2008年04月06日

「まとめよう」とする奴のまとまりのない「まとめチック」

「靖国」上映中止 「内容を見て正しく議論を」

 今月公開予定の映画館がすべて上映を中止したことで問題となったドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓(リイン監督)。映画公開への妨害行為はあってはならないが、一連の流れを“過剰”ととらえる見方もある。「本来、公開された内容を見て正しく議論することが、『表現、言論の自由』を議論するうえでの健全な姿」という識者や関係者の声が、より重く感じられる。

「反日」か

 もともとこの映画を最初に問題視したと思われるのが週刊誌。昨年暮れ、映画で使われた写真の信憑(しんぴよう)性に疑問を呈し、「『反日映画』と言わざるをえない」などと指摘。この映画が文部科学省所管の独立行政法人、日本芸術文化振興会の助成金を受けていることを批判した。
 しかし映画自体は大半が映像をそのまま「記録」したドキュメンタリー。「見る人に押し付ける部分はない」(配給会社側)、「反日的なねらいどころか、そもそもイデオロギー的なものを感じさせない」(ジャーナリストの田原総一朗さん)など“スタンス”を問うこと自体への疑問も出ている。
 次にこの映画が話題にのぼったのが、自民党の若手議連「伝統と創造の会」が助成金を問題視したことなどを受けて、3月に国会議員向けに開かれた試写会。国会議員への批判があがっているものの、会長の稲田朋美衆院議員がコメントしているように「映画の公開についてなんら問題視する意図はない」。

うわさがうわさを…

 この後、東京、大阪、名古屋の映画館計6館が次々と上映中止や延期を決め、4月の公開、また東京地区での公開は“全滅”した。3月下旬に上映中止を決めた「銀座シネパトス」(東京)は、同月中に3回にわたって街宣車による抗議を受けたという。
 同館を運営する「ヒューマックスシネマ」(東京都新宿区)の役員は「同館は3つのスクリーンがあり、大きな音声で、実際にお客さまに迷惑がかかった」と表情を曇らせる。だが抗議やトラブルが起こる前に、事前の恐れや警戒で“自粛”した映画館もあるとみられる。
 田原さんは「まだ試写の段階なので、映画を見た人もそれほどいないはず。映画の中身を見ずに、報道などを受けて『反日』と抗議する。映画館も『抗議があるかも』と自粛する。まさにうわさがうわさを呼び、恐怖を呼んでいる状態ではないか」と危惧(きぐ)する。
 その後、もとから公開予定だった14館が5月以降に公開する意向を表明。さらに公開の申し込みが加わって21館に増え、ほかにも問い合わせが寄せられているという。皮肉なことに、映画は問題が起こる前よりも“拡大”されて公開されることになりそうだ。

公開して議論を

 上映中止をめぐっては、3日に日本新聞協会編集委員会が「上映中止は看過できない」との談話を発表したのをはじめ、マスコミや映画界などから「憲法が保障する表現の自由や言論の自由が損なわれてはならない」という声明が相次いだ。だが、ある映画業界関係者は「配給する側は事前に議論がわき上がることはわかっていたはずで、映画館との調整や、公開までの過程で、十分な配慮ができていたか」と疑問を投げかける。
 この関係者は「映画人はやはり公開された映画を見てもらって、『表現、言論の自由』を議論してもらうべき」と語る。田原さんも「映画の内容を実際に見て議論すべきだ」と話している。

■監督インタビュー
 「靖国 YASUKUNI」を撮った李纓監督=は今回の問題について「人間が魂や歴史について考えることは大切。そのことを問う作品。この作品が上映されなければ、日本は健康とはいえない」と話す。
 李監督は1963年、中国・広東省出身。もとは中国のテレビ局でチベットなどのドキュメンタリーを撮影していたが、「制限が多く、もっと自由に撮影したい」と89年に来日し、語学を勉強しながら撮影テーマを探してきたという。
 靖国神社の映像を記録し始めたのは平成9年。「『魂』や『精神』に興味があった。靖国の魂は何か、意味は何か、空間は何かを映したかった」という。その後10年間かけて記録した映像から「靖国 YASUKUNI」をつくりあげた。
 終戦記念日の8月15日。静かに神社は朝を迎えるが、マスコミの放列が並び、軍服で参拝する人、追悼集会を開く人、またその集会に抗議する人らが喧噪(けんそう)を生み出す。カメラはその模様を丹念に追う。一方で、かつて神社で作られていた「靖国刀」を作り続けた刀匠の姿も映し出す。
 タイトルから想起される政治的な印象ではなく、「精神的な部分に光をあてたかった。ナレーションも一切入れず、場面や映像に語ってもらいたかった」。
 今回の問題については「反日、愛日などナショナリズムをあおるものではない。人間が、魂や歴史のことを考えることが大切だということを訴えたかった。それを避けてしまえば、自身の存在もわからなくなってしまう」と話している。

2008年4月5日 産経ニュース


何だか必死さが伝わってくる、姑息ではありますがある意味では秀逸な記事です。必死になって何をしようとしているかといえば、上映中止の責任を専ら映画館と配給会社の「過剰」な対応に求めようというわけです。まあ確かに、最終的に上映しないことを決定するのは劇場ですから、そういう風に見せかけることも、場合によっては出来ない相談ではありません。

もちろん映画館が「過剰」をやらかすに至るまでには物事の流れというものがあって、始めに週刊新潮が「反日」だとか言い出します。しかしこの段階ではまだちょっと地味な話題です。しかし1月にはサンダンス、2月にはベルリンの映画祭に招待されて俄然話題性が高まったのを受けて稲田朋美が「一種の国政調査権」を行使します。この「国政調査権」には疑義が呈されており、というのも「国政調査権」は「議院」が有する権能であって、国会法104条にいう「各議院又は各議院の委員会」に「議員連盟」などは含まれないのではないか、そもそもいかなる議決にも基づかないではないか、稲田は口からでまかせを言って文化庁をけむに巻いたり脅かしたりしたんじゃないかという疑いがあるのですが、産經はこの点をあえて無視します。

そしていわゆる「試写」が行なわれた直後に、一種の団体の一種の車両などによる一種の「抗議」が開始され、時を同じくして東映(株式会社ティ・ジョイ「新宿バルト9」)の「上映中止」が発表されます。奇跡のような素晴らしいパスが続く見事な連係プレー。しかしもったいないことに産經はこの美しい瞬間にホットドッグから落ちたケチャップの行方を見詰めていた不運な観客の1人だったようです。大事なところを見逃して、実際に街宣車をかけられた銀座シネパトスのどうでもいい話しなんかして、いの一番に中止を決めた新宿バルト9の名前を讃えることすらせず、「抗議やトラブルが起こる前に、事前の恐れや警戒で“自粛”した映画館もあるとみられる」などと寝ぼけたことを言っている、こんな奴に記者の資格はありません。

解説者も解説者です。配給会社がするべき「十分な配慮」って何ですかい。「議論がわき上がること」は宣伝になるんだから良いんですよ。問題は「議論」よりもいきなりカラダで勝負に出る行きずりのセックスみたいなお兄さん達でしょう。お兄さん達に何かお土産を持って挨拶に行くとか、映画館を装甲するとか、とあるマンションの一室で秘密裏に上映するとか、そういうことですかね。「映画業界関係者」って誰だ。

しかしながら「皮肉なことに、映画は問題が起こる前よりも“拡大”されて公開されることになりそう」な事態を迎えた今となっては、出来ることと言えばこのように事態を誤摩化すことと、それから映画そのものを誤摩化してしまうことでしょう。産經は「靖国 YASUKUNI」を、李纓監督へのインタビューの恣意的な引用によって読み替えようとします。監督は「人間が、魂や歴史のことを考えることが大切だということを訴えたかった。それを避けてしまえば、自身の存在もわからなくなってしまう」と言ってますが、いつもこのような言葉を最も安直に使いたがるのが産經です。しかし監督は別のところでも歴史について、「記憶=忘却」について語っています。

多くの戦争は自分が正しいという考えを持つ国々によって始められたもの。そして記憶というものは自分の都合の良いものだけを覚えています。これは人間の持つ根源的な問題です。

映画『靖国 YASUKUNI』公式サイト


産經が常日頃からこの「記憶=忘却」術を駆使しているのは世間では有名ですが、上記の記事がそのテクニックのささやかな応用であることは明らかでしょう。産經は自分の都合の良いものだけを覚えさせようとします。これはマスゴミの持つ根源的な問題です。


posted by 珍風 at 04:23| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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