2008年04月06日

「まとめよう」とする奴のまとまりのない「まとめチック」

「靖国」上映中止 「内容を見て正しく議論を」

 今月公開予定の映画館がすべて上映を中止したことで問題となったドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓(リイン監督)。映画公開への妨害行為はあってはならないが、一連の流れを“過剰”ととらえる見方もある。「本来、公開された内容を見て正しく議論することが、『表現、言論の自由』を議論するうえでの健全な姿」という識者や関係者の声が、より重く感じられる。

「反日」か

 もともとこの映画を最初に問題視したと思われるのが週刊誌。昨年暮れ、映画で使われた写真の信憑(しんぴよう)性に疑問を呈し、「『反日映画』と言わざるをえない」などと指摘。この映画が文部科学省所管の独立行政法人、日本芸術文化振興会の助成金を受けていることを批判した。
 しかし映画自体は大半が映像をそのまま「記録」したドキュメンタリー。「見る人に押し付ける部分はない」(配給会社側)、「反日的なねらいどころか、そもそもイデオロギー的なものを感じさせない」(ジャーナリストの田原総一朗さん)など“スタンス”を問うこと自体への疑問も出ている。
 次にこの映画が話題にのぼったのが、自民党の若手議連「伝統と創造の会」が助成金を問題視したことなどを受けて、3月に国会議員向けに開かれた試写会。国会議員への批判があがっているものの、会長の稲田朋美衆院議員がコメントしているように「映画の公開についてなんら問題視する意図はない」。

うわさがうわさを…

 この後、東京、大阪、名古屋の映画館計6館が次々と上映中止や延期を決め、4月の公開、また東京地区での公開は“全滅”した。3月下旬に上映中止を決めた「銀座シネパトス」(東京)は、同月中に3回にわたって街宣車による抗議を受けたという。
 同館を運営する「ヒューマックスシネマ」(東京都新宿区)の役員は「同館は3つのスクリーンがあり、大きな音声で、実際にお客さまに迷惑がかかった」と表情を曇らせる。だが抗議やトラブルが起こる前に、事前の恐れや警戒で“自粛”した映画館もあるとみられる。
 田原さんは「まだ試写の段階なので、映画を見た人もそれほどいないはず。映画の中身を見ずに、報道などを受けて『反日』と抗議する。映画館も『抗議があるかも』と自粛する。まさにうわさがうわさを呼び、恐怖を呼んでいる状態ではないか」と危惧(きぐ)する。
 その後、もとから公開予定だった14館が5月以降に公開する意向を表明。さらに公開の申し込みが加わって21館に増え、ほかにも問い合わせが寄せられているという。皮肉なことに、映画は問題が起こる前よりも“拡大”されて公開されることになりそうだ。

公開して議論を

 上映中止をめぐっては、3日に日本新聞協会編集委員会が「上映中止は看過できない」との談話を発表したのをはじめ、マスコミや映画界などから「憲法が保障する表現の自由や言論の自由が損なわれてはならない」という声明が相次いだ。だが、ある映画業界関係者は「配給する側は事前に議論がわき上がることはわかっていたはずで、映画館との調整や、公開までの過程で、十分な配慮ができていたか」と疑問を投げかける。
 この関係者は「映画人はやはり公開された映画を見てもらって、『表現、言論の自由』を議論してもらうべき」と語る。田原さんも「映画の内容を実際に見て議論すべきだ」と話している。

■監督インタビュー
 「靖国 YASUKUNI」を撮った李纓監督=は今回の問題について「人間が魂や歴史について考えることは大切。そのことを問う作品。この作品が上映されなければ、日本は健康とはいえない」と話す。
 李監督は1963年、中国・広東省出身。もとは中国のテレビ局でチベットなどのドキュメンタリーを撮影していたが、「制限が多く、もっと自由に撮影したい」と89年に来日し、語学を勉強しながら撮影テーマを探してきたという。
 靖国神社の映像を記録し始めたのは平成9年。「『魂』や『精神』に興味があった。靖国の魂は何か、意味は何か、空間は何かを映したかった」という。その後10年間かけて記録した映像から「靖国 YASUKUNI」をつくりあげた。
 終戦記念日の8月15日。静かに神社は朝を迎えるが、マスコミの放列が並び、軍服で参拝する人、追悼集会を開く人、またその集会に抗議する人らが喧噪(けんそう)を生み出す。カメラはその模様を丹念に追う。一方で、かつて神社で作られていた「靖国刀」を作り続けた刀匠の姿も映し出す。
 タイトルから想起される政治的な印象ではなく、「精神的な部分に光をあてたかった。ナレーションも一切入れず、場面や映像に語ってもらいたかった」。
 今回の問題については「反日、愛日などナショナリズムをあおるものではない。人間が、魂や歴史のことを考えることが大切だということを訴えたかった。それを避けてしまえば、自身の存在もわからなくなってしまう」と話している。

2008年4月5日 産経ニュース


何だか必死さが伝わってくる、姑息ではありますがある意味では秀逸な記事です。必死になって何をしようとしているかといえば、上映中止の責任を専ら映画館と配給会社の「過剰」な対応に求めようというわけです。まあ確かに、最終的に上映しないことを決定するのは劇場ですから、そういう風に見せかけることも、場合によっては出来ない相談ではありません。

もちろん映画館が「過剰」をやらかすに至るまでには物事の流れというものがあって、始めに週刊新潮が「反日」だとか言い出します。しかしこの段階ではまだちょっと地味な話題です。しかし1月にはサンダンス、2月にはベルリンの映画祭に招待されて俄然話題性が高まったのを受けて稲田朋美が「一種の国政調査権」を行使します。この「国政調査権」には疑義が呈されており、というのも「国政調査権」は「議院」が有する権能であって、国会法104条にいう「各議院又は各議院の委員会」に「議員連盟」などは含まれないのではないか、そもそもいかなる議決にも基づかないではないか、稲田は口からでまかせを言って文化庁をけむに巻いたり脅かしたりしたんじゃないかという疑いがあるのですが、産經はこの点をあえて無視します。

そしていわゆる「試写」が行なわれた直後に、一種の団体の一種の車両などによる一種の「抗議」が開始され、時を同じくして東映(株式会社ティ・ジョイ「新宿バルト9」)の「上映中止」が発表されます。奇跡のような素晴らしいパスが続く見事な連係プレー。しかしもったいないことに産經はこの美しい瞬間にホットドッグから落ちたケチャップの行方を見詰めていた不運な観客の1人だったようです。大事なところを見逃して、実際に街宣車をかけられた銀座シネパトスのどうでもいい話しなんかして、いの一番に中止を決めた新宿バルト9の名前を讃えることすらせず、「抗議やトラブルが起こる前に、事前の恐れや警戒で“自粛”した映画館もあるとみられる」などと寝ぼけたことを言っている、こんな奴に記者の資格はありません。

解説者も解説者です。配給会社がするべき「十分な配慮」って何ですかい。「議論がわき上がること」は宣伝になるんだから良いんですよ。問題は「議論」よりもいきなりカラダで勝負に出る行きずりのセックスみたいなお兄さん達でしょう。お兄さん達に何かお土産を持って挨拶に行くとか、映画館を装甲するとか、とあるマンションの一室で秘密裏に上映するとか、そういうことですかね。「映画業界関係者」って誰だ。

しかしながら「皮肉なことに、映画は問題が起こる前よりも“拡大”されて公開されることになりそう」な事態を迎えた今となっては、出来ることと言えばこのように事態を誤摩化すことと、それから映画そのものを誤摩化してしまうことでしょう。産經は「靖国 YASUKUNI」を、李纓監督へのインタビューの恣意的な引用によって読み替えようとします。監督は「人間が、魂や歴史のことを考えることが大切だということを訴えたかった。それを避けてしまえば、自身の存在もわからなくなってしまう」と言ってますが、いつもこのような言葉を最も安直に使いたがるのが産經です。しかし監督は別のところでも歴史について、「記憶=忘却」について語っています。

多くの戦争は自分が正しいという考えを持つ国々によって始められたもの。そして記憶というものは自分の都合の良いものだけを覚えています。これは人間の持つ根源的な問題です。

映画『靖国 YASUKUNI』公式サイト


産經が常日頃からこの「記憶=忘却」術を駆使しているのは世間では有名ですが、上記の記事がそのテクニックのささやかな応用であることは明らかでしょう。産經は自分の都合の良いものだけを覚えさせようとします。これはマスゴミの持つ根源的な問題です。


posted by 珍風 at 04:23| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

「日本のチベット」

映画「靖国」、17都道府県21館で上映予定・配給元が発表

 上映中止が相次いだドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の配給・宣伝担当のアルゴ・ピクチャーズ(東京・港)は4日夜、全国17都道府県の21の映画館が5月初旬から順次公開すると発表した。ただ、抗議の電話などを警戒し、映画館名は公表していない。
 アルゴ社は、上映映画館の名称の公表を当初予定していたが、館数だけの公表について、「妨害行動を受ける映画館をこれ以上増やさないため」と説明している。
 当初は今月12日以降に東京や大阪などの14館で上映開始予定だったが、都内では4館、大阪でも1館の上映中止が明らかになっている。

2008年4月5日 NIKKEI NET


現在わかっているのは大阪の第七芸術劇場、広島サロンシネマ、苫小牧シネマトーラス、京都シネマ、松本CINEMAセレクトなど、その他群馬や新潟や沖縄など17都道府県21館での上映が予定されているそうです。「17都道府県」と書いてあります。ということは東京でもやるようです。現在までのところ東京は地震と空襲とゴジラが鉢合わせしたような潰滅状態ですが、上映中止を決定した4館の他に1館が名乗りを上げているという話しもありますし、シネマート六本木も上映中止が必ずしも映画館側の本意ではない旨声明を発しているところでもあり、復興の兆しが伺えるという状況でしょうか。

そのようなわけで田舎の人たちは東京というとなんだか花の都だと思うかもしれませんが、今や瓦礫の山であります。かつては「東京一は世界一」だったのかも知れませんが、もはや東京は日本一ですらありません。石原知事もさして読まれていない小説の書き手でありましたが、ウラでは何をやっているかわからないとしても、現在の収入では宮崎のテレビ芸人の方が多そうですし、銀行を破綻させたとはいえ頭の悪さも大阪の芸人の方が若干リードしているのではないでしょうか。石原さんは思想と性格に問題がありますが、あっちは正真正銘です。

東京では教育も潰滅しています。教育委員会は言うことをきかない餓鬼を教育することよりも、言うことをきかない先生を懲らしめるのに熱心です。

君が代不起立20人を処分 都教委、教員は不服請求へ

 東京都教育委員会は31日、3月の公立学校の卒業式で校長の職務命令に従わず、君が代斉唱時に起立をしなかったなどとして、教員20人を停職や減給などの懲戒処分にした。処分を受けた教員の多くは「教職員や生徒に日の丸・君が代を強制する暴挙だ」として、都人事委員会に不服審査請求する。
 都教委によると、停職6カ月が2人、減給が9人、戒告が9人。学校別では都立高が15人、特別支援学校が3人、公立小中学校が2人。戒告対象者のうち2人は、4月からの再雇用や非常勤選考の合格が取り消された。
 昨年春に続き2度目の停職6カ月の処分を受けた特別支援学校教諭の根津公子さん(57)は31日、記者会見し「『次はもうない』と言われたが(解雇に)ならなかった。(不当な教育行政を)変えられるという希望が持てた」と話した。

2008年3月31日 共同


根津さんはクビにはならなかったようですが、「再雇用や非常勤選考の合格が取り消された」というのは事実上クビと一緒です。あんな旗やら何やらのために教師はクビになっちゃうのでした。仕事がなくなるのは可哀想ですが、これを機に教師などやめて真人間に立ち返りましょう。また、このような処分によって、餓鬼どもは日の丸だの君が代だのというものは何だかしらないけどオソロシイ、嫌悪すべきものであることを学習します。これによって赤いマルを見るとビビって立ち止まる癖が身に付きますので、交通安全にも役立つのですし、禁煙教育にもなるのです。ラッキーストライク限定ですが。

このようにいいこと尽くめで大変に住み良い東京ですが、一説には東京都の人口過密状態を憂いた石原さんが、なんとかして東京から人間を追い出そうとしているのではないかと言われています。その他にもしょっちゅう街中を走り回させたりして住民に不便を強いていますし、とどめにオリンピックを誘致しようとしています。

人権活動家・胡佳氏に懲役3年6月=言論活動で国家転覆扇動罪−中国

 【北京3日時事】北京市第一中級人民法院(地裁)は3日、中国の著名な人権活動家、胡佳氏(34)に対し、国家政権転覆扇動罪で懲役3年6月、政治的権利剥奪(はくだつ)1年の有罪判決を言い渡した。
 中国当局は北京五輪を前に人権活動家への締め付けを強化しているが、胡氏への実刑判決に対して欧米諸国などで批判が高まるのは必至だ。チベット暴動に関連した五輪ボイコットの動きが広がる可能性もある。
 新華社電によると、判決は「中国の政治・社会制度を中傷し、悪意あるうわさを広めた」と胡氏を指弾。2006年8月から07年10月にかけ、海外のウェブサイトに「1国2制度」などに関する評論を寄稿し、外国メディアの取材を受けたことが「政権転覆扇動」に当たるとされた。

2008年4月3日 時事


オリンピックにこういうことはつきものですから、「東京の政治・社会制度を中傷し、悪意あるうわさを広めた」りすると「政権転覆扇動」とみなされかねません。現状ですら東京の人権状況はアレですから、もしオリンピックをやるとしたらボイコットは必至であります。今から東京をボイコットしておいた方がいいかもしれません。実際、東京なんかにいても何にもなりません。田舎の人は出てこないように。岩手にいなさい。

岩手のことを「日本のチベット」と言ったり、岩手の中でも山奥の不便な所をチベットという言い方があり、これはチベットを近代の物質文明万能主義の色メガネによって、文化の劣る僻地とみなすきわめて不謹慎な、チベットの人にたいへん失礼な考え方です。

http://www.kenji-world.net/ihatov/today/museum.html

と、岩手県の人が言っています。岩手県は「文化の劣る僻地」であると自分で言っていることになりますが、蘇民祭という立派な文化があるではないですか。極寒の中で冷水をかぶり、全裸になって揉み合うという「自然の摂理」に反した行動はまさに「文化」そのものです。逆にチベットのことを「中国の岩手」と言ってみてはどうか。しかしながらこれからは映画一つ碌に上映出来ない東京のことを「日本のチベット」と言っても良いことにしましょう。「首都」なんかよりも北海道とか群馬とかのほうがよっぽどアテになるようで、こういうことを多元化というのです。
posted by 珍風 at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

計算しよう

 いやァな風が吹いていやがる。自分たちの主張にあわないものは認めない。こんな圧力に屈して、東京と大阪の映画館が、靖国神社を題材にした中国人監督の「靖国 YASUKUNI」の上映中止を決めたのは、大変残念なことだ。ただし風はひとりで吹きゃしねえ。風を吹かせる奴がいる。
 ▼上映中止の「背景」には、国会議員らの動きがあると、きのうの朝日新聞の社説はいうにとどめている。自民党の稲田朋美衆院議員らが、開催を要求した試写会のことを指すらしい。しかし、稲田氏らが「検証しようとしたのは、政治的に中立性が疑われる映画に対して、政府出資法人から助成金が出されたことの是非である」という説明をうのみにして深い「背景」を探ろうとしないのはいがなものか。
 ▼社説は、稲田氏に上映中止の責任があることから、上映呼びかけの「具体的な行動」を起こすよう迫っている。稲田氏自身が「上映中止は残念としか言いようがない」と言っている以上、当然「YASUKUNI_in_靖国」の実現に向けて行動をおこすはずであり、お節介も甚だしいが、翻って考えれば参詣も他人のことは言えた義理ではない。
 ▼参詣は大阪のとある卒業式の国歌斉唱時において、卒業生のうち起立したのが一人だけであった「背景」に「偏向教育」による「指導」が行われていたかのように書いた。まさにこの新聞の「お家芸」である。
 ▼果たして「教育的圧力」の証拠を示すことが出来るのかどうか、甚だこころもとないが、問題は生徒の行動を他律的にしかとらえていない点だ。誰かに言われなければ何もできないという人間観は、浅卑な「お節介」と軌を一にする。このような見方が間違いであることは論を待たない。
 ▼その証拠に浅卑がいくら言っても稲田氏が上映実現に動き出さない可能性は高い。言い訳はあるだろう。ただ、自分たちもまた風を起こし、それに脅威を感じる人たちがいる。自らの大きな力に無頓着にみえるのは、残念なことだ。

posted by 珍風 at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

まっすぐでぷっつん

あー、ポル・ポトですか。共産主義者というのは複雑で、最初はみんなのために良いことをしようと考えているらしいのですが、理論のメカニズムに隷従してああなっちゃうんでしょうかねえ。なんともわかんないですが、稲田朋美が一瞬でも「下から目線」を持ったことがあるのかどうか。

映画公開の全面「自粛」という驚天動地の非常事態が明らかになる前に稲田朋美の応援に回った有村治子とかいう議員がいるようで、このような非常事態、まさにイザ!というときには大変に役に立つと評判の「ブログ」で、3月27日に参院内閣委員会において有村が文化庁の尾山文化部長に対する質問の一部始終が掲載されています。僕は有村氏もなんだかなあと呆れました。それでは断片的にどうぞ。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/529429/

小泉総理の靖国神社参拝の是非をめぐって宗教的、思想的な相違などの理由によって靖国神社を相手に裁判を起こし、自らの政治的主張を展開することは、これは政治的な事柄でしょうか、宗教的な事柄でしょうか。

このような靖国神社の参拝の是非をめぐって靖国神社を相手に裁判を起こしている。そして自らの政治的主張を展開すること、このことは政治マターか宗教マターかどうですか、そうじゃないんですか、ということを伺っております。

しかも、この映画の中で両氏は、彼らが現実の社会の中で提起している訴訟と同じ趣旨の主張をそのまま展開をされており、一連の靖国関係訴訟を代弁する政治的宣伝がそのままキャスティングにそのまま反映されています。


有村は映画の中で「政治的な事柄」、「政治マター」が扱われ、作品の中で訴訟の一方の当事者の「主張」がキーとなっていることをもってこれを「政治的宣伝」であるとしています。これが有村の「ロジック」の唯一のよりどころなのですが、およそいかなる製作物でも制作者の「思想」の表現は元来自由であり、てゆうか(ドキュメンタリー作品であれば特に)「思想」って出ちゃいますよね。文化庁が「政治的」作品を助成の対象外にすることなく「政治的宣伝」の作品を対象外とすることに決めてあるのも、この辺の区別をしているわけです。ここで「政治的意図」=「政治的宣伝意図」という「ロジック」は明らかに有村の「強弁」です。

全体としては政治的意図は持っていないとおっしゃいますけれども、キャストとして上がっている名前は3人しかないんです。そのうちの2人は靖国訴訟の原告なんです。そしてここに刈谷直治さん、残り一名のキャストの名前が挙がっていますが、この刈谷直治さんは、この映画のキャストになることを知りませんでした。そして今もキャストになることを了承していらっしゃいません。そしてこの靖国神社に関して、この刈谷さんは政治的発言は展開しておられません。


ここで刈谷さんが「政治的発言は展開しておられません」かどうかは、作品未見の僕たちの知りうる所ではないので、ここに言う「政治的発言」が何を意味するかは明瞭ではないのですが、作家の制作意図として刀匠のお喋りをあんまり入れたくなかったのかも知れませんし、刈谷氏が語るべき言葉を持ち合わせていなかっただけかもしれません。そして映画と言うメディアの性質から、仮に刈谷氏が何らかの「政治的」スタンスを持つとして、それを彼の映像と音声から汲み取ることが出来なかったのは、制作者がそれを表現する意図を持たなかったのか、有村に見る目がなかったのかは今のところ不明です。

助成金を受けようとしてこの有限会社「龍影」のチャン・イー代表取締役は、助成金交付要望書を提出した最初の段階、18年7月19日です。その最初の段階から、その資料に、映画の概略には、小泉参拝をめぐり靖国の政教関係を透視する、と明確に書かれています。そして主な出演者、キャストとしては、小泉首相靖国参拝を意見と考えられる東京訴訟の会を登場させる旨、明記をして交付金交付の申請書を提出されます。つまり申請者は意図してこの問題を取り上げます、と明確に書かれた上で最初の助成金交付要望書を出されているわけです。


「靖国の政教関係を透視する」ことは作家の政治的見解の表明であることがあるでしょう。しかしそれは作家が表現の自由を行使したまでのことであり、それが直ちに「政治的、宗教的宣伝意図」を持つものでないことは言うまでもありません。

日本人としてただ一人、協力プロデューサーとして、名前が挙がっている山上徹二郎氏は、「この映画の影響はアジアを飛び越し、世界的に注目を集めることになる。『靖国』が日中韓と欧米で公開されれば、日本は戦争責任問題を本当に反省せざるを得なくなる」と人民日報の国際版サイトで語っておられます。常識的に考えますに、戦争責任というのは戦争を終結して、戦争に勝った国と負けた国がそれぞれ負うべき、持つべき責任、制裁、権限を明確に出し合い、当事国双方が折り合いのつく条件を明文化して講和を結び、国境を定めるという極めて政治的なプロセスです。戦争状態を終結し、当事国同士の国際関係を正常化していくプロセスは政治そのものです。


「戦争責任問題を本当に反省」とは「戦争状態を終結し、当事国同士の国際関係を正常化していくプロセス」への反省、批判でありますが、この作品が「世界的に注目を集める」ことになると日本がそのような政治過程に対する評価を再考せざるを得なくなる、というのは山上さんがこの映画の興行的成功に伴う副次的効果として日本の政治思想状況にインパクトを与えるであろうと予想しているだけです。これは映画そのものの内容を説明したものではなく、いかにもプロデューサーなどが言いそうな宣伝文句ではないでしょうか。

その審査を行ったとおっしゃいますけども、その先生方が見てくださったはずの、最初の申請書類に、チャンイー代表がですね、小泉総理の靖国参拝の政教問題を透視すると明確に書かれているんですよ。それが政治的意図ではないと断言されているわけですから、その理由を聞かせてくださいと聞いているんです。


「小泉総理の靖国参拝の政教問題を透視する」ことはたしかに「政治的意図」です。靖国神社と政教分離問題はそれこそ「分離」出来ないものでしょう。しかしこのような問題を提起し、ある見解を表現するとしてもそれが即ち「政治的宣伝」にあたるものではありません。

その写真の真偽なんて聞いてません。その真偽が疑われる写真を次から次へと出しているところは政治的意図だと私は思うんです。


これは映画の中に登場する南京大虐殺の「写真」についてのことですが、「真偽」を疑うことそのものもひとつの「政治的意図」からするものであることに気がつかないほど有村は自己中心的なんでしょうか。

議論は公開できないとおっしゃいますが、では国民の知る権利を守るために国民の代表として議会に送っていただき、国権の最高機関である国会の公式な参議院の内閣委員会で岡田委員長の指名の下、質問通告もしっかりとした上で、私は質問を展開しております。すなわち私のとるべき手続きは正当にすべて踏まえた上での公的な質問でございます。


ところで当該映画作品そのものに関する「国民の知る権利」がその行使を事実上妨害されている現状を有村はどう考えるのでしょうか。これだけ議論しているのですから、広く一般の観覧に供するべく働きかけるのが筋というものでしょう。

作品が完成したから試写をされた段階で、政治的宗教的宣伝の意図について疑義がまったく呈されないとしたら、それ自体、一体何をチェックされているのだろう、専門委員の先生方は目を開けて、助成金交付選定基準に照らし合わせて、この試写を審査していただいたのですか、と言わざるを得ません。


後半は自己中心的で誤解に基づく「ロジック」による一方的な断言に過ぎません。

試写が行われてその中に4人が参加したというだけで、そのあと先生方が何を見たのが、何がいいと思って、何が違和感を感じたのか、という意見の聴取は行われていません。つまり企画段階のでの申請は審査するが、出口はしていない。


要するに自分と同じような文句が出なかったのが不満らしいですね。こういう不条理なクレームをつける人を「モンスター」とか言うようですが、有村はさしずめ「モンスター議員」ですね。

私は靖国神社賛成派、反対派というレッテルをつけること自体、与しておりませんけれども、企画段階では、靖国神社に対して賛否両論を材題とする、としていた文書が実際に19年の3月に出された変更理由書によって、いわゆる靖国支持者の主張はこの映画の対象にしないことが明確に申請をされています。この時点でこの映画が完全な「反靖国」となることが決定的になったものですが、これらの大規模な変更が行われても、問題ありという認識を、誰も専門委員の方々は、一切されなかったのでしょうか。反靖国となることが決定的となって、これは中国政府の歴史認識や主張そのものを取り上げる映画と、この時点で決定的になったわけですが、これに疑義を、おかしいな、何かあるんじゃないのかなと思われた人は誰もいなかったんですか。


レッテルがどうか知りませんが、「反靖国」であることが「問題ありという認識を」するのが「靖国神社賛成派」です。また、「反靖国」が「中国政府の歴史認識や主張そのもの」という「認識」に至っては笑止千万な決めつけですよ。

平成17年、2005年は終戦60周年でございました。終戦40年、50周年となる、1985年、1995年、2005年、つまり西暦の一桁が5になる年は、決まって中国、韓国が歴史認識を外交カードとして日本を揺さぶらせる戦略にきています。そして私たち自身も、歴史に向き合う機会から逃げることはまったく許されません。しかし、この平成17年の大騒動があった2005年の翌年に申請が出されているんです。こんなあったり前の、みんなが理解している政治的な意図が見抜けないような、社会人としての常識的感覚がない人ばかりが専門委員になっていらっしゃるんですか。


これはもはや映画とは何の関係もない言い掛かりになってきました。人によっては長く喋ると碌なことにならないといういい見本であります。ちなみに当ブログの発足も2005年ですが、だからどうした。政治的意図があるわけだ、中国の。ニーハオ。

幅広い見識を有しということでございますが、専門委員の一人である「Y氏」、この方の信教の自由、思想の自由ということを尊重して昨日は通告で明確にそちらにお伝えしておりますけれども、Y氏とこの場では言わせていただきましょう。Y氏は「映画人9条の会」のメンバーであり、その旨の発信をされていることを日本芸術文化振興会はご存じでしたか。9条の会というのは、ご承知の通り憲法9条をめぐって護憲という立場で政治的メッセージを明確に打ち出し活動をされていらしゃる団体です。その映画人9条の会のメンバーであること、ご存じでしたでしょうか。

専門委員の中立性、もちろんYさんにも思想の自由はあります。そしてそれは尊ばれなくてはなりません。しかし常識に照らして公正な立場で審議されたとは到底思えない判断が次から次へとまかり通っている現状を鑑みますと、このY氏の政治的思想的活動が当該映画の助成金交付決定に影響を与えたのではないかという、国民のみなさん、私たちの疑念を、振興会の公的責任として払拭していただきたいと思います。


憲法をまもるのが何か問題なんでしょうか?一般に法律を守るように呼びかけることは広く容認されるところであり、逆に法を無視し、違法を推奨するようなことはフィクションであっても「問題」とされることが多いようですが、そうであるならば法律を基礎づけている憲法をまもることは当然とされるのではないでしょうか。もっとも「人を殺してはいけない」と言うのは「政治的宣伝」であるからダメ、というのであれば仕方ありませんが。

そしてこの「靖国」のパンフレットにも書かれていますけれども、「そして、知られざる事実がある。靖国神社のご神体は日本刀であり、平成8年から敗戦までの12年間、靖国神社の境内において靖国刀が鋳造されていた」というふうに書かれていますけども、これは事実誤謬でございます。しられざる事実があるといって、靖国神社のご神体は日本刀であるというふうに主張されていますが、この認識事態が誤謬なんです。事実誤認でございます。これは私自身が靖国神社の広報に問い合わせています。神社で大切にされていらっしゃる神剣、神の剣は、一般的に世に言う日本刀、片刃で、ワンエッジですね、片刃で反りのある日本刀とは形状も異なっておりまして、このご神体は日本刀ではありません。この誤謬を知られざる事実として、ドキュメンタリーとして豪語されること自体が大変に遺憾なことでございます。
 もちろん、中国の監督が外国語である日本語で基礎事実を理解するのは難しいのかもしれませんが、このご神体について靖国神社に事実確認や問い合わせも一切されずにこの事実誤認をドキュメント称し、広く喧伝されていること自体が欺瞞だと思いますが、やはり文化的考証などの前線に立たれるはずの文化庁ではないんですか。この点コメント下さい。


ついに単なる「誤謬」を「欺瞞」と言い張る「欺瞞」まで駆使し始めました。もうめちゃくちゃです。

一時、進行過程での映像をご覧になって、当時政治問題化していた小泉総理の参拝映像や終戦記念日の靖国境内の政治的喧噪の映像とまぜ合わせて刈谷さんの刀をつくる映像が交錯されていることに違和感を覚え、ここからです、刈谷夫妻は不安と異論を唱えられました。すると刈谷さんの自宅に赴いた李纓監督と、助監督のナカムラさんは、「この映画には日本の助成金が出ているし、助成金を受けているというそのマークもついているから、大丈夫ですよ」と夫婦をなだめていらっしゃいます。助成金が公的お墨付きとして使われ、刈谷さん本人がキャストに仕立て上げられる、本人は嫌がっているんです。キャストに仕立て上げられることを承諾するよう、助成金のマークが入っているから大丈夫ですよ、日本政府も助成しているんですよ、という説得の材料になってしまっています。このような経過から最終作品は、刈谷氏の善意を踏みにじっており、刈谷さん夫妻はこの映画において刈谷氏の肖像が入ることをまったく承服しておらず、作品から刈谷さんの映像を一切外して欲しい、と希望をされています。これは私自身が一昨日、平成20年3月25日、刈谷さん本人と確認をとりました。


この点については「靖国神社賛成派」と深い関係を持つ靖国神社と関係の深い刈谷氏の立場に鑑みて、「靖国神社賛成派」と目さざるを得ない有村氏「自身が」確認をとった事項に関しては判断を保留せざるを得ません。映画を観て刈谷氏自身を見てみたいものです。ちなみに助成金が出ているのは事実であって詐欺でもなんでもありません。刈谷氏は嫌ならはっきりそういえばよかったのではないでしょうか。優柔不断な刈谷氏の「刀」がどういうものであったのか、映画を観ていない僕にはまだわかりませんが、実戦で使われる機会がないのがせめてもの幸いであるような気もします。

つまり、日本の法令によって設立された法人が、例え構成員がすべて外国人でもOKということになります。ノルウェーの人々によって構成される法人が、ケニアのキクヨ族を撮った映画も日本映画というカテゴリーになってしまうんです。不思議な定義だなあ、と思います。


別に良いではないか。何を言っているのか。奥さん、気を確かに。

最後に私自身、今までの質問はすべてロジックだけでやってまいりました。私自身靖国神社に対してどう思っているかというと、右翼も左翼もないと思っています。どんな立場を取るにせよ、もちろんそれは自由です。
 しかし、この靖国神社というのは本来、御霊と静かに向き合う場所で、国の未来を信じて命を捧げられた御霊やその人、お父さんに一度も抱かれたことのない子供たちが、お父さんの無言の遺骨を抱かねばならなかった、そんな方々がもう60歳、70歳になって、唯一お父さんに会える、好きだった恋人に会える、あるいは息子に会えるというところの遺族のお気持ちに静かに心を沿わせる人間としての常識は持たねばならないと思っています。
 やれ賛成だやれ反対だとプラカードを片手に、意見の異なる相手をそれぞれの数の論理や、声のボリュームで威嚇して思想的に相容れない相手をにらみつけて中傷合戦をするイデオロギー論争の場であり続けることは極めて御霊やあるいはご遺族に対して不遜なことだと思っています。


右翼だか左翼だか知りませんが、あそこの「英霊」が「国の未来を信じて命を捧げられた」と決めつけるのは当人に「自身が」「確認をとった」わけでもないのになんとも乱暴な言い草です。死人に口無しとはこのことで、死者に対して「不遜」としかいいようがありません。また、神社でも何でもどこかで死人と「会える」とするのはもっぱら「遺族」側の「宗教的」な信念であって、これのみを重んじることは、これを信じない国民に対して「不遜」でありますが、これは有村が自ら信じることを述べただけでしょうから、国会で宗教的宣伝をしやがったなどという無粋は言わないでおきましょうか。

ちなみにチベットを引き合いに出した稲田朋美同様、有村治子も中国好きでは人後に落ちないようです。野田聖子ファンで容貌も似通っている有村は「北京オリンピックを支援する国会議員の会」のメンバーなんだそうです。まあ、これは各党のトップが顧問になっていますから、だからどうだというわけではありませんが、大変立派なことであると、そういうようなことで。「元マクドナルド社員」なんだそうで、そっちの方がちょっと気になるんですけど。まさかバイト経験ってんじゃないだろうね。
posted by 珍風 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アッパレ プッツン

恥ずかしいから門前を竹矢来で囲って蟄居しているかと思ったら、どうしてもプッツン朋ちゃんから白痴に昇格したいようです。

「上映自粛に理由なし」 “靖国”中止で稲田議員

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の東京都内での上映がすべて中止された問題で、文化庁に「作品を見たい」と要請した自民党の稲田朋美衆院議員(福井1区)が1日、共同通信の取材に応じ「上映中止は残念としか言いようがない。映画館側が自粛する理由は何もない」と述べた。
 中止の主な理由とみられる右翼団体の街宣活動については「そういう勢力が入ってくることは迷惑だ。街宣活動で表現や政治活動の自由が制限されることは、あってはならない」と指摘した。
 上映中止のきっかけと指摘される国会議員向け試写会が3月に開かれた経緯を問われると、「文化庁所管法人の助成金が支出されたことを週刊誌の報道で知り、『映画を見せてほしい』と文化庁に求めたが、『公開前に』とか『試写を開いて』などとは言ってない」と釈明。「試写会が開かれたのは、文化庁と配給会社の判断だ」と述べた。

2008年4月1日 共同


あくまで「そういう勢力」とは無関係、むしろ迷惑だを装いますが、自分がこういうことをすれば「そういう勢力」がどう動くか、これを事前に予想していなければ政治的には白痴だと言ったでしょ。政治家じゃなくてもそんなことはわかるのではないか。弁護士としても常識が疑われますね。しかし僕は稲田朋美が白痴だとは思っていませんから、これは悪口じゃありません。

「映画を見せてほしい」ときには普通は映画館に行きます。文化庁には頼みません。「ある国会議員」がこの映画を「見たいと言ってる」という話しが文化庁からアルゴピクチャーズに伝えられたのが2月12日。その後何日かしてから、この「国会議員」が稲田朋美であり、これが「伝統と創造の会」と「靖国平和議連」からの「要請」であることが説明されました。

公開の2ヶ月も前に「見たい」と言い出したのですから、「公開前に」「見たい」んだなと思うのは当然でしょう。公開後でもいいんだったらわざわざ文化庁に言わなくてもいいわけです。

アルゴピクチャーズは「今マスコミ試写の最中なのでそっちに参加してもらいたい」と答えたのですが、文化庁は京橋のフィルムセンターを会場として押さえ、日時も勝手に決めてそういうことでヨロシク、と言って来ました。これが「試写会」になったのは、アルゴピクチャーズが「特定の議員だけに見せるのはおかしい」と考えたので文化庁と相談の結果、国会議員を対象とした試写会という形式になったものでした。

稲田朋美は「『公開前に』とか『試写を開いて』などとは言ってない」としていますが、そんなら国会議員は公開されている映画を映画館で普通に見るために文化庁に「見たい」意志を表明しなければならないのでしょうか。随分と面倒な商売ですな。それともタダ券が欲しかっただけなんですかね。

日本人は自分が意図せずに引き起こした事態にも責任を感じて謝ったりしますが、稲田朋美は違うようです。日本人じゃないのかと思いましたけど、日本人がそうするのは「目上」に対してだけなのですから、下賎の民草に謝ったりしない稲田朋美は日本人の心を持った天晴なご婦人なんでしょう。
posted by 珍風 at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月01日

キネマの夜「YASUKUNI in 靖国」

映画「靖国」上映の場を!映演労連が声明

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の東京での公開がすべて中止になったことを受け、映画演劇労働組合連合会(映演労連)は1日、上映の場を確保するよう映画会社や映画館に求める声明を発表した。
 声明は「日本映画界にとって恥ずべき事態。表現の自由が踏みにじられた」とした上で、映画会社などに向けて「公開の場を確保するよう、映画人としての勇気と気概を発揮してほしい」と訴えている。
 国会議員向け試写会の事前開催を求めた自民党の稲田朋美衆院議員らに対しては「上映中止を撤回するよう、映画館に働き掛けるべきだ」と主張している。

2008年4月1日 スポーツ報知


映画会社には「映画人としての勇気と気概」を期待したいところですが、相手が相手ですから、映画演劇労働者には映画人としての体力が要求されます。もとより体力のある人やけんかの強い人の多い業界ですから大丈夫でしょう。映画は戦場だ。

しかし戦場では生き残ることが大切です。人が死んだり映画館が炎上したりプリントが毀損されたりするのはなるべく避けたいものですし、出来たら邪魔の入らない状態で映画をちゃんと観たい。おかしな連中が「L-O-V-E、レッツゴー朋美!」とか叫んでいない静かな環境が望ましい。それも山中とか離島ではなくて便利なとこがいいでしょう。

と思ったら、あるね、そういう所が。都心で、しかも無作法なファン連中も静かにしてくれそうな場所といったらここしかありません。靖国神社。交通は至便、JRと地下鉄の飯田橋駅、市ヶ谷駅、地下鉄の九段下駅から、いずれも徒歩8分です。

あすこは遊就館という戦争博物館がありまして、そこではいつも映画を上映しています。しかもシネコン並みに4スクリーンで展開しているのですから立派なものです。中でもかの有名な「南京の真実」を上映している「映像ホール2」は100人以上のキャパがありますから十分に対応可能です。

しかしながら今は桜の季節であります。靖国神社は桜の名所でもあるのですから、それに目もくれずに通り過ぎるというのは大変によろしくありません。そこで夜桜見物をかねて野外上映はいかがでしょうか。夜の1回のみ拝殿前で上映するのはどうでしょう。みなさん靖国神社の拝殿の写真を見たことがあると思いますが、菊花紋章の入った幕が下がっていますよね。あれを純白のものに取り替えればスクリーンになりますから、桜花を賞しながら映画鑑賞をするという、ちょっとオシャレな花見が出来ます。桜の時期が終わっても、夜の一時を屋外で過ごすのがまことに気持ちのよい季節になってまいります。

「靖国 YASUKUNI」を靖国で観る、これはさすがに日本でなければ出来ません。海外からも沢山の観客がみえることでしょう。北京なんか誰も行きません。みんなこっち来ちゃいます。問題は靖国神社側との折衝ですが、多分朋ちゃん、いや稲田朋美様が引き受けて下さることでしょう。罪滅ぼしのためにも是非働きかけるべきです。やらないと死んでから地獄に堕ちます。

あとは知能程度が可愛らしいファンクラブのみなさんですが、街宣車も鳥居の所までしか来れませんし、まさか境内で乱暴狼藉ははたらかないでしょう。いや、はたらくかもしれません。いくら朋ちゃんが大人しくするように頼んでも愛国の真情の溢れるがままに観客の頭を小突いたり腹を蹴ったり耳を削ぎ落としたり小鼻を切り裂いたり胴体を3つに斬ったりしかねないのがファンのファンたる所以であります。そこでお奨めしたいのが「靖国みやげ」です。売店では手頃な「日章旗ステッカー」とか「旭日旗ステッカー」とかが販売されていますから、これをオデコに貼っておけば仲間だと思って手出しをしません。おそらく大丈夫でしょう。保証はしません。
posted by 珍風 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プッツン大活躍

もはやプッツン朋ちゃんは世界中の物笑いの種です。

小泉首相の靖国参拝に対し、原告側のメッセージが入っていることを感じた。たとえば、適切な例ではないかもしれないが、日本の会社の代理店が映画をつくって、チベットのダライ・ラマの主張だけの映画をつくった場合、中国から助成金が出たら問題になるのではないか。

日本は一部の政治家が文句を言って映画の上映を取りやめにする国ではない。試写について、事前検閲とか表現の自由に対する制約と言われることは、弁護士出身の議員として心外である。

私の勉強会(稲田議員が会長を務める「伝統と創造の会」)が取り上げたのは、週刊誌の記事がきっかけだった。表現の自由について大騒ぎをしたのは、むしろあなたがた(マスコミ)。反日的映画だから政治家が反対したと騒いでいるのは、私と私の勉強会以外の勢力であると思う。日本は非常に人権が守られている国です。表現の自由が守られている国です。

2008年3月28日 JANJAN


これは映画「靖国 YASUKUNI」について、週明けには各劇場による全面的な上映中止が発表されるのを前にした週末、3月28日(金)に日本外国特派員協会で外人相手に喋った間違いだらけの日本語のほんの一部であります。朋ちゃんファン垂涎の動画はこっち。
http://www.tv.janjan.jp/movie/edit/fccj/080328fccj_tomomi_inada_v_01.php

いきなり「原告側」なんて言っちゃうところがお茶目。気分はすっかり「被告側」、まるで被告側の弁護士が一方の当事者の言い分を述べているように聞こえますが、実際にそうなのですからどうにもなりません。朋ちゃんは今日は国会議員として来ているはずなのに、どうやらそのことを忘れちゃったみたいです。

忘れちゃうのは仕方ないにしても、これで朋ちゃんは自分から「中立」性を否定してしまいました。これではいくら助成対象案件の「政治的中立」を云々しても、誰もまともに聞いてくれません。

それどころか朋ちゃんは日本政府に中国政府と同じことをしろと言い出します。この日本語を聞いた外人は、中国のチベット政策を支持するテコヘンな保守政治家の存在に度胆を抜かれたかも知れません。

しかし事態はそんなに可愛らしいものではないようです。朋ちゃんがチベットなぞを引き合いに出したのは、それが極最近の政治的惨劇に他ならないからでしょう。中国に人民解放軍があれば、朋ちゃんにはファンクラブがあります。朋ちゃんはチベットの悲劇が東京で再上演される可能性を示唆しているようです。

そこで「日本は一部の政治家が文句を言って映画の上映を取りやめにする国ではない」というのは不気味に真実です。今回「映画の上映を取りやめに」なったのは、「文句を言」うだけでは済まないからなのです。

全ての未開社会同様、日本には「タブー」というのがあって、「タブー」は「ちょっとだけヨ」と言っては平気で人を殺したりします。日本は「非常に人権が守られています」から、そんなことはよくあることなのです。例えば朋ちゃんがちょっと動けば活発なファンクラブが朋ちゃんの「権利」のために立ち上がってくれるわけです。これを予想出来ないとすれば、プッツンどころか政治的には白痴同様です。このような事態は当然予想のうちでしょうな。でも今日中に何とかすれば、エイプリルフールということで恥をかかないで済むんですが。
posted by 珍風 at 12:35| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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