2007年12月31日

私は如何にして田舎暮らしを止めて放浪を愛するようになったか

恐怖の童貞小説「屍鬼」の舞台となる「童貞村」の人口は1300人とされており、これは村がほぼ自足あるいは孤立していることが可能な最低限であると考えられます。ちなみにフーリエのファランジュにおいては1620人という人数が考えられておりまして、これはかなりユニークな考え方に基づいておりますからあまり参考にならないのかも知れませんが、1300人というのはこれの丁度2割の不足に当たるのです。この不足によって村は一定の限度内で外部との交通を強いられるわけで、ひいては吸血鬼なぞが入り込む余地を残すことにもなったのでした。

さて、吸血鬼側のプランによると、相対的に孤立したこの村に入り込み、村人を無理やり仲間入りさせて、ついには吸血鬼だけの村を作ろうということでした。孤立した村で身を守ろうということのようです。そこで吸血鬼の親分たる「少女」は、全員が吸血鬼であるという、ちょっと他に類例を見ない高度な同質性を持った村落のボスとして、村の実力者に正に相応しい高台に居を構えるというわけです。この場合、ボスとしての権威の源泉は永年に渡り吸血鬼として生存してきたこと、生きるための知恵、といったことのようです。

これだと要するに農耕民において種まきの時季を知り、天候を占い、神様に相談して収量の増大を図る、というリーダーの機能とあんまり変わらないわけですが、しかしこの吸血鬼村の矛盾した性格は、吸血鬼が置かれた物質的な条件に由来します。彼らは彼らだけで孤立して生きることが全く不可能なのであり、生存のために一般ピーポーと接触し続けるべく運命づけられています。従って村は隠れることが出来ても孤立することも独立する事もできず、メンバーは常に外部との関わりの中で生きていくことを強いられます。人間だった頃は村内で外部を排除して暢気にやっていた村人たちは、吸血鬼となることによって外に向かって強引におっぴろげられるのです。

つまり吸血鬼村となることによって村は孤立性を喪失し、メンバーを保護する機能を失ってしまうことから、このプランはその前提を失ってしまうことになります。実際問題としてこのプランにはかなり無理があるのですが、吸血鬼のリーダーがこのようなプランを立てること自体、リーダーとしての資格を疑わせるに十分なものがあると言えるでしょう。

このプランは「少女」が、吸血鬼の分際で共同体への回帰を指向するという根本的な誤りから生じたものであり、当然にして失敗に終わることになりますが、この「失敗」は村そのものの消失と住民の移動を伴うものであり、結果として村人はやはり「外に向かって強引におっぴろげられる」ことになるのでした。吸血鬼になった人もそうでない人も、昔のそれなりにバランスの取れた世界を取り戻すことは不可能なのであって、どっちに転んでも結果は同様であったともいえますし、少なくとも村を切開することにおいて吸血鬼のプランは曲がりなりにも半分だけ成功したものと評することも出来そうです。

実際のところ人間達が「村を守る」ことと吸血鬼が「村を獲得する」こととは同じことです。どちらにしてもかなり「年寄り臭い」考え方には違いありませんが、物語はそのどちらも挫折させます。村は潰滅して住人は四散し、吸血鬼はボス以外のほとんど全員が死滅することになります。

そんな中で唯一挫折しない欲望は、例の坊主のそれなのでした。得をしたのは彼ひとりだけです。したがって「屍鬼」は、主人公の欲望が充足されるという意味でハッピーエンドを迎えているということができます。だいぶ人様に迷惑をかけたようですが。もちろん、家を出て、共同体を出る生き方こそ、「出家」が本来そうであったような生き方に他なりません。しかしながら彼は出家としての重要な戒律をいくつか破ることによってそうしています。戒律は「吸血鬼の村」にも似ているともいえなくもない寄生的な集団である僧団のものですが、彼はそこからも排除されているのです。そうして全く寄る辺のない身になって、「少女」を棺桶に詰め込んで逃走する「序章」の彼は、少しばかり若返ったようにも見えます。全くいい気なもんです。


posted by 珍風 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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