2008年04月10日

宿主苦ウィルス10人殺し

前回FBIの「大量殺人」の定義をご紹介したところ、鳩山法相においてはこれを快く聞き入れられ、今回は立派な「大量殺人犯」となられました。

4人に死刑執行 東京・杉並のアパート経営者殺しの秋永死刑囚ら

 法務省は10日、4人の死刑を執行したと発表した。執行されたのは、秋永(旧姓・岡下)香(61)=東京拘置所在監▽坂本正人(41)=東京拘置所在監▽中元勝義(64)=大阪拘置所在監▽中村正春(61)=大阪拘置所在監=の4死刑囚。死刑執行は2月1日以来で、鳩山邦夫法相が就任して3回目の執行となる。今回の執行で、鳩山法相の在任中に執行された死刑囚は計10人となった。
 昨年12月の執行から、法務省は死刑を執行した死刑囚の氏名や犯罪事実の概要などを公表しており、今回も同様の発表方法を取った。
 秋永死刑囚は愛人の女性らと共謀し、平成元年7月から9月にかけて、東京都杉並区のアパート経営、遠藤ウメさんの土地を勝手に転売、約2億800万円をだまし取った。同年10月には遠藤さんの首を絞めて殺害。詐欺の共犯とされた男性も短銃で射殺した。
 坂本死刑囚は14年7月、群馬県大胡町(当時)の路上で、女子高校生に道を尋ねるふりをして車に押し込み、同県宮城村(当時)の山林へ連れて行き殺害。犯行後、両親から身代金23万円を受け取るなどした。
 中元死刑囚は昭和57年5月、パチンコなどに金をつぎ込んで生活費に困ったため、大阪府和泉市の顔見知りの宝石商の男性方を訪問。男性とその妻をくり小刀で刺殺し、現金2万4000円を奪った。3日後には、男性方に再び侵入し、男性の遺体からブレスレットを盗むなどした。
 中村死刑囚は平成元年12月、滋賀県安曇川町(当時)の路上で、元同僚の工員に睡眠薬入りサンドイッチなどを食べさせ、翌朝に殺害。現金約1万8500円を奪った上、遺体をノコギリなどで切断し付近の雑木林に捨てた。また同年10月にも同県新旭町(当時)の公園で、男性を同様の手口で殺害。古銭(時価約1000円)を奪った上、遺体を切断、付近の山林に捨てた。

2008年4月10日 産経ニュース


この連続殺人の犯行パターンは極めて特徴的です。1回目が12月7日の金曜日に3人。2回目が2月1日でこれも金曜日に3人。3回目が4月10日で、これは第2木曜です。4月4日の金曜日にある事情があって出来なかったのでこうなったようです。したがって「偶数月」の「初旬」、「金曜日」の可能性が高いがそれを逃した場合にも「初旬」中にはやる、というのがパターンです。

六曜でいいますと12月7日は先勝、2月1日は赤口、4月10日も先勝です。先勝の午前に人を吊るすとは凶悪であります。鳩山さんが縁起をかつぐかどうか知りませんが、先勝は午前中が吉、人殺しでも何でも午前中にやるのが良いとされています。

秋永(岡下)香さんは老女殺害について否認して無罪を主張、共犯者の殺害についても計画性を否認していました。逃亡後は下妻で養鶏場に住み込んで真面目に働き、その後土浦でスナックや中古車販売店を経営しています。一審の東京地裁山崎学裁判長はこのような逃亡後の経歴から無期懲役判決を下していますが、二審の東京高裁吉本徹也裁判長がこの犯行は「周到な計画的殺人」であり、このような裁判官の見方と相反する被告人の主張は「真摯な反省の態度も見られない」ことであるとして一審判決を破棄して死刑判決、2005年3月3日に最高裁第一小法廷泉徳治裁判長が上告を棄却して死刑確定としたものです。弁護士が恩赦請求の準備中であり、もうすぐ請求を出すところだったという話しもあります。

坂本正人さんについては一審の前橋地裁久我泰博裁判長が「偶発的であり、計画的でない」「極めて残虐とまではいえない」「捜査の途中からは素直で協力的」「前科前歴がないこと」「謝罪の念や反省の気持ちが芽生えて来ている」ことから無期懲役。判決言い渡し後、「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家として死刑判決を出すことは大変なことです」と発言して慎重なところを見せます。ところが二審の東京高裁白木勇裁判長がおなじ犯行事実を「残虐というほかはない」と言い出して2004年の10月29日に一審破棄の死刑判決、坂本さんは上告せずに刑が確定します。坂本さんとしては死刑を望んでいたようで、控訴したのは無期懲役では軽いと思ったからであり、被害者遺族に謝罪の手紙などを書かないのもそういうことをして刑を軽くする必要を認めないから、あるいは「謝罪する意志がないから」と言い放ちます。死刑を受け入れるのであれば「反省」などしなくても良いわけです。

中元勝義さんは捜査段階での自供を公判で否認しています。この事件は「強盗殺人」とその3日後の「窃盗」に分かれており、中元さんは「強盗殺人」について無罪を主張しました。中元さんと「強盗殺人」を結びつける物証・目撃証言は乏しく、特に凶器が発見されていません。自白の任意性が疑われており、裁判員諸君は当然に無罪判決を下すべきところですが、1985年ごろはまだ無知蒙昧の世の中であり、大阪地裁堺支部重富純和裁判長は状況証拠と「金に困っていた」という、ほとんどの人が持ち合わせていそうな「動機」をもって死刑としてしまいました。控訴審・上告審とも中元さんの主張は変わらず、それがかえって「改悛の情が全くない」ということになってしまって大阪高裁池田良兼裁判長も控訴を棄却して一審死刑判決を支持、1997年1月28日、最高裁第三小法廷可部恒雄裁判長による上告棄却で死刑が確定しました。たしか再審請求をしていたことがあります。

中村正春さんは精神病の病歴があり、また公判の途中から容疑を否認しています。犯行そのものの様態も精神病の影響を疑わせるものですが、大津地裁中川隆司裁判長は「計画的、冷酷で反省してない」として死刑判決としました。もっとも精神病によって「計画的、冷酷で反省してない」可能性は排除出来ませんから、あまり褒められた判決ではありません。その点控訴審では大阪高裁河上元康裁判長が中村さんを「反社会的人格障害」と「診断」して控訴棄却、死刑判決を支持しています。「反社会的人格障害」は他人の権利や感情を軽んじますが、中村さんの犯行が単に「他人の権利や感情の軽視」、「無謀で残虐」な人格傾向だけで説明がつくものなのかどうか、ちょっとアヤシイ感じがします。しかし最高裁第一小法廷島田仁郎裁判長もこの「診断」を支持し、2004年9月9日に上告を棄却して死刑確定となったものです。

このようにあるいは一審では死刑判決が下されなかったものが上級審の裁判官の主観によって量刑が重くなってしまったものがあり、あるいは自白の任意性の疑わしいもの即ち冤罪の疑いのある(もう執行されてしまったんだから鳩山さんの定義からしても立派な「冤罪」に当たる可能性のある)ものがあり、はたまた精神病による犯行があり、果ては死刑になるんだから反省なんかしないという人もいて、色々大変なんですが、仮令死刑制度を存置することに反対しない人でも文句なく死刑に処すにはちょっと引っかかる人ばかりです。今回犯人はこういう事例ばかりを取り上げて刑を執行したのでしょうか。そう願いたいものですが、ランダムに選んでも疑わしい事例が相当に混じるようです。

犯人は「今後も粛々と執行する」などという犯行声明を出していますから、次回がもしあるとすれば6月6日の金曜日(しかも先勝)である可能性が最も高いのです。4月10日は昨年12月7日のスタートから127日が経過し、犠牲者は10名にのぼります。このペースで行くと1年間に28.7人となり、このままでいくと戦後9番目の記録となる可能性が出て来ました。これは最近のアメリカ合衆国における年間死刑執行数の半分くらいになると思いますが、ということはつまり人口比ではアメリカと肩を並べるということになります。戦後63年、日本もようやくここまで来たかと感慨もひとしおであります。もっとも今の内閣が存続すればという話ですから、喜ぶのはまだ早いのです。


posted by 珍風 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自由のHAKAISHA

【正論】文化庁の映画助成 衆議院議員、弁護士・稲田朋美

 ■助成の妥当性だけを問うた
 表現・言論の自由が保障されたわが国において、たとえ政治的、宗教的な宣伝意図のある映画を製作しようと公開しようと自由である。今回、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)の一部映画館での上映中止をめぐって私が批判の矢面に立たされている。私たちが問題にしたのは、この映画自体ではない。そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点についてである。
 発端は一部週刊誌が「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」と報じたことだった。試写会を見た複数の友人からは、この映画に弁護士時代の私が映っているとも伝えられた。もちろん私は、この映画で観客の目にさらされることを同意したことはなかった。
 そこで2月に、私もメンバーである自民党若手議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映を希望した。当初、文化庁から映画フィルムを借りて上映するとして、日時場所も決めたが、その後製作会社が貸し出しを拒否する。そして文化庁協力と書かれた国会議員向け試写会(主催者不明)の案内が配布され、伝創会の上映会は中止に追い込まれた。
 朝日新聞が報じたような「(私が)事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。助成金を問題にする前提として対象となる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。「事前の試写を求めた」という歪曲(わいきょく)について朝日に訂正を求めているが、いまだ訂正はない。
 ≪「日本映画」ではない≫
 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。助成の要件である(1)日本映画であること(2)政治的、宗教的宣伝意図がないこと−を満たしていないからだ。
 まず、この映画は日本映画とはいえない。振興会の助成要項によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の製作者との共同製作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。
 映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる。しかし取締役はすべて中国人である。平成5年、中国中央テレビの日本での総代理として設立されたというが、映画の共同製作者は2つの中国法人(団体)であり、製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。
 さらに靖国神社をテーマにしていること自体、政治性が強い。小泉元総理の靖国参拝をめぐっては国内外で議論があり、特に日中間で政治問題化した。しかも、この映画のメーンキャストは小泉元総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告たちである。
 ≪歪曲された私の意図≫
 私も弁護士の立場から靖国神社の応援団として裁判にかかわったが、原告らは一貫して「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画からは同様のメッセージが強く感じられる。
 映画の最後で、いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。
 私は、大虐殺の象徴とされる百人斬り競争で戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬りは創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの記事の内容を信用することができず…甚だ疑わしい」とされた。ところが映画では百人斬りの新聞記事を紹介し、「靖国刀」をクローズアップし、日本軍人が日本刀で残虐行為をしたとのメッセージを伝えている。
 これらを総合的に判断すると、「靖国」が「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。
 私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っている。表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である。(いなだ ともみ)

2008年4月9日 産經新聞


稲田さんは「表現の自由を誰よりも大切に考えている」んだそうです。なんでも「表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺」されているそうで、稲田さんは産經新聞紙上で自分の言い分を述べることも許されていないようです。したがって上記の記事には嘘が書いてあるか、書いているのが稲田朋美の名をかたる偽物であることになります。

しかしながらここで産經新聞の卑劣極まる「言論封殺」工作にあえて乗り、この記事を稲田朋美本人が書いたものであるという前提に立ってみましょう。「表現の自由を誰よりも大切に考えている」、いわば「自由の女神」とも言うべき稲田さんは、「日本芸術文化振興会が750万円の公的助成をしたこと、その一点」を問題にしているんだそうです。まあ別に問題にするのは「自由」です。問題にするなとは言いません。

ところが「問題」は、なぜそのために公開前に映画を観る必要があったのかという一点です。公開後では助成金を問題に付すことが不可能になるとでもいうのでしょうか。この点について稲田さんは大変に奇妙な「ユーザー辞書」を駆使して難解な議論を展開しています。

稲田さんは「上映を希望」したんだそうです。「上映」というのは映画を映写することですが、稲田さんは「試写」と「上映」は違うんだといいます。「上映」の方は「中止に追い込まれ」て「試写」が行なわれたのですが、「試写」において「上映」は行なわれなかった模様です。稲田さんは「試写」においてスクリーンに投影された映像を見たわけではなかったようです。

これはなかなか気付きにくい点です。稲田さんが「公開前に」「上映」を求めたところ、配給会社と文化庁は「試写」を行ないました。「試写」では映画が「上映」されるのですから、稲田さんのご希望に添う形になると考えますが、そこが素人の浅はかさです。専門的な議論によれば「試写」において「上映」は行なわれないのです。「上映」されているかに見えるアレは、なんか違うものであり、似て非なるものであり、映画のように見えて映画ではない、本物の振りをした偽物のマネをする本物のまがい物だったのです。

もっとも専門的かつ高度な議論に不慣れな僕でも、稲田さんのご不満を推し量ることは出来るかもしれません。稲田さんが問題にしているのは、仲間内の「上映会」が広く国会議員一般を対象とした「試写会」になってしまったことなのではないでしょうか。稲田さんは予断を持った「伝統と創造の会」の仲間だけで見たかったのに、他の人も映画を見てしまうことに危惧の念を抱いたのに違いありません。

稲田さんが助成金について問題にしている二点のうち、「日本映画ではない」という点については、そもそも映画自体を見なくてもわかるようなことです。しかし振興会によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう」のであり、「映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる」ことを稲田さんも確認しているのですから、この映画は「日本映画」に他なりません。「日本の法令により設立された法人」の取締役が日本人でなければ「日本映画」ではない、という規定はどこにもありません。中国人だからどうのこうのというのは稲田さんの「ユーザー辞書」の「日本映画」の定義には含まれているのかもしれませんが、差別的な脳内ワールドを朝から新聞紙の上にぶちまけるのはあまり美しい光景ではないようです。

そして二点目として挙げられるこの映画の「政治的宣伝意図」は、相当にあやふやなものです。そしてこの点については、多くの人がこの映画を観れば見るほど、反論される可能性が高くなるでしょう。残念ながら稲田さんもテーマの政治性や「メッセージ性」をあげつらうだけで、それが直ちに「宣伝」になるという確証は挙げられません。まして「日本刀」というのは人を殺すための道具ですから、「残虐行為」以外の何をしろというのか、稲田さんの「メッセージ」を聞いてみたいものです。

稲田さんが「あたしが要求したのは「試写」じゃない」と拘るのも、「公開前に」「上映」を求めたのも、おそらくこの「政治的宣伝性」の主張の脆弱性の故であると思われます。多くの人の目に触れる前に「問題」として立ち上げてしまう必要があったのでした。その効果として、少なくとも観客に先入観を与えること、政治的な「色付き」の作品として観客の足を遠のかせることが想定されていたと考えられます。多くの人がこの映画を見ないことによってのみ、稲田さんの主張が守られるのでした。したがってこの映画が「公開」されなければ、まさに稲田さんの思う壷だったわけです。とんだ「自由の女神」もいたものですが、クローバーフィールド来てますから。
posted by 珍風 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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