2008年06月28日

オシャレでエロティックで不適切で不穏当なふらんす小咄

『世界の日本人ジョーク集』から引用したギロチンの話ですが、それのオリジナルっぽいのがありまして。

今まで、嘘もつかず、何ひとつ悪いこともせず、定年前までコツコツと働いてきた老いた銀行員が、ふとした悪の誘いに乗って銀行ギャングの手引をしてしまった。2人のギャングとともに大金を奪って逃走し、途中、数名の警官を殺したが、遂に逮捕された。銀行員は後悔したが、時すでに遅く、他の2人とともに死刑の判決を受けた。
まず、ギャングの1人がギロチン台に乗せられたが、何故か、どうしてもギロチンが動かない。仕方なく、死刑は中止、彼は放免された。2人目のギャングも同じこと。ギロチンの刃が降りず、これまた、放免。
さて、老銀行員の番。やはり、ギロチンは動かない。仕方なく、放免にしようとしていた時、起き上がってふと上を見た銀行員、
「旦那、ほら、あそこが引っかかってるから動かないんじゃないでしょうか」
刑は執行された。


文章はこっちの方が良いですね。笑えるか笑えないかは表現によるところ大ですから気をつけないといけません。特に題材が「死刑」などという陰惨極まることになると、下手をするとそれこそ「死刑という厳粛な問題を風刺の対象にすることも、不穏当ではありませんか」などと返されてしまいます。本当はこっちの方がよっぽど気の利いたジョークになっているんですから「風刺はつくづく難しいと思う」。

これはタモリの本から引用したんです。『タモリのちょっとアレですが』というのは音楽関係の本を出していたエイプリル出版(株式会社エイプリル・ミュージック)から1978年に出てるんですが、著者は一応タモリということになっていますけど、実は「フレンチ狂」の永瀧達治さんがフランス小咄をまとめたもののようです。イラストレーターの河村要助さんのブックデザインがオシャレです。もっとも中には「ロンドン」の「ジェントルマン」が「バーボン」を飲んでいたりと、ちょっといい加減なところもありますが。

この本から死刑関係を拾ってみると、こんなのがあります。

弁護士が死刑囚の独房を、予審判事を伴って訪れこういった。
「あなたの刑に対する恩赦願いは、残念なことに取り下げられました。刑は明日の朝、執行されます」
それを聞いた囚人、顔は青ざめ、恐怖は次第に怒りに変わった。
「ええ!そんな馬鹿な……明日、死刑だって……おまえたちが、悪いんだ、おまえたちが……この野郎、殺してやる!!」
男は予審判事につかみかかると、床に引き倒した。弁護士は男を引き止めて、
「やめなさい、そんなことをすると、罪が重くなりますよ」


これがもっとコンパクトになるとこんなふう。

南米でゲリラが5人捕えられ、その場で銃殺刑に処せられることになった。目隠しをされていざ銃殺というときに、ゲリラの1人が一目散に逃げ出した。あわてた兵士は銃を構えて、
「止まれ!!さもないと撃つぞ!!」


いずれにしてもこれから殺されようとする囚人が死を前にして気の利いたことを言おうという「ガルゲンフモール」とはちょっと違うようです。やはりそれは並大抵のことではないようです。あまり良いのが思いつかない場合に募集をかけるのはなるほど思いつきですが、そもそもそのような立場にない人が考えたって凄みがありません。フロイトはそれに「魂の偉大さ」を感じる一方、花田清輝は「刑場へ曳かれてゆく途中、死刑囚が、告別の歌をうたうことにょって、いささかも死をおそれていないおのれの不敵な面魂を見物に示さなければならないという中国古来の慣習」にこの「窮余の諧謔」の典型を見いだしています。

これは死を前にして国家に対して傲然と頭をもたげるということであり、つまり「アスの会」あたりが死んでも許容出来ないもんなんでしょうな。もっとも中国ではこのような反抗的な態度の表明がガス抜きのために儀式化されているようで、それはそれで困ったことですが。いずれにしても「死刑」自体が相当に「不穏当」なシロモノであり、これについてはどのような表現をしようとも「不穏当」を免れません。とはいうものの、公然と他人の死を願い、「死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている」と真顔で話す「アスの会」の「不穏当」さにはとても敵わないのが実情です。
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「視野が狭い」ことの例
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ポップでキッチュでエッチなカルト

ところで「全国犯罪被害者の会」は、その「通称」を「あすの会」というんだと決めてあります。僕はこう見えても親切なほうですから、今度からは会の意思を尊重してそう呼んであげることにしたいと思います。もっとも意味はよくわかりませんが。「30過ぎたら」の「あかね会」と関係があるのかも知れません。

そこで「あすの」な人々による「あすの文」の最新サンプルを読んでみましょう。さすがは「エリート遺族」だけあってその様式は華麗にして幽玄であります。

【朝日新聞社に公開質問状提出】
2008年6月25日
朝日新聞社
代表取締役社長 秋山耿太郎 様 
 全国犯罪被害者の会(あすの会)
代表幹事  岡  村   勲 
【 抗議および質問 】
平成20年6月18日付け貴社夕刊に「永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。」という素粒子欄記事(以下「本記事」という)を見て驚愕しました。

永世死刑執行人、死に神の正確な意味は分かりませんが、少なくとも良い意味では使われてはいません。本記事は、法務大臣だけでなく、死刑求刑した検察官、死刑判決した裁判官、執行に関与した関係者等すべてを侮辱するものと言わざるを得ません。

特に衝撃を受けたのは犯罪被害者遺族です。
確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法務大臣と同様に永世死刑執行人、死に神ということになってしまいます。

犯罪被害者遺族は、これまで数多くの二次被害,三次被害を受けてきましたが、今回ほど侮辱的で、感情を逆撫でされる苦痛を受けたのは初めてです。

また本記事は、犯罪被害者遺族が、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねません。

死刑判決が確定した死刑囚に対して、法務大臣が原則として6ヶ月以内に死刑を命じなければならないことは、刑事訴訟法475条に定められており、鳩山法務大臣は、法律に従って粛々と死刑執行を命じたに過ぎないのです。

本来法治国家とは、法律が制定されるだけでなく、それが執行されてはじめて意味を持つものですが、法を執行する法務大臣を非難することは、法治国家を否定することにもなります。

本記事が掲載された後、多くの非難抗議を受けた貴社は、「鳩山氏や関係者を中傷する意図はなかった、法相のご苦労や被害者遺族の思いは、十分承知している」など弁明されましたが、本当に分かっておれば、このような侮辱的な言葉は使用できないはずです。

「風刺はつくづく難しいと思う」ともありましたが、死刑という厳粛な問題を風刺の対象にすることも、不穏当ではありませんか。

そこで、次のとおり公開の質問をいたしますので、1週間以内に全国犯罪被害者の会(あすの会)宛にご回答を頂きたく、お願いいたします。

【 質問事項 】
1.永世死刑執行人、死に神の意味を明らかにしてください。この言葉に、犯罪被害者は塗炭の苦しみを味あわされているのです。
2.本記事が、死刑を求める犯罪被害者遺族にどんな気持を起こさせるか考えなかったのですか。考えたとすれば、どうして本記事を書かれたのですか。
3.本記事後、貴社は「法務大臣や関係者を中傷する意図は全くありません」とのコメントを発表していますが、意図はどうであれ、「永世死刑執行人、またの名、死に神」との記載は、法務大臣に対する侮辱中傷になると思いませんか。
4.6月21日の素粒子「それでも死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」とありますが、法務大臣の死刑執行の数がどうして問題になるのでしょうか。

以 上 


どこが「加齢にして有限」なのかよくわかりませんが、一種の、まあスタイルではあります。きわめて大衆的でおそらく低俗なこういう様式を「あすのポップ」と呼ぶことにしましょう。

なんでものっけからイキナリ「驚愕」してしまうのですからこっちの方がビックリです。ここでは「驚愕」はそのための手順を踏んで提示されるものではありません。最初から「驚愕」しなければ気が済まないのであって、これは「ホラー」でも「ショッカー」でもなく、「お化け屋敷」の趣向であると思われます。とても「ポップ」で「キッチュ」です。

「あすの文」は「驚愕」に始まり、全体が「驚愕」に支配されます。そこで物事の「正確な意味は分かりません」と断言して憚りません。何だか知らないけどとにかくビックリすることが肝心で、激しい情動は「意味」などというものの認識を不可能にしてしまうのです。

ところで「永世」は将棋で顕著な活躍のあった棋士に与えられる称号であり、ここでは鳩山法相の死刑執行における顕著な活躍を讃えたものです。また「死に神」は最高神の次に位置する高位の神であり、大きな鎌を持っていますが、あれは農耕と関係があります。そこでは作物の「死」は新しい生の「種」をもたらすのです。ちなみに、どうでもいいことですが、「プライバシーマーク」は鎌を持った「死神」に似ています。
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その意味ではそれらの言葉は「良い意味」を持っているのですから、「すべてを侮辱するもの」と考えるのはビックリしたあまりに度を失い、恐怖のあまり周囲が悪意に満ちた危険なものに見えてくるのと同様です。まさに「お化け屋敷」であり、そこでは人為的な「驚愕」のための様々なトリックに曝露されるうちに、人を脅かすために幽霊の格好をして立っている係員を見ても「あれが本当にアブナイ奴だったらどうしよう」などと馬鹿げた心配をし始めるものです。

「あすの」の人々はこの「お化け屋敷」から抜けられなくなっています。「あすの」の人々は「驚愕」に支配されて「意味」のない世界に入り込んだ挙げ句自分と他人の区別がつかなくなりました。自分たちも法相と同様だと言い始めるのです。なぜなら「永世死刑執行人、死に神」の「意味」が判然としない以上、「法相」以外のありとあらゆるものが「永世死刑執行人、死に神」である可能性があるからです。あんぱんや時計台も「永世死刑執行人、死に神」であり、「犯罪被害者遺族」もまた「永世死刑執行人、死に神」なのです。まさに主客一体となった幽玄な境地というべきでしょう。

ところが「あすの」の人々は必ずしもこの境地に安住することを望むわけではなく、てゆうかこれが気に入らないようです。なぜならこれは「感情を逆撫でされる苦痛」に満ちたものだったからです。さっきからまともに「意味」も分からないくせにやたらと「侮辱」だの「衝撃」だの「塗炭の苦しみ」だのと「気持」ばっかりの「感情的」なことばかり書いているのですが、これがどうも「あすのポップ」の特徴なのでしょう。豊かな感情表現が眼目であり、そしてそれだけのものです。普通の文体だと「何だか分からんけど悪口言ってやがる畜生ドタマに来た」という品格ある表現になるところです。

「国民」に悪口が浸透することを心配した後は、一転あたかも論理的な文章が続くかと思いきや、残念ながらそうはいきません。行政を批判することは「法治国家を否定すること」になるんだそうです。もっともここで問題になっているのは行政によって執行される「法」そのものなのではないでしょうか。いずれにしても「あすの会」によれば「法」への批判は許されるべきではないということになります。これこそ「驚愕」すべきところですが、これは「国家」の絶対性に帰依する信仰告白に他なりません。

これは通常「国家主義」と呼ばれる思想、「権威主義」呼ばれる態度に類似していますが、やたらと「感情的」になって外部からの批判を許さない態度において宗教的な「カルト」に類似しています。例えばこの会の「信者」の偏狭さ、視野の狭さはつぎの「驚愕」すべき主張にも見て取れます。

死刑という厳粛な問題を風刺の対象にすることも、不穏当ではありませんか。


「風刺」というものは本来「厳粛な問題」を対象にしており、そもそも「不穏当」なものなのですから、驚くべきことにこの主張は全く間違っていないのです。死刑を題材にしたジョークの歴史は古く、次に掲げる沙翁のものは古典的なもののひとつです。

第一の道化「石屋や大工より、もっと頑丈なものをこしらえる商売はなんだか言ってみな」
第二の道化「首吊り台をつくるやつだ。そうじゃねえか、これなら店子が千人変わってもびくともしないからな」

シェークスピア 『ハムレット』第5幕1場


全然面白くありません。ドイツ語に「ガルゲンフモール(Galgenhumor)」という語があり、「引かれ者の小唄」と訳されていますが、「ガルゲン」とは「絞首台」のこと。もちろん死刑には別の方法もあります。

ある時、死刑の執行が行われることとなった。
ギロチン台の前に連れて来られたのは、ユダヤ人牧師、アメリカ人弁護士、日本人技術者だった。
ユダヤ人牧師が処刑台の前に立つと、死刑執行人が言った。
「仰向けがいいかね?それとも、うつぶせかね?」
ユダヤ人牧師が答えた。
「仰向けにしてください。神を見上げることができるから」
死刑執行人はレバーを引いたが、ギロチンの刃は牧師の喉仏の直前で止まってしまった。
「おぉ神よ、これも神の御力である」
牧師はそう叫んだ。執行人も
「これは奇跡である」
驚き、死刑執行は中止となった。

続いてアメリカ人弁護士にも執行人は同じ質問をした。
「仰向けがいいかね?それとも、うつぶせかね?」
弁護士は答えた。
「先例を破ることはできない。仰向けにしてくれ」
執行人は再びレバーを引いた。が再び、刃は喉仏の直前で止まったのだった。弁護士への執行も中止になった。

最後に日本人技術者の番になった。同じように、
「仰向けがいいかね?それとも、うつぶせかね?」
と問うと、日本人は、
「仰向けにしてくれ。メカを見たいから」
と答えた。
そしていよいよ執行人がレバーを引こうとしたその瞬間、日本人が叫んだ。
「ちょっと待ってくれ!どこに問題があるのか分かったぞ!」
日本人はそう言うと、あっという間に巧みな修理を施したのだった。執行人は、
「そうかい、どうもありがとうよ」
とお礼を言い、無事に刑は執行されたのだった

世界の日本人ジョーク集(早坂 隆)


ネット時代のガルゲンフモールはひと味違います。

死刑囚が「辞世のジョーク」をネットで募集中

2人を殺害した罪で死刑判決を受け、米テキサス州で死刑執行を待つ死刑囚が、インターネット上で「ジョーク・コンテスト」を開催している。優勝作品は、6月26日の死刑執行の際、最期の言葉として残されるという。

 パトリック・ナイト(Patrick Knight)死刑囚(39)は15日、獄中でCNNの取材に応じ、「人生最期の日々を楽しみたいんだ。コンテストを開いていることを宣伝してほしい。僕やほかの死刑囚が(死刑執行までを)笑って過ごせるよう最高のジョークを応募してほしいんだ」と語った。

 ナイト死刑囚は近所に住む2人を殺害した罪で1991年に死刑判決を受け、その後の16年間をテキサス州の死刑囚監房で過ごしている。死刑が復活した1976年以来、同州での死刑執行数は全米の執行数の3分の1以上を占めている。

 リラックスしてジョークを飛ばしていたナイト死刑囚も、死刑囚監房でユーモアが必要な理由を問われると真剣に説明した。
「僕は違うけれど、死刑囚監房には無実の人間もいる。彼らにはジョークが必要だ。緊張を和らげるものがね」

 一方、「死は僕に科せられた罰だ。僕はそれを受け入れている。死刑は確定している。それなら笑って死にたい」と、自分の死については落ち着いた様子で語った。

 ジョーク・コンテストのアイデアは、死刑廃止擁護者のシスター・ヘレン・プレジャン(Helen Prejean)の実話を基にした小説『デッドマン・ウォーキング(Dead Man Walking)』から着想を得たという。同小説はハリウッドで映画化され、ショーン・ペン(Sean Penn)、スーザン・サランドン (Susan Sarandon)らが出演した。このことから、ナイト死刑囚はウェブサイトのタイトルを「デッドマン・ラーフィング(Dead Man Laughing)」にしたという。

 ナイト死刑囚は死刑執行当日、優勝作品を最期の言葉として大きな声で読み上げると約束している。

2007年6月16日 AFP


これのどこが面白いか。「死刑囚監房には無実の人間もいる。彼らにはジョークが必要だ」というところ。無実の死刑囚に与えることが出来るものが「ジョーク」でしかないという、死刑制度への絶望の深さにおいてナイトさんは優れた風刺家であり得ました。

ナイトさんの死刑はこの10日後、6月の26日に執行されましたが、結局「ジョーク」は言わず、その代わりに「死は僕を自由にしてくれる。それは最高のジョークだ。そして僕はその最高のジョークに値する」などと言ったそうです。ちっとも面白くありません。このつまらなさこそ死に値するというべきでしょう。

ところで「あすの会」は、おそらく「明日の会」、および「usの会」、それにもしかして「assの会」、ことによると「As」すなわち「A#」つまり「嬰イ音の会」などの色々な意味をかけてあるものと思われます。「As」は「ヒ素」の元素記号でもあります。「お尻」はともかくとしてなんでこんなところでAが半音上がらないといけないのか、「意味」がわかりません。

440HzのAは世の中の基準になっている音なんだそうですが、とりあえずお昼の時報はこの音です。これが半音上がるためには、半音は1オクターヴの12分の1ですから、午後1時までの1時間の事象が「55分の間に済ませる」ように加速すれば良いことになります。そうすると1時の時報はA♯になっているはずです。これを1日中やっていると2時間余ります。この余った時間に何をすれば良いでしょうか。この今日でも「明日」でもない時間に、「我々」は女の子の「お尻」に「ヒ素」を突っ込むのに決まっています。この場合ヒ素はサルバルサンのことですから、人のためになることなのです。

じゃなくて、EからAsへの増4度の不協和音程、このキモい跳躍音形は「音楽の悪魔」といわれる「三全音」と一致しますが、これがバロック音楽では他ならぬ「死」を象徴することになっているからでしょう。さすが「被害者」界のエリート集団です。なかなかムズカしいことを考えているようです。

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僕だってなにをかくそう「アスの会」、頭隠して尻隠さず。
posted by 珍風 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月26日

べっとりべとべと遺族会

犯罪被害者の会、本社あて抗議文 「素粒子」めぐり

 死刑執行にからんで鳩山法相を「死に神」と表現した朝日新聞の18日夕刊1面のコラム「素粒子」をめぐり、重大事件の被害者や遺族でつくる「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は25日、都内で記者会見し、「被害者遺族も『死に神』ということになり、我々に対する侮辱でもある」と抗議した。
 代表幹事の岡村勲弁護士は会見で、「私たち犯罪被害者・遺族は、死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている。(コラムは)鳩山法相に対する批判であるが、そのまま犯罪被害者遺族にもあてられたものだ」と述べ、25日付で朝日新聞社に抗議文と質問事項を送ったことも明らかにした。
 〈朝日新聞社広報部の話〉 全国犯罪被害者の会からいただいた「抗議および質問」を真摯(しんし)に受け止め、速やかにお答えいたします。

2008年6月25日 asahi.com


「全国犯罪被害者の会」というのはたしか、どういう基準に基づくのかよくわからないながらも「選ばれた」人たちで構成されているようです。「犯罪被害者」とか「遺族」なら誰でも入れるというものではなく、なんでも相応しくない人は除名させられるそうで、そういうことも会員のレベルを維持し、意思の統一を図ろうとする上では当然のことなのでしょう。いわばこの会は「犯罪被害者」界のエリートなのです。

かどうかは定かではありませんが、この会の「規約」によればこの会の「会員」は

本会の会員は、次のとおりとする。
(1) 正会員 被害者
(2) 特別会員 当会設立の趣旨、目的に賛同し、その実現に熱意を有する者で、幹事会が特に入会を承認した者


なんだそうです。これだけを読むと「正会員」は「被害者」ですから、殺人の場合は死んでいないと会員になれない、まさに文字通りの「幽霊会員」によって構成されているのかと思ってしまうかも知れませんが、この会のいう「被害者」というのは独特の意味を持っています。同規約によれば

犯罪被害者(以下被害者という)とは、次の者をいう。
(1) 犯罪により生命を失った者の遺族
(2) 犯罪により身体に被害を受けた者
(3) 上記1.2の近親者


俗にいう「被害者」に該当するのは(2)だけです。困ったことに本来の「被害者」は2番目でしかありません。「犯罪被害者の会」は第一義的には「遺族の会」だったのです。しかしこのような実態を名称に反映すると「日本遺族会」と混同されるおそれが生じます。もっとも混同しては困るというほどにかけ離れているというわけでもないようです。

しかしながらここで(1)「犯罪により生命を失った者の遺族」は、(1)における「生命を失った者」を(2)の「身体に被害を受けた者」に含めるならば、(3)における「上記2の近親者」に含まれるのではないかと考えられますから、この意味では(1)は余計です。どう考えても「遺族」は「被害者」の「近親者」の一部でしょう。このような混乱は本来「殺人被害者遺族会」であるものを拡張したことによると思われますが、いずれにしても会における「遺族」の地位の高さは「殺されたわけでもない」(2)の「被害者」とは一線を画すものであることが伺われます。

とはいえこの「規約」では「遺族の範囲」が特定されていないところは問題です。これは会員の資格要件であり、会の本質そのものに関わる問題であることから、重大な瑕疵であるといわざるを得ません。この問題について例えば国の法律ではどのように定義されているかといいますと、

国家公務員災害補償法第16条
遺族補償年金を受けることができる遺族は、職員の配偶者(婚姻の届出をしていないが、職員の死亡の当時事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む。以下同じ。)、子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹であつて、職員の死亡の当時その収入によつて生計を維持していたものとする。


ただしこれは年金を受けることができるための条件ですから、「妻」以外の人については概ね、60歳以上であるか高等学校卒業前であるか障害者であることを条件とします。

国家公務員共済組合法第2条第3項
遺族 組合員又は組合員であつた者の配偶者、子、父母、孫及び祖父母で、組合員又は組合員であつた者の死亡の当時(失踪の宣告を受けた組合員であつた者にあつては、行方不明となつた当時。第三項において同じ。)その者によつて生計を維持していたものをいう。


また民間では、死亡した労働者の退職金を誰に払うかということに関係して「遺族の範囲」が問題になります。これについてもちゃんときまりがあって、

労働基準法施行規則第42条
遺族補償を受けるべき者は、労働者の配偶者(婚姻の届出をしなくとも事実上婚姻と同様の関係にある者を含む。以下同じ。)とする。
2 配偶者がない場合には、遺族補償を受けるべき者は、労働者の子、父母、孫及び祖父母で、労働者の死亡当時その収入によって生計を維持していた者又は労働者の死亡当時これと生計を一にしていた者とし、その順位は、前段に掲げる順序による。この場合において、父母については、養父母を先にし実父母を後にする。


ここでは「遺族」はまず第一に「配偶者」である、という極限的な定義が目を引きますが、先述の国家公務員に関する規定についても、そこに述べられている順番が受給する権利を行使できる順位になっていますから、「配偶者」「子」「父母」「孫」「祖父母」という順位は不動であり、これが「生計を一にしている」場合に法制度上「遺族」概念の中核をなします。その次の順番に「同胞」(兄弟姉妹)があったりなかったりという違いがあります。

つまり「遺族」というのは、「犯罪」なり何なりの原因によってある人が得ていた収入が途絶えた場合に、それによって生活していた人はどうやって暮らしていけば良いのかということを考えないといけない、という文脈で出てくる言葉なのであり、刑法犯の「被害者」および「遺族」にとってもそれは切実な問題であることは論をまちません。例えば親類にも見放された「みなしご」の兄妹がいて、妹は小学生であり、兄が魚市場で働いて生計を維持しているところ、この兄が地回りのヤクザによって刺し殺されたという、いつの時代のマンガだ、というツッコミ必至の想定において、兄を雇用していた会社が「退職金」を支給しない、あるいは「妹」が「退職金」を受け取れないようなことがあると、彼女はそれこそ「児童ポルノ」の「犠牲者」になるのでなければ「不良少女」にでもなって「犯罪」によって「生計」を立てるか、さもなければ死ぬしかないわけで、そういうことがあってはならない、とゆうようなことです。

この意味では自らが家族の生計を維持し「妻」と「子」を殺害されたような例においては「遺族」としての権利確立の緊急度において劣るものと考えられます。しかしどういうわけか「全国犯罪被害者の会」の中核メンバーはそのような人たちなのですが。ちなみにこの会の目的は

本会は、以下の事項を目的とする。
(1) 被害者の権利の確立
(2) 被害の回復制度の確立
(3) 被害者および近親者に対する支援
(4) 被害者問題についての啓発活動
(5) その他前各号に関連する事項


なのですが、別に喰うに困っていない会の中心メンバーの「生計」の状態の然らしむるところ、「死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている」というようなことがやはり活動の中心になるようです。「遺族の範囲」すら明確ではない「被害者の会」は、実際には「家族を殺した奴の死を願う会」だったのであり、そういうことを「願う」ということですと、これは神仏に祈願する宗教的な団体と変わるところがありません。いや、それは別にかまわないのです。「全国犯罪被害者の会」が「全国殺人犯呪殺会」になったところで困る人なんて誰もいないでしょう。あたかも「日本遺族会」と「靖国神社崇敬奉賛会」の仲が良いようなものです。

問題は単なる「呪殺会」、いわば「死神」の信仰者の団体が、自らを「神」の位置に置いてしまったことです。気持ちは解らないわけではありませんが、やはり法務大臣として人の死ぬ期日まで指定出来るのと、ただ単に「願っている」のとでは全然違います。「法相に対する批判」を「そのまま犯罪被害者遺族にもあてられたものだ」ととらえて騒ぐのは、僭越以外の何ものでもありません。傲慢といってもいいでしょう。あんたらに誰がいつ死ぬか決定する権限があるとでもいうのか。そんな権限は誰にもないのです。人はみな死にますが、いつ死ぬかは誰にも解りません。人の死ぬ期日を指定する力を持つのはただ1人法相だけであり、それが法相を「死神」と呼ぶ所以なのです。

神は人間のこのような傲慢を許すことはないでしょう。しかしながら神ならぬ国家はこのような傲慢を許し、受け入れ、利用するかも知れません。もっとも「神」と一体となって働いてきたことを自負する「教会」が、いつの間にか自分が「神」のような気持ちになって傲慢の罪を犯すことは歴史上珍しいことではありません。「神」とは人間が犯すことの出来ない至高性として永遠の空席であるあることを無視し、安易に「国家」などにその座につくことを許してしまうような者は、その膝の上を欲して罪の上塗りをするようです。もとよりこんなことになってしまった「被害者の会」は、もはや「死神」の「司祭」の位置にありますが、そのような位置に着いてしまったこの会は、死刑制度を支持する「民意」から自らを引き離すことによって自らの「利用価値」を喪失し、「死神」の寵愛を失うことになりそうです。
posted by 珍風 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月24日

オオカミ少年少女予告予告また予告しつこく予告

それはそうと、クレオソート、例の「アクギ」が止まらないようですね。

ネットの犯行予告、後絶たず=厳正な摘発を指示−警察庁

 警察庁は24日、インターネットの掲示板に書き込まれる犯行予告を厳正に取り締まるよう、全国の警察本部に通達を出した。東京・秋葉原の通り魔殺傷事件の後、無差別・大量殺人を予告する書き込みが後を絶たないためで、検挙した事件を積極的に報道発表することも指示した。
 同庁によると、8日の秋葉原事件後から「大量殺人する」「駅を爆破する」といった書き込みが相次ぎ、23日夕までに男女17人が脅迫や業務妨害容疑で検挙・補導された。

2008年6月24日 時事


いちいち数えるのが大変になって来たので警察庁がこういう発表をするのを待っていたところです。17人のうち12人が逮捕、4人が書類送検、1人が補導されています。17人のうち12人に定職がなく、うち7人が20代男性。未成年は6人で最年少は13歳だそうです。

罪名は「業務妨害」(刑法第233条)、「脅迫」(同222条)の他、適用がより容易な軽犯罪法の第1条31項であり、警察としてはとにかく何がなんでもこの種の「イタズラ」を一人前の「犯罪」として遇するといってくれています。刑法の「業務妨害」だと「3年以下の懲役又は50万円以下の罰金」、「脅迫」では「2年以下の懲役又は30万円以下の罰金」ですが、軽犯罪法だと「勾留又は科料」です。「勾留」は1日以上30日未満、「科料」は1000円以上1万円未満です。定職のない人には寒さをしのぐには中途半端な期間ですが、ことによると払えるかもしれない微妙なところです。

まあ、こういうことをする人が、住むところがなくて刑務所に入る目的でやっているわけでもないでしょうが、「定職」がある、ということは人を「犯罪」から遠ざけることが多いようです。「犯罪」だけでなく「人命救助」や「蜂起」といった、日常のルーチンから外れること全てから遠ざけますが。例えば「捕まるかな?」くらいの気持ちでやるのであれば、「定職がない」という状態はこのような行為に踏み切ることを容易にしますし、定職がある人はアブナイことはとりあえずやらないで済ますものです。

とはいえ、秋葉原の事件があってから次の土曜日には大地震があったのであり、あのような天変地異によって「事件」のインパクトは相当減殺されるものと思われたのですが、そうでもなかったのはちょっとビックリです。

一連の「予告」は、秋葉原の事件に影響を受けて、というよりはその影響を消さないために続けられているような気がします。あのような形で「法」が破られたことによって、社会に風穴が開いたのです。まず最初にシステムの裂け目から吹いてくる涼しげな風に当たって幸福そうにしていたのが、あの「不謹慎」な「野次馬」の人たちでした。

とんでもない「犯罪」が行なわれ、起きてはならないことが起きてしまったとき、社会の仕組みの綻びが一瞬露呈してその場所を「無法」地帯と化します。「犯罪」によって開拓されたアナーキーが人を呼び寄せるのであって、「野次馬」とはそれに呼応して集まってくる人たちです。

「野次馬」とは「親父馬」のことであり、役に立たない人のことです。「犯罪」の「現場」は、ある人々にとっては被害を受けることによって「非日常」を真剣に生きたり死んだりしている場所であり、またある人たちにとっては、これもまた真剣さにおいてはひけを取らないものと思われますが、「仕事場」なのです。このような場所で別の次元で「非日常」に関わり、そして圧倒的に「仕事」をしていないのが「野次馬」なのです。

他人が死んだり苦しんだり仕事をしたりしている所で、彼らは楽しむのであって、そりゃ確かに道義的には大変に宜しくないことなのですが、「犯罪」によって開かれた「無法」の場所に駆けつけて、「無法」の空気を思い切り肺に吸い込み、彼らは「無法」をともにします。そこで起こる全てのことが社会の底を露呈しているのです。肉体が物理的に破壊されているのも、傷ついた人を助けている人がいるのも、そこで起こっていることは極めて「自然」なのです。警察ですらむき出しの暴力で「犯人」を捕縛してその本性を発揮します。

このような特異な場所に引き寄せられ、それを愛し、そこから立ち去り難く思う限りにおいて、そのような場所を設定した「犯罪」と「野次馬」は「共犯」関係にあるのです。連中が非難されるのも故のないことではありません。

しかしながらその「現場」は、「無法」がほんの一瞬の間支配した後は、警察の仕切りになるわけです。ここにおいて「野次馬」は「役立たず」にならざるを得ません。仮に警察の仕切りがなかった場合、「野次馬」がその場所を支配せざるを得なくなります。その場合には
  めんどいので立ち去る。
  「犯人」が弱い、又は「犯罪が不足」である場合、「犯罪」を継続する。
  「犯人」はもう十分やったと思われる場合、被害者の救助等の「後始末」にかかる。
などの場合が考えられるでしょう。いずれにしても「野次馬」が「野次馬」でいることが出来るのは、権力の介入によって「無法」が閉じられようとする過程においてなのです。

「予告」は多分、遅れて来た「野次馬」であり、「犯罪」の継続、というよりは「無法」が閉じられないように、システムに開いた隙間が閉じないように必死で押さえる行動なのです。それは大量殺人の実行によって決定的な状況を作り出して事態を前進させることよりも、むしろいつまでも実行されない「犯罪」の「予感」を引き延ばすことによって、社会の傷口が癒着することのないように、傷口の両側を手で押さえて広がったままにしておこうとするのです。

ところで大規模な事故や天災も、犯罪と同じように社会システムの傷口を露呈します。この意味で岩手宮城内陸地震は、切断された道路の映像が端的に示すように、システムの破綻を印象づける大災害でありました。しかし、どうも今回は違ったようです。こう言ってはナンですが、秋葉原のあの「事件」は、地震くらいじゃビクともしなかったのです。「予告」は、「定職のない20代」が、「ニュース」を自分の問題だと感じて実際に行動に移り始めたことを示しています。そしてそれは「弱いもの同士助け合おう」ではなくて、攻撃的な段階に達しています。警察庁もこれを「積極的に報道発表する」ことで情報の共有に力を貸すといっています。同じ捕まるんだったらちゃんとやらないと刑務所で肩身が狭いですよ。
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バットでやったるでぇ〜
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2008年06月22日

謎の暗号、不明な人物、ファッキンアメリカンオナニスト

なんでも「コードX」とかいう謎の国際組織が暗躍を逞しくしているという噂であります。何だか知らないけどオソロシイことです。名前からして「X」という「暗号」であり、正体不明なのですが、「X」はそれ自体が未知のもの、謎であり、これは二重に隠蔽された国際的な陰謀である、かどうかもよく分からないくらい「謎」であり、「謎」なのかどうかもまったく判断がつかないという恐ろしさです。下手なことを書くと威嚇のために僕とは縁もゆかりもない人がどこかで殺され、殺されたという事実すら隠蔽されて誰も知らない、ということになりかねないのです。

実はこの組織とウラでヒソカに連絡があると言われている日本の農林水産省によればこの「謎の暗号」の意味は

コーデックス委員会は、消費者の健康の保護、食品の公正な貿易の確保等を目的として、1962年にFAO及びWHOにより設置された国際的な政府間機関であり、国際食品規格の作成等を行っています。我が国は1966年より参加しています。

http://www.maff.go.jp/j/syouan/kijun/codex/index.html


んだそうでございます。WHOは誰かさんも知っている世界保健機関、FAOは国連食糧農業機関のことです。「国際食品規格」という、いわゆるひとつの「コード」を作成しているんだそうですが、この「コード」が「X」である、つまり何だか分からないけどとにかくアヤシイという評判なのです。

はなゆーさんとこの「低気温のエクスタシー」http://alcyone.seesaa.net/article/101115044.html
および
http://alcyone.seesaa.net/article/101197694.html
によってきくちゆみさんのブログを参照すると、
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2008/06/codex.html
きくちゆみさんは、例の「呪いの夜」に、「コーデックスCODEXに要注意!/今夜はキャンドルナイト」というエントリをあげておられまして、それらによるとコーデックス規格の一環として、現在カナダではなんとビタミン剤やハーブなどのサプリメントが非合法化されようとしているということです。

これは例えば日本ですと「アリナミン」とか「チョコラBB」とかそういう市販のビタミン製剤、コンビニで沢山売っている大学翻訳センター(DHC)の「活力あふれる毎日をサポート」する「マカ」だの、「男性必須のミネラル」である「亜鉛」、「ヨワくなった!と感じるあなたに」オススメの「トンカットアリエキス」などが禁止されるということを意味しますが、ちなみに「トンカットアリ」というのはトンカツを食わせて育てた蟻の一種、ではないそうです。

悩めるオジサンは別として、アメリカにおけるサプリメント産業の発達の背景には、公的医療保険がなく、民間の保険にも入れないビンボー人が多いのに病院にかかるとむやみやたらと高額で、病気をきっかけに破産した人が道路にゴロゴロしているという、かの国の事情があります。サプリメントは予防ないし自己治療のために広く利用されているのです。

日本でも公的保険について、なんだかんだ言って要するにこれを崩壊させようという恐ろしい陰謀が進行していると言われています。そうでなくても低賃金・非正規の雇用形態の拡大は保険未加入者をいつの間にか大幅に増大させていますから、プア・ホワイトのホームレス病人も明日はわが身です。ちなみにそのような状態にある人たちがあと30年で押しも押されぬ「高齢者」になるわけですが、そのころには想像を絶する状態になりそうです。医療から締め出された連中の病死体が道に転がり、駅前の自転車のようにトラックが来てどんどん積んで持っていく。死体からも病気がうつる事がありますから、トラックの人をはじめ、道を歩いてる人たちにも広がっていきます。で、職場や学校や家庭に持っていってみんなに分けてあげますので、あっという間に感染爆発が起こります。

コーデックス規格によるサプリメントの非合法化は、ビンボー人は病院だけでなくありとあらゆる医療から締め出されることを意味します。このような動きの背後には当然、製薬業界、医療業界、国際穀物資本等の利益の追求が動機として存在すると思われますが、そのもたらす効果は(例によって)そのような連中が予想しているよりもはるかに壊滅的なものになる可能性があるのです。

連中はすでに前哨戦において勝利を収めています。今や常識となった「タバコ問題」がそれです。実のところ喫煙はそんなにあわてて大騒ぎをしなければならないような問題ではなかったのです。

過去40年間、喫煙率は低下し続けており、日本でも1966〜1967年の約51%をピークとして2005年には29.8%と、なんと3割を切っています(日本専売公社、日本たばこ産業株式会社の調査による)。日本では近年20代女性の喫煙率が上昇していることを問題視することがあるようですが、これは両性の喫煙率に差がない「先進国」の消費パタンに近づいているだけのことであり、特にそのようなことをとりあげて問題にする意識の「後進性」のほうがよほど懸念されるところです。

おそらく放っておいても喫煙率は下降を続けるものと思われます。どのくらいの数字に落ち着くのかは分かりませんが、おそらく世界の中でも低いであろうアメリカの2004年の喫煙率は20.9%だそうです。しかしながらこれはアメリカにおいてはタバコの代替物(合法・非合法を含めて)が割合入手しやすいことが影響していそうです。また、社会階層による生活様式の分裂も喫煙率を低下させています。タバコと野球がビンボー人の趣味であり、富裕層や高学歴層はフットボールとドラッグです。しかしすべての階層で飲酒が深刻な問題となっています。

タバコに含まれるニコチンがうつ病や統合失調症の症状を軽減または改善し、抗精神病薬の副作用を和らげる効果があることが知られています。事実、精神病患者の喫煙率が高く、禁煙に失敗する率も高いということです。タバコもまた精神に問題を抱える人の予防ないし自己治療の手段なのでした。アメリカにおけるタバコ代替物質の代表的なものが抗うつ薬であることは言うまでもないでしょう。てゆうか抗うつ薬は禁煙「治療」のために処方され、「患者」は一生薬漬けです。

もっとも、タバコあるいはニコチンの科学的研究については、その肯定的もしくは治療的側面についての研究には「タバコメーカーの(ヤニ臭い)息がかかっている」ことが多いようです。たとえば日本には「喫煙科学研究財団」というものがあって、そのような研究に助成を行っているところですが、この財団には日本たばこ産業株式会社からの寄付が行われているほか、理事には日本たばこ産業株式会社顧問の水野勝さんとか、株式会社東京自働機械製作所(要するにタバコ自販機の会社)監査役の萩原正志さんがいますし、評議員には全国たばこ耕作組合中央会専務理事の石原健三さん、前全国たばこ販売協同組合連合会副会長の久米川均さん、タバコ流通のTSネットワーク株式会社代表取締役社長の唯秀雄さんなど、業界の主だった面々が雁首をそろえています。

とはいっても、タバコや大麻に関して中立的な研究などどこにもないのが現状です。ほとんどの研究者はタバコと癌との関係について決定的な成果を挙げるべく日夜頑張っているところですが、なかなか難しいようです。いずれにせよ、これも始めに結論ありきの研究ですから、どちらにしろたいして信用できるわけではありません。ところで医者の研究活動に「製薬会社の息がかかって」いても誰も不思議には思わないのです。

きくちゆみさんによればコーデックス規格では「食べ物の中の栄養素までも「毒」と規定してい」るそうです。そりゃそうで、どんな栄養だって摂取しすぎれば「毒」です。身体に入るものは全て害になりえます。コーデックスは神経症的な潔癖症をもって物事を全て悪い方に捉え、特にこの地球という人類の生存に適さない惑星の産物は徹底的に規制しようとします。そこで「鶏肉なども定められた抗生物質と成長ホルモンの使用を義務づけ、食品の放射線照射を義務づけるなど」してそれらを「清潔」にすることを心がけています。金儲けと狂った「浄化」イデオロギーが「謎の暗号」を解く鍵のようです。

ちなみにWHO認定の発癌物質は約2000種類であり、ラドン、紫外線、X線などの放射線を始めとして女性ホルモン、経口避妊薬、木材の粉なんてものにも発癌性があります。食品ではブラックペッパー、きのこ類、セロリ、辛子、山葵、コーヒー、アルコール飲料などが知られていますし、焼き魚の焦げたところにも発癌性があるとか、大根おろしを食べれば大丈夫だとか、最近では黄砂の中に発癌物質が含まれてるとか大変ですが、おそらく発癌物質はどっからでも見つかります。ですから対象が何であっても「発癌性がある、危険だ」と言う事はきわめて容易であると考えられます。そしてそれらの発癌物質を避けても、リスクは何分の一かに減少するだけで、ゼロにはならないのですから心配で夜も眠れないので昼間に居眠りをするのも仕方のないことです。
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2008年06月20日

アジャラカモクレン キューライソ テケレッツノパ

たぶん、刑法に「殺人の罪」がなくても、多くの人は他人を殺すことに抵抗を感じるのではないかと思われます。もしかすると感じない人も多いのかも知れませんが、出来たら感じていただけると他の人の命が助かります。そういった「殺人の禁忌」の感覚は、もちろん誰しも自分の命が大事だということから来るのかも知れませんが、これはほぼ社会的に共有されているものと思われます。だいぶ希望的観測ですが。

こういう「禁忌」はしかし、ときどき破られることがあります。てゆうか「殺人の禁忌」はしょっちゅう破られているのが実情です。俗諺に「ルールは破るためにある」とされますが、「殺人」などはまさに適例というべきでしょう。もちろんこういう場合はそれなりに大騒ぎをすることになっています。時折の侵害行為によって「禁忌」をみんなで再確認するのが習いのようです。

このとき例外的に「殺人」を犯すことが「禁忌」への侵犯ではない、という場合、いわば「許された侵害行為」を行なうことが出来る者というのは、「禁忌」をコントロールすることが出来る者、つまり「禁忌」を制定した「力」と同じものであるとみなされます。

「禁忌」の根源には、例えば実際に殺人行為があった場合のみんなの衝撃や哀しみや怒りといったものがあったんでしょうが、これを犯すことを許されたもの、というか力ずくで不問に付させてしまったものは、そのような「禁忌」の根源を隠蔽して「禁忌」の起源としての「力」の実体化として振る舞うことになるでしょう。これを「宗教的」といっているんですが、要するに「神」ですよ。それは「死」をコントロールする「神」であり、なによりもまず「死に神」として現れることになるでしょう。

朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」
このニュースのトピックス:メディア倫理

 今月17日に宮崎勤死刑囚(45)ら3人の死刑執行を指示した鳩山邦夫法相を、朝日新聞が18日付夕刊で「死に神」と報道したことについて、鳩山法相は20日の閣議後会見で、「(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」と強く抗議した。
 「死に神」と鳩山法相を表現したのは、18日付朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」。約3年の中断を経て死刑執行が再開された平成5年以降の法相の中で、鳩山法相が最も多い13人の死刑執行を行ったことに触れ、「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」とした。
 会見で、鳩山法相は「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と朝日新聞の報道姿勢を批判した。

2008年6月20日 産経ニュース


したがって朝日新聞がここで「死に神」という言葉を使ったのはある意味で正しいのです。鳩山さんのいう「悪影響」については、鳩山さん自身が「死に神」であるかのように書いてしまう限り事態を正確に伝えることに失敗していますから、その意味で「悪影響」があり得ます。「死に神」が特定の誰かを指すような書き方をしたとすれば、朝日新聞は間違っています。なにも鳩山さんだけが「死に神」であるわけではないからです。

たぶん自然発生的な「禁忌」の感覚を、いわば横取りして自分が決めたことのように言い出すのが「宗教」であるとすれば、いままで人類はそれを「神」から奪いかえして、それを「国家」に与えたわけです。しかしそのことによって「禁忌」が世俗化するかと思えばそうではありません。逆に「国家」が「宗教」の位置を占めることになります。国家の「宗教性」は国民の生命に対する高権として表現されています。

人類はこの段階から離脱しつつあるようですが、国家と宗教の関係の深い地域ではその過程が遅延しています。そうでない地域においても、国家のための戦争において死んでもらうことを強制する力を手放していません。しかしながら「戦死」は一面において「事故」であり得ます。それは国家において必ずしも望まれていない死である、そのように振る舞う余地が残されているのです。

しかし「死刑」は掛け値なしに国家の命令による死ですから、ここにおいて国家は「殺人の禁忌」を侵犯する「力」であること、つまり「禁忌」を意のままにする「力」であること、すなわち「禁忌」の源泉であることを誇示することになります。日本では偶数月にこのような宗教的な示威、要するに「祭」が行なわれるようになっているようです。それはそのために集められ、飼われている「イケニエ」の血を国家に捧げる祭祀です。

そうであればこそ死刑囚は「犯した犯罪、法の規定によって執行された」のであって、つまり「イケニエ」を選定するシステムというものがあってそれに従って選ばれた人たちなのであって、その「イケニエ」を決定するシステム自体が「神聖」なものであるから本来なら栄光ある立場であるといってもいいはずなのです。

もちろん、現在のところその司祭の役割を担うに過ぎない鳩山さんが、「死に神」の呼び名を過分なものとして、むしろ冒涜的なものとして拒否するのは敬虔さの表れであるというべきでしょう。彼らはあくまで「血の祝祭」の司祭にとどまるのです。鳩山さんなり他の誰かなりが「神」であるなど畏れ多いことであり、逆にそのように呼ぶことは「イケニエ」とその選定に関する手続の「神聖」を否定するものになってしまい、それは「イケニエ」つまり「執行された方」の「神聖」さをも損なうことによって「侮辱」ということになるのです。

とはいうものの、実際のところ彼らにいちばん似ているのは、親指の動きでグラディエイターの生死を決したローマの皇帝の姿でしょう。だから鳩山さんも「皇帝」とか「カエサル」とか「ガマガエル」とか呼んであげれば喜ぶんと思います。いずれにしても彼らを通して人に「死」を与える「力」を定期的に示すことが肝心です。

一方、このような蒙昧にとらわれないとすれば、死刑制度において「死」を与えるのが「神」のような「国家」ではなくて人間であることが前提となります。そしてそこで働くのは「神」の不謬性ではなく人間の可謬性です。つまり常に「もしかして違うかも」という可能性を捨てきれないということであり、そこで下される決定はその可能性を考慮した暫定的なものであらざるを得ません。

つまり死刑廃止論の論拠における「冤罪の可能性」というのは意外と本質的なところを突いているのかもしれないのです。死刑制度を存置する立場からいえば、それはつまりよく気をつければ大丈夫なことでしかないのですが、神ならぬ人間にはもしかして間違っている可能性を最終的に排除出来ないのであるから、実際問題として、たとえ制度として死刑が存続している場合にあっても、そのような不可逆的な処分を下すことは実務的には許されないということになるでしょう。たとえば「凶悪犯罪」でなくてもひとつでも「冤罪」が発見された場合に、死刑の執行は不可能になるはずです。

これがそうならないこと、死刑の執行が行なわれ続けていることから見ても、この制度が理性的な思考ではなく「遅れた習慣」に基づいていることが明らかです。そこで少なくとも火を使用し直立歩行する以上は死刑については廃止することが良いと思われるのですが、人はおかれた状況によってむしろ古態的な思考に逆戻りします。つまり「やられたらやりかえせただしつよいえらいひとのもとで」というものです。「死に神」こそ「死」の擬人化であり、国家もまた「死」を操る「神」であることがその「つよい力」の源泉となっています。もっとも近頃のように国家が誰彼なく「死」の大盤振る舞いを始めると、そのありがた味もだいぶ削減されるようです。
posted by 珍風 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月19日

人間には向かない職業

取り調べ体験ブログに 司法修習生守秘義務違反か 長崎市 ばあちゃんに説教しまくり 社会のゴミ掃除で視野狭く

 長崎市内の法律事務所で実務修習中の20代後半の男性司法修習生がインターネット上に自身が開設したブログに、検察の実務修習中に体験した容疑者の取り調べ状況などを書き込んでいたことが19日、分かった。長崎地裁は「内容に修習生としてふさわしくないとみられる言葉があった」として、裁判所法に基づく守秘義務違反に当たる可能性もあるとみて事実関係を調査している。


 同地裁などによると、ブログは「司法修習生のなんとなく日記」と題し、2月15日付に「今日、はじめて取り調べやりました。相手は0歳のばあちゃん。最初はいろいろ話を聞いてたけど、途中から説教しまくり。おばあちゃん泣きまくり」(ブログ上は実年齢を記載)などと記述。同29日付には刑務所見学について「自分が取り調べ中の被疑者は、刑務所出所後5日目に、また犯罪行為に出た」などと書き込んだ。

 3月20日付では司法解剖に立ち会った様子を「死体を切り刻んで内臓とかを全部出して全部調べると臭(にお)いはきつい」、同16日付には「検事が言っていたけれど、社会のゴミ掃除ばっかりやってると視野が狭くなると」などと記載していた。

 ほかにも、長崎市長射殺事件の判決公判について「テレビに映るとか言っていたけど(中略)ジャンケンに負けて修習生席に座れませんでした」との書き込みもあった。

 修習生は昨年9月、司法試験に合格した。修習期間は同11月から1年間で、長崎市での実務修習は今年7月までの予定。ブログには修習中の体験や感想などを書き込んでいたが、今月中旬、既に閉鎖されている。

 長崎地裁は今月12日、最高裁から連絡を受けて調査を開始した。同地裁総務課は「事実関係を調査し(処分については)厳正に対応したい」としている。

2008年6月19日 西日本新聞夕刊


この人のブログは「king BONG world」とかいいまして、ちなみに「説教しまくり」のエントリーの全文は

しらべ
2008-02-15 | 修習
今日,はじめて取調べやりました。


相手は80歳のばあちゃん。


最初はいろいろ話を聞いてたけど,
途中から説教しまくり。おばあちゃん泣きまくり。


おばあちゃん,涙は出てなかったけど。


けど,なんで20代の若造が80歳のばあちゃんを説教してるのか。
それに対してなんで80歳のばあちゃんが泣いて謝ってるのか。


なんとなく,権力というか,自分の力じゃない力を背後に感じた。


「ジャンケンに負けて修習生席に座れませんでした」のエントリーは

死刑判決に立ち会う
2008-05-27 | 修習
「被告人を死刑に処する」

文字では何度も読んだことがあるし,主文が後回しにされ,さらに量刑の理由の中でも「極刑はやむを得ない」などと言っていたので,その結論は頭の中ではわかっていたけれど,法廷に響き渡ったその言葉に鳥肌が立った。

長崎市長銃殺事件の判決公判に立ち会いました。
テレビに映るとか言っていたけど,午前中のテレビ撮影が入っている時間帯はジャンケンに負けて修習生席に座れませんでした…。
けれど,午後は法廷にいたので,主文の瞬間に立ち会いました。

この事件,自分は公判を見たわけでもないし,記録もほとんど読んでいないので,その判決が妥当かどうかなど,語れるわけもないので語りません。
ただ,この事件がどうとかはさておき,やっぱり死刑って違うなと思った。
この被告がやったことは許されないし,選挙期間中に候補者を射殺することは,まさに民主主義に対するテロ行為。それはそのとおり。
だけど,本当にこの被告人を殺していいのか。
死んじゃったら全て終わりだよと。
偶然にも今日,某アナウンサーの自殺の報道があったけれど,
自ら死を選ぶ人もいれば,殺される人もいる。そして裁判によって殺される人がまた1人。
自分の頭では整理できないな。


判決を全て言い渡した後の裁判官室は異様な静寂に包まれてました。
なんとも言葉では言い表しようのない空気。
なにはともあれ,死刑判決に立ち会うという貴重な経験をしました。


ちなみに80歳の老婆に説教しまくりの「しらべ」には続編があって、

続・しらべ
2008-02-21 | 修習
何度か取り調べをやっているが、自分がたどり着いた結論。


わたくしには検事はムリだ。


いろいろな事件のヒギシャを見てるが、なんかその人たちがかわいそうに思えてくる。

もちろんやったことは悪いんだけど、


いろいろ事情があったんだよね。

とか


ほんの出来心でやっちまったんだよね。


とか思ってしまう。
どうやら自分優しすぎるみたいです。
言い訳じみてはいるが、みんなそれぞれ生活が苦しかったり、いろいろ話してくる。ウソもあるだろうし、騙されてることもあるだろうけど、自分もそんな出来た人間じゃないから、犯罪者と紙一重だと思う。

そんな人に向かって、正論をぶつけ、正論で攻め倒して、反省させて、裁判にかけて…なんてことできないなぁと思う。

もちろん検事にはそういう役割もあるだろうから、それを否定するわけではないけれど、仕事にするにはあまりにも自分の心にウソをつき続けなければいけないような気がする。

まぁ修習期間くらいは割りきって演じられるし、実際そうやって頑張っているが。


そんな話を仲間としてたら、修習生版OKETA氏が

「検事は勘違いヤロウか割りきりヤロウかのどっちかだ」

と。言いえて妙。


割りきりヤロウになれればそれは素晴らしいが、勘違いヤロウ、自分と犯罪者は別の星の人間だ、なんて思ってる人が検事になると危ないんだろうと思う。


それにしても検察修習は修習生にいろいろやらしてくれるので、勉強になる。


なるほど「内容に修習生としてふさわしくないとみられる言葉」が沢山あるみたいです。たぶんこの人はクビでしょう。もっともクビといっても、最近では給料は出ないようで、奨学金みたいに後で返さないといけない。しかもバイト副業禁止というわけで、法曹界はすでに富裕層の子弟のものになりつつあるようです。僕なんかみたいな「社会のゴミ」のほうがまだマシです。そんなロクでもないものにならなくてもよくなったんですから、それに越したことはありません。よかったよかった。
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2008年06月17日

2月に1回土人のお祭り

死刑確定から執行 期間大幅短縮に鳩山法相「たまたま」

 鳩山法相は、17日の3人の死刑執行をめぐり、07年までの10年間で「約8年」だった確定から執行までの期間が大幅に短縮されたことについて、「たまたま従来より短くなっているということ」と強調。「被害者や遺族にとって無念この上ない事件だ。百何人という未執行者のなかで、慎重にも慎重な検討を加えたうえで執行した」と述べた。
 今回の執行は、鳩山法相が議長をつとめたG8司法・内務相会議が13日に閉幕した直後で、国会も事実上の閉会状態。この時期の執行については「そもそもが正義の実現のためで、そういう事情は考慮の外にある」と強調した。

2008年6月17日 asahi.com


なにしろ以前に「次の死刑執行は6月6日くらいかな?」と書いちゃったもんですから、
http://worstblog.seesaa.net/article/92914062.html
「偶数月の初旬」という今までの習慣を変更して「この時期の執行」とした理由をずっと考えていたんですよ。昨日まではもしかして今月はないのかとも思いました。ないのならその理由は何か。廃止議連の終身刑提案でしょうか。それとも国会の都合か。

しかし今日やってしまったことで、「G8司法・内務相会議」や国会の「そういう事情」が「考慮の外」にあるものなのかどうかが明らかになってしまいました。そんなら何故6月6日ではなかったのか。死刑執行を停止するならともかくとして、今日やっちゃった以上は慣例に従ってその日にやらなかった理由が問題になります。

おそらく6月6日に執行されなかった理由は「G8司法・内務相会議」もあるでしょうし、国会の都合もあるでしょう。しかしながら最も大きな要因はおそらく国連人権理事会の審査中であるという「事情」でしょう。日本は各国から死刑制度の見直しに突いて勧告を受けていたところ、あくまで死刑の存続に拘り続け、つい先週末に「死刑について緊急に検討すること」を含む幾つかの勧告を拒否
したままで採択にこぎ着けました。

もしこの審査の最中に死刑執行がなされたならば、国際世論は一気に強硬化し、ついには死刑について「検討」することを受け入れざるを得なくなった可能性もあります。日本政府としてはこの審査の成果が最終的に採択されるまで死刑執行を繰り延べる十分な理由がありました。そして審査が終わるや否や待っていたかのように(待っていたんでしょう)またも3人を殺害するに至ったわけです。これは国連人権理事会を故意に軽視するものであり、ひいては国際社会に対する重大な挑戦であります。とはいっても日本はこれの理事国なんですからいい加減なものです。

山崎義雄さんは1985年と1990年の2件の保険金殺人の、まあ、いわば、「主犯」とされています。しかしこれらの被害者が加入していた生命保険は、被害者が金を借りる目的で「積極的に加入」していた事実が1審高松地裁重吉孝一郎裁判長により認定され、1審での判決は無期懲役でありました。また、その保険の保険金の受取人は「共犯者」だったのであり、第1の殺人によって得た保険金2200万円のうち、山崎さんが得たのは3分の1の700万円にしか過ぎません。第2の殺人に至っては保険契約について知らなかったために契約自体が失効していたあとのことだったのです。つまりこれは保険金取得目的で殺害すること前提に保険契約をさせてそれを殺害するというような「保険金殺人」とは少し違うようなのです。ちなみに「共犯者」は懲役15年の刑が確定しています。どうも損な役回りを担わされたようですが、控訴審では高松高等裁判所島敏男裁判長が「周到な計画」(そのわりにはバレてますが)、「遺族への真摯な謝罪がない」などの理由で死刑判決を下し、最高裁の上田豊三裁判長が上告を棄却して死刑が確定しています。

陸田真志さんは双子の兄弟でSMクラブ乗っ取りを計画、クラブの経営者を双子の兄と真志さんが殺害、店長を真志さんと共犯の元暴力団員が殺害しました。これは「SMクラブ乗っ取り」というひとつの犯罪の中で3人の人間が2人を殺す場合に、その3人がいずれも1人では殺害の目的を果たせない故に必ず2人掛かりで殺害するとしたときに、3人の犯人のうち1人が2件の殺人のいずれにも関わることになったということです。兄と元暴力団員の人は同じ犯罪に関わりながらもそれぞえは1名の殺害に関わっただけなので一方は無期懲役、もう一方は懲役15年とされたところ、間の悪い真志さんだけが死刑になったものです。

もう一人がいわずと知れた宮崎勤さんでありますが、この人の場合精神病の疑いが極めて濃厚であり、おりしも弁護人は再度の精神鑑定と刑の執行停止を求めて再審請求中であったところであります。宮崎さんは拘置所内で精神科の治療を受けていたという話しもあり、もしそうであれば刑事訴訟法の第479条により法務大臣は死刑の執行を停止する命令をしなければならない場合であったかもしれず、とてもじゃありませんが「正義の実現のために粛々と」などといえるような状態ではありません。すくなくともこのような理由で再審請求中である死刑囚を殺害するのが「正義」であるなどと「自信を持って」いるのであるとすれば、その「正義」という言葉の意味が何か一般常識とは大いに異なるものであり、法をどっかにやっちゃったものであり、法相自身の個人的な妄想の産物であるのではないかと疑われるとことです。

まあ別に鳩山さんの精神鑑定を請求するわけじゃありませんが、人1人殺して、いや3人ですが、通算で13人ですか、13人殺しておいて、それが「正義」だと居直られてしまうと、非常な違和感を覚えるくらいの「正義感」を持ち合わせている人もいるでしょう。実際のところこの違和感が「殺人の禁忌」を感じることによるものであるならば、現代の世界でひとり国家のみがこの禁忌を犯すことを正当化する根拠があるとすれば、それは「宗教的」なものでなければならないでしょう。ちなみに日本が仲間入りしたがっている「死刑大国」は中国、イラン、アメリカなど、いずれもある種の「宗教国」であるといえなくもない国であります。日本もこのような未開野蛮の国々の仲間入りをしたがっているわけですが、それは国家の精神的権威の維持というよりは今どき珍しい生神様というか酋長というか「天皇」を頂いて鼻に骨でも刺して踊りながら人身供犠を捧げるという極めて嘆かわしい「退化」の兆候でもあるようです。
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2008年06月15日

暴動少女100万人

アキバの加藤君クンクンに早速フォロワー、てゆうか単なるおバカな模倣犯、とも言えないくらいのおっちょこちょいが全国に現れております。

<業務妨害>大量殺人予告の17歳少女を送検へ 福岡県警

 福岡県警少年課は15日、携帯電話の会員制掲示板サイトに殺人予告の書き込みをしたとして、同県内のアルバイト少女(17)から軽犯罪法違反(業務妨害)容疑で事情聴取していると発表した。同容疑で書類送検する方針。

 調べでは、少女は14日午前7時19分、東京・秋葉原の通り魔事件を引用し、自分の携帯電話から「九州のある駅で大量殺人する」と掲示板に書き込んだ疑い。「いたずら目的だった。世間を騒がせて申し訳なかった」と話しているという。

 14日午前、書き込みを見た複数のサイト利用者から福岡県警などに通報があり、九州管区警察局が九州の各県警にJRと私鉄の駅などの警備強化を指示し、JR九州なども警戒態勢を取っていた。【高橋咲子】

2008年6月15日 毎日jp


この人は加藤君に共感を示すのはともかくとして「おれ」などという一人称を使用して性別を詐称したネットおなべですね。花も恥じらう17歳、軽犯罪法第1条第31項「他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者」です。ちなみに「悪戯」は「イタズラ」と読むとヘンタイみたいですが、「アクギ」と読むとそれなりに立派に聞こえます。

「駅に放火、無差別殺人」ネットで予告 中学生を補導

 新潟駅に放火し、駅周辺で無差別殺人を起こすとインターネットで予告したとして、新潟県警は15日、新潟市の男子中学生(13)を補導した。中学生は、非行事実を認めているという。
 新潟東署の調べでは、男子中学生は10日午後7時半ごろ、インターネット掲示板「2ちゃんねる」に「6月30日月曜日、19時30分に、新潟駅に放火する。放火した後、新潟駅周辺で無差別殺人を起こします」と自宅のパソコンから書き込んだという。
 書き込みを見た複数の人が110番などで通報。警察庁から連絡を受けた県警が捜査していた。

2008年6月15日 asahi.com


こっちは13歳の餓鬼ですからね、非行。まだあります。あまりにもローカルすぎるのですぐバレた19歳は地域密着型の新聞配達員です。

殺人予告で19歳逮捕=商店街名指し「皆殺す」−広島県警

 インターネットの掲示板に、商店街を名指しして、「秋葉原のあの事件…皆殺します」などと書き込んだとして、広島県警中央署は15日、業務妨害の疑いで、広島市西区の新聞配達員の少年(19)を逮捕した。容疑を認めているという。
 調べによると、少年は9日午後6時すぎ、携帯電話を使って、広島県地区限定の無料掲示板に、同市中区の「本通商店街」を名指しの上で、殺人を予告する書き込みをした疑い。

2008年6月15日 時事


いずれにしてもそんな大それたことをやる気もない人たちですが、まあやらないにこしたことはないんですが、やらない方がかえって良いのかも知れません。「予告」だけだったら2ヶ所や3ヶ所で同時に出来ますし。そんなことをすると被害が甚大、罪も重くなりますよ。まあ、今のうちだけですから、こんなことが出来るのは。加藤君の例はともかくとして、今後本当にやっちゃう人は「予告」出来ないでしょう。それやると捕まります。今回の事例によってそれは明らかになりました。それで「予告」は実行されない、しかしながら「予告」された以上は警戒せざるを得ない。その一方で「予告」されない場所で実行される可能性はあるわけです。つまり実行の予定のある人が予定地以外の場所について「予告」を行なうことがあるのではないか。故に全ての場所で「事件」が発生する可能性があります。

「予告」というのは今の状況だとほとんど「実行」と等価です。国民の人命にあまり関心のない人たちにとってはですが。そういう人たちはなんだか大変に忙しそうで大変ですが、最初から総体としての国民を敵に回している以上は同じことでしょうから、まあ、当たり前の状況になったということで納得して頂くしかありません。その一方で本物の「プロ」の人たちも頑張っているのですからますます大変です。

大阪・西成署前の騒動、14日夜も…4人を逮捕

 大阪府警西成署前に日雇い労働者らが集結し、投石などを繰り返した問題で、14日も夕方から労働者ら約200人が同署周辺に集まり、石や自転車、火のついた段ボール箱を投げつけるなどして一時、騒然となった。府警側は機動隊員ら数百人を動員、放水車を出動させて制圧した。
 この騒動で、警察官1人が負傷。府警は機動隊員の盾をけるなどした男4人(39〜67歳)を公務執行妨害で現行犯逮捕した。
 騒動は、同署の事情聴取を受けた男性が「署員に暴力を振るわれた」と訴えたことから、13日夕に発生。負傷者はこれで10人、逮捕者は14人となった。

2008年6月15日 読売新聞


逮捕者は39歳の中年から67歳のじーさんまで。これは13日の夜から続いていまして、その時には逮捕者は10人です。そしてその中には16歳の女子高生を含みます。またしても女の子です。ギャルの人たちは加藤君にクンクンしないかわりにこんなことやあんなことをしているのです。実際のところあの辺ではオッサンと少女は「結合」しています。いや、別にそういう意味ではなくて、

殺人容疑で4人再逮捕へ 尼崎・死体遺棄 集団で暴行、殺意を認定

 兵庫県尼崎市の公園で3月30日、毛布に包まれた大阪市中央区西心斎橋の職業不詳、松井芳光さん(34)の遺体が見つかった事件で、尼崎北署捜査本部は4日午後にも、殺人の疑いで住所不定の無職、徳田忠則被告(47)=死体遺棄罪で公判中=ら男女4人を再逮捕する。
 捜査本部の調べで、松井さんの遺体の左耳付近に打撲痕があり、左胸には刺し傷が見つかった。また4人を追及したところ、松井さんの自宅マンションで集団で暴行を加えていたことも判明し、捜査本部は4人に殺意があったと判断した。
 ほかに再逮捕されるのは、住所不定の無職、滝澤純也被告(20)=同罪で起訴▽大阪市西成区萩之茶屋の無職、峯田雅章被告(50)=同▽東京都港区の無職の少女(17)=死体遺棄の非行事実で家裁送致−の3人。
 調べでは、4人は共謀し3月23日朝、松井さんの自宅マンションで、松井さんの頭部を殴るなどの暴行を加えて殺害した疑い。
 捜査本部は、4人が松井さんとの間でトラブルがあったとみて詳しい動機などを調べる。
 事件では、松井さんの遺体を尼崎市南武庫之荘の公園に遺棄した疑いで、4月6日に松井さんの知人の徳田被告を逮捕し、その後、滝澤被告ら3人を相次いで逮捕。捜査本部で松井さん殺害について4人を追及していた。

2008年6月4日 産経ニュース


揃いも揃って「無職」のオッサン(50代、40代、30代)と青二才(20代)、そして東京から出張して来た少女(10代)がみんなで暮らしていたところ、そのうちの1人を殺しちゃったようですが、まあ、「結合」というか「合体」というか「気持ちい〜」というか、そんなことを言うとまるで「もろこしヘッド」みたいですが、とにかくそういう生活形態があったということなので、モテない諸君はニッポンレンタカーに車を借りにいく前に参考にしたいものです。要するに女子を引っ掛けるのに車が必要だというのは自動車好きの人の思い込みでしかないのです。そんなことにお金を使うのはバカバカしいから止しましょう。おいらのドライブシャフトにはおまえのグリスが必要さ。

何か下品なようですが、とにかく、女子に対する不満は1人の男を暴力に走らせるきっかけにはなること、都井睦雄君の例を見ても明らかであるところ、女子は女子で必ずしも暴力を忌避するものではないのですから世の中は物騒です。とにかく若い男性はモテないに越したことはありません。東京のお嬢さんの面倒は関西のオジサンがみてあげるからそれで良いのではないでしょうか。ちっとも良くありません。僕は関東のオジサンなので。そこで上品な話題をひとつ。Doxさんによると「100万人のキャンドルナイト」という上品な企画があるらしい。
http://ameblo.jp/dox/entry-10106197856.html

ちなみにそのHPは
http://www.candle-night.org/jp/

その「呼びかけ文」によると

私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2008年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょう。
ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見する
プロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、でんきを消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。
2008年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。


なんだそうで、結婚するアテのない人や恋人のいない人の髪の毛が(もし生えていれば)「でんき」がなくても逆立ちそうな挑発的な文章であり、暴力を誘発する点でこれの右に出るものは最近ないのではないでしょうか。「プラグを抜く」前にまず入れさせろ。そういえば「くらやみのウェーブ」なんてのも暗い情念が布団に火をつけたようにブスブスとくすぶって見えない間に広がっているみたいでホントに不穏当です。こういう危険なことは良くない。止めよう。

しかしこの点でも西成は先行しているのです。すでに2月から「1人のキャンドルナイト」を実践し続けていた方がいらっしゃいます。

電気止められロウソク倒れ?火災、1人死亡

 1日午前2時55分ごろ、大阪市西成区玉出西2丁目のマンション(4階建て)2階の一室から出火、約30平方メートルのうち約15平方メートルが半焼した。周囲の安否確認をしていた消防隊員が、鎮火から約6時間後の午前11時過ぎ、廊下をはさんで向かい側の部屋で男性が倒れているのを発見、死亡を確認した。大阪府警は火災の煙を吸ったのが死因とみて、出火元の部屋に住む無職森田光男容疑者(81)を重過失失火容疑で逮捕した。
 調べでは、森田容疑者は1日未明、部屋の中でロウソクを過って倒したため、部屋にあった新聞紙に火が燃え移り、その後の不始末で男性を死亡させた疑い。森田容疑者は生活保護を受給していたが、料金滞納で2月から電気とガスを止められており、空き缶にロウソクを立てて生活していたという。消し止めたつもりだったが、近くのコンビニに出かけた間に燃え広がったとみられる。
 男性の発見が遅れたことについて大阪市消防局は「消火作業中に、全室に入って逃げ遅れがいないか確認した。煙が充満していて視界が悪かったとはいえ、確認漏れがあったのは消防のミスだった」と話している。

2008年6月2日 asahi.com


まあこれはいたずらに危険な挑発的言辞を弄する「100万人」とは違って、やむを得ず、ということではありますが、81歳の身に電気もガスもない2月はこたえるよな。すごく。少なくとも1回くらいは死にかけたと思いますが。あったかい、さして暑くもないとっても素敵なこの季節に2時間だけ楽しむ「スローな夜」のあなたに贈るカクテルはもちろんモロトフで。
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2008年06月14日

反革命のエチュード

「雨音はチョピンの調べ」小林麻美さんは『野獣死すべし』くらいでしかお目にかかれない美人でしたが、そういう冗談は言いません。顔は野口五郎に似ていると思いますが。

サミット控えテロ対策訓練 高松空港

 ハイジャックなど航空機や空港を狙ったテロを想定した対策訓練が13日、高松市の高松空港で行われた。北海道・洞爺湖サミットを来月に控え、参加した県警や空港の警備員ら約40人は緊張した表情で、不審者への対応を確認した。
 手荷物を調べる空港2階の保安検査場で、金属探知機に引っかかった男が身体検査を拒否。検査員が協力を求めると、男はポケットからナイフを取り出して暴れ出した――として開始。別の検査員が異状に気づいて警笛を鳴らし、通報で駆けつけた警察官が男を取り押さえた。
 高松空港では昨年7月、検査員の制止を振り切った男が航空機に乗り込む事件が起きており、県警の筒井宏和警備課長は「警備には県民の協力は不可欠。不審な人物や物を発見した時はすぐに通報してほしい」と話していた。

2008年6月14日 読売新聞


主要国首脳会議の主な機能が、各国の警備体制のおさらいです。各国の公式・非公式の警備システムがこの機会にその持てる力を大いに発揮してその威力を誇示するとともに、各国が互いに切磋琢磨して能力を高め合うよい機会です。会議期間中は現地の警察に「国際連絡捜査官センター」が設置され、各国の警察官が集結しています。勿論日本からも参加していますが、会議終了後の昨年8月にドイツ連邦刑事局幹部が次回開催国である日本にやって来て、先輩としてありがたい助言を垂れていったといわれています。

警察庁とドイツ刑事庁協議  洞爺湖サミットの警備で

 来日中のドイツ連邦刑事庁(BKA)幹部と警察庁幹部は13日、来年7月に開かれる北海道洞爺湖サミットの警備体制などについて警察庁で協議、反グローバリゼーションを主張する組織の動向や各国政府首脳の警護の在り方などをめぐり情報交換した。BKA側からはヨルク・ツィールケ長官やクラウス・ビットリング国家保安局長らが出席。警察庁からは警備局幹部がサミット会場となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」の立地条件や警備計画の進行状況などを説明した。警察庁は、同庁と北海道警のサミット警備担当者をドイツに派遣し、欧州における反グローバリゼーション組織の勢力や過激なグループの動向などに関し、BKAと情報交換を進めていくことなどで同意した。ツィールケ長官らは協議終了後、漆間巌警察庁長官を表敬訪問、意見交換した。14日にはサミット会場を視察する予定。

2007年8月13日 共同


警察庁もこの後でドイツに出向いて有益な話し合いを持った模様です。このほかにもドイツ連邦議会の議事録によれば、会議直後の昨年6月には日本大使館がドイツ連邦軍による会議警備援助活動に関する情報を求めるなど、「国防」レベルでも活発な連絡が行なわれているようです。
http://blog.goo.ne.jp/watch-summit/e/e8c8b6b3db4c7512c7343859e6246b0d

ドイツの警察当局によれば「潜在的に暴力的な「妨害者」がドイツから日本のサミットに参加し得るという情報がある場合、個人情報を日本の当局に提供する」のだそうであります。それが警察および軍のターゲットであるようです。ところで「潜在的に暴力的な」というのは、少なくとも今までのところ実際にはちっとも「暴力的」でない人のことであって、「潜在的に暴力的」かどうかは「暴力的」が「顕在化」するまではわからないのですが、「暴力的」が「顕在化」すると困るので、結局全ての「妨害者」が対象になります。しかしながら誰が「妨害者」であって単に「反対」しているだけの人は誰なのか、全然わかりません。そこで「反対」する人は全て「潜在的に暴力的な「妨害者」」に当たることになります。とはいっても表立って「反対」していない人だって隠しているけど実は「反対」であって、隙あらば「暴力的」を実行しようとしているのかも知れません。

スポーツをやる人が4年に1回のオリンピックがないと張り合いが出ない、オリンピックをひとつの目処にして能力を高めるのと同様、主要国首脳会議は警察のオリンピックです。そういえばオリンピックも警備体制強化にはよい刺激となりますから、それを考えるとオリンピックの開催はG8以外の国に譲るのが宜しいかと思いますが。さて、現在の日本ではところ特にその手の会議などに「反対」でもなければ「賛成」でもない人が突然「暴力的」をおっ始めるという状況にあります。これは偶発的もしくは予想外の事態ではありません。これこそこの会議の結果であり同時に目標なのであって、逆にそのような事態に備えて毎年回り持ちで実地訓練をしているのです。いかにしてどれだけビンボー人が暴れるのを抑え込めるか。訓練もまた示威であり、会議はエサでもあります。折しも巧い具合に九州の方でイカニモな「予告」が出たところであります。北海道に応援に駆り出されていない人もサボっていてはイケナイというわけでしょう。国民との戦いに休みはありません。

ちなみに会議が開かれる地域の住民を説得するために「観光効果」などを持ち出すようですが、そもそもあのホテル自体が廃墟同然のお化け屋敷だったくらいですから、洞爺湖といってもどんなもんだか。会議が終わった後に残るのは街じゅうの監視カメラと盗聴器、「不審な人物や物を」密告する癖のついた住民が犬みたいに観光客をかぎ回るようなところに行くのは気が進みませんね。第一また噴火があっては大変だ。

こんなことを書くと洞爺湖温泉の人たちに怒られるかも知れませんので急いで捕捉しますと、有珠山はあと10〜20年くらいは大丈夫ぽいです。あそこは1910年、1944年、1977年、2000年に噴火してますから、間隔はそれぞれ34年、33年、23年であります。だんだん縮まっているような気もしますが大丈夫です。大丈夫でしょう。会議では「地球温暖化」について話し合うそうですが、だからといってあまり火山を悪者にすると怒るかも知れません。

asamikobayashi.jpg
どーもすいません
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2008年06月13日

誰でもいいからとにかく死刑

4月の労働力調査(速報)によれば、労働力人口は6704万人であって労働力人口比率は60.7%となっております。労働力人口の内就業者は6429万人で、就業率は58.2%です。男女別に見ると男性の就業者は3750万人で70.2%。女性は2679万人で47.0%です。

就業者のうち非正規雇用者、すなわち派遣社員、パート・アルバイト、契約社員、嘱託などの占める割合は男性で18.6%、女性では54.2%に達します。すなわち男性の非正規雇用者が698万人、女性が1452万人、合計で2150万人となります。これは就業者の3分の1です。働いている人の3人に1人が不安定な仕事に就いています。またこれは「労働力人口+非労働力人口」つまり15歳以上の国民11039万人の5人に1人にあたります。そこらを歩いている人たちに石を投げると5個に1個は非正規雇用者に当たります。ダガーナイフでも変わらないかも知れません。

もっともこれは15歳以上を対象とした数字です。バカで臭くて不潔なくせに援交をしている学生諸君も「非労働力人口」の中に入ってしまいます。仮に20歳以上で考えるとすると、就学を理由とした「非労働力人口」の割合が減少するはずですから、数値も異なってくるものと思われます。しかし一方で20歳未満の非正規雇用者、特に18歳未満のそれは、同年代の就業者の中でも多数にのぼるものと予想されますので、15歳以上20歳未満の人たちの状況はかなり微妙です。

雇用形態に従って所得の格差および将来の機会利得の見通しの格差が生じており、それはその人の意識に影響を及ぼすことを考えると、「成人」として選挙権等の公民としての権利が認められる20歳以上の人間と20歳未満の人間とを分けて考えることが大切になります。しかしながら政府の統計は国民を労働機械としか見ていない結果、20歳ポイントで切り分けた統計を取っていません。20歳といえば高校を卒業して2年後ではありますが大学(4年制)卒業にはまだ2年を残し、短大と専門学校のちょうど卒業年次にあたる、という極めて中と半端なポイントなのです。少なくとも統計のことを考える限りは成人年齢を18歳に引き下げたらスッキリするような気もします。

そこで「15歳以上」の数値が20歳以上にもほぼ、当てはまると仮定して考えると、5人に1人が非正規雇用者である、本当は4人に1人かもしれないけどとりあえず今は5人に1人ということで良いとします。これは20歳以上の国民からランダムに6人を選択すると、必ず1人が含まれることを意味します。何が「6人」かというとこれは来年から始まる裁判員の人数です。

裁判員の6人をランダムに選出すると、そのうちの4人が就業者であって、更にその中で1人が非正規雇用者、残りの2人が引退者及び専業主婦となります。しかしながら就業者の場合は何かと理由をつけて辞退したりなんかして裁判員を忌避する可能性が高い一方、不安定雇用者の場合はたまたまアブれてたりすること、しかもそこへ日当が出ることによって裁判員の参加への強い動機を持ちます。このことによって補正された平均的な裁判員は2人の非正規雇用者、2人の正規雇用者、2人の非労働力人口から構成されることになるでしょう。

勿論これは平均であって、あなたの裁判の時には裁判員のうち3人が派遣やバイト、ということになるかも知れません。それはもう時の運です。悪いけど。本当に気の毒だとは思うけど、4人が憎悪に満ちた非正規雇用者で後の2人が主婦であったりするのも、運です。なんとなればこの非正規雇用者たるや、「誰でもいいから死ねばいいのに」という極めて積極的な姿勢で裁判に臨みます。残りの裁判員は「何でもいいから早く終わればいいのに」という大変に協力的な姿勢をもっています。このような状態で「公正な裁判」が行なわれると考える人は、脳をサナダムシに喰われています。

「労働者派遣法」の「改正」と「裁判員制度」とは、隠れてセックスしているいとこ同士くらいの「深い仲」にあります。「恵まれない」国民の皆さんは、街中で刃物を振り回す代わりに、目の前にいる被告人に自分の意志で死の宣告を下す、つまりそこにいる人を自分で殺す機会を与えられます。これはかなり痛快なことだし、相手は悪いヤツなんだから、悪いヤツをやっつけるとみんなから褒めてもらえるし、もしかしたら冤罪かも知れませんが、それはそれで愉快なことです。理不尽な扱いを受けて来た人は他人を理不尽に扱うことに喜びを感じます。

あの加藤さんだって裁判員になっていたら、あんなことをしなくても済んだのかも知れません。てゆうかあの加藤さんのような人が裁判員をやるのです。それは娯楽としてのリンチ、処刑を見世物にする古来からの統治技術の復活です。誰でも抽選でやれます。今から楽しみですね。もっとも真面目に考えるとこれはとんでもない話しのようですが、真面目に考えているようではまだまだイジメられ方が足りないようです。
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2008年06月11日

ヤラれたらヤリかえせ、朝霞琉架に。

【秋葉原通り魔事件】アキバの25歳も不可解「なぜここまで悲観的に…」

 アキバ好きの一方、「勝ち組」に反感を持っていた加藤智大容疑者は、神戸連続児童殺傷事件の少年と同い年の「酒鬼薔薇(さかきばら)世代」に属する。秋葉原を歩く同じ25歳は事件をどう見ているのか。11日、アキバにいた男女に話を聞いた。
 「私達の世代は小さいころからテレビゲームで遊んでいた。だからコミュニケーション下手ではあるだろう」。フリーターの朝霞琉架(るか)さんは、自分たちの世代をそう話す。
 容疑者が書き込んだとみられる携帯サイトは孤独感に満ち、コミュニケーション下手だったようだ。「寂しかったんでしょうね。かわいそうだとは思うけど共感はできない」。サイトの書き込みを読んだ朝霞さんの感想だ。
 容疑者の“心の闇”を物語る書き込みに共感している人は、ほとんどいなかった。「なぜここまで悲観的になるのか、全然理解できない」。秋葉原で飲食店を経営する女性は首をかしげる。
 インターネットを身近に感じて育った世代だが、ネットの世界に救いを求めた容疑者と対照的にネットに冷静な声が相次いだ。「ネットの書き込みは、書けば書くほど視野が狭くなる」(女性)「ネットの掲示板は顔が見えないことをいいことに、ふざけて書き込みをする人もいるから信用しない」(男子大学生)。 
 容疑者は派遣社員である自分を「負け組」と呼び、「勝ち組」に敵意をむき出しにした。格差社会が背景にあるとも指摘されるが、同じ25歳は、この見方に懐疑的だ。
 「今は売り手市場だから選ばなければ職はある。容疑者は自尊心と現状のギャップに苦しんでいただけ」。朝霞さんは、マスコミや専門家が無理に社会性を持たせようとしているのでは、と疑問を投げかけた。
 容疑者はネットに毎日の不満を書き込んだ末に暴発した。秋葉原で働く美容師、藤野雄也さんは、自分たちを「身近な暴力が排除され始めた世代」という。
 「親や教師はいじめを恐れ、言い争いさえ許さなかった。僕らの世代は感情を押し込める傾向が強い。容疑者は不満をどうしたらいいのかわからず自暴自棄になったのではないか」
 一方で、容疑者の心理に理解を示す意見も。大学中退の経験がある女性会社員は「そのころはいい子でいることに疲れ、自暴自棄になっていた。容疑者の気持ちも分かる」と話した。

2008年6月11日 産経ニュース


「朝霞琉架さん(25歳フリーター)」に共感能力が極端に欠如していることを書き立てて何が面白いのか知りませんが、とりあえず他人の傷つけられた「自尊心」に共感出来ないようなことではモテませんよ。てゆうか派遣野郎なんか最初から相手にしないってか。まあそいういう人に限ってカラダ目当ての変態の金持ちにさんざん弄ばれて捨てられるのが落ちです。もっとも自分も「フリーター」なんだからそういう人に出会える可能性すら低いんですが。てゆうかこの「ヤナ女」は実在するのでしょうか。もし実在したらごめんなさいですから、お詫びにアナルセックスくらいしてあげますが、そんなことよりも産経さんはなぜここまで火消しに必死になるのか「全然理解できない」です。

火消しといえば火事だし、火事といえばたばこだし、たばこといえばフジタカさんですが、というようなかなり無理のある経路をたどって強引に持って回って来たのは、フジタカさんの機械についている監視カメラが気になって仕方がないからなんですが。

そーいえばいつの間にかなくなりましたが、うちの近所に監視カメラ付きのジュースの自販機が2台もありましたよ。サントリーの商品が入っているヤツで、カメラがどこにあるのかというと、普通ダミーが並んでいる窓の上の方には広告とか貼ってありますけど、そのスペースですね。だから自販機の扉の窓の中なんですが、黒い丸いカメラがついているのがあったんですが、いつの間にか消えましたねえ。売れなかったんだろうな。

日本における街頭監視カメラは山谷のマンモス交番の近くの電柱に取り付けられたのを嚆矢とするそうです。今は「山谷」という地名はありませんが、交番は「山谷地区交番」として当時の記憶を止めています。浅草警察署によると「地区交番」とは「事件・事故などが多く、処理が困難なため、通常の交番より規模を大きくした交番のこと」なんだそうで、警視庁管内には山谷にしかありません。というのも、ご存知の通りのあああいう場所で、要するにかつては「日雇い労務者」がいっぱいいて、ヤクザが「労働者派遣業」をやっていて、日当の半分くらい搾取していたりしてということで、昔はしょっちゅう暴動が起こっていたわけです。

「日雇い」に「暴動」はつきもので、そのきっかけというのがだいたいにおいて「巨人が負けた」とか、仕事がないとか、タコ部屋から逃げて来たヤツが捕まって丸裸にされたとか、闇印紙が高いとか、そういうことなわけですが、ああいうところにも労働組合なんてあったわけなんです。そこで「派遣業者」の人たちは半ば公然と組合の活動家を暴行したり殺害したりしていたわけですが、お巡りさんたちはそういう人たちを取り締まったりしませんので、交番の前に数千人の労働者があつまって暴れます。

闇印紙というのは、事業主が印紙を買うことによって労働保険料を納める制度があって、事業主はその印紙を労働者の日雇い手帳に貼ってあげるわけです。そうしておくとある条件を満たせば労働者はアブレ手当を受けることができます。ところが事業主はこの印紙を、買った価格よりも高い金額で「派遣業者」に売ってしまったりして、そうすると「派遣業者」はそれよりも遥かに高い価格で労働者に売るのです。労働者はこの印紙を自分で買う必要はないのですが、事業主が「派遣業者」に売ってしまうので、これをいくら高くても買い取らないと、仕事がない時に手当がもらえません。しかしこれに文句をつけると、闇印紙で手当を受けた労働者が詐欺罪で捕まったりするというわけです。

で、暴れたりなんかした場合、たいだいにおいてマンモス交番がその目標になるのですが、この様子は監視カメラで撮影されていて、その映像は後で組合の活動家を捕まえるのに使うというわけです。捕まるのはまだ良い方で、ヤクザに撃たれたりする人もいたようです。

今ではその辺りも爺さんが寝そべっていたりするだけですが、「労働者派遣業」と監視カメラは生まれ育った山谷をあとに、手に手を取って同時に日本中に拡大しました。口入れ屋と監視カメラは切っても切れない関係にあるようです。遅れていたのは「暴動」のほうで、いわば「暴動」の「原因」と「対策」が先行して、肝心の主役が舞台にのぼっていない状況です。てゆうか最近の「暴動」はせっかちで、いきなり一人で始めてしまいます。「暴動」は警察によってひとつひとつの細かい「犯罪」として処分されますが、今の「暴動」はいきなり「犯罪」の形態をとってしまうのです。

ところで山谷地区交番の近所には「口入稲荷神社」というのがあります。その名の通り口入れ屋=人材派遣業の神様で、この神社の由来は江戸時代、新吉原に高田屋という口入屋の庭にあったものが、安永年間に高田屋の主人の夢枕にお告げをして「吾を玉姫稲荷の境内に遷し祭れば、参詣する信徒の人々に今よりもなお一層のご利益を授け、諸願を叶えてつかわす」と言ったのでこの地に祀られたものだといいます。今では日本中が山谷になってしまい、人材派遣業はわが世の春を謳歌しているのですから、もっと大きなお社を建ててあげてしかるべきでしょう。この神社では焼き物の「口入狐」というのを売っていて、出世したり結婚したり出来る見込みのない派遣のみなさんは、夫婦狐を揃えて交番の壁にぶつけて叩き割るという江戸時代からの習俗があり、また民芸品としても親しまれています。
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2008年06月09日

記録されない殺人の予告

秋葉原の歩行者天国で7人殺した加藤さんの生い立ちについて、毎日新聞では「受験に失敗したエリート」みたいなこと書いてますな。受験業者によると「子どもに勉強させた方が、犯罪者の比率が低い、確率が高いですよ」だそうですが、ただしそれは途中で振り落とされなかった場合に限ります。残念ながら落とされる確率も高いんですよ。加藤さんの場合は浪人が出来なかった「家庭の事情」というものもあるんじゃないかとも思いますが。

<秋葉原通り魔>「作業服ない」騒ぐ…加藤容疑者 

 東京・秋葉原で8日起きた通り魔事件で逮捕された加藤容疑者は青森県出身で、東京都内の人材派遣会社に登録し、自動車組み立て・生産大手の関東自動車工業の東富士工場(静岡県裾野市)で働いていた。

 同工場の橋本直之・庶務広報室長(54)や人材派遣会社によると、加藤容疑者は昨年11月11日に派遣会社の面接で採用が決まり、同月14日から工場で働いていた。情報誌などの折り込み広告を見て応募。面接の際は「以前も派遣社員として自動車工場で組み立てをやったことがある」と話したという。

 工場での担当は塗装ライン。月曜から金曜の週5日勤務で1週間交代で日勤と夜勤についていたが、勤務態度はまじめで、公休以外は休まなかった。時給1300円で月約20万円の収入があった。契約期間は今年3月31日までだったが、1年間更新されていた。

 派遣社員を6月末で200人から50人に減らす計画があったが、加藤容疑者は、自分が対象ではないことを派遣会社から知らされていたという。

 一方で、加藤容疑者は5日の始業直前の午前6時ごろ「自分のつなぎ(作業着)がない」と大声を出して騒いだため、同僚がリーダーに報告。リーダーが駆けつけたときには、姿を消していた。

 この日、加藤容疑者が「犯行予告」をした携帯電話サイトの別の掲示板に「作業場行ったらツナギが無かった 辞めろってか」(午前6時17分)▽「やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな」(午前7時44分)とあり、午後零時5分には「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」との記述もあった。つなぎのくだりは、加藤容疑者が騒いだ時間と近接しており、加藤容疑者が「解雇された」と誤解して書き込んだ可能性もある。

 加藤容疑者の裾野市富沢の自宅は人材派遣会社借り上げの4階建てワンルームマンション。3階に1人暮らしをしていた。管理会社によると、04年12月から派遣会社が32部屋のうち5部屋を借り上げている。入れ替わりが激しく、加藤容疑者の居住は把握していなかった。

 住民によると、加藤容疑者は半年から1年ほど前から住んでおり、時折、ジーンズにシャツの軽装で午後11時ごろに帰宅する姿が目撃されていた。ただ、約1カ月前から本人と乗っていた青森ナンバーの軽自動車が見られなくなった。住民の付き合いはなく、トラブルもなかったという。

 青森市にある2階建ての実家はひっそり。加藤容疑者の弟と中学時代の同級生だったという男性(22)は「(弟は兄のことを)『引きこもりじゃないけど、ちょっとオタクっぽいところがある』と言っていた」と評した。

 加藤容疑者は、市立佃中から県内屈指の進学校の県立青森高校に進学した。知人の娘が加藤容疑者と中学、高校で一緒だった青森市議によると、実家周辺はJR社員やサラリーマンなど転勤族や公務員家庭が多いという。「エリート校の佃中から青森高。まさにエリートだ」と話した。近所の女性も「小学生の時はあいさつをしてくれた。おとなしくて成績がいいというイメージがある」と話した。

 ◇受験失敗し専門学校に進学

 しかし、高校関係者などによると、加藤容疑者は理工系大学進学を目指したが失敗し、岐阜県内の自動車専門学校に進学したという。

 小学校の卒業アルバムによると、加藤容疑者は陸上部や将棋クラブに所属。自分の性格を「短気、ごうじょう」と記載していた。クラスで得意なものがある人を紹介するコーナーでは「多く本を読む」「足が速い」の欄でトップだった。【鈴木久美、山田毅、村上尊一】

2008年6月9日 毎日


「誤解」ですか。鈴木と山田と村上、君たちもうちょっとよく考えなさい。要するに世の中にはそういう「解雇」のやり方ってのがあるんですよ。まあ、正確に言うと理由の不明な即時解雇であって解雇を通告しなければならない人がタイミングを逸した場合、事務方としては作業服の回収などを含む手続に入っちゃってますから、翌日当人が出勤してくると服がない、ということになるんでしょうけど。加藤さんは以前そういう経験があるか、そういう目に遭った人を見ていたんじゃないですか。

鈴木や山田や村上には「そんなバカなことが」としか思えないかも知れませんが、派遣だの臨時だのバイトだのという人たちの身分というのはそんなもんです。一寸先は闇、クビになったら住むところもなくなります。派遣会社が借り上げていた部屋だって「入れ替わりが激しく」てマンションの管理会社も「加藤容疑者の居住は把握していなかった」というくらいなもので。

現にこの現場では150人の大量解雇が予定されていたわけですが、そういう時期にはこういう人たちはナーヴァスになります。作業服がなかったりしたらもう大変ですよ。関東自動車工業は不注意ですね。てゆうかどうして作業服がなかったんでしょうかね。気になりますよね。気になりませんか。そうですか。

こういう「通り魔」ってのは1970年代の後半あたりからほぼコンスタントに発生するようになっていますけど、加藤さんの場合は犠牲者が7人でした。あの宅間さんが8人でしたか。子どもだから4人分、とか言わないように。自動車を利用したとはいえかなり多数の犠牲であって、これは類似の犯罪において凶器がただの台所用品だったりするのに比べて加藤さんがダガーナイフ(おっかねえ)を使用した点にあるのではないかという気もします。町村さんもそんな気がしたようです。

政府、ナイフ規制を検討 首相、社会的背景調査を指示 

 町村官房長官は9日、東京・秋葉原の無差別殺傷事件の犯行に殺傷力が高いナイフが使われたことを受け、銃刀法の規制強化の在り方を検討する必要があるとの認識を示した。福田首相は泉信也国家公安委員長と会い「社会的背景を含めて、しっかり調べ、対応してほしい」と指示した。この後政府与党連絡会議で首相は「背景の究明が大事」と強調。公明党の太田代表は「国民に不安が広がらないように」と求めた。

2008年6月9日 共同


まあ、何もサバイバルナイフだのダガーナイフだのなんて贅沢をいわなくても、やる人は包丁でも鉈でも鉞でも斧でも肥後守でもボンナイフでも持ってきちゃうでしょうし、金属バットを振り回しながら人ごみを駆け抜けるのもアリだし、硫酸水鉄砲とか、群衆の頭上からポリタンク1杯のガソリンをぶちまけて火を放つんだとか、いろいろありますから、町村さんの思いつきは例によって例の如しとしか言いようがありません。

福田さんも「社会的背景の調査」なんてことを言ってますが、どんな「背景」を「調査」するのやら。だって最初から「犯罪」が沢山起こる、起こらざるを得ない、そんな社会に「改革」するつもりで、「犯罪」には「監視」と「厳罰化」と「裁判員」でもって対処するということで着々と「準備」を進めているところではありませんか。

自動車で突っ込んでから刃物を振り回す、というのは1999年に下関駅で5人死亡した事件がありました。実際のところ刃物なんて何でも、もしかしたら刃物なしでも、自動車だけでもかなりの被害が出ていたかも知れません。そのように考えた人も多く、2004年の茨木市では全裸の男が乗用車で5人をはねて2人死亡、2005年には仙台の商店街でトラックで7人をはね、3人が死亡しています。

実のところこれらの事件の犯人は精神異常が疑われているところであり、ちょっとキチガイには見えない加藤さんは真似っこじゃないかという人もいます。こういう「模倣犯」というのは報道から犯罪の手口を学んでるんだから、手口を報道しない方がいいのではないかというわけです。なるほど、危険な刃物を持たせないようにし、手口を学ばせないようにする。誰に?って、犯人にですよ。俺は犯人じゃないって?まあね、そうかも知れませんけど、その考えは甘い。

「刑事犯」というものは概ね、ある程度「恵まれない」「不遇な」境遇にある人がやるものです。中にはそうでもない人もいますが、圧倒的多数がそういう人たちです。ところで社会の仕組みの然らしむるところ、「国民」の大多数は多かれ少なかれ「不遇」だったり「恵まれ」なかったり、不満と不安の中で生活をしていなければならないことになっています。だからこそ「防犯」の対象は常に一般の国民でありまして、法律でもって一般的にある種の物品の所持を制限したり、一般的にある種の情報から遠ざけたりすることになります。

ということで一般の国民は、自分ではその自覚はないかも知れませんがあらかじめ「犯罪者」として名指されているのです。たまたま「まだ」法に触れるようなことはしていないかも知れませんが、それはあくまで「未だやってない」ということでしかありません。あなたはいつ「犯罪」に走るかわかったものではない危険人物です。「国民」というのは結局、お互いに一面識もない巨大な犯罪者の群れに他なりません。「防犯」というのはこの恐るべき「犯罪者集団」から「犯罪」の手段と機会を取り上げることを目標としています。

残念なことに日本人の多くがこのような「国民=犯罪者」としての自覚が足りないようです。しかしながら別の方面から見ると、実際に「犯罪者」となった人たちというのは「国民の代表」と言っても良いようなものです。まあ大多数はきわめて利己的、というか起死回生を図るビンボー人が無駄にあがいた挙げ句まわりの人に多大な迷惑をかけるだけ、というものでしかありません。加藤さんに至っては起死回生を図るなどという考えもなく、ただ闇雲にそこらを歩いてた人に酷い迷惑をかけただけのことです。しかしだからといって他にどうしろというのか。
posted by 珍風 at 21:58| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

姥捨て山の758段の石段を駆けのぼれ

世帯は一家、親類は兄弟

医師を中心とした禁煙キャンペーンのあり方
喫煙は医療費をふやします…

広島市安佐市民病院 名誉院長 岩森  茂

 これは河北新報 '00年2月13日に載った記事である。東北大公衆衛生学辻一郎助教授らの研究グループが宮城県大崎地方で実施した大規模調査から導かれた結果を主題とした、生活習慣のあり方が医療費に大きく影響することを本格的に調べた報告は殆どないので、この報告は貴重なデーターであると私は捉えている。さて、辻助教授らはH6年10月〜12月大崎地方1市13町の国民健康保険加入者(40〜79才)約55,000人を対象に生活習慣をアンケートで調べ有効回答を得たとのこと。その内容は病気の既往歴、家族・本人の健康状態、運動習慣、33種の食材の摂取頻度、喫煙、飲酒の有無、健診受診歴、心身活動能力レベルなど約150項目からなり、回答者についてH7年1月から医療費を23ケ月間迄跡調査している。
 その結果喫煙者1人あたり平均医療費(23ケ月合計)52万2千円で非喫煙者49万2千円より3万円(6.1%)高く、1日当たりの喫煙本数が多い程医療費は増加した。序で乍ら肥満者は適正体重の人に比べ2万7千円多かったという。身体運動でも歩行時間の多い程医療費は下がる傾向と示した。喫煙と肥満、運動不足と医療費を関連させてみると、毎日1時間以上歩行、適正体重レベルの非喫煙者は医療費が44万3千円で、逆に肥満者で運動不足気味の喫煙者は59万7千円と医療費は34.5%も増加していることが判った。研究グループは高齢者になって健康で長生きする生活のあり方を見つけるための継続調査を行っているとのことである。介護保険のあり方及び今後はどうなるかについて大いに論議されている昨今、やはり肥満、運動不足、喫煙などの生活悪習慣是正には厚生省を始め行政が速かに実施すべき、重要な課題になっているが、本年発表された「健康日本21」に描かれたビジョンが如何なる形で末端に徹底して行くのかそのシステムが確立されるのかを一日千秋の思いで待つ者の1人である。

http://www.hiroshima.med.or.jp/kenkojoho/smoking/335.htm


そういう事ですから医療費の増加、特に公的医療保険における支出の増加をもたらす喫煙について、「非喫煙者は余計な負担を強いられている」というようなことを言いだす人も出てくるわけです。そこで例えば喫煙者の保険料を上げるとか、喫煙者から被保険者資格を剥奪するとか、喫煙者の医療費の自己負担割合を増やすとか、様々なグッドなアイデアが出てくるでしょう。

喫煙者などのハイ・リスク集団を何らかの方法で排除することによって医療費支出を抑制する事が出来るわけですが、実際にはまず「高齢者」というハイ・リスク集団の排除が先行したことはご存知の通りです。「姥捨て山だ」とか怒る人もいるようですが、要は早いか遅いかという違いでしかありません。疾病リスクの高さが喫煙などの習慣によるのもであれ、年齢によるものであれ、先天的な体質によるものであれ、「健康日本」に相応しくないことに変わりはないのです。問題はリスクの評価の確定であって、その点で喫煙者よりも高齢者の方がより明確にハイ・リスク集団として明確だったというわけです。

今後とも医学者の献身的な研究の進展によって様々なハイ・リスク集団が特定され、排除されていくでしょう。高齢者の次がおそらく「肥満者」であることははっきりしています。喫煙者はその次くらいではないかと思われます。下手をすると「痩せ過ぎ」の人もその次くらいにはアブナイかも知れませんが、運動の嫌いな人、というか効率的に運動の出来ない人、つまり「運動神経の鈍い」人も可能性があります。この辺からだんだんと「遺伝子」レベルの話しになってきますが、そのようなある種の能力の有無から糖尿病や循環器疾病、癌などの疾病にかかり易い遺伝形質、すぐ風邪をひく人、自殺し易い人、しかも失敗しそうな人、母親を背負って階段をのぼるなどという大怪我をするようなハメに陥りがちな行動に走り易い傾向を持つ人など、いろいろなハイ・リスク集団が定義され、「発見」され、排除されていくでしょう。

その結果公的保険加入者の疾病リスクはほとんどゼロに近くなるわけですから、これは医療費支出が極端に減少するわけで、まことに結構な限りですが、ここでロー・リスク者は病気にかかりにくい事が「科学的に」証明されたようなもんなんですから、もう保険に加入する必要がないことがはっきりしたわけです。保険料などを払う事は全く無駄な事なのですから抜けてしまいましょう。というわけで保険制度はここに目出たくギョメイギョジということになります。

若い人には「ギョメイギョジ」って何の事だかわからないかも知れませんが、「御名御璽」てのは天皇の署名と印鑑のことで、法令なんかの最後のところに天皇の署名とハンコがいるんで、そのことです。昔は学校で「教育勅語」を読んで聞かせていたもんですが、その最後のサインとハンコのところを「ギョメイギョジ」と発声したわけです。あんなもの聞いている方はチンプンカンプンだったわけですが、「ギョメイギョジ」が聞こえると「これでもうおしまいだよ」ということがわかって、餓鬼どもはみんな喜んだというわけです。それで年寄りは「おしまい」という意味で「ギョメイギョジ」と言うことがあります。全く不敬極まることであります。そんな連中は「後期高齢者医療制度」で殺してしまいましょう。

さて、そうはいっても医療保険制度がまったくないというわけにもいかないので、ハイ・リスクの人たちだけ集めて保険制度を構築することになります。ロー・リスクの人はいくら心配でも入れてあげないのですが、考えてみればそういう人も加入してもらうとリスクが分散して何かと好都合なので入れてあげましょう。そんなことを言ってたら元に戻っちゃった。ダメだなあ、もう一回やり直し。
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2008年06月07日

笑顔の政府

「タスポ」もそうですが、ここ2〜3年の間にこちとらには何の相談もなく色々なことが決まっていまして、「後期高齢者医療制度」なんかもそのひとつであります。どちらも今年になっていざ実際に施行という段階になって問題が噴出しているところも共通しております。もっとも「後期高齢者医療制度」などは制度そのものが自民党お得意の強行採決で成立させちゃったもんですから、問題のある制度であることが法案提出側からも認識されていたことは成立過程からして明白でありますから、そりゃもう笑っちゃうしかないでしょう。

テレ朝古舘コメントで自民党取材締め出し

 自民党は6日までに、テレビ朝日系「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターが後期高齢者医療制度に絡み「国民に誤解を与える発言をした」として、同局側に抗議するとともに、党役員会などの撮影の無期限禁止を通知した。
 さらに、自民党山崎正昭参院幹事長はこの日、古舘キャスターの発言を理由に定例の記者会見を欠席、鈴木政二参院国対委員長だけが対応した。山崎氏はテレ朝への撮影禁止だけでなく、記者クラブでのテレ朝の会見取材を禁止したい考えを伝えた。クラブ側は「会見は記者クラブの主催であり、応じられない」などと説明したが、山崎氏は欠席。テレ朝は鈴木氏の会見を取材した。
 自民党によると、同番組は3日の党役員連絡会前に出席者が談笑する映像を使用し、古舘キャスターが「よく笑っていられますね。偉い政治家の人たちは」とコメントした。
 細田博之幹事長代理は「後期高齢者医療制度で国民に過重な負担を強いているにもかかわらず、あたかも自民党役員が笑っているとの誤解を与えた」と批判。古舘キャスターはこの日の放送で、自民党の対応に直接的な表現は避けたが「孫や次の世代のことを、見ていない感じがする」と語った。テレビ朝日広報部は「通知を受けたことは事実だが、対応についてはまだ協議中」とした。

2008年6月7日 日刊スポーツ


テレビ朝日以外は自民党から取材拒否をされていないようですが、恥ずかしくないのでしょうか。「後期高齢者医療制度で国民に過重な負担を強いているにもかかわらず、あたかも自民党役員が笑っている」という「事実」を報道したのはテレ朝だけなのでしょうか。実際笑っているではないですか。言われたくなければ人前で談笑などしなければよいのであって、これは文句をつける方がおかしい。しかしこのままではまるで他の報道各社が政府の犬みたいではないですか。みっともないったらありゃしない。

自民党から取材を拒否されていないマスゴミは政府の広報機関として目くそ鼻くその五十歩百歩でどいつもこいつも信用出来ません。もっともテレ朝だってたいしてアテになるというわけではないのですが、それ以下なんですから世の中に存在するだけ害になります。そこで各社も競って自民党から「会見取材を禁止」してもらわなければなりません。自民党が報道してほしくないようなことを放送すればオッケーです。もし自民党がやってくれなければ、かまわないから記者クラブが記者会見をしないことにすればよいのです。そもそも政府与党の記者会見など特にお願いしてやってもらう必要などありません。他の党の記者会見をやればいいのです。与党の方針については野党から説明してもらえると思いますので、それで十分ではないでしょうか。

一部の(テレ朝以外の)報道によれば現内閣の人々は昨日も馬鹿笑いをしていたとのことですが、こういう時にちゃんとしたコメントをつけないとテレ朝に遅れを取ります。なんでも「かりゆし」を着たくらいで笑ってしまったようで、来週は問責決議案だというのに陽気のせいかまるで女学生のように頭のねじがユルユルで佐賀のばあちゃんのようにがばがばです。「箸が転んでもオカシイ」年頃なのでしょうか、もっとも橋下が転べばオカシイですが、こうなると週明けにまたスーツにネクタイで出てくるとまた笑っちゃうんでしょう。てゆうか「沖縄の皆さんに『沖縄のこともちゃんと考えている』と受け止めていただいたらうれしい」という町村さんのコメントの方がよっぽど失笑ものであります。沖縄のことを考えてよく笑っていられますね。

こんなタイミングで「居酒屋タクシー」なんていう「話題」を提供して頂いているのもまた一興というものですが、「後期高齢者医療制度」も気をつけないと最初からズタボロの制度をちょっとだけ改善して「事足れり」というところに落ちてしまいそうですから要注意です。しかしこの分では来年は「裁判員制度」でシャレにならない問題があいついで明らかになりそうなのですが、あれはさすがに事が事だけに笑って済ませるというわけにはいかないようですが、結局「一審はなかったことに」なんてことになったら連中は笑う。僕も笑う。もっとも被告人や被害者なんて人たちにとっちゃ笑い事じゃありませんが。とりあえずいつの事になるかわかりませんが、次の総選挙ではポスターの写真で「笑顔」は止めといた方がいいかもしれませんよ。だいたい「笑顔」がキタナイからあんなこと言われるんです。人徳というものです。
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2008年06月06日

ちょっとお嬢さん花の顔よく見せな

兵庫経済:たばこ自販機、顔認証型も登場 「タスポ」低迷の中 /兵庫

 たばこを購入する際、成人識別ICカード「taspo(タスポ)」が必要となる自動販売機が、1日から県内でも稼働を始めた。タスポの所有者が喫煙者の2割弱と普及が進まない一方、タスポなしでも、顔認証で購入できる自販機も県内に登場した。
 自販機製造メーカー、フジタカ(京都府長岡京市)が開発した。利用者がミラーを見つめることで成人かを識別し、20歳前後と判断した場合は運転免許証を挿入するように求め、成人かどうか確認する。
 同社によると、県内では神戸、西宮、姫路各市などで154台(3日現在)が既に導入された。神戸市兵庫区荒田町1のたばこ店でも、客の利便性を図ろうと、同社の自販機1台も新たに設置した。経営者の西村秀子さん(67)は「タスポの自販機の売り上げは、これまでの1割まで落ちた。タスポの発行がもっと簡単ならこんなこともないのに」と話し、今後、対面による陳列販売も検討しているという。
 日本たばこ協会によると、県内のタスポ発行数は21万2028枚(5月27日現在)で、推定喫煙者数に対する保有率は18・7%にとどまっている。フジタカは「顔認証機能付きの自販機の普及に努め、消費者への認知を拡大していきたい」としている。【森本宗明】

2008年6月6日 毎日新聞 地方版


佐賀県の上峰町にも「タスポ付き自販機」がありましたね。しかしこちらはカードをぶっとい鎖で繋いだ人間不信に満ちたものでありました。やはり警察官から警察手帳を奪うような人たちのいるところとは県民性が違うのでしょうか。

ここの場合はカードを撤去後、ブザーを取り付けて、客の求めに応じ、客が成人であることを確認の上、「タスポ」を貸してあげることにしました。注目したいのは、この方式について日本たばこ協会が「問題なし」としていた点です。

これまではこのような行為について日本たばこ産業はこれを認めていたのですが、日本たばこ協会としては「代理購入」ならともかく客に「臨時貸与」することについては認めていなかったのです。しかし「未成年者の喫煙防止」の本旨からいえば、相手が成人であることを確認出来れば「貸与」には何の問題もありません。にもかかわらず日本たばこ協会はあくまで各カード取得者のみの利用にこだわっていました。「タスポ」の目的が「未成年者の喫煙防止」に留まるものではないとされる所以であります。

しかしながら今回、「タスポ」がカード取得者以外のたばこ購入にも利用されることを認めざるを得なかった背景には、導入地域におけるたばこ自販機の売上げ低迷があります。たしかに「タスポ」が普及すれば自販機の売上げは回復するかも知れませんが、一方では自販機がなくなって行けば「タスポ」の存在する意味がなくなっていくわけです。そして現状では自販機を運用するたばこ販売店の売上げの落ち込みは「タスポ」の普及を待ってはいられない状況にあるのです。

したがって日本たばこ協会としても当面「タスポ」の前提であるたばこ自販機の存在を守ることが優先されるのは当然でしょう。しかしながら「貸与」を認めたことによって、カードとその取得者の同一性は崩壊してしまいます。勿論、相手が未成年者である場合には「貸与」しないことは、対面販売において未成年者に販売しないのと同じことですから、「未成年者の喫煙防止」という「目的」を果たす分には何の問題もありません。が、そのことによって「タスポ」は「未成年者の喫煙防止」の役にしか立たないものになってしまったのです。

そこで注目されるのがフジタカの顔認証システムです。僕は「ウルトラベンダー」の発表以来同社の動向に注目していたものですが、「こどもチェックシステム」では、なんでも顔を見て年齢を判断するというのです。そしてその「顔」は機械に記憶され、次に買う時に便利なんだそうです。

そればかりではなく、フジタカでは自販機のてっぺんに回転する監視カメラ「見てますよ看板」を付けることを考案しています。そこでカメラの性能が十分であり、自販機の台数が多ければ、街頭はくまなく監視することが出来ます。「タスポ」の敗退後にフジタカが自販機市場を席巻するかも知れませんし、選挙対策に過ぎないとはいえ「1箱1000円」にでもなったら盗難防止の名目で監視カメラを装備した自販機が増えることも予想されます。

ここでたばこ購入者の顔認識情報を機械が記憶していること、そして監視カメラ付き自販機が相互に通信を行なうことが可能であることを考えると、大変便利な監視システムになるでしょう。これは「タスポ」によるたばこ購入情報の蓄積なんざほんの笑い事でしかないような事態です。たばこ購入時に記憶された顔認識情報を元に、自販機のある限り個人を追跡することが可能ですし、自販機のない場所を通過しても、再び自販機に捕捉されるならばその間のルートも推測することが出来るでしょう。

もっともこれは、たばこ購入者に限ったことではありません。自販機の前を通過するだけで顔認識情報は取れますし、追跡すべき「顔」も別段自販機が自分で都合しなければならないと限ったものではありません。誰かが「こいつを追ってくれ」と言って1枚の写真を読ませればそれでいいはずです。

「こどもチャックシステム」のカメラは一般的な成人の頭の高さよりもやや下から見上げてきます。一方で「見てますよ看板」はやや上から見下ろしますが、いずれにしても商店街の電信柱の上にあるようなカメラと比べて、自販機のそれは人間の目線に近いものですから、より精度の高い顔情報が得られると思われます。おちおちそこら辺を歩くのも要注意です。

こんな話しをしても、職場の若い奴らってほとんどたばこを吸わないので興味がないようで。実際、僕が20代の頃は若い人(20代)の喫煙率は男性で約7割、女性では17%程度だったわけで、あわせて45%くらいだったのですが、最近では男性で約5割に落ち込み、女性も一時増加したものの最近では減少傾向にあって2割くらいですから総数では36%くらいになっています。若い人の喫煙率は3分の1強程度なのです。全体に喫煙者は減少を続けているのであり、20代の喫煙者も減少し続けていることを考えると、未成年者の喫煙も減少しているものと思われます。

ちなみに今の30代が20代の頃の喫煙率が44%くらいでした。その連中が今では38%ですから、14%くらいの人がたばこを吸うことを辞めております。この傾向が続くとすると、今の20代の連中が30代になる頃には、その連中の間では喫煙率は31%程度になるものと予想され、これは3分の1を切る数字です。このような喫煙率の下降はほぼ全世界的なものであり、「喫煙対策」というのは必ずしも急いで問題にしなくてもよいようなものなのです。ましてやプライバシーと引き換えにしてまで解決しなければならないような問題ではないことは言うまでもないでしょう。現在ともすればあたかも「非常時」のような騒ぎ方をして相当に問題のあるやり方も黙って見過ごしてしまったりもするようですが、後になってから「あの時は操られていた」とか「抵抗出来なかった」とか言うんですよね。
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2008年06月05日

未成年者をたばこから守りもっと自然に触れさせよう

合言葉は「たばこ1箱1000円」…超党派で議連発足

 自民、民主両党など超党派の国会議員が近く、たばこ税の引き上げを目指した議員連盟を発足させる。自民党の中川秀直・元幹事長らが呼びかけている。

 議連は「たばこ1箱1000円」をキャッチフレーズに活動を始める予定だ。
 中川氏自身はヘビースモーカーだが、たばこ税増税を消費税増税の回避策として考えている。中川氏は福田首相にもたばこ税の増税を進言し、首相も前向きな考えを示しているという。議連とは別に、今月11日には、自民党の尾辻参院議員会長らが呼び掛け人となり、たばこ税に関する勉強会も発足する予定だ。

2008年6月5日 読売新聞


いくら「ヘビースモーカー」でも中川さんのような「富裕層」には痛くも痒くもない、てゆうか中川さんはもっと高価な嗜好品を好まれるとかいう話しもありますが。とにかく選挙前に自民党の支持率を上昇させるための「消費税の回避策」なんだそうですが、たしかにたばこ税の増税はより抵抗が少ないものと予想されますが、要するに対象者が少なくなるだけで、ビンボー人には重い負担となることは消費税と変わりありません。

企業に税負担を求めることの不可能な現与党や民主党では「財政再建」などとても無理な相談ですから、早いとこ諦めるのが得策でしょう。それにしてもたばこ税の大幅な増税は、増税分が税収の純増となるわけでもないので、よく考える必要があります。

ひとつには葉タバコ農家への対策です。現状では生産された葉タバコは日本たばこ産業が全量を買い取らなければならないことになっているわけで、逆に生産量はたばこ消費量の見積もりに従って決められています。仮に増税によってたばこの消費量が減少するとなると、葉タバコ農家の転作を進める政策の実施を必要とします。この点きちんとやらないと葉タバコが流出します。また、葉タバコの買い取り価格が上昇する可能性もあります。これはたばこ生産コストの上昇を意味しますので、1箱1000円になったからといって値上げ分が全て税金の増収分とはならないかも知れません。

また、たばこの大幅な値上げは各種の犯罪を誘発しますので、これへの対策も必要です。一方でたばこ離れは大麻やドラッグ、その他中川さんのお好きな方面への嗜好の変化を進めることがあります。その一方で例えば店頭での万引きから自販機破壊、トラック襲撃に至るたばこの盗難、これを法定価格よりも安価に販売すること、あるいはたばこの密造や偽造も発生します。問題はたばこが現在のところ半数以上の国民にとって基本的な消費材であるということで、このような商品の大幅な値上げは、一般国民の違法行為のハードルを下げます。法的な強制によって習慣を変えさせることは困難でしょう。したがって違法なたばこの流通が予想外に大きな規模で行なわれる可能性があります。そうした場合税収が目減りするとともに取り締まりのためのコストが余計にかかるだけでなく、暴力団などにはまたとないビジネスチャンスであると同時に、組同士の抗争の激化をももたらしますし、海外で密造・偽造されたたばこが密輸される場合には治安問題も誘発します。

もしかするとこの話し、むしろそういう関係方面からは歓迎されそうです。中川さんは別として、覚醒剤なんかはやっぱりそんなに売れません。たばこはその害が過剰に誇張して宣伝されているところは覚醒剤や麻薬類、大麻などと同じですが、多くの人がそれを実際に使用して特に何の問題もないことを実感している商品でありますから、売り易さは白い粉なんかの比じゃありません。そういう関係団体がこれを商売にするための条件のひとつが、多くの消費者が多少質が落ちても安いものを選択する程度に値段を上げることだったりします。

しかしそんなアヤシゲなたばこを吸うのも考えものであります。何が入っているかわかったもんじゃありません。セロリが入っていたら困りますし、ヤクザや東アジアあたりのどっかのあまり民主的とは言い難い国の資金源になるのもイヤな感じがします。むしろこれを機に身近な農業体験として麻などを栽培してみるのも未来を担う子ども達の健全育成の見地からおおいに推奨されているところでありますから、国民一人一人が自分の問題として真剣に考えてみる必要がありそうです。
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2008年06月04日

広川町民に敬礼!

自販機にタスポつり下げ、売り上げ増狙い…警察指導で撤去

 福岡県広川町でコンビニエンスストアを経営する業者が、たばこを自動販売機で購入する際に成人認証を行うICカード「タスポ」を自販機に備え付け、自由にたばこが買えるようにしていたことが分かった。
 業者は警察から指導を受け、3日にカードを撤去した。
 福岡県では5月からタスポが導入された。業者は5月中旬、コンビニ店から約400メートル離れた国道3号沿いの自販機1台に家族名義のカードを取り付け、約2週間つり下げた。「カードを下げた自販機がある」との情報が寄せられた同署は5月27日に、業者を注意していた。
 業者は「自販機の売り上げが8割落ち、売り上げを増やしたかった面はある。利用者にカードを申し込んでもらっても届くまで約2週間かかり、お客さんに申し訳ないので、5月中はカードを添えることにした」と話している。
 タスポを発行する日本たばこ協会はカードの譲渡と貸与を禁じており、「未成年者の喫煙防止の趣旨を理解しておらず、制度の信頼を損なう行為」としている。
 同協会によると、福島県でも同様のケースが2件あったが、指摘を受けて撤去済みという。
 自販機には「未成年の方はご使用になれません」と書いた紙が張ってあったため、八女署では、未成年者喫煙禁止法違反などには問えないと判断した。

2008年6月4日 読売新聞


「未成年者喫煙禁止法違反などには問えない」のだとすれば「警察の指導」はどのような根拠によるものなのか、ちっともわかりません。カードの譲渡・貸与の禁止は「日本たばこ協会」とカード利用者との間の私的な契約であって、警察の介入する余地はないものと思われます。なるほど日本たばこ協会はたばこメーカー三社によって構成される最大かつ独占的な力を持った組織ではありますが、役所でもなんでもなく、単に民間の一法人にすぎません。

たばこ自販機に「タスポ」をぶら下げておく。これは誰でも思いつくことでしょう。なにしろこのシステムではタバコを買えるのは「成人」ではなくて「タスポ」を持ってきた人なのであり、更には「タスポ」さえ所持していれば猿でも象でもいいわけです。大型犬でも可能だと思われます。したがってそこに「タスポ」さえあれば誰でも購入が可能であるということになります。

カードというものは取得者の身体と切り離されていることから「盗難」によって不正に行使されることがあるのはクレジットカードにおいて頻繁に発生しているので知らない人はいないでしょう。また、「タスポ」の機能がたばこの購入資格の認定に限定されていることから「貸与」や「譲渡」によって取得者は自動販売機を利用出来なくなるという以上のリスクを負いませんから、未成年者の手に「タスポ」が渡ることによって「制度」が崩壊する可能性は当初から指摘されていたことです。この事例では不特定多数を対象にはしていますが、「貸与」の一形式だと考えられます。ですから今更「制度の信頼を損なう」と言われても、ねえ。

そういえば2日には同じ福岡県の福岡市で自分の息子に「タスポ」を「貸与」していた母親に対して「未成年者喫煙禁止法違反容疑」で書類送検という見せしめ的な重い処分が下されました。「タスポ」導入当初はこのようなことが続くと思われますので、くれぐれも「貸与」などはしないように。この例では少年の所持品の中に「タスポ」があったのが運の尽きだったようです。「タスポ」はタバコを買う時には必要ですが、普段から持っている必要はないはずです。

ところで自販機に「タスポ」をぶら下げとく時に気になる問題は「ぶら下げておいたタスポが盗まれるのではないか」という点なのですが、この例では実に2週間にわたって、カードが盗まれることもなく、地域の人々のために役立っていたようです。僕としては自分個人の小さな利益よりも、会ったこともないような多くの人々の利便性を選択した福岡県八女郡広川町の人々に敬意を払いたいと思います。今回は「情報提供者」が出現しましたが、仮にそうでなければこの「タスポ」は皆さんの善意の証しとしていつまでもぶら下がっていたことでしょう。

ところで日本たばこ協会としては「タスポ」の「貸与」は禁止していますが、「タスポ」取得者による「代理購入」は禁止してはいないようです。例えば、たばこ屋さんの自販機の前で「タスポ」を持ってない人がウロウロしていたら、たばこ屋さんは「タスポ」の申し込みを推奨すると共に当座の対応として自分の「タスポ」を使ってその人の代わりにたばこを購入することが出来ます。これは飲食店などに設置してある自販機でも同様で、飲食店の店員が自分の「タスポ」を使って客の代わりにたばこを買って良いのです。

これは実際問題として「貸与」に限りなく近い、というかなじみの店でマスターの「タスポ」を「ちょっと借りる」ような形になると思いますが、これはもちろん相手が成人であることを「視認」出来るのですから「未成年者の喫煙防止の趣旨」としては全く問題ありません。しかしそうであるならば成人間の「タスポ」の「貸与」や「譲渡」も「未成年者の喫煙防止の趣旨」からみて特に問題があるとは考えられません。日本たばこ協会が対未成年者に限らず一般的に「タスポ」の「貸与」や「譲渡」を禁止し、顔写真までつけているのは何故なのか、「制度の信頼」は損なわれるばかりですな。
posted by 珍風 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

カルマはめぐる ぐるりんぱ

元少年が「つかえ取れた」  光市事件、判決翌日に

 山口県光市の母子殺害事件で、被害者遺族の会社員本村洋さん(32)が1日、岐阜市で記者会見し、被告の元少年(27)が差し戻し控訴審の死刑判決翌日に「胸のつかえが取れた」と発言していたことを明らかにした。
 本村さんによると、判決翌日の4月23日朝に元少年に接見したジャーナリストから発言内容を聞いた。元少年はすっきりした表情で語ったという。本村さんは「罪から逃れようとしたことは、彼なりに苦しかったのではないか。弁護団は上告したが(元少年自身は)贖罪の道を歩み始めたのだと思う」と話した。
 会見に先立って開かれた犯罪被害者の支援を考える講演会で、本村さんは犯罪被害者の刑事裁判参加の必要性を強調。裁判員制度について「裁判員になるのは大変なことだが、(制度を通じて)事件の教訓を社会が学ぶことになると思う」と期待を込めた。

2008年6月1日 共同


これはどうも『週刊Spa!』のこの記事のことかなと思うんですが。

「[光市母子殺害事件]元少年が語った「死刑の覚悟」
 【独占手記】大弁護団と対立し解任された弁護士が死刑判決後に接見!
 
身元引受人でもある男が被告の“肉声”を語る」

「弁護士」というのは今枝さんですね。解任騒動以来、扶桑社と接近して裁判員制度の宣伝につとめておられるようで、ご苦労様なことであります。ところで本村さんは「弁護士」から聞いたんじゃなくて「ジャーナリスト」から聞いたそうです。今枝さんと一緒に「元少年」に会った「ジャーナリスト」がいるようで、現在のところ今枝さんと本村さんの間をとりもっている、といったところでしょうか。

まあ、こう言っちゃナンですが『Spa!』ですから、いつも「女の子がこう言ったら本当はこういう気持ちだ」みたいな記事を載せてるようですが、少なくとも僕の経験上、アレはウソばかりでしたね。色々と懲りたんであまり信をおいていないのですが、元少年が「胸のつかえが取れた」と言ったというのが「贖罪の道を歩み始めた」という「気持ち」であるということになるのかどうかは、判断しかねます。最高裁から差し戻された時点で死刑判決を予期していたかも知れませんし。

ところで本村さんの「会見」は「講演」の後に行われたようですが、その講演ではやっぱり裁判員制度の宣伝を頑張っておられます。なにしろ「後期高齢者医療制度」同様、決まっちゃったものの問題山積、政府が騒いでいるだけで国民は全然ついてこないんですから大変で、昨日の敵は今日の友というわけで、なかよくお国にご奉公と、こういうことになっております。

裁判員裁判「とても大事」 本村洋さんが岐阜で講演

 山口県光市母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さん(32)が一日、「犯罪被害者の現状と必要な支援」と題して岐阜市のじゅうろくプラザで講演した。
 犯罪被害者の支援活動をしている「ぎふ犯罪被害者支援センター」が主催。会場には約九百人が詰めかけた。
 本村さんは「事件から十年目で、まだ裁判をやっている。これだけ長い時間裁判を聞き続けるのは疲れる。早く結果を知りたいのが被害者」と裁判の迅速化を要望。少年法については「理念は正しい」としながらも、「罪を軽くして早く社会に戻すのが必ずしもいいわけではない。最初に軽い罪を犯したときにきっちり更生教育をし、再犯防止を」と訴えた。
 本村さんは来年五月から始まる裁判員裁判についても言及。裁判の迅速化も期待できることから「賛成」という。「裁判員を一度やった人には一生忘れられない経験になるはず。事件から教訓を学ぶという意味で、とても大事」と述べた。「今まではプロへの押しつけだった。市民が参加することで民主主義の実現が一歩前進するのでは」と期待を込めた。
 本村さんは一九九九年四月、当時十八歳の少年に妻の弥生さん=当時(23)=と長女の夕夏ちゃん=同十一カ月=を自宅で殺された。元少年は四月に広島高裁差し戻し控訴審で死刑判決を言い渡され、上告中。(稲熊美樹)

2008年6月2日 中日新聞


本村さんのお話は「疲れる」からなんでもいいからとにかく「結果」を早く聞かせろ、というせっかちな「迅速化」のご要望と少年事件の「厳罰化」の主張、そして裁判員になっておまえら「教訓」を学べ、というありがたいお言い付けでありました。それはおいといて、5月30日の衆院法務委員会において少年法改正案が可決されました。民主党の修正案を丸呑みして、とにかく通してしまおうということのようです。改正の主旨は、少年審判においてとりあえず「被害者」や「遺族」の傍聴を認めようということであり、これは小さいけれども偉大な一歩であります。

既に「被害者」の皆さんは少年審判の「意見陳述」において様々な問題を起こしておられるようです。そもそも「意見陳述」は裁判所に対して行うものであるにも関わらず、少年に対して何かを語りかけたり、「死ね」なんて語りかけてみたり、土下座を要求したり、ものを投げつけたりする人がいるようです。このような状態では「意見陳述」も審判以外の場所で家裁調査官相手にやってもらうという形式に限定するのが当然のところですが、国会では何を血迷ったか、逆に審判の間中傍聴することを認めてしまいました。それに加えて審判の場において「意見陳述」が行なえるのは従来通りです。

この上更にいわゆる「被害者参加制度」のようなものが少年審判においても取り入れられるならば、「被害者」等は少年の処遇をコントロールするようになるでしょう。つまり少年にある種の質問などを行なうことによって、心証を悪化させるような言動を引き出すなどの操作が可能になるわけです。このようなことは一般の刑事裁判でも検察官によって行なわれており、光市の事件の公判でもやってましたが、検察官ではない一般人たる「被害者」等は、より思い切った形で行なうことが出来るでしょう。

「厳罰化」によって犯罪が減少するとはいえないようなのですが、にも関わらず「厳罰化」を求めようとするときにその根拠となっているのが「被害者の心情」ということになっています。しかしながら「被害者の心情」は満足するとしても、「厳罰化」が広く社会一般にどのような効果をもたらすかということはあまり考えられていないようです。「厳罰化」というと死刑が増えそうな気もするんですが、まあ、年に何十人でも何百人でも殺したいだけ殺すとしても、全ての犯罪者を死刑に処すわけにもいきません。「厳罰化」とはなによりも財産刑においてはその増額ですし、自由刑においては刑期の延長を意味します。そしてこれはしばしば受刑者の社会的な転落を意味します。

罰金が保有する資産に匹敵する高額であったり、刑期が出所後の生計を立てるのに困難なほど延長されるならば、日常生活への復帰を困難にすることでしょう。「厳罰化」すればするほどこのようなことになる者が増加することになります。少年においても「最初に軽い罪を犯したときに」厳罰を科すことは、しばしばレッテル張りとなり、更生を難しくしてしまうものです。そのようにして累犯者となって行き、ついには「厳罰」の犠牲となります。過重な罰金、過長な刑期は「更生」に反し、違法行為者を一つの階層として社会の下層に固定します。これに多額の損害賠償が拍車をかければ言うことはありません。それは新たな連座制であり、新しい21世紀の身分制度の出現であるといってもいいでしょう。

心置きなく差別することの出来る人たちがいるのは心休まることです。「いわれなき」差別でなく、なにしろ悪い奴で、悪いことをしたんだから酷い目に遭うのも当たり前というわけで、晴れやかな気分で差別を楽しむことが出来ます。「自業自得」というものです。例の「カルマ」というやつです。這い上がろうとするところにまた上から何か落としてみたり、気まぐれに優しくしたり鬼になってみたり、終わることのない反省と謝罪を要求してみたりするのも「社会の敵」である連中には全くお似合いの処遇というものです。刑期が終わったからといって大きな顔をされてはたまりません。もっとも、社会全体としては「危険」因子としての生活困窮者の増加を意味することになりますから、一般の人たちが「被害者」となる機会が増えるのも「自業自得」というものですし、それを防止するためだといって世の中が窮屈になってくるのも「自業自得」なのです。
posted by 珍風 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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