2007年11月27日

腐肉にフニクラ、トリュフのい遺書だな

<高2自殺>県教委が遺書の分析を心理学者に依頼 山形
  
 昨年11月に自殺した山形県高畠町の県立高畠高校2年、渋谷美穂さん(当時16歳)について、県教委は26日、遺書の分析を心理学者に依頼するなどして自殺の真相を解明する方針を文部科学省に伝えた。渋谷さんの父登喜男さん(55)=高畠町=が23日に遺書とみられる携帯電話の書き込みの一部を公表したのを受けた措置。県教委は「いじめはなかったという判断は変わっていないが、生徒の自殺の真相を解明する責任がある」としている。
 県教委高校教育課の柳谷豊彦課長は「自殺には複合的な要因があったのかもしれない。今後も遺族の声に耳を傾けたい」と話しており、今後、遺族の了解を得た上で遺書の内容の分析を心理学者ら専門家に依頼する。
 登喜男さんは県教委の対応について、「子供の心の奥底にある気持ちは誰にも分からない。権威のある人が何らかの理由をつければ、それで原因が決まってしまう。学校側は(いじめを)認めないというふうにしか思えない」と不信感を表明した。【林奈緒美、湯浅聖一】

2007年11月26日 毎日


柳谷さんは何か勘違いしているようです。県教委に「真相を解明する責任」なんてありませんよ。学校および県教委の「責任」としては自殺リスクの高い生徒を発見して防止対策をとるとかそういうことでしょ。で、実際に自殺があった場合に、そういうことが出来なかった「責任」というものが問われるわけだ。なにも明智小五郎や法水麟太郎のような真似をする必要もなければ能力もないと思いますが。

そこで県教委としても「必要」はともかく「能力」がないことには異存がないようで、このたびは「専門家」に「遺書の内容の分析」を依頼し、もって「真相」を「解明」することになったようです。ちなみに県教委は「複合的な要因」を認める気になっていますから、「分析」の結果として色々な「要因」が出て来る可能性はあります。何が出てくるか分りませんが、現時点では出て来ない「要因」は確実にひとつだけ指摘出来ます。

「専門家」にはこの「いじめ」という「要因」をなんとかして否認するという課題が課せられていますから「専門的」技量の見せ所だというべきでしょう。とりわけ「いじめ」については、遺書の中で言及されていることは皆さんご承知の通りです。どのような「専門性」が発揮されるのか、興味は尽きませんが、素人考えでは「分析」の方針としては、遺書に書いてあることは字義通りに解釈しない、ということにならざるを得ないのではないかと思われます。

このとき、遺書の内容を何かの象徴のようなものとみなして、それが指示している対象が何であるかを分析する、というのがひとつの方法でしょう。この場合には遺書は象徴表現によって織りなされたものとして閉じていますから、遺書の外部を参照することが必要になります。ここでは学校によって用意された「調査」がその役割を果たすんでしょうけど、そうだとすると遺書は学校の「調査結果」を語り直したものとして解釈されることになります。つまりやってもやらなくても同じことです。せっかくの「専門家」の看板が泣きます。

そこでもう一つ考えられるのが、遺書の中で「いじめ」に言及されている部分が「虚偽」であることを遺書そのものの中から論証し得るという可能性です。また、「虚偽」の記述をしたその理由を遺書の中から探すことも出来るでしょう。いずれにしてもある程度は腕がふるえるかも知れませんが、「いじめはなかった」という前提に立っていますので、これもやらなくても同じです。やはり「専門家」の恥さらしです。

いちばんやりそうなのが、遺書の中からありとあらゆる「複合的な要因」を取り出す、しかしあくまでそれは自殺者の「主観」であり、「現実」に起こったこととの関係については判断を保留する、というやり方です。こうすれば「いじめ」があった/なかったという問題を回避出来ますし、多数の「要因」の中で「いじめ」のウェイトを低下させることができます。イヤというほど沢山掘り出してくれば、この次からはトリュフ採集に連れて行ってもらえるかも知れませんが、食べちゃダメです。

依頼主の県教委は防衛的に「いじめはなかった」と言わざるを得ない立場ですが、しかし、「いじめ」がなければ学校側には何の落ち度もないのかというと、これは問題のあるところです。「自殺防止」の観点からは、学校は生徒と日常身近に接触する関係からして「自殺リスクの高い生徒を発見して防止対策をとるとかそういうこと」が期待されるのですから、自殺の原因がどうあれ「落ち度」だと言われるかもしれません。しかし生徒の内心およびプライヴェートな生活は把握出来ませんし、そうすべきだとも考えられませんから、これを全うすることを「責任」問題にすることは不可能です。学校は「精神衛生監視員」にはなれませんし、なるべきでもありません。

そう考えると、「落ち度」は否認しながら、あくまで「責任」を手放そうとしない県教委としては、「自殺防止」を理由にして「精神衛生監視員」活動を積極的に展開したいと考えているのかも知れません。また、起きたことに「責任」は負わない一方で、出来事を意味付ける「権利」は確保したい、ということでもあります。これはたとえば「生活習慣病」という呼称の採用と同様の操作をおこなおうとしているものと考えられますが、死んだ奴まで利用する点ではハイエナも顔負けです。ブタとどっちが偉いのか知りませんが、肉は腐りかけがうまいとされています。一方でトリュフも、なんだか知りませんがうまいとされていますが、ビンボーなのでよく知りません。


posted by 珍風 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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