2008年08月29日

亜富汗斯坦鏖

アフガン邦人死亡 官房長官「テロとの戦い、関与に理解を」

 町村信孝官房長官は28日午前の記者会見で、アフガニスタン東部での非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん殺害事件について「尊い犠牲が出てしまったが、そうであればあるほどテロとの戦いに引き続き関与していくことの重要性を日本の国民のみなさんは感じたのではないか」と語った。
 インド洋での給油活動を延長する法案を臨時国会に提出する方針にも言及し「与野党の合意があれば法案を修正することは否定しないどころか歓迎する」と強調した。
 高村正彦外相も同日午前の自民党の外交関係の合同会議で、伊藤さんの殺害事件について「犯人に強い憤りを感じる。ご冥福をお祈りし、哀悼の意を表したい」と語った。

2008年8月28日 NIKKEI NET


伊藤さんは町村さんにとって「尊い」犠牲なんだそうです。もっとも町村さんは「尊い」という字を書いてみせたわけではありません。実は「犠牲」にかかる「とうとい」は「貴い」と書くことになっています。「貴重」とか「貴金属」の「貴」です。この「とうとい」は「犠牲」の価値を「値踏み」して価値が高いと認めた、という意味です。

町村さんとしては大変に価値のあるものを手に入れたということで、その事を素直に表現しているところです。世の中に死人ほど便利なものはないのです。あれほど言いなりになる人もちょっと珍しいでしょう。どんな格好をさせても文句一つ言いません。

一方では、何が不幸といって死んだ後で良いように利用される死者ほど気の毒なものはありません。何しろ一言も抗議できない立場ですから、なすがままです。人に対する支配の究極の形態は殺害することではなくて、死後の処理にあるのです。殺すことなら誰でも出来ますが、それを好きなように利用することは誰にでも出来ることではないようです。

一般にはそういう場合にあまり下品なことにならないように、世間では「死者の尊厳」ということを大切にしているようです。この場合、殺したのがタリバンだろうが自衛隊だろうが病人であろうがゴンドラであろうが交通事故であろうが溺死であろうが自殺であろうがとにかく死んだ人は皆「尊い」とされるのです。ここでは他の死者との比較で価値の程度を云々するわけではなく、死者に本質的に備わっているとされる固有の価値のことであるから「尊」の字を使用します。

この点で町村さんは少なからず下品な行為に及んだと言うことが出来るでしょう。「テロとの戦いに引き続き関与していくこと」という自己の関心事に引きつけて死者を利用するだけでなく、それが自分の興味であることを隠すために「日本の国民のみなさん」を引き合いに出すに至っては、かえって町村さんのみっともなさが際立つというものです。

とりわけ、「そうであればあるほど」というのが何の意味であるのか分かりにくいのが難点であるといえるでしょう。もしこれが「犠牲がとうとければとうといほど」という意味なのであれば、これは「とうとさ」に程度の差があることを表しますから、この犠牲を町村さんが「利用する価値が高ければ高いほど」と言い換えられます。この場合は「利用」の目的が「国民の皆さん」が「テロとの戦いに引き続き関与していくことの重要性を感じる」ことにあるのですから、つまり同じことを言っているだけなのです。

しかしながら「そうであればあるほど」は、「犠牲」の発生そのものに関しているとも解釈できます。つまり「犠牲が出れば出るほど」という意味になります。町村さんは人が沢山死ねば死ぬほど「国民の皆さん」の間では「復讐だ!」ってのが大いに盛り上がって、「テロとの戦いに引き続き関与していくことの重要性を感じる」のではないか、と期待しているようです。

いずれの解釈をとるにしても、ここまで正直にものを言う人はなかなかいないのではないか、町村さんに匹敵できるのは宅間守くらいなものであろう、と思ったらそうでもないらしいのですから世の中は広い。8月29日付けの読売新聞の「NGO職員殺害 アフガン安定へ協力を続けよ」と題する社説がありまして
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080828-OYT1T00853.htm
これは町村さんの発言を読売新聞なりに敷衍したものと思われますが、まずは

外務省は昨年7月以降、アフガン全土に退避勧告を出しているが、同国内には、国際協力機構(JICA)、NGO関係者ら140人以上がとどまっている。


として、香田証生さんが首をはねられた頃に流行った「自己責任」の言説に水を向けつつも、

丸腰の民間人の自衛には限界がある。自爆テロや外国人の誘拐が続くアフガンの現状を踏まえれば、安全を優先して一時出国や帰国を検討する時ではないか。


と、「日本人はアフガニスタンから出て行け」と言っています。危ないから心配してくれてるんでしょうか随分と親切だこと。ところがこれはそうでもありません。これは「地ならし」なのです。かの国の人々のために働いている外国人をどけたうえで、そうするとそこに残るのはタリバンを含むアフガニスタン国民だけですから、そうしておいてから「国際社会」が心置きなくタリバンだろうがタラちゃんだろうが誰彼かまわず虐殺する、というわけです。その時には日本人はそこにはいない「はず」ですから、多分たいした反対もおきないでしょう。仮に誰か日本人がいたとしても、それはJICAやなんかとは関係のない、自分で勝手にそこにいる奴ですから、それはもう「自己責任」で処理できる、「はず」なのです。

そういうわけで読売新聞の手にかかると「国際貢献」も字が大きくて大変に分かりやすくなります。それは1人のタリバンを殺そうとしてパンピー100人くらいやっつける、しかしその時にはタリバンは国境の向こうに逃げてた、というような「アフガンの平和と安定を回復する国際社会の共同行動」に協力することなのです。てゆうかもう協力しているわけですから、アフガニスタンで日本の評判が悪いのも当然ですが、町村さんは「そんな話しは聞いていない」んだそうです。聞かなくてもそんなことは分かり切ったことだし、どうせ絶滅させられる連中が日本のことをどう思おうともあまり関係ないんでしょう。


posted by 珍風 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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