2007年12月27日

私は如何にして小説を書くのを止めて少女を愛するようになったか

小野不由美さんの長編小説「屍鬼」が藤崎竜さんの手によってマンガになったということでありまして、既に連載第1回分が発表されていますから読んだ人も多いと思います。原作は大変に有名な小説ですし、漫画家さんも人気のある人ですから、これは2008年にふさわしいちょっとしたブームになるかも知れないし、ならないかも知れない。

問題は、マンガを見て原作を読んでみようという気になった人です。新潮社は当然これを当て込んでいると思いますが、あれは読んでみると意外と大変なものです。登場人物が多い上に事件らしい事件が中々発生しないようになっておりまして、例えばマンガではいきなり清水恵という女の子が出てきますが、小説の方だとこの人が出て来るのが155頁(新潮文庫版による。以下同)です。それまでに、そりゃもう色んな人が出て来るんですが、ほとんど何も起こりません。人物の紹介と同時に舞台となる村の描写が行われてるんですね。そして事件らしい事件として年寄りの死体が三つ発見されるわけですが、ここまで来るのに小説では200頁以上が費やされているんですから、ライトノベルばっかり読んでる人は途中で投げ出すこと請け合いであります。

ちなみに「ライトノベル」について、僕は「活字の大きい小説」だと思っていますが、これは最近老眼の傾向が出てきたのでなんとなくそう思っているだけで、間違いかもしれません。一般に文庫本の活字は年を経るごとに大きくなっているとも思われます。「屍鬼」は文庫本で5巻に及びますが、文字組は39字×17行であり、つまり1頁に改行なく印刷すると663文字入るサイズですが、1970年あたりに刊行されたある文庫本だと43字×19行で817文字ですから、その頃に比べると1頁に印刷出来る字数が8割くらいに減っていることになります。すると4巻で済むものが5巻になり、売上げが700円程度余計に稼げるというわけですが、読者側としては頁をめくる動作の増加および本棚スペースの減少という負担が生じ、由々しい問題となります。

ところで「屍鬼」は、何よりも先ず「屍鬼」という小説が出来るまでの話しであります。つまり「屍鬼」という小説の中に作家が登場して「屍鬼」という小説内小説を書いているわけです。まあ、「作家」といっても副業であって、本職は村のお寺の副住職なんですが。「屍鬼」は「屍鬼」が書き始められるところから始まり、出版されるところで終わります。で、この小説内小説を執筆する過程で、作家の周辺で色々と参考になるような出来事が起きるわけで、それが「屍鬼」のストーリーになっているということなのですが、これじゃどっちがどっちだか分りませんな。

分らない人は本を読んでもらうことにして、などといつになく協力的ですが、今AMAZONを見たら、中古で第1巻と第2巻は1円からあります。第3巻は100円からで第4巻は198円、第5巻は234円が最低価格です。後の巻ほど市場に出回っていない、売れていない、つまり途中で投げ出した人が多いことを伺わせますが、全巻揃いで534円(送料別)ですから、定価の7分の1で済みます。

というお買い得情報はともかく、じゃあそんならその作家だか坊主だかが主人公なのかよ、と言われるとそうとも言い切れないようになっているんですが、上に述べた理由からして形式上は中心人物であると言って良いようです。そして内容的にもやっぱり中心人物ということでいいんじゃないかという気がしています。

「屍鬼」のストーリーは、ある村が吸血鬼に襲われて人間と吸血鬼との壮絶な闘争の果てに滅亡するというものです。しかしながらその村が襲われるきっかけとなったのは、その坊主が書いた随筆を吸血鬼の親分(少女の時に吸血鬼になったから少女の姿のままだけど登場人物中最年長)が読んだことでした。これは偶然かも知れませんがお話が進むに従って、彼は吸血鬼退治からリタイアし、吸血鬼による村の滅亡をやむを得ないものとして肯定し、ついには吸血鬼の仲間になってしまいます。その点についてはっきりした動機は語られないものの、これは彼が若い頃に自殺未遂をしていることと関連づけられて描写されています。ここにおいて自殺の延長が村を滅ぼすことなのか、中間集団への嫌悪がそれと分ち難く結びついている自らの存在の消去へと至るものなのか分りませんが、つまりこの坊主にとっては吸血鬼の襲来は願望の実現に他ならない、ということのようです。全くとんでもない坊さんです。

とはいうもののこれは単純な願望の実現などではなく、この坊主の願望すら村では既に動き始めていた滅亡過程の一つの現れであるようです。例えば「屍鬼」の中では人はなんぼでも死にますが、最初から最後まで子供が生まれてくるということがありません。最年少の登場人物が4、5歳くらいでしょうか、それを最後にして村では数年前から出生がないようです。それどころか誰一人としてオマンコをいたさない、というのもよく考えれば珍しい小説であります。坊主は独身だし、もうひとりの重要な人物として登場する医師の夫婦は別居中です。中高生の男女が出て来るのにそーゆーことしません。もっともこれは女の子の弟が一緒について回っているからですが、むしろこの弟は姉達がエッチなことをしないようにわざわざ書き加えられているかのようです。

ここで吸血鬼の物語においては吸血が性行為の代理になることを急いで思い出す必要がありますけど、それとは別にこの極端な性の不在には何か深い意味があるに違いない。ともあれ、既にそういう状態にあった村のことであれば、吸血鬼などは滅亡のほんのきっかけに過ぎないのです。村外からの転入者にも大した役割はありません。都会から引っ越してきた少年は死んだまま退場してしまいますし、その父親も、村の生活のミクロなきしみを半ば外部の視点から認識する役割しか与えられていないのです。余所者に出る幕はないのであって、村を滅ぼす力は内部から発生してきます。「屍鬼」がホラーのくせにちっとも恐くはなく、悲哀のようなものを感じさせるのは、この小説が恐ろしい力が他所から襲いかかってくる話しではないからなんでしょう。どうしてそういうことになるのか、ということは語られません。それはあたかも大陸内部から押されてきた氷が南極大陸の海岸で崩落するように、「自然に」崩壊するかのように見えるのです。


posted by 珍風 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。