2008年02月02日

鰤谷スピ子再生会議

モーニング娘。のように忘れられかけていた「教育再生会議」の愉快な仲間たちが「社会総がかりで教育再生を―教育再生の実効性の担保のために―」とかいう最後っ屁をひって解散しようとしてます。連中が「幸せ」だったかどうかはともかく、「普通のおじさん」に戻る気は全然ないみたいで、この次はmore worseよ。

とにかく20年前のギャグはいいかげんやめにして一読、なんだか知りませんが、とにかくやたらとエラそーなのが大きな特徴です。

国民の皆様も、国や地方の行政の方々も、校長・教員はじめ学校関係者も大学関係者、保護者や地域の方々も、これらの報告をしっかり受け止めて頂き、国民一人ひとりがあらゆる場を通じて、教育再生に参画することをお願いしたいと思います。


と来たもんだ。これは単に「報告」ですから、これを「受け止める」義務は国や地方の行政の方々にも、校長・教員はじめ学校関係者にも大学関係者、保護者や地域の方々にも、誰にもありません。どう「受け止め」たものか、それは「報告」を受けた後で、少なくともこの「会議」ではない人たちが決めることなのです。

 これまで「臨時教育審議会」、「教育改革国民会議」を通じ、日本の教育制度の根幹に関る改革が提言されてきましたが、残念ながら、それらの提言は十分教育現場に反映されているとは言い難い状況にあります。
 こうした状況を踏まえ、教育再生会議では、最終報告にあたり第一次報告から第三次報告までの提言の実効性の担保を重視しています。


この「会議」の連中が「残念」に思おうとナニしようと知ったことではありません。ことによるとこの人たちは、自分らが決めたことは全て実施されるとでも思っているのでしょうか。もしそうだとすればとんだ思い違いです。多分悪い政治家に騙され、おだてられているものと思われますが、あまりにも愚かであると言わざるを得ません。ノーベル賞もときどき「更新」するようにしてはどうか。

 第一次から第三次報告が提言に終わることなく、教育再生が現実のものとなるよう、国、地方公共団体、学校等における実施状況を評価し、実効性を担保するため新たな会議を内閣に設けることが極めて重要です。


いい気なものですが、しかし、一般に政策はそれが実施されているかどうかではなく、その成果をもって評価されます。例えば学力が向上したという結果が出たとして、それがこの「会議」の「提言」によるものであると認められれば、「会議」は「良い」提言をしたことになります。もちろん同様な結果が出たとしても、必ずしもこの「提言」の効果であるとは認められない可能性もありますが、いずれにしても「実施状況を評価」するための「新たな会議」の重要性は極めて低いものと考えられます。

そんなことをして政策を硬直化させるよりは、むしろ時々に成果を評価して政策を修正する会議があった方が良いのですが、この「会議」の人々は自分らの出した結論が再び俎上に載せられるのを望まないようです。これはプライドは高いものの実力を伴わない場合に多く見受けられる態度で、はっきり言って自信がないということの表れであります。つまりこの人たちは自分らが碌でもないことを言っていることを薄々ではあれ、感じ取ってはいるわけです。さすがは資生堂、商品に自信がない時はモデルで勝負だ。

しかし魅力的なモデルの都合がつかない時には、そしてこの連中では多分都合はつかないものと思われますが、みんなを巻き込んでしまうのが一番です。「社会総がかり」などと言ってみんな仲間にしてしまえば恐いものはありません。というのがもう勘違いなのですが、そう思ってしまいがちです。他方、「国民一人ひとりがあらゆる場を通じて、教育再生に参画する」なんてお願いされると、何かに参加しているような気分になる向きもいらっしゃるかと思いますが、残念ながらそれも間違いです。この「会議」の人々は「保護者はもとより、国民、社会全体から信頼され、期待される教育の実現」を目指しています。「教育再生」はみなさんの仕事ではありません。みなさんは「信頼」とか「期待」をしておれば良いのであって、「教育」の主体は国家です。その上で「参画」を要求されます。「社会総がかり」は「総動員体制」であり、「和やかな民」としておとなしく服従し、奉仕することが要求されます。

国としても去年になってようやく「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」などを制定したようですが、これもこのような「動員」のためでなければ行われなかったことなのかも知れません。少なくとも「会議」の人たちは、これは「動員」のためのものであると考えています。外国ではどうだか知りませんが、日本では「ワーク・ライフ・バランス」は「ワーク」と「ライフ」のバランスのことではなく、「ワーク・ライフ」のバランスであり、「仕事と生活の一致」、二つの形態の奴隷制度の間での調和のことです。人は1日の半分を会社に捧げ、もう半分を国家に捧げるのです。言い換えれば、1日の半分は金持ちのために、もう半分はやっぱり金持ちのために、というわけですから矛盾なく調和しています。

実力がないのに威張っているところなんか生みの親のバカ殿そっくりな教育再生会議、これは正に安倍家のお世継ぎとして相応しい資質の持ち主であります。この度めでたく夭折されるわけですが。特に目標と手段が一致しないところなどは父親の潰滅した思考様式をよく受け継いでいます。てゆうかこの人たち教育のことなんか専門外ですから仕方ないんですが、「学力向上」が「全国学力・学習状況調査の結果検証」をもって行われ、それが「教員評価、指導力不足認定」や「学校選択制と児童生徒数を勘案した予算配分による学校改善システム」と結びついて実行されるならば、実行されてこそ初めて意味がわかります。これは間違いなく選別の手段として機能するようになるのですが、「選別」過程が既定の条件を満たす度合いによってなされるものである一方、「グローバル」な「「知」の大競争」とやらは「既定の条件」そのものを変えてしまいます。これは先に変えてしまったもんの勝ち、という側面があるのですが、「選別」の枠組みを変更する力はその枠組みの外部からやって来ることしばしばであります。したがってこの「会議」の「提言」が「実行」された暁には、日本は常に先を越されて「厳しい国際競争から取り残される」こと請け合いです。この「会議」のみなさんは後継「会議」に立てこもって「子供たちをアカに渡すなら死んだ方がマシ」などと騒ぎ立てたりせずに、精神の安定を図るため、病院で休養をとることをお奨めします。ご自宅から病院まで、救急車にはパトカーと警察のヘリ、オートバイに乗った警官が警護致しますので安心して下さい。もちろん髪型はご希望の丸坊主。ヘソを出すのは痩せてから。


posted by 珍風 at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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