2008年08月29日

亜富汗斯坦鏖

アフガン邦人死亡 官房長官「テロとの戦い、関与に理解を」

 町村信孝官房長官は28日午前の記者会見で、アフガニスタン東部での非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん殺害事件について「尊い犠牲が出てしまったが、そうであればあるほどテロとの戦いに引き続き関与していくことの重要性を日本の国民のみなさんは感じたのではないか」と語った。
 インド洋での給油活動を延長する法案を臨時国会に提出する方針にも言及し「与野党の合意があれば法案を修正することは否定しないどころか歓迎する」と強調した。
 高村正彦外相も同日午前の自民党の外交関係の合同会議で、伊藤さんの殺害事件について「犯人に強い憤りを感じる。ご冥福をお祈りし、哀悼の意を表したい」と語った。

2008年8月28日 NIKKEI NET


伊藤さんは町村さんにとって「尊い」犠牲なんだそうです。もっとも町村さんは「尊い」という字を書いてみせたわけではありません。実は「犠牲」にかかる「とうとい」は「貴い」と書くことになっています。「貴重」とか「貴金属」の「貴」です。この「とうとい」は「犠牲」の価値を「値踏み」して価値が高いと認めた、という意味です。

町村さんとしては大変に価値のあるものを手に入れたということで、その事を素直に表現しているところです。世の中に死人ほど便利なものはないのです。あれほど言いなりになる人もちょっと珍しいでしょう。どんな格好をさせても文句一つ言いません。

一方では、何が不幸といって死んだ後で良いように利用される死者ほど気の毒なものはありません。何しろ一言も抗議できない立場ですから、なすがままです。人に対する支配の究極の形態は殺害することではなくて、死後の処理にあるのです。殺すことなら誰でも出来ますが、それを好きなように利用することは誰にでも出来ることではないようです。

一般にはそういう場合にあまり下品なことにならないように、世間では「死者の尊厳」ということを大切にしているようです。この場合、殺したのがタリバンだろうが自衛隊だろうが病人であろうがゴンドラであろうが交通事故であろうが溺死であろうが自殺であろうがとにかく死んだ人は皆「尊い」とされるのです。ここでは他の死者との比較で価値の程度を云々するわけではなく、死者に本質的に備わっているとされる固有の価値のことであるから「尊」の字を使用します。

この点で町村さんは少なからず下品な行為に及んだと言うことが出来るでしょう。「テロとの戦いに引き続き関与していくこと」という自己の関心事に引きつけて死者を利用するだけでなく、それが自分の興味であることを隠すために「日本の国民のみなさん」を引き合いに出すに至っては、かえって町村さんのみっともなさが際立つというものです。

とりわけ、「そうであればあるほど」というのが何の意味であるのか分かりにくいのが難点であるといえるでしょう。もしこれが「犠牲がとうとければとうといほど」という意味なのであれば、これは「とうとさ」に程度の差があることを表しますから、この犠牲を町村さんが「利用する価値が高ければ高いほど」と言い換えられます。この場合は「利用」の目的が「国民の皆さん」が「テロとの戦いに引き続き関与していくことの重要性を感じる」ことにあるのですから、つまり同じことを言っているだけなのです。

しかしながら「そうであればあるほど」は、「犠牲」の発生そのものに関しているとも解釈できます。つまり「犠牲が出れば出るほど」という意味になります。町村さんは人が沢山死ねば死ぬほど「国民の皆さん」の間では「復讐だ!」ってのが大いに盛り上がって、「テロとの戦いに引き続き関与していくことの重要性を感じる」のではないか、と期待しているようです。

いずれの解釈をとるにしても、ここまで正直にものを言う人はなかなかいないのではないか、町村さんに匹敵できるのは宅間守くらいなものであろう、と思ったらそうでもないらしいのですから世の中は広い。8月29日付けの読売新聞の「NGO職員殺害 アフガン安定へ協力を続けよ」と題する社説がありまして
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080828-OYT1T00853.htm
これは町村さんの発言を読売新聞なりに敷衍したものと思われますが、まずは

外務省は昨年7月以降、アフガン全土に退避勧告を出しているが、同国内には、国際協力機構(JICA)、NGO関係者ら140人以上がとどまっている。


として、香田証生さんが首をはねられた頃に流行った「自己責任」の言説に水を向けつつも、

丸腰の民間人の自衛には限界がある。自爆テロや外国人の誘拐が続くアフガンの現状を踏まえれば、安全を優先して一時出国や帰国を検討する時ではないか。


と、「日本人はアフガニスタンから出て行け」と言っています。危ないから心配してくれてるんでしょうか随分と親切だこと。ところがこれはそうでもありません。これは「地ならし」なのです。かの国の人々のために働いている外国人をどけたうえで、そうするとそこに残るのはタリバンを含むアフガニスタン国民だけですから、そうしておいてから「国際社会」が心置きなくタリバンだろうがタラちゃんだろうが誰彼かまわず虐殺する、というわけです。その時には日本人はそこにはいない「はず」ですから、多分たいした反対もおきないでしょう。仮に誰か日本人がいたとしても、それはJICAやなんかとは関係のない、自分で勝手にそこにいる奴ですから、それはもう「自己責任」で処理できる、「はず」なのです。

そういうわけで読売新聞の手にかかると「国際貢献」も字が大きくて大変に分かりやすくなります。それは1人のタリバンを殺そうとしてパンピー100人くらいやっつける、しかしその時にはタリバンは国境の向こうに逃げてた、というような「アフガンの平和と安定を回復する国際社会の共同行動」に協力することなのです。てゆうかもう協力しているわけですから、アフガニスタンで日本の評判が悪いのも当然ですが、町村さんは「そんな話しは聞いていない」んだそうです。聞かなくてもそんなことは分かり切ったことだし、どうせ絶滅させられる連中が日本のことをどう思おうともあまり関係ないんでしょう。
posted by 珍風 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

警察バンザイ!

「タリバン」がアフガンあたりで都合良く働いてくれるのはいいとして、日本で「タリバン」の代わりに働いてくれるのがお巡りさんです。皆で労りましょう。

性犯罪対策へ専従班 警察庁概算要求 950人増員

 凶悪事件の続発を受け、警察庁は二十七日、声かけやつきまといなど性犯罪の前兆となりうる事案について早期に警告や検挙を行う専従班を全国に新設する方針を固めた。二〇〇九年度予算の概算要求で、必要人員として地方警察官九百五十九人の増員を求める。
 概算要求の総額は、前年度当初比6・8%増の二千九百二十億四千三百万円。
 専従班は一班十一人で百十一班設ける。また増員のうち百八十二人は検視要員で、大相撲時津風部屋の力士が暴行死した事件をめぐり不備が露呈した検視体制の強化を図る。
 また街頭防犯カメラの新機能開発のためのモデル事業に一億九百万円を計上。犯罪が疑われるような画面上の異常な動きをカメラが自動で検知するなどのシステムを民間と共同開発する。
 さらに、取り調べの録音・録画の導入に向けた機材整備費に三億六千七百万円を盛り込んだほか、オウム被害者救済法の成立に伴う被害者支援金として十二億六千万円を計上する。
 新型インフルエンザ発生に備え、ゴーグルなど警察官の防護機材費に一億五千五百万円を予算化する。

2008年8月27日 北海道新聞


「不備が露呈した検視体制」ってそれ、監察医制度の問題じゃないんですかね。お巡りさんを増員する理由としてはちょっとどうかな、と思いますが。それに最近特に「性犯罪」が多い、という話しも全然聞かないようです。これらは予算要求前のキャンペーンをサボった警察の失態でしょう。見かけ上でも騙しておきたいものですが、そんな手続もないままに、何の根拠もなく「性犯罪を未然に防止」するための「専門捜査班」が必要なんだと言い始めてしまいました。いい加減な連中です。959人増員してもいいから、エラい人から順に2000人くらいクビにしてはどうか。

「性犯罪専従班」は1班11人で111班作るそうです。なんかテキトーな数字ですが、これには1221人が必要であり、そのために777人警察官を増員するそうですが、これまた景気のいい数字ですが、テキトーなことにはかわりありません。

で、このテキトーな人数の人たちが何をするかというと、「声かけ」や「つきまとい」など定義の曖昧な「性犯罪」の「前兆」、つまりそれ自体は「犯罪」ではないところの行為ですが、これに「なりうる」、ということは「犯罪」を構成しない可能性のある全ての行為を指しますが、これに対して「警告」や「検挙」をやるんだそうです。分かりやすく言えば全ての人を取っ捕まえるのが、この人たちの仕事です。

もちろん全国民の身柄を拘束することになると、とても1221人くらいでは不可能ですから、何らかの基準によって絞り込むことになると思われますが、現時点ではどのような人が「警告」や「検挙」の憂き目に遭うのか予測することは不可能です。その時々の警察の方針如何ということでしょう。これは極めて柔軟性のある「専従班」であるといえるでしょう。

警察庁は2920億円 概算要求 専門捜査班新設で増員

 警察庁は27日、平成21年度予算の概算要求をまとめた。性犯罪を未然に防止するための専門捜査班新設に向け777人の人員増を盛り込んだほか、地域の自主防犯活動の支援充実など「安全・安心なまちづくりの推進」や食品への混入毒物分析、DNAの鑑定など科学捜査力の向上などに主眼を置き、予算要求総額は20年度よりも185億円(6.8%)多い2920億4300万円となった。
 概算要求で最も比重が置かれたのは332億7100万円を占める「警察基盤の充実強化」。
 増員要求では、都道府県警の警察官959人のほか、警察庁職員180人分の装備品や教育経費、人件費として552億円を要求。また、相次ぐ通り魔事件を受け、一線警察官の犯人制圧能力を高めるため、装備や機材の充実、庁舎、通信設備の充実、新型インフルエンザ対策などが含まれている。
 また「安全・安心なまちづくりの推進」として、子供を守る地域の自主ボランティア活動の支援や防犯カメラの効果的な活用方法の検証、過去最悪ペースで被害が出ている振り込め詐欺対策などに約47億円、サイバー犯罪対策に約38億円を要求した。
 一方、「被害者支援の充実」として、オウム真理教事件の被害者への給付金などに約43億円を求めた。
 このほか、DNAや食品に混入された毒物鑑定など科学捜査力の向上に約89億円、組織犯罪や国際テロに対処するための資材や設備などに約167億円が盛り込まれた。

2008年8月27日 産経ニュース


この便利な「オイコラ警官」その他のために僕たちの稼いだ金からなんと552億円。その他「地域の自主ボランティア」という「オイコラ住民」の「支援」や「オイコラカメラ」のために47億円。合計で600億円くらいの税金が、僕たちを見張っていつでも捕まえるために使われるそうです。で、この「オイコラカメラ」には約1億1千万円をつぎ込むんだそうですが。

異状を自動検知、新型防犯カメラ 警察庁が試行へ

 警察庁は27日、街頭犯罪の抑止を目的に、高機能防犯カメラを設置するモデル事業を来年度から始める方針を固めた。このカメラは、異状を自動検知したりプライバシーを保護したりする機能をもつもの。省力化を図るとともに、警察による監視への批判にも配慮することで設置台数の増加につなげたい考えだ。
 警察庁は09年度予算の概算要求に、設置経費など約1億1千万円を盛り込んだ。今後、犯罪の多発する繁華街を1カ所選び、2年間運用する予定。地域住民へのアンケートや有識者による効果検証も実施し、新たな防犯カメラのあり方を模索する。
 検討されている新型カメラは、人や物体が急に動いたり、集まったりすると自動的に検知する。それまで動いていた物体が動かなくなった場合にも反応。暴行の現場や路上に倒れている人などの早期発見が狙いだ。
 路上や広場など公共空間に商店街や自治体が設置した防犯カメラは現在、警察が把握するだけで約1万2千台ある。これに対し、警察独自の設置は東京都や大阪府、愛知県など10都府県に363台。警察内部で監視要員の確保が難しいことや、市民の抵抗感が根強いことなどから、「設置台数は伸び悩んでいる」(警察庁)。
 新型カメラなら、異状を検知すると、モニター画面が置かれた警察署で警告音が鳴る仕組みで、監視要員の省力化が可能だ。プライバシーに配慮するため、住宅の出入り口や窓などプライベート空間が映る場合、画面上ではその部分だけにモザイクがかかって見られないという。
 録画の閲覧は、権限のある幹部か、その幹部が許可した警察官だけができるように、IDカードなどの方式で制限し、情報管理の厳格化を図るとしている。
 警視庁は02年、新宿・歌舞伎町に50台を設置したのを皮切りに、渋谷・センター街や六本木など5カ所で計150台を運用している。警視庁によると、今年1〜6月、映像データ37件が立件時に証拠資料として利用されたという。(野田一郎)
     ◆
 「監視カメラは何を見ているのか」の著作があるジャーナリストの大谷昭宏さんの話 
新型カメラは路上犯罪の抑止やプライバシー保護に一定の効果があるだろう。国民の理解を得ようとする姿勢は一歩前進だ。ただ、警察による監視に対する抵抗感の根底には、警察への不信感がある。画像の利用法や情報管理の徹底を図らなければ、小手先の方策に終わる。

2008年8月27日 asahi.com


ここで興味があるのは、この「新型カメラ」の、「人や物体が急に動いたり、集まったりすると自動的に検知する。それまで動いていた物体が動かなくなった場合にも反応」するという「新機能」です。「物体が急に動」く、というのは、例えば信号が青になったときなんかがそうです。逆に言えば「それまで動いていた物体が動かなくなった場合」というのは信号が赤になったときですね。で、そういう場合にいちいち「警報」が鳴るわけです。そのために1億1千万円。

冗談はさておき、例えば急に何かを思い出して走り出すと捕まることになりますし、立ち止まったりするだけで捕まるのですから、一定の速度で静々と歩かなくてはなりません。さらに人が「集まったりすると」警報が鳴ります。したがって街頭演説などに気を取られてはいけません。てゆうかこれは「暴動自動検出」システムということですね。日本の政治は暴動が起こって当然の有様ですから、警察としては対応を迫られるわけですが、ずうっと監視画面を見ているのはお巡りさんといえども大変です。金持ち連中のためになんでそこまで頑張らなくてはならないのでしょうか、ちょっと手を抜きましょうよ。ということで「監視要員の省力化」をはかるワケだ。

もっとも、相次ぐ誤報でお巡りさんが疲弊してしまうような気もしますが、別にそれがイケナイというわけではありません。何もしていないのにお巡りさんにかまわれる人も増えるでしょうし、これはお巡りさんのためにもならないでしょうから、それはそれで僕はかまいませんが、本当にそんな役に立たない「新機能」を搭載したいのか、それとも別のことをする予算取りのために気の効かない嘘をついているのか、僕は知りません。ためしにその「犯罪の多発する繁華街」とやらでみんなで駈けっこして遊びましょう。

それにしても大谷という人は「裏ビデオ」とか「流出モノ」とか観たことがないのでしょうか。たしかに「画面上では」プライベートな領域「だけにモザイク」がかかるのかも知れませんが、モザイクのかかっていない「無修正」の画像は記録されているのですから、「プライバシー保護」には全く「効果」がありません。画像の閲覧を警察内部で制限しても何の意味もないことも明らかでしょう。これは「国民の理解を得ようとする姿勢」ではなくて「国民を欺こうとする姿勢」であり、残念ながらその点では「一歩前進」かも知れませんが、従来と何かが変わったというわけではありません。むしろより「巧妙化」かつ「凶悪化」しているといってもいいでしょう。ともあれ、大谷さん、「裏ビデオ」とか観たくなったら当方へご一報を。僕んちではいやしくもお客様に修正されたものなどお見せしません。すべて無修正の「裏モノ」だけです。これがホントの「おもてなし」。

keisatsubanzai.jpg
赤瀬川原平さん1972年。「皆さんもこれをゼロックスにとって、玄関に貼っておくことをおすすめしたい」とおっしゃっていますが、僕んちには玄関がないのでここに貼っていいのでしょう。
posted by 珍風 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

貧困のイメージ

ところで、年収260万円の男性が、結婚を考えている「彼女」の両親に笑われたという話しが一部でウケているようで、
http://anond.hatelabo.jp/20080816045217
色んな人が「憂鬱」になったり「激怒」しているとのことであります。

これを読むと、まずセンテンスを短く、頻繁に改行すると読みやすいということが分かります。それはいいのですが、叙述と主観がゴッチャに書かれている、てゆうか実際には全面的に書き手の主観であるような文体ですから、実際にどのような事実があったのか、またはこれ全部「ネタ」なのであるかは不明、あるいはどうでもいいことであって、問題は読者と共有される情報系の中で一定のイメージを描き出すことが出来るかどうかということでしょう。

実はこの話しの主人公の年齢もよく分からないのですが、とにかく高卒で販売店勤務、ということのようです。この主人公が「彼女」とどこでどのように知り合ったのか、彼女の「お父様」はとにかく大卒であることは確かなようですが、サラリーマンなのか公務員なのかも不明であります。とにかくその辺の説明というのは一切行なわれません。記述は時系列であって、ほとんど全てのセンテンスが現在時制によって語り手の目の前を通り過ぎるものの印象が語られる、という文体になっております。

つまり語り手の感想を持って叙述に代えるということになっているんですが、だからといっていまいち具体的なイメージがわかない、という人は、残念ながらこれを読み書きする人たちとは異なる世界にいるんだと思ってあきらめるしかないようです。たとえば主人公が訪れる店は「おしゃれなお店」という一言で片付けられています。

なにがどう「おしゃれ」なんだかよく分かりません。「おしゃれ」に興味がある人には不満でしょうし、暗い性格の人は「おしゃれ」の内容によってこの店を選択した人間の「品定め」をしたりしかねないのですから、なんらかの情報が欲しいところです。実際、ちょっとした店の前に30分くらい立って観察しているだけでも、もう少し書けそうなもんですから、筆者は実際にそんな店には行っていないか、そのような「取材」を一切していないのかも知れません。

しかしもっと考えられることは、読者の方がそんな「具体的な描写」によって「おしゃれ」の概念を構成してくれない、出来ない、だから書いても仕方がなく、ダイレクトに「おしゃれ」と書いてしまった方がよい、という点を考慮した可能性です。想定読者は「おしゃれなお店」とは全く縁がなく、そういう世界とは隔絶されていて、それは全く馴染みのない環境であり、従って「苦手」、「キツイ」、「ヤバイ」、「吐きそう」な気がするんだよ、ということが伝わればそれで良いわけです。

これは似たような状況、例えば生まれて初めて女を買うとか、行ったことのない国のレストランに入るとか、火星の支配者に会うなどの状況で誰でも経験する「気持ち」を表現するのと同じような言葉で書かれています。つまりここでは「おしゃれなお店」は読者にとって未知なものですが、そこで経験する「苦手」や「吐き気」は既知のものなのです。そしてここで読者はよく知っている「気持ち」に出会うことによって、それでもう「おしゃれ」については納得してしまうようです。

ちなみに主人公は「普段チェーン店か屋台くらいにしか行かない」んだそうです。つまりここでの「おしゃれ」と言われているのは、値段が高いことなのです。この店を予約したのは主人公ではなくて「彼女」のご両親の方であります。主人公にとってそれは文字通り「手の届かない」場所であり、「ご両親」はそういう世界の住人なのです。親がそうなら娘もそのはずで、主人公との接点がありそうに思えないのですが、そこは仕方ありません。筆者がどこかで無理をしなければこの主人公と「ご両親」が接触することすらあり得ないでしょう。

おそらく筆者としては、筆者なりの「富裕層のイメージ」を描き出そうとしているのでしょう。しかし実際にこのエントリに見る「富裕層のイメージ」は、それこそ一昔前なら「イメージの貧困」と言われてしまいそうなシロモノです。この後主人公はその店の「個室」で、「彼女」とその両親と会うのですが、問題の「年収」の話題に行くまで「1時間くらい」が経過しているのですが、まずどのような料理が出て来たのかさえ述べられません。筆者と想定読者においては食べたこともなく、名前も知らないような料理の記述は何も意味しないからでしょう。

そしてその間に4人の間でかわされた話題がどんなものだったのか、「30分程は思い出そうとしても良く思い出せない。彼女の話題が中心だったと思う」という、きわめていい加減な記述に終始しております。それにしても「彼女の話題」で1時間持つというのは、普通はないような気がします。「彼女」がよほど変わった人物であればその限りではありませんが、そのときは別の問題が発生するでしょう。それよりも、娘が結婚しようという男を「品定め」しようとするのであれば、「お父様」とすればもうちょっと色々な話題を振って来そうなものです。だいたいそういう場合にはアメリカの金融政策とかの話題でOKでしょう。君んとこの保険はどうせ政府管掌だろうが全国健康保険協会ってどーよとか、株券の電子化はちゃんとやったかこのあいだタンスの引き出しの奥に本当にあったからビックリだぜワッハッハ、とか言い出すと既にイヤミに入っているので止めておいた方が無難です。

その場合主人公がそのような話題についていけないのを描写すると読者の共感を呼べるというものですが、そのような感覚はもはや古臭いのでしょう。ここでは肝心の筆者がついていけなかったのか、読者には分からねーだろと思って省略したのか知りませんが、「思い出せない」というまるで国会に呼び出された商人のような言い逃れで流してしまう手法は見事と言う他に何と言い表せば良いのかよく分からないほどです。まあ、そんなことを書いたところで、読み飛ばされるだけの話しでしょうから。

従ってその後、「お父様」が「ちょっと色々質問させて貰いたいんだ」と言っていきなり単刀直入に「収入」のことを切り出しても、もはや誰も驚きません。実際には娘の結婚相手ということになると、現在の収入の多寡(260万円がそれほど少ないかどうかはさておき)も確かに考慮に入れるんでしょうけど、なんとかして「人となり」或は「人格」、すなわち将来において収入が増加する可能性を推し量ろうとするものでありますから、現在の収入と学歴だけで判断してしまう「ご両親」はちょっと不自然なようです。しかしながら、誰でも人から笑われたことくらいあるでしょうから、筆者としてはひたすら既知の感情への回収の手続によって、リアリティに代えようとします。つまり「今までもこうした笑い方を何度かされた。だから分る。」というわけです。

主人公は散々に嘲笑され、「高卒」であることから将来の収入増の可能性をも否定され、おまけにその場の飲食費も持たされる、というのがオチです。ここで描き出されている「富裕層のイメージ」は、和解不可能なほどの隔たりの彼方にいて、他人を「商品価格」(つまり「品格」ですけど)で評価し、有用性の基準に達しない者に対しては考えられないほど失礼な態度を取ったあげく、追い討ちをかけて金を巻き上げる、といったものです。しかし同時に彼らは「彼女」の両親であるわけですから、実をいえばはそれほど主人公と違うというわけでもないのです。にも関わらず彼らとの間には超えられないギャップが存在するのであります。

このエントリは元より「本当らしさ」のかけらも感じさせないものです。いくらなんでも他人の年収を聞いて笑い出す夫婦はいないでしょう。まず無理にでも娘を一緒に帰らせますな。少なくとも、もうちょっとやんわりとバカにするはずであって、これは「ネタ」以外の何ものでもないと思われるのですが、それだけに「ビンボー人から見た富裕層のイメージ」を余すところなく表現しているといって良いでしょう。より分かりやすく言えば、この「ご両親」の職業は「会社経営者」であると想定できます。ビンボー人は彼らの実際の姿を知りません。彼らがどんな店で何を喰い、どんな話題を語り合うのか、そんなことは全然わからないのです。分からないことは書いてありません。したがってこれを個人的かつ具体的な「事件」として読むことは出来ません。

実際にビンボー人が「富裕層」と接点を持つことが出来るとすれば、企業における雇用関係においてのみであります。ビンボー人にとって「富裕層」は「会社」としてのみ現れるでしょう。そこでこの「求婚事件」で表現されているのは、雇用関係を通して見た「富裕層のイメージ」であると思われます。逆に言い換えればこれは、ビンボー人は雇用関係の中で、誰からどのような目に遭っているのか、ということになります。

このエントリのアヤシイ文体は、いってみれば扇動的なものであって、何を煽動するかといえば、これはもう「階級意識」ということになるでしょう。主人公の「憂鬱」は、「彼女」のワレメにおいて、階級格差が目の前で地割れのように広がってゆくのを目にするからなのです。したがって主人公が訪れた店は「日比谷蟹工船」であると思われます。僕だったら「彼女」を残して自分だけ逃げて来ますが。取り残されたブルジョア娘には「蟹の横歩き」でもしてもらいましょうか。もちろん冬のバルト海は愛よりも冷たいぜ。

とかなんとかテキトーなことを書いてたら、これまた別の人が書いた「復讐編」。オヤジが不幸になりますよ。そこで主人公は……。
http://afiliate.livedoor.biz/archives/51100351.html
posted by 珍風 at 04:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

彼は軽トラに乗って あたしゃナイフを腰だめに

渋谷の通り魔、逮捕されること目的か

 22日、通勤や買い物帰りの人たちで混雑していた渋谷駅。そのすぐ脇で起きた通り魔事件に周囲は騒然としました。逮捕されたのは79歳の女。なぜ、凶行に及んだのでしょうか。

 パトカーに乗る1人の老女。22日、東京・渋谷で女性2人を次々とナイフで刺し、殺人未遂の現行犯で逮捕された自称・住所不定・無職の北川初子容疑者(79)です。

 北川容疑者は22日午後6時45分頃、渋谷駅構内にある百貨店の1階で、26歳の女性の左脇腹をナイフで刺しました。そして、その5分後、第一犯行現場から50メートル離れた百貨店内の青果店の前で、27歳の女性の左腕を切りつけました。刺された女性2人は、いずれも命に別状はないということです。

 「人だかりができていて、何かやっているなという感じで。サルかなと・・・」(現場付近にいた人は)

 女性2人を次々と刺した北川容疑者。その10分後の午後7時頃、JR渋谷駅南口の券売機の前で警察官にとり押さえられ、現行犯逮捕されました。

 <都内の施設を飛び出してきた。所持金もなく、事件を起こせば、警察がなんとかしてくれると思った>(北川容疑者)

 北川容疑者は今週初めに、都内のホームレスの支援施設を抜け出したといいます。逮捕時の所持金は6500円。犯行後も逃走せずに現場周辺を徘徊していたこともわかっており、警視庁は、逮捕されることを目的に犯行に及んだものとみて、さらに動機を追及しています。

2008年8月23日 TBS


「サル」って、あんた、失礼な。見えないこともないけど。それにしても逮捕時の所持金は6,500円だったそうでありますから、早まったことをしたものだ、という意見もあり得るでしょう。確かに明日か、もしかすると明後日まで延期するくらいの「経済的余裕」があったわけで、そうすると被害に遭う人は別の人であった可能性が高いわけです。第三者的には被害者が誰であっても同じようなものですが、これは被害者当人にとっては切実な問題であるといえるでしょう。しかしこれは、やはりどうでも良いことです。

北川さんは「事件を起こせば警察が何とかしてくれると思った」と言っているようです。実際に「通り魔事件」というのは、逮捕上等死刑も辞さず、というものですけど、単に逮捕されることを目的とするのであれば他にやりようがあるような気もします。例えば無銭飲食のうえ大暴れ、なんていう実益を兼ねたものでもかまいません。もっとも夏場のホームレスを入れてくれる飲食店があるとは考えにくい。実は小売店でちょっと万引き、というのが同様の境遇にある人の第一選択だったりします。

しかしながら北川さんの逮捕容疑は殺人未遂であり、諸般の点から考慮するとこれは北川さんにとってベストな選択であるといえるのです。北川さんとしては量刑が自分の余命を超えることが目標であると思われます。日本の女性の平均寿命は85歳を超えますから、少なくとも5年の判決が必要ですが、北川さんはお年のわりには元気そうですから、10年かそれ以上の量刑が見込まれることが望ましいでしょう。

例えば万引きですと、これは窃盗の罪に当たりますから10年以下の懲役になるはずです。しかし実際の例では万引きで10年はありえません。例えば2円相当の封筒を掏った人に5年の求刑がなされた事例があります。しかしこれは被告人が掏摸の常習犯であったためであり、それでも判決は3年にとどまります。

最近の例ですと出会い系サイトで知り合った、とはいえメールだけの関係で一度も顔を合わせたことも無い男性に貢ぐ為に、勤務していた会社の預金3千万円以上を盗んだ女性が窃盗罪で5年の求刑に3年の判決です。この例の女性では、出所後は社会復帰をしなければならないのですから刑期は短い方が望ましいと思われますが、北川さんは事情が違います。3年くらいで出されては困ってしまいます。10年の量刑が出る窃盗というのは、そう簡単ではないようです。

一方、「通り魔」による殺人未遂の例では、今年の7月14日に、昨年川崎市で会社員女性を刺した青年に15年の求刑で10年の判決が出ていますがこれは控訴中。8月8日は同じく昨年コンビニで主婦を刺したオッサンに求刑12年判決9年。なかなか良い具合です。これらの例はそれぞれ被害者が1名ですが、平成18年に札幌における2回の「通り魔」事件でそれぞれ別の若い女性を襲った人には、平成19年の札幌地裁の判決で求刑通り18年の判決が出ています。今年の3月に控訴棄却。

ただしこの例ではそれぞれ12乃至18ヶ所の傷を負わせており、中には深さ6センチに達するものもあったとされていますから、このような被害の程度も量刑に影響がありますし、この被告人は犯行を否認していますから、そういう人にはかえって重い判決が下るものです。またこの判決では「被害者の処罰感情」にも言及していますから、殺人未遂で18年というところがこの手の事件では最大値もしくはそれに近い線というところでしょう。

北川さんの場合、被害者の外傷の程度はそれほどでもないようですが、「反省の情」をみせないことなどによって10年くらいにはなりそうです。老後の生活の安定は公判中の北川さんの「態度」ひとつにかかっているといえるでしょう。

というようなことまで北川さんが考えていたかどうか知りませんが、まあ、こう言ってはナンですが10年以内にはお迎えが来そうですから、「殺人未遂」というのはちょうど良いのです。また、まかり間違って2人とも殺してしまったりすると死刑の可能性も出て来ますが、北川さんの年齢だと執行前に逝ってしまいそうですし、北川さんにとってはそれで困るということもないような気も。てゆうか要するにこの人の場合、死刑判決を受けた方が長く生きられそうです。

一方で万引きくらいで済ませていると、最悪の場合実刑判決が出なかったりして、79歳の老女に「自立」することを要求するような血も涙もない「支援施設」に逆戻りですから、頑張って累犯を重ねるしかないのですが、これはこれで中々苦労です。北川さんの「犯行」は結果として北川さんにとって最適であった、ということになるでしょう。このような犯罪を防止する為には果物ナイフの販売・所持を禁止することが緊急の課題であることは言うまでもありません。果物は丸かじりしましょう。リンゴをかじると歯ぐきから血が出ますが、りんご娘.はどこをかじっても血が出ます。
karenoketraninotte.jpg
posted by 珍風 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

いいからさっさと「デジタルの世界」へ行っちまいな

NHKは自民党の党費で運営すればいいのに、政府が税金を使って製作していました。自民党は長く政権政党であったので公私混同をしているようです。早速解散させるべきでしょう。

NHK、政府主催のシンポ放送 子会社受注表示せず

 NHKの子会社が政府機関などから千万円単位でシンポジウムの運営を受注し、後日、NHKが放送番組として、これらのシンポを取り上げていたことが明らかになった。番組を見ても、子会社が受注したことは伏せられており、政府など外部機関が主催したことを告知しない番組も多かった。有識者からは「事実上スポンサーつきの広報番組だ」との批判が出ている。
 放送法では、政府を含む特定の者の利益のためにNHKが放送をすることは認められておらず、NHKはスポンサーをつけず、受信料で番組制作するのを建前としている。
 受注したのは、「NHKエンタープライズ」「NHK情報ネットワーク」など制作子会社3社。3社の株はNHKが過半を所有。役職員もNHKの出身が多く、グループとしての一体性が強い。
 このため、発注者側はNHKで放送されると信じ、契約したケースが目立つ。契約金はシンポ1件あたり1千万〜3千万円。発注者が政府機関の場合は国の予算から支出されている。
 シンポの司会はたいてい、NHKアナウンサーや解説委員が務め、後日、そのシンポはNHK教育テレビの「日曜フォーラム」や衛星第2テレビの「BSフォーラム」で全国放映された=表(略す)。
 子会社は「NHKへの番組提案権」を武器に営業し、広告会社などに競り勝って受注する場合もあった。番組を企画立案し、NHK本部に取り上げるよう直接提案できるのは、06年7月に外部に一部開放されるまで長く3社だけに限られていた。なかには「こんな企画はどうでしょう。テレビで放送しますから」などと事実上約束したうえで契約した例や、契約書に「番組制作及び放映に関する業務」と明記した例もあった。
 米国では、政府がカネを出していることを視聴者に知らせず、政策宣伝することは「非公然プロパガンダ」として原則禁じられている。05年、米政府の教育政策をほめる放送番組の裏で、教育省が出演者に金銭を渡していたことが発覚。議会の会計検査院は同省に是正を要求した。
 英国の公共放送BBCはガイドラインで「イベントの主催者から放送費用に充てられるカネを受け取ってはならない」と定めている。BBC元幹部はNHKの放送について「驚いた。BBCでは許されないことのように見える。編集の独立、政府との関係、透明性、不公正な競争など多くの論点がある」と語った。
 放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員の服部孝章・立教大学教授も「こうした放送は『広報』。直接NHK本体に契約金が入っていないとしても、子会社を隠れみのにしているだけだ」と批判。オックスフォード大学などでBBCとNHKを比較研究してきたヘンリー・ローレンス博士は「事実だとすれば、政府とNHKの関係があまりに近い。公共放送は政府の影響から自由でなければならないが、政府機関から個々の番組に支払いがあるのならば、それが不可能になる」と論評した。(奥山俊宏、蛭牟田繁)
■「公共性が高く広報ではない」
 NHK広報局の話 番組化されたシンポはいずれも公共性の高いもので、官公庁などの広報番組とはまったく異なる。関連団体によるシンポの企画運営は株式会社として正当な事業で、放送を前提にした営業を行っている事実はない。シンポの主催者を毎回明示する必要や、企画・運営をどこがいくらで受注しているかを放送の中で伝える必要はないと考える。それぞれのテーマについてシンポの出席者の発言を紹介し、視聴者に考えていただく材料を提供することが番組の狙いだからだ。

2008年8月23日 asahi.com


バカ殿アル中の一件以来、積年の大怨ある朝日は一矢報いたという感じですか。つまりイベントの運営の仕事を取るのに、NHKの子会社である点を活かして「うちでやらせていただければTVで放送しますよ」とか言うんでしょう。それで仕事が取れると「子会社」ではその案件を、今度はNHK向けに番組企画として提案するわけです。するとNHKではそのイベントを番組として放送するわけですが、それは『日曜フォーラム』(要注意番組だな)などの、一般には「討論」番組だと思われている枠で放送するし、制作が「NHKエンタープライズ」とかになっており、かつまたこの番組の内容をなす「スンポジウム」が政府機関の主催であることを明示しないことによって、視聴者にはこれがNHKが制作した公開討論番組であるかのような外見が与えられるというわけです。

政府としては世論誘導の為に血税を使ってイベントを開催するわけですから、単にその場限りのイベントに終わるのではなくそれが放送されるのであれば効果はより一層高まるわけですから、「子会社」の提案は他社に比してかなり魅力的なものです。子会社はこのような排他的な利点を有することから、その受注については他社よりも高額に受けていることが想像されますが、それはまたこの「子会社」が受注しNHKが放送した案件が政府にとって重要性の高いものである可能性を物語っています。例えば今年の6月というタイミングで放送された「太平洋と日本海、そしてアジアにひらく道」(大袈裟なタイトルですが、トンネルが通っただけです)などはその例でしょう。

放送された「討論」が、実は政府主催の「イベント」だったのであり、しかもNHKはそれを明示していなかったわけです。シンポジウム参加者は遊びでやっているのではなく、「ものづくり立国」の残間里江子さんなどはそれで喰っているわけですから、やはり主催者の意に添うように進行し、発言を調整するのは当然のことです。もし視聴者がその「イベント」の主催者が誰であるかを知っていれば、このようなバイアスは視聴者側である程度調整するものですが、NHKはこれを明示しなかったことによって、これを妨げ、視聴者に誤った情報を伝えたことになるでしょう。

したがってNHKの広報の言っていることは次のように間違いです。テーマが公共性の高いものであるとしても、それが政府機関の主催する場で語られることによってその内容の「公共性」には疑義が生じ、「官公庁などの広報番組」なのではないかという疑いが生じること。NHKへの番組提案権を背景にした営業は他社に比べて極めて有利であること。「シンポの主催者」が誰であるかという認識が発言者の発言内容に多大な影響を及ぼすことから、その点に関する情報が無ければ視聴者は発言について正当な評価を下せないこと。

そこで気になるのは「子会社が受注したことは伏せられており、政府など外部機関が主催したことを告知しない」のは、NHK独自の判断であったのか、「子会社」と政府機関との契約によるものであったのかというところです。NHKがそのような判断をしたとすればそれは何故か。単に「必要がない」というのでは説明になりましぇん。また「子会社」と主催者の間でそのような契約が締結されていた場合、NHKはその番組企画を却下するだけでなく、このとき主催者が政府機関であった場合はその契約自体をジャーナリズムとして問題とすべきでしょう。するわきゃねーか。早くデジタルになっちゃえばいいのに。
posted by 珍風 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

ちゃんこもりもりスモウキング・レスラー

いわゆる「メタボ」の診断基準から「腹囲」が除外されそうな状況なのですが、おそらくこれを最も歓迎しているのは相撲取りでしょうな。なんといっても相撲は日本の国技であります。とはいえ、「国技」にはっきりした意味があるわけではありません。こういうことになったのは1909年に両国に作られた相撲施設に「国技館」という名前を付けたのがきっかけなんだそうです。つまり「国技館」でやってるから「国技」というわけで、これ以上ないというほど明解であります。

大麻所持:間垣親方「まじめにけいこ。まさか」

 大相撲の若ノ鵬(20)が大麻所持容疑で逮捕された事件は、21日の理事会で若ノ鵬の解雇決定、師匠・間垣親方(元横綱・二代目若乃花)の理事辞任という相撲界では異例ずくめの展開をみた。
 事件を受けて開かれた緊急理事会は午後1時から約50分間に及んだ。異論なしで若ノ鵬の解雇を決めたあと、理事辞任を申し出た間垣親方について「理事会として処分してはどうか」という声も出た。しかし、北の湖理事長の「辞任は重い決断だ」との意見で、結局、事件を若ノ鵬個人の不始末とし、間垣親方は「処分なし」で収束した。間垣親方の今後の処遇について、北の湖理事長は「生活指導部委員として活動してもらう」と話した。委員は、理事、監事に次ぐ役職で実質、降格となる。後任理事は決めず、当面空席にする意向だ。
 間垣親方は98年に理事に選出され、現在6期目。大阪場所担当部長として春場所を陣頭指揮していた。間垣親方は、理事会後の記者会見で、「(若ノ鵬は)まじめにけいこするし、素直だったのでまさかと思った。今後、(弟子の)普段の生活から徹底して指導したい」と述べた。
 外国出身力士が絡む不祥事頻発に、伊勢ノ海再発防止検討委員長(理事=元関脇・藤ノ川)は「悪いことは知っているはずだが、禁止事項を盛り込んだマニュアルを早急に作り、再認識させる。教習所と連携して(外国出身力士を)再教育する必要がある」と話した。また理事会では、17日に終わった夏巡業での朝青龍の行動についても「わがままな態度はひどすぎる」などの指摘や注意すべきだとの意見が出たという。【上鵜瀬浄】

2008年8月21日 毎日新聞


この裸の男達による力くらべは日本文化の中で「神事」としての性格を色濃く残していると言われています。おそらく、JRのポスターのヒゲ男で有名になった黒石寺の「蘇民祭」などのいわゆる「裸祭り」と関係が深いのではないでしょうか。あれも蘇民袋というものを取り合う、という競技的な性格を持った、たいへんスポーティーなお祭りです。

もっとも古代オリンピックだって全裸の男達の競技会であったことには変わりがなく、そのうえ女の人は入場禁止でした。女性の目のないところで古代ギリシアの男達が何をやっていたのか想像に難くないわけですが、これとてゼウス神に捧げられる祭りであり、宗教的な儀式としての意味合いを有していたことも相撲と同様です。西欧近代的な観点から見ればまわしを着けている分、相撲の方がやや上品かつ局部の安全に配慮されているとも考えられるでしょう。

ところが相撲においては他の格闘技に見られないような、極めて宗教的な要素が大きな特徴となっています。それは他でもありません、相撲取りがひとり残らず「デブ」であるという点にあります。もちろん体重が重い方が勝負において有利であるとされているのですが、これは何よりも力士の身体を神の依り代として畸形化しているものと考えることができるでしょう。神は珍奇なものに宿るのであって、相撲取りの醜悪なまでの「異形」は、日本文化としての相撲を考える際に看過すべからざる重要なポイントであります。

こうして考えてみると、相撲というのはものすごいデブの大男が裸で取っ組み合うのを見物してひたすらビックリしたりするものであると言えるでしょう。それはひどくオカシな連中がどう見てもヘンなことをしているのを眺めて楽しむものなのです。このような「神事」としての側面において、それは何故かプロレスに近づいてくるのですが、ここには今流行の「品格」などというものの入り込む余地はあまりないような気がします。

まあ、そんな「品格」なんてことを、「異形」においては相撲取りに勝るとも劣らないような女の人がことあるごとに口走ったりするのも「オカシな連中がヘンなことをしている」中に含めることも出来るかも知れませんが、彼女の大学での研究が他ならぬ「神事としてみた相撲」であるというのも、こうなってくると「ヘンなこと」も筋金入りであります。しかしながら彼女が主張する通り相撲は「女人禁制」なのであり、女の人は「ヘンなこと」から閉め出されているのですから、彼女の存在は根本から誤っていると言わざるを得ません。

そのほとんど人間とは思えないような外見の通り本来は神の領域にいる相撲取りに対して「品格」などという一般人の日常的道徳を要求するに至ったのは、しかし「神事としての相撲」に関する研究によるものでは当然なくて、相撲というものに抜き難く存在する差別構造の自己防衛反応にしか過ぎません。なにしろ横綱は外国人なのに日本国籍がないと親方にもなれないんですから不思議な話しです。

ここには「伝統」という観念が実際には近代国家概念と切り離すことが出来ないという困った問題もあるのですから、ここで「外来神」などということを言い出しても仕方ないわけですが、これだけ外国人の相撲取りが実力・人気とも日本人を圧倒し、あまつさえいかにも現代の若い連中にふさわしい「大麻」がらみで捕まる、という同時代性をも身につけていることが明らかになった以上は、そろそろ差別など止めてしまうか、それがイヤなら外国人は全部クビにして、人気者も悪役もいなければ新弟子も集まらない大相撲なんぞさっさと止めちまって、ささやかな「相撲保存会」でも作ってどっかの神社の片隅で人目につかないようにこっそりやっていれば良いのではないでしょうか。

そういえばかつて「デブ・ブス・ババア」は「風俗の三悪」と言われたもんですけど、若くてキレイなコでも接客態度が悪いのはダメですね。

若ノ鵬“態度が悪くなった”

大相撲の幕内力士・若ノ鵬が、大麻を隠し持っていたとして逮捕された事件で、つきあいのあった複数の力士が、日本相撲協会の調査に対し、「この数か月間で、若ノ鵬の態度が悪くなった」などと話していることがわかりました。

2008年8月20日 NHK


親方はまじめにやってたと言ってましたが。しかし態度が悪いからどうしたというのか。なにこれ。
posted by 珍風 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

三位一体くたばっちまえ

裁判員制度施行時期に関する緊急声明

最近、一部から、来年5月21日から施行される裁判員制度の施行時期を延期すべきではないかという意見が表明されています。

しかし、当連合会は、刑事弁護を担ってきた立場から、また、国民の司法参加を願ってきた立場から、裁判員制度が予定通り実施されるよう強く求めます。当連合会は、裁判員制度実施に向けて、今後とも万全の体制で準備にあたります。

人質司法と言われるように密室の中での違法不当な取り調べが横行し、自白しないと保釈が許されない、いったん虚偽の自白をすると、撤回が許されず、捜査官が作成した膨大な調書のみが積み重ねられます。そして、99.9%が有罪判決であるという状況の下で、裁判官は有罪判決を下すことに慣れてしまい、有罪判決を書くための要素のみを無意識にピックアップしてしまうおそれがあります。捜査も裁判も官のみが行う状況ではチェックが働かず、一向に冤罪はなくならないのです。

今回の法改正で、公判前整理手続が導入され、弁護人の活動により、捜査側の手持ち証拠が広範囲に開示されることになりました。再審開始決定された「布川事件」のような冤罪事件で問題になった捜査側の証拠隠しの防止のためには大きい改善であり、裁判の充実にも良い結果をもたらしています。

しかし、人質司法や調書裁判という刑事裁判の根本的な欠陥はそのままです。

これを変えるためには、市民のみなさまに裁判に関与していただき、無罪推定の大原則の下、「見て聞いて分かる」法廷で判断していただくことが不可欠です。

「見て聞いて分かる」法廷では膨大な調書は存在できませんし、捜査も自白よりも物的証拠や科学的な捜査を重視する方向に向かわざるを得ません。


市民のみなさまにはご負担をおかけしますが、是非とも裁判員裁判に参加していただき、みなさまの健全な社会常識を司法の場に生かしていただきたいのです。

事前のアンケートでは不安を覚える市民の方が多いという報道がなされています。

この点、同じ市民が司法に直接参加し、検察官の不起訴の判断の妥当性を判断する検察審査会では、守秘義務を負いつつも、多くの市民が日常生活を中断して参加されていますが、参加前のアンケートではやはり多くの市民の方が参加に消極的です。しかし、一度審査員を経験された後では、実に96%の市民の方が「参加して良かった」と言う御意見に変わっています。諸外国でもこのような傾向は同じです。裁判員制度は誰もやったことがなく情報も少ないためご不安を覚える方も多いと思いますが、問題のある刑事裁判を良くするために是非ともご参加をいただきたいと考えています。

もちろん、今の裁判員裁判制度に改善すべき点がないというわけではありません。また取調べの可視化(取調べの全課程の録画)なども極めて不十分です。しかし、裁判員制度を実施することによって、改善すべき点は改善し、また、取調べの可視化(取調べの全課程の録画)をさらに広げたり、調書裁判の弊害や人質司法の弊害を改善する動きを進めていくことが大切です。裁判員裁判を延期したのでは何よりも根本的な欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続く結果となるだけです。

多くの冤罪弁護事件を支援し、刑事弁護を担ってきた当連合会は、裁判員制度を延期して今の刑事裁判を継続するのではなく、この制度を実施の上、欠点があれば、実施状況を見ながら改善していくという方法で進めるべきであると考えます。

世界に誇れる刑事裁判の実現に向けて予定通り実施されるよう、ここに改めて強く求めるものです。

2008年(平成20年)8月20日
日本弁護士連合会
会長 宮ア 誠


確かに現状の刑事裁判制度には問題があり、そのひとつが糾問官が分裂したかのような裁判官と検察の関係にあることは間違いありません。その点について声明では「今回の法改正で、公判前整理手続が導入され、弁護人の活動により、捜査側の手持ち証拠が広範囲に開示されることになりました。」なんて威張っていますが、公判前整理手続は非公開であり、裁判員も参加していません。ところが裁判の帰趨はほとんどこの段階で決定してしまうようなものですから、声明に言うところのいわゆる「チェック」は今まで以上に働かなくなりました。

その意味ではむしろ米国式の陪審制に利点があります。もっともその場合、裁判の公正さを制度としていかに補償しうるかという問題があります。裁判官については、一応、身分保障などその独立を守る為の制度というものがありますが、一般市民たる陪審員には何の補償もありませんし、特に高い報酬が得られるというわけでもありません。ましてや近代的な法制度の基本的な発想すら耳にしたこともないという人が大半であって、裁判が「公正」でなければならないという観念さえ持ち合わせない人たちかもしれないわけです。そしてこの点では裁判員制度も全く同じような難点を持っています。

どうも裁判員制度は世界中から悪いところを集めたような感じがしますが、その場合に犠牲になっているのは憲法において被告人に保障されている「公正な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利」であります。また、「市民が日常生活を中断して参加」することに「配慮」して闇雲に「迅速」化した裁判は、逆に「すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ」る権利をも侵害する可能性があります。この制度が憲法違反であるといわれる所以です。

にも関わらす声明では「もちろん、今の裁判員裁判制度に改善すべき点がないというわけではありません」としながらも、「裁判員制度を実施することによって、改善すべき点は改善し、また、取調べの可視化(取調べの全課程の録画)をさらに広げたり、調書裁判の弊害や人質司法の弊害を改善する動きを進めていくことが大切です」などと乱暴極まる議論を展開しています。問題があることを認めながら見切り発車をして、悪いところは段々直していこうという話しですが、これによると少なくとも制度の発足当初は極めて不完全で危険な裁判が行われるということになります。この時期の裁判に当たった被告人はずいぶん不利な扱いを受けることになるのですが、それもやむを得ないというのが日弁連の見解です。こいつ本当に弁護士ですか。

そのうえ「取調べの可視化」が「広がる」などというのはいい加減な言い草で、全面的に可視化されるのでなければ都合良く編集された「作品」など見る価値もありません。その手の「映像作品」の証拠価値を否定する裁判官もいますが、騙されやすい素人に対しては印象操作として大きな力を発揮するでしょう。この点は重要と考えられます。日弁連はこんな声明を出すのではなく、少なくとも取調べの全面的可視化を取引条件として、それが実現されるまで裁判員制度についての一切の協力を拒むべきでしょう。それとも刑事裁判ってのは「裁判官と検察官と弁護士の御名において」厳かに執り行われてるんでしょうかね。くたばっちまえ、アーメン。

uxeddinguberu.jpg
「くたばっちまえ」のところはベース弾いてたモーリ(毛利公子)。向かって右の人ですが、彼女は出産中に胎児が死亡し老廃物が母体に逆流するという酷い死に方で29歳で他界。伴天連の呪いであろう。恐ろしいことである。
posted by 珍風 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

悲劇のメタボ姫

千葉県といえば、「血液サラサラ」ブレスレットの販売で組織犯罪処罰法違反に問われたサンキューコーポレーション元社長梶本稔さんたちの判決が18日に千葉地裁松戸支部で言い渡されましたが、伊藤正高裁判長は「中高年層の健康不安をあおり、これに付け込んだ悪質な犯行」であるとして梶本さんに懲役5年6月の実刑判決、同社元幹部の5人には懲役4年から2年の、いずれも実刑判決となりました。

ブレスレットで血液が「サラサラ」になる、なんてのは何の根拠もない話しですから、かえって商売に利用するのには向いているといえましょう。下手に科学的な根拠があったりするとかえって大変です。仮説は常に批判され、いつ否定されるか分かったものではありません。変転きわまりないのが科学というものの常であります。

メタボ診断:国際基準、腹囲外れる 日本は維持か−−年内にも発表

 メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の診断基準が国際的に統一され、腹囲が診断の必須条件から外れることが分かった。年内にも暫定基準が公表され、今後、世界のメタボ診断や治療・研究は、統一基準に基づいて行われる。一方、日本が今年度から始めた特定健診・保健指導(メタボ健診)では、腹囲測定が必須でシンボル的存在。今回の統一に日本は従う予定はなく、国際的に日本の特異さを際立たせることになる。
 世界には複数のメタボ診断基準がある。このため、約150カ国の専門家が参加する国際糖尿病連合(IDF)と、米国コレステロール教育プログラム(NCEP)が中心となって、基準統一を呼び掛け、メタボに関する世界の主要学術団体の代表が今年2月から協議を進めた。
 IDF基準は、腹囲が基準値以上で、中性脂肪など血液検査の結果の4項目のうち2項目に異常があればメタボと診断する。腹囲は人種別に定めている。一方、NCEPと米心臓協会・米国心肺血液研究所は、腹囲など5項目のうち3項目に異常があればメタボとする。腹囲は必須条件ではなく、基準値は1種類しかない。統一基準はNCEPを基本とし、腹囲は必須条件から外れるが、人種別に定める。NCEP基準は肥満でなくても他の項目に異常があればメタボと診断される。
 日本基準の基準策定で中心になった日本肥満学会理事長の松澤佑次・住友病院長は「日本の基準は、腹囲によって対象者をNCEPよりも絞り込んでいる。効率的な対策を実施するという意味では日本基準は正しく、変える必要はない」と話している。【大場あい、永山悦子】

2008年8月20日 毎日新聞


まあどうせそんなもんだろうという気が、なんとなくしていた人も多いでしょう。松澤さんは往生際が悪いようですが、はたして診断基準としての価値があまりない「腹囲」によって「対象者を絞り込んで」しまうことで、かえって医学的なアプローチを必要とする対象を見逃してしまうおそれはないのでしょうか。あいちゃんと悦っちゃんの解説記事をどうぞ。

クローズアップ2008:メタボ、国際基準統一へ おなか優先、日本だけに

 ◇男性85センチ、女性90センチ
 腹囲測定をメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)診断の第一条件として、今年4月から始まった特定健診・保健指導(メタボ健診)。「男性85センチ、女性90センチ」という腹囲基準の分かりやすさが注目を集めたが、肝心の腹囲が国際的な統一基準の必須条件から外されることになった。世界とは異なる基準で、公的健診を続けることは妥当なのだろうか。【大場あい、永山悦子】

 ◇健診現場も「根拠に疑問」
 先月、東京都江戸川区でメタボ健診を受けた60代の女性は「腹囲を測ってもらえれば、食事に気をつけるきっかけになる」と屈託なく話した。受診者は順に、ついたてで仕切られたスペースに入り、腹を出してメジャーを巻かれた。
 メタボ健診は、メタボや予備群に該当する人を健診で見つけ出し、生活習慣改善のための保健指導を実施する新しい公的健診だ。まず腹囲を基準に受診者を振り分け、その後、血液検査の結果などを加味して指導の必要性や内容が決められる。だが、保健指導に携わる看護師は「去年までと検査項目が変わったことに気づいても、何を目的とした健診か理解している人は少ない」と漏らす。各地の健診会場では腹囲測定に対し、「根拠が理解できない」「スポーツで鍛え腹囲が大きい場合も基準に引っかかるのはおかしい」など疑問の声が上がっている。
 厚生労働省のメタボ健診の基本指針は「生活習慣病の発症には内臓脂肪の蓄積が関与している」とする。内臓脂肪が蓄積した肥満に高血糖や高血圧などが重なった状態がメタボで、心筋梗塞(こうそく)など心血管疾患を発症しやすくなるとの考え方だ。腹囲測定は、内臓脂肪の多い人を見つけるために導入した。
 だが、メタボ健診の基になっている日本内科学会など8学会による腹囲基準には「世界で唯一、男性の基準が女性より小さい」など、策定当初から再検討を求める声が相次いだ。8学会は今年3月、再検討に取り組む方針を発表し、厚労省研究班も2万4000人のデータから最適な基準を導き出す作業に着手した。腹囲基準を何センチにすべきか、今なお議論が続いている。

 ◇心血管疾患との関連不明
 腹囲を第一条件にした日本の基準に当てはまる人が、本当に心筋梗塞などの心血管疾患を発症しやすいのかも不明のままだ。
 厚労省研究班の磯博康・大阪大教授(公衆衛生学)が茨城県内で実施した疫学調査(約2600人対象)。日本の基準でメタボとされた人が、心血管疾患を発症する危険性は、メタボでないとされた人と変わらなかった。一方、腹囲を必須条件としていない米国コレステロール教育プログラム(NCEP)の基準でメタボとされた人は、発症の危険性が高かった。
 磯教授は「日本人を対象にメタボと心血管疾患の関係を調べた研究はあまりない。これから最適な基準を検討する段階」と話す。
 欧米では、心血管疾患を起こしやすい人を見つけるには、NCEP基準が適しているとの研究成果が多い。ある専門家は「海外に論文を出す時は、日本の基準では掲載を認められないため、NCEP基準で分析する人がほとんど」と明かす。
 しかも、NCEP基準ですら、心血管疾患との関係に疑問を投げかける研究もある。英医学誌ランセットに5月、英国での疫学研究が発表された。60〜80代の計約7500人を対象に、NCEPの基準と心血管疾患との関係を調べると、基準に合致してもしなくても、発症の危険性にほとんど差はなかった。
 研究を担当した英グラスゴー大のナビード・サッター教授は「日本が腹囲をメタボ健診に使っていると聞いて驚いた。この基準で心血管疾患の危険性の高い人を見つけようという方法は医学的に意味がなく、貧弱な医療としかいいようがない」とあきれている。
 報道機関も冷ややかだ。
 「細いウエストを探し求め、膨大な数の人を測る日本」。6月中旬、米紙ニューヨーク・タイムズにこんな見出しの記事が掲載された。日本のメタボ健診を「太りすぎがあまりいない日本で、一般市民をスリム化するために始まった野心的なキャンペーン」と紹介し、腹囲の結果に一喜一憂する受診者の様子や自治体の担当者らのコメントとともに、制度の目的が「医療費抑制という政治的問題にある」と解説した。

 ◇「労働時間の短縮が先だ」−−独自の重点設ける動きも
 健診の重点をメタボ以外に置く動きもある。
 ヤマハ(浜松市)の健康管理センターが取り組むのは、社員への禁煙指導だ。その結果、同社本社工場では男性の喫煙率が25%と、全国平均(約4割)よりも大幅に低い水準となった。同社は11年度から全国の同社施設敷地内の全面禁煙に踏み切る。倉田千弘所長は「メタボ基準に科学的根拠はないが、禁煙には、がんと心血管疾患の予防につながるという世界中の研究成果がある」と指摘する。
 愛知医科大が会社員360人を対象に実施した調査では、1カ月の残業時間が長い人ほど、心血管疾患の危険性が高かった。
 渡辺美寿津准教授(メンタルヘルス)は「特定健診は個人に生活習慣の改善を求めるだけで、職場への働きかけが不十分だ。労働時間の短縮など、労働環境を変えなければ、心血管疾患の危険性は消えない」と話している。

2008年8月20日 毎日新聞


「日本の基準でメタボとされた人が、心血管疾患を発症する危険性は、メタボでないとされた人と変わらなかった」んだとか、日本の「診断基準」で論文を書いても相手にされないとか、ところが一方ではNCEPの診断基準にしても「NCEPの基準と心血管疾患との関係を調べると、基準に合致してもしなくても、発症の危険性にほとんど差はなかった」という研究もあるとか、はてはヤマハの健康管理センターの所長に「メタボ基準に科学的根拠はない」と断言されてしまったり、大変なことです。この記事のキモとしては渡辺美寿津准教授の「特定健診は個人に生活習慣の改善を求めるだけで、職場への働きかけが不十分だ。労働時間の短縮など、労働環境を変えなければ、心血管疾患の危険性は消えない」という指摘が重要でしょう。

ところが、日本の「腹囲」基準には「科学的根拠」がなく、それは「医療費抑制という政治的問題」と雇用者側の人件費抑制という科学外の根拠に基づいているのであるとすれば、それ故に科学的仮説のように批判にさらされる必要もなく、別の有力な科学的仮説によって覆される心配もないということになるわけです。だいじょうぶ大丈夫だよ。賢明な国民諸君にとっては、政府の言うことに信用ならないものが多いことはとっくにご存知でしょうから、例によって相手にしなければ良いのです。

こんなことを言うのも、あろうことかあるまいことか、「メタボ」に社命を賭けてしまった人がいるので、その人を気の毒がろうというのが本日の主旨であります。とにかくその会社のプレスリリースを読んでみましょう。

報道関係者 各位
プレスリリース
 
2008年8月19日
株式会社トレジュール
代表取締役 江藤 秀樹
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

株式会社トレジュールは、メタボリック対策メジャー「ハカラント」を発売。
携帯ネックストラップの裏を、「腹囲」のメタボリック基準値入りのメジャーにした日本初、実用新案登録済みの新商品。メタボの重要基準「腹囲」を簡単に気軽に測って、常に意識することで食事制限や運動のやる気を促進。
測って、メタボ対策!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
株式会社トレジュール(所在地:福岡県福岡市 代表取締役:江藤 秀樹)は、メタボリック対策メジャー「ハカラント」を発売いたしました。
(「ハカラント」:http://www.asayoru.com/hakarant/index.html

近年話題となっている「メタボリック症候群」の対策として、脱メタボを冠したさまざまなサプリメントや、エクササイズなどが続々と登場しております。「ダイエット」という言葉が流行し始めたころと同様ですが、2008年4月から定期健診に「メタボリック診断」が加わったことで、対象となる40歳以上、75歳未満の方にとっては、単なる健康トレンドではなく深刻な問題となり、ますます有効な対策が求められる状況となっております。

「ハカラント」は、「メタボリック症候群」の診断基準となる「腹囲」を測る、メタボリック対策メジャーです。携帯ネックストラップの裏を男性は85cm以上、女性は90cm以上である、「腹囲」のメタボリック基準値入りのメジャーにした、実用的でおしゃれなメタボ対策グッズです。メタボ対策は体重だけでなく、わかりにくい「腹囲」にも注意しなければならないのがやっかいですが、普段は携帯やIDカードのネックストラップとして使える「ハカラント」なら、いつでも、どこでも「腹囲」を測れます。頻繁に「腹囲」を測り、現状を直視し、常に「腹囲」を意識することで、食事制限や運動を自発的に始めるようになり、その成果も測れるので、意欲的に「脱メタボ」に取り組めます。「測って、メタボ対策」を提案する、日本初のメタボリックメジャー付きネックストラップという目新しさに加え、実用新案登録により、ネックストラップの裏面にメタボリック基準値を入れたメジャーは「ハカラント」だけとなる、オリジナリティーの高い新商品です。

<「ハカラント」について>
■商品説明
・ネックストラップの裏面に、「腹囲」のメタボリック基準値を入れた、メタボリック対策メジャー。
・実用新案登録(第3141020号)済み。

■機能
・ネックストラップの裏面のメタボリック基準値入りのメジャーで、「腹囲」を測り、常に意識することでメタボ対策に。
・携帯電話用ストラップとIDパスケース用の各ホルダー付き。取り外し簡単な挿通子付きで、普段は携帯・ID用ストラップとして、測りたい時はいつでもメジャーとして使用。

■色、デザイン
・高級感あふれる「ブラウン」、おしゃれな「ローズ・レッド」という、実用的な2色のカラー。
・100本からオリジナルデザインの「ハカラント」を制作。社名入りのIDパスカード用ストラップ、ノベルティー、販促グッズなどに。

*詳しくは、「オリジナルハカラント」:http://www.asayoru.com/hakarant/original/index.html

■価格
1本 1,000円(内税)

■販売方法
・通販サイト「朝夜どっとこむ」(http://www.asayoru.com/)にて、通販限定販売。

株式会社トレジュールは、「ハカラント」の発売により、誰でも簡単にできる、「測って、メタボ対策」の定着を目指し、日本の脱メタボに貢献したいと考えております。

【会社概要】
 ■会社名  株式会社トレジュール
 ■代表者  代表取締役 江藤 秀樹
 ■資本金  300万円
 ■設 立  平成19年11月1日
 ■所在地  〒810-0031 福岡市中央区谷1-16-3-702
 ■TEL   092-725-2519
 ■FAX   092-526-1660
 ■URL   http://www.asayoru.com
 ■Email  info@asayoru.com
 ■事業内容 通販サイト「朝夜どっとこむ」の運営

【本件に関するお問い合わせ】
 ■会社名  株式会社トレジュール
 ■担当者  秋吉 美和
 ■Email  info@tresjour.co.jp
 ■TEL   092-725-2519
 ■FAX   092-526-1660


要するに首からメジャーをぶら下げようということで、何のことはありません、テーラーではみんなやっていることです。これからは紳士服屋さんでなくても、首にメジャーを下げているのが紳士のたしなみ、ということになれば良かったのですが、発表の翌日に肝心の「腹囲」の「メタボの重要基準」としての地位が危うくなってしまったのですから不運としかいいようがありません。江藤さんとしては肥満学会の松澤さんが是が非でも非科学的な態度を貫いてくれることを願うばかりでありましょう。

商売の為に「健康不安をあおる」のはいいのですが、やはり科学的根拠のあるものをネタにするのは考えものであります。血液とブレスレット、などという突拍子のなさが命です。あるいはその存在さえ疑われている「水素水」なんてのもあります。最初から存在しないものが健康に良いも悪いもありませんが、バナ株式会社などは10月1日に東京駅八重洲北口徒歩3分というリッチな立地に「バナH東京クリニック」という「病院」を開くとか、相変わらずデカイ話しをぶち上げているようです。しかし最大限良く解釈しても、今のところその効果は証明される途上にあるに過ぎないシロモノであって、科学的評価と投資額が極めてアンバランスでありますが、まあ、つまり、あれはそういう商売なのでしょう。それに比べると「目盛りのついたストラップ」などささやかなものです。

しかし悲観するのはまだ早い。世の中には愉快な暇人がいて、面白いから1本買ってやれ、と思うかも知れません。僕はちょっと欲しくなっちゃいました。それにたとえ目盛り付きだとはいっても携帯ストラップやカードホルダー下げるのには使えるわけですから、「お笑い商品」として一部の好事家に評判を呼ばないとも限りません。メジャーはなくても構いませんがあると重宝なものです。男の子だったらお互いに「親指何本分」とか言い合うものですが、これからはちゃんと何センチ何ミリ、と言うことが出来るわけです。「俺の親指は太いんだ」などとどうでもいい言い訳をしなくても良くなるわけです。

ところでこの会社のもうひとつの有力商品が、朝用と夜用の2つの石けんをくっつけた「朝夜せっけん」という、これまたなんだか商品であります。「本件」でもなんでもかんでも「担当」している秋吉美和さんのブログ(店長ブログ)では、この石けんで磨き上げられた彼女の美貌を拝むことが出来ますが、ブログの内容が「サボリ」と「掃除」が主なのでちょっと心配です。
posted by 珍風 at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

レッツ・スポーツさあ殺せ

「テロ」や「CG」、「口パク」や「デモ」などの派手な演出が際立つオリンピックの陰で忘れてはならないのが「国体」でありましょう。「国体」にも色々ありますが、カタい話しはヌキにして、ヌキにすると僕としては「女体」の方がいいんですが、男性の方を「男体」というのはあまり耳にしないようです。しかし筑波山には「男体山」と「女体山」がありますから、言わないことはないようです。

僕は国体というのは全国を一回りしたら止めるもんだとばかり思っていたのですが、まだやっているようなのですから油断がなりません。今年はいつの間にか「第63回国民体育大会」なのです。63回目なんですってよ。このような一見無駄に思えるような知識も、イザとなると何の役にも立ちませんから、知らない方が良いくらいのものですが、63回もやっているとうのも、なかなかどうして、しぶといものです。

スポーツなどをなさる方は試合がやりたくてしょうがないでしょうから、オリンピックでも国体でも何でも出してくれるところに喜んで出てくるわけで、そういう人は当然、今年の国体がどこで行われているかご存知でしょう。しかしながら一般にはこのようなことがほとんど知られていないのは極めて憂慮すべき事態でありましょう。こういうことは調べれば分かるのですが、誰も調べないので自分で調べてみたら、今年は大分県でやっているのです。

オリンピックだとベルリンでやれば「ベルリンオリンッピック」だし、北京でやっているのは「北京オリンピック」という風に素直に呼べば良いのですが、国体は違います。何だか知りませんがそれぞれ曲がりくねった名称を付けますから、大分県でやっているからといって「大分国体」では済ませてもらえません。今年のは「チャレンジ!おおいた国体」と称します。

正確に言うと「第63回国民体育大会」は2008年の1月26日に開会式が行われ、10月7日に閉会式です。つまり1年中やっているのですが、実際には1月26日から2月22日までの冬季大会と9月27日から10月7日までの秋季大会に分かれており、「チャレンジ!おおいた国体」というのはこの秋季大会のことであって、冬季大会は「長野かがやき国体」として長野県で行なわれています。なんだか面倒ですが、スキーなんかが好きな人もいますから仕方ありません。それにしても、これだと開会式から閉会式まで256日間という期間中に「春」とか「夏」もあるのにそれは飛ばして実質39日しかやってないんですからなんだか無駄のようです。冬と秋は連続しているのですから、9月27日から翌年の2月22日までとすれば良いと思うのですが。

それにしても「チャレンジ!」であります。誰が何にチャレンジするのか知りませんが、大分県といえば今年は注目された場所なわけです。そこでこれから国体をやろうというのに、それを知らないでいる手はありません。

もっとも、教員の採用が公正でないなどということは、ちょっと「学校の先生にでもなってみようかな」と思ったことのある人であれば全国津々浦々誰でも知っていることでしょう。とにかくカネもコネもない者がそう簡単に就ける仕事ではない。まず誰よりも親がそう言って止めたりしますから。そういうのは特に大分県だけの問題ではありません。その陰で非常勤の教員が授業1コマ3000円未満、手取り月収20万円未満で退職金もなくいつでもクビになるという身分で部活の指導までやらされていたりするのも、カネとコネはあるけど能力だけはない教員に正規の給料を払う為には仕方のないことのようです。

しかもそのうえ今年は国体まである、ということです。国体があると「強化教師」とでもいうのか、漢字ひとつ満足に読めないような人が、それでもスポーツが出来るというので教員として採用されるという話しはどこでもよく聞く話しです。まあ、最近はそんなことはないという説を唱える人もあるようですが、元文部科学省の官僚で例の「教育再生会議」で「道徳」を「教科」にしよう、なんてご立派な説を唱えていた小野元之さんが、2002年の事務次官当時に

国民体育大会の開催県が男女総合優勝(天皇杯)を狙う強化策として、県外の有力な選手を教員として採用するケースについて「何が何でも優勝のためにスポーツのできる人を(採用枠に)押し込むというのはいかがなものか」と述べ、教育上の基準から外れた教員採用に対し批判的な見解を示した。

2002年11月7日 共同


のを思い出したんですね。この時は国体開催県は高知県で、実に39年振りに開催県が「天皇杯」を逸したという「事件」があったわけです(このときは東京都が天皇杯を獲得)。国体の開催県が「県外の有力な」バカを「教員として採用」して「天皇杯」をもらう、という慣例があるわけで、それまでも、そしてそれ以降2003年から2007年までにおいても、各開催県が「何が何でも」という意気込みで間違いなく「天皇杯」を取っています。

そういうわけで今年の国体で大分県が「天皇杯」を取るかどうか、という点が教員採用問題がらみで注目されざるを得ません。その他に今年の国体の注目点は、ありません。イメージソングのプロデュースが小室哲哉だとか、小室のあだ名の中には坂本龍一の「教授」に対応するかのように「先生」と呼ばれる場合があるとか、どうでもいいことですし、白いハチマキをした「めじろん」も退屈であります。

そこで教員を目指す方に採用情報。字が読めれば呼んでください。来年の国体は新潟県。寒いけどご飯と日本酒がおいしいですよ。「トキめき新潟国体」です。マスコットキャラはどうせ「朱鷺」。オスが「とっぴー」でメスが「きっぴー」と呼ばれるこのキャラはペアで「トッキッキ」といいます。そういうのに耐えられる方、来年は冬季大会も新潟ですから滑ったり転んだりがお好きな方もどうぞ。

そして再来年が千葉県。あったかくて落花生が美味しいですね。「ゆめ半島千葉国体」ですって。名称の起源は不明。「成田ゆめ牧場」と関係があるのかどうかも謎。問題はマスコットの「チーバくん」です。これが何と犬です。千葉県と犬の関係は不明。成田市に捨て犬の処分場という吉野公佳が出て来そうなものがあるそうですが、あまり考えたくありません。このオレンジ色の犬、千葉のレッサーパンダのように2本足で立ちます。これが横向きになった姿が千葉県、というよりは房総半島の形状をかたどっています。だから何なのか、意味不明ですが、これのデザインをしたのが千葉県市川市出身のさかざきちはるさん。

坂崎さんはSuicaのペンギンをデザインした人です。SuicaというのはJR東日本のプリペイドICカードで、「Super Urban Intelligent Card」の略ですが、それは多分後付けで、ほんとうは「スーパーICカード」くらいの発想だったと思いますよ。「スイスイカード」というつもりもあるようです。果物の「西瓜」がマークになっていますが、ペンギンはいかなる意味でも西瓜とは何の関わりがないと思われます。でも今ではSuicaのキャラクターとして定着しています。ペンギンはカワイイ。それなのに「チーバくん」は、結構マズいです。しかも再来年まで、これから益々千葉県のいろんなところに姿を現すのでしょう。それでも気にならないという方、千葉県の教員になりましょう。

というわけで、いいやね、カネとコネのある人とスポーツマンは。それなりに安定した生活というか、喰いっぱぐれのないようになっております。こういう人が保守的だったり自民党のお手伝いをするのはむしろ「自然」なことです。その一方でカネもコネもなくてアタマの程度もスポーツマン並みのままで「社会」に投げ出されている人の中にはそういうのに憧れちゃう人もいるようですが、そういう人には何の分け前も用意されていませんから残念でしたねえ。

chi-bayokomuki.jpgこれが「チーバくん」

chibakencitymap.jpgこっちが「千葉君」似ていますね。

chibago.jpg「千葉ゴルゴ」。似ていません。

kenzen.jpg千葉トルコ。「健全」ですから大丈夫。
posted by 珍風 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

恐怖の脳内戦争

庁内放送「ミサイルが飛んでくる!」、実は誤報…愛知県庁

 13日午後2時ごろ、名古屋市内にある愛知県の本庁舎と16の出先事務所で、「弾道ミサイル攻撃に関する情報です。攻撃の対象地域に指定されています」との放送が誤って流れた。

 県はすぐに訂正放送を流し、大きな混乱はなかった。
 県災害対策課によると、総務省消防庁が有事の際などに自治体へ情報を流す「全国瞬時警報システム」の受信テスト中だったが、庁内放送として流れないよう装置を切り替えていなかったという。

2008年8月13日 読売新聞


「全国瞬時警報システム」(J-ALERT)が活躍しています。総務省によるとこれは今年3回目の「誤報」なんだそうであります。1回目は3月に岐阜県大野町で、その次には福井県美浜町、原発のあるところですが、そこで6月30日に「誤報」が行なわれています。この時は美浜町職員が消防庁の指示によってJ-ALERTの受信装置を修理した際に、動作確認用の警報データを消し忘れたものが、修理完了直後に流れてしまったもののようです。

J-ALERTには、先ず最初にこれは訓練用の警報である、ということを示すアナウンスに始まる「訓練用の警報」を発報する為の識別コードが存在するのですが、いずれの場合もこのコードなしの本番用の警報を使ってしまったのでした。なぜそのようなことをしたのかは明らかにされていません。しかも全ての例において使用された警報が「ミサイル攻撃」に関するものであったところが妙です。まるでJ-ALERTの作動確認に際しては「ミサイル用」の本番警報を使用するように決めてあったかのようです。

いずれにしても「装置を切り替えていなかった」というようなことはどうでもいいことです。問題は訓練用の警報を使用せずに本番用のを使ってしまったことであり、その理由が説明されなければなりません。具体的には訓練用コードの入力忘れが連続した点が問題です。また、そのような場合に使用されるのが何故か「地震」でもなければ「津波」でもなく「ミサイル警報」である、ということも興味を引く点ではないでしょうか。

平均して3ヶ月に1回の「誤報」が行なわれているようですが、これはどのような影響をもたらすでしょうか。あるいは「オオカミ少年」のような効果をもたらすかも知れません。これは「ミサイル警報」の信憑を失わせる効果であって、いざ実際にミサイルが飛んで来た場合の被害を大きくするでしょう。

しかし逆にこの「誤報」によって、J-ALERTに「ミサイル情報」が組み込まれていることを強く印象づけることが出来るかも知れません。そしてその「警報」は、何だか知りませんが間違って流される、あるいは流れやすいようになっているというわけです。これによって国民は「ミサイル」の「脅威」に晒されていること、ともすると「警報」が間違って流れてしまうほどにその「脅威」が差し迫っているような気持ちになるかも知れません。

「誤報」も「情報」であり、てゆうか「誤報」であってもそれを繰り返し受け取るならば、「近頃「ミサイル」の話しを良く聞くなあ」という印象が形成されます。後から「訂正」を施すことはこれを妨げません。そこでシステムのテスト用に「ミサイル警報」を使用することは、繰り返される「ミス」と組み合わせることで国民を「ミサイルに馴らす」ことになるでしょう。これによって「ミサイルが飛んでくるかもしれないような環境」を心理的に構成し、深層心理的に「防空体制」に対する構えを作り出すことが出来ます。このようにしておくと、後ほど実際の立法によって「防空法」のようなものを制定して国民生活に強力な統制を行なおうとする時に大変便利であります。

とゆうような深い考えがあって「誤報」が流れるのかどうか知りませんが、この目に見えない「エアミサイル」は、いわゆる「体感治安」と似たようなものであると考えれば、なかなかどうして立派な「脅威」であります。もっとも、これはなんだかうなぎ屋の匂いでご飯を三膳もお代わりするみたいな話しで、ひどくビンボー臭いような気もしますが、確かにビルに飛行機をぶつけるような鬼畜米国の物量作戦に比べると安上がりですが、費用対効果は優れていると思われます。日本人の知恵とかいうやつでしょうな。日本人は頭いいそうですよ、「アラジン」によれば。あの連中にだけは言われたくないわな。
posted by 珍風 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

デス・レイプ2008

なんて言ってるとSF映画に出て来そうな人たちがやかましくなってまいりました。

農水相「やかましい」発言に首相苦言 与党からも批判

 太田農水相の「消費者がやかましい」発言に対し、11日、政府・与党内からも批判の声が相次いだ。消費者重視は、秋の臨時国会に消費者庁設置法案の提出を予定する福田内閣の看板政策。支持率低下にもつながりかねない発言だけに、記者団に問われた首相も「あまり適切な言葉ではない」と苦言を呈した。

 農水相は10日のNHKの番組で、中国製の冷凍ギョーザ中毒事件を受けた食の安全対策について「消費者、国民がやかましいから徹底していく」と発言。民主党の鳩山由紀夫幹事長が11日の講演で、「大臣としての資質を疑う。官尊民卑みたいな発想で消費者を眺めている」と述べるなど、野党は国会で追及する構えだ。

 一方、与党でも公明党の太田代表が「消費者の声を聞くことは一番大事だ」と強調。野田消費者行政担当相は「思っていることと違うニュアンスが伝わるような日本語を使わないでいただきたい」と不快感を示し、町村官房長官は同日、発言内容について農水相に電話で注意した。

 当の農水相は11日、「自由主義社会は、消費者が堂々と権利を主張し、安全性にモノを言う社会。それがいいことだと言った」と釈明した。

2008年8月11日 asahi.com


太田さんの発言の主旨は要するに「日本の国民は社会主義の国の国民と違ってやかましい」ということに尽きます。太田さんは「国民がやかましくない」状態を想定し、それに比較した日本の状態を「国内は心配しなくてもよい」にも関わらす「食の安全」に関する政策を行なわなければならない「プレッシャー」を感じるとしています。太田さんにとっては日本で「食の安全」を問題化するのは大変に不本意なことのようですが、国民の「やかましさ」という「プレッシャー」に晒されて渋々これを行なわなければならないのです。

つまり太田さんにとっては国民の「やかましさ」はない方が望ましいわけでして、ここで「食の安全」に関連して引き合いに出されていると思われる「社会主義国」である中国の国民がどれほど「やかましく」ないかどうかはさておき、そっちの方が太田さんにとっては過ごしやすい環境であるということなのでしょう。

しかしここで太田さんが中国に行ってしまうのではないかと心配するには及びません。太田さんの本心は日本の国民も「社会主義国」みたいにおとなしくなればいいのに、いや、おとなしくなるべきだというものであると思われます。

仄聞するところによれば太田さんはレイプを「容認」なさるとかいうことでありますが、実際には太田さんの発想は強姦者の発想そのものであるといっていいでしょう。強姦のキモは女性を「おとなしく」させるにあります。暴力の嵐を降らせて相手の意志を奪うことこそ強姦の醍醐味であります。

色々な人とオマンコをすると人それぞれの味わいがあろうかと存じますが、強姦はそれを否定します。暴力によって屈服させられた女性には「個性」がありません。その「反応」は不思議なほどどれをとっても同じようだといいます。強姦が癖になり、強姦者が相手への好意の有無などとは無関係に強姦を連続して行なうことがあるのはそのためです。被害者は個体性としての差異を叩きつぶされて一般的な存在にまで落とし込まれます。強姦者が満足を感じるのはそのようなプロセスを経ることによってのみなのです。

このようなプロセスが、個々の戦死者の個人性を潰して固めて「英霊」として祭り上げてしまう靖国神社においても全く同様に行なわれていることは明らかですが、太田さんにおいては死者(それは年を経るごとに少なからず「個性」を失うものですが)のみならず、現に生きている国民の全てにこれを強いることを望んでいるらしいという点において、まさに第一級の「強姦者」であるとして宜しいのではないでしょうか。

したがってこれを宇宙人(兄)こと鳩山由紀夫さんのように「官尊民卑みたいな発想」と評するのは存在そのものが暴力であるような太田さんの間尺に合いませんし、猿の惑星こと福田さんのように「あまり適切な言葉ではない」と言うに至っては何も判っていないとしか言いようがありません。適切でないどころではなく、太田さんが政治の世界で活動している動機の一端がこんなことであるという可能性があるのですからかなり不適切です。例えば太田さんが議員立法で成立させたという「児童虐待防止法」にしても、太田さんにおける暴力への強烈な感受性が逆に反映したものであると考えてみることも出来ますから穏やかではありません。

福田さんのとこの内閣はこんな危険人物を平気でのさばらせているバリアフリーな内閣ですが、僕たちとしても痛いのはゴメン被りますから、万が一太田さんが迫って来た場合に備えてチン切りナイフくらいは常備させていただきたいものです。しかしながら強姦者が性交不能になった場合に乱暴を止めるなんてことは全然なくて、かえってより直接に殺害を嗜むようになるという話しもありますから、それはそれで困ったもんです。
posted by 珍風 at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

靖国の心のトレーサビリティー

とか言っている間におバカの口は尚も暴走を止めません。

太田農相の発言要旨 日本の消費者やかましい

 太田誠一農相の10日の「食の安全」に関する発言要旨は次の通り。

 評論家のようなことを言うようだが、社会主義の国と日本のような民主主義の国は違う。消費者としての国民がやかましくいろいろ言うと、それに応えざるを得ない。中国のように、基本的には何も教えなくてよい、まずいことがあっても隠しておいてよい、消費者のことを考えないでもよいという国とは違い、常にプレッシャーにさらされている。特に日本の場合は潔癖だから、基本的に私は食の安全というのは国内は心配しなくてもよいと思っている。ただこの数年間、トレーサビリティー(生産履歴)やHACCP(総合衛生管理製造過程)の仕組みがだんだん定着してきたので、それを進めていきたい。食の安全については、今でも日本は安心なんだけれど、消費者や国民がやかましいから、さらに徹底してやっていく。

2008年8月10日


口を開けば舌禍、股を開けばスキャンダル、もうこうなったら直ちに内閣を改造して閣僚全てお話の不自由な人で揃えた方がいいでしょう。太田さんも後になってから言い訳をしているようですが、8月15日には彼にとっていちばん心休まる場所に赴くのだそうですから、何を言っても無駄というものです。

一般に死んだ人はやかましくないようです。僕の親父も死んで8年になりますが、あれ以来うるさいことは言わなくなりました。靖国神社にはそういうやかましくない国民が大勢いるのですから、太田さんも安心ですね。死んだ連中はどんなに恥ずかしい格好をさせられ、肛門に挿入され、口内に射精され、鼻腔を犯され、耳の穴に針金を通されていいように利用され、さんざん食い物にされても文句一つ言わないんですからこたえられません。これがホントの死体放題。

今も昔も変わらぬ靖国の心を大切にしましょう。

良い国民は死んだ国民だけ

posted by 珍風 at 06:06| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

お坊ちゃん達の卑しい口

「せいぜい頑張って」五輪代表を福田首相流?激励

 福田康夫首相は8日、北京五輪開会式を前に日本選手団を激励するため選手村を訪問、あいさつした。
 ただ、「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」とか「私はね、日本国民のためにメダルをいくつ取ってくれなきゃ困るなんてこと言いません。余計なプレッシャーかけちゃいけないと思って自制しているんです」などと、しばらく鳴りを潜めていた軽口を連発させた。とどめは「今年は、みんな旅行にも行かないで、家でテレビの前で一生懸命見ようということのようだ。ガソリンが高いせいもちょっとあるんだけどね」。
 華やかな会場で心が緩んだのか、首相本人は終始笑顔だったが、選手たちの心境はいかに。(北京 酒井充)

2008年8月8日 産經新聞


アルカイダの死に神といい、ヒョットコナチスといい、何代目でも構わないっすけど、なんで日本の政治家は金持ちの息子のくせに喋ることが卑しいんでしょうね。もうほとんどビンボー人が急にエラくなって威張りだしたようなチンケな人々が、実は良家の御曹司だったりするんですからビックリです。ああいった連中は恵まれた環境の中で優れた訓練を受けた「国民の選良」だということになっているんですから、外国から見ると一般の日本人のレベルはあれら以下であるというふうに思われちゃうわけです。

これは例えば谷亮子(トヨタ)が「日本一の美人だ」として紹介されるのと同じだ、と言えば分かりやすいでしょうか。谷佳知さんには分かりにくいかも知れませんが、しかし、例えば世界規模のミス・コンテストの日本代表の方も????????????????な風貌の人は多い、と僕は思いますから、人それぞれですよ。

「せいぜい」という言葉の辞書的な意味は「一生懸命に」などでありますが、現代では「どうでもいいけどやりたきゃやれば」というニュアンスで使用されることが多いようです。ここでは相手が「頑張る」対象である事柄への話者の低い評価、あるいは相手が「頑張る」ことの効果に対する話者の期待の低さを含意しています。いずれにしても相手をバカにした言い方になります。福田さんにとっては谷さんが勝とうが負けようが、ママでも金だろうが銅だろうが、離婚でも金だろうが不倫でも銀だろうがどうでもいい、とにかくお前らのやっていることに興味がないというわけでしょう。

これは僕も全く同意見ですが、谷亮子(トヨタ)が見事に「金」を逃して「銅」に甘んじたという話しは知っていますし、それが福田さんの「失礼」な「応援」のせいにされるのであれば、自民党の熱狂的な支持者に(明日だけ)鞍替えしても構わないとは思います。しかし明後日にはその支持を取り下げることになるんですから、なにもそんな面倒なことをする必要もないのかも知れません。

なんといっても今年の夏も僕のうちでは「旅行にも行かない」んですが、それは何も「ガソリンが高いせい」でもなければ、勿論オリンピックを見るからでもありません。福田さんはマリー・アントワネットにでもなったつもりかも知れませんが、キルステン・ダンストよりも気持ち悪いので止めてもらいたいものです。いつまでも止めないようだと断頭台の露と消える名誉が与えられるかも知れません。

「ガソリンが高ければテレビでオリンピックを見ればいいじゃない」という発言は、当の「オリンピック」をご本人がさんざんバカにした後だけに、国民一般への侮蔑の言葉であると受け取られます。もっともマリーさんの発言については、あれは別人のものであるらしいのですが、残念ながら福田さんの場合は産經新聞のおかげで言い逃れは出来ません。とはいえ、福田さんのもマリーさんと同様に無知或は幼稚さの表れであると考えれば、あるいは仕方のないものだということになるかも知れません。日本の「選良」の無知蒙昧(本当にマンガをちゃんと読んでるのか?)と人格の破綻ぶりを余すところなく全世界に印象づけたヒョットコナチスよりは若干かわいげがあるというものですから、このくらいのことで産經新聞に誤摩化されるほど日本人は馬鹿ではありません。

てゆうか馬鹿は北京に行ってしまっているところですが、まあ、悪いことは言いません。メダルなんて本当にどうでもいいですから殺される前に帰って来た方がいいみたいですよ。いろいろ危険なことがあるみたいだし、黒海のほとりではもう本物の戦争が始まったのですから、もはやあなたたちが「別の手段をもってする戦争」を継続する必要はなくなってしまいました。まあ別に無理に生きて帰ってこなくてもいいやね。
posted by 珍風 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

stop stop taspo! stop taspo!

さあ夏だ少年非行の季節だぜ。爆発する若いエネルギーが無軌道な青春でセックスドラッグロックンロールだ。喫煙は「非行の入り口」といわれ、やがて必ずや飲酒や万引きを引き起こし、さらに薬物乱用から強姦強盗などの凶悪犯罪に出世して遂にとうとう人を殺し始め、気がついたら要人暗殺や暴動内乱を経て国家転覆、革命政権の樹立に至るものであるとされていますが、何事もそう巧くはいかないものであります。

長男にタスポ貸した父を書類送検

 宮崎県警延岡署は6日、18歳の長男に成人識別カード「taspo(タスポ)」を貸した上、購入したたばこの喫煙を放置したとして、未成年者喫煙禁止法違反の疑いで無職の父親(60)=宮崎県延岡市=を書類送検した。「タスポを貸してくれとせがまれた」などと供述し、容疑を認めているという。
 調べでは、父親は6月20日ごろ、自宅で無職の長男にタスポを貸し、タスポを使って購入したたばこを喫煙しているのを知りながら止めなかった疑い。
 長男は近所の弁当販売店の店先にある自動販売機でたばこを購入、自宅で喫煙していたという。別の事件の捜査で家族から事情を聴き、長男の喫煙が判明した。

2008年8月6日 スポスポニチャニチャ


肝心の「別の事件」の方がどうなったのか気になるところですが、「未成年者喫煙禁止法」では未成年者を喫煙から守ることが目的となっております。名称からすると、ガキの喫煙は良くないことだから禁止する、という風に読めますが、実際にこの法律によって処罰を受けるのは「親権ヲ行フ者」とか「煙草又ハ器具ヲ販売スル者」なのであって、この人たちが未成年者に喫煙を「させた」咎をもって1万円未満の科料とか50万円以下の罰金を取られることになっています。喫煙をした未成年者自身には罰則はありません。

未成年者自身の喫煙そのものについては、第1条で禁止をし、第2条では見つかったら煙草を没収することになっていますが、それだけの話しです。これは何よりもこの法律の保護する対象が未成年者であることによります。未成年者はいわば「被害者」なのです。ここんとこは「大麻取締法」などという出来損ないの法律とは選を異にするところでありますが、一体全体何の「被害者」なのか、未成年者における何を保護法益としているのかよく分かりません。まあ「児童ポルノ」などというのもありますから、「未成年者」が、その周囲にわけのわからない法律をくっつける「心棒」に使われるということの「ハシリ」なのかも知れません。それにしても非行少年への処分は「保護処分」の名目で行なわれますから、「保護」の名の下に処罰を行なうことは別段不可能というわけでもないのです。

もっとも、たかが喫煙くらいで何らかの「処分」を受けるというのは、当時の社会通念上からして著しく穏当を欠くものであったと思われます。この法律の制定は1900年ですが、この当時未成年者の喫煙は一般に許容されていました。問題になったのは小学生で、例えば1893年には学習院長田中光顕子爵が、初等学科生徒の禁煙を命じていますから、皇族も華族もみんなガキの頃からスパスパやっていた模様です。全国的にも、1894年には文部大臣が「小学校で喫煙したり煙草を持ってくることを禁止すること」を命じる訓令を出していますから、当時の小学校(下等科とか尋常科とか)では労働者や百姓のガキも盛んに煙を吐いていたらしいのです。そしてこの時に小学校での喫煙を禁止する主な理由は「防災」でした。

今でも建物の火災の原因として「たばこの不始末」は上位をキープしていますから灰皿には水を張った方が良いようですが、この法律の制定の経緯についてはあまり明かではありません。当時既に医学的なニコチンもしくは一酸化炭素害毒説が存在していましたし、キ印教婦人矯風会の禁煙運動も行なわれていました。しかし当時の日本人の間に「蘭学」や「邪宗門」に基づく通念が形成されていたとは考えにくいものがあります。それにどちらの御説も喫煙一般に反対する根拠ににはなり得ますが、これを未成年者にのみ禁止するという理由を持っていません。「喫煙開始年齢が早いと発癌リスクが上昇する」というような疫学的言説はほんのここ数年のことであり、当時はそういうのはなかったようです。

ところで何でも分からなことは大隈重信に聞け、ということが言われています。何たって早稲田大学を作ったという人ですから、この点についても大隈伯に聞いてみましょう。

「児童の禁酒禁煙に付て」

社會を造るべき少年青年の人格を造るのは今日の急務である。アルコールやニコチン中毒に既にかゝって居る人は打ち捨てゝ置くがよい。これから社會を造らふと云う若い人々には充分禁煙禁酒させねばならぬ。立派な人格を造る上から云ってもどうしても禁酒の必要がある。禁煙させねばならない。長命を保って社會に大いに貢献せんとするには、健康に害なるものを絶対に打ち捨てねばならぬ。それには手近な處から矯めて行かねばならぬ。されば一家の家長たるものもまた學校の教師も此點にかんがみて未成年者の禁酒禁煙に骨を折って欲しい。學校と家庭と連絡を付けて、飲酒喫煙の害をとき、内外共に力を盡して之の為めに盡力する事は実に大切の事で、また此の如き事を励行せんとする人々には社會は充分に同情を表して、好結果を見るやうに助くべきである。

『婦人新報』明治43年(1910年)10月号


法施行後10年を経過してまだこんなことを力説しているところを見ると、未成年者の禁煙が一向に広がっていなかったようですが、既に成人して「アルコールやニコチン中毒に既にかゝって居る人は打ち捨てゝ置くがよい」のだそうです。どうかひとつ打ち捨てておいていただきたいものであります。それにしても闇雲に威勢が良くて根拠が薄弱なところ、まさに「明治」という時代を感じさせるものがあります。根拠も何も、大隈さんとしては酒造業者の方を敵に回すつもりはないのですから、単に「禁酒禁煙」という言葉を振り回しているだけなんですが、そうすると「長命を保って社會に大いに貢献」することになるんだそうです。まあ当時の人の死因にはあまり煙草は関係ない、もしかしてお酒もあまり関係ないんじゃないかと思いますが、何でも良いからとにかく「社会貢献」とでも言っておけばそれで通ってしまうのが「明治」というものです。

しかし、この徹頭徹尾無内容な一文こそ、意外と「未成年者喫煙禁止法」の制定の精神そのものであったのかも知れません。これはつまり人様の生存の目的を「社会」の方が規定するという全体主義的な思考に他なりませんが、しかし考えてみればそのような考え方に基づくのでなければガキが煙草を吸うかどうかを法律で規制しようなどという発想は出て来ようがありません。今どきの若い人はこういう考え方になじまないかも知れませんが、「煙草は害があるから」などどいう後付けの説明を聞いて納得してしまうかも知れません。しかし害があるんならお前が吸わなければ良いだけのことで、法律はいらないでしょう。

実際には当時でも何もそこまでして「社會に大いに貢献」しようという人はいなかったようで、今日に至るまで100年以上、「未成年者喫煙禁止法」は実効性のない法律の代表として「長命を保って」きているわけです。煙草を吸う人の中で未成年者の時分に喫煙をした経験のない人は少ないのではないでしょうか。そこで無意味な法律をただ法律であるからという理由で遵守する純粋な服従の精神を涵養すべく、こいつを「復活」させようというのが例の「タスポ」というものの意味のようなものなのかも知れません。しかしながら勿論国民の中には法の遵守に無頓着な人がいて、ガキが煙草を吸うくらい構わないのではないか、との社会通念に従って行動し、はては科料とか罰金の目に遭うということになります。こういうのは自分が正しいと思うように行動していれば法に触れることはあるまい、という間違った自然法思想の犠牲者であるといえるでしょう。

16歳の息子にタスポ貸与 母親を書類送検

 大町署は1日、たばこ自動販売機用成人識別カード「taspo(タスポ)」を次男(16)に貸し、喫煙を制止しなかったとして未成年者喫煙禁止法違反の疑いで、大町市に住むパート従業員の母親(44)の書類を地検松本支部に送った。同署によると、タスポに絡む同法違反容疑の摘発は県内で初めて。
 調べによると、母親は6月中旬ごろに2回、喫煙すると知りながら自分名義のタスポを次男に貸し、喫煙を制止しなかった疑い。次男は自分で吸うためにたばこ数個を同市内の自販機で買ったという。同署が別の事件の関連で次男から事情を聴く中で分かった。母親は「せがまれて貸した」と話しているという。
 同法は、未成年者の喫煙を親権者が制止しない場合の科料処分を定めている。タスポは6月1日から県内で導入された。

2008年8月2日 支那の毎日新聞


法律は素人の常識を超えるところにあるようです。つまり「悪法」も「法」であり、それには従わなければなりません。ことによると「法」はすべて「悪法」なのかも知れませんが「タスポ」はこのような「法」に従おうとしない不届至極な者をあぶり出す効果があるようです。これも「別の事件」なんだそうですが、山での遭難以外に大町市にどんな「事件」があるのか、興味津々たるものがあります。ところで街のタバコ屋さんが廃業したりして「タスポ」は大失敗のように見えますが、現在の「タスポ」の普及率はおよそ3分の1弱というところであり、これはたばこメーカーの当初の見積もり通りなのです。何も失敗はしていません。全ては予想の内です。タバコ屋の(元)看板娘が廃業しようと首をくくろうと知ったことではありません。「タスポ」は何よりもそれを未成年者に貸し出す「親権ヲ行フ者」を明るみに出しています。いずれも「別の事件」の「ついで」なのにマスゴミに書かせている一方、本事件のほうは不明のままです。そして一方では予想通りの低い普及率によって「煙草又ハ器具ヲ販売スル者」を追い詰める「罠」でもあったのでした。そのようにして実効性のなかった法律は、カミナリの電気をかけられたフランケンシュタインの怪物のように強引に実効性をもたされることになります。

高校生にたばこ、店主を送検=「タスポで売り上げ減」−大阪

 高校生にたばこを販売したとして、大阪府警淀川署は25日、未成年者喫煙禁止法違反の疑いで、大阪市淀川区のたばこ店店主の男(82)を書類送検した。
 店主は「タスポ(自販機成人識別カード)導入で売り上げが月250万円から170万円に減った。売り上げを上げるために売った」と話しているという。
 「中高生にたばこを売ってくれる」とうわさが広まり、区外からも中高生らが頻繁に訪れていた。春ごろ近くの学校から相談を受け、同署が調べたところ、2時間で6人ほどの中高生に販売していた。

2008年7月25日 爺


実効性のない法律の実効性を再び確保しようとする場合に、そうすることによって国民の権利を侵害する程度がその法律の保護法益と比較して妥当な範囲内に収まらなければ、結果としてその法律はやっぱり実効性を失うことでしょう。未成年者の喫煙を禁止することによって得られる益は科学的に確立されたものではなく、単なる「気分」に近いようなものである一方、「タスポ」の導入によって煙草を購入するごとに何の罪もない煙草購入者が個人情報の開示を強制されたり販売店の営業を存続不可能なほどに妨害しますから、損失の方がはるかに大きいと思われます。法そのものの主旨からみると「タスポ」はバランスの悪い仕組みです。財務省はこれ以外にも「成人識別」のための2つの方式を認めていますが、たばこメーカーの独占的地位によって「タスポ」が全ての国民に押し付けられているのは問題でしょう。

しかしながらその法の「精神」と言いますか、明示されないので推測すべきその「目的」においては、そうとは限りません。「悪用」する余地をわざわざ作り出すことに意味がないとも限らないのですし、そのような「目的」においては「国民の権利」などは当然考慮する必要すら認められません。例えば「健康増進法」で使えるうちは元気に働かせて、年を取って「社会に貢献」出来なくなったら「後期高齢者医療制度」でさっさとくたばれという、「明治の精神」というかいわば「大隈侯の精神」は脈々と息づいているのですが、このような明治的もしくはプロシアドイツ的かつまたナチスドイツ的な国家思想の攻勢が「煙草」という予め敗北が予期された「悪役」を巡って行なわれているところに最大の危機があるというわけです。とはいうものの、僕が喫煙者だからこんなことを書くのか、非喫煙者が馬鹿なのでこのようなことに気がつかないのか、一服してよく考える必要がありますな。もちろん煙草くらい嗜んだところで正しい人間になれるわけではありませんが、今どき喫煙しないことを自慢しているような人よりはマシでしょう。
posted by 珍風 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

「ケチ」スで「ロハ」スな最低賃金

どうして民主党が「ナチス」なのか、今ひとつよく分かりませんが、まあ、マエバリでもまた代表になったらあるいはそいういうことも考えても良いかも知れません。内閣総理大臣職に関して「期待に応える義務と責任はある。自分なりに覚悟はしている」というヒョットコ、まずは特異の曲がった発言で世間の風向きを伺ったというところでしょうか。とりあえず、敵を「ナチス」に例えるセンスは「ヨーロピア〜ン」。でも本場のヨーロピアンはそんな馬鹿なことは言わないようですから、髭男爵に弟子入りしてルネッサ〜ンスする必要があります。

一方その頃、いやその翌日ですが、最低賃金が最高の上げ幅だというからリッチやな〜と思ったら何のことはない。

最低賃金:15円上げ 生活保護と整合性−−中央審小委

 08年度の最低賃金引き上げの目安額を決める中央最低賃金審議会(厚生労働相の諮問機関)の小委員会は5日、最低賃金(現行時給平均687円)の引き上げ目安額を全国平均で15円程度と決めた。今年7月、「生活保護との整合性に配慮する」とした改正最低賃金法が施行され、生活保護費との乖離(かいり)額を目安に加えたため、最低賃金は初めて700円を超えるとみられる。
 6日に開かれる中央最低賃金審議会で正式に目安が決まるが、10年ぶりの大幅引き上げとなった昨年度実績の14円を1円上回った。
 最低賃金の目安額は、都道府県をA〜Dの4ランクに分けて提示。Aランクは東京、大阪など大都市部で15円、埼玉や京都などのBランクは11円、北海道や宮城、福岡などCランクは10円、青森、沖縄などDランクは7円とした。【東海林智】

2008年8月5日 毎日新聞


やっと700円を超えるかどうかという、慎ましいにも程があるお話なのでした。687円に対して15円上がるっていっても、これは2%くらいなもんなんですよ。賃金も「エコ」で「ロハス」で「スローライフ」でございます。

NHKのお昼のニュースでは与謝野が「人を安く使おうという精神は、いい精神ではなく、賃金は市場価値で決まるとはわたしは思っていない。正当な労働に対する分配を受けてしかるべきであり、国として少なくてもこれだけは払わなければならないという考えが当然あってしかるべきだ。最低賃金が上がる答申を得たことは歓迎すべきことだ」などと、エラそーなことを言っていますが、だからといって人を高く使おうという見上げた精神を持ち合わせているわけではありません。

賃金が「市場価値」で決まってしまうのは問題があるのは勿論ですが、最低賃金に関しては「正当な労働に対する分配」という考え方も正しくありません。これは生計費によって決定される必要があるのであり、「生活保護費との乖離」をなくそうというのは、ひとつにはその意味です。生活保護費以下、すなわち生計費に満たない、生活できない賃金など「あり得ねー」のは当然です。

しかし与謝野さんは消費税をあと5%程上げたいようなのですから、これはつまり生計費があと5%上がるということになります。それならば最低賃金は少なくとも5%以上増やさなければ、実質的には減ることになります。与謝野さんは賃金の3%ダウンを「歓迎」しているようです。

実際には中央最低賃金審議会では生計費の算定を「県庁所在地」におけるものとすることを求め、更に物価上昇を勘定に入れて最低賃金を50円程度引き上げることを要求していたのですが、これで7%ちょっとですから、別段大した上昇ではありません。実質2%でしかないのです。しかし実際に出て来た結論は「人を安く使おう」という資本側の意向を最大限に尊重しつつ、「目くらまし」のつもりか昨年実績を1円だけ上回ってみせてその事をマスゴミに報道させる、という誰の為にもならないものでしかありません。

しかし日本の最低賃金はお話しにならないほど低く、実際には多くの人が地域別最低賃金を上回る賃金で働いていますから、これが上がったからといって誰かの賃金があがるというものではないのです。それどころか現状では、6月現金給与総額が0.6%減少している一方、同月の消費者物価指数は2%上がっていますから、実質的に購買力は2.6%の減少となっているのであって、消費者心理が冷え込んでいるというか生活逼迫感が高まっているというのが実際のところです。

賃金は国民一般の生活費であり、企業が給料として支出した賃金は即日消費に回ってどっかの会社の売上高になるものなのですが、政府としてこれに直接タッチすることが出来るのは最低賃金だけです。しかし現状の最低賃金のレベルは低く、ちょっとやそっと弄っても現金給与総額というような形で反映されませんから、何の効果ももたらしません。

そこで人事院が示すところによる全国平均の1人の生計費(1人世帯の標準生計費)の全国平均は1ヶ月に123,690円(2001年)なんだそうであります。最近の調査だとこれが下がっていたりするんですが、物価が上昇して来ましたので適当なところの数字をとっております。いい加減です。これに対して法定労働時間を1ヶ月に換算すると173時間くらいですから、単純に割ると715円。これが根拠のある最低賃金の数字です。今までより28円増やさないといけません。今度増やすことになった金額の倍近い数字になります。

更に非正規労働者が仕事にあぶれたにも関わらず生きていかなければならないことを考えなければなりません。例えば仮に稼動日数が正規雇用者の7割である場合には、年間労働時間は1456時間。年間生計費が単純に上記の12ヶ月分として計算すると1,484,280円。これは4月の生計費を12ヶ月に延ばしただけの雑駁な数字ですから、本来の年間生計費はもっとかかると思いますが、これを1456時間で稼がなければならないとすると、時給は1,019円必要です。

ところが株式会社インテリジェンスが沢山の求人広告を集めて来て集計したところによれば、6月のアルバイトの平均賃金は968円でしかありませんでした。
http://www.inte.co.jp/corporate/library/wage/20080728.html
これは求人広告1件あたりを「1」と数えた「平均」ですから、これより安い賃金で働いている人も多いわけですが、それでも有期契約で1年中仕事を続けられるわけでもないことを考えれば、アパートは契約更新料が払えないので路上に叩きだされるし、病気をするとそのまま死ぬのも当然のことです。

そこで最低賃金は全国平均で1000円以上であるか、全雇用者を正規雇用とした場合に715円である必要があります。それに満たない最低賃金の引き上げは貧困を解決できない一方では実際に最低賃金水準の給料しか払えないような「弱い」企業の経営を圧迫するので、何一つ良いことはない、ということになるでしょう。「10年ぶりの大幅引き上げとなった昨年度実績の14円を1円上回った」などという「目くらまし」で切り抜けようというのも、中々前途多難なようで大変です。
posted by 珍風 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月03日

出戻り「死に神」着任披露

それでは新任の、てゆうか出戻りですが、今度の「死に神」さんからご挨拶を頂きたいと思います。

保岡法相:「終身刑は日本文化になじまぬ」

 保岡興治法相は2日の初閣議後の記者会見で終身刑の創設について、「希望のない残酷な刑は日本の文化になじまない」と否定的な考えを示した。
 法相は「真っ暗なトンネルをただ歩いていけというような刑はあり得ない。世界的に一般的でない」と述べた上で、「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」と死刑制度維持の理由を述べた。
 終身刑を巡っては、超党派の国会議員でつくる「量刑制度を考える超党派の会」が5月、死刑と無期懲役刑のギャップを埋める刑として導入を目指すことを確認している。
 保岡法相は00年7〜12月の第2次森内閣でも法相を務め、在任中の死刑執行は3人だった。【石川淳一】

2008年8月2日 毎日jp


終身刑は「世界的に一般的でない」かも知れませんが、「恥の文化」もあまり「世界的に一般的」とは言えないようです。「世界的に一般的」であることが問題であるのだとすれば、死刑は「世界的に一般的」ではありません。アムネスティ・インターナショナルによれば「全面的死刑廃止国」、「事実上の死刑廃止国」、「通常犯罪廃止国」を合わせると133カ国ですが、通常犯罪でも死刑を続けているのは64カ国だけです。ダブルスコアの少数派です。他方で日本の「恥の文化」が問題なのだとすれば、終身刑が「世界的に一般的でない」ことを指摘する必要はありません。保岡さんの議論は混乱しています。

もっとも、ここで「恥の文化」などを持ち出すのはちょっと問題です。これはアメリカが日本と戦争をし、占領することを念頭に置いて相手方の文化の特徴を研究しておったわけですが、そういう中でルース・ベネディクトが言い出したことです。この人によると日本人は規範が内面化されていない。あるいは内面に規範が存在するのかも知れませんが、日本人の実際の行動を規律しているのは周囲の他者からの評価であるということのようですが、このことから次のようなことが導かれます

・人的環境を変えてやれば簡単に行動が変容する

・場面によって行動が変わる

・自分で納得していないことでも平気で行なう

・他の人にもそれを求める

・事態が悪化した場合周囲に責任を押し付ける

ですから、「潔く死んで罪を償わないとみんなに批判されるぞ」と心配して諾々と刑場に赴くというのが「恥の文化」ということですが、ここに余計なことを言う人があって逆に「死んで逃げるのは卑怯だといわれるぞ」と言われればなるほどそれもそうだ、やっぱり死刑は良くない、ということもあり得ます。実際に自殺は非難されることが多いようなのですから矛盾しているようですが、「恥の文化」では周りにどのような「他者」がいるかによって行動(他の人の行動への評価も「行動」に含まれる)が異なってくるはずですからそれで構わないのですが、「恥の文化」では物事の是非を判断することは出来ません。死刑が良いとか悪いとかいう評価は不可能なのであって、「皆がやれって言うから」くらいのことしか言えないのです。

保岡さんの言い方を借りれば、死刑は「首に縄を括りつけられて真っ暗なトンネルを歩いていると突然床が開くというような刑」ということになりますが、これが「残酷な刑」ではないとする根拠は明らかではありません。もしかすると「残酷」の質によって「日本の文化になじむ」とか「なじまない」ということがあるのかも知れませんが、かつて死刑の中止を命じた聖武天皇とか、事実以上死刑を廃止してしまった嵯峨天皇などはどうやら「日本人」ではなかったようです。まあ、実際のところそうなのかも知れませんが、その頃の日本では347年間に渡って死刑が行なわれなかったわけで、「日本文化」にはフォッサマグナより広くて深い断絶があるようです。これは注目すべき新説であるといえるでしょう。もしかするとその間は「日本人」はどっかに引っ越していて、後でまた戻って来たのかも知れません。

前任者の鳩山さんも「終身刑はゆっくり死刑を執行するような形になって人格が破壊されていく」と述べ、急いで死刑を執行するような形で人体を破壊するほうが「残酷」ではないという御意見でありましたが、まあ、考えてみれば「日本の文化」は1年に3万人以上が自殺するような素晴らしい「文化」なのです。みんな練炭を買って来たり洗剤を混ぜてみたり山梨まで電車バスを乗り継いでみたり海に飛び込んでみたり丈夫な紐の結び方を勉強したりして頑張ってやっておるわけですが、そこを考えるとわざわざ殺してあげてそういう手間を省いてあげようというのが「死刑」ですから、ある意味「慈悲深い」と言って言えない事はありません。少なくとも「小さな親切」であるとはいえるでしょう。

ところで死刑にしろ終身刑にしろ、それが「残酷」であるとかないとか言われるのは、あくまでその刑を受ける人にとってのことなのですが、一方で「多くの国民が支持している」のが単に「犯罪者」が「潔く死をもって償うこと」なのではないかとう疑いがあります。「多くの国民」が「自分自身が」イザというときに「潔く死をもって償うこと」を「支持」しているのかどうかは分ったものではありません。誰か他の人が死ぬのを「支持」するのは極めて簡単なことですから、ここんとこはひとつはっきりさせた方が良いのではないでしょうか。

そこで各国民について、各人の死刑制度に対する賛否によって当人に死刑相当の重大な違法行為があったか、あったと看做された場合の処遇を異にすることを約束した上でもう一度意見を聞いてみた方が良いようです。つまり死刑制度の存置を認める人だけが死刑に処される可能性を持つということにした上で、それでも死刑を支持する人こそ、真の死刑存置派というべきなのです。他の奴が殺されるのは構わないが自分は御免だという人はニセモノであります。

この場合、「冤罪」の可能性を排除すべきではありません。冤罪は予想外に「一般的」な事柄であると思われますので、あくまで自分が「重大な違法行為をなした場合」だけでなく、違法行為を「したとされた場合」にも死刑にされることを引き受けられないようでは死刑存置派の名が泣きます。これは「ちょっと考えてみよう」という話しではなく、ちゃんと各地方裁判所に「死刑にしてよい人」のリストが存在するということにしなければなりません。

勿論、仮に同じ犯罪を犯しても死刑制度に対する態度によって量刑が違うなどということは違憲ですが、違憲は日常茶飯事ですから、あながち無意味な仮定であるとも言い切れますまい。それに冤罪の存在が死刑廃止派にとって都合が良いかというと、それもそうとは言えないようなのです。むしろ冤罪の存在は死刑を執行する動機となり得ます。誤った司法によって被害を受け、それを訴えて止まない人を殺してしまうことによって「冤罪」そのものもどっかに消えてなくなってしまいます。伊吹さんの言う「死人に口なし」というやつですな。冤罪があるからこそ、「威信」を保つ為に死刑が必要とされるのです。
posted by 珍風 at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

「死に神」の異動に伴う8月の祭祀の延期について(通知)

「死に神」コラムで朝日新聞が「謝罪」 「自らの不明を恥じるしかありません」

   朝日新聞の夕刊1面コラム「素粒子」が鳩山邦夫法相を「死に神」と表現し、全国犯罪被害者の会(あすの会)が同社に抗議していた問題で、朝日新聞社が同会に事実上「謝罪」となる回答をしたことがわかった。同会はこれを受け入れ、「死に神」問題は1か月あまりを経て一様の決着を迎えた。
   この問題は、2008年6月18日付朝日新聞(夕刊)1面のコラム「素粒子」で、死刑囚13人の死刑執行を命じた鳩山法相について、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と書かれたことに端を発した。
   
「適切さを欠いた表現だったといわざるを得ない」

   全国犯罪被害者の会(あすの会)は6月25日に「犯罪被害者遺族の感情を逆撫でされる苦痛を受けた」などとして同社に抗議し、朝日新聞社は6月30日付で同会に「鳩山法相を中傷する意図はありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとしたら残念です」「ご批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かしていきます」などと回答した。
   これに対し、同会は回答を不服として7月7日に再度朝日新聞社に質問状を再び送付。同社からは7月14日にこの質問状に対し回答した。7月23日に同会は「真正面から質問に応えることを避けている」「犯罪被害者の質問に真摯に説明するか、謝罪すべき」などと同社に再々抗議していた。
   08年8月1日の回答で、朝日新聞社は「13人の死刑が多いといっているのではない」「件数が適正でないと言っているわけではない」と釈明。「犯罪被害者遺族をはじめ多くの方々からのご批判を踏まえたとき、適切さを欠いた表現だったといわざるを得ない」などとしたうえ、論説副主幹の「自らの不明を恥じるしかありません」というコメントを挙げ、「弊社としても同様に受け止めています」と事実上謝罪する内容になっている。
   全国犯罪被害者の会はホームページで「これで、一連の素粒子『死に神』問題の決着をつけることになりました」とこれを受け入れるコメントを掲載している。

2008年8月1日 J-CASTニュース


「アスの会」、ついに朝日に謝らせてしまいました。何でも3回にわたってクレームをつけ続けたということで、相当にしつこいですね。「粘り強い」って言うんですか?重症の「しぶり腹」です。こうなってくるとクレームを受ける側もとにかく相手方がいじめるのを止めてくれるように、クレーマー側の意志を忖度して言葉を並べることになるわけで、そうすると「謝罪」を表現するようなことになります。それにしても「自らの不明を恥じるしかありません」ってのはちと大袈裟なようですが。

とにかくこれで「アスの会」としては先ずはマスゴミを攻略して「アンタッチャブル」に近づいたわけで、もっともそんな穢いところなど触りたくもありませんが、岡村勳なんてものもエラくなったものです。大したもんですが、実は「主役」であったはずの鳩山さんはもういません。「決着」したのは多分そのせいです。

「安心実現内閣」…福田首相が改造で命名

福田首相は1日夜、首相官邸で記者会見し、内閣改造の狙いについて、「政策の着実な実行を図り、国民目線での改革をさらに加速する」と述べた。
そのうえで、今回の改造について「安心実現内閣」とネーミングし、「政策を実現できるような布陣を敷いた」と語った。

2008年8月1日 読売新聞


今日福田内閣は「増税実現内閣」になったわけですが、ただでさえ景気が後退局面に入っているご時世に伊吹さんとか谷垣さんとか与謝野さんとか、あたかも人様の財布から金を巻き上げるために産まれて来たような連中を並べていますから、もうすっかり心理としては消費税が上がったも同然であります。ますます景気が悪くなるような気がしますので、まあそういうことならいっそのこと精神活動を停止させて何も考えない、つまり「安心」してもらおうというわけでしょう。

それで鳩山さんの後任の「死に神」ですが、保岡興治さんはその昔「死に神」だったことのある人です。2000年の7月4日から12月5日までの5ヶ月ばかし法務大臣をやっていたのですが、この時に3人殺しています。5ヶ月で3人ですから、鳩山さんと比べると「死に神」としては見劣りがしますが、時の総理大臣が森さんだったので、まともに「死に神」の仕事ができなかったのかも知れません。

この時の死刑の執行は11月30日でしたから、任期も押し詰まっていた頃であります。「やれるうちにやっちまおう」という、大変に熱心な仕事ぶりであると言えるでしょう。ちなみにこの時にやられたうちのひとりが、かの有名な勝田清孝さん(最高裁第一小法廷小野幹雄裁判長。上告棄却)。獄中で支援者の養子となったので執行当時は藤原姓。藤原さんちの娘が来栖宥子さんで、清孝さんの姉ということになりますが、この人のHP(http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/)によると、執行の翌年の3月末、藤原さんちに国土交通省からすっとぼけた文書が届いたそうです。

損害てん補金の回収について((照会)
 昭和57年8月18日の交通事故により、藤原(勝田)清孝殿は国に対して債務を負っておりましたが、同人が平成12年11月30日に死亡していることが確認されましたので、法定相続人である貴殿あて照会文を送付しますので、下記を参照のうえ、別紙回答書により回答してください。
 なお、平成13年4月6日(金)までに当方に回答が到達しない場合には、当方で法定相続人を確定し事務処理を進めます。(中略)
 今回の債務は貴殿にとってマイナスの相続であります。被相続人の財産を相続するしないは、貴殿の自由ですので比較検討し結論を出してください。
(以下略)


来栖さんはこの件はスーパーエポック山科北店襲撃事件の関係だと思っているようですが、同事件は昭和58年の11月28日であるという話しもありますから勘違いでしょう。これはただの交通事故だと思われますが、それにしても国が殺しておいて3ヶ月以上経ってから「同人が平成12年11月30日に死亡していることが確認されましたので」はないでしょう。

もう1人の宮脇喬さんは離婚した妻に復縁を迫るも妻の家族に妨げられたのを恨み、妻の妹と両親を殺害したものです。両親の殺害については傷害致死を主張し、控訴審では妹に対する殺意も否認しましたが、名古屋高裁吉田誠吾裁判長(この人は勝田さんの控訴審も担当しています)は控訴を棄却。宮脇さんは当然上告しますが、獄中でキリスト教に転向した為か突然上告を取り下げ、死刑が確定しました。そういえば勝田さんも獄中入信組です。

3人目の大石国勝さんはさすがにキリスト教徒ではありませんが、キ印の疑い濃厚です。なにしろ隣の家の13歳の息子が大石さんの家のホースの金具を盗んだと思い込んで、隣家に包丁持って乗り込み、その餓鬼と両親を追いかけ回して滅多突きにしたのですから、正常な精神状態の人にはこれが正常な精神状態であるとは思えません。

ところが一審の佐賀地裁早船嘉一裁判長、控訴審の福岡高裁丸山明裁判長、そして上告審の最高裁第二小法廷中島敏次郎裁判長の精神状態が正常であったのかどうか、揃いも揃って大石さんの突飛な行動を正常な精神状態によるものとして死刑判決を出しています。こういう裁判官が生まれ変わって精神科医になると患者がいなくなって病院が潰れてしまいます。

相変わらず国民を苦しめて死刑で脅かす「福田内閣」は「改造」してもやっぱり「福田内閣」でしかなかったようです。あたかも本郷猛が「改造」されても正義感を失わなかったようなものです。仮面ライダーというのはショッカーの「バッタ男」になるはずだったものが、脳を改造される前に逃げ出したのでした。内閣も「改革脳」を「脳改造」出来ない限り選挙対策は困難でしょう。わずかに頼りに出来るのは伊吹さんの提唱する「メクラマシー」とかいう一種の統治形態に関する深遠なる思想なんだそうで。とか何とか言ってたら来栖さんのブログでご指摘がありませり。
posted by 珍風 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。