2008年01月31日

ねっとり用ピンポンパンツでピンポンダッシュ

「第三文明」の特集は「わが鍛錬」だったかな、たしかに自民党と公明党のおかげで、日本人はだいぶ「鍛え」られましたわな。もっともトレーニングが過ぎて、故障したり負傷したり死亡したりする選手が後を絶ちませんが。野球なんかだとリトル・リーグからプロまであるけど、優秀な投手ほど早くに体を壊されて、プロまで行くのは三流選手だという意見があるようですが、これは負け惜しみですか?

ところで例の「インターネット・ホットラインセンター」というか「財団法人インターネット協会」というか要するに警察が、静かに虎視眈々と狙っているのが「実名制」だったりします。「インターネット上の安全確保に関する世論調査」において「個人情報」に関する選択肢が多いんじゃないか、というのも強ち質問作成者の低能や偶然に帰すべきものではないかもしれません。これは「個人情報」を晒すことに対する抵抗感、または不用意に「個人情報」が明示された場合に想定される危険に関する調査が行われたものとも考えられます。つまり「実名制」導入への観測気球です。

そこでJ-CASTニュースで小倉秀夫さんという弁護士の方が「実名制」の「必要性」を力説していらっしゃいます。

弁護士の小倉秀夫氏に聞く ネットでの誹謗中傷問題(中)
実名を使うのが基本 それがネットをよくしていく

   ネット上の誹謗中傷にどう対処するか、匿名だから氾濫するのか。こうした疑問について、ネット実名制を唱える弁護士の小倉秀夫氏に話を聞いた。

プロバイダーか、発言者か、誰かが必ず責任を負うべきだ
――小倉さんのおっしゃる実名制とは、まずどんな考え方か教えて下さい。
小倉 実名制といっても、2つのフェーズがあります。1つは法的なシステム、もう1つは情報発信者の倫理ということです。法的なシステムについては、まず、不特定多数の人たちに責任の所在が明示できるように、現実社会の名前、つまり実名を使うのを基本とするような制度にするべきです。たとえペンネームなどを使う場合でも、発言の被害者から氏名、住所の開示の請求があれば、いつでも開示できることが望ましい。もし、匿名を使うならば、プロバイダーやブログ事業者がその責任を負うようにしなければなりません。情報を発信する以上、そこに社会的人格が結びつく必要があり、プロバイダーか、発言者か、誰かが必ず責任を負うべきだということです。
――2番目の情報発信者の倫理とは、どういうことですか。
小倉 情報発信する人の責任として、積極的に実名を明らかにしましょうということです。ハンドル名だけでは足りません。こうした倫理は呼びかけていくしかないのです。ところで、J-CASTさんは、匿名での嫌がらせにシンパシーを感じていることはありませんか。2ちゃんねるが好きなようですが、そこに書かれている内容の信頼性をどの程度検証して引用しているのか疑問に思っています。炎上騒ぎを十分な検証なしに記事に取り上げれば、よりひどい中傷、デマが広がってしまいます。たとえ反論を載せたとしても、名誉毀損の可能性があると思いますが。
――嫌がらせかどうか微妙な例も多いのではないでしょうか。J-CASTニュースとしては、裏づけがなかったり、法に触れたりする匿名発言は安易に引用していません。そこはご理解願います。では、なぜネット実名制を唱えているのですか。
小倉 発言の責任は、現実社会の自分が取るべきと考えるからです。それには、被害者からの法的責任、こういう人間であるという社会的責任があります。例えば、ある発言を取っても、医者が言ったと分からないと、正しいか判断しにくい。読み手がそれをもとに判断するのは必要なことで、悪いことではないと思います。肩書きで判断する人がいるとしたら、そうする人が悪いんです。実名と匿名が混在する現在のネット環境では、実名で発言する人はバカだということになってしまいます。実名の人は無限のリスクを負い、匿名の人は負わないということですから。
ID発行者の氏名、住所が分かるシステムを
――しかし、実名制にすると、内部告発のような社会的な意義のある発言がなくなってしまわないですか。
小倉 内部告発については、保護するためのルールや受け付け窓口があります。それが確からしいときは、しかるべき機関が調査します。確からしいからといって不特定多数に知られるようにしては、名誉毀損になる可能性があります。ネットでは、会社への怨恨やライバルへの妨害などの事実無根の話が、審査なく不特定多数の目に触れるわけですから。どこかでスクリーニングしないといけない。ウソであっても不買運動が始まったり、それがもとで社長の首が取られたりと、弊害が大きくなるからです。
――それでは、具体的にネット実名制をどのように実現するのですか。
小倉 私が考えているのは、複数のブログサービスなどで共通してIDを発行する「共通ID」というものです。IDとパーソナル情報を結びつければ、はてなダイアリーやココログなどへのコメントも一元的に把握できます。コメント投稿者の氏名、住所が分かるようにすれば、ブログ事業者を免責にしても構いません。共通IDに加わらず、ユーザーを囲みたいなら、事業者が責任を取ることになります。そこは、法的な仕組みを作って、どういう対応にするかは事業者に任せたらいい。
――現状のIPアドレスやITジャーナリストの佐々木俊尚さんが提唱するオープンIDではいけないのですか。
小倉 ID登録しても適当な氏名である可能性があり、メキシコあたりのプロキシサーバーを経由していれば確かめられません。一人で複数のID使い分けもできてしまいます。そうすることで、複数の人が語っているように見せかけることもできます。池内ひろ美さん「殺害予告」事件では、たまたま被告が分かっただけ。たくさんの人が誹謗中傷していましたが、ほとんどの人は責任を取らされていません。私の言う共通IDとは、そうではなく、ID発行者の氏名、住所をきちんと確認できるシステムです。携帯電話契約では、戸籍謄本や免許証などによる本人確認が義務付けられていますが、それと同じようにすればいいと思います。
――最後に、ネット社会への提言をお願いします。
小倉 匿名中心では、現実社会の地位をアップさせる手段としてネットを利用しにくくなります。実名なら損をする、匿名で発言しないと危ないようなら、そうしたインセンティブがなくなるからです。発言によって社会的な評価が高まる可能性がある若い人にとっては、こうした状況は損ですよね。ネットで叩いている人は気分がよいでしょうが、それ止まりです。2ちゃんねるで嫌がらせをしても、その人の地位は上がりません。また、ポジティブに評価されても、それを収穫できません。こうしたネット社会では、若くて才能ある人が才能を発揮する場を狭め、現在社会的に高い地位にいる人にとっては好都合になります。今は、モラルに反する状態が続いていますので、実名制によってネットをよくしていこうということです。

【小倉秀夫氏プロフィール】
1968年、東京・葛飾区生まれ。早大法学部在学中の91年、司法試験に合格。92年の同学部卒業後、司法修習生を経て、94年に弁護士登録(東京弁護士会)。2000年から中大法学部兼任講師。共著に、「インターネットの法務と税務」(新日本法規)、「著作物再販制と消費者」(岩波書店)などがある。個人ブログ「la_causette」(http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/)も開設している。

2008年1月20日 J-CASTニュース


元の記事は多数のコメントを含む長大なものでありますが、小倉さんのいい分だけでも聞いておいて損はないでしょう。ちなみにこの記事の趣旨は「ネットでの誹謗中傷問題」への対処ということですが、一口に「誹謗中傷」といっても、個人に対するものと企業等に対するものでは被害の程度も対抗の仕方も随分違うことでしょう。巷間伝えられるような自殺に至るような事例と「不買運動が始まったり、それがもとで社長の首が取られたり」が同列に論じられているあたり、危うい議論のように見えます。

僕としては単なる意見・見解の表明はとりあえずそのものとして受け取られる必要があり、そのためには発言者の諸属性住所氏名性別年齢職業生育歴前科前歴学歴性遍歴容姿身長体重腹囲性器のサイズ既婚か未婚か配偶者は魅力的かなどということはむしろ余計なことにも思われます。また、社会的な「コンセンサス」に反するような意見の表明によって発言者の社会的な排斥が発生するという危険が存在することによって、ある種の見解を表明することを差し控えさせるようなことがあれば、それは大きな損失であると考えられます。そのような環境では「コンセンサス」に沿う「多数意見」であっても、発言者が危険のない環境においては別な意見を表明する可能性を否定出来ないことから、「社会的人格に結びついている」限りでの意見の価値は大いに下落します。というわけで匿名が基本。むしろどんなアイドルでも政治家でも弁護士でも全員が匿名であることによってお話の魅力、議論の説得力で評価される方が望ましいと考えます。これは理想論みたいですが、理想論です。

なもんですから、小倉さんの「情報を発信する以上、そこに社会的人格が結びつく必要が」あるという「実名制」ありきの考え方はよく理解出来ないのですが、その中でも「ある発言を取っても、医者が言ったと分からないと、正しいか判断しにくい。読み手がそれをもとに判断するのは必要なことで、悪いことではないと思います。肩書きで判断する人がいるとしたら、そうする人が悪いんです。」というところは特に意味の分かりにくい箇所です。「医者が言ったと分からないと、正しいか判断しにくい」と思うのは「肩書きで判断する人」だと思われますが、その人はなにか悪いことをしてるんですか?てゆうか医学関係の問題について「医者」が言ったことであれば全て正しいのでしょうか。こう言ってはナンですがお医者さんにもいろいろいらっしゃるようですし、学問的な見解の相違もあります。例えば「メタボリックシンドローム」についても学会間で統一された見解はないようですけど、政府が政策として採用しているものですらこれですから、「医者が言ったと」分ったところで「正しいか判断しにくい」ことについては一向に代わり映えしません。

内部告発とかそういうことについてですが、「しかるべき機関」と企業との親和的な関係や企業と従業員との不均衡な対立関係から考えると、広範な社会的被害を防止する観点から言えば「確からしさ」が低い情報でも多く広く流通した方が原則としては望ましいと考えられます。「不買運動」ったって、買わなくても構わないものでなければ「不買運動」は起きませんよ。「不買運動」で保護される可能性の高いのは消費者であり、損害をこうむるのは企業の方です。したがって「どこかでスクリーニングしないといけない」という考え方では保護される対象は当該企業だけであり、効果があまりにも狭すぎます。消費者保護の観点から内部告発の価値を認めるのだとすれば、「実名制」で企業に都合の悪い情報の流通に歯止めをかけようとすることは誤りです。

もっとも「社会的な意義のある発言」は「内部告発」に限らないわけですが、「内部告発」以外の「社会的な意義のある発言」については小倉さんからのコメントは特にありません。そういうことは小倉さんの関心の範囲外であると思われます。それというのも小倉さんはネットで情報を発信するインセンティヴが「現実社会の地位をアップさせる」ことであると考えているようなのです。あるいは「現実社会の地位をアップさせる」という動機を持たずしてネットで発信している人が小倉さんには理解出来ないようです。多くの匿名の人たちがここで呆れ返るのではないかと危惧しますが、そりゃそうですよ、そういえば全然金にも何にもならないんですから、大したもんです。我ながら何やってんだか、「時間とエネルギーの無駄」ですか。正にその通りです。悪かったね。一方小倉さんが「地位をアップさせる」以外に思いつくのは「ネットで叩いている人は気分がよい」という、憂さ晴らしとか気分転換とか「イライラしてやった」という犯罪者みたいな「動機」だけのようです。

もっともこの点については後になってからご自身のブログで「自分自身の「立身出世」ということだけでなく、現実社会を自分にとってよりよいものに変えていく、あるいは、自分にとって好ましくない方向に変わっていくことを食い止めるということまで含みます。」とフォローを入れてはいますが、かえって事態は悪化しています。社会的な少数意見に対する有形無形の、殊に法廷で立証することが難しいような圧力の存在に対する小倉さんの鈍感さが露呈してしまいました。一般の人は職場とか「地域」の、極めて狭い「世間」で生きていて、しかもその社会関係を簡単に変更出来ません。しかし小倉さんはこの事実を単に望ましくない行動の抑止力としてしか見ておらず、「発言」を抑制する作用については目に入っていないようです。ひどく偏った、狭い考えであると言えるかもしれませんし、こんなご意見を実名で表明するような人はどうかしているのではないか、何かイヤなことでもあって破れかぶれになっているのであるまいか、などと余計な心配をしてしまいますが、しかしそんな風にして小倉さんをバカにするのは僕の本意ではありません。もちろん小倉さんは全てお見通しの上で言っていると考えるべきです。

このように、「実名制」を言う人が上昇志向の塊の出世主義者であり、消費者よりも企業の利潤の味方であり、多数派として少数意見を押しつぶすことに疑問を感じない、というような傾向があるらしいことは、こうした意見を誰が言ったかには関係がありません。「実名制」が多数意見や企業を益するところが多ければ意見として整合性がありますから、その限りでは「正しい」議論がなされていると考えられます。これは話しの筋が通っているという意味であって、消費者が毒を喰わされたり、権力におもねる出世に有利な言論がまかり通って少数意見が存在すらしなくなることが「正しい」と言ってるんではないですよ。

いずれにしても、出世したりすることは悪いことではありませんし、そういう考え方もある、という限りでは大いに参考にさせて頂くべきものです。ところがこのような意見が例えば「弁護士の小倉さん」の意見である、ということが分った場合は、若干事情が異なります。食い扶持を稼ぐ必要からあえて本音を言わない、というのは何も苦情対応を行うサーヴィス業者には限りません。小倉さんだって商売上の都合でお客さんを喜ばせるようなことを言う場合があり、それは小倉さんの「本音」とは異なっているかもしれません。これは小倉さんがいくら「それは違う」と言っても解消されることない疑念であります。このようにして、実名を出すことによって情報の価値が下がることがあり、そのような事態が生じるのは利害の対立があってむしろ活発な議論が必要とされるところであったりします。とはいっても、無料のところで匿名で言いたいことをヌカす、という状況がなんとも歯がゆい、あいつらなんとかならんもんか、と思っている人がいることは充分理解出来ます。「現実社会の地位をアップさせる」といったって、実際にはそういう誰かを儲けさせる対価としての話しでして。近い将来にはネットも企業の宣伝と政府公報だけになってしまうかもしれませんが、そうなれば人々はネットから離れて行くでしょう。ネットが人々をTVから引き離したように。もっともその時には「現実社会」が「2ちゃんねる」なみに荒れることになるでしょう。

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2008年01月29日

ねっとり用ホットパンツで野犬狩り

熊さんが負けて与太郎が勝って、与太郎はさっそく与党にお礼に行ったようですが、与太郎が勝ったのは与党のおかげもあるでしょうけど、彼が与太郎だったからなのではないか、だって横山ノックが知事だった所ですから、4年後は坂田利夫が出てきますよ。

べつに鶴光でもなんでもいいけど、こないだの「インターネット上の安全確保に関する世論調査」が公開されましたな。
http://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-inter/index.html
全体は4つの部分に分かれています。

1.インターネットの安全性に対する関心について
2.児童(18歳未満)のインターネット利用に対する意識について
3.インターネット上の安全に関する協力について
4.政府(警察)への要望について


これを見ただけで「調査」の目的がよくわかるという、ECWも真っ青なダシマルな構成でありますが、まずいわゆる「不安」については「1.インターネットの安全性に対する関心について」の中で以下のようになっています。

Q2SQ〔回答票4〕 あなたが,インターネットを利用することで不安に感じるものは何ですか。この中からいくつでもあげてください。(M.A.)
(N=1,698人)
(52.1)(ア)暗証番号(パスワード)などを無断で他の人に利用される不正アクセス
(66.5)(イ)コンピュータウイルス感染による個人情報の流出
(47.7)(ウ)コンピュータウイルス感染によるデータの破壊
(32.3)(エ)偽物のホームページに誘導されてパスワードなどを盗まれるフィッシング
(28.3)(オ)インターネットオークションで落札した品物が送られないなどの詐欺
(50.5)(カ)ホームページを閲覧するだけで料金を請求されるなどの架空・不当請求
(24.5)(キ)ホームページや掲示板などでの誹謗・中傷
(15.2)(ク)インターネットで知り合った人との現実社会でのトラブル
(2.3)その他
(2.4)特にない


この中で(ア)(イ)(エ)(カ)が、「個人情報」に関わります。このうち(イ)は、他人が保持する自分の個人情報の流出であり、(カ)については実際には個人情報は漏出していないのですが、あたかも情報を取得したかのようにして脅かしてきますから、いわば個人情報流出事例による不安感を利用したものであります。(イ)と(ウ)はともにウイルス関連としてまとめることも可能でありますが、自分のコンピュータが感染してデータが破壊されることと誰か他の奴のコンピューガが感染してそこにあった自分の個人情報が流出することでは被害の様態がだいぶ異なります。原因ではなく被害への「不安」ということを考えるとこれらを一緒にすることには無理があるかもしれません。(オ)は存在自体が不可解な選択肢です。こういう被害に遭うまではこのような「不安」を持つことはないのではないか。そんなに不安だったらオークションなんか利用しないでしょう。「不安」を持たないからこそそういう被害に遭うわけです。(キ)も同様であって、「不安」な人はそういう掲示板などには寄り付きません。これらは回避可能な危険の認識であって、「不安」ではありません。不適当な選択肢であると言えるでしょう。

もっともこの質問に答えなければならないのは「不安がある」人だけではないのですから奇妙です。直前の質問は

(全員に)
Q2〔回答票3〕 あなたは,インターネットを利用することについて不安はありますか。それとも,不安はありませんか。この中から1つだけお答えください。
(19.6)(ア)不安がある→Q2SQへ
(25.8)(イ)どちらかといえば不安がある→Q2SQへ
(11.1)(ウ)どちらかといえば不安はない→Q2SQへ
(25.2)(エ)不安はない→Q3へ
(18.3)わからない→Q3へ


「どちらかといえば不安はない」人も「不安に感じるものは何ですか」に答えなければならないようになっています。(ウ)の人がこれを選択するにあたって、「不安はない」ほうに傾いている可能性は高いのですが、アンケートはこれを「こちらかといえば不安がある」と解釈しています。曖昧な選択肢を都合よく利用した例です。(ウ)を選択した人は(ア)(イ)(ウ)を選択した人の中のおよそ5分の1ですから、Q2SQへの回答結果は2割引して評価する必要があります。

次に「2.児童(18歳未満)のインターネット利用に対する意識について」に進むのですが、その前に以下の【資料1】をよく読んでもらうことになっています。

資料1
 インターネット上で情報が掲載されている場所のことを「サイト」といい、異性と知り合うためのサービスを提供するサイトを「出会い系サイト」といいます。
 平成18年中の事件件数では「出会い系サイト」の利用に起因する犯罪の被害者のうち、18歳未満の児童の割合は8割を超えています。


どのような「犯罪」が問題になっているのかわかりませんし、実数も不明であり、「18歳未満の児童」の「被害」全体との関係も何も全く分らないのですが、なんだか知らないけどとにかく「8割」なんだそうです。「不安」をいたずらに煽動する「資料」ですが、以下の「調査結果」はこの「資料1」の影響下で回答されたものです。

Q3〔回答票5〕 あなたは,インターネット上のいわゆる「出会い系サイト」について,どの程度知っていますか。この中から1つだけお答えください。
(15.0)(ア)よく知っている→Q3SQへ
(32.4)(イ)少し知っている→Q3SQへ
(39.8)(ウ)名称だけしか知らない→Q4へ
(12.8)(エ)全く知らない→Q4へ


(イ)と(ウ)の「出会い系サイト」についての知識は、「資料1」によってたった今与えられたものである可能性があります。中には「資料1」だけの知識で堂々と(ア)を選択する人もいるかもしれませんが。7割以上の人がこの「資料1」によるバイアスを受けていると考えられます。また「資料1」の存在にも関わらず「全く知らない」人が1割以上います。よく読んでなかったのか、字が読めなかったのか、よく読んだ上でこれでは判断出来ないと思ったのか不明ですが、この「全く知らない」人たちも次に「対策」について回答しなければなりません。

(全員に)
Q4〔回答票7〕 18歳未満の児童が出会い系サイトを利用して被害に遭わないようにするために,どのような対策が必要と思いますか。この中からいくつでもあげてください。(M.A.)
(43.1)(ア)サイトを開設することができる者を制限する→Q5へ
(33.5)(イ)保護者に対して児童による利用を防止するよう義務づける→Q5へ
(48.1)(ウ)児童の利用ができなくする機器の開発やシステムの技術を促進する→Q5へ
(39.2)(エ)サイト開設者がおこなうべき被害防止のための措置を強化する→Q4SQへ
(3.9)(オ)特にない→Q5へ
(1.6)その他→Q5へ
(10.3)わからない→Q5へ
(M.T.=179.9%)


そういう人のほとんどが「わからない」を選択した可能性はあります。「全く知らない」のに無責任なことは言えません。事実、ここに示された「対策」はかなり「無責任」なものです。とはいえ、(ア)や(イ)のようなとんでもない選択肢は、(ウ)に誘導するつもりで設けられたものであると思われます。政府は回答者の程度を見誤りましたので、(ア)や(イ)もかなりの高ポイントをたたき出してしまいましたが、(ウ)を超えなかったのは幸いでした。いずれにしろこれらを選択した人はQ5に導かれます。これは「フィルタリング」に関する質問ですが、ここで再び「資料」を読まされます。

資料2
 携帯電話やパソコンなどでインターネットを利用する際に、出会い系サイトなどの有害なサイトへのアクセス(接続)を制限する機能を「フィルタリング」といいます。


これだけでは「フィルタリング」が何のことがよくわからない人も多いでしょう。むしろここででは「出会い系サイト」について、「資料1」の「何となく危険ぽい」からおしもおされぬ「有害なサイト」への命懸けの跳躍が果たされていることがポイントです。そういうわけですから「資料2」をよく読んだにもかかわらず「フィルタリング」への認識は全く嘆かわしいほど低い、あるいはちょうど良いくらいに無知であります。

(全員に)
(【資料2】を提示して,対象者によく読んでもらってから,以下の質問を行う)
Q5〔回答票9〕 あなたは,フィルタリングについてどの程度知っていますか。この中から1つだけお答えください。
(8.4)(ア)よく知っている
(13.8)(イ)少し知っている
(15.6)(ウ)名称だけしか知らない
(62.2)(エ)全く知らない


相当に厚かましい人でも「資料2」を呼んだだけではおずおずと(イ)を選択するのがせいぜいです。もちろん知っている人は知っていますが、ほぼ確実に77.8%が何も知りません。「名称だけ」といっても、フィルターくらいエアコンにもついてますから、あまりあてになりません。

Q6〔回答票10〕 あなたは,18歳未満の児童がパソコンや携帯電話などでインターネットを利用する場合,フィルタリングは必要であると思いますか。それとも,必要ではないと思いますか。この中から1つだけお答えください。
(62.9)(ア)必要であると思う
(13.5)(イ)どちらかといえば必要であると思う
(2.8)(ウ)どちらかといえば必要ではないと思う
(4.8)(エ)必要ではないと思う
(16.1)わからない


ところが回答者諸君はここへきて思わぬ厚顔ぶりを発揮します。よく知りもしないくせに「必要」だとか「どちらかといえば必要」などと答えた人が実に76.4%。正直に「わからない」と答えた人は16.1%にしか過ぎません。「慎重」とか「謙譲」とかの美徳はどっかへ逝ってしまったようです。さっきの知識レベルに比べてはっきりした判断を下した人が多すぎますが、これは「資料2」の「有害」とかいう文言に引きずられたものと断定して構わないでしょう。この結果をもってフィルタリングの必要性が認知されたと判断するのは誤りです。何しろ相手は「出会い系サイト」と「フィルタリング」について「よく知っている」のが大目に見積もっても2割強、という人たちですから、ほとんどあてになりません。

「3.インターネット上の安全に関する協力について」は、「インターネット・ホットラインセンター」の宣伝も兼ねています。ということはつまりまた「資料」を読まされることになります。

資料3
 民間機関である「インターネット・ホットラインセンター」は平成18年6月より運用を開始し、インターネット上の違法情報や有害情報に関する通報を受け付けています。
 運用開始から1年間で6万件を超える通報を受け、通報された情報に基づいて、サイト開設者等へ削除を依頼するなど対応しております。


単なる一「民間機関」をなぜここで紹介するのか、正直な人は理解に苦しむことと思いますが、政府が民間に作らせている機関ですから問題ありません。警察庁からの業務委託を受けた財団法人インターネット協会が運営しています。すなわち業務委託契約に基づいて運営費用は国庫から支払われているのですから、僕たちから見ればお役所の一種ですね。しかし「民間」というフレコミになっていますから、行政が踏み込むべきではないところまで踏み込むことができるというわけです、税金を使って。まあ、岡っ引きとかタレコミ屋の一種でしょう。タレコミ屋に払うお金は警察が裏金を作ったりして融通していたのですが、最近では堂々と明朗会計でやるようですから、こっちの方が厚顔無恥です。

(Q1で「(ア)ほぼ毎日」,「(イ)1週間に数回程度」,「(ウ)1週間に1回程度」および「(エ)1ヶ月に1,2回程度」と Q1SQで「(ア)利用してみたい」,「(イ)どちらかといえば利用してみたい」および「(ウ)どちらかといえば利用する予定はない」と答えた方に)
Q9〔回答票13〕 あなたがインターネット上の違法情報,有害情報を見かけた場合,インターネット・ホットラインセンターに通報しますか。それとも,通報しませんか。この中から1つだけお答えください。
(N=1,943人)
(16.7) (ア) 通報する →Q9SQaへ
(24.4) (イ) どちらかといえば通報する →Q9SQaへ
(28.9) (ウ) どちらかといえば通報しない →Q9SQbへ
(17.7) (エ) 通報しない →Q9SQbへ
(12.3) わからない →Q10へ


そんなところに「通報する」人や「どちらかといえば通報する」人が4割以上いるわけですが、もっともこれはQ1の(ア)(イ)(ウ)(エ)の人(全体の44.6%)と(オ)(カ)の人のうちQ1SQで(ア)(イ)(ウ)の人(全体の20%)、のうち41.1%ですからだいたい全体の4分の1程度です。まあ、街中などを見渡したところ尻尾の生えている人はこのくらいいますな。そのうちさらに3分の1のがよく振ると。こういう人たちに「ゴン太クラブへ行け」とか「ほねっこ喰ってろ」と言うのもいいのですが、しかし、ワンちゃんにだって好き嫌いというものがあるのですから、その辺を聞いてあげるのも良いかもしれません。例えば「ほねっこ」には6種類あるそうです。大中小および各々3ヶパックの6種類。

(Q9で「(ア)通報する」または「(イ)どちらかといえば通報する」と答えた方に)
Q9SQa〔回答票14〕 あなたはどのような情報を見た時に通報しますか。この中からいくつでもあげてください。(M.A.)
(N=799人)
(74.3)(エ)麻薬などの違法な薬物に関する売買の情報を見たとき
(74.0)(カ)殺人や運転免許証の偽造などを請け負う情報を見たとき
(72.3)(ウ)銀行口座や携帯電話などの違法な取引の情報を見たとき
(70.1)(ア)児童ポルノを見たとき
(67.2)(ク)自殺者の募集に関する情報を見たとき
(63.6)(オ)売春などの情報を見たとき
(60.8)(キ)爆弾の製造方法の情報を見たとき
(58.2)(イ)わいせつな画像(児童ポルノを除く)を見たとき
(0.6)その他
(2.1)わからない


多い順に並べてみましたが、順位からすると意外と順当な好みをお持ちで、明らかな犯罪とそうでないものにきれいに分れます。(ア)から(ク)が質問票に書いてある順番ですから、「違法」と「有害」を上手く混ぜていたものを回答者によってふるい分けられた感じです。やっぱり高いエサに安いエサを混ぜて与えると、安い方だけきれいに残してくれたりするので、ったく飼い主の財布の状態も少しは考えてくれたっていいようなもんですが、畜生の哀しさ、そういう風に気を遣うということが出来ないと保健所に連れて行かれてしまいます。

ところが最後の「4.政府(警察)への要望について」という、国民から政府へ要望することを政府が国民に要望するという奇妙な、「『顔にかけて下さい』と言え」みたいなアダルトチックな、思わず二重括弧を使わなければならないような複雑なプレイを要求している項目でも同じようなことをしていますが、上のとは微妙に異なる判断がされているようです。

(全員に)
Q11〔回答票18〕 あなたが,警察に特に力を入れて取り締まってほしいインターネット上の犯罪は何ですか。この中からいくつでもあげてください。(M.A.)
(64.5)(キ) 児童買春・児童ポルノなど児童が性的被害に遭う犯罪
(56.4)(カ) わいせつな画像をインターネット上に公開する行為
(53.3)(オ) 殺人や爆破などの予告
(51.5)(ウ) ワンクリック請求などの架空・不当請求
(51.2)(ケ) 麻薬などの規制薬物に関する広告
(50.9)(コ) 銀行口座や携帯電話などの違法な取引
(50.8)(ア) 他人のパスワードを無断で使用するなどの不正アクセス
(46.2)(ク) 売春に関する広告
(42.0)(イ) インターネットオークションなどでの詐欺
(20.0)(エ) 音楽著作物などをインターネット上で公開する著作権法違反
(3.3)(サ) 特にない
(0.9) その他
(7.4) わからない


これも多い順にしましたが、「通報する」順番とはかなり違います。もっともこれは全項目が曲がりなりにも「犯罪」扱いですが。特に「売春」、自分が通報するのと警察が取り締まるのとでは著しい差が出ています。おそらくこれは警察が取り締まっても困らない順番なのではないでしょうか。逆に言えば売春や音楽のダウンロードは取り締まってほしくないと。自分もやるから。ナルホドそうなのかもしれませんが、実はこうして並べてみると、上位のものほどヤクザがやってそうな「犯罪」なんですな。つまり「組織犯罪」というやつです。「インターネット上の犯罪」とされているものの大部分がこれに当たるようになっています。つまりこの「世論調査」では、国民は共謀罪の成立を政府に「要望」させられていたのでした。本当に「インターネット」は不安がいっぱいです。
posted by 珍風 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

(僕も大好き)ねっとり用、半数近くがファン

落語ブームだそうで、「ハチクマ」というマンガが人気です。テレビドラマにもなっていますが、ビンボー長屋を舞台におなじみの八つぁんと熊さん、それにご隠居という連中があられもないドタバタを繰り広げるという愉快なギャグマンガですが、インターネットにはこういうデタラメを書く人が沢山いますので信用しないことが大切です。

ネット利用、半数近くが「不安」・内閣府調査

 内閣府が26日に発表した「インターネット上の安全確保に関する世論調査」によると、個人情報の流出や架空・不当請求の可能性などを理由に、インターネット利用に「不安」を感じている人が半数近く(45.4%)に上ることが分かった。
 インターネット利用に少しでも不安を抱いている人に、その対象を複数回答で聞いたところ「コンピューターウィルス感染による個人情報の流出」が66.5%でトップ。続いて「暗証番号を他人に利用される不正アクセス」(52.1%)、「ホームページを閲覧するだけで料金請求される不当請求」(50.5%)だった。
 不安を感じている人を年代別にみると30―50歳代で5割を超え、40歳代が最も高い55%だった。内閣府は「未成年の子供を持つ世代に不安が強い」とみている。
 18歳未満の未成年者がインターネットを利用する場合、出会い系サイトや有害なアダルトサイトへの接続を制限する「フィルタリング」が「必要」、「どちらかといえば必要」と答えた人が計76.3%に上った。

2008年1月26日 NIKKEI NET


内閣府は政府が国民に何の相談もなく勝手に決めた政策を促進するため様々な「世論調査」をしているようですが、内閣府のHPで公開する前にマスゴミに報道させることで、より効果的な世論操作を行っているところです。本当のところは「調査」の結果の公表を待たなければなりませんが、報道発表の方が政府の「主張」が分りやすく出ているものです。なにしろ「主張」たるや「調査結果」から素直に導きだされるような甘いものではないだけに尚更です。

見出しによればインターネットの利用に「半数近く」の人が不安を感じているそうです。実際には45.4%であり、これを「半分以下」といういと少なく見え、「半数近く」と表現すれば多く見えます。ちなみに「不安を感じる」人が最も多い集団(年齢階層)で55%ですから、この集団でも「不安」を感じない人が45%いることになります。これも「半数近く」ということになります。「不安」を感じている人が生活必需品ともいえないインターネットをどういう気持ちで利用しているのか分りませんが、もっとも、「不安がある」人は19・6%、「どちらかといえば不安がある」人は25・8%だそうです。「どちらかといえば」という人は話しの持って行き方によってどうにでもなりますので、実際に「不安」を感じている人は5分の1といったところです。

「不安」の内訳は一つだけ、「個人情報の流出」であり、それと「暗証番号の不正利用」、つまり二つです。もう一つが「不当請求」であり、この三つが「不安」の対象ですが、これらはつまり全て個人情報の流出と不正な利用にということになります。「暗証番号の不正利用」と「不当請求」は「個人情報の流出」に包含されるのです。この質問は異なる階層にある選択肢を並立させているので、回答者に無用の混乱を引き起こします。これに気がついた人が45.4%の人の中のうち14.4%存在しますが、これは全体の7%弱です。こう言ってはナンですが、残りの人たちはマヌケです。したがって正しい質問は「個人情報の流出が不安だ」という人に対して「個人情報の流出が起きた時に想定される危険は何か」と問い、それに対する選択肢として「暗証番号の不正利用」や「不当請求」をいれとくというかたちです。こうしておけば「不安の種」をまき散らさないで済むというものです。

「不安を感じている人」が多い年齢階層は30〜50歳台ですが、これを「未成年の子供を持つ世代」と言ってしまうのは嘘ではありませんが間違いです。この年代の人は他の年代の人に比べてインターネット利用機会が多いということを無視すべきではありません。もっとも、「家の餓鬼はうつけ者だからとんでもない不正請求が舞い込まないとも限らないんで不安だ」というのはよくあるケースですから、一概に否定はしませんが。もっとも内閣府が「未成年の子供」のことを持ち出すのはそういうことではなく、話題を変えるきっかけと言う奴です。

「ネット利用に不安」45%、内閣府世論調査

 内閣府は26日、インターネット上の安全確保に関する初めての世論調査結果を発表した。
 インターネット利用に不安があると答えた人は45・4%と半数近くに上り、個人情報流出などを理由に挙げる人が多かった。
 一方で、出会い系サイトなどの有害サイトに接続できなくする「フィルタリング(選別)機能」について、「全く知らない」と答えた人は62・2%に上った。調査を依頼した警察庁は、「ネット犯罪に対し、安全を確保する部分についての認知度が低いことが分かった。被害防止のため広報・啓発活動に努めたい」としている。
 調査結果によると、インターネット利用で不安に感じるもの(複数回答)としては、「コンピューターウイルス感染による個人情報の流出」が66・5%と最多で、以下、「暗証番号などを無断で他人に利用される不正アクセス」(52・1%)、「ホームページを閲覧するだけで料金を請求されるなどの架空・不当請求」(50・5%)、「コンピューターウイルス感染によるデータの破壊」(47・7%)の順となった。
 また、児童買春などの温床にもなっている出会い系サイトについて、サイトを「知っている」と答えた人の利用度を聞いたところ、「見たことがある」は20・7%だった。このうち、実際にメッセージを書き込んだり、メールのやりとりをしたことがある人は2・5%だった。出会い系サイトでの児童の被害防止については、「児童の利用ができなくする機器の開発やシステムの技術を促進する」が48・1%で最も多かった。
 調査は昨年11月、全国の20歳以上の男女5000人を対象に面接方式で実施し、3006人から回答を得た(回収率60・1%)。

2008年1月26日  読売新聞


一般のユーザが「不安」を感じているのは「個人情報流出」なのですが、政府はそれに対する対策をあまり考えてくれていないようです。そのかわりに政府は「フィルタリング」の話しを始めてしまいます。「個人情報の流出」を心配する907.5人の人たちの「不安」は無視されてしまいました。特にその中で全く無駄な質問に答えてマヌケぶりを晒してしまった711人はバカを見ました。こういう人を馬鹿にしたようなことをするから回収率が下がるのだとも言えますが、我慢して付き合ってくれた人が60.1%もいたんですから6割の人が寛容であるか、無神経です。

ところが「フィルタリング」は、ユーザの「不安」とは関係がないのですから、これを「知らない」人が62.2%もいたとしても全く当然です。警察庁は「ネット犯罪に対し、安全を確保する部分についての認知度が低いことが分かった」とか言っていますが、自分たちが国民の要望とかけ離れたことをやろうとしていることを認めようとしないところが頑迷です。これからは「広報・啓発活動に努めたい」んだそうですが、そんなことをするよりもみんなが「不安」がっていることを先に解決すれば、今まで順位が低かった「有害サイト」への「不安」が、自ずと上位に上がってくると思われますが、警察が地道な努力を嫌うこと犯罪者と同様であります。

ちなみに「児童買春などの温床にもなっている出会い系サイト」「などの有害サイト」を「知っている」人が何%あったのか明らかではありませんので、その中で「見たことがある」20.7%や実際にメッセージのやり取りをした2.5%にどのような意味があるのかもわかりません。むしろこういう質問には正直に答えないであろうという想定が容易であります。それよりも単にそういうサイトの存在を認知している人の割合の方が意味があるのではないでしょうか。読売新聞も何を考えているのか分りませんが。てゆうか何のためにこんな質問項目があるのか理解出来ません。「面接方式」でセフレ探しかよ。

そういうわけで「フィルタリング」の必要性を問う質問に関する結果も意味不明となります。「フィルタリング」ソフトないしハードの必要性を48・1%が認めていますが、これは何の48.1%なのでしょうか。「フィルタリング」を「知っている」37.8%の中の48.1%であれば、全体の18.2%になります。5分の1にもなりません。仮にこれが回答者全体の48.1%であるとすれば、調査対象は知りもしないことについて必要性を問われることになりますので、「調査結果」そのものの妥当性が重大な疑義にさらされます。

どうも警察の世論操作はなかなか難航しているようです。一般ユーザはインターネットの利用による危険は「個人情報の流出」であると考えているといえる一方、警察では「有害サイト」に危険性があると考えています。一般ユーザは自分の身に及ぶ危険を想定して「不安」を感じているのに対して、警察は国民の身に及ぶ危険を考えているわけではありません。「有害サイト」は直ちにユーザに危険を及ぼしません。「有害サイト」の内で「出会い系」と呼ばれるものを利用したときに、一方に悪意を持ったユーザが存在する場合に何らかの危険が発生し得るのであり、実際のところそのような「危険」にさらされる機会はそう高いものではないのですが、可能性としては誰にでもあり得る話しです。このように現実に存在しない損害を、例えば「フィルタリング」によって回避出来る、とすることによって何か利益を生じるように錯覚させるのが「仮想の利益」と呼ばれます。これは弁護士の橋下さんが得意になって吹聴している「最強の交渉術」なんだそうですが、報道や世論操作の基本でしかありません。このように、インターネットの外にも人を騙そうという人は大勢います。中には騙しのプロとしか言えないような人が社会に多大な迷惑をかけることがありますので、よく気いつけんとケツの毛まで抜かれまっせ。


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2008年01月25日

そのまんま東襲撃

<警察庁>富山冤罪、志布志無罪事件の問題点公表
  
 警察庁は24日、富山冤罪(えんざい)事件と鹿児島県議選買収(志布志(しぶし))無罪事件について、証拠の裏付けが捜査が不足し、長時間、強圧的な取り調べが行われたなどとする報告をまとめた。捜査指揮が不十分だったとも断じた。警察庁は再発防止のため、来年4月以降、全国警察本部に取り調べを監督する「監督担当課」の新設などを柱とした「警察捜査における取り調べ適正化指針」を併せて発表、不適正な取り調べをした場合は懲戒処分の対象になるとした。
 警察庁が個別の事件を検証し問題点を公表するのは初めて。2事件の捜査が警察に対する信頼を大きく揺るがしたことが背景にある。
 富山事件では、服役後に冤罪と分かった柳原浩さん(40)のアリバイを示す実兄との電話の通話記録があったのに気づかず、現場の足跡が25・5センチ前後と推定されるのに、柳原さんの24・5センチとの矛盾について解明しなかったと指摘。被害者は、凶器がサバイバルナイフでチェーンで縛られたと供述しているのに、果物ナイフとビニールひもによる事件と誤認。供述の信用性の検討が不十分だったとした。
 志布志事件では、任意の取り調べが、最長で1日約13時間40分あったり、10日間連続行われていた事実を明らかにした。座っての調べに耐えられない人を簡易ベットに寝かせての調べもあった。さらに、「正直に言わなければ家族も取り調べる」などの言動があり、親族の名前を踏ませた「踏み字行為」も認めた。
 「取り調べ適正化指針」は、「監督担当課」を捜査部門ではない総務、警務部門に新設することなどを盛り込んだ。監督の対象となる行為は、(1)容疑者の身体に対する接触(2)直接、間接の力の行使(殴ったり、机をたたいて脅すなど)(3)不安を覚えさせ、困惑させる言動(4)一定の動作、姿勢をとるよう強く要求(5)便宜供与をしたり、申し出、約束(6)容疑者の尊厳を害する言動――などを挙げた。
 さらに全国で約1万1000ある取調室のすべてにのぞき窓を置くことや、深夜や8時間を超える取り調べは、署長らの事前承認を得るとした。【遠山和彦】

2008年1月24日 毎日新聞


もちろん警察の取調べには問題があります。警察の内部に監視機構を設けても何にもんりません。しかし「富山冤罪事件」では、冤罪のまま実刑判決を受けて服役しちゃってるわけです。警察のやり方は裁判では有効だったのです。逆に言えば裁判で有罪が取れないんだったら警察だってヘンなことはしないはずです。本当は裁判所が取調べの可視化を強硬に要求しないのはオカシイのです。公判で急に否認し始めたら裁判官も困るでしょう、振り出しに戻るわけだから。お前ら何やっとったんじゃ、って言うでしょう。

ところが言わないのね。もしかして裁判官は冤罪なんかには興味がないとか。「真実」への興味などはもはやあまり一般的ではない「趣味」に属するのかもしれません。裁判官様などはそんな探偵的な猟奇趣味よりも、もっと大所高所から、法的秩序の観点から無実の人間を刑に服させたりなんかしている可能性がないわけじゃありません。

刑罰というものがどういう働きをしているのか、あるいはいかなる機能を果たさせるべきであるか、ということについては様々な議論があります。一個人に害悪を加えたりそれを差し控えたりすることが権力のデモンストレーションとして行われてきていたわけですが、それをいかにして合理的に説明し、いわば「善用」させるか、というところが苦心のしどころであって、大きく分けると応報刑論と目的刑論ということになるんだそうです。

応報刑とは、単純に言うとチャラにすることであって、秩序を攪乱する力に対してそれと反対の力を加えて均衡させ、バランスを取り戻すということです。このとき、ある個人にその力が加えらることになりますが、その理由はそいつが犯人だからということになります。近代刑法では犯人が自由意志によって行った行為に責任があることによって、こいつに対して刑罰を加えることが正当化されるのですが、これは「刑罰」を加える対象の選定を合理化した考え方ではありますが、大切なのはどこか適当なポイントに力を加えてバランスと取ることであって、秩序の攪乱に対して均衡をもたらす力が作用することです。

目的刑論では刑罰によって苦痛を感じている人が実際に存在することが威嚇効果を持つことによって犯罪を抑止するということですが、それと共に、それとは分けて「法確信」ということも言われるようです。しかしこれはあえて分ける必要はないでしょう。要するに「脅し」であります。この場合も、苦痛を与えられている個人が犯人であることによって彼が苦痛を感じている状態が正当化されますが、威嚇効果を持つのは彼が犯人であることではなく、彼を苦しめる力の存在です。

このように、いずれの議論においても刑罰がその働きを全うするにあたって、刑罰を受ける個人が当該犯罪の犯人であることは特に必要ではありません。刑罰が発動することによって秩序が均衡を取り戻したり威嚇効果を生じるのであって、その対象はどこの誰であっても構わないのです。もっとも、何の罪科もない者が刑に服したことが明らかになるならば、再び均衡は崩れ、「法確信」は失われることになりますが、バレなきゃいいのです。また逆に、本当は誰一人刑に服しておらず、裏口から放免していたとしても、やはりそのことがバレなければ大丈夫、ということになります。

このように刑罰は原理的に冤罪を嫌いません。ただし特別目的刑論においては犯人の隔離や殺害による無力化による再犯の不可能化および教育による更生による再犯の防止が「刑罰の目的」となりますので、相手が真犯人でなかったりすると具合が悪いものです。しかしこの場合には犯人の反規範性を厳正に判断してちょっとしたことで直ぐにぶち込んで「教育」するという「厳罰化」の傾向が出て来る場合があり、これが極めて厳格に行われた場合には冤罪に劣らない悪影響があるでしょう。これは「萎縮効果」と呼ばれる場合があり、こうなるとやはり犯罪と関係のない威力の誇示というものに近づいてまいります。

例えばこういう、あまり一般的ではない「趣味」をお持ちの人たちはどうすれば良いのでしょうか。

県庁前庭で全裸の写真撮影 宮崎、公然わいせつで逮捕

 宮崎北署などは23日、宮崎県庁の前庭で全裸写真を撮影したとして、公然わいせつの疑いで、いずれも宮崎市末広、飲食店経営朝倉浩幸(42)、飲食店従業員高橋中実(36)、同井福恵美(24)の3容疑者を逮捕した。
 3人はインターネットのサイトを立ち上げ、全裸写真を掲載。サイトを見た県外の人が通報した。宮崎県内各地で同様の行為を繰り返していたとみられ、同署は余罪を追及する。
 調べでは、3人は共謀し、昨年9月上旬の午前中、宮崎市の県庁本館の前庭で、高橋、井福両容疑者が全裸になり、朝倉容疑者が写真撮影した疑い。3人とも容疑を認めているという。
 朝倉、高橋両容疑者は同居。井福容疑者は2人と同じマンションの別の部屋に住んでいるという。

2008年1月23日 共同


誰がどこに住んでいようと大きなお世話ですが、いや、それはともかくどうするもこうするも刑法174条によれば

公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

んだそうですから、そういうことになるんでしょう。警察は「余罪を追及する」んだそうですが、「余罪」は彼らの「ECW」とかいうサイトに載ってますから世話はありません。ちなみにこれは「Erotically Coquettish Womens」というわかりにくい言葉の略です。「Womens」はかなりイタイですが、この辺からすると「Erotically」というのは「エロチカ」というレトロ調の言葉をなんとなく名詞だと思い込んで「ly」をつけて形容詞にしたものでしょう。 三丁目の夕日もとんだところに日影を射しています。そう考えるといきなり乱入するフランス語「Coquettish」も微妙に古臭いのが、お国柄というべきかけしからんと言うべきか。

東国原知事激怒!宮崎県庁前で全裸撮影

 宮崎県の東国原英夫知事(50)が“県庁露出プレー”に24日、怒りを爆発させた。県庁の前庭で全裸になり写真に撮って公然わいせつの疑いで男女3人が23日に逮捕されたことに「本当にけしからん」と珍しく語気を強めた知事。県庁舎は知事の人気を背景に宮崎の新観光スポットにもなった場所で、これまで1年間で29万人以上が訪れている。あきれ顔の東国原知事は、今後の警備態勢の見直しを示唆した。
 県庁の真ん前で全裸撮影。芸能人時代には、数々のむちゃな仕事をこなしてきた東国原知事も予想だにできなかった暴挙だ。「本当にけしからんですね。(宮崎)ブームに水を差すし…足を引っ張るようなことはしてほしくない」とため息交じりにこぼした。
 宮崎北署によると、逮捕されたのは県庁近くで飲食店を経営する朝倉浩幸(42)と従業員の高橋中実(みつみ、36)、井福恵美(24)の3容疑者。昨年9月、県庁の前庭で朝倉容疑者がカメラマンとなり、全裸の女性2人を撮影し、写真をホームページで公開。「楽しむためにやった」と容疑を認めているという。
 3人が作成したホームページ(HP)は、いわゆる露出マニア向けのもの。3人それぞれがブログも持ち、日々の成果を報告していた。昨年10月10日にはHP開設から3年目を迎え、サイトの訪問者と実際に会う「オフ会」も開催。「突発イベントHardCore華激!」とイベント名をつけ、マニアに全裸写真を撮影させたとの記述もある。
 HPにはほかにも、県庁玄関にある知事のパネルと浴衣姿でのツーショット、自衛隊の基地、海でのショットなど全裸写真が盛りだくさん。九州地区を中心に回り、日記には出没場所も予告。交通費、宿泊費など30〜50万を負担した上で「招待されれば行きます」という書き込みもある。
 さらに容疑者の日記には大胆にもこんなコメントもあった。「宮崎を盛り上げようという気持ちは、東国原知事と同じです。いや、知事就任の一年以上前から私達は実践している自負があります!(略)。誠心誠意『おもてなし』の精神で接待いたします!」
 迷惑千万な「どげんかせんといかん」精神に東国原知事も完全にアタマにきたようで「それは間違った考え方です」と一喝した。
 宮崎県庁は知事人気を反映して人気スポットになり、昨年1年間で29万人以上の観光客が訪れている。問題の写真の撮影現場は、観光客と東国原知事が一緒に写真を撮る場所でもあった。県庁によると、県民から苦情は今のところないというが、知事は警備態勢の見直しを示唆。写真をみたかについては「見ていません」と答えていた

2008年1月25日  スポーツ報知


そのまんま東が何に怒っているのかよくわかりませんが、「Womens」に対してではないようです。しかしさすがは改革派のオナペット、「警備態勢の見直し」は慧眼であります。いや実際、警察とマスゴミはこれを一種の「テロ」であると思ったのです。てゆうか期待したのです、そのまんま東に対するテロを。例えば警備の注意をそらすための陽動作戦とか。警備の動きを調べるんだとか。ところが朝倉さんたちは「楽しむためにやった」んだそうです。そういう供述を取っているのであり、動機と思想的背景を無駄に追求した結果がこれだったと思われます。朝倉さんたちはどうもあまり好感を持たれるような性格をしていないようで、読むとムカつくような文章を書くものの、どうも一種の「テロ」よりもわかりやすい「エロ」の方が性に合うようなのですが、しかし、だからといって、そのまんま東襲撃を予感した警察は圧倒的に正しい。問題は通報したヤツだな。同好の士を警察に売るなんて変態の風上にも置けません。恥ずかしいヤツだ。
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2008年01月23日

女医、崩れる… 女教師、壊れる

アサヒ芸能のグラビアに都庁が文句を付け、中国の「ポルノサイト」が閉鎖される昨今、エロの二大聖域が危機に瀕しているそうです。

11病院が受け入れ断る=救急搬送、女性死亡−東京

 東京都清瀬市で8日夜、体の具合が悪くなった無職女性(95)を救急搬送した際、近隣の11病院から受け入れを断られていたことが23日、分かった。女性はその後に死亡したという。
 東京消防庁によると、8日午後9時35分ごろ、女性が胸の痛みを訴えたため、同居の長男(50)が119番。3分後に救急隊が到着したが、11病院に受け入れを断られ、到着から約50分後、12番目の清瀬市内の病院に運び込まれた。

2008年1月23日 時事


というような報道が最近多いような気がするわけです。こういうことに関して、学校の先生に文句を付ける「モンスターペアレント」と関連づけて考える見方が一部にあるようです。

http://ameblo.jp/showatti/entry-10065170526.html

医療や教育を「サーヴィス業」として捉えるところに問題を見いだしておられます。そうすると「保護者」や患者が自らを「消費者」であると位置付けることによって「無理難題」を言うということが出てきて、それが教育や医療の現場の疲弊をもたらしているようです。もっとも、後半に引用されている小野田教授の講演ではまず最初に牛丼屋という、どっからみても立派な「サーヴィス業」からの事例を引いて、まずそこから問題になさっています。いくら「消費者」だからといって「無理難題」を言うのが当たり前というわけでもなさそうです。

http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-612.html

こちらも同様と思われますが、こちらは弁護士さんでいらっしゃいますな。いずれにしてもこの問題を自民党と民主党とそのまんま東が未だに堅持する新自由主義的な改革路線への批判につなげていらっしゃるところです。とくに前の方の方は「イザ!」の記事を引用してくるところが面白いです。

両方とも大変参考になるので僕もちょっと考えてみたわけですが、やはり「無理難題」を押し付けるのは相手を「サーヴィス業」だと考えているからである、というふうに考える方とは「サーヴィス業」の現場ではあまりお会いしたくないな、というのが、かつて「サーヴィス業」に従事していた者としての率直な感想であります。売り場の責任者とかになりますと、クレーム対応というのが実に馬鹿にならない業務であります。時間も取られますし、ほとんど仕事の3割くらいを占めるのではないか、というのは大袈裟ですが、結構大変です。他にやらなきゃイケナイ仕事もあるし、かといってクレーム対応をバイトの女の子に任せるわけにはいきません。夜中までかかって、遠方まで自ら出むいて処理するのは当然であります。で、朝の6時まで飲んで暴れる。女の子は自分のことを庇ってくれたなんて思っちゃうのでモテちゃう、ついつい、などということがあるかと思ったら、そうでもない。とにかく「サーヴィス業」にはクレームつけて当然、という考え方は止めて頂きたいものです。

小野田教授の視点はちょっとそれとは違うと思うんですが。昔から虐げられた人々の「はけ口」として機能してきた立場からはそのように見えます。僕が思うに、医療と教育に共通するところは、どちらも「先生」がいるということです。そういえば弁護士さんも「先生」と呼ばれます。僕は弁護士さんと付き合いがあるような、そんな立派なもんじゃありませんのでそっち方面には暗いのですが、幸いにして教師や医師とは会ったことぐらいあります。で、今問題になってるのは、先生樣が「サーヴィス業」なみに扱われているという、そういう極めて嘆かわしい事態なわけです。

しかしこれは不思議でもなんでもありません。あいつら威張ってるから反発を喰って当然でしょう。なにぶんにも身分卑しきものなので高貴なる先生樣方のお立場を慮ることにおいてあるいは至らない点もあろうかと思います、失礼があればご容赦願いますが、今までこういうことがなかったとすれば不思議なくらいです。

現在の医学で全ての病気がすぐに良くなるわけではないのですが、患者は医学知識に欠けバカな分だけそういうことを期待しますので、色々問題が起きます。医療訴訟のある部分は、別な「先生」が患者の「バカ」につけこんでいる気配があります。そうでなくても一部の患者は、怒られるので医師に恐怖を抱いています。医師としては患者に良かれと思って言っているのですが、特に気の弱い患者は先生がおっかないので病院に行こうとせず、いよいよ悪化してから病院に行って、案の定怒られて帰ってきます。やさしそうな女医が好まれる所以であります。ここらへんソースがアヤシイ話しをしているようですが、実際につき合った女性数人から直接聴き取った確実な情報です。病人とばっかりつき合ってるのかと言われそうですが、うつしたりうつされたりしてるんです。じゃなくて年1回くらい風邪とかひくでしょ。

現在では学校の先生の言うことをきいて勉強して大学を出ても、どうということはありません。僕みたいに犬畜生にも劣る「サーヴィス業」でも正社員ならお幸せ、下手すりゃ「時給800円で毎日、一所懸命働いても、年収200万いかないんでっせ。皆さん、計算して みれば分かります。800円掛ける8時間。ハッパ64。20日間働いても、12万から13万。それが1 2カ月足しても160万円そこそこです」。学校の先生はでかいツラをするだけの効用を持ち合わせていません。

餓鬼共には当たらず触らず、もしくはぶん殴るくらいしか能がないのですが、「保護者」にはビッグなフェイスで迫ります。お為ごかしの恫喝と、PTAで聞かされる近所の右翼オヤジか警察OBの権威主義的な講話。そして問題が起これば保身に走る小役人根性と驕りと見下し。こういうものを見せつけられては「キレる」もの当たり前のようなものですが、それに対して「先生を先生と思わず」なんて言い放ち、「感謝」を要求して恥じないようでは、まだまだいじめられ方が足りません。とはいえ学校を中心とした「地域」統制が、先生樣方の驕慢と逆恨みを大いに利用しようとしているのですから、先生をいじめればいじめるほど国策にもかなうという寸法です。

どうも世の中ではお互いに相手の地位に応じて行動しますので、先生樣はエラい、「サーヴィス業」は虫けらということで上手く収まっていたものが、先生樣の地位が虫けらレベルまで下落したことが問題だといえば、まあ確かに問題なんでしょうな。地位の上下関係の変動は、今まで上にいたヤツを下に踏みつけるという形で起こります。そこから平等な関係に持って行ければ、「連携」ということも実現可能でしょうけど、「平等」がキライな人もいますし。旧来の関係を取り戻して物事を解決しようという人はそうしてみましょう。お互いにいじめ合って勝手に崩壊して下さい。
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2008年01月21日

やっぱりそのまんまはそのまんまハゲ

そこで登場したのは名探偵、丸越万太。彼によると福田も便所虫も同じことを喋っているのだといいます。それにはある古文書が関係していて、あたかも全員がその古文書に操られるようにして動いているのだった。そしてそれが分ったのはそのまんま東のおかげだというのです。なんとも情けない名探偵ですが、そのまんま東、さすが不倫のプロです。僕は個人的に不倫の後始末について聞きたいことがあるんだが。

衆院選へ改革派知事ら動く 政権選択 議論の場に 「せんたく」発足

 次期衆院選を視野に政策論議を呼び掛け改革を進める運動体「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(略称せんたく、発起人代表・北川正恭前三重県知事)が20日発足し、東国原英夫宮崎県知事や古川康佐賀県知事ら発起人有志が都内で記者会見。「ねじれ国会」の論議が停滞する中、政党の立場を超え、本質的な政策論議を促す「場づくり」への決意を表明した。2月上旬までに賛同する与野党国会議員を募った上で、活動を本格化させる。

 マニフェスト(政権公約)の検証活動を続けてきた北川氏が共同代表を務める「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)を母体に設立。発起人には、ほかに神奈川県の松沢成文知事や東京大前学長の佐々木毅氏、政府の地方分権改革推進委員会委員を務める西尾勝氏らが名を連ねた。

 今後、賛同国会議員に「議員連合」結成を呼び掛け、連動して地方分権をはじめ環境、社会保障などのテーマで政策論議。成果を踏まえ各党に明確な指針を要求、年内にも予想される衆院選でのマニフェスト充実につなげることで「真の政権選択選挙」実現を目指す。

 会見で北川氏は「地域や生活者の視点で、政策や国の仕組みをつくり直す平成の民権運動を目指したい」と強調。東国原氏は「雇用や福祉など地方行政は国の施策を見据える必要があるが、今の政治家や政党は明確な指針を示していない」と指摘し、古川氏も「今の政治状況で、実効あるマニフェストが作られるか不安。この国に何が必要か真剣に議論する場が必要だ」と語った。

2008年1月21日 西日本新聞


こいつらも「生活者」なんて言うんですよ。一説によるとこの「生活者」という言葉を使い始めたのは三木清だということですから大変由緒正しかったりするんですが、僕はそんなに年寄りでもないので、この言葉を始めて聞いたのはもっと最近で、それは「エリート」とか「活動家」と対立する概念だった。むしろ根を張って「生活」しているところに「権力」と「対峙」する根拠があるような、そういう主体、という感じでしたね。

この場合「生活者」を自称する人は、自らを資本のマーケティングに踊らされるそこらの「大衆」とは違うんだぞ、と思っているわけですが、その頃からマーケティングの分野でも「生活者」という言葉が使われていたらしいのですね。10年くらいたって「分衆」とか言い出す頃には、「大衆」を分割したそれぞれのクラスターが「生活者集団」ということになっていました。この辺からマーケティングとしては個々の消費材ではなくて「ライフスタイル」を売り込むようになってきて、そういう場合のターゲットを「生活者」と呼んだみたいな感じ(語尾上がる)。

まあ、「労働者」とか「消費者」といった「押し付けられた役割」から解放された、という感じなんでしょうけど、働いてお金貰ってなんか買って喰わないわけじゃないんですが、ちょっと読書する大衆だったりなんかするわけで、お金使いますよこういう人たちは。テクストとかフィルムとかアートとかファックとか、餓鬼が生まれると何かそれなりに「ちゃんと」育てようとしますし。「食」も好きだな。「メシ」じゃなくて「食」ですよ。高いんです。それだけの可処分所得があったりもするし。ヒゲに眼鏡の給与所得者って感じですが、本当にそういう人いるのか?なんだか知らないけどそういう人達は「ロハス」の方に行きました。めでたしめでたし。

で、問題は所得が低い場合ですが、こういう場合(他にやることがないので)政治意識が高くて、よく投票に行ったり、「地域の活動」に熱心だったりします。もちろん「イデオロギー」からは解放されてるんで、それこそ地に足のついた=「生活者」としての「感性」によって物事を判断して、「なんか、ヤ」なものは迷わずぶち殺したりしがちです。もうほとんど土人というか…いや、バカになんかしてませんよ。僕は本当に皆さんが好きだ。尊敬してますんですよ。

もっともそのまんま東も皆さんが大好きなようです。「大衆」とか言うと失礼に当たるし、ちっとは政治的関心があって、しかも金がない、それは政治が悪いからだ、しかし政治の何が悪いのか頭が悪いからわかんな〜い、という人が東のターゲットですが、「国民」と言い、「消費者」といい、これを「生活者」と言っても、意味は微妙に違ってもこの言葉の指す対象は同じです。上位の概念では「愚民共」ということになりますが、これの元ネタは結構古いんですね。

新しい日本をつくる国民会議(21 世紀臨調)
日本人のもうひとつの選択
― 新しい都市(まち)の論理 ―
~ 生活者起点(生き方、働き方、暮らし方)の構造改革 ~
http://www.secj.jp/pdf/20011119-1.pdf

これは2001年11月19日、コイヌミが首相就任して半年後、まだ田中真紀子が外務大臣だった人気絶頂期に、「構造改革なくして景気回復なし」とか言ってたのに対する援護ですね。これにはなんでも入ってます。公共事業批判から始まって「教育の荒廃」を嘆き、年金制度の崩壊も視野に入ってますし、障害者の「自立」、「自由な」働き方、医療「改革」、老人介護の「家庭」への押しつけ、学校を要にした「地域」の再編成、地方の「自己責任」、「町内会」の復活、「人材」の「流動化」、今や馬脚をあらわしたこんなおなじみのキーワードが「生活者起点」で語られているんですからたまりません。

自民党も民主党も、どうやら2001年の「初心」に帰って、「改革」への誓いを新たにしたようです。そこで愚民向けには、「生活者起点の改革」という、6年前の大嘘をまたもや持ち出してきたというわけです。誰も何も新しいことは何一つありません。他人が泣こうがくたばろうが「改革」はそのまんま続行であります。しかしこれはあながち「大嘘」でもありません。「生活者」は単に「起点」ですから。おいてけぼりを喰うのは最初から明らかではないですか。「起点」が後からついてきてたまるものか。だいたい誰も「生活者のためになる」とは言ってないでしょ。そんな約束してませんよ。

ここでそのまんま東を担ぎだしたのは、総選挙に伴う政界再編とかを視野に入れて、自民党と民主党の「改革派」をとりもつ、なんてこともあるのかもしれません。実際、不倫してたコを誰かにとりもって上手く片付ける、というあたりについて、東さんにはその道の「プロ」としての助言を頂きたいところですが、ひいては両党から「改革派」を引っこ抜いて「はげつる党」で一旗揚げる、なんてことになるのかどうか、「生活者」も女のコも、意外とそれほどバカじゃないんですからお互いに大変です。
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2008年01月20日

危機に陥ったら彼を呼べ!ふふみ、よごむな。

危機連発 自民党大会は「隠忍自重」

 自民党の第75回定期党大会が17日、都内のホテルで開かれた。福田康夫首相(党総裁)はあいさつで「立党以来の最大の危機だ」と指摘し、「国民の声に耳を傾け、自民党に対する消えぬ期待の炎を燃えさかる支持と支援の炎に変えていく。立党宣言に戻って大きな転換をしたい」と述べた。
 また、18日召集の通常国会について「国会は非常に難しい状況だ。困難があっても党利党略でなく、真に国民のための結論を得る」と述べ、平成20年度予算案や予算関連法案の年度内成立に全力を挙げる考えを示した。
 大会では、伊吹文明幹事長が平成20年運動方針を報告、採択された。運動方針は、格差問題の是正や農林水産政策の推進などの重点政策を打ち出した。首相は「原油価格や輸入食料品の高騰、株価下落が、短期的なのか長期的なのか見極めて対応したい」と強調し、国民の立場に立った政治の実践をアピールした。
    (大谷次郎)
 全国から約3400人の党員・党友を集めて盛大に催された17日の自民党党大会。福田康夫首相(党総裁)の就任後初めての大会は、衆参ねじれ国会のあおりを受け、「隠忍自重」(首相)な重苦しい空気が漂った。郵政選挙で大勝し、自信に満ちた平成18年の小泉党大会、最年少総裁誕生で期待感にあふれた19年の安倍党大会とは隔世の感がある。首相が明確な「福田ビジョン」を打ち出し、党員の自信と希望を取り戻すことが、政権浮揚の第一歩といえそうだ。
 「自民党は立党以来の最大の危機なんです」
 拍手の中で壇上に上がった首相は笑顔も見せず、切々と厳しい現状を訴えた。
 「徹底的に国民の立場に立つ政治」「国民本位の政治」「国民の期待の炎」「国民政治の再生」−。首相はわずか10分の演説で“国民”を35回も繰り返し、最後は「どうぞご支援を心からお願いします」と深々と頭を下げた。
 例年の党大会は通常国会召集直前に、党勢を内外にアピールする「景気付け」の場だが、今回は47都道府県連の女性幹部の一言スピーチをのぞき、派手な演出は一切なかった。
 思い起こせば、19年の党大会では、安倍晋三首相(当時)が巨大な筆で自らのスローガン「美しい国、日本」を揮(き)毫(ごう)。そして、「戦後レジームからの脱却」を高らかにうたっていた。
 その前年の18年の党大会は17年秋の郵政選挙で大勝し、自信にみなぎっていた。多くのチルドレンを従えた小泉純一郎首相(当時)は「改革の加速」を宣言。最後は全員にペンライトが配られ、コンサート会場のような雰囲気で幕を閉じた。
 しかし、今大会は、焦りばかりがにじみ出た。
 来賓の御手洗冨士夫経団連会長は、「国民生活を豊かにするために強力な改革を進める必要がある。それが閉塞(へいそく)感を払拭(ふつしよく)し、格差解消につながる。スピーディー、着実に進めることを期待する」と注文を付けたが、首相からはついに「改革」の言葉は聞けず終いだった。
 首相のあいさつが終わり、伊吹文明幹事長の党務報告が始まると、後列の出席者はゾロゾロと席を立った。レセプション会場でも話題は原油高、株安、解散時期−など暗いニュースばかり。
 一方、福田政権で無役となった麻生太郎前幹事長や安倍前首相らには人だかりの山ができ身動きできないほど。写真撮影や握手攻めにあっている麻生氏に対し、記者団が「内閣支持率も下がり、そろそろポスト福田の…」と水を向けると「ああ、そっちの話にしたいわけか。その話に答えることはありません。ガハハ…」ときびすを返した。

2008年1月17日 産経ニュース


なかなか涙ぐましいですが、こちとらには「自民党の危機」なんざなんの関係もないし、連中が危機に陥ったからといって急に「国民の立場に立つ」とか言い出されても騙されるものではありません。奥さんの浮気の現場に踏み込んで銃口を彼女の額にあててみると急にしおらしいことを言うのと同じです。そこで引金を引くのを差し控えると奥さんはまた浮気をするんですから、ひと思いにやってしまったほうが得策です。そんな血腥いことは嫌いだ、という人は「地元伊勢の国うす焼えびせん」に毒を混ぜておけば良いのです。

もっとも自民党の人たちにしてみれば「そりゃ福田さんの危機だろう」ということになります。自民党自体は給油の件でアメリカのお役に立ったから大丈夫だと思っています。国民がどうであろうと電子投票があります。電子投票が有効なシステムであることは先の大統領選挙で立証済みですから安心です。麻生さんのようなヒョットコにとっては「危機」どころか「好機」ですから、大船に乗ったつもりでしょう。「大船」って松竹じゃなくて、大きい船、例えばタイタニックとかそーゆーの。

そこで自らの「危機」に直面した福田さんの口からは「ついに「改革」の言葉は聞けず終いだった」のも当然です。自分を「危機」に追い込んだ元凶の名など口にするさえ腹立たしいではありませんか。ところがデリカシーのない便所虫は福田さんの言葉を勝手に引用して「国民生活を豊かにするために強力な改革を進める必要がある」などと木に竹を接いだようなことを言って福田さんのデリケートは心を傷つけるのでした。もっとも便所虫にしてみれば「改革」は「原油高、株安」から「解散時期」まで、ことによると素行調査から殺人事件まで、妻の浮気に夫のインポ、背中の痒みに浜崎あゆみのツンボまで、何でも解決タマゴンというつもりですから、ことによると「改革」と言ってあげると福田さんの機嫌も治るんじゃないかと思ったのかもしれませんが、無神経にも程があります。

その一方では福田さんは「国民」を指して「消費者」という言葉も多く使います。「消費者」は便所虫にとっては一応お客様ですから、まあ未だにキヤノン製品を使用しているような不心得者がいるのかどうかわかりませんが、福田さんとしては便所虫に気をつかって、便所虫のお客さんを大切にしよう、と言っているわけです。ところが便所虫は国内市場が多少アレでも輸出が伸びればダイジョービだとおもっていますから、ここでも二人の気持ちはすれ違ったままです。こういう気持ちのすれ違いが浮気とかにつながっているわけで、いわば原因は双方にあるんですから、やみくもに射殺したり毒を盛ったりするのはやはり考えものであります。落ち着いてみれば気の合うことの方が多いはずですよ。

というのも福田さんだって「国民」のことを「消費者」とは言いますが、「労働者」とは言わないわけです。それは「国民」のウラの顔、ヤヌスの鏡とういかアヌスの栓というか、蜜の出る方とウンチの出る方の違いというか、要するに悪い子の方ですから初井言榮にいじめてもらうのです。そこで規制改革会議の第2次答申では随分とムチャなことを言っています。

法的な意味での格差は、憲法十四条の「法の下の平等」や二五条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」としての「生存権」に関係する。「平等」には、「機会の平等」と「結果の平等」の二つの概念が含まれる。前者はすべての国民に平等なチャンスが与えられることであり、後者は国民の能力や成果にこだわらず同じ結果が与えられることであるが、これには注意が必要である。「結果の平等」を重視しすぎると、懸命に働いても働かなくても、また成果の大小にかかわらず同水準の生活が保障されるため、勤労インセンティブの低下、自己研鑽投資の減少、技術やアイディアにおける創造性を発揮しようする意欲の減退といった副作用をもたらす。むしろ、「機会の平等」のもと、がんばっている人が報われる社会になっていなければ、個々人の能力は十分発揮されなくなり、社会全体が豊かになるチャンスは失われる。無論、機会の平等だけを貫くことは一部の階層にとっては、耐え難い「格差」を放置することになり、社会の安定が損なわれ、場合により犯罪などの社会コストを増大させることから政府が一定のセーフティネットを社会に備えておくことは必要である。


何人にも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が平等に保障されるのが「法の下の平等」であることから、「平等」とは「結果の平等」に他なりません。一方、それぞれ異なる素質と環境の影響を受ける諸個人に「機会の平等」を与えることは、選別の方法的原理ではありえますが生存権の保障とは何の関係もありません。「法的な」つまり国家の統制目的としての「平等」には「結果の平等」という一つの概念しか含まれません。「機会の平等」は選別の結果を正確に評価するための条件に過ぎず、この条件を整えることは悪いことではありませんが、生活水準の格差を正当化する原理にはならないようです。

むしろ貧困への転落の脅威によって労働者を使役することが「がんばっている人」においても生活の質を低下させる一方で、格差の問題を「犯罪などの社会コストの増大」としてのみ捉えるとすれば、「社会全体が豊かになる」というレトリックが社会の個々のメンバー全てが「豊かになる」ことを指すわけではないようです。「機会の平等」によって「社会全体が豊かになる」ことは「一部の階層にとっては、耐え難い「格差」を放置する」ことと矛盾していないのですから気をつけないと大変です。むしろとっても極めてほんのたったのごく「一部の階層」が「豊かさ」を享受し続けることを保障する「一定のセーフティネット」が情報の取締りや監視カメラとか刑務所や絞首台のことを指しているのは文脈によって明らかでしょう。

「井戸掘るなら水湧くまで」 福田首相、言葉引き決意

 「井戸を掘るなら、水が湧(わ)くまで掘れ」。福田首相は18日の施政方針演説で、江戸時代末期から大正にかけて貧農の救済に生涯をささげた石川理紀之助の言葉を引用、政策実現への決意を強調した。
 石川は1845年に秋田県で生まれ、貧困に苦しむ農村を巡回指導。農民同士が助け合うことで村を復興させ、「聖農」とたたえられた。側近も「初めて聞いた」と口をそろえる、知る人ぞ知る偉人。「自立と共生」を掲げる政権の理念を体現する人物として、首相自身が選んだという。
 「何よりも得難いのは信頼である。進歩とは、厚い信頼でできた巣の中ですくすく育つのだ」。首相は石川のこの言葉も引きつつ、演説をこう結んだ。「信頼という巣を、国民と行政、国民と政治の間につくりたい」

2008年1月19日 asahi.com


福田さんは知ってか知らずか、石川さんの言葉をワザと省略しています。石川さんが言ったのは

何よりも得がたいものは信頼だ。信頼はつつみかくさず教え合うことから生まれる。進歩とは、厚い信頼でできた巣の中ですくすく育つのだ。

福田さんは「つつみかくさず教え合う」つもりはないみたいです。だから彼には隠していることがあるわけです。例えば「井戸を掘るなら、水が湧くまで掘れ」の福田版は「水が湧いたら枯れるまで汲みつくせ」と続いているんですが、黙ってるじゃん。やっぱ「信頼」は無理だな。てゆうか「厚い信頼でできた」クモの巣に絡めとられちゃ命が死んでしまいますわい。「私を信用してほしい」なんて言うヤツに限って信用出来たためしがありません。後ろを見ろ!

あっ!丸越万太さん!
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2008年01月18日

亀頭師の男根本主義

女の人のカラダを触っても、「祈とう」だと言えば良いんだと思っている人がいるそうです。こういう言い分が認められるかというと、往々にして認められることが多いようですから、悪い宗教には気をつけないと何をされるかわかりません。事実、他所の国の人たちを虐殺するのを手伝うことを「平和協力」と言って通る世の中ですから、変なオジサンにはいくら注意しても注意し過ぎということはありません。

「平和協力国家」めざす、高村外相が外交演説

 高村正彦外相は18日午後の衆参両院本会議で外交演説し、国際社会の平和と発展に積極的に取り組む「平和協力国家」をめざす考えを打ち出した。自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法について「的確かつ機動的な協力の推進という観点から必要」と強調し、整備に向けた検討を進める姿勢を示した。
 気候変動問題に関しては7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の場などを活用して「すべての主要排出国が意味のある枠組みを構築することをめざす」との方針を打ち出した。

2008年1月18日 NIKKEI NET


どちらかというと例の「透視」の方に「協力」してみたいものですが、「戦争と平和」なんて対置させてみたのはいつの日か、最近の言葉の使い方では「戦争と平和」というのは、「ご飯とみそ汁」とか「ヘンゼルとグレーテル」のような極めて近い関係、もしくは「ジキル博士とハイド氏」のような表裏一体の関係を表しています。同じ現象を表すのに二つの語があるわけですが、ここで注目すべきなのは「戦争」という字を書く場合の面倒臭さに対して「平和」という字が簡単でおぼえやすいという点です。高村さんは中央大学しか出ていないせいか、簡単な方を選んだということでしょう。

中でもイギリスの平和愛好ぶりはつとに知られているところであり、この度は通信分野における平和作戦を敢行することになったようです。

「過激サイト」の取り締まり強化=テロ対策で英政府

 【ロンドン17日時事】スミス英内相は17日、ロンドン市内でテロ問題について講演、若いイスラム教徒らが過激化するのを防ぐため、過激思想をあおるウェブサイトの取り締まりを強化していく方針を明らかにした。
 同内相は「人々がテロリストになったり、テロを支援したりするのを防ぐことは、われわれが直面している長期的な難問だ」と指摘。今後、インターネットプロバイダーなど通信業界と協力して、イスラム過激主義を助長するサイトへの対策を進めていく考えを表明した。

2008年1月18日 時事


ここではさらに正確な言葉遣いのお手本が示されています。アメリカとかイギリス、日本などが行う大量虐殺や拷問を「平和」と呼ぶことは既に学びました。それに対して、イスラム教徒が行う場合を「テロ」と呼ぶのです。そのようにして「戦争」という忌まわしい言葉を追放することが出来ます。つまり「戦争」なんてやってませんよ、一方に連中の「テロ」があり、もう一方に我々の「平和」があるんですよ、というわけです。

ちなみに宗教的なラジカリズムについては、イスラムについては「過激主義」、キリスト教については「原理主義」という風に訳し分ける決まりです。もっとも元の英語はradicalismではなくて両方ともfundamentalismですから、「過激主義」という訳は不可能です。実際には「イスラム原理主義」=「イスラム過激主義」ではありませんが、「イスラム過激主義」は「過激になったイスラム原理主義」だと考えられているようですから、そこには連続性が想定されています。したがって「過激思想」と「穏健なイスラム原理主義思想」とをどのように見分けるつもりか、きわめて曖昧です。ちなみに「原理主義」という語も、政治的な思惑を秘めた他称であって、要するに悪口みたいなもんですから、自分たちのことを「原理主義者」と称する人たちはイスラム教徒にもキリスト教徒にも存在しません。ムスリムにしてみれば「普通のイスラム主義」と「イスラム原理主義」の区別はないようです。そして「イスラム過激主義」という呼び名も、悪口をもっと悪く言っただけのことです。そこで「イスラム過激思想」を取り締まることは「イスラム思想」全体への取締りにつながります。

あの保守的なイギリスがいつから思想を取り締まるような急進的な国になったのか、驚いたもんですが、他思想への不寛容は色んな「原理主義」を含む復古主義に共通する要素です。そして不寛容は政治権力を求めるものです。力のない不寛容なんてものは単なる変わり者でしかありませんので。そういえばイギリス人は単なる変わり者なのではないかとも言われていますが、定かではありません。

もっともイギリスが何に「復古」するのかは不明ですが、復古主義は「宗教」が他の思想と出会う前の社会のあり方を仮定し、それを理想としていますから不寛容のであるのは当たり前です。だいたいその「寛容」とかいうものが成り立つ条件そのものを否定しているんですから仕方ありません。勿論、過去において二つの「宗教」が出くわした場合に必ず壮絶な殺し合いをしてどっちかが滅亡したかというとそんなことはなくて、いつまでも喧嘩してたら大変ですから、昔の人も他人に対する礼儀をわきまえるようになったのでした。てゆうか、だいたい「原理主義」というのはご本人が勝手に出掛けて行って他人様に迷惑をかけて、自分の都合で変質した挙げ句、それが自分で気に入らねえ、ということのようですから、呆れてものが言えません。

日本なんかは手が込んでいて、かつての復古主義に復古しようという人たちがいますからご苦労なことですが、復古しようとする「古」が歴史的事実とは縁もゆかりもないもんをそう呼んでいるのと同様、概ねは「戦争」を「平和」と呼ぶ式の単純なトリックに引っかかることになっています。そこを上手く捉えて猥褻行為を宗教行為だと言い張る大山幸男さんは自分では良い考えだと思ったかもしれませんが、みんなが騙されると思ったら大間違いなのでした。
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2008年01月16日

なまはげを返り討ち

ああいう事件があった折ですから、東北各県としては刃物を振り回すようなことは極力避けているかと思いきや、全然そういうことはないらしいのが頼もしいやら情けないやら。

なまはげ問題 苦情新たに7件
「女性客が体触られた」

 男鹿市の男鹿温泉郷の旅館で昨年12月31日、なまはげを実演した男性が女性風呂に侵入し女性客数人の体を触った問題で、男鹿温泉郷協同組合と同市観光協会が同温泉郷内の全9ホテル・旅館に調査したところ、これ以外に、少なくとも5ホテル・旅館に宿泊した女性客が「体を触られた」との苦情7件が、宿泊施設や市観光協会に寄せられていたことが15日、わかった。市は今後、体に触れるのを抑えるなど、時代に合ったなまはげ実演のルール作りに向けて、なまはげを実演する町内会や観光業者などで協議会を発足させることを決めた。
 市や市観光協会は、市内全域に調査対象を広げ、なまはげの女性に対する、やりすぎた行為がなかったかを調査している。また、男鹿署は、男性が女性風呂に侵入した問題について、事実確認を行っている。
 同組合によると、昨年12月31日には、同温泉郷周辺の2町内会の男性計10人が、なまはげになり、町内の民家を回った後、午後8時ごろから約1時間かけて温泉郷内の9ホテル・旅館を訪れ、ロビーなどで舞いを見せるなどして実演した。
 7件の苦情は、このうち、5ホテル・旅館に宿泊した県内外の女性宿泊客の家族や友人、ツアーを企画した旅行業者などから、宿泊施設や市観光協会に寄せられた。内容は、ホテルのロビーなどでなまはげの実演を見学した際に「抱きつかれて体を触られた」「胸を触られた」など。
 市によると、これら5施設を回ったのは、女性風呂に侵入した問題を起こした男性が所属する「湯の尻町内会」(6人)という。
 2町内会や同組合が、なまはげになった男性10人から聞き取り調査をしているが、問題を起こした男性以外は「わいせつ行為は行っていない」と話しているという。
 あるホテルは、宿泊した若いカップルの男性から「なまはげが彼女の体を触った」という苦情を受けた。ホテルの責任者によると、ホテルロビーで宿泊客50〜60人を前になまはげの実演が行われた。この責任者は読売新聞の取材に対し、「抱きついたり、度が過ぎる行為はなかったと思う」と話している。また、7件の苦情のほかに、宿泊した男性客から「なまはげが暴れすぎてけがをした」との苦情が旅行業者を通じて寄せられたホテルもあった。
 一方、男鹿温泉郷協同組合と市観光協会、市観光課の幹部は15日、県観光課に、今回の問題の経緯を報告した。同市の佐藤一誠市長は同日、「この度の行為はなまはげはいくら無礼講とは言え、あってはならないことで、大変遺憾。一日も早い信頼回復に努めたい」とのコメントを発表した。

2008年1月16日 読売新聞


まあ、お祭りですから、祭には性的放縦がつきものであります。昨年から急にこういうことが始まったとは考えにくいものがあります。一方、観光客は「安心・安全」で「健全」ななまはげを見に来ているのですが、そんなものは最初からなかったのでした。なまはげは危険でいかがわしいものなのです。角と牙を生やした人が包丁を振り回しているんですから、見れば判るはずではないでしょうか。

これを機に、「そういうことなら」ということでこの習俗が全国に広がることになると、僕もやってみたいですが、女性には迷惑です。ところが秋田以外の地域でもこの時期、客寄せのために商店街などがなまはげの扮装をした人を呼んだりすることがあるようです。こういう報道があったこの時期にいくらなんでもそれはないんじゃないかと思うんですが、千葉の市川にあるニッケコルトンプラザというショッピングセンターでは呼んだそうですよ。大した度胸です。苦情が来ないかと心配ですが、本場と違って家に来るわけではないからいいのか。しかし「泣ぐ子はいねが〜」などと子供をダシにして家に来ちゃった場合は、お母さんがたも包丁を持って、無礼な行いには実力を持って抗するのが天晴れ婦女子の鑑であります。

全国に家庭教育支援チーム しつけ、子育てで文科省

 文部科学省は2008年度から子育ての相談に応じたり、しつけに無関心な親の啓発に取り組む「家庭教育支援チーム」を各地に創設する。地域住民のほか、保健師などの専門家で構成。支援対象は主に小学生の子どもを持つ家庭で、核家族化を背景に低下した家庭の教育力の回復を目指す。
 全国の約280の小学校区に支援チームを設置するモデル事業を開始。モデル地域は2月に都道府県単位で募集し、5月に文科省が選定する。08年度予算案に約12億円の事業費を計上した。09年度からは市町村主体でチームを設立してもらい、将来は全国約2万3000の全小学校区への配置を目指す。
 支援チームは、地域の家庭教育アドバイザーとして市町村が養成して認定する「子育てサポーター」やPTA、町内会役員、子育て経験のある住民らの専従員と、保健師や臨床心理士らの専門家の計5、6人でつくる。

2008年1月14日 共同


そういうわけで今度は文部科学省が、小学校区単位で「家庭教育」を「支援」するんだそうです。異臭を放ちそうな「子育てサポーター」とか「町内会役員」、「子育て経験のある住民」が、大変ありがたいことに「子育て」の「相談」に「応じ」たり、「しつけに無関心な親」を「啓発」したりするようです。「子育て経験のある住民」というと、要するに近所のオバサンのことですが、これは若いお母さんの天敵です。こういう人たちは独りよがりの見地からお為ごかしのとんでもないことをヌカしますので、やりすぎると包丁で刺される心配があります。一方、「町内会役員」も要注意です。「相談」に乗っているうちにいつしかなまはげならぬ狼と化すことが予想されます。まあ、合意の上なら仕方ありませんが、合意がなくても、ちっとやそっとの犯罪行為は誤摩化してしまえるのが町内会役員の強みであります。

いや、真面目な話し、上手くいくとは思えないのでおよしなさい、と言うべきなんでしょうが、これになんと12億円かけるというのですから大変です。来年度は280の小学校区のモデル事業ですが、それで12億円。将来的には2万3千の小学校区でやるというんですから、いくら無駄遣いをするつもりなのか知りませんが、これが誤報だというんですから驚いた。文部科学省によればこの事業は

地域における家庭教育支援基盤形成事業(新規)
平成20年度要求額 2,214,027千円
[生涯学習政策局男女共同参画学習課]
 身近な地域において子育てサポーターリーダー等で構成する「家庭教育支援チーム」を創設し、情報や学習機会の提供、相談体制の充実をはじめとするきめ細かな家庭教育支援を行うことにより、家庭教育支援基盤の形成を促進する手法の開発を行う


「手法の開発」とか難しそうなことを言っていますが、それにしても約22億円です。共同通信社は勝手に10億円カットしてしまいましたが、22億円が、とりあえず280の「地域」のボスどもに振る舞われるというわけです。1小学校区あたりに平均すると790万円になります。厚生労働省の方はどっかに事務所を借りるということで、1中学校区あたり約700万円を計上していますが、「家庭教育支援チーム」とやらは事務所を持つのでしょうか。いやむしろ小学生が対象なんだから、小学校の空き教室でも借りた方が良いでしょう。幾らかの家賃は払わなければならないでしょうけど、随分安く済むと思われます。

というところで実はそれは誤解でした。「家庭教育支援チーム」は小学生を対象としておりませんでした。対象はあくまで「親」のほうです。親の「相談」に乗ったり、親に乗ったり、親の肛門を開発したり、親を「啓発する」のが目的です。「啓発する」のはケツの穴ではなくて「しつけに無関心」を「啓発」するんですから、あらぬ期待を抱いたりおかしな道具を持って来ないようにしたいものです。

しかし、ここで「しつけ」というのが肛門性交のことであるなどと思われてはたまりませんから、「しつけ」が何を指しているのかを確定するのが急務です。みんな大好きWikipediaによれば、「しつけ」とは社会規範の内面化のための訓練だということです。それで「規範」というのは、どうやら当為文ないしその体系のことらしい。ところが当為文の真偽はにわかに決定出来ませんから、広く社会一般に受け入れられている規範が、はたして内面化するべきものであるかという判断は一様ではありません。てゆうかある規範が「社会一般に受け入れられている」かどうかという判断も一様ではありません。

もちろん「法」というものがありますが、むしろ刑罰、即ち負のモチベーションを与えることによって法の文言の遵守を担保しているところであって、法に表現されているらしい「規範」を内面化することを法は期待していないようです。ちなみに厳罰化は法を犯すことによるコストの増大を図ることによって違法行為の減少を期待するものですが、これが「内面化」とは逆行することであることは言うまでもないでしょう。

それはともかく、「しつけ」すなわち「社会規範の内面化」を図るのも一つの教育方針であるし、それを図らないこと、すなわち「しつけに無関心」であることもまた一つの教育方針であり得ます。「しつけに無関心」であることを蒙昧によるものとして「啓発」しようとするのは間違った認識にもとづいています。「家庭教育支援チーム」はバカの集まりか、そうでなければ特定の教育方針を個人に押し付けようとしています。しかし行政はそういうことをしてはならないのであって、それが分らないのであればやっぱりバカの集まりです。そうでなければ790万円に目が眩んでいるのですが、これは国庫金の不当な支出であり、ここから甘い汁を吸った人はお金を返さないといけません。どうせそういうことなら最初から関わらないのが賢明なのであって、あえてそんな「チーム」に加わろうという人はやっぱり利口とはいい難い。

ところがなまはげ同様、子供をダシに「親」とか「保護者」に「啓発」の猿臂を伸ばそうというイヤらしい企画が後を絶ちません。例えばセコいぜ東京都。

有害サイトから子供を守れ 親の意識向上へ 都がネット助言者養成

 全国各地で子供を巻き込んだネット犯罪が多発している問題で、東京都は来年度から、ネット上で守られるべきモラルを教えたり、有害サイトの対処法を普及させたりするインターネットアドバイザーの養成に乗り出す。3年間で100人を目標にしており、地域で小学生の子供を持つ保護者らを対象にした講習会を開催し、ネットに対する知識を深めてもらう。ネットへの親の監視の目を高めることで、子供をネット犯罪から守る家庭環境づくりを目指す。(植木裕香子)
 都が養成するのは、インターネット環境に対する幅広い知識を持つ人材。都作成のハンドブックを活用して、インターネットの掲示板への書き込みによるいじめ▽「死にたくなければこのメールを回せ」といったチェーンメール▽迷惑メールにだまされたことによる架空請求−などの対策のほか、有害サイトの閲覧制限方法について技術面から学ぶ。
 そのうえで「インターネットの掲示板で、個人を集団でいじめるようなことには加わりません」「チェーンメールが届いたら親に相談します」「友達のゲームでも対象年齢外のものでは遊びません」など、インターネットを利用する子供へのルールづくりの必要性について理解を深める。
 保護者への啓発を目的としているため、都は人材養成の際、多くの保護者と触れる小学校のPTA役員や、地域で青少年健全育成に努める関係者らに呼びかける。
 都では将来的に、都内の小学校全1323校にアドバイザーを各1人配置し、子供のネット環境に対する親の監視を徹底させたいとしている。
 平成18年の犯罪白書によると、インターネットの出会い系サイトを通じた買春など、17年の児童買春・児童ポルノ禁止法での摘発件数は456件で、13年から約2倍に増加している。
 ネット犯罪に詳しい園田寿・甲南大学法科大学院教授は「インターネットの世界はあくまでも仮想のもの。保護者は現実社会というアナログ世界のコミュニケーションこそが、社会では大切ということを子供に伝えてほしい」と話している。

2008年1月13日 産経ニュース


「有害」とされる情報の有害性は立証されていません。つまりある情報が「有害」であるという証拠はどのような立場から見ても存在しないのです。「有害情報」は存在しません。何ものかが「有害」であるという言明は趣味志向の表明にはなりますが、「有害情報」が存在すると言い出すことになると、これは「価値観の押しつけ」ではなくて虚偽の主張となります。それでここではそういう問題に深入りせずに、むしろ「子供のネット環境に対する親の監視を徹底させ」ることが目的となっています。「親」が「監視」を「徹底」しているかどうか「監視」すること。これが全くのデタラメにもとづいて実施されようとしてます。

また、現に存在する社会を「正しい」としたいあまりに仮想現実を敵視する結果、「インターネット」を「現実社会」と切り離し、対立させる考え方が問題をややこしくしています。このように考える限り、「インターネット」における「有害」は「現実社会というアナログ世界」では相対的に小さな害悪をしかもたらさないようです。どうせ「あくまでも仮想のもの」なんですから、「現実」には大して影響ないやね。てゆうか「アナログ世界でのコミュニケーション」って言語のことだと思われますが、言語という記号体系によってそこらの酔っぱらいのオッサンも結構高度に抽象的な生活を送っていると考えられています。「仮想」も言語の作用にほかなりません。この園田さんとかいう人、言語の作用について「法科大学院教授」としてどう考えているのかよくわかりませんが、法ってのは言語でしょうが。そんな暢気なこと言ってて良いのでしょうか。いいんでしょうな。きっと「社会では大切」な何かがあるんでしょ。

なまはげは餓鬼共を脅かすことは脅かしますが、実はその他のターゲットとして「怠け者」、それから新婚のお嫁さんというのもあるのでした。餓鬼を泣かしたり、怠け者を懲らしめたり、若妻すすり泣かせたり、その昔は何が行われていたのか想像に難くありません。「初夜権」の名残のようなことも考えられますが、恐ろしいことです。なまはげに酒を飲ませてもてなす、というのは何よりもお嫁さんの保護のためだったのではないでしょうか。やっぱり飲み過ぎちゃうとねえ、ダメなんだよ。もっとも最初に訪問を受ける家は残念ながらアウトです。
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2008年01月14日

流れよ我が涙、と火星人は言った

国旗国歌「泣かない人考えられない」=都教育委員辞令交付で瀬古氏

 東京都教育委員に昨年末就任した男子マラソン元五輪代表の瀬古利彦氏に9日、石原慎太郎都知事が辞令交付した。瀬古氏は交付式後記者団の質問に答え、都教委が入学式などで国旗掲揚と国歌斉唱を義務付ける通達を出していることについて「個人としては、日の丸を見たら涙がいつも出てくる。日の丸を見て国歌を聞いて泣かない人は私には考えられない」と述べた。
 都内の公立学校では2003年の通達に基づく校長の職務命令を拒否し、減給などの懲戒処分を受けた教職員が延べ388人に上っている。
 瀬古氏自身は過去の五輪で国旗国歌への愛着を深めたと説明した上で、職務命令を拒否する教職員について、「オリンピックに連れて行き、日の丸が揚がる姿を見てもらいたい。そうしたら変わります」と語った。(了)

2008年1月9日 時事


口が軽いので知られる瀬古さんですが、かけっこばかりして脳に衝撃を与え続けたせいか、「考えられない」ことが一杯あるようです。てゆうかこの人の場合「考えられる」ことがどのくらいあるのかよくわからんのですが。マラソンとは頭を使う競技だということですが、瀬古さんを見ているとカレーさえ喰っておれば大丈夫なのではないかと思えてくるから不思議です。

だいたい「オリンピックに連れて行」けば直ぐに「日の丸が揚がる」と思っているところが尋常でないほど楽天的です。あれは日本の選手が勝たないと揚がらないんですけど。もしかすると競技の結果如何にかかわらず、オリンピック委員会様の御厚意により、特に「教職員」のために日の丸を揚げてくれるというアテがあるのかもしれませんが、そうでもなければいつ揚がるとも知れない日の丸目当てに100人以上の「教職員」が、ひたすら北京でスポーツ観戦にうつつを抜かす、しかも瀬古さんの解説付きで、それは迷惑だ、ということにもなりかねません。いくら中国でもそんなに長いこと滞在すればお金がいくらあっても足りません。

いや、もちろんオリンピックが終われば帰って来ざるを得ないのですが、これで石原さんが東京でオリンピックをやりたがる理由がよくわかります。他人の旅行に金を出す気はないらしいのです。しかし瀬古さんが「過去の五輪で国旗国歌への愛着を深めた」というのは相当アヤシイ発言です。瀬古さんオリンピックで日の丸挙げましたっけ?いや、揚がらなかったからこそ、「愛着を深め」てしまったとも言えるでしょう。「日の丸を見たら涙がいつも出てくる」のも無理はありません。14位とか9位じゃね。口惜しいでしょうな。忘れられないでしょう。世間は忘れてますが。

瀬古さんは自分の口惜しさを他人も共有しないことは「考えられない」としていますが、こっちにそんな義理はありません。しかしそんな瀬古さんとは別に、「日の丸を見たら涙がいつも出てくる」人はいます。ネットで簡単に見つかる「日の丸を見たら涙がいつも出てくる」話。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/883.html

何しろ日本では社会革命も民族解放運動もなかったんですから、日の丸の旗の元に解放された覚えなんて誰にもありません。それはただただ抑圧の象徴であり続けています。ところが、人は抑圧者の側に立つことによって解放感を得ることがあります。例えば、キチガイ女を、日の丸鉢巻きを締めた屈辱的な姿の朝鮮女に刺し殺させる、それを見ていて、次には自分も一刺ししなければならない、おまけにおぞましい首なし屍体を踏ませられる、こういう状況では見ている人がキチガイ女や朝鮮女の身になっていてはたまりません。それこそ精神が崩壊して「ポッポッポー、ハトポッポー」になっちまいます。このとき自らを「カッコよい」将校に同一化して、「この野郎とか、売国奴とかののしりながら」屍体をふんずけることによって、何とかその場をやり過ごす、とかそういうことです。

これはそれ自体が抑圧を受けていることにほかなりませんが、まさかここまで行かなくても、人がさまざまな抑圧を受け、抑圧の記憶を抑圧してむしろ抑圧者の側にすり寄って行く、という反動形成的なメカニズムが働くとしたら、あらゆるヒーローが一旦ピンチに陥ることによって最終的な勝利をより効果的にするというお話の仕組みも納得出来ます。もちろん中にはピンチに陥ったままゴールになってしまう人もいるわけですが。

ところが戦って勝ったわけでもない日本の「ヒーロー」は、独りよがりな「血統神話」に依拠するしかありません。日本の「神話」を素直に読めば、日本は宇宙からやってきた侵略者が惑星で最大の大陸の東端の島嶼部に設定した前線基地です。恐るべきことに日本人はそんな宇宙人の子孫であることになっていますが、なるほど体型というかプロポーションがどちらかというと「グレイ」寄りです。侵略者達は地球から仰ぎ見た彼らの本拠地、勇者の故郷、あの赤く見える星を旗印にしようと決めました。「日の丸」とか言って、太陽だと説明されているあの赤丸は、火星だったのです。

そういうわけで征服者たる火星人であることに誇りを感じるか、火星人の下僕となって地球人を見下す地球人(イヤなキャラだ)となるかはその人の自由ですが、ここで問題は、地球侵略とかいいながらいつまでたっても端っこの島嶼部で土人とすったもんだしているだけで、勇ましいかけ声とは裏腹にかえって地球人の走狗と化しているところであって、あたかもケロロ軍曹の如しであります。てゆーか(と恐怖の大王は言った)ケロロ軍曹は地球のことを「ポコペン」というのです。これは兵隊中国語とかいう、一種のピジンが元になった俗語で、「ダメ」という意味ですが、中国並びに中国人に対する蔑称ともなりました。あんなライバッハみたいな帽子かぶってますが、ケロロ軍曹は「日本」のパロディなんですな。単純に日本軍国主義のそれであるというだけではなくて、天皇家も射程に入っているのが面白いです。「全世界に輸出」したがよかろうという御意見ですが、
http://www.kenpou-media.jp/modules/news/article.php?storyid=217
アメリカ、韓国、フランス、スペインに輸出されています。問題は中国だな。アニメでは「ペコポン」に変更されていますが、「ポコペン」の起源についてどう思うか。もっとも日本なんかは「猿の惑星」のヒットを受けて「猿の軍団」を製作してしまった実績がありますから、意外と気がつかないかもしれん。
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2008年01月12日

自民党が牛肉の食い過ぎで狂乱!憲法擁護の大論陣!

民主党の小沢さんは「対案」である「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」が継続審議になったことですっかり満足したのか、「本番」である「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」が衆院で強行再議決される前にどっか行っちゃったそうです。たしかに民主党案は小沢さんにとって、そしてもちろん自民党にとっても大変貴重なものです。

第二十五条 国際的なテロリズムの防止および根絶のための国際社会の取り組みに積極的かつ主導的に寄与することを含む我が国の安全保障の原則に関する基本的な法制の整備が速やかに行われるものとし、当該法制の整備において、日本国憲法の下での自衛権の発動に関する基本原則及び国際連合憲章第七条の集団安全保障措置等に係る我が国の対応措置に関する基本原則が定められるものとする。

これは「我が国の安全保障の原則」に「国際的なテロリズムの防止および根絶のための国際社会の取り組みに積極的かつ主導的に寄与すること」を「含」ませて、つまり支配国家群の一員として反植民地闘争を「防止及び根絶」するために「積極的かつ主導的に」行動することを「安全保障の原則」とする物騒きわまりない新植民地主義国家として「我が国」を位置付けた上で、そのために「基本的な法制の整備」をするという、極めて剣呑な法案であります。「基本的な法制」というと「恒久法」ですから、これには自民党も大乗り気ですが、実はもっと「基本的な法制」も「整備」されます。

小沢さんの考えではうわごとを垂れ流す復古ジジイに頼っていてはいつまでたっても改憲はおぼつかない、「国際社会」というか「国連」の「圧力」によって改憲しちまえということを考えているようです。「国連の決議によってオーソライズされた」軍事行動への「積極的かつ主導的な寄与」は、アメリカの外交政策とは矛盾しないかもしれませんが、憲法との矛盾を引き起こさざるを得ません。憲法第9条の第1項と第2項の間に「PKO」を入れると、第2項が現状とは全く逆転したものにならなければならないことになります。

どうも「国連」の「圧力」とか言うとなんだか他力本願的に聞こえますが、国連との関係によって改憲せざるを得ない状況に追い込むということですから、なかなかどうも巧妙な罠のようなものです。気をつけたいものですが、不思議なことに昨日今日になって自民党がむやみやたらと憲法を尊重し始めるんですから世の中わかりません。衆議院の優越について憲法で規定されいますから、憲法に書いてあるからいいんだ、と盛んに開き直っているところであります。なかにはイケイケドンドンの人もいたりして。

「予算関連法案、再議決ためらうな」自民・谷垣氏

 自民党の谷垣禎一政調会長は12日、京都府綾部、福知山両市で講演し、「予算や税制、予算関連法案を通すべき時に通していくことが一番大事だ。憲法で定められている3分の2で再議決することをためらってはいけない」と述べた。3月末に期限が切れる租税特別措置法改正案など予算関連法案でも、参院第1党の民主党の対応次第では衆院での再議決が必要との考えを示した。
 さらに「3分の2を使ったことによって問題が生じたら、国民に信を問う覚悟も必要ではないか」と指摘。予算関連法案の再議決で政局が混乱したら、解散・総選挙も辞さない姿勢で臨むべきだとの認識を示した。

2008年01月12日 asahi.com


ためらわずに数の力で押し切れ、やっちまえ、という大変勇ましい御言葉であります。相変わらず政治レベルが高いです。もっとも衆議院の優越は、衆議院の方が世論を敏感に反映しやすいという理由によるのですが、2年ちょっと前の選挙の結果の方が半年前の選挙の結果よりも現在の民意をより反映しているとは考えにくいものがあります。谷垣さんをはじめとする自民党の人たちは、文字をちっとは読めることを鼻にかけているようですが、意味を汲み取るのはあまり得意ではないようです。都合のいい時だけ「憲法で定められている」とか言うのも良いのですが、何よりも改憲のために作られた自民党にはそれを言う資格はありません。とはいっても、こういう人たちの言う「改憲」はどうせ「飼い犬」の読み間違えですから、「国際社会」の真ん中で大恥かく前に誰か早く教えてやった方がいいですよ。
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2008年01月10日

メタボ掃討作戦

エステ社長、薬事法違反で逮捕=「脂肪溶解剤」を無許可販売−広島県警

 「注射するだけで皮下脂肪が溶ける」とうたい、「脂肪溶解剤」と呼ばれる国内未承認のイタリア製薬品などを無許可で販売したとして、広島県警生活環境課などは10日、薬事法違反(医薬品の無許可販売)容疑で、広島市安佐北区あさひが丘、エステ機材販売会社「プロジェクトバーン」社長井上安幸容疑者(58)を逮捕した。
 同容疑者は「許可なく販売していた医薬品です」と容疑を認めているという。
 調べによると、井上容疑者は2005年9月27日から昨年5月25日ごろまでの間、兵庫県姫路市のエステ店経営の女性(46)ら計4人に、6回にわたり無許可でイタリア製薬品などを販売し、計約33万円を受け取った疑い。健康被害などの報告はないという。

2008年1月10日 時事


マジンドールに続いて今度は脂肪溶解剤であります。脂肪溶解剤を内服すると細胞膜が溶けて身体が流動する多核の原形質の塊のようになってみんなに嫌われる、かどうかは知りませんが、大豆レシチンによる脂肪溶解術は「メソテラピー」とかいって、痩せたい部分に薬剤を直接注射することでその部分の脂肪を分解し、体外に排出させようというものです。数回の注射が必要で、痛いのに毎日よく揉まないといけないらしいので大変ですが、乳房などの脂肪の欲しいところはそのままに、要らないところの脂肪だけ減らせるということで最近注目されているということであります。

まあ、だいたい減量すると痩せてほしくないところから痩せて行って、痩せたいところは最後まで痩せないという傾向があるようですが、それは元々そういう体質なんだから仕方ないようなものです。最初から「ボン・キュッ・ボン」みたいな体型になる素質がなかったと思って素直に諦めましょう。もちろん男性の性的嗜好は脚の太いのがいいとか「貧乳」が好きだとか「デブ専」とか色々ありますから、何も巨乳でウェストがくびれているばっかりがエラいというわけでもないのですが、美容への関心というものは必ずしも男性志向的なものとは限らないことがあります。「なりたい自分になる」といいますか「自己実現」というんですか、こういう自発的な社会規範への屈従には止むに止まれぬものがあるようで、カモがネギ背負って自分から銃口に向かって歩いて来るんですからこれを撃たない手はありません。

しかしこれを婦人特有の病だと思って中将湯とか命の母Aでも与えておけば大丈夫だと思ったら大間違いで、内科学会がどう言おうとこう言おうと今年から「特定健康診査」が始まって、いよいよ男性の半数も「メタボリックシンドローム」の「患者」になることが決定しています。何の痛痒も感じていないのに一人前の「病人」として扱ってもらえるのですから、病院好きの変態やナースとの「出会い」を希望する楽天家にはこたえられませんが、冷静な人たちの間ではこの新たに発生する巨大マーケットからもれなく搾り取ることが大きな問題となっています。

なんといってもこの分野には既にありとあらゆる業者が参入しています。様々な出版物から色んな食事療法、脂肪を吸い取ったり溶かしたり、ヤバいクスリにヤバくない薬、効くヤツと効かないヤツ、思いつき出まかせデタラメいい加減嘘八百経験則、最近では岡田斗司夫さんまでがこの市場を荒らしまくるという騒ぎです。このままではせっかく「メタボ」片手に乗り込んでみたものの、あえなく敗退ということにもなりかねない強敵ぞろいなんですから、医は算術とはいっても多くは商賈の道に疎いお医者さんなどはもうたじたじとなってしまうのも仕方のないことです。

お医者さん以外にもこのビジネスチャンスを狙って虎視眈々たる商売人達が沢山いるわけですから、そういう人達のためにもこの世界の整理整頓、まずはお医者さんの領分を侵犯している不届き者から、かくは取締りの次第であります。こういうヤクザ者を追放してご清潔な連中がしずしずとご登場になるわけですが、とあえずは、なんと「パン」から来たか。

「健康パン」を共同開発=ファミマ、サークルKなど5社

 大手コンビニのファミリーマートとサークルKサンクスなど5社は10日、低カロリーを実現した健康志向のパン10品目を共同開発したと発表した。15日から順次、各社の約1万1000店で販売を始める。
 開発にはこのほか、それぞれの親会社である伊藤忠商事とユニー、さらにユニー傘下の食品スーパー、ユーストアが加わった。伊藤忠とユニーが2006年1月に結んだ包括的業務協力の一環で、これに3社が参画した形。「競合の枠組みを超え、各社のノウハウを結集した商品」(伊藤忠)としており、全店合計で年間60億円の売上げを目指す。今回発売するのはハムチーズ、ツナなどの総菜パンとクリーム、あんなどの菓子パン。これらのパンは通常300キロカロリー以上あるが、食物繊維を含み、佐藤や油脂を減量したパン生地を新開発したことにより、200キロカロリー程度に抑えた。

2008年1月10日 時事


これは「からだスマイルプロジェクト」と称していますが、パンパンとかパン助と馬鹿にしたものではなくて、お昼ご飯がパンの人は結構いるはずです。ファミマとサークルKがまず勤め人の昼食に狙いを付けて、メタボ市場を先取すべく歴史的野合を果たしたというわけでした。値段は125〜135円ということですから、今後普通の菓子パンが値上げしたとしても20円くらい高いです。てゆうか高く売るためにやってるんで、「健康」とか「ヘルシー」とか「ロハス」とかがついている商品は要するに「高価格」という印ですから、ビンボー人はおぼえておいて損はありません。ちなみに通常の「不健康パン」に比べると15%程度の割高となりますから、60億円売ったとするとそのうちの9億円が「メタボ価値」ということになります。

ちなみに一般にパンは米飯より太りやすいとされていますが、昼食にご飯にお魚とかを食べられるのは比較的恵まれた人です。一定規模以上の事業所で社員食堂があるとか、しかも正社員じゃなきゃ社員食堂を使えないこともありますけど、あるいは1食に800円くらい使って大丈夫だとか。近所に食堂とかがあればですが。500円以内に抑えるとすると、やっぱりパンでしょうな。そういうわけでビンボー人はせめて「健康パン」を、もっとビンボーな人はその隣に置いてある「不健康パン」で我慢しましょう。ただし太るぞ。さらにビンボーになると水だけ、ということになって、これは痩せます。体重20キロ程度に抑えることも夢ではありませんが、元の体重の40%以上が失われると飢餓死の危険があります。つまり元の体重が33キロであれば大丈夫ということですが、この人が適正体重であった場合、身長は約1.2メートルということになりますが、世界で一番背の低い人の身長は65センチなんだそうですから頑張りましょう。頑張るって何をだ。


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2008年01月08日

スズメの目つぶし

こないだ「眼差し」がどーのこーのとやったんですが、例のマンガ版の「屍鬼」の方でもやっておりましたね、「視線」を。眼差される恐怖というのは普遍的ですね。それは餌食になること、欲望の対象になることです。「誰かに見られてる」ってのはリドリー・スコットの映画ですけど、なんか恐い感じでしょ。でもこのタイトルは「SOMEONE TO WATCH OVER ME」というガーシュインの曲にもとづいています。そして曲名だと邦題は「誰かが私を見つめてる」あるいは「やさしき伴侶を」になっちゃうんですな。これは「私をやさしく見守ってくれる誰か」を待ち望む乙女心を歌った曲です。

もっとも、やさしかろうとなんだろうと「欲望の対象」には変わりがないわけで、「喰っちゃう」のは「ヤっちゃう」ことではないですか。実際のところこの曲は男性の耳に心地よく響くべく、男性の前に我が身をイケニエとして捧げようという都合の良い女の人を歌った曲であります。男性の「眼差し」を受け入れることは男性の権力を受け入れることであり、「生挿し」されたり「中出し」されても文句は言いませんということなのです。「眼差し」は権力です。マンガに出てきた姿の見えない「視線」というのはパノプティコンと同じ構造ですね。

孤独死防止に見守り役配置 全国100カ所に厚労省

 リストラや少子高齢化で「孤独死」は社会に広がっているとされる。こうしたなか、厚生労働省が4月から全国100カ所に配置する地域福祉の「見守り役」は、「コミュニティーソーシャルワーカー(CSW)」と呼ばれる専門員。厚労省は「孤独死ゼロ」を目標に対策を強化しており、地元住民が安心して暮らせるような支援体制の確立を目指す。
 厚労省によると、孤独死は平成16年度、東京23区内で2718人に上った。同省は、は昨年8月、孤独死防止に取り組む自治体を支援する「孤独死ゼロモデル事業」を開始。普及啓発を目的にしたシンポジウムの開催や相談窓口設置などの対策について、手をあげた自治体に事業費を補助している。
 同省の地域福祉のあり方に関する検討会でも、孤独死対策として、見守りや声かけといった地域単位のつながりの必要を指摘する意見が出されている。
 CSWは社会福祉士やケアマネジャーを要員を確保。全国で100の公立中学校の学区をモデル地区として指定、それぞれに1人ずつ配置する。具体的には空き店舗などを利用し、既存の民生委員や福祉ボランティアの活動・情報拠点として整備。そこに集まった情報から地域の課題を把握して対応策を立案することなどが想定されている。
 孤独死以外にも児童虐待などの対応も想定しており、相談内容にあう行政機関やボランティア団体などを紹介する窓口としての役割を担うことも期待されている。
 事業期間は2年間。1モデル地区ごとに、人件費や拠点施設の整備費など700万円程度の事業費を想定。自治体と折半して拠出する。厚労省は取り組み結果を全国に紹介することで、孤独死などの対策の底上げにつなげたいとしており、「全国的に根付かせていければ」としている。

2008年1月7日 産経ニュース


孤独死というのは要するに貧困の問題じゃないかと思うんですが、そう難しいことを言わなくても取りあえず医療とかおにぎりとかが必要になって来るはずですが、「見守る」だけで孤独死が「ゼロ」になるんですから、これこそ大した「眼力」であるというべきでしょう。「眼差し」恐るべしであります。実際、「見守りや声かけ」で飢え死にしそうな人が助かるんでしたらそれに越したことはありませんが、現状ではいくら行政機関に紹介しても門前払いになったりするようですから、何のために「見守って」いるのかよくわかりません。

世間では「不浄観」といって屍体の腐乱していく様を見て悟りを開こうという剛の者もいるそうですが、これはそういうことではないようです。死んでしまっては何にもなりません。おそらく生活保護とかいっても中々難しいから、よく見張っていて、いよいよ危なくなったら何か喰わせるとかして引き延ばしを図って「孤独死ゼロ」に持って行くのではないでしょうか。お花畑でおいでおいでに行こうとするとグッと引き戻されるわけです。それでまた食うや食わずの生活を続けて、また危なくなったら注射とか食いもんを与える。なかなか健康で文化的です。

しかし、「見守り役」の仕事はそればかりではありません。「児童虐待など」も引き受けなければならないそうです。これも刑法犯に至るような「虐待」はどちらかというとビンボー人の専売特許のようにも思えますが、実のところ殺人や傷害などのような事犯にならないような「虐待」をどう取り扱うつもりなのかよくわかりません。なにしろ日本では未だに家庭での体罰を禁止する法律はありませんから、躾けだと言ってしまえば良いのです。学校での虐待や相撲部屋での虐殺も比較的大目に見るというのが日本の美しい伝統ですから、こんな問題を担当させられる「見守り役」の苦労が今から偲ばれるというものです。

「孤独死」にしても「児童虐待など」にしても、これらは福祉問題でもありますが、明るみに出た場合はどちらも警察マターとなります。「など」に至ってはもう何でもアリですから、当然警察の職務範囲です。これは一種の「防犯」という側面があって、お巡りさんが忙しくなりすぎないように助ける、という機能を持っていますが、警察がなかなか入れないところにも平気で入って行けるのが「福祉」の強みです。これがどういうわけで「公立中学校の学区」単位で行われるのか、児童虐待はともかくとして孤独死が学区ごとにほぼ均一に分布しているとは考えにくいものです。これも学校を中心とした地域の権力構造の再編成の一環かもしれませんから、見かけたら賄賂でも握らせると喜びます。

そういえば、街路でよく変なステッカーを見かけることがあって、東京だと歌舞伎の隈取りの目元のとこみたいな絵で、他の地方だとなんか猛禽類みたいな目の絵柄の、車に貼るステッカーとか立て看板。あれも手軽に「眼差し」を作り出して人を脅かそうというわけですが、なんだか田んぼにぶら下がってたビニールのボールを思い出します。ボールには丸が二つ描いてあって、どうもそれがスズメの目にはそれこそ猛禽類の顔に見えるんだそうで、スズメが近づかないということになっております。人間様もなめられたもので、今やスズメと同類に思われているようです。舌を切られないように注意しましょう。下を切られるのにはもっと注意しましょう。スズメは可愛いものですが、中国では1955年から四害追放運動としてネズミとスズメとハエとカをやっつけることにしたそうで、年に11億羽を捕獲して、喰っちゃったんだそうです。スズメは喰うと中々いけるのです。ところがスズメは虫を食べるので、スズメがいなくなったら昆虫類が大発生、毎年大変な凶作となり、ついに1960年にはスズメは「四害」をクビになってかわりにナンキン虫が加わったそうですから、これでデビューすればビートルズだ、という大変教訓的なおはなしでした。

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2008年01月05日

私は如何にして借金の心配をするのを止めて虫を愛するようになったか

60年目の1998年の作品「屍鬼」では村を包囲していて「鬼」がそこからやってくる「森」を、ひっくり返して村の中心に持ってくると岩井志麻子さんの「夜啼きの森」になります。これは今年からちょうど70年前の1938年に起こった津山三十人殺しに材をとった小説ですが、よく言われる結核だの夜這いだのといった個人的な事情ではなくて、村そのものが「鬼」を産み出すというモチーフにおいて、ほとんど「屍鬼」と同じ問題意識に貫かれているといっていいでしょう。てゆうかどうして岩井さんは小野さんが津山三十人殺しのことを書いていると分ったんでしょうね。なにしろ「夜啼きの森」には「虫送り」も出て来るんですから。

いや、別に「虫送り」または「虫祈祷」というものは全国各地で行われているようですから、どんな小説に書いたって構わないようなものですが、吸血鬼だの都井睦雄だのというような村を襲う災厄は、捨てられた「虫」が借金のように溜まっていて、ある時に帳尻を合わせるために襲いかかってくる、というものであるかのような気もします。そんな「心配」を村人は抱くかもしれず、それは人を殺して屍体を捨てたのに殺された奴が戻ってくる恐怖にも似ていますが、これは「屍鬼」の中で坊主が書いていた「屍鬼」という小説の主題になっていたりします。

このようにして、共同体から災厄を遠ざける営みが、高利貸し的な時間意識によって共同体を「自滅」させる構造的要因として捉えられるようになります。そう考えると都井睦雄を主人公にして彼の感情を云々するのは考えものであります。事実、岩井さんの場合は各章をそれぞれ村のある人物の一元視点としてリレーのように書いており、都井睦雄に当たる人物はそれぞれの視点人物の視界に登場するだけですから、その内面を描くことは出来ないのです。例えばそれは少女にイタズラをしているところを見られていた眼差し、お風呂を覗かれている眼差しとして現れます。「虫」の眼状斑のように背景から浮き出てくる眼差しは正にホラーにおける「怪物」の描き方なのです。

そうなると肝心の「夜這い」の方はどうなってしまうのかと不安になりますが、岩井さんに限ってそういう事をおろそかにはしません。津山と言えば夜這いです。津山の人ごめんなさい。一方、小野さんの村がほとんど完璧なまでに脱性化されているのは前に見た通りです。性的な、あるいは人間関係の恨みつらみ、といったものはここではマイナーな場所しか与えられていないのです。そういうものが「動機」となったり、全体状況を左右するものとは考えられてはいません。そのように考える事を強く拒否しているといってもいいでしょう。もっともこの世の中に吸血鬼の襲撃ほど「夜這い」に似たものはないんですが、「夜這い」が日常的な性行動でしかないのに対して、吸血鬼に襲われることは人格の変容はもたらさなくても主体の変革を迫る決定的な出来事なのです。

しかしながら小野さんは都井睦雄のある兆候に注目しています。それは彼が小説を書いていたという事実に他なりません。とはいっても都井睦雄が書いていた小説は「死んだ弟が云々」などという辛気臭いものではなく、15歳当時に書いた現存しない「ユーモア探偵」ものの他に、矢野龍渓の「浮島物語」を子供向けにリライトした「雄図海王丸」という勇壮なる冒険活劇が知られています。いずれにしても明るく健康的な作風が特徴ですが、しかし、小説を書くという行為自体が、村ではうさん臭い行動です。小野さんとこの坊主は、この点について周りの連中から引かれているようですし、岩井さんの村に至っては小説なんて書くことはおろか、そんなものを読む人すら村には二人しかいません。一人は都井(小説の中では違う名前ですが)ですけど、もう一人は高台の家に住む、つまり村のボスの、その妻です。彼女は文字通りの「虫」を使役して日本脳炎に感染させることによって夫であるボスの殺害を図ります。これは都井が「毒虫を従え、血を吸いに来る」のを期待した前段階蜂起でした。

例によってこれは上手くいかないわけですが、一方その頃、都井睦雄の小説の方はどうなっているかというと、彼はこれを近所の餓鬼共に読んで聞かせており、結構な人気であったといいます。岩井さんの小説の中では「雄図海王丸」は、「屍鬼」の中の「屍鬼」と同様に機能するような恐ろしい鬼の話しに変えられて、ある少年に殺戮コースを試走しながら語られ、この少年は戦慄すべき結末を記したノートを託されます。史実としてはそういうことはなかったわけですが、ここでは「書くこと」を忌むべきこととして、「虫」として、ほとんど犯罪そのものと重なるものとして提示しています。

小説内小説は小説のテーマを要約する機能を持つことがあり、小野さんと岩井さんの小説では登場人物が書く小説がそのように働いています。現実にも個々の小説作品は作家の思想なり人生なりとの関連でそのように読まれたりするわけですが、小説という形式の禍々しさは、それが仮想現実を構築するところにあります。小説内小説が小説に奉仕するおとなしいものであるのに対して、現実の小説は「作家の人生」などに収まり切らないものなのです。「バーチャルリアリティは悪である」という一見意味不明な言明はそのことを指しており、実際に明治時代あたりでは青少年が小説を読むことは現代の青少年がゲームをすることと同じくらいに問題視されていました。これは「現実に存在するものは善である」ということに他なりません。そこで小説などを書こうという奴は悪い奴に決まっているのですから、どんどん取り締まって、創作などは禁止してしまうべきです。そうすればより早期に、より多くの人が直接行動に打って出ることになるでしょう。

そういう「善」は、そこでは生きられない多くの人々を抱えることになります。多かれ少なかれ非難の対象となるような生き方をする人、例えばそれこそ虫が大好きな女の人とか。隠れファンが多い、と隠れファンにいわれている「虫愛づる姫君」も、毛虫を観察したりきちんと御化粧しないということで、当時の身分ある女性にとって重要な社会関係である恋愛から排除されて近所の餓鬼共を集めて昆虫採集に没頭していたものです。ちなみに当時の「虫」は昆虫類の他にクモ類やゲジゲジなどの多足類、ヘビやヤモリなどの爬虫類、カエルやイモリなどの両生類といった地面を這っているものを総称しますが、「夜這い」は含まれないのです。

ところがここに「右馬助」なる、どう考えても金髪に違いないおっちょこちょいの若者がひとつ脅かしてやろうと作り物のヘビをこしらえて、当時の風習に従って歌と一緒に送りつけたのでした。姫はヘビは苦手だったので驚きましたが、作り物だと知って返事の歌を寄越します。ところがその歌はそこらの質の悪い紙に、しかもカタカナで書いてあるという異常なものだったのです。当時の感覚からいってこれは「怪文書」と呼べるようなシロモノで、とても同じ文化を共有しているとは思えない異様さは正に別世界から舞い込んだかのような禍々しさをたたえていますが、こいつは面白いなんて喜んじゃうのがおっちょこちょいのおっちょこちょいたる所以の馬之助、これから女装だノゾキだと反社会的行為の限りを尽くすことになりますが、この続きは「其の二」にて。
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2008年01月03日

私は如何にして注射を射つのを止めて杭打ちを愛するようになったか

例えば「ゾンビ」なんてものはどう見てもあまり利口そうには見えません。僕から見てもバカに見えるんだからやはり相当のバカだ。つーかアレは元々が何らかの方法で高次な脳機能を停止させられた奴隷のようなもんですから、そう見えるのも仕方がありません。特にゾンビになる前となった後とで記憶の連続性すなわちアイデンティティがないのが問題です。自分がなんという名前で何処にいて何が好きだったけど今こうして好きなものと離されているとか、そういうことが全然わかんないで、ただ腹が減るから人を襲うという下等なレベルでしか生活していないのが、端から見ると悲惨なのです。

「屍鬼」は「ゾンビもの」の一種とされていますが、この点では一線を画しています。彼らが死から甦った時の意識は、眠りから覚めた人のそれと全く同様に描写されています。そして誰かに教えてもらわなければ自分が吸血鬼になってしまったことも自覚出来ないという点において「吸血鬼もの」ともちょっと違った設定になっています。目覚めるや否やそこらの誰かやネズミでもなんでもかぶりついて血を吸う、というような吸血鬼としての本能行動は刷り込まれていないのであって、その点古典的な吸血鬼とは異なるところです。

しかしながら、「生前」との完全な同一性を保った彼らは、要するに食い物が変わったので今までとは違う関係に放り込まれただけのただの人のようにも見えます。実際、搾取されているゾンビとは全く逆に、他の人を文字通り「食い物」にしなければならないわけですが、だからどうしたというのか。そんなことは日常茶飯事なのではないか、今更気にするのはちょっとナイーヴすぎはしないか。生身のよく知っている人がそこにいる?そんなことが問題になるほどあなた方の生きていた世界は甘くはなかったはずです。

というわけで、そこら辺全くナイーヴではない人が登場します。まあ、小説の最初の方からよく出て来るんですが、この人は村一番の医師として知られています。もっとも他に医師はいないのですが。この人はお話が進むに従ってそのとんでもない人格を露呈してゆきます。手始めにはまず、「女」です。女性に対する搾取者として、彼は本格的な活動を開始するのです。その相手は当然のように彼の「妻」です。彼は吸血鬼に襲われた妻を、吸血鬼のやっつけかたを調べるために実験台として使用します。なるほど別居していたのも当然といえるでしょう。一緒にいたんじゃどんな目に遭うかわかりません。そん次はまた別の女、例えばの話し「愛人」みたいなもんです。実際にはこの医師を籠絡しようと近づいた女吸血鬼ですが、彼は籠絡されたようなふりをして逆に彼女を騙し討ちに合わせます。全く喰えない男というわけです。そして彼はそれを手始めに吸血鬼狩りを開始します。

古来、吸血鬼狩りには胸に杭を打つのが良いとされています。その点はここでも変わりません。杭打ちは相手に近づかなければならないという問題があるのですが、良き伝統は守るべきです。それに吸血鬼連中は昼間は正体もなく眠っていることになっています。したがって吸血鬼狩りは昼間のうちに村の全域に展開されている隠れ家を暴き、寝ている吸血鬼を発見し、あるいは心臓に杭を打ち込んで絶叫する息の根を止め、あるいは日向に引きずり出して生きながら焼くということになります。事ここに至るまで吸血鬼には身を守るすべはありません。眠っているとイキナリ心臓に杭を突き立てられたり、全身を焼かれるということになります。熟睡とは恐ろしい事です。

したがって吸血鬼狩りとは、白昼堂々と寝込みを襲う事であり、昼日中に繰り広げられる大量の人体の破壊ということになります。この辺は小説の中でもクライマックスの面白いところです。しかしながら吸血鬼狩りに協力する村人の中には、吸血鬼が他ならぬ知り合いやなんかであることから、かなりの抵抗を感じる人がいるのも事実です。実際のところそこにいるのは自分がよく知っている人に他なりません。そして吸血鬼が彼を狩ろうとしている人間を認識出来るならば、それはまた彼がよく知っている人です。これは村人同士が白昼血みどろで殺し合うということなのです。

元々吸血鬼の存在にいち早く気がついたのはこの医師です。そして彼はこのような派手な人体の損壊でなければ吸血鬼を退治する事が出来ないという事を、自らの妻のカラダをつかって証明したのでした。そこでこの殺し合いは、医師の予期のうちにあったといえるでしょう。このコロシアムを主宰する医師は、例の坊主の幼なじみであり、アルター・エゴとして機能しています。坊主が吸血鬼狩りに背を向けてから、彼らはお互いに対立しているかのように見えますが、そうであっても、医師は坊主の目論見を助け、あたかも坊主の意志に沿うかのように村中を血で血を洗う殺戮の巷と化します。坊主における村の滅亡への意志は、吸血鬼による襲撃への肯定として現れましたが、同じものがこの医師においては反動形成的に村を守る意志として現れているというわけです。それが彼に「吸血鬼狩り」という名目での村人の虐殺を引き起こさせます。あたかも村人を殺すのが目的であり、たまたまその時期に村を吸血鬼が襲っていたからそれが吸血鬼狩りという衣をまとう事になったかのようです。つまりこの二人は対立し合っているようで別々の途から我知らず同じ目標に向かっているのですが、これは「男の友情」の範例であるともいえるでしょう。友達っていいな、そんなことにも気づかせてくれるのがこの小説の醍醐味です。
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2008年01月01日

年男チュウチュウ所感

 新年あけましておめでとうございます。今年は年男です。私は子年なんですから「サル」なんて言わないで「ねずみ男」と言って頂きたいものです。全然似てないか。ピカチュウと呼んでください。チュウチュウトレーン中国帰りのナンキンさん、ナンキンさんの言葉はナンキン言葉。

【日本の底力】
 「最近どうも肩が凝ると思ったら色んな人が双肩に乗っかってるのであります。」
 ちょうど60年前、当時の片山総理大臣は、国民に向かってこう呼びかけました。芸者でも孕ませたのかもしれませんが、大虐殺からちょうど10年目、なかったとか言い張るにはまだまだ記憶が生々しいものがあったに違いありません。それから日本で300万人くらいが殺され、中国ではその4倍位程度を殺してきましたので、そういうのを両肩にズッシリ乗っけて歩くんだということになれば、日本国民が持つ底力を信じるほかないという思いが、そこには込められていたのだと思います。 
 
 
 その重いは、戦後の歩みの中で、きれいさっぱり忘れてしまうことにして、けろっとして戦後復興を成し遂げ、しらっとして高度経済成長を経て、夜郎自大な経済大国へと発展しました。経済発展とともに、ビンボー人が暴れてゼネストだの革命だなどと言い出さないように社会の安定を図った結果、今や、平均寿命世界一(女性のみ)の長寿国となり、58歳の女優がヌード写真集を出すに至りました。このような日本の発展は、世界からも一目置かれ、「最高齢ヌード」とも呼ばれましたが、これはアザミだらけの冥府魔道に分け入ったのにほかなりません。地獄へ行くぞ!沢田かおり。

 一方で、こういう人を含む団塊の世代が定年退職をはじめた日本の現在は、まあ色々あるようですが、経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか。んなこたぁない。誰かの所得を減らせば誰かの所得が伸びることになっています。問題は格差ではなく「私」がどっちの「誰か」に入っているかということなのです。そんなことを言うと「サイテー」と言われそうですが、持ち前の「最底力」を発揮しさえすれば、「私たち」は必ず新たな飛躍を成し遂げることができる、と信じています。一方で、「あんたがた」どこさ、知らないけど鉄砲で撃たれて煮られて焼かれて喰われて木の葉の下で世間の構造を恨みたまえ。


【生活者・消費者が主役となる社会】
 フツーのエロでは満足出来なくなり、児童ポルノが発禁になる一方で高齢者ポルノが野放しになる中で、社会の有り様は大きく変わりました。戦後の焼け跡から性交第一主義で突っ込んできた時代はすでに終わり、性生活の質の向上へと国民の関心が移ってきています。しかしながら、量を奪われたものに質の向上はあり得ません。「質の向上」というかけ声は悪質な偽装であることが明らかとなりました。一杯食わされる前に、童貞諸君は、まずは一発やってきなさい。相手は誰でもいいでしょう、黙ってやってしまいなさい、とりあえず生きている相手であれば。
 

 政治も行政も、そして企業も、昔から、そこにいる人たちも一方では生活者であり消費者であることには変わりがありません。ちょっとばかり高級な生活をして高度な消費をしているかも知れませんが、そんな人たちこそ「主役である生活者・消費者」の名にふさわしい立場に立っています。発想の転換は別に必要ありません。人生にも主役と脇役があるものですが、主役だからといってチンポは1本、マンコは1個であることに変わりはありません。お前が落としたのはこの金のチンポか。はい、そうです。一方相手のいない脇役の皆さんには「自爆エロ」をやっていてもらいましょう。

 ナンキン、いや年金記録については、前任者が何を言ったか知りませんが、「これをやれば解決」という特効薬的な方策はありません。現在、「粘菌特別便」の送付を開始して、憂さ晴らしにみんなで粘菌の観察をすることになりました。変形体は着実に粘り強く運動しますが、全力を尽くしても時速数センチぐらいで鈍いので、ご協力をお願いします。これは中身の原形質が流動することによって動くので、こうした非効率的で問題の多い粘菌の運動を根本から見直し、土中などで大きく育ったものなど、中国辺りにはそれを食べてしまう人もいるようですが、いくら「媚中派」などと呼ばれようと、あんなものを口にするなんて気が知れません。


 粘菌、いやナンキン、また間違った年金(しつこい)制度のあり方はもとより、年金では食べて行けないビンボー人のための雑草や新聞紙や段ボールの調理法など、国民生活にかかわる重要な諸問題について、今年から、マヨネーズについて検討する国民会議を開催いたします。労働者、消費者、女性など各界各層の代表にお集まりいただいて、例えば、これまで日本がとってきた社会保障制度、すなわち低福祉高負担のままでよいのか、マヨネースさえつければなんでも食べられる、普段は新聞紙の炙ったやつを喰っていても死ぬ前にはおにぎりくらい食べたいものだ、新聞の印刷インクをソイインクにしろ、子持ちで結婚していない女性がまともに生活するには売春しかないのか、スウェーデンのようなフリーセックスの方向が望ましいのかなど、広い視野から議論し、ジャーナリズムもフレーバーを第一に考えれば、多くの国民が新聞の御用記事に納得することでしょう。


【環境で世界をリード】 
 
 日本には、天然資源は乏しくとも、天然な人材が豊富に存在します。ああいう人においてはごく稀に高い技術力が見られることがあります。絵がうまいとか鼻が利くとか。とりわけ、痔疾治療の分野においては、世界最先端の技術を有しています。昭和50年代には不思議ちゃんが肛門を洗浄し、不思議膏の塗布によって世界の研究開発のトップを走り続け、肛門にやさしい国づくりを進めてきました。このような、いわば「底力」は、日本が今後成長していく上で、大きな「強み」であると言えます。 
 近年、地球規模でのアナルセックスの普及が顕在化する中で、日本だけでなく、世界各国が協力してこの問題に取り組む必要があります。日本が持つ世界最先端の技術を各国に広めることで世界に貢献し、大きな役割を果たすことができます。
 
今年は、いよいよ日本でサミットが開催される年です。未だに「ソドミー法」などを持つ野蛮国や、近代になって伝統的な寛容さを失ってしまった地域があるこの世界において、肛門問題が今年のサミットの大きな議題の一つであることは間違いありません。七夕の日には、北海道の洞爺湖に世界の首脳が集います。北海道の澄んだ空に浮かぶ天の川を見上げながら、空気の読めない連中にはKYゼリーを塗ってあげますが、試合の時に塗るのは反則です。日本人は強いんだそうです。


【地域再生】 
 
 長い間の経済の停滞によって、特に地方においては依然厳しい状況にあります。しかし、地方には、タレント知事や芸人知事などそれぞれの特色があります。例えば夕張市の市長はリリーズが2人でつとめてはいかがでしょうか。面白いと思いますが、国が決めた政策を押し付けるのではなく、あくまで地方の自由な取組を後押しする方向で、何を後押しするかはこちらの自由ですが。知事もサミット後はさすがに用済みの高橋はるみなんかより水橋かおりの方が良いでしょう。 
 
 
 さらに、地元にしがみついて域内で農業に従事したり中小企業を経営したりしている地元の三流大学出身者がヤンキーのネットワークをつくりあげ、そういった連中が地方政治を動かしていることによる弊害が目立ちます。それぞれの地方の枠を超えて、他の地方や都市、さらには海外に追い出す必要があります。そうでなくてもフィリピンやタイに出掛けて行くことが多いようですから、帰国させないようにすれば良いでしょう。その他マグロ船に乗せるとか、方法は問いません。


【国際社会とのつながり】 
 
 そういうわけで、どういうワケだか知りませんが、とりわけ海外との「つながり」が重要です。 肛門の話しは終わりましたよ。
日本は、低成長時代で、人口も減少しつつあります。しかし、アジアの周辺諸国は今でも高成長を続け、人口も増えています。ちょっとくらい減っても気がつきません。そこで拉致によって、アジアの労働者を強制連行し、活力をとりこんだ後のカスは放り出すということによって、日本もともに発展していくことができると考えます。 
 

 わが国は、戦後、貿易立国として発展してきました。輸出によって企業は好調に発展する一方で国民生活は等閑にされ、日本国民は活力を搾り取られて死んでゆくのでした。最近再び輸出が活況を呈しつつあるものの、日本人という土壌は疲弊して、肝心の労働者を生産する能力が低下しています。今後とも、わが国が発展していくためには、国際社会と協力し、国内の植民地化を180度転回した新しい植民地化、相互依存による一皮むけた植民地主義を深めていかなければなりません。平和で安定した国際社会は、必要な時に必要なだけ収奪するオンデマンド化された植民地主義にとってかけがえのない財産です。旧宗主国の一員として日本ができるだけのお手伝いをする必要があります。今、この瞬間も、インド洋では、多くの国々が協力し合いながら反植民地主義との闘いとマグロ延縄漁を続けています。健康に良いマグロの赤身を食べて一刻も早く戦線に復帰し、ヒゲ面の回教徒どもをぶち殺そうではありませんか。


【さいごに】 
 
 総理に就任して3ヶ月。様々な取組はまだ緒に就いたばかりですが、早くも解散だの総選挙だのと言われております。サミットまでの命だという宣告もあります。冒頭で片山さんを引き合いに出した件でみんなから色々言われる前に自分から言っておきたいと思いますが、私の今年の目標は片山さんの在任期間291日を越えることです。サミットの終わる頃には288日になりますから、いい勝負なのです。そして、今年の年末には、国民の皆さんに、1年経ったらまた内閣総理大臣が変わったと実感してもらえるようなことになるでしょう。 
 

 本年が、皆さんにとって、素晴らしい1年となりますよう、心からお祈りしております。私には素晴らしい半年となればいい方でしょうな。

平成20年1月1日

内閣総理大臣 福田康夫
posted by 珍風 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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