2008年05月19日

私は如何にして鳥を殺す道具を作るのを止めて拳銃を愛するようになったか

事件後、都井睦雄君の家は「松浦登美三」という人に50円で売却されたそうです。都井君が岡山県農工銀行で400円を借りたときの担保が農地三反歩でしたが、1反をだいたい10アールとすると、中国地方における2007年度の平均田地価格は965万円ですので、三反歩の価値は現在では約3000万円に相当します。したがって1円が7万5千円になりますから、50円は375万円になりますか。

もっとも、農地の評価は当時と現在ではかなり違うようですし、戦前の1円は今の1万円くらいに相当するという話しもある一方で10万円相当だという人もいるのでよくわからないんですが、老朽家屋でもあり、家屋にはほとんど価値がなかったようであり、「松浦」さんは早速家屋の取り壊しにかかることになります。そのさい屋根草を11円で「山田武蔵」さんに売却します。事件のあった年の11月27日に、この山田さんが屋根を取り壊していたところ、家屋中央部の屋根裏に「至極幼稚なる玩具の如き模擬拳銃一個」を発見しました。

これは発射の機能ない形だけのものであったようですが、これで僕が思い出したのが「カリベーヌ」というものでした。「カリベーヌ」とは、1835年6月3日に母親と妹と弟を斧で惨殺したピエール・リヴィエールが製作した、「誰も見たこののないような、鳥を殺す道具」のことです。それがどのようなものであったのか、今では知る由もありませんが、それは「鉄砲に似た」ものであったということです。彼はそういうものを作ったものの、思い通りに作動しなかったようで、これを「埋葬」したといわれています。

この「埋葬」の際にも、それは彼の年少の友人たちとともに行なわれたのでした。彼は自分と比べて極めて年少の、9〜10歳の少年たちを友人としていました。それというのも彼は一般には「低能」とみなされており、同年輩の人々との付き合いが出来なかったからです。彼は少年たちを連れて手製の弓屋を射たり、小動物を磔刑に処したりしていたのですから、なるほどちょっと「低能」だと思われても仕方のないようなところがあるようです。

しかしながら彼も学校の成績は優秀であり、畑仕事をするようになっても聖書や公教要理などの宗教書、ローマ史などの歴史関係や科学関係に至る様々な書物を読んで学習に励んでおり、聖職者になることを考えていたようです。彼は「無限性」とか「栄光」の観念に取り憑かれていて、自分は他の人たちとは違うんだと思っていました。しかし自らの優秀さに固執する一方では実際の社交場面ではからきしダメで、ぎこちない、というのでは済まないような相当程度不自然な挙動にでてしまうことがあったようです。新発明の「カリベーヌ」というのは、有用な発明によって知的に優位に立とうとする試みであり、「社会」のなかでの劣位を補償しようとしたものでした。

このことには彼が自らの「偉大さ」のために「肉欲」と戦ったこと、わけても「近親相姦」の誘惑と格闘していたことが絡んでいると思われます。彼は近親相姦の罪を極度に恐れ、家族の女性に近づきすぎてしまったと感じた時には、手で何かヘンな仕草をしたようです。彼には強烈な「肉欲」、なかでも祖母か妹を対象にした「近親相姦」への強い欲望があったようですが、「優秀性」へのこだわりのためにどっかテキトーなところで「肉欲」にふけることが出来ず、それが反動的に女性一般への蔑視、敵視となっていきました。

彼は犯行及びその動機、そして自分自身について手記を残していて、そこではいかに父親が母親によって酷い目に遭ったか、ということが克明に記されています。それを読むと確かにヒドイ女がいたもんだな、と思うことが出来ます。しかしこの事件に関する詳細な資料があまりないために、ここで述べられている母親並びに妹の「悪行」の数々の真偽のほどについては判定の難しいものです。これは近親相姦の欲望が反動形成した思い込みなのかも知れないのです。とはいうもののここで述べられている事柄はそんなに突飛なことでもなく、まあそんなこともあるだろうな、という程度の真実性が感じられないわけではありません。これから結婚を考えている男性諸君には一読の価値のあるものです。

したがって彼の犯行の動機として挙げられているのは、第一に悪い母親から父親を救うためというものです。それは人間の法律を超えた「神」の正義、制度としての宗教を超えた「神」の裁きであり、彼はそのような立場に立って事を行ったのでした。彼自身の意識としてはその犯罪は「正義」に適うことであり、それが彼の「栄光」となったのです。

都井睦雄君も遺書を三件まで残しており、そこに述べられているのは女性たちへの恨みつらみに他なりません。これが姉に対する近親相姦的欲望との関係で読めることは指摘される通りです。しかしながら筆が進むにつれて彼は女たちの「裏切り」を「近隣の冷酷圧迫」というふうに一般化し、そのような「社会悪」への復讐、という形に位置付けてゆきます。そして最後には女性ではない特定の人物の名を挙げて、「この世からからもうむるべきだ」などと言い出すに至っては、彼もまたある種の「正義」の立場に立ったものの言い方をしているわけです。もはや殺人は公益性を持った目的のために違法性を阻却されかねない勢いです。

ピエールの妹は母親と共謀して父親を苛めていたのでこれも殺さなければなりません。弟は「母親と妹を愛していたから」殺されるべきなのです。「悪」を愛するものもまた「悪」でなければならず、したがって殺される。これも都井君が恨みのある女性の一家をまとめて殺してしまったのと軌を一にします。ピエールの殺人と都井君の事件とは極めて類似していると考えられます。どちらも壁にぶつかって餓鬼にしか相手にしてもらえない「優秀性」が、自分を蔑む「社会」が奉っている「正義」を奪い取ってきてもう一度「社会」の連中の上に立ち、そいつを滅多矢鱈と振り回して絶対的な位置からうっぷんを晴らすのです。この意味で「社会」はその「権威」を逆用されて自分自身から攻撃を受けるのだといってもいいでしょう。要するに村を外部から守るためのメカニズムが村の内部の排除の対象によって村そのものに対して作動する場合ですね。


posted by 珍風 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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