2007年04月30日

天国への黄色い救急車

2016年までに自殺率20%減少・政府、対策大綱素案

 政府の自殺総合対策会議(会長・塩崎恭久官房長官)は27日午前、国会内で会合を開いて自殺総合対策大綱の素案を決定した。人口10万人あたりの自殺者数(自殺死亡率)を2016年に05年比で20%減らす数値目標を提示、自殺者が年間3万人前後と高止まりしている現状の改善を目指す。目標達成に向け、精神科医による診療やうつ病の検診などの充実を国の施策として進める方針も打ち出した。
 政府が減少を目指す自殺死亡率は05年で24.2人。計画では16年に2割減の19.4人以下とする。仮に人口規模に大きな変化がないとすれば、3万人前後で推移している自殺者が約5000人減り、2万5000人程度になる計算。こうした数値目標は自殺対策の先進国であるフィンランドなどの取り組みをもとに設定した。
 大綱は自殺増の背景も分析。最近の自殺の多くは「心理的に追い込まれた末の死」であり、直前に精神疾患にかかるケースが多いと指摘した。このため防止策では、心理的な負担の軽減を進め、医療体制の充実や、多重債務、失業などへの対応を強化するとした。

2007年4月26日 NIKKEI NET


自殺者割合「20%減らす」2016年までに 政府 対策大綱素案を策定

 政府の自殺総合対策会議(会長・塩崎官房長官)は27日、国会内で会合を開き、2016年までに自殺者の割合を20%下げる数値目標を盛り込んだ自殺総合対策大綱の素案を決定した。
 政府は5月下旬にも大綱を閣議決定する。
 自殺者は現在、年間3万人を超えている。人口10万人あたりの自殺者数を示す自殺率は05年で24・2となっており、素案では、これを16年までに20%減らす目標を掲げた。
 自殺の多くは、長時間労働の見直しなどで社会的要因を取り除いたり、うつ病などの精神疾患に適切な治療を施したりすることで防げると指摘した。そのうえで、〈1〉多重債務や失業の相談窓口の整備など、社会的支援体制の構築〈2〉うつ病の受診率向上など、精神医療体制の充実〈3〉かかりつけ医の精神疾患診断技術向上など、早期対応の中心となる人材の養成――など9項目の重点施策を列挙した。
 政府は大綱決定後、都道府県や政令市に対策協議会の設置や対策の計画作りを求める。また、官房長官の下で施策の推進状況を評価し、これを踏まえて5年をめどに大綱を見直す予定。

2007年4月27日読売新聞


16年までに自殺率2割削減 政府が大綱素案

 政府は27日午前の関係閣僚による自殺対策総合会議で、昨年10月に施行された自殺対策基本法に基づく「自殺総合対策大綱」の素案をまとめた。自殺を「社会全体の大きな損失」ととらえ、「国民一人ひとりが主役」となる対策の必要性を提示。16年までに05年の自殺死亡率の2割削減を目指すという数値目標を設定した。一般からの意見も踏まえて、5月末にも閣議決定する。
 日本では98年以降、毎年自殺者が3万人程度で推移し、人口10万人当たり24.2人の自殺率(05年)は欧米諸国と比べ突出している。そこで、大綱素案で16年までに19.4人程度に減らす目標を打ち出した。00年の「健康日本21」で約3割だった削減目標を今回2割とした理由について、内閣府は「自殺対策の先進国の英国やフィンランドにならった」と説明する。
 素案では、当面の重点施策として、自殺の危険性が高い人を早期発見し、対応を迅速にするため医師や教職員らへの研修を実施。自殺の兆候を見逃さないよう相談窓口を充実させるとともに、地域や企業、学校、家庭などの連携強化を図ることを掲げた。

2007年4月27日 asahi.com


沢山引用しましたけど、これ、全部使います。要するに10年後には自殺率が減っていれば良いわけです。自殺率を計算するには自殺者数と人口が必要ですが、自殺者数の減少が見込めない場合は人口を増やせば良いのです。ところが人口はそう簡単に増えてくれそうにありません。そこで自殺者数を減らすことになりますが、まず第一に考えなくてはいけないのが、警察がなんでもかんでも自殺として処理してしまうのを止めさせることです。これだけで相当数の自殺の減少が見込めますが、まだ十分ではありません。ここでターゲットになるのが「うつ病などの精神疾患」です。

自殺総合対策大綱では自殺の社会的要因にも言及しているかのようですが、社会的要因によって「心理的に追い込まれた末」に発生した「精神疾患」を自殺の直接の原因としています。つまり社会的要因があっても精神疾患がなければ自殺は起きないし、社会的要因がなくても精神疾患があれば自殺が発生する可能性がある、というのが政府の見解です。つまり自殺予防は先ず何よりも精神衛生政策の問題とされています。

まず大切な点は、「うつ病などの精神疾患」と「心理的に追い込まれた末」に起こる「精神疾患」状態との違いです。「うつ病など」の内因性精神疾患は脳の器質的損傷などが仮定されています。病前性格に関する仮説についてもよく知られているところですが、どちらにしても遺伝子レベルでの基礎要因が存在するのではないかと言われています。このような疾病にはうつ病や統合失調症が含まれます。他方、心理的誘因が明らかである場合には心因性または反応性の精神疾患ということになりますが、この場合は「反応性うつ病」が問題になります。統合失調症については心因仮説は否定されております。

このうち自殺のハイリスクブループとして「早期発見」が可能なのはまず内因性うつ病のグループです。この人たちは社会的要因がなくても自殺する可能性が高い人たちとされます。反応性うつ病の場合は適当な心理的ストレスが加えられることによって初めてその存在が明らかになるので何とも言えませんが、病前性格仮説を受け入れるとするならばメランコリー親和型、粘着質、循環気質者をハイリスクグループに加えることが出来るでしょう。極めて大雑把に言って真面目で善い人が対象になります。社会的要因に起因する心理的要因によって精神疾患を起し、自殺に至るリスクが高い人たちです。この他によっぽどヒドイ目に合わせないと自殺しない人々、そしてぶっても叩いても死なないダイハードな人たちがいますが、これらのグループは当面の対象ではありません。

ハイリスクグループの人たちの10年後生存率を出来る限り減少するのが「総合対策」の課題となります。この10年の間にもともと自殺リスクの高いグループを取り除くことによって10年後の自殺率の低下が期待出来ます。2016年までの自殺率が低下を続けるなどと誰も言っていないことに注意しましょう。むしろこれからの10年間は躍進の10年となるでしょう。社会的要因についてはそれを取り除くのではなく、「相談窓口」を設けることとされています。縊死と水死とどっちが楽かなどの実際的な相談に乗ってくれそうです。むしろ社会的要因は強化され、年を追って激しくなりますので、ハイリスクグループの淘汰は劇的に進行するでしょう。その一方、この10年を生き延びた人たちは内因性精神疾患にかかる可能性が低く、ストレス耐性の高いグループですので、もっとヒドイ目に合わせても自殺率は低位で遷移するものと期待出来ます。

というわけで政府は自殺総合対策として次のような法案を国会にかけています。おかげさまをもちまして強行採決により全法案成立を期し、10年以内にハイリスクグループの殲滅を計ります。労働契約法は労働者の解雇を容易にすることによって経済的逼迫に留まらないダメージを与えることによって自殺対策の目玉となっています。「再就職手当」の給付制限を一段と強化した雇用保険法が更に追い討ちをかけますし、厚生年金の加入条件の引き下げによって旦那の失業中に奥さんが生活を支えることは困難になります。もっとも、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入も諦めたわけではないのですから、クビにならなかったからといって安心するのは早計です。もちろん現状でも長時間労働は野放しですから、いずれはくたばることになります。バスに乗るのも危険です。電車も危ない。ヤケになってビンボー人どうし殺し合うのも考えものです。家族が殺されれば法廷で加害者と直面させられ、犯罪者の鬱屈した憎悪に祟られます。これは夢に出ます。だからといって殺す方に回ったらどうかというと、最近は軽々と死刑判決が出ますし、連休前には執行してお役人様はゆっくり休むことになっています。そんな政府に畏れ多くも文句のひとつも申し上げようかとみんなで相談していると共謀罪です。教育毀損法に続く教育三法で我が子が奴隷にされてゆくのを見て餓鬼をこさえたことすら後悔され、家では口論が絶えません。中で出したのは誰だ。もっとも「貞操観念」のお陰で出口なし、こんなのはイヤだと他所で餓鬼をつくるとそいつには戸籍が出来ません。放送法のせいかTVは政府は正しい、したがって悪いのはお前だと言います。ああやっぱりそうっだったのか。消費税も上がるそうですし、裏山の木の枝振りも良くなって来たところで、地域の連携のより町内会からロープの支給がありました。ちょっと具合が悪いんで医者に行ったときに最近眠れないと言ったら通報されたようです。裏山に行って、服を脱いで、ターザンの真似をしてロープで木にぶら下がってア〜ア〜ア〜、山のふもとでは黄色い車がパーポーパーポー。
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2007年04月26日

長いチンポの夜

首相、週刊朝日に憤り 暴力団との「関係」報道で

 安倍晋三首相は24日夜、長崎市長射殺事件で容疑者が所属していた暴力団と首相サイドの「関係」を指摘した週刊朝日の報道について「私や私の秘書が犯人や暴力団と関係があるのであれば、直ちに首相も衆院議員も辞める考えだ」と述べ、強い憤りを示した。さらに「いくらなんでもだまっているわけにはいかない」と、法的措置を取る意向を明らかにした。
 首相は「一切関係ない。まったくのでっち上げで捏造だ」と強調。
 その上で「この記事を書いた(週刊)朝日の記者、あるいは朝日(新聞関係者)の皆さんは恥ずかしくないのか」と不快感を示した。
 また「いくら私が憎くて私の内閣を倒そうということでも、まったく事実に基づかない、いわば言論によるテロだ。報道ではなく政治運動ではないか」と指摘した。
 官邸で記者団の質問に答えた。

2007年4月24日 共同


なにしろ「でっち上げ」と「捏造」はバカ殿のお家芸なのですから、それを取られたとあっては怒るのも無理はありません。「法的措置を取る」なんて、やっぱり知的財産権の侵害にあたるということでしょうか。まるで武富士かオリコンみたいで、これじゃどっちがヤクザだかよくわかりませんが、もっともすぐ後で「テロ」とか「政治運動」とか言っていますから、「政治運動」を「法的」に弾圧するんだよ、というのが素直な読み方でしょう。

バカ殿を怒らせないような「報道」では、ともすると「テロ」を単なる普通の「犯罪」と同列視して、その「政治」的な意味を隠蔽したりなんかするものですが、バカ殿本人はそのような傾向に断固として反対します。「テロ」は「政治運動」であり、逆に言えば「犯罪」も「政治的」なのです。したがって「テロとの戦い」はもちろん、「防犯」も極めて「政治的」なものなのです。バカ殿にとっては「政治運動」こそ「犯罪」の最たるものであり、徹底的に叩きつぶさなければならない敵なのです。

これを受けて警視庁も慌てて、いやタイミング良く「暴力団」対策を発表するのも、どっからみても「政治的」であります。

暴力団との関係、一切遮断を…政府が企業に対し指針策定

 政府は、各企業に対し、暴力団など反社会的勢力との一切の関係遮断を求めることを決め、企業が取るべき措置の指針を策定した。
 あらゆる契約に原則、暴力団関係者らとの取引を拒否・解除できる規定を契約書に盛り込むことや、暴力団情報の収集とデータベース化などを求める。日本経団連とも大筋合意しており、今後、各省庁などを通じて、導入を要請する。
 今回の指針では、反社会的勢力との決別について、企業倫理としてうたうだけでなく、排除に向けた具体的な措置を明文化するよう求めている。特に、正体を隠していた相手が取引関係を結んでから要求をエスカレートさせる場合に備え、契約書や約款に「暴力団等の反社会的勢力である場合は契約を解除する」との条項を入れるよう求めたことが最大の柱だ。
 これにより、契約後に暴力団関係者であることが判明すれば取引を中止できるほか、暴力団と断定できなくても、不当要求などがあれば、「反社会的勢力」とみなして排除できるとした。また、不当要求や乗っ取り行為など「有事」に発展してから対処するのではなく、平素から社内体制を整備しておく必要性を指摘。
 具体的には、不当要求などに対応する専門部署の整備や、暴力団情報をデータベース化するなど取引相手を審査する体制構築などを挙げている。
 政府は今後、業界団体などを通じ、指針の内容を盛り込んだ基本方針を公表することも要請する。大手企業などは、2006年施行の会社法で不祥事の防止体制整備などを義務付ける「内部統制システム」が導入されており、指針を同システムに反映させるよう求める。
 企業のコンプライアンス(法令順守)重視の流れが強まる中、指針内容をどの程度実践しているかが、その企業の適格性を判断する目安にもなるとしている。
 指針に対する国民の意見などを募ったうえで、6月の犯罪対策閣僚会議で正式決定する。

2007年4月25日 読売新聞


政府としてはまず警察庁が基本的な「指針」を策定、「各省庁」で構成される「暴力団等資金源総合対策ワーキングチーム」が細かい内容を決めて、一応形ばかり「国民の意見などを募ったうえで」、6月の犯罪対策閣僚会議で正式に決定します。もちろんそんなことをしたところで、そもそも企業だって特にヤクザが好きでつきあうわけではないんで、ヤクザが政治家の秘書なんかを通じて「政治力」を動かすことによって企業活動の助けになるから仕方なく関係しているわけです。ヤクザと政治家の密接な関係がなければ、企業としてはヤクザと交際しても何のメリットもありません。ここはやはり「直ちに首相も衆院議員も辞める」のが有効な対策でしょう。

というわけでバカ殿は「卒業旅行」に行ったようですが、ヤクザさんが一番嫌うのは「恩を仇で返す」ような行為です。裏切ったりすると火をつけられたり骨を折ったりするわけですが、考えてみればバカ殿のみならず政府は、だいぶヤクザのお世話になって来たはずです。僕たちは特攻隊の屍の上にいるのかどうか、そういうものは海にあるはずですから船遊びやサーフィンをしない僕などにはよくわかりませんが、日本が今日このように存るのもひとえにヤクザのお陰であると言って過言ではありません。それは企業の私兵であり、自民党の「突撃隊」だったのです。ヤクザの屍の上に僕たちが今いるということを思うだけで、すごく今生きている価値が下がります。

ところが最近ではヤクザの活躍の場も少なくなってきました。国鉄分割民営化を大きな契機として労働運動はほとんど潰滅状態と言っていい程に無力化されていますし、市民の「政治運動」も、バカ殿が涙目で喚くまでもなく、ちょっとした活動でも直ぐに警察が捕まえに来ます。以前はヤクザの領分であったはずの「汚れ仕事」が、今では立派な「公務」です。首相がジャーナリズムに牙を剥き、国会の場で臆面もなく「神話」を歴史的事実に換え、日常的に強行採決を行なう政府は「裏稼業」を必要としません。もはやヤクザに出番はありません。バカ殿がひとりでできるもん。

にも関わらず、相変わらず勢力を誇示して企業や政治家に迷惑を掛けるヤクザは、無用を通り越して邪魔な存在になりつつあります。もちろん全く用事がないというわけではありませんから、完全に消滅することはありません。例えば暗殺などはやはりプロの仕事であり、民間で多少とも銃器の扱いに慣れた人がどこかにいなければならないわけです。海外からの勢力に対する防波堤にもなっていますし、場合によっては「特攻隊」も必要でしょう。しかしながら役に立たないヤクザはどんどん「粛正」されてしまうかもしれません。厳しい選別が働きそうです。ヤクザを序列化する「ヤクザテスト」が一斉に行なわれる可能性もあります。

下位になった組はだんだんやって行けなくなって解散を余儀なくされることもありそうです。ところが問題は組が解散してもそこに所属していた人たちまで「解体」するわけではないということです。たまに解体したのが転がってたりしますが、イルカ市場じゃないんだから。そこでそういう人たちはいっそのこと心を入れ替え、真人間に立ち返って「仁」と「侠」に生きてみたらどんなもんか。やっぱりヤクザじゃん。
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2007年04月24日

おせっかいな日本の私

集団的自衛権「憲法解釈見直し検討を」 久間防衛相

 久間章生防衛相は24日午前の閣議後の記者会見で、集団的自衛権行使に関する事例研究を行う有識者会議が設置されることに関連し、「戦後60年経って、憲法を作った当時から解釈が一つも変わらないのは少し違うのではないか。政府は今までの国会答弁や内閣法制局の見解に縛られるが、研究そのものはやった方がいい」と述べた。有識者会議について、憲法は行使を禁じているとする政府解釈の見直しも含め、議論すべきとの考えを示したものだ。
 久間氏はさらに「集団的自衛権と個別的自衛権を無理して分けようとするから無理が生じている。自衛権がどこまで許されるのかという研究をしてもらったらいい」と述べた。
 安倍晋三首相も23日、「時代が変わっている中で、どう解釈すべきかについての議論はしてもらいたい」と述べている。

2007年4月24日 Sankei WEB


久間さんの現実を直視した議論には感心せざるをえません。たとえ同じ言葉を繰り返し使っていてもです。「集団的自衛権」と「個別的自衛権」は、別に無理をしなくても分けられます。ただし独立した国家についてはですが。ある国は他の国と軍事同盟関係を結んで「集団的自衛権」を行使することを選択することが出来ます。そんなことをしないという選択もあり得るのですが、いずれにしても「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の区別ぐらいはしているはずです。しかしながらこのような選択が不可能である場合、軍事同盟が強制された従属関係であり、したがって軍事的に独立国家と認められない場合には、たしかに「自衛権」を「集団的自衛権」と「個別的自衛権」に分けることは困難になるでしょう。

もっとも「自衛権」という概念も極めていいかげんなもので、戦争をおっ始める単なる口実に過ぎないことが多いようなのですから、国民にわかりやすいように「交戦権」と言い直すのが適当です。事実、大量破壊兵器の脅威に対する「自衛」として始まった戦争が脅威の不在の判明とともに「復興支援」として継続されているのですから、名目がコロコロ変わって面倒なことこの上ない状態です。嘘をつく奴ほど良く喋り、早口で、言うことが二転三転するそうです。現状の事態はレイプした女の子を「慰めて癒す」ためにその娘の部屋に居座り続けるような立派な行いであります。実際には拘束してカラダを弄んでいるのですが、そういうことは憲法で認めていません。

一方、6カ国協議や従軍慰安婦問題で外交センスのなさが露呈したバカ殿にとっては、首相就任直後に訪中・訪韓した頃に比べると確かに「時代が変わった」ようです。このままだとアメリカに行った時に怒られちゃいます。「お前バカだからもう辞めれ」と、他でもないあのブッシュに言われたくはないでしょう。盗人にも五分の理、バカ殿にもプライドがあって、傷つけられると尺八が鳴るのです。プライドなら津川雅彦にもあるみたいですが、そんなこと憶えてる奴いないよ。キムタクにもあるくらいですから、僕にだってあります。もちろん尺八は大好きな方ですからそこんとこよろしくって誰に言ってるんだ。今井美樹の口はでかいので身に余る光栄であります。

それはともかく実際のところアメリカへのお土産にと用意していた改憲が意外と出来上がらず、早くても3年後とかいう話しになってしまいましたし、与党の「国民投票法案」をみれば判るように、卑怯な手でも使わなければとても改憲などおぼつかない状況であることはバカ殿だって理解しているはずなのです。

最低投票率規定、自民内で批判相次ぐ

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案へ、最低投票率の規定を盛り込むべきという意見が国会の内外から出ていることについて、自民党内から批判的な意見が相次ぎました。
 国会で審議中の与党修正案には、国民投票成立の条件として、一定の投票率を求める最低投票率の規定が盛り込まれておらず、野党側は「場合によっては有権者の1、2割程度の賛成で成立してしまう」と反発しています。
 自民党の関係合同部会では、出席者から「最低投票率の導入はボイコット運動を誘発することにつながる」といった意見や、憲法改正の手続きに触れた「憲法96条にも投票率の要件はなく、憲法違反につながる恐れがある」など、批判的な意見が相次ぎ、賛成意見はありませんでした。
 こうした中、参議院の憲法調査特別委員会では、参議院では初めてとなる地方公聴会が開かれました。与党側は当初目標に掲げていた5月3日の成立にはこだわらず、来月中旬の成立を目指していますが、民主党は独自の修正案の提出も視野に抵抗していく構えです。

2007年4月24日 TBS


恐ろしいことに有権者の大多数がボイコットすることが予想されています。最低投票率が取り入れられると、棄権はボイコットと同じ効果を持ちます。つまり積極的に賛成の意志を持って投票を行なう有権者が過半数存在しなければいけなくなるわけです。本来なら多くの国民の積極的な賛意の表明がなければ憲法の改正など出来ないことになっているのが当然なのですが、だからといってさすがに「新憲法草案」みたいなシロモノが支持されると思うほど自民党の諸君もバカではないらしい。日本の政治家のレベルもそんなに下がったというわけでもないようです。それにしても国民の大多数が反対するような改憲をいかになしとげるか、アメリカもキツい課題を押し付けるもんですが、上下関係とはツライものなのです。部下や子分、三下とか下っ端と呼ばれる皆さんにはよくお分かりのことと存じます。僕なんかは親切なので、無理難題を押し付ける上司に悩む友人には「辞めちまえそんなとこ」などと適確なアドバイスを行なうわけですが、バカ殿にも同じことを言ってあげましょう。涙が出るだろ。目が潤んでるぞ。ちなみに世間では「口の大きい女の人は下の口も」などと言われているようですが、経験上そんなことはない、と今井美樹さんの名誉のために強調したい。こんな僕はとても親切ですが、イザ!となれば「集団的自決権」を押し付けてくるのはおせっかいというものです。
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2007年04月22日

スピリチュアルでメタボリックでヘルシーな日本神話

自民・中山元文科相が暴言 “「従軍慰安婦」もうかる商売” “ほとんど日本の女性”

 自民党の中山成彬元文部科学相は二十日の衆院教育再生特別委員会で、米下院が「従軍慰安婦」問題で日本政府への謝罪要求決議案を採択しようとしている動きを強く非難し、「『美しい国』は強くなきゃいかん。間違ったことに反論していく勇気、強さが必要だ」と述べました。
 中山氏が会長を務める自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、米下院の決議案阻止のため今月下旬から訪米を予定しましたが、米国内で「従軍慰安婦」問題の批判が高まるなか、「火に油を注ぐ」として訪米延期を決めたばかり。しかし、この日の質問は中山氏の本音をあらためて示したものです。
 中山氏は「当時は公娼(こうしょう)制があり、売春が商行為として認められていた。慰安婦はほとんど日本の女性だった」などと述べ、日本軍による「従軍慰安婦」強制を否定。さらに「(慰安婦は)もうかる商売だったことも事実だ」と暴言を吐きました。

2007年4月21日 しんぶん赤旗


ところがもっと儲かるのが宗教です。宗教はいいですよ。儲るし、キレイな女優さんと結婚出来ます。今や女優と結婚出来るのはお笑い芸人か宗教です。昔は、ほら、建築家とかいましたけど。もちろん結婚なんかするのは賞味期限を過ぎた乾涸びた女優かもしれませんが、いくら寝返ったとはいえ女優は女優だよな。堪能しておるかね。参院選までよく味わっておくんですね。

若村麻由美さん・夫、小野兼弘さん死去…直筆FAXで発表

 女優・若村麻由美さん(40)の夫で、宗教団体「釈尊会」会長の小野兼弘(おの・かねひろ)さんが18日に肝不全のため亡くなっていたことが20日、分かった。54歳だった。この日、若村さんが直筆のファクスで小野さんの死去を発表した。結婚から3年7か月での突然の別れに、若村さんは「あまりに突然のことで、この事実を受け入れることがまだできません」と悲しみをつづっている。
 若村さんは直筆のファクスで「私、若村麻由美の夫、小野兼弘は肝不全により4月18日自宅にて遷化(せんげ=仏教用語で高僧が亡くなること)いたしました。あまりに突然のことで、この事実を受け入れることがまだできません」とつづった。
 小野さんは2月ごろから過労で体調を崩していたが、亡くなる直前まで「釈尊会」の行事に参加していた。18日午後2時半ごろ、自宅で容体が急変。午後4時54分に「眠るように逝ってしまいました」という。
 若村さんはテレビ朝日の土曜ワイド劇場の30周年特別企画「家政婦は見た」(放送日未定)の収録のため都内でロケを行っていたが、急きょ帰宅。「帰宅するまで意識のない中待っていてくれました。短い時間でしたが、最期に一緒にいることができました」と夫の最期をみとった。
 今後は故人の遺志により、近親者のみの密葬の後、「お別れの会」が開かれる予定。この日、都内の自宅には報道陣が詰めかけたが応答はなかった。若村さんは「今はまだボーッとした頭なので、このようなご報告しかできません。今しばらくそっとしていただけるとありがたく存じます」と突然の別れに悲しみに沈んでいる。
 大柄な体格がひときわ目をひいた小野さんと若村さんは、03年9月に結婚。翌年2月に公表し、若村さんは結婚会見で「お釈迦様の前でプロポーズされた。見た目ではなく人柄にひかれた。大きく包まれている感覚。人生の喜びを得ました」と小野さんの魅力を語っていた。
 俳優・渡辺謙(47)をはじめ芸能人とも親交があり、渡辺と元夫人との離婚訴訟の際には証人出廷し、夫人に計4億5000万円を貸したと証言。また、実母や実弟が役員を務める「大尊会」との間に金銭面のトラブルがあり、絶縁状態にあると報じられ、04年3月に実母が亡くなった際には通夜・告別式ともに出席しなかったなど、騒動の渦中にいたこともあった。
 ◆本部ひっそり 岡山・倉敷市にある釈尊会の本部はこの日、午前中に信者10人ほどが出入りしたが、その後はひっそりとした様子だった。信者の1人は「テレビで知って来ました。若村さんが小野会長の後継者に? それはなかろう」と平静な表情で語った。近隣住民によると、小野会長は8日に本部に姿を見せ「坂を上がる時、肩を借り、後ろからは押してもらってました。結婚された時より太ってました」という。若村は本部へはめったに来ないという。

2007年4月21日スポーツ報知


宗教の何が儲かるって、あの太り方。上手いものを沢山喰える、上手くないものでもとりあえず量は沢山喰うことが出来るようです。ビンボー人には夢のような話しです。僕はんかは太ってるとモテないとか思うのですが、それがビンボー人の浅はかさ。お金があれば思い切り太って、しかもモテるのですから言うことはありません。実際、小野さんも相当なもんでして、若村さんの身が案じられたものですが、そういえば池田さんだってお肉ダブダブだし、麻原さんもご存知の通りの状態です。麻原さんの奥さんは若村さんなんかに比べるとちょっとアレですが、麻原さんは既にそんな「見た目」みたいなもんは超越してるっていうか、文字通り「無視」してるんだからいいわけです。愛人もいたけど。日本平和神軍の中杉さんは、うーん、どうなんだろ、ラーメンは好きみたいですな。喜久蔵は太ってない。

ところで最近心配なのは最近ゴールデンタイムに進出して来た江原啓之さんであります。声楽をやっている関係もあって体格は相当なものです。前世がどうのこうの言うのは商売ですから勝手ですが、ファンもいたりするようなのですから今生も大切にしたいものです。どうせ死んでも生まれかわってくるつもりでしょうからどうでもいいですけど。

これで細木数子さんが火金、江原啓之さんが土曜のゴールデンタイムに出て来るわけですから、「スピリチュアル」漬けになりたい人にはたまりません。やはり細木さんの品のなさに辟易する人も多いでしょうから、ここらで新しいタレントが必要なんでしょうけど、どっちにしてもこの2人を比べるのは、佐川一政と戸塚宏を比べてどっちが好きか?みたいなもんですから大変不毛な話しであることは言うまでもありません。僕は佐川君の方がなんだか好きだな。

それにしても納豆を相当喰ったって別に死ぬわけではないのですが、こういう人たちがTVで無根拠な妄想を垂れ流していられるというのもオカシな話しでして、関西テレビだけ除名されるのはどうにも納豆、じゃなかった納得がいかないような気がしますが、どうもこの手のネタは保護されているようです。誰が「保護」しているのか知りませんが。市長暗殺を命令したのも誰だか判らないんですから、そんなこと判るわけないんですが、「日本会議」には「日本を守る会」から来た宗教団体が沢山加わっていたりしますんで、とかく宗教に甘い人が世の中には多いものだ、と言われています。

なにしろ「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は「新しい歴史教科書をつくる会」を支援し、そこでつくった教科書の採択を応援する仲間ですが、これの元会長であるアル中は「藤岡先生から『中川、これをやれ』と命じられれば、私は命をかけてやる」んだそうです。まるで鉄砲玉か殺し屋ですが、そのかいあってか、おかげさんで学校では既に「神話」を教えることになっています。国家宗教といえば靖国神社ですから、「神話」といってもつい最近の話しなんですが、たとえば沖縄では兵器庫から手榴弾を盗み出して勝手に自殺した人たちがいたとか、それが大変に立派なことであるとか、そんなことをして法律とかはどうなっているんだとか、たとえ歴史であってもあくまで宗教的な見地から見て敬虔な国民にふさわしい「日本神話」になってしまいました。

こうやって「子どもたちにより良い日本を残す」んだそうですが、現代史もろくに知らずに歪曲された「神話」として習ってきたような「子どもたち」は大変な苦労を強いられます。自分で勉強するとテストで間違えますから、試験用の知識はちゃんと頭の中で分けておかなければなりません。試験対策として教科書以外は読まないというのもひとつの手ですが、そういう場合はのこのこ外国に出て行くと恥をかくので止めましょう。「日本神話」は海外では通用しません。「神話」への素朴な信仰と「スピリチュアル」は教養のうちに入りませんので、日本人はテキサスの田舎者やレザーフェイスと同等にみなされます。イギリス辺りの餓鬼は日本列島とカリフォルニア半島の区別がつかず、メヒカリは魚のことだと思うようになるでしょう。コレステロールを溶かすんだとかで、大変ヘルシーであります。TVで江原さんを見ながらご飯を食べるとつい油断して食べ過ぎ、あんなふうになってしまいがちですので注意が必要です。
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2007年04月17日

3年前と変わらない?

最近酒に弱くなりまして、ちょっと飲むともうダメ。3年前は毎晩飲んでたんですがね。

野党の国民投票法案反対、首相「3年たてば政界も変わる」

 安倍首相は16日、中山太郎・衆院憲法調査特別委員長と首相官邸で会談し、憲法改正手続きを定める国民投票法案の衆院での採決で、民主党など野党の賛同が得られなかったことについて、「仕方ない。3年もたてば、政界の模様も変わるだろう」と述べた。
 法の施行は公布から3年後であることを念頭に、憲法改正論議に影響するとは限らないとの見方を示したものだ。
 首相は同日夜、自らの発言について、「政界というのはどんどん変わる。去年と今年は随分違うでしょ。そういうことだ」と記者団に語った。

2007年4月16日読売新聞


今から3年前というとイラク出兵の年であります。前年末に航空自衛隊の先遣隊が出発していますが、この年1月19日に陸上自衛隊がイラクに入りました。陸上自衛隊としては初めての戦争です。これによってアメリカと一体不可分とみなされた日本は敵とみなされることになったので、4月7日には武装抵抗グループは日本人3人を捕まえて自衛隊の撤退を求める事件が起きます。ところがここに至って大変に面白いことが起こります。日本の人たちの一部は、なんと人質を取ったグループではなくて、人質の方を非難し始めたのです。「自己責任」説から怪しげな「自作自演」説まで、まったく北朝鮮に連れて行かれた人たちに対する待遇とはえらく違うわけですが、帰ってきたら来たで「かかった費用を払え」と言い出します。誰がどこの国の人か判りませんが。

ある議員、というのは他ならぬ当ブログのアイドル柏村武昭さんですが、正確には元議員と言いますか、元広島市長候補、木へんにホワイトの柏村さんであります。当時「人質の中には自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしいと。もし仮にそうだとしたら、反政府、反日的分子のために血税を用いるのは、強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」という明言を残されたのであります。税金は柏村さんのものではないので、何に使おうと彼の快感に奉仕するいわれはないのですが、この世迷言が明言たる所以は、「日本人」を「反日分子」とそうでないもの、「親日分子」とでもいうのでしょうか、そういうものに分けたという点にあります。

「血税」云々はゴムをつけたら「違和感」、毛をはさんだら「不快感」という程度のことですからどうでも良いことですし、アメリカ軍のためには大いに使用する一方で必要な所には回ってこないのが「血税」ですから、「反日分子」だって「日本人」であることには変わりはないのですが、あたかも「国民」として一体となっているかのように思われていた「日本人」が、様々な「分子」に別れているという指摘は重要です。「日本=日本人」ではなくて「日本=親日+反日」だというわけです。ちなみに先の広島市長選では、「親日分子」は116,211人、有権者の12.8%でした。しかし「反日分子」が87.2%を占めるのかどうかは定かではありません。日本には他にももっと沢山の「分子」がいるのかも知れません。東京には三文文士がいますが、このさい関係ありません。

それで「人質の中には自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい」ということなので、反対していなかった人も「いるらしい」のですから、全員が全員「反日分子」ではなくて中には「親日分子」もいたのかも知れませんが、日本にいる「親日分子」の人たちはあくまで人質にむかって「邪魔だから死ね」とか言っていたわけです。人質を助けてやろうとはあまり思わなかったらしい。これは「親日分子」が世界に誇るユニークな点です。世界には多様な価値観があるそうですが、およそ「誘拐」ということはどこへ行っても効果のあるものとされています。パラグアイでも韓国でもそのように考えられています。イラクの抵抗グループの「誘拐」を「犯罪」と同列に扱うのはどうかと思いますが、「親日分子」によるとひとつの犯罪類型がまるまる理解不能になります。これからは餓鬼を攫って来て身代金を取ろうなんていうのは無理です。親に「親の言いつけを守らないで遅くまで遊んでるような悪餓鬼は惨殺して下さい」と言われて糞餓鬼を持て余すのが落ちです。

ところで人質を見捨てることが出来るというのは、人質が弱い人であるからに他なりません。人質があんな3人ではなくてコイヌミやバカ殿などの「要人」であれば、「国家の迷惑だから助けてやるもんか」とは言わないでしょう。言ったら面白いと思いますが、残念ながら言わないはずです。てゆうかそういう連中を人質に取ることは困難です。例えばある家庭の中で誰かを人質に取るとしたら、弱い餓鬼を人質にします。それでもダメなら老親、次には奥さん、という具合に、弱い順に優先順位が決まります。防御なく抗力なき弱者であることが人質の要件です。

この事件の場合は、弱い順に「人質 ー 抵抗グループ ー 日本国」ということになるかと思いすが、「親日分子」は抵抗グループに対する抵抗を断念していますので、「人質」と「抵抗グループ」の間に自分を位置付けているようです。あるいは「日本人」の中で現に人質になっていることによって「弱い部分」として現れた「人質」から、自らを引き離すために自分を「親日分子」として規定するのかも知れませんが。自分より強い奴に脅されるともっと弱い奴、弱い部分を切り捨てる、さらに強い奴に何か言う(撤退してくれとか)なんて思いもよらないのが「親日的」です。弱い奴らを犠牲にして自分が助かるんであればこれは確かに長生きの秘訣、捏造抜きの健康法です。

ただ、このように弱者を切り捨ててゆくと、いずれ自分の番が回ってきます。徐々に弱い方から切り崩されて行きます。この過程はこの3年間でかなり進行していると思われますが、これはぽろぽろと足下が崩れて行くようなもので、大変不安なものです。これは極めて重大な影響を及ぼします。

日本人のセックス回数、3年連続最下位=最多はギリシャ人−英会社調査

 日本人の1年間のセックス回数は平均48回と3年連続最下位で、満足度も低い−。英国のコンドームメーカー、エスエスエルインターナショナルが17日発表した調査で、性に消極的な日本人の姿が明らかになった。
 記者会見に出席した女優の杉本彩さんは、「魂のこもったセックスをしないで死ぬのは残念なこと」「カップルが罪悪感を持たず、快楽を求める努力をすることが必要」と語った。
 調査は世界26カ国、約2万6000人を対象に実施し、日本からは1090人が参加した。
 1年間のセックス回数は平均103回で、トップはギリシャの164回。「毎週セックスする」と答えた人の割合もギリシャの87%が最高で、日本は最も低い34%だった。

2007年4月17日 時事


やはりアッチの方は正直なものです。この3年間というもの、もうオマンコどころの気分じゃないらいしい。「親日分子」の振りをして自分が弱者に他ならないという現実を否認する人が後を絶たないわけですが、やっぱり無理はいけません。そんなことじゃ「親日分子」の仲間に入れないことは言うまでもありません。それに連中だって人を背後から撃つくらいに追い詰められているんです。こちらもそういうムードにはならんでしょうな。この件について気になる方は下記にて過去の調査結果が参照出来ます。実は2003年まで日本に関する国際比較は行なわれていません。日本は2004年に初登場最下位で、以来この地位をキープ。ちなみに日本のすぐ上はあのシンガポールですが、それでも日本の1.7倍くらいはヤってます。

http://www.durex.com/jp/index.asp

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2007年04月14日

そろそろ大人を卒業したいな

いつもの所に、いつもいる様に、僕が困っていたら、なんと「老獪なブロガー」やきとりさんのとこで僕んちをご紹介くださっている。やきとりさんといえば例の「会話」シリーズ、掛け合い形式によって矢継ぎ早にネタを繰り出す密度とスピード感は音楽的な才能を感じさせて僕は好きですが、それにしても山下洋輔トリオの次にご紹介にあずかるとは、なんとも畏れ多いことでございます。あれは、僕が実際に高校生の頃に聞いたレコードだったから、僕も餓鬼の頃に戻ってしまいましたよ。といってもいまだに大人になった気がしませんが。

40過ぎのオヤジが何を言ってるのか、大変困ったことですが、「おとな」とは「音無」のことだったらしい。つまり餓鬼みたく騒いだり叫んだりピアノを拳固で叩いたり「毒舌」やら「饒舌」というようなことをしないのが「大人」ということなのです。大人になったらおとなしくしないといけない。残念ながらこれじゃ僕なんかいくつになっても無理です。

これがよその国に行ったりなんかすると、バヌアツでは皆さんご存知の通り高い所から飛び降りてみせますし、一方インドネシアのどこかでは高いところを飛び越えてみせるのが大人になる条件です。マサイ族は少年をサバンナに放り出してライオン一頭しとめてくることを要求します。これらは要するに独立した生計を営むことが出来る身体能力を獲得したことをもって成年とみなしているようです。このような「試験」には大雑把に言って「一回ヒドイ目にあわす」要素がありますが、中には「試験」抜きで「ヒドイ目」だけが儀礼として行なわれる場合もあります。麻酔もなしにチンポの皮を切り刺青を入れ歯を引っこ抜くのです。体にマークを付けるわけですが、マーキングが「異常・特殊」の兆候で刺青が島帰りの証拠だと思っている僕たちからすると、「正常」な人全員にマークがついているという状況は興味深いものです。

日本でも包皮切除とか、街に出て知らない人をナンパして一発しとめてくる、などの「通過儀礼」の再興を主張する人もいますが、まだまだ少数派です。民法では年齢20歳をもって成年と定めていますが、これは法律行為の主体を定義する「民法の根幹」でありますが、つい昨日この「民法の根幹」が致命的な危機にさらされました。長勢さんはどう思うことでしょうか。みんなは長勢さんの気持ちを考えたことがあるのか。僕はありません。

これはバカ殿が自分の任期のうちに、とはいってもバカ殿は自分の任期がいつまで続くと思っているのか知りませんが、どうせ長いことはないことはご当人も気がついているわけで、それだけに大慌てで改憲するために、改憲手続きにおいて民主党の案を取り入れたものです。その結果民主党が与党案に賛成してくれるかというとそういうことにはならなかったのがマヌケな話で、どうせ強行採決するんだからどうでもいいようなものですが、本番、つまり改憲の発議のことをかんがえるとそうもいかないらしい。

というようなある種の妥協と混乱の結果、国民投票の投票権が18歳以上の者に与えられる、ついては民法上の成年の年齢も18歳になるという可能性があるのですが、国民の福祉などのためにゆるがせには出来ない「民法の根幹」も、戦争のためなら犠牲にしてしまって構わないようです。とはいえこっちも「すべて連動している」ことには変わりありません。法務大臣としてめんどい点は同様であります。

徹底的に改憲側に有利なこの法案の中で、ここだけが唯一、どっちに有利に作用するかわからないところです。とはいえこれも限定的に改憲側に有利に作用する可能性はあります。例えば産經新聞では現役高校生が選挙権を持つことに注意を喚起し、「現役の高校3年生が18歳になって投票権をもつケースも出るため、学校現場では憲法教育や社会人としての自覚を促す教育を充実させる必要もありそうだ。」(2007年4月13日)と述べています。これは改憲を志向する勢力が内閣を掌握している場合には、学習指導要領や教科書の検定などの教育行政を通じて、有権者の一部にかなり大きな影響を与えることが出来るということです。高校で投票日直前まで「改憲教育」が「充実」されるならば、高校在学中の有権者の投票行動に多大な影響を与えるでしょう。一方で改憲に反対、又は改憲案に反対の教師がいたとしても、「学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して、国民投票運動をすることができない。」(法案103条)のです。

まあ、産經新聞なんかが変なことを書くから心配になっちゃうわけですが、賢明な高校生諸君は先生のお話などてんで聞いていないのが実情ですから、何ともいえない所です。ところで「伝統」的には元服が12歳くらいから行なわれますし、村の若者組には15歳くらいで加入して夜這をしたもんです。一方で現代人は知的成熟が遅延し、30歳くらいが成年として適当だという説もありますので難しいもんですな。実際、過半数が何の半分以上なのか解ってないのにボーッと強行採決を見守っている人たちは、あれは本当に大人なのか、極めて疑わしいものがあります。世の中には「大人になりたくない」人も多いんだそうですが、いずれにしても何があっても何をされても黙って「大人しく」してガマンするのが大人になることだったら、鉄砲一本にぎりしめ誰かを殺しに風の中。バカな話しさ大人になるなんて。
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2007年04月12日

のうなしキリギリス

「キリギリス」の国にするのか!=休暇促進案に財務相反発−6日の諮問会議

 6日開かれた経済財政諮問会議で、完全週休2日制や有給休暇の完全取得などによりワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の実現を求めた民間議員に対し、尾身幸次財務相が「日本をキリギリスの国にしてしまう」と反発していたことが、11日発表の議事要旨で分かった。
 財務相は「みんなが働かないことがいいという考え方は自由主義に反する。国が衰退する原因になる」と述べた。甘利明経済産業相も「働くことが生きがい、喜びだという質にも目を向けたらどうか」と疑問を呈した。
 これに対し、安倍晋三首相は「みんなキリギリスになったら大変なことになるが、日本はそういう方向にならない」と指摘。ワーク・ライフ・バランスの実現に意欲を示し、民間議員に軍配を上げた。 

2007年4月12日 時事


暑い夏の間アリたちは一生懸命働いて冬の間のための食糧を蓄えていました。一方セミは働きもしないでジージーミンミンと歌を歌って遊んでいるのです。それどころかセミはアリたちが働いているのを見て「ほれほれビンボー人は働いていやがれ、バ〜カ」と罵るのです。アリたちはセミがおもしろおかしく遊び暮らしているのを横目に、苦しい労働に耐えておりました。

やがて寒い冬が来ると、アリたちは巣に立てこもって夏の間に備蓄した食糧を食い延ばしてサバイバルしています。ところがセミは冬になったら喰うものがない。セミもアリたちが食糧を貯め込んでいるのを知っていますので、アリたちのところへ行って食べ物を分けてもらおうとします。雪さえ降ってきて裸足では足が凍り付くので、ぴょんぴょんしながら頼み込むセミに、夏の間バカにされていたアリたちはここぞとばかり言い放つのです。「夏の間は歌ってたんだから冬はそうやって踊ってな。バ〜カ」。いい気味です。

このおはなしはイソップ物語の一編として世界中で知られています。日本でも「伊曾保物語」として江戸時代から親しまれてきました。中でも「アリとセミ」のおはなしは、セミになじみのないドイツ人が「キリギリス」ということにしたので「アリとキリギリス」として大変有名です。しかしながらこの話には結末がついていません。アリたちがセミだかキリギリスだかをバカにするのはよいのですが、この状況は両者の間の緊張が極限にまで高まる瞬間であり、何らかの解決を要求しています。

これには様々なヴァージョンがあるんですが、「イソップ物語」が元々はアイソポスなる奴隷が仲間の奴隷に話して聞かせたおはなしであったことを考えると、「アリたちは扉をぴしゃりと閉め、セミを見捨てました。セミは凍えてくたばりました。」という、奴隷の立場からして大変に「胸のすく」結末であったものと考えられます。最近の人たちは「教訓」などを重んじるようですが、ギリシア時代には「カタルシス」がフィクションの原理だったのです。昼間からブラブラして哲学などを論じたり美少年の尻を追っかけ回したりスポーツにうち興じている連中のことを奴隷たちがどう見ていたかを考えると、セミが野垂れ死にする結末は極めて妥当なものだと言えるでしょう。日本でも「伊曾保物語」はこのパタンであり、日本版「アリとキリギリス」は永くこのパタンを踏襲していました。

一方ではアリたちがセミに食べ物を分けてあげる、というのもあります。日本で「伊曾保物語」より早く出版されたローマ字本「エソポのハブラス」はこのパタンで、アリはセミをさんざんに嘲ってお説教を垂れ、少しの食糧を与えて帰らせたことになっています。それで「イソップ物語」が日本に伝わる以前から、ヨーロッパにおいてすでに2つの結末が存在していたことがわかります。日本では第2次大戦後になってからこのパタンが多くなったそうで、これはディズニー映画の影響であるとも言われていますが、もしそうだとするとこれは第3のヴァージョンが現実に起こったことと無関係ではないでしょう。それは食い詰めたキリギリスがアリの巣を襲い、電撃戦でアリを皆殺しにして食糧を奪おうとしたことを指しています。

もっともギリシアの昔から、現実はおはなしのように面白いものではありません。この物語を語ったアイソポスも、聞いている奴隷たちも、アリたちがセミに支配されていることを充分承知していました。だからこそアリたちがセミに残酷に見える仕打ちをしたとしても、セミが可哀想だ、などとは言わないのです。一寸の虫にも五分の魂

キリギリスは食べ物を分けてくれるように頼みに来るどころか、当然のような顔をしてふんだくり、娘の分までだまし取り、「国が衰退する」なんて勝手な歌を歌っています。アリたちはそれを聞きながら黙って働いています。仲間のキリギリスも日陰で冷たいもんでも飲みながら「働くことが生きがい、喜びだ」と歌って、もっともっとアリたちを働かせようとします。弱いアリは炎天下で痙攣して死んでゆきます。キリギリスのために働くアリがいなくなったら大変ですから、キリギリスの親分は「アリの再生産がしっかりしていなければ「国」が成り立たない」と注意を促しています。いずれにしても「キリギリスの国」ではない「国」は存在しませんから、尾身さんは何も心配しなくても大丈夫ですよ。昔話ってもんにはこうやってちゃんと意味があるんだよ。わかったかい、なんて言っているうちになんだい、尾身さんの方が寝入っちゃったよ。こうしてみると名前のとおり、頭がないねえ。
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2007年04月11日

ロボ教師2

教員査定で給与格差 『徳育』成績評価せず

 政府の教育再生会議は九日の学校再生分科会(主査・白石真澄関西大教授)で、実質的に年功序列となっている公立学校教員の給与制度を見直し、査定によって優秀な教員とそうでない教員との間で差をつけることを提言した素案をまとめた。
 一方、学校再生分科会は先に、小・中・高校で「徳育」を正式教科として位置付けることを提言したが、これに伴う成績評価についてこの日の会合では、国語や社会などと同じようにすべきではないとの意見で一致。成績評価は見送ることになった。
 政府は教員の資質向上と不適格教員の排除を目的にした「教員免許法および教育公務員特例法」改正案の今国会成立を目指している。給与制度見直しの提言はこれに続き、教育現場に競争原理を導入しようという安倍晋三首相の教育姿勢を強く打ち出したもので、教育再生会議は五月の第二次報告に具体的な査定の幅を明記する方針。現行基準の80−120%の幅で給与を決定できるようにする案を軸に検討を進める。
 素案は、質の高い教育を行っている公立学校などを予算措置で優遇するとともに、公立学校の統廃合を推進することにより公教育の高コスト構造を見直すなど、「成果や実績に応じた予算配分を行い、教育予算のメリハリを強化する」ことも提言した。
 ただ、こうした競争原理重視には、有識者メンバーからは「今できることを最大限やるべきだ」「給与を減らしたり、教員数を減らすのは、教員の負担が過重になる中、適切ではない」など異論も相次いだ。第二次報告取りまとめまでには曲折も予想される。

2007年4月10日 東京新聞


「競争原理」は開かれた市場において、しかも短期的に評価する場合のみ「有効」です。パフォーマンスに対する評価が多様性を保証された市場において行なわれると仮定されているのが「よい意味での競争原理」(白石真澄第1分科会主査)であり、そこでは様々な興味を持った消費者たちが選好を行なうことが前提とされているのです。したがって競争は単にコストの多寡を巡って行なわれるだけでなく、新たな嗜好を開発することによって当面高利潤率を確保することが可能なマーケットを見いだそうとする競争も行なわれます。こんなことで世の中がだんだん良くなっていくかどうかはわかりませんが、これは複数の評価基準の並立をもたらします。

一方、上司による教員への「査定」や上位機関による学校への「評価」を巡る「競争」は、特定の嗜好を満足させることを目標にしているのであって、このような消費の独占においては様々な消費者の多様な興味が存在せず、特定の価値観への忠実度の競争が行なわれることになります。これは単一の評価基準の先鋭化によって、劣位の者の市場からの排除を通じてサービス提供者の均質化、規格化をもたらします。これは「競争原理」ではなく「統制原理」と言うべきでしょう。

このようにしていわばロボット化される教員のひな形が『ロボコップ2』だとは驚いた話です。急に何を言い出すのかわかったものではありませんが、『ロボコップ2』は新型ロボット警官に犯罪者の脳を移植する話でして、たしかにそれで『フランケンシュタイン』と同じ話になるのはわかりますが、なんだって犯罪者なんかの脳を入れるのか、しかもワザとそうするのですが、いくら何でも無理のあるお話であって、そりゃないんじゃないか、いくらなんでも酷い、だいたいあのみっともないロボットは何だ、やっぱり続編にロクなもんはない、などと、まあちょっと評判の悪い映画だったりするわけです。

ところがこれの原案・脚本はフランク・ミラー、あの『シン・シティ』のフランク・ミラーであります。ただで済むはずがありません。しかも彼の脚本に手を加えて完成させたのが、かの『ワイルド・バンチ』の原作者ウォロン・グリーンであるとすれば、良きにつけ悪しきにつけ何事かが起こらないはずはないのです。『イレイザー』がどうだったとか、まして『太陽の七人』って何だよ、などという話はどうでもいいことです。実際のところ、未来は「よい意味での馬鹿と呼ばれた男」の手中にあるのです。

「悪い意味でのバカ」がいくら占っても将来のことなど何も判りませんが、『ロボコップ2』が1990年の段階で現在の状況を予言していたというのは正に驚くべきことです。今や小はヤンキーから、大は殺人ヨットマン、果ては戦犯の末裔にして熱心な擁護者に至まで、どこから見ても疑いもなくまごうかたなき明々白々立派な犯罪者が行政を牛耳ろうとしているのは紛れもない事実であります。当時は少年時代の非行を自慢している人が内閣官房なんたら室長になったり、都知事が人殺しの肩を持ったりするとは夢にも思っていませんでした。今の世の中を動かしているのは犯罪者の脳です。僕としては今こそアーヴィン・カーシュナーを軽視していたことを反省することにしたいとおもいますが、「続編担当」などという、ある意味では失礼な言葉が頭をよぎるのをどうすることも出来ません。それでも『ロボコップ』シリーズは自分の名前を忘れないことが大切であると説いています。そうすればたとえ我が身は鉄の塊でも、肉ロボットだらけの世の中で人間としての誇りを持って生きてゆけるのです。
posted by 珍風 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月07日

ネズ美の国は甚だ遠し

本日から旧態依然の形式に戻っちゃうんですが、ネズミランドでは方針を変えるんだって。

ミッキー、同性愛カップルを祝福 米DLが方針転換

 米ウォルト・ディズニー社はこのほど、ディズニーランドで開催する挙式「フェアリーテイル・ウェディング」について、同性愛カップルからの受け付けも開始した。従来は婚姻証明提示を求めていたため、法的に認められていない同性カップルはディズニーでも挙式ができなかった。
 ディズニー関係者はロイター通信などに対し、「同性愛者による誓約式も可能になるよう、規則を変更した」と説明。挙式サービスはカリフォルニア州やフロリダ州内の施設で提供されており、価格は8000ドル(約95万円)から。シンデレラ城の前で、正装したミッキーマウスらに祝福してもらえるプランもある。
 同社はこれまでも、目立たない会場を貸し出すなど、同性愛者に比較的寛容な立場を取ってきた。これに対し一部宗教団体は「伝統的な家族の価値観を踏みにじっている」と抗議。そうした逆風をはねのけ、今回の方針転換に踏み切った。

2007年4月7日 時事


どっかの工場みたくネズミが走り回っているところで結婚式を挙げようなんて人の気が知れませんが、ホテルや結婚式場だって裏に回ってみればわかったもんじゃないような気がしますから、そう考えてみればここのネズミは大きいし、場内の目立つところを堂々と歩き回ったりしているので比較的安心です。それにしても「逆風をはねのけ」って、ネズミホイホイをぶっちぎるみたいにカッコいいぞ。

ヤンキーの聖地、東京ディズニーランドでも場内のホテルで同じく「フェアリーテール・ウェディング」の名称で婚礼を扱っていますが、こっちのほうはどうなのでしょうか。たしかミッキーはミニーというメスと異性愛のカップルをなしていて、挙式サービスだとこの2体が登場してくるはずですが、同性愛の場合はどうなるんでしょうか。記事では「ミッキーマウスら」と書いてありますが、この「ら」が、男性同士の場合はもうひとりのミッキーなのか、ドナルドダックなどの別のオスなのか、ダンボを出してほしい人には希望を聞いてもらえるのか、など、気になることが沢山あります。
ウォルト・ディズニーといえば右翼であり、アメリカは同性愛を認めない邪宗門の野蛮国ですが、実際には州によって同性結婚を認めているところ、ドメスティック・パートナーあるいはシビル・ユニオンなどの制度で同性カップルに異性間結婚によるカップルに準ずる権利を認めているところなどがあります。もちろんそういうのを認めない州もあるわけですが、世界的な趨勢からいっても認められるようになっていくかも知れません。

もちろん私人間の権利義務関係を法律で持って一概に規定するのがいかがなものかという問題もあって、そうなると異性間の結婚もおおいに問題視されるところではありますが、他方、同性間の結婚を認めることは法的な婚姻概念の変更をもたらしますので、この問題はいやしくも人と愛し合おうという人すべてに関係することなのです。お人形と愛し合おうというような人については、まだ世の中はそこまで進歩していないのでもうちょっと待つとか、進歩させるとかして下さい。

いわゆる「伝統的な家族の価値観」に関しては、ある価値観が自らを「伝統」として意識するためには別の価値観が同じ社会の中に存在していることが必要ですが、その時には既にその「伝統的な」価値観は別の価値観と相対的な関係に入っています。同時に存在する複数の価値観の中でいずれが有効であるかはその時点で与えられている条件に依存しますので、多少古いとか今までそれで上手くいっていたとかいうのはあまり関係ありません。むしろ「伝統」によって不利益を被っていた人の存在によって、「伝統」の正統性は揺らいでしまいます。実際のところ「伝統」はそのような場合に修正されてきましたし、これからも修正されるでしょう。

同性結婚も、それを認めることが「伝統的な家族の価値観を踏みにじ」ることであるというよりも、「結婚」と「家族」の関係に変動が生じたことによって同性愛者も「結婚」ということがしたくなったんだと思います。ちょうど異性愛者も「家族」とは無関係に「結婚」することがあるように。「踏みにじる」とか言うんでしたら、もうとっくに踏みにじられた後です。一方で法制度は価値観の変動に従って変化させなければ、その正統性を失ってしまうものです。

日本では同性の同棲が同姓であっても養子縁組であったりしますが、これからはディズニーランドで式を挙げて「夫夫」とか「婦婦」に、どちらも「ふうふ」と読めますので2月2日はみんなでお祝いですが、晴れてそういうもんになりたい人も増えてくるでしょう。なにしろバカ殿は憲法をも「時代にあった」ものに変えてしまおうということなので、民法ぐらい直ぐにナントカなりそうなものです。

「性道徳、貞操義務」崩れる 長勢法相、300日問題で

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法772条の規定を議員立法で見直そうとする与党プロジェクトチーム(PT)の動きに対し、長勢法相は6日の閣議後会見で「性道徳や貞操義務についても考えないとならない」と述べた。法務省は同日に一部見直しをする民事局長通達案を正式発表。同省側は「通達を出せば立法は必要ない」と対決姿勢を強めている。
 民事局長通達案は「離婚後に懐胎したことが証明できた場合」に限って「現夫の子」と認める案。対するPTの特例新法案は、前夫との離婚が成立する前に懐胎した場合でもDNA鑑定などで現夫の子と認められ、救済範囲が広い。
 長勢法相はPT案を「民法の根幹を真っ向から違う仕組みにするもの」と批判。「再婚禁止期間短縮」問題も含めて「日本の家族をつくり変えようという国民の理解があるとは思えない」とした。

2007年4月6日 asahi.com


300日を100日に短縮する案についてはアル中の横槍で潰されました。前夫との離婚成立前に懐妊した場合についてはバカ殿が慎重姿勢であり、それを受けた長勢さんがこんなことを言っているわけです。バカ殿の「新しい時代」というのが実は伝統回帰というまるで逆の意味を持っているところは「美しい国」と同様ですが、この問題がどうして「民法の根幹」になるかというと、夫の支配下にある期間に懐妊した子に関する権利は夫にある、なんとなれば妻は夫が子を産ませるために使用する機械であるから、というのが民法の基本的な考え方だという極めて明快なものです。柳澤さんだけいろいろ言われるのは不公平です。日本の法律がそうなっているんですから、バカ殿は自分だけ良いカッコしようとしたことを柳澤さんに謝らなければなりません。

この問題では実際に困っている人が大勢いるのですが、長勢さんはどっかの餓鬼が泣こうがどうしようが「性道徳や貞操義務」の方が大切だと言っています。バカ殿もアル中も同じでしょう。矛盾に追いやられて初めて析出する「伝統」をかたくなに守ろうとすれば、他人の不幸には目をつぶらざるをえません。それは懲罰ですらありません。伝統のために必要な犠牲です。

問題は民法上婚姻の機能は新入りの国民の所属の決定なのに、実際に行なわれている結婚は特別の感情に基づいた共同生活による生存の質的向上をめざしているという点にあり、「家族をつくり変えよう」ってのはどっちだかわかったものではありません。「理解」しませんよ、そんな、家族を工場に「つくり変えよう」とするようなのは。こんな人たちが威張っているようでは先が思いやられますので、離婚した人これからする人まだ予定のない人不倫してる人今週する人明日挙式の仕合せなカップルも、妊娠した時はよく考えましょう。まず堕ろすかどうか考えて、産むと決めたら苦難の道を覚悟するのは自分たちばかりではありません。むしろ妊娠しないうちに早いとこ別れてしまってはどうか。ものの本によるとディズニーランドに行ったカップルは別れるそうですよ。もっとも僕も以前妻と行きましたが別れてません、まだ。
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2007年04月05日

ようこそ!シンガポールへ

日本のみなさんコンニチハ、ファインな美しいカントリーではない都会のシンガポールへようこそウェルカムトゥーでございます。コンニチは、ジャップのみんなのエヴリィさんにシンガポールの最新情報をお届けするニュースの引用をたった一度だけやってみたかったのでやってみて、シンガポールの魅力をお伝えレませうぞ。



日本でも元AV女優が「引退」しましたが、シンガポールでは才能ある若い女性が積極的に海外に出て活躍しています。シンガポールは開放的です。多くの優秀な人材が外国に出て行き、そして戻ってきません。しかしシンガポールは日本の皆さんとはとても深い絆で結ばれています。

例えばシンガポールには「交番」があります。日本には「交番」の他に「香盤」というものもあるそうですが、シンガポールでは「交番」の方を取り入れています。しかもシンガポールでは交番をより効率的に機能させることに成功しているのです。

日本では煙草に高率の税金をかけて、街中の自動販売機で税金を取っていますが、シンガポールでは街中の交番で罰金を取っています。煙草のポイ捨て、これ高い罰金を取ります。最近日本でもシンガポールのやり方を取り入れていると聞いています。シンガポールと日本はいわば兄弟、共通の価値観を同じくする同胞なのです。

シンガポールではこの他にも沢山の罰金があり、指定場所以外での道路横断、路上にガムをペッ、電車でコーラを飲んでいても罰金です。トイレで水を流さない人も罰金です。誰のウンコかDNA調べます。日常生活の隅々まで罰金が行き届いています。寝室にまで行き届いています。フェラでごっくんも禁止です。同性愛もダメです。日本でも年齢によって徳川以来のセックス禁止令を実施しているそうですが、今度は日本がシンガポールを見習う番であると期待しています。日本でも電車で化粧する女の人に反対する意見数多く聞きます。シンガポール政府はこういうのを全て罰金を取る理由になるとみなします。大きなビジネスチャンスです。日本の諺に「同情するなら金をくれ」というのがあるそうですが、シンガポールでは「批判するなら金を取れ」と言います。

シンガポールは健全なアングラ経済の発展を応援しています、煙草の価格を高く設定することによって、煙草の密輸で大きな利益を上げることが出来ます。外国で定価で買って来たものをこっそり仕入れるだけで良いのです。シンガポールでは煙草の使用自体は犯罪ではありませんし、他の多くの国でも煙草は完全に合法的な製品ですから、比較的安全にビジネスが出来ます。一方では麻薬ビジネスに対しては死刑をもってその抑制を図っております。2006年には煙草密輸分野で300%近くの成長がみられました。

多くの日本人がシンガポールに親近感を持つでしょう。シンガポールも一党独裁です。野党はありますが、野党候補を当選させた選挙区には色々と不利な取り扱いをしますし、野党候補には警察を貼付けて監視します。政府を批判する者は痴漢などで捕まります。選挙が機能していないので市民の政治に対する関心は低く、したがって政治的には「安定」しています。シンガポールは日本と同じようです。

「国境なき記者団」による報道の自由度では、シンガポールはだいたい140位以下の順位をキープしています。下から20番目くらいです。一番下はもちろん朝鮮民主主義人民共和国、アジアのホープです。シンガポールもいつの日か金正日と肩を並べる日が来ると信じて頑張っています。日本も最近では20位台から51位まで来ました。日本の報道の自由はシンガポールに向かって転落している最中です。シンガポールは日本がシンガポールの良きライバルとなる日を楽しみにしています。これは我々アジアの価値観であり、欧米の人権思想や民主主義はアジアには馴染まないのです。もちろん日本の皆さんも同じ考えでいらっしゃることでしょう。

シンガポールでも「少子化」は深刻です。餓鬼なんてものは罰金のネタを供給するだけですから、子供を持たないのは当たり前です。不法入国者すら減少傾向です。たしかに多くの人にとってシンガポールは住み良いところではないかも知れません。しかしシンガポールは日本の皆さんの多数派に呼びかけています。是非シンガポールにいらっしゃい。シンガポールは日本の未来です。あったかいし、従順な日本の皆さんなら快適にすごして頂けるものと信じます。食べ物は安いです。皆さん大好きな僕も大好き性風俗だってちゃんとありますからご安心を。安倍政権になって特に反日感情を持つシンガポール人も増えましたが、反日的言動には罰金を科すことにしますので、みんな親切にしてくれる、はずです。ところでこの元記事はいつまで存在するのかよくわからないので、やっぱり保存しとこうかな、なんて、翌日になって気がつきました。
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2007年04月04日

美しい国とスルときにゃ ハンカチかぶせてせにゃならぬ

「日本の美しさ」に国民の意見を募集 「国づくり」会議、初会合

 政府は三日、有識者による「美しい国づくり」企画会議(平山郁夫座長)の初会合を首相官邸で開き、「日本の美しさとは何か」について意見を募集したり、絵画、写真など作品の形で国民から募ることを確認した。
 安倍晋三首相は会合で「満開の桜も一つの日本の美しさの象徴。国民運動的なものにつなげていきたい」と述べ、政権が掲げる「美しい国」の論議を国民運動として展開したい考えを表明。委員からは、「来年で千年を迎える源氏物語には日本の美の原点がある」「すしなどの食文化や物作りを重視する文化」との考えが披露されたほか、「地域間で概念を競い合うのはどうか」「日本らしさを漢字一文字で募ったらどうか」など公募のアイデアも出された。

2007年4月4日 北海道新聞


「漢字一文字」と言われた時のバカ殿の渋面が目に浮かびますが、早くもどーしようもなさ炸裂です。世耕は「押しつけではない」と言っていますが、何でも良いからとにかく押し付けるネタを作るという他に、何も目的があるのか全く不明です。おそらく会議のメンバーにも判っていません。こんなことに巻き込まれた諸氏は「自己責任」とはいえちょっとだけ哀れな気もしますので、一人一人手厚く葬りましょう。

平山郁夫、日本で一番高い画家。日本で一番美しいのはシルクロードです。というくらいなものですが、色んな肩書きが好きな人です。これはでもお飾りみたいなもんで、実際に座長を張りそうな人はこの人じゃありませんね。

石井幹子、照明係。なるほど光のあて方によってはバカ殿も少しは利口そうに見えるかも知れません。ところが石井さんのお仕事はもっと規模がでかいのです。例えば東京タワーとか橋とかのライトアップが専門です。「平成のアルベルト・シュペーア」と言ったら褒め過ぎですかな。なるほど「美しい国」も光のあて方によっては少しはマシなもんに見えるかも知れません。見せたいところには光を当て、見せたくないところは影にしてしまうのが良い方法です。朝になったらオジャンですが。日本の夜明けは遠い。

井上八千代、京舞井上流五世家元。よく知りませんが京舞というのは何でも堅苦しいもんだそうで、まあそういう方向性なんだろうな、としか思えません。「源氏物語」とか「寿司」、フジヤマゲイシャイアンフハラキリトッコータイというようなもんでしょうか?

岡田裕介、元俳優、東映社長。「宇宙からのメッセージ」や吉永小百合の出てくる映画とかのプロデューサーにして、「北京原人Who Are You?」の企画にも堂々と名を連ねています。この人は映画館を「デジタル公民館」にして、ヒットしてるテレビドラマの最終回はそこでやるとか、スポーツ中継をやるとか、政治家の演説会をやるとかすればいい、なんてわけのわからない事を考えているみたいですね。なるほどキタナイ映画館を潰して地域統制の核として機能する施設を作るなんてのはバカ殿が喜びそうな話ですが、そういうところで「仁義なき戦い」とか「不良番長」とか「女囚701号 さそり」とか「戦後猟奇犯罪史」とか「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」をかけるわけ?東映ってあんまり「公民館」向けじゃないコンテンツを豊富にお持ちで、それがVシネマにいたるまでの東映の社風なんですがね。こういう人が社長じゃ先が思いやられます。テレビ朝日は少し考えた方がいい。

荻野アンナ、駄洒落担当。ラブレー研究者で芥川賞作家なのに、この人の文学者とは思えない駄洒落は相当にキツいものです。ときにいたたまれなくなるようなそれは、議論が白熱した時などには強力な鎮静効果を発揮すること請け合いであります。議事録には全て収録されるのでしょうか、大変楽しみであります。議事録というものには(笑)とか入るのかな。

川勝平太、教育再生会議兼任ですから血の掟に結ばれたファミリーの一員です。教育では「隔離」を主張していますので、「美しい国」は「鎖国」を言い出すに違いありません。情報を遮断することが「海洋国家」とは全く相反することに気がつかない振りをしてこんなところにまで顔を出すところを見ると家計が苦しいようですが、少しは節約したらいかがでしょう。もしかして「海洋国家」てえのは海に囲まれてるから世界と遮断されてるって意味ですか?なるほど、それなら夜郎自大のオナニーも海に向かってコケばティッシュいらずです。節約です。なかなか仇っぽいというか。

庄山悦彦、日本経団連副会長。総合科学技術会議兼任、ファミリーです。いや、キヤノンがどうしたとか便所でやっちゃったとか申しますが、日立だって負けてはいません。なんとなくクリスタルな偽装請負仲間ですから、忘れないでやって下さい。副会長なんですから、お忙しい会長に成り代わって日本を美しい御手洗(水洗)に致します。いらねえもんは流しちゃうんだよ。

田中直毅、ココリコの才能のある方じゃなくて日本経団連の政策立案組織「21世紀研究所」の理事長ですが、同じく日本経団連が「国際政治」だの「安全保障」だのにくちばしを挟もうというシンクタンクが「国際公共政策研究センター」であります。そこの理事長もやっぱりこの人です。他に人がいないらしい。日本も捨てたもんじゃない。会長はトヨタの奥田、「21世紀研究所」の会長は経団連会長が当たることに決まっているので、自分が会長をやる組織を作ったようです。顧問はコイヌミであります。この田中さんがが何を喰っているのか知りませんが、そのお金は皆さんの給料を削って出しているのです。そう考えるとカツラを使用しないのは良い心がけです。何も喰わなければもっと偉いのですが。

弘兼憲史、無責任右派。「無責任男」を右から描くと島耕作になるのです。名前からして南洋を侵略する人みたいですが、長たらしいサラリーマンものを「怒濤の大河ロマン」(Wikipedia)なんて評されてしまうところはたしかに笑えます。松下電器出身で松下政経塾講師、しかも「二世議員」なんて存在自体がよく考えたらとんでもない錯乱でしかないシロモノですが、それを主人公にしたマンガを描いて現実の二世議員に絶大な支持を受けたりするのも失笑ものです。それが「加治」なんて名前だから小沢はあんな難破船の舵をとってたのか、「加治」は「完治」なのか知りませんが、いつまでたっても治らないようです。とはいえ漫画界からはたったひとりの貴重な人材です、経団連は二人もいるのに。

松永真理、番台係。いやバンダイ社外取締役、iモードの人。「子供はいませんが、子供の心を持っている」んだそうです。バカ殿と一緒だ、ある意味。そんなわけでeWomanでは当然、教育再生会議の陰山英男さんを長々と大フューチャーです。一方で一般ユーザーからの情報は「サマる」、というのは「サマリー」からの造語らしいんですが(大変に素晴らしいセンスです)要約してしまうのが「編集」ということらしい。有名人のインタビューにページ数をさいて、読者投稿は2頁くらいという紙媒体と変わらないんですね。実は松永さん、ネットとかが大嫌いなんです。エディターの許可なく情報が流通するのが気に入らないんでしょうね。携帯電話に触ると感電しますよ。

山内昌之、イスラム担当。『嫉妬の世界史』はバカ殿が首相就任前に読んだ本として知られています。「信義に篤く、嘘をつかない」ことが嫉妬されない条件だと書いてあります。バカ殿は「信義に篤く」を「仲間を庇う」ことだと読みました。「嘘」という字は読めなかったようです。現時点でバカ殿のいる位置を嫉妬する人も少ないのではないかと思うと、この本を読んだことを公表したことすら今となっては恥ずかしいと思うんですが、にもかかわらず著者を招聘しているところをみるとあまり良く判ってはいないようです。でも、イスラムの専門家が必要なんでしょうね、これからますます。

どん尻に控えしは、中西輝政、バカ殿の脳。影の座長でしょうな。阪神淡路大震災で朝鮮人の武器庫を発見。新しい歴史教科書をおん出て便所掃除軍団「日本教育再生機構」を設立。コイヌミと金正日の「ブロークバック」を示唆、「チーム・アメリカ」におけるキャラクター造形に影響を及ぼす。ビンボー人がコンドームを買えないと子供が増えると言い張るも、僕は全部飲ませてるぞ。

そういえばコイヌミを批判してましたが。

日本ではこれまで「民主主義とは、世論に従うことである」という間違った民主主義観をそのまま押し頂いてきた。「小泉政治」はこのような未熟な民主主義観を逆手にとって世論操作を図り、そこにだけ努力を集中して政権を維持してきたところがある。究極の「ポピュリズム政治」である。


「小泉政治」の「世論操作」を実際にやっていたのがバカ殿なんですが。

「右に振れるときは非常に強い言葉で述べるけれども、状況次第では再び大きく左に振れる。それを動かすのは「支持率」、ただそれだけなのだ。それが小泉首相なのである。」


だからって支持率が低ければ低い程良いというわけでもないでしょうけど、こんな事を言って慰めてくれるからバカ殿としては涙が出ますよね。支持率が下がるたびにバカ殿は中西の胸で泣くんでしょうか。アッキーじゃやっぱりダメなんでしょうね。男の気持ちがわかるのは結局男だけなのさ。
posted by 珍風 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

ブワーッといこう!、と「植木等」は言った

植木等さんという人が極めて真面目な方だったことはよく知られています。今になって宣伝してもらうまでもありません。しかし僕たちが愛したのは植木等さんではなくて「無責任男」、植木等さんが演じた「植木等」なのです。彼が「ブワーッと」いけば世界が破裂するのでした。マスゴミはこの「植木等」を一生懸命になって押し隠し、矮小化しようとしているようですが、植木さんが亡くなっても「植木等」は死なないのです。

クレージーキャッツの最盛期はだいたい1972年、「シャボン玉ホリデー」降板のあたりまでだったかと思いますが、それからだいたい10年間くらいは忘れられてましたね。潜伏してたわけです。実はその間に笑福亭鶴光による植木等メドレー「なんちゃって行進曲」(1978年)があり、鶴光自身のラジオ番組で放送されたもののレコードの発売は中止になったり、青島・萩原コンビによる植木等自身の新曲「これで日本も安心だ!」(1979年)が発表されたりしたものの、つまらない曲だったのでリバイバルブームには至りませんでした。

その後、1985年になって坂本龍一がNHKFMの番組で特集したり、1989年に「シャボン玉ホリデー」のことを扱ったTVドラマの放送があったりということがあって、1990年の「スーダラ伝説」に至ります。その後のことは皆さんご存知の通りであります。1980年代の過程において、その嚆矢をなしたと思われるのが次に掲げる上杉清文によるエッセイです。

スーダラ大好きである

 過激が人間のふりをしていたのが、かつての植木等であった。
 小生はアングラ劇団の研究生をしていたころ、裏方のアルバイトで「植木等ショー」の舞台を一度だけ垣間見たことがあるが、植木等という人間のいわゆるナマモノとしての部分には、あまり興味を感じなかった。あんな馬鹿げたことをしているが本当はすごく生真面目な人間だとか、生まれついての坊主だとか、そんなことを当時も耳にした覚えがある。しかし、だからといってべつにどうだというわけではなかった。とにかく、小生にとっての植木等とは、いたずらに輝けるノーテンキのチャンピオンだったのである。
 中原弓彦の名著『定本、日本の喜劇人』第七章「クレイジー王朝の治世」には、「青島の、台本書きからタレント、タレントから議員へというジャンプは、そのピカレスク的生き方において、植木等が映画で演じた役柄の〈実演〉である。
 青島の〈思想〉は名作『無責任一代男』に明らかである。」
 という指摘がある。
 当時の植木等が体現したかに見えた無責任ぶりは、実は青島幸男の〈思想〉であったという中原弓彦の分析は、たぶん正解であろう。しかし、小生としてはこの意見を、たとえ正しくとも、丸ごと是認するわけにはいかない。なぜなら、小生は、青島の〈思想〉に影響されたわけではなく、やはり植木等のいい気分(温泉)思想に影響されたのだ、と痛感するからである。〈思想〉もいい気分(温泉)思想も、ともに記号の戯れ、好みの問題、たんなる気まぐれ、まあ、何でもいいが、とにかくたいした違いはないといえばハイそれまでヨである。しかし、とはいえ、小生にしてみれば〈思想〉といい気分(温泉)思想はやはり違うのだということを教えてくれたのが植木等であったという思いこみの激しさだけは、ちょっくらちょいとパーにはしたくないのである、何が何だかわッからなくても、シビレちゃったらもう、それが男の生きる道、どうせこの世はホンダラッタホイホイなのである。
 ところで、植木等の異常に陽気な歌声を聴きたくなっても、現在レコードはすべて廃盤になっている。小生の手元にもドーナツ盤が一枚あるきりだ。A面『スーダラ節』、B面『こりゃシャクだった』、作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶、衝撃のデビュー曲である。
 そこで、A面の『スーダラ節』をちょっと解剖してみようかと思う。編集部の橋本真人氏にクレージー・キャッツの資料をいただいたが、そこにこんな一節があった。「このレコーディングの話がもち上がった時、植木等は『いい歳してこんな歌、歌えるか』ということでさんざん逃げまわっていたが、ついに歌わされる破目になり、レコーディングは何とたった1回で済ませてしまったのだ。そのため"スイスイ”の歌詞の部分が、一、二、三番と全部微妙に違っているのが解る。
 問題は「微妙に違っている」といわれる“スイスイ”の部分である。この資料によれば、植木等が青島幸男の〈思想〉を嫌がったために微妙な違いが生じたわけだ。しかし、この微妙な違いこそが、じつは植木等に特有ないい気分(温泉)思想の誕生を意味したのである。
 例えばこの“スイスイ”は一番からに番にかけて微妙にくだけはじめ、進むにつれてなめらかになげやりになってくる。
 最後の三番は、この傾向がさらに過激になり、ほとんどもうどーでもいいというところにまでいってしまうのだ。
 この曲を聴いているとそうとうに屈折したシニカルな〈思想〉が見事にあっけらかんとしたどーでもいいんじゃないのといういい気分(温泉)思想に変貌してゆくプロセスが手にとるようにわかるのである。そして、こうした変貌を可能にしたのは、やはり植木等本人の力によるものであったと小生は思う。つまり、『スーダラ節』の流行によって到来した『無責任時代』というものの、そのすべての責任は、植木等のいい気分(温泉)無責任に由来していたのである、と小生は断言してしまうのだ。疑う者はただちに『スーダラ節』を聴いてみるがよい。植木等は明らかにそれと知りながら、自覚的に悪乗りをしているのだ。ことに三番の過激な“スラスラ”に移行する部分には、もう待ちきれずにハレンチないい気分(温泉)思想が顔を覗かせているのである。
 世間には植木等のことを、青島幸男に乗せられて、何も判っちゃいないのにやめられなかった、本人はいたって真面目な人である、と評するむきもあるようだが、そんなことはない。植木等は確信犯だ。判っちゃいるけどやめなかったのである。その理由は、面白かったからだ。つまり、植木等とは、過激ないい気分(温泉)面白主義者だったのである。
 最後に青島幸男のために一言弁護しておけば、青島の作詞にはひとつの駄作もない。なかでも『ホンダラ行進曲』は青島の最高傑作であり、小生の愛唱歌でもあるのだ。なにしろ小生が愛唱したら、それはみんな傑作になってしまうのである。まったく恐ろしいものだ。

「ヘッドロック」1982年1月号


書かれた作品よりも演奏者のパフォーマンスを重視する発想は全くジャズ的です。真面目な植木等さんは、ただ1回のレコーディングにおいて「植木等」としての瞬間を生きたのです。普通の時は真面目な植木さんですが、その時は確かに「植木等」だったというわけです。この勢いでいけば「君が代」もいい気分(温泉)君が代になりますが、問題は「植木等」は「過激ないい気分(温泉)面白主義者」であるという規定です。「面白主義」に差異化の記号「いい気分(温泉)」がついて、しかも「過激な」と形容されるところのそれは一体何なのでしょうか。

例えば現在では北陸先端科学技術大学院大学なんてところに「面白主義」が存在します。これはそこの教授の近藤修司さんが提唱するところのもので、

「面白主義」とは簡単に言うと次の3つを実践する姿、信念です。
1.人生も仕事も面白くしよう!(ありたい姿の決意表明と「面白発想」)
2.世の中で何か面白いことはないか?({面白アンテナ」と「面白感度」)
3.今やっていること(私生活や仕事)をもっと面白くできないか?(「面白上手」)


というもので、まるで面白くありません。江戸時代の商人やアメリカの守銭奴が説く処世術となんら変わるところのない退屈極まるシロモノです。経営コンサルタントとしては「信念」やら「決意表明」でもって「面白くない」現状を否定して「面白くしよう!」とするのが正しいんでしょうが、これは要するに「面白くない主義」でしかありません。もっともこの手の腐敗した「面白主義」を「実践する姿」は、端から見ればそこそこ面白いのかも知れませんが、人をバカにして面白がるのは面白くないのです。

こういうのを極端な例として、いわば俗流面白主義みたいなもんがあるみたいで、例えば松田哲夫さんが専務取締役を務める筑摩書房は、去年だか「まともな男になりたい」という本を出しまして、その宣伝文句ではこんな風に「面白主義」を批判しています。

近年、「まじめ」を馬鹿にした面白主義が目立ち、一人前や覚悟といった言葉が死語になりつつある。なかでも男に、その傾向が強いのではないだろうか。まじめに仕事をこなし、社会の行く末を案じ、おのれの役割と存在価値を顧みる人間、つまり「まともな人」はもはや存在し得ないのか。いま一度、ふつうでまともな大人の男になるための規範と教養を考える、渾身の一冊。


「渾身の一冊」が新書でいいのかどうか判りませんが、「近年、面白主義が目立つ」という現状認識が、実際のところかなり意外なものであったりします。「一人前がカッコいい」とかいうCMソングがありましたが。「まじめに仕事をこなし、社会の行く末を案じ、おのれの役割と存在価値を顧みる人間、つまり「まともな人」」が「近年」はいないというのも疑わしい話です。たしかにコイヌミ選挙の結果は「まとも」ではなかったかも知れません。しかしそれを言うなら戦後長期に渡って自民党が政権を独占している状況もあまり「まとも」とは言えないようですし、それまではずっと戦争をしていたわけで、特に「近年」でなくても「まとも」とはほど遠かったのが現実です。ところがこの河合塾の英語の先生はこんな事を言うわけです。

教養の人は規矩をもっている。規矩とは自分自身に課する掟のことであるが、教養の人は「卑怯なことはしない」と自分に言い聞かせる自制心をもっている。また、そうであるがゆえに、教養の人は規矩をもたない人間を迂闊には信用しない。軽さだけが売りものの自制を欠いた人間は信頼に値しないと考えているのだ。また、うまい話やぼろい話に引き摺られない風馬牛の心得も保持している。


上杉なんかの「面白主義」が「戦争」やら「連合赤軍」やらの反省から産まれた事から考えれば、それは要するにこの「教養の人がもつ規矩」を韜晦しまくったもんなんですが、バカにはわからん。本当のところは「教養」と「自制」の上に「面白主義」があり、さらにその上に「過激ないい気分(温泉)面白主義」を想定してたみたいです。それで「植木等」は「「自由」のつまり「仏」の象徴だったのだ」(南伸坊)ってことになる。しかしこの至高性は一瞬だけ開示されたものであり、しかもいやだいやだと逃げまわっていたものについに直面せざるを得なかった瞬間に幸運にも捉える事の出来た「自由」を「確信犯」として生きる事に他なりません。普段は真面目にやっていて断続的に「植木等」になれるのが素晴らしいんで、それを連続的にやってたらこれはやっぱりキチガイです。ところが問題は僕には「教養」のようなものがまるで欠けているという事実です。コイツは困った事ですが、こういうときは「べつに判ってるわけじゃないが、やめない」という身も蓋もない方針でいくしかないようです。それじゃダメじゃんいい気分(温泉)
posted by 珍風 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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