2008年07月16日

「文明」が明る過ぎて眠れない死神

鳩山法相、死刑執行は死に神ではなく「文明」

 就任以来これまでに13人の死刑執行を指示し、「死に神」と表現された鳩山邦夫法相(59)が、7日に発売された「週刊ポスト(Shukan Post)」のインタビューで死刑執行について「文明だ」と制度を擁護する発言をした。

 2007年8月の鳩山法相就任以来、刑が執行された死刑囚は13人で、一時停止していた執行が93年に再開されて以降、最多の執行となっている。

 「週刊ポスト」のインタビューで鳩山氏は、新聞コラムで自らが「死に神」と呼ばれたことに触れ「死刑囚は、死に神に連れていかれたのではなく、司法の裁きで死に赴いたのでしょ。これが文明」だと語った。

 一方で、「サインから執行までの数日間は眠れない。孤立無援、ひとりぼっち」だと述べ、執行令状に署名する前には心を落ち着かせるために、首相を務めた祖父、外相を務めた父の墓参りをしたことを明かした。

2008年7月14日 AFP


「眠れない」ことで物事が正当化されるのであれば、予定した上で犯罪を犯す人、特に経験の少ない人(3回くらい)は実行に先立つ数日間は「眠れない」でしょうから全員無罪です。「ひとりぼっち」は人徳の然らしむるところであるといえるかもしれませんが、墓参りまでしているところをみると「これから何人かそっちに送るからひとつヨロシク」とか言ってるんでしょうか。

鳩山さんはどうも「比喩」というか「もののたとえ」ということが分からないようです。誰も「死に神」の正体は鳩山さんである、とはいっていないわけでして、その証拠に鳩山さんは大きな鎌を持っていません。もちろん時には大きな捕虫網を持ったり、その捕虫網でチョウチョやその他の生命体を「あの世」に送り出すことがあるやに聞いていますが、そういうのは「死に神」ではなくて単に「虫取り」といいます。

てゆうか「素粒子」だって鳩山さんが死刑囚を連れてどこかに行ったなんて書いてません。どこかに行っちゃったんならそれはそれで一向に構わないのですが、幸か不幸か鳩山さんはどこにも行かずにまだこっちに留まっているわけです。そもそも鳩山さんは死の世界まで誰かを導くどころか、死刑台まで誘導したり引きずってゆくようなことすらしていません。そういうことは刑務官とか教誨師がやることであります。

もちろん、鳩山さんは誰をいつ殺すかということを決定するわけで、それは比喩的にはその人を死刑台に導くものであるということは言えるのであり、死刑がつつがなく執行されればその人は「あの世」とやらへ行くのであるとすれば、鳩山さんはまさに人を「あの世」に導くのである、ということが許されますから、そういう意味では法務大臣の機能はある点において「死に神」である、といってもよいのです。もっとも、より実情に即して言えば法務大臣はもっぱら「送り出す」だけで、それから後の面倒は人任せですから、多少睡眠不足でも別に関係ないのでした。

これは比喩的な表現ですから、なにも「文明」などと対立させて言わなくても良いようなものなのです。ところがここで「文明」を持ち出すということになると、鳩山さんは「素粒子」子が「死に神」だのナントカの神だのの実在を信じる無知蒙昧な非「文明」の野蛮な徒輩であると考えているようです。しかしながら別の見方からすれば「死に神」という概念を持つこともまた立派な「文明」でありますから、ここで鳩山さんの「文明」観というものが問題になってきます。

「文明」とは常に「野蛮」に対立する概念で、てゆうかどっか他所の連中を「野蛮」呼ばわりすることによって自らを「文明」と称するのがこの言葉の正しい使い方です。そこで鳩山さんの「文明」観はその「野蛮」観によって計られることになります。そこで鳩山さんによれば「死に神」は「野蛮」に属するものだそうですが、そうすると「死に神」を持たない宗教が「文明」であるというわけですから、「文明」とはキリスト教西欧に他なりません。これはまあ、「文明」本来の用法であるといっていいでしょう。

鳩山さんちは神道だそうですが、神道ではオマンコに火傷して糞尿をまき散らして死に、腐乱死体となって夫を追いかけ回した挙げ句にすっかりへそを曲げて黄泉の国の主宰神となったイザナミが「死に神」に該当します。大変な女性がいたもので、これはまた随分と「野蛮」な話しではありますが、男性にとっては結婚してみると「まあそんなもんだろう」と納得のいく展開ではあります。困ったものです。

一方で鳩山さんは「司法の裁き」が「文明」だと思っているようですが、これは誤解でしょう。ほとんどあらゆる「野蛮」世界において何らかの基準による裁定が行なわれているのであって、それがたとえ水に浮いたら有罪だとか熱湯に手を突っ込むなどの他人から見たらはなはだ信用のおけないものであっても、とにかく何らかの審判というものが行なわれているのですから、「司法の裁き」というものは「文明」「野蛮」を通じて普遍的なものです。

ところで死刑制度については、これを支えている理屈は現在では主に「被害者の報復感情」であります。そこで死刑が執行されるとき、そこでは単に「私的報復」が代行されているのであるといえるでしょう。これは私怨による殺人と全く変わるところがありません。「報復感情」を根拠とする死刑制度は「司法の裁き」の否定であり、鳩山さんによればこれは「野蛮」に他なりません。「野蛮」というか「野人」というか、旧石器時代くらいの話しでしょう。というわけで今回も鳩山さんは何を言っているのかよくわかりませんが、寝不足だからしょうがないか。


posted by 珍風 at 05:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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