2008年03月28日

「愛国心」は官僚の思い上がりの象徴

本日は「政治アナル・レイピスト」の生霊が取り憑いております。僕としては以下のギロンに必ずしも全面的に賛成するものではありませんが、下手な人にお祓いを頼むと体を切り刻まれるに決まっていますので、今日はこのまんま西ちゃいます。


 前回コラムで、たばこを購入するときに必要となる成人認証ICカード「タスポ」の理不尽さをちょっとだけ指摘した。思った通りコメントなど全くいただかない。別にコメントが殺到することなど期待していないのだが、マスかきとしてはズリネタがあるのは最大の喜びである。そこで特に止めろと言う人もいないようなので、言い足りなかったポイントをあえて追加したい。

 それは、「タスポ」が象徴する官僚システムの「思い上がり」についてである。筆者が「タスポ」を問題視したのは、たばこ購入という個人の嗜好に属する部分に、官僚がずかずかと土足で入り込む、そのいかがわしさ、おぞましさに対してである。

 問題はそれだけにはとどまらない。例えば沖縄戦集団自決訴訟だ。

日本軍が深く関与=元守備隊長らの請求棄却−沖縄戦集団自決訴訟・大阪地裁

 太平洋戦争末期の沖縄戦で住民に集団自決を命じたと虚偽の事実を著書に書かれたとして、元日本軍隊長らがノーベル賞作家で「沖縄ノート」の著者大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店を相手に出版差し止めや2000万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、「集団自決に旧日本軍が深くかかわったと認められる」とした上で、名誉棄損は成立しないとして請求を棄却した。原告側は控訴する意向を明らかにした。
 軍や元隊長による自決命令の有無が主な争点。訴訟が理由の一つとなり、昨年度の高校教科書検定で「軍による強制」の記述に意見が付いた経緯があり、判決が注目されていた。
 深見裁判長は元守備隊長の命令について、「集団自決に関与したことは十分推認できる」と指摘。一方、著書に記載された通りの命令自体を認定するには「ちゅうちょを禁じ得ない」とした。
 沖縄ノートの記載内容について、大江さん側は元守備隊長を特定する氏名の記述がなく、名誉棄損に当たらないと主張したが、深江裁判長は引用文献などから特定は可能と判断した。しかし、集団自決の学説や文献、大江さんらの取材状況を踏まえ、「真実と信じるに足りる相当の理由があった」と認定し、名誉棄損や出版差し止めの弁護側主張を退けた。

2008年3月28日 時事


 文部科学省はこの裁判における原告側の主張を根拠として、教科書から集団自決に関する軍の強制・関与に関する記述を削除させようとした。しかし、この検定意見を出した検定官自身が軍による自決強制をひた隠しにしようとする「新しい歴史教科書」の監修者の教え子・共同研究者だったのであり、文部科学省の官僚はある特定の教科書に肩入れして、その編集方針をそのまま教科書検定に反映させようとしていたのである。日本軍による国民殺害を隠蔽しようとする人々は、学問の自由なアリーナでは勝ち目がないから、官の「お助け」にすがったのだ。官尊民卑を地で行く行為である。

 筆者の立場を明らかにしておかないとフェアーではないと言われそうだから、あえて書く。当方は、教科書などというものはほとんど一行も読んでいない劣等生である。検定がどうであろうと知ったことではない。だいたいあまり字が読めないのだが、どこから見ても大馬鹿者なので、これをだれも怪しまなかった。

 さらに論を進めよう。文部科学省は28日に告示された学習指導要領に全く異例の変更を行った。

学習指導要領 君が代『歌えるように』 「愛国心」総則明記 直前変更きょう告示

 文部科学省は二十八日付で、小学校で二〇一一年度、中学校で一二年度から実施する学習指導要領を告示した。二月に公表した改定案を一部修正し、学校の教育活動全体についての方針を示す総則に「我が国と郷土を愛し」の文言を新たに盛り込んだ。また、小学校音楽では君が代について各学年で「指導する」としていたのを「歌えるよう指導する」と変更した。いずれも議論を呼ぶ可能性のある事柄で、意見が反映される余地のない土壇場での変更が批判を呼ぶことは必至だ。 
 同省は「改定案公表後の与党からの意見や、一般公募で寄せられた意見を総合的に判断し、(愛国心などを新たに盛り込んだ)改正教育基本法の趣旨をより明確にした」と説明している。
 愛国心については、道徳に「国を愛する」、社会で「国を愛する心情」の記述があるなど、学習指導要領にはすでに盛り込まれてきたが、総則に記載されるのは初めて。教科横断的な道徳教育の中で、どういう日本人を育成するかという文脈で「我が国と郷土を愛し」の文言が加えられた。改定案の段階で盛り込まなかったことについては「長くなりすぎないようにしたため」などと説明している。君が代については、指導要領の趣旨や内容について詳しく説明する解説書には一九九八年改定時から「いつでも歌えるようにする」との記述はあるが、指導要領自体に「歌えるように」とは明記されていなかった。同省は「趣旨を明確にした。先生にはより意識して指導してほしいが、児童の成績などに反映するような変更ではない」としている。
 二月十五日の改定案公表後、与党内からは「教育基本法の改正が十分に反映されていない」などの声が上がっていた。翌十六日から一カ月間に、一般から電子メールや郵便、ファクスで寄せられた意見は五千六百七十九件。「社会科以外でも教えることを盛り込むべきだ」との意見がある一方「徳目を子どもに押しつける点で大きな問題」との意見もあった。

2008年3月28日 東京新聞


 文部科学省では学習指導要領を単なる参考にとどめず、法律並みの強制力を持つものとして考えている。にも関わらず公の議論を経ない形で、国民の誰にも何の相談もなく「総則」に「愛国心」を「新たに盛り込んで」しまった。このようなことをした理由は全く明確ではなく、「与党内から」の「声」に過剰に反応したものとしか考えられない。
 
 世界中、どこを探しても、愛国心を否定する国などありはしない。しかし個々の国民の「愛国心」はその人自身の問題であり、これを教育との関連で考えれば「わが国と郷土」について正しく教えることによって自然とそれを愛するようになるべきものであって、「愛する心情」そのものを教えることは「押しつけ」になってしまい、かえって逆効果だ。そのようなことはむしろ社会全体で「愛国心」を涵養する妨げにもなろう。この点についてはパブリック・コメントでも意見が分かれているのであって、たかが、文科官僚ごときが(と、あえて言う)、社会の倫理規範の範疇に属するような世界に入り込んできてはいけない。そこが「愛国心」の最大の問題点であって、これは見過ごせない重要な意味合いをはらむ。

 もちろん、「愛国心」というのは市民革命を経た西洋的な概念であって、万世一系の天皇を戴く神国である我が国においては、本来奴隷であるにしか過ぎない国民が「国」に対して「愛」であろうと何であろうと自発的に何らかの感情を抱くことこそ畏れ多いことであり、特に肯定的な感情を抱くことは考えにくいのは当然だ。だからこそ「愛国心」は「押しつけ」なければならないのであり、また真の「愛国心」は「押しつけ」られたものでなければならない。それは実は「国を愛する心情」であってはならず、そうである必要もない。杉並区和田中の教育業者支援やPTA解散に対して何らの異論も出ないのは、文部科学省主導体制が固まってしまったことを意味する。「国を愛する」がゆえの議論ではなく、ただただ「国」に対していかなる「心情」も抱かないこと、黙って従うこと、つまり官僚に都合のいい国民が作り出されようとしているのである。もちろん個々人としての官僚としては、なりふり構わず支配体制に迎合することによって豊かでお気楽な老後から政界での栄達に至る有利なオプションが色々と用意されているのだから、ますます頑張らないではいられないのだ。

参考文献:http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/98/


posted by 珍風 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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