2008年01月18日

亀頭師の男根本主義

女の人のカラダを触っても、「祈とう」だと言えば良いんだと思っている人がいるそうです。こういう言い分が認められるかというと、往々にして認められることが多いようですから、悪い宗教には気をつけないと何をされるかわかりません。事実、他所の国の人たちを虐殺するのを手伝うことを「平和協力」と言って通る世の中ですから、変なオジサンにはいくら注意しても注意し過ぎということはありません。

「平和協力国家」めざす、高村外相が外交演説

 高村正彦外相は18日午後の衆参両院本会議で外交演説し、国際社会の平和と発展に積極的に取り組む「平和協力国家」をめざす考えを打ち出した。自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法について「的確かつ機動的な協力の推進という観点から必要」と強調し、整備に向けた検討を進める姿勢を示した。
 気候変動問題に関しては7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の場などを活用して「すべての主要排出国が意味のある枠組みを構築することをめざす」との方針を打ち出した。

2008年1月18日 NIKKEI NET


どちらかというと例の「透視」の方に「協力」してみたいものですが、「戦争と平和」なんて対置させてみたのはいつの日か、最近の言葉の使い方では「戦争と平和」というのは、「ご飯とみそ汁」とか「ヘンゼルとグレーテル」のような極めて近い関係、もしくは「ジキル博士とハイド氏」のような表裏一体の関係を表しています。同じ現象を表すのに二つの語があるわけですが、ここで注目すべきなのは「戦争」という字を書く場合の面倒臭さに対して「平和」という字が簡単でおぼえやすいという点です。高村さんは中央大学しか出ていないせいか、簡単な方を選んだということでしょう。

中でもイギリスの平和愛好ぶりはつとに知られているところであり、この度は通信分野における平和作戦を敢行することになったようです。

「過激サイト」の取り締まり強化=テロ対策で英政府

 【ロンドン17日時事】スミス英内相は17日、ロンドン市内でテロ問題について講演、若いイスラム教徒らが過激化するのを防ぐため、過激思想をあおるウェブサイトの取り締まりを強化していく方針を明らかにした。
 同内相は「人々がテロリストになったり、テロを支援したりするのを防ぐことは、われわれが直面している長期的な難問だ」と指摘。今後、インターネットプロバイダーなど通信業界と協力して、イスラム過激主義を助長するサイトへの対策を進めていく考えを表明した。

2008年1月18日 時事


ここではさらに正確な言葉遣いのお手本が示されています。アメリカとかイギリス、日本などが行う大量虐殺や拷問を「平和」と呼ぶことは既に学びました。それに対して、イスラム教徒が行う場合を「テロ」と呼ぶのです。そのようにして「戦争」という忌まわしい言葉を追放することが出来ます。つまり「戦争」なんてやってませんよ、一方に連中の「テロ」があり、もう一方に我々の「平和」があるんですよ、というわけです。

ちなみに宗教的なラジカリズムについては、イスラムについては「過激主義」、キリスト教については「原理主義」という風に訳し分ける決まりです。もっとも元の英語はradicalismではなくて両方ともfundamentalismですから、「過激主義」という訳は不可能です。実際には「イスラム原理主義」=「イスラム過激主義」ではありませんが、「イスラム過激主義」は「過激になったイスラム原理主義」だと考えられているようですから、そこには連続性が想定されています。したがって「過激思想」と「穏健なイスラム原理主義思想」とをどのように見分けるつもりか、きわめて曖昧です。ちなみに「原理主義」という語も、政治的な思惑を秘めた他称であって、要するに悪口みたいなもんですから、自分たちのことを「原理主義者」と称する人たちはイスラム教徒にもキリスト教徒にも存在しません。ムスリムにしてみれば「普通のイスラム主義」と「イスラム原理主義」の区別はないようです。そして「イスラム過激主義」という呼び名も、悪口をもっと悪く言っただけのことです。そこで「イスラム過激思想」を取り締まることは「イスラム思想」全体への取締りにつながります。

あの保守的なイギリスがいつから思想を取り締まるような急進的な国になったのか、驚いたもんですが、他思想への不寛容は色んな「原理主義」を含む復古主義に共通する要素です。そして不寛容は政治権力を求めるものです。力のない不寛容なんてものは単なる変わり者でしかありませんので。そういえばイギリス人は単なる変わり者なのではないかとも言われていますが、定かではありません。

もっともイギリスが何に「復古」するのかは不明ですが、復古主義は「宗教」が他の思想と出会う前の社会のあり方を仮定し、それを理想としていますから不寛容のであるのは当たり前です。だいたいその「寛容」とかいうものが成り立つ条件そのものを否定しているんですから仕方ありません。勿論、過去において二つの「宗教」が出くわした場合に必ず壮絶な殺し合いをしてどっちかが滅亡したかというとそんなことはなくて、いつまでも喧嘩してたら大変ですから、昔の人も他人に対する礼儀をわきまえるようになったのでした。てゆうか、だいたい「原理主義」というのはご本人が勝手に出掛けて行って他人様に迷惑をかけて、自分の都合で変質した挙げ句、それが自分で気に入らねえ、ということのようですから、呆れてものが言えません。

日本なんかは手が込んでいて、かつての復古主義に復古しようという人たちがいますからご苦労なことですが、復古しようとする「古」が歴史的事実とは縁もゆかりもないもんをそう呼んでいるのと同様、概ねは「戦争」を「平和」と呼ぶ式の単純なトリックに引っかかることになっています。そこを上手く捉えて猥褻行為を宗教行為だと言い張る大山幸男さんは自分では良い考えだと思ったかもしれませんが、みんなが騙されると思ったら大間違いなのでした。


posted by 珍風 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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