2007年11月25日

自殺の回収と活用について

なんか1年以上前に「自殺」について書いたやつ
http://worstblog.seesaa.net/article/18810152.html
のアクセスが多いんですが、自殺を防止しようって動きには何かうさん臭いものを感じるよね。特に自殺の「原因」に関する考え方において。ところが実際にはこの「原因」ほど争いの種になるものもないのでした。

山形県高畠市の高2女子が学校内で飛び降り自殺をしてから1年経った22日、この学校では追悼集会を開いて黙祷、山田陽介校長は「自分を大切にしてほしい」という講話を行いましたが、自殺の原因と推測される「いじめ」については徹頭徹尾否認しています。翌23日には一周忌の法要が行われ、その後の記者会見で自殺した生徒の父親が生徒の実名と遺書の一部を公表、自殺に関する真実の追究を訴えました。

「いじめ確認されず」 高畠高校長、あらためて強調

 高畠高で飛び降り自殺した渋谷美穂さんの遺書の一部を遺族が公表して報道されたことを受け、同校の山田陽介校長は23日夜、緊急記者会見を行い、「学校としては遺書の内容に沿った形で調査を実施し、遺書の客観性について十分な調査をしてきたが、遺書に記されたようないじめの事実は確認されなかった」とあらためて強調した。
 遺書の中に渋谷さんがクラス内でいじめを受けていたことをうかがわせる記述がある点について、山田校長は「遺書では渋谷さんと同じクラスの5人以外の生徒をすべてひとくくりにして、いじめの加害者とするような内容になっているが、そのようなことはないと判断している。『死んだほうがいい』と言ったとされる生徒の名前も全く根拠がない」とした上で、「先入観を持たずに調べてきたが、遺書の内容は漠然とした根拠の見えないものと考えており、実際に聞き取り調査を行った学校として在校生の名誉を守らなければならない」と述べた。
 今後の対応については「学校としてはご遺族の思いを受け止め、説明責任を果たせるよう対応していく。今後もいろんな角度から真実を知る努力をしていかなければならない」と話した。
 同校では公開された遺書の内容が衝撃的であることから、23日夜、渋谷さんと同じクラスだった3年生の自宅に電話を入れ、動揺しないよう呼び掛けた。

公開は全体の4分の1程度・県教委
 自殺した渋谷美穂さんの遺書の一部が公開されたことについて、県教育委員会は「調査では、この遺書に書いてあることも重視した。その上で、聞き取り調査やアンケートをした結果、いじめの事実は確認できないという結論に達した」とし、これまでのスタンスを変えていない。
 県教委によると、今回公開されたのは、遺書の4分の1程度の文量で、抜粋されている個所もあるという。高校教育課の柳谷豊彦課長は「遺族の心情を考えると、残りの部分の詳細を明らかにすることはできない」とした上で、「概略としては、においをめぐる感情を気にしていたり、死を意識した厭世(えんせい)感や虚無感、地でいられる部分と他者に対する外向けの部分の使い分けに悩むといった自己分析などについて、つづられている」と語った。
 さらに、「ここに名前が出てくる生徒はもちろん、3カ月近くかけて詳細に聞き取り調査を行った。その結果、他の生徒に向けた言葉や態度を、自分のこととして認識していたという可能性もあり、遺書の内容を裏付けるいじめの事実は確認できなかった」と説明。「法務局の調査結果を待ちたい。遺族とは誠意を持って話し合っていく」と述べた。

2007年11月24日 山形新聞


世界保健機関による「自殺予防の手引」のなかの「マスメディアのための手引」によれば「遺体や遺書の写真を掲載する」ことは「してはならないこと」だとされていますが、これは「遺書の写真」ではないのですし、遺族が特に望んでその一部を公開するに至ったのですから別に構わないでしょう。とはいえ、これは「単純化した原因を報道する」という、また別の「禁忌」に触れる事にもなりかねません。何しろWHOによると

自殺はけっして単一の原因や出来事だけで生じるわけではない。しばしば多くの要因が複雑に関連して自殺が生じている。たとえば、精神障害、身体疾患、薬物乱用、家庭的な問題、対人的な葛藤、人生の問題などが複雑に関係している。さまざまな原因が自殺に関連していたことを認識するほうが有用である。


ということであります。それは確かにその通りですが、この場合は特に山田校長や県教委にとって有用であることは明らかでしょう。他にも「原因」が一杯あれば、それだけ自分の責任が軽くなるというわけです。もっとも県教委は「いじめは確認できなかった」とする一方で「遺族の心情を考えると、残りの部分の詳細を明らかにすることはできない」と言って、おそらく「家庭的な問題」の存在を暗示しようとしていますから、学校側の戦略としては複数原因の中に公共機関の責任を雲散霧消させるのではなく、「単純化した原因」の存在を仮定した上でそれを学校側に帰属させる事を全面的に否定するという立場に立っているものとも考えられます。

しかしながら遺書にはある種の「いじめ」を示唆する記述があり、これに基づいて遺族側が「いじめ」の存在を考えるのは自然な事です。これは何もそれを唯一の原因であると仮定する事を必要としません。また、仮に学校側のいう通りに「いじめ」が事実として存在しなかったとする場合にあっても、それなら遺書の記述をどう解釈するか、その鍵はやはり学校にしかありません。「遺書の内容は漠然とした根拠の見えないもの」として済ませてしまうのは、この点で大いに疑問があり、不誠実のそしりは免れないでしょう。何か隠してるんじゃないか、というのは言い過ぎかも知れませんが、このような態度は「いじめ」の存在を否定する「調査」そのものの信頼性を傷つけることでしょう。

しかしながら、学校や教委がある意味正直に自らの利益に基づいて行動しているのを報道する事は、自殺企図者にとってとりあえず学校というものは何の助けにもならない、ということを知らせる意味で価値がないわけではありません。WHOは「自殺以外の他の解決法に焦点を当てる」ことや「電話相談や他の地域の援助機関に関する情報を提供する」ことを推奨していますが、学校は「援助機関」には該当しません。その一方で自殺の原因の一つにはなり得ますから、要注意です。なるべく近づかない方か良い「有害施設」なのかも知れません。

とはいっても、自殺企図者が「他の解決法」を考慮する事を期待したり、「電話相談」や「援助機関」に自ら進んで出向く、ということを期待するのも考えものです。このような期待は自殺企図者が正常な判断力を働かせていることを仮定していますが、この仮定の帰結として自殺という選択は正常な判断に基づくものであるということになります。ところが一方でWHOは「自殺について報道することは、自殺は「正常な行為である」という認識を広めてしまっている可能性がある」としています。あたかも自殺は「異常な行為」であるかのようですが、自殺が「正常」なことなのかどうか、WHOの判断は曖昧です。

自殺それ自体は病気でもなければ、かならずしも病気の症状でもない。しかし、精神障害は自殺に密接に関連している主要な要因である。


ということで、自殺の主要な要因は精神障害であると言い切っていまして、

先進国でも開発途上国における調査でも、自殺した人の80~100%が生前に精神障害に罹患していたことが明らかにされている。自殺の生涯危険率は気分障害(主にうつ病)で6~12%、アルコール依存症で7~15%、統合失調症で4~10%である。


なんだそうですが、その一方で

自殺した人の大多数が精神保健の専門家に受診せずに、最後の行動に及んでいる。


んですから何を証拠に「自殺した人の80~100%が生前に精神障害に罹患していた」と言うのかまったく分りません。自殺それ自体を「病気」もしくは「病気の症状」とみなさない限り、受診してもいないものを「100%」などと言えるものではないでしょう。

その一方でWHOは自殺の「社会・人口動態的要因」を不当に軽視しているような気がしないでもありません。しかしながらそれは、この「手びき」自体が様々な現場で働く専門家を対象としたものであることによるものでしょう。仮に社会的要因による自殺が多いからといって、例えば医師にはその「社会的要因」をどうすることも出来ません。専門家に可能なのは当面目前の自殺企図者への対応です。しかし、マスメディアにまでそれと同様のものの見方を要請するのはちょっと奇妙であるようにも思われます。

マスメディアには「自殺を非難すること」を避けるように勧告する一方で「他の解決法」や「援助機関」を紹介するように奨めています。このことはあえて自殺という選択をした当人への倫理的非難を引き起こす効果を持つ可能性がありますが、もう一方で自殺者は「精神障害」に罹患していたのだとすることによってこのような非難を回避します。しかし同時に自殺そのものと「精神障害」との関係ははっきり示されません。

もっとも、強いライフ・ストレスが「精神障害」を発病する引き金になったり、自殺の引き金になったり、その両方になったりすると考えられますので、自殺者間に「精神障害」が頻繁に見られたとしても別段珍しいことでもないでしょう。もしかすると自殺は異常な状況に対する正常な反応の一つなのかも知れません。それ自体としては「異常」な現象であるとも言えますが、それは「正常」なメカニズムに従って生起します。そしてそのメカニズムの正常な稼動に惜しみない賞賛を注ぎつつ単に現象としての「自殺」を「防止」しようとする試みは、「正常」と「異常」、「非難」と「賞賛」の間でクラゲのように揺れ動きながら、「生活習慣病」による病死まで自殺の延期を図ろうとします。

とかナントカ言ったところで、「児童生徒の自殺予防に資する教育の実施」がまるで何かに取り憑かれたように「道徳教育の推進」と「情報モラル指導」と「有害情報対策」になってしまうという、ピントのずれた「自殺対策白書」
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2007/pdf/zenbun/pdf_honpen/h088.pdf
を見ると、誰も本気で「自殺」を「防止」しようなどという大それた気持ちは持っていないことがわかりますが、自殺をこんな風に「有効利用」されると考えれば、自殺したい人も少し躊躇するかも知れません。もっとも、「自殺の防止」ということ自体、ベルトコンベヤに乗ってどんどん流れて来る奴を崖っぷちに立って拾えるだけ拾う、拾いきれない大多数が崖から落ちて行くのを見ながら、という絶望的な行為になりがちなことを考えると、最初から本気で考えない方が当人の自殺を防止するためには良いのですが。


posted by 珍風 at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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