2007年12月12日

鈴香さんと肌が合って馬並み人でなし

どうもやはり相変わらず鈴香さんが人気ですね。しかし前に書いたやつは必ずしも鈴香さんが主役というわけではありませんでしたから、GOOGLEなんかでたどり着いた人は残念に思ったことと思いますので、今日は主役にします。生の声、に近いようなものです。

【鈴香被告 再び証言(8)】事件の核心つく女性裁判官 鈴香被告「橋にいたことも直後に忘れた」

 《被告人質問も大詰め。右陪席の女性裁判官は、鈴香被告が手を払ったため転落した「事故」だと主張する彩香ちゃん事件での不審点について、理詰めで質問を重ねていく》
 裁判官「鑑定人に対して、(彩香ちゃんを)手で払ったことも覚えていないと言わなかったか?」
 鈴香被告「違う」
 裁判官「払ったことは確か?」
 鈴香被告「はい」
 裁判官「落ちた直後に、助けようとか、見に行こうとかいう気持ちは起きなかったのか?」
 鈴香被告「そのときは尻もちをついて、何が何だか分からないような状態だった」
 《彩香ちゃん事件の核心部分。答えに納得しない裁判官は、さらに詰めていく》
 裁判官「その後に車に乗って家に帰っている。車に乗って帰るまでに、川を見に行こうとしなかった理由を説明できるか?」
 鈴香被告「できない。『なぜここにいるんだろう』としか思っていなかった」
 裁判官「車に乗るときには、『なぜここに』と思っていたのか?」
 鈴香被告「はい」
 裁判官「夜の真っ暗な大沢橋に、なぜ1人で来ているのか思い出せなかったのか?」
 鈴香被告「はい」
 裁判官「不思議に思わなかった?」
 鈴香被告「不思議には思ったが、早く帰って彩香に晩ごはんを食べさせなくちゃいけないという気持ちがあったので…」
 《事件当時の「記憶を失った」と主張している鈴香被告。だが、女性裁判官は「橋にいたことは覚えていたはずだ」という考えから、鈴香被告の不審な行動をさらに追及する》
 裁判官「探している間に、『橋で何をしているか分からない状態にあった』ことを(周囲に)言わなかったのか?」
 鈴香被告「自分1人で団地の中を探しているうちに、橋にいたのも忘れてしまって…後から思い出したので…」
 裁判官「橋にいたことは直後に覚えていたが、それも忘れてしまったのか?」
 鈴香被告「はい」

2007年12月12日 産経ニュース


ここらへんの流れはリアルです。「理詰め」で「追求」ということですが、殺人に慣れていない人が我が子を死なせるという状況ですから、「理詰め」で責めると矛盾をきたしたり、「不審な行動」をやらかしたりするのが当然なのでして、上手く論理的に説明出来たとしたらその方がオカシイのですね。

ただ、興味深いのは豪憲君のご両親の証言です。「せめてあの日、何があったのか。なぜ豪憲を殺さねばならなかったのか。今まで何を思っていたのか話して欲しかった」とおっしゃっていますが、お二人の証言がある種の示唆を与えているように思われます。

お母様は「長男と彩香ちゃんが同じ年の同じ月に生まれたので、(私が)育児休暇を取ったときに、被告人が彩香ちゃんを抱いて遊びに来て、子育ての話をしたことがある。そのときの立ち居振る舞いから、肌が合わないと感じた」と証言されています。なにも女同士で肌を合わせととはいいませんが、敵意はお母様の方から先に感じていたようです。その後も「同じヘルパー講習を受けていたが、鈴香被告が遅刻したとき、『前日の夜に眠れず、薬を飲んだら起きれなかった』」と、鈴香さんの方から話しかけたようですが、お母様としてはそんな睡眠薬なぞを常用しているというような話しをされるのが迷惑だったらしく、「親しくない私に話しかけてきた」としています。恐ろしいことです。女の人がこういう言い方をする時はかなり強い敵意の表れですから気をつけたいものです。

鈴香さんは子供を通して近所の人と接触を図って失敗したものと思われます。これが2人の子供の「殺害」の「動機」につながるものであるかどうかは分りませんが、「豪憲君殺害について、後悔や反省はしているが、彩香に比べて罪悪感はほとんど感じない。米山さんはなんで怒っているのかわからない。まだ(子供が)2人残っているではないか。今まで何の不幸もなく生きてきたのがうらやましい。私とは正反対だ」という平成19年10月21日付の日記の記述も、最後のところにポイントを置いて読めばそれほど理解不可能でもありません。ことの当否は別にして、鈴香さんが可成りの程度の不幸感を感じていたらしいことが伺われます。

こういう鈴香さんの感情には、豪憲君のご両親が感じた敵意も一役買っているようですが、その辺が理解出来ればご両親が求める「なぜ」もその近辺に見つかるのかもしれません。そうでなければ敵意に敵意でお返しをしてしまった鈴香さんに「罪悪感」などを求めても無駄なことでしょう。もっとも、多くの犯罪者が不幸であり、犯罪が不幸への逆襲であることがあるという事情をよく知っている検察は、であるからこそ被告人の「反省の不在」を指摘して量刑を重くしようとするわけです。

とはいうものの、一方では被告人がいくら「反省」を表しても、大巨神の如く「自分のために有利にするために」やってる「猿芝居」であると解釈して大激怒し続けることが可能ですし、他方では「反省」すれば同じことをやっても量刑が異なるという結果になればそれはそれでおかしいのではないかという議論もあることでしょう。

実は「反省」というのは裁判の過程ではなくて刑罰の過程において期待されているものでして、裁判の最中に反省してるとかしていないとか言うのは過程なき刑罰としての死刑を前提した考え方に他なりません。検察が自家中毒的な論告で人を死刑にしたがるのは、やはりしょっちゅう誰かを吊るす必要があるらしいのですが、被害者遺族も大いに犠牲となって協力しているところであります。鈴香さんのもそうですが、被告人が遺族宛に出して開封されずに検察の手に渡る「手紙」の存在って何なのか。被告人から来た文書類は検察に提出しなければならないことになっているんですかね。遺族が被告人の言葉に心を動かされてはマズイというわけでしょうか。

検察側からの質問に答える形で弁護士批判までしているご両親は模範的な遺族というべきでしょう。お父様と鈴香さんに「関係があった」という「デマ」は弁護士が流したんでしょうか、なんだかそんな風にも読み取れる極めて曖昧な証言ですが、橋下「弁護士」が今日ヒマだったら喜んでくれますかな。とはいえ被告人の家族にまで「謝罪」を要求するのは行き過ぎではないでしょうか。まあ、一部には「連座制」とか「保甲制度」とか「五人組」とか「隣組」なんかが好きな愉快な仲間もいますから、非常にマニアックな意見として一部ではウケるかもしれませんが、これも検察側が質問によって引き出しているわけですから、そのうち殺人犯の家族親戚も一緒に処刑するようになるのかもしれません。もっとも最近の裁判の傾向としては、ますます「反省」やら「人格」が審理の対象になってきています。ゆくゆくは刑事司法はもはや犯罪の発生を必要としなくなるに違いありません。「裁判員」がランダムに選ばれるんだったら「被告人」も同じようにランダムにしょっぴいても良いわけです。あとはあなたの運次第。


posted by 珍風 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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