2008年01月21日

やっぱりそのまんまはそのまんまハゲ

そこで登場したのは名探偵、丸越万太。彼によると福田も便所虫も同じことを喋っているのだといいます。それにはある古文書が関係していて、あたかも全員がその古文書に操られるようにして動いているのだった。そしてそれが分ったのはそのまんま東のおかげだというのです。なんとも情けない名探偵ですが、そのまんま東、さすが不倫のプロです。僕は個人的に不倫の後始末について聞きたいことがあるんだが。

衆院選へ改革派知事ら動く 政権選択 議論の場に 「せんたく」発足

 次期衆院選を視野に政策論議を呼び掛け改革を進める運動体「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(略称せんたく、発起人代表・北川正恭前三重県知事)が20日発足し、東国原英夫宮崎県知事や古川康佐賀県知事ら発起人有志が都内で記者会見。「ねじれ国会」の論議が停滞する中、政党の立場を超え、本質的な政策論議を促す「場づくり」への決意を表明した。2月上旬までに賛同する与野党国会議員を募った上で、活動を本格化させる。

 マニフェスト(政権公約)の検証活動を続けてきた北川氏が共同代表を務める「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)を母体に設立。発起人には、ほかに神奈川県の松沢成文知事や東京大前学長の佐々木毅氏、政府の地方分権改革推進委員会委員を務める西尾勝氏らが名を連ねた。

 今後、賛同国会議員に「議員連合」結成を呼び掛け、連動して地方分権をはじめ環境、社会保障などのテーマで政策論議。成果を踏まえ各党に明確な指針を要求、年内にも予想される衆院選でのマニフェスト充実につなげることで「真の政権選択選挙」実現を目指す。

 会見で北川氏は「地域や生活者の視点で、政策や国の仕組みをつくり直す平成の民権運動を目指したい」と強調。東国原氏は「雇用や福祉など地方行政は国の施策を見据える必要があるが、今の政治家や政党は明確な指針を示していない」と指摘し、古川氏も「今の政治状況で、実効あるマニフェストが作られるか不安。この国に何が必要か真剣に議論する場が必要だ」と語った。

2008年1月21日 西日本新聞


こいつらも「生活者」なんて言うんですよ。一説によるとこの「生活者」という言葉を使い始めたのは三木清だということですから大変由緒正しかったりするんですが、僕はそんなに年寄りでもないので、この言葉を始めて聞いたのはもっと最近で、それは「エリート」とか「活動家」と対立する概念だった。むしろ根を張って「生活」しているところに「権力」と「対峙」する根拠があるような、そういう主体、という感じでしたね。

この場合「生活者」を自称する人は、自らを資本のマーケティングに踊らされるそこらの「大衆」とは違うんだぞ、と思っているわけですが、その頃からマーケティングの分野でも「生活者」という言葉が使われていたらしいのですね。10年くらいたって「分衆」とか言い出す頃には、「大衆」を分割したそれぞれのクラスターが「生活者集団」ということになっていました。この辺からマーケティングとしては個々の消費材ではなくて「ライフスタイル」を売り込むようになってきて、そういう場合のターゲットを「生活者」と呼んだみたいな感じ(語尾上がる)。

まあ、「労働者」とか「消費者」といった「押し付けられた役割」から解放された、という感じなんでしょうけど、働いてお金貰ってなんか買って喰わないわけじゃないんですが、ちょっと読書する大衆だったりなんかするわけで、お金使いますよこういう人たちは。テクストとかフィルムとかアートとかファックとか、餓鬼が生まれると何かそれなりに「ちゃんと」育てようとしますし。「食」も好きだな。「メシ」じゃなくて「食」ですよ。高いんです。それだけの可処分所得があったりもするし。ヒゲに眼鏡の給与所得者って感じですが、本当にそういう人いるのか?なんだか知らないけどそういう人達は「ロハス」の方に行きました。めでたしめでたし。

で、問題は所得が低い場合ですが、こういう場合(他にやることがないので)政治意識が高くて、よく投票に行ったり、「地域の活動」に熱心だったりします。もちろん「イデオロギー」からは解放されてるんで、それこそ地に足のついた=「生活者」としての「感性」によって物事を判断して、「なんか、ヤ」なものは迷わずぶち殺したりしがちです。もうほとんど土人というか…いや、バカになんかしてませんよ。僕は本当に皆さんが好きだ。尊敬してますんですよ。

もっともそのまんま東も皆さんが大好きなようです。「大衆」とか言うと失礼に当たるし、ちっとは政治的関心があって、しかも金がない、それは政治が悪いからだ、しかし政治の何が悪いのか頭が悪いからわかんな〜い、という人が東のターゲットですが、「国民」と言い、「消費者」といい、これを「生活者」と言っても、意味は微妙に違ってもこの言葉の指す対象は同じです。上位の概念では「愚民共」ということになりますが、これの元ネタは結構古いんですね。

新しい日本をつくる国民会議(21 世紀臨調)
日本人のもうひとつの選択
― 新しい都市(まち)の論理 ―
~ 生活者起点(生き方、働き方、暮らし方)の構造改革 ~
http://www.secj.jp/pdf/20011119-1.pdf

これは2001年11月19日、コイヌミが首相就任して半年後、まだ田中真紀子が外務大臣だった人気絶頂期に、「構造改革なくして景気回復なし」とか言ってたのに対する援護ですね。これにはなんでも入ってます。公共事業批判から始まって「教育の荒廃」を嘆き、年金制度の崩壊も視野に入ってますし、障害者の「自立」、「自由な」働き方、医療「改革」、老人介護の「家庭」への押しつけ、学校を要にした「地域」の再編成、地方の「自己責任」、「町内会」の復活、「人材」の「流動化」、今や馬脚をあらわしたこんなおなじみのキーワードが「生活者起点」で語られているんですからたまりません。

自民党も民主党も、どうやら2001年の「初心」に帰って、「改革」への誓いを新たにしたようです。そこで愚民向けには、「生活者起点の改革」という、6年前の大嘘をまたもや持ち出してきたというわけです。誰も何も新しいことは何一つありません。他人が泣こうがくたばろうが「改革」はそのまんま続行であります。しかしこれはあながち「大嘘」でもありません。「生活者」は単に「起点」ですから。おいてけぼりを喰うのは最初から明らかではないですか。「起点」が後からついてきてたまるものか。だいたい誰も「生活者のためになる」とは言ってないでしょ。そんな約束してませんよ。

ここでそのまんま東を担ぎだしたのは、総選挙に伴う政界再編とかを視野に入れて、自民党と民主党の「改革派」をとりもつ、なんてこともあるのかもしれません。実際、不倫してたコを誰かにとりもって上手く片付ける、というあたりについて、東さんにはその道の「プロ」としての助言を頂きたいところですが、ひいては両党から「改革派」を引っこ抜いて「はげつる党」で一旗揚げる、なんてことになるのかどうか、「生活者」も女のコも、意外とそれほどバカじゃないんですからお互いに大変です。


posted by 珍風 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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