2008年03月30日

狂瘋会とラジフェミとマリクリ

「ECPAT」というのは「End Child Prostitution, Child Pornography And Trafficking in Children for Sexual Purposes」の頭文字でありまして、「児童買春と児童ポルノと性目的の児童売買を止めろ」と言っています。性目的でない児童売買はいいんだそうですから安心して下さい。ビンボー人の餓鬼どもは安心するのは早計です。ここの「リンク集」http://www.ecpatstop.org/07link.htmには「関連団体」として例の

(財)日本ユニセフ協会


を筆頭に、上位を各種キリスト教系団体が占めているのは当然でしょう。

(財)日本キリスト教婦人矯風会
(財)日本YWCA
(財)日本YMCA同盟


YMCAよりもYWCAの方が先に挙げられているのが丁寧です。その次にやっとフィルタリングの普及につとめる

(財)インターネット協会


です。インターネット協会はキ印リストの下位におかれてしまいました。その次に

売買春問題ととりくむ会


というのがあってリンク集なのにリンクしていません。サイトがないようなのですが、これは日本キリスト教婦人矯風会の関連団体ですから、インターネット協会はキ印リストに挟み撃ちになった格好です。しかしインターネット協会の評議員には宮本潤子(ECPAT/ストップ子ども買春の会 共同代表)が潜り込んでいますから、軒を貸して母屋を取られたのかも知れませんし、インターネット協会もキ印の立派な一員なのかも知れません。

その次が児童買春問題も児童労働に対する政策の中に含まれている

ILO駐日事務所


及び、避妊用ピルの処方と、子宮頸癌や尖圭コンジローマの原因となるヒト乳頭腫ウイルスワクチン接種を進める

(社)日本家族計画協会


あたりが来ていますが、お次ぎには気を取り直してマリ・クリスティーヌさんの

AWC・アジアの女性と子どもネットワーク


ですが、これは2001年ごろから「おなじ?ちがう?援助交際と子ども買春」と題する連続シンポジウムによる情宣活動を行なって、貧窮家庭の少女を買い取って強制的に売春に従事させることといわゆる「援助交際」をゴッチャにしようとして一生懸命です。この二つを一緒にするということは、女子高生がマックでバイトすることと売られて来た少女が強制労働に従事させられることを一緒にしちゃうのと同じですからわけがわかりませんが、少なくともマリ・クリスティーヌさんは「アジアの女性と子ども」の権利よりも他に守りたいもっと大事なことがあるようです。

そういう立場をよりはっきりさせているのが

ポルノ・買春問題研究会(APP研)


でありまして、反「性的リベラリズム」をうたって女性の(男性も)自分自身に対する権利を剥奪することが「性の人権・性的自由・性的平等を擁護する」ことになると思っているちょっと変わった人たちです。儲け話を持って来て金を巻き上げる詐欺師のような人たちですが、それだけに友達が少ないようで、アメリカにおいて実践的にはキ印原理主義と共同歩調を取るラジカル・フェミニズム以外の日本のフェミニズム運動のサイトとのリンクがほとんどないとか、同性愛運動団体とのリンクも2件しかありません。これらの団体は仲間なのか被害者なのかわかりませんのでここで名称を晒すのはかわいそうです。

どん尻に控えしは

(財)ジョイセフ(家族計画国際協力財団)


という、これは日本家族計画協会と同じように「リプロダクティブ・ヘルス」をうたっていますが、「リプロダクト」というのは過去の製品を「復刻」することで、例えばリートフェルトの椅子やなんかを昔と同じように作った商品のことなんですが、これが「生殖」のことだとはナカナカ気がつかない。これは要するに「母性保護」のことのようですが、女性は「産む機械」どころか「リプロダクティヴ・マシン」として見られています。子どもを産むことは親の「復刻版」を作ることであり、この考え方によれば遠い過去から未来永劫にわたっていつまでたっても同じものが反復されるのです。これは「オリジナル」を神話に求める進化の否定であり、アダムは「オリジナル」を保持する神が作った最初の「復刻版」なのです。そしてイヴに至ってはアダムからその一部を取り、つまり「復刻」機能に特化した「専用機」なのでした。コピーはやっぱりキヤノンだべ。最近は色んな「お楽しみ」機能がついた「複合機」が人気ですが、さすがは神様、その辺に抜かりはありませんでした。

キリスト教は人間が神様になってしまう宗教です。カトリックでは「教皇」というものを置いていて、これは神様じゃありませんということになっていますが、「異端」を告発し断罪する神の「版権管理者」としての教皇は平信徒に比べれば無限に神に近い存在、いわば地上において可能な限りでの「神」に他なりません。そのかわり一般の有象無象が神様になっちゃうのを防止していたんですが、プロテスタントはこれを広く一般に開放します。そこで神様になっちゃう人は大はアメリカ合衆国から小は又吉イエスに至るまで枚挙に暇がありませんし、「狩人の夜」のロバート・ミッチャムのように神様と勝手に相談して教会を設立する人も後を絶ちません。このような「キリスト教精神」を精神医学方面では「宗教妄想」とか言うようですが、その手のキチガイがアメリカで設立した組織の一つが「矯風会」です。

アメリカにおける「矯風会」の歴史は、もともとの意味での「アダルト・チルドレン」の症例として興味深いものですが、日本キリスト教婦人矯風会が「東京婦人矯風会」を起源として、あたかもアメリカのキチガイ婆さんとは何の関係もないという顔をしているのも、まあ、無理はありません。そんなことで苛めても仕方ないでしょう。しかしながら「児童ポルノ」を規制して「未成年者の権利を守る」ことを標榜する団体がこぞって「性的自由」の敵対者であり、悪くするとキ印神話に基づく「女性専用機説」に立脚して「女性の権利」をコピー機のメインテナンス程度に考えているらしいことは記憶にとどめておいて良いのかも知れません。

ところがそんなことはあまり重要ではないのです。「児童ポルノ」など単なるきっかけにしか過ぎません。女子中学生のお尻に気を取られてポルノが有害だとか無害だとか論じても仕方ありません。ポルノが無害だということであれば、また別の言い訳を出して来るだけです。問題は「児童ポルノ」を販売して何万円か儲けたとされる田舎の高校生ではなく、インターネットにおける匿名で無報酬の言論は、マスゴミのようには政府が誘導したり圧力をかけて内容を変更させたりしにくいという点なのです。ブログが閉じられたら別のを立ち上げるし、生活に困るわけでもありません。しかしある期間、例えば選挙の間に、影響力のあるブログの更新を「何かの手違いで」停止することができるでしょう。そのためには「児童ポルノ」でも何でもいいからとにかく政府が指を突っ込む隙間を確保しておけば良いのです。毛を引っ張ると痛い。

ぶっちゃけて言えば、現行の教育基本法と学習指導要領の元では、「愛国」的でないもんは「青少年に有害」であると認定することが可能です。そして「愛国心」は常に、政府への批判を封じる呪文でした。反体制的な「愛国心」などというものもあるんでしょうけど、国家権力の前にはそんな「愛国」の看板など洟拭き紙です。政府の基準ではそんな「愛国者」もコミュニストもアナキストもエゴイストも助平オヤジも小児性愛者も援交女子高生もTバック女子中学生もスク水女子小学生もオウムもインコもスズメもスルメもみんな同じことなのです。気をつけなければいけないのは洟拭き紙を乾かして糞拭き紙にするのは構わないのですが、その逆は止めておいた方がいいということで、これは「笑点」で毎年必ず指摘されるところです。みんないくら言ってもわからないので喜久扇さんも大変です。
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2008年03月28日

「愛国心」は官僚の思い上がりの象徴

本日は「政治アナル・レイピスト」の生霊が取り憑いております。僕としては以下のギロンに必ずしも全面的に賛成するものではありませんが、下手な人にお祓いを頼むと体を切り刻まれるに決まっていますので、今日はこのまんま西ちゃいます。


 前回コラムで、たばこを購入するときに必要となる成人認証ICカード「タスポ」の理不尽さをちょっとだけ指摘した。思った通りコメントなど全くいただかない。別にコメントが殺到することなど期待していないのだが、マスかきとしてはズリネタがあるのは最大の喜びである。そこで特に止めろと言う人もいないようなので、言い足りなかったポイントをあえて追加したい。

 それは、「タスポ」が象徴する官僚システムの「思い上がり」についてである。筆者が「タスポ」を問題視したのは、たばこ購入という個人の嗜好に属する部分に、官僚がずかずかと土足で入り込む、そのいかがわしさ、おぞましさに対してである。

 問題はそれだけにはとどまらない。例えば沖縄戦集団自決訴訟だ。

日本軍が深く関与=元守備隊長らの請求棄却−沖縄戦集団自決訴訟・大阪地裁

 太平洋戦争末期の沖縄戦で住民に集団自決を命じたと虚偽の事実を著書に書かれたとして、元日本軍隊長らがノーベル賞作家で「沖縄ノート」の著者大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店を相手に出版差し止めや2000万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、「集団自決に旧日本軍が深くかかわったと認められる」とした上で、名誉棄損は成立しないとして請求を棄却した。原告側は控訴する意向を明らかにした。
 軍や元隊長による自決命令の有無が主な争点。訴訟が理由の一つとなり、昨年度の高校教科書検定で「軍による強制」の記述に意見が付いた経緯があり、判決が注目されていた。
 深見裁判長は元守備隊長の命令について、「集団自決に関与したことは十分推認できる」と指摘。一方、著書に記載された通りの命令自体を認定するには「ちゅうちょを禁じ得ない」とした。
 沖縄ノートの記載内容について、大江さん側は元守備隊長を特定する氏名の記述がなく、名誉棄損に当たらないと主張したが、深江裁判長は引用文献などから特定は可能と判断した。しかし、集団自決の学説や文献、大江さんらの取材状況を踏まえ、「真実と信じるに足りる相当の理由があった」と認定し、名誉棄損や出版差し止めの弁護側主張を退けた。

2008年3月28日 時事


 文部科学省はこの裁判における原告側の主張を根拠として、教科書から集団自決に関する軍の強制・関与に関する記述を削除させようとした。しかし、この検定意見を出した検定官自身が軍による自決強制をひた隠しにしようとする「新しい歴史教科書」の監修者の教え子・共同研究者だったのであり、文部科学省の官僚はある特定の教科書に肩入れして、その編集方針をそのまま教科書検定に反映させようとしていたのである。日本軍による国民殺害を隠蔽しようとする人々は、学問の自由なアリーナでは勝ち目がないから、官の「お助け」にすがったのだ。官尊民卑を地で行く行為である。

 筆者の立場を明らかにしておかないとフェアーではないと言われそうだから、あえて書く。当方は、教科書などというものはほとんど一行も読んでいない劣等生である。検定がどうであろうと知ったことではない。だいたいあまり字が読めないのだが、どこから見ても大馬鹿者なので、これをだれも怪しまなかった。

 さらに論を進めよう。文部科学省は28日に告示された学習指導要領に全く異例の変更を行った。

学習指導要領 君が代『歌えるように』 「愛国心」総則明記 直前変更きょう告示

 文部科学省は二十八日付で、小学校で二〇一一年度、中学校で一二年度から実施する学習指導要領を告示した。二月に公表した改定案を一部修正し、学校の教育活動全体についての方針を示す総則に「我が国と郷土を愛し」の文言を新たに盛り込んだ。また、小学校音楽では君が代について各学年で「指導する」としていたのを「歌えるよう指導する」と変更した。いずれも議論を呼ぶ可能性のある事柄で、意見が反映される余地のない土壇場での変更が批判を呼ぶことは必至だ。 
 同省は「改定案公表後の与党からの意見や、一般公募で寄せられた意見を総合的に判断し、(愛国心などを新たに盛り込んだ)改正教育基本法の趣旨をより明確にした」と説明している。
 愛国心については、道徳に「国を愛する」、社会で「国を愛する心情」の記述があるなど、学習指導要領にはすでに盛り込まれてきたが、総則に記載されるのは初めて。教科横断的な道徳教育の中で、どういう日本人を育成するかという文脈で「我が国と郷土を愛し」の文言が加えられた。改定案の段階で盛り込まなかったことについては「長くなりすぎないようにしたため」などと説明している。君が代については、指導要領の趣旨や内容について詳しく説明する解説書には一九九八年改定時から「いつでも歌えるようにする」との記述はあるが、指導要領自体に「歌えるように」とは明記されていなかった。同省は「趣旨を明確にした。先生にはより意識して指導してほしいが、児童の成績などに反映するような変更ではない」としている。
 二月十五日の改定案公表後、与党内からは「教育基本法の改正が十分に反映されていない」などの声が上がっていた。翌十六日から一カ月間に、一般から電子メールや郵便、ファクスで寄せられた意見は五千六百七十九件。「社会科以外でも教えることを盛り込むべきだ」との意見がある一方「徳目を子どもに押しつける点で大きな問題」との意見もあった。

2008年3月28日 東京新聞


 文部科学省では学習指導要領を単なる参考にとどめず、法律並みの強制力を持つものとして考えている。にも関わらず公の議論を経ない形で、国民の誰にも何の相談もなく「総則」に「愛国心」を「新たに盛り込んで」しまった。このようなことをした理由は全く明確ではなく、「与党内から」の「声」に過剰に反応したものとしか考えられない。
 
 世界中、どこを探しても、愛国心を否定する国などありはしない。しかし個々の国民の「愛国心」はその人自身の問題であり、これを教育との関連で考えれば「わが国と郷土」について正しく教えることによって自然とそれを愛するようになるべきものであって、「愛する心情」そのものを教えることは「押しつけ」になってしまい、かえって逆効果だ。そのようなことはむしろ社会全体で「愛国心」を涵養する妨げにもなろう。この点についてはパブリック・コメントでも意見が分かれているのであって、たかが、文科官僚ごときが(と、あえて言う)、社会の倫理規範の範疇に属するような世界に入り込んできてはいけない。そこが「愛国心」の最大の問題点であって、これは見過ごせない重要な意味合いをはらむ。

 もちろん、「愛国心」というのは市民革命を経た西洋的な概念であって、万世一系の天皇を戴く神国である我が国においては、本来奴隷であるにしか過ぎない国民が「国」に対して「愛」であろうと何であろうと自発的に何らかの感情を抱くことこそ畏れ多いことであり、特に肯定的な感情を抱くことは考えにくいのは当然だ。だからこそ「愛国心」は「押しつけ」なければならないのであり、また真の「愛国心」は「押しつけ」られたものでなければならない。それは実は「国を愛する心情」であってはならず、そうである必要もない。杉並区和田中の教育業者支援やPTA解散に対して何らの異論も出ないのは、文部科学省主導体制が固まってしまったことを意味する。「国を愛する」がゆえの議論ではなく、ただただ「国」に対していかなる「心情」も抱かないこと、黙って従うこと、つまり官僚に都合のいい国民が作り出されようとしているのである。もちろん個々人としての官僚としては、なりふり構わず支配体制に迎合することによって豊かでお気楽な老後から政界での栄達に至る有利なオプションが色々と用意されているのだから、ますます頑張らないではいられないのだ。

参考文献:http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/98/
posted by 珍風 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

無根拠な春

もうすぐ春です。心がなぜかクルクルパー。

<メタボ健診>開始直前、自治体の理解進まず 本紙調査 

 新年度から始まる特定健診・保健指導(メタボ健診)について、科学的根拠が十分と考える自治体は1割に満たないことが、全国806市区を対象にした毎日新聞の調査で分かった。約4分の1は効果確認後に導入すべきだと答えた。メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)患者数を減らせない場合などに自治体に科せられるペナルティーには約6割が反対し、開始直前の国の制度に自治体から異論が噴出した形だ。
 メタボ健診は保険者(健保組合など)に実施が義務づけられる。国民健康保険加入者には保険者である各自治体などが実施。40〜74歳が対象で、腹囲が男性85センチ、女性90センチ以上など一定の条件を満たした場合は、生活習慣改善を指導する。
 調査は今月、全国783市と東京23区に実施。開始時期や自己負担の有無などを尋ね、562市区(69.7%)から回答を得た。
 メタボ基準値や指導の効果に専門家から批判がある中で導入することの是非を尋ねたところ、「科学的根拠は十分で導入に問題はない」と答えたのは51市区(9.1%)のみ。207市区(36.8%)は「根拠は不十分だが、導入に問題はない」と答えたが、132市区(23.5%)は「基準値や指導内容を検証し、効果が確認されてから導入すべきだ」と回答。「分からない」が148市区(26.3%)で、3市(0.5%)は「導入すべきでない」と答えた。
 健診実施率やメタボ患者・予備群の減少率が国の目標に達しない場合、国はペナルティーとして、保険者に後期高齢者医療制度への拠出金増額を求める。357市区(63.5%)が反対し、「ペナルティーは当然」は23市(4.1%)だった。
 健診受診に自己負担が必要なのは353市区(62.8%)。負担額は300〜3200円(減免措置対象者を除く)で、自治体間の格差が大きい。
 健診の開始時期(予定も含む)は6月が239市区(42.5%)で最も多く、75%以上は6月までに開始予定だった。保健指導は78市区(13.9%)が10月以降の開始で、09年1月も6市(1.1%)あった。【まとめ・大場あい】

2008年3月25日 毎日新聞


こういう「調査」の場合、市役所や区役所の誰が答えるんでしょうか。結果はかなり杜撰です。しかし杜撰なのは「調査」それ自体というよりも回答が杜撰で恐れ入ります。科学的な「根拠は不十分だが、導入に問題はない」と答えた自治体が36.8%であって、このように答えた自治体がいちばん多いのですから、かなりクルクルパーです。何故科学的な根拠が不十分なものを導入することに「問題がない」のか、全く解りません。

この場合、質問票がわからないので何とも言いかねますが、選択式であるならば、このような選択肢の存在が僕なんかの理解をほとんど超越しています。しかしこの件についてはお金がかかっているのですから、もうちょっと真面目に考えたいものです。「不十分」な「根拠」によって「拠出金」を余計に取られることについては63.5%が反対していますが、この中には「基準値や指導内容を検証し、効果が確認されてから導入すべきだ」とした23.5%の全てと「導入すべきでない」と答えた0.5%の全てが含まれていると仮定することが出来ます。さらに導入の是非について「分からない」26.3%を加えても50.3%にしかなりませんから、あとの13.2%は「根拠は不十分だが、導入に問題はない」と回答した36.8%の自治体のうちのいずれかが含まれる可能性は極めて高いと思われます。「導入」するのは良いが拠出金の増額には反対であるということですが、「導入」の中には「増額」も入っているのですからこういう回答の仕方は矛盾していますが、それを1割以上の自治体がやっているわけです。

どうしてこんないい加減な事を言っていられるかというと、どうも素敵なウラがあるようです。

メタボ健診:おなか見せたくないなら着衣OK 測定正確?

 4月に始まる「特定健診・保健指導」(メタボ健診)の一環で、企業が実施する職場健診での腹囲測定について、厚生労働省は着衣のままの測定や健診会場での自己測定を認めることを決め、都道府県に通知した。腹部を出すことへの抵抗感による受診拒否を避けるためというが、専門家からは「正しく測定できるはずがない」との声が上がっている。【下桐実雅子、大場あい】
 メタボ健診は40〜74歳が対象。メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)対策として計画され、男性85センチ以上、女性90センチ以上という腹囲の基準が注目を集めた。国民健康保険加入者には自治体などが実施し、健康保険の場合は職場健診に含められる。
 4月以降の職場健診について同省は今年1月、労働基準局長名で「腹部の露出など労働者のプライバシーに配慮が必要で、簡易な測定方法を導入する」と通知した。着衣の上からの場合は、実測値から1.5センチ差し引く。同省労働衛生課は「着衣といっても肌着1枚程度。受診拒否されると困るという事業者からの声もあり、より受けやすい体制を考えた」と説明する。
 一方、自治体などが実施する健診については、同省生活習慣病対策室は「着衣の上からの測定は想定していなかった。通知を準備中で、腹囲の測定方法を含め整理中だ」と説明。同じ制度の健診が違う測定法で行われる可能性がある。
 自己測定の精度にも疑問がある。北里研究所病院(東京都港区)が英医学誌「ランセット」に発表した論文によると、測定法を学んだ医師や看護師が同じ人の腹囲を測っても、測定者によって最大7.8センチもずれた。
 メタボに詳しい大櫛(おおぐし)陽一・東海大教授(医療統計学)は「メタボ基準はそもそも科学的根拠がなく、専門家の批判や受診者の抵抗もある中、厚労省はどうしても健診を進めるために精度を自ら捨てているのではないか」と批判している。

2008年3月2日 毎日新聞


職場検診では着衣の上からの測定や、あろうことか「自己測定」まで認めようとしてます。多分、「科学的根拠が不十分」なのに「導入に問題はない」と言っていられる自治体は、「自己測定」をやろうとしているのではないでしょうか。測定値の基準はみんな知っていますし、この基準を超える場合に色々面倒な目に遭うことも知っているでしょう。自分で測定した結果として「適当な」数値を出す動機は対象者全員に共有されています。「自己測定」が職場や郷土を救います。

そもそもが「測定法を学んだ医師や看護師が同じ人の腹囲を測っても、測定者によって最大7.8センチもずれた」という世界の話しですから、ある一点を超えたかどうかということで「ペナルティ」を課すというやり方自体が相当に非科学的なんですが、であるからこそごり押し的に「導入」をはかるのが政府というものであるならば、その一方では出来る限りそれに従う振りをしながらそれを骨抜きにするという動きが既に始まっているようです。制度は導入前に早くもクルクルパー。

同様に例の煙草自動販売機の成人識別システムにも春が来ています。

日本禁煙学会から疑問の声 タスポ導入の効果あるのか

   未成年者の喫煙防止を目的として、全国のたばこ自動販売機に成人識別ICカード「taspo(タスポ)」が段階的に導入されている。しかし、喫煙者からも小売店からも大不評で、効果についても日本禁煙学会から疑問の声が上がっている。いったい何のための制度なのか。
「無駄なシステム」と回答した人が55.8%
「taspo」の導入がたばこ自販機で進んでいる
   たばこ自動販売機に導入される成人識別ICカード「タスポ」の申込み受付が、2008年2月1日から全国で始まった。「タスポ」は顔写真入りのカードで、ICチップ(集積回路)を内蔵。未成年の喫煙を防止するのが目的で、他人への譲渡や貸与も禁止されている。申込みには、運転免許証などの本人確認書類のコピーと顔写真が必要で、運営主体である日本たばこ協会まで郵送する必要がある。
   08年3月から8月までに順次、全国のたばこ自動販売機で導入される予定で、「タスポ」がなければ自販機でたばこを購入できなくなる。
   財務省などによれば、高校生の喫煙経験者の約8割がたばこを自動販売機で買ったとする調査をもとにした取り組み。しかし、これが全くもって大不評なのだ。
   ニュースサイトBNNが3月17日から行っているアンケート調査では、「たばこ自販機にtaspo導入、あなたの考えは?」との問いに、「無駄なシステム」と回答した人が55.8%で最も多く、次いで「未成年の喫煙防止はあまり望めない」が18.2%で、「未成年の喫煙に効果大」とした人は15.8%だった。(3月19日夕現在)
   実際に「タスポ」の効果には、首を傾げたくなるデータもある。
   日本たばこ協会は、2004年春から種子島で「タスポ」を試験導入した。しかし、鹿児島県警によれば、種子島署での未成年者の喫煙による補導人数は、導入翌年の05年で10件と導入前年から4分の1に激減したものの、06年は84件に上り、かえって補導人数が増えてしまった。
   こうなったのは、親のカードを勝手に持ち出したり、成人から借りたりしためだという指摘もあるが、日本たばこ協会の未成年者喫煙防止対策室は、
「タスポを不正に借りるなどして未成年者がタバコを自販機で購入したのは06年でたったの7件。翌年にいたっては0件になっている。効果はあると思っている」
と述べている。
「タバコ自販機を長生きさせようという策略」
   しかし、日本禁煙学会は違った見解を持っているようだ。2008年2月19日の発表によると、種子島での試験導入で、逆に補導件数が増えてしまったことを挙げて「タスポというカードシステムでこどもが自販機からタバコを買うことを防ぐことはできません」とまで酷評している。
   同学会の作田学理事長はJ-CASTニュースに対し、
「タスポは結局、タバコ自販機を長生きさせようという策略で、全て対面販売にして、成人か分からない時に身分証明書の提示を求めるようにしなければ意味がない」
と話す。
   その一方でたばこ自販機をかかえる小売店にとってもタスポは大不評だ。
「買うのが楽なコンビニにお客さんが流れるのは分かりきっている。この店も続けられるかどうか」
と話すのは東京千代田区にあるたばこ店の店主だ。この店では自販機をリースしているため、1台に10万円前後かかる「タスポ」の認識装置の設置費用はかかっていないものの、売上がタスポ導入で減少するとみていて、店の存続についても心配している。
   コンビニエンスストアでのタバコ販売は対面販売であるため、「タスポ」提示の必要がなく、実際に喫煙者に聞いても「コンビニで買うから、タスポの申込みはしない」という人が圧倒的に多い。すでに「タスポ」の導入がすすんでいる地域についての報道のなかには、廃業するたばこ店の声が報じられていたりもする。
   日本たばこ協会は「種子島でもカードが普及するにつれて自販機での販売が増えており、対面と自販機の販売比率は元に戻る傾向があった。ただ、購買チャネルの変化が少なからずあることは予想している」と述べている。
   前出のたばこ店の店主は、「タスポは結局コンビニばかりを優遇した差別だよ」と皮肉混じりに漏らしている。

2008年3月22日 J-CASTニュース


もちろん日本禁煙学会は煙草自動販売機の廃止を主張していますから、死んでもタスポに肯定的な評価を下すことはないのでありまして、あまり参考にはなりません。しかし種子島署管内における未成年者喫煙補導数の推移と「タスポを不正に借りるなどして未成年者がタバコを自販機で購入したの」とは直接関係がありませんから、一方の数値が上昇して他方の数値が下降しても何の問題もないのです。これは未成年者が煙草を入手するルートが自販機ではなくなったというだけのことです。実はタスポを導入すると煙草をカートンで買って家に置いておく人が増えると思われますが、これによって買い置きの煙草を家の餓鬼に盗まれる可能性は高くなるのではないか。餓鬼どもは今までお金を出して買っていた煙草をタダで手に入れるようになるわけです。僕だったら自分の餓鬼とはいえキチンと対価を取りますが。

もちろん煙草屋さんとかコンビニでも買えます。未成年者の喫煙の禁止が身体的成熟との関係で言われるのであれば、「20歳」というポイントで区切る「根拠」はありませんし、まして買いに来た時に「成人か分からない」程度に成長した人間の年齢にことさら拘る「科学的な根拠」は全くありません。それどころかこのポイントは「改憲」などの政治的な思惑によって変動するようなのですから、無意味であることは明らかでしょう。実際のところ、大学生であったり就職していたりする18歳や19歳の人間の喫煙については、世間様ではとやかく言わないようなのです。

ちなみに、日本たばこ協会はタスポ発行申請時に取得した個人情報の管理については保護するんだとか言っていますが、タスポ使用時に発生する個人の購買情報については何もうたっていません。ところがタスポは貸し借りしてはいけないことになっています。餓鬼に貸しちゃいけないのです。「不正な貸し借り」があった場合は、そのカードの利用を停止すると言っています。しかしながら不正な貸し借りがあったかどうかを知るには、個々のカードの購買履歴を検索するしかありません。日本たばこ協会はタスポカードごとの購買履歴を取得しているのであり、その情報についてどのように管理し、いかに利用されるかについては何の声明も行なわれていないのです。そして不正な貸し借りさえ行なわれていなければ、カードの購買履歴は個人の購買行動そのものなのです。

そういうわけで、「根拠」が薄弱は割には「ペナルティ」が高すぎるという気がしますが、こんな風にして人は無意味なことを強制されることに馴れてゆくものなのです。

教員指示か 卒業生、国歌斉唱起立せず

 大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3学年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。
 式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。
 瀬戸和夫校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」と話している。

2008年3月27日 産經新聞


さすがに産經新聞はいつもながら巧まざるユーモアというか、単なるポカというか、やっぱり春ですねえというか、娯楽的要素の強いクルクルパー記事を配信してくれています。府教委は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性が高いとニラんでいるらしいのですが、校長によると「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」なんだそうです。そんなら同様に「事前に起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」になるでしょう。一字違いで大違いであります。こんなこと書いてて大丈夫か。

しかし府教委によれば「不起立を促した」ところの「一部の教員」は「生徒に国歌の意義について説明し」たんだそうです。おそらく「不起立を促す」のに有効な「説明」というものがあるわけです。しかしそれならば逆に、それ以外の教師は「起立を強制する」のに有効な「国歌の意義についての説明」が出来ていたのかどうか、甚だ疑問であります。「自分で判断しなさい」という余地を与えないだけの立派な「説明」をしていなければならないはずですが。もっともこれが出来ればノーベル賞ものですが、出来ないのであれば「説明」は「不起立」につながる、ということを認めざるを得ません。そして同意を得られるような「根拠」がないからこそ行なわれる「強制」に服するかどうかは「内心の自由」だ〜。Kimigayo is freedom、Kimigayo is freedom、でも教師は「厳正に処分」されちゃうらしいから、人質みたいなもんやね。「この先生のクビが惜しかったら起立して斉唱せえ!」って、そんなこと言われてもどうせ式が終わったらぶん殴ろう思うとる相手やし。それはともかく犬井ヒロシっておもろない思うで。いつまで出てくるんやろ。
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2008年03月23日

日本PTA110年(くらい)の歩み

PTA:東京・杉並の和田中が廃止 「地域本部」が支援、公立学校で初

 進学塾講師による有料受験対策「夜スペシャル」を実施している東京都杉並区立和田中(藤原和博校長)が来年度、PTAを廃止することが分かった。保護者は、地域住民らボランティアで構成している「地域本部」に参加し、「地域全体で生徒を支える仕組みにしたい」(藤原校長)という。公立学校のPTA廃止は全国でも例がなく、新たな論議が起きそうだ。【三木幸治】
 ◇「前例踏襲」敬遠され、「多様な人材確保を」
 同中は、リクルート出身の藤原校長が就任した03年に地域本部を設置した。会社を退職した地域住民や主婦、大学生らが学校の支援活動をしている。これまでに、▽放課後に図書室を利用できるようにする自主管理制度▽土曜日に生徒が教室で自習する「土曜寺子屋(ドテラ)」のサポート▽週3〜4回、塾講師が有料で受験対策をする「夜スペシャル」の運営−−などを手がけている。
 一方、PTAは、保護者を中心に、▽登下校する生徒の安全確保のための見守り▽運動会など行事の手伝い▽保護者の問題意識向上のための研修−−などを実施してきた。PTA活動に参加する保護者が減っているため、その啓発に苦労しているという。
 藤原校長は「能力があり、学校支援への意欲を持っている保護者はいるが、前例踏襲型の『PTA』を敬遠する人は多い。地域本部に統合することで、多様な人材を受け入れたい」と話す。PTAの活動で必要なものは地域本部で行う。また、PTA活動は無償だが、地域本部は交通費など謝礼を出すことも検討しているという。
 同中は5月にもPTA総会に諮り、廃止を正式決定する。全国の公立小中学校が加盟している日本PTA全国協議会(赤田英博会長)からも脱退する。
 文部科学省は来年度から4年をかけ、和田中をモデルに広がっている地域本部を全国の中学校に作る方針で、PTA廃止が他校に影響を与える可能性がある。同省社会教育課は「地域本部と保護者が互いに連携を取り、学校支援活動が活発になればいいのではないか」と話している。
 一方、同協議会の赤田会長は「PTAは保護者の教育という大きな役割があり、一方、地域本部は教員ではカバーできない面を補う別の役割がある。PTA廃止が全国に広がるとは思えない」と話している。
 ◇やっと新しい試み−−ノンフィクション作家・吉永みち子さんの話
 現在のPTAは形骸(けいがい)化している。本来、学校を支援したり、親と教師をつなぐものだが、教育現場の荒廃や役員選出の難航ぶりから、機能していないことが分かる。PTA活動を見直し、新しい形を模索する試みがやっと生まれた印象だ。消えた「地域」を取り戻すきっかけになる可能性もある。
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 ■ことば
 ◇PTA
 「Parent Teacher Association」の略で、直訳は「父母と教師の会」。19世紀末に米国の学校で始まり、日本では第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指導で全国の学校に作られた。任意団体で、子供の教育環境を良くするために保護者と教師が連携して活動している。

2008年3月23日 毎日新聞 


アメリカで、稲田朋美さんの先輩である「市民ケーン」ことウィリアム・ランドルフ・ハーストの母親で上院議員夫人にして教師であるフィービー・アパーソン・ハーストが全米母親会議を開催したのが1897年ですが、その翌々年、日本の東京には最初の「学校後援会」が作られました。これを始めとして、全国の学校に「後援会」「奨学会」「父兄会」「父母会」「母婦会」「母の会」が結成されましたが、これらの団体の目的は公費の教育支出の不足を生徒の家庭からの集金で補うことでした。当時の日本政府は「臥薪嘗胆」のかけ声のもとで軍拡を進めていましたので、教育に使う金などなかったのです。

それ以降、約半世紀にわたって日本はほぼ一貫して軍備拡張と海外侵略政策をとってきた関係で、「学校後援会」は順調な発展を遂げてきましたが、1945年の敗戦に伴い、アメリカ軍によってその名を洋風に「PTA」と改めたものの、戦後の国家財政逼迫のなかで、「学校後援会」の役割はますます大きくなってゆくのでした。

その後は教育委員選挙における日教組からの候補への対抗として、アメリカの対日工作の一環としてPTAからの候補を立てたり、教育2法案反対闘争、勤務評定闘争などにおいてあくまで労働者の敵として親米保守の立場を貫く一方、各レベルの連合体の教育行政との緊密な連絡による政府機関化をはかるとともに、地域ボスの政界進出への架け橋としても、戦後保守勢力の広範な基盤として大きな役割を果たして来ました。

全国組織としての日本PTA全国協議会は臨時教育審議会等において常に政府の政策に沿った「提言」を行ない、平成7年からは中央教育審議会に委員を送っております。またメディア規制を中心とした思想統制を積極的に推進していることは夙に知られており、正に地域に密着した草の根のファシスト組織として日本で最大の規模を誇ります。

しかしながら従来、学校PTA会長から自治体議会などへの進出を計画する地域ボスの方々のうち、会長在任当時に当選を果たせなかった例では、子弟の卒業と共にその勢力基盤を大きく削がれるうらみがありました。また「右翼偏向した特殊イデオロギー集団」と看做されて反日的な、つまり大半の保護者の積極的な参加がみられず、「形骸化」の批判を受けることも度々であります。また、在校生の保護者を中心としている関係から、それ以外の一般地域住民への抑えはほとんど不可能である点も「PTA不要論」の隠れたモチーフでありました。

来年度から文部省は「地域本部」を立ち上げ、ともするとPTAは発展的解消を遂げるのではないかという観測も生じますが、任意参加団体として出発するこの「地域本部」が、いずれは地域住民一人一人へのこまめな監視と教育を担う組織に発展してゆくことを考えると、既に全員強制参加体制を確立しているPTAは、むしろ「地域本部」の中核として今後も重要な役割を果たしてゆくであろうことを、少なくとも赤田さんは期待してやまないんだろうとは思いますが、さんざん「教育改革」に協力しておいて、あとになって「最も重要な教育改革の基盤整備が、直接影響のある子どもたちや教師、我々保護者を置き去りにして短期間で推し進められているように感じられます」などどブツブツ言うような間抜けなお人好しに生き残る道はあるんでしょうか。
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2008年03月21日

鈴香ちゃんリカちゃんエリカ様

Googleで「畠山鈴香」を検索すると当ブログのhttp://worstblog.seesaa.net/article/19190603.htmlが30番目くらいに出てくるという状況になっておるわけですが、困ったことにこれって特に鈴香さんのことをテーマにしてるんじゃないんですけどね。意味深なタイトルに吊られて読んでしまった人に対してはお詫びのしようもございませんので、別に土下座して謝ったりはしません。どうせ中国新聞あたりに「パフォーマンス」だとか言われるのがオチです。

その中国新聞を始めとして「なぜ死刑でないのか」と思った人も多いようです。「厳罰化の流れに一線を画した」という評価も目につきますが、浅はかな見方です。いくらなんでもとにかく闇雲に死刑にしてしまうのが「厳罰化」だと思ったら大間違いです。現在のところ死刑以上の刑罰は見当たりませんから、これを濫用することは死刑の有り難みを薄めるものでしょう。死刑というのは何か特別なことであって、よっぽどのことである必要があるのです。今までのように日常的にしょっちゅう死刑判決を出していると、死刑はその特殊な地位を失ってしまい、刑罰の中で程度の激しいものでしかなくなってしまいます。

このように人々が死刑を単なる刑罰の一種としてとらえるようになると、殺してしまうのはちょっと残虐なんじゃないかとか、もし冤罪だったら大変だとか、いくらなんでもそれは行き過ぎだとか、そんなことをしちゃいけないんじゃないかとか、極めて当然なことを言い出す虞があります。なんといっても刑罰は人間が人間に加えるものですから、そこには自ずと人間的な限界があります。しかし死刑はその限界を超えているように見えます。そういう風に見える限りにおいて死刑は世論の支持を得ることが出来るのです。しかし死刑の大安売りは死刑の価値を下落させてしまいます。そこで時折出し惜しみすることが肝心になってきます。したがってたまに死刑判決が出なかったからといって文句を言ったりするのは単に血に飢えた野獣であり、死刑存置の立場から見ても、死刑廃止の立場から見ても何の役にも立ちません。

そこでたとえば専門家の御意見はどうなのかというと、なにかというと出てくる甲南大法科大学院ですが、そこの渡辺修教授もどっちかというと野獣派です。

量刑基準法律で定めよ 秋田連続児童殺害・判決を読む

<取り調べ可視化が不可欠/甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)渡辺修氏>
 判決は、畠山鈴香被告の心の内側を微細に分析して死刑に値しないとしたが、長女と地域の子を故意に殺した結果を見たとき、市民の良識が納得するか疑問だ。刑法199条は「人を殺した者」に死刑、無期、5年以上の懲役を科すと定める。犯行の内容も量刑も幅が広い。だから、今回の判決のように犯人の主観を重視して厳罰を回避する余地も出てくる。
 将来、裁判員裁判で、裁判員が戸惑いなく量刑を決め、しかも全国的にも量刑が大きく食い違わないようにするためには、殺害方法と被害結果の程度を主な基準にして殺人を分類し、それに応じた刑罰を法律で定めておくべきだ。
 畠山被告は長女の死亡を転落事故と主張したが、救助の努力もなく、直ちに健忘が生じたという弁解は、市民の良識を納得させない。長女への殺意を認めた判断は妥当だ。ただ、検察側は捜査段階から死刑求刑を予想できた以上、公判で自白の任意性、信用性が争いになる場合に備え、取り調べをビデオ録画しておくべきだった。
 取調官と被告の言い分のどちらを信用するかを裁判官の選択に委ねる立証方法は相当でない。将来、争いのある自白が前提では死刑を科さない裁判員も出てこよう。裁判員裁判の定着には容疑者取り調べを録画するなど可視化が不可欠だ。
 裁判では、起訴から6カ月目に公判前整理手続きが始まり、それに半年をかけたが、その後の審理は月3、4回、それぞれ午前と午後を使って集中的に行われた。市民が参加する裁判員裁判実施を前に、迅速な裁判の運用はほぼ確立したと言える。
 また、検察は被告人質問で実寸大の橋の欄干の模型を使って長女死亡時の状況再現を試みるなど、裁判員裁判をにらんだ分かりやすい立証をしようと工夫しており、評価できる。
 もっとも、裁判を通して親子、家庭だけでなく地域、学校、警察が社会の将来を担う子どもを守れなかった残念な事実が浮き彫りになった。「人のきずな」を尊重する「ゆとり社会」を再生しなければ、同種事件は繰り返される。

2008年3月20日 河北新報


刑事訴訟法によると判決は「市民の良識を納得させ」なければならないとのことです。渡辺ぎしゅう先生が言うのですから間違いないでしょう。ぎしゅう先生はなんでも「市民の良識」で処理しようと考えています。「直ちに健忘が生じた」のが本当かどうかなど問題ではありません。そういう話しは「市民の良識を納得させない」からダメなんだそうです。ぎしゅう先生の御説は驚嘆すべきものであり、別のところでは「刑事裁判では「疑わしきは被告の利益に」が鉄則だが、裁判員は証拠のすき間を「市民の良識」で埋めてよい。」と言っています。これでは無知な大衆のリンチにもなりかねません。「市民の良識」のレベルがぎしゅう先生のそれを大幅に上回ることを祈るばかりです。

もっとも先生も野方図なリンチを推奨するものではなく、「殺害方法と被害結果の程度を主な基準にして殺人を分類し、それに応じた刑罰を法律で定めておくべきだ」と言っています。これは実際問題としてかなり困難であるような気もしますが、もしこれが実現されたところでシステマティックなリンチであるに過ぎません。それこそベルトコンベア式に絞首台や刑務所に送り込むことが可能ですが、「犯人の主観」を徹底的に排除した手続には犯罪者の更生のための契機は一切存在しません。これはおそらくぎしゅう先生が手続法の専門家であるためでしょうが、ぎしゅう先生としては「更生」を考えなくて良い刑罰としてなるべく死刑判決を下すのが望ましいと考えているようです。

ぎしゅう先生の次には吉岡忍さんが、逆に「この判決では犯行の背景にあるとされる被告の性格形成の過程がよく分からない。実際は個人的資質なのか家庭環境や社会環境に問題があったのか、その点を詳しく明らかにすることで、社会全体に対して事件の再発を防止する警鐘を鳴らすべきだ」と言っていますが、鈴香さんの例を含むいろんな事例についていろんな裁判官がてんでんばらばらに下した判決から、「被告の性格形成の過程」を一般化して「社会全体に対して事件の再発を防止する警鐘を鳴らす」のは無理でしょう。裁判に出来るのは各々の事例について判断するところまでで、いくらその事例を「詳しく明らかに」しても、他の人が別の家庭環境や別の社会環境のもとで行なう別の犯罪を防止することは出来ないような気がします。

その次には例の日大の板倉さんが連続殺人だから死刑相当と言っています。まあ、「連続殺人」といっても最初の「殺人」は自分の長女であり、1人目と2人目とでは動機の点で相当異なりますから、通常に連想する「連続殺人」とは違うようですが。あえて「2人の児童が短い期間に殺された連続殺人」とまとめてしまうあたりにマスゴミ向けのコメントに長けた先生の芸を感じます。

いずれにしても「更生」について語っているのは香山リカちゃんだけのようですが、これは専門分野ですから当然といえば当然です。

<裁判員制度に一石/精神科医香山リカさんの話>
 無期懲役は意外だった。被告は幼少時に虐待を受けていたとも伝えられており、心のケアや治療によって更生の余地があるという裁判長の判断ではないか。生い立ちや生活環境の結果として、衝動性が形成されたとすれば、治療は可能だ。無期懲役と判断した背景には、裁判員制度を踏まえ一石を投じる考えがあったのかもしれない。同制度を控え、みんなが一直線に厳罰化を求めるのは危険な兆候だと思う。

2008年3月20日 河北新報


しかしリカちゃんにしても「無期懲役は意外だった」んだそうですから、「治療は可能」な人まで死刑にしてしまおうと考えていたようです。まったくもって「みんなが一直線に厳罰化を求めるのは危険な兆候」であります。

しかしリカちゃんは「事件の再発を防止」することについて語っていませんので、こっちででっち上げます。ビデオは回ってません。「犯罪の防止」にはこのような事件の報道というものも一役買っているようです。同種の犯罪へとつながりかねない欲望を抱く人にとっては、だれかが他所でやってくれているおかげで自分はやらないで済むのです。人は自分の欲望を代理する犯罪に興味を持ち、そういう人が多ければそれだけ「社会」が騒ぎ立てます。そして「犯人」の「物語」は多くの人の欲望する方向に導かれるでしょう。餓鬼が邪魔でしょうがないのは鈴香さんではなくて、それに「納得」する「市民の良識」の方なのです。そして「市民の良識」は自分の欲望を抑圧しながら、そんな不埒な欲望を抱く自らを罰しようとしますが、その処罰は「犯人」に向けられてしまいます。欲望の強度が強ければ強い程、それに応じてますます「厳罰化」することになりますが、よく考えてみれば罰を受けるのは自分じゃないんですから、安心して極刑を望むことが出来るわけです。「みんなが一直線に厳罰化を求めるのは」、みんなが犯罪すれすれの状態にあるから「危険な兆候だと思う」のだと思います。たまには堂々とブーたれましょうよ。
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2008年03月18日

「戦犯」たちの靖国神社

それでまた「工事中」に逃げ出す人も出る始末。

「靖国」上映を中止 東京の映画館

 来月公開予定のドキュメンタリー映画「靖国」をめぐり、都内の映画館1館が、予定していた上映を取りやめることを決めた。「問題が起こる可能性もあり、総合的に判断した」としている。
 映画は4月12日から都内4館、大阪1館での上映が、配給・宣伝会社アルゴ・ピクチャーズと映画館側との間で決まっていた。取りやめを決めたのは、東京・新宿の「新宿バルト9」。運営会社ティ・ジョイによると、今月13日ごろに興行担当者で議論して判断。15日にアルゴ側に正式に伝えた。
 担当者は「(上映作品の)編成の調整がつかなくなった」としながら、「色々と話題になっている作品。問題が起きればビルの他のテナントの方への影響や迷惑もある。総合的判断」と話した。
 新宿バルト9は昨年2月にオープンした複合施設内にあるシネコン。ビルの下層には百貨店や飲食店が入居している。アルゴの担当者は「こうした大きな劇場でかかること自体が珍しいタイプの作品なので、非常に残念。上映自粛の動きが広がらなければいいが」と話している。

2008年3月18日asahi.com


3月15日にティ・ジョイからアルゴ・ピクチャーズに対して「作品編成の都合で上映ができなくなった」という理由で断って来たそうです。業界のことはよくわかりませんが、1ヵ月を切った時点で「編成の調整がつかない」が通るんですか?すごいところですね映画業界って。ほとんどホテル並みです。とにかく「新宿バルト9」は名前の通りスクリーンが9つもあるシネコンですから、4月12日からどんなすごい映画がかかるのか、「ゴダールのブルース・リー対ゴジラ」ぐらいの魅力的な企画を期待して良いでしょう。

ティ・ジョイではその他の理由として「ビルの他のテナントの方への影響や迷惑」が発生するような「問題」を挙げています。なるほど客が入りすぎると「迷惑」になるのかもしれません。何事も程々が肝心です。特にその客が迷彩服を着て宣伝カーで店の前に陣取ってスピーカーで喚き立てるような稲田朋美ファンクラブの皆さんだったりするといろいろ大変でしょう。なんぼでも喰いそうだし。

もしかするとファンクラブの方から上映の応援に行く旨の申し出があったのかも知れません。しかしファンクラブの皆さんには残念ながら、この映画は朋ちゃんの主演作品ではありません。しかしよく見ると朋ちゃんがちょっとくらい出ているかも知れません。なにしろ10年にわたって撮影を続けた作品ですし、朋ちゃんはあの調子ですから何かについて靖国神社に出現しないとも限りませんから、どうかした間違いで隅っこにでも映っていないとも限りません。ファンの皆さんは目を皿のようにしてその一点でよ〜く観る必要があるでしょう。

さてこの新宿バルト9を運営する株式会社ティ・ジョイは東映グループの会社で、代表取締役は東映の代表取締役社長と兼任の岡田裕介さんです。元俳優ですからなかなかのどうもなんというか二枚目であります。昨年の日本映画の減収の「戦犯」と言われています。まあ一昨年の邦画バブルは何かの間違いだったのかも知れませんが、東映だけでみてもこの20年で最低の数字だったことは岡田さん自ら認めるところです。

岡田さんは「戦犯」なので「靖国」が癪に触ったのかどうかわかりませんが、決して「脅迫」や「圧力」に屈するような人ではありません。なにしろバカ殿の「「美しい国づくり」企画会議」委員でしたから、どちらかというと「圧力」を加える方の人の仲間だと思っても別段間違いとは限りません。とりあえず社内に「圧力」を行使したのかどうか、「検閲」の翌日の13日には早速会議を招集して、14日は初日前の金曜日で忙しいから15日にはもう上映中止決定を配給会社側に伝えたのでした。

「大きな劇場でかかること自体が珍しいタイプの作品」をここまで注目させたのはやはりなんといっても朋ちゃんの功績です。したがってこの作品の営業価値は上映決定時点よりも上昇しているのであり、現時点での上映中止は劇場側にとっては大きな痛手となりうるものです。

しかし岡田さんはああゆう立派な人ですから、もしかするとこれは自ら率先垂範の役を引き受けたのではないかという気もします。「「美しい国づくり」企画会議」では彼はこんな抱負を述べていました。「「美しい国」とは何を意味するのか?具体的に解かりやすくメッセージできるようにすることが私の役割かと考えています」。「会議」の解散から半年が経とうとしていますが、岡田さんはこんな形で「美しい国」を具体的に解りやすくメッセージしてくれたのです。どうも「美しい国」とはとんでもない不義理、怯懦、闇取引、などのことのようですが、彼自身は1年前の約束を忘れるような男ではなかったようです。
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2008年03月17日

日本でチベット

映画「靖国」推薦問題、文化庁幹部を注意

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の国会議員向け試写会開催をめぐり、渡海紀三朗文部科学相は14日、閣議後の会見で、案内状に「協力・文化庁」などと記載されていたことを取り上げ、推薦映画ではないことを強調し、表記を承知していた文化庁幹部を注意したと述べた。
 渡海文科相は、映画「靖国」に文化庁所管の独立行政法人から750万円が助成されている点には、手続きは正当に行われているとの認識を示した。ただ、配給会社作成の試写会案内状に「文化庁の協力による試写会」「協力・文化庁」と表記されていることを取り上げ、「文化庁が推薦しているような印象を与える」として、安易に「文化庁協力」との文言使用を認めるべきではないとの見解を示した。
 映画「靖国」は保守系国会議員から疑問視の声もあるが、映画について渡海文科相は「見ていないのでコメントは控えたい」とした。
 映画は中国人監督が制作。試写会は全国会議員に案内状を出し、12日に都内で開かれた。

2008年3月14日 産経ニュース


もちろん事情を知っている人はそういう「印象」を持たないでしょう。むしろアルゴ・ピクチャーズもなかなか面白いことを言うもんだという「印象」を持つんじゃないですか。文化庁が何に協力したからこの試写会が行われたのか、すくなくとも李纓監督や配給会社に「協力」したつもりではないことは明白でしょう。

朝日新聞によれば稲田さんは「助成金にふさわしい政治的に中立な作品かどうかという一点で見た」んだそうですが、助成対象の要件となる「政治的な宣伝意図を有しない」を「政治的に中立な作品」と勝手に言い換えてしまったようで、しかしそれとこれとは全然違います。「政治的に中立」でないことは必ずしも「政治的な宣伝」を意図するものではありませんし、逆に「政治的に中立」な立場というものの「政治的な宣伝」というものも可能です。政治的な立場と「宣伝意図」とは無関係なのです。

てゆうかある映画が自ら「政治的に中立」であるということを表明するということになると、それこそ「政治的な宣伝」以外の何ものでもありません。現に稲田さん自身が「中立」とは言い難い立場に立っていながら大真面目に「政治的に中立な作品かどうか」を判断しうると考えている様子はちょっと面白いです。稲田さんは「中立」という言葉を「真ん中」とか「中間」のつもりで使っているように思えますが、多くの人は自分自身の基準からして「中立」なところに立っていたりしますから、「中立」の範囲は随分広いものなのです。ほとんど右の端から左の端までいたるところが「中立」であり得ます。ところが実は「中立」とは利害関係を有しない「第三者」の立場のことなのですから、悪い冗談ついでに言えば、いやしくも日本人であるならば「靖国」について「中立」ではありえない。しかし中国人なら大丈夫かもしれない。「第三国人」というくらいで。

まあ、中国人だって「中立」じゃありませんが、だからある「メッセージ」が「中立」であるかどうかはその内容には関わらないわけで、「中立」な人は「第三者」であるが故に色んなことを言い出す可能性があります。稲田さんと同じ考えの「中立」の人もいるでしょうし、そうでない「中立」もいるでしょう。それで例えば映画をいくら一生懸命見ても、それが「中立」であるかどうかがわかるわけではありませんし、そもそも「中立な作品」などというものもありえなのです。

産経ニュースによれば稲田さんは「憲法で保障された『表現の自由』があるので、映画の内容を論評する気はないが」と言いつつ、「靖国神社という政治的な題材を扱った映画に政府関係機関が助成したことは疑問だ」などと、思いっきり映画の題材、というのはつまり内容の一部ですが、これについて論評しまくっています。さっきから稲田さんは言語表現の無秩序の陥っているようですが、どうも稲田さんは「政治的な題材を扱った映画」に「政府関係機関が助成」してはいけないと言いたいようです。これは「政治的な宣伝意図」のあるやつはダメ、という芸術文化振興基金の規定をさらに拡大解釈するものです。ほっておくと基金で助成する対象は「劇団ふるさときゃらばん」ぐらいしかなくなってしまいます。もっともあそこは既に他の官庁が手厚く助成しているのですから、文化庁に出る幕はありません。

このような拡大解釈が許されないのは、もちろん「憲法で保障された『表現の自由』がある」からなのですが、稲田さんは弁護士で国会議員のくせに憲法がまだ「改正」されていないことをご存じないようです。正確には「…映画の内容を論評する気はないが」から「靖国神社という政治的な題材を…」へ至る一瞬の間に、稲田さんだけ1人で「憲法改正」してしまった模様です。もっとも、「単独改憲」に踏み切る「改憲論者」は多いので、これは珍しいことではありません。そういう人達の言動によって、「憲法改正」の暁には例えば商業主義に乗らず権力に敵視されるようなものを含んだ文化の多様性を維持するための文化行政は政治から独立しないんだとか、何が「独立」行政法人だかわかりませんが、そうして「文化の振興」とはほど遠いような大変に立派な国になるんだとか、そういうことが明らかになるわけです。

そこで今回の場合に助成が取り消しになるようなことがあれば、それはそれで画期的というかエラいことですが、今回の場合は多分それはないでしょう。しかしほぼ間違いなく今後は「政治的」な作品に助成金がおりることはないでしょう。ところがこういう作品ほど助成金のようなものを必要としているものなのです。観客が支持しないといけませんな。今回は幸いにして「マスゴミネタ」のご提供を得て、作品の知名度は一気に上がったわけですが、今後とも助成金の有無に関係なく、その手の作品の上映・上演の際には是非とも一部週刊誌ならびに「転倒と早漏の会」を中心とした議員諸君は、今回の如き無知蒙昧と軽挙妄動をもっぱらにして頂き、「伝統と創造の破壊」と作品の宣伝活動につとめて頂きたいものです。ところで諸君のおかげさまをもちまして、「靖国 YASUKUNI」の公式サイトhttp://www.yasukuni-movie.com/は「工事中」になっちゃいました。どういうことか。
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2008年03月16日

冒険レイプ島

ゲームの中で児童はひどい虐待を受けており、しかも児童は『虐待を受けて良かった』という作りになっている

刑務所の中で囚人はひどい虐待を受けており、しかも囚人は『虐待を受けて良かった』という作りになっている

軍隊の中で兵隊はひどい虐待を受けており、しかも兵隊は『虐待を受けて良かった』という作りになっている

学校の中で生徒はひどい虐待を受けており、しかも生徒は『虐待を受けて良かった』という作りになっている

会社の中でサラリーマンはひどい虐待を受けており、しかもサラリーマンは『虐待を受けて良かった』という作りになっている

家庭の中でお嫁さんはひどい虐待を受けており、しかもお嫁さんは『虐待を受けて良かった』という作りになっている

家庭の中で餓鬼どもはひどい虐待を受けており、しかも餓鬼どもは『虐待を受けて良かった』という作りになっている

AVに出てくる女の人はみんな「顔射」が好きなようですが、AVに出てこない女の人はそういうことがあまり好きではないようです。AVに出てくる女の人もAVに出ていない時にはそういうことが嫌いなのかも知れませんが、好みというものは人それぞれですのでAVに出ている女の人と面識のない僕には何とも言えません。

それでもAVの中では「女の人はそういうことを喜ぶ」ことになっているので、あえてやっているようです。もっとも「やっている」のは本当は男優の方であるように見えますが、男優さんだって、いままでオマンコにハメていたものを、遠い顔の方まで出掛けていくのは大儀でありましょう。日頃の鍛え方が足りないと足がつったりしそうですから良い子のみんなはマネしないようにしましょう。

ときどきお話と現実の区別のつかないバカがAVを観て「女の子は顔射すると喜ぶ」と思い込んでいて密かに女の子から嫌われている、ということがあるなどと言われていますが、本当かどうか知りません。しかし例えば日本の政府なども、国民が利益の極大化を図るために経済合理性のみによって行動し、損失は「自己責任」だと思って我慢してくれるという「お話」が本当のことだという思い込みによって行動しているようですから、AVばっかり観ていないで女性の生の声をちゃんと聴かないといけません。

もっとも女の子は気に入らない野郎はひっぱたいてしまえばよいのですが、政府は強気で強引であります。言うことをきかない奴は押さえつけてでもぶっかけようとします。例えばもうすぐ卒業式ですから、またみんな口をこじ開けられちゃうわけです。きっかけは一応「日の丸」とか「君が代」ということになっていますけど、これは別にくすぐるのでも何でもいいんですが、全国一律に口の中で出すということで旗と歌を決めてあります。この旗に合わせてみんな立たせられて、歌を歌わされるのです。ちゃんと歌ってるかどうか、お口の開き具合を測るために極太のイチモツがあてがわれます。

これは「儀礼」だそうですので、全員がこれに従うという、そういう話しになっていますが、実際にはそう上手くはいきません。そこで従わない人には「脅迫」と「力」が行使されます。ですからこれは「力の誇示」によって人の「身体」を支配する「儀礼」なのです。力で肉体を支配されるのは主に女子中学生とか女子高生です。ひぃひぃひぃ。他にも男の餓鬼とか、オバサンとかオッサンが出てきますが、明るく陽気にいきましょう。

これは紛れもなくレイプです。日本では春になると、陽気のせいかこのような行為が全国津々浦々で行なわれるということです。レイプは日本の生活にすっかりなじんでいるようです。海外から訪れた人々は未開人の性生活を覗き見るような無作法はしません。その代わりに日本の日常生活に触れ、それからAVを観て、何かをすっかり誤解してしまいます。そこで日本人の女の子を捕まえて来て強姦に及んだとしても、彼らを一概には責められません。なにしろ連中は、日本ではレイプはわりと一般的なことだと思っているのです。米兵を擁護したい人は、せめてこのくらいのことを言わなければ説得力に欠けるというものでしょう。

しかしやっぱりヤラれる方にしてみればやっぱりレイプは御免被ります。これは大変にまともな感覚であり、かつて東京都教育委員であった鳥海巌さんも、このような人たちの生命力を賛嘆してやみませんでした。

それから、今度は国旗・国歌問題でも言われたのですけれども、いいじゃないかと、わずかの人がたとえそのときに立たなくても、あるいは国歌をうたわなくてもいいじゃないのという説が論説の中にございますけれども、これは改革というものに本当に取り組んだことのない人の言う言葉だと私は思います。企業でもそうです。改革派と言われる人が初め10%くらいでしょう。そういう方が出てきて企業を改革していく。そのうちに30%ぐらいの応援団が出てくる。ところがやはりわずかの少数派がおって、それはやはり改革が行われない方がいいわけですからあくまでも反対する。だけれども、これは徹底的につぶしませんと後で禍根が残ります。特に半世紀の間つくってきている癌ですから、その痕跡を残しておけば、必ずこれは自然増殖をしていくということだと思うのです。
2004年4月8日


どうもあまりあまり褒めてもいないようですが、「徹底的につぶす」というのは黙っておとなしく言うことをきかせる、沈黙させるということのようです。ところで癌の話しが出ましたが、あれは手術して全部とっても再発することがあるでしょう。手術の時にはわからないんだけど、黙っておとなしく転移しているんですよね。その場合5年以内には発病してきます。転移して1年くらいすると見えない転移が大きくなって発見可能になりますが、その頃には癌組織は直径1センチくらいに成長していて、その中の癌細胞数は約5億といわれています。

まあ、人間と癌細胞は違いますから、これで「日本の人口の4倍以上だ」とは申しませんが、5年もするうちには「癌」が「癌」でなくなっているのが人間社会だったりします。4年前には「改革」がなにか良いことのように言い張っても良かったかも知れませんが、鳥海さんは「改革」の後始末に本当に取り組んだことはないらしい。企業でもそうでして、意外なところに頑固な職人肌の「転移」が見つかって、ああ助かった、なんてことも考えられなくもありません。まあとにかく、すっかり「頭脳改革」された挙げ句戦争に負けたからって皇居前で切腹かなにかしてお国のために命を捧げるようなトンマな人ばっかりじゃなかったから、今ここに「祖国」があるわけだ。じゃあ土曜の夜だから「増殖」しようよ。
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2008年03月13日

ところで、「子どもポルノ」って字を見ただけで…

アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同

児童ポルノの単純所持の違法化や、アニメや漫画、ゲームの表現も「準児童ポルノ」として違法化を目指すキャンペーンの署名受け付けが始まった。マイクロソフトとヤフーが企業として賛同。

 アグネス・チャンさんらが呼び掛け人として、いわゆる児童ポルノに反対する「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンのネット署名受け付けが3月11日始まった。児童ポルノの単純所持の違法化や、アニメや漫画、ゲームなどで児童を性的に描いたものも「準児童ポルノ」として違法化するよう政府・国会に求めていく。キャンペーンにはマイクロソフトとヤフーが企業として賛同した。
 同日、東京・永田町の衆院第2議員会館で開いた記者会見で、アグネス・チャンさんは「子どもへの性的虐待は犯罪。ポルノを持ってもだめ、漫画を買って読んでもいけないと訴えていくべき」と話した。森山真弓元法相は「自民党の小委員会では単純所持は禁止の方向で一致しており、今後具体的に進めていく」とした。

 キャンペーンは、ユニセフ(国連国際児童緊急基金)に国内協力する民間団体・日本ユニセフ協会の大使を務めるアグネス・チャンさんや同協会の東郷良尚副会長、ヤフーの別所直哉最高コンプライアンス責任者ら25人が呼びかけ人として参加。「子どもポルノ問題に関する緊急要望書」への署名を呼びかけ、同協会が取りまとめる。
 緊急要望書では、現行法で違法化されている写真・動画以外にも、漫画やアニメなど「子どもの性を商品として取引するもの」を「子どもポルノ」と定義。インターネットや携帯電話の普及で子どもポルノを取り巻く環境が激変しており、「IT大国・コンテンツ大国である日本国内の現状が放置されているため、日本だけではなく世界の子供達も性的虐待の被害にさらされている」と指摘する。
 その上で現行法で処罰対象となるか否かを問わず「子どもに対する性的虐待を性目的で描写した写真、動画、漫画、アニメーションなどを製造、譲渡、貸与、広告宣伝する行為に反対する」とした。
 具体的には(1)現行法が禁じていない単純所持も違法化・処罰の対象に、(2)被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化──するよう、現行法の改正を含めて政府・国会に要望する。
 またメディアやISPらに対しても、「子どもポルノ」に含まれる写真やアニメなどの流布を規制する取り組むよう求めていく。
 署名は専用サイトとFAXなどで受け付ける。具体的な提出先などは決まっていないが、「民意をアピール」するものとして必要に応じて関係機関などに提出するという。「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」がブラジルで開かれる11月ごろまで活動を続ける考え。
「マイクロソフトとヤフーの協力に感謝」
 呼びかけ人の後藤啓二弁護士によると、「準児童ポルノ」は「アニメ、漫画、ゲームソフトなどと、18歳以上の人が児童を演じるようなビデオなど」。アニメや漫画、ゲームソフトは「写実的なものに限られる。ちょっと漫画で子どもの裸を描いたからといって規制はありえない」という。
 また「18歳以上の人が児童を演じる」については、「子どもと見分けがつかないような、例えばセーラー服を着ているとか」といったもので、「出演者の年齢確認ができないことをもってこうしたものがはんらんしているため」と説明した。ただ、「明らかに児童でない人の場合は対象外になると思う」とした。
 記者会見で、公明党の丸谷佳織衆院議員は、同党内に昨年12月に発足したプロジェクトチームが東京・秋葉原を視察したことなどを話し、「単純所持の違法化については明るい見通しだが、漫画やアニメは現状のままでいいのか。秋葉原の実態を見ながら、議論を深める必要がある」と話した。
 民主党の神本美恵子参院議員は、近く同党内に作業チームを立ち上げ、児童ポルノ問題について具体的な協議を始めると説明。「単純所持の違法化と、架空のものが大きな論点になるだろう。ゲームの中で児童はひどい虐待を受けており、しかも児童は『虐待を受けて良かった』という作りになっている」と批判した。
 呼びかけ人で「ECPAT/ストップ子ども買春の会」の宮本潤子共同代表は「2004年の児童ポルノ法改正時と違うのは、企業や民間が協力してくれること。マイクロソフトとヤフーの賛同には非常に感謝しており、今後具体的な取り組みも話し合っていきたい。企業が法律の強化を求めていることに感謝している」と話した。

ITmedia News 2008年3月11日


たぶんアグネス・チャンさんにはわからないことが沢山あるのではないでしょうか。「日本ユニセフ協会」は単に寄付金の受付をやっていればいいはずのものですが、このような活動は国連国際児童緊急基金の指示によるものなのかどうかもわかりませんし、なにより「日本」の「協会」なのに「大使」が日本にいるというのもヘンです。日本の「大使」の大部分が外国にいるわけで、日本にいる「日本」の「大使」といえば他にはマグマ大使くらいしか思いつきません。そういえばマグマ大使とその「妻」の体格差も謎と言えばナゾでして、しかも餓鬼までいるというんですからわけがわかりませんが、自分は「ユニセフの大使」だと思っているアグネス・チャンさんはその辺のことをどう考えているのか、「徹子の部屋」に出てちょっと話し合ってみた方がいいかも知れません。

とは言うものの僕だって小児性愛のことは趣味の範囲外なのでよく分かっていないので他人様のことはとやかく言えません。問題は複雑です。「児童ポルノ」というものがあるかと思えば「子どもポルノ」というものもあります。どうしてわざわざ別の言葉をこしらえて来るのか理解出来ません。すくなくとも「児童」と「子ども」の外延は全く同じことになっているようです。特に新語を持ち出すとすれば、バカなライターが字数を稼いでいるのではないかという疑いが濃厚であります。「児童」が「子ども」と言い換えられたからといって何かがわかりやすくなったわけでもないのです。

「児童」という語は「児童福祉法」にいう「満18歳に満たない者」を指しますが、「学校教育法」では「小学校の生徒」のことであります。「児」の字は旧字体では上の部分は「臼」であり、頭骸骨の大泉門が閉じていないことを表し、そのような幼い子を表します。「童」は額に入れ墨をした奴隷の意。転じて知的未熟を表し人偏を付けて未成熟の人間を意味するようになりました。一方で「子ども」も同様に未成熟の人間を指しますが、いずれにしてもそれが具体的に何歳までのことであるか、ということになると、これは人間の「成熟」とはほとんど無関係に決定されているようです。

巷間「十三ぱっかり毛十六」などと申しまして、女性の場合は13歳くらいで性器の形もぱっかりと整い、昔はこの頃に初潮を迎えたようです。そうなるともう立派な「産む機械」というわけで、大人の仲間入り、ということになったわけです。関西の方ではこの年になる娘に晴れ着を着せて親類や取引先に挨拶して回ったそうです。これは結婚を意識したデモンストレーションです。そのせいかどうか、日本では性交同意年齢は13歳ということになっておりまして、性的主体性が確認されるようになっていますが、なんだか娘を売りに出す親の都合という感じがしないでもない。

で、16歳というと現代の日本では女性の婚姻年齢です。女性の16歳のことを「破瓜」といいまして、これは「瓜」という字を分解すると「八」と「八」になる。8+8=16であります。ところがこの「破瓜」という言葉がいつの間にか処女喪失を表すことになりました。一説によると16歳頃にそういうことになる女の子が多いとか。しかしこれはあまり説得力のある話しではありません。13歳になったらいつ結婚してもいいという心構えを持たされるわけですから、3年もボーッと過ごしているとは考えにくい。むしろ「瓜」が女性器の象徴だと思って「破瓜」という字面から誤解したもんでしょう。

このように昔の習慣では女性は13歳でカラダはもう大人だぜ、男性は2年くらい遅れるということで15歳になりますが、その歳で男性は元服ということになります。下々の民は褌祝をします。男の子はこの年に初めて褌を締め、セックスを教わります。だいぶ昔は母親が相手をして教えていたそうですが、後には母方のオバサンなんかに教えてもらうようになっていったそうです。こういうことを「おおらか」というのか、みんながみんなセックス・マシーンたることを強要されていたというのか、何だかわかりませんが、とにかくかつては成人年齢は今よりも早かったのです。

これが18歳に引き上げられたわけですが、これにはあまり根拠はないようです。民法上の成年は20歳ですが、アメリカでは18歳を成人としますから、学制および「児童福祉法」はこれに合わせたものと考えられます。もっともアメリカでは高等学校までを義務教育としている州がありますが、日本の義務教育は15歳までであり、15歳になったら一人前に働く、ということもあったんですから、18歳というタイミングには何の裏付けもありません。

そこでこの15歳から18歳までの間というのが実にビミョーなお年頃です。第二次性徴を迎えた人間を「児童」として小学生なんかと同列に扱うのもなんだかおかしいようですが、更に15歳を過ぎた連中まで幼稚園児と同じ「児童」の範疇に入れるのはいかがなものかという気がします。しかし「児童」という範疇そのものが身体と心理の成熟とは無関係に境界線が設定されているのですから仕方がありません。後藤啓二弁護士によると「セーラー服を着て」いれば「子ども」なのであり、逆に言えば「児童」に当たるかどうかは「何を着ているか」によって決定されるとのことですが、そうなってしまうのも当然です。「児童」とは記号なのです。

したがって「ゲームの中で児童はひどい虐待を受けており」などと言い出す人がいるのも不思議ではありません。ゲームの中の「児童」は現実に存在する女の子ではないのですが、もはや議論は「現実の女の子」のことなど念頭に置いていません。ゲームやマンガを規制しても現実に「ひどい虐待」を受けている女の子は1人も助けることが出来ないのですが、ターゲットはそんなところにはないのです。「児童ポルノ」が「はんらん」しているのであればそれだけ、「所持者」と「虐待に関わる人」を結ぶ線は薄くなってゆくのですが、そういうことも無関係です。性的虐待の防止は目的ではありません。実写から描いたものへ、制作から所持へ、という流れは、可能な限り頭の中での構想そのもの、欲望そのものに近づいているのです。

セックスなどというものはどうもあんまり良くないものらしいのですから、「ポルノ」は常に人の心の蟻の一穴であり続けています。そういえば共産党もその辺熱心だったよな。もちろん公明党、アグネス・チャンさんも「幹部」を務めているらしい創価学会なんかは他人の欲望を強奪してご飯を食べているようなもんだし、お友達が総裁を務めていた自民/民主党に至っては人の欲望をなびかせる魅力に欠ける分、常にそれを「虐待」することを考えています。もっとも国民が「虐待を受けて良かった」と思うかどうかは保障の限りではありません。ところが世の中には奇特な人もいまして、吾妻ひでおさんなんかはその昔、アグネス・チャンさんのおっぱいミサイルで「虐待」されたいようでしたが。「やけくそ天使」で盛大な「ぶっかけ」をかました「元祖」吾妻さんも、最近のインタビューではアグネスさんの名前は出てきませんでしたな。林寛子には言及してましたが。
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2008年03月11日

「前」があったって「後ろ」を振り向かないで「前向き」に生きましょう。どっち見りゃいいんだ。

最近同窓会に顔を出してないんですが、それというのも同窓会が刑務所で行なわれるからなんです。

米、100人に1人「塀の中」 「安易な収監」批判も

 【ニューヨーク=長戸雅子】米国の成人約100人に1人が刑務所などに収監されていることが米国の民間研究団体、ピューセンターがまとめた報告書で分かった。成人の1%が「塀の中」にいるという不名誉な記録は米国史上初めてだという。
 報告書によると、全米で2008年1月1日時点で収監されていた成人は約230万人。米国の成人99・1人に1人の割合となる。
 人種・性別でみると、白人男性は106人に1人、ヒスパニック系男性は36人に1人、黒人男性は15人に1人が収監されており、20〜34歳の黒人男性に限ると、9人に1人という割合になる。
 他の国との比較では人口が最も多い中国の収監人数が2番目で150万人、ロシアが3位で89万人。人口10万人当たりでも米国は750人とロシアの628人を上回ってトップになっている。
 各州が受刑者の矯正にかける費用は全米50州で490億ドル、20年前の110億ドルから大幅に上昇しており、ピューセンターは2011年までにさらに250億ドルが必要になると試算している。
 しかし米連邦捜査局(FBI)によると、07年の凶悪犯罪発生率は1987年より25%減少している。こうしたなかで収監率・人数が上昇していることに専門家は「安易な収監が行われているからだ」と批判している。

2008年3月2日 産經新聞


どんどんぶち込んで、気がついたらこれです。これは今年の元日にムショの中にいた人のことですから、去年の大晦日に出た人や1月2日から入った人は勘定に入れてません。「収監されたことのある人」はもっと多いはずなんですね。アメリカは既に「前科者」が当たり前になる社会に突入しようとしています。

まあ人それぞれこの社会の中で生きるために戦っているんですから、前科者だからといって別にどうということはないんですが、ヤクザは「俺は前科何犯だ」とか言って凄むのが無効になるので困ります。さらに困るのがコスト面で、アメリカでは20年で4倍になってしまったそうです。一方、「凶悪犯罪」は同じ期間に25%減少しているそうですから、仮に刑務所に関わるコストの増大が犯罪の減少につながっているものとすると、コストが4倍になるごとに犯罪が25%減少するとした場合に、刑務所コストが110億ドルの256倍、2兆8160億ドルに達した時に「凶悪犯罪」発生率は1987年の3分の1程度になります。この段階でアメリカは国家予算のほとんど全てを刑務所に使うことになります。もっともこの計算だとアメリカの成人100人のうち256人が収監されている勘定になりますが。収監者一人当たりのコストが不変として100人のうち64人を収監した場合の犯罪発生率は42%となります。

このように現状の刑罰制度では犯罪の撲滅などは不可能であり、ニューヨーク・タイムズはこれを「マネー(お金)とライブス(人の命)のとんでもない無駄遣い」と指摘しています。http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2008/03/post_b1ed.html

したがって刑罰制度の見直しがアメリカから本格的に開始される可能性は低くはありません。この場合ほとんど全ての「犯罪者」を死刑に処すのでなければ心理療法などを用いた「更生」プログラムが現状の刑務所制度に替わって全面的に適用されることになると思われますが、これは社会復帰や再犯の予防には効果的かも知れませんが、それなりの問題がないわけではありません。

このようなプログラムでは「犯罪行為」よりも各々の「犯罪者」に注意が向けられます。例えば認知行動療法ではどのような罪を犯したかということよりも、その個人において見いだされるいわば「犯罪者的な」認知構成を矯正していこうとするわけですが、この考え方はいとも簡単に「犯罪者」以外の人々にも向けられるでしょう。つまり刑法上の「罪」を犯していない場合でも「犯罪者的な認知」のタイプがみられる人がいれば、それを見つけて「矯正」することによって犯罪を抑止することが可能ではないか、と考えられるわけで、そのために文字通り全国民が心理的にスクリーニングされ、何も悪いことをしていないのに「矯正」される、という事態が起こる可能性があります。

しかしながら、このような「矯正」プログラムに参加させられる「未犯罪者」においては、プログラム参加への動機付けが著しく低く、そのために所期の成果が上がらない、参加率の低下、反抗、逃亡、という事態が考えられ、参加を強制することによって逆にこのような傾向は増大することでしょう。これもまた「マネー(お金)とライブス(人の命)のとんでもない無駄遣い」となります。

したがって刑務所制度を代替する矯正プログラムは、その対象を厳密に刑法上の「犯罪者」に限定する必要がありますし、刑法などで定める「罪」にしても、新しい見地から再評価する必要があります。ある種の「社会的に」望ましくない行為を「犯罪」とするものにおいては、特定個人においてそれを抑止しようとするならばその人の人権を侵害するおそれがあり、そのような場合はその「犯罪」を刑法から削除する必要も出てくるでしょう。

逆に現状では裁判官が個人的な信条に基づいて人の言動を批判することがあり、そのような「感情」によって判決が左右されるきらいがないわけではありません。このようなことはもとより不適当なことでありますが、現状の刑罰制度においてはそんなつまんないことで人がムショにぶち込まれる期間が伸び縮みするのです。心理学的更生プログラムが実施されるとすれば、「判決」は社会の腹いせでもなければ被害者の報復感情の満足でもなく、それらを口実にした裁判官の個人的感情の吐露でもありません。しかしながらそれは法秩序の根底的な改革を意味するものではなく、現行の法を規制する原理の延長線上にあるものなのです。

しかしながら実は問題は現状の刑罰制度のやり方、つまり「犯罪」を「犯罪者」を「矯正」しないやり方で処理していわば「犯意」を最終的に保護するというやり方の当否にあったりします。社会が不完全であることによって作動不良としての犯罪が起こってくるのだとすれば、「犯罪」は社会がその不完全さによって取りこぼした人間の可能性の表れなのではないか。だとすればそれを「矯正」して殺してしまうよりも「再犯」のリスクを負いつつあえて「矯正」しない方が良いのではないか。しかしそれは社会をちっとは良くしようとする努力の放棄とも深く結びついて、「叛意」の「蜂起」を妨げるものなのかも知れません。したがって保守的な考えというのは「犯人」のことは口ではなんぼでも悪く言う、でも「犯罪」万歳、というもんでしょうな。でも「世論」はそこに気がついていないようですから、気がつくまでは「犯罪万歳」でもいいんですが。あまり悪いことをしないようにしましょう。
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2008年03月10日

みんなで映画を観にいこう

そういえば「ゆきゆきて神軍」(1987)なんてのもありましたが、「A」(1998)あたりから、「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2003)、「華氏911」(2004)といったマイケル・ムーア作品のヒットを経て、同年の「スーパーサイズ・ミー」(2004)なんてものありまして、ドキュメンタリー映画が何故か好調なんだそうで。最近では「不都合な真実」(2006)とか「いのちの食べかた」(2007)が話題になりましたな。僕は先日草間彌生のを観て来たけど、その次はヘンリー・ダーガーだってんだからどちらも尋常ではない。いずれにしてもドキュメンタリー映画の面白さが見直されているということで、大変結構なことではあります。

それで国会議員の中にも「ドキュメンタリー映画ファン」がいるらしいんですが、この人が抜け駆けをして自分にだけ先に見せろと言いだしたらしい。

靖国映画「事前試写を」 自民議員が要求、全議員対象に

 靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画の国会議員向け試写会が、12日に開かれる。この映画は4月公開予定だが、内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員が、文化庁を通じて試写を求めた。配給会社側は「特定議員のみを対象にした不自然な試写には応じられない」として、全国会議員を対象とした異例の試写会を開くことを決めた。映画に政府出資の基金から助成金が出ていることが週刊誌報道などで問題視されており、試写を求めた議員は「一種の国政調査権で、上映を制限するつもりはない」と話している。
 映画は、89年から日本に在住する中国人監督、李纓(リ・イン)さんの「靖国 YASUKUNI」。4月12日から都内4館と大阪1館でのロードショー公開が決まっている。
 李監督の事務所と配給・宣伝会社の「アルゴ・ピクチャーズ」(東京)によると、先月12日、文化庁から「ある議員が内容を問題視している。事前に見られないか」と問い合わせがあった。マスコミ向け試写会の日程を伝えたが、議員側の都合がつかないとして、同庁からは「試写会場を手配するのでDVDかフィルムを貸して欲しい。貸し出し代も払う」と持ちかけられたという。
 同社が議員名を問うと、同庁は22日、自民党の稲田朋美衆院議員と、同議員が会長を務める同党若手議員の勉強会「伝統と創造の会」(41人)の要請、と説明したという。同庁の清水明・芸術文化課長は「公開前の作品を無理やり見せろとは言えないので、要請を仲介、お手伝いした」といい、一方で「こうした要請を受けたことは過去にない」とも話す。
 朝日新聞の取材に稲田議員は、「客観性が問題となっている。議員として見るのは、一つの国政調査権」と話す。同じく同党議員でつくる「平和靖国議連」と合同で試写会を開き、試写後に同庁職員と意見交換する予定だったという。
 「靖国」は、李監督が97年から撮影を開始。一般の戦没遺族のほか、軍服を着て自らの歴史観を絶叫する若者や星条旗を掲げて小泉元首相の参拝を支持する米国人など、終戦記念日の境内の様々な光景をナレーションなしで映し続ける。先月のベルリン国際映画祭などにも正式招待された。アルゴの宣伝担当者は「イデオロギーや政治色はない」と話すが、南京事件の写真で一部で論争になっているものも登場することなどから、マスコミ向けの試写を見た神社新報や週刊誌が昨年12月以降、「客観性を欠く」「反日映画」と報道。文化庁が指導する独立行政法人が管理する芸術文化振興基金から06年度に助成金750万円が出ていたことも問題視した。同基金は政府出資と民間寄付を原資とし、運用益で文化支援している。
 稲田議員は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない。でも、助成金の支払われ方がおかしいと取り上げられている問題を議員として検証することはできる」。
 アルゴ側は「事実上の検閲だ」と反発していたが、「問題ある作品という風評が独り歩きするよりは、より多くの立場の人に見てもらった方がよい」と判断し、文化庁と相談のうえで全議員に案内を送った。会場は、同庁が稲田議員らのために既におさえていた都内のホールを使う。
 李監督は「『反日』と決めつけるのは狭い反応。賛否を超えた表現をしたつもりで、作品をもとに議論すべきだ」と話す。

2008年3月9日 asahi.com


ズルいよな。僕だって観たいぞ。しかもダタで。「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない」んだったら公開されてから観に行けば良いでしょうに。このために特にホールを使用したりして、税金の無駄使いです。仮に万歩譲って「助成金の支払われ方がおかしい」というのが作品の内容における「客観性」の問題になるのだとしても、もう助成金は支出済みですから、公開前に慌てて観る必要はありません。むしろその「客観性」とやらについてじっくりと検証する時間がどう考えても数ヶ月は必要です。

というのもこの「客観性」というのがよくわからないんですけど、一般的に言ってしまえば「客観性を欠く」映像というのは観客にとっては何が映っているのか皆目見当がつかないような相当難解なシロモノになるはずで、例えば「軍服を着て自らの歴史観を絶叫する若者」を撮っているつもりがどうしても売店のソフトクリームの方が気になるのでどうしてもカメラがそっちに振れてしまうとか。逆に関心が極めて狭い範囲に限定されている場合だと、例えば愛児の運動会のヴィデオ。自分の餓鬼ばっかり撮ってて赤組が勝ったのか白組が勝ったのかもわからないという。

およそこういうのが「客観性を欠く」映像なんだと思いますが、ここで仮に「客観性」の条件を、他人が観て何が映っているのか解る、他人が観てそこそこ面白いと思う、ということにしてみますと、ロードショー公開されたりあまつさえベルリンに招待されたりするというのは相当に「客観性」に富んだフィルムなのではないかと思われます。

ちなみに李纓監督自身は「この映画には私の強い主観的なものがあり、私はできるだけそれを抑制した。ドキュメンタリー映画を客観的なものにすることは不可能である。」と言っていますが、「主観的なもの」がどのようなものであるかが他の人に伝わる、例えばある人はそれを「反日」だと思ったわけですが、それが誤解であるかどうかはともかく、とにかく「反日」なら「反日」と受け止めることが出来たということは、その映像が「客観的」だったからなのです。

もっとも稲田さん達の「客観性」というのは、どうも「自分の気に入る」という、より狭い意味で考えているのかもしれません。もちろん観客は稲田さん達だけではないわけで、世の中には色々な人がいますから、そういう全ての人に「気に入る」ようには出来ないものです。多くの映画がこの課題に挑戦し、惨憺たる敗北を喫しています。全ての人に「気に入られる」のは「不可能」なのです。それでも大多数の人には「気に入られ」たいと思うわけですが、それはとりもなおさず「気に入れ」ばお金を払ってくれるからなのです。逆に「国政調査権」とか言ってタダで(税金で)映画を見ようとする稲田さん達に「気に入られ」ようとする理由は全くありません。

ところが稲田さん達は、抜け駆けをしてタダ観をするばかりではなく、どうやらこの映画に何らかの力を行使しようとしているようです。事前検閲を行なう以上は、あわよくば上映差し止めとか内容の「改変」を目指しているのかも知れません。ところが映画というものはNHKの番組とは違って、そう簡単に「改変」などは出来ないのです。何が映っているのか知りませんが、「カット」や「ぼかし」も間に合いません。しかしもしかするとパンフレットの製作に介入出来るかも知れませんし、上映予定館に難癖をつけて営業を停止するとか、火をつけて「丸焼けになった」と軽い口調で話してみんなを笑わせるとか、乱暴な人たちを組織するなどしてどっかの三流ホテルを見習ってもらうとか、色々あるわけですが、稲田さん達は映画そのものではなくて監督をターゲットにした模様です。おそらく「助成金」を問題にしてこの750万円也の返還を求め、李纓監督に経済的打撃を与えることを目指しているものと思われます。

この場合に稲田さん達が想定していると思われるのが「芸術文化振興基金助成金交付の基本方針」における「政治的、宗教的宣伝意図を有するもの」に抵触するというものでしょう。もちろん、「政治的、宗教的」な題材を扱ったからといって直ちに「宣伝意図」を証明するのは困難でしょう。この場合は恐らく不可能です。自己の思想信条の表現は「宣伝」とは言いません。「宣伝」という場合は宣伝する主体が制作者とは別個に存在しており、宣伝主体と制作者との関係の証明が必要になってきますが、まさか中国人だから中国政府の宣伝をしているんだというようないい加減な事では済みません。だいたい中国政府は日本の文化庁から助成金をもらわなければならないほど金に困ってないそうですよ。

もちろん稲田さん達は結果として自分達の言い分が通らなくても平気なのです。なにしろ「百人斬り」名誉毀損訴訟で勝ち目がないとみるや裁判官を侮辱し、結審後に裁判官を忌避したツワモノです。ほとんど勝ち負けは眼中にありません。えらい弁護士もいたものです。集団自決の方も見通しは暗いですが、騒ぎ立てるだけで少なくとも一時は一定の成果を得たかに見えたではないですか。結局はかえって世論を喚起し、ものすごい反発を食らいましたけど。

そういうわけで、稲田さん達は今回も「靖国 YASUKUNI」の良い宣伝役になってくれました。これも文化庁の「助成」の一部かも知れません。しかしながらかなり上映館を拡大しない限り黒字は難しく、DVDの売上げを多くすることを考えなければなりません。実際、多くのDVDソフトが「特典映像」を付けて購買意欲をそそっているところであります。そこで李纓監督としてはこの「試写会」を利用して、稲田さんを始めとした議員諸氏にインタビューをし、それを映画の宣伝素材とするだけでなく、独立したドキュメンタリー作品として製作して「靖国 YASUKUNI」の「特典映像」につけると良いと思います。2枚組になりますけど、5000円くらいなら買わないこともありません。

じゃあ僕だって稲田さんを見習って宣伝しますか。この映画は日本刀に関する映画だそうです。だからサムライやガイジンがカタナを振り回す映画が好きな人は見なくてはなりませぬぞ。それにもし仮に「日本人の魂」がカタナだったら、アメリカ人の魂は「銃」だ。「魂」というのはどうも危なっかしいものみたいだね。そういうわけで全てのアクション映画ファン、戦争映画ファン、切株派のキミも必見の一本、刀剣や銃器などの「魂」のない明るい社会をめざすあなたもぜひとも観ておきたい一本であります。公式サイト
http://www.yasukuni-movie.com/
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2008年03月07日

9人のイカレタ男

<裁判員法>死刑廃止議連「死刑は全員一致が条件」

 市民の裁判員と裁判官計9人が多数決で決める量刑について、超党派の国会議員でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)は4日、死刑判決の場合に限って全員一致を条件とすることを柱とする裁判員法改正案を作成する方針を明らかにした。仮釈放のない終身刑を創設する刑法改正案と併せ、今国会に提出する意向だ。
 裁判員裁判では、3人の裁判官と6人の裁判員が評議し、最低1人の裁判官を含む計5人の賛成で量刑が決まる。
 これに対し、議連は「死刑という重い判断はより慎重に決定されるべきだ」として、裁判員法に「全員一致」の特例を盛り込む案を検討している。死刑賛成の意見が過半数に達したが、全員一致とならない場合、終身刑とする仕組みだ。議連事務局長の保坂展人衆院議員は「来春始まる裁判員制度まで残り少ない。迅速に改正案を取りまとめ、提出したい」と話した。【坂本高志】

2008年3月4日 毎日jp


アメリカのニューヨーク州にもほぼ同様の規定があり、これは陪審評決において全員一致でなければ死刑および終身刑の評決が出せないというものですが、これについては2004年に控訴裁判所において違憲判決が出ています。この規定はむしろ陪審員に死刑への反対意見を述べにくくして死刑評決を強いる結果になるというのがその理由です。死刑廃止議連の案においても全く同様の問題が指摘出来るはずです。特に専門家である裁判官を含む合議体で実施される裁判員においては、少数意見への圧力はより強いものと考えられます。「裁判員裁判において、死刑判決を出す場合にのみ、全会一致を条件とする」というルールは、おそらく死刑判決を抑制せず、逆に少数意見を抑制するおそれがあるのです。

また、「死刑か、無期か」という落差は「重無期刑」の創設によって埋まるものではありません。冤罪の可能性が別段例外的なものではないことを考えると、再審の可能性がある限り、殺されないことは極めて重要です。しかしながら同様の理由から「重無期刑」は割と気軽に選択出来る便利なシロモノとなり得ます。「疑わしい」事例がどんどん「重無期刑」になっていくのかもしれません。

しかしながら「重無期刑」は洗練された「死刑」に他ならないという側面も持ちます。それは犯罪者の社会からの隔離という死刑の効果をそのまま受け継いでいます。ただ単に現存する死刑囚から血腥い殺害の手間を省いたのと変わりません。死刑判決の根拠として、よく「矯正不能」という断定が行なわれます。たとえ刑務所に入ったことがあっても、「矯正」のための試みなど碌に行なわれていないにも関わらず簡単に行なわれるこのような断定はそれ自体根拠不明なものですが、「重無期刑」は同様の「根拠」によって言い渡すことが出来ます。

これは刑罰の目的についての議論を混乱させる点において死刑と変わるところがありません。死刑は特別予防論と矛盾を来たし、これが結果として「矯正」もせずにただ単に一定期間虐待しただけのものを社会に放り出して再犯するに任せるという、どう考えても最悪の現状を作り出しているといえるのではないでしょうか。「重無期刑」も同様の難点を持ちます。死刑を廃止したい人は、「世論」の支持を得たいのであれば刑罰システムの全体を教育刑の考え方に基づいて組織し直すことによって治安の改善されることを訴えるべきなのであって、一部の政治的に先鋭化した「スーパー遺族」におもねって現状の混乱した刑罰システムに中途半端な要素を加えても何の役にも立たないでしょう。

そのほか、終身刑については生涯に渡って最低限の生存が保障されることから、一部の人々にとっては重大犯罪を犯して楽して暮らそうということで犯罪を誘発する危険があるという批判があります。死刑制度を利用して自殺に代える人もいるくらいですから、そういうこともあるでしょう。しかし、そういう人が問題になるくらい多数にのぼるとすれば、娑婆はよっぽど暮らしにくいということになります。僕としては一生ムショ暮らしの方が好ましいと感じられる程に人を追い込むような社会を犯罪から守ってあげる理由などいささかも見つかりません。
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2008年03月06日

嘘でもいいから殺人放火事件

そんなうちのカミさんが推奨する事件が、これだ。3・2・1。

殺人、放火で無罪判決=同房者への告白「任意性に疑い」−福岡地裁支部

 北九州市で2004年、全焼した民家から男性の遺体が見つかった事件で、殺人や非現住建造物等放火などの罪に問われた実妹の無職片岸みつ子被告(60)の判決公判が5日、福岡地裁小倉支部で開かれた。田口直樹裁判長は殺人、放火について、「証拠に種々の疑問がある」と述べ無罪とした上で、窃盗などの罪で懲役1年6月、執行猶予3年(求刑は4罪合わせて懲役18年)を言い渡した。
 片岸被告は全面否認を続け、無罪を主張。公判では、同被告が警察署に拘置された際、同房の女性(25)に兄殺害を打ち明けたとされる告白の信用性が争点になった。
 判決で田口裁判長は告白について「任意性に疑いがあり、証拠能力を認めることができない。被告の発言内容は、雑談としてその場の思い付きで虚構も織り交ぜながらなされた疑いがある」と述べた上で、捜査手法についても「相当性を欠いていた」と断じた

2008年3月5日 時事


この事例で分りやすいところは、検察側が用意した証拠が、ほとんど一つしかないというところです。その一つというのがこの「告白」なんですが。何とも心もとない裁判であって、よちよち歩きの幼児が屋根の上を歩いているのを見るような気がしますが、したがいまして裁判は、殺人及び放火に関しては専らこの「告白」をめぐってのみ行なわれることになります。

詳報 無罪判決の要旨 福岡地裁小倉支部

 片岸みつ子被告に対する5日の福岡地裁小倉支部判決要旨は次の通り。

 【主文】

 殺人と放火罪は無罪。威力業務妨害と窃盗罪については懲役1年6月、執行猶予3年。

 【犯罪事実】

 片岸被告は叔父と共謀し2002年3月31日、兄古賀俊一さんの妻が経営する学習塾の出入り口2カ所に壁を作り、教室や便所への出入りをできなくした(威力業務妨害)。古賀さんの死亡後、生前預かった貯金通帳を使って04年3月25日、現金500万円を引き出した(窃盗)。

 【告白の証拠能力】

 警察の留置場で同房だった女性が証言した被告の犯行告白には、証拠能力が認められない。捜査手法には次のような問題点が指摘できる。

 (1)捜査機関は同房者を通じて捜査情報を得る目的で、意図的に被告と同房状態にしたということができ、代用監獄への身柄拘束を捜査に利用したとのそしりを免れない。

 (2)同房者は、捜査官に伝えることを隠して被告から話を聞き出しており、被告は知らない間に同房者を介して取り調べを受けさせられていたのと同様の状態にあったということができ、本来取り調べと区別されるべき房内での身柄拘置が犯罪捜査のために乱用された。

 (3)房内では、取調室と異なり、将来有罪の証拠になることを想定して、自己に有利不利を考えて話す状況になく、供述拒否権への配慮が不足している。

 (4)同房者は事情聴取能力のある捜査官ではなく、捜査機関に処分を委ねている身であるから、無意識に捜査機関に迎合するおそれがあり、同房者を介して聴取する内容には虚偽が入り込む危険性がある。

 同房者からの参考聴取は許されるが、本件における事情聴取は単なる参考聴取の域を超え、虚偽供述を誘発しかねない不当な方法であり、犯行告白が任意になされたものとはいえない。身柄拘置を犯罪捜査に乱用するもので捜査手法の相当性を欠き、適正手続き確保のためにも証拠能力を肯定することはできない。

 【告白の信用性】

 犯行告白の根幹部分は被告が同房者に話したものと認めることができる。しかし告白に、被告を犯人であると合理的疑いなく認定するほどの信用性は認めがたい。

 検察官は、告白後に被害者の首に外傷があることが明らかになったという秘密の暴露があり、被告の告白には高い信用性があると主張する。しかし解剖鑑定から生前の傷と認めるには合理的な疑いが残る。被害者の首に生前の傷があると認定することはできず、告白に秘密の暴露があるとはいえない。

 【結論】

 告白に、被告を犯人と認めるほどの信用性は認められず、それ以外の検察官が主張する状況事実を総合しても、被告を犯人と認定するには足らない。結局、被告が犯人とするだけの確たる心証を形成するには至らなかった。

2008年3月5日 中国新聞


威力業務妨害と窃盗については有罪となっていますから、状況としては殺人や放火もやったんじゃないかという心証を持つ人もいるかもしれません。まず、威力業務妨害は事件発生の2年前のことで、兄の妻が経営する学習塾の自宅の土地に面した出入り口を封鎖して学習塾に出入りする者が自分の土地に立ち入ることが出来ないようにしたことであり、窃盗罪というのは被害者を介護していた被告人が生前に本人から直接預かっていた通帳と印鑑を使用して、事件後に葬式代として500万円を引き出したものです。

「兄の妻」と「妹」の「不和」なんてのはよくあることで、我が家もそうでけど、だからといって僕が殺される理由はありません。カミさんと妹で勝手に殺し合えばいいのです。検察側としてはこの「威力業務妨害」をもって被告人と被害者との間に不和が存在するかのような印象を与え、「窃盗」をもって犯行の直接の動機とすることによって「殺人」と「放火」の「心証」を与えようとしたものと思われますが、いかにも物事をよく考えない人の思いつきそうなことで、単なる思いこみでしかありません。しかし、こう言ってはナンですが頭の悪い人の常として、他の人も自分と同じように思うことを当然だと思ってしまいます。で、起訴しちゃうと。

物的証拠もなく自白調書もないのに、これに「告白」があれば盤石で鉄壁だと思っちゃったところが情けない。警察では被告人を署内の留置場に閉じ込めて日夜苦しめていたものの逮捕後3ヶ月近く経っても自白も取れず、かといって愚か者のアタマにこびり付いた思いこみは脳髄に深く根を下ろしていますので、別の奴が犯人じゃないか、などという画期的なアイデアも出ないので困っていたところ、6月18日になって救いの女神が現れたのでした。「現れた」てゆうかなんちゅうか、まあ、アレだ。

それがこのいわゆる「乳房の女性」じゃなかった「同房の女性」でありまして、この人は覚醒剤使用などで少年院入所2回、いまだに覚醒剤を使用する癖が抜けず窃盗を繰り返し、知人間では嘘つきで有名という、いわば警察のおなじみさん、マスコット、アイドル、オナペット、しかも窃盗で捕まって来たけど余罪8件という、弱みのカタマリみないなおねいさんだったようです(「スパモニ」による)。こういう人は「泳がせて」おいて情報収集を行なう、というのが警察の常套手段だと言われていますが、泳いでいるうちに9件も罪を重ねて来たものと思われます。今回の逮捕も、いわば「泳ぎ」みたいなもんで、普段海で泳いでるのをプールに入れたようなものでしょう。この女性は結局「逮捕」した事件1件についてだけ立件され、しかも執行猶予付きの判決を得て現在では元気に水泳を楽しんでおられるそうです。

この調子のいいおねいさんは他所が空いてるのに、しかも2人定員の房にもう2人入っているのに、被告人の房に無理矢理ねじ込まれます。そしてその翌日にはさっそく「昨日聞きました」と報告しています。素晴らしい働きぶりであるといっていいでしょう。とても逮捕された犯罪者とは思えない使命感であります。1晩たりとも無駄にしない機敏さこそスパイの鑑であるといえましょう。警察には「「すぐやる人」になれば仕事はぜんぶうまくいく」とかそういう本が常備必須であります。

このすばっしっこいおねいさんは24日まで被告人と同房で過ごし、7月15日にはまた頼まれて、じゃなっかった覚醒剤かなにかで再逮捕されて9月27日まで再び警察署内の留置場で被告人と同房となり、ここでは2人だけの時間を過ごします。その間この女性自身に関する取調べは4日だけ。ほとんどの時間が被告人の「告白」に関する聴取であり、要するに赤の他人の事件のことで不当に身柄を拘束され続けたわけですが、物の分かったおねいさんはそんな無粋なことは言わないようです。そのかわり「告白」の「メモ」を取ったり「心理テスト遊び」をして被告人に「殺害したことを認めます」と書かせたり、その手腕を遺憾なく発揮したのでした。

中でも白眉とされるのが「秘密の暴露」で、おねいさんは「首も刺した」というまたとない「お土産」を持って行きます。ところがこれについては「解剖鑑定から生前の傷と認めるには合理的な疑いが残る。被害者の首に生前の傷があると認定することはできず、告白に秘密の暴露があるとはいえない」と、あっさり蹴られてしまいました。むしろ「告白後」に傷をつけられたんじゃないかという不合理な疑いが残ってしまいました。てゆうか焼けてる死体の外傷が生前のものかそうでないか分んねえだろうとでも思ったんでしょうかね。呆れてものも言えません。

またこういう際に重要な「凶器」についての「告白」も、最初は「果物ナイフ」だったものが次には「出刃包丁」、その次に普通の「包丁」、そうかと思ったら「アーミーナイフ」、結局最後には「サバイバルナイフ」に落ち着くという四谷学院も真っ青の5段階個別指導ぶり。これって50代女性の身近にあるもの、思いつく物から、だんだん婆さんには縁遠いものになっていくんですが、注射器には詳しくても刃物にあまり詳しくないおねいさんが死体の鑑定結果に合わせるためにだいぶ苦労した様子が伺われます。これを含めたおねいさんと警察とのやり取りなど、いくらでも面白く出来そうですから演劇関係の方はいかがでしょうか。「蜘蛛女のキス」みたくミュージカルにするのもいいでしょう。「(眼の下に)クマ女の(首の)キズ」とか。

映画化するもの良いのですが、女囚映画の決まりとしてレズシーンが必要ですから被告人役の設定を変更する必要があるのは、まあいいとして、あまり出来が良いと外国の人も観たがります。それはいいのですが、その際に日本が世界に誇る「代用監獄制度」について説明しないといけないのがちと面倒です。日本の警察がいかに優秀であるか、どのようにして真犯人を取り逃がして別人を「犯人」に仕立て上げて事件を見事解決に導くかということについて観客の理解が必要です。1日24時間にわたる際限のない取調べ、警察官達の決然たる実行力と沈着冷静とはおよそいいがたいアンポンタンぶり、札付きの虚言癖のある人を連れて来て「ウソでもいいから」何らかの「証拠」を調達してくるボンクラ加減、死体にこっそりキズを付ける大胆な手口など、県警の花田捜査一課長がおっしゃるとおり無実の者を罪に陥れるために無知と野蛮と残酷の「最善を尽くした」様子を活写することによって、外国の犯罪者諸君がむやみに元気づいてしまう、などと心配するには及びません。少なくとも「セップク」が三島由紀夫だけの話であり、「サムライ」が藤岡弘、1人しかいないことを知っている教養ある外国人はとても実話だとは思わないでしょう。近頃じゃ「右翼活動家」だって拳銃で自分のこめかみを撃つんです。
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2008年03月04日

ほしのあき危機的状況に!

めでたく「エログ」の認定を受けたようですので(http://worstblog.seesaa.net/article/87611681.htmlコメント欄参照)、そんならやっぱっこれでしょう。

女性タレントに逆転無罪=器物損壊、再現実験決め手−東京高裁

 知人男性のマンションドアをけり壊したとして、器物損壊罪に問われたタレント小桜セレナさんの控訴審判決が3日、東京高裁であり、原田国男裁判長は一審の有罪判決を破棄、逆転無罪を言い渡した。
 判決で原田裁判長は、小桜さんがけ破って入ったとされる木製ドアの穴について、胸がつかえて通り抜けが困難だったとの再現実験の結果を採用。男性らの目撃証言の信用性を否定した。
 判決によると、穴の横幅は24センチだったが、小桜さんは胸の厚さ29センチ、胸囲101センチだった。小桜さんが当時着ていたダウンジャケットやシャツに傷は付いていなかった。
 控訴審では、一審で却下された模型を使った再現実験を実施。検察側も「くぐり抜けは可能」とした実験結果を証拠提出していたが、担当したのは胸板約21センチの男性警察官だった。

2008年3月3日 時事


僕は常識がないので小桜セレナさんって全然知らなかったんで、昨日は彼女の写真を探したりブログを読んだりしてたんですが、その限りでは中々ヨイではないですか。ちなみにGoogleの画像検索で「小桜セレナ」を探すと、関係ないエロ画像が沢山出て来て困ります。百度だとちゃんとセレたんの画が出てきますね。年齢を大幅に詐称していたようですが、それでも僕より年下だし、少なくとも写真では実年齢より5歳程若くは見えます。「セレたん」ってのは彼女のブログに時々出現する一人称ですが、38歳で「セレたん」はどうかと思う人もいるかもしれません。しかしまあ、ブログの書き方ってのはそんなもんだ。内容に関しては、家にはちょうどそのくらいの歳の女の人がいるんですが、そこから類推するに、まあ、あんなもんだ。

で、もはや数少ないセレナさんの画像を探しても仕方ないので、この裁判の一審判決の資料を探したんですが、見つからないのね。例の「霞っ子クラブ」の傍聴記は見つかりましたが、この文章ではセレナさんが「ちょっとアレな人」じゃないかという先入観をもって、「支離滅裂具合」と「やばい人」ぶりを強調したがっていますのであまりアテにはなりません。

次に話は変わり、逮捕時の検察官の取り調べが不当だったと主張し始めました。
まず調書の読み聞かせがなかった、そもそも検察は最初から調書を作ってあったと言い出します。

「調書はァ〜、最初から出来てました!!」
「でも、この調書には『面前で読み聞かせた』って書いてありますけど・・・?」
「そんなことないです(めちゃめちゃ早口になる)だって私の名前自体間違えてました!
私ィ〜、なんとか桜じゃないんですがァ〜」
「じゃあこの調書は検察のうそということになるんですか?」
「みたいですよねぇ〜」(ちょっとかわいく)
「何のために検察がうそつくんですか?」
「さぁ〜?」


もちろんこのようなやり取りが実際にあったと考えられます。(ちょっとかわいく)というところが不正確ですが。正しくは(ものすごくかわいく)だ。事実控訴審判決後の記者会見でもセレナさんは「(調書は)もともと出来てました。コンピューターで打たれてました」と一貫して主張しています。そしてこれは「霞っ子クラブ」が思う程には奇異な主張ではない事を僕たちは知っています。

この事件は「巨乳で逆転無罪」とかそういう話しになっていて、なんだか面白いのですが、実際には笑い事ではなく、検察側は24pの隙間を「男性警官」が通り抜ける事が出来たことをもって被告人も通り抜けたに違いないという、相当に杜撰な主張を行なったものです。ところがこの「男性警官」の体の厚みが21pしかなかったというのですからひどい話しです。普通警官っていうと厚い胸板をもった屈強な男子を想像してしまいますが、東京高検の鈴木和宏次席検事はそれを逆手に取って、ドアの穴より薄い人間を持って来てくぐり抜けさせたんでしょう。

対するにセレナさんの胸板は堂々の29p、胸囲は101pだそうです。公称プロフィール及び実測値等、96pから115pに至る諸説があるようですが、101pというのが裁判において認定された事実であります。原田国男裁判長が検察側の「証拠」を鵜呑みにする事なく弁護側に検証の機会を与えたのは当然の事とはいえ幸いでした。多く冤罪事件で調書のでっち上げや証拠の偽造といったことが行なわれていた事が明らかになっています。そう考えるとセレナさんの「事件」はある意味で典型的なものとも言えるでしょう。

ところで問題は「何のために検察がうそつくんですか?」という点であります。検察側は何故こんな事をしてまでセレナさんを罪に陥れる必要があったのでしょうか。ひとつの可能性は稲川素子事務所方面からの圧力の存在を仮定する事です。しかしそれは考えにくいということになると、特にセレナさんを有罪にしなきゃならない理由はありません。であるとすれば、検察は特に理由がなくてもいつもこんな事をしているのではないかという疑いが残ります。裁判てのはこんなもんだ。

ちなみにセレナさん自身は「胸が大きくてよかった」とは言っていなかったようです。正確には「もともとデブだったんですけど、それで気にしてたんですけど。あんまり良くないときもあるんですけど、今回に関しては、良かったです」と言ってました。しかしそれはそうかもしれませんが、家にいる女の人、まあ妻ですが、彼女も確かに多少は太ってきているようで、あまり婉曲でない言い方をするとすれば「デブ」なわけですけど、あんまり胸の方にはお肉が行かないようで、毎日嘆く事しきりであります。まあ、そういう人もいるということで、セレナさんも「デブ」を気にしないで活躍される事を期待しております。ほしのあきは「最年長」の看板を下ろしなさい。
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2008年03月02日

みんなでラーメンを食べにいこう

政府の公報ビデオ「買わないで! 模倣品・海賊版」によれば、「海賊版の蔓延によって収益が伸び悩めば、高品質の作品づくりは困難になります。」ということであります。もちろん多大な収益を上げてさえ「高品質の作品づくり」が出来ない人は大勢いるわけですが、だからといって例えば自分の嫌いなアーティストをやっつけるためにそいつのブートレグを買いまくる、ということが成立する程のダメージは与えないようです。

しかしながら同ビデオ(これが「高品質の作品」であるかどうかはさておき)では「世界中で販売されている模倣品の収益が、組織犯罪の資金源になっている可能性もあります。」とのことであります。実際のところはどうであるかはあまり明らかにされていませんが、そういう「可能性も」ないわけではないのですから、僕たち消費者は「「安いから」「パッと見ではブランド品に見えるから」という安易な気持ちで模倣品を購入する行為が、組織犯罪の助長や加担に繋がっているということを意識しなければなりません。」のです。

そこで例えば、あるラーメン屋が右翼系トンデモカルトの「資金源になっている可能性もある」としたらどうでしょうか。その「宗教団体」の主催者がラーメン屋と親族関係にあり、尚かつそのラーメン屋の株式の過半数を保持していたとすれば、そのラーメン屋は宗教団体の「資金源になっている可能性もある」と言えなくもないとしても過言ではないが言い過ぎである、そんなことは絶対にないとは言わないまでもあり得ない、そのような可能性はみじんもないわけです。

ネット中傷に無罪判決 『確実な根拠、個人は不要』東京地裁

 インターネットのホームページ(HP)でラーメン店のフランチャイズ運営会社を中傷する書き込みをしたとして、名誉棄損の罪に問われた会社員橋爪研吾被告(36)の判決公判が二十九日、東京地裁で開かれた。波床昌則裁判長は「ネットの個人利用者に要求される程度の情報収集をした上で書き込んだ。直ちに名誉棄損罪に問うことは相当でない」として、無罪(求刑罰金三十万円)を言い渡した。
 判決は、個人利用者がネット上で表現行為をする場合の名誉棄損について「主に公益を図る目的ならば、(メディアとは異なり)確実な資料や根拠に基づかなくても、その事実が真実だと誤って信じた場合には罪に問われない」との初めての基準を提示。その効果として「自己検閲により委縮することなく、憲法二一条(表現の自由)が確保される」と示した。
 弁護人の紀藤正樹弁護士によると、ネットをめぐる名誉棄損事件での無罪判決は初めて。ネット社会の現実を見据えた判断といえ、今後の司法判断や社会活動に大きな影響を与えるとみられる。
 波床裁判長は「被告による書き込みは、重要部分が真実であったとは証明されていない」と認定。メディア報道なら有罪になる可能性を指摘した。
 その上で、判決は(1)ネット利用者は相互に送受信でき、書き込みに対して被害者は反論できた(2)メディアや専門家が従来の媒体を使った表現とは対照的に、個人がネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いと受け止められている(3)現代社会では(個人が)公共の利害に関する事実について真実性を立証するのは困難−などと指摘した。
 今回の書き込みに対し、フランチャイズ運営会社側が二〇〇三年に橋爪被告を相手取り起こした民事訴訟では、〇五年に同被告の敗訴が最高裁で確定していた。
 橋爪被告は〇二年十−十一月の間、被告が開設したHP上で、飲食店「ニンニクげんこつラーメン花月」をフランチャイズ運営する会社について、カルト集団と関係があると中傷する内容の文章を書き込んだとして在宅起訴された。判決は、同集団と会社の関係について「緊密な関係にあるとは認められない」とした。
 東京地検・渡辺恵一次席検事の話 判決内容を子細に検討し、適切に対応したい。
■『表現の自由』強く意識
解説
 インターネット上の書き込みについて名誉棄損罪を認めなかった二十九日の東京地裁判決は、ネット上の表現行為が法律に抵触する場合の基準について、メディアと個人利用者を峻別(しゅんべつ)し、メディアに比べて個人の責任は緩和される、との判断を示した。
 司法はこれまで(1)公益目的(2)確実な資料や根拠に基づくこと(3)その事実が真実だと信じるだけの理由−の三点がなければ有罪としてきた。これは発信者がメディアの場合が前提で、今回の判決は(2)がなくても「個人に求められる水準を満たす調査」をしていれば罪に問われないと判断した。
 特筆すべきは、判決が、憲法が保障する「表現の自由」に踏み込んだ点だ。責任の緩和がなければ、個人は訴訟の被告になったりすることを恐れ、言論活動が鈍ることに言及、「自己検閲による委縮」を懸念した。
 情報の発信者の多くがメディアに限られていた時代とは異なり、ネット社会は誰でも自由に発信できるようになった。一方、匿名性に隠された過激な中傷は、メディアによる批判以上に人を傷つけることがある。
 責任の緩和と言っても、好き放題に書くことが許されるわけではない。それを許せば個人がネットで発信した情報の信頼性を低下させることになり、法規制につながる恐れがある。
 今後、判決が司法の場で追認されていくか注目されるが、ネット社会に生きる市民としての自覚が一人一人に求められている。 (社会部・寺岡秀樹)

2008年3月1日 東京新聞


まず、「日本平和神軍」と「ラーメン花月」との間には、「素人目には」かなり「緊密な関係」があると「誤認」されるような「関係」があったことは事実でしょう。この「緊密な関係」」は確かに「証明されていない」事実であるにしても、そのような関係が存在する「可能性もある」程度のものであると考えられます。そうであるならば「カルト集団」が反社会的影響力を持つものであると信じる限りにおいてそれを排除する目的で特定ラーメン店の利用を抑制しようとすることは、上述の「政府広報」同様に公益を図る目的を持つものといえるでしょう。

この判決の画期的たる所以は、「主に公益を図る目的ならば、(メディアとは異なり)確実な資料や根拠に基づかなくても、その事実が真実だと誤って信じた場合には罪に問われない」という点につきます。この判断は発信者の主観的な「公益性」をいかに判断するかという課題を残すものですが、「現代社会では(個人が)公共の利害に関する事実について真実性を立証するのは困難」であり、したがって「ネットの個人利用者に要求される程度の情報収集」をすれば足りるとした点は合理的な判断であると思います。これがなければ専従的な調査担当者を擁しない個人の社会的発言を全面的に封鎖する結果になるからです。

もちろん、事は「公益性」の判断にも関わってくるわけですが、これは一方では学位販売商法をもって多くの「悪徳商法」に資源を提供する可能性と、他方では一ラーメン店チェーンの営業権との比較になるのでしょうか。逆にいえばラーメン屋の権利を守るために「悪徳商法」の犠牲者を看過するものであるのか。実は答えはNOです。「メディアや専門家が従来の媒体を使った表現とは対照的に、個人がネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いと受け止められている」とされています。これは情報の受け手の態度について言われている事で、「個人がネット上で発信した情報の信頼性は低い」と言っているのではありません。「一般的に低いと受け止められている」のです。これは受け止める方の問題ですが、これによって今日の昼飯をどこで喰うかということについての判断は情報の受け手に委ねられるのであり、そのことをこの判決は肯定しているのです。

もちろん波床裁判長は個人による情報発信を過小評価しているのかもしれませんし、内心ではバカにしているのかもしれないのですが、であればなおのこと、「メディアや専門家が従来の媒体を使った表現」が飼い馴らされ、結論を押し付けて来る現在では、「信頼性の低い」言論の方が、受け手の思考を励起する限りにおいて「メディア」のあるべき姿を体現するものともいえるでしょう。その意味では波床判決は「メディアや専門家が従来の媒体を使った表現」を無批判に受け入れる受け手を批判したものとも言えるのです。

この意味で、個人にマスメディア並みの確実性を求めるが如き批判は、個人に無理難題を吹きかけることによってマスゴミ言説を無条件に擁護する一方でそれ以外の言論を封殺しようとするものであるともいえるでしょう。これは形式的な「平等」にとらわれて実際の不平等を黙殺することによって不平等を維持するものでありましょう。むしろ考えなければならないのはマスゴミの言説も個人の情報発信と同じ程度に「信頼性が低い」ものなのではないかということであり、マスゴミをインターネット並みに貶めることでしょう。そしてこれはマスゴミが社会の公器たる事を忘れ、表面的には野蛮な激情の煽動装置でしかなくなった現在では、むしろ遅すぎるのではないかとも思えます。実際、マスゴミの危機感は表明されています。特に橋爪さんのホームページを「ネット中傷」と中傷し、この判決の「拡大解釈に懸念の声」を挙げた「東京新聞」において、常日頃「良心的な」情報商品を生産する「東京新聞」においてなのです。というわけで全マスゴミが牙をむき出したわけですが、検察も控訴しました。
posted by 珍風 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月01日

犯しの国のお姫様達へ

街では誰もが「惑星X」の話しをしていないんですが、そうなると続きを書かなくちゃいけないね。
http://okasinokuni.cocolog-nifty.com/

で、全然関係ない世界なんですが、

米兵釈放 「そっとしておいて、と」 地検「適正捜査」

 「そっとしておいてほしい」。沖縄県で女子中学生を暴行したとして逮捕された米海兵隊員(38)が29日に釈放された理由は、女子生徒側の告訴取り下げだった。地元には戸惑いも広がったが、キスを迫り暴行しようとした行為は、これまでの捜査で浮かび上がっている。米軍基地と隣り合わせに生きる住民らの不安は消えない。
 那覇地検では29日午後9時45分から、山舗(やましき)弥一郎検事正が隊員の釈放について説明。集まった約20人の報道陣に「被害者が告訴を取り下げたため本日付で不起訴処分とし、釈放した」と淡々と語った。
 被害者が告訴を取り下げた経緯については「いつからかは言えないが、きょう突然言い出したわけではない」「そっとしておいて欲しいということのようです」などと話したほかは、詳細な説明を避けた。
 告訴が取り下げられなければ起訴できたのかどうかについても「事実が存在したかどうかではなく、告訴がないと公訴が提起できない。訴訟条件がなくなっているわけで、それ以上でも以下でもない。コメントすることは適切ではない」と述べるにとどめ、隊員の供述内容についても明らかにしなかった。ただ、県警による逮捕など一連の捜査の是非について問われると、険しい表情を浮かべて「適正だった」と語気を強めた。
 告訴がなくても立件できる他の罪名で捜査を続ける可能性については「被害者の気持ちを考えると、他の罪で公訴提起するのは適切でない」と述べ、否定した。
 女子生徒が隊員に声をかけられる場となった沖縄市の東門美津子市長は「被害者に対する心ない声もあり、つらい立場に追い込まれたのではないか。でも、米兵による事件が続いていることも、重い基地負担があることも何ら変わりはない」と話した。
 暴行現場とされた北谷町の野国昌春町長は「これだけ大きな事件になり、少女に相当な重圧がかかってしまったのではないか」と言葉をかみしめた。町内には3000人近くの米軍関係者が基地外に暮らす。「小さなトラブルは数え切れない。町民は米軍の存在に漠然とした不安を抱えている」
 「非道な犯罪を起こした米軍基地の撤去を」。そう踏み込んだ抗議決議・意見書を2月15日に可決した沖縄県読谷村議会の前田善輝議長は「基地がある限り沖縄に多くの米兵が存在し続ける。また事件が起きないか、心配だ」と語った。
 95年の少女暴行事件を機に発足した「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」は当時、被害少女に「二度とこのような事件を米兵に犯させない」と誓いの手紙を送った。前事務局長の桑江テル子さん(69)は「基地がある限り、沖縄はこうした犯罪と隣り合わせの状態が続く」と嘆いた。

2008年3月1日 asahi.com


一方米軍ではこの兵士に対する操作を継続するそうですが、もう僕たちには見えません。かくして事件は闇へ葬られます。強姦罪が親告罪になっているのは、公開の法廷での事実の追求がかえって被害者の不利益になるためであるとされていますが、たしかに米軍に雇われた敏腕弁護士がかなり残酷な戦術を取ることが予想可能です。しかし今回は起訴以前の容疑者逮捕の直後から、米軍に雇われたあまり敏腕とは言いがたいライターによるセカンド・レイプが進行していました。

産経の花岡さんの書き物などはウワゴトの域を出ないタワゴトだったかもしれませんが、「週刊新潮」は女の子の家族環境その他被害者の身辺に迫る取材結果を公表し、これはかなりの恐怖を与えたものと思われます。小倉なんとかいうおエライ弁護士先生には想像もつかないと思われますが、「社会的人格」の暴露は相当に危険です。特にこのような場合には。小倉さんは「だったら文句を言わずに黙ってろ」と言うのでしょうから、今回女の子が告訴を取り下げたことについてはご満足頂けるものと思います。

「週刊新潮」が「危ない海兵隊員」が街を闊歩し、「危険なイージス艦」が海をうろついている状況についてどう思っているか知りませんが、とにかくこれで日本としては米軍がどういう処置をしようとも強姦兵に手も足も出せません。法廷でのセカンド・レイプや「犯された女」への社会の偏見を放置したうえで強姦罪を親告罪としているんですから、こうなるのは予想の内なんですね。

じゃあ強姦罪を親告罪でなくしたらどうかというと、いきなりそういうわけにはいかないと思いますが、一部マスゴミを含めた「親基地勢力」がこれを最大限活用したのは事実でしょう。しかしそれにしても「親告罪」とはどういうものなのか、ちょっとイイカゲンに調べてみたところです。

ひとつには「事実が公になることで被害者の不利益になる場合」で、強姦罪の他に
強制わいせつ
未成年者略取及び誘拐
営利目的等略取及び誘拐
名誉毀損
侮辱
親書開封
秘密漏示
ストーカー行為
なんかがそうなってます。もっとも「名誉毀損」から「秘密漏示」までのは、すでに「不利益」な事実が公になっているんじゃないかという気もしますが。

もうひとつは軽微な犯罪であって
過失傷害
文書毀棄
器物損壊
親書隠匿
などのうち被害が軽いものは親告罪です。

また、親族間の犯罪として
窃盗
不動産侵奪
詐欺
恐喝
横領
などが「親族間」で発生した場合は親告罪。

その他に著作権の侵害がそうですが、これは著作権者が「このくらいはいいじゃん」と思えば良いわけです。ちなみに当ブログの文章をそのまま引用して、あたかも自分の意見のように発表する人がいても、僕はべつに構いませんよ。バカにされるのはその人だから。しかし、現在インターネットをターゲットとした言論抑圧政策の一環としてこれを親告罪でなくそうという動きがあります。

親告罪は検察官が独占している公訴権に一定の「犯罪」において例外を設けることによっていわば「犯罪」を保護しているようですが、しかしここで保護されているのは「犯罪行為」などではありません。やっても良い「犯罪」などは想定されていないのです。そうではなくて、ここで保護されているのは主に「被害者」が置かれている慣習的な社会関係です。

例えば親族間における「犯罪」を親告罪とすることによって「家族」における支配関係が保護されます。未成年者略取及び誘拐についても同様でしょう。そして強姦及び強制わいせつやストーカー行為においても、これを親告罪とすることによって男女間における慣習的な男性支配を保護しています。もっともこれも「家族」関係の保護とつながるようです。

これらの場合において親族間における卑族、家庭における子供や妻、両性関係における女性に告訴するかどうかの判断を委ねることによって、被害者は訴えたことによって被る「不利」を勘案して訴えを差し控えることが予想されます。実際に今回もそうなったわけですが、このようにして社会的な強者が弱者に対してその権利を侵害することを、まさか推奨はしないにしてもなるべく罪に問わず、弱者には「泣き寝入り」していただくのが法の目的とするところであります。

反対に慣習的な社会関係、「公序良俗」に反する行為は、たとえ意に反する強制がなく、双方合意の上でのものであろうと、「強くとがめられなければならない」ことになっています。

県青少年健全育成条例違反の会社員逮捕

石川署は20日午後11時50分ごろ、郡山市富久山町福原字釜沼92ノ8、会社員佐藤高士容疑者(41)を県青少年健全育成条例違反の疑いで逮捕した。
調べでは、佐藤容疑者は昨年10月20日未明、石川郡内のホテルで携帯電話の掲示板サイトで知り合った郡内の少女(15)に対し、18歳未満と知りながらみだらな行為をした疑い。

2008年2月21日 福島放送


女子高生とみだらな行為、作新学院高の25歳教諭を逮捕

 栃木県警少年課と下野署は15日、宇都宮市駒生町、作新学院高校教諭林公則容疑者(25)(15日付で懲戒解雇)を県青少年健全育成条例違反(淫行(いんこう))の疑いで逮捕した。
 調べによると、林容疑者は2007年12月15日昼、同県下野市のホテルで、当時17歳だった知り合いの高校3年の女子生徒(18)にみだらな行為をした疑い。
 学校などによると、林容疑者は同校出身で、00年春の選抜高校野球大会に主将として出場。開会式で選手宣誓をし、8強まで進んだ。05年4月に採用され、福祉の授業を担当。パワーリフティング部の顧問も務めていた。

2008年2月15日  読売新聞


これらは強姦でも強制わいせつでもないし、売春ですらありませんが、結果として強姦兵よりも重い制裁を受けることになったのは矛盾でもなんでもありません。「淫行」は複数の人間が「共謀」して「公序良俗」に公然と楯突く行為ですから罪が重いのです。それに比べれば1人の男性による女性の権利の侵害は「家庭」の基本をなす清く正しい行為ともいえますので、あまり積極的にとがめないようです。たしかに米軍や自衛隊は国民を守ってくれないんでしょうけど、法律だって国民を守るために存在しているわけではありません。そのうち「淫行」の相手方の未成年者をも処罰する条例がどっかの田舎に出来るかもしれませんから、「淫行」はお互いのためになりません。もしそうなれば未成年の女の子を好きになっちゃった人は強姦し、かつ告訴させないというのが法的に適切な行動である、と結論出来ます。普段からよく話し合っておきましょう。
posted by 珍風 at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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