いものではありません。政府は「孤立させないことが今後の政策課題だ。地域社会も意識的にネットワークを作る必要がある」としていますが、どうやら「地域社会にネットワークを作る必要がある」から「男性高齢者が地域で孤立している」ことが問題視されるんだと言った方が分かりやすいでしょう。

そういえばシュティルナーは「孤独は知恵の母」とか言っていたら奥さんに逃げられ、ついには孤独のうちに餓死したそうですが、まあ面白い本を書いたんだから良いのではないか。その本を翻訳した辻潤もやはり奥さんに逃げられ、結局は「孤独死」してしまいましたが、ちょっと変わった人はそういう風なことになりがちです。世間とは折り合いが悪いんでしょ。

『医療改革に問題も』新宿で「孤独死考える」シンポ
 新宿区で二十八日に開かれたシンポジウム「高齢者の孤独死を考える」では、孤独死をどのようにとらえるかをはじめ、取り組みの課題や対応などについて、パネリストや会場に詰めかけた自治会関係者、民生委員らから真剣な意見が出された。
 パネリストの一人で、孤独死の課題に取り組んでいる千葉県松戸市の常盤平団地自治会の中沢卓実さんは、「東京の真ん中の新宿区が一生懸命取り組めば、孤独死への取り組みが全国に波及する」と期待。「われわれは地域福祉の重要な課題として、孤独死を位置づけている。プライバシーのことがよく言われるが、死はプライバシー以前の問題だ。人間は支え合って成り立っていることを、あらためて考えさせられている」と話した。
 同様にパネリストとして出席した新宿区戸山団地自治会の山内松枝さんは、独り暮らしの高齢者が部屋に引きこもりがちになる現状を報告。「憩いの場が必要で、社会福祉協議会も『ふれあい生き生きサロン』という活動を始めた。高齢者に声をかけることで、地域に元気をつくる源になれば」と語った。
 新宿区で訪問診療を行っている医師英(はなぶさ)裕雄さんは、医療現場からの視点として「医療制度改革で国は今後、療養型病床群を無くす。医療費の自己負担が上がり、外出機会だった外来に高齢者が来なくなる。医療から切り離され、特に本人が望んでいない孤独死が増えるのではないか」と問題を提起した。
 会場からは、「自治会による地域力には大きな差がある。都営住宅に世代をバランスよく入居させることを考えてもいいのでは」などの意見が出された。
 コーディネーターの岩田正美・日本女子大教授は、「社会にこれまで参加してこなかった人、拒まれた人が気力がなくなり引きこもるということもある。都市の中で、『出られない』『参加できない』人の問題に地域がどう取り組むか。住民主体も大変大事だが、行政が一緒に取り組まないと難しい」とまとめていた。 (浅田晃弘、金杉貴雄)
東京新聞2006年10月28日


この中に松戸市の常盤平団地というのが出て来ますが、ここは5年前に白骨化した「孤独死」が発見されたので有名なところです。そりゃ団地ですから、人が死んでたりすると都合の悪いことはいろいろあるでしょうから、自治会も大変でしょう。中沢氏は正直なので、自治会の活動が「プライバシー」と軋轢を生じていることを告白していますが、「死はプライバシー以前の問題だ」と言っています。いや死ぬ前にもプライバシーというものはあるんじゃないかと思いますが、おそらく自治会では自分の孤独を守ろうとする人たちとのすったもんだの争いの挙げ句、すっかり態度を硬化させて、ついには「命が惜しければプライバシーを差し出せ」みたいなことになってしまったんでしょう。もっとも脅し文句とはいえ核心に触れた名文句ではあります。死にたくなければいうことを聞きなさい。従わないと殺すぞ。ところが言うことを聞いていたところで惨めな生を与えられて虫けらの如く殺されるのが落ちなのです。
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2006年11月18日

秋季全国火災予防運動の終了にあたって

本年度の秋期全国火災予防運動は11月9日から15日までの1週間にわたって展開されました。この期間中、サトウキビ畑への放火を始めとした数件の放火事例があり、中には死者の出た例もありましたが、これは通例の事であり、消防としては粛々と消火活動を行ってまいりました。

ところが火災予防運動期間の終了を待っていたかのように、消防士諸君はまたぞろ活発なる活動を開始する事になったのはまことに遺憾であります。

あろう事かあるまい事か消防士が火をつけてしまう、そんなおかしな未来社会がレイ・ブラッドベリによって描かれたのはマッカーシズムがアメリカを席巻していた1953年の事でした。当時この上院議員はマッカーシーのくせに赤いのは嫌いだったので、国中のありとあらゆる場所にいる共産党員やそのシンパを排除しようと、極めて乱暴な活動を行っていたわけです。彼に反対する者は即ち「共産主義者」とされて職を失ったり投獄されたりするのでした。贋の証拠にでっち上げの証言、脅迫による密告の強要。ブラッドベリにとってそれは特定の思想やスパイ行為への攻撃というよりも、「アメリカの理想」「反共産主義」に名を借りた、知的営為に対する野蛮な憎悪の噴出だったのです。

そこで彼は書物を禁止する社会を構想しました。この社会が「有害図書」の指定を全ての書物に拡張したのは、読書という行為自体が思考を起動させる事があるからでしょう。作中の登場人物は、たしか書物には「物事の本質をかいま見せるおまんこが開いている」とか言っていましたが、うろ覚えです。人々は家にいる時は「テレビ壁」に、屋外では「海の貝」ってラジオですが、そういうメディアは送り手側が時間を支配しますから、思考する暇を与えないもんですが、そういうのに四六時中曝露されている事が奨励されます。本は見つけ次第焼くこと。

消防士の事を英語で「fireman」といいます。高度な教養をひけらかしたりして申し訳ありませんが、これを直訳すると「火男」となり、このひょっとこ野郎が焚書係なのです。逆説的なようですが、考えてみればつけた火は責任を持って消すのが大切です。ブラッドベリの想像した社会は防災の観点から見ても極めて合理的なものでした。

ブラッドベリはこの本を書いた後、街角でラジオを聞きながら歩いている人を見てショックを受けたそうですが、彼の「ファイヤーマン」が活躍する現代の日本を見る機会があったら、坑に埋められちゃかなわんとばかりに逃げ出したことでしょう。なにしろわが国の「ファイヤーマン」は、もはや本など焼いておりません。出来うれば人間そのものを灰にしてしまおうという、焚書と坑儒を兼ねた実に簡便至極な手法を採用しております。

清水事務所に放火�2006年11月16日(木)
  緊急ニュースです!
 11月16日(木)21:15頃、清水町の清水選挙事務所の入り口の植え込みのなかに火のついた固形燃料が置かれ、あわや火災になるところでした。
さいわい、通行人の連絡で大事に至る前に消し止めました。
清水候補の看板の焼失をねらったものとみられ、言論と民主主義の封殺をねらった、きわめて悪質な行為です。
我がほうの選挙戦での盛り上がりを、ねたんでの仕業ではないでしょうか。
こんな卑劣な行為に負けず、選挙戦を堂々と戦い抜きましょう。
http://yaplog.jp/hakatamentai/archive/66


福岡市長選挙は6人の候補者がいて、どこにでもダメもとで候補者を立てて来る共産党の候補が県副委員長の清水とし子氏です。こちらは正真正銘天下晴れての「共産主義者」であります。マッカーシーならとりあえず逮捕するところですが、我が「ファイヤーマン」は仕事が早いのです。そのかわり不確実ですが。

この清水氏の選挙事務所が南区の清水町にあるのです。大変まぎらわしいものです。とにかくその「清水事務所」の表の植え込みのところに立てられた看板の足下に点火した固形燃料が置かれたわけです。最近の建物の外壁は基本的には火がつかないようになっていますから、看板に目を付けたのは慧眼でした。単に脅迫の意味だけではなく、建物に接近して設置してある場合には、窓でも開いておれば火の粉が侵入する事によって建造物自体に着火する事もおおいに可能です。ちょっとしたイタズラで済む問題ではありません。もっとも「選挙戦での盛り上がり」がどの程度のものであったかは多少疑問の残る点ではありますが。票にならない盛り上がりというのが結構あります。

立て看板は頭の痛い問題で、そんなものまで不燃化するのは大きな負担ですし、そういうものは概ね通行量の多いところに置いてあるものですから、今回のように早期に発見して大事に至る事がない場合がほとんどですが、対象物に直接火をつけるのではなく、固形燃料を置いて着火を期待してその場を離れる、という事ですと放火行為自体の発見は容易ではなく、知らない間に燃え上がっていた、という事になる危険があります。とくに鍋料理の歓迎される時期ですから、火のついた固形燃料を持ち歩いている人を見かける事は決して珍しい事ではありません。

いやさすがにそんな人はいませんが、人生で大事な事はタイミングにC調に無責任、一方ブラッドベリによれば「第一に大切なのは、われわれの知識が、ものの本質をつかむこと。第二には、それを消化するだけの閑暇をもつこと。そして第三には、最初の両者の相互作用から学びとったものに基礎をおいて、正しい行動に出ることにある」んだそうであります。服従し、順応することが露骨に要求される時代には確かにその通りであります。しかしそういうのに疑問のある人は「家の周りに燃えやすいものを置かない」ことが一番大切であることに注意して頂きたいものです。
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2006年11月16日

法案の偽装された強度

教育基本法改正法案が衆院特別委で可決、野党と議論を戦わせたかった=首相
2006年11月16日06時44分
 [東京 15日 ロイター] 安倍晋三首相は15日夕、焦点の教育基本法改正案が衆院特別委員会で野党欠席のまま採決されたことに関連し「野党にはなるべく(委員会に)出てもらい、国民の前で議論を戦わせ、議論をしながら国民に判断してもらうことが重要だった」との考えを述べた。官邸内で記者団に語った。
 教育基本法改正案については「安倍内閣の最も重要な課題」とし、「政策をつくるためにも改正は重要だ」とした。野党不在による採決に関しては「十分な審議を経たうえで、どこかの時点で採決しなければならなかった」と振り返った。
 自民、公明両党は15日夕、野党欠席のまま衆院教育基本法特別委員会での採決に踏み切り、可決した。与党は16日午後の本会議で可決、衆院通過を図る。


あれれ、「十分に審議は尽くした」んじゃなかったんですかねえ。そんなら採決しなければ良かったんですが、何を言ってるんだか、相変わらずバカ殿の言う事は了解不能です。そんなバカ殿の頓珍漢な「考え」とは裏腹に、「教育毀損法案」は今日衆院本会議でろくな「議論」もしないまま強行採決されちゃいました。このままでは参院も通過して法案成立という勢いであります。

これは困った事になりましたが、困るのはバカ殿も同様であります。バカ殿は「教育毀損法案」を「最重要法案」と位置づけているようですが、それは自民党内部の話。アメリカは憲法をなんとかして軍隊をかんとかしなさいとは言っていますし、日教組などの労働組合をやっつけろとは言ったかも知れませんが、それはソ連があった時代の話です。教育基本法の改定は自民党がそれに乗じて勝手にやる事で、現在の情勢ではアメリカはこの件に関知しません。そのうえ「世論」の動員も不完全で、金を出して賛成意見を出してもらっている状態です。この状態で強行採決で法案を成立させた場合には、至上命令である憲法改定が困難になる可能性があります。さらに教育基本法改定の後始末はバカ殿が一人でかぶらなければなりません。

ここで問題になるのが今回バカ殿が発行した空手形です。「教育が荒廃」している、なるほど、おあつらえ向きに生徒や校長が面白いようにぶら下がってはいます。いかにも問題がありそうだ。そいつを解決するには教育基本法の改定だ。ということで、教育現場の諸問題を教育基本法改定の理由付け、言い訳に使ってしまったのですが、いざ仮にこの法案が通ったとして、それら諸問題の解決が一向に図られない、その責任をバカ殿が一人に押し付けられます。テキトーな言い訳をしていたらかえって土壷にはまる、浮気を隠すために仮病を使った事を糊塗するために会社の金に手を付けたのを埋めるためにアヤシイ金融に手を出して腎臓を売って東京湾に沈むなんて、男たるもの誰しも身に覚えのあるツライ状況です。女もですけど。身に覚えのある人は死んでいます。

もっともバカ殿はそれなりに考えていて、「問題」を表沙汰にすると教師のクビが危ない、というシステムによって問題の隠蔽が計られるように気を配っているわけです。事を荒立てる良心的な教師は不適格とみなされてなんとかセンターに収容、その後に来るのは元ヤン、前科者、ヤクザ、カルト、そして純然たるバカ、それ以外の人は無気力です。そうでなくても現に「いじめゼロ」の「実績」を挙げていた「美しい」体制は更に強化され、遺書は焼き捨てられ学校を取り巻く地域全体に箝口令が敷かれます。ところが情報統制の存在はそこに何かがあった事をマーキングします。紫外線を当てると光ります。遺書は机の上やパソコンの中に眠っているのではなく、郵送され、晒されます。子どもを失った遺族は学校を要とした統制システムに服する理由が希薄になります。とても隠しおおせるものではありません。少なくとも5000円位では口を塞ぐ事は出来ないでしょう。

僕はこう見えて優しいので、バカ殿はそーゆーことを解決する事なんかには実はまるで興味がないんだよ、とバカ殿本人に替わって言ってあげてますが、中には彼にあらぬ期待を抱く正直者もいないとは限りません。そういう連中には、法案が成立しないうちは都合の良い言い訳として通用したものが、法案が成立した後は逆に法への疑念、法を成立させたバカ殿への不信をもたらすものとなります。「やらせ」と「テキトー」で押し切る嘘で固めた「教育毀損法案」は政権崩壊の一里塚です。マンション同様、嘘の強度はどうも低いようです。本当だったらこんな状態ではこの法案は一旦引っ込めるのが老獪な知恵というものですが、自民党自体が既に末期症状です。CIAは何をしているんだ。
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忘八先生血笑旅

なんか武田鉄矢という俳優だか音楽家だかなんだかタレントが、いじめについて意見を求められたそうで、まあ確かにドラマで教師の役をやっていたようですが、だからといって教育について何か特に考えがあるわけではないでしょうに、気の毒なことです。そんな人にコメントを求める方も天海祐希さんを「教育最低会議」に入れようとした連中と同様、ウィリアム・シャトナーが宇宙を飛び回っていると思っている人々です。そういう人はTVのアナウンサーが「おはようございます」と言うと、自分も「おはようございます」と挨拶を返すばかりか、お辞儀までしますので見ていて面白いものです。

そんな武田氏の御意見は

金八先生が「いじめ問題」斬る
 いじめや未履修などに揺れる現在の学校教育に金八先生がカツを入れた。俳優の武田鉄矢(57)が9日、東京都足立区で主演ドラマ「3年B組金八先生」シリーズの主題歌などを収録したCD「桜中学音楽大全集」に封入される特典DVDの撮影に参加。その後の会見で、教育現場の実態に“金八節”で切り込み「いじめられているヤツを鍛えることが大事。少し視点をずらせば別の世界が見えてくる」などと持論を展開した。
 79年の放送開始から計7シリーズ、実に27年にわたり時代時代の中学生と向き合ってきた「3年B組金八先生」。主役の武田は「今の中学校は、日本の社会問題の縮図のよう。15歳がこれほど多難なのは、日本の歴史始まって以来のこと。道ですれ違っても疲れ切っている」と嘆いた。
 いじめによる自殺が地元である福岡県筑前町で起こったこともあり、「人間生きてみなけりゃ何があるか分かりません。死んじゃだめですよ」と切実な表情。そして「いじめるヤツにどんなに説教しても変わらない。大事なのはいじめられているヤツを鍛えること」と語った。
 「遠い昔からいじめられている人の歴史を振り返ってみましょう。私たちは歴史の中から役に立ちそうな知恵、知識を取り出してきた。あなたが味わっている悲しいこと、つらいことは、何千年も前から何人もの人が足跡を残している。その足跡をたどるすべは勉強でしか見つけられません。だから学校があるんです。勉強しましょう」と訴えた。
 福岡教育大出身で、現在、校長をしている同級生も多く、教師の気持ちに立っても言及。9月の博多座での舞台は、そのうち5人の校長が観劇する予定だったが、1人が「学区内での問題」で来られなかったという。
 「そいつが頭を抱えていると思うと切なさでいっぱいになった」と顔をゆがめた武田。「政治バラエティーなど外野は少し黙ったほうがいい。教育は討論の現場で生まれてくるものではない。現場の教師からたくさんのアイデアが出てくると思う。タフに子供たちと接している先生を励ますことが大事」と話した。
スポニチ[ 2006年11月10日 ]


ということであります。いいなあ。役柄に忠実でサービス精神にあふれています。「だから学校があるんです。勉強しましょう」なんて、いかにも学校の先生が言いそうな台詞であります。実際の学校の先生は「勉強」と「学校」が不可分のものであると本気で考えています。一歩学校の外に出てみれば、そういうものでもないんじゃないかと考えたりしますが、教師は学校を出て来たと思ったら学校に就職してしまうので、そういう風には考えないものです。武田氏はそういう教師の愚昧さをモノマネでからかっています。特定の人物のモノマネではなくて、ある類型の思考傾向を演じるというのはモノマネのなかでも高度なものに入るということを理解しなければなりません。

その証拠に武田氏は本当の教師であれば言うはずのないことを織り込んでみせます。そこが「芸」だったりするわけですが。「いじめられているヤツを鍛えることが大事」なんて、とんでもないことを言ってみせています。「鍛える」というのは、みんな何となく使うわけですが、金へんがついています。「金」は金属に関することです。つくりの「段」の右側は「殴」の右側と同じく「なぐりつけ、打ち据える」こと、同音の「断」に通じ、叩き切ること、切断を意味して「段落」の「段」です。従って「鍛」は「金属を叩いて強くすること」であり、金属を強くする目的は叩き切ること、即ち刃物となって人を傷つけることなのです。

そういうわけで武田氏はいじめられている人は武装しろと言っています。肉体を「鍛えて」身体を武器とするのも良し、鍛えられた金属をもって事をなすのも良し、要するにいじめっ子の身体に「切断」をもたらすことが目標とされています。極めて剣呑な御意見であります。下手をすると、上手くやれば、相手は死んでしまうかもしれないのです。こういうことは学校の先生の言えることではありません。どっかの阿呆が言う「ファイティングスピリット」とも違います。「スピリット」てのは、要するに「気体」だろ?下手な言葉をあやつって「気分」を煽動する「文学者」、この人は一生どこへ行ってもバカにされていますが、そいういうもんとしてではなく、武田氏は物性を操作する技術者としての鍛冶屋さんとして話をしています。

実際にそういう事例は結構あるわけですが、そうなると昨日までのいじめっ子はいきなり一人前の「被害者」ヅラをします。上手くやれば「被害者遺族」なんて連中も出て来かねません。そうなった時に「コイツは私が鍛えました」と言えるのが金八流だというわけです。金八先生はいじめられっ子と共に修羅道を歩む事になるのです。物騒です。次の「金八先生」シリーズはいじめっ子を真っ向からまっ二つ、学校中を生首が乱れ飛ぶ残酷切株派アクション編です。まさに狂気の沙汰ですが、狂気の沙汰も「金」次第。
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2006年11月15日

自由民主党結成記念日奉祝

今日は11月15日、七五三ですな。関東のロゴがカッコいい県などでは結婚式場やホテルで盛大にやるようですが、このさい宮中の習慣を取り入れて碁盤の上に立たせるのも面白いと思います。碁盤の上から飛び降りることになっていますが、これはおそらくバヌアツの成人の儀式(バンジージャンプの起源)と何か関係があるに違いない。

それはともかくとして、今日は自由民主党のお誕生日ですよ。七五三を足して15、ひっくり返して51歳。「人生わずか50年」ですからもうそろそろくたばっても良いお年頃ですが、最近の年寄りは頭はボケても体が丈夫なんだから始末が悪い、なんて酷いことを言うもんじゃありません。それにしてもとんでもないお誕生祝いもあったもんです。ちなみに年金の受給はまだまだです。

パートの厚生年金加入、早期実現へ与党が協議開始
2006年11月14日20時56分
 自民、公明両党は14日に開いた与党年金制度改革協議会で、会社員が加入する厚生年金の適用対象をパート労働者へと拡大する問題について、09年の年金改革時とされていた当初スケジュールを前倒しし、再チャレンジ推進策の一環として早期に具体的な検討に入ることを決めた。ただし、実現の時期は未定。医療保険と合わせれば、本人、事業主共に収入の10%以上を保険料として負担することになり、調整は難航しそうだ。
 厚生年金の保険料率は現在14.6%で労使折半で負担する。パート労働者への適用拡大は04年の年金改革時にも検討されたが、パート労働者に依存する流通・外食業界は、保険料の企業負担増を理由に反対。パート労働の専業主婦らも反対し、実現は断念された。
 しかし、安倍首相は所信表明演説で再チャレンジ支援の一環として、厚生年金を含む社会保険のパート労働者への適用拡大に言及。改革の機運が盛り上がっていた。
 現在の厚生年金の加入条件は正社員の4分の3(週30時間)以上働くことだが、04年の年金改革時にはこれを2分の1(週20時間)以上に拡大する案が示された。
 今回はそれに加え、一定期間同じ企業で働き続けることを適用条件とすることや、中小、零細企業に対しては、事業主負担が急激に増えないようにする緩和措置や負担の軽減措置を導入することも検討し、経済界の理解を得られるように配慮することにした。
asahi.com


「パート労働の専業主婦」ってのが奇妙です。世の中にそんな人がいたとは知りませんでした。家事労働をパートタイムでやっている人のことでしょうか。通いのハウスメイドみたいなもんでしょう。そういうのがいるんだったらうちの専業主婦もとっととたたき出してメイドさんに来てもらうのも良いかも知れません。え、あの秋葉原にいるような「メイド」とは違うんですか?

そうすると「朝日新聞の用語の手引」ではパートタイマーは賃金労働者から除外することになっているに違いない。さすがに世間では「同一労働同一賃金」とはいかないまでも、バカ殿政府ですら口先だけでも「正社員との格差是正」とか言っているのに、朝日新聞ではパートは労働者の仲間にも入れてもらえません。パートは働いていないことになっているのです。お店に行くと店員はだいたいパートだったりしますので、店員は存在しないものとみなしてお金を払わずに商品を持って来てしまっても良いのでした。これは大変助かりますので、僕も朝日新聞の記者になりたいです。

そんな朝日新聞には当然詳しいことなんかまるで書いてないのですが、「適用条件」というのは

勤務時間に関して現行「週30時間以上」を「週20時間以上」にする。そのかわり
現行では「2ヶ月を越える」勤続期間の者が対象であったのを、半年ないし3年程度の長期勤続を要件とする。
時給が正社員の給与を時給換算した水準程度の者を対象とする。

というあたりが検討されているようです。もともとは週20時間以上勤務している(朝日新聞によると勤務していても勤務していない)短時間労働者全員を対象とすることを検討してたようなんですが、それだと関係者全員が反対するもんですから対象を絞ることにした模様です。

それにしてもずいぶん絞ったもので、100センチのバストにウェスト50センチの驚異のボディが実にどうもタマリません。実際のところそういう人はあまりいないようですが、パートが厚生年金に加入することに比べればなんのことはありません。こんなことではおそらく適用拡大は不可能でしょう。それどころか適用条件は緩和されているんで、現行では週30時間以上の勤務を3ヶ月続けている人は適用対象ですが、これだと勤続期間が短いので対象から外れることになります。厚生年金の保険料収入は減少を続け、破綻は目の前です。

政府は景気回復によって企業に余力が生まれていると見ているようですが、誤認です。パートを多用する流通小売業や外食産業は個人消費頼み。大企業だけの「景気回復」では個人消費は一向に回復せず、このような業界は依然として苦戦中でして、事業主は年金加入などまっぴら御免ですから、これを回避するためにあらゆる努力を払います。短時間労働者は同じ会社に勤め続けることを妨げられます。半年だか1年だか3年だか分かりませんが、適用条件を満たす前にクビになっちゃうことになります。さらに時給も上げてもらえません。正社員並みの水準に達しないように低く抑えられることになります。そもそも同じ会社に3年も、正社員並みの賃金でパート雇用されてるという状態は異常で、そういう人は正社員として雇用するのが当然のところです。「再チャレンジ」というのは多くの若者がいつまでたっても正社員にしてもらえず、ほんの2、3年でお払い箱になることを言うようです。

薄汚いやり方で「国民の支持」を捏造したことがバレたにも拘らずさっき特別委員会で採決の強行という「美しい」展開を見せた「教育毀損法」と同様、何らかの問題を解決すると称して問題をこじらせるのがバカ殿一流の政治手法です。これだと本物のバカに見えますが、本物のバカである可能性がないわけではありません。しかしながらバカ殿にはやれ「教育の荒廃」だの「格差の拡大」だのといった「問題」をなんとかしようなどというつもりはさらさらないのだと考えることも出来ます。バカ殿にして何かを考えているとすればの話ですが。まあ考えたとしても碌なことは考えないようで、バカにも良いバカと悪いバカがいることが分かります。僕は自分が良いバカになれればいいのにと思いますが、どうも難しいです。しかし悪いバカになるくらいなら利口なままでいたほうがマシです。なに、もう十分バカだって?それは違う。単に頭が悪いだけです。
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2006年11月13日

コミュニケーションの征圧に関する法律

たとえば「改正」された教育基本法によって、学校はおろか「地域」も「家庭」も国家が定めた

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。(案第2条)


のような価値観を押し付けるための機関として「それぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努め」(第13条)始めたとしたら、どうしたもんでしょう。第5項を除けばなかなかいいこと言ってるじゃん、というマヌケは即刻、立ち去ること。天国はその人たちのものです。

今のところはまだ出口があるように見えます。マスゴミというもんが。とりあえずは「人権」だの「自由」だのって言葉が「学校」や「地域」や「家庭」や「職場」には存在しないでしょ。マスゴミでは言うんですよ、そういうこと。エサですけど。それらの言葉にマスゴミはあらゆる留保をつけて、ついにはその言葉を無効化してみせますが、単語としてでも出てくるだけでたいしたもんですから。

総務相 NHKに放送命令
ラジオの国際放送
 菅義偉総務相は十日午前、NHKに対し、短波ラジオの国際放送で、「北朝鮮の日本人拉致問題に特に留意すること」とする放送命令を出した。
 放送法では、総務相がNHKに放送事項を規定し、国際放送を命じることができるとしているが、個別事案への命令は、極めて異例。報道への介入との批判が出ている。
 総務省で命令書を受け取ったNHKの橋本元一会長は「これまで通り自主自律で番組編成する基本を貫く」と述べた。総務相は「拉致問題解決は内閣の最重要課題。救出を待つ拉致被害者に、日本の家族や政府が見捨てていないことを知らせ希望を持ってもらいたい」などとする談話を出した。
 個別事案への命令が報道の自由を脅かす懸念については、会見で「『命令でなく要請で十分』という指摘があるが、行政の裁量拡大につながりかねない。法律に決めたことだけやる、という姿勢を明確にするためにも命令の方がいい」とした。
2006年11月10日東京新聞


マスゴミも「相互の連携及び協力」の仲間に入ることになるでしょう。実を言えばマスゴミの低級な反社会的パフォーマンス、たとえば芸人の「いじめ」とかそういうものも、窮屈な世の中で一息つくところであるからして、危険なエサなんですけどね。今にそういう「有害」なものもなくなるでしょう。自殺の報道とかも自粛されるんじゃないですか。自殺は「卑怯」どころか最後の「抵抗」であるが故に許されないのです。

そんな「抵抗」は報道もされず、表立って語られることもなく、それでも人から人へと伝わってゆくでしょう。裏情報、事情通、都市伝説に語られる「抵抗」と挫折、残酷な弾圧。こいつには「共謀罪」がお役に立ちます。それはコミュニケーションそのものを犯罪として取り締まります。いかなる形式にせよ、国家の価値観にもとるコミュニケーションは、メッセージの担い手が姿を消すことによって断絶されます。

「エグゼンプション」な「ホワイトカラー」や、もとより低賃金で生きて行くためには死ぬ程働かなくてはいけない不安定雇用者など、増大する貧困層の間では「抵抗」のポテンシャルは強いものの、「不満」は「わがまま」であると教える「家庭教育」は、「不満」が「抵抗」につながることを防止します。「不満」そのものが自罰力となって「抵抗力」を弱めるようになればしめたものです。それを監視する「地域」の役割は極めて重要なものです。一方、「不満」を共有する「仲間」が実はスパイだった、という体験を「学校」のうちに積ませておくことも、後々取り返しのつかない「犯罪者」とならないために有益でしょう。「教育」が「犯罪」の芽を摘むのです。

このようにして「教育基本法」も「放送命令」も「共謀罪」も、目指すところは「ホワイトカラー・エグゼンプション」です。何だそりゃ?あるいは白でも青でもありとあらゆる襟の除外。「戦争」と言ってもいいでしょう。敵、味方、ヒエラルキーと命令/服従、そして死。労働とは別の手段をもってする戦争の継続に他ならず、戦争とは極端にまで押し進められた労働なのです。戦場でも職場でも、あなたの死は決して無駄にはなりません。連中はちゃんと今期の利益に計上してますから。勤労を重んずる態度を養いましょう。
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2006年11月11日

石器時代の安めぐみ

バカ殿は安倍家の家訓だかカックンだかなんだかそういうものに従って、「教育毀損」の完成に躍起です。他のことは目に入りません。それはもう傍らを全裸の安めぐみが通りかかったとしても、「お多福が来た」としか思わないくらいで、とにかくもう全然見境がありません。

教基法改正案、早期成立図る=「やらせ質問」とは別−安倍首相
 安倍晋三首相は10日夜、教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」問題が教育基本法改正案の審議に与える影響について「教育基本法とタウンミーティングは別の問題だ。教育改革を進めていく上でも、速やかに同法改正案の成立を図りたい」と述べ、早期成立を目指す方針を強調した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 これに関連し、塩崎恭久官房長官は記者会見で、調査が終わった教育改革以外のタウンミーティングについて「謙虚な気持ちで調査し、おかしなものは指摘してオープンにしたい。どういう経緯で(事前に)質問を渡したか当然調べる」と述べ、上司からの指示があったかなども含めて詳しく調査する方針を示した。
2006/11/10-21:26 時事


何が「別の問題」なのか、バカ殿以外の人には全く分かりません。「教育基本法」にかんする「タウンミーティング」だったはずですが。所信表明演説では「私は、国民との対話を何よりも重視します。メールマガジンやタウンミーティングの充実」をやるんだなどと言っていたようですが、「タウンミーティング」の実態が明らかになってみれば、なるほどそいつを「充実」させたいというのもごもっともな御意見であると思えなくもありません。しかしながらついこの間は「タウンミーティングの目的は、双方向での国民との対話。政策を説明し意見をうかがう機会だ。」なんてことも言っていたようです。

対話なんだそうでありますよ。「何よりも重視」しているんですって。世の中には「体話」などと言いたがるオヤジも少なくないくらい、「対話」には「相手」というものが欠かせません。「相手」のない「体話」は「オナニー」であり、「相手」のない「対話」は「ひとりごと」です。オヤジが「オナニー」をしている様子などは、あんまり見たいものではありません。「相手」のいる「体話」をしている場合には「相手」に対する興味というものが湧いてきますから、それは見たいかも知れませんけど。ところがバカ殿は「タウンミーティング」で、「オナニー」、いや違った、といってもそう大した違いはないのですが、「ひとりごと」をしていただけだったわけです。「みずからの考えを直接」自分自身に「語りかける」、それがバカ殿の「タウンミーティング」の様子でした。電車なんかにはよくいますよ、こういう人が。何かブツブツ言ってるかと思うと急に笑い出したりして。

バカ殿のような人は自分が何を考えていたのか分からなくなることが多いらしいので、時折「ひとりごと」を実践することは悪いことではありません。自分一人の時に隠れてやって下さい。しかしそれだけでは「国民に対する説明責任を十分に果たす」ということにはならないでしょう。なるほど確かに「別の問題」です。バカ殿の頭を補うためにバカ殿自身の考えを誰かが繰り返し言ってあげることと、バカ殿が他の人の意見を聞くということとは。問題は教育基本法に関して「他の人の意見を聞く」こと、バカ殿の言葉では「双方向での国民との対話」なんか全然やっていないということなんですが。「教育改革を進めていく」というのもバカ殿一族のカックンかも知れませんが、それは安倍家の問題であって他の家では他人の遺志を継ぐ義務は負っていません。バカ殿は「教育改革」についての国民の意見を、「何よりも重視」しなければならないのですが、まだそれを聞いてもいないのです。にも関わらず「速やかに同法改正案の成立を図りたい」などと言っているのは、やはり自分が言ったことをもう忘れてしまっているものと思われます。

政府は8回にわたる「教育改革タウンミーティング」でもって国民の声に耳を傾けて来たと称していますが、「賛成」意見が多いのは政府工作員の「神の手」になるのですから当然です。仕込み発言で「改正」賛成の「世論」を「掘り起こし」て得意になっていたものの、これは自分で埋めといた遺物を「発掘」して来たオッサンと同じだったのです。バカ殿はバレると開き直って「別の問題」だなどと言って闇雲に衆院を通過させようとしていますが、情けないことです。「教育基本法改正案」もどこかの遺跡に埋めてしまうのが適当でしょう。内容的には石器時代のものして十分通用しますので今度はバレません。
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2006年11月09日

仕事熱心な工作員のための注意書き

塩崎長官「行きすぎだ」  「仕事熱心で」と的場氏
 塩崎恭久官房長官は9日午後の記者会見で、政府主催の「教育改革タウンミーティング」で政府が教育基本法改正への賛成発言を依頼していた問題に関し「現場の行きすぎとはいえ遺憾だ。踏み外している」と述べる一方、質問案作成や発言依頼の狙いについては「議論活性化のため」と強調した。
 世論誘導ではないかとの見方には「決してどちらかの方向、(賛否の)一方に持っていくつもりはない。結果として(青森県八戸市での会合では依頼者とは別に)反対の人が2人いた」と反論した。
 これに先立ち的場順三官房副長官は同日午後の記者会見で「仕事熱心さのあまり、(タウンミーティングを)成功させたいということが少し先に出たのかなという気がする」と述べ、担当者に悪意はなかったとの認識を示した。
(共同)
(2006年11月09日 18時21分)


問題は「反対の人が2人いた」ことではなく、「やらせ」がなかったとしたら「賛成」の人が何人いるかということなんですが、この点については非常に心もとないものがあるわけで、反対意見続出、という事態も想定されます。実際に文部科学省としてはそのような事態を想定しており、これを避けるために「発言」を作成するわけです。官僚の立場としては「仕事熱心さのあまり、(タウンミーティングを)成功させたいということが少し先に出た」ということになるのかもしれませんが、ここでいうところの「仕事」とは大きく分けると

@事前に問題になっている政策が住民に支持されているかどうかを調べる。
A支持されていない場合は住民の意見を変えさせる工作を行なう。

この二つをきちんとやってなくてはいけません。例えば@で教育基本法の「改正」に賛成している住民が少ない事が分かれば、Aの工作に入ります。ほとんど全ての場合に工作が必要であると考えておいた方が良いと思います。「タウンミーティング」の場合は、賛成意見を「国民」の口を借りて数多く発言させるようにします。「数多く」というのは具体的に「過半数」のことで、八戸では予定された10名の発言者枠うちの7人を「仕込み」ました。それに釣られて賛成意見を言い出す人が現れたり、反対意見を言いにくいような雰囲気作りが出来ればしめたものです。実際に八戸では仕込みの他に2名の賛成意見を引き出す事に成功しました。「大多数の人が賛成している」と思わせる事が肝心です。国民の目をくらませて政府の政策をあくまで推進する事が「仕事」の醍醐味です。

それでは八戸の「教育改革タウンミーティング」での発言を例にとって、工作の実際と注意点を示します。

01)教育基本法案の教育目標の中に「我が国と郷土を愛し」とあるが、愛するのは当然であり、さらに「我が国、そして故郷を誇る」ような心を育てる施策を講じてほしい。幼児期の教育は大切であるが、幼稚園の教育はどのように変わるのだろうか。また、幼稚園の先生や保育園の保育士の力量を向上させるため、どのような研修が検討されているのか。(主婦)


会場からの最初の発言はその日のミーティングの雰囲気を決定し、後続する発言をリードする働きがありますので、仕込みを行なう場合は何よりも重要なポイントです。仕込みがまごまごしていたら挙手していなくても指名して発言させましょう。「愛国心」などとかく論議の元になる問題点については「当然」と言い切って他の発言を封じます。また、仕込みの大きな役割は政府が特に伝えたい項目に話を振ってもらうことです。ここでは自民党案で第11条に加えられた「幼児教育」についての質問を出させることによって、政府としてはより細かく説明が出来ました。このようにして政府側のペースでミーティングをすすめる事が重要です。

02)教育基本法案を読み、これを実行するのは自分たちだと思った。地域の教育については、自分たちで決めていかなければ責任は持てない。預ける親として、預かる社会の一員としての住民の意思が、地域の教育の組織に反映されるために、国はどう考えているのか。また、社会教育、生涯教育が軽んじられているようだが、大切な分野だと思う。(主婦・児童館館長・市社会教育委員)


こんな風に妙に「主体的」な意見を言わせるのもよくあることです。もっともこの人は「児童館館長・市社会教育委員」ですから、政府の手足となって「実行」するのは当たり前の事なんですが。他の人には普通の主婦に見えるでしょう。ここでは自民党案第13条の「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」についての説明が行なわれますが、仕込みの「自分たち」、「社会の一員」といった言葉遣いによって、「地域を通じた公権力の私生活領域への侵犯」という法案のねらいがスムーズに受け入れられる素地を作っています。

03)私の出身地の学校では、郷土芸能や郷土料理を学ぶなど、地元に根付いたカリキュラムが行われているにも関わらず、若年層の人口流出や、農業従事者の後継者不足が問題となっている。地元産業を活性化して、人口流出を止めるためにはどうすればよいか。こういったことも視野に入れた教育改革をしてほしい。(学生)


地方の人口流出の問題は深刻なものです。各県ともその場所に応じて様々な問題を抱えていますから、「教育改革」がそのような問題をも解決するものであるということを印象づけることが有効です。もっとも学校で「郷土芸能や郷土料理を学」んだりするのが「地元産業を活性化」することにつながるかどうかは怪しいものですが。誰が書いたんだこれ。

04)青少年犯罪などの社会的な諸問題は、現行の教育基本法を無視した学歴重視の教育や、国旗国歌を強制する政治が原因だと思う。全国学力テストの実施は、学歴社会を助長させるものではないか。現行の教育基本法を変える必要はなく、現行法を守るべきだと思う。(高校教員)


このように反対意見が出た場合、放っておくと同様な意見を持つ人が続々と手を挙げてきますので、そのような事がないようにしなければなりません。

05)法はそれぞれの分野で、時代に即して変えていくべきだと思う。私はPTAの役員を務めつつ、PTA改革を行っているが、現行の教育基本法も、見直すべきところは見直して、早急に変えてほしい。(建設業)


これは質問でもなく、具体的な意見でもありません。仕込みの二つ目の役割がこの反対意見潰しです。そのための要員の選定には注意を払って下さい。これには例えばコワモテの人を起用する事によってより効果を高める事が出来ます。あくまで議事の主導権を握り、早く終わらせて宴会に移ることを考えましょう。

06)教育の原点は家庭教育だと思うが、家庭の教育力は低下している。教育を安心と温もりある場にすることを国民全員が願い、知恵を出し合っていくべきだが、国の体制はどのようになっているのか。教育基本法案には、家庭教育の規定が追加されており、大変期待している。教育は、学校、家庭、地域がその役割を明確にし、いろいろな取り組みをしていかなければいけないが、詳しい政策があればお伺いしたい。(主婦)


反対意見がおとなしくなったところでミーティングは本筋に戻ります。これは自民党案第10条の「家庭教育」に賛意を表していますが、壇上からは第9条「教員」の項目の説明を行なってしまいました。事前の確認が甘いとこういうことが起こります。大勢の人のいる中での「やらせ」です。確認は何回繰り返しても「行き過ぎ」ということはありません。

07)いじめによる自殺や他殺など、少年犯罪が増えているが、これは命を軽視しすぎているからではないか。学力だけではなく、心や命の教育が大切だ。担任が一人では少ないので、「クラスカウンセラー」というような心を許せる先生が必要だと思う。(学生)


ワイドショー的な興味に引きずられたカモです。とはいっても「心の教育」というようなキーワードをふまえており、素人にしては優秀な素質を持っているといえるでしょう。工作員としてスカウトすることも考えられます。また、クラス単位で心理的操作の専門家を置くという発想は傾聴に値します。例えば「クラス担任」と「教科担任」を分離し、「クラス担任」を専ら心理的統制に当たらせることが出来るかも知れません。しかし予算的なことを考えると、地域の警察OBなどのボランティアを使うのが良いかも知れません。

08)人づくりの原点は教育である。早寝・早起き・朝ごはん、そして箸の持ち方や鉛筆の持ち方などが、学力向上につながっていくのであり、家庭、学校、地域で、当たり前のことを当たり前にできる教育が大切だと思う。また、中学校では部活ができなくなってきている。文部科学省の予算で総合型地域スポーツクラブを促進していたが、2年しか国の予算がつかないので、財政状況の厳しい地方では、続けていくことができない。これについてどうお考えか。(教育委員)


素人さんにお株を奪われた感がありますが、「早寝・早起き・朝ごはん」は文部科学省の主導により各地の「心の教育推進会議」等の形で、教育委員会と警察関係の緊密な連携のもと、いわゆる「プライバシー」領域への権力的介入を進める合い言葉として、全国で採用されているものであります。このような特殊用語を使用して仕込みであることが明らかになってしまうのは望ましいことではありません。ところでスポーツ活動も身体の規律訓練として、個人生活への介入の手段として大いに推奨すべきところですが、お金がないのでは困ります。例えば野球なども、5人とか6人で出来るようにルールを「改正」すれば、予算は少なくなるし、グランドも小さくてすむでしょう。また地域住民を強制参加させて会費を徴収する、払わない人には「法的手段」をとる、などの工夫をしてみることも必要でしょう。

09)現行の教育基本法では「人格の完成」を教育の目的としており、国際社会の人権宣言に取り入れられており、素晴らしいと思うので守っていくべきだ。国連から、過度な競争を社会現場に持ち込まないよう勧告を受けたが、政府のフォローができていない。昭和41年の人権宣言では、全世界は教育費の無償化に向けて努力することを掲げているが、日本は背を向けていると思う。(無職)


予算の問題は最もシリアスな話題です。しかしここ気を緩めてはいけません。また反対意見を許してしまいました。「国際」だの「人権」だのという、およそ日本には縁のない主張ですが、全く反対意見が出ないのも不自然ですから、適当な案配が求められるところです。先ほど予算の話が出たせいか、「教育費の無償化」なんてことまで言い出しました。こういう場合は登壇者のうち最も上位の方にテキトーに流して頂く事になりますが、大臣にそういう苦労をかけないのがミーティングの本来あるべき姿です。

10)学校の先生には、より良い授業を考えるための時間がなく、また人手不足のため、臨時免許で自分の専門外の科目を教えることもある。これらは、学校にゆとりがないからではないか。義務教育費が減ったが、日本が教育にかける費用は貧弱だと思う。また、学力向上も重要だが、心や生き方も教える必要がある。(中学校教員)


これは賛成意見なんでしょうか。「心や生き方も教える必要がある」とは言っているものの、現場の人手不足と教育予算の削減を嘆いています。本来ならばこの意見はなかったはずでした。現行法の「個人の尊厳」を否定する意見が用意されていたはずなのです。ところが当日は仕込みが何故か出席せず、このような発言を許してしまったのは遺憾なことです。今後はそのような場合は代理を立てるなどの迅速な対応が取れるように、周到な準備が必要です。

なお、このタウンミーティングについて内情を外部に漏らす者が出たのはご存知の通りです。連絡は密に、そして秘密に。情報漏洩者の処分については、当地の「心の教育推進委員会」の判断に任せます。火災予防運動期間中であることに留意のこと。例によって何があっても当局はいっさい関知しないからそのつもりで。成功を祈る。尚、このブログは自動的に消滅する。いつのことだか分からんけど。
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2006年11月07日

「戸塚小学校」なら横浜と川口にありますが

ヨットスクール訓練生水死で戸塚校長逆ギレ
 愛知県美浜町の戸塚ヨットスクール(戸塚宏校長、66)の男性訓練生(25)=新潟市=の遺体が10月、スクール近くの海上で見つかっていたことが6日、わかった。衣浦海上保安署と県警半田署の調べによると、死因は水死。外傷もなく、同保安署は自殺か事故と見ている。この日、都内で行われたトークイベントに出席した戸塚校長は、今回の件について「マスコミはオレに謝らせたいだけ」「実績は全然、発表せず、悪いところばかりあげつらって、成果を隠す」と逆ギレ気味に訴えた。
 トークイベントの席上、独自の教育論を展開していた戸塚氏が、今回の件を最初に報じた週刊誌について触れた瞬間、キレた。
 「マスコミはオレに謝らせたいだけ」。いきなり、今回の報道に対する怒りが爆発。さらに「マスコミは全然、うち(スクール)の実績を発表せんよ。悪いところだけあげつらって、成果を隠す」と猛批判を続けた。
 死亡した訓練生については「あの子も精神科に行ってさえなければ、助かることができたのに…。精神病院に行くと、ものすごく薬を飲ませ、症状がどんどん悪くなる」と、独自の理論を披露した。
 イベント後、戸塚校長は「(訓練生の死は)精神的なものからくる異常行動だと思っている」との見方を示し、「(訓練生は)薬は減らして、成果が上がっとったんだけども…。こういうことは、突然、起こりうるから」と続けた。
 スクールや半田署によると、訓練生は10月6日午後1時ごろ、ほかの訓練生やコーチ、父親と同県美浜町の図書館に学習に行った。だが、午後4時の集合時間に現れず、行方が分からなくなった。1人で抜け出したと見られる。
 父親が同7日、半田署に捜索願を出し、探していたが、同9日午後1時ごろ、地元の漁師がスクールから約3キロ離れた三河湾に、うつぶせ状態で浮いているのを発見した。衣浦海上保安署では「着衣などに乱れはなく、目立った外傷もなかった。自殺もしくは事故死の可能性が高い」と話している。
 スクールによると、訓練生は8月25日に入校。すでに、うつ病と診断されており、合宿所では父親とともに生活していた。
 スクールのヘッドコーチは「現在は体罰などはしていない。訓練生がスクールを出たがっていたのかは父親もスクールも聞いておらず、なぜ、抜け出したのかは分からない」としている。
2006年11月07日08時15分
スポーツ報知


戸塚氏は今までに何人の精神病患者を扱った事があるのか知りませんが、大した気炎であります。戸塚ヨットスクールもいつから精神病院になったのか、寡聞にして知りませんが、どうも戸塚氏独自の理論に基づいて服薬量を勝手に減らしていたようです。そのあげくに患者はどうやら海に飛び込んで死んでしまったというわけで、戸塚氏の治療方針は、どうも失敗に終わったようです。

そこへ行くとスクールのスタッフはまだまともです。常日頃から「脳幹」を鍛えているだけあって、自己保存「本能」の赴くままに責任逃れのコメントが滑らかに出てきます。

<戸塚ヨットスクール>25歳訓練生が水死 逃げ出した後で��[ 11月06日 03時00分 ]
�� 戸塚ヨットスクール(愛知県美浜町、戸塚宏校長)の訓練生の男性(25)が先月9日にスクールそばの知多湾で遺体で見つかっていたことが5日、分かった。衣浦海上保安署や県警半田署によると死因は水死。遺体に外傷はなく、同署などは事件性はないとみている。
 同署などによると、男性は先月6日午後2時ごろ行方が分からなくなり、翌7日に家族から捜索願が出された。9日午後1時ごろ、地元の漁師からの通報で遺体が見つかった。6日は海が荒れていたため午後1時ごろから、同スクールの訓練生は近くの図書館で学習。その間に、男性が1人で抜け出したらしい。精神的に不安定だったとの情報もあり、半田署は自殺と事故の両面で調べている。
 同スクールのコーチの男性は「訓練生が死亡したのは事実だが、うちが預かっている時ではなく(スクールから)逃げた後で死亡した。それ以上詳しいことは今は言えない」と話している。【樋岡徹也、加藤隆寛】
毎日新聞


最初に出て来たスクール側のコメントは、「逃げた後で死亡した」というものでした。逃げた後なんだからスクールの管理下にはない、したがってスクールには何の責任もない、誰がどこでくたばろうが知った事かよ。なかなかどうして、官僚はだしの「脳幹論」であります。

戸塚ヨットの男性訓練生が水死
先月上旬、図書館で行方不明に
 愛知県美浜町の戸塚ヨットスクール(戸塚宏校長)の男性訓練生(25)が10月上旬、行方が分からなくなり、同町内の知多湾で遺体で見つかったことが、分かった。衣浦海上保安署や半田署は、事件性がなく自殺か事故とみている。
 調べでは、男性は10月6日昼すぎ、コーチや他の訓練生、父親と一緒に美浜町の図書館に行き、帰りの集合時間に現れなかった。コーチらが捜したが見つからず、父親が翌日、半田署に捜索願を出したが、9日午後1時ごろ、海に浮いている男性を漁業者が見つけた。死因は水死だった。
 戸塚ヨットスクールの話では、男性は8月25日に入校。当初から精神が不安定で、父親が一緒に寝泊まりして訓練にも同行し、月に1度、病院で処方を受けていた。同スクールを支援する会中部事務局は「病気だと受け入れないが、今回はお父さんも一緒ということで特別な措置として受け入れた」と話している。
 同スクールでは1980年代初めに訓練生が2人死亡、2人が行方不明になる事件があった。傷害致死などの罪に問われた戸塚校長は今春、刑期を終え、現場に復帰。現在は11歳から35歳までの男性14人の訓練生がいる。
2006年11月6日中日新聞


その次には少々詳しい経緯が分かって参ります。この人は「当初から精神が不安定で、父親が一緒に寝泊まりして訓練にも同行し、月に1度、病院で処方を受けていた」という事であります。後の報道では「うつ病」の診断を受けていたことが分かってきますが、「病気だと受け入れないが、今回はお父さんも一緒ということで特別な措置として受け入れた」ということです。戸塚ヨットスクールが精神病院を始めたというのは僕と戸塚氏の勘違いだったようで、「病気だと受け入れない」んだそうです。病人を受け入れない病院というものはさすがに聞いた事がありません。しかしながら「お父さんも一緒」であれば受け入れてしまうのでした。金さえ払ってくれれば原則を曲げるのも臨機応変です。つまりこの青年の死は、少なくともスクール側からすれば予期されたものであるわけですが、そのような場合は「お父さん」が責任を負ってくれることが期待されています。本来なら「特別な措置」として受け入れた人に関しては特に注意を払っていなければならないところですが、何が起こっても父親のせいにしてしまえば良いのですから気楽なものです。とんだ脳幹野郎共であります。

これとよく似た事件が、1999年に成田のホテルでありました。高橋という人が、やはり独自の理論に基づいて独特の「治療」のあげく患者を死に至らしめたものですが、往生際の悪い事も戸塚氏と同様、ミイラ化した屍体を「生きている」と主張して他人の頭をペシペシ叩いていたものです。これがヨットの梶棒でなかったのがせめてもの救いですが、戸塚氏はホテルなどに迷惑をかける事なく、自前の施設内で殺害していたのは比較的立派なものだったと言えるかも知れませんが、今回は衣浦海上保安署や県警半田署のご厄介になったので残念ながら帳消しです。

もっとも父親もどうかと思いますが。25歳の人の父親ですからいくら何でも20歳以上だとは思いますが、いい歳こいた大人が「脳幹論」にころっといっちゃったのか、それともあろうことか石原慎太郎あたりを信用してしまったのでしょうか。多くの東京都民のように。石原氏によれば「脳幹には人間が人間として、いやいかなる動物も動物として生きて行くために不可欠なさまざまな働きを司る機能が備えられてい、生きるための基本的な衝動、恐怖とか歓喜、満足感、怒り、優しさ、忍耐といったやがては精神形成に繋がる、心の根源的な働きを培いコントロールする機能が収められている」んだそうです。そりゃ大脳基底核とか大脳辺縁系じゃないのかと思うのは素人の浅はかさ、戸塚氏や周辺の人間はその辺も含めておおざっぱに「脳幹」と称しているのかも知れません。なにしろ相手はめくるめく脳幹の世界に身も心もとらわれていらっしゃるので、どのような言葉の使い方をしているのか分かったものではありません。漢字がたった二つ、というのも、脳幹で生きている人たちにとっては理解の限界です。

というようりは、高橋弘二さんの「定説」と同様、「脳幹論」を含めて戸塚氏のやる事なす事いう事書く事全て自らが過去に犯した殺人を正当化するための苦しい言い訳なのです。そういうわけで今回のような「事故」の報道にも、誰も「謝れ」などと言わない先から「また責められる!」と思って敏感に反応します。彼の言うところの「脳幹」が反応するんでしょうか。もっとも脳幹がどこにあるのか知っているかどうかは知りませんが、彼の「脳幹」というのは、「本能」をちょっとだけ「科学的」風に根拠づけてみたまでの事です。「本能」というといかにも生物としての人類に普遍的なる何ものかっていう感じがしますけど、実際にはそんな「本能」なんてものはバカ亭主が浮気の言い訳に使う事にしか役に立たないんですが。ついでに言えば戸塚氏における「本能」というものに対する理解もバカ亭主にすら遥かに及ばないもので、なんとこれを人為的に「発生」させるんだとしています。

生得的な行動様式を「本能行動」と称すわけですが、「本能」なる実体を仮定する議論は浮気亭主がやっているだけです。あえて言えばそのような行動に駆り立てる力があると仮定してそれを「本能」と名づける事は可能ですが、その力の源を「脳幹」であるとする証拠は何もありませんし、生得的な行動様式が「脳幹」に書き込まれているということもありません。いずれにしてもこれは生得的なものであって、後天的に人為的にぶったり叩いたりしてひねり出すものではないのでした。

という事を大学の機械工学科で習わなかったのを幸い、戸塚氏は「本能」に立脚した究極的な立場から殺人を正当化できるもんだと思っています。あるいは思い込もうとしてます。よっぽどのアレじゃない限り自分でも信じてはいないでしょうけど、よっぽどのアレかも知れません。世の中、アレが多くて疲れます。たとえばバカ殿は「教育再生」とか言って教育基本法を「教育毀損法」に「潰制」しようとしているわけですが、これは元来戸塚氏の著書の題名であります。「戸塚ヨットスクールを支援する会」のHPのタイトルでもあるようです。多分石原慎太郎あたりの考案したキャッチフレーズでしょう。国民の皆さんは殺されるにしても納得できる理由が欲しいかも知れません。たとえば「国のため」とか。しかし残念ながら諸君は疑似科学的な妄想による甘ったれた自己正当化によって殺されたりするのでした。
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2006年11月05日

平成18年秋期全国火災予防運動の実施について(放火予防に関するシンポジウムの開催のお知らせ)

炬燵でお鍋がおいしい季節になって参りました。消防庁からのお知らせです。

さて、本年度も恒例の秋季全国火災予防運動を平成18年11月9日から11月15日までの7日間にわたり、別添「平成18年秋季全国火災予防運動実施要綱」に基づき、実施することといたします。
本運動の展開に当たっては、地域の安全と住民生活の安心・安全の確保が強く求められていることから、地域単位で住民が一体となって安心・安全な地域づくりが広く行われるよう、周知・啓発を進める必要があります。
特に、昨年、住宅火災による死者数が1220人に急増し、過去最悪の事態を迎えたこと及び今後の更なる増加を懸念し、6月1日の住宅用火災警報器の設置義務付けのスタートに併せ、総務大臣により「住宅防火推進宣言」が行われました。このことから、住宅防火対策については、同宣言を踏まえ、より幅広く、かつ積極的に推進することとしています。
また、放火火災防止対策については、昨年、放火火災件数が前年に比べ985件(12.0%)減少しているものの、依然として平成9年以来連続の出火原因の第1位となっていることから、引き続き「放火火災防止対策戦略プラン」の活用等により、放火火災の防止対策をより一層積極的に推進することとしています。
特に本年8月の山形県鶴岡市の加藤紘一氏実家及び事務所の火災等を踏まえ、政治的な言論弾圧に関わる火災に関しては、「共謀罪」や教育基本法「改正」をめぐる国会審議の経過等にも十分に注意を払った、総合的な防火安全対策の徹底を図ることとしています。


そんなわけで関連行事、だと思いますが、ご案内です。

弁護士会主催シンポジウム
■■パネルディスカッション・「もの言う自由は今」■■
〜言論に対する暴力に抗議する集会〜
  加藤紘一氏の山形県鶴岡市の実家と事務所が全焼した事件は、報道に拠れば、 加藤氏が小泉元首相の靖国参拝反対の意見表明をしていたことに対する 「言論封じ」 をねらった犯行とのことです。 自由な言論を暴力で封じようとするこの種の行為は、民主主義を封殺しようとするもので、決して許されません。
  日頃からこの問題に熱心に取り組んでこられた鳥越俊太郎氏と佐高信氏、放火の被害に遭われた加藤紘一氏をお招きし、 暴力による言論封殺の現状と、問題点を明らかにし、これからどのようにしたらよいかを考える機会にしたいと思います。
  皆様奮ってご参加ください。

【日  時】 2006年(平成18年) 11月10日(金) 開場:午後 6:00 開始:午後 6:30
【場  所】 ニッショーホール(日本消防会館)
      (港区虎ノ門2-9-16) TEL:03-3503-1486
【パネリスト】
 ●加藤 紘一 氏(かとうこういち。衆議院議員)
 ●佐高  信 氏(さたかまこと。経済評論家)
 ●鳥越 俊太郎 氏(とりごえしゅんたろう。ジャーナリスト)
【参 加 費】 無料 ※どなたでもご参加頂けます
【事前申込】 不要
【主  催】 第二東京弁護士会
【共  催】 (予定) 日本弁護士連合会・東京弁護士会・第一東京弁護士会・
【お問い合せ先】
  第二東京弁護士会司法調査課 宇井・佐藤 (TEL:03-3581-2259)


会場は虎ノ門の日本消防会館です。これは冗談ではありません。この施設を運営する日本消防協会の会長は片山虎之助ですが、靖国参拝に関しては意見を異にする片山氏にしても、これは防災問題として見過ごせない側面を持っています。政治的対立が火災を引き起こすような事があれば日本中火の海です。靖国神社を火災から守ろうではありませんか。
http://worstblog.seesaa.net/archives/20060110.html
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バカ殿、自己と対話する

文書1
ファクシミリ送信票 三八教育事務所
送信先 ■■■■■中学校 ■■■■校長殿
発信者  三八教育事務所
発信内容 タウンミーティングの質問のお願い
連絡事項 
いつも大変お世話になっています。
多忙の所、誠に申し訳ありませんが、御協力をお願いします。
当日に、Aの質問をお願いします。
質問者のお名前をお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたします。
タウンミーティング八戸質問項目案
@ 現在の教育基本法もすばらしいものだと思いますが、情報化、核家族化、価値観の多様化など、これだけ社会情勢が目まぐるしく変化している中で、やはり、時代に対応すべく、教育の根本となる教育基本法は見直すべきだと思います。まずは、早く教育基本法を改正して、それから、しっかりと腰を据えて教育改革に取り組むべきだと思います。大臣のご説明では、教育基本法を改正した後、教育振興基本計画を策定するということでありました。子どもたちは日々、成長しています。子どもたちの未来のために、我々大人の責任として、子どもたちに最善の教育が与えられるよう、社会全体で取り組んでいかなければないけないと強く感じています。
A 教育基本法の改正案について、「人格の完成」を目指すのはもちろんですが、「公共の精神」や「社会の形成者」など社会の一員としてという視点が重視されていることに強く共感しています。個の尊重が「わがまま勝手」と誤って考えられているのではないかという気がしてなりません。教育基本法の改正を一つのきっかけとして、もう一度教育のあり方を見直し、みんなで支えあって生きていく社会、思いやりのある社会の実現を目指していくべきだと思います。
B 教育の原点はやはり家庭教育だと思います。残念なことに、親が親になりきれていない状況も目に付きます。教育をめぐる現在の様々な問題は、その多くが家庭教育に原因があるのではないかと思います。先ほどの大臣のご説明にあったように、新しい教育基本法に「家庭教育」の規定が追加されることは本当に大事なことだと思います。まずは、親がその責任をしっかりと自覚すべきだと思います。また、学校、家庭、地域が連携・協力することも重要です。教育は学校だけではできません。学校ばかりに責任を押し付けたり、人任せにしたりせず、みんながしっかりと自分の役割を果たして、みんなで子どもを育てていくという認識を共有することが必要だと思います。


文書2
FAX送信票   
平成18年9月1日
受信者 ■■■■中学校■■■■殿
発信者 青森県教育庁教育政策課
    情報広報グループ
通信欄
いつもお世話になっております。
「タウンミーティング」に係る依頼発言について
別紙のとおりお願いがありますので、御協力くださるようお願いします。
■■■■中学校■■■■校長殿
いつも大変お世話になっております。
このたびは、タウンミーティング開催にあたって発言者を選んでいただき誠にありがとうございます。
さて、文部科学省(内閣府経由)での依頼発言者について、内閣府から以下のとおり発言の仕方について注意がありましたので、発言を引き受けてくださったPTA会長さんにお伝えいただきたいと思います。
○依頼発言についての注意事項について
・できるだけ趣旨を踏まえて、自分の言葉で。(せりふの棒読みは避けてください)
・(発言していただく内容は別紙のとおりで、Aについてです)
・「お願いされて・・・」とか「依頼されて・・・」というのは言わないで下さい。(あくまで自分の意見を言っている、という感じで)
 また、当日の受付で本人を確認し、文科省依頼の発言者については文科省の担当者が後を追っていき、座席の位置を確認します。
 なお、■■■■さんは『文科省依頼』に該当していますので、よろしくお願いいたします。
担当:青森県教育庁教育政策課
    情報広報グループ


しかしこれは「質問」なんかではないではないですか。いうなれば補足意見であり、「教育基本法の改正」の説明に来た連中に向かってわざわざこういうことを言うのはそもそもオカシイ。内容からして政府側が言うべきことであるのは、ヤラセなんですから仕方ありませんが、それを「質問」の形式にアレンジして自然に発言させる、というような工夫もされていません。自分の言いたいことだけダラダラと垂れ流した低能の文書です。

しかし、もしかするとこれは「会場からの発言」が「改正」反対に傾いて来た場合に軌道修正を計るために用意されたものではないでしょうか。司会役がブロックサインをするとか、何らかのキーワードを言うとあらかじめ決定されていた人が手を挙げることになっているとか。

例えば「議事要旨」によれば、「現行の教育基本法を変える必要はなく、現行法を守るべきだと思う」という「高校教員」の発言があり、それに対して小坂、梶田、細川の各氏のコメントがついた後で、「建設業」の方による発言があります。
http://www8.cao.go.jp/town/hachinohe180902/youshi.html

法はそれぞれの分野で、時代に即して変えていくべきだと思う。私はPTAの役員を務めつつ、PTA改革を行っているが、現行の教育基本法も、見直すべきところは見直して、早急に変えてほしい。


これは、@の「まずは、早く教育基本法を改正して、それから、しっかりと腰を据えて教育改革」という、議論は良いからとにかく早く「改正」しちまえ、との「趣旨を踏まえて」、多分この人は性急でそそっかしい人ですが「自分の言葉で」、だいぶ端折った発言になってしまっていますが、政府の意向を汲み取り、「PTAの役員」としての自慢も織り込んで自己流にアレンジした模範的な演技だといえるでしょう。

ところで「文書1」で校長さんに依頼されたのはAの内容を喋ることでした。校長さんはPTA会長さんに「文書1」を見せてお願いし、快く引き受けてもらったので安心して三八教育事務所にそのことを知らせたのでしょう。ところがPTA会長さんは当日駐車場が明いてなかったので帰ってしまったそうです。人にものを頼まれておきながらいい加減な奴です。「公共の精神」はどうした。てゆうか主催者側としては仕込みの人の駐車スペースくらい確保しておくのが普通です。会場の八戸プラザホテル側の対応も問題になるでしょう。

一方、@やBについてはまた別の方面にファックスが流れていたものと考えられます。おそらく別の学校の校長経由でしょう。早く来たので駐車場が明いていたのか、近いので歩いて来たのか分かりませんが、この二人はちゃんと来ました。Bの人は緊張します。サインが出たら発言しないといけない。しかしこの人はAの人が来ていない事を知らされていません。ですからサインがあった場合も、それがAに対するものなのか、自分に向けたものなのか、間違えないようにしなければならないのです。初めてのハワイ旅行のようにドキドキです。

会場では、政府に反対するような発言をすると次の人が政府をフォローする意見を言う様を見てしーんとしてしまいました。なんだ、そーゆーことだったのか。しかも政府側に立った発言者が「建設業」の方だったので、おっかなくてもう何も言えません。しらけ切った会場のムードに気圧されて、Bの人にサインが出ます。ドキマギするのでも一度サイン。この人は「主婦」、「父兄」ではない「主婦」です。これは学校経由ではないでしょうな。町内会とか、某宗教団体とかの線でしょう。この「主婦」、「人妻」とも言うようですが、この人妻はちょっとあがり症で、しかも先ほどからの緊張の連続ですから、人前に出ると自分が言うつもりもないことまで言ってしまいます。そうやって愛欲の泥沼に引きづり込まれてゆくのですが、それはまた他日の話。

教育の原点は家庭教育だと思うが、家庭の教育力は低下している。教育を安心と温もりある場にすることを国民全員が願い、知恵を出し合っていくべきだが、国の体制はどのようになっているのか。教育基本法案には、家庭教育の規定が追加されており、大変期待している。教育は、学校、家庭、地域がその役割を明確にし、いろいろな取り組みをしていかなければいけないが、詳しい政策があればお伺いしたい。


Bの「新しい教育基本法に「家庭教育」の規定が追加されることは本当に大事なことだと思います」「みんながしっかりと自分の役割を果たして」という文章との表現の相似は明らかですが、この人妻は「自分の言葉で」発言を質問形式に変換してしまったために、政府側が準備していない事柄について問いただしてしまいました。つまり「家庭教育」についての「国の体制」、「詳しい政策」はどうなっておるのか。

この友軍からの誤爆に対して、梶田氏は教師の育成と首切りについて、細川氏は教師の給料について喋って対応しています。「家庭」や「地域」の話は出ても来ません。わずかに小坂氏が「家庭教育手帳」や「子育てサポートリーダー」の話をするのみで、答えになっていません。

実は「家庭」や「地域」は、先ず第一にはこれを責任の持って行き場として設定しておくのが「改正」の趣旨です。「国」が「国民」に対して責任を負う現行法の精神から、「家庭」や「地域」が「国」に対して責任を負う体制へ。ですから逆に言えば「国」が「家庭」や「地域」にやってあげる事など一つもないのです。聞かれても困るんです。「改正」の第二の趣旨は、「教育行政」を通じた国民の統制のために「地域」や「家庭」を利用するための道筋を開く、ということですが、この場合も「地域」や「家庭」には「行政」に対する責任が生じる一方、「国」による「地域」「家庭」への様々な介入が考えられますが、これとて「地域」や「家庭」のためにやるものではなく、碌なものは一つもありません。そんな事こんなとこで言わせるつもりか。てめーおぼえていやがれ思いっきり責めさいなんでくれるわ。

この失策によりこの人妻が後でどんな経験をすることになったか、考えるだけで興奮しますが、今は頭の中は真っ白です。目はうつろ、口からはよだれが糸を引いています。それにAのPTA会長さんがばっくれたこともあります。@の発言も政府の意を尽くしたとは言い難く、おめえの「PTA改革」なんてどうでもいいんだよ。どうも素人さんの仕込みは難しいですね。このように「ヤラセ依頼文書」と「議事要旨」を読み比べる事によって、お役人の苦労が忍ばれるわけですが、次からは仕込みの人が車で来るのかどうか事前に確認するようになるでしょう。

ところで当時内閣官房長官として贋の「世論」を演出した詐欺的「タウンミーティング」の首謀者であるバカ殿は、このような「ヤラセ」の事実が外部に漏れた事によって、ますます現場の統制を強める「教育改革」の「必要性」を再認識したはずです。バカ殿は「タウンミーティングは国民との対話の場であり、そうした誤解があってはならないと(内閣府側に)注意した」そうですが、やったのは自分です。「誤解」というのは誤解です。「タウンミーティング」を正しく理解したのは内閣府であり、自分で自分に質問し、自分で自分に注意する、まるでナルキッソスのように、あのツラで鏡とお話するのがバカ殿流です。そういうのを世間では「独裁」といっていますが、死んだら水洗トイレの肉便器にでも生まれかわるのがお似合いです。
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2006年11月04日

「教育格差」はこれで解決!(足立区だけ)

竹ノ塚には踏切保安係が自己判断で遮断機を上げない限り通行できない開かずの踏切があったばかりではなく、狭苦しい駅前広場のどん詰まりにはバスのターンテーブルがあります。金八先生が女の子を腐ったミカンと一緒にドラム缶に詰め込んでいる、そんな足立区が(どんな足立区だ)僕は好きです。

学力テストで予算に差 足立区教委、小中学校4ランクに
2006年11月04日08時01分
 東京都足立区教委は、区立小中学校に配分する07年度予算で、都と区の教委がそれぞれ実施している学力テストの成績に応じて各校の予算枠に差をつける方針を固めた。小学校計72校、中学校計37校をそれぞれ4段階にランク分けし、最上位は約500万(中学)〜約400万円(小学)、最下位は約200万円にする予定。都のテストで同区が低迷していることなどから、学校間競争をさらに促す必要があると判断した。
 区教委によると、差をつけるのは各校の自主的な取り組みを支援する「特色づくり予算」の金額。各校の申請をもとに配分し、外国人講師や補習指導ボランティアの派遣費用などに使われている。07年度は前年度比約1億5000万円増の約4億1000万円を予定している。
 ランクづけの大きな根拠は、年1回実施される都の学力テスト(小5と中2の全員が対象)と区のテスト(小2以上の全学年全員が対象)。都テストで、各校の平均正答率が、都平均と区平均以上の科目がそれぞれいくつあるか▽区テストの成績が前年度からどれだけ伸びたか――などの項目を設けて査定する。
 これらの成績と校長からのヒアリング結果を8対2の比率で数値化し、各校の「実績」とする。満点は小学校が165点、中学校が170点で、上位から順にA(全体の1割)、B(同2割)、C(同3割)、D(同4割)のランクに区分けする。
 予算枠はAランクの中学校で約500万円、小学校で約400万円。B、Cと減らし、Dランクは小中学校ともに約200万円にする。各校が「特色づくり予算」について申請すると、ランクの枠内で認める。
 教材費や光熱費など学校運営の必要経費は、従来通り児童・生徒数やクラス数などの「基礎数」に応じて配分する。これまで中学校は1校あたり平均で約1000万円、小学校は約850万円を配分してきた。07年度はこの経費にむだがないかどうかを厳しく精査して圧縮し、「特色づくり予算」の増額分に振り分ける方針だ。
 同区は02年度に区全域の小中学校で学校選択制を導入。都と区のテスト結果については、教科別まで各校の平均正答率をホームページなどで公表している。人気中学校の多くが学力テストの平均点が高い傾向がある。今回のランクづけは公表しない。
 04年2月に初めて実施された都のテストで、同区の成績は23区中23位だった。今年1月の都のテストでは中学校は22位、小学校は21位と順位を上げた。
 内藤博道・区教育長は「頑張った学校に報い、校長と教員の意欲を高めることが、区全体の基礎基本の学力向上につながる。これまでも希望に応じて非常勤講師を追加配置するなどの対策をとっており、成績のよい学校ばかり優遇するわけではない」と話している。
 文部科学省の担当者は「学力テストの結果を予算に反映する例は聞いたことがない」と話している。
asahi.com


なるほど、大人がこんなんじゃ餓鬼の成績が悪いのも当然です。「学力」は遺伝するのかどうか知りませんが、バカは確実に遺伝するようです。足立区では餓鬼を「学力」の高い学校に行かせたがる親が多いそうですが、周りの人の「学力」が高いと自分のバカ餓鬼の「学力」も上がると思っているんでしょうかね。学校の中で下位になるだけに終わるんじゃないですか。もっとも周囲の環境に触発されて少しは勉強に熱を上げてくれるようになるのかも知れませんが、足立区全体がバカ環境に浸されているようですから無駄なあがきでしょう。

何がバカといって、足立区では最新のテストの結果では都内最下位ではないわけです。そもそも比較順位なんてものは隣接する3ランクか4ランクの間というものはかなり流動的でして、「最下位」なんてことにほとんど意味はないんですが、これにこだわっておかしなことをしでかすから足立区といえば「最下位」という固定観念が定着してしまうことになります。そのうち「低学力」の餓鬼ってのはどんな顔してんだろう、鼻垂らしてんだべ、ということで見物人がどっと押し寄せ、足立区は観光で豊かになり、駅前商店街は活気に満ち、テストの点の良い奴は「郷土愛」に欠ける不届き者として廊下に立たされます。

ところで東京都の学力テストは、「児童・生徒の学力向上を図るための調査」というそうで、目的はあくまで「児童・生徒の学力向上」であって商店街の振興ではありません。ですから本当はテストの成績が悪い人の「学力」を向上させるようにしなければなりません。そこで予算はテストの点が低い餓鬼の集まっているところに傾注するのが当然なんじゃないかと思うんですが、バカな足立区教委は必要なところの予算を取り上げていらないところにあげてしまおうとしています。そしてそれは「頑張った学校に報い、校長と教員の意欲を高める」ことに使われるんだそうです。つまりこれは餓鬼の教育のための予算ではなく、教員への報償として考えられています。特別手当を支給するのか、宴会でもするのか分かりませんが、なんだか楽しそうでもあります。

しかし、中には餓鬼共の「学力」について真剣に考え、何とか向上させたいと考えているまじめな教員もいることでしょう。補修とかもしたい。でもそれには予算が必要だ、というわけで、「学力」の低い学校の先生たちは足立区の中では唯一、頭を使って考える必要のある人々です。「学力」をあげるための予算の獲得には既に「学力」が上がっていることが必要であるというこの矛盾した状況の中で、はやり有効なのは「学力」とは無関係にテストの点数を上げることであります。僕は何も「学力」と「テストの得点」が無関係だと言っているわけではありません。それどころか「テストの得点」を指標として「調査」される「学力」とは、端的に「得点力」に他なりません。僕が言っているのは餓鬼の「得点力」が低ければ先生が得点を上げるしかないじゃないの、というくらいの軽い意味です。

軽い?しかし思いのほか面倒なことではないか。広島県では昨年、小学校長がテストの答案を書き換えていましたが、35箇所しか訂正できていません。その動機は「学校を良く見てもらいたかった」という、ある意味では暢気なものでしたが、足立区では予算獲得をめぐる真剣勝負であります。とはいうものの、事後の書き換えでは筆跡が違うし、効率的ではありません。そこで「模範解答」を作成して書き写させることが考えられますが、テスト問題というのはおそらく事前に知らされるものではないと思われますので、ここが思案のしどころです。試験が開始されテスト問題が配布されれば、教員には正答が直ちに分かる(そう願いたいものですが)わけですから、机間巡視の合間にでも誤答を指摘して正答を教えてあげるとか、黒板に書いてしまうとか、掛け図を用意して誰かが来たら巻き上げてしまうとか、口頭で発表するとか、色んなことが出来そうです。それにそういうことをしてあげても間違ったことを書いてくれる餓鬼というものは意外に多いものですから、バレる心配はないでしょう。

もちろん1校でそういうことをするなら他の学校もやらなければ損です。いや、「こういうことをしている学校があるみたいだよ」という噂だけでほとんどの学校がやるようになります。「うちはそんなことしないぞ」と頑張っていた校長さんも、予算配分の状況を見て翌年には柔軟になるでしょう。このようにして足立区の小中学校は全てAランク入り、懸案の「教育格差」は一挙に解消です。さすがは足立区教委、バカとはさみは使いようでキレます。
posted by 珍風 at 10:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

教育毀損の60年

教育委員会の見直し論相次ぐ いじめ苦自殺が発端に
 地方自治体の教育委員会のあり方を見直すよう求める発言が24日、閣僚らから相次いだ。北海道滝川市、福岡県筑前町で児童、生徒がいじめを苦に自殺した事件が発端だ。民主党の小沢一郎代表も教委の見直しを提唱し、国会でも教育改革の焦点の1つに浮上しそうだ。
 佐田玄一郎規制改革担当相は記者会見で「教委の責任がまったく明確化されていない。国が指導、監督していくことが大事だ」と指摘。具体的には(1)教委の責任明確化(2)教育委員選定における国の関与強化(3)教員の職制導入−を提起した。
 学校から連絡を受けた教委が文科省に報告する際、自殺原因を特定せず「その他」に分類する例は約6割にも上る。平成11〜17年度は、いじめを苦にした自殺の件数は「ゼロ」で、滝川市のケースも当初、市教委が事件を封印していた。このため、閣僚からは「教委には、問題があったら身内をかばう人もいる」(高市早苗沖縄・北方担当相)、「自分を悪く思われては困るとかそういうのがあるのだろう」(伊吹文明文科相)などの批判が出ている。
(10/24 23:56)
産経Net View

教育委員会の監督機能強化を検討・政府
 政府は地方自治体ごとに設置している教育委員会の監督機能を強化する方向で検討に入る。教育再生会議(首相の諮問機関)で教育委員の人選のあり方など運用改善を中心に具体策をまとめ、教委が問題発生時に対応できる態勢を早急に整える方針だ。安倍晋三首相の意向を踏まえたもので、規制改革・民間開放推進会議が論議してきた自治体に課した教委設置義務の撤廃問題は当面棚上げする。
 教委の機能強化は、高校必修科目の履修漏れやいじめによる相次ぐ子供の自殺事件などを受けた措置だ。 (07:01)
Nikkei Net2006年10月28日

履修漏れの責任、教育委員会にも・官房長官
 塩崎恭久官房長官は30日午前の記者会見で、高校必修科目の履修漏れ問題について「未履修があった高校は教育委員会に正しい報告をしていないケースが大半だった。教育委員会と地域の問題もある」と述べ、高校と教育委員会の責任が問われるとの認識を示した。そのうえで「教育全般に責任を負う文部科学省も、今後どういう責任があるか考えていくべきだ」と述べ、文科省を含め履修問題の責任を検討していくべきだと強調した。 (14:02)
Nikkei Net2006年10月31日


ここんとこ何かと評判の悪い「教育委員会」ですが、バカ殿の「教育再生」とやらの主要なターゲットのひとつはこれですな。とはいうもののこの教育委員会というやつ、バカ殿のみならずバカ殿の諸先輩が目の敵にしていたもんのひとつなのでした。

教育委員会の設置は1948年の「教育委員会法」によります。当時は教育委員というのは公選だったのですが、教育行政に民意が反映されることを恐れる人々は躍起になって潰しにかかります。実は自由民主党が1955年にでっち上げられて、まずやったことがこの教育委員会の「改革」なのです。つまりバカ殿の「教育再生」は自民党が50年やってきて何の成果もあがらないばかりか、かえって悪くなる一方であるような失敗した事業の継承であるということになります。失敗しているのが明らかなものを何の芸もなくそのまま引き継いで澄まし込んでいるあたり、バカ殿の面目躍如たるものがありますが、それをさも新しげに21世紀だとかナントカ言うところはまさに50年代はAIP社のSF映画を観る思いであります。

「教育委員会法」は1956年に早くも廃止されて、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」にとって替わられました。委員の公選制はもちろん廃止です。廃止の理由は投票率が低いとか、地方自治体の首長の政治的ライバルが委員になっちゃうので困る、といったことでしたが、本当のところは日教組の影響力の排除です。投票率が低いから公選制廃止なんてことになったら今の選挙は大抵成り立ちません。一方、教師の労働組合がその組織力を活用して民意を反映した政策を掲げて来た場合、「教育」という限定された領域においてはかなり強いのではないか。鬼畜米国の傀儡政党が危機感を抱いたのも当然であります。

そこで教育委員は首長から任命されることになったわけですが、心身の故障や著しい非行があった場合などを除き罷免されるなんてことはありません。もっとも住民(選挙権者)は解職請求をすることが出来ることになっていますが、「その総数の3分の1以上の者の連署」を集めなければならないという、これは「地方自治法」で議会の解散や議員の解職を請求する時と同様の規定ですが、現実問題としてちょっと難しそうです。そういうわけで現状では教育委員会は任命してくれる地方公共団体の長に対して「責任」を負うことになります。てゆうか、そもそも首長が任命するものが意見の対立や議論のあるはずもなく、何をやっているのか分からないシロモノになってしまうのは当然で、自民党としてはめでたく教育委員会を事実上廃止してしまったようなものです。

今日の「教育委員会の形骸化」は、戦後になって導入された教育行政の民主化のための制度を殺してしまった結果なんでした。ですから今になって急に

教委と学校の機能に問題
2006/10/31 12:26
 塩崎恭久官房長官は31日の衆院教育基本法特別委員会で、いじめを苦にした自殺が各地で相次いでいる問題に関連し「教育委員会の使命が果たされていたのか、学校現場でのガバナンス(統治)が利いていたのか非常に心配だ。機能が十分果たされていない」と述べ、学校や教育委員会の対応を批判した。
 官房長官は「実際には教育再生会議でこれから議論することになる」と指摘し、具体的な検討は政府の「教育再生会議」に委ねる考えを示した。
 伊吹文明文部科学相は、東京都教育委員会が教職員に国旗国歌を強制したのは違憲とした9月の東京地裁判決に関連し「学習指導要領は法律の一部であり、これに従って学校現場の管理指導をするのは当然だ」と述べ、教職員には入学式や卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱をする職務上の義務があるとの認識を示した。
 民主党案の提出者である藤村修氏も答弁に立ち「公立の小中高校での国旗掲揚、国歌斉唱について、当然のことながら教職員は従う必要がある」と述べた。
 自民党の稲田朋美氏への答弁。
神戸新聞


なんて言われたって困るんだな。困るんだけども、自分たちで殺したものを、ある嵐の夜に雷の力によって蘇らせるのが「教育再生」というわけで、なかなか皮肉が利いていることは確かですが、これはもはや住民の意思を反映して合議によって教育行政を行なうのではなく、たとえ違憲立法であっても「法律に従って」、「学校現場でのガバナンス(統治)を利」かせるための操り人形であり、屍体を利用したロボットであるところのロボコップみたいなもんですな。教育委員会はベビーフードを食べて官邸の言いなりになることが期待されています。

ところで「ロボコップ」が面白くなるのは、彼が生前の記憶を取り戻してからの展開であり、映画は彼が生前の自分の名を名乗るところで大いに盛り上がって終わります。教育委員会はその「生前の記憶」を思い出して自分の名前を取り戻すことがあるんでしょうか?例えばこういう記憶があります。廃止された「教育委員会法」の第1条には、その目的が明記されていました。

(この法律の目的)
第1条 この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。


これは「教育基本法」の次の条文に基づき、そこから直接引用されています。

(教育行政)
第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。


バカ殿の「教育毀損法」ではこの条文を著しく損壊していることは言うまでもありません。

(教育行政)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。


「国民全体に対し直接に責任を負って行なわれる」ものから「この法律及び他の(違憲立法を含む)法律の定めるところにより行なわれる」ものへ、このリーガンの首みたいな180度の転換は、60年前にもう行なわれていたのでした。自民党はすでにその発足当時から「教育基本法」を勝手に改変してしまっていたのです。おかげでこの体たらくですが、この現状を利用して更に体たらくを促進しようというんですから、まるでうんこを食べさせられている人や性病をうつし合うカップルのようです。例えが悪いな。最適な例示は、退薬症状を抑えるために酒に手を出すアル中なんですが。「アル・カポネみたいでステキな中川さん」のことではないカモーネ。
posted by 珍風 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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