2008年02月29日

ジ・エンド・オブ・エンドレス・ラブ

サイテー映画の代表とか言われている「エンドレス・ラブ」はラジー賞7部門ノミネートとか言われてますが、惜しくもその全てで受賞を逃しているので、今では誰も憶えていません。ゴルフボールと歴史に残る栄誉が欲しい脚本家は次の事件を参考にしましょう。

少女連れ回し男に有罪判決 「交際自体とがめられるべき」

 交際していた中学2年の女子生徒=当時(13)=を兵庫県から東京まで連れ出したとして、未成年者誘拐罪に問われた無職の男性被告(25)の判決公判が28日、東京地裁で開かれた。大村陽一裁判官は懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡した。
 弁護側は「甘言を使って誘っておらず、誘拐には当たらない」と無罪を主張していた。
 大村裁判官は、被告が犯行時、適正な判断能力が伴っていない13歳の被害者に駆け落ちを呼びかけており、「甘言を用いて連れ出し、被害者の行動を支配していた」と判断、誘拐罪が成立すると結論付けた。
 その上で「周囲に交際を反対されたことで、13歳の少女を16日間連れ回した犯行は自己中心的で悪質。交際を始めたこと自体、強くとがめられなければならない」と断じた。
 判決によると、被告は平成19年8月22日〜9月7日まで、当時交際していた女子生徒を兵庫県明石市から神戸市、東京都新宿区まで連れ回した。

2008年2月28日 産経ニュース


裁判ウォッチャーの阿蘇山大噴火さんのコラム
http://www.nikkansports.com/general/asozan/2008/asozan124.html
によると、二人が知り合ったのが2007年7月の下旬。3日後には女の子が被告人の飼い猫を見に被告人の家を訪問し、女の子が親から暴力を受けているのを聞いた被告人は自分と似ていると感じ、親しくなっていったそうです。これは早くても7月24日前後でしょう。で、ほぼ2週間後の8月7日に、被告人と女の子は女の子の友達のお兄さんからゲーセンに呼び出され、「十数人」の男達に囲まれて交際を止めるように「説得」されます。この場には女の子の母親もいて、「これを機にあきらめなさい」と言い残して女の子を連れて帰りました。

「これを機」ってどんな「機」かと思ったら、被告人はこの後男達に暴行されたんだそうです。ゲーセンでボコったあと、車に押し込んで「人気のない林」に連れて行かれて、殴る蹴る全治3週間。そこに偶然パトカーが通りかかったから良かったようなものの、下手をしたらこの被告人、全く違った形で刑事事件に関わることになっていたかもしれません。つまりお空から傍聴、ってやつですが。

この連中が誰に頼まれてそんな乱暴をしたのかは明らかではありませんが、まあ、興味深い家庭ですな。明石のあたりにはコワイ人が大勢います。で、この6日後に女の子から被告人に電話をして来て交際再開。しかしおよそ1週間後の8月22日に発覚、またゲーセンに呼び出しを受けます。もちろん暴行を受けるに決まってますので、とりあえず2人で神戸まで逃亡。その辺で一緒に過ごしますが、その間被告人は女の子に何度も明石へ帰るように言ったものの、女の子だって親に殴られるに決まってますから帰らない。一緒に連れってってくれと懇願するので、ついに8月24日、夜行バスで一緒に東京へ行ってしまったのでした。どうもその時点での所持金「5000円あるかないか」という大変に裕福な状態だったようで、東京では夜は公園で女の子が眠り被告人が見張る、被告人は昼間にデパートの屋上で寝る、という生活だったといいます。

女の子が被告人に語ったところによれば、以前女の子が家出をしたときに探されたことがなかった、ということでしたが、今回女の子の親御さんは9月7日に捜索願を出しました。2週間くらいまでは女の子が見当たらなくても平気なようです。そこらへんの独特な感覚は何とも分りませんが、偶然にもその日、2人は新宿歌舞伎町のゲーセンで発見されたのでした。その時の所持金は数百円程度だったそうですからタイヘンです。

検察側は被告人が移動方法や行き先、現金(数百円!)を管理して「支配下」に置いていた、被害者の親の(2週間にもわたる!)精神的苦痛、(親に殴らせなかったことで)女の子の育成に悪影響を与えたことにより、1年6月を求刑しました。で、判決はご覧の通りです。執行猶予がつくとはいえ1年6月であり、「未成年者誘拐」の最低刑は3ヶ月、「営利目的等」でも1年ですから、かなり重い判決です。しかも大村陽一裁判官は事実認定で被告人の言い分をほとんど無視しているばかりか、「誘拐」に至る大きな要因であったと思われる、集団暴行と家庭内暴力への被告人並びに「被害者」が抱いた恐怖感を全然考慮に入れないことにしたようです。一方で執行猶予をつけたのは「誘拐」が「女の子の意に反したものではなかった」からなんだそうです。

ところが大村さんは一方では女の子の判断力が未熟であることを強調していますから、女の子の「意」にどれだけの価値を認めているのかよくわかりません。まして「未成年者略取及び誘拐」は、たしか本人ではなくて保護者の意に反していれば成立するはずですから、「本人の意に反していない」ことが猶予刑にする根拠になるのかどうか。てゆうか、これって被告人が女の子の「意に反して」いては最初から発生しない「事件」なのでした。実はこれは単に粗暴な人たちがアタマの弱いロリコンをいじめてるだけの「事件」なんじゃないか。

こんなことにつき合わされると大村さんもわけが分らなくなって歴史的な暴言を吐きます。なんと「交際を始めたこと自体、強くとがめられなければならない」と言い出しました。「交際を始めたこと自体」というのはもちろん「誘拐」に至る前のことであり、それどころかオマンコも何もしていない段階の話しで、昔の中学生はABCとか言ったものですけど、「交際を始めた」ときにはそんなこと何もしてませんよ。これは今のところいかなる犯罪も構成しないはずですが、大村さんはかなり野心的で「創造」的な裁判官のようですね。あまり刑事には向いていないと思いますが。裁判官そのものが向いていないような気も。

まあしかし実は気持ちは分らんでもないです。女の子には大変申し訳ないのですが、ヘンな人たちと関わりのある女の子とつき合うのが間違いの元だ、って思ったんでしょうね、多分。被告人も「好きという気持ちはあるんですけど、互いのためにならないので2度と会わないと思います」と言ってます。だいぶ懲りたようです。何が「互いのため」だ自分のためだろう。どうも大村さんと被告人は同じことを考えているようです。酷い人たちだ可哀想じゃないか。
posted by 珍風 at 00:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月26日

人食いの春

蒸気機関を発明したのは良いがその値打ちをどうアピールすればいいのかと考えたワットさんが思いついたのは「俺の機械は馬何頭分だ」という表現でした。すなわち「馬力」であります。蒸気機関は馬何頭分かに当たるわけですから、もう馬はいらない、刺身にして食べてしまってよい、というわけです。これは喰って美味いかどうかという問題ではないのですが、馬肉はたいへん精力がつくと言われておりまして、千束とかそういう体力を使うところには必ず馬刺屋があることでも分る通り、「人間力」も高まって一石二鳥、というところがワットさんの偉いところです。

馬刺の効果を記念してワットさんの名前は仕事率の単位になっていますが、1馬力は745.699872W、俗に1人間力=4馬力といわれていますから1人間力=186.42Wとなります。人間でも瞬間的な最大出力では1馬力くらいは出せるもののようですが、馬力は継続的に荷を引いたときの仕事率(12時間の平均)でありますから、人間が4倍の力を継続的に出し続けていると死にます。四は死に通じると言うが如しです。ところが人間はおねいさんに励まされたりするといい気になって普段より力を出してしまったりしたと思ったらパタリと死んでしまったりして、精密な出力の測定が出来ません。人間力は何かの基準にはしにくいわけで、エンジンが「何人力」とかは言わないようです。もっともこれにはもうひとつの深い理由があると思われます。「馬力」が「Horse Power」の頭文字を取って「HP」と表されるのに対して、「人間力」について「Human Power」の頭文字を取るとやっぱり「HP」になってしまうので紛らわしいではないですか。ともあれ、「人間力」もまだまだ「馬並み」にはほど遠い、ということでしょうか。

そこでこのような「人間力」の限界を克服すべく、というのも人間が3分の1馬力でも出せれば1馬力あたり1人クビに出来るわけで、世の中にはそういうことを考えつく人というものもいるわけです。あの手この手であるいは馬力を上げさせ、あるいはより少ないエサで効率的に力を出させ、はてはエサを減らして出力を上げさせるにはどうしたらよいか、なんてことを考えよう、というのが「若者の人間力を高めるための国民会議」であります。

社会全体で若者支えよう=国民会議がアピール

 フリーターやニートなど、若者の雇用問題を解決するため厚生労働省の主導で設置された「若者の人間力を高めるための国民会議」(議長・御手洗冨士夫日本経団連会長)は25日、都内で会合を開き、「仕事と向き合う若者を、みんなで支えよう」と題するアピールを採択した。
 舛添要一厚労相は冒頭のあいさつで「若者が働くことへの理解を深めることが必要だ」と強調。アピールは、若者がしっかりとした勤労観・職業観を身に付け、生きる自信と力を得られるよう「社会全体で支えていくことが重要」と指摘。家庭、地域や学校、職場の協力を呼び掛けた。

2008年2月25日 時事


僕なんかは親なんだから「職業経験を交えて子どもと仕事について考えたり」しなくちゃだそうです。舛添も「若者が働くことへの理解を深めることが必要だ」と言っています。この点について舛添が何を理解しているかはともかく、親は自分の職業体験を交えて働くということがどういうことなのか、餓鬼に理解させないといけないんだって。

例えば面接に落ちるたびに小さくなっていく体、今になって自分は生まれなかった方がましだと気がつくことについて話さなければなりません。24時間心身を蝕まれ続ける「正社員」、横行するサービス残業、睡眠不足で目が血走り脳が煮え立って凝固した名ばかり管理職の瞬膜のかかった眼について、過労死と鬱病と自殺について語り聞かせることが必要だそうです。犬のように蹴飛ばされ蜉蝣のように都市を彷徨う明日の命も知れぬ日雇い派遣、自分がどこで働いているのかも知らず故障したら見知らぬ谷に捨てられる二重派遣、低賃金労働を三件も掛け持ちする子持ちで独身の女子労働者の脂肪の割れた太股と粉を吹いた頬、家族の未来と住処を失い路頭に佇むリストラ中高年の破砕した眼を覆う眼鏡のセロテープが巻かれたテンプル、オフィスで殺し合う白痴ども、キチガイを製造する工場、怯え切った運転手に粉砕された乗客のすり潰された顔面、クレームを受けた奴が別の奴に難癖をつけて殺された安アパートの1帖あたり980円のカーペットが吸い込んだ血、社長が俺のオナペットを犯してる、何度も犯して顔にかけてやがる、爆発性ガスの上で飯を食い四散して近所のビルの壁面に張り付く肢体とコロッケ、病気や怪我でもすればそれっきりのキャストの痙攣する笑顔、すっからかんのアタマに毒を詰め込まれるゲスト、同僚にその毒を散布したあとで3日前の余り物を弁当に盛りつけて、それを喰った奴の医者にもかかれず血を吐きながら震える背中から生える包丁を握った昆虫の腕。

およそこういうことについて若者の理解を求めなければならないそうですが、実際にはそんな面倒くさいことをする必要もないようです。東京都の調査によれば「ひきこもり」が多いのは「30歳から34歳」(43%)なんだそうです。これらの人たちが「若者」に入るのかどうか、微妙な問題ですが、この調査自体が15歳から34歳までの人を対象としたものです。これを例えば39歳までに広げた場合に、より高齢化した「ひきこもり」像が出現するのかどうか、わかったものではありません。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2008/02/60i2p201.htm

年齢に関わらずキレイなら「おねいさん」、そうでなければ「オバサン」ということでも良いのですが、「ひきこもり」の71%が男性です。それはいいのですが、「引きこもりの状態になった時期」は「25〜27歳」が最多であり、「ひきこもりの状態になった原因」として25%が「職場不適応」を挙げていることからみて、彼らは身をもって「働くことへの理解」を深めたようです。百聞は一見に如かず、少なくとも3年は仕事を継続していたようですから、一応は結婚して子までなしたような、いわば「成功者」、「性交者」ともいいますが、そんなのが狭い「経験」とやらで何を喋ってもしょうがないんじゃないか。

とはいえこの東京都の「調査」なるものも、相当なシロモノであることは指摘しておいた方がいいでしょう。これは都内に住む15歳以上34歳以下の男女3000人を無作為選出して戸別訪問によるアンケート調査を行なった結果です。このうち「協力を得られた」のが1388人ですから回答率46%です。そのうち「ひきこもり」と判断されたのはたったの10人です。まあ、そんなに沢山「ひきこもり」がいるわけじゃないんですが、それにしても頼りない数字です。1388人のうちの10人ですから0.72%ですが、東京都ではこれを延ばして都内に「ひきこもり」が25000人いると推計します。ちょっと乱暴です。

さすがに10人じゃアレなので、別の調査から18人の「ひきこもり」を連れて来て、都合28人の「ひきこもり群」に対して調査したのが、先ほどの「年齢」、「時期」、「原因」のデータです。しかし「別の調査」で「ひきこもり」と判断されたからって、混ぜちゃっていいんですかね。例えば対象の年齢とか調査方法は同一だったのでしょうか。随分とテキトーです。

東京都ではこの「10人」という結果にショックを受けたらしく、要するに「少な過ぎて話しにならない」と思ったようで、「「家や自室に閉じこもりたいと思うことがある」など心理的には「ひきこもり群」と同じ意識傾向をもっているが、ひきこもりの状態ではない若年者の新たな層」を発掘してきました。これは「ひきこもり親和群」と命名され、今回の調査では66人いたんだそうです。出現率は4.76%、したがって東京には「ひきこもり親和群」が16万5千人ほどいることになります。もっとも「閉じこもりたい」人が「閉じこもっている」人と「同じ意識傾向」を持っているかどうかは保障の限りではありません。状況が「閉じこもらなければならない」程ではないからこそ「閉じこもりたい」と思っているのかもしれませんし、「閉じこもっている」人だって前々から「閉じこもりたい」と思っていたのがついに念願叶って「ひきこもり」になることができた、というわけでもないかもしれないのです。

むしろ心配なのはこの調査をまとめた人がこういう意識を持っていること、すなわち「ひきこもり」たがっている可能性です。なにしろ御手洗とか石原とかいう人のおかげで、日本の「働くこと」は「ひきこもり」たくなっちゃうようなものになっていますから、調査担当者が「ひきこもり親和群」でも何の不思議もありません。そして今後の課題としては、この「ひきこもり親和群」が、それでも「ひきこもり」にならないのは何故なのか、ということなんだそうで、これはムチの回数と「馬力」の関係、効率を下げないダメージの与え方の問題になりますが、動かなくならない程度にムチを緩めてくれると思ったら大間違いです。「馬」に比べて「人間」などありふれています。刺身にして喰わないのは習慣の相違でしかありません。あと、お前ら喰ったって精力つかねえだろ?
posted by 珍風 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

何もいいことないぞ子猫チャン

バート・バカラックが来たんだそうで、来日公演はだいぶ盛況だったということですが、今の若い人は「オースティン・パワーズ」とかで知ってるんでしょうけど、僕なんかが思い出すのは「ピンポンパン」だったりします。おねいさんが「雨に濡れても」を歌ってたんですが、あの番組で使用されていた他の曲とはちょっと異質な感じがしたので、ちょっと憶えているわけです。

「雨に濡れても」は原題を「Raindrops Keep Fallin' on My Head」という、映画「明日に向って撃て!」(1969年)の主題歌ですが、これは西部劇ですが、まあ要するに強盗の話しで、しかも強盗の恋人が女教師で、そういう歌を、一種の「女先生」である「ピンポンパンのおねいさん」が歌うんですから、これはもう大変なことです。新兵ちゃんとお兄さんがブッチとサンダンスに見えてきます。きません。

「ピンポンパン」ではどういう事情か、この曲のタイトルが「レインドロップス」になっております。You Tubeで観ることが出来ますが、これは石毛恭子さんですね、僕の憶えてるのと歌い方が違うな。してみると僕の記憶にあるのは酒井ゆきえさんの歌ったやつかもしれません。僕は酒井ゆきえさんの方がいいな。相当いい。

もしかすると酒井ゆきえさんはこの曲を歌っていないのかもしれませんが、嫌いなもんは忘れちゃって、気に入った曲と気に入った歌手の組み合わせを頭の中で勝手に作り上げてしまったのかもしれません。人の記憶なんてあやふやなものです。そういえば、僕は「いぬのおまわりさん」も酒井ゆきえさんが歌っていたような気がしていたのですが、これも間違いのようです。

いぬのおまわりさん(1960年、作詞:佐藤義美、作曲:大中恩)

まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは どこですか
おうちをきいても わからない
なまえをきいても わからない
ニャンニャン ニャニャーン
ニャンニャン ニャニャーン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん 
こまってしまって
ワンワンワンワーン 
ワンワンワンワーン

まいごのまいごの こねこちゃん
このこのおうちは どこですか
からすにきいても わからない
すずめにきいても わからない
ニャンニャン ニャニャーン
ニャンニャン ニャニャーン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのおまわりさん こまってしまって
ワンワンワンワーン ワンワンワンワーン


「おまわり」のことを「いぬ」などと呼んで困った歌ですが、問題は「こねこちゃん」が「まいご」になっているという設定ですね。一般に「イヌは人に付き、ネコは家に付く」などと言いまして、ネコを連れて引っ越してもネコが勝手に昔の家に帰って行く、なんてゆう伝説があるくらいで、ネコってあんまり「まいご」にならないんですよ。ですからここで「こねこちゃん」が「まいご」になってるというのは「いぬのおまわりさん」が勝手にそのように解釈しているだけなのかもしれないわけです。なにしろ「こねこちゃん」は「ないてばかりいる」んですが、そりゃ当たり前でして、これは単にイヌがネコ語を解さないということでしかありません。そういえば「いぬのおまわりさん」だって結局は「ほえてばかりいる」みたいじゃないですか。

もしかすると「こねこちゃん」は「黙秘」しているのかもしれません。捕虜が尋問に際して何を聞かれても氏名階級認識番号だけを答える、ということがありますが、その例で考えると「こねこちゃん」の氏名は「ニャンニャン」であり、「ニャニャーン」が何らかの所属関係を表現しているようです。しかし「こねこちゃん」は身分を証明するものを持っていなかったので、「ニャンニャン」が本当に「こねこちゃん」の氏名であるのかどうか「わからない」のです。そこで上空などから監視している「からす」や「すずめ」(それぞれ何らかの監視システムならびに人員のコードネームである)に問い合わせても「わからない」、その活動拠点の所在についても口を割らない、という状態ですので「いぬのおまわりさん」は大声を上げて恫喝しているところです。

黙秘は正当な権利ですが、あらゆる「いぬ」どもと同じく、「おまわりさん」も権利を行使する人をとても不愉快に感じます。持てる権利を行使しない謙譲の美徳が求められる一方、「いぬ」の方はやってはならないことまでやってのける「権利」を持っているようですから、なんでも「いぬのおまわりさん」の言いなりになっていれば大丈夫というわけでもありませんが。黙秘を続けていると「こねこちゃん」は「いぬのおまわりさん」が主張する「不利益な事実」を否認しない=暗黙の自白とみなされたり、逆に公判では否認を続けている=反省してないと思われたりして酷い目に遭うことになっています。

まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは ここですよ
おうちはひとりの おりのなか
なまえをきいたら ばんごうだ
ニャンニャン ニャニャーン
ニャンニャン ニャニャーン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのかんしゅさん てつごうしたたいて
ガンガンガンガーン ガンガンガンガーン

まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは くものうえ
おかしをたべても わからない
おきょうをよんでも わからない
ニャンニャン ニャニャーン
ニャンニャン ニャニャーン
ないてばかりいる こねこちゃん
いぬのけいむかん ぼたんをおして
Push!Push!Push!Push!Push!
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2008年02月21日

私の命、買ったのは私

ほら出たやっぱり言わんこっちゃないこのヤクザめ。

出会い系、違法書き込み検挙122件のうち半数が児童

 平成19年に全国の警察が検挙した出会い系サイトをきっかけとする事件は、前年比8・5%減の1753件だったことが21日、警察庁のまとめで分かった。このうち、金銭を代償に異性との交際を求めるなど、出会い系サイト規制法違反(不正誘引)での検挙は122件で、前年比159%の大幅増。半数の61件は児童(18歳未満)が書き込みをし、家裁に送られたケースだった。
 出会い系サイトをきっかけとした1753件の事件を罪種別にみると、760件は児童買春・児童ポルノ法違反で、このうち679件を児童買春が占めた。以下、青少年保護育成条例違反(淫行(いんこう)など)440件▽詐欺98件▽児童福祉法違反77件▽強姦43件−などの順。
 被害者の94・3%に当たる1297人が女性。児童の被害者は1100人で、このうち99%が女性。847人は小学生から高校生までの少女だった。
 被害者のサイトへのアクセスでは1256人(96・8%)が携帯電話を使っていた。
 一方、サイトを運営する43の事業者に対し、年齢の確認義務に違反したとして警告が出された。
 警察庁では、「違法な書き込みが、誰でも見ることができるネット上に、多数存在していることが背景。児童に対して、出会い系サイトの危険性を伝え、有害情報へのアクセスを防ぐフィルタリングの普及を進める」としている。

2008年2月21日 産経ニュース


まあ、出るものが出たということでしょうか。「半数が児童から」という見出しを付けたのは産経と朝日ですが、61件のうち「金銭を代償に異性との交際を求める」のが何件で、単なる金銭を代償としない性交を指すと思われる「など」が何件なのか、事と次第によっては随分印象が変わりますな。もっともこれは警察が最初からある目的を持って発表する数字ですから、全然信用がおけないんですが。

それはともかく、昨日Wikipediaを見ていたら、「大雑把にいえば、自分の性は自分が好きなように売買しても良いという通念が年少者に蔓延すれば、胎児、ひいては人間の生命の尊厳に対する敬意も社会全体から失われてしまうという危機感」
http://ja.wikipedia.org/wiki/児童買春
が宇宙のどこかに存在するということなのですが、そうなんですか?「人間の生命の尊厳に対する敬意」」などは「失われてしまう」どころか、現在の社会にはそういうものがあるとは思えませんが。むしろもっとあった方がいいくらいで。飢え死にとかヤだし。むしろ「自分の性」くらい「自分の好きなように」取り扱う事が出来なくて「尊厳」も何もあったもんじゃないでしょう。自分自身に何の根拠もない尊厳を感じられないという人は、「死ね」と言われりゃ死ぬんでしょうけど。勝手に死ぬ分には構いませんが。

もっとも「生命」はそういう人にもありますし、ミミズだってオケラだってナスにもキュウリにもありますから、そんなものを持ち出したところで意味のある議論は難しかろうと思います。もっと慎重な人々は「胎児」と「人間」とを「ひいては」などといういい加減なセリフでテキトーに繋いでおかず、ちゃんと区別するようです。

刑法では、おそらく胎児の所有権を親に認める立場からでしょう、堕胎を殺人と分けています。胎児は人間ではないのです。ここで「ひいては」というのは言い得て妙です。判例では赤ん坊の身体の一部が母体から露出した事をもって、「人間」の始まりとしています。ということはつまり「胎児」を「引っぱって」出してくると「人間」になるわけですね。「胎児、ひいては人間」という書き方にはこんな意味もあったのです。

一方民法では、相続についてこれが問題になります。民法の第886条によれば、「胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす」とされていますから、胎児は相続権の主体として「人間」であることが擬制されています。ということはつまり相続に関係しない限りにおいては胎児は人間ではないのであって、民法上の通説は赤ん坊の身体の全部が母体から露出した事をもって人の始期としています。

この他にも、母体から独立して生存可能になった時点を人の始期とする説、似たような説として独立呼吸説、「出生」を社会的な儀礼と見て、これを経たものを「人間」とみなす説があります。これだと帝王切開の場合どうなるのかよくわからないのですが、ローマ皇帝になるくらいですから大丈夫なんでしょう。中には40歳を過ぎても「まだ一人前じゃない」なんて言われてしまう人もいますし、60歳近くなって「人間失格」と言われる人もいますから、これでナカナカ難しいものです。

ところでベトナムではこの点について極めて大胆な仮説に基づく実践が行われた模様です。

出産前から人身売買=中国で密売計画、男女ら逮捕−ベトナム

 【バンコク21日時事】ベトナムのハノイ警察当局はこのほど、乳児や胎児を売買したなどとして、人身売買組織の男女4人を逮捕した。この組織は妊娠8カ月の女性を中国に連れていって出産させ、新生児を現地で密売することも計画していた。「出産前の人身売買」摘発は異例という。
 地元各紙によると、警察当局は17日、ハノイのバス発着場で生後間もない乳児2人と妊婦(34)を中国国境に連れて行こうとしていた夫婦を逮捕し、乳児2人を保護。翌18日には組織の別の女2人も逮捕した。

2008年2月21日 時事


ベトナムと中国の関係者は「胎児は、人身売買については、既に生まれたものとみなす」ことで合意したようです。もっともハノイ当局がこの説に賛成するかどうかは不明ですが。それにこれが胎児の所有権の移転なのか、生まれて来る人間の所有権についてその売買を予約したものなのか、今ひとつはっきりしないのが残念であります。その胎児を買う相手方がいて、対価の全額もしくは一部を支払っていたのでしょうか。どうも「出産前の人身売買」というのは早計なのかもしれません。単に売ることを予定して、売買行為の相手方を探すのが容易な現地で出生させようというだけのことのような気がします。この場合は売買目的の誘拐に類似しますが、ベトナムでも胎児に誘拐罪は成立しないようですし、じゃあ母親をさらって来たのかというとそうでもないらしい。それなら自分の子を売る母親は人身売買をやっているのではないかとも思えますが、胎児は「人身」ではありません。

生まれたばかりの赤ん坊を買ってどうしようというのか、一説には中国の人は赤ん坊を食べるとのことですが、そんなことは食糧事情が逼迫すればどこでもやったことですから別に珍しくもありません。かといって臓器を取って売るには小さすぎるようです。

1000遺体から臓器を摘出、「ホラームービー事件」公判開始へ

【2月20日 AFP】1000体を超える遺体から臓器を違法に摘出・販売し、窃盗や違法解剖などの罪に問われている元歯科医師らの初公判が20日にニューヨーク(New York)で始まる。遺体には、BBCのベテラン記者アリステア・クック(Alistair Cooke)氏のものも含まれ、事件は「チープ・ホラー・ムービー」と呼ばれている。
 ニュージャージー(New Jersey)州で移植医療向け臓器販売会社を経営していたMichael Mastromarino被告ら4人は2006年、5年にわたり臓器提供に同意していない1077人の遺体から臓器や骨を摘出していた罪で起訴された。被告らはこれらの臓器を移植業者に売って数百万ドルの利益をあげたとされる。4人はいずれも無罪を主張している。
 訴状によると、4人は葬式時に怪しまれないよう、臓器を取り出した遺体の中にパイプや手袋、エプロンなどの物的証拠を詰め込み、縫い合わせていた。また、死亡証明書のほか臓器提供同意書を偽造し、臓器提供における制限事項にあわせて年齢や健康状態を書き換えていた。
 2004年ニューヨークで死亡したクック氏の場合は、肺ガンのため95歳で死亡したにもかかわらず、臓器は「健康、心臓病で死亡、85歳」と登録されていた。
 遺体1体から摘出される臓器の価格は、平均25万ドル(約2700万円)だという。

2008年2月20日 AFP


移植に使えるところは顔面、角膜、肺、心臓、心臓弁膜、腎臓、膵臓、腸、血管、手、前腕、皮膚、骨、骨髄細胞などだそうです。そういえばマイケル・ブラムラインという人が「器官切除と変異体再生 - 症例報告」という小説を書いていて、これはさる大変にエラが世のため人のために大いに役立つ、というお話でしたが、この場合は用途が臓器移植に限られていなかったために、身体器官の大幅な切除が行われています。簡単に言うと「患者」は生きたままでほぼ完全に解体されることになるのでした。こういうことをするのであれば別ですが、移植に適した部位となると限られてきます。そしてその価格が約2700万円なのだそうです。健康体であれば、いい加減な業者にかかると健康体でなくても、死ぬとこのくらいの値段がつくようです。

これを見て「中古マンションくらい買えるんじゃないか」、なんて思った人は住宅ローンが払えなくて泣く思いをしているのかもしれません。しかし実際に臓器移植を受けた場合、手術費用と術後処置により10年程度でこの金額に届くのではないでしょうか。このくらいの金額でヒーヒー言っているようでは移植は受けられません。そういう人は死ぬまでビンボーですし、死んでも提供する側にしかなれないのです。同じブラムラインはこの点について「ベストセラー」というのを書いています。この小説ではあるビンボーな作家がある年老いた大金持ちの「スペア」になります。金持ちの身体に不都合が起きると、巨額の報酬と引き換えにどんどん「スペア」から部品を取っていくわけです。腎臓1個、片耳、片目、やがてついには右腕を取られ、とうとう顔面の皮膚までもっていかれてしまいます。しかし最後に金持ちは脳卒中を起し、脳死状態になってしまうのです。でも大丈夫。ちゃんと「スペア」の脳があるんだから。
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2008年02月20日

今日から沖縄飢え殺し

沖縄・岩国などの米兵、外出禁止…当分、昼夜問わず

 在日米軍は20日朝から、沖縄県での米海兵隊員による女子中学生暴行事件など相次ぐ不祥事を受けて、沖縄の空・海・陸・海兵隊と、海兵隊岩国基地(山口県)、同キャンプ富士(静岡県)の米兵に対し、当分の間基地外への外出を原則禁止する措置をとった。
 これまで、夜間外出の一時禁止は行われた例があるが、今回は、昼夜問わず、しかも、基地外に住む米兵も、基地と家の往復のみ許すという厳しい内容で異例の措置だ。
 また、在日米軍は19日、今月22日を「反省の日」とし、日本に駐留する全ての部隊が米軍人としての規範を確認することを明らかにした。
 米軍は声明文を出し、「ブルース・ライト司令官は、受け入れがたい米軍人の行動に対し、日本政府などと協力して迅速に対応を取る」と強調。「すべての米軍人は非番の際にも責任ある行動をとるように」と、倫理意識を徹底する方針を示した。

2008年2月20日  読売新聞


これは「パフォーマンス」などという生易しいものではありません。米軍はいつでも果敢であり、アグレッシヴです。いつでも喧嘩腰、どこでも発砲、すぐ殴る、それがアメリカです。これは反省の意思表示などではなく、兵糧攻めなのです。

沖縄経済における米軍基地依存度は、およそ7%とされ、沖縄の民間住宅投資とほぼ同率とされています。2004年の沖縄県企画部の調査によれば軍用地料869億円、米軍雇用者所得540億円、米軍人・軍属らの消費支出523億円であり、これらが県民総所得の5.2%を占めます。加えて基地周辺整備事業や自体への交付金まで含めると約7%となりますが、現在の景気後退局面を考えると、基地依存度はより高まっていることが予想されます。

このうち米軍人・軍属らの消費支出は沖縄経済の2%未満ですが、これが数多くの飲食店・小売店によって担われていることを考えると、意外と多くの人たちに関わるものであると考えられます。おそらく、米兵相手の飲食店あたりから音を上げ始め、最終的には「もういいじゃないか」になる、というのが米軍の作戦です。これは戦争なのであり、「駐留」といえども軍事的侵攻に他なりません。「駐留」を続けるということは、軍にとっては戦い続けるということであり、常に積極的に攻勢に出ることが要請されるのです。

兵士による強姦だの殺人だのという事件は、このような措置によって解決出来る問題ではありません。実のところこれは軍隊が解決可能な問題ではないのです。なにしろ連中はいわば「犯罪者集団」なのです。とはいっても、これは別に彼らが戦闘において殺人を行なうからではありません。戦闘における殺人は犯罪ではありません。しかし彼らは犯罪者たるべく訓練されているのです。

例えば新兵は訓練過程において「徹底的に鍛え直され」ます。これは肉体的・精神的に厳しく追い詰めることによって行なわれますが、その過程で兵士は無力感を味わわされる一方で、逆に常に「強く」あることを要求されます。このようにして兵士は自己の「強さ」を強迫的に確認せざるをえません。戦闘においてはこれが勇敢さとなって表れるのですが、戦闘をしていないときは彼らはどうすれば良いのでしょうか。誰かに対して自分の「強さ」を誇示することがどうしても必要です。無力感に負けて狂気に落ち込まないために、それは是が非でも必要なのですから、時々そこらの猿どもを殺したり犯したりしなければなりません。

それがか弱い少女であれば、彼の「強さ」には多少キズがつくといえるでしょう。あたかも今回の事件の容疑者は、被害者少女を「成人だと思った」と供述しているとのことです。しかしいくら米兵でも、成人女性であれば強姦しても罪に問われない国があると思っているわけではないでしょう。彼が言うのは被害者は成人に見える、ほとんど大人だ、すくなくともカラダはもう大人だぜ、ということであり、どうか俺を立派な大人の女を強姦したものとして認めてくれ、ということに他なりません。全く軍人の鑑と言うべき、骨の髄まで哀れな軍人であります。

このように悪いことをするために存在するのが兵隊さんですが、彼が「正しい」のは戦闘で人を殺しているときだけです。もっとも、戦闘での殺人だって殺人に他なりませんから、これは良くないことなのではないでしょうか。人を殺してはいけないはずです。素朴な倫理観からはそう思わざるをえません。餓鬼が「何故人を殺してはいけないのか」などと生意気な質問をした場合には頭をひっぱたいて良いそうです。しかし戦争の場合は殺人の罪には問われないのです。それに死刑という刑罰まで存在していて、毎年当たり前のように実施されています。これは不思議なことではないでしょうか。

大きな誤解の元になっているのが、殺人罪において保護される法益が「人の生命」である、と説明される点です。しかしながら殺人が許される、というよりはむしろ命令されるいくつかの場合を考えると、この解釈には問題があります。殺人を命ずることが出来るのは国家に限られていることから、これは国家の統治権に関わるものでしょう。人が勝手に他人を殺すことは国家の統治権の侵害に当たります。したがって殺人は内乱や外患誘致などと共に国家的法益に対する罪の中に含まれるはずです。

死刑が存続している国家はもちろん、軍隊を保持する全ての国家は国民の生殺与奪の権を保留しています。生意気な餓鬼には「人の命は国のものである、と国が決めているから」と答えるのが多少正確を期した回答ではないでしょうか。僕たちの命は国家の気が変わるまでの風前の灯であり、自分がたまたま生きているのは国家が殺すのを面倒くさがっているか、単に殺し忘れているだけなのかもしれない、と考えると人命の尊厳もあってなきが如しですが、僕たちはそのことをいつも忘れてしまいます。そしてさかんに「人命」を「尊重」してみたりするのですが、国の認めない「殺人」を口を極めて罵るかと思えば、国家から誰かに対する殺害命令が下されれば、適当な理由さえついていれば、歓呼してこれを迎えるというわけです。だから同じ米兵がイラクあたりで誰を強姦しても全然オッケーですし、米軍自身も22日にはその件についても特に「反省」はしません。てゆうかだいたいにおいて「反省」ということをしないようですが。
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2008年02月19日

倒錯行為展覧会

あんまり米兵が悪いことをするので漁船をまっ二つにしてみましたが、僕としてはそんなことには惑わされずにセックスなどの話しをしようというところです。ところで「性犯罪」は「性」に関わる犯罪とされていますが、その中には様々なものが含まれております。女性にとって食物が「甘いもの」と「それ以外のもの」に分かれるように、警察庁によると「性犯罪」は「暴力的性犯罪」と「それ以外の性犯罪」という二つに分類され、それぞれに含まれる代表的な犯罪は以下のようです。

暴力的性犯罪

強姦
刑法第177条
暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

「性犯罪」の王者、強姦。この罪において侵害される法益は、現在では個人の性的自由だということになっていますが、アヤシイものです。裁判などでは被害者の「性的自由」の度合いが話題になることが多いようで、「性的自由」などを保護する気などはなっからないという人が法曹界にも沢山います。「姦淫」とは女性の性器に男性の性器を挿入すること。したがってアナルセックスや器具を使用した場合は強姦ではありません。口に突っ込んでも同様ですが、喰いちぎられるに決まっています。また、たとえ合意の上であっても女性が13歳未満の場合は強姦罪を適用されます。

強制わいせつ
刑法第176条 
13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

というわけで、無理矢理アナルセックスをすると、なぜかこっちになります。これは、元は強姦罪における保護法益は父親や夫の女性のオマンコへの所有権だったのですが、旧刑法制定当時にアナルセックスが一般的ではなかったせい、ではなくてアナルセックスでは妊娠しないために罪が軽くなったものです。オマンコ所有権とは子孫に対する権利であり、血統の保持、家族の重視なのです。一方で女性の身体への侵襲においては、むしろアナルセックスの方が程度が激しいようですから、合意の上で行うときもよく注意することが肝心です。合意の上でも13歳未満はダメだそうです。「わいせつな行為」というのは「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する行為。」なんだそうですが、いったい誰の性欲を興奮させているのやら、なんだかわかりませんが、保護法益は「普通人の正常な性的羞恥心」もしくは「善良な性的道義観念」という社会的法益のようです。これも最近では違うことを言うようですが、あてにしない方が良いでしょう。

強盗強姦
刑法第241条 
強盗が女子を強姦したときは、無期又は7年以上の懲役に処する。よって女子を死亡させたときは、死刑又は無期懲役に処する。

強盗が現場で強姦もするもの。こういう事をする人がいるらしい、ということは強盗者の側においても女性を所有物と見て、強盗のついでに頂いてしまうという意識があるようです。困ったもんですが、この論理を突き詰めると強姦は「財産罪」として強盗に準じるものとなり、強姦罪設定当時の法思想に合致します。したがって強盗強姦は法的に「正しい」行為です。

集団強姦
刑法第178条の2 
2人以上の者が現場において共同して第177条又は前条第2項の罪を犯したときは、4年以上の有期懲役に処する。

早稲田大学においてこの問題を研究した有志集団スーパーフリーの功績により2004年の改正で追加されました。俗に「輪姦」とか「まわし」とか。みんなでやれば罪が重い。なお、第178条は準強制わいせつ及び準強姦であって、「人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心身を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて」事を行った場合です。

営利目的等略取及び誘拐
刑法第225条 
営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、1年以上10年以下の懲役に処する。

とくに「わいせつ」の目的ものが「性犯罪」とされます。「略取」では強制的手段を、「誘拐」においては偽計等を用いて、相手方の意に反して従前の生活環境から引き離し、自己又は誰か他の人の支配下に置くことであり、まだイヤラシいことをしていなくても「わいせつ」目的だと「性犯罪」です。「結婚」目的だと違うようですが、どうせやることは一緒だと思います。

それ以外の性犯罪

窃盗
刑法第235条 
他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

盗むものによっては「性犯罪」ということになります。下着ドロとか。下着の他に靴、ハンカチーフ、毛皮のコート、パンティストッキング、体操服、紅白帽、スクール水着(使用済みのもの)、箸(もちろん使用済みのもの)、爪楊枝(これについては使用済みのものを「財物」とみなすかどうか争いがある)、歯ブラシ(使用済みで、かつ洗浄していないものがのぞましい)などの「財物」が狙われます。

公然わいせつ
刑法第174条 
公然とわいせつな行為をした者は、6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

合意の上での「わいせつ行為」も、「公然」と行われるならばこれに該当します。「公然」とは「不特定かつ多数」を対象とすることのようです。駅の待合室のようなところとか、公衆トイレで行なうとヤバい。そういえば里谷多英さんが六本木の不良外人にボコられたあげく「VIPルームでセックスしてた」と根も葉もないことを言われてあわや「公然わいせつ」に問われるか、という事件がありましたが、特定の客しか入れない「VIPルーム」も「公然」になるのでしょうか。このところ不調のようですが、頑張ってもらいたいものです。別にファンじゃないですけど。てゆうか「モーグル」って何だっけ?

児童買春等
児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律第2条 
この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
2 この法律において「児童買春」とは、次の各号に掲げる者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等(性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいう。以下同じ。)をすることをいう。 
 一 児童
 二 児童に対する性交等の周旋をした者
 三 児童の保護者(親権を行う者、後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)又は児童をその支配下に置いている者
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
 一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
 二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
 三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの

この法律は売春もしくは「児童ポルノ」制作のために「児童」を使役する成人を取り締まり、もって児童の権利を保護することを目的としています。元来問題になっていたのは要するに労働問題であり、ここでは「児童」は「業界」において最終的に末端で搾取される労働者です。このような奴隷的労働を排除するため、業務そのものを非合法化し、客として相手方となった者も罰することになっているなど、労働関連法令の中では最も厳しい規定をもちます。マクドナルドの客を罰する法律がまだ存在しないのは残念なことです。もっともそういうことをすると食べられるものが何もなくなってしまうという話しもありますが。一方、この法律を曲解して「児童」をも処罰しようという意見がありますが、これは法の本旨を忘れた倒錯した議論であるばかりではなく、警察の捜査が処罰対象であり得る「児童」の所で事実上終わってしまうことから、その背後に存在する成人を見逃そうとするものでしょう。そういうことを言う人は「準構成員」である可能性があります。また、この法律に抵触する者は全員「性犯罪者」ですが、当然のことながら「業者」側と「客」側では動機等の点で大きく異なるものです。

淫行(各地方自治体の青少年保護育成条例)
18歳未満の男女との性行為のうち上記に当てはまらないもの、すなわち合意の上での普通のセックス。ここで問題になるのは強姦及び強制わいせつにおいて13歳未満の者が対象となった場合は合意があっても罪が成立するのでした。ここで13歳が性交同意年齢とされているわけで、18歳未満までを取り締まりの対象とするこの条例との矛盾が気になるところです。また、婚姻年齢は女子では16歳であり、婚姻には婚姻意志が必要なんだそうですから、これには性交に関する同意も含まれるものと解されますので、ここら辺にも不都合があります。仮に条例によって事実上性交同意年齢を引き上げる必要が生じているとすれば、それは教育の不備によるものでしょう。日本ではきちんとした性教育及び権利教育がほとんど行われていません。このような現状では性交同意年齢は70歳くらいに引き上げる必要があります。日本人が結婚やオマンコしなくなっても他所の国の人は困りませんから大丈夫です。

のぞき
軽犯罪法第1条第23号 
正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者

山形県の地名。奥羽本線の駅名。「乃位」と書く。昔山伏は断崖から宙づりになって崖の横穴を覗く修行に励んだといいます。彼らの中から京に上って高位を得た者が出たことから、覗きの行は高い「位」に「及」ぶとされ、この地名となりました。もっともこれは山伏に限りますので、良い子のみんなは真似しないように。元国鉄職員であった三遊亭圓歌がネタにしていました。彼は後に出家しますが、「覗きの行」を修めたかどうかは知りません。有名な修行者には歌人・劇作家等の寺山修司さんなどがいます。覗視行為は下谷電話交換局長の妻の強姦殺人犯とされる出っ歯の亀吉が嚆矢とされていますが、彼は冤罪であり、しかも出っ歯ではなかったという説もあり、奇々怪々であります。

ストーカー行為
ストーカー行為等の規制等に関する法律第2条 
この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
 一 つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
 二 その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
 三 面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること。
 四 著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
 五 電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
 六 汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
 七 その名誉を害する事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
 八 その性的羞恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと。
2 この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、つきまとい等(前項第一号から第四号までに掲げる行為については、身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限る。)を反復してすることをいう。

従来、このような行為は軽犯罪法第1条第28号などで取り締まりの対象となっていたところ、埼玉県警上尾署ではこれを殺人事件にまで発展せしめ、同法の成立に至りました。一号から四号くらいまでのところは恋愛熱心な人はよくやるようですが、いくら限定がついているといっても曖昧ですからよく注意しましょう。「脈」があるかどうかを早期に見分けるのがポイントですが、あまり見切りが早すぎると相手側が逆にストーカーと化す場合もあります。そうなっても困らないように、やはり自分の好みにあった相手を慎重に選ぶことが大切です。手当たり次第、とか挨拶代わりに、などということはいけません。

このように、代表的なものだけを見ても「性犯罪」の世界は多彩であり、まさに百花繚乱の感があります。強姦や強制わいせつは性欲を満たすという動機の他、相手を暴力的に支配する欲望が関わっており、その点で傷害罪等に近いものである一方、下着ドロの類いはそれとは全く別の人格傾向が連想されます。しかし集団強姦は集団でホームレスを殺害するような行為により近いような気がしますし、「児童」に売春を強制する成人には性的な動機はあまり見当たらないかもしれません。その「客」は本当は買ったりせずに仲良く「淫行」がしたいのかもしれないのですが、しかしその「淫行」に至ってはほとんど侵害される法益というものが想像出来ません。ギンギンでビンビンに怒張しまくった社会的法益というものが想定可能ですが、社会的法益の個人的法益への侵害が強すぎ、痛くて仕方がないようです。合意による性行為であっても相手の意志に反して過大なブツを強いて挿入して怪我をさせると傷害罪です。

法務省では「性犯罪者処遇プログラム」を立ち上げて、精神医学や心理学、犯罪学の知見から、主として認知行動療法による「性犯罪者」の矯正および再犯防止に取り組んでいるのはまあ、心がけとしては良いようなものですが、上記のような多種多彩にわたる「性犯罪者」を密度の違いを設けるとしても基本的に同一のプログラムで扱うのはなんだかヘンなように思えます。幼女を強姦する人と公園でセックスしちゃった人と女子中学生をさらって来て売春させる人と17歳の恋人がいる20歳の人を同じに扱うのは適当ではないのではないでしょうか。プログラムでは「罪名にかかわらず,性的な動機に基づいた事件を行った者」を対象としていますが、対象者の「再犯の抑止」を目標とした矯正や社会再適応ための心理学的なオペレーションが行われなければならないことを考えると、むしろ「性犯罪」というカテゴリーでくくることは有害無益でしょう。それは様々な「犯罪」のうち性的な要素を持つものを興味本位に集めたものでしかありません。むしろ全ての「犯罪者」のためのプログラムが、その心理的、かつ社会的な背景に応じてきめ細かく設定される必要があるでしょう。

「心理操作」というと、なんだか「ルドヴィコ療法」みたいに思うかもしれませんし、もしかすると似たようなものなのかもしれませんが、「犯罪の恐怖」をやみくもに「体感」してしまっている人々は賛意を惜しまないことでしょう。ほとんどの「犯罪者」がやがて再び社会に出て来るんですから、単に苦痛を与えて心理的に悪影響を与えておいてから放り出すよりもましというものです。まあ「犯罪者」は何でもかんでも一生隔離しろ、とか全員死刑だ、というような言辞を弄するなら別ですが。もしかすると最終的に「全ての犯罪は性犯罪である」という驚くべき発見がなされるかも知れませんが、そうなってしまえば、それはそれで仕方ありません。そうなったら「性行為とは別の手段をもってする夫婦喧嘩である」とでも嘯いて派手に殴り合いましょう。
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2008年02月15日

命知らずの世捨て人とならず者の荒くれ男女の国

女の子に声をかけて、どうも巧くいったしめしめと思ったらヤクザがやって来た、あるいはとんでもなく高いものを買わされた、などという目に遭うと、てゆうかそういう目にしか遭ったことがないと、せっかくの女の子の好意も何かウラがあるんじゃないかなどと勘ぐってしまい、結局嫌われたりして、ますますひねくれていくもんですが、しかしバイクに乗って走っている人に対して「ハニートラップ」って、ずいぶん難しそうですね。それに下手すると殺されるかもしれんわけですから、これは決死隊です。「ハニートラップ」に使えるような女の子だったらもっと大事に使うべきであり、今回の少女暴行事件がそのようなミッションだったとすれば、効果に比べてリスクが大きすぎます。今回は殺されなかったから良いようなものの、作戦責任者はしかるべく処分されることでしょう。やっぱニートのトラップは浅いわ。

被害者が中学生だったので、沖縄では14日に緊急校長会が開かれているようですが、「再発防止」ったって、相手に全面的に責任があることだけに校長さんが話し合っても難しいんですねこれが。校長が強姦するわけではないので。する人もいますが。ちなみに、街で知らない人に声をかけて仲良くする、ただしお互いに善良な人がそうするように相手に対して行動するってのは、ひねくれた人が想像出来ないくらい普通のことであって、声をかけられた女の子は米兵が善良に行動することを予期する権利があります。つまりムリヤリおまんこしないってことですが、そういうことを期待するのは当然のことなので、女の子に落ち度はありません。ただし強姦ってのは暗数が多い犯罪ですし、相手が兵士である場合は特殊な心がけが必要になるのかもしれません。

例えば、「沖縄タイムス」によれば恩納村立安富祖中学校の與那覇清徳校長は「米兵がどういった存在なのかも小学生から教える必要があるのではないか」と言っています。じゃあ「米兵」がどういった存在なのか、おじさんがよ〜っく教えてあげるから静かな所へ行こうね。

「米兵」はまず「兵士」の一種です。兵士には特殊な問題があって、連中には責任感がありません。こう言うと意外かもしれませんが、彼らは独特の社会の中で集団的規律の中で生きていて、社会とは切り離されています。彼らの社会は軍隊の中に限られており、その責任は軍隊に対してのみ負われます。軍のためなら死をも厭わない「命知らず」である兵士は、人為的に構成された「世捨て人」であり、それは軍隊外から見れば「ならず者」の集団に他なりませんが、軍隊外の社会に対しては彼ら自身を上位に位置するものと考えていて、「良い兵隊さん」は軍隊外の人々に対して犬や馬に対するような憐れみの心で接するものとされていますが、要するにそれを「地方」などと呼んで蔑視するものであり、仮に殺してしまってもともに戦う軍用馬や軍用犬の死に比べて重大な事だとは思わないようになっています。

「米兵」の場合は、それに加えて人種的な偏見を持っていることがありますから、日本人などは人間の数どころか動物の数にも入っていない可能性があります。したがって「米兵」諸君は日本の女子と仲良くしたかったら、まず除隊してアメリカの社会で生活して更生し、真人間に立ち返る必要があります。その上で日本での生活を通じて人種的偏見を取り除くことが出来れば、合意の上でちゃんとオマンコすることも夢ではありません。

このような兵士の心理は軍隊での訓練によって身につけていくものとされていますが、特に訓練をしなくても社会の中で支配的な立場に身をおくことで簡単に身につけることが出来るという説もあります。例えばスタンフォード監獄実験では無作為に選ばれた「看守」と「囚人」の間で、早くも2日目には決定的な対立が生まれています。「看守」は1時間ごとに整列点呼を行い、「態度の悪い囚人」に体罰を加えたほか、衰弱した「囚人」の実験からの離脱を妨害し、夜間にはまるで日本の検察のように「監視カメラを切って」、「囚人」を虐待し、恐怖による支配を通じて「囚人」の口から見学者等に実験の実情が漏れることを防止しました。

この「実験」の結果は、なにしろ追試が行われませんので一般化しにくいような気がしますが、「権力」を与えられた人間は「暴走」するものであり、しかもそれはその人の普段の「性格」とはあまり関係がないこと、むしろ社会の中での「役割」が行動を過激に変容させることを示唆しているといわれています。むしろ「追試」などよりも、上下関係のある様々な組織の内部でこのようなことは身近に観察出来るものですから、あなたも心理学者になったつもりで周りを観察してみれば、リストラ寸前の万年平社員生活にも潤いがでるというものです。

これが「テロリスト」と「人質」の実験であれば、それは「ストックホルム症候群」の実験となります。スタンフォード実験との違いは、外部に警察という権力が「歯止め」として存在することによって「テロリスト」の行動に抑制が生じるとともに「テロリスト」と「人質」が対警察において利害を共有することにあるとされています。一方で歯止めのない権力はこのような行動変容を招くのであり、そのような危険な組織が最近増加傾向にあることについて、警察庁が注意を喚起しています。

防犯ボランティア3万7000団体=1.2倍、住民パトは2万台−警察庁

 住民の防犯ボランティアは昨年末現在3万7774団体で、前年同期比1.2倍となったことが14日、警察庁のまとめで分かった。同庁は「防犯活動への関心の高まりが背景にある。活動を継続できるよう支援していきたい」としている。
 団体の構成員は1.2倍の234万2279人。通学路での子供の保護・誘導をしている団体が8割近くを占め、活動日数は月平均「2−9日」が37.1%、「20−29日」が29.9%だった。
 都道府県別では、埼玉が4390団体で最も多く、東京が3526団体、兵庫が2319団体など。
 一方、青色回転灯を装備した自主防犯パトロール車は1.6倍の2万527台。静岡が最多の2140台で、北海道1762台、愛知1664台となっている。

2008年2月14日 時事


このような団体のうち、特に危険性が高いとされたものは警察庁の指定を受けており、以下のサイトで詳細を知ることが出来ますので、地域の安全のためにご近所の状況を確認しておいた方がいいでしょう。

警察庁自主防犯ボランティア活動支援サイト
http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki55/index.html

さて現在、このような団体は37,774あり、構成員は234,2279人とされています。ともに1年で1.2倍に増加するという嘆かわしい状況です。ちなみに1団体あたりの平均構成員数は62人であり、小隊(プラトーン)程度の規模を持ちます。人口比は1.83%、すなわちおよそ50人に1人が危険な団体に加入しており、19世帯に1人の危険人物が存在する計算になります。

半数以上(52.96%)が町内会や自治会で作られたものであり、学校の保護者をもって構成されているものが5,866団体であって15.53%になります。学区と町内会は重なる部分が多いと思われますので、「地域」単位での団体が3分の2以上を占めると考えることが出来ます。当該地域の一般住民の安全が懸念されます。また、「通学路での子どもの保護・誘導」を行っているものが実に76%にのぼっており、子どもたちの安全を考える時に慄然とせざるをえない状況です。これは杞憂ではなく、実際にとんでもない事件が発生しています。

「宮城県のNPOやNGOからの子育てに関するイベント情報、子どもの安全情報、子どもの食と暮らしの安全情報などを集めて発信していきます。」という「仙台YMCAコミュニティサポートネットワーク子育て情報」
http://blog.livedoor.jp/sendaiymca3/archives/2007-10.html
では、単に

2007年10月25日
女子児童に対する強制わいせつ被疑者の逮捕について!
『女子児童に対する強制わいせつ被疑者の逮捕について!』
10月18日(木)午後3時30分ころ、仙台市太白区内において、男が、女子児童の体を触るわいせつ事案が発生しましたが、この男については、10月19日(金)に逮捕しました。
【御協力ありがとうございました。】
<みやぎ Security メール>


と紹介されている「事案」ですが、実はこの「男」が、ただの「男」ではなかったのでした。

仙台市から委嘱された防犯巡視員が12歳小6女児に強制わいせつ
巡視員が女児にいたずら 制服姿で下校時狙う 仙台

 子どもの見守り活動に向かう途中で女子児童にいたずらしたとして、仙台南署は19日、強制わいせつの疑いで、仙台市太白区四郎丸、市委嘱の学校ボランティア防犯巡視員で無職相沢新太郎容疑者(66)を逮捕した。
 調べでは、相沢容疑者は18日午後3時半ごろ、太白区内で下校途中の小学6年女児(12)に声を掛け、人目につきにくいアパート敷地に誘って体を触るなどした疑い。容疑を認めているという。
 ボランティアの制服になっている黄色のジャンパーを着用。名札も着けて軽乗用車を運転しながら女児に近づいた。逃げ帰った女児が母親に相談し、両親が18日夜、同署に被害届を出した。
 仙台市教委などによると、相沢容疑者は市が学校ボランティア防犯巡視員制度を始めた2005年度から委嘱を受け、週2回、登下校時の巡視に当たっていた。活動熱心で、子どもたちにも人気があったという。
 女児の通う小学校のPTAは今年4月、児童生徒の健全育成に長年貢献したとして、相沢容疑者に会長名の感謝状を贈っていた。
 PTA会長は「20年ほど前から、地元中学校の健全育成活動のリーダー的存在で、非行少年の更生に熱心だったと聞いていた」と話す一方、「保護者の中には『子どもにべたべたしすぎでは』と指摘する声もあった。(犯行が)事実とすれば許せない」と怒りをあらわにした。

2007年10月20日 河北新報


この「男」、なんと66歳の爺さんだったのです。しかしこの「学校ボランティア防犯巡視員」は、かねてより保護者から「子どもにべたべたしすぎでは」という声があったのでした。そういう場合には、当の餓鬼共は「キモイ爺さん」などと遠慮会釈のない意見を頻繁に親に述べていたりしていると想定されます。そんな「声」はしかし、この「学校ボランティア防犯巡視員」が「健全育成活動のリーダー的存在」であることにかき消されてしまうのでした。よくある話しです。彼には心理的な権力としての「権威」があり、それをかさに着て「黄色のジャンパー」を着る権利を手にします。そして「黄色のジャンパー」を着ることは、とりわけ「善良」な行動をすることを予期させることによって「信頼」を勝ち得ることになります。しかし権力関係の中での下位の者から上位の者への「信頼」は、上位の者にとっては「なにをやってもいい」になってしまいがちです。で、やっちまったわけです。

これはほんの一例に過ぎませんが、先の「仙台YMCA」に明らかなように、身内のやらかしたことには甘いというのが人情です。そして恐ろしいことに警察庁も、「活動を継続できるよう支援していきたい」ということですかから、「防犯ボランティア」の連中がなにをやっていることか、わかったものではありません。統計には出ませんし、そこには歯止めとなるべき外部の「力」など存在しません。法もあってなきが如しであり、警察や自衛隊を律する法律も適用されず、公務員としての責務も負っていません。そして彼らの「犯罪」を隠蔽する動機が警察庁にはあるのです。「防犯ボランティア」は、あたかも日本における「米兵」のような「地位」を獲得していますが、在日米軍約5万人に対して、日本には約5倍の「無法者」が存在するのです。危険という他ありませんが、一方これに自衛隊約24万人と警察官約25万人を加えても合計約72万人の「荒くれ男女」がいるわけですが、成人人口の0.7%くらいのもんなんですねこれが。
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2008年02月13日

「半キチ」勢力が叫ぶいかがわしさ

「しつけ」勢力が叫ぶいかがわしさ

 また、なんともやりきれない事件が起きた。産経の花岡信昭による少女暴行幇助事件だ。
 関係当局は事件を徹底的に調べ、糾弾すべきは糾弾してほしい。当然ながら、この編集委員は厳罰に処せられるだろう。日本の全ての女性に一生背負わなくてはならないキズを負わようというのだから、しかもカタカナで「キズ」って書くとなんだか「キス」みたいで軽くてしょうがない。
 以上のことを踏まえたうえで、あえて書かなくてはならない。平成7年の少女暴行事件の再来として、現地では受け取られている。それは感情論としては分かるのだが、花岡は沖縄に住んでいるわけではないのでそんな「感情」は知ったことではない。そのくせ「この事件を政治闘争の具にするというのでは、被害少女への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい」などとうそぶくのは、なんともいかがわしさがにおう。
 「基地との共存共栄以外に沖縄がたどるべき道はない」と声高に叫ぶのは言論の自由なのだろうが、これは花岡ひとりの考えであるから、地元の首長や議員たちがそのことを百も承知しているかどうかは保障の限りではない。彼がからだを張って現地で聞いてきたのかどうかはわからないが、むしろ女の子にからだを張らせるつもりであるようだ。
 「住民自決に軍命令はなかった」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。
 「半キチ」勢力の情緒的反応は、例えば今回のような事件と通常の誘拐事件や暴行事件とを区別することが出来ない。「知らない人についていってはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。しかしこれは一般的な誘拐事件について言われたもののはずだ。そこに基地はあったのだろうか。
 一方で米軍基地が集結する沖縄である。夜の繁華街で米兵から声をかけられ、バイクに乗ってしまう無防備さを指摘する花岡本人が、図らずも米兵が全員危険な強姦魔であることを指摘してしまう無防備さ。そんな野蛮極まる米兵は今日も野放しである。ほくそ笑むのは誰か。そこを抜きにして、「基本的な「しつけ」」の問題にしてしまうのは、いくら日本教育再生機構だとはいううものの、無理やり、という以外にない。これではまるで銃乱射事件で弾に当たった方が悪いと言うようなものだ。とんだ「安全保障」もあったものである。


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm
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2008年02月12日

G.I.ジョー対武装体少女

米兵暴行事件、外務次官が臨時代理大使に抗議…副大臣を沖縄へ

 政府は12日、沖縄県での米海兵隊員による女子中学生暴行事件を受け、小野寺五典外務副大臣を13日に沖縄へ派遣し、事件の再発防止に向け、県や米軍関係者らと協議させることを決めた。
 また、藪中三十二外務次官は12日午後、外務省に在京米大使館のドノバン次席公使を呼び、「米軍人がこうした事件で逮捕されたことは極めて遺憾だ。綱紀粛正と再発防止への取り組みを求める」と抗議した。
 ドノバン氏は「非常に嘆かわしい。我々も深刻に受け止めている」と陳謝。米政府が日本の捜査に全面協力する考えを伝えた。
 これに関連し、町村官房長官は同日の記者会見で、在日米軍の法的地位を定めた日米地位協定について、「(今回の事件で)ただちに協定改正に話がいくことにはならないと思う」と述べた。

2008年2月12日 読売新聞


事実関係は不明ですが、報道によれば、容疑者はバイクに乗って10日の午後8時半ごろに女子中学生等3人に声をかけて「自宅に送ってあげる」といったところ被害にあった女子中学生が応じたのでバイクに乗せて容疑者の「自宅」へ行き、自分の車に乗せて車中で暴行に及んだと。被害者の友人が10時前に被害者の携帯に電話したところ「助けて」と言っているので警察に通報、10時45分ごろに「今、逃げてきた」との連絡があったので警察が被害者を保護したということになっています。

やっぱり女の子を悪くいう人がいるようです。これはこの種の事件では決まって出て来るんですが、そういう人は社会生活が概ね無防備な相互信頼で成り立ってるのを知りません。まあ、生き馬の目を抜くんだとかいうビジネス界のことは別としまして、だいたいそんなに悪い人はいない、という前提で人は動いてます。むしろそのような信頼を裏切る方がオカシイんですね。そうじゃなきゃ人に道を聞くことも出来ません。

そんな人がいい歳をして未だに童貞だったとしてもそれは頷ける話しで、何か酷いことが我が身に降り掛かるかもしれない、なんて心配しながらパンツ脱いだってチンポ立ちませんよね。むしろ脱がない方が安心ですから、立つんじゃないのか。しかしイザ!となると無防備な姿にならなきゃいけませんから、ダメになる。これじゃ他人事ながら気の毒です。

もちろん「犯罪」は社会の中での「加害者」と「被害者」の相互関係の中で発生することは確かでありますが、「被害者」の「責任」を過度に強調するのであれば、例えば家の玄関を開けたらもう、入ってきたヤツに殺されても文句言えないということですね。むしろ「被害者」の責任であると。これはこれで面白い意見だと思いますが、現実に発生した犯罪事案においてそのような勇気あるご意見がほとんど聞かれないのは残念でなりません。

それはともかくとして、「事件」の発生、というか警察が被害者を保護したとされる時点が10日の23時前という、これは岩国市長選の当確が発表されるちょっと前です。そして「事件」の発表は日付変わって2月11日であり、この日は祝日であって夕刊は休みです。もしこの「事件」が1日早かったら、岩国市長選に無視出来ない影響を及ぼさざるをえない。そう考えるとこの「強姦事件」は、日米相互の信頼に基づいて極めて良いタイミングで「発生」しているともいえるでしょう。

そういうわけで、政府の人なんかがここぞとばかりに「遺憾の意」を表したり抗議したりするわけですが、「発生」してしまった事犯に文句を付けるのは誰にでも出来ることです。もちろん相手がアメリカであればちょっとは言いにくいんだとか、逆に言いやすいんだとか、そういうことがあるかもしれませんが、こういうことが起こらないようにするためのアクションをしないための口先だけの「抗議」であり、相手方も了承済みでおたがいに「嘆き」あうというヤラセのようなものです。これは例えば、岩国市の福田新市長などに比べればお気楽の感は否めないものがあります。

なにしろ福田さんは岩国市の女子中学生諸君をこのような危険にさらすことを公約として当選しているわけで、岩国市としては今後このような事件がイヤというほど発生することになっております。これは福田さんとしては予想の範囲内であるかもしれませんが、そうも言っていられますまい。福田さんとしては岩国市の女子中学生ならびに女子高生、女子大生に人妻、それだけでなく婆さんからとりわけ女子小学生まで、アメリカ兵の魔の手から守る責任があるということになります。

そこで例えば全女性への貞操帯の配布などの措置が至急とられなければなりません。かつては女性のセクシャリティへの抑圧の象徴であった貞操帯も、その鍵を当の女性に委ねることによって女性の性的自由の拡大に大いに寄与するものとなり得ます。その際、鍵が一般的な「キー」であれば、これを奪われる心配がありますが、現代のテクノロジーはその点をも解決することでしょう。例えば各々の女性の音声をキーとして解錠する仕組みなどは容易であります。このとき所定のパスワードを発声することになりますが、これが舌がもつれて言い難いものであったり、忘れてしまうようなものであっては困ります。あくまで言いやすく、また、失念することのないようにその場に相応しいものであることが要求されるでしょう。

一方で、いちいち「入れて」とか「オメコして」などと言うのは面倒だという女性のために、ほかの様々な手段が考案されるべきです。しかし乳房や片腕や片脚を切除してマシンガンを移植するなどは女子中学生のQOLを著しく低下させるものとしてお奨め出来ません。ご飯を食べるのに不便なのは言うまでもありませんし、偏った加重をかけることは成長期の皆さんに有害な結果をもたらすでしょう。

より相応しい方法として、たとえば女性器への歯牙移植なども負担なく行われる必要があります。また、硫酸を噴き出す潮吹き機構も一考の価値があると思われますし、子宮内に常駐して強姦魔の性器をつかんで現行犯逮捕する胎児警察官の配備など、やらなければならない仕事は沢山あります。これらの技術はまだまだ開発の途にすらついていないものも含まれており、開発と施術には予算がいくらあっても足りません。幸いにして政府は不当に凍結していた補助金の凍結解除の検討に入りましたが、それで足りるかどうか、若干の懸念を禁じることが出来ないもの事実です。なにしろ女性の他にも、男の子のお尻を守る手だてをも講じる必要があるのです。
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2008年02月09日

「一般」に関する常識を一般公開

卒業式で起立・斉唱せず、再雇用拒否で都に賠償命令判決

 都立高校の卒業式などで国旗に向かって起立し、国歌を斉唱しなかったことを理由に、定年後の再雇用を拒否されたのは違法だとして、元教職員ら13人が、都に損害賠償を求めた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。
 中西茂裁判長は「職務命令に従わなかっただけで再雇用しなかったのは、合理性や社会的相当性を著しく欠く」と述べ、原告1人あたり約210万円の賠償を都に命じた。一方、起立・斉唱を命じた校長の職務命令自体は合憲と判断した。
 判決によると、都教委は2003年10月、卒業式などの式典で国歌斉唱時に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを義務づけ、この職務命令に従わない教職員は服務上の責任を負うという通達を出した。原告らは、職務命令に従わなかったことから、定年後の嘱託員としての再雇用で不合格とされた。
 判決は、<1>過去には起立・斉唱しなかった教職員も採用されている<2>職務命令違反は1人を除き1回にとどまる<3>定年までの勤務成績を総合的に判断した形跡がない――などの理由から、「都は職務命令違反を過大視し過ぎており、裁量を逸脱、乱用している」と結論づけた。

2008年2月7日  読売新聞


都教委の悪逆非道なやり方に再考を迫るが如しですが、職務命令は合憲だそうです。やはり中西茂さんにも生活というものがあるようで、苦労の後がしのばれる合憲判断であります。裁判官とはいえ俸給生活者でありますから、僕も同じ仲間だと思います。中西さんは、仲間として涙なしには読めないような判決を書いていますが、実際に読むと笑ってしまうのが玉にキズです。

ア 一般に、自己の思想や良心に反するということを理由として、およそ外部行為を拒否する自由が保障されるとした場合には、社会が成り立ちがたいことは明らかであり、これを承認することはできない。
 もとより、人の思想や良心は外部行為と密接な関係を有するものであり、思想や良心の核心部分を直接否定するような外部行為を強制することは、その思想や良心の核心部分を直接否定することにほかならないから、憲法19条が保障する思想及び良心の自由の侵害が問題になるし、そうでない場合でも、思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめるような配慮を欠き、必要性や合理性がないのに、思想や良心と抵触するような行為を強制するときは、憲法19条違反の問題が生じる余地があるといえるが、これらに該当しない場合には、外部行為が強制されたとしても、憲法19条違反とはならないと解される。
イ これを本件についてみると、原告らが、卒業式等の国歌斉唱時に「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱することはすべきでないとして、これを拒否することは、原告らにとっては、原告らが有する前記の歴史観ないし世界観又は信条に基づく行為であろうとはいえるが、本件職務命令は、卒業式等において国歌斉唱時に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを命じるものであって、原告らに対して、例えば、「日の丸」や「君が代」は国民主権、平等主義に反し天皇という特定個人または国家神道の象徴を賛美するものであるという考えは誤りである旨の発言を強制するなど、直接的に原告らの歴史観ないし世界観又は信条を否定する行為を命じるものではないし、また、卒業式等の儀式の場で行われる式典の進行上行われる出席者全員による起立及び斉唱であることから、前記のような歴史観ないし世界観又は信条と切り離して、不起立、不斉唱という行為には及ばないという選択をすることも可能であると考えられ、一般的には、卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為に出ることが、原告らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結びつくものということはできない。(原告らは、「国歌斉唱をしない」という信念を思想として有しているとも主張するようである。このような考えを持つこと自体が保障されることは明らかであるが、一般的には、このような考えが思想の核心部分とは解されない。)
ウ 加えて、本件職務命令が発出された当時、都立高等学校の卒業式等において、国旗である「日の丸」を壇上に掲揚したり、国家斉唱として「君が代」を斉唱することは広く実施され始めており、(前記第3、1(4)ないし(7))、また、全国の公立高等学校では、卒業式等における国旗掲揚や国歌斉唱は銃らから広く実施されているのであるから(乙10の1、12の1、16の1)、客観的にみて、卒業式等の国歌斉唱の際に「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱するという行為は、卒業式等の出席者にとって通常想定され、かつ、期待されるものということができ、一般的には、これを行う教職員等が特定の思想を有するということを外部に表明するような行為であるとすることは困難である。校長の職務命令に従ってこのような行為が行われる場合には、これを特定の思想を有することの表明であると評価することは一層困難であるといわざるを得ない。
 本件職務命令は、上記のように、高等学校における卒業式等の儀式的行事において全国的に広く行われていた国歌斉唱に際し、出席者である教職員等に国旗に向かって起立し、国歌の斉唱を命ずるものであって、原告らに対し、特定の思想を持つことを強制したり、あるいはこれを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく、児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。
エ 以上によれば、本件職務命令は、原告らの思想及び良心の核心部分を直接否定するものとは認められないが、本件職務命令が命じる国旗に向かって起立し国歌を斉唱することは、原告らの前記のような歴史観ないし世界観又は信条と緊張関係にあることは確かであり、一般的には、本件職務命令が原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定するものとはいえないにしても、原告ら自身は、本件職務命令が、原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定し、思想及び良心の核心部分を否定するものであると受け止め、国旗に向かって起立し国歌を斉唱することは、原告ら自身の思想及び良心に反するとして、不起立、不斉唱の行動をとったとも考えられる。そうだとすると、本件職務命令は、原告らの思想及び良心の自由との抵触が生じる余地がある。
 しかしながら、憲法15条2項は、「全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と定めており、地方公務員も、地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。このような地方公務員の地位の特殊性や職務の公共性にかんがみ、地方公務員法30条は、地方公務員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し、同法32条は、地方公務員がその職務を遂行するに当たって、法令等に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定しているところ、原告らは、いずれも都立高等学校の教職員等であって、法令等や上司の職務上の命令に従わなければならない立場にあり、校長から学校行事である卒業式等に関して、それぞれ本件職務命令を受けたものである。そして、国旗・国家法は、日の丸を国旗とし、君が代を国歌とする旨明確に定め、また、学校教育法43条に基づき定められた高等学校学習指導要領は「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めているところ、卒業式等に参列した教職員等が、国歌斉唱時に国旗に向かって起立して、国歌を斉唱するということは、これらに規定の趣旨にかなうものである。他方、本件職務命令は卒業式等の儀式を行うに際して発出されたものであり、このような儀式においては、出席者に対して一律の行為を求めること自体には合理性があるといえるし、前記の通り、卒業式等における国旗掲揚や国歌斉唱は、全国的には従前から広く実施されていたものである。このような諸事情も総合すると、本件職務命令には、この目的及び内容において合理性、必要性が認められるというべきである。


「一般に、自己の思想や良心に反するということを理由として、およそ外部行為を拒否する自由が保障されるとした場合には、社会が成り立ちがたいことは明らか」であるとしていますが、中西さんのいう「一般に」がそうとうアヤシイもんであることはここでも「明らか」であります。実際には、このようにして全ての「命令」がそれに従う者がいないことによって無効となることによって社会が成り立たなくなることはありません。中西さんの頭では「社会」は「命令」と「服従」によって「成り立って」いるもんだと思っているようですが、いかにも「命令」によって「服従」させることに慣れた、もっともプリンスホテルは別ですが、裁判官としての職業的な習慣によってゆがめられた社会観であるといえるでしょう。

ほとんどの場合に人は「命令」どおりの行為をするものですが、これは何も「社会」が「命令」と「服従」によって「成り立って」いるからではありません。「服従」と解釈される行為は利害関心によるものであり、「命令」が、それに従うことによる利益よりも損害の方が大きい場合には「服従」を引き出すことができません。ここにいう「利害」が単に物質的なものに止まらないことは、本件事案自体が証明するところです。「命令」は被命者の権利の制限であって、被命者がこれを受け入れるかどうかは、自身の他の権利との比較検討によって決定されます。例えば生活のために自身の信条を裏切ることを決定した場合には「服従」とされる行為が表れます。逆に「社会が成り立ちがたい」程に不服従が多数を占めるならば、それは「命令」そのものがあまりにも不当であることの結果です。

例えば戦時における徴兵など、「服従」した場合に甚大な損害を受ける可能性が極めて高い「命令」が「発出」される場合においても、大多数の人は唯々諾々と戦場に赴くわけです。しかし、これを「拒否」した場合に本人及び家族等が被る損害が輪をかけて大きいこと、戦死の可能性の過小評価、生命の喪失という極大の損害に対して「靖国神社」などの利益を供与するシステムなどによってなんとかして「同意」をとりけるのでなければ「服従」させることは出来ません。本件の場合も中西さんは「職務命令」への「服従」によって被る「思想及び良心の自由」の侵害の過小評価に躍起になっています。

これは「思想及び良心の自由」を極めて限定的に解釈することによって行われます。それによると憲法で保障されているのは「思想及び良心」の「核心部分」だけなのです。どこが「核心部分」でどこが「枝葉末節」なのか、という点も「思想」に含まれるような気がしますが、「思想の核心部分が何であるかということについての思想の自由」は中西さんに取り上げられてしまいました。中西さんが「一般的には、このような考えが思想の核心部分とは解されない。」といってしまえば済むことのようです。しかし一般的には、「一般的には」という文言は根拠のない断言をみっともなくないように修飾する作用があります。中西さんの「一般的には」も、一般的な「一般的」と同様、苦しくなると出てくる呻きのようなもんだと思って間違いないようです。

中西さんは苦しい言い訳でもって国民から「思想及び信条の自由」を大幅に奪い去ります。憲法などどこ吹く風です。もっとも中西さんだって大学くらい出ているので、一応根拠みたいなものをつぶやくことがないわけではありません。それは外部行為は「歴史観ないし世界観又は信条と切り離して」行うことが可能であるという理屈です。しかし外部行為とは無関係に頭の中で何を考えていても自由、というのは当然の話しであって、外部に表れなければ何を考えているかなんて分りっこないんですから、んなものわざわざ憲法で保障されるまでもないでしょ。しかしここで思想及び良心は外部行為と不可分のものである、なんて主張をするのは僕の役割ではありません。

僕なんかより職務命令を出す人の方がよくわかってますから。判決文の中では平成15年11月11日に、近藤指導部長が「卒業式や入学式について、まず、形から入り、形に心を入れればよい、形式的であっても、立てば一歩前進である」などと話した事実が認められています。外部行為は単なる外部行為にとどまるものではなく、「原告らの歴史観ないし世界観又は信条を否定する」ための「一歩前進」なのであり、職務命令がそのために発出されたことは判決として事実認定されています。中西さんの理屈はみずからが認定した事実と矛盾した得手勝手な屁理屈でしかなく、JRだのNTTだのといった華々しい労働事案を任される中西さんらしからぬ体たらくであると言わざるを得ません。

「本件職務命令」の正統性を本件命令主体によって構築された既成事実に求めるあたりもまるで説得力に欠けるものですが、「本件職務命令は、…原告らに対し、特定の思想を持つことを強制したり、あるいはこれを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく、児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。」という判断もアヤシイものです。やはり判決の中で平成15年10月23日に横山教育長が「教育改革は進んでいるが、日本人としてのアイデンティティーの課題が残っている」と語っていることが認められておりまして、これが「職務命令」の目的を示唆するものであることは明らかです。この場合に「日本人としてのアイデンティティー」を「特定の思想」の問題であると考える思想と、そうではないと考える思想がありますから、やっぱりこれは「特定の思想」の問題として議論の余地が大いにあるわけです。少なくとも「日の丸・君が代」と整合する「日本人としてのアイデンティティー」と、「日の丸・君が代」とは矛盾する「日本人としてのアイデンティティー」が共に想定可能であり、都教委が「日本人としてのアイデンティティー」という問題意識で「日の丸掲揚・君が代斉唱」を「命令」するのであれば、その職務命令は「特定の思想を持つことを強制したり、あるいはこれを禁止したりするもの」であり、「特定の思想の有無について告白することを強要するもの」であり、「児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するもの」とみることが出来ます。

中西さんは合憲判断を出すように期待されているはずですが、都教委の連中は都合の悪いことばかり言っています。こんな連中を庇わなければならない中西さんは大変だと思いますが、他人事なのでどうでもいいです。とにかく、憲法15条2項は、「全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と定めており、地方公務員も、地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものであることから、このような地方公務員の地位の特殊性や職務の公共性にかんがみ、地方公務員が違憲命令に従うことは公共の利益を著しく損なうものであると考えざるをえません。

中西さんの論拠は例の「一般」というシロモノですが、しかし一番困るのは、さっきから引き合いに出している「出席者」の中には「教職員」でない人も入っているということです。「卒業式等」には教職員と「児童」(法的には18歳未満の者。学校教育法ではおおむね小学生のこと。都立高校の卒業式に出席する卒業生はそのどちらにも含まれない。さすがは中西さん、何を言ってるのか全然わからないですな)のほかに「保護者」なんかもいるわけですが、中西さんは何の命令も受けているわけでもない人も含む「出席者全員」が「起立及び斉唱」をするもんだと決めつけてみたり、こっちには何の相談もなく、「出席者」が「「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱するという行為」を「想定し、かつ、期待する」ことを期待しています。公務員ですらない「一般」の出席者にも「起立及び斉唱」を暗に強制するこの判決自体なかなかブキミです。実際に戸田市では起立しない父兄はチェックして教育長の腐った臓物を喰わせるということですから、グルメな都民の皆さんも近いうちに「食務命令」が出ることが期待出来そうです。もっとも石原は喰っても不味そうなので、僕のために死ににこなくていいです。
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2008年02月07日

全ての殺人鬼は野に放たれる

殺人部屋の元親方と兄弟子がとっ捕まりましたが、相撲記者クラブ会友のナントカさんのようにこの期に及んで死に至る傷害行為を擁護するのが相撲ファンの務めというべきでしょう。僕は相撲ファンではないので、あんなことがあっても平気で興行を打つ人たちは体だけじゃなくて神経も太いものだと呆れるばかりですが、連中は総身に知恵が回りかねているだけなのかもしれません。もし仮にこの事件が裁判員制度による審理にかけられると仮定すると、構成員の過半数がそういう「相撲ファン」であれば無罪判決が出るだろうとか、「ファン」は「国技」だとか「愛国心」を持ち出して脅しをかけるのではないか、言うことをきかない人はいつの間にか自宅を突き止められて、ビール瓶と金属バットをふんどしを持った東方の三力士の訪問を受けるんじゃないか、なんて心配になるね。

初公判から判決まで「連日開廷」…東京地裁、4月から

 来年スタートする裁判員制度を前に、東京地裁は今年4月以降、殺人など対象となる全事件について、初公判から判決までを原則数日間で終わらせる「連日開廷」とする方針を固めた。
 国民が参加する裁判員裁判の約9割は連日開廷で5日以内に終えると想定されているが、同地裁は、プロの裁判官による現行刑事裁判でこれを前倒しすることで、制度の順調な滑り出しを図りたい考えだ。
 来月上旬、東京地検と東京の3弁護士会との協議会で正式提案し、協力を求める。
 裁判員裁判の対象となるのは殺人や傷害致死などの重大事件で、最高裁によると、2006年には全国で3111件、東京地裁では388件。初公判から判決までの平均審理期間は6か月だが、被告が否認している事件では1年以上かかるケースも少なくない。
 これを3〜5日で終えるため、同地裁はまず、初公判前に検察、弁護側の主張を整理して争点を絞り込む「公判前整理手続き」を全対象事件に適用する。06年にこの手続きがとられた対象事件の平均審理期間は1・3か月に短縮された。
 さらに、証拠や証人の数を減らしたり、証人尋問などを効率的に行ったりすることで、連日開廷を実現させたいとしている。
 同地裁の方針について、ある検察幹部は「全く異論はない」と、前向きの姿勢を示す。カギを握るのは弁護士側の協力だ。組織的な対応ができる検察と違い、各事件を個々に担当する弁護士にとって、連日開廷となれば、その間、他の弁護士活動が全くできなくなるなど大きな負担がかかる。
 このため、国選弁護人を複数つけたり、公判前整理手続きの進め方や開廷時期などで弁護士側に配慮したりするなど、負担軽減が図られることになりそうだ。
 同地裁の刑事裁判官は「裁判員制度が始まれば連日開廷は避けて通れない。本来、審理計画は個々の裁判官の判断に任されるが、制度がスムーズに開始できるよう、すべての刑事裁判部が連日開廷を目指すことで一致した」としている。

2008年2月7日 読売新聞


なるほど、事の性質上なるべくさっさと済ませてすっきりしたい、その後で何も悪い事はしていませんという顔で口を拭って知らん振りしたい、という気持ちは分ります。しかし5日間も連日やられたんじゃ裁判員はたまんないでしょうな。1週間仕事休まなきゃいけません。ほとんどの人は有休なんか取らせないような会社に勤めてるわけで、1週間の休みは目立ちます。これでは裁判員となっている事を勤務先の人間に知られてしまうことになります。大きな企業では内部に被告人の関係者などがいる可能性を否定しきれませんし、取引先の人も時ならぬ長期休暇に疑念を持つでしょうね。せめて曜日を決めて週に1回とかにしてもらうと負担が少ないのですし、「病院行ってる」などと言って匿名性が守りやすいと思いますが。

裁判員が、慣れない刑事裁判に何日も連続して携わることによる精神的な負担も問題でしょう。顔面を半分削ぎ落とされたグチャグチャ屍体の写真とか見なきゃいけないわけだ。そういうのになれている人も、今度は犯行の動機に関わる醜い人間関係のグチャグチャとか、被告人の被害者への恨みつらみ、その悲惨な生育歴、歪んだ人間性、被害者の耐え難い苦痛と壮絶な恐怖、エトセトラエトセトラを見聞することになるわけで、世の中にはそういうものを見ないようにして暮らしている人もいるでしょうけど、そんな人にもお呼びがかかるわけだし、基本強制ですから。裁判官は何事も法的な観点から眺めるという、時として非人間的にすら感じられるものの見方を身につけているようですが、目前でナマでぱっくり広げられるリアルな事実に負けてしまいがちな素人さんが連日そういうのに頭からドップリ浸かるということになれば、正常な判断力を失う可能性があります。被害者もしくは被告人の一方に妙に同情的になるとか、早く終わりたい一心でいい加減に事に当たるようなことが起こりえます。後になって自分の判断を後悔して自殺しても、遺書にそのことを書いてはいけないのです。

もっとも「早く終わりたい一心」は裁判所の方が強いようです。仕事なんだからもっと丁寧にやるつもりでいてもらわないと困るのですが、東京地裁の刑事部には仕事熱心な裁判官はいないようです。裁判員制度のために裁判の拙速化を図るのであれば本末転倒ですが、「連日」や「迅速」が裁判員制度の円滑な運用につながるかというと、どうもそうでもないようなのですから、何を考えてるのかよくわかりません。

とはいうものの、少なくとも被告人の利益を考えていないことだけは確かなようです。弁護士の負担増は即ち被告人の不利益につながると考えて良いでしょう。「他の弁護士活動が全くできなくなる」ということは、報酬を得る機会が減るということであって、当該裁判における弁護報酬の高額化を招くことになるでしょう。これは被告人が自らの権利を守る機会を減らすことになります。

また、連日開廷によって弁護人は新たな証拠の収集が物理的に不可能になります。これは現在でも公判前整理手続によって手続後の新証拠の採用が制限されているところですが、連日の開廷によって公判開始後は証拠の収集自体が出来なくなることによって、新たな証拠の提出は事実上全く禁止されることになります。これは強制捜査権のない弁護人にとっては圧倒的に不利な状況です。一方の検察側は強制捜査権を持ち、その結果得られた証拠のうち被告人に有利なものは隠しておきますから、後になって提出されようとする証拠は被告人に有利なものであることが多いものと思われます。

被告人は何も悪いことをしていない(と推定される)のに、こんなに酷い目に遭わなければならない謂れはありません。裁判員制度はまだスタートしていませんが、たとえ今になって裁判員制度の開始を中止ないし延期することがあっても、この制度の導入を理由とする司法制度の改悪は既に始まっており、まともな刑事裁判は行われなくなりつつあるのです。それは幼稚園児を朝青龍と喧嘩させるような残酷な見世物です。日本のまともな国民はこういう場合には朝青龍の味方をするようですから油断出来ませんが、このような制度によって行われる裁判には片っ端からひとつ残らず無罪判決を出すのが裁判員としての良識というものでしょう。5人を説得出来ればそういうことが出来るのですから、いい世の中になったものです。

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2008年02月05日

邦夫ちゃんのコレクション

コーンフレークにメタミドホス、じゃなくて一人の人がある程度期間をおいて複数の人間を殺害するのがシリアル・キラーと呼ばれます。ところで、一つの殺人と次の殺人の間にどのくらいの期間をおけば良いのでしょうか?1年に1人、あるいは1ヶ月に1人、もしくは毎日欠かさず1日1人とか。午前に1人、午後に1人というのはどうか。FBIによれば1日に4人殺すと「大量殺人」という別のカテゴリーとして扱う習いです。朝飯前に1人、昼飯までに1人、夕飯までに1人、寝る前にもう1人で4人になります。例えば代表的なシリアル・キラーであるテッド・バンディの場合は平均して1ヶ月に1人程度ですが、被害者数100人以上とも言われていますから、もしかすると週1ペースだったかもしれません。

さてそこで現在日本で進行中の事件ですが、現在までのところ58日間に6人という状況です。56日のインターバルは短いようですが、場合によってはこの程度の間隔が置かれることは稀ではありませんし、平均すれば10日に1人ですから、まずまずのペースではないでしょうか。実際には1度に3人を殺しており、これは「大量殺人」の汚名を着せられるのを避けるために、FBIの基準を守っているものと考えることが出来ます。

持田死刑囚ら3人の死刑執行、鳩山法相「慎重な検討を加えた」

 法務省は1日、自分が暴行した女性=当時(44)=が警察に通報したことを逆恨みし服役後の平成9年、刺殺した持田孝死刑囚(65)=東京拘置所=ら3人の死刑を執行した。前回の執行は昨年12月7日。
 鳩山邦夫法相は「いずれの事件も身勝手な理由で尊い命を奪った残忍な事案。慎重な検討を加えた上で執行を命令した」と述べた。
 福田内閣での執行は2回目、計6人となり、いずれも鳩山法相が執行命令書に署名した。
 持田死刑囚のほかに執行されたのは、松原正彦(63)=大阪拘置所、名古圭志(37)=福岡拘置所=の両死刑囚。
 確定判決によると、松原死刑囚は昭和63年、窃盗目的で徳島県山川町(現吉野川市)の民家に盗みに入り、帰宅した主婦を絞殺、現金2万8000円を奪った。その後、愛知県刈谷市の民家にも侵入、帰宅した主婦を絞殺し、現金約9万9000円を奪った。
 名古死刑囚は平成14年、鹿児島県伊仙町の兄の家で、兄の妻と長女の背中などを刺して失血死させるなどした。

2008年2月2日 SANSPO.COM


もっとも、定期的に殺人を行う人が全て「シリアル・キラー」というわけではありません。例えば職業的な殺し屋や政治的・宗教的な暗殺者は除外することとされています。ここでも刑務官は「シリアル・キラー」の名に値するものではないと見るべきでしょう。主体的な動機を持っていることが肝心で、頼まれて、とか命令で、というのはダメなのです。

実はこの事件、犯人が複数存在するという説もあります。12月の事件では河合伸一(最高裁)、高橋省吾(東京高裁)、浜田邦夫(最高裁)の3名の関与が強く疑われています。今回の事件でも滝井繁男(最高裁)、根岸重治(最高裁)、大原英雄(鹿児島地裁)の3名が殺害を決定したとする有力な証拠が存在します。

しかし考えてみれば、これらの者は単にある人物が殺害対象であることを示して、同時にその身柄を拘束していつでも殺せるように準備するように指示していたに止まるものとも解釈出来ます。逃げも隠れも出来ないように捕まえておいて、さあいつでもどうぞ、というだけの話しです。それだけで人が死ぬわけではありませんから、かなり気が楽ですし、実際のところ殺されないままに病死してしまったりすることもあります。そこで個々の殺害について、実際の殺害を命令する者がおり、そのものの意志によって殺害が行われ、その意志の表示がなければ殺害が行われないことから、同一人物がある程度の期間をおいて複数の人間の殺害を命じた場合に、シリアル・キラーの要件を満たすものと思われます。

現在いつでも殺していい状態に置かれている人が100人以上いて、その中からテキトーに3人くらいずつ選んで吊るしているようです。いや、テキトーかどうかは分りませんが、この選択を行うのが法務大臣ということになっています。実態がどのようなものであるかは不明ですが、「慎重な検討を加えた」と言っていますので、法務大臣は何らかの「検討」によって、あるいは殺害し、あるいは殺害しないという選択をしているわけですが、この選択について詳しい説明が行われるわけではなく、胸先三寸あるいは本当に「テキトー」である可能性も否定は出来ません。

鳩山さんは刑事訴訟法475条について語るようですが、その場合であれば死刑確定の早い順から「上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間」にある者や「心神喪失の状態」もしくは「懐胎」している状態にある者を除いて順番にやっていくのかというと、そうでもないようです。

例えば1988年の地下鉄短大生殺人事件の萬谷義幸さんなどは2001年12月6日に死刑が確定していて、持田さんや名古さんよりも先ですし、再審請求などはしていなかったはずです。また、1999年の川口バラバラ殺人の工員、横田謙二さんも同様です。刑事訴訟法の規定に従ってベルトコンベア式でやるのであれば、当然彼等が先になるものと考えられるのですが、なぜそうなっていないのか、よくわからない点であります。

ここで可能性として考えられるのは萬谷さんの場合は「人格障害」の疑いがあるということ、横田さんの場合は成人後の大半の時期を刑務所内で過ごしたことや些細な口論が原因で計画性がないことなどから一審では無期懲役の判決が出ていたこと、即ちあまり「凶悪」でないことが挙げられるかもしれません。そしてこれらについて執行命令が出されないということが鳩山さんの「検討」なのであるとすれば、鳩山さんは司法の判断に疑義を呈している可能性があります。つまりこれらの判例について死刑判決の妥当性を認めにくいと考えているのかもしれません。

同様の事例で顕著なものは帝銀事件の平沢さんであり、あまりにも濃厚な冤罪の疑いから、歴代の法務大臣が誰も執行命令書を出さなかったものです。死刑の執行に法務大臣の命令が必要とされることによって、法務大臣は司法判断に抗することがある程度可能になっているのです。ここには死刑は重大な刑罰であるからなるべく慎重に取り扱う、途中にストッパーをもうける、という立法の精神が表れています。この精神の延長線上には死刑そのものの廃止が予想されます。

もっとも鳩山さんは法務大臣の命令抜きでオートマティックに吊るしてしまえという考えですから、世論が反発する余地のあるようなヤバめのはとりあえずトバして、いかにも「悪そう」なヤツをやっつけて「あの事件の犯人が凶悪さゆえに処刑されたんだなということを、国民に理解して頂く」、即ち国民を死刑執行に馴らし、殺人を交通事故のように日常生活の一部にし、そんなことでいちいちガタガタ言わないように誘導するのが狙いでしょう。そのようになってから、萬谷さんも横田さんも、「拘置所がうるさくて死にたい」キチガイ大濱さんも、無実を叫ぶ袴田さんだって、知らないうちにひっそりと殺されてゆく予定です。

ところで鳩山さんは「日本では、命を奪うような行為に対しては厳しく対処すべきだというのが、現在の世論だと思う」とか言ってましたが、それはどこの国でもあまり変わらないと思いますが。むしろ死刑ってのは「命を奪うような行為」であり、刑事訴訟法の規定は「厳しい対処」のつもりで定められています。鳩山さんは都合のいい「世論」だけを引き合いに出しているようで、なんだか卑怯なようですが、鳩山さんだけ「世論」と違って、「命を奪うような行為に対しては無責任に対処する」らしいのですね。捕虫網とか感電とか。顔はテレンス・スタンプには似ても似つかんですが、懲りないところは同そっくりです。
posted by 珍風 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月02日

鰤谷スピ子再生会議

モーニング娘。のように忘れられかけていた「教育再生会議」の愉快な仲間たちが「社会総がかりで教育再生を―教育再生の実効性の担保のために―」とかいう最後っ屁をひって解散しようとしてます。連中が「幸せ」だったかどうかはともかく、「普通のおじさん」に戻る気は全然ないみたいで、この次はmore worseよ。

とにかく20年前のギャグはいいかげんやめにして一読、なんだか知りませんが、とにかくやたらとエラそーなのが大きな特徴です。

国民の皆様も、国や地方の行政の方々も、校長・教員はじめ学校関係者も大学関係者、保護者や地域の方々も、これらの報告をしっかり受け止めて頂き、国民一人ひとりがあらゆる場を通じて、教育再生に参画することをお願いしたいと思います。


と来たもんだ。これは単に「報告」ですから、これを「受け止める」義務は国や地方の行政の方々にも、校長・教員はじめ学校関係者にも大学関係者、保護者や地域の方々にも、誰にもありません。どう「受け止め」たものか、それは「報告」を受けた後で、少なくともこの「会議」ではない人たちが決めることなのです。

 これまで「臨時教育審議会」、「教育改革国民会議」を通じ、日本の教育制度の根幹に関る改革が提言されてきましたが、残念ながら、それらの提言は十分教育現場に反映されているとは言い難い状況にあります。
 こうした状況を踏まえ、教育再生会議では、最終報告にあたり第一次報告から第三次報告までの提言の実効性の担保を重視しています。


この「会議」の連中が「残念」に思おうとナニしようと知ったことではありません。ことによるとこの人たちは、自分らが決めたことは全て実施されるとでも思っているのでしょうか。もしそうだとすればとんだ思い違いです。多分悪い政治家に騙され、おだてられているものと思われますが、あまりにも愚かであると言わざるを得ません。ノーベル賞もときどき「更新」するようにしてはどうか。

 第一次から第三次報告が提言に終わることなく、教育再生が現実のものとなるよう、国、地方公共団体、学校等における実施状況を評価し、実効性を担保するため新たな会議を内閣に設けることが極めて重要です。


いい気なものですが、しかし、一般に政策はそれが実施されているかどうかではなく、その成果をもって評価されます。例えば学力が向上したという結果が出たとして、それがこの「会議」の「提言」によるものであると認められれば、「会議」は「良い」提言をしたことになります。もちろん同様な結果が出たとしても、必ずしもこの「提言」の効果であるとは認められない可能性もありますが、いずれにしても「実施状況を評価」するための「新たな会議」の重要性は極めて低いものと考えられます。

そんなことをして政策を硬直化させるよりは、むしろ時々に成果を評価して政策を修正する会議があった方が良いのですが、この「会議」の人々は自分らの出した結論が再び俎上に載せられるのを望まないようです。これはプライドは高いものの実力を伴わない場合に多く見受けられる態度で、はっきり言って自信がないということの表れであります。つまりこの人たちは自分らが碌でもないことを言っていることを薄々ではあれ、感じ取ってはいるわけです。さすがは資生堂、商品に自信がない時はモデルで勝負だ。

しかし魅力的なモデルの都合がつかない時には、そしてこの連中では多分都合はつかないものと思われますが、みんなを巻き込んでしまうのが一番です。「社会総がかり」などと言ってみんな仲間にしてしまえば恐いものはありません。というのがもう勘違いなのですが、そう思ってしまいがちです。他方、「国民一人ひとりがあらゆる場を通じて、教育再生に参画する」なんてお願いされると、何かに参加しているような気分になる向きもいらっしゃるかと思いますが、残念ながらそれも間違いです。この「会議」の人々は「保護者はもとより、国民、社会全体から信頼され、期待される教育の実現」を目指しています。「教育再生」はみなさんの仕事ではありません。みなさんは「信頼」とか「期待」をしておれば良いのであって、「教育」の主体は国家です。その上で「参画」を要求されます。「社会総がかり」は「総動員体制」であり、「和やかな民」としておとなしく服従し、奉仕することが要求されます。

国としても去年になってようやく「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」などを制定したようですが、これもこのような「動員」のためでなければ行われなかったことなのかも知れません。少なくとも「会議」の人たちは、これは「動員」のためのものであると考えています。外国ではどうだか知りませんが、日本では「ワーク・ライフ・バランス」は「ワーク」と「ライフ」のバランスのことではなく、「ワーク・ライフ」のバランスであり、「仕事と生活の一致」、二つの形態の奴隷制度の間での調和のことです。人は1日の半分を会社に捧げ、もう半分を国家に捧げるのです。言い換えれば、1日の半分は金持ちのために、もう半分はやっぱり金持ちのために、というわけですから矛盾なく調和しています。

実力がないのに威張っているところなんか生みの親のバカ殿そっくりな教育再生会議、これは正に安倍家のお世継ぎとして相応しい資質の持ち主であります。この度めでたく夭折されるわけですが。特に目標と手段が一致しないところなどは父親の潰滅した思考様式をよく受け継いでいます。てゆうかこの人たち教育のことなんか専門外ですから仕方ないんですが、「学力向上」が「全国学力・学習状況調査の結果検証」をもって行われ、それが「教員評価、指導力不足認定」や「学校選択制と児童生徒数を勘案した予算配分による学校改善システム」と結びついて実行されるならば、実行されてこそ初めて意味がわかります。これは間違いなく選別の手段として機能するようになるのですが、「選別」過程が既定の条件を満たす度合いによってなされるものである一方、「グローバル」な「「知」の大競争」とやらは「既定の条件」そのものを変えてしまいます。これは先に変えてしまったもんの勝ち、という側面があるのですが、「選別」の枠組みを変更する力はその枠組みの外部からやって来ることしばしばであります。したがってこの「会議」の「提言」が「実行」された暁には、日本は常に先を越されて「厳しい国際競争から取り残される」こと請け合いです。この「会議」のみなさんは後継「会議」に立てこもって「子供たちをアカに渡すなら死んだ方がマシ」などと騒ぎ立てたりせずに、精神の安定を図るため、病院で休養をとることをお奨めします。ご自宅から病院まで、救急車にはパトカーと警察のヘリ、オートバイに乗った警官が警護致しますので安心して下さい。もちろん髪型はご希望の丸坊主。ヘソを出すのは痩せてから。
posted by 珍風 at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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