2007年09月30日

写真撮影でも下を向いたままの沢尻エリカ(無関係)

はキライなので今日は登場しません。

幼児の無断写真。母親の抗議は現代病なのか?=朝日新聞の投書より(上)

【PJ 2007年09月22日】− 朝日新聞の21日の朝刊、読者コーナー『声』に、「見知らぬ男が勝手に娘写す」という横浜市在住の母親(33)の投書があった。母親は警察まで通報しているのだ。PJとしてもイベント、地域行事、事件・事故の現場で撮影する機会が多い。無関心ではいられない投書だ。
 母親は15日の夜、3人の子どもを連れ、東京・世田谷の秋祭りに出かけたと書き出す。『私は親類らと話をしており、3歳の娘から目を離した。浴衣姿の娘は1分ほどで戻ってきたが、「ひげもじゃの人が写真を撮ってくれたよ」。そして、「下を向いて顔をあげなかった」という』(原文ママ)。写真を撮ってくれたよ、という文面から判断すれば、娘は恐怖心からの撮影拒絶ではない。ふだん着る機会が少ない、浴衣姿が恥ずかしくて下を向いたと思われる。
 秋祭りはコミュニティー(共同体)の行事だから、プロ、アマを問わずカメラを持ち込む人は多い。シャッターを切る光景は四方八方にある。全部が全部、許可を取った撮影とは思えない。他方で、それが犯罪に結びとも考えにくい。
 この母親は娘の写真を勝手に撮るとは許せないと、『地元警察に電話をした。「撮影だけでは犯罪にならない」という。その男の風体すら聞いてくれなかった。「人を見た目で判断しては行けない」からだそうだ』(原文ママ)。この内容からは、応対した警察官の顔が見えてくる。「ひげもじゃの人が写真を撮った」となると、プロカメラマンかジャーナリストの可能性がある。「人を見た目で判断してはいけない」という警察官の話には説得力がある。
 投書のなかで、3歳の娘が母親から離れたのが、1分間(60秒)だったという。連写でもしない限り、1枚か2枚だろう。それだけで警察署に通報されたならば、「そんなに警察は暇じゃないよ。秋祭りの警備で忙しいんだ」と地域課の警察官はきっと腹立たしかっただろう。
 母親は、『民事不介入だから仕方ないとはいえ、納得できない。05年から子どもを狙った性犯罪者が出所すれば、地元警察が監視する制度が始まったはずだ。対象者かどうか確認するのは最低限の勤めではないか』(原文ママ)。こうなると、もはや正気の沙汰ではない。
 複数の警察が、秋祭りの場で3歳児を1、2枚撮影したひげもじゃの人物を捜す、職務質問する、撮影した写真を証拠とし、過去に性犯罪があったか否かまで取り調べる。この母親は、それが警察官の最低限の努めだという。これらの出動が義務だといわれたならば、東京都の警察官は何百万人も必要だろう。国民の税負担は膨大になる。
 『逃げることを知らない子どもが守られず、非常識な撮影者が制限されないとはおかしな話だ。私の悶々(もんもん)とした気持ちは消えない』(原文ママ)と結ぶ。1千万人以上いる東京の治安は、TV局が大げさに騒ぎ立てるほど悪くない。それ以前に、秋祭りには大勢の目がある。カメラを持った人物が3歳児に危害を加える可能性はゼロだろう。
 喧騒としたなかで、子どもから目を離していた自分の愚かさを棚に上げ、「逃げることを知らない子どもが守られず」という発想の異常さにはむしろ驚かされる。(つづく)

幼児の無断写真。母親の抗議は現代病なのか?=朝日新聞の投書より(下)

【PJ 2007年09月23日】− (上)からのつづき。朝日新聞の21日の『声』の、「見知らぬ男が勝手に娘写す」という投書は、横浜市在住の33歳の母親だが、内容の信憑性に疑問がある。
 秋祭りの場で、母親が3人の娘から目を離したのが1分間だったという。この時間は疑わしい。写真を撮られた3歳児が60秒間で、どれだけ遠くに行って帰ってこられるのか? 写真を撮られた娘が下を向く時間を20秒だった、と仮定して差し引くと、片道20秒の距離だ。親の視野から、そう外れない距離だったはず。
 警察はおおかた、母親はもっと長時間にわたり、親戚との立ち話で夢中になっていたと見なしたのだろう。(警察官からは)『最後に「お母さん、お子さんのそばから離れないでくださいよ」と諭された』(原文通り)。この母親は、警察から暗に親としての保護義務の欠如を問われたのだ。すると、今度は朝日新聞に投書してきたのだ。
 最近は、30代の親の言動で、目や耳を疑う話が多い。
  ・保育園の運動会で(保育士が撮った)わが子の写真が園内祭で無断掲示された。理事長に抗議し、すべての写真展を止めさせた
  ・小学校に通うわが子が泣かされたから、担当教師を飛び越え、学校長や教育委員会に訴える。数ヶ月にわたって執拗に抗議した
 今回の朝日新聞の投書の主は、秋祭りで、わが娘の写真を撮られたからといい、相手を性犯罪者の容疑、わが子は犯罪被害者の立場で警察に通報しているのだ。これらの当事者は自分の考えがアブノーマルで、異常行動だと気づいていない点がこわい。
 こうした社会現象のひずみはどこから生まれてきたのだろうか。
 子育てのさなかの30代は、かつて団塊世代の親の上昇志向から、大切な10代を進学塾、学習塾などに送り込まれて育ってきた、という背景がある。自分の成績しかみえず、友だちとのつながり、地域とのつながりが薄かった。親はただ成績への期待が強く、しつけが満足にできず、わが子のわがままに目をつぶる傾向にあった。他方で、外で遊ばない子どもたちは、住人などから注意される機会が少なくなった。この環境では、自分の行動が中心に座る。『唯我(ゆいが)』。ただ我のみ、という自己中心主義で、他人をいたわる心が欠けている。相手のミスは徹底して責めまくる。他方で、自分は正しい判断を持つ人間だと信じ込む。
 成人して、子どもを持つ親となった今も、他人から受けたミスが許されず、攻撃的な人間のままだ。日本人の美のひとつ『お互い様』という言葉は、この世代ではもはや死語だ。「店長出せ」「社長出せ」「市長出せ」「校長出せ」──。あちこちから聞こえてくる。知ったかぶりで、個人情報保護法、プライバシー、肖像権などを持ち出す。法的な解釈も満足にできないのに、法律の表層だけを振り回す。
 東京・葛飾区内の神社の境内で、9月15日(投書と同日の秋祭り)、PJはヤグラ太鼓の少年少女や、踊る老若男女を撮影していた。屋台の周りに集まる子どもにカメラを向けると、ほとんどの親は、「ほら、ほら写真を撮ってくれるのよ」と振り向かせてくれていた。本殿の前で、小学校高学年の浴衣姿の姉妹にカメラを向けたところ、「撮らないでください」と母親から冷淡な口調で拒絶された。素直に引き下がった。
 今回の投書を、PJはその取材現場に置き換えてみた。写真を撮った親から、抗議された挙げ句の果てに、警察に通報される。地元警察署のパトカーがやってくる。祭りの境内は、複数の制服警官の出現で騒然となる。母親はきっと娘の肖像権を持ち出すだろう。PJが諸々と反論する。「署で話を聞こう」となる。PJは「取材の自由」で拒否するだろう。しかし、一般人やアマチュアカメラマンならば、連行に応じるだろう。
 投書の主は、『性犯罪者の対象者かどうか確認しろ、それが警察官の最低限の務めではないか』と主張している。一般人が少女を撮った。それで連行される姿を想像すると、戦前の治安維持法の下では、市民の通報で特高警察が土足で踏み込んできたという、弾圧の世相が浮かぶ。
 朝日新聞の「見知らぬ男が勝手に娘写す」という、タイトルの投書の主は、そんな暗い世の中を求めているのだろうか。むしろ、「唯我時代」の現代病の一端だと捉えたい。【了】

パブリック・ジャーナリスト 穂高健一【 東京都 】


なるほど「現代病」ですか。穂高さんは「団塊の世代」とか「団塊ジュニア」とかいうもんがお嫌いなようです。連中は自己チューなんだそうです。まあ、だいたい「誰かが嫌いだ」という場合はこういう理由であることが多いわけですが、特にある「世代」全体をひっくるめて批判しようという時にはこういう書き方をするのが文章道の基本中の基本のようです。なかでも写真を撮ったりする「ジャーナリスト」に対する配慮に欠けている点に特にご立腹の様子です。ちなみにこの「投書」の原文は、全文が記事中に引用されていますが、プロの書く文章との格調の違いは明白でしょう。

見知らぬ男が勝手に娘写す 横浜市 女性 パート 33歳

 15日夜、私は3人の子供を連れ、東京・世田谷の秋祭りに出かけた。私は親類らと話をしており、3歳の娘から目を離した。浴衣姿の娘は1分ほどで戻ってきたが、「ひげもじゃの人が写真を撮ってくれたよ」。そして、「下を向いて顔は上げなかった」という。それにしても、娘の写真を勝手に撮るとは許せない。
 地元の警察に電話をした。「撮影だけでは犯罪にならない」という。その男の風体すら聞いてくれなかった。「人を見かけで判断してはいけない」からだそうだ。最後に「お母さん、お子さんのそばから離れないでくださいよ」と諭された。
 民事不介入だから仕方がないとはいえ、納得できない。05年から子どもを狙った性犯罪者が出所すれば地元警察が監視する制度が始まったはずだ。対象者かどうかを確認するのは最低限の勤めではないか。
 また、逃げることさえ知らない子どもが守られず、非常識な撮影者が制限されないとはおかしな話だ。私の悶々とした気持ちは消えない。


あまり下手な文章を書くと(原文ママ)などと、まるでもう誤字脱字と文法上の誤りだらけのような扱いを受けますので気をつけたいものです。それはともかく、この文章はなかなか達意のものであるといえるでしょう。殊に「娘の写真を勝手に撮るとは許せない。」という断定が妙です。小事に慌てふためいて憤慨する滑稽な様子が余すところなく活写されています。ビルマにもこういう「非常識な撮影者」に厳然たる処置を下した人がいましたが、この女性パート33歳さんも「撮影」そのものが許せないわけです。この人にとっては「撮影」そのものが「犯罪」なのですから、「それが犯罪に結びとも考えにくい」という穂高さんの指摘は的を得ていません。

続く段落がこの文章の山場です。女性パート33歳さんは直ちに「地元の警察に電話をした。」この段落は前の段落の末尾から短いセンテンスの積み重ねを続けて短絡的な行動を描写し、その後を警察官の会話のみで組み立てることによって、警察側のペースに巻き込まれて返す言葉もなく口ごもってしまい、ついには逆に説諭までされてしまう主人公のお間抜けな姿を効果的に表現することに成功していると思います。穂高さんも「応対した警察官の顔が見えてくる」と褒めていますが、たったこれだけの文章で電話線の両端にいる二人の人物の様子を活き活きと表現し切る手並みは並大抵のものではありません。そればかりか電話を切っても納得がいかず、プンスカ怒っている姿はちょっといじらしくさえあるではありませんか。「悶々」としている30女を慰めるにやぶさかではありませんよ。

一方の穂高さんは、「ジャーナリスト」としての職業的な危機感から、ちょっと写真を撮っただけで警察に引っ張られる「弾圧の世相」を思い浮かべて危険がっています。もちろん女性パート33歳さんが「そんな暗い世の中を求めている」わけではないことを穂高さんもわかっているわけです。むしろ「「唯我時代」の現代病」が、「暗い世の中」を無自覚に招き寄せてしまうのではないかと心配しているようです。たしかにそれはその通りなんですが、それは「世代」とは無関係じゃないかな。いつだって変な女はいますよ。その一方で穂高さんは、この女性のごとき現在30代の「団塊ジュニア」が、「自分の成績しかみえず、友だちとのつながり、地域とのつながりが薄かった」、「親はただ成績への期待が強く、しつけが満足にできず、わが子のわがままに目をつぶる傾向にあった」、「外で遊ばない子どもたちは、住人などから注意される機会が少なくなった」などと、負けずに無自覚ぶりを発揮しています。

こういう紋切り型の「ジャーナリスト」の決まり文句は、正に当の30代の人々にも同じように利用さています。そういう人たちはこれらの言葉を「世代論」ではなく「現代社会の病理」と受け止め、「子どもの安全」のために「地域とのつながり」を強め、「しつけ」を「満足に」施し、「住人」同士で「注意」しあい、「ひげもじゃ」の「不審者」を積極的に警察に「通報」したりして、一言でいえば「地域を活性化」して「地域の防犯力」を向上しようとしています。穂高さんの指摘する「団塊ジュニア」の問題点は彼等自身によって過剰に克服されようとしているのです。こういう人たちに「東京の治安は、TV局が大げさに騒ぎ立てるほど悪くない」と言ってみたり、統計を示して犯罪の減少しつつあることを説得して「安心」してもらおうとしても無駄なようです。

こういう人たちは現実的な「犯罪」を警戒しているわけではありません。彼等が恐れているのは、ちょうど小学生の頃に通り魔的に日本中の餓鬼共を惨殺して全国を恐怖のどん底に叩き込んだ恐ろしい「犯罪者」の噂なのです。今ではそのような「犯罪者」の存在は彼等の世界観の一部をなしています。鎌を持った餓鬼殺しのいない世界、そして生き残るための不合理な規則(べっこう飴とかポマードとか)を持たない世界など考えられません。そんな世界観を補強するエピソードには敏感に反応しますが、しかしいくら論理を尽くしてもオバケを怖がることを止めさせることは出来ない道理です。そういえば水野美紀さんも33歳ですか。バンボロみたいなでかいハサミ持って滅法強いと来た日にゃあかないっこありません。一方その頃、もうちょっと大きなお兄さんやお姉さんたちは「ナンチャッテおじさん」をめぐる情報戦にうつつを抜かしていたんですから負けずに馬鹿です。僕なんかもう世界観の一部になってます。
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2007年09月28日

テロ支援国家日本を粉砕せよ

外国メディア監視強化 記者次々退去処分 ミャンマー

 大規模な反政府デモが続くミャンマー(ビルマ)で、軍事政権が外国メディアへの監視を強めている。国営紙で「事実をゆがめている」と非難する一方、携帯電話などの通信を妨害。外国人が多く宿泊するホテルへの立ち入り検査も始め、取材ビザを得ていない外国人記者を次々に国外退去処分にしている。
 26日にデモの弾圧に乗りだした軍政の実態を各国メディアが一斉に伝えると、27日付の国営紙は欧米などの外国メディアが「事実をゆがめて報道している」と非難。この日から外国人の多いホテルの各部屋に当局者が立ち入って身元確認をするなど、記者のあぶり出しを徹底し始めた。
 これに先立ち、軍政はデモが激しくなり始めた今月中旬ごろから、一部の外国報道機関の現地通信員らの携帯電話やメールを遮断するなど通信への妨害をし始めた。
 ミャンマーでは外国メディアの取材が厳しく規制されており、国軍記念日など軍政側が公開したい行事の際にしか許可が出ないのが実情だ。今回の一連のデモにあたっても各報道機関が取材ビザの申請をしているが、軍政は許可していない。
 このため目的を隠して観光ビザで入国し、取材にあたるジャーナリストも多い。27日にヤンゴンのデモを取材中に死亡した長井健司さんも観光ビザでの入国だった。
 27日夜のミャンマー国営テレビは、長井さんが「観光ビザで入国し、デモの取材をしていた」とわざわざ言及。ジャーナリストへの牽制(けんせい)との見方も出ている。軍政は26日にも、観光ビザでデモ取材をしていた日本の通信社など2社の記者を強制退去処分にしている。

2007年9月28日 asahi.com


したがって、長井健司さんは軍事政権に故意に射殺されたということがわかります。「強制退去」にしては少々荒っぽいようですが。場合によっては面倒な手続き抜きで「退去」させることができるという、これも「牽制」というものです。

ビルマの軍事政権、とはいいうものの実際には1990年の総選挙の結果を武力でねじ伏せて支配を続けている、例えていえばうちに松永太君と緒方純子さんがやってきて家族を閉じ込めたり殺したりしているのを「一家の主」だと言っているようなもんなんですが、強盗追剥ぎのたぐいには違いありません。まあ、そうでない国家というものがあれば教えてもらいたいくらいなものですが、そういえばどっかの自民党も選挙の結果などは無視することにしているようですから、似たり寄ったりではあるんですが。

そこで世間では、たとえ坊主であろうとなんであろうと国民を殺すのは国家の大切な役割であるとしているようですから、軍が国民を監視して、事あらば銃口を向けようが、その銃を発砲しようが、特に強く批判したりはしないものです。それは一種の「死刑」ですから、どういう理由で死刑に処すとしてもそれはそれぞれの勝手ということです。とにかく国家から人を殺す権限を奪わないように、お互いに気をつけるようにしています。中には一般の犯罪に対しては「死刑」を行わない国家もあるようですが、そういう国家も軍隊を持っていますから、イザ!という時には、「ミャンマー式」の死刑を実施する用意があるわけです。

これが外国人のジャーナリストを「処刑」するということだと色々問題になってきます。そんな事をしていると「テロリスト」だと言われかねません。なんでもこの「テロリスト」という称号を受けるのには厳しい審査というものが全然ないようで、誰でも何でも「テロリスト」呼ばわりしても良い事になっているようです。とはいえやはり世の中そう甘くはないようで、やはり何でもかんでもというわけではなく、アメリカおよびその同盟国ならびにそれらの国民に危害を加えた場合には、この称号は優先的に贈られているようです。そういうわけでタン・シュエさんはどこから見ても資格充分であるといえるでしょう。

ここで日本の愛国者の皆さんには大いに誇らしくおもっていただいていいのが、日本はこの「ミャンマー」というテロリスト国家を支援している、「テロ支援国家」であるという輝かしい事実です。2004年現在で、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)の統計で世界1位ということになっています。この点について日本の政府首脳は、いつもの謙譲の美徳を発揮して「開発援助委員会に入ってない中国の方が沢山援助している」と言っていますが、この「テロリスト」の「クーデター」政権を真っ先に承認したのが日本でしたし、いささか旧聞に属しますが1996年の研究によれば当時「ミャンマー」政権の受け取り援助のうち実に85%が日本からのそれだったそうですから、この政権を支援し育成してきたのは何よりも日本であるといっても別段間違いではないようです。

現在でも日本は「経済制裁で国民を困窮させるより、軍事政権に早期の平和的解決や、民主化を促す方が現実的な対応だ」と言っていますので、「テロ支援国家」の地位を捨てる気はないようです。もちろん「民主化」されていない国にいくら援助をしても、「国民の窮乏」を助けるようには働きにくいもので、大部分が「テロリズム」に使用される事を知っての狼藉です。

ところが一方では日本軍は「テロとの戦い」のために、ちょうどインド洋に展開しているところです。ビルマは近いんじゃないか。帰りがけの駄賃にこの「テロリスト国家」と戦わなければなりません。こういう場合に護衛艦に何が出来るかわかりませんが、残った油を撒いて火を放って来るのも良いかも知れません。その勢いをかって「テロ支援国家」日本を懲らしめましょう。日本人など皆殺しだ。そして最終的に残った日本政府の機関として自爆しなければなりません。世界中の人が注目します。本物の「セップク」が見れるのはこれが最後ですから。
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2007年09月26日

最期の土俵は頸に横綱

<時津風親方>「通常のけいこ」一転 遺族に暴行認める

 「通常のけいこ」のウラには部屋ぐるみのリンチが隠されていた。大相撲時津風部屋の序口力士、斉藤俊さん(当時17歳)=時太山(ときたいざん)、新潟県出身=の急死は、親方がビール瓶で殴り、兄弟子が集団暴行した傷害致死事件に発展する見通しとなった。名横綱・双葉山が興した名門部屋で何があったのか。朝青龍問題で揺れていた角界に前代未聞の不祥事が追い打ちをかけた。
 「『通常のけいこ』と説明していたのに……。全く信用できない」――。死亡した斉藤さんの父正人さん(50)は26日、新潟市の自宅で悔しさに唇をかんだ。
 今年6月26日深夜、亡くなった愛知県犬山市のけいこ場から自宅に運ばれた斉藤さんの遺体の傷を目にして、遺族は言葉を失った。割れた額、腫れ上がった顔、全身に無数のあざ、足にたばこを押しつけたような複数の跡――。
 無残な遺体を前に、時津風親方は「通常のけいこだった」と遺族に説明した。正人さんは「普通のけいこじゃないと思った。あれじゃ幕内力士でも死んでしまう。相撲のけいこの名の下に殺されたんだ」。抗議したが、親方の説明は変わらなかった。
 しかし8月6日、時津風親方は斉藤家を訪れ、一転して正人さんら遺族に自分や弟子の暴行を認めたという。
 亡くなる前日の6月25日夜、酒席で親方自身がビール瓶で斉藤さんの額を殴ったこと。その後、弟子3、4人がけいこ場の調理室裏で、斉藤さんに殴るけるの集団リンチを加えたこと。親方はそれらを警察に話したと遺族に報告したが「死亡はあくまでけいこ中だった」と釈明したという。正人さんは「親方はリンチを知っていたようで、あきれて言葉を失った。最初は全く認めていなかったのに」と悔しさをにじませた。
 さらに正人さんは「相撲界ではこういうことが許されてきたのだろうが、立件されれば体質も変わる。もう息子は帰ってこないが、力士を目指す若い人のためにも真実を明らかにして、2度と同じことが起こらないようにしてほしい」と話した。【岡田英】

 ◇シャッター閉じ裏口に「準備中」…両国・時津風部屋
 東京都墨田区両国の時津風部屋には、26日早朝から報道陣が詰めかけたが、力士らの出入りはほとんどなかった。
 同部屋は10階建てマンションの1、2階にあり、3階に時津風親方の住居がある。相撲部屋の玄関には「双葉山相撲道場」と「時津風部屋」の看板が掛けられ、シャッターは閉じられたまま。裏口の力士玄関には「準備中」の札があった。
 午前7時45分、部屋を出た若い力士を記者、カメラマンが取り囲んだ。「親方は?」の質問に浴衣姿の力士は「部屋にはいないんじゃないですか」と答え、足早にタクシーに乗り込んだ。秋場所が終わったばかりでけいこは休みだという。【佐藤賢二郎】

 ◇温厚な性格で知られる…時津風親方
 時津風親方は、63年秋場所、第35代横綱・双葉山の指導する部屋で初土俵。現役時は双津竜のしこ名で72年春に入幕。幕内に定着したのは70年代後半で、北の湖より大きく、高見山に次ぐ170キロの巨体を生かした相撲に特色があった。幕内は29場所務め、最高位は79年名古屋の小結1場所。幕内通算186勝226敗23休。82年九州場所で引退後は年寄「錦島」を襲名し、審判委員などを務めた。02年に時津風部屋を継承した。
 温厚な性格で知られており、今年夏場所前には、弟子の豊ノ島が出げいこに来た朝青龍とのけいこで右ひざを負傷。この時には「相手を受けて立つのがけいこの常道なのに、負傷させては相手に恐怖感を植え付けるだけ。こうしたけいこはいかがなものか」と語り、高砂親方に電話で抗議したこともあった。【上鵜瀬浄】

 ◇完全な暴力だ
 スポーツジャーナリストの二宮清純さんの話 相撲界には昔から「しごき」がある。多くは力をつけさせるために「もう少し」と鍛える愛のムチのようなものだが、仮にビール瓶で殴ったりしていたとしたら完全な暴力だ。力士が1人死亡するほどの重大事なのに、相撲協会の調査などの動きは鈍く、真相究明に熱心とは思えなかった。協会は相撲や力士の品格を強調する前に、親方の質を問うべきだろう。力士を目指す若者が減っているだけに、こうしたことが起きるのは非常に遺憾だ。

 ◇指導いきすぎた
 元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博さんの話 極めて残念だ。相撲の世界は厳しさの中にも師弟関係を大事にし、激しい稽古の中で時に良かれと思って厳しく指導することは過去にもあった。まれに竹刀などを使って厳しく指導した場合もあったが、当然、度を超してはいけない。今回はその範囲を超えて、ある種の制裁的なこともあったやに聞いている。厳しさが求められる勝負の世界で、過保護の時代を反映してややもすると指導が甘すぎるという批判もあるが、だからといって今回のようなことは決してあってはならない。協会も大切な子どもさんを預かっているのだから、配慮の行き届いた指導が望まれる。

2007年9月26日 毎日新聞


まず注目されるのが「相撲ジャーナリスト」の杉山邦博さんのコメントでしょう。「相撲ジャーナリスト」なるものがどういうものなのか、皆さんとっくにご存知です。滅多なことは言ってはいけません。出来れば何も言わない方がいい。「そーっすね」しか言わないくらいが適当です。しかし「元NHKアナウンサー」という肩書きではそうもいきません。そこは高度なテクニックが要求されます。

なんでも「時に良かれと思って厳しく指導することは過去にもあった」んだそうで、あたかも今回の件が「過去」における「良かれと思って厳しく指導すること」と同じようなことだと言っています。杉山さんの知る「過去」において闇から闇に葬られた力士の死体はどこに埋まっているんでしょうか。「まれに竹刀などを使って厳しく指導した場合もあった」ようですが、更に頻度の低い事例として「ビール瓶」などを使って「厳しく指導」したこともあるに違いない。いや全くの話し冗談ではなくて、親方が弟子に対してする行為は全て「指導」、酷い行為は「厳しい指導」と言うんですよ、専門用語で。

「度を超してはいけない」という御意見には全く賛成ですが、要するに「死なない程度に」ということのようです。今回は「度を超して」しまったわけですが、普段は「度を超」さない程度にビール瓶で頭部を殴打したりタバコの火を押し付けたりという「厳しい指導」が行われていることが明らかになりました。お相撲さんが太っているのは皮下出血のせいらしいです。あの中には腐った血がたまっていて、ちょっと切るとそれが出てきますので丁重に扱いましょう。

この次にご注目いただきたいのが「や」です。「ある種の制裁的なこともあった」の次ぎにくる「や」です。この「や」は、「も知れない」を続ける形で「軽い疑い」を示す副助詞ですが、ここでは「に聞いている」を続けることによって、もともと「軽い」ものにすぎない「疑い」という自己の判断を、伝聞に託すことでさらに弱めています。つまり「ある種の制裁的なこともあった」ことに関する自己の判断を明示しないようにしていることがわかります。別の読み方をすれば、「ある種の制裁的なこともあった」ことを婉曲に否定していることにもなります。これが「相撲ジャーナリスト」の「相撲ジャーナリスト」たるゆえんです。土俵の上をちょこちょこと逃げまわるようです。もっとも相手が北の湖ですから、そりゃまともに組んだら勝ち目はありませんが。

もちろん杉山さんは北の湖とがっぷり四つに組もうなんて度胸も体力もありません。むしろ杉山さんによれば「過保護の時代を反映してややもすると指導が甘すぎるという批判もある」んだそうです。誰ですかそんなことを言っているのは。もしかすると杉山さんの脳内の「一般論」ではないでしょうか。でも、まあ、誰かが言いそうなことです。そこらへんのオヤジがいかにも言いそうなことではあるわけで、てゆうか杉山さんがこのように言うことによって、そこらへんのオヤジが「そう言えばそうだよな」と思ってしまうのかも知れませんが、もしそうなれば時津風親方は半分勝ったも同然です。だって今回はたまたま偶発的に「度を超して」しまっただけじゃん。いつもやってることじゃん。今まで誰も死ななかったじゃん。それに「温厚な性格で知られて」るじゃん。朝青龍のことで「高砂親方に電話で抗議」したけど、朝青龍は今や悪役じゃん。じゃあ親方って「良い方」じゃん。

あとはこの「傷害致死」犯を死刑にするかどうかが問題になるはずです。もっとも頼りにすべき親方がほとんど致命的とも思われる傷を負わせ、兄弟子たちが集団で暴行するという事件です。しかも全員が力士であり、被害者は一応力士とはいえ2ヶ月の経験しかない。さらには「師弟関係」のなかで被害者は予め抵抗を封じられたような状態にあったわけです。「遺族」はとんでもない世界に息子を放り込んだことでちょっと負い目を感じていますが、だからといって「残虐性」ということでいえばこれはこれでなかなかのもんじゃないかと思われます。傷害致死罪は有期刑ですが、「世論」はそんなこと構ってくれません。まず死刑はまぬかれますまい。そうだろ?死刑を妨げるものがあるとすればそれはただひとつ、ロープが相撲取りたちの荷重に耐えられるかということだけです。ロープが切れた場合は刑務官が柔道の絞め技で絶命させるという噂がありますが、もしそれが本当だとしても、相手は力士ですから。ビール瓶で頭殴っても死なない(ということのようですよ〜)んですよ。まあせいぜい「かわいがって」やってくださいな。
posted by 珍風 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

「アチャーガム・ジャパン」創刊!(しませんて)

当方でここ数日人気なのは例の畠山鈴香さんなんですね。
http://worstblog.seesaa.net/article/19190603.html
次点が寺山久美さん。
http://worstblog.seesaa.net/article/42932946.html
大きめの図版が功を奏したようです。一方バカ殿やらハゲやら本村さんの出てくるエントリは人気ないんですよ。やっぱり野郎じゃダメだ。よくわかった。ちなみに鈴香さんの人気の程は次に見る通りです。

「極刑望む」と団地住民 畠山鈴香被告の第2回公判

 秋田県藤里町で昨年発生した連続児童殺人事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた無職畠山鈴香被告(34)の第2回公判が21日、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で開かれ、検察側証人として被告と同じ団地に住む男性が出廷、「周囲の住民は声をそろえて極刑を望んでいる」と述べた。
 男性は、殺害された長女彩香ちゃん=当時(9)=について「いつも同じ汚れた服を着ていて、髪もぼさぼさで風呂に入っていない様子だった。かわいがっていないなと思った」と述べた。
 また、殺害された米山豪憲君=当時(7)=と同級生だった男性の二男が、昨年のクリスマスで「今年はゲームもおもちゃもいらない。サンタに魔法をお願いし、豪憲君を生き返らせたい」と話したことを明かし、涙ぐんだ。
 畠山被告は初公判で、彩香ちゃん殺害について殺意を否認。豪憲君の殺害、死体遺棄は認めたが「その時の精神状態が正常だったかどうかは分かりません」と述べた。


「社会に戻ってほしくない」=住民証言、連続児童殺害公判−秋田地裁

 秋田県藤里町で昨年起きた連続児童殺害事件で、殺人などの罪に問われた畠山鈴香被告(34)の第2回公判は21日午後も、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で検察側証人尋問が行われ、出廷した近隣住民は「(被告には)二度と社会に戻ってほしくない」と述べた。
 午後は4人の証人が出廷。畠山被告の自宅隣の女性は、休日などに被告が「起こすなって言ったべ!」などと怒鳴る声や、長女彩香ちゃん=当時(9つ)=が「ごめんなさい。ごめんなさい」と泣く声を、週に1、2度は聞いたと証言した。
 冬の吹雪の日に彩香ちゃんが家の外で寂しそうに立っている姿を見たといい、「邪険にしているようにしか思えない」と非難。「二度と社会に戻って来てほしくない」と述べた。

2007年9月21日 共同


どうですたいしたもんでしょう。このくらい嫌われなければホンモノではありません。いったい何の「ホンモノ」なのかはさておき、この記事で赤の他人の悪口を言っている様を報道されてしまった人たちは、被害者でもなければ遺族でもありません。単に近所の人です。「同じ団地に住む男性」などは、「周囲の住民は声をそろえて極刑を望んでいる」と言っています。「周囲」の範囲が明らかではないので何人くらいの人が「極刑を望んでいる」のかわからないのですが、あながちウソでもないのかも知れません。なにしろここの「住民」の皆さんは、この忙しいのに「事の大きさを本気で考えているなら集まれるはずだ」などと「語気を強める」ような人に集まらされているんですから、「声をそろえる」くらいのことはありそうなことです。もっとも頭の中では何を考えているかわかったもんじゃありません。

隣の家の人も「二度と社会に戻って来てほしくない」んだそうです。この人が「社会」というものをどう考えているか知りませんが、もしかすると向こう三軒両隣くらいのことかもしれないし、「塀の外」という意味かも知れません。この人も「極刑を望む」仲間に入っているのだったら、てゆうか先に出てきた男性の言葉を信じる限り仲間に入っているはずなんですが、この人の考える「社会」というものには死者は含まれないということなのかも知れません。それはそれで大いに結構なことです。だいぶすっきりします。死んだ奴のことなんか忘れて生きている者同士で上手くやれば良いのです。彩香ちゃんだの豪憲君だのという連中も「社会」の外ですから。

「語気の強い」人に押しまくられたり、被告人の心証を悪くするために検察に命じられて他人の悪口を言わなきゃいけなかったり、田舎暮らしも苦労の多いものです。去年は「深い人間関係がなかった」のを反省していたようですが、こうして喋らせてみれば悪口のネタぐらい持っていたりするんですから、お互い油断出来ません。しかしながら鈴香さんの悪口を言っている間は他の人に矛先が向かない、という利点があります。この事件が忘れられると朝日ヶ丘団地には陰にこもった険悪な雰囲気が残ってしまいます。いじめられやすい人は早めに引っ越した方がいいでしょう。

ところで、このような近所の住民や本村さんのような遺族の意見が判決に影響を及ぼすものなのでしょうか。例えばこの場合は近所の人たちは検察側証人として出廷しているので、検察側としては連中の言い分が判決に影響することを期待していると考えられます。しかし証言の目的は、鈴香さんが彩香ちゃんの世話をあまり見ていなかったり怒鳴りつけたりしていたことをもって、鈴香さんが彩香ちゃんに殺意を持っていたという心証を強めることにあります。もっとも親に邪険にされて生きている餓鬼は沢山いますから、これだけでは何の証明にもなりません。ただ疑問なのは、その証言の中で「極刑を望む」だの「社会に戻ってきてほしくない」だのと、量刑に関する意見を述べさせるというところです。この人たちはそういう意見を述べることが出来る程度に訴訟資料を検討する機会が与えられていたのでしょうか。

「被害者遺族」の場合はまた別種の問題があります。例えば世の中には配偶者を殺してしまったり、殺そうとする人がけっこういますから、場合によっては犯人は「遺族」の意志を知らずして代行してしまうこともあり得ないことではありません。そういう場合にちょっとアタマの緩い「遺族」が、「いやあ良かったよかった。助かったよ。なるべく軽く済むようにしたいものだね」などと言い出したらどうしたものか。裁判所としてはそんなアホの「遺族感情」を「尊重」しやしないでしょうが、仮に「遺族感情」を考慮に入れるとするならば、被害者と遺族との関係のあり方によって変動する「遺族感情」に左右されて同じ犯罪を別様に裁くということになるでしょう。

さて、今のところはこういうことがニューズヴァリューがあるんだかないんだか、報道されているわけですが、今後もこういうこと続いて、「遺族」や「関係者」や「無関係者」が出てきちゃ「声をそろえて」判で押したように「極刑を望む」と言う、ということであれば、早晩飽きられてしまうことは目に見えています。飽きられるってのは、たとえば一般の人の日常の会話の中で「遺族」に関して不謹慎なことを言って笑うことが普通のことになるとかそういうことです。

死刑存置派にとっては、制度として死刑を存置しても現実に死刑判決がなく刑の執行が行われないのでは事実上死刑を廃止してしまったのと同様であります。死刑はしょっちゅう行われる必要があり、なるべく多くの死刑判決が下される必要があり、死刑を支持する世論をあおり続ける必要が出てきます。そのためには刺激的な素材がなくてはなりません。今のところまだ「遺族」が珍重されているところですからいいのですが、これが飽きられて笑われるようになってきたら更なる刺激が要請されます。というところで、みんな大好きな「死体写真」がお茶の間に登場する日も近いでしょう。被害者の遺体の凄惨な様子は、見る者に被害者への同情と犯人への憎悪を喚起するに違いありません。当分の間は。そのうちこれにも飽きられると、死刑の公開も考慮されるようになるでしょう。しかしそれでは江戸時代あたりと何も変わらない。21世紀の死刑執行はひと味違います。刑は被害者が殺害されたのと同じように行われます。つまり犯行の再現の生中継、アナウンサーによる中継と「遺族」による解説もつけなければなりますまい。DVDも無料で配布しちゃう太っ腹。それでもダメなら、いつ何時身に降りかかるかもしれない犯罪の恐怖を教えなければなりません。実際の「殺人事件」を、至る所で発生させましょう。先進国アメリカではイラクあたりで実施していますが、日本でも例えば警官がいきなり市民を撃ち殺すなどの先鋭的な試みが始まっているようです。
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2007年09月20日

殺人より残酷な快楽

本村さん意見陳述要旨 山口・光市母子殺害事件公判

 広島高裁で20日あった山口・光市母子殺害事件公判で陳述した本村洋さんの意見の要旨は次の通り。

 この裁判での意見陳述は2回目となります。5年9カ月前の広島高裁で、私は以下のように述べました。「妻と娘の最期の姿を君は忘れてはならない。君が犯した罪は万死に値します」
 初めての意見陳述の時、死刑判決が下されない可能性が高いと思っていました。君が社会復帰した時に二度と同じ過ちを犯してほしくないと思い、人間としての心を取り戻せるようにと一生懸命に話しました。5年以上の歳月が流れ、死刑判決の可能性が高まり、弁護人が代わり、君は主張を一変させた。それがわたしを今最も苦しめています。
 弁護団はインターネット上で裁判の資料を公開しています。妻の絞殺された状況を図解した画像が流布され、議論されている状況を快く思っていません。妻の悔しさを思うと涙があふれてきます。家族の命をもてあそばれている気持ちになるのは確かだと思います。
 私は事件直後、事件を社会の目にさらし、司法制度や被害者の置かれる状況の問題点を見いだしてもらうことを選択しました。家族の命を無駄にしないことにつながると思ったからです。しかし、家族の殺害状況まで流布され、判断が間違っていたのではと悔悟の気持ちがわいてきます。
 このような事態になったのは、これまで認めてきた事実を一変させ、新しい主張が理解しがたいことばかりであることが原因と考えます。君はこれまで起訴事実を大筋で認め、反省しているとして情状酌量を求めていたが、それはすべてうそだと思っていいのですか。私が墓前で妻と娘に報告してきた犯行事実はすべてうそだったと思っていいのですか。
 私は納得できない。君が心の底から真実を話しているように思えない。君の言葉は全く心に入ってこない。たとえ君の新たな主張が認められず、裁判が終結したとしても、私には疑心が残ると思う。事件の真相は君しか知らない。
 私は君が法廷で真実を語っているとは到底思えない。もしここでの発言が真実だとすれば私は絶望する。君はこの罪に生涯反省できないと思うからだ。君は殺意もなく偶発的に人の家に上がり込み2人の人間を殺したことになる。こんな恐ろしい人間がいるだろうか。君は殺意もなく、生きたいと思い最後の力を振り絞って抵抗したであろう妻と娘の最期の姿が記憶にないのだから反省しようがないと思っている。
 私が君に言葉を掛けることは最後だと思う。最後に私が事件後に知った言葉を君に伝えます。老子の言葉です。「天網恢々(かいかい)、疎にして漏らさず」。君が裁判で発言できる機会は残り少ないと思う。自分が裁判で何を裁かれているのかをよく考え発言してほしい。君の犯した罪は万死に値する。君は自らの命をもって罪を償わなければならない。
 裁判官のみなさま。事件発生から8年以上が経過しました。私は妻と娘の命を奪った被告に対し、死刑を望みます。正義を実現するために司法には死刑を科していただきたくお願い申し上げます。

2007年9月20日 中国新聞


「君は主張を一変させた。それがわたしを今最も苦しめています。」ということですが、おそらく検察も同じように苦しんでいることでしょう。しかし検察側には更に苦しい事情があるようです。被告人は検察官から、強姦目的ではないと「言い張るんなら死刑になる」と言われ、「生きて償いなさい」と言われて調書に署名したと言います。それで死刑を求刑したりして、こういうのが検察の常套手段であるらしいことは、今では誰もが知っています。ですからこの被告人の言い分を「ウソだ」と思うことは簡単ですし、「そういうこともあるだろう」と思うことも、大した違いはありません。ほとんど全ての刑事裁判がこのように行われているのではないか、特に被害者が何も言えない殺人などの場合はほぼ検察の描いた絵の通りの裁判が行われているのではないか、したがって今までの殺人事件に関する犯行の様態などについての資料は全く信用出来ないんじゃないか、という点も気になるところですが、それはともかく、被告人がどういうつもりで何をやったにしても、それが物証として表現されていなければなりません。

それだけに本村さんちの「妻の絞殺された状況」については特に議論があるわけですが、本村さんがそれを「図解した画像が流布され、議論されている状況を快く思っていません」というのも無理のないことです。この辺の問題についてあまり議論されたくないのは検察も同様でしょう。たしかに石津日出雄さん(川崎医療福祉大教授)は、「逆手で首を押さえるなんて現実的にはありえない」と言っていますが、だからといって死体の状況を合理的に説明出来ているとは思えません。私見では検察は、当初この事件を少年事件のつもりでかなり甘い事実認定で済ませるつもりだったのではないでしょうか。少年事件の場合、犯行の様態等を詳細に詮索するのが当該少年の更生に悪影響を及ぼすとかの理由で、事実関係についてあまりうるさくなかったりするようです。

しかしそれに続く本村さんの言葉は痛々しいものです。「私が墓前で妻と娘に報告してきた犯行事実」のゆらぎを目の当たりにして、本村さんは「君が心の底から真実を話しているように思えない」といいながらも、それは「君の言葉は全く心に入ってこない」ということ、つまり本村さん自身の「心」がそれを否定したがっていることを本村さんは自覚しています。そして「もしここでの発言が真実だとすれば私は絶望する」と言うのです。もし被告人の陳述が真実であるならば、それは本村さんが「万死に値する」と考えるところの被告人が「犯した罪」とは異なるものになってしまうからです。

本村さんが想定しているのは結果を予測した上での理性的な行為としての犯罪でした。ところが「君は殺意もなく偶発的に人の家に上がり込み2人の人間を殺したことになる。」普通そういう場合を「傷害致死」とか言うわけですが、偶発的に人が殺されるなんて本村さんとしては「納得できない」わけです。どうせ殺されるなら殺すつもりで殺しにきた人に殺されたいもので、これは被害者の死が被告人にとっての目的であることによって、被害者の生が遺族にとって持つのと同じ程度の重みを持つであろうと、遺族たる本村さんが期待しているということなんでしょう。しかしこれが被告人が殺意を持って殺害に至ったわけではなく、「偶発的に」死んでしまった、ということになるならば、人の命というものが家族への思いとか家族を守るために考え行動すること、あるいは逆に殺人者の殺意と殺すための計画とその実行、などというものとは無関係に、全く別のものによって動かされるという「現実」に直面することになります。したがって本村さんにこのような恐ろしい現実との直面を強いた被告人に対して「こんな恐ろしい人間がいるだろうか」と言うのも故なしとしません。ほとんど八つ当たりに近いですが、他に誰に何を言えというのか。

本村さんはこんな所まで連れて来られてしまいました。それは人命が「目的」ではなく、もしかして「手段」ですらないような、「偶発的」が行き当たりばったりに支配する「現実」の荒涼とした風景です。そこには償うべき「罪」もなく、誤れる企図とそれへの「反省」もありません。まあ、そういう場合に法は「傷害致死」とか「なんとか致死」という概念を持っているわけですし、そういうことで死んでしまう人も少ないわけじゃありません。しかし本村さんとしては「万死に値する」と言っていますが、それは本村さん自身とっての被害者の存在と被告人にとってのそれを釣り合わせようとすること、被告人に対して「せめて我が妻子の死を欲望せよ」と叫ぶに等しいのです。

もっとも、被告人の主張が最初から明らかになっていれば、本村さんとしてもこんな回り道をしなくてもよかったわけです。殺すつもりがなくても人は死んでしまう。それはそれで手を下したのは被告人ですから、被告人を憎むのも当然ですし、闇雲に死刑を求めるのも無理はありませんが、やれ「反省」だの「武士道」だの何だのと駄弁を弄する必要は全くなかったわけでした。これは全く検察の責任であるといっていいでしょう。結局検察は被告人と被害者遺族の両方を犠牲にしたようなもんです。「天網恢々、疎にして漏らさず」、この言葉を検察側は胆に銘じましょう。あ、それから本村さんはわざとやったことじゃなきゃ「反省」出来ないもんだと思ってるみたいだけど、それだと例えば飲酒運転して誰かを事故死させちゃったような人、ジェットコースターの点検を怠って客を事故死させちゃった人なんかも反省はしないかというと、そういうことはありませんよね。別に検察の主張が覆されても本村さんの言う「反省」と整合は取れますから、そんな無理なことを言わなくても大丈夫ですよ。
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2007年09月18日

二代目バカ殿襲名披露

高橋ジョージと三船美佳の夫婦を見ていると、やれやれ、といった気持ちになるもんですが、まあ我が家だって他人様のことをとやかく言えた義理ではありません。ひどいもんです。ええ非道いもんですとも。ところが舛添要一さんと片山さつきさんが結婚した当時は「最高の知的カップル」などと言われたようですから世の中わかったものではありません。

片山さんといえば、例の年金記録問題において、専ら菅直人さんおよび自治労に責任をなすり付ける根拠のない怪文書、いや自民党の広報ビラを作成して大恥をかいた困り者ですが、縁は異なもの味なもの、元夫の舛添さんが今度は厚生労働大臣となって年金問題の矢面に立つことになったんだから女の恨みは巡り巡って忘れた頃に手痛い復讐をなすとは正にことのことでありましょう。

そこで例えば舛添さんは「家族だんらん法案」などと言ってしまったものですが、これはまあ、今年の1月5日に、もう死んだバカ殿が言ってたんですね。ホワイトカラー・エグゼンプションの導入は労働時間の短縮につながるとか少子化対策にもなるとか。この呆れた発言のお陰かどうか、結局導入は今のところ見送られていますが、これを惜しんだ経団連が「残業代ゼロ法案なんて変な名前つけられたからダメだったんだ」なんて言い出しまして、経済同友会の北城恪太郎さんが「高度専門職年俸制と呼んでみてはどうか」などといい加減な案を出したのが同じ月の17日でした。舛添さんの「家族だんらん法案」は、これらの程度の低い誤摩化しを、1人3役で再演したものに過ぎません。

というような「知的」加減ですから、天下の東大の名が泣きますな。これはもう東大を出て学者になってやろうとか、役人になってやろうとか、そういう前途ある若者が急にやる気をなくしてタミフルとリタリンを同時に飲んだりしかねません。こういう若者と親御さんを食い物にしている教育産業にとってもいい迷惑です。こうして見ると早々と教育業界に見切りをつけたヤンキー義家の方が、ある意味でよっぽど「知的」レベルが高いのかも知れません。

しかし翻って考えれば、呼び方を変えるってのも大事なことかも知れません。例えば、ハゲとか言わずに「聡明な額」と言ってあげたところで、別に毛が生えてくるわけじゃないんですが、そんな風にほんのちょっと気をつかってあげるだけで、舛添さんはサバイバルナイフを振り回したり、抗議文をかざしたりしなくて済むというものなのです。

というのもこの「聡明な」ハゲは、TVで批判されたのが気に入らないので「厚生労働大臣」名でTBSに抗議するんだと言って騒いでいるんですって。

舛添厚労相、TBSに抗議へ・不在番組で批判、「放送法に違反」

 舛添要一厚生労働相は18日、閣僚懇談会後の記者会見で、自民党議員が出演していないTBSの番組で民主党の長妻昭衆院議員が同相を批判したのは放送法に違反するとして、TBSに厚労相名で抗議文を出すことを明らかにした。
 舛添厚労相は「反論の機会を与えないのは公平さを欠き、政治的に公平であることを定めた放送法第3条に違反する。TBSの善処がなければ、放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立てる」と述べた。
 舛添厚労相によると、長妻議員は17日、TBSの情報番組「ピンポン!」に出演し、同相の年金問題についての発言を批判。同相にはTBSから番組出演依頼があったが断っていた。
 TBS広報部は「番組進行の指摘については真摯(しんし)に受け止め対応したい」とのコメントを発表した。

2007年9月18日 NIKKEI NET


僕は17日は仕事でしたんでこの番組観ていないんで、長妻さんがいわゆる脱毛についてどのように言及したのかは存じません。しかしながら「自民党議員が出演していないTBSの番組で民主党の長妻昭衆院議員が同相を批判したのは」直ちに「公平さを欠き、政治的に公平であることを定めた放送法第3条に違反する」ものとは言えないようですが。「反論の機会」というのはその時その場において直ちに反論することに限られてはいないでしょう。同じ番組に同じ時間出演して反論を述べることが出来れば良いのではないか。

それともなんですか、政府の人か与党の人のいないところで政府の批判をしちゃあイケナイってことですか。じゃあ批判されたくない場合は舛添さんみたいに出演を断ればいいわけだ。でもって後から「抗議」することによって「反論」に代えると。なかなかどうも「知的」な策略であります。「下司」ともいいますでげす。さすが、片山さんが一度は惚れただけのことはございますでげす。

しかしいくらBPOでも、こんなあからさまに開き直った公権力の介入にどう対処したものか、さぞや困るでしょうな。でもまあ、しかし、舛添さんがマスゴミを恫喝するのも、これから出てきそうな過去のいわゆる舛添さんちの「家族だんらん」の件を警戒しているという説もあります。週刊誌が載せるとTVのワイドショーで紹介しますからね。なにはともあれお盛んでうらやましい限りですが、活発な下半身と寂寞たる頭部を除けば、あのNHK番組改変、近くは今年の3月に朝日新聞編集委員を「サンプロ」での発言で名誉毀損で訴えたり、5月には「週刊朝日」を訴えたり、ついこの間は「週刊現代」に「警告」を出したりしたバカ殿そっくりです。霊が空いた毛穴から入り込んだのでしょうか、いわゆる「転生」というやつに違いありません。じゃあ今度「ピンポン!」で舛添さんの「バカ殿二世」襲名披露でもやりますか。木久蔵とかぶっちゃうな。いやんバカ、んふふるんるん
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2007年09月12日

バカ殿国民に勝利する

会談拒否が理由「首かしげる」=今国会で解散目指す−民主・小沢氏

 民主党の小沢一郎代表は12日午後、安倍晋三首相の辞意表明を受けて党本部で記者会見した。小沢氏は、首相が党首会談を拒否されたことを辞任の理由の一つに挙げたことについて「(自民党に)『会談そのものはいつでも結構だ』と伝えたが、この時点でごあいさつの党首会談をやるという首をかしげる提案だった」と述べ、首相の対応に問題があったとの認識を示した。
 また、小沢氏は「わたしの40年近くの政治生活でも(参院選で与党が)過半数を失って辞めず、内閣を改造して所信表明演説をし、代表質問の前に辞職(の表明)という例は初めて。首相の心境、思考方法はよく分からない」と首相を批判。その上で、今国会での衆院解散を目指す方針に関しては「できるだけ早い機会にということは全く変わっていない」と述べた。

2007年9月12日 時事


今頃辞めるなんて遅いようですが、しかしこれは参院選での敗北を受けて辞めたわけではありません。そういうことならもっと早く辞めていていいわけで、辞めたのは恐らく別の理由です。したがって国民がバカ殿を辞めさせたわけではなく、バカ殿も国民に辞めさせられたわけではありません。所信表明演説直後のタイミングでの辞意表明はこのことを示唆しています。したがって別段国民が勝利したとかそういうわけではありません。むしろ今回は負けたんじゃないかという気がします。

今から思えばですが、9日にインド洋での給油に「職を賭して取り組んでいく」とか「私の職責にしがみつくということはない」などと言った時には既に辞任に傾いていたと思われます。なんだか知らないけど様子がおかしかったし、いかなる文脈であっても辞任を示唆するような言葉遣いをしたことは重要で、シドニーで辞めなければならないような何かがあったことを伺わせます。8日のブッシュとの会談が鍵であるかも知れません。

米国は参院選後直ちに小沢民主党代表と接触するなど、今回の選挙結果に大きな関心を寄せています。米国としては場合によっては日本に政権交代もあり得ること、しかしそのためには民主党に対して若干調整工作が必要であること、したがって自民党政権の継続が望ましいと考えていると思われますが、内閣改造後の支持率低迷と相も変わらぬモグラ叩きのような不祥事と疑惑の続発によって、バカ殿体制では政権維持が困難であることを認識するに至ったとしても不思議ではありません。対抗して相手方のアラを探したところでおばさん姫のSM不倫騒動などの下らないネタしか拾えなかったという実績も評価に関わってきます。そこで米国大統領たるもの日本国内閣総理大臣に出すべき指示は「別に民主党だっていいんだせ、俺は。お前どうすんのよ。よく考えな。犬のロープ貸そうか?」ということになるかも知れません。

仮にそうだとすれば、これは単によくある肩たたき、ちょっとした人事異動に過ぎません。イヤな上司が飛ばされると部下は快哉を叫んだりするもんですが、その後にもっと「とんでもない」奴が配属されてきたりするのは世の常であります。もっとも、その一方で格下げされた人にしても、当人は大いに気に病むものですが、周りの人はそれほどとも思っていなかったりするものです。

仮にバカ殿続投のまま総選挙を迎えた場合、与党の大敗は必至です。自民党の次期総裁が誰になるのか知りませんが、誰になるとしても与党への支持は一時的にせよ現在よりも上昇する可能性があります。したがって「政権交代」はその分遠ざかったということが出来ます。「反安倍」で民主党に寄って行った票は再び行き場を失いました。ボールを投げられたのはむしろ民主党の方なのではないでしょうか。そして選挙結果を無視した続投に続く騙し討ち的な辞意表明は、米国の「政策を力強く前に進めていく」ために「局面を転換」するにあたっては、意外と最適なやり方だったのかも知れません。もっとも次期首相にもバカ殿と同じ末路を辿ってもらうようにすれば、そうとは限りませんよ、ひょっとこめ。
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2007年09月11日

第168回国会における安倍内閣総理大臣(自称) 所信表明演説

例によって呼ばれてもいないのにやってまいりました、内閣総理大臣(自称)安倍晋三ちゃんでございますよ。ブッシュたんにちょいキツ〜く言われちゃってヘコんじゃったよ。でも今日は大丈夫。お風呂入ってきたもん。じゃあ恒例のヤツいくからね。

(はじめに)
 第百六十八回国会の開会に当たり、新潟県中越沖地震や台風による災害により、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に、心からお見舞いを申し上げます。被災者の皆様の不安の解消を第一に、復旧・復興に全力を尽くしてまいります。
 と、心にもないことを言ってご機嫌を取っておきまして、先の参議院議員通常選挙は、与党にとって大変厳しい結果となりました。しかしながら今までやってきたことから見れば、たとえ少数なりとも議席を頂けただけでも奇跡のようであります。改選議席を全て失っても文句を言えた義理ではございませんが、今回示された、国民の皆様の思いあがり対し、これから十分応えてやろうじゃねえか、政治と行政に対する不遜な態度を取ったことに深い反省をしていただくべく、今後、国政に当たっていきたいと考えておりますので覚悟するように。
 「ここまで厳しい民意が示されたのだから、退陣すべき」との圧倒的に正しいご意見があることは十分承知しています。
 でもそんなの関係ねえ。私が思うところによれば戦後レジームからの脱却が、どうしても必要です。そんなに必要なことなら別に私じゃなくても誰か他の人が当然引きついてくれるはずですし、私以外の誰であっても私より上手くやるであろうことは火を見るよりも明らかですが、実は全然必要ではなかったりするので、やはり私が「職席にしがみつ」いてまいりたいと思います。「職責」というのはマスコミに巣食う北朝鮮のスパイによる情報操作です。正しい日本語では「責任」で1文字でありますから、これから「責」のみを切り離すことはできません。私がしがみついているのは総理の「席」、つまり「椅子」なのであります。
 昨年九月の就任以来、安倍内閣は、ロクなことは何一つせず、数の力を頼んで私の好き勝手を押し通してまいりました。こいつは愉快な改革です。改革の基本的な方向を変えてはなりません。。
 しかし、改革にはどうしても痛みが伴います。国民の皆様をいためつけるのが改革ですが、まだまだ十分ではないと思います。今後ますます改革を進める一方、改革の影の部分にきちんと光を当てる、まだ痛みを感じていない奴を見つけたら手ひどくやっつける政策に、全力で取り組んでまいります。
 この度、極めて遺憾なことですが、国民の皆様の無駄な抵抗によって滞りそうになった新しい国創りを再スタートさせるため、内閣改造を行いました。いつものことですが、補助金の不正受給の問題で、閣僚の一人が辞任しました。辞任くらいで済んだのですから今回はいい調子であります。今後こうしたことが二度と起きないよう、内閣として、腐敗した自民党政治の終焉に万全を期してまいります。
 不正と犯罪の足がついた自由民主党及び公明党の連立政権の下、「解散実行内閣」として一蓮托生の覚悟を決めております。むしろ公明党の方がその覚悟ができていないようで、つま先があっちを向いておるようですが、将来にわたり国民の皆様が安心して暮らせるよう、一丸となって破滅への途を突き進むことになっております。
 なんて上手くいくと思ったら大間違いなのです。
 この内閣がスタートするに当たり、私は、得意の「国民の皆様との対話」を、何よりも重視してまいります。私をはじめ、大臣、副大臣、政務官など七十名が手分けして、全国各地に直接赴き、お年寄りの自民党員や創価学会の若者、愚かで欲の皮の突っ張った中小企業経営者などの現場の声を作成し、きめ細やかな演出によって華麗なる魅惑のステージをお目にかけてまいります。

(信頼できる年金を再構築する)
 年金に対する信頼を取り戻すことは難しいので、口やかましく目立ちたがり屋の舛添君を面倒なところに張り付けておいたらキレました。いい気味であります。まじめに保険料を払ってこられたとみられる方々に雀の涙ほどの年金を支払うために対策を講じるふりをすること。なぜバレたのか、原因と責任を誰かに厳しく押し付けること。この二点を徹底して、年金記録問題を究明し、必ず解決いたします、多分。まあお手並み拝見です。
 国民生活を支える基盤である公的年金について、国民が安心して頼れる制度とするためには、長期的な視野に立った制度設計が不可欠であり、それは政治の責任です。国会における与野党の立場を超えた議論、要するに長妻君を外した協議が行われることが極めて重要です。でないと大村君が可哀想です。

(改革の果実を地方の実感につなげる)
 私は、格差や将来への不安を訴える地方の皆様の切実な声に真摯に応え、改革の痛みをさらに地方の実感へとつなげるため、あらゆる努力を尽くします。
 金も何もない地方に自ら考えさせ、実行させ、責任を負わせることのできる体制をつくります。自業自得で苦しむ地方切り捨ての総仕上げである道州制の実現に向け検討を加速します。
 そういう一方では内閣に置かれた地域再生などの実施体制によって中央の一元化された指導により、頑張る地方応援プログラム、中心市街地や公共交通の活性化などの施策を総動員して、省庁の縦割りを排し、利権と資金がすべて私に集中することになるんだから笑いが止まりません。
 地域で働く人々の生活の底上げを図るため、職業能力の向上を支援するとともに、税収が増えて手取りが減る程度に最低賃金をほんの少しだけ引き上げます。あわせて、地域経済を支えている中小企業の労働者を最低賃金での雇用に切り替え、生産性の引上げをはかります。
 安全・安心な食を生み出す日本の農林水産業が活力を持ち続けることは、我が国の将来にとって、極めて大切なことです。「攻めの農政」を基本に、農業を株式会社化し、農家の方々は最低賃金で時給契約の労働者となっていただきますので、高価な農産品が百姓の口に入ることは、もうありません。

(教育再生を具体化する)
 良質で負担の少ない公教育があってこそ、子どもたちみんなが、明日へのチャンスをつかむことができます。ところがどっこい、改正教育基本法、教育再生三法の成立を受けて、いよいよ具体的に、高い教育費で規範意識を身につけるための改革にのり出します。私に規範意識が身につくとは思えませんけど。金ならあるんだが。
 授業時間を増やし、教科書を検閲し、全国学力テストを利用して学力の学校間格差を拡大します。アタマの悪い学校は体験活動や徳育に力を入れましょう。私のような立派な人間になれます。そういう立派な教師を確保するため、メリハリのある教員給与体系を実現して義家君のようなヤンキーには高給を、まじめな人にはバカを見てもらうとともに、教員免許更新制によって教員の負担を増やすことなどにより、先生が子どもたちと十分に向き合える時間を減らします。そのことから当然発生する保護者のご心配やご意見に対し、警察出身のクレーム処理専門家も参加して対応する仕組みを整えます。

(安心して暮らせる社会を実現する)
 警察や軍隊に監視されず、なんとか学会や統一かんとかに支配されずに安心して暮らせる社会は、国づくりの土台です。あきらめて下さい。
 食への信頼が揺らいでいます。食品表示への信頼も揺らいでいます。私がアメリカの下僕であることを明らかにしたので水際における輸入食品の監視体制への信頼も揺らぎっぱなしです。首吊り死体もゆらゆら揺らぎます。
 夜間でも必要な救急医療を受けられるよう、それぞれの地域において責任を持って対応する救急の拠点病院及びネットワークの体制を確立します。もちろん健康保険の無い人は治療費を踏み倒すので、そういう人は救急車が轢き倒します。
 世界一災害が多い国だといっても過言ではありませんが、学校などの公共施設や住宅の耐震強度は偽装されています。原子力発電所も同様ですが、事前には何ら対策を行いませんので、せめて地震発生時における原子力発電所の対応に万全を期したいものですが、何せ放射能ですから、情報操作を徹底し、得意のウソとヤラセで周辺住民の方々の不安を払拭してごらんにいれます。影響が出て来るのは先の話しです。
 安心して子どもを産み育てることができる環境を作るため、価格に応じて多様な、きめ細かかったり荒っぽかったりする、所得階層別にクラス分けされた保育サービスの設定や、救急車の見直しを推進して長距離ドライブも快適な救急車の開発を支援します。

(持続的な経済成長を実現し、簡素な政府をつくる)
 急激な少子高齢化や、これまで経験したことのないような人口減少という厳しい状況下にあって雇用を生み出していくために経済成長は不可欠ではありませんが、私たちにとっては大問題です。何を置いても持続的な成長を実現しなければならりません。そのためにはアメリカなど外国の成長や活力に日本を取り入れます。
 無駄ゼロを目指す行財政改革を断固、実行します。このときに、無駄とは何かという問題は興味をそそるところですが、私が総理の椅子にしがみついている限りは安心です。
 行政に対する国民の皆様の信頼を取り戻すため、公務員に罪をなすり付け、内閣について指摘されている悪しき体質については、私が総理の椅子にしがみついている限りどうすることも出来ません。
 歳出改革・行政改革を徹底して実施した上で、それでも対応しきれない戦争やテロ対策などに伴う負担増に対しては、消費税を含む抜本的増税を実現させるべく取り組んでまいります。

(主張する外交を展開する)
 私は、今後とも国内に対して主張する外交を展開します。
 米国の平和と安定なくして、日本の安全と繁栄はありません。米国の陰謀による同時多発テロで、二十四名もの日本人の尊い命が奪われたことを忘れてはなりません。テロとの闘いは続いています。テロ特措法に基づく海上自衛隊の活動は、一部の国が団結して行っている海上阻止活動の不可欠な基盤となっており、米軍から高い評価を受けています。灼熱のインド洋で黙々と勤務に従事する自衛隊員こそ、米国から期待される日本の国際貢献の姿です。ここで撤退し、日米軍事同盟における責任(1文字)を放棄して、本当にいいのでしょうか。私は国民の皆様に対しての責任はこれっぽっちも感じませんが、米国に対しては大きな責任と恩義があります。引き続き活動が継続できるよう、是非ともご理解いただきたいと思います。わたしはまだ総理でいたいし、死ぬには若すぎるのです。
 北朝鮮のミサイル発射や核実験声明の衝撃と拍子抜けを忘れた方はいないでしょう。我が国を取り巻く安全保障の環境は、依然として暢気なものがあります。臨時にせよ防衛大臣がアレで済んでいたのですから大した問題ではありません。むしろ私が恐いのは米国であります。在日米軍の再編については、地域の振興と引き換えに、全力をあげて取り組むことにより、着実に進めてまいります。もし従わなければ沖縄に明日はありません。無人の地と化した沖縄を100%米軍基地として提供するまでです。
 北朝鮮の拉致については、米国はちょっと冷たいようですが、私のほとんど唯一のセールスポイントでありますから、すべての拉致被害者が帰国を果たすまで、拉致被害認定の増加に鉄の意志で取り組んでまいります。

(環境で世界を主導する)
 地球温暖化問題は、国際的な格差と貧困、日本も貢献している侵略戦争や打ち続く内戦などをから目をそらすための先進国共通の課題です。私は、ハイリゲンダム・サミットにおいて米国に代わってその役目を果たし、あわせてドイツ警察の警備体制についてつぶさに見てまいりました。来年、米国の要望によりSECOM所有のザ・ウィンザーホテル洞爺にてサミットを開催することになり、警察と民間警備会社の連携、更には警察の民営化に向けてさらなる前進が得られるよう、引き続き、リーダーシップを発揮してまいります。

(むすび)
 生意気な文句を頂いた政治資金の問題につきましては、もうちょっと、透明性を高めていくことにしてもよいでしょう。みなさん色々あると思いますが、抜け道がないわけではありませんし、政界から成り上がり者を排除して血筋正しい私たち二世・三世の世襲統治を末永く繁栄させるためにも、政治資金規正法の改正に向け、各党各会派や国会において十分なご議論をいただきたいと思います。内閣としても、政治に対する国民の疑念を一刻も早く雲散霧消させるため、全力をあげて取り組んでまいります。
 国の姿、かたちを語る憲法については、いいかげんな国民投票法の成立により、改正に関する議論を深める環境が整ったとは言い難い状況ですが、ムード的には改憲に一歩近づいたといえます。改憲派の人はこのくらいの成果は認めてくれても良いようなものですが、誰ですか、私がいるばっかりに改憲が遠のいたとか言ってるのは。調子に乗って言いたいことを言い過ぎたお前らが悪いんだろう。私が目指す改憲は、そんな国民の皆様が期待するようなものではありません。わかってるはずですよ。もう、ホントに。
 本日、私は、自らの信条、思うところを、率直に述べさせていただきました。これからも、国民の皆様からのご意見を無視し、政策については都合のいいところだけを説明しながら、国政に邁進してまいります。辞めないぞえ。
 私の目指す政治とは、我が国を取り巻く厳しい米国の要望に対応しながら、インド洋で給油を続けること。すなわち、「米国のガソリンスタンド」創りを進めていこうとするものであります。五十年後、百年後には何から何までバレているのかも知れませんが、お前らがどう言おうと、国民が泣こうが喚こうが、いつまでも内閣総理大臣の職席にしがみついていくことをお誓い申し上げます。
 国民の皆様並びに議員各位のご理解とご協力を、心からお願い申し上げます。いや要求します。いじめると辞めちゃうぞ。いいのか。次にやる人は総選挙で負ける役になるんだからね。「戦犯」とか言われるんですよ。私は慣れてるけど。それでは全員起立!脱衣!セイ、オッパッピー!
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2007年09月07日

マッポのイヌって呼ばないで

ネットカフェ難民の皆さん、今晩は。どこにも行き場のない今日この頃、昨夜などは特に関東地方の皆さんなどは「雨風をしのぐ」という言葉が骨身に沁みたことと存じます。

「ネットカフェ難民」と呼ばないで=業界団体が声明

 「ネットカフェ難民」と呼ばないで−。インターネットカフェに寝泊まりしながら不安定就労を繰り返す「ネットカフェ難民」の問題で、全国約1400店加盟の「日本複合カフェ協会」(加藤博彦会長)は7日都内で記者会見、「ひとくくりに『ネットカフェ難民』問題と呼ぶのは乱暴」などと、用語の使用中止を求める声明を発表した。
 協会によると、業界の約半分が同協会に加盟しているが、その8割近くは身分証明書で住所を確認する会員制を導入、ネットカフェ難民に該当する利用客は少ないという。一方、難民報道でイメージが低下し、女性客の足が遠のいたり、利用客がオンラインゲームで差別的な扱いを受けるなどの被害も出始めている。

2007年9月7日 時事


まあ確かに「マック難民」や、どこの店にも入店していない天下晴れてのホームレスの存在も指摘されていますから、「ひとくくりに『ネットカフェ難民』問題と呼ぶのは乱暴」なのかも知れませんが。ところで今日は記者会見をやったそうですが、日本複合カフェ協会では先月の下旬に一応声明を出してるんですね。

「ネットカフェ難民」は差別語 喫茶業界団体が声明

 全国のインターネットカフェや漫画喫茶約1400店が加盟する「日本複合カフェ協会」は29日、「ネットカフェ難民」は差別語だとする声明を発表した。
 声明は「(客の中には)定職に就くことが難しい方もいらっしゃるでしょう。しかし、複合カフェにとっては大事なお客さまなのです」とした。
 一方で「あたかも浮浪者風情の人が夜な夜なネットカフェに集まっているかのような報道が、多くのお客さまの足を遠のけていることに配慮いただきたい」ともしている。
 ネットカフェ難民は、日雇い仕事などをしながらネットカフェを泊まり歩く人を指す。厚生労働省は28日、全国に約5400人いるとの推計を発表した。

2007年8月29日 SankeiWEB


「差別語」なんだそうです。こういう風に言われると、ネットカフェでは難民の人たちも「大事なお客さま」として大切に取り扱っているのかと思いきや、実態はなかなか難しいようです。

「ネットカフェ難民」って言わないで 業界団体、イメージ回復に必死

「ネットカフェ難民」という言葉は使わないで──ネットカフェなどの業界団体が「お客は難民ではない」と反発。厚労省の調査などを「問題の本質をあやふやにしているだけ」と批判している。

 全国のインターネットカフェや漫画喫茶約1400店が加盟する「日本複合カフェ協会」(JCCA)が、最近の報道で用いられる「ネットカフェ難民」について、使用差し止めを求める声明を発表した。難民の定義を「戦禍・政難を避けて放浪する亡命者」とし、「お客様は“難民”ではない」と主張する業界団体の言い分とは…。

 「厚生労働省の不安定就労者の実態調査に際し、協力の打診がありましたが、すぐにお断りしました。入り口から『難民ありき』という役人的発想の調査に、協力なんてできるわけないじゃないですか!」
 ネットカフェ業界の第一人者で、JCCA顧問の若林修氏(56)はこう怒りをぶちまける。
 「ネットカフェ難民」という言葉が一人歩きした発端は、今年3月、共産党議員が柳沢伯夫前厚労相に「懸命に働いてもアパート代が払えず、インターネットカフェで寝泊まりする“ネットカフェ難民”が急増している」と質疑したことからだ。以降、この言葉に対する各店舗のアレルギーは強烈だという。
 「少しでも女性客を増やすよう健康的な店舗づくりに腐心してきましたし、教育関係者から目の敵にされた時も、業界独自のガイドラインを作成して粘り強く説明してきました。そんな企業努力が“難民”というインパクトある言葉によって、再び汚らわしいイメージだけが先行した時代に逆戻りしてしまう」
 ただ、深夜を中心に24時間格安で過ごすことができるネットカフェに、職を求めている人や居住地が定まらない人が集まっているのも事実だ。若林氏は「若者の労働環境の問題として論じるならば社会的意義もあるが、『ネットカフェ難民』として括ることは、問題の本質をあやふやにしているだけ」と反論する。
 ただし、一部地域のJCCA未加盟店舗では、いまだに眉をひそめたくなるような行為に頭を悩ませているという。
 東京・蒲田で5月まで店長を務めていた男性(34)は重い口を開く。
 「ハッキリいって日雇い労働の派遣事務所状態です。店内で寝泊まりする“常連さん”たちが、朝方ブローカーからの携帯の指示で派遣先へ移動。夕刻に戻り、そのまま自分の個室に戻る。指示がない雨の日などは一日中“待機”しているため、200円でシャワーが使えるのに、店内にはいつも、すえた臭いが充満していました」
 JCCA未加盟店では、完全個室禁止や防犯カメラ設置、年齢制限措置などのガイドラインも一切関係なく、一時は広めの個室に3段ベッドを据えて対応したこともあったという。このように、劣悪な店舗も都市部を中心に一部存在しているのだ。
 ネットカフェの未来像について若林氏は、「高齢者や主婦、子供も“第二の書斎”として気軽に健全に訪れることができる場にしていくべきでしょう。ネットを通じた地域への就職情報提供や生涯学習などに貢献する施設を目指します」と語る。労働問題にも積極的に取り組むと宣言した添厚労相も、まずは一晩、ネットカフェに泊まってみてはいかがか?

2007年9月6日 ZAKZAK


厚生労働大臣の名前が半分になっちゃってるのは、元の記事がそうなっているからで、僕のせいじゃありません。それにしてもさすがは若林修顧問であります。いきなり「汚らわしい」ときたもんだ。ネットカフェ難民の皆さんは「汚らわしい」んだそうですよ。身に覚えのある人は、シャワーは200円だそうです。もし200円の余裕があれば利用するのもいいでしょう。しかしそんなに「すえた臭い」が気になるのならシャワーくらい無料とは言わないまでも100円とか50円とか10円とかにしてみてはどうか。

若林さんは「ネットカフェ難民」という言葉を追放するだけでなく、ネットカフェ難民そのものを追放したいようです。「お客は難民ではない」じゃなくて「難民はお客ではない」のです。「汚らわしい」人は追い出して、「高齢者や主婦、子供も“第二の書斎”として気軽に健全に訪れることができる場」にしたいんだそうですが、家はあっても「第二の書斎」はおろか「第一の書斎」もない人がほとんどだというこの世の中で何を言っているのかよくわかりませんが、「業界の第一人者」だけあって、ビンボー人の暮らしなど知る由もないのでした。まあ、知らないふりをしているだけだとは思いますが。世間には高齢者や主婦、子供や日雇い派遣やホームレス、不良にヤクザにクルクルパーに酔っぱらい警官が「気軽に」存在していますが、この中のある人たちは「健全」ではないそうです。

でも「健全」というのは行政用語なんですよね。業界の第一人者たる若林さんってどういう人か知りませんが、この人も糞のようなことを言っているようですが、色々と事情があっての糞というわけでしょう。記事の中で「劣悪な」「JCCA未加盟店」が槍玉に挙がっていることに注意しなければなりません。

ネットカフェに本人確認の徹底などを求める報告書、警察庁の有識者会議

 警察庁の総合セキュリティ対策会議は29日、インターネットカフェの匿名性が不正アクセスや自殺予告などに対する捜査の障壁になっているとして、インターネットカフェ事業者に対して利用者の本人確認の徹底などを求める報告書をまとめた。
 報告書によれば、2005年中に警察が認知した不正アクセス行為592件のうち、2006年5月末の時点で未検挙のものが277件あり、このうち212件で匿名性が障害となって捜査に進展が見られないという。中でも、インターネットカフェの端末が使用され、当該店舗または当該端末までは判明したものの、利用者に関する情報が存在しないために捜査に進展が見られないものが139件に上っており、インターネットカフェの匿名性が捜査の障壁になっているとしている。
 また、首都圏および近畿地方では2006年1月〜3月までに、ネットオークションを利用した詐欺事件のうち、インターネットカフェの端末を使用したものを8件認知しているが、このうち2007年2月までに検挙に至ったものは1件にとどまっている。未検挙の理由としては、利用者に関する情報が存在しないものが6件、利用者に関する情報は存在するが端末の使用状況が記録されていないために被疑者を特定できないものが1件。このほか、ネット上の自殺予告に対して、インターネットカフェからの書き込みであったために発信者を特定できなかった事案なども報告されている。
 インターネットカフェや漫画喫茶の事業者などで構成される事業者団体「日本複合カフェ協会」では、インターネットの利用時の会員登録や防犯カメラの設置、セキュリティ対策、18歳未満の利用者に対するフィルタリングシステムの導入などを運営ガイドラインとして定めている。ただし、このガイドラインに従うかは各加盟店舗の判断に委ねられており、協会が2005年10月に実施したアンケートでは会員制度を導入している店舗は71.6%で、協会に加盟している店舗の割合も2005年9月現在で推定41.3%にとどまっている。
 こうしたことから総合セキュリティ対策会議では、インターネットカフェ等の事業者に対して、利用者の本人確認を確実に行なうとともに、利用者の入店時刻や退店時刻、利用端末に関する情報などを一定期間保存するなど、事業者に対してより一層の取り組みの強化を求めている。また、こうした事業者側の取り組みが進まない場合には、より強力な対策についての検討も必要になるとしている。
 さらにネットオークション詐欺については、インターネットカフェ事業者とネットオークション事業の連携などにより、悪用されないための取り組みを共同で進めていくことを要望。また、ネットカフェの端末にキーロガーなどが仕掛けられることを防止するための取り組み、ガイドラインに従った店舗を「優良店舗」として明示する活動の推進、青少年の利用者に対するフィルタリング機能の提供などを対策として求めている。
 情報セキュリティ対策会議は、情報セキュリティに関する産業界と警察との連携のあり方などについて検討を行なう目的で、警察庁が2001年から設置している有識者会議。2006年度は、ネット上の違法・有害情報などの通報を受け付ける「インターネット・ホットラインセンター」の運営状況と今後の運営のあり方、インターネットカフェ等における匿名性に関する問題についての議論を報告書としてまとめた。インターネット・ホットラインセンターの運用状況等については、既に2月に報告書が公開されている。

2007年3月29日 INTERNET Watch


前の記事だと「ネットカフェ難民」の起源は今年3月とされていますが、そうだとすれば正にそのタイミングで警察はネットカフェに手を出しています。つーか議題として設定してあったんですから実際には昨年中には狙いを定めていたのかも知れません。ということで業界としては警察のいうことを聞かないとやばい。そうしないとパチンコ屋のように骨の髄までしゃぶられていいように潰されます。そこで例えば「会員制度」の導入率がこの5ヶ月で10%近くアップしたことをアピールし、「未加盟店」を悪者にし、「不健全」な客を追い出し、「業界のイメージアップ」を図ろうというわけですが、どうもこれは既にほとんどパチンコ屋と同じ運命をたどっているように見えるのが哀れをさそいます。

警察としては価値観を同じくする中国と同様、インターネットの匿名性の解消が課題であり、ネットカフェをその突破口にしなければなりません。パチンコ屋に比べるとやたらと小さいものの、業界を支配することによる利権というのも魅力的です。だいたいネットカフェを運営している業者はネットカフェだけで喰っているわけではないですから、見かけよりもかなり大きいんじゃないですか。そういうわけで業界全体を警察の支配する業界団体の傘下に置くには、犯罪を口実にして誰がどの端末で何をしたかわかるようになっている「優良店舗」なんてものを増やすよりも、ネットカフェ難民のみなさんをダシにして「未加盟店」に「汚らわしい」イメージをもたせた方が効果的です。近所の薄汚いパチンコ屋がどんどん潰れていると思いますが、ああいいうことがネットカフェ業界にも起こります。生き残るのは「健全」な、あなたの情報が警察に筒抜けの、ということは自衛隊にも筒抜けの、日本複合カフェ協会加盟店だけです。自宅に書斎のない人はそこでオンラインで投資、自宅すらない人はオフラインで凍死。
posted by 珍風 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月04日

WikipediaにおけるMEGUMI効果について

「おっぱいまつり」といえば、たとえば大変に失礼ながらMEGUMIという芸能人の方がいらっしゃいます。のっけから何が「大変に失礼」なのかよくわかりませんが、この人はバスト94センチを誇るいわゆる巨乳でいらっしゃいますが、お顔の方はどうもいけません。どう見てもそこらの一般女子よりも若干落ちる程度であります。こんな事を書いてファンの人がいたら大変ですが、ちなみに僕は安めぐみも嫌いな変態ですからどうかひとつお見逃しいただくようお願いしたいところです。

この問題については、かの何かと評判のWikipediaにおいて「顔が森三中の村上知子に似ていると言われており、『ブスの瞳に恋してる』での共演以降、ますます言われるようになった、とのこと。」と伝聞調で書かれている通りであります。誰が誰からこういう話しを聞いてきたのかよくわかりませんが、[要出典]マークはついていことから、内容として疑義を差し挟むには及ばないと判断されていると考えられます。

もっともそのすぐ後で「野田義治が「ブスで巨乳の方が良い」という話をする際に、よく引き合いに出される。」とされていますから、いまさらMEGUMIさんのご面相を非難しても仕方がないのですが、しかしながらこんな身も蓋もない言い方で写真集やDVDに何万円もつぎ込んだ人が納得するとは到底思えません。そういう人はブスに納得した上で購入したのではなく、単に巨乳に目が眩んでブスを見落としていただけなのではないでしょうか。野田さんがわざとやったのかどうかはともかくとして、巨乳にアクセントが置かれることによってブスに気がつかず、あまつさえオカズにして抜いてしまったというのは取り返しのつかない失態です。

そこで例えば「ヤメ蚊」さんは「おっぱいまつり」に関連して弁護団の発表した「光事件Q&A(弁護団への疑問に答える)」を紹介しておられます。
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/0d076757138bc3e15ad60a04b184e8e4
これを読んで思い出したのですが、この件については「おっぱい」やら「ハッピーバースディトゥドラえもん」やら「魔界転生」などよりも大事な問題があるのでした。みんなも知っていたのですがMEGUMIのブス同様忘れていたのです。本村さんも「心に入ってくることが一つもなかった」なんて、キチガイのタワゴトがそうすんなりと「心に入って」きたらその方が問題ですが、そんなことを言ったり、死刑廃止のプロパンがガスだったりするタワゴト合戦に入ってしまったのでよく見えなくなっているわけですが、要するに検察の主張するところによる犯行の様態と矛盾する法医学的鑑定による所見が出ている点が問題なのでした。

すなわち被告人は被害者女性に馬乗りになって頸部を圧迫して窒息死させたという検察の主張に対し、元東京都監察医務院長の上野正彦さんによれば、差し戻し審での「右手を逆手にして頸を抑えた」という供述の方が死体の状況と一致しているといいます。日本医科大大野曜吉教授によれば「首に両手で絞められた跡は見られない」とされ、一方被害者の顎にあった円形の外傷が、被告が着用していた作業服の袖にあるボタンによるものと見られる事から、被告は背後から腕で首を絞めたと思われるとされています。

また赤ん坊の方ですが、床に叩き付けたとされる場合に発生しているはずの脳の損傷が認められない事、頸の後部で紐を強く締めた痕跡がない事が指摘されています。これらは被害者が死亡した状況における被告人の行動について、自白調書の信用性を強く疑わせるものであります。殺意が否定されればこれは強姦致死罪、赤ん坊については傷害致死罪に留まる事件であり、事実弁護側の主張は両方とも傷害致死罪だそうなんですが、そうなるといずれにしろ死刑存廃問題は全く無関係ということになります。

本村さんがこの点についてあまり興味がないみたいなのは、公判への被害者等参加に疑問を感じさせる点です。たしかに事情がどうあれ、殺意があったにしろなかったにしろ、家族が死んだ事には変わりがないわけですから、「細かい事は関係ねえ」と思うのもやむを得ませんが、そういういい加減な考えで裁判に参加させるのは考えものです。

しかしながら遺族という立場は、妙に落ち着いていて客観的に物事を見たりしていても逆に世間に疑われかねないという微妙な境遇です。よく考えたら多くの殺人事件が家族同士の間で発生していることから、一般的に遺族というのはかなり有力な容疑者であり得ます。本村さんにしても一度は嫌疑がかかるわけで、そう考えると検察側の主張に疑義を差し挟む事はあまり得策とはいえません。被害者等の発言というものにはそういうバイアスがかかるものと思われます。裁判員欠格者である死刑廃止論者以外はこのような事を心得ておいて損はありません。

この問題については、かの何かと評判のWikipediaにおいて全く言及されていないのが不思議といえば不思議であります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/光市母子殺害事件
誰が書いたか知りませんが、「差し戻し審」の「弁護側主張」として「傷害致死にとどまる」とは書いてありますが、その根拠をどうやら精神鑑定のみに求めているようで、法医鑑定についてはただの一言も言及されていません。そのかわり「ドラえもん」や「魔界転生」が登場する、被告人の発言に目を引いています。確かにこれは奇異で興味深い発言ですが、MEGUMIにおいて巨乳巨乳と騒ぎ立てて容貌に関しては一言も言わないのと同様であります。ブスな顔、というか殺意の有無にかかわる重大な疑義にあえて言及しない以上、「社会の関心を集め死刑存廃の議論をしようとしている」のはこの項目の執筆者を置いて他にないように思われます。

もっとも僕も「巨乳でブスが良い」という野田社長の意見には大いに賛意を表するものであります。そういうのは確かに良いもんだ。しかしそれはグラビアやなんかで見かける人のことではなくて、現実にオマンコする相手のことでありますよ。なにしろ家の奥さんはその反対なもんですからどうも困ります、なんつってやら[要出典]。
posted by 珍風 at 12:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月02日

医者と患者と記者と筆者の人格合戦

それはまだ僕が神様を信じていた頃、8月のとある水曜日の未明に買い物中に状況がおかしくなった奈良の妊婦、救急車を呼んだものの受け入れ先の病院がなく、待機すること1時間25分、やっと40キロほど離れた大阪府の高槻病院が受け入れてくれるというので出発できたのが4時20分頃、搬送中の午前5時頃に車内で流産、あわてた救急車は5時10分頃高槻市内で他の車と事故発生、妊婦は別の救急車に乗り換えましたが高槻病院は既に流産したものの処置は困難として受け入れを拒否、救急車は他を当たってから再度要請し、結局は受け入れてくれた高槻病院に着いたのは5時50分頃でした。

奈良県の周産期医療搬送システムはかかりつけの産婦人科医の存在を前提としていましたが、この妊婦にはかかりつけのお医者さんがいなかったのです。そうなると一般搬送と同様の手続きをとることになるのですが、その場合受け入れ先病院探しが難航する場合もあります。てゆうか難航するからかかりつけ医師を期待した搬送システムが出来たのでしょう。

ところが実に偶然というのは恐ろしいもので、この辺について朝日新聞神奈川版が週の初めの日曜に記事にしていたのでした。

企画特集2【赤ちゃん】
悩まし「飛び込み出産」 費用踏み倒しも

  妊娠してから一度も検診にかからず、陣痛が来てはじめて救急車をよんで病院に運ばれてくる――。産科医のあいだで「飛び込み出産」とよばれる事例が、最近、基幹病院で増えている。胎児の情報が少ないうえ、中には出産費用を踏み倒す妊婦もおり問題も多く、基幹病院も頭を悩ませている。県産科婦人科医会も実態把握のため調査に乗り出した。(大貫聡子)
  横浜市南区の横浜市大センター病院で05年に受け入れた飛び込み出産は7件だったが、06年は一挙に16件に増えた。
  「以前は年に数件だったが、最近は月に数件のペースでやってくる。基幹病院の産科医は本来だったらリスクの高い妊婦を診なければならないのに、飛び込み出産は大きな負担だ」と横浜市大センター病院の高橋恒男医師。
  一番多いのは陣痛がきておなかが痛くなり、119番通報するケース。中には「破水してしまった」といって深夜に病院の守衛室にあらわれた妊婦もいたという。
  横浜市南区の県立こども医療センターでも、昨年まで年数件ほどだった飛び込み出産が、今年は7月段階ですでに11件に上っている。
  山中美智子医師は「基幹病院でなくても診ることができるのに、最近は産科医が減っているためか、飛び込み出産を断る町中の病院が多い。救急隊が、何軒電話しても断られたと困り果て、基幹病院に連絡してくる」と話す。
  多くの医師が飛び込み出産を敬遠するのは、身体的、精神的な負担が大きいからという。山中医師は「赤ちゃんが逆子なのか、どれぐらいの大きさか、どんな感染症をもっているのかも分からない。ふつうなら検診を通して時間をかけて把握すべきことを大急ぎで判断するしかない」と、現場の苦労を語る。
  超音波診断でおおよその赤ちゃんの大きさは把握するが、自然分娩(ぶんべん)ができない場合は、急きょ帝王切開などの手術になることもある。
  病院にとっては経済的なリスクも高い。県立こども医療センターによると、1〜4月に来た飛び込み出産の妊婦8人のうち、出産費用を払ったのはわずか2人しかいなかった。なかには生まれた赤ちゃんをおいていってしまった女性もいたという。
  「出産の予約をとろうと思って何軒も病院に電話をしたが見つからなかった」「妊娠に気づかなかった」「第1子も飛び込みで産んだので」という妊婦もいたという。
  県内の市町村は、出産費用を払うのが経済的に難しい人のために児童福祉法に基づき、「助産制度」を設けている。提携した病院で出産すれば自治体が出産費用を支払ってくれる制度だ。しかし飛び込み出産の場合は支払いの対象にならないことが多い。妊婦が費用を踏み倒せば、そのまま全額が病院の負担になってしまう。
  しかも医師法により費用未払いを理由に診療を断ることはできない。
  以前は不法滞在の外国人や、10代で妊娠したため親に相談できなかったなど、病院に通えない事情のある妊婦が多かったが、最近はほとんどが成人した日本人という。
  こうした状況を受け、県産科婦人科医会も県内八つの基幹病院で飛び込み出産の実態調査に乗り出した。医会副会長で横浜市大付属病院産婦人科教授の平原史樹医師は「どこが飛び込みを診るのか、どこが費用を負担するのか、県にも実態を報告し対応を話し合っていきたい」と話している。

2007年8月26日 asahi.com マイタウン神奈川


神奈川県には「助産制度」があるそうですが、奈良県の場合どうだかわかりません。「助産施設」というものはあるようですが、あまり知られていないのかも知れません。病院では教えてくれますが、病院に行かなければわからない。妊娠した場合に定期的に病院に通っていると月に1万円程度かかったと思いました。この妊婦の場合どうだったかわかりませんが、妊娠によって収入の途を失うことが多く、この先なんぼでも金がかかる妊婦にとってこの金額は少ないもんでもありませんから、火急に必要が生じた場合でなければ病院に行かない人がいても不思議ではありません。そこで出産に関わる費用について公的扶助がある場合は、そのことについて病院とは別のチャンネルでも情報が提供される必要があるでしょう。

ところで横浜市大センター病院では「飛び込み出産」が「月に数件のペース」で発生しているそうですが、去年は年に16件だったようです。本当は月に1.3件です。これを多いと見るか少ないと見るかは問題ですが、1.3件を「数件」と表現するものなのかどうかは大いに疑問です。僕の感覚だと「数件」は5件プラスマイナス2件という感じなのですが、頭の良いお医者さんは違うのかも知れません。県立こども医療センターでは7月現在で11件ですから月に1.6件くらいあります。もっともそのうち1月から4月までに8件あったそうですから、この期間では月に2件です。お医者さんの考え方では「数件」とは少なくとも1件以上、2件あれば十分なようです。

記事によればこの施設で1月から4月の間に6件、月に1.5件の「踏み倒し」が発生しています。もっとも7月までの「飛び込み出産」は11件ですから、5月から7月までの3ヶ月に発生した3件の「飛び込み出産」のうち「踏み倒し」が何件あったかはわかりませんが、この「踏み倒し」率を年間に伸ばすと年に18件になります。この程度のロスがこの施設の収益構造にどの程度の影響を与えているのかは不明です。県内には8軒の基幹病院があり、その全てで同じように「踏み倒し」が発生しているとすると、神奈川県内では年間144件の「踏み倒し」が発生してることになるでしょう。ちなみに2000年の神奈川県における出生数は82906件であり、昨年もだいだい83000件程度であったと仮定した場合、「踏み倒し」は0.17%に上りますが、これは増加傾向にあることから実態調査が開始されたということです。

したがって「踏み倒し」をする人がどういう事情で「踏み倒し」をするのかということについてはまだ何も判っていません。ちなみに「飛び込み出産」の場合に「出産の予約をとろうと思って何軒も病院に電話をしたが見つからなかった」というのは実際にあることのようです。中には他の妊婦の流産を期待した「予約待ち」もあるそうです。

この辺の事情は、上記の記事を引用した次の記事でもわかります。

なぜ産科医は患者を断るのか 出産費用踏み倒しに「置き去り」

妊娠しても産婦人科に行かず、陣痛が来て救急車で病院に運ばれる。これを産科医の間では「飛び込み出産」といい、こうした例が増えているらしい。ただ、妊婦の状態などの情報が全くないため「責任が取れない」と、受け入れを断る産科医も多い。さらに、「飛び込み出産」の場合、出産費用を踏み倒したり、赤ちゃんを病院に置き去りにする可能性が高いというのだ。そうした中、奈良県で、かかりつけの産科医がいない妊婦 (38)が救急車で運ばれ、受け入れる病院がなく、死産するという「事件」が起こった。

定期健診、かかりつけの産科医なし?
奈良県の「事件」は、橿原市に住む妊娠7ヶ月の女性が2007年8月29日午前2時45分頃、スーパーで買物中に体調を崩し救急車で搬送された。救急隊は12の病院に延べ16回受け入れを要請したものの「他の分娩で手が離せない」「責任を持てる状況ではない」などの理由で断られた。女性は午前5時頃に死産した、というもの。「なぜこんなにも受け入れ拒否をするのか」と、メディアは拒否した病院や、国内の産科医不足、セーフティーネットの脆弱さを非難した。
奈良市にある「高の原中央病院」の齊藤守重理事長は、この女性が妊娠7ヵ月ということを知り「あれ?」と思ったという。当然、定期健診を受けねばならないし、分娩の予約は妊娠4ヶ月でも遅いほう。それなのにかかりつけの産科医すらいないというからだ。そして、
「全国的に産科医が不足していて、いま分娩を担当している先生方は、予約のある救急患者を24時間ぶっ通しで診療しているようなもの。そこへ何の情報もない妊婦が運ばれてきたら、もうパニックですよ」
と、緊急で妊婦を受け入れるのは難しい状況だと話す。

妊婦8人のうち出産費用を払ったのはわずか2人
朝日新聞の07年8月26日の記事(神奈川県版)によれば、妊娠してから一度も検診を受けず、陣痛が来てはじめて救急車を呼ぶ「飛び込み出産」が増えているとし、
「赤ちゃんが逆子なのか、どれぐらいの大きさか、どんな感染症を持っているのかもわからない」
という医師のコメントを紹介。これでは責任が持てない、と診療を断る病院が多いと書いている。また、これとは異なる病院側のリスクとして、神奈川県立子供医療センターの例を挙げている。
「1〜4月に来た飛び込み出産の妊婦8人のうち、出産費用を払ったのはわずか2人しかいなかった。なかには生まれた赤ちゃんをおいていってしまった女性もいたという」
これまで「飛び込み出産」は不法滞在の外国人や、10代で妊娠したために親に相談できなかったなどの事情がある妊婦だったが、最近はほとんどが日本人なのだそうだ。こんなことが続くのなら、ますます受け入れ拒否の病院が増えていく。奈良の妊婦死産「事件」の背景と、こうした実態は無関係とは言えないだろう。

2007年8月31日 J-CASTニュース


奈良でも「あれ?」とは思ったものの、よく考えると「いま分娩を担当している先生方は、予約のある救急患者を24時間ぶっ通しで診療しているようなもの」ということで、予約は一杯みたいですから、かかりつけの医師がいないという状況もあり得ることです。したがってかかりつけの医師を中心とした搬送システムは救急搬送としてどうかということになります。かかりつけの医師がいる妊婦は、正常分娩の多くの場合救急車を利用しません。逆に救急車を利用する場合はかかりつけの医師を持たない妊婦である場合が多いと考えることが出来ます。

ところがこの記事の見出しは「踏み倒し」と「置き去り」を問題にしていますので、病院の予約が一杯なのは救急車が搬送先に困る主な理由ではないと考えられています。この記事によれば、病院は「踏み倒し」と「置き去り」による「経済的なリスク」を回避するためにこの妊婦の受け入れを渋ったとされているのです。引用元の記事では「助産制度」について言及し、「実態調査」の目的として「どこが飛び込みを診るのか、どこが費用を負担するのか、県にも実態を報告し対応を話し合っていきたい」という平原医師の言葉を紹介しています。これらは産婦が実際に経済状態によって支払いが出来ない事態を視野に入れて費用負担責任の所在について問うているところですが、J-CASTではここのところを省くことによって、費用負担責任を産婦のみに帰しています。この記事を20文字で要約すると「踏み倒す奴がいるからこういう事になるのだ」。

確かに代金を払わないのは困ったことですが、出産についてお金のかからないところもありますから、払わないでいいんじゃないかと思う人がいないともかぎりません。たとえばフランスやドイツ、ノルウェーはおおろかイギリスでも、出産費用の自己負担はゼロです。各国とも医療保険制度や税制のしくみが異なりますから一概には言えませんが、日本では健康保険から出産育児一時金が支給され、これはほぼ出産そのものの費用には充てられますが、定期検診の分はカバーできません。健保未加入者は当然全額自己負担であり、その金額は平均的な月収の1.5倍程度になります。

ついこの間は給食費や保育料について、経済的余裕があるのに支払いを怠る例を前景化する事によって経済的困窮者の存在にマスキングすることに成功していましたが、この記事はやはり同様に個人のモラルの問題にすり替える事によって医療制度の崩壊を隠蔽しようとしているようにも見えます。もっとも実際にはこの記事を書いた人はぼんやりと26日の記事を見て、いい加減な思いつきで書き飛ばしたものでしょう。実際には「踏み倒し」を理由に診療を拒否する事は出来ないし、病院が口実を設けて「踏み倒し」のおそれのある「飛び込み出産」の受け入れを断るのではないか、というのはこの記事を書いた人の邪推でしかないのです。この人は思わず人格の低劣を露呈してしまいましたのでみんなドン引きですが、僕だって人格では負けてはいませんから予約待ちになったら病院の表で張り込もうと思っていますから妊婦のみんなは要注意だ。しかしちょっと待て、それは誰の子だ? そういう人格ですよ。
posted by 珍風 at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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