2008年04月28日

夢見る遺族たち

もっとも、本当の「ナイーヴさ」というのはたとえばこういうものなのかもしれません。

「親としては不満、控訴を」=歌織被告判決に遺族が手記−夫殺害切断

 外資系会社社員三橋祐輔さん=当時(30)=殺害事件で、妻歌織被告(33)に懲役15年の判決が言い渡されたことを受け、三橋さんの遺族が28日、代理人を通じ、「親としては不満。検察官には控訴してほしい」などとした手記を公表した。
 手記は、判決が同被告の完全責任能力を認めたことを評価。一方、同被告が三橋さんから配偶者暴力(DV)を受けていたとした点には、「祐輔は自分の言葉で反論できず、事実を語ることができない。本当に悔しさを感じる」とした。

2008年4月28日 時事


親が言うとねぇ。こういう立派な親御さんの息子さんであれば、これはもう間違いない。多分ご両親に似た立派な方だったのでしょう。世の中の優れた人々と同じように法に触れない範囲でやっておられたに違いありません。やられてた方が闇雲に反撃すればそれは往々にして「犯罪」となり、懲役です。世の中の仕組みというものはこの親御さんたちのような正しい方々の味方です。

だからといって、たとえば本村洋さんがこの人たちよりも幾分かマシであるかどうかというと、いささかの疑問を呈しないわけにはいきません。確かに彼は自分の口から発した言葉よりも産經新聞の「要約」の方が自分の言葉であると思い込んでしまいそうな、素直な好青年ではありますが、ややもすると現実から遊離した桃源郷に遊ぶが如きところが見受けられるのはいかがなものでしょうか。

本村さんによると今回の判決は「ほころびのない素晴らしい判決」であって、「社会はどうすれば犯罪を減らせるのかを考えるきっかけになる判決」なのだということです。それは「どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機」となるような判決であったということであります。

「契機」ですから、判決の中にそういうことに対する考察が含まれていることになります。例えば判決は

死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無を検討するに当たり、被告人が本件各犯行をどのように受け止め、本件各犯行とどのように向き合い、自己のした行為についてどのように考えているのかということは、極めて重要である。


と前提したうえで、争いのある公訴事実について全面的に検察側の主張を認めることによって被告人側の主張を「虚偽の弁解」と決めつけ、そうすることで「酌量すべき事情」を奪っておいて死刑判決を導きだしています。

これは明らかに死刑判決を導出するためのロジックであり、人はこの判決を見て「なるほど裁判というものは不公平なものだ」と考えるかもしれません。その結果として人が裁判にかけられることを回避しようとするものとすると、その原因の一つである触法行為を差し控える可能性がないわけではありません。もっとも世の中には冤罪がある一方で捕まらない犯罪者もいたりしますから、無実の罪で捕まって不公正な裁判にかけられるよりも自分から犯罪を犯した方がマシですし、それで捕まらなければ尚結構なことです。

一方で判決はなぜ被告人が犯罪を犯したかということを解明することを避けています。被告人の生育環境について

被告人は幼少期より実父から暴力を受けたり、実父の実母に対する暴力を目の当たりにしてきたほか、中学時代に実母が自殺するなど、生育環境には同情すべきものがある。また、実父が年若い女性と再婚し、本件の約3カ月前には異母弟が生まれるなど、これら幼少期からの環境が被告人の人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面があることも否定できない。もっとも、経済的に問題のない家庭に育ち、高校教育も受けたのであるから、生育環境が特に劣悪であったとはいえない。


と述べる一方で被害者の家庭環境については

被害者は一家3人でつつましいながらも平穏で幸せな生活を送っていたにもかかわらず、最も安全であるはずの自宅において、23歳の若さで突如として絶命させられたものであり、その苦痛や恐怖、無念さは察するに余りある。…被害児は両親の豊かな愛情にはぐくまれて健やかに成長していたのに、何が起こったのかさえも理解できず、わずか生後11カ月で、あまりにも短い生涯を終えたものであり、まことにふびんである。一度に妻と子を失った被害者の夫ら遺族の悲嘆の情や喪失感、絶望感は甚だしく、憤りも激しい。


と、あまりにも鮮やかな対比が描かれているのであり、「経済的に問題がないから劣悪ではない」という結論は穏当を欠いています。人によっては生育環境の経済面だけではなく、そこで「道徳教育」が行なわれなかったことを問題にしたい場合もあるかもしれませんが、判決はその点についても「劣悪ではない」と言い切ってしまっているのですから、ここでも「「どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機」を見いだすことは出来ません。

本村さんは被告人の背中を眺めていたようですが、判決をちゃんと聴いていたのかどうか、ちょっと心配です。もっとも会見では

最後まで事実を認め、誠心誠意、反省の弁を述べて欲しかった。そうすれば、もしかしたら死刑は回避されたかもしれない。


などということを自分の考えのように言っていますから、どうだかわかりません。これは判決の趣旨そのものですから、本村さんは鸚鵡返しをしているのか、ぼんやりしている間に耳に入ったことをアタマに刷り込まれたのか、どちらかではないでしょうか。

ちなみに判決をよく聴いていると、これも相当にアヤシゲな話しであることに気がつくはずです。すなわち「酌量すべき事情」として

第1審判決が説示するように、被告人は公判審理を経るに従って、被告人なりの反省の情が芽生え始めていたものである。もっとも、差し戻し前控訴審までの被告人の言動、態度などをみる限り、被告人が遺族らの心情に思いを致し、本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていたと認めることは困難であり、被告人は反省の情が芽生え始めてはいたものの、その程度は不十分なものであったといわざるを得ない。


として、「差し戻し前控訴審までの」被告人の「反省の情」が「不十分」であったことを認める一方で

被告人が上告審での公判期日指定後、遺族に対し謝罪文を送付したほか、窃盗の被害弁償金6300円を送付し、当審においても、遺族に対し被害弁償金として作業報奨金900円を送付した。平成16年2月以降は自ら希望して教戒師による教戒を受けている。また、被告人は当審公判において、これまでの反省が不十分であったことを認める供述をし、遺族の意見陳述を聞いた後、大変申し訳ない気持ちで一杯であり、生涯をかけ償いたい旨涙ながらに述べている。


「上告審での公判期日指定後」には「反省の情」を示していることを述べています。つまり検察側の「公訴事実」を認めていた間は「反省の情」が薄く、事実関係を争い始めると「反省の情」が厚くなったのです。このことから判決では「公判期日指定後」の「反省」を「偽りの言動」であると看做していますが、これを裏返せば「公訴事実を全面的に認めていた」こともまた「その罪の深刻さに真摯に向き合」っていなかったが故のことであるということになります。

どちらが本当なのか。判決は被告人が自暴自棄になって検察の言い分を何でも認めてしまうことを求めています。そうしてくれれば死刑にはしないというようなことを言いますし、仮に死刑回避を第一に考えるのであれば被告人側もそれに従うはずです。でもそうしなかったわけです。

一方で本村さんは「反省してくれ」と言いますが、被告人がいくら「反省の情」を示しても、事実について争う以上は司法はどこまでも「反省」を認めません。かえって「反省の情」を示さなくても公訴事実について争わない態度が評価されています。これが本村さんの従来の意に添う判決であるとは到底思えないことから、本村さんはどうやら死刑判決が出ることに満足して、判決文が読み上げられている間、ぼうっとしていたか、居眠りをしていたか、それとも何か別のことを考えていたものと考えざるを得ません。総理大臣になる夢を見ていたか、おそらく判決後の会見で喋ることを考えていたのでしょうね。
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2008年04月27日

モンスター遺族のヘアヌード

ネットで実名公開、非難 少年審判参加で 

 少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが27日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。「悪魔」「死ぬまで許さない」などと陳述する被害者もいたという。政府は被害者の審判傍聴などを認める少年法改正案を提出中だが、審議にも影響を与えそう。

2008年4月27日 共同


そりゃまあ何と言っても「被害者遺族」ですから、内輪に見積もっても被告人に対して怒っているのはほぼ確実で、こういうことがあっても不思議じゃありません。「悪魔」呼ばわりをしたり、「死ぬまで許さない」とか言うのも予想の範囲なのであって、他の人は聞き流せば良いだけです。物を投げたりするのは宜しくないようですが、これは遺族を防弾ガラスで囲むなどによって防止出来ます。被告人をそういう箱の中に入れても良いのですが、出廷時や退廷時にスキができますし、そういう際にプロの狙撃手でも投手でもない遺族が的を外して関係ない人に怪我をさせないという保証がありません。

それよりも「被害者遺族」に「守秘義務」というものがないらしいのには驚きます。少年の実名を隠すことの是非はともかくとして、今のところそういう約束事になっているのですから、たとえ遺族といえども勝手なことは謹んでもらいたいものです。というのも僕は「加害者の人権」がどうこう言うのではありません。自分が裁判員に当たったらどうしようかと思っているわけです。

そんな口に締まりのない奴が「被害者遺族」だったら裁判員は気が気じゃありません。判決が遺族が求めたのと違ったら大変です。遺族は裁判員の名前を知らないかもしれません。しかし顔は知られてしまいますから、不幸にして遺族に絵心があったりすると、似顔絵などを描かれたうえで「こいつらも悪魔の仲間だ」なんて言われてしまうわけです。ついでに「死ぬまで許さない」なんて言われてしまって、それが遺族が死ぬまでだったら別に構わないのですが、こっちが死ぬまで、という意味だったらちょっとイヤです。そして遺族がこっちを「許せる」日がなるべく早く来るように動き出したりしたらもっとイヤです。

それじゃあ「被害者遺族」の気に入るような判決を出せばいいのかと言うと、今度は被告人の方が気になります。被害者の気に入る量刑は被告人の気に入らないことがあり得ます。懲役何年だか知りませんが、その間被告人は僕の顔を思い出しては復讐を誓うのです。それがコワイからといって死刑にしてしまっても、危険はなくなりません。被告人にだって家族やなんかはいるわけで、これがもし被告人が実は「加害者」ではなかったりしたらどうしますか。原則密室取調べを貫く現在の警察ではそんなことはよくあることです。それで不幸にして被告人にも絵心があったりしたら、やっぱり似顔絵を描いて「こいつらに復讐しろ」なんて言うのかもしれません。ついでに「死ぬまで許さない」なんて言われてしまって、しかしこの場合はご本人が先に死ぬのはもちろんですから、この場合もすごくイヤです。

全国犯罪被害者の会幹事の本村洋さんは、このような一部の不良遺族の存在に目をつぶり、

これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。


などと春風にように暢気なことを言っていますが、ついこの間まで「私が殺す」と息巻いていたのを忘れているようです。たしかに「犯罪」は「社会の問題」ですが、本村さんとしてはそんなキレイごとを言わずに、必ずしも「民主的」でなくてもよいから被告人の死を要求していたはずであります。あの頃のワイルドな本村さんはどこに行ったのか。それどころか彼は自分が「被害者遺族」な事案で死刑判決を獲得するや、

どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。


などと、あたかも社会に問題を提起するためにあえて「死刑」というものを持ち出したかのようにカッコつけた言い方をするのはいかがなものか。昔はヤンチャで何か投げつけたりするような遺族と同じだったもんだ、なんて「更生」した不良(でも傍目には昔と同じ)みたいなことを言うつもりでしょうか。ちょっとズルいようです。

それでも本村さんの二枚目路線は一部では好評なようです。なにしろ自分の妻と子どもと「犯人」の三人の命を並べて「社会の損失」と言ってのける程です。そればかりか

どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。


とまで言うのです。「犬死」ですか。イヌね。たしか被告人もイヌがどうしたとか言ったとか言わないとか伝えられていますが、妙に響き合います。本村さんはこんな事を言っていると奥さんに怒られそうですが、奥さんに怒られる心配は最初からないのですから大丈夫なのです。

しかしこんな事を言うのも、本村さんが微妙な気持ちで被告人を殺害する一種の手応えを感じていて、その味わいが思った程良くないと思ったのではないか。死刑判決に直面して一番「反省」したのは本村さんなのかもしれません。

両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。


という彼は、たしかに「武士道」がどうしたとか意味の分からないことをほざいていた時とは違うようです。「この制度を維持する」にあたって「常に悩む」ことに「本当の意味」があるんだというようにも読めます。「悩む」ことに「意味」があるのです。非常に好意的に解釈すればここからは彼の「悩み」が、もしかすると組織から離反する可能性を秘めた「悩み」が読み取れないでもありません。しかしこれは毎日新聞の記事による発言なのです。産経の記事だとこんな発言になります。

両手放しに死刑は必要だとか間違っていないとか言えないので、迷いながら悩みながらこの制度を維持してゆくべきではないかと思います。


これだと悩んだりしながらも「この制度を維持する」ことに「意味がある」と言っていることになるわけで、全然意味が違うんですよ。で、テレビで彼の会見を(部分的に)中継したのと比較すると毎日の方が彼の発した言葉に忠実に書いていると判断出来るんですね。実に恐ろしきは「要約」であります。本村さんが刀匠だったら産経に削除を要求するところです。

もっとも映画ではこんな「要約」は出来ません。映画では「編集」の問題になるわけで、刀匠の登場する場面の意味はそれと繋がる他の場面との関係で意味付けられるという映画の特性について刀匠がどこまで文句を言えるか、という問題になるんですが、産経の会見記は本村さんの発言をそのまま伝えることに意味があるんですから、変に「要約」して発言そのものの意味を変えてしまうのはさすがに違うだろ、と思うんですが。

これは産経の「宣伝意図」によるものなんでしょうけど、そして「厳罰」を煽り立てるマスゴミの紡ぐストーリーは理想的な「加害者」像として「わけのわからない、対話も共通感覚もあり得ないモンスター」を要求しているのに対して、

自らの命をもって堂々と罪を償ってほしいと思う。できればそういった姿を私たち社会が知れるような死刑制度であってもらいたいと思います。


と「加害者」と「社会」の対話を望む本村さんは、自分の感覚が誰にでも通じるだろうという一種の自分勝手とも言えるようなナイーヴな思考の持ち主です。なにしろこれは「公開処刑」に他ならないのですが、それがもっぱら「被害者遺族」が望むような美しい形で行なわれるだろうと考えているのですから大したものです。最後まで抵抗する奴、死ぬ間際まで無実を訴える人、頭がおかしくなって何だかわからないままに殺される者、そういうことを想定すらしていないんですから、マスゴミにいいように利用されて最後はヘアヌードです。総理大臣?うん、同じようなもんだな。
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2008年04月26日

【腥論】再論「靖国」 ノンフィクション作家・上風特高

 ■中国人イジメか
 話題の映画「靖国 YASUKUNI」を私はさすがにいくらなんでも見た。

 日本弁護士連合会主催で試写会が行われるというので、往復はがきで申し込んだら「当選」の連絡があったのだ。無理矢理に試写会を開かせて強引に見るのとはずいぶん違うと思う。

 弁護士会としては表現の自由が侵害されてはならぬと企画したものだという。たしかに乱暴なお兄さん達のお友達である「伝統と創造の会」にクレームをつけられた映画だから、ことによると死人が出るようなトラブルを警戒して上映を自粛した映画館がある。本来なら今頃はとっくに公開されていたはずなのだ。

 会場につくと入り口で民放の男性から、何故この映画を見にきたのかとコメントを求められた。すかさず「見たいと思ったから」と答えてすり抜けたが、見ないうちから「感想」のようなものを書く人がいる一方で、何故きたかと聞かれても見ないうちは答えようがないという用心深い人間もいるのだ。そういうことは映画の内容を見た上で、多少カッコつけて答えるのが表現の自由というものだろう。正直いって別段そんなに見たかったというわけでもないのだが、「当選」したわけだし、その背後には「落選」した人が大勢いるのだから、そんなことは言うべきではなかろう。

 結論からいうと、この映画は私には老人への言論イジメにさえ思われた。いまも名刀を打ちつづける90歳の矍鑠(かくしゃく)とした刀匠の応答が柱になっていて、色々と都合があって答えたくないことを強いられている印象を受けたからだ。刀匠がキレて刀を振り回し始めたらと思うとハラハラドキドキのしどおしだ。

 画面はまず敗戦の日に旧陸海軍の軍服を着て靖国に参拝する人々の様子から始まるが、それが終わると監督が現れる。出たがりの監督である。稲田朋美議員は、中国人のくせに「日本映画」を作るのはどんな気持ちか、政治的な映画を撮るとは何事かというような質問を、たどたどしい日本語で聞く。監督は穏やかな表情ながら無言であった。

 かつて思っていた趣旨と違うという横槍が奥さんから入ったから、観客には議員の意図が手にとるようにわかる。有村治子議員は「覚えていることだけでもいいから」と執拗(しつよう)に刀匠に問いかけたが、刀匠は淡々として最後まで見事に棒読みを貫いた。あまり覚えは良くないようだ。

 ≪無言の老人を執拗に≫
 これでいい、長々とカメラを向けられながら一言も口にしなかった刀匠を映し出しただけでも、この映画は上出来だと私は好感を持った。

 これ以上は刀匠にとっても気の毒だ。映画だけ見ていれば立派な人かと思う観客もいたに違いない「無言の老人」のはずが、公衆の面前に引きずり出されて、映画にクレームをつける様を中継される姿はまるで別人のようだ。刀匠としては相当のイメージダウンになったのではないか。

 画面は変わって硫黄島の映画を見て頭が狂った6人のアメリカ人が、靖国神社に星条旗を立てようとして中国人にはがいじめにされて、「とんでもない侮辱だ。こんなことをしたやつは地獄に落ちるだろう」と群集の声が高まり、追い詰められたアメリカ人が例によって銃を乱射する様子など、息をのむ場面がつづく。

 そのあと監督は刀匠を訪ねて、日本刀を銃と比較して「日本刀は戦場で役立つのか、百人斬っても刃がこぼれたりしないか」などというまことに答えにくい質問をした。百人斬れるとも言うのはマズい。かといって斬れないと言うのも刀匠のプライドが許さないというわけで、ここでも刀匠は答えることなく、身辺の藁(わら)を指して「濡れた藁束で試し斬りをしている」といい、念を入れて「藁の芯には青竹を入れる」と補足した。

 アクション映画に登場する日本刀による斬殺ということが実際に可能であるらしいことがわかった監督は喜んで「竹を骨にするのですね」「人の骨として」とダメ押しするように繰り返す。日本刀をアクセサリーだとでも思っていたのだろうか。刀匠は苦しげに「昔は口うるさい女房やペラペラお喋りな婦人議員を斬ったらしい」とだけ呟いた。「男」を感じる一瞬である。

 ≪肝心な問いに答えず≫
 肝心な点は日本文化の粋を殺人のための武器にみるというところであろう。これではまるでフランス文化の精髄はギロチンだと言うのと同じことである。フランス人が聞いたらただでは済みそうもないが、監督は追い討ちをかけるように、戦場で何人斬ったと競い合う話を聞いたことはないかと問いかけた。画面に現れた“百人斬り”を連想させたことはいうまでもない。わざわざイナバ物置の例を引くまでもない。日本の「ものづくり」は百人が目標なのだ。刀匠は「そういうこともあったかなぁ」というのが精一杯である。これではまるでそういうことがあったかのように聞こえる。もちろんそういうことはあったわけだ。

 刀匠が余計なことを口走るのはこれだけではない。監督が3度目に刀匠を訪ねたとき、刀匠は監督に「あなたは靖国問題をどう思うか」と問いかけた。これは刀匠の方に言いたいことがあったのだから当然のことながら監督の答えはなく、刀匠が語るにまかせることになるが、刀匠はまさに靖国神社の関係者なので、どちらかというとお金を払って参拝する人の見方であることは言うまでもない。「私の考えは小泉首相と同じです。国のために命を奪われるビンボー人が野垂れ死ぬ間際に二度とこの国には生まれたくないと祈るのもまた愉しからずや」といっている。手に職があると老後も安泰であろう。うらやましい限りである。終わりに近づいたころカメラは仕事場の隅を写した。好きなカセットを聞かせて欲しいという注文に応えて刀匠が流したのは、オリンピック開会宣言など昭和天皇の肉声集である。刀匠は玉音をBGMにして仕事の調子を上げているらしい。不敬なんだか無邪気なんだかよくわからないが、このあと刀匠が「お茶も差し上げませんで」といったのを、帰って欲しいという日本的シグナルだろうと思った監督はこの場面を最後の方に持って来たわけだ。監督の日本文化理解は私などよりも深いようだ。

 靖国問題への賛否をならべたテレビの討論会さながらに観客を興奮させた点で、映画は成功したといえよう。私にとっては映画よりもテレビの方が面白いのだから、テレビのように面白い映画が良い映画なのである。こんな私に映画について書けという参詣も参詣だが、書く方も書く方だ。もっとも私が出演した時は興奮したのは私の方で観客はドッチラケだったと聞く。やはり今度からテレビに出る時はミニスカにしようかとも思うが、刀を文化とみるか武器とみるかはズレたままである。しかし考えてみれば刀は「人斬り包丁」である。一方で普通に家庭で使っている包丁を「文化包丁」ともいうのであるから、ことによると「文化」とは人殺しの方法のことなのかも知れない。

 最後に刀匠が声を張り上げて歌った詩吟の一節が、
 「♪容易に汚す勿(なか)れ 日本刀」だったのは、なんとも皮肉であった。これは水戸光圀の作である。
 
蒼龍猶お未だ雲霄に昇らず
潜んで神洲剣客の腰に在り
髯虜鏖にせんと欲す策無きに非ず
容易に汚す勿れ日本刀

「髯虜」が監督のことを指しているのかどうかはわからないが、なんでも「鏖」にするそうである。物騒な話しであるが、「策無きに非ず」であるから無闇矢鱈と刀を振り回したりしないでもうちょっと辛抱しようと、そういう詩なのだ。要するに「そのうちやっつけてやる」という意味なのであるが、これが「皮肉」なのはあえてこの吟詠を作品に含めた監督の意図なのであった。それがわかっていないらしい私は日本文化の理解において中国人にも劣る大馬鹿者であることがバレたわけだが、そんなことは皆さん先刻ご承知のはずだ。


http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080425/tnr0804250256000-n1.htm
posted by 珍風 at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

【臍論】再論「靖国」 元官僚の靴下のにおいがする

 映画『靖国』を私はまだ見る機会はない。しかし試写を見た人は私に、日本刀、靖国神社、昭和天皇を、戦時中の日本のイメージと捉(とら)えて、それを南京事件や百人斬り事件(使用されているフィルムの信憑(しんぴょう)性にはかなりの問題があるようであるとその人は言っていた)の背景として映し出した映画だと思わせたいようだ。

 見ていない映画の芸術性については問題に出来ない。しかし残念ながらその手の才能は(他の才能も)私にはこれっぽっちもない。だから、見ても見なくても一緒なのだ。そもそも私は映画というものを見て何かを理解出来たためしがない。わけのわからないものを2時間以上も眺めているのは苦痛以外の何ものでもない。人から話しを聞いている方が楽である。そういうわけで私はおすぎが好きだ。映画を生齧(なまかじ)りしたオカマの空疎なお喋りは、それはそれで一つの芸術的な手法だと信じて疑わない。

 そして、参詣が親切にも映画を観る手間を省いてくれ、人から聞いた話しに基づいて原稿を書く機会を与えてくれたので、その出来映えに自分ながら誇りを持っているところだ。

 問題はその原稿は今書かれている最中であり、しかも書き出しののっけから出来映えに誇りを持ってしまったりすることの可否である。原稿料は発行部数の少ない新聞の方からは出せないので、スポーツ紙からの助成を受けているようだ。助成の対象は、(1)日本語原稿の企画から完成までの製作活動(2)商業的、宗教的、政治的な宣伝意図がないこと、である由である。

 まず日本語原稿なのかどうかという問題について、今お読みになっている通り、かろうじて日本語で書かれていることは間違いない。しかし元記事 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080424/plc0804240236001-n1.htm を参照して頂ければわかることだが、内容形式共に原稿料を頂くのが申し訳ないようなしろものである。もしかするとこの原稿は私が自分で書いたのではなく、書いているのは中国人であり、しかも助成金支払いが内定したあと、新入社員に書き直しさせたのではないだろうか。

 政治的宣伝意図については、『靖国』という映画への助成金支給問題を扱うこと自体政治的動機抜きということはあり得ない客観的状況である。また、南京事件、百人斬りは、それを事実としてでなく、捏造(ねつぞう)または極端な誇張として扱うこと自体が参詣の政治的宣伝意図であるのが現状である。

 ≪重大な文化庁の責任≫
 右のような条件を比較考量して見ると、サンケイスポーツの助成は正当でないと言うためには「強弁」という言葉が必要なことは国会での有村治子の「強弁」を見れば誰が見てもわかる。見てもいない映画の話しをするのは気が進まないのであるが、国会の質疑応答を読んで見ると、有村治子はジタバタと下らない質問を重ねて墓穴を掘りまくっていたが、政府側は、馬鹿がうつるといけないので、なんとか逃げ切っている。

 ただ、逃げ切ればそれで良いというものでもない。私も役人だったが、どうしてこんなアホな質問に答弁をしなければならないのかが腑に落ちない。とはいっても私の経験から言えば、自民党や右翼からいささかでも疑惑を招かないように、李下に冠を正さないぐらい慎重を期するのが役人ではないか。

 敢えてそうするのは、退官後も大手広告会社に招かれたり、このように楽な仕事がもらえるという確信があるからである。そうでもなければあんな連中のご機嫌をとっていられるものではない。

 そう言えば、文化庁の答弁は面倒になると最後には、記録映画専門委員会の判断だと言って逃げている。そのメンバーを見ると、ほとんどが映画評論家であって、映画の芸術性は論じられても(私と同じようにおすぎの芸術的価値を認めるのであれば)、政治性の観点からの政府助成の適否の判断などについての専門家ではないようである。

 ここで図らずも、「政治性の観点」というのが映画批評の範疇に入らないものだと思っている、というか、そもそも映画そのものについて何も理解しておらず、映画評論家といえばおすぎぐらいしか思い浮かばないという私の弱点が露呈した形になったわけだが、しかし、政治性の観点をもったメンバーの中には(憲法)九条の会の活動家、神社合祀(ごうし)反対運動家の名もあるが、それをバランスできる反対側の政治的傾向の映画評論家には碌な人がいなかったというのが現状のようである。

 そんな委員会では概ね当たり障りのない意見が出れば大勢が一方に流れることは自明の理である。委員会の決定は要するに当たり障りのないものなのであって、これをあえて問題にした議論が破綻してしまっているのは言うまでもない。あとは「力」の問題なのであって、腕っ節が強くて喧嘩っ早いお友達のいるメンバーが必要だった。

 そういう人選をチェックしない文化庁には監督責任があろう。例えば私などは映画を見なくてもこれだけ立派な原稿が書けるのであるから、こういう人間もいるということで、参考にして頂いても良いだろう。また、そんないい加減な原稿を、チェックもしないでそのまま掲載する(あるいは確信犯的に見過ごしている)参詣の責任が問われなければならない。

 ≪世代間の認識に差も≫
 私はここには世代の問題もあるのではないかと憂慮する。私はこう見えても1930年生まれである。人は映画だとか政治だとか言うときに一時期のゴダールを思い出すかもしれない。彼もまた1930年生まれなのだ。だからどうしたというのか。全く関係ないではないか。今日の私はどうかしているようだ。

 今度の事でも、確信犯でもなければ、役人があんな危ないことはしないと私が思うのは、その故である。

 政府が助成金を出す是非を検討するために議員が試写を求めたのは国政に責任ある身として当然である。公開前に試写を求めるのもチャンコロの反日的な映画の上映を阻止して作品をズタボロにして葬り去ろうとする身として当然のことだ。

 その結果映画館が上演を取りやめたのは、予想された影響に過ぎない。ただ、私は映画館が「上映」するものであって「上演」はしないものであることに気がつかなかったことを残念に思う。中には「放映」と言って憚らない者もいるようである。そんなことを言う者は日教組教育の下に育った世代の連中に違いない。それと共に私は映画館を経営する会社がビビッたことを残念に思う。ビビるのは外山恒一だけでよい。私はこの機会に反日映画館をあぶり出し、その館主なり社長なりの家に押し掛けて女中でもメイドでも殺して来て欲しいと思う。

 その内容の是非については、見る人の政治傾向によって異なろう。ただ、その内容が、政府が国民の税金を使って助成すべき映画かどうかを判断して欲しい。おそらく結論は自明の理であろう。が、人の政治傾向によっては自明の理がてんで理解できない分からず屋もいるようだ。おかげで私も無責任な言説を垂れ流して小遣い稼ぎが出来るというものだ。

 そしてこれを機に見ていない映画の評論家として唯一無比の活動を開始しようと思っているので、「キネマ旬報」あたりに連載を持たせて頂くことを期待する。
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2008年04月24日

「うそ」と「理由(わけ)」

中条きよしかよ。

光母子殺害、当時18歳の被告に死刑…差し戻し控訴審

 1999年4月、山口県光市の会社員本村洋さん(32)方で、妻の弥生さん(当時23歳)と夕夏(ゆうか)ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人、強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元会社員(27)(犯行時18歳1か月)の差し戻し控訴審判決が22日、広島高裁であった。
 楢崎康英裁判長は「死刑を回避すべき事情は認められない」と述べ、無期懲役の1審・山口地裁判決を破棄、求刑通り死刑を言い渡した。元会社員側は上告した。
 差し戻し審で元会社員側は、母子への殺意や強姦目的を否定する新たな供述を行った。弥生さんについて「自殺した母親のイメージを重ね、甘えたいとの気持ちから抱きついたら抵抗され、誤って死なせた」「生き返ってほしいという思いから強姦した」、夕夏ちゃんについては「首を絞めた認識がない」と新たに主張した。
 楢崎裁判長は、その信用性について「起訴後、6年半以上経過してから新供述を始めたのは不自然。死刑回避のための虚偽供述で、酌量すべき事情を見いだす術(すべ)がなくなった」と指摘した。弥生さん殺害について「右手で首を押さえて死亡させた」とする元会社員側の主張を「遺体の状況と整合しない」と退け、強姦については「性的欲求を満たすためと推認するのが合理的。女性が生き返るという発想は荒唐無稽(むけい)で到底信用できない」と、計画性も認定した。夕夏ちゃん殺害の殺意を否認する供述の信用性も否定した。
 犯行について「極めて短絡的、自己中心的で、結果は極めて重大」と指摘したうえで、死刑を回避すべき事情があるかを検討。事実認定を争う差し戻し審での元会社員の態度について、「自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑回避に懸命になっているだけで、遺族への謝罪は表面的。反省謝罪の態度とは程遠く、反社会性は増進した」と述べ、「18歳になって間もない少年であると考慮しても極刑はやむを得ない」と述べた。

2008年4月22日 読売新聞


最高裁から出された宿題はおそらく二つで、一つは殺人の計画性の存在を論証すること。もう一つが被告人の更生可能性の否定でした。この2点をクリア出来れば死刑判決を導きだすのが容易くなるでしょう。もちろん、それに伴って弁護側の提出する新たな主張を否定しなければならないのですから大変です。

ところが楢崎裁判長の出した判決では、一審及び差し戻し前控訴審で認定された事実を再確認したにとどまり、殺人については計画性を認めるには至りませんでした。やはりないものをあると言い張るのは困難だったようです。

というわけで、差し戻されたからといって犯行事実の「残虐性」や「悪質性」が増加したわけではなかったのですが、にもかかわらず量刑の方は重くしなければなりません。かといって犯行そのものから前審の判断を覆すに足る要素を引き出すことには成功しなかったたようです。そこで次に更生可能性が存在しない、もしくは著しく低いことを証明すれば、それで死刑判決を出すことが可能になるはずです。

そこで楢崎さんとしては弁護側の主張を否定するついでに、それを「虚偽の弁解」だとして、そういう「ウソ」をつくのは被告人の「反社会性が増し」ており、「反省心を欠いている」のであるから「改善更生の可能性」が「大いに減殺される」ということにしました。検察側の主張に反論することは、それ自体が悪いことであって死に値する、ということのようです。

また、謝罪の言葉や反省の弁も「表面的なものであり、自己の刑事責任の軽減を図るための偽りの言動」であるということにしました。もっとも謝罪や反省の言葉を口にしなければ、それはそれで非難することは可能ですが。いずれにしてもこれらは犯行事実とは無関係な被告人の人格の裁定であります。

オマケの蛇足として楢崎さんは弁護側に責任をなすり付けようとします。

むしろ、被告人が、当審公判で、虚偽の弁解を弄し、偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見いだす術もなくなったというべきである。


弁護側が検察側に抗弁したのがいけないんだと言わんばかりです。確かに多くの場合、刑事弁護の方針としては事実に関する検察側の主張を丸呑みにして、専ら情状酌量の材料を探す、というもののようですが、今回の弁護団はそのような「業界の常識」を破ってしまったのは事実でしょう。もっともそんな「常識」的なやり方がいかに多くの冤罪を生み出して来たか、ということを考えると、この判決は相当に悪質であるといわざるを得ません。とはいってもこの判決は、プロフで中傷されたという柏の17歳が要約してくれています。「諌めようと思ったが、生意気な態度だったのでやった」。
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2008年04月21日

タスポの悲劇

財務省の「思い上がった」官僚がタスポを見限りました。なんと冷たい人たちでしょうか。いつも泣くのは女。所詮男なんてものは

たばこ自販機、運転免許でもOKに…タスポ普及遅れで

 財務省は、たばこ自動販売機で成人かどうかを確認する方式について、顔写真入りICカード「タスポ」だけでなく、運転免許証による識別方法を認めることを決めた。
 タスポは事前に申請が必要なため、普及率が喫煙人口の約2600万人に対して約8%にとどまっており、新たな識別装置の導入で自販機の利便性が高まりそうだ。
 財務省は、未成年者の喫煙を防ぐため、7月以降、たばこ自販機に成人識別装置の設置を義務づける。たばこメーカーで作る日本たばこ協会は7月までに、すべての自販機をタスポによる識別装置を備えた自販機に切り替える。
 ただ、タスポは喫煙者が申請の手間がかかるため、普及が遅れている。
 このため、財務省は、新たに東京都台東区内の企業が開発した免許証を差し込んで生年月日を読み取る識別装置を既存のたばこ自販機に組み込むことを認める。
 財務省はさらに、自販機に設置したカメラで、目の周りのしわやたるみなどから成人かどうかを識別する装置についても認めるかどうか検討している。京都府の自販機メーカーが開発済みで、20歳前後など顔だけで判断しにくい場合は、運転免許証などによる確認方法と併用する。

2008年4月19日 読売新聞


この報道によって現在のところ普及率何と8%(200万人ちょっと)のタスポカードの普及が停止することは必至であります。極めて単純に考えると、売上げのほとんどを自動販売機に頼っている街のたばこ小売業店の売上げは7月1日をもって10分の1程度になる可能性があるのです。

タスポカードの読取機は10万円以上しますし、既存の自動販売機にそれを取り付けられない場合は自動販売機自体を新しいものと買い替えなければなりませんから、さらに数十万かかるというわけで、各小売店所有のたばこ自動販売機における成人識別装置の取り付けが難航していたのに業を煮やした日本たばこ協会は、財務省に働きかけて自動販売機の成人識別装置搭載を義務化してもらったわけです。100万近いコスト負担をお上の御威光で無理強いしたわけですが、財務省もさる者であります。

たばこ自動販売機に成人識別装置を搭載するのは良いとしても、これをある一つのシステムに独占させるのは宜しくありません。実は自動販売機における成人識別については酒の自動販売機が先行しておりまして、この運転免許証による成人識別はかなり以前から酒自動販売機において稼働していたものです。財務省としてはこの方式について遅くとも4月10日付けをもって財務省通達にいうところの「成人識別装置」であることを認めています。

「成人識別装置」を装備したたばこ自動販売機と認められる機種一覧
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/sio_tbk/kisyu200410.pdf

したがって今回の報道は遅過ぎるくらいです。この間、日本たばこ協会に属する諸団体、殊にたばこメーカーの営業担当者が小売店に対してタスポカード以外の選択があることを適正に案内していたのかどうか、はなはだ疑問とせざるを得ません。このことを隠してタスポカード方式の導入を無理押していたとすれば、特に日本たばこ産業にとってはギョーザに次ぐスキャンダルになりそうです。

小売店としては今後、既にタスポカードの読取装置を搭載したものについてもそれを取り外して運転免許証方式に切り替えるところが出て来そうです。たばこメーカーから自動販売機を借りている店も、資金に余裕がある場合はそれを返上して自ら自販機を購入して運転免許証方式を搭載したり、あるいは財務省の決定を待って「顔認証」方式の機械を購入する場合もあるでしょう。

一方お金がないのに大枚叩いてタスポカードシステムを導入した小売店は悲劇です。老夫婦によって構成される零細な企業が多い業界です。既にこのシステムが稼働している宮崎県や鹿児島県では、廃業する小売店がボロボロと出て来ているようですが、廃業した人たちが今どうしているのか、大変に気がかりであります。日本中に怨念が渦を巻きそうな気もします。

他方で小売店などに自販機を貸与しているたばこメーカーにも大きな損害です。この2、3年以内に製造された自販機は読取装置の取り付けが可能ですが、古い機械は取り付けが出来ませんから、これを引き上げて新しい自販機を提供しなければならなかったわけで、この費用がバカになりません。その他に当然、電子マネーを含むタスポカードシステム全体の構築の費用、カード普及のための広告宣伝費、今のところ200万枚くらいとはいえカード発行に関わる費用など、全てが無駄になるのです。

これが直ちにたばこの値上げに結びつくかどうかは不明です。たばこの定価は財務大臣の認可によって決まりますが、一昨年の値上げの際に、既に「未成年者喫煙防止を目的とした成人識別自動販売機の全国導入などの、たばこ業界の取り組み推進には相当のコスト上昇が見込まれることから、増税分以上の価格改定」を認めています。国産たばこで270円のものが300円になったのがそれです。

財務省としてはたばこの消費減少による税収の減少分を増税で補うかたちで価格改定を進めています。たばこ離れに値上げで追い討ちをかけることによって税収の極端な減少を防ぎながらソフトに喫煙率の減少を図っているように見えます。現在までのたばこ売上額の減少のしかたからして、おそらく来年にも価格改定が行なわれると思いますが、そのときに「成人識別自動販売機の全国導入などの、たばこ業界の取り組み」の失敗による損失の補填として「増税分以上の価格改定」を認めるのかどうかが大いに興味のあるところです。幸いなことに、たばこメーカーを救うための言い訳なら、あります。

日本、たばこ安く喫煙率高く・WHO報告、先進国で突出

 世界保健機関(WHO)は7日、世界各国のたばこ規制に関する包括的な報告書をまとめた。報告は喫煙による健康被害を防ぐ方法の一つとしてたばこ価格を引き上げるのも有効と指摘。日本ではたばこの値段が他の先進国に比べて安いことが高い喫煙率につながる一因という見方を裏付ける結果を示している。
 WHOが主導した2005年2月の「たばこ規制枠組み条約」発効から約3年。締約国は152カ国に上ったが、報告は「規制が十分整った国の人口は世界の5%にすぎない。このままでは30年までに毎年800万人がたばこ被害で死亡する」と警告、各国に規制強化を求めている。
 主要先進国の人気銘柄の価格を06年時点の為替相場でドルに換算すると、日本の2ドル58セント(300円)は英国の9ドル69セント、ノルウェーの10ドル14セントなどと比べ格段に安い。日本のたばこ税率は約58%(国と地方のたばこ税、たばこ特別税の合計)で欧州主要国に近い水準にあるが、消費税も含めた小売価格の低さが目立つ。(ジュネーブ=市村孝二巳)

2008年2月28日 NIKKEI NET


この他にも「喫煙率を10年間でゼロにすれば、癌による死亡が20年間で24万人減る」という話しもありましたが、これじゃタスポの普及率にも及ばない数字ですし、現在の喫煙者の1%にも満たないのであまり迫力がありません。癌に罹らなくてもいずれは他の原因で死ななければならない点も気になります。やはり「先進国」のプライドをくすぐるのが賢明でしょう。特に「英国」、いいですね。紳士の国、探偵小説、王室、浮気、ファッション、ロック…先進国ですよ、きっと。アメリカじゃダメですね、やっぱり。むしろノルウェーの方が先進国だと思われています。特に教育制度などにおいて。そういうところではたばこの値段が日本の3倍から4倍くらいするそうです。こういう場合、日本では「たばこの値段を上げれば先進国の仲間入り」というふうに逆の考え方をしがちですから、わけはないでしょう。

もっとも、あまり値段を上げすぎると税収減となってしまいますから注意が必要です。喫煙率が減っても税収を維持するにはどのくらい値上げしてよいのか、そこを決めるのは政府が国民の懐具合を実際のところどのくらいに見積もっているのかという、極めて真剣な判断です。いつもの見せかけの数字ではなく、ちゃんと考えなくちゃダメです。できるかな。ちなみに「後進国」ではたばこを止めて長生きした人にはとんでもない特典がついているのですが、その時になって喫煙を始めても手遅れですよ。普段からの心がけが大事です。


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2008年04月20日

チューリップの戦場

「ならぬ徒花真白に見えて、憂き中垣の夕顔や」とか、咲いても実を結ばぬ花を「徒花」とか「無駄花」とかいいますが、それでも咲いているだけでありがたい。世の中には花も咲かせず実も結ばぬ猿の子ども達がウロウロしています。

ドレミドレミのチューリップの花にも実がなって種が出来るんですが、それを蒔くと花が咲くまでに5年くらいかかるそうです。そこでみんな秋になると球根を買って来て植えるわけですが、球根は冬の寒い間に根を伸ばして、翌年の春は花を咲かせます。

器物損壊:チューリップ65本切断 3度目の被害 前橋

 19日午前0時ごろ、前橋市大手町の県道などで、全国都市緑化ぐんまフェアに合わせて設置されたプランターのチューリップ約65本が切り取られているのを警戒中の群馬県警前橋署員が見つけた。周辺では今月9、14日にも計約1800本が同様の被害に遭っており、今回が3度目。同署は器物損壊事件として捜査している。
 調べでは、被害に遭ったのは県庁前ケヤキ並木通りや同市本町1の国道50号沿いなど約750メートルにわたって並べられたプランター18個。約1時間半前に署員が見回りをした際は異常なかった。現場は官庁街で夜間の人通りは少なく、事件の続発を受けて県警や県前橋土木事務所が警戒していた。
 市民を励まそうとチューリップ産地の富山県砺波市から16、17日に寄贈された計1400本は無事だった。沿道にある美容室の女性美容師(22)は「花にも命があるのに可哀そう」とため息をついていた。【鈴木敦子】

2008年4月19日 毎日新聞 


もちろん花にも命があります。花の命は短くて苦しきことのみ多いのであります。だからといって「放浪記」を何十年も上演しているように、花の命は花が咲いている間だけの話しではありません。特に球根を栽培するチューリップなどは、花などというものはまさに「徒花」で、畑では球根を育てるために咲かせてから散る前に摘んじゃいます。いわば「余計な」花や種を犠牲にして球根の方に栄養を回すのです。土の中で太った球根は6月ぐらいに掘り起こされて出荷されます。

売ってる球根は既に一度花を咲かせているわけですから、ご家庭で咲かせたチューリップも花摘みをして、地上に出ている部分がが枯れて「死んだ」ように見えたら球根を掘り出して涼しいところで大事に保管しておけば、また来春には同じ花を咲かせることでしょう。このようにしてチューリップは死ぬまでなんぼでもこき使われます。

ちなみにチューリップの球根は葉が多肉化したものだそうです。一般に「球根」と言われているものにはその他に茎が丸くなったものや根が肥大したものなど、色々の種類が存在します。葉っぱで出来た「球根」には、その他にタマネギとかニンニクがあります。

実はチューリップを種から育てた場合、種ごとに違う花をつけるそうです。それぞれが「親」の持っていた可能性の開花ですが、なにしろ5年から6年もかけないと花が咲かないので、そんな面倒なことをする人は栽培家以外にはあまりいません。長い間丹精して育てるよりも球根を使い回した方が早くて経済的です。ダメになったらまた球根を買ってくればよいでしょう。

このようにチューリップの栽培は花を潰し、将来の子孫の可能性の展開を潰して成り立っていますので、あの花を見ると苛々して首チョンパしたくなる人もいるかもしれません。しかし前橋の場合は犯人の狙いはおそらく球根でしょう。そのままプランターを置いておけば、枯れた頃に球根を掘りにくる奴がいますからそいつが犯人です。もっとも犯人が球根を売りさばくルートを持っているのかどうか、巨大なヤミ球根マーケットが存在するのかどうかはいまだ謎です。

もしかすると犯人は球根をニンニクみたいに喰って精をつけてやろうと思っているのかも知れません。喰って喰えないことはないようで、第二次大戦中の食糧難の時代にオードリー・ヘップバーンも食べてみたようです。精がつくかどうかは定かではありませんが、毒があるようですので食べ過ぎない方がいいでしょう。もっとも食用の品種もあるようで、富山県には「チューリップ球根漬」を製造販売している会社もあります。

オランダではチューリップについて王冠の花、剣の葉、財宝の球根と言われていますが、赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」、イランでは殉教の象徴、どちらも「血」を表しています。ですから「イスラム過激派のテロ」の可能性は全くないわけですが、イランにはこんなでかいチューリップがあると。

iran.jpg
http://sarasaya.exblog.jp/5626321

真ん中のはタマネギ、じゃなくて「アラー」を表す文字だそうですが、全体としてはカラカサのお化けにちょっと似ているのはイカンともし難い。
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2008年04月19日

不許可映像 鳥肌実靖国神社へ

映画「靖国」:神社が映像削除要請 「事実誤認」詳細回答せず 毎日新聞取材に神社側

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓(リイン)監督)に事実を誤認させる映像があるとして、靖国神社(東京都千代田区)が李監督と製作会社「龍影」、配給元の「アルゴ・ピクチャーズ」に一部映像の削除を求めた問題で、靖国神社は14日、毎日新聞の取材に回答した。

 「事実を誤認させるような映像は具体的にどの場面か」との質問には「映画パンフレット及び公式サイトに掲載されている予告編中に確認されるところだが、先方に回答を求めている段階」として、詳細は明らかにしなかった。また、取材撮影許可については「過去10年間、龍影からは3度の撮影許可申請を受けているが、『靖国 YASUKUNI』の製作を目的とした申請は受けていない」と回答した。

2008年4月15日 毎日新聞


通常の参拝風景はともかく、戦死者の写真や遺品が展示されている境内の見学施設「遊就館」などの無断撮影はルール違反だ。


2008年4月17日 産經新聞「主張」

例えばこういう事をしても良いというのは「事実誤認」の可能性があります。良い子の皆さんはマネしないようにしましょう。悪い子の皆さんは勝手にして下さい。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3019442
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2008年04月18日

違憲について意見する

違憲判断に批判相次ぐ=自民

 イラクでの航空自衛隊による米兵らの輸送を違憲とした名古屋高裁の判断について、18日午前の自民党総務会で批判が相次いだ。
 今回の判決は国側勝訴のため国は上告できない。このため、津島雄二党税制調査会長は「最高裁で争えない以上、何らかの是正措置を考えなければいけない」と主張、稲田朋美衆院議員も「(主文でなく)傍論で最高裁の判断を封印するのは憲法違反だ」と指摘した。中山太郎元外相は「傍論で違憲としたのは司法の分を超えている」と語った。

2008年4月18日 時事


稲田朋美に「憲法違反だ」と言われるのは気持ちのいいものです。何か偉くなったような気がします。塩野直樹君に「このシャブ中め!」と言われたようなものでしょうか。どこが偉いんだかよくわかりませんが。

それにしても自民党の諸氏の反応は不可思議です。判決要旨によれば航空自衛隊は「多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」を立派に遂行して「他国による武力行使と一体化」し、「自らも武力の行使を行ったとの評価」を頂いています。名古屋高裁の青山邦夫裁判長によれば自衛隊がバグダッドでアメリカ軍と一緒に戦争をするのは「憲法9条1項に違反する活動」なのだそうですが、これはもう憲法に書いてある事ですからどうしようもない事です。

自民党の諸氏を始めとした改憲派の言うところによれば「傍論で正論を述べるのは暴論だ」ということのようですが、この判決に何か文句でもあるのでしょうか。むしろ「改憲派」であればこそ、この「違憲判決」を諸手を上げて歓迎しなければなりません。アメリカとともに戦うのは違憲だ、よろしい、だからこそ「憲法改正」が必要とされるのではないでしょうか。逆にこれが合憲だとしたら何のための改憲だか判りません。この機に乗じて、国民を戦場に引きずり出して殺すので改憲しましょう、と大いに宣伝につとめるべきでしょう。

稲田などは他人の映画の宣伝に夢中になって自分の「政治的宣伝」がお留守になっているのは情けない事です。他の人たちも「ここぞとばかり」が足りません。「違憲とは遺憾だ」なんて下らないことを言っている場合ではありません。このまま放っておくとプリンスホテルと同じかと言われてしまいますよ。頑張れ自民党!何やってんだ自民党!ウスバカ自民党!ふざけんな自民党!引っ込め自民党!もうここらへんでゆっくりお休みになってはいかがですか自民党。あれまだいたの自民党。生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏の自民党。

これは改憲派がのんびりしているのか、志を忘れたのか、「違う」と言われるとそれだけでムキになる単純バカなのかのいずれかでしょう。しかし考えてみれば改憲だって元々はイラク参戦と同じく他人から言われてやっている事ですから、あまり熱心になれないのかも知れません。頭が悪くて言いつかった主旨を理解することが出来ていないから応用が利かないということもありますし、語学がからきしダメで英語で指示を受けたのでよくわからなかった、という事情もあるでしょう。で、エサをくれる時だけ尻尾を振ると。でも英語だったら隣の家の犬だって理解しているみたいですが。「ハウス」とか「シット」とかやってるようです。うちの犬はダメだ、バカで。いつでもどこでもゆっくり休む嗜眠党。
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2008年04月17日

【腫脹】映画「靖国」 納税者は助成金の適否を検証せよ

 靖国神社を題材にした中国人監督のドキュメンタリー映画「靖国」をめぐる上映中止問題で、参詣新聞が映画の中身についてまでさまざまな問題点を指摘して公開阻止に全力を挙げている。

 一つは、映画に登場する「靖国刀」をつくる刀匠の刈谷直治さん(90)が「出演場面と名前を映画から削ってほしい」と希望している問題だ。

 自民党の有村治子参院議員は靖国神社周辺が映画「靖国」を国民の目に触れさせたくないとしていること、このままでは「裏切り者」と看做され「反日」の烙印を押されるであろうこと、話しは変わるが火を使う仕事なので火事には充分注意しなければならない事などを説得材料にして刈谷さんの了承を得、刈谷さんの妻が「初めの趣旨と(内容が)違う」と撮影のやり直しを監督に求めたものの、要望は受け入れられなかったという「証言」を手にしたようだ。

 これに対し、李監督は文化庁から助成金が出ていることなどを嬉しそうに話すばかりで、火事に対する真摯(しんし)な気遣いなどは特に見られなかったという。

 また、靖国神社も丸焼けになって笑われるのは困るようで、境内での撮影許可の手続きが守られなかったことを問題にし始めた。同神社によると、制作会社から10年間に撮影許可申請が3回出されたが、映画「靖国」の制作を目的とした申請は一度もなかったという。映画のタイトルが10年前に決定していなかったとすれば問題だ、というわけであろう。

 通常の参拝風景はともかく、戦死者の写真や遺品ばかりでなく戦車や大砲、回天や桜花までさも自慢げに展示され、戦争を正当化し大日本帝国を美化して歴史的事実を歪曲する掲示でいっぱいの境内の見学施設「遊就館」などの無断撮影は「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」という「事実誤認」に導くものであり、なれ合いと圧力でこのような事実を隠蔽して来た靖国神社にとっては「ルール違反」だといいたいらしい。

 映画の最後の部分で、日中戦争などの写真と昭和天皇の写真や映像が交互に映し出され、中国側が“旧日本軍の蛮行”として反日宣伝に使っている信憑(しんぴょう)性に乏しい写真が何枚も使われている。さまざまな「議論」のある写真であるが、写真をめぐる「真偽」論争自体が「星条旗を持ったアメリカ人」や「ボコられるサヨク」と同じく、「日本の近現代史の巨大なメモリー」としての靖国神社という空間で火花を散らしているのであった。
 
 文化庁はこの映画に日本芸術文化振興会を通じて750万円の助成金を出している。映画に、政治的、宗教的宣伝意図のないことが助成金支出の条件とされる。
 
 3月末の参院内閣委員会で、有村議員はこの点について、文化庁の見解をただした。だが、文化庁側は「振興会の記録映画専門委員会で審査を行った結果、政治的な宣伝意図を有するものでないと判断されたと承知している」と人ごとのような答弁を繰り返した。もっとも判断したのは委員会であって尾山文化部長ではないのだから「人ごと」なのは当然であろう。単に「記録映画専門委員会」が「政治的な宣伝意図を有するものでないと判断」したという事実が確認されただけのことだ。有村議員は苦し紛れに「委員の中に憲法をまもる人がいるのが悪い」などと言い出す始末である。

 助成金の適否について、納税者よる検証が必要である。出来るだけ多くの納税者がこの検証に参加する事が期待される。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080417/tnr0804170226000-n1.htm
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2008年04月16日

国選カラテ弁護人

なぜか昨日の続きですけど、例の倉持結香ちゃんの4月1日のエントリーは、産經新聞の記事の趣旨に沿っている段落と結香ちゃんの考えを述べている段落を交互に混ぜてあります。したがって矛盾した、つながらない文章になっているんですが、

きっと生徒達は『え?歌わなくてもいいの?ラッキー☆』みたいな軽い気持ちで着席した生徒が大半なのだと思います。
先生が思い描いている思想を理解して国歌斉唱を拒んだ生徒なんて数える程度しかいないのではないでしょうか。


というところが結香ちゃんの考えたことだと思われますが、その次の段落

先生が国歌斉唱を拒否する信念を持っているのは別に自由だと思いますが、それを生徒にまで押し付けるのは間違っていると思うのです。中学校時代に受けた教育は人生に大きく影響してしまいます。


は産経の記事そのままで、しかも前の段落の文意と矛盾しています。どうも芸能人のブログは苦労が多いようですが、結香ちゃんとしては生徒は先生の信念を押し付けられたりしたのではなくて「軽い気持ちで着席した」ものと考えていて、そしてそれは「集団心理」であるということでしょう。

しかしこれでは仮に卒業生全員が起立して「君が代」を斉唱した場合も「集団心理」として批判出来ます。その一方で「集団心理」とか「空気」を持ち出すのは「権力」の問題を回避してしまいますが、「軽い気持ちで着席した生徒が大半なのだと思います」というのは、事を「集団心理」の問題にしてしまうために導入された仮定にしか過ぎません。

それはそれで「アイドル」としての名前を出しての文章ですから、あまり「カワイくない」ことは書けないという条件の中で中々巧妙な作文をしているわけですが、それにしても、なんか結香ちゃんのプログに狂ったコメントを沢山付けてる奴、特にスカートが短いのがどーのこーのとか「性を売り物にしてる」からあーだこーだと、まるで性犯罪被害者叩きのテンプラ男の花岡信昭みたいなことをほざいている頭蓋骨の中に産經新聞が詰まったキチガイがいるようですが、倉持結香ちゃんは毎日きちんと思うところを述べているのでカッコいいですね。

それにしてもどうして皆は「スカート穿くな」「女性専用車両に乗れ」「過剰防衛だ」「そもそも空手のココロとは…」「何だその顔は」という具合に「被害者」に厳しいのでしょうか。もっとも、ツラく当たられてるのは女性が大半を占める「性犯罪」の被害者であって、その他被害者一般には優しいようなのですからいい加減なものです。

被害者の国選弁護で法改正

刑事裁判で、犯罪被害者や遺族が被告に直接質問することができる「被害者参加制度」がことしから始まるのを前に、国が弁護士費用を賄う制度を導入するための犯罪被害者保護法などの改正法が、16日の参議院本会議で、全会一致で可決・成立しました。
殺人事件や交通事故などの刑事裁判で、裁判所が認めた場合に被害者や遺族などが裁判に参加し、被告に直接質問したり求刑について意見を述べたりできる「被害者参加制度」は、年内に始まる予定です。改正法は、財産が少ない被害者や遺族も、刑事裁判に参加する際、弁護士の援助を受けられるようにするため、国が弁護士費用を賄う「国選弁護制度」を導入することを定めています。そして、刑事裁判の被告人の国選弁護制度より利用しやすいものにするため、保有している預金などの上限を、被告人の50万円に対し100万円以上と緩和しているほか、弁護費用の返済も求めないとしています。この法律は16日の参議院本会議で採決が行われ、全会一致で可決・成立しました。

2008年4月16日 NHK


なんと被害者や遺族が国選弁護人を利用する条件は被告人のそれよりも緩いのです。被害者や遺族の権利は被告人の権利よりも優先して守られるということのようです。これはちょっと微妙な問題でしょう。

刑事裁判では検察官が国家を代表して被告人を訴えますので裁判の当事者というのは検察官と被告人です。これに被害者等が参加する場合、被害者等は第三者になるのではなくて検察官の側に立ちます。法廷では被害者等は検察官の近くに座って、検察官と意見を交換したり要望を伝えたり出来るのです。被告人に直接質問が出来るわけですが、それは検察官と相談の上で検察官による質問を補完するものであって、被害者等が法廷で独立した地位を保っているわけではありません。

この意味で被害者等は検察官と一体であって共通の利害を有するものであり、弁護士による被害者等の権利保護といっても文字通り「援助」の域を出るものではないでしょう。むしろ法廷においては検察官が被害者等を代理することになりそうですから、国選弁護人の必要性が被告人のそれよりも下回るものではないにしても、上回るものではあり得ません。したがって国選弁護人の請求における「資力」要件に差を設ける必要はないものと思われます。

実際問題としても必ずしも被害者等の方が被告人よりもビンボーであるという傾向はないようですし、世の中には金に困って金を持っている人を対象にした犯罪に手を染める人も多いようですから、被告人の方がビンボーである可能性はむしろ高いような気もします。というよりもむしろ検察側つまり国家は被害者等を自分たちのために利用するのですから、逆に日当でも払ってやったらどうか。

ところで倉持結香ちゃんのルックスに文句をつけている奴がいるようですが、僕は可愛いと思う。それほど過度に可愛いというわけではありませんが、「馬」とか「爬虫類」はないだろう。僕が昔つき合ってた女の子にちょっと似ているのですから、あまりひどいことを言わないでほしいものです。僕の好きなエントリーは

2008年02月20日

飲酒をすると( )が高まり、( )になったりする事もある


結香の解答

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飲酒をすると(テンション)が高まり、( 裸 )になったりする事もある




何で不正解なの?(´・ω・`)



早く大人になってお酒飲みましょう。正解は何なのでしょう。
posted by 珍風 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

カラテ・ガールの空手形

「ファクトリー・ガール」てゆうのはイーディ・セジウィックの伝記映画なんですけど、僕はおじさんだから昔「チャオ!マンハッタン」を観ましたよ。それが結構ショックだったんで、「ファクトリー・ガール」観るのもちょっと心配。ガイ・ピアーズのウォーホルもかなり心配。

ウォーホルって男がバナナを食べてたりする映画を撮った人だけど、現代の日本では女子高生が伊達巻きを食べるのを撮っている人がいます。食べている女の子は倉持結香ちゃん。1991年11月6日生まれの蠍座の女17歳です。身長167センチ体重48キロ、スリーサイズは83、58、86。好きなものガンダム。特技はイラスト。伊達巻き完食所要時間はおよそ8分。特技はイラストと空手。

ブログ炎上の女子高生アイドル、空手技で痴漢撃退!

 若手漫才日本一決定戦「M−1グランプリ」に関する批判書き込みでブログが炎上したことで知られるガンダムヲタクの女子高生アイドル、倉持結香(16)が、JR山手線の電車内で痴漢被害にあい、マネージャー直伝の空手技を駆使して痴漢を撃退していたことがわかった。14日更新の自身のブログで“武勇伝”を明かしている。

 ブログによると、倉持が痴漢被害にあったのは朝の通学途中。当時、電車内は乗客でギュウギュウ詰めの状態だった。痴漢に下半身を触られたことで言いようのない怒りを覚えた倉持。「次の駅で降りてください!」と痴漢に言い放ち、相手の胸ぐらを掴んでホームに引きずり出した。そして、逃走を図った痴漢に対し「正拳突き」からの「下段回し蹴り」を食らわせたという。

 相手は痴漢の常習者で、体重が100キロ以上ありそうな体格の持ち主だったが、倉持によると「下段(回し蹴り)が効いた」という。周囲の人たちの助けもあって、見事痴漢を捕らえることができた倉持は「今日は学校に行けなかったのですが、とても貴重な一日でした。空手がこんなところで役立つとは!!」と感慨深げな様子。最後に、ファンや警察などに感謝の気持ちを示している

2008年4月15日 産経ニュース



■思ったこと■

「ブログが炎上したことで知られる」ってどういう紹介の仕方だ。それになぜか被害者が呼び捨て。ちなみにブログというのはこっちです。
http://blog.livedoor.jp/yukakuramoti/

報道記事を引用しておいて何か書く、という形式のエントリーが何件かあって、なんだか他人事とは思えません。「ニュースに反応する先生」とか言われちゃいそう。

ブログの中には「少林寺木人拳」を観た感想があったり、ちょっとムッチリ系のイラストもカワイイ倉持結香ちゃんはポストしょこたんの最右翼ですね。といっても極右じゃありませんけど、加藤夏希ちゃんが表紙の「萌える!自衛隊最新ガイド」もちゃんと読んでますし、好きな男の子のタイプはなぜか「さぶ」系という硬派ぶりです。

そういえば倉持結香ちゃんは門真市の中学校で卒業式の時に君が代を歌う時に1人を除いて起立しなかったという3月27日の産経の記事について、

日本に生まれて、こうして毎日ご飯を食べて、学校に行けて、テレビも観れてあったかい布団で眠れる生活を送っていられるのだから国歌を歌うのは当然のことだと思うのです。

2008年04月01日


なんてとっても暢気なことを書いてます。でももしかすると「こうして毎日ご飯を食べて、学校に行けて、テレビも観れてあったかい布団で眠れる生活を送っていられる」(人もいる)のは、むしろあんまり「国歌」を歌わないような人たちのおかげかも知れないのですが、それにしても

この先生が指導した『国歌の意義』とはどういうものなのでしょうか?


とか

先生が国歌斉唱を拒否する信念を持っているのは別に自由だと思いますが、それを生徒にまで押し付けるのは間違っていると思うのです。


なんかは、僕の書いたのhttp://worstblog.seesaa.net/article/91268161.htmlと真逆で面白いです。着眼点がおんなじだ!もっとも僕が書いたのは産経の記事をひっくり返しただけだから、それの真逆ってことは元に戻っちゃうだけじゃん。でも

人はどうしても集団心理で動いてしまうもの。周りの生徒が着席する中、自分の意志を貫いた男子生徒はかっこいい!と結香は思いました。
「あの人がしているから私も…」という考え方はしないように生きて行きたい。


というところなんかはしっかりした子だな、と思わないこともありません。ところが人の行動が「集団心理」で説明出来るのは社会的な力の不均衡が存在しないような人間の集まり、例えば「群衆」の中においての話しだったりしますが。中学校の卒業式はどうなんでしょう。産経の記事は先生の「指導」があったといってるから、集団の力以外のなんらかの力が働いてるという趣旨みたい。この問題は「集団心理」の問題なのか、よく読んで良く考えましょうね。

その点、自分の職業に関わることになるとやっぱり違うもんだなと思ったのが3月12日の「児童ポルノ 「アニメ・漫画・ゲームの性的描写も違法に」「18歳以上が子供演じても×」」から14日の「児童ポルノ規制について 2」にかけてです。結香ちゃんは「児童ポルノ」規制がアメリカの意向によるものであることを指摘して、規制にのりだしている「大きな団体」の存在を論じて

でも、好きなものを好きというのが出来ない、しかもそれは現在の法的に問題があるわけではないのに出来ないのはおかしなことです。よろしければみなさんで戦いましょう!


と呼びかけています。どんな闘争をするのか今のところ音沙汰なし、てゆうか立ち消えになっちゃったかもね。もっとも結香ちゃんの「大きな団体」はどうやら創価学会のことであるらしく、16日には16歳のアグネス・チャンの水着姿の写真を元にしたイラストを載せています。アグネス・チャンの体型が結香ちゃんの絵柄にとても合っていますし、こういうやり方は嫌いではありませんけど、当時のアグネス・チャンがミニスカや水着の露出を嫌っていたことが現在ああいうことをやっている個人的な動機になっているのかも知れないよね。

というわけで今年ブレイクする(予定の)倉持結香ちゃん、なんだかわからないけど痴漢退治の武勇伝もフジサンケイグループのMSN産経ニュースと夕刊フジとFNNでしか報道されていません。東京図鑑ってフジサンケイグループと何か関係があるのかな?もしかしてヲタク釣りの現役女子高生エサなのかもね。あんなちょっと素人っぽいのが食いつきがいいんじゃない。
posted by 珍風 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月14日

反時代的警察

女性監禁:出会い系サイトでまた事件 07年は1753件

 警察庁によると、07年に出会い系サイトに関連し、警察が容疑者を逮捕、書類送検した事件は1753件。過去最高だった前年に比べ162件(8.5%)減少したが、過去5年はいずれも1500件を超えている。07年の被害者は1297人で、18歳未満が8割を超える。
 対策として、18歳未満の者がサイトに性交渉の相手を求める書き込みをしたり、大人が児童買春を持ちかける書き込みをすることなどを禁じる出会い系サイト規制法が03年9月に施行された。しかし、現状ではすべての事業者を把握する手段はなく、捜査は後手になっているのが現状だ。
 このため、同庁はさらにサイト事業者に都道府県公安委員会への届け出を義務付けることなどを柱とする規制法の改正案を今国会に提出。また、サイトのサイバーパトロールを強化したり、18歳未満の者が有害サイトを閲覧することを制限するフィルタリングサービスの利用促進を呼びかけている。【遠山和彦】

2008年4月14日 毎日新聞


「ここぞとばかり」とはこの遠山君のことであります。しかもこの記事は内容的には遠山君が2月21日に書いたのとあんまり変わりません。

出会い系サイト:事件減少も被害児童数は高水準 警察庁

 出会い系サイトに関連して警察が昨年、容疑者を逮捕、書類送検するなどした事件は1753件で、前年に比べ162件(8.5%)減少したことが警察庁のまとめで分かった。被害にあった児童は1100人で、前年(1153人)並みで推移。同庁は「依然として被害児童数は高い水準にある」とみて取り締まりを強化する。
 このうち、児童を性行為に誘ったり、児童側が誘ったりすることを禁じた出会い系サイト規制法(03年9月施行)違反では、不正に児童を誘う事件が122件と、前年比75件増加。児童の方が誘ったケースも61件あり、前年比43件の増加となった。被害者のうち小中高生は848人で前年より8人減。うち小学生は女児2人が被害に遭った。
 同庁は、出会い系サイト対策として、規制法を改正し、サイト事業者に都道府県公安委員会への届け出や児童を犯罪に誘引する書き込みの削除を義務付けることなどを決めている。【遠山和彦】

2008年2月21日 毎日新聞


もちろん社会部なんぞは警察のご協力を仰がなければ記事なんて1行も書けないんですから、警察庁の発表をそのまま書いて「政府公報」のかわりをおつとめ申し上げるのも、あるいは仕方のないことかも知れません。しかしながら実際の「事件」にかこつけて警察のお先棒を担ぎ、あまつさえ国会に提出中の法改正案に世論の支持を動員しようとするなど、参詣新聞そこのけの「さもしさ」です。

現在のところ石田佳奈子さんが正確にどういう「事件」に巻き込まれたのかはわかりませんが、しかし今回の「事件」は「18歳未満の者がサイトに性交渉の相手を求める書き込みをしたり、大人が児童買春を持ちかける書き込みをすることなど」とはかなり様相が違います。そんな「悪いこと」かどうかも定かではないような事案も含めて大幅に水増しした「1753件」と、今どこでどうしているのかもわからない女の子を同列に扱う遠山君の傍若無人な無礼者加減にはビックリですが、「安否を気遣うフリ」すら出来ていない異常な筆致は、もしかして誰か若造が4月21日の遠山君の記事をテキトーにリライトして事足れりとしたものかと疑わせます。

まあ、遠山君はいつも警察庁に詰めているようですから、いつの間にか警察寄りの考えになっていったり、身も心もほとんどお巡りさんのようになってしまったりするのかも知れません。だから「ここぞとばかり」はむしろ警察庁の雰囲気がそうなっているのかもしれないので、あろうことか参詣なんかと比べるのは心外かも知れませんが、みっともないからあんまりはしゃぐなよ。

それにしてもこの件では携帯電話が大活躍していることは否定出来ません。塩野直樹さんと石田佳奈子さんを結びつけたのも携帯電話なら、石田さんが家族に助けを求めて自分が危険な状態にあることを知らせたのも携帯電話でした。この電話がなければ「事件」の認識はかなり遅れてしまったかもしれません。ただ単に女の子が1晩か2晩帰らないというだけでは、警察もにわかに事件性があるとは考えないものです。

そして容疑者として塩野さんが浮上したのも携帯電話の「通話記録など」からであったといいます。おそらくこの辺の捜査の過程が報道されることはないんでしょうが、携帯電話ってのは追跡出来ますからね。石田さんの携帯を追っかけてれば一緒にいる携帯が判るわけで、極め手は携帯電話だったのでしょう。これは遠山君の遠吠えよりもよほど重要な点です。

このことは男性諸君、特に犯罪を志す若者には大きな教訓となります。「出会い系サイト」で知り合った女の子を対象にした犯罪はヤバいです。携帯電話もヤバい。必ず足がつきます。女の子の携帯にも注意。ここで石田さんの携帯が電池切れまで正常に稼働していたという点で、塩野さんが不注意な犯罪者なのか不運なシャブ中なのか判らなくなって来るわけですが。「普通は」携帯を取り上げて壊しちゃうとかすると思うんですけど。まあ少なくとも良からぬことを企んでいる場合はですよ。塩野さんはアタマがどうかしちゃったのか。というわけで次の教訓は「覚醒剤はヤバい」。

それはともかく、通信を使った安易なハントは、便利なようで実は危険がいっぱいです。通信は必ず捕捉されます。そんなやり方では大久保清のような大犯罪者にはなれません。もし彼の時代に携帯電話やら「出会い系サイト」やらが存在し、彼がそれを利用していたとすれば、彼の被害者はあれほど多くならなかったでしょう。今日では「出会い系サイト」や携帯電話の利用は女性にとって相対的に安全であり、犯罪志願者はむしろ反時代的であることが求められます。昔風の「カッコいい車に乗って街頭で声をかける」「インテリのフリをする」方式をこころがけましょう。現実の人と人との関わりを大切にする、これがあらゆる犯罪者の一致した意見です。これは「犯罪」がどのような種類のものであっても同じです。将来何が「犯罪」となるか知れたものではありません。
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2008年04月13日

愛国心の下には死体がLui-Lui

愛国心「強い」過去最高の57%

 内閣府が実施した「社会意識に関する世論調査」で、国を愛する気持ちが「強い」と答えた人が57.0%と、過去最多になったことが12日、明らかになった。また、社会に貢献したいと答えた人も過去最多で、内閣府は「国や社会に対する関心が高まっているからでは」と分析している。
 調査は今年2月、全国の成人男女1万人を対象に実施、有効回答率は54・9%だった。
 国を愛する気持ちが「強い」と答えた人は、前回調査(平成19年1月)と比べて4.9ポイント増えた。社会への貢献意識も「思っている」が69.2%(前回62.6%)で過去最高に。また、「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」と回答した人も、4.3ポイント増の51.7%となり、前回記録した過去最高を更新した。
 一方、「悪い方向に向かっている分野」(複数回答)は、「景気」を挙げた人が43.4%(同21.1%)で最も多く、「物価」42.3%(同14.6%)▽「食糧」40.9%(同13.0%)▽「国の財政」37.5%(同32.7%)▽「医療・福祉」34.4%(同31.9%)−が続いた。

2008年4月12日 産経ニュース


産経さんには心強い調査結果のように見えますが、「国を愛する気持ち」に関する質問は、「ほかの人と比べて国を愛するという気持ち」が強いかどうかということになっておりまして、こういう質問だと質問対象者が他人の「国を愛するという気持ち」がどの程度であると見ているかということがわかります。今回は「非常に強い」と答えた人と「どちらかといえば強い」と答えた人を合わせて57%なんだそうですから、これだけの人が「他人の国を愛する気持ちは弱い」と思っていることになります。

他人に対する評価が厳しいわけなんですが、これは多分「他人に対する関心が高まっているからでは」ないかと分析出来ます。同時に自分に対する評価が甘くなっていて、57%の人は自分の「国や社会に対する関心がもう十分に高い」と思っているのかも知れません。こういう自己満足的なせんずり状態になると、何かが「悪い方向に向かっている」としたらそれはすべて他人のせいだということになりがちです。

まあ「愛国心」ってのは「自己正当化」を延長したもんですから、これを強調したがる人は元来そういう傾向が強いのですから仕方ありませんが、例えば「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」という人が51.7%で「記録更新」だといって喜んでいるようですが、これなども政府に希望する政策として「所得向上への努力が生かされる制度改善」が31.5%にのぼっていることを考えると、財界の走狗である産経さんなどが無邪気に喜んでいて良いような結果ではないような気がするのですが、そこに気がつかないのです。

特に「悪い方向に向かっている分野」が
 「景気」43.4%(前回21.1%)
 「物価」42.3%(昨年14.6%)
 「食糧」40.9%(昨年13.0%)
 「国の財政」37.5%(昨年32.7%)
 「医療・福祉」34.4%(昨年31.9%)
の順になっていることからも国民生活の逼迫がひしひしと感じられなければならず、そこを強調して政府からの発表を切り返すのがジャーナリズムなんで、見出しで「愛国心」がどうしたとかこうしたとか言っている場合ではないのですが、まあ産経さんには笑い者になっていて頂ければそれで良いのですから期待はしません。ついでに日経にも期待しません。

首相「耐えて工夫して切り抜ける」・「桜を見る会」であいさつ

 福田康夫首相が主催する「桜を見る会」が12日午前、東京・新宿御苑で開かれ、政界関係者や文化・芸能人ら約1万人の招待客が見ごろを迎えた八重桜を楽しんだ。
 首相はさわやかな青空の下で「今日の天気のように日本をしっかりさせなければいけない。基礎固めを今一生懸命している」とあいさつ。「物価が上がるとか、しょうがないことはしょうがないんで。耐えて工夫して切り抜けていくことが大事」と話した。
 「ねじれ国会」で頭を悩ませる機会が多い首相も、この日は終始リラックスした表情。会には女優の菊川怜さんや真鍋かをりさんらが参加した。

2008年4月12日 NIKKEI NET


なるほど「耐えて工夫して切り抜けていく」いうのは美しい言葉です。少なくとも菊川怜さんや真鍋かをりさん程度には美しいと言っても良いでしょう。しかしその場には、にしおかすみこさんとかギャル曽根さんなんかもいたのです。大変申し訳ないのですがきれいごとでは済みません。「政界関係者」や売れっ子の「文化人・芸能人」という、現在のところ恵まれている人たちを前にした「物価が上がるとか、しょうがないことはしょうがない」というフザケタ発言を見出しにするのが良いでしょう。

このように関連づけることによって旨味が出て来るところにニュースの醍醐味がありますが、残念ながら締切時間の関係でこの二つの記事は同じ新聞には載りません。気の利いた新聞は「サクラばかりの日本に死体」という見出しをつけているようですが、うーん、これも産経さんが好きな57%の人たちを「サクラ」と言ってしまえばそれはそれで面白いかも知んないな。それに「桜」といえば「死体」と相場は決まっています。映画とかビラ配りとか「準児童ポルノ」とか表現の自由の「死体」も累々とか。
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おっと忘れてた
posted by 珍風 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もっと計算しよう

 「靖国神社賛成派」がまた物議をかもしている。他人の目から見た自分たちの姿にあらためて仰天した一部の国会議員が作品の中心的登場人物である高知県の刀匠に電話をして「自分の出演場面と名前を削ってほしい」と訴えさせているのだ。出演者が映画の趣旨を認めないというわけで、まあこれはよくある問題だ。
 ▼映画は靖国神社をめぐるドキュメンタリーである。中にかつて軍人に贈る「靖国刀」を作った刀匠、刈谷直治さん(90)が登場する。有村治子参院議員が国会での質問のためにその刈谷さんに電話をかけて、出演場面のカットを希望することを希望したという。
 ▼有村さんがこの発言を国会で紹介すると、真に受けた李纓監督は記者会見で「刈谷さんは了承している。作品が成立しないよう働きかけられたとしか受け取れない」と反論した。もとよりこんな眉唾な発言は一顧だにする価値もない。しかし一部のマスコミは刈谷さんに直接取材するなどして騒ぎはじめた。まるで有村議員の「圧力」で記事を書いているかのようだった。
 ▼中でも「靖国神社賛成派」の機関紙参詣新聞が刈谷さんに直接取材すると、刀匠自身が予定稿通りの話をするので面白味に欠けること夥しい。その揚げ句に刀匠は「利用された感じがする」とまで語っている。
 ▼「言った」「言わない」といった行き違いはよく起きる。だが、それならもう一度よく話し合うべきで、この作品を上映させないための「圧力」などとして利用してはならない。「靖国」のようなナイーブなテーマであれば、「賛成派」からの「圧力」が出演者にも襲いかかるのは残念ながらこの国のイロハだろう。外国ではこうはならない。ABCというのだ。ギリシャではΑΒΓだがロシアではАБВである。しかもあっちのBとこっちのBとは違う字なのだから困ったものだ。
 ▼この映画が上映中止の騒ぎを起こしたときにも、さも政治家の圧力のせいではないかのような報道があった。その政治家本人の下手な言い訳をたれ流すのをが「報道」と呼ぶのであればだが。今回も「圧力」とそれを隠そうとする「圧力」が手に手をとって仲良く歩きだした。根底にあるのは何でもいいから権力者におもねっておけばすむという参詣新聞のさもしさである。
posted by 珍風 at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月12日

調子のよい鍛冶屋

「靖国」出演の刀匠 「出演場面と名前を映画から削って」と明言

 映画「靖国 YASUKUNI」に登場する高知市の刀匠、刈谷直治さん(90)が、作品から自分の映像を削除するよう求めている問題で、刈谷さんが11日、産経新聞の取材に応じ、「上映を了承したとは一言も言っていない。出演場面と名前を映画から削ってほしい」と話した。
 刈谷さんは平成17年秋に、李纓(リ・イン)監督から、靖国刀の最後の刀匠のドキュメンタリーとして撮影したいと申し入れを受けて了承。作業場での撮影に応じた。
 昨年春ごろ、李監督が刈谷さんの自宅を訪れ、試写を実施。その結果、夫人(83)が「初めの趣旨と(内容が)全然違うので、もう1回全部やり直して」と監督に伝えた。
 「監督は“近いうちに違うもの(完成品)をもってくる”と言ったがその後は、なしのつぶて。今年の春に監督らが来たが(完成品は)持ってこんかった。利用された感じがする」と刈谷さんは話している。
 一方、10日の会見で李監督から「(刈谷さんを)変心させた」と名指しされた自民党の有村治子参院議員は11日、産経新聞社の取材に対し「国会で質問するため、伝聞ではなく直接本人の話を聞こうと、電話した。上映うんぬんについて一度も言ったことはなく、変心させる意図も働きかけも一切ない」と反論した。刈谷さんは、この電話について「出演場面を削除してほしいというようなことを(有村議員サイドに)伝えた」としている。

2008年4月11日 産経ニュース


これについては4月2日には一応判断を保留しておきました。しかしながらよく考えてみると、これはやはり有村が藤村新一さんの「神の手」をしのぐ「女神の手」でもって「発掘」したのではないかという気がします。「刈谷さんがそういう気持ちである」ということを有村は「ある人」からの「伝聞」で以前から知っていたとのことですが、直接聞いたのは3月の25日だそうです。有村発言では

映画の中でもっとも多くの時間を割かれ登場される刈谷直治さんは、靖国刀を造っていた現役最後の刀匠でございまして、現在90歳のご高齢です。「美術品として純粋に靖国刀匠、匠のドキュメンタリーを撮りたい」という若い中国人の青年の申し出に、刀をつくる自らの映像を撮影することは承諾され、「これが私の現役最後の仕事になるなあ」、と覚悟を決めて協力をされました。
 映画パンフレットによると「キャスト」というふうに刈谷さん書かれていますが、この刈谷さんは実際には本映画でキャストになることをまったく知らされておらず、このことを承諾されていないばかりか、完成品の映画を見る機会すら与えられていません。一時、進行過程での映像をご覧になって、当時政治問題化していた小泉総理の参拝映像や終戦記念日の靖国境内の政治的喧噪の映像とまぜ合わせて刈谷さんの刀をつくる映像が交錯されていることに違和感を覚え、ここからです、刈谷夫妻は不安と異論を唱えられました。すると刈谷さんの自宅に赴いた李纓監督と、助監督のナカムラさんは、「この映画には日本の助成金が出ているし、助成金を受けているというそのマークもついているから、大丈夫ですよ」と夫婦をなだめていらっしゃいます。助成金が公的お墨付きとして使われ、刈谷さん本人がキャストに仕立て上げられる、本人は嫌がっているんです。キャストに仕立て上げられることを承諾するよう、助成金のマークが入っているから大丈夫ですよ、日本政府も助成しているんですよ、という説得の材料になってしまっています。このような経過から最終作品は、刈谷氏の善意を踏みにじっており、刈谷さん夫妻はこの映画において刈谷氏の肖像が入ることをまったく承服しておらず、作品から刈谷さんの映像を一切外して欲しい、と希望をされています。これは私自身が一昨日、平成20年3月25日、刈谷さん本人と確認をとりました。


ということで、最初は「キャスト」に刈谷さんの名前が入っているのが問題だったらしいものが、ついには刈谷さんが映っているところを全部削除してくれという話しになったようです。もし以前からからそういう意思表示があったのであれば、刈谷さんと監督の間で刈谷さんの名前をキャストから外すか、さもなければ刈谷さんの映像を削除するかという話し合いが行なわれると思います。この場合、映像を削除しちゃうと作品として成り立たなくなりますので、刈谷さんの名前をキャストから外す方向で調整が行なわれていたはずです。現在そのようになっていないところを見ると、刈谷さんはそういう意思表示をしていなかったのではないでしょうか。

李纓監督と刈谷さんの言い分は真っ向から対立しているのですが、少なくともこの話しは有村が平成20年3月27日に世界で初めて明らかにしたのであり、有村の他に靖国神社の関係者や映画関係者でこの話しを聞いたという人は出て来ません。「伝聞」というのも確証のある話しではありません。もしかすると刈谷さんの「要求」は平成20年3月25日に発生したものなのかもしれません。まさに「女神の手」です。有村発言を読む限り、刈谷さんに何らかの要求があったとしても、それは「キャストから外してくれ」ということであったのであり「出演場面を削除してほしいというようなことを(誰かに)伝えた」のは25日が初めてであると思われます。

刈谷さんは靖国神社に刀を納品するメーカーですから、大変な立場であることは理解出来ます。てゆうか靖国神社自体も呼応して同じような要求を出して来ています。

映画「靖国」:靖国神社が一部映像の削除求める

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、靖国神社(東京都千代田区)が事実を誤認させる映像があるなどとして、李監督と制作会社「龍影」、配給元の「アルゴ・ピクチャーズ」に対し、一部映像の削除を求める通知をしたことが分かった。
 靖国神社が11日付でホームページに公表した。「境内における撮影許可手続が遵守(じゅんしゅ)されていないだけでなく、その内容についても事実を誤認させるような映像等が含まれており」と理由を記載。李監督らに「質問と問題映像の削除等の適切な対応を求める通知を行いました」としている。
 毎日新聞の取材に靖国神社は「取材は14日以降にファクスで受ける」と話した。

2008年4月12日 毎日新聞


名誉毀損で訴えられますから、この二つの動きの間には一切全く何の繋がりも感じられませんし、「つなぐ野球」って何のことなのかも僕は知りません。しかし有村が「上映うんぬんについて一度も言ったことはなく」と言い、稲田が「映画の公開についてなんら問題視する意図はない」と言うのももっともなことです。連中の真意は明らかになったわけです。助成金を取り上げたり、上映を阻止したり、一般公開を妨害することが問題なのではなかったのです。彼らは「靖国 YASUKUNI」という映画そのものを破壊しようとしています。もう一切誰も観ることが出来ないようにこの世から消してしまおうとしているのです。もはやいかなる言い訳も通用しません。発表前に公権力の人たちで見て、その人たちだけで判断して、他の人たちに見せないように葬り去ってしまう。これを普通は「検閲」と言っておりまして、憲法で禁止されているところであることを、まあ、まともな弁護士さんなら知っているはずですから、聞きにいった方がいいとおもいますが。

もっとも厳密な「検閲」概念に当たるかどうかはちょっとアレですので、おそらくこれは稲田お得意の、あまり得意でもないようですが、一応専門ではあるようですから、法廷に持ち込むぞ、という武富士やオリコンのような恫喝手法で来るのではないでしょうか。またもや恫喝、いつだって恫喝、食前食後に恫喝するなんてどうかしているのが「靖国神社賛成派」の人々です。アルゴ・ピクチャーズは何を思ったかとりあえず刈谷さんの地元高知での配給を延期してしまいましたが、卑劣な恫喝に屈しないでほしいものです。そうでなければ映画「靖国 YASUKUNI」は靖国神社の最も恥ずべき歴史の一つとなるでしょう。
posted by 珍風 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

宿主苦ウィルス10人殺し

前回FBIの「大量殺人」の定義をご紹介したところ、鳩山法相においてはこれを快く聞き入れられ、今回は立派な「大量殺人犯」となられました。

4人に死刑執行 東京・杉並のアパート経営者殺しの秋永死刑囚ら

 法務省は10日、4人の死刑を執行したと発表した。執行されたのは、秋永(旧姓・岡下)香(61)=東京拘置所在監▽坂本正人(41)=東京拘置所在監▽中元勝義(64)=大阪拘置所在監▽中村正春(61)=大阪拘置所在監=の4死刑囚。死刑執行は2月1日以来で、鳩山邦夫法相が就任して3回目の執行となる。今回の執行で、鳩山法相の在任中に執行された死刑囚は計10人となった。
 昨年12月の執行から、法務省は死刑を執行した死刑囚の氏名や犯罪事実の概要などを公表しており、今回も同様の発表方法を取った。
 秋永死刑囚は愛人の女性らと共謀し、平成元年7月から9月にかけて、東京都杉並区のアパート経営、遠藤ウメさんの土地を勝手に転売、約2億800万円をだまし取った。同年10月には遠藤さんの首を絞めて殺害。詐欺の共犯とされた男性も短銃で射殺した。
 坂本死刑囚は14年7月、群馬県大胡町(当時)の路上で、女子高校生に道を尋ねるふりをして車に押し込み、同県宮城村(当時)の山林へ連れて行き殺害。犯行後、両親から身代金23万円を受け取るなどした。
 中元死刑囚は昭和57年5月、パチンコなどに金をつぎ込んで生活費に困ったため、大阪府和泉市の顔見知りの宝石商の男性方を訪問。男性とその妻をくり小刀で刺殺し、現金2万4000円を奪った。3日後には、男性方に再び侵入し、男性の遺体からブレスレットを盗むなどした。
 中村死刑囚は平成元年12月、滋賀県安曇川町(当時)の路上で、元同僚の工員に睡眠薬入りサンドイッチなどを食べさせ、翌朝に殺害。現金約1万8500円を奪った上、遺体をノコギリなどで切断し付近の雑木林に捨てた。また同年10月にも同県新旭町(当時)の公園で、男性を同様の手口で殺害。古銭(時価約1000円)を奪った上、遺体を切断、付近の山林に捨てた。

2008年4月10日 産経ニュース


この連続殺人の犯行パターンは極めて特徴的です。1回目が12月7日の金曜日に3人。2回目が2月1日でこれも金曜日に3人。3回目が4月10日で、これは第2木曜です。4月4日の金曜日にある事情があって出来なかったのでこうなったようです。したがって「偶数月」の「初旬」、「金曜日」の可能性が高いがそれを逃した場合にも「初旬」中にはやる、というのがパターンです。

六曜でいいますと12月7日は先勝、2月1日は赤口、4月10日も先勝です。先勝の午前に人を吊るすとは凶悪であります。鳩山さんが縁起をかつぐかどうか知りませんが、先勝は午前中が吉、人殺しでも何でも午前中にやるのが良いとされています。

秋永(岡下)香さんは老女殺害について否認して無罪を主張、共犯者の殺害についても計画性を否認していました。逃亡後は下妻で養鶏場に住み込んで真面目に働き、その後土浦でスナックや中古車販売店を経営しています。一審の東京地裁山崎学裁判長はこのような逃亡後の経歴から無期懲役判決を下していますが、二審の東京高裁吉本徹也裁判長がこの犯行は「周到な計画的殺人」であり、このような裁判官の見方と相反する被告人の主張は「真摯な反省の態度も見られない」ことであるとして一審判決を破棄して死刑判決、2005年3月3日に最高裁第一小法廷泉徳治裁判長が上告を棄却して死刑確定としたものです。弁護士が恩赦請求の準備中であり、もうすぐ請求を出すところだったという話しもあります。

坂本正人さんについては一審の前橋地裁久我泰博裁判長が「偶発的であり、計画的でない」「極めて残虐とまではいえない」「捜査の途中からは素直で協力的」「前科前歴がないこと」「謝罪の念や反省の気持ちが芽生えて来ている」ことから無期懲役。判決言い渡し後、「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家として死刑判決を出すことは大変なことです」と発言して慎重なところを見せます。ところが二審の東京高裁白木勇裁判長がおなじ犯行事実を「残虐というほかはない」と言い出して2004年の10月29日に一審破棄の死刑判決、坂本さんは上告せずに刑が確定します。坂本さんとしては死刑を望んでいたようで、控訴したのは無期懲役では軽いと思ったからであり、被害者遺族に謝罪の手紙などを書かないのもそういうことをして刑を軽くする必要を認めないから、あるいは「謝罪する意志がないから」と言い放ちます。死刑を受け入れるのであれば「反省」などしなくても良いわけです。

中元勝義さんは捜査段階での自供を公判で否認しています。この事件は「強盗殺人」とその3日後の「窃盗」に分かれており、中元さんは「強盗殺人」について無罪を主張しました。中元さんと「強盗殺人」を結びつける物証・目撃証言は乏しく、特に凶器が発見されていません。自白の任意性が疑われており、裁判員諸君は当然に無罪判決を下すべきところですが、1985年ごろはまだ無知蒙昧の世の中であり、大阪地裁堺支部重富純和裁判長は状況証拠と「金に困っていた」という、ほとんどの人が持ち合わせていそうな「動機」をもって死刑としてしまいました。控訴審・上告審とも中元さんの主張は変わらず、それがかえって「改悛の情が全くない」ということになってしまって大阪高裁池田良兼裁判長も控訴を棄却して一審死刑判決を支持、1997年1月28日、最高裁第三小法廷可部恒雄裁判長による上告棄却で死刑が確定しました。たしか再審請求をしていたことがあります。

中村正春さんは精神病の病歴があり、また公判の途中から容疑を否認しています。犯行そのものの様態も精神病の影響を疑わせるものですが、大津地裁中川隆司裁判長は「計画的、冷酷で反省してない」として死刑判決としました。もっとも精神病によって「計画的、冷酷で反省してない」可能性は排除出来ませんから、あまり褒められた判決ではありません。その点控訴審では大阪高裁河上元康裁判長が中村さんを「反社会的人格障害」と「診断」して控訴棄却、死刑判決を支持しています。「反社会的人格障害」は他人の権利や感情を軽んじますが、中村さんの犯行が単に「他人の権利や感情の軽視」、「無謀で残虐」な人格傾向だけで説明がつくものなのかどうか、ちょっとアヤシイ感じがします。しかし最高裁第一小法廷島田仁郎裁判長もこの「診断」を支持し、2004年9月9日に上告を棄却して死刑確定となったものです。

このようにあるいは一審では死刑判決が下されなかったものが上級審の裁判官の主観によって量刑が重くなってしまったものがあり、あるいは自白の任意性の疑わしいもの即ち冤罪の疑いのある(もう執行されてしまったんだから鳩山さんの定義からしても立派な「冤罪」に当たる可能性のある)ものがあり、はたまた精神病による犯行があり、果ては死刑になるんだから反省なんかしないという人もいて、色々大変なんですが、仮令死刑制度を存置することに反対しない人でも文句なく死刑に処すにはちょっと引っかかる人ばかりです。今回犯人はこういう事例ばかりを取り上げて刑を執行したのでしょうか。そう願いたいものですが、ランダムに選んでも疑わしい事例が相当に混じるようです。

犯人は「今後も粛々と執行する」などという犯行声明を出していますから、次回がもしあるとすれば6月6日の金曜日(しかも先勝)である可能性が最も高いのです。4月10日は昨年12月7日のスタートから127日が経過し、犠牲者は10名にのぼります。このペースで行くと1年間に28.7人となり、このままでいくと戦後9番目の記録となる可能性が出て来ました。これは最近のアメリカ合衆国における年間死刑執行数の半分くらいになると思いますが、ということはつまり人口比ではアメリカと肩を並べるということになります。戦後63年、日本もようやくここまで来たかと感慨もひとしおであります。もっとも今の内閣が存続すればという話ですから、喜ぶのはまだ早いのです。
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自由のHAKAISHA

【正論】文化庁の映画助成 衆議院議員、弁護士・稲田朋美

 ■助成の妥当性だけを問うた
 表現・言論の自由が保障されたわが国において、たとえ政治的、宗教的な宣伝意図のある映画を製作しようと公開しようと自由である。今回、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)の一部映画館での上映中止をめぐって私が批判の矢面に立たされている。私たちが問題にしたのは、この映画自体ではない。そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点についてである。
 発端は一部週刊誌が「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」と報じたことだった。試写会を見た複数の友人からは、この映画に弁護士時代の私が映っているとも伝えられた。もちろん私は、この映画で観客の目にさらされることを同意したことはなかった。
 そこで2月に、私もメンバーである自民党若手議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映を希望した。当初、文化庁から映画フィルムを借りて上映するとして、日時場所も決めたが、その後製作会社が貸し出しを拒否する。そして文化庁協力と書かれた国会議員向け試写会(主催者不明)の案内が配布され、伝創会の上映会は中止に追い込まれた。
 朝日新聞が報じたような「(私が)事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。助成金を問題にする前提として対象となる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。「事前の試写を求めた」という歪曲(わいきょく)について朝日に訂正を求めているが、いまだ訂正はない。
 ≪「日本映画」ではない≫
 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。助成の要件である(1)日本映画であること(2)政治的、宗教的宣伝意図がないこと−を満たしていないからだ。
 まず、この映画は日本映画とはいえない。振興会の助成要項によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の製作者との共同製作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。
 映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる。しかし取締役はすべて中国人である。平成5年、中国中央テレビの日本での総代理として設立されたというが、映画の共同製作者は2つの中国法人(団体)であり、製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。
 さらに靖国神社をテーマにしていること自体、政治性が強い。小泉元総理の靖国参拝をめぐっては国内外で議論があり、特に日中間で政治問題化した。しかも、この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである。
 ≪歪曲された私の意図≫
 私も弁護士の立場から靖国神社の応援団として裁判にかかわったが、原告らは一貫して「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画からは同様のメッセージが強く感じられる。
 映画の最後で、いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。
 私は、大虐殺の象徴とされる百人斬り競争で戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬りは創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの記事の内容を信用することができず…甚だ疑わしい」とされた。ところが映画では百人斬りの新聞記事を紹介し、「靖国刀」をクローズアップし、日本軍人が日本刀で残虐行為をしたとのメッセージを伝えている。
 これらを総合的に判断すると、「靖国」が「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。
 私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っている。表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である。(いなだ ともみ)

2008年4月9日 産經新聞


稲田さんは「表現の自由を誰よりも大切に考えている」んだそうです。なんでも「表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺」されているそうで、稲田さんは産經新聞紙上で自分の言い分を述べることも許されていないようです。したがって上記の記事には嘘が書いてあるか、書いているのが稲田朋美の名をかたる偽物であることになります。

しかしながらここで産經新聞の卑劣極まる「言論封殺」工作にあえて乗り、この記事を稲田朋美本人が書いたものであるという前提に立ってみましょう。「表現の自由を誰よりも大切に考えている」、いわば「自由の女神」とも言うべき稲田さんは、「日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点」を問題にしているんだそうです。まあ別に問題にするのは「自由」です。問題にするなとは言いません。

ところが「問題」は、なぜそのために公開前に映画を観る必要があったのかという一点です。公開後では助成金を問題に付すことが不可能になるとでもいうのでしょうか。この点について稲田さんは大変に奇妙な「ユーザー辞書」を駆使して難解な議論を展開しています。

稲田さんは「上映を希望」したんだそうです。「上映」というのは映画を映写することですが、稲田さんは「試写」と「上映」は違うんだといいます。「上映」の方は「中止に追い込まれ」て「試写」が行なわれたのですが、「試写」において「上映」は行なわれなかった模様です。稲田さんは「試写」においてスクリーンに投影された映像を見たわけではなかったようです。

これはなかなか気付きにくい点です。稲田さんが「公開前に」「上映」を求めたところ、配給会社と文化庁は「試写」を行ないました。「試写」では映画が「上映」されるのですから、稲田さんのご希望に添う形になると考えますが、そこが素人の浅はかさです。専門的な議論によれば「試写」において「上映」は行なわれないのです。「上映」されているかに見えるアレは、なんか違うものであり、似て非なるものであり、映画のように見えて映画ではない、本物の振りをした偽物のマネをする本物のまがい物だったのです。

もっとも専門的かつ高度な議論に不慣れな僕でも、稲田さんのご不満を推し量ることは出来るかもしれません。稲田さんが問題にしているのは、仲間内の「上映会」が広く国会議員一般を対象とした「試写会」になってしまったことなのではないでしょうか。稲田さんは予断を持った「伝統と創造の会」の仲間だけで見たかったのに、他の人も映画を見てしまうことに危惧の念を抱いたのに違いありません。

稲田さんが助成金について問題にしている二点のうち、「日本映画ではない」という点については、そもそも映画自体を見なくてもわかるようなことです。しかし振興会によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう」のであり、「映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる」ことを稲田さんも確認しているのですから、この映画は「日本映画」に他なりません。「日本の法令により設立された法人」の取締役が日本人でなければ「日本映画」ではない、という規定はどこにもありません。中国人だからどうのこうのというのは稲田さんの「ユーザー辞書」の「日本映画」の定義には含まれているのかもしれませんが、差別的な脳内ワールドを朝から新聞紙の上にぶちまけるのはあまり美しい光景ではないようです。

そして二点目として挙げられるこの映画の「政治的宣伝意図」は、相当にあやふやなものです。そしてこの点については、多くの人がこの映画を観れば見るほど、反論される可能性が高くなるでしょう。残念ながら稲田さんもテーマの政治性や「メッセージ性」をあげつらうだけで、それが直ちに「宣伝」になるという確証は挙げられません。まして「日本刀」というのは人を殺すための道具ですから、「残虐行為」以外の何をしろというのか、稲田さんの「メッセージ」を聞いてみたいものです。

稲田さんが「あたしが要求したのは「試写」じゃない」と拘るのも、「公開前に」「上映」を求めたのも、おそらくこの「政治的宣伝性」の主張の脆弱性の故であると思われます。多くの人の目に触れる前に「問題」として立ち上げてしまう必要があったのでした。その効果として、少なくとも観客に先入観を与えること、政治的な「色付き」の作品として観客の足を遠のかせることが想定されていたと考えられます。多くの人がこの映画を見ないことによってのみ、稲田さんの主張が守られるのでした。したがってこの映画が「公開」されなければ、まさに稲田さんの思う壷だったわけです。とんだ「自由の女神」もいたものですが、クローバーフィールド来てますから。
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2008年04月09日

来年のベストセラー

布団をかぶってるように見える若い男性、それを庇うかのように背後に控える男性の母親とおぼしき高齢の女性、そして2人の視線の先には左手に書類を持って右手で若い男性を指差しながら、2人以外の誰か他の人に向かって何かを言っているヒゲの役人風の男。

これが世に名高い「徴兵免役心得」(稲葉永孝1879年)の表紙絵であります。いや、布団なんかかぶってません。両腕で身を護るような、頭を隠すような動作をしています。
image005.jpg
当時は「徴兵懲役一字違い」と忌み嫌われていたそうですが、あえて細かいことを申し上げれば、二文字とも違っているんですが。「心」を国が「徴する=取り立てる」のが「懲らしめる」ということだったんですね。恐ろしいことです。

徴兵令は1873年(明治6年)に施行されましたが、「身ノ丈ケ5尺1寸(曲尺)未満者」(154.5p)という体格基準未達者や「羸弱(ルイシヤク)ニシテ宿痾及ヒ不具等ニテ兵役ニ堪サル者」は兵隊に取られませんでしたし、当初は「一家ノ主人タル者」「嗣子竝ニ承祖ノ孫」「独子独孫」「罪科アル者 但徒以上ノ刑ヲ蒙リタル者」「父兄存在スレ共、病気若クハ事故アリテ父兄ニ代ハリ家ヲ治ル者」については免除され、その他にも「官省府県ニ奉職ノ者」「海陸軍ノ生徒トナリ、兵学寮ニ在ル者」「文部工部開拓其他ノ公塾ニ学ヒタル専門生徒、及ヒ洋行修行ノ者、竝ニ医術馬医術ヲ学フ者 但教官ノ証書竝ニ何等科目ノ免状書アル者(科目ノ等未定)」が免除されましたし、「養子」になっている人や「代人料」を払った者も徴兵免除でした。地獄の沙汰も金次第です。1879年には徴兵令の改正が行なわれて免除規定が縮小されましたが、これを受けて徴兵令のいわゆる「解説書」が多数出版されたようです。以下は全てこの年に発行されたものです。

「改正徴兵令早合点」青木輔清
「改正徴兵令大意俗解」内藤廉吉
「改正徴兵心得早合点」浦谷義春
「改正徴兵令註解便覧 一名免る可否」近藤守信

「早合点」というのは今で言う「早わかり」「速解!」の意味で、「おっちょこちょい」のことではないようなのですから早合点は禁物です。このような類書の中できわめて正直、というか市場のニーズを捉えたのが「徴兵免役心得」というタイトルをつけた稲葉永孝先生であったわけでした。

ところで法務省は裁判員制度の施行日を来年の5月21日に決めてしまいました。裁判員制度によって審理が行われるのはこの日以降に起訴されたものが対象になりますので、裁判員制度による裁判は来年の7月下旬以降になるとみられています。ところが来年の裁判員候補者は今年の10月15日までにピックアップされます。これが全国で30万人程度になります。当人に通知が行くのは今年の11月から12月にかけてです。

来年の5月21日以降に起訴された事件について、裁判員制度の対象となるものについて公判前整理手続が終わり次第、今年ピックアップされた人の中から裁判員候補者をくじで選び、裁判員選任手続の6週間前に「裁判員等選任手続き期日のお知らせ」を送付します。したがって呼び出し状が来るのは来年の6月半ばです。

徴兵と違って裁判員では死ぬのが他人ですから別にどうでも良いんじゃないかというとそうでもなくて、最高裁の調査によれば「義務でなければ参加したくない」人が83%もいます。しかし、というかだから、というかこれは「義務」なので、多くの人、というのは83%くらいの人ですが、これが興味を持つのが「辞退」の要件でしょう。

仕事代われぬ特別事情…裁判員辞退に最高裁が指針

 来年始まる裁判員制度に向け、最高裁は裁判員候補者から辞退の申し出があった場合に裁判官が認めるかどうかを判断するための指針をまとめた。
 居住地や職業、生活スタイルなどのグループ別の調査を基に裁判員となる際の障害を分析、「成人式シーズンの美容師」「資格試験直前のフリーター」など、辞退理由として考慮すべきケースを例示した。最高裁は調査結果をデータベース化し、選任手続きの際の判断材料にする考えだ。
 指針をまとめたのは、候補者を呼び出す前の書面審査などの段階で辞退を認められるようにして、国民の負担軽減につなげるため。職業ごとの事情を裁判官が把握しておくことで、辞退を認めるかどうかの判断を容易にする狙いだ。
 調査は昨年9月〜今年1月、北海道から沖縄までの計約800人を対象に行った。「秋田の酒造業者」「京都の西陣織業者」など地域の特産業者や、「旅行業」「クリーニング業」など様々な業種、「主婦」「若者・学生」など計127のグループを設定し、それぞれ該当者6人から意見を聞いた。
 その結果、職業や立場にかかわらず〈1〉他人に仕事を代わってもらえない特別な事情があるか(代替性)〈2〉仕事や生活に深刻な悪影響が出るか(影響)――の2点を特に重視すべきだとする基本的考え方を示した。
 それに基づいて、各グループの障害を分析。「インフルエンザ流行時の医師」など専門性が高い職業や「夏場の海水浴場近くのコンビニ店長」など繁忙期で休めないケースは、辞退の理由として検討すべきだとしている。
 「カキ養殖は、6月の種付け日が一日でもずれると翌年の仕事がダメになる」「ウエディングプランナーが担当した結婚式に出られないと、顧客の信頼を失って予約をキャンセルされる」など、裁判員になることで損害が出る恐れのあるケースも具体的に列挙、判断材料として提示した。
 辞退を認めるかどうかは個々の裁判官の判断に任されるが、最高裁は判断する際の重要な参考資料とするため、調査結果を全国の地裁に配布する。来年までに、60〜80グループを追加調査し、今回の結果と合わせてデータベース化。裁判官がキーワードで検索できるシステムを作る方針だ。

2008年4月6日 読売新聞


残念ながらこの「指針」は「裁判官がキーワードで検索できるシステム」になるようですが、一般の人がアクセス出来るかどうかは定かではありません。僕たちなんかは見せてもらえないのかもしれません。しかしこのような情報の不均衡そのものが裁判員やりたくない理由の一半をなすものであります。そこで賢明なる読者諸氏においては「裁判員免役心得」が来年のベストセラーになるのは自明のことでありましょう。「自分のブログが本になったらいいな」なんて考えてないで早速調査に取りかかるべきです。

ところで裁判員やりたくない人は、その理由の大半が「責任の重さ」とかそういうことであるようです。これに裁判員辞退に関する情報の不均衡を考え合わせてみると、裁判員というのは要領の悪い人が負いきれない責任を感じながらやるもんだ、ということになるようです。

ここでひとつご参考に供するとすれば、有罪かどうかわからなかったら無罪にするのが正しい、ということを思い出して頂ければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。迷ったら無罪。なるべく無罪。量刑についても、普段は居酒屋などで「厳罰主義」を振り回しているかもしれませんが、「責任」が伴ってくるとちょっと考えてしまう人もいるかもしれません。いいから量刑は軽くしてしまいましょう。大丈夫です。量刑と再犯率はあまり関係がありませんから、後になってなんだかんだと言われる心配はありません。また、被害者の被った「被害」は、そのものとしては回復不可能なものであり、これも量刑とは無関係です。いくら刑が重くても死んだ人が帰って来るわけではありませんから、たとえ被告人が死刑になっても「遺族感情」は納得出来ないでしょう。したがって「極刑」を求める「遺族感情」は、「極」において反転しても同じことでしょう。

ここで死刑についてですが、現在日本の「世論」では死刑存続を支持する者が多いそうですが、これはなにも熟慮の上である判断をした結果というわけではありません。つまり成熟した世論ではなく多分に情緒的なものだと思われます。これはマスゴミが「被害者」とか「遺族」の姿だけを報道して「被告人」があまり記者会見などをしないということにも関わります。目の前にいる人に同情的になるのはありがちな反応です。ところが裁判員は普段あまり目にしない被告人を生で目にする機会に恵まれます。法廷には被害者とか遺族とかもいるかもしれませんが、裁判の主役はどっちかというと被告人です。ここで実際に被告人を目にし、その声を聞き生い立ちを知る場合、被告人が「カワイソウ」になってしまって死刑判決など出せないという人が意外と多く出る可能性があります。「死刑支持」世論の情緒性が裁判員制度では逆に死刑判決を抑制するものとなる可能性がないわけではないのです。これを防止するには「遺族」を中心に使った情緒的な「世論」動員をやめて、死刑制度についてきちんと考えてもらう必要があるのですが、それをやるとますます死刑存続を支持する人が減ってしまうかもしれません。まあ、人一人殺そうってんだからそのくらいの苦労は覚悟して当然です。
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2008年04月08日

くやしまぎれ くるしまぎれ

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【正論】文化庁の映画助成 精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹

 ■私の作品が落とされた理由は
 私が初めて監督を手がけた映画作品『受験のシンデレラ』が3月29日から公開されている。映画は、評論家より観客が評価を下すものと考えているから、自分自身の作品そのものが「受験」をしているような気分である。
 ただ、事前の評価のシステムがないわけではない。その一つに、文化庁による映画助成がある。
 実際は文化庁ではなく、独立行政法人「日本芸術文化振興会」の基金から、「わが国の映画芸術の水準向上の直接的な牽引(けんいん)力となることが期待される意欲的な企画作品」を支援するものである。ただ、この基金653億円のうち541億円は政府出資であり、ここからお金をもらった映画は、ポスターや映画のクレジットで文化庁のマークをいれることになっているから、実質的に文化庁による映画支援とされている。
 そして、適正な助成のために、「芸術文化に関し広くかつ高い見識を有する委員」が審査を行うとされている。
 たとえば、2007年度の第2回募集分については、劇映画の応募は38件、採択は15件とのことで、3倍弱の競争率である。この競争率をみる限り、ある程度の水準の映画であれば、助成を受けられるようだし、受けられないと3段階の並か下という評価になることを意味する。
 経済的にも苦しい映画製作者にとって、これで落とされることは相当なダメージになるはずだ。ある程度の妥協をしても、採択されやすい傾向の映画を作るインセンティブになるだろう。それが、本当に「映画芸術の水準向上」につながるのなら、国の金を使う価値は十分にある。
 ≪恣意的「支援」のにおい≫
 たとえば暴力シーンのない映画や、国民に啓蒙(けいもう)すべき内容を盛り込む、コマーシャリズムに流れない芸術映画を助成するなどである。逆に、自虐史観や反日的内容の映画を助成するなら、その手の映画を作るインセンティブとなってしまう可能性もある。
 現実には、ことさら日本人による韓国人差別を強調する映画が助成を受けたりするが、ここにきて靖国神社を題材にした中国人監督のドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』に助成していたことが物議を醸している。
 実は、『受験のシンデレラ』は落とされた。有識者による「精力的かつ慎重な審査」によるものだそうだが、そこで並か下の評価を受けたことになる。しかし、この作品はモナコ国際映画祭では最優秀作品賞を受けている。
 歴史の浅い小規模な映画祭ではあるが、カンヌで監督賞を取ったパーヴェル・ルンギン監督の新作や、ハリソン・フォードがナレーターを務めるダライ・ラマのドキュメンタリーなどを抑えての受賞であるから、並か下という質ではないと信じている。
 映画は死を宣告された男が医療用モルヒネの助けを借りながら、残りの人生でやれるだけの仕事をするという設定である。平成18年に制定されたがん対策基本法の精神に基づいて、緩和ケアの啓蒙にも貢献できると信じる。
 この法律ができたにもかかわらず、日本では医療用のモルヒネの普及が遅れ、アメリカの4分の1しか用いられない。がん患者の8割は激痛に苦しみながら死んでいく現状を踏まえてのことだ。
 ≪受験勉強の勧め原因?≫
 とすると、子供に受験勉強を勧めるという映画のもう一つのテーマが気に入らなかったのかと思えてならない。
 歴代の文化庁長官の顔ぶれをみても、ゆとり教育の学習指導要領を答申した教育課程審議会会長や、ゆとり教育の理論的バックボーンの1人であった高名な学者らが顔を連ねているし、そのスポークスマンだった寺脇研氏は、映画助成を管轄する文化部長であったこともある。
 文化庁はゆとり教育派の残党の拠点なのではないかと疑いたくなる。有識者による慎重な審査と言っても、審査員を選ぶのは文化庁の役人なのである。これが邪推であってほしいが、同じような邪推をする映画製作者が増えることが私の最大の懸念である。
 子供が勉強をせずにのびのびと遊ぶ姿を描くと助成を受けられるが、頑張って勉強すべきというメッセージが含まれると、受けられないという印象が強まれば、この手の作品の作り手は減ってしまう。
 邦画の活況がいわれるが、それはテレビ局や大手映画会社の作るものについてのみだ。大規模シネコンが増えても、独立系映画がかかる映画館は減っている。文化庁の映画助成は昔以上に意味をもつ。国の金を使う以上、国益を考えたきちんとした審査を望む。(わだ ひでき)

2008年4月8日 産経ニュース



「コマーシャリズムに流れない芸術映画」

緑鐵グループ20周年記念作品
(和田秀樹初監督作品)
『受験のシンデレラ』
http://www.juken-movie.com/


「コマーシャリズムに流れない芸術受験屋」

会社名
 有限会社 緑鐵 (緑鐵受験指導ゼミナール)
会社所在地
 東京都文京区本郷三丁目5−4 朝日中山ビル2階
代表取締役
 和田壽榮子
監修
 和田秀樹
http://www.ryokutetsu.net/pc/pc.html


「コマーシャリズムに流れない芸術著書群」

新・受験勉強入門勉強法マニュアル―やり方で受かる!和田式要領勉強術の実践ノウハウ (大学受験合格請負シリーズ)
和田式要領勉強術数学は暗記だ!―受かる青チャートの使い方 (大学受験合格請負シリーズ)
「絶対基礎力」をつける勉強法 和田 秀樹
和田式要領勉強術センター試験突破マニュアル―科目別・目標ライン別攻略プランを詳細伝授! (大学受験合格請負シリーズ)
受かる参考書はこれだ! (和田式合格のストラテジー)
国語力をつける勉強法 和田秀樹
和田式 書きなぐりノート術 (新・受験勉強法シリーズ)
和田式受験英語攻略法 改訂版―「読み込み」で勝つ! (新・受験勉強法シリーズ)
合格する大学受験計画
和田式高2からの受験術 (新・受験勉強法シリーズ)
わが子を東大に入れる本
中学生の正しい勉強法―ライバルは私立トップ校!
勉強できる子のママがしていること 12才までの家庭教育マニュアル
和田式現役合格バイブル―“やれない自分”を“やれる自分”に (新・受験勉強法シリーズ)
公立小中高から東大に入る本―本当の学力が身につく勉強術
わが子を名門小学校に入れる法
頭がよくなる!和田式「算数・数学」徹底活用トレーニング (チャートBOOKS SPECIAL ISSUE)
和田秀樹の英語脳力全開 単語ドリル 入門編
やさしいそろばん入門―「脳力」がぐんぐん伸びる!
新・受験技法 2008年度版―東大合格の極意
わが子を有名中学に入れる法
受験は要領 テクニック編―「参考書は何をどう使うか」から、効率のいい勉強法・生活術まで
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