もっとも、やさしかろうとなんだろうと「欲望の対象」には変わりがないわけで、「喰っちゃう」のは「ヤっちゃう」ことではないですか。実際のところこの曲は男性の耳に心地よく響くべく、男性の前に我が身をイケニエとして捧げようという都合の良い女の人を歌った曲であります。男性の「眼差し」を受け入れることは男性の権力を受け入れることであり、「生挿し」されたり「中出し」されても文句は言いませんということなのです。「眼差し」は権力です。マンガに出てきた姿の見えない「視線」というのはパノプティコンと同じ構造ですね。
孤独死防止に見守り役配置 全国100カ所に厚労省
リストラや少子高齢化で「孤独死」は社会に広がっているとされる。こうしたなか、厚生労働省が4月から全国100カ所に配置する地域福祉の「見守り役」は、「コミュニティーソーシャルワーカー(CSW)」と呼ばれる専門員。厚労省は「孤独死ゼロ」を目標に対策を強化しており、地元住民が安心して暮らせるような支援体制の確立を目指す。
厚労省によると、孤独死は平成16年度、東京23区内で2718人に上った。同省は、は昨年8月、孤独死防止に取り組む自治体を支援する「孤独死ゼロモデル事業」を開始。普及啓発を目的にしたシンポジウムの開催や相談窓口設置などの対策について、手をあげた自治体に事業費を補助している。
同省の地域福祉のあり方に関する検討会でも、孤独死対策として、見守りや声かけといった地域単位のつながりの必要を指摘する意見が出されている。
CSWは社会福祉士やケアマネジャーを要員を確保。全国で100の公立中学校の学区をモデル地区として指定、それぞれに1人ずつ配置する。具体的には空き店舗などを利用し、既存の民生委員や福祉ボランティアの活動・情報拠点として整備。そこに集まった情報から地域の課題を把握して対応策を立案することなどが想定されている。
孤独死以外にも児童虐待などの対応も想定しており、相談内容にあう行政機関やボランティア団体などを紹介する窓口としての役割を担うことも期待されている。
事業期間は2年間。1モデル地区ごとに、人件費や拠点施設の整備費など700万円程度の事業費を想定。自治体と折半して拠出する。厚労省は取り組み結果を全国に紹介することで、孤独死などの対策の底上げにつなげたいとしており、「全国的に根付かせていければ」としている。
2008年1月7日 産経ニュース
孤独死というのは要するに貧困の問題じゃないかと思うんですが、そう難しいことを言わなくても取りあえず医療とかおにぎりとかが必要になって来るはずですが、「見守る」だけで孤独死が「ゼロ」になるんですから、これこそ大した「眼力」であるというべきでしょう。「眼差し」恐るべしであります。実際、「見守りや声かけ」で飢え死にしそうな人が助かるんでしたらそれに越したことはありませんが、現状ではいくら行政機関に紹介しても門前払いになったりするようですから、何のために「見守って」いるのかよくわかりません。
世間では「不浄観」といって屍体の腐乱していく様を見て悟りを開こうという剛の者もいるそうですが、これはそういうことではないようです。死んでしまっては何にもなりません。おそらく生活保護とかいっても中々難しいから、よく見張っていて、いよいよ危なくなったら何か喰わせるとかして引き延ばしを図って「孤独死ゼロ」に持って行くのではないでしょうか。お花畑でおいでおいでに行こうとするとグッと引き戻されるわけです。それでまた食うや食わずの生活を続けて、また危なくなったら注射とか食いもんを与える。なかなか健康で文化的です。
しかし、「見守り役」の仕事はそればかりではありません。「児童虐待など」も引き受けなければならないそうです。これも刑法犯に至るような「虐待」はどちらかというとビンボー人の専売特許のようにも思えますが、実のところ殺人や傷害などのような事犯にならないような「虐待」をどう取り扱うつもりなのかよくわかりません。なにしろ日本では未だに家庭での体罰を禁止する法律はありませんから、躾けだと言ってしまえば良いのです。学校での虐待や相撲部屋での虐殺も比較的大目に見るというのが日本の美しい伝統ですから、こんな問題を担当させられる「見守り役」の苦労が今から偲ばれるというものです。
「孤独死」にしても「児童虐待など」にしても、これらは福祉問題でもありますが、明るみに出た場合はどちらも警察マターとなります。「など」に至ってはもう何でもアリですから、当然警察の職務範囲です。これは一種の「防犯」という側面があって、お巡りさんが忙しくなりすぎないように助ける、という機能を持っていますが、警察がなかなか入れないところにも平気で入って行けるのが「福祉」の強みです。これがどういうわけで「公立中学校の学区」単位で行われるのか、児童虐待はともかくとして孤独死が学区ごとにほぼ均一に分布しているとは考えにくいものです。これも学校を中心とした地域の権力構造の再編成の一環かもしれませんから、見かけたら賄賂でも握らせると喜びます。
そういえば、街路でよく変なステッカーを見かけることがあって、東京だと歌舞伎の隈取りの目元のとこみたいな絵で、他の地方だとなんか猛禽類みたいな目の絵柄の、車に貼るステッカーとか立て看板。あれも手軽に「眼差し」を作り出して人を脅かそうというわけですが、なんだか田んぼにぶら下がってたビニールのボールを思い出します。ボールには丸が二つ描いてあって、どうもそれがスズメの目にはそれこそ猛禽類の顔に見えるんだそうで、スズメが近づかないということになっております。人間様もなめられたもので、今やスズメと同類に思われているようです。舌を切られないように注意しましょう。下を切られるのにはもっと注意しましょう。スズメは可愛いものですが、中国では1955年から四害追放運動としてネズミとスズメとハエとカをやっつけることにしたそうで、年に11億羽を捕獲して、喰っちゃったんだそうです。スズメは喰うと中々いけるのです。ところがスズメは虫を食べるので、スズメがいなくなったら昆虫類が大発生、毎年大変な凶作となり、ついに1960年にはスズメは「四害」をクビになってかわりにナンキン虫が加わったそうですから、これでデビューすればビートルズだ、という大変教訓的なおはなしでした。