2007年03月31日

死人に口無し

強制される前から自ら進んで行なうことには大した意味はありません。それは個人の趣味の問題でしかありません。国家にとっては、国民が強制されたことに従うことにこそ意味があります。それが常態になってしまうと、お互いに強制が強制だと感じられなくなってくるんですが、そんな「平和」な、自動化された強制と服従が何の軋轢もなく油を塗ったケツの穴のように調子良く作用するのが「美しい国」です。強制はもちろん人の嫌がること、例えば大きな血痕がしみ込んだシーツを拝んだり、売春婦の台詞に気の滅入る曲をつけた歌をを歌ったりすることなんかをムリヤリやらせるから面白くてやめられませんが、人が一番嫌がることって、概ね、人によるかもしれませんが、死ぬことでしょう。

沖縄戦集団自決「強制」記述に修正意見 教科書検定

 文部科学省は30日、06年度の教科書検定結果を公表した。地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって「日本軍に強いられた」との記述に修正を求める検定意見が初めてついた。今回も、イラク戦争や靖国参拝などについて、政府見解に沿う記載を求める傾向が続いた。
 今回の対象は、高校中学年(主に2、3年で使用)の教科書。224点が申請され、検定意見を受けて各出版社が修正したうえで222点が合格。不合格の2点は、いずれも生物2だった。
 地歴公民のうち日本史では、沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてが「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘され、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。日本史の教科書は昨年も申請できたが、その際にはこうした意見はつかなかった。
 文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する。昨年合格した出版社には、判断が変わった旨は知らせるが、すぐに修正を求めることはしない方針だ。
 地歴公民では、他にも時事問題で政府見解に沿った意見が付いた。その結果、イラク戦争では、「米英軍のイラク侵攻」が「イラク攻撃」に、自衛隊が派遣された時期は「戦時中」から「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづく」に変わった。首相の靖国参拝をめぐる裁判では、「合憲とする判決はない」という記述に「私的参拝と区別する必要がある」と意見がつき、「公式参拝を合憲とする判決はない」となった。
 南京大虐殺では今回も、「犠牲者数について、諸説を十分に配慮していない」との意見が日本史5点についた。一方、政治・外交問題となり、中学の教科書からはなくなった「従軍慰安婦」(「慰安婦」「慰安施設」を含む)の問題は16点で取りあげられたが、意見は一つもつかなかった。

2007年3月30日 asahi.com


「集団自決」というのは「集団自殺」のことですから、別にここで集団的な自己決定が行なわれたとかいうわけではありません。また、沖縄の「集団自決」においては自死どころか殺し合いが行なわれたようなのですから、「自殺」というのも正確ではありません。「ある集団の殲滅がその集団自身にゆだねられた」というところでしょう。なかなか考えにくい事例です。通常であれば、殲滅はイヤだからよそうじゃないか、とでもなりそうなところですが、そうならなかったところをみると、島に悪いビョーキが流行ってみんな頭がおかしくなっていたのか、「殲滅」という目標が逃れられない命令として与えられていたのか、のどちらかでしょう。前者であれば衛生政策にだいぶ問題があるようですが、後者であればこれはまぎれもなく「強制」ということになります。

文部科学省が問題にしているのが感染症のことではないらしいことは何となく分かります。争点になっているのは多分、「強制」の質でしょう。例によって「広義」だの「狭義」だのと言うつもりかどうかは分かりませんが、「住民の殲滅が軍によって命令された」もんではない、と言いたいようです。この場合、使用された手榴弾の入手経路が厳しく追及されなければなりません。戦争中とはいえ、その手のモノを民間人が軍の許可なく懐中しているという状態は考えものであります。今からでも遅くないから拷問にでもかけてその辺を解明する必要があります。あ、死んでるんだっけ。

死んでるんじゃ分かりゃしませんやね。実にここのところをとらえて、死ななかったので生きている「元軍人」などが岩波書店とかを名誉毀損で訴えている裁判がありまして、これは大阪地裁で取扱中です。なにしろ強制された方は死んでるんですから生きてる方は好きなことが言えるわけですが、中には手榴弾の扱いが分からずに死ぬことが出来ず、イザ!というときには「玉砕」するように命令が出ていたことを憶えていたりする人もいますので油断ができません。生きていたとはお釈迦さまでも知らぬ仏のお富さんエーサオー座間味村。

そういう人たちの証言からは、集団的な自己殲滅に至る動機としては軍からの直接の命令や軍の命令を受けた村長などによる誘導の存在はもちろん、鬼畜米軍への恐怖、日本軍からの遺棄、みんながやっているから、何だか知らないけどそういうものだから、その場の雰囲気で、などのいわゆる「心情」が読み取れるわけですが、これが「近年の研究」によって「重視」されているところの「精神状況」というものなんでしょう。もちろん、いちいち命令しなくても住民の方で勝手に強制されてくれる方が便利だし、後から言い逃れもしやすいですから、そこまで持っていくにはどうしたらいいのか、とか逆にそういうバカなことにならないようにするにはどうしたらいいのか、などという各人の問題意識によって、このような言ってみれば「広義の」強制についても「重視」されているのは当然のことです。

例えばこのような「近年の研究」の成果は先日の卒業式でも実践されたところですが、これに関連してこんな「研究」もあります。

道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ

 政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。
 再生会議の1月の第1次報告を受け、政府は30日に教育関連3法案を提出する。5月に予定する第2次報告は法制改正によらない具体策も打ち出す方針で、道徳の教科化を盛り込む考えだ。参院選に向け「安倍カラー」を鮮明にするうえで政権側が後押しする可能性もあるが、第2次報告にどのような形で盛り込まれるかが焦点になる。
 第1次報告では「我が国が培ってきた倫理観や規範意識を子供たちが確実に身につける」と提言しており、再生会議で充実策を検討してきた。
 29日の第1分科会後に記者会見した副主査の小野元之氏(元文部科学事務次官)は「道徳を教科としてしっかり教えるべきだ、ということでおおむね(分科会の)合意が得られた」と述べた。「授業時間数を増やそうということではない」(小野氏)が、高校でも教科にすることを想定しているという。
 また、主査の白石真澄氏(東洋大教授)は、成績評価の対象になるかどうかについて「議論していない」としながらも、「教科になるということは、いま絶対評価で1〜5と成績がついているので将来的には成績判定がなされると思う」と語った。ただ、白石氏は「戦前の修身のように先祖返りするのではなく、人としてどのように生きるか、他人をどう思いやるか。命あるものを尊重すること(を教えること)で環境教育にもつながる。全体主義になったり、右になったりするわけではない」と強調した。
 一方、再生会議を担当する山谷えり子首相補佐官は、成績評価について「(徳育は)知識だけでなく、心のありようなので、1〜5で評価できるかどうかは今後、十分議論されていくだろう」と述べるにとどめた。
 文科省教育課程課によると、現在の学習指導要領上の「教科」は原則として評価の対象になっているが、必ず対象になるとは決まっていない。
 再生会議が徳育を教科に格上げするのは「道徳の時間は取られているが、きっちり行われているかというと、先生方も熱心でない方もいるし、教材も充実していない」(小野氏)との現状認識からだ。現在は教育委員会が刊行した読み物資料などが使用されているが、小野氏は「教科にするメリットは、教科書をきちんとつくって規範意識や道徳心、規律を教えていくこと」と述べている。

2007年3月30日 asahi.com


教授だか何だか知りませんが知的レベルは同席のモッブ諸君とご同様のようですから分からないかもしれませんが、「人としてどのように生きるか、他人をどう思いやるか」を上から教え込めば、それは「全体主義」の資格十分です。沖縄戦を扱った8冊の教科書のうち7冊の、つまり広く受け入れられている学説に基づいた記述を極めて政治的な判断によって書き換えさせてしまうのも「全体主義」かもしれません。いずれにしても一歩学校を出れば教科書に書かれている話は何だか怪しい、ということになると学校の権威は著しく低下するものでありますから、学校で「道徳」を説くのであれば、先ず自由な研究や言論を禁止しなければ効果的ではありません。まあ、だんだんそういう風にしているようですが。そのようにしていけば、日本人はバカ殿の命令一下、直ちに自殺し、互いに殺し合い、速やかに殲滅されることでしょう。そこにあるのは愛であった。

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2007年03月27日

ごめんねシロー いまさらシンゾー

自公が国民投票法案修正案、公務員地位利用は罰則なし

 自民、公明両党の幹事長は26日、憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案を決めた。
 両党は27日、党内手続きを進め、衆院憲法調査特別委員会に与党修正案を提出する方針だ。
 幹事長の協議では、焦点の公務員らの地位を利用した投票呼びかけに関し、罰則を設けないことで正式に合意した。国会が憲法改正を発議した後に公務員が関連した活動をすることについては、公務員の政治活動を制限する現行法の規定を適用することで一致した。
 公務員の活動を巡っては、与党は当初、現行法の政治活動制限規定を適用しない方向で、与党案の修正を検討していた。しかし、自民党内から、「公務員の政治活動を全く野放しにすれば、自治労などが、改憲反対運動を行う可能性がある」との批判が出たため、公明党も「公務員による自由な意見表明を制限しない」ことなどを法案の付則に明記することを条件に受け入れた。
 修正案では、投票権年齢について、民主党案を踏まえて原則18歳以上(当面は20歳以上)とする。一方で、付則で、国に法施行(3年後)までに選挙権年齢の18歳への引き下げなどの検討を行うよう求めている。
 民主党と合意が得られていない国民投票の対象に関しては、与党案通り憲法改正に限定する。

2007年3月26日 読売新聞


行政の長である内閣総理大臣が勤務時間内に堂々と改憲運動を行なっているのを棚に上げて一般の公務員はダメだとは恐れ入ります。「罰則を設けない」にしても現行法により制裁を受けるんですから同じようなもんです。だいたい公務員の活動を抑制しようという理由が、その「全体の奉仕者」としての地位によるものというよりは「公務員の政治活動を全く野放しにすれば改憲に反対するから」だというようなことを平気で言ってのけるのが「自民党内」の頭の内部の程度です。これを聞いた人は、じゃあ改憲に賛成する活動は「野放し」にするのかよ、と思うでしょうが、多分そのつもりでしょう。

だいたい内閣総理大臣ともあろう人が正月早々「新しい時代にふさわしい憲法を、今こそ私たちの手で書き上げていくべきです」などと憲法違反のご乱心に及ぶのが「美しい」とされている国のことですから、官舎に愛人がいたり架空の事務所があったり架空の「還元水」で風呂に入ったりするのもなんら恥ずかしいことではなく、あからさまな世論誘導で大事な法律を決めたりしても大丈夫ですし、歴史的嘘っぱちで全世界を呆れさせている最中にまたぞろ「プロジェクトチーム」をつくって、そういう卑怯で冷酷な二重基準のどこが「美しい」のかということを内外にアピールするんだとかいう「異常行動」をタミフルなしでもやれるのが日本では一人前の「成人」です。薬に頼ってちゃダメ。ゼッタイ。

そういうわけなので「国民投票法」とは、政府自身が改憲推進の立場で、改憲のために「国民投票運動」を取り締まるというまことに結構なシロモノであるわけですが、法案自体がアンフェアであるばかりではなく、その執行においても極めて不公正にわたることが大いに懸念されるのも無理はありません。そういうようなことが「美しい」んですから。そこで日本で一番「美しい」男性は僕、ではなくてバカ殿、でもなくて阿部四郎さんです。

阿部四郎さんは栄光の全日本女子プロレスの歴史において80年代に一時代を築いた偉大なレフェリーであります。ダンプ松本の「極悪同盟」と結託して早いカウントと遅いカウントをあからさまに使い分ける悪質なレフェリングを演じたことで知られています。神聖なる「正義」を体現するはずのレフェリーに観衆は罵声を浴びせ、もはやスポーツとしての枠組みを揺るがす、それは偉大な瞬間でした。そのとき観衆は「神の死」に立ち会ったのです。

実際には阿部四郎さんはレフェリーとはいえノーギャラで、交通費宿泊費も全部持ち出しだったとか。どうやって喰っていたのか知りませんが、「悪徳レフェリー」の自宅にはおバカなファンが空気銃を撃ち込み、阿倍さんの娘の家はイタズラ電話に悩まされ、孫までいじめられたのは「たまんなかった」と言います。「悪」を演じてみせるのは苦労の多いもののようですが、現実に悪い奴であることは案外気楽なものなのかもしれません。しかしながら「あべしろう」さんと「あべしんぞう」さんが別人物なのかどうか、今ひとつ自信が持てません。名前が似すぎています。やることも同じみたいだし。もっとも「権力」のパロディを提示したのが阿部四郎さんなら、パロディを本気でなぞってしまうあたりがバカ殿の真骨頂であります。

posted by 珍風 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

放送禁止ロンパリルーム

僕んとこはダイエットとはいっさい何の関係もないんですが、折角コメントを貰ったんで今日は痩せたり太ったりの話も少しはしないといけないのかもしれませんが、興味ないのでしません。で、確かにマスゴミは政府にとってはとても役に立つ道具ですから、せいぜい「自浄能力」とやらを発揮していわゆる「信頼」のようなものを回復したりするのがお利口にグリコですが、本当に役に立つのは政府が陰に隠れている場合です。表に出て来たんじゃあかっこわるいぞ、醜男が。

民放連の対応遅いと総務相 「あるある」事件めぐり

 「発掘!あるある大事典2」(関西テレビ制作)の捏造(ねつぞう)問題を受け、同様な問題が起きた際に総務相が再発防止計画の提出を求められるようにする案に関し、菅総務相は23日、「今回、民放連(日本民間放送連盟)は何一つ早急に動けなかった」と述べ、今回の問題発覚後の民放連の対応を批判した。閣議後の記者会見で語った。
 菅総務相は民放側の対応について「自浄作用が働いてくれるのが一番良かったが、ここ何回も同じようなことの繰り返しだ。しっかりと反省してほしい」と話した。総務相が防止計画を求められるように放送法を改正する案をめぐっては、テレビ朝日の君和田正夫社長が22日の定例記者会見で「虚偽かどうかの判断を総務相が下すことになっているが、慎重な議論が必要だ」と放送内容への公権力介入に懸念を示していた。
 この発言を踏まえて菅総務相は「私どもが(民放側の対応を)見た上で再発防止策を検討した結果、(民放側から)それと同じようなものが出されてきた」と民放連の対応に不満を表明。「再発防止策はぜひ提出したい」と今国会に提出予定の放送法改正案に盛り込む考えを改めて強調した。

2007年3月23日 asahi.com


納豆をひとつの口実にしてメディア統制の足場を固めようという算段ですが、つまりバカ殿やアル中がNHKにやったようなことを政府として公式にやっていけるようにしていこうというわけです。さすがはバカ殿、終始一貫というか進歩がないというか、考えが浅いというか業が深いとういか、あのときはカゲでこそこそ動いたからこそ、NHKも「公共放送」のふりをしていられたのです。総務省なんぞがおおっぴらに「これこれの番組はウソだ」とか批判し始めたら大変です。権力の介入を受けなかった番組の信頼性が損なわれてしまいます。何故ならそのような番組は権力にとって都合の良いような「虚偽」を垂れ流している疑いがあるからです。

もっとも問題はあれこれの放送内容が信用出来るとか嘘っぱちだとかということでもないようです。実は視聴者が放送内容を信じようが信じまいが、そんなことはどうでも良いことです。専門用語でいうところの「偏向」や「捏造」、あるいは「虚偽」の内容、即ち畏れ多くも権力に盾を突き申し上げるような情報を排除していくのが重要です。そうなると確かに信用出来る情報はなくなってしまうかもしれませんが、他に観るものがなけりゃみんな仕方なく観るでしょ。そうやって権力に都合良く操作された情報だけに曝露されていれば、そのうち脳腫瘍ができて幻覚を見るようになります。新しい肉体よ永遠なれ。

けれどもこれは本当は納豆の種が芽を吹いたわけではありません。そんな話を鵜呑みにしてしまうような人々が痩せようと太ろうと関係ないのです。座ってTVばっかり観てると太りますが、納豆でも寒天でも歩いて買いにいくのは良いことです。走って買いにいけば更に効果的ですし、なるべくなら買って来た納豆は食べずに捨てた方が身のためです。納豆があるとご飯を余計食べるようになるからです。

ともかく納豆はこの件には無関係です。納豆には何の罪もありません。僕は臭いから嫌いです。この放送法改正案は、国民投票法案との関連で出て来ています。

国民投票法案、与党が修正案大筋合意…27日に提出へ

 自民、公明両党は23日、憲法改正の手続きを定める国民投票法案に関する実務者協議を開き、与党案の修正内容について、公務員らの地位を利用した投票呼びかけ運動に対する罰則を除き、大筋で合意した。
 両党は27日、修正案を衆院憲法調査特別委員会に提出する。
 協議では、投票年齢を「原則18歳以上(当面は20歳以上)」とすることや、重要な国政問題に関する「一般的国民投票制」は法案の付則に今後の検討課題として盛り込む方針を確認した。
 放送メディアの規制については、自民党内で根強い「偏向報道や捏造(ねつぞう)番組の防止策が必要」との主張に配慮し、「政治的公平」などを定めた放送法の規定を法案に反映させることで一致した。自民党幹部は「報道機関に新たな負担を求めるものではなく、理解は得られる」と語る。
 ただ、公務員や教員らの地位利用による投票運動の罰則については、自民党が「違反の基準を明確にするためにも、設けるべきだ」と主張したが、公明党は「民主党との修正協議の中で、刑事罰を設けないことで一致した経緯がある」と難色を示し、合意しなかった。
 今後は、自民、公明両党の幹事長級で再協議し、結論を出したうえ、26、27両日に党内手続きを進める。

2007年3月24日 読売新聞


自民党から見て「偏向」した番組を「防止」するために「放送法の規定を法案に反映させる」ことになっていますが、これはいわゆる議連案、「憲法調査推進議員連盟」が2005年に出した「憲法改正国民投票法案」のなかには含まれていた強力なメディア統制が、修正案では後退していることを補うためのものです。ちなみに議連案の条文は以下のようです。

(新聞紙又は雑誌の虚偽報道等の禁止)
第六十九条 新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌は、国民投票に関する報道及び評論において、虚偽の事項を記載し、又は事実をゆがめて記載する表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。

(新聞紙又は雑誌の不法利用等の制限)
第七十条 何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者に対し、財産上の利益を供与し、又はその供与の申込み若しくは約束をして、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載させることができない。
2 新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者は、前項の供与を受け、若しくは要求し、又は同項の申込みを承諾して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載することができない。
3 何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない。

(放送事業者の虚偽報道等の禁止)
第七十一条 日本放送協会又は一般放送事業者は、国民投票に関する報道及び評論において虚偽の事項を放送し、又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。


実に全くどうも開いた口が塞がらない程見事な法案であります。ほとんど改憲の先取りと言っても良いくらいの先走りの淫水です。ついこの間まで12歳の少年であった日本人は3歳の幼児にまで若返ったようです。年寄りがボケると幼児に帰るともいいますけど。さすがに恥ずかしく感じたものかどうか知りませんが、修正案ではここまではっきりと「改憲に反対してはならない」とは言っていないようですが、少なくとも放送メディアに関しては放送法の改正をもってこれらの条文と同様の機能を果たさせようというわけです。そうやって完全に飼いならすまではなるべくTVをみせないように学校で指導しています。

「TVは消しなさい、ゲームも」さいたま市、毎月23日

 さいたま市は22日、テレビを見たり、ゲームをしたりする時間を制限する「ノーテレビ・ノーゲームデー」を新年度から導入すると発表した。毎月23日に行う。生活習慣を見直し、家族のだんらんを持ってもらうのが狙いだ。
 市内の小中学校と養護学校計159校に通う約10万人が対象になる。強制ではなく、取り組みは各学校に任せる。実施後、適当な時期にアンケートなどをする予定という。
 昨年2月に先行導入した同市立柏崎小学校ではテレビやゲームを1日2時間に制限する「犬さん」、一日中やらずに我慢する「猫さん」、1週間我慢する「パンダさん」の3コースを用意。感想を書かせ、「ほけんだより」にまとめて配っている。
 一昨年に実施した生活実態調査で、テレビやゲームが原因で寝るのが遅くなる傾向が目立ったことで始めた。保護者からは「子どもと触れ合う時間ができてよかった」「会話が多くなった」などの声が寄せられ、ほめられることで子どものやる気もあがり、「猫さんコース」が徐々に増えたという。

2007年3月23日 asahi.com


「家族そろって歌合戦」ですか。犬より猫がエライというのはどういう了見だ。ふざけるな。今日は少しはダイエットの話もしたよ。よかった。
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2007年03月23日

ミスはなぜ起きるか ミセスはなぜ寝てるか

いろんなところで「うっかりミス」が多発しています。本当ですよ。僕がやってるんだから。今日は文部科学省で実際にあった事例を元に「ミス」について考えます。

未履修問題  未記載→急きょ別刷り
いじめ問題では『調査法見直し中』

 文部科学省は二十三日、二〇〇六年度の文部科学白書を公表した。「教育再生への取組」「文化芸術立国の実現」を特集し、大騒動となった高校の必修科目の履修漏れについては当初盛り込まない方針だったが、印刷作業を始めた後に、急きょ追加を決定。別刷りの修正文という異例の盛り込み方法になった。
 同省によると、白書では「前年の十一月ごろまでのことを紹介する」という原則があるという。未履修問題は昨年十月に発覚。履修漏れがあった高校の生徒の救済策などは十月中に決まったが、開始年度の調査結果は十二月だった。当初「全体が分かっていなかった」として掲載を見送る方針だったが、安倍政権が力を入れる教育関連三法などについては今月の動きまで突っ込んでいる。
 このちぐはぐさに疑問の声も出て、内部で再検討した結果、修正が決まった。同省は「お粗末といえばお粗末」(生涯学習政策局)と認めている。
 修正後は、学習指導要領の改定についての説明部分で、未履修問題についても触れ、「高等学校が大学入試に必要な科目に偏った教育課程を編成したことが原因」と分析し、再発予防のため「高等学校の必履修科目の在り方や大学入試の改善等を検討していきます」としている。
 いじめについては「二年連続で減少」と〇五年度の調査結果を掲載する一方で「現行の調査方法では、いじめの実態を適切に把握できていないという指摘もあり、現在、調査方法の見直しを行っている」と説明している。

2007年3月23日 東京新聞


2006年10月24日に富山県で問題化された「高校の必修科目の履修漏れ」は、25日の毎日新聞の報道によれば10県、27日の読売新聞によればなんと35道府県と、2、3日のうちに見事なまでの「発覚」ぶりを見せつけ、最終的には46都道府県でそういうことがあったとされましたが、これによって履修単位不足となる生徒の処遇について文部科学省が「救済措置」として「平成18年度に高等学校の最終年次に在学する必履修科目未履修の生徒の卒業認定等について」を出したのが11月2日のことでした。したがってこの件は文句なしに「前年の十一月ごろまでのこと」に該当するものですし、「学習指導要領」に法的拘束力があるとする文部科学省としては、看過出来ない大問題であるはずなのですが、どういうわけか、白書に載せないことになってしまいました。

本来なら、「前年の11月ごろまでのこと」として白書に書かれなければいけないことだったのですが、多分これは単純に忘れていたものと思われます。それではなぜ忘れてしまったのでしょうか。そもそもこれは「事件」でも「不祥事」でも何でもなかったのかもしれません。「教育基本法」の「改正」に向けた通常の業務の一環であった可能性があります。予定通りのことが予定通りに滞りなく行なわれる、後になってからこれほど印象に残らないことはありません。ついつい忘れてしまったとしても無理はありません。人生は山あり谷ありえり子あり、「教育再生会議」などというモッブの集団の御機嫌取りだけでもお役人としてはエライ苦労です。ちょっとしたキャンペーンのことなんぞいちいち憶えちゃいねえって。

これは自らの業務の中で常に国民の意見操作を行なっているうちに、世論に大きな影響を与えたオペレーションがどれであり、忘れられてしまったのが何であったか、常に自分の仕事を振り返って評価することを怠ったために起きたミスであります。どれもこれも同じに見えてしまい、ルーチンワークの中に埋没してしまっており、仕事が自分の糧になっていません。これが一個人に留まらず、一省庁というレベルで集団的に同じミスに陥った点で、大きな問題であると言えるでしょう。「お粗末といえばお粗末」などというコメントも、事の重大さを理解しない嘆かわしいものです。これではミスの再発は防ぎようがありません。

もちろん、「ヤラセ基本法」が施行された今では、もとより高校生諸君には何の恨みもないことですから、卒業式シーズンの今になってこの「問題」を蒸し返すのはちょっと気の毒でもあります。ちょっと政治に利用させて頂きましたが、卒業するときだけは安らかに送り出してあげたいとするのもまた人情というものでしょう。もっとも、仮に「教育基本法」の「改正」が現在にまで延長していたならば、その時には気の毒だけど犠牲になってもらう、卒業出来ない人もいるだろうというのもまた、義理に縛られた大人の世界の理屈というものです。早くから世間に揉まれるのも良いものです。

まあ考えてみれば「タウンミーティング」の問題には触れないんですから、「履修漏れ」にも触れないというのは一貫性があるんですが、ここでヤラセの上塗りをしてみるのも仕上げとしてはふさわしいのかもしれません。とはいえいくらベタベタ塗ったところで下地の汚さが表に響いてくるのは時間の問題です。そのときはまた上塗りだ。それがお役人というものさ。もちろんマスゴミにも頑張ってもらいますが、ここでマスゴミに箔をつけてもらわないといけない。

捏造4件、改ざん4件  放送界の構造的問題指摘

 情報番組「発掘!あるある大事典U」の捏造問題で、関西テレビが設置した社外調査委員会(熊崎勝彦委員長)は23日、約2カ月に及ぶ調査を終えて結果を公表、最初に判明した「納豆ダイエット」を含め捏造が4件、捏造とは言えないまでもデータの改ざんが4件に上るなど、「不適切な放送」が計16件あったことを明らかにした。
 報告書は「視聴率重視、ピラミッド型の制作体制など日本の放送界の構造上の問題がある」「関西テレビの経営幹部には危機意識が薄く、再発防止の仕組みを構築しなかった」などと批判した。
 熊崎委員長から同日、報告書を受け取った千草宗一郎社長は「結果を尊重し、防止策を含めた新たな対応策を定めたい」と発言。自らの進退には言及しなかったが、経営責任がさらに厳しく問われることは必至だ。

2007年3月23日 共同


はっきりいってどうでもいいような番組を槍玉に挙げる手法は「履修漏れ」キャンペーンにも似て、はたしてこれは必勝パターンなのかバカの一つ覚えなのか、こちらも同じくバカ殿絡みの似たような案件があるのは皆さんご承知の通りですが、それはあえて不問に付して「日本の放送界の構造上の問題」なんてスカした文句をたれ流しながらあたかもマスゴミに「自浄能力」があるかにみせかけています。これでマスゴミも大いに信用を回復したわけです。どうだか。大変心もとないような気がしますが。でもみんなの目玉をくりぬき耳をそいで回るのは大変なんですからこのくらいで勘弁して。
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2007年03月20日

無責任で最低な親がいますよ

僕の息子は僕にはちっとも似ていなくてなんだか隣の家の旦那にそっくりだぜ、というような話は別に珍しくもなんともないのですが、その糞餓鬼がどうして僕の子供だということになってしまうかというと、民法で「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」ことに決めてあるからなのです。結婚ということはそういう事態も含めて考えられています。どうしてもガマン出来ねえ、という場合には「嫡出の避妊」じゃなくて「否認」の訴えも出来ますが、そういうことをしないのが美徳というものです。僕と餓鬼との関係は「推定」に基づいています。いずれにしても女の人はともすると餓鬼をひり出しがちなものですから、女の人と一緒に暮らすんであればその餓鬼にも飯を食わせてやって、気に入らない時には言い聞かせたり、張り倒す、ということの方が大事です。

で、その民法第4編「親族」の第3章「親子」の第1節「実子」の中の第772条において

(嫡出の推定)
第772条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2  婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。


ということになっているのですが、いま問題になっているのはどうも第2項の方のようです。この規定では離婚する寸前まで種付けをしているものと考えられているようです。世間知らすにも程がありますが、女性が新しい男性とくっついて離婚に至るような場合などは、分かれてから300日以内に産まれた餓鬼は新しい夫の子である可能性が極めて高いに決まっています。しかし民法はそのような場合でも「産む機械」の管理者に生産物に関する権利があるものとしています。管理者権限の及ぶ範囲において種付け権の存在が推定されているのです。

再婚禁止期間、100日に短縮へ 自民PTまとめる

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法772条の見直しを検討する自民党プロジェクトチーム(PT、座長・早川忠孝衆院議員)は20日、女性が離婚後6カ月間は再婚できないとする「再婚禁止期間」を100日程度に短縮することを特例新法に盛り込む考えをまとめた。来週にも発足させる公明党との与党PTに提案し、今国会への議員立法での提案を図る。
 再婚禁止期間の規定は「女性にだけ課せられているのは差別だ」などと批判が根強かった。法相の諮問機関・法制審議会の「短縮すべきだ」との答申を受けながら、自民党保守層の反対で10年間たなざらしになっていた問題が、300日規定問題に連動して動き出すことになった。ただ、与党内に慎重論は根強く、「今後の議論はスムーズにはいかないのではないか」との見方もある。
 与党PTの案は、現行の民法733条が「前婚の解消後から6カ月を経過した後でなければ再婚できない」としている規定を、「解消後から100日」に短縮するもの。
 再婚禁止期間には、前夫と現夫との「父」の推定の重複を防ぐ目的がある。ただ、民法772条は「離婚後300日以内は前夫の子」「婚姻成立後200日以降に出生した子を現夫の子」と推定する。この二つの推定が重ならないようにするためには、再婚禁止期間は300日と200日の差の「100日」で十分だというのが、自民PTの考え方だ。
 早川座長は「離婚には大変なエネルギーが必要とされるなか、女性の再チャレンジのチャンスを減らしているのがこの規定だ。女性だけにこの期間が残っていることが、そもそもおかしい」として、この機会に見直しを進める考えを示した。
 公明PTは「異論もある中で、この問題を盛り込むのは(772条を見直す)特例新法の結論を遅らせることになるのではないか」として慎重な姿勢を見せている。
2007年3月20日 asahi.com


「再婚禁止期間」とは同じく第4編第2章「婚姻」の第1節「婚姻の成立」第1款「婚姻の要件」として第731条に婚姻適齢を、第732条に重婚の禁止を定めた後に

第733条 女は、前婚の解消又は取消しの日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。
2 女が前婚の解消又は取消しの前から懐胎していた場合には、その出産の日から、前項の規定を適用しない。


とされている通りです。婚姻の成立要件としては3番目ですから、結構高い順位が与えられておりまして、「近親者間の婚姻の禁止」や「未成年者の婚姻についての父母の同意」よりも先に出てきます。この条文の第2項から、この規定が専ら親子関係の推定のために存在すること、それだけでなく「前夫の子」が産まれる時点で女子が再婚をしていないことでその子に関する前夫の権利の行使を容易ならしむる目的があることがわかります。結婚に関する法律は女の産んだ子がどの男の所有に帰するかということを規定することが目的です。婚姻法体系においては女性は「産む機械」に他なりませんので、女の人たちはたとえ浮気をしても旦那のために子供を生産していることになります。したがって不倫は一種のアウトソーシングとしてとらえられることになります。

日本の法律はこのようなものですが、さすが「自民党保守層」は「再婚禁止期間」の短縮(しかしどうして「短縮」なんだ)には反対のようで、まことに見識のある御意見であります。これらの法律を見直さないことによって、「事実婚で婚外子を育てる」ことが珍しくない状態になります。どうせだったら「初夜において処女でなかった場合は婚姻は無効」とでもしてもらえば、結婚制度の崩壊はより完璧に近づくでしょう。頑張って頂きたいものです。もっとも、結婚制度下にいない女性には不利な仕組みが色々とあるわけですが、だったら餓鬼なんぞ産まなければ良いのですから簡単なことです。

「再婚禁止期間」を短縮するのも「少子化対策」というか「労働機械の需給安定」のつもりなのでしょうけど、イヤなら別に無理にとは言いません。それにどのように「教育」したところで、餓鬼がどう育つかは保証出来ません。だいたい育てようと企んだ方向とは逆に行きがちなものです。相手はイキモノですからなんとも言えませんやね。優良な労働機械、忠実な奴隷になってくれれば良いのですが、すご〜くワル〜い奴になっちゃうかもしれません。餓鬼を産むのは世の中に爆弾を投下するようなものです。知〜らないっと。ネズミ花火みたいなもんかもしれませんが、花火をほぐして火薬を集めて遊ぶのはやめましょう。良い子はそういうことしません。悪い子はしますが。こういう風に考えると子供を作ってみようかな、なんて思うんじゃないですか?思いませんか。そりゃそうだろ。
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2007年03月19日

僕は最低さ

バカ殿によれば最低賃金の引き上げは2段階でやるんだとかで、まず1段目の生活保護制度と最低賃金制度の整合、具体的には最低賃金を生活保護費よりも高くするというのは当たり前の事で、まあこれが生活保護の方を低くしようということにならないのを祈るばかりですが、そもそもこの議論は最低賃金でフルタイム労働をした場合を考えています。フルタイムとは多分、週40時間を1年間52週やったのを12で割ると1ヶ月分の労働時間ですが、これは173.3時間です。仮に173時間として、地域別最低賃金で一番安いところで610円ですから、105,530円となります。この状態だと社会保険に加入しているはずですね。よく知りませんけど、「はず」なはずです。政府管掌社保だと4,018円、厚生年金が7,174円引かれます。このとき給与所得の源泉徴収税額は扶養親族等のいない場合430円です。したがって手取りは93,908円となります。もっともこれはフルタイムに仕事があった場合の話です。最低賃金あたりでウロウロしている人に限ってそんなに仕事がなかったりするものです。ということで概ね1人で年収100万円未満、二人でも200万円未満と想定されますが、平成17年の国民生活基礎調査によればそういう世帯はおよそ5分の1(18.7%)を占めています。

ところで「2段目」とされる企業の生産性向上に従って最低賃金を上げるというのは、まったくのデタラメです。賃金を上げてくれと言えば生産性がどうしたの国際競争がこうしたのと言うのが経営の基本ですが、最低賃金法の基本はそういう事ではありません。最低賃金法によればその目的は

第1条 この法律は、賃金の低廉な労働者について、事業若しくは職業の種類又は地域に応じ、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。


とされてあるところでありまして、先ず何よりも「労働者の生活の安定」が目的であるとされています。次いで「労働力の質的向上」と「事業の公正な競争の確保」が挙げられていますが、前者は主要な目的の効果として現れる事が期待されるべきことであり、後者は主要な目的と事業者の利潤追求動機との整合を計るものであって、いずれも副次的な目的をなします。更にそれらの効果として「国民経済の健全な発展」が期待されているのですが、それは第一義的な目的である「労働者の生活の安定」によって達成されるべきであるとされているものとみることが出来ます。

つまり最低賃金制度は「労働者の生活の安定」を目的としているのであって、この目的は、原理的には個々の企業が「きつい」んだの「潰れる」だのということに優先します。したがって最低賃金水準の策定に当たっては企業の生産性並びに賃金支払い能力についてはとりあえず考える必要がなく、先ず最初に「労働者の生活の安定」を計るための賃金水準がどのようなものであるかが考えられなければなりません。

一方原則として「中小企業の生産性を向上」すれば当然に賃金は上がりますので、企業の生産性向上に待った最低賃金に関する議論は無意味です。たとえ企業の生産性が向上しなくても「労働者の生活の安定」のために定めるのが最低賃金であり、逆にいえばそれが「国民経済の健全な発展」をもたらし、ひいては「中小企業の生産性を向上」させることにもつながるわけです。ところが「国民経済」なんかどうでも良いと思っている便所虫などはさかんにバカ殿に賛成していますが、最もアソコはほどんど外国企業ですから無理もないのですが、そういう連中の下僕となって素直に働くバカ殿には最低賃金の引き上げなど期待出来そうにありません。それどころかますます国民の貧窮化を進める一方で、ビンボー人が暴れださないように憲法を「改正」する、というのがバカ殿の「美しい」政策のほとんど全部なのですから単純で分かりやすい、という意外にあまり取り柄はありません。「最低を下回って」いるのはバカ殿自身だったのです。もっともバカ殿にはこれでじゅうぶん複雑で完璧な美を誇る鉄壁の国家主義に見えるらしいのですから、これにはみんな度肝を抜かれてポカンとしますが、油断大敵屁の用心、ダタより高いものがないのであればバカより上手く立ち回る奴もいない道理です。
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2007年03月18日

監視員自動車轢殺デスマッチ

テレビ朝日といえば「ワールドプロレスリング」が細々と命脈を保っているわけですが、毎年番組改変期になると打ち切られるのかどうか大変気になるという、この状況に業を煮やしたのが何故か報道局だったようで、全世界注目の路上格闘技戦に堂々の参戦であります。

テレ朝社員が監視員に暴行 公務執行妨害容疑で逮捕
 テレビ朝日報道局映像センターの男性社員(47)=東京都港区=が、駐車違反の取り締まりを受けた際、駐車監視員に抗議し体を揺するなどしたとして、公務執行妨害の現行犯で逮捕されていたことが15日、分かった。社員は既に釈放。麻布署の調べでは、社員は11日、港区麻布十番の路上で、違法駐車した自分の乗用車に違反のステッカーが張られているのを見つけ、監視員の男性の腕をつかむなどした。
2007年3月15日 共同


昨年から始まったこの新しい路上スポーツについては、僕は7月初頭にそれまでの主な対戦をまとめておきましたが、その後も「駐車監視員制度」については7月5日に鳥取市で市民の62%が「反対」だったり、しかしこれはなんと68件の回答中の62%ですからなんともいえませんが、まあ、そういうこともあって鳥取市では鳥取署に対して「規制緩和」を要請したりもしていたようです。(2006年7月6日 日本海新聞)考えてみればこういうのも「規制緩和」って言うんだ。ビンボー人を虐げるばかりが「規制緩和」ではない、ということでしょうか。もっともこの手の「規制緩和」が実際に行なわれたのかどうか、今頃どうなっているんでしょうか。

その後も7月8日には埼玉で非番のタクシー運転手が自宅付近に停めていたのをやられて文句を言ったら「公務執行妨害になる」と言われて背中を手で突き飛ばす。監視員は相手に背を向けたにも関わらず白星。
もっとも7月5日には大阪で「お前らどついたら公務執行妨害なるんやろ?」と言いながらそこらの自転車を蹴り倒し、拳を示しながら監視員を排除して自動車に乗り込んで走り去っていますが、これも一指も触れないのに黒星でした。
さらに11日には監視員の専用車両を蹴った男が捕まるなど、直接対決を避けた「逃げ」のゲーム展開が目立ちました。

そうかと思えば7月31日には「駐車監視員の資格や委託法人の評価基準など新制度の枠組みを作り上げた」警察官僚の「警察官僚ガン闘病記」なるブログが朝日新聞に紹介されました。この警察官僚は制度実施を前に5月24日に亡くなっていたものですが、その後も奥さんが思い出などを綴っていたものです。まあ、そんなものを、誰の指示だかわかりませんが一種の「美談」として取り上げていたりもしていたわけです。当時の首相はコイヌミだったので名前を間違ったりはしなかったのですが、情勢はあたかも「ストーブリーグ」の感を呈していたのでした。季節柄「ビーチサイドリーグ」というのが正しい文法です。

ところが8月に入って情勢は一変します。8月6日には千葉県船橋市で監視員の胸ぐらをつかんだ例の他、8月28日には部屋探しをしていた松葉杖の男が、その松葉杖を攻撃に使用するなど凶器による反則攻撃も行なわれましたし、8月12日には仙台において、泣きながら逃げ惑う監視員を車で300mも追い回すという、「場外乱闘」に比すべき手法も取り入れられました。駐車監視員は急速にデスマッチ化していったわけです。この分ではそのうち「キルドーザー」も参戦しないとも限らない。

このような流れの中では、今回のテレ朝社員さんのファイトは極めて正攻法の格闘技であり、言ってみれば「さわやかな試合」、体にクリームやローションを塗った風俗系のファイトが目立つ格闘技界においてまさに一服の清涼剤と申せましょう。そういうわけでファンとしてはこのような傾向を大いに歓迎すべきですし、関係団体の動きにも注目したいものです。

3月から荷捌き駐車指導共同パトロールを試行 東京路線トラック協議会
東京路線トラック協議会の荷捌き駐車対策特別委員会(委員長・林勝利日本通運取締役常務執行役員東京支店長)は1日から4月26日までの2ヵ月間、日本路線トラック連盟関東甲信越地区連盟が保有する共同パトロール指導車2台を使って、荷捌き駐車指導共同パトロールを試行する。
同協議会は昨年8月以来、同特別委員会の3つの作業部会で議論した内容を、毎月の定例会議で検討してきたが、特積み業界として取組むことができる「荷捌き駐車指導体制」の是非を検証することにした。
テスト運用は会費負担で運営して、成果を見て将来的には助成事業を視野に検討する。暫定的に関東甲信越地区連盟のパトロール車を借用するが、これについては既に全日本トラック協会の承認がでている。
同協議会の事業活動として予算化する場合は今年5月に開く総会で決議する。
1日には出発式を行い葛西トラックターミナルからは要望が多かった台東区や中央区などを巡回、板橋トラックターミナルからは豊島区や新宿区などを中心に巡回指導する。
放置駐車されている車両は添乗者がいても、駐車対策の趣旨を周知する「お知らせ」を配布。駐車監視員のチェックしている集配車は乗務員の携帯電話に速報して呼び戻し、監視員にはただちに移動する旨を告げる。
荷捌き中の車両には見やすい位置に携帯電話の表示を指導するほか、担当区域の区役所、街づくり協議会、商店街との連携を密にして効果をあげていく計画。
カーゴニュース3月1日号


東京路線トラック協議会では、この3月から駐車監視員のパトロールを行ないます。監視員を見張って、集配車がチェックされていた場合は即時にその車の運転者に連絡して確認標章の取り付けを阻止する狙いです。考えてみれば駐車監視員は「みなし公務員」であり、下手に抵抗すれば「公務執行妨害」とされる一方では、「公務員」である以上はそれを監視するのはむしろ市民として当然の義務であります。今まで「公務員」が市民生活に支障を来すのではないかと心配していたのは間違いであり、そういう事のないように能動的に活動するのが正しいあり方なのです。

各地の商店街の皆さんも、ちょうど良い事に監視カメラを設置しています。折角なのできちんとモニターして、監視員の皆さんがウロウロしていたら街の人たちに告知するのが良いでしょう。何に使うつもりか拡声器まで備えている商店街も珍しくないのですが、これを活用しない手はありません。「ただ今駐車監視員様が町内にお見えになりました。ご町内の皆さんはくれぐれもご無礼なきよう、お迎え致しましょう」とでも放送すればいいでしょう。納品の問屋さんもお客さんも大助かり、無用の流血も回避出来て、商店街の活性化に資するところ大であります。
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2007年03月15日

せめて逝きたしタミフルで

柳澤さんがバカばっかり言ってるのは、彼が厚生労働大臣をやっているのはホワイトカラー・エグゼンプション導入のためだったのに、それが延期になってしまったからですね。そうなるともう、彼にはやれることがありません。「少子化」だの「医療」だのと言われたってチンプンカンプンなんですから、もう大変です。そうこうするうちに、労働基準法と最低賃金法の改正案と労働契約法案が閣議決定です。

労働関係3法案を閣議決定=長時間残業代の引き上げなど
 政府は13日の閣議で、長時間残業の割増賃金を引き上げる労働基準法の一部改正案など、労働関係3法案を決定した。今通常国会に提出、成立を目指す。
 労基法の一部改正案は、長時間労働に歯止めを掛けることを目的に、月80時間超の残業については賃金の割増率を50%以上とすることなどが柱。現行法では時間数にかかわらず25%以上50%以下と定めている。ただ、中小企業については適用を当面猶予する。
2007年3月13日 共同


労基法は5割の割増賃金で過労死ラインの80時間を超えて就労させ、労働者を殺害する案です。使用者側は「高率の残業代を目的とした長時間労働が増える虞がある」などとしていますが、サービス残業をさせているくせに何を言っているのかよくわかりません。5割増くらいで命をかけるのは御免被ります。もしそうする人がいるとすれば、それは単に所定内賃金が安いというだけのことです。使用者側も現状の賃金について、死んでも残業代が欲しいくらいに低レベルであることは認識していますが、別に給料を上げようってわけじゃありません。

賃金「横ばい」に下方修正  月例経済、基調判断は維持
 大田弘子経済財政担当相は15日、3月の月例経済報告を関係閣僚会議に提出した。賃金関係の経済指標が弱含んでいるため、賃金(現金給与総額)についての表現を「緩やかに増加」から「横ばい」に下方修正した。好調な企業部門から家計部門への波及が遅れていることを示しており、個人消費の先行きに影を落とす内容となった。
 景気の基調判断は「消費に弱さがみられるものの回復している」と5カ月連続して同じ表現にした。個人消費についても「おおむね横ばい」という判断を継続。暖冬で春物衣料が売れるなど消費に明るい兆しがみられるが、賃金の状況が不透明なため、上方修正には至らなかった。
 また今回の景気拡大局面は62カ月となり、戦後最長を更新したとの認識を示した。
2007年3月15日 共同


「賃金の状況」は直接的には春闘の状況を指しますが、「戦後最長」の「景気拡大」といわれる割には極めて低レベルの回答でありまして、「不透明」、「横ばい」というのは相当粉飾した表現でしょう。もっとも、家計部門はお先真っ暗、などと本当のことを言ってしまうとそれこそ大変な事になりますが。一方、閣議では最低賃金法の改正案も決まりましたが、これも生活保護費との整合性に配慮するようにしましょう、というだけの事ですから、あまり期待して住宅を買ってしまおうなんて事をすると、後でローンを返せなくなる人が沢山出そうです。もっとも住宅金融公庫でローンを組むと生命保険に入らされますから、返せなくなった人は首をくくる事になっています。人がぶら下がって大小便を垂れ流した住宅は売りにくいですからね。

このように労働者は四方八方から命を狙われているようですから、まあ、気をつけてもらうにこした事はありませんが、「労働組合」とか「春闘」、「住宅ローン」などに恵まれないような人たちになると、これはもう直ぐにでも死ね、という状態ですから罹ったかなと思ったらもうお陀仏です。

「受診遅れ」で29人死亡 国保料滞納や無保険者
 国民健康保険(国保)の保険料滞納者や無保険者で、保険証がないなどの理由で医療機関への受診が遅れ、病状が悪化、死亡したとみられる人が05年以降、全国で少なくとも29人いたことが15日、全日本民主医療機関連合会の調査で分かった。多くは年金生活の高齢者や低所得者といい、「格差社会」の一端を示すデータだ。厚労省によると、国保料の滞納世帯は06年6月1日現在で480万世帯。
2007年3月15日 共同


「最低賃金」のあたりで暮らしている人たちは住宅ローンで自殺する心配もなければタミフルで飛び降りる気遣いもありません。そういうものには縁がないのです。こういう人たちだって働いて給料を貰っていたりするんですが、労働条件については、多分、「労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて」決めていて、その内容については「できる限り書面により確認」しているんでしょう。もちろん後になってから不利な条件に変更されちゃう事もあるでしょうし、変更に「合意」出来ない場合も多々あるとは思いますが、「合意」しなければクビ、というか「必要以上に短い期間」で雇われて「反復して更新」しているような場合にはその「更新」をしないよ、という事であれば、これは「合意」しなきゃ仕方がないですな。新法として提出される事になる労働契約法は、その辺りの事情を何も解決してくれません。社会保険の適用対象になっても、加入は会社次第。社会保険調査官はそんなに沢山いませんから社長さんも安心です。このような場合に国保に加入しようとしても、会社に頼んで社保に入れてもらいなさいなんてツレナイことを言う社会保険事務所もあるようですから、やはり健康第一です。電車の中で咳なんかしている奴がいたら窓から放り投げてしまいましょう。マスクしてる奴も花粉症かもしれませんが、とりあえず怪しいのですから放り出しておいたほうがよさそうです。公共交通各社は線路が汚れるのがイヤなら「女性専用車」より先に「病人専用車」を作ったほうが良いかもしれません。

まったく物騒な世の中に、これからなろうかというところですが、そういえば建物、というか施設には「防火管理者」という人がいます。これはそこの従業員の中から選任するんですが、例によって普段は防災基準なんか遵守させてもらっていないので、イザ!というときには真面目な話、過労死するほど働いたりする人です。そこでいっそのこと各企業に「労働基準管理者」なるものを選任させる事にしたらどうか。労働組合がなかったり、あってもないようなもんだったりする企業が多いのですから、そういうのがいてもいいでしょう。もっとも選任されたら、まず出世は望めませんな。誰もやりたがらないでしょう。しかしながらなんだか最近身辺が異常だ、クビをやられそうだという中間管理職諸氏には良いかもしれません。とりあえずクビはつながりますよ。嫌われ者としてのうのうと生きてゆきましょう。
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2007年03月12日

オマンコの二つの機能

ここんとこずっと「不器用な生き方しかできないバカ殿の不徳の致すところ」ですが、当人はあれで器用なつもりなんでしょう。端から見ても今現在首相でいるということが既に信じ難い状況ですから、ある意味では「器用」と言えない事もありません。猿芝居一座の二枚目看板、森さんも「人生には3つの坂があると言います。上り坂、下り坂、まさか。まさかが続いていますが、そろそろ上がっていきたい」と言う心境ですが、同一座の三枚目もやっぱりどうも相変わらずの「まさか」ぶりです。

「辛酸に心から同情」=慰安婦問題、反論控える−安倍首相
 安倍晋三首相は9日午後の参院予算委員会で、従軍慰安婦問題について「慰安婦の方々が極めて苦しい状況に置かれ、辛酸をなめられたことは心から同情し、既におわび申し上げている」との認識を表明した。同時に首相は、狭義の強制性を否定した自らの発言に海外から批判が相次いでいることについて「事実と違った形で伝わっていく現状では、非生産的な議論を拡散させる」と述べ、反論などを控える考えを明らかにした。若林秀樹氏(民主)への答弁。
2007年3月9日 時事


なにがどう「事実と違う」のか、JAROってなんじゃろ。晋さんには同情しませんが、しかし、「辛酸に同情」というのは上手い。元従軍慰安婦の気持ちを推し量って思いやっているように聞こえます英語では。同情、sympathy訳しますね。sympathyこれ極めて共感的な意味します。相手の気持ち全面的に肯定して同じ気持ち持つこと、同じ対象に対して同じ考えでいることです。ところが日本語の「同情」と言う場合、英語のpity近いですね。正確にはpity、上から見下ろしている感じです。哀れな奴め、そういう感じです。「同情」はそういう上下の感覚ありませんが、決定的に他人事です。「共感」はしませんがあなたのがそういう気持ちであることを私は頭では理解できる、それが「同情」です。わかりますか?日本軍のやったことに対して悪いことだとは思っていないということ、それが「同情」という言葉を使うことの意味するところのものです。

英語では「お前の立場に立てばそういう気持ちである事は理解できるけど俺はお前の立場には立つはずがない」という意味を表すのが困難です。「日本語のニュアンス」まさにここにあり。これは感情的が超える事の出来ない身分的な壁です。バカ殿にしてみればセックスに餓えた兵士に女性をあてがうことのどこが悪いのか理解できません。柳澤さんは「産む機械」とか言いましたし、バカ殿もこれを庇うわけですが、これは事の半分しか言い表していませんでした。連中の頭の中にはもう一種類の機械があるんです。「産む機械」の他に「産めない機械」が、排泄のための機械が存在しています。

女性は「生殖のための機械」と「排泄のための機械」に分けられます。とはいっても男性のための「生殖」であり、男性の「排泄」ですが。また、力のある人は「妾」に精神的または文化的な高さを要求するのに対して、一兵卒には「穴」に向かってそそくさと射精する事しか許されなかったりして、様々な「格差」には事欠かないようですが、いずれにしても女性が「道具」としての「機械」であることは今も昔も変わりません。

とはいっても世の中には偉い人とそうでない人がいるわけでして、例えば日本で一番偉い女の人は、これはもう「産む機械」に特化しています。他の用事はほとんどありません。まあ、いろんな用事があるのかもしれませんが、それはただ遊ばせておくのがもったいないからというだけの事、主要な機能が出産である事は皆さんご存知のとおりです。男子が生まれないともう、みんな言うわ言うわ。それこそ人格を否定するような騒ぎですが、最初から人格なんか認めてなかったんだから。その一方では身分の低い人では1日に20人とか30人とかに突きまくられて子供なんか産めないようになる人もいたわけです。これは全く対照的な「機械」的様態ですが、もちろん相互に補完的な機能です。

バカ殿とそのお友達によって公式に認められた性機能は先ず第一に「出産」なのですが、人間のセックスはそれだけじゃ済みませんから、裏で「排泄」もさせる事になっています。これはあくまで裏機能ですから、政府としてはそんなことに関わっていたとは口が裂けても言えません。なんでしたらバカ殿の口を引き裂くのにやぶさかではないのですが、口が裂けたんじゃ謝る事も出来ません。もっとも「おわび」をしたところで、どう見ても天災にあった人に見舞いを言っているようにしか見えないようなことしか言わないんですから、やっぱり裂いておいて方が良いのかもしれませんが。

女性のオマンコを「機械」として道具化することは、男性のチンチンをも機械と結合して機械として機能する部品と化します。まあ、連中のチンチンはそんなんだろうよ。未だに日本人は、オマンコも含めて国家を構成する部分として働くものとされていますから、昔もそうだったからといって謝罪なんかするわけがありません。昔の事を謝ったら今の事も謝んなくちゃいけなくなってしまいます。

ところで僕なんかがオマンコをする場合には、「生殖」とか「排泄」などの意味でするわけではありません。気持ちイイからするわけで、「快楽」のためでしょう。しかしこの「快楽」は「排泄」の快感よりは強い意味を持っていますな。そうでなければ、単に「排泄」であればかみさんで済むものをわざわざ苦労して浮気する説明がつきません。おそらく人間のセックスは「快楽のための性」であり、「生殖のための性」は動物的な範疇に留まるのでしょう。そんなのお前だけだ、なんて言われそうですが。いやー、ここではさも偉そうに勇ましいことを言ってますが、どんなもんだか。
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2007年03月08日

黒田清子さんのお姉さんの前世は従軍ラッキーブルーベア

最近ではバカ殿が人並みに出来ることといえば「ヤラセ、捏造、知らんぷり」ぐらいであるということが全世界に知れ渡っていますが、この道に関してはマスゴミ各社のお家芸、やはり一日の長があるようです。NHKの「戦争をどう裁くか-問われる戦時性暴力」に関する興味深い高裁判決に対する事前措置として槍玉に挙がった「発掘!あるある大事典2」ですが、いくらバカ殿を守るためとはいえ、この1ヶ月の間ことあるごとに何かにつけて名前が出されるのは、三下の悲哀を伺わせていい味わいです。例えば納豆にはこんな効果もあります。

捏造防止狙い「放送番組委」を強化、新組織5月発足へ
 フジテレビ系で放送された「発掘!あるある大事典2」の捏造(ねつぞう)問題を受け、民放とNHKで構成する第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」は7日、NHK、日本民間放送連盟(民放連)と共同で記者会見を開き、現在の「放送番組委員会」を改組、機能を強化した新組織「放送倫理の確立と再発防止に関する委員会(仮称)」を5月にも発足させると発表した。
 新組織の発足は、民放連が1日に発表した改革案を基に、NHKなど3団体が合意した。それによると、現在の放送番組委員会には放送局に対する強制力はないが、新組織は、虚偽の内容が放送された疑いがある番組について検証し、放送局に調査や報告、再発防止計画の提出を求める権限を持つ。審理の結果は「勧告」や「見解」として放送局に通知、公表する。
 委員会には放送局関係者は加わらず、学者、ジャーナリスト、評論家などで構成して第三者性を確保。場合によっては臨時にメンバーを拡大し、集中的な調査を行う。検証の契機は、各局の内部調査、視聴者や専門家からの指摘、委員が独自に判断するケースなど様々ありうるという。
 会見でBPOの清水英夫理事長は、「テレビの強大な影響力と、それにふさわしい倫理観の間のギャップが大きくなっている。対応を誤ると、視聴者は不信感を増大させ、公権力の介入を招く。我々はそれを最も恐れる。今回の機能強化は、放送界の再発防止の決意表明と考える」と述べた。
2007年3月7日読売新聞


「NHKなど3団体」というのはNHKと民法連とBPOです。なんかこう、「新委員会」を設立して、「虚偽の内容の放送により、視聴者に著しい誤解を与えた疑いがある番組」について、「放送事業者に対し調査や報告を求めることができ」、その報告についての審理を行って当該放送事業者に通知し、公表するんだそうです。また期限付きで「当該の放送事業者から「再発防止計画」の提出を求め」、これも意見をつけて公表し、計画実施状況を検証します。それでその「新委員会」は「放送事業者以外の法律家や学者、ジャーナリスト、評論家、作家などで構成し、第三者性を確保する」ということであります。なかなか大変に立派なご計画でありまして、たしかに「虚偽の内容の放送」をすると面倒な書類を書かなければならなくなるんだということですが、肝心の「虚偽の内容の放送」というものをどこのどなたが判定するのか定かではありません。

「検証の契機は、各局の内部調査、視聴者や専門家からの指摘、委員が独自に判断するケースなど様々ありうる」ということでして、間口が広いと言うかなんでもありというか、入り口はいっぱいあるということでしょうけど、ある番組の放送内容が「虚偽」であるかどうかというのは難しい問題じゃないですか。たとえば天気予報などは「虚偽」が実に多い。「著しい誤解」によって傘を持たずに出かけて大変な目に遇ったりするのは日常茶飯事です。もっとも天気予報で「虚偽」を吹聴している人も、別段悪気があるわけではなくて、本人も自分の言っていることを信じてしまっている場合もありますから、あまり責めるのは可哀想かも知れません。そういうわけで各局とも、天気予報は視聴者の同情を引きやすい若い女性が担当しています。だまされてはいけません。

TVに出演している人の中には、どう見ても「虚偽」どころか「でまかせ」をいい加減に喋りまくって、傍目にも墓穴を掘るんじゃないかと心配させておきながらちゃっかり墓石を売っていたり、神社の参拝作法に革命的な「イノベーション」をもたらしたり、事実無根の「前世」がああしたりこうしたりする人たちもいますが、こういう人たちも問題になりそうです。これも天気予報と同じく「自分の言っていることを信じてしまっている」のかも知れませんが、それで済むなら「新委員会」はいりません。そのかわりTVには藤谷美和子が出ずっぱりになります。

一方ではバカ殿は「従軍慰安婦」なるものは「強制ではない」旨の発言を繰り返しています。あたかも元慰安婦の証言を「虚偽」とするような発言ですが、要するに「官憲や軍部が直接強制的に連行したという証拠はないんだから、帝国政府に責任はない」と言っているわけです。しかしこれは内閣府経済財政諮問会議議員様のお膝元で天下に恥じぬ犯罪行為が堂々と行なわれていても俺は知らないよ、と言って済ましているのと同じ理屈で、稚拙極まる責任回避でしかありません。こんな事を言う人の人格と知性の両方に傷がつく、大変まずいやり方しか出来なのが悲惨ですが、仮に慰安婦の証言を番組で扱ったら、バカ殿にすれば「虚偽の内容の放送」だと言い張るんでしょうな。まあ、実際に似たことが以前あったわけですが、面白いことにNHKがバカ殿からの「圧力」を未だに否定しています。清水さんが「最も恐れる」ところの「公権力の介入」は、既にあったのであり、それを認めないということは今もあるのに違いありません。

しかしもしかすると僕の文章の読み方が悪いのかも知れません。清水さんが「最も恐れる」のは「公権力の介入」ではなくて「視聴者は不信感を増大させ」の方なのかも知れないのです。実際、視聴者がマスゴミを「信頼」していないのであれば、そこに公権力が介入する価値はなくなってしまいます。バカ殿がTV番組に圧力をかけて内容を改変させるのも、税金を使って政府の言い分を一方的に垂れ流すのも、納豆をたくさん仕入れるのも、マスゴミへの「信頼」あってのことです。視聴者がTVでやっていることなど信用しないのであれば、そのような努力は全く無駄なことになります。したがって、「公権力の介入」を避けるには、TVは今までにも増して視聴者の不信感を増大させ、「強大な影響力」を減殺するように努めなければなりません。考えてみれば「信頼できる」とされるものほど信頼できないものはないのですから、来週から「あるある大事典3」を再出発させ、占い師と霊能者と天気予報と「パワー・フォー・リビング」を垂れ流し、バカ殿と藤谷美和子と石原真理子には思い切り喋らせましょう。TVなんか虚偽と狂気と享楽を面白がれば沢山ですが、マシなものを見つけることが出来る日もありますよね。あまり期待は出来ませんが。「ラッキーブルーベア」が出た日は特にダメなようです。出ない日はなおさらです。
posted by 珍風 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

東京治安オリンピック

昔昔亭桃太郎は、結婚した時に師匠の春風亭柳昇に呼ばれて、「浮気して女房に見つかっても、絶対に人違いだと言い張れ」と言われたんだそうで。現場に踏み込まれてもとにかく知らない振りをしろというわけで、

「こら、お前さん何やってんだよ!」

「何やってんだって、あなた、どなたですか?」

「何言ってんだろうね、え、自分の妻というものを前にして、そういうことを。お前さん柳昇でしょうが」

「いえ、私は大滝秀治です」

なんて、よく似た人がいればいいんですが、世の中そう上手くはいかないようでして。

東芝、IDカード不要の新システムを商品化=歩行者の顔で入館管理
 東芝は6日、ビルなど建物への入館の認可を歩いてくる人の顔で行う「歩行顔照合システム」を日本で初めて商品化したと発表した。従来製品は照合機の前で一度立ち止まる必要があったが、新システムは2−3メートル先の人の顔を歩行中に検知し、約1秒で照合することができる。
2007年3月6日 時事


このシステムは東芝社会システム社の「SmartConcierge」というものだそうですが、顔データの登録自体が歩行中に行なえるし、従来のシステムでは専用の証明が必要だったのですが、普通の照明で使えるようになっています。身長は1mから2mの間に対応、大人も子供も、車椅子利用者もOKです。「入館許可」をIDカード不要で行なえるとのことですが、ただ歩いているだけでID登録が出来てしまうのですから、使い道は多様です。

コンピュータによる人の顔の認識技術が進んでいるので、これを同社も販売している防犯カメラシステムと組み合わせれば様々なことが可能です。例えば繁華街や空港、自動販売機などにも付いている防犯カメラで録画された画像から、春風亭柳昇の顔を検索することも出来ます。この場合ヒットしたらその人は大滝秀治でなければ心霊ビデオですが。このシステムは第15回セキュリティ・安全管理総合展に出品されています。

「世界一安全で安心できる社会を目指して」をコンセプトに、私たち東芝グループは、最新の「歩行顔照合セキュリティ」、「映像監視セキュリティ」、「企業情報セキュリティ」をご紹介いたします。


いたしまーちゅ。このようなセキュリティ・システムがその技術を競うのが「東京オリンピッック構想」です。そのコンセプトは「先端技術を駆使した大会」なんだそうです。とはいってもロボットがレスリングをしたりクレーンが重量挙げをするわけではありません。セキュリティ技術、最近の言葉で「テロ対策」は、オリンピックの重要な種目の1つとなっています。現代オリンピックの五種競技は「暗殺・誘拐・爆破・ハイジャック・ハッキング」です。

「テロ」の概念を中心にして双方がこれらの種目で力の限り戦う現代スポーツの振興を目的として、「東京オリンピック」の招致が検討されています。このオリンピックには誰でも参加できます。参加したくない人でも参加できます。いつでもどこでも監視されますが、コートの中では平気です。都市全体がコートであり、逃げ場はありません。

「オリンピック」が終わってもスッポーツの振興に終わりはありません。「都市インフラ更新を一気に進め、新しい時代に対応できる世界都市・東京を建設する」のが「東京オリンピック」の目的です。東京は石原の言うところの「新しい時代」に向かって「更新」されるのです。オリンピックのための「テロ対策」というのは昔の話、今ではオリンピックは監視体制強化の口実です。若者よ、その日のために体を鍛えておけ。変装術も鍛えておけ。顔のよく似た人も探しておきましょう。僕なんか実は谷原章介に似ているんですよ。そんな暢気なことを言っているのは大変に危険です。うちの奥さんには通用しません。
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2007年03月04日

痴漢と警官に注意!

やはり年を取ったら言いたいことは全部言ってしまったほうが良いようです。例えば今年87歳におなりの川内康範さんは、自身の作詞になる「おふくろさん」について、歌手森進一が曲の冒頭に余計な歌詞を付加していたことと、この件についての森進一の対応に怒り、同曲および川内さんが森さんに作詞提供した楽曲について歌唱を認めないと言ってます。

付加された部分は保富康午さんによるものですが、およそ30年にわたってこれを冒頭においた形で歌唱されていたそうです。この場合は全く別個の創作物と結合されているので、全体は「おふくろさん」ではない新たな著作物ということになるんでしょう。この場合その新しい著作物の著作者としては、川内さんとの関係では「盗作」の疑いが発生します。「作詞家同士なら盗作と同じ」と川内さんは言いますが、その場合は「新たな著作物に川内さんの作品が無断で全部引用されている」という解釈になるでしょう。同一性保持権についてはまた別の話ですが、その場合は「盗作」とはいいません。

もっとも、著作意図に反する表現は新たな作詞によらなくても可能であり、曲間のMCで何かオカシなことを言ってもいいわけです。例えば「君が代」なんかは、これには著作権がありませんが、演奏前に「この曲はこれこれこういう曲である、それを知った上で歌えるもんなら歌ってみやがれ」と言ってから伴奏に入ることにより、演奏そのものを「意図」に反する表現とすることが出来るでしょう。やはり女教師には猿ぐつわが欠かせません。もちろん例によって脱糞しながらでも良いのですが、そういえば人前で排便しながら「歌った」人がいました。こっちは40年も前になります。

「無罪の心証」袴田事件の元裁判官、39年後の告白
 静岡県清水市(現静岡市清水区)で1966年、みそ会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、元プロボクサー袴田巌死刑囚(70)(再審請求で特別抗告中)に死刑を言い渡した1審・静岡地裁の判決文を起案したとされる元裁判官が「無罪の心証を持っていた」と、再審支援に協力を申し出ていることがわかった。
 袴田死刑囚の支援団体が2日、公表した。
 裁判官には、判決に至る議論の過程や内容を明かしてはならない「評議の秘密」が裁判所法で規定されており、判決から39年後の告白は議論を呼びそうだ。
 「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」によると、元裁判官と名乗り出たのは、熊本典道氏(69)。事件の第2回公判から陪席裁判官を務め、68年の地裁判決で、3人の合議で主任裁判官として判決文を起案したという。翌69年4月に退官した後、弁護士活動を続けていた。
2007年3月2日 読売新聞


これは2月26日にテレ朝で放送していたんですから観ていた人も多いでしょう。熊本さんは川内さんよりも遥かに年下で、袴田さんより1つ下なんですが、最近体力的に自信がないとかで、つまり死ぬ前にこれだけは言っておかないといけない、みたいな感じだったんですが。

事件そのものは有名ですから皆さんご存知でしょう。20日にわたる連日の長時間にわたる取調べの中では、取調官からの脅迫や、トイレに行かせずにおまるを持って来て取調室で排便させるなどの屈辱を与えて、やっとこさ調書をでっち上げたと思ったら、1年もたってからイキナリ「血まみれの衣類一式」が出て来て、そうしたら「自白」を変更して犯行の途中で着替えたことになったり、その中に含まれるズボンが小さすぎたのでエスパー伊東ではない袴田さん本人がはけなかったり、凶器が4人殺しても刃こぼれ1つしないスグレものだったり、裏木戸の留め金のうちわざわざ上のほうをかけたままで無理に出ようとしてみたり、これで有罪判決を出すのは並大抵の努力では到底不可能なのではないかと思われるところ、静岡地裁は超人的な努力で死刑判決を出し、控訴も上告も棄却されて死刑確定、再審請求も2度にわたって棄却され、現在最高裁に特別抗告中の事件であります。

静岡地裁でどのような「超人的な努力」が傾けられたのか、それはまだ明らかではありませんが、有罪判決を出すような圧力を裁判所自信が感じていたと思われるのは、他ならぬ無罪を主張していた熊本さんに判決文を書かせたことです。反対を決して許さず、少数意見を持つ者には尚更判決文を書かせて、いわば「共犯」関係にしてしまう。当人の判断と違うからこそ、あえてそれをやらせる同調の強制には、そのような強制を行なう当の者が感じていた圧力の存在を伺わせるものがないわけじゃありません。

更におっかないのは、取調官の脅迫ですが、袴田さんの書簡によれば「殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った」とのことであります。警察は人を殺しても平気なんだそうですが、これは完全な犯罪で、普通に考えればオカシな話です。しかしながら現に同様なことが目の前で行なわれているのであればどうでしょうか。警察は自分に無実の罪を着せようとしているのです。であれば、自分を殺しておいて病死として処理することも可能ではありませんか。この脅迫の仕方は、無実の者において最も効果的なのです。無実であるからこそ、命が惜しければ「自白」しなければならないことになります。実際に殺っているのであれば、命が惜しければ自白しませんわな。

以前は「冤罪」といえば昔の話であって、自白偏重を改め、科学捜査に徹した現代においてはそういうことはない、なんて言われたもんですが、21世紀になっても冤罪事件は後を絶ちません。富山の事件などでは別件で捕まっていた真犯人の自供がなければ誰にもわからなかったのですから、同様の事例が他にもいくつか存在するものと考えてもおかしくはないでしょう。そのように考えると、警察や司法の威信は丸つぶれ、お巡りさんはさぞお困りのことかと存じますが、実は全然そんなことはないのです。「威信」なんか最初からなかったのです。しかしナメられちゃいけない。警察は恐いんだぞ、と思わせておくことが重要で、何も悪いことをしていなくても警察に捕まったら終わりだ、みんなの前でウンコさせられる、裁判所も言いなりだ、とにかくお巡りさんにニラまれないようにしておこう、といういわゆる「萎縮効果」について考えると、次々と明るみに出る冤罪事例ほど効果的なものはないのでした。もっともその辺の恐ろしさを一番良く知っているのもお巡りさん自身なのですが。
posted by 珍風 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

「君が代」伴奏の手引

君が代訴訟の判決要旨を引きます。

 【多数意見】上告人の教諭は「君が代がアジア侵略で果たした役割等の正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想・良心の自由を実質的に保障する措置を取らずに歌わせるという人権侵害に加担することはできない」などの思想と良心を有すると主張する。しかし、ピアノ伴奏を求める職務命令が直ちに上告人の歴史観や世界観を否定すると認めることはできない。
 本件職務命令は、公立小学校の儀式的行事で広く行われ、上告人の小学校でも従前から入学式等で行われていた国歌斉唱でピアノ伴奏を命ずるもので、上告人に特定の思想を強制したり、禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白を強要するものでもなく、児童に一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。
 憲法15条2項は「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定めており、地方公務員も地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有する。上告人は法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にある。
 小学校学習指導要領は「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」と定めている。ピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは規定の趣旨にかない、上告人の小学校では従来入学式等でピアノ伴奏で君が代斉唱が行われてきたことに照らしても職務命令は不合理といえず、上告人の思想・良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない。
 【那須弘平裁判官の補足意見】上告人が心理的矛盾や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提に、これをなぜ甘受しなければならないのか述べる必要がある。
 入学式のピアノ伴奏は演奏者の内心の自由たる「思想および良心」に深くかかわる内面性を持つと同時に、入学式で参列者の国歌斉唱を補助し誘導する外部性を有する。このような両面性を持った行為が、思想・良心の自由を理由に学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されれば、学校教育の均質性や学校の秩序維持に深刻な問題を引き起こし、良質な教育活動の実現に影響を与えかねない。
 入学式の君が代斉唱について、学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが、斉唱に積極的な意義を見いだす人々の立場も十分に尊重する必要がある。職務命令の拒否を許せば、子どもたちが国歌斉唱を通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高める格好の機会を奪うことにもなり、結果的に集団活動を通じ修得すべき教育上の諸利益を害する。
 国家斉唱が組織として決定された後は、協力する義務を負うべきだ。職務命令はこの義務を明確に表明した措置で、違憲、違法とする理由は見いだし難い。
 【藤田宙靖裁判官の反対意見】本件における真の問題は、入学式でピアノ伴奏をすることは上告人にとって極めて苦痛であり、強制が許されるかどうかという点にある。
 信念・信条に反する行為を強制することが憲法違反とならないかどうかは、改めて検討する必要がある。例えば君が代を国歌として位置付けることに異論がなく、オリンピックの優勝者が国歌演奏でたたえられることに抵抗感が無くても、君が代の評価に関して国民の中に大きな分かれが存在する以上、公的儀式の斉唱強制に強く反対する考え方もあり得る。このような信念・信条を抱く者に斉唱への協力を強制することが直接的抑圧となるのは明白だ。
 公務員は全体の奉仕者だから基本的人権についていかなる制限も甘受すべきだといったレベルの一般論で、権利制限の可否を決めることはできない。本件も、校長の職務命令で達せられようとしている公共の利益の具体的内容が問われなければならない。上告人の「思想および良心」はどのような内容か、さらに詳細な検討を加える必要があり、その自由と公共の福祉や公共の利益との考量について具体的に検討されるべきだ。原判決を破棄し、本件を差し戻す必要がある。


音痴な人たちの考えることはよくわからないんですが、那須弘平という人はピアノを弾けないのに違いありません。ある曲を演奏するということは、その曲のいわば「思想」に深く入り込むことであり、それは楽曲の構造そのものへの理解に留まらず、作曲の背景や楽曲の社会的機能への洞察も含まれます。バッハを弾く者がたとえ自らキリスト教徒とならなくともキリスト教への敬虔な信仰を感受するのと同じように、「君が代」を弾くことは「特定の思想」に深く関わることを意味します。那須さんはピアノを弾くことを、単に譜面を鍵盤に置き換えることだと思っているかも知れませんが、演奏は単純な「機械」的過程ではありません。確かにそれだけでも大変なことだったりするのですが、それは入り口にしか過ぎません。そればかりか演奏とはまさに「特定の思想の有無についての告白」そのものなのです。

ところが音痴の那須さんは、音楽演奏における上記のようなメンタルにデリケートな部分、那須さんの御言葉で言えば「心理的矛盾や精神的苦痛」を、「学校教育の均質性や学校の秩序維持」と秤にかけて後者に軍配を上げてしまいました。その理由たるや「国歌斉唱」が「学習意欲を高める」というわけのわからない、いったい何のことやら、いくらなんでもあんまりにいもいい加減な独断にこちらが負けそうですが、これが最高裁の判決なんですから世の中は甘い。こういうことであればうちの糞餓鬼にも出来そうであります。一体何のために苦労して立派な教育を受けさせてやったのか、親御さんのお嘆きも想像するに余ありますが、まあ、それが「教育」ってもんです。で、那須さんの考えるところでは「学校教育の均質性や学校の秩序維持」によって保護される法益としての教育の目的とするところは、「組織として決定された後は、協力する義務を負うべきだ」ということを「集団活動を通じ修得すべき」だということらしんですな。これは「組織」の「決定」に「協力して」違法行為をした人については罪に問わない、ってゆうことでいいことになるはずなので、セネコン各社の談合担当者には朗報です。

もっとも、本件上告人が「職務命令」を「拒否」したとしても、「国歌斉唱」の機会を奪うことにはなりません。那須さんは知らないかもしれませんが、最近では「録音機」などというものがあって、誰かが演奏したものを録音しておいて、必要な時にその音を再生することが出来ます。どうだ驚いたろう。誰がそんなもん弾くかということもありますが、nemoさんが弾いてくれると思います。どうしても伴奏が欲しいというのであればそういうことが出来るのです。しかしながら、仮に那須さんが「録音」ということをご存知なのであれば、生身の演奏者が「心理的矛盾や精神的苦痛にさいなまれ」ながら「組織としての決定に協力」して「君が代」の伴奏をすること自体に「集団活動を通じ修得すべき教育上の諸利益」を見いだしているものと思われます。

したがってこのような場合には、演奏者は「苦痛」を表現しなければなりません。イヤイヤ演ること、イヤなのに弾かされていること、それを児童生徒の前に見せつけることが「教育上の利益」なのですから、演奏者は楽曲に対する嫌悪とその曲を演奏する状況への抵抗を、演奏によって表現しなければ教育的価値がありません。例えばある先生は、強制的に演奏させられていることを表現するために、亀甲縛りで演奏することを選択するかも知れません。なにも全裸であったりする必要はなく、むしろ清楚な印象を与える服装であるほうが良いでしょう。その上から縛るわけですが、「斉唱に積極的な意義を見いだす人々」は人が拘束されているのを観るのが好きなので、多分、そういうのが好きです。若くて綺麗な女性の先生であれば、僕もそういうのは好きです。

ところが縛られていてはピアノが弾けません。両腕を解放してしまう縛り方もあるようですが、そんな甘いことでは教育上の諸利益が!ここはひとつ、腕も緊縛します。でも大丈夫、先生には口があります。ここに先生が日頃ご愛用のバイブを用意しました。使い込んで良い色合いですね。ここのところなんかこんなに。これをいつものようにくわえて、バイブのお尻のほうでピアノのキーを押して下さい。「君が代」くらい出来るでしょう。

おっと、気をつけないとスイッチが入ってしまいますよ。ほら、ウィンウィン音を立てながら回り始めてしまいました。これを鍵盤にあてると奇怪なトリルを奏でる、と思いきや、ピアノのキーは結構重いんですね、先生、口の周りが血だらけですよ。歯が折れちゃいましたね。仕方ないなあ、何やってるんですか。教育上の諸利益が台無しです。先生には罰として、今日は800ccです。すいませんねえまだ調教中なもんで。そのうち3リットルくらいいきますんで。そのかわり先生、式が終わるまで壇上のピアノの前で我慢するんですよ。なにもう我慢できない?しょうがないなじゃあこの旗を敷くから、先生は真ん中の赤いところでね、今おまる持ってきますから、それまで我慢して。おまる、持って来て、早くね。ゆっくりでいいから。うん、これは何だい、随分と四角いおまるだね。え、御真影。「君が代」だけにこの上でなされば伴奏にぴったりです?ああ、音がね。

ちなみに憲法上保証されている権利は第一義的に国家からの自由を保障するものでありまして、これは「国民の意思」と「国家意思」が乖離していることが前提となっています。したがって「地方公共団体の住民全体」の意志と「法令等や職務上の命令」を同一のものとしたり、ましてや「組織で決めたことには従え」なんてことでこの件を乗り切ってしまった那須さんは、もう最高裁はやんなくていいから一生そこでウンコ拭いてなさい。それから藤田さんの難読名前は「ときやす」ですよって前も書いたか。宇宙の「宇」は空間、「宙」は時間のことだそうで、それで「ときやす」。別の説に「宇」は天で「宙」は地とも。どっちにしても「宙づり」とか「宙乗り」というのはどういうことになるのかわかりません。
posted by 珍風 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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