2008年06月24日

オオカミ少年少女予告予告また予告しつこく予告

それはそうと、クレオソート、例の「アクギ」が止まらないようですね。

ネットの犯行予告、後絶たず=厳正な摘発を指示−警察庁

 警察庁は24日、インターネットの掲示板に書き込まれる犯行予告を厳正に取り締まるよう、全国の警察本部に通達を出した。東京・秋葉原の通り魔殺傷事件の後、無差別・大量殺人を予告する書き込みが後を絶たないためで、検挙した事件を積極的に報道発表することも指示した。
 同庁によると、8日の秋葉原事件後から「大量殺人する」「駅を爆破する」といった書き込みが相次ぎ、23日夕までに男女17人が脅迫や業務妨害容疑で検挙・補導された。

2008年6月24日 時事


いちいち数えるのが大変になって来たので警察庁がこういう発表をするのを待っていたところです。17人のうち12人が逮捕、4人が書類送検、1人が補導されています。17人のうち12人に定職がなく、うち7人が20代男性。未成年は6人で最年少は13歳だそうです。

罪名は「業務妨害」(刑法第233条)、「脅迫」(同222条)の他、適用がより容易な軽犯罪法の第1条31項であり、警察としてはとにかく何がなんでもこの種の「イタズラ」を一人前の「犯罪」として遇するといってくれています。刑法の「業務妨害」だと「3年以下の懲役又は50万円以下の罰金」、「脅迫」では「2年以下の懲役又は30万円以下の罰金」ですが、軽犯罪法だと「勾留又は科料」です。「勾留」は1日以上30日未満、「科料」は1000円以上1万円未満です。定職のない人には寒さをしのぐには中途半端な期間ですが、ことによると払えるかもしれない微妙なところです。

まあ、こういうことをする人が、住むところがなくて刑務所に入る目的でやっているわけでもないでしょうが、「定職」がある、ということは人を「犯罪」から遠ざけることが多いようです。「犯罪」だけでなく「人命救助」や「蜂起」といった、日常のルーチンから外れること全てから遠ざけますが。例えば「捕まるかな?」くらいの気持ちでやるのであれば、「定職がない」という状態はこのような行為に踏み切ることを容易にしますし、定職がある人はアブナイことはとりあえずやらないで済ますものです。

とはいえ、秋葉原の事件があってから次の土曜日には大地震があったのであり、あのような天変地異によって「事件」のインパクトは相当減殺されるものと思われたのですが、そうでもなかったのはちょっとビックリです。

一連の「予告」は、秋葉原の事件に影響を受けて、というよりはその影響を消さないために続けられているような気がします。あのような形で「法」が破られたことによって、社会に風穴が開いたのです。まず最初にシステムの裂け目から吹いてくる涼しげな風に当たって幸福そうにしていたのが、あの「不謹慎」な「野次馬」の人たちでした。

とんでもない「犯罪」が行なわれ、起きてはならないことが起きてしまったとき、社会の仕組みの綻びが一瞬露呈してその場所を「無法」地帯と化します。「犯罪」によって開拓されたアナーキーが人を呼び寄せるのであって、「野次馬」とはそれに呼応して集まってくる人たちです。

「野次馬」とは「親父馬」のことであり、役に立たない人のことです。「犯罪」の「現場」は、ある人々にとっては被害を受けることによって「非日常」を真剣に生きたり死んだりしている場所であり、またある人たちにとっては、これもまた真剣さにおいてはひけを取らないものと思われますが、「仕事場」なのです。このような場所で別の次元で「非日常」に関わり、そして圧倒的に「仕事」をしていないのが「野次馬」なのです。

他人が死んだり苦しんだり仕事をしたりしている所で、彼らは楽しむのであって、そりゃ確かに道義的には大変に宜しくないことなのですが、「犯罪」によって開かれた「無法」の場所に駆けつけて、「無法」の空気を思い切り肺に吸い込み、彼らは「無法」をともにします。そこで起こる全てのことが社会の底を露呈しているのです。肉体が物理的に破壊されているのも、傷ついた人を助けている人がいるのも、そこで起こっていることは極めて「自然」なのです。警察ですらむき出しの暴力で「犯人」を捕縛してその本性を発揮します。

このような特異な場所に引き寄せられ、それを愛し、そこから立ち去り難く思う限りにおいて、そのような場所を設定した「犯罪」と「野次馬」は「共犯」関係にあるのです。連中が非難されるのも故のないことではありません。

しかしながらその「現場」は、「無法」がほんの一瞬の間支配した後は、警察の仕切りになるわけです。ここにおいて「野次馬」は「役立たず」にならざるを得ません。仮に警察の仕切りがなかった場合、「野次馬」がその場所を支配せざるを得なくなります。その場合には
  めんどいので立ち去る。
  「犯人」が弱い、又は「犯罪が不足」である場合、「犯罪」を継続する。
  「犯人」はもう十分やったと思われる場合、被害者の救助等の「後始末」にかかる。
などの場合が考えられるでしょう。いずれにしても「野次馬」が「野次馬」でいることが出来るのは、権力の介入によって「無法」が閉じられようとする過程においてなのです。

「予告」は多分、遅れて来た「野次馬」であり、「犯罪」の継続、というよりは「無法」が閉じられないように、システムに開いた隙間が閉じないように必死で押さえる行動なのです。それは大量殺人の実行によって決定的な状況を作り出して事態を前進させることよりも、むしろいつまでも実行されない「犯罪」の「予感」を引き延ばすことによって、社会の傷口が癒着することのないように、傷口の両側を手で押さえて広がったままにしておこうとするのです。

ところで大規模な事故や天災も、犯罪と同じように社会システムの傷口を露呈します。この意味で岩手宮城内陸地震は、切断された道路の映像が端的に示すように、システムの破綻を印象づける大災害でありました。しかし、どうも今回は違ったようです。こう言ってはナンですが、秋葉原のあの「事件」は、地震くらいじゃビクともしなかったのです。「予告」は、「定職のない20代」が、「ニュース」を自分の問題だと感じて実際に行動に移り始めたことを示しています。そしてそれは「弱いもの同士助け合おう」ではなくて、攻撃的な段階に達しています。警察庁もこれを「積極的に報道発表する」ことで情報の共有に力を貸すといっています。同じ捕まるんだったらちゃんとやらないと刑務所で肩身が狭いですよ。
yokoku.jpg
バットでやったるでぇ〜


posted by 珍風 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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