2008年04月27日

モンスター遺族のヘアヌード

ネットで実名公開、非難 少年審判参加で 

 少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが27日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。「悪魔」「死ぬまで許さない」などと陳述する被害者もいたという。政府は被害者の審判傍聴などを認める少年法改正案を提出中だが、審議にも影響を与えそう。

2008年4月27日 共同


そりゃまあ何と言っても「被害者遺族」ですから、内輪に見積もっても被告人に対して怒っているのはほぼ確実で、こういうことがあっても不思議じゃありません。「悪魔」呼ばわりをしたり、「死ぬまで許さない」とか言うのも予想の範囲なのであって、他の人は聞き流せば良いだけです。物を投げたりするのは宜しくないようですが、これは遺族を防弾ガラスで囲むなどによって防止出来ます。被告人をそういう箱の中に入れても良いのですが、出廷時や退廷時にスキができますし、そういう際にプロの狙撃手でも投手でもない遺族が的を外して関係ない人に怪我をさせないという保証がありません。

それよりも「被害者遺族」に「守秘義務」というものがないらしいのには驚きます。少年の実名を隠すことの是非はともかくとして、今のところそういう約束事になっているのですから、たとえ遺族といえども勝手なことは謹んでもらいたいものです。というのも僕は「加害者の人権」がどうこう言うのではありません。自分が裁判員に当たったらどうしようかと思っているわけです。

そんな口に締まりのない奴が「被害者遺族」だったら裁判員は気が気じゃありません。判決が遺族が求めたのと違ったら大変です。遺族は裁判員の名前を知らないかもしれません。しかし顔は知られてしまいますから、不幸にして遺族に絵心があったりすると、似顔絵などを描かれたうえで「こいつらも悪魔の仲間だ」なんて言われてしまうわけです。ついでに「死ぬまで許さない」なんて言われてしまって、それが遺族が死ぬまでだったら別に構わないのですが、こっちが死ぬまで、という意味だったらちょっとイヤです。そして遺族がこっちを「許せる」日がなるべく早く来るように動き出したりしたらもっとイヤです。

それじゃあ「被害者遺族」の気に入るような判決を出せばいいのかと言うと、今度は被告人の方が気になります。被害者の気に入る量刑は被告人の気に入らないことがあり得ます。懲役何年だか知りませんが、その間被告人は僕の顔を思い出しては復讐を誓うのです。それがコワイからといって死刑にしてしまっても、危険はなくなりません。被告人にだって家族やなんかはいるわけで、これがもし被告人が実は「加害者」ではなかったりしたらどうしますか。原則密室取調べを貫く現在の警察ではそんなことはよくあることです。それで不幸にして被告人にも絵心があったりしたら、やっぱり似顔絵を描いて「こいつらに復讐しろ」なんて言うのかもしれません。ついでに「死ぬまで許さない」なんて言われてしまって、しかしこの場合はご本人が先に死ぬのはもちろんですから、この場合もすごくイヤです。

全国犯罪被害者の会幹事の本村洋さんは、このような一部の不良遺族の存在に目をつぶり、

これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。


などと春風にように暢気なことを言っていますが、ついこの間まで「私が殺す」と息巻いていたのを忘れているようです。たしかに「犯罪」は「社会の問題」ですが、本村さんとしてはそんなキレイごとを言わずに、必ずしも「民主的」でなくてもよいから被告人の死を要求していたはずであります。あの頃のワイルドな本村さんはどこに行ったのか。それどころか彼は自分が「被害者遺族」な事案で死刑判決を獲得するや、

どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。


などと、あたかも社会に問題を提起するためにあえて「死刑」というものを持ち出したかのようにカッコつけた言い方をするのはいかがなものか。昔はヤンチャで何か投げつけたりするような遺族と同じだったもんだ、なんて「更生」した不良(でも傍目には昔と同じ)みたいなことを言うつもりでしょうか。ちょっとズルいようです。

それでも本村さんの二枚目路線は一部では好評なようです。なにしろ自分の妻と子どもと「犯人」の三人の命を並べて「社会の損失」と言ってのける程です。そればかりか

どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。


とまで言うのです。「犬死」ですか。イヌね。たしか被告人もイヌがどうしたとか言ったとか言わないとか伝えられていますが、妙に響き合います。本村さんはこんな事を言っていると奥さんに怒られそうですが、奥さんに怒られる心配は最初からないのですから大丈夫なのです。

しかしこんな事を言うのも、本村さんが微妙な気持ちで被告人を殺害する一種の手応えを感じていて、その味わいが思った程良くないと思ったのではないか。死刑判決に直面して一番「反省」したのは本村さんなのかもしれません。

両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。


という彼は、たしかに「武士道」がどうしたとか意味の分からないことをほざいていた時とは違うようです。「この制度を維持する」にあたって「常に悩む」ことに「本当の意味」があるんだというようにも読めます。「悩む」ことに「意味」があるのです。非常に好意的に解釈すればここからは彼の「悩み」が、もしかすると組織から離反する可能性を秘めた「悩み」が読み取れないでもありません。しかしこれは毎日新聞の記事による発言なのです。産経の記事だとこんな発言になります。

両手放しに死刑は必要だとか間違っていないとか言えないので、迷いながら悩みながらこの制度を維持してゆくべきではないかと思います。


これだと悩んだりしながらも「この制度を維持する」ことに「意味がある」と言っていることになるわけで、全然意味が違うんですよ。で、テレビで彼の会見を(部分的に)中継したのと比較すると毎日の方が彼の発した言葉に忠実に書いていると判断出来るんですね。実に恐ろしきは「要約」であります。本村さんが刀匠だったら産経に削除を要求するところです。

もっとも映画ではこんな「要約」は出来ません。映画では「編集」の問題になるわけで、刀匠の登場する場面の意味はそれと繋がる他の場面との関係で意味付けられるという映画の特性について刀匠がどこまで文句を言えるか、という問題になるんですが、産経の会見記は本村さんの発言をそのまま伝えることに意味があるんですから、変に「要約」して発言そのものの意味を変えてしまうのはさすがに違うだろ、と思うんですが。

これは産経の「宣伝意図」によるものなんでしょうけど、そして「厳罰」を煽り立てるマスゴミの紡ぐストーリーは理想的な「加害者」像として「わけのわからない、対話も共通感覚もあり得ないモンスター」を要求しているのに対して、

自らの命をもって堂々と罪を償ってほしいと思う。できればそういった姿を私たち社会が知れるような死刑制度であってもらいたいと思います。


と「加害者」と「社会」の対話を望む本村さんは、自分の感覚が誰にでも通じるだろうという一種の自分勝手とも言えるようなナイーヴな思考の持ち主です。なにしろこれは「公開処刑」に他ならないのですが、それがもっぱら「被害者遺族」が望むような美しい形で行なわれるだろうと考えているのですから大したものです。最後まで抵抗する奴、死ぬ間際まで無実を訴える人、頭がおかしくなって何だかわからないままに殺される者、そういうことを想定すらしていないんですから、マスゴミにいいように利用されて最後はヘアヌードです。総理大臣?うん、同じようなもんだな。


posted by 珍風 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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