2009年01月30日

オリムピック吊り具

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委員長、東京五輪招致へ国会決議採択を要請

 小坂憲次衆院議院運営委員長は29日の議運委理事会で、2016年夏季五輪の東京招致を求める国会決議を早期に採択するよう与野党の筆頭理事に要請した。
 東京五輪の招致委員会は2月12日までに国際オリンピック委員会(IOC)に詳細な開催計画を提出する予定で、小坂氏は「国会決議はできるだけ早い方がいい。速やかに決議が行われる環境を整えたい」と各党内の調整を急ぐよう求めた。
 国会では、昨年12月に超党派の「2016年オリンピック日本招致推進議員連盟」が設立され、今国会での決議を目指す運動を展開している。(共同)

2009年1月29日 日刊スポーツ


オリンピックとか言っている場合かどうか知りませんが、かなり暢気な話しであるとは言えるでしょう。小坂さんがそんなことを「要請」しているその時に、一方ではぶらぶらぶらぶら4つも吊るされちゃいましたですよ。

4人の死刑執行  麻生内閣で2回目

 森英介法相は29日、東京、名古屋、福岡の各拘置所で死刑囚計4人の刑を執行したと発表した。死刑執行は昨年10月28日以来約3カ月ぶりで、麻生内閣、森法相の下で2回目。鳩山邦夫元法相時代から2−3カ月に1回のペースを維持した格好だ。確定死刑囚は95人となった。
 執行されたのは、愛知、長野両県で4人を殺害した西本正二郎死刑囚(32)=東京拘置所=のほか、殺人事件の再犯で3人を殺傷した牧野正死刑囚(58)=福岡拘置所、共謀して2人を焼殺した川村幸也(44)=名古屋拘置所、佐藤(旧姓野村)哲也(39)=同=の両死刑囚。
 森法相は同日、会見を開き「事実関係を精査した上で(執行を)判断した。国会の日程や時期はまったく念頭にない」と述べた。
 法務省などによると、確定から執行までの期間は、牧野死刑囚が15年2カ月、川村、佐藤両死刑囚が2年6カ月、西本死刑囚が2年だった。
 確定判決によると、西本死刑囚は04年1月、愛知県春日井市でタクシー運転手=当時(59)=を刺殺。4−9月には、いずれも1人暮らしだった長野県内のお年寄りら3人をロープやナイフで殺害し、計約30万円を奪った。
 牧野死刑囚は仮出所中の1990年3月、北九州市門司区の民家に侵入し女性=当時(25)=を刺殺。さらに帰宅した女性の母親と通りがかりの別の女性に重軽傷を負わせるなどした。
 川村、佐藤両死刑囚は2000年4月、約束手形の債権回収トラブルから名古屋市の路上で喫茶店経営者を暴行、その妻=当時(64)=ら2人を拉致し現金を強奪。愛知県瀬戸市の山林で2人をドラム缶に入れ、ガソリン混合油をかけて火を付け殺害するなどした。

2009年1月29日 共同


最近じゃ月末近くにやるようです。しかし「正月」というのは1月の別名でもあります。ですから29日でも「正月早々」と言えば言えるわけですが、前回から間があき過ぎるのを嫌ったようです。「3カ月ぶり」ではありますが、正確には3カ月を超えていますから急がないといけない。

とはいえ今のところは、やはり「当たり障りのない」死刑囚が選択されています。先ずは犯行の様態が凄まじい例で、名古屋の河村幸也さんと佐藤哲也さんがその例です。なにしろ女性を生きたままドラム缶に詰めてガソリンをかけて焼き殺すのですから、確かに尋常ではありません。佐藤さんは金融業者である父親から被害者の一方の夫である喫茶店経営者に対する債権回収を任されたのですが、6人で押し掛けていって結局回収出来たのは1%の24,000円。最高裁第2小法廷今井功裁判長は「計画的犯行」と評価しましたが、大の男が6人がかりで債権の回収に行って、やってきたのは焼死体をそこらにバラまくだけというていたらく、殺害の計画があったのだとすれば債権回収の計画はこれっぽちもなかったということになるようです。しかも債務者は逃げているのに妻とその妹を拉致して殺害してしまったので、当然債務者は警察に届けます。実際に届けたので直ぐに捕まってしまいます。一方で債務者もそんな金融業者のご利用は計画的ではなかったようですし、全体として人間の「計画性」というものを改めて考え直させる事件です。

実際のところ債権回収に行くまでは佐藤さんの仕事であるはずですが、一方で川村さんは佐藤さんの雇用主でもあったわけで、関係は複雑です。佐藤さんは多分、回収に行くつもりだったんでしょうけど、いつもお父さんの仕事ぶりを見ていると、どうも回収というのは相手をボコボコにすることに他ならないと思ってしまったのかもしれません。そこで応援を頼んだという点では確かに他の人たちは佐藤さんの手伝いにいったわけです。実際、川村さんは自分のそのような立場を主張していますが、名古屋地裁片山敏男裁判長は、他の4人に対して生命保険をかけているとか殺し屋を差し向けるとか脅かして強引に犯行に巻き込んだりした点で、その果たした役割を重く見ています。控訴審名古屋高裁の川原誠裁判長も同様の意見であり、まあこれは共犯の4人というのは川村さんの同業者であったりして、雇用者に過ぎない佐藤さんが頼んでも動いてくれない人たちではなかったかと思われますが、しかし川村さんとしては佐藤さんに頼まれてひと肌もふた肌も脱いだという自覚がありますから、「主犯」と同じ量刑ではよろしくないとして、死刑執行時点で第二次再審請求の準備中であったようです。

もっとも、佐藤さんの方は「死刑を受け入れる」として控訴審には出廷しませんでしたし、確定後に再審請求を出しましたが後で取り下げています。自分が債権回収ひとつ満足に出来ないバカ息子であることに絶望したのかもしれませんが、ここらへんが今回の執行における「当たり障りのなさ」のもうひとつのポイントです。つまり死刑囚が自らその刑を認めているものです。

だからといって「殺していいよ」という人を殺しても良いのであれば警察は要らないとか申しますが、後の2人がその例です。西本正二郎さんは強盗殺人で4人殺しています。ひとつはタクシー強盗で、運転手を殺して18,000円を強奪。その次が一人暮らしの老女を襲っています。その次に爺さんを殺して26万円。次いでパートで働いている婆さんを殺して6千円。長野地裁土屋靖之裁判長は「被害者遺族の処罰感情が峻烈で、財産的被害も甚大」であるとしていますが、遺族の感情を引き合いに出すのもどうかと思いますが「財産的被害も甚大」というのも少しおかしいようです。実は西本さんは、その次に空き巣を狙って1020万円の収穫がありました。その他10件前後の窃盗があるようです。いずれも誰も殺していないのですが、「被害者遺族の処罰感情が峻烈」なのと「財産的被害も甚大」なのは別々の事件なのですから、この書き方は少しおかしいようです。

西本さんは「死を持って償いたい」と言ったものの、「別の殺人をおかした」として控訴しますが、結局はその件はウソであったとして控訴を取り下げ、死刑が確定しました。なお、この事件では2つ目の事件で被害者の長女が警察に疑われ、毎週呼ばれては長い時で午前9時から24時までの「事情聴取」、ポリグラフの針が動かないと「無意識に殺したんじゃないか」とまで言われたばかりか、この長女のそのまた娘が隣町の駐在所に拉致され、閉じ込められて「お母さんに自首を勧めてくれ」などと言われています。このような経緯が「被害者遺族の処罰感情」を「峻烈」ならしむるについて関係があったのかどうか、判決では明らかではありません。

一方の牧野正さんは、通行中の女性の頭を鉈で斬りつけて重傷を負わせ500円を奪ったあと、会社員女性宅に侵入、室内を物色中を女性の長女に見つかってこれを殺害、2,300円入りの財布を奪って逃げるところで帰宅してきた会社員女性と遭遇して重傷を負わせて逃走、逃げる道すがら通りすがりの看護婦見習い女性をバールで殴って10日のケガそさせ2,000円くらいを盗みました。随分と効率の悪い人です。

裁判では牧野さんは「被害者の遺族が自分の別れた妻に恨みを持っていると聞き、本当のことを話す気持ちになった」として殺害を否認しましたが、次の公判で「別れた妻が被害者の遺族から仕返しをされると思って否認したが、本当はやった」と言い出します。わけが分りませんが、弁護側によれば牧野さんはその「別れた妻」に家出されるなど色々大変で、多量の鎮痛剤を服用していたようです。精神鑑定によると脳に器質的な障害があり「人格障害」が認められるとのことですが、責任能力はあったとされました。福岡地裁の森田富人裁判長の判決では、牧野さんが20年前の強盗殺人等により無期懲役を受け、17年後に仮釈放されて保護観察中の事件であったことから「犯罪性向は強固であり、現行の矯正方法では改善不可能」として死刑判決を出しました。

弁護人は控訴しましたが牧野さんはこれを自ら取り下げて刑が確定しました。しかし半年後になって新たに控訴審の弁護人を選任し、控訴取り下げの無効を争うことにしました。例によって落ち着きませんが、これは控訴の取り下げが弁護人不在で行われたためです。あまり知られていないことかもしれませんが、国選弁護人は上訴手続までを担当してその後は弁護人がいない状態になります。控訴審においてはまた新たに弁護人をつけてもらわなければなりません。牧野さんの例だと弁護人は上訴手続を行っているのですが、そこまでで国選弁護人の仕事はおしまいであり、その後で弁護人によるサポートを受けることなく取り下げることが出来てしまうことになっています。

脳の器質的障害および薬剤の連用の影響によって判断力が低下している可能性があり、尚かつ「別れた妻」がどーのこーのという不明瞭な理由で犯行を否認したり認めたり、というところをみると、失礼ながら牧野さんの能力はちょっとアヤシイのではないかと思われ、控訴の取り下げ自体の有効性もアヤシゲであります。そういう人にとっては特に弁護人の「空白」はちょっと問題があるのですが、福岡高裁八束和広裁判長は憲法37条における刑事裁判被告人に弁護人をつける権利の保障について「起訴から判決確定まで間断なく弁護人がつくことを保障したものではない」という判断を示しました。最高裁においても島田仁郎裁判長によって同様の判断が示され、ビンボー人にとっては唯一の頼みの綱である国選弁護人制度には大きな落し穴が口を開けてあまり利口でない人を飲み込もうとしている状態が続いています。

同様の理由から以前の無期懲役の判決を受けた事件において控訴を取り下げた件についても、現在福岡高裁で係争中でした。八束和広さんはその後一度家裁の所長になって、それから横浜の家裁に異動して4年前に依願退官していますから、高裁ではまた別の判断が示される可能性があったのかもしれません。なかったのかも知れませんが、分ったものではありません。牧野さんの刑が執行されてしまった今となってはもはや知る術はありません。

何が「当たり障りのない」だかよく分からなくなってきましたが、そりゃ死刑ですから当たりや障りはあるものです。ところで正月早々の執行といっても、これは何も「ペースを維持」することが目的ではないでしょう。おそらく数をこなすのが目的であって、そのためには一定のペースを維持することが必要です。正月ですから連中の「一年の計」を出してみましょう。今年は20人台に乗せるつもりではないでしょうか。2カ月毎に4人ずつで1年に24人。これは2006年から2007年における年間死刑確定件数と同レベルの数字であり、このくらい片付けていかないと溜まる一方になることは間違いありません。昨年の確定は10人くらいでしたが、これは執行の方が間に合わないからちょっとセーブするようにしたんでしょう。4年経ったら100人くらい殺してる、かたい約束夢じゃない。オリンピックまでに150人くらい吊るしますのでウェルカムようこそ日本へ僕らは生きてるけど誰かは殺されることに決まってる時代へ。人殺しが「事件」じゃなくて「粛々と」行われる国へ。"Bless you!"
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2009年01月27日

司法の無修正局部アップでどーもすいません

裁判員制度で映像取材を要望=民放連

 日本民間放送連盟(広瀬道貞会長)は27日までに、5月から始まる裁判員裁判の取材について「裁判員選任手続き、評議室、法廷内など各段階で、映像と音声取材が認められるべきだ」などとする見解をまとめた。今後、最高裁など関係各界に実現を呼び掛けていく。
 このほどまとめた基本スタンスの骨子では、「公判の過程が映像と音声によって可視化されることにより初めて、真の意味で『開かれた司法』『開かれた裁判』が実現される」と指摘。「最終的には、法廷内の全面的な可視化を求めたい」としている。

2009年1月27日 時事


いや、とんでもない話しだ、こう見えても僕などは見かけによらす二枚目なので下手に映像が公になったらまた女性ファンが……などという心配は一切しなくてもよいそうですが、もとより裁判は公開されています。人気裁判ではくじに外れるとダメだったりしますが、それは単に物理的な制約によるものであって、「見たい人は見ることが出来る」のが本来です。したがって民法連のいうことは原則に忠実であるだけです。

なかでも「裁判員選任手続き」について公開を求めた点は興味深いものです。そこは「裁判員制度」の理想と現実が交わす刃の火花散らす交点なのです。次の記事は色んな意味で面白い、と思ってもらいたいらしいのですが、そうでもなくて結構退屈です。しかし選任手続に関する見識には目を見張り開いた口が塞がらないだけのものは、あります。

記者の目:充実感あふれていた80年前の陪審員=伊藤正志

「東京の初陪審」を伝える東京日日新聞1928年12月18日夕刊
 裁判員制度は「現代の徴兵制度」なのだそうだ。突然「赤紙」(候補者通知)がきて、半ば強制的に「戦地」(法廷)に駆り出される。だが、兵役拒否は命がけだが、裁判員はかなり緩い「義務」に過ぎない。まずは、かみしもを脱いで「人を裁く」ということを考えてみたい。
 5月の開始を前に、制度への反対・延期の声が強い。「素人に有罪、無罪だけでなく量刑まで判断させるのは無理がある」「取り調べの全面可視化など条件整備が不十分のまま始めれば、国民が冤罪(えんざい)に加担させられる」など、制度への根本的な批判も少なくない。
 しかし、多くの国民は、そういう理屈で裁判員を迷惑な「義務」と考えているわけではあるまい。「法律の知識はないし、仕事を休んでまで行きたくない」が本音ではないか。裁判員制度の導入を決めた審議会などを私は4年近く取材したが、閉塞(へいそく)感の強かった刑事裁判に民意を反映させるこの制度は、新たな国民の「権利」のはずだった。
 元最高裁判事の団藤重光氏は、英国の陪審制度を民衆の力で勝ち取った権利と指摘し、裁判員制度については「あくまで『官製』のものでしょ」(朝日新書「反骨のコツ」)と批判する。ならば歴史を顧みて、不人気を解消する妙案はないか。そう思いながら、1928(昭和3)年12月の東京日日新聞(現毎日新聞)を繰った。
 この月、帝都・東京で最初の陪審裁判が開かれたのである。戦前・戦中の15年間、日本は陪審制度を実施した。大正デモクラシーの時代、自由民権運動の成果として実現した。
 12月18日夕刊の社会面トップは「美人火の呪いを 東京の初陪審 法相以下も居並び」の見出しが躍り、法廷写真も載っている。
 被告は21歳の主婦で、保険金目当てで自宅に放火した罪に問われた。12人の陪審員と2人の補充員は実名報道で職業も公開されている。こんにゃく屋、酒屋2人、歯科医、絵具商、機械商、無職2人、八王子在のお百姓2人、会社員とある。名前も職業も伏せられる裁判員制度とは大違いだ。
 初日の審理で、被告は全面否認する。以降、夕・朝刊で連日の展開。主な見出しを拾ってみよう。「子を思う(被告の)親心に法廷皆すすり泣く 初陪審の劇的シーン」「陪審員証人の警官にお叱言(こごと) 専門的な質問お見事」「『彼女の涙は何を語る』と病める弁護士の熱弁」「『美人放火』を断定 検事陪審員に迫る」。そして12月22日の朝刊「帝都最初の陪審公判 遂(つい)に無罪の判決下る 感激の美人 光景劇的に大団円」に至る。当時は、陪審団の答申を受けて裁判長が判決を言い渡す仕組み。無罪の答申が受け入れられたのだ。
 陪審員は5日間の缶詰め生活だったものの「幾分疲労の色が漂っているが、全力を注いだ熱と誠意の答申を容(い)れられた喜びはさすがに包みきれない」との記事がすべてを物語る。「初めは何が何やら分からなかったが、そのうちに事件の核心が分かってきた」「審理が面白くてノート3冊を請求して皆使った」などその声は充実感にあふれる。
 おくせず全力で法廷に臨んだ80年前の日本人の姿に、私は感動を覚えた。裁判員裁判も、法廷での証拠調べが原則だ。陪審裁判に負けないスリリングな審議はできると思う。きっと得がたい経験になるはずだ。
 ただし、死刑が想定される事件については、参加を含め慎重に考えてほしい。人の命を国家が奪うことにかかわるからだ。裁判官でさえ、死刑言い渡しに悩み苦しんできた。死刑廃止が世界の潮流の中、日本は死刑制度を存置する。裁判員制度を前に、本来、死刑や終身刑の議論を国会で深めるべきだった。裁判所が模擬裁判から死刑相当事件を外すのは、重大な問題から国民の目をそらすものと言うほかない。
 死刑事件にかかわりたくなかったり、どうしてもやりたくない人が「選ばれない」自由はないのか。勧めるわけではないが、方策はある。裁判員を選ぶ際、質問手続きがあり、検察、弁護側双方が数十人の候補者から気に入らない4人ずつを忌避できる。「変な人」を排除するためのこの仕組みを利用して「被告は絶対やっていると思う」または「被告は絶対やっていないと思う」と言えば、ひどい先入観だとして弁護側、検察側いずれかが忌避するだろう。死刑など肝心の議論が置き去りにされている以上、「良心的裁判員拒否」があってもいい。嫌々裁かれては被告も可哀そうだ。
 1923(大正12)年、陪審法公布の約半年後、関東大震災が起きた。それを乗り越え、予定通り陪審制度は始まった。4カ月後、裁判員制度もスタートするだろう。だが、よりよい制度への道はまだ半ばである。(東京社会部)

200年1月27日 毎日新聞


押し付けられ、断ることの出来ない「権利」なんてありません。伊藤さんがいくら巧いこと言っても違うものは違うのです。毎日新聞ではどうだか知りませんが、「勧めるわけではないが、方策はある」ようなものは「権利」とは呼びません。しかしこの「方策」が、司法の「現実」を直視した時に始めて活用出来るような、そんな「方策」なのです。

伊藤さんは「「被告は絶対やっていると思う」または「被告は絶対やっていないと思う」と言えば」大丈夫、などと言っていますが、これは間違いでありしかもこの間違いは故意によるものです。裁判員の選任においては、その手のキチガイを排除するわけではありません。てゆうか裁判員が参加する裁判に該当する全ての事件において候補者が先入観を形成するだけの報道が行われるわけではありません。伊藤さんは「死刑」が問題になるようなゴージャスな事件に気を取られているようです。

実際には裁判員候補者は、警察などが提出する「証拠」を他の何よりも信憑する用意ができているか、死刑を選択する用意ができているかを問われるのです。起訴側の証拠を一方的に信憑し、しかも死刑判決を出しうるものとは誰でしょうか。それは今現に裁判官である人以外にはありません。

実際の裁判員の選任手続においては、対象者がどれだけ裁判官と似通った判断をする可能性が高いかどうかが試されるのです。裁判員制度の「理想」は、裁判に「プロ」の裁判官とは違った「市民感情」だかなんだかを導入することだった模様ですが、実際には裁判官の判断とたいして違わない判断を下すであろう人物だけが裁判員を勤めることが出来ることになっています。

この「理想」と「現実」の落差において、その「取材」は意味を持ちます。しかしそうでなくても裁判員の選任手続において各裁判員がいかなる思想信条を持っているのかという情報が得られるのであり、それは判決を評価する際に意味を持ちます。なぜならいかなる判決も「たまたまそういう奴が担当したからそういう判決が出た」のであり、別の奴がやっていたら別の判決が出ていた可能性があるからです。つまりある判決が出た場合に、その判決を出すに至った裁判員の「傾向」を観測するために、その選任過程の情報は不可欠なのです。

同様に「評議質」での「密談」も、公開されなければなりません。いかなる方法で選ばれたどのような人間がどういうことを言ったのでこういう判決になった、ということが明らかにされる必要があるからです。裁判官による誘導があればそれも明らかにならなければなりません。しかしそんなことよりも、判決に至る過程を明らかにすることは、その判決を批判可能なものとします。つまりそれは偶然のものであり、他の判決が出ていた可能性があるものとして考えることができるようになるということです。

そんなことはジャーナリスムの基本なのかもしれませんが、吉本の芸人でタップダンスが出来る人の方がジャーナリズムを心得たジャーナリストよりも多いそうですから、そこらへんはなんとも心もとない限りです。しかし、全てのプロセスが取材対象となるのであれば、例えば伊藤さんがワザと言っている「変な人」になりたくないばっかりに、取材されている選任過程で「無難な」回答をして、取材されている評議を「無難に」こなして裁判員のおつとめををつとめあげて済ませる人が多く出てくる可能性はあります。しかしそれが何だっていうんだ。それこそこの制度が最初から求めていたものではなかったのか。

もっとも民法連は公判前整理も取材させろとは言っていません。本当はここが一番ヤバいところじゃないかという気もしますが、ヤバいとこには触らないようです。しかしそんなことではいくら爪を短く切ってもプロとはいえないようですが、お互いになるべく疲れないように1本仕上げるのが「プロ」の女優であり男優であるのかもしれません。もしそうであるならば、最高裁としてはカメラの前で裁判をおっ開げるのになんら躊躇するいわれはありません。乾いたオマンコをさらしても平気なものです。それでも怠惰な観客はそれでイッちゃうんだから。僕もイッちゃった。そんなことを書いていると全国1000万人の女子高生ファンが……!そんなもん最初からどこにもいないことも勿論予定の範囲です(負け惜しみ)。
posted by 珍風 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

検察ろまんちっく

星島被告に死刑求刑 江東女性殺害 弁護側は無期懲役求める

 東京都江東区のマンションで昨年四月、女性会社員=当時(23)=が殺害された事件で、殺人、死体損壊・遺棄などの罪に問われた星島貴徳被告(34)の論告求刑公判が二十六日、東京地裁(平出喜一裁判長)であり、検察側は「被害者の人格、生命、尊厳を踏みにじり、ためらうことなく殺害し遺棄した罪責は誠に重大。生命をもって償わせるしかない」と死刑を求刑した。 
 弁護側は無期懲役を求め、公判は結審。判決は来月十八日に言い渡される。
 論告で検察側は、自由を奪った上で、首を包丁で刺して死亡させた犯行を「残忍で冷酷」と指摘。「人を人とも思わず、自己の性欲を満たすための『道具』にすぎない存在として女性を扱い、邪魔になれば『物』同様に抹消しようと考えた動機は極めて自己中心的で身勝手。酌量の余地は全くない」と断じた。
 「殺害が当初から計画されたものではなかったとしても、被害者を『性奴隷』にしようとした時点で既に殺害は必然だったと考えるべきで、被告に酌むべき事情はない」と述べた。
 さらに「理不尽な理由と残虐な殺し方で被害者を奪われた遺族の怒りは峻烈(しゅんれつ)で、死刑を回避する事情はない」と述べた。
 弁護側は最高裁が一九八三年、四人を殺害した永山則夫元死刑囚に対する判決で示した犯行の動機、殺害された被害者の数−など九項目の基準を挙げ、「当初から殺害を計画した事案ではなく、死刑基準にいう結果の重大性は、被害者の人数で判断されていることを無視すべきではない」と主張。「無期懲役をもって臨み、被害者の冥福を祈らせるべきだ」と訴えた。
 最終意見陳述で星島被告は「死刑でおわびさせていただくしかない」と述べた。
◆被告の起訴事実
 星島被告は昨年四月十八日、わいせつ目的で、同じマンションの二部屋隣の女性会社員(23)宅に侵入して女性を自室に連れ込み、包丁で刺して殺害。遺体を切断し、翌十九日から五月一日にかけて自室トイレやマンションのごみ置き場などに遺棄したとされる。

2009年2月26日 東京新聞


「殺害が当初から計画されたものではなかったとしても、被害者を『性奴隷』にしようとした時点で既に殺害は必然だった」というのはいくら何でも無理矢理です。実際に検察は後の方で、被告人は「警察捜査の開始という事態に対し、急転して、むしろ被害者は自らの犯行を裏付ける証拠となり危険で邪魔な存在と考え」たと言っています。君子は豹変しますが星島さんは「急転」したようです。

この点についての検察の展開は、先ず「人間の存在を消す犯行、それが本件です」としています。ここはトリプル・ミーニングです。「人間の存在を消す」ことに、人を「奴隷」にすること、人を殺すこと、そしていわゆる死体を「透明にする」こと、の3つの意味をかけています。甚だ文学的な表現である、といえるでしょう。検察は叫ぶ詩人です。

第1の意味について検察は「被告人にとって、性奴隷にする女性のもともとの人格は邪魔でした」としています。この点について星島さんの見解がどのようなものであるか詳らかにしませんが、「性奴隷」に「人格」はいらない、というのは検察官の文学的な妄想でしょう。「性奴隷」は「人格」を否定されるどころか、「全人格をあげて」奴隷であることを期待されます。しかしそれだけではありません。奴隷の奴隷たる所以は服従を余儀なくされていることを自覚しながら服従しなければならない惨めさであり、加虐の醍醐味とはまさに奴隷の惨めさを、したがってその抑圧された反抗を、つまりは「人格」を感じるところにあるのです。それはまさに妄想でしかありませんが、検察官がいくら妄想しても追いつかないところです。検察官は「人は奴隷となった時に反抗するものだ」ということがわかりません。

「性奴隷」と「殺害」を「必然」で結ぶ論理はこのような検察官の誤解から発生しています。しかしこれは職能に相応しい「美しい」誤解であるといえるでしょう。そして第2の意味である殺害においても、それは検察が妄想するに相応しい「美しさ」をもって行われたとされています。

「瑠理香さんを見下ろし、『暴れられては刺しにくくなる』と考え、静かに左からそっと近づくと、やにわに右手で口を強く押さえ、包丁をためらうことなく刺し、体重をかけて一気に突き刺したのです。こうして平然と、確実に殺したのです」極めて速やかに、静かに。まさに検察が「奴隷」の死に方として相応しいと考える死に方です。様式美の極致とも言えますが、もちろん実際の殺害がこのように慣れた手つきで流れるように行われたかどうかは不明です。ここまでやるには相応の修練というものが必要であるような気もしますが、意外とぶっつけ本番で上手くいくものなのかもしれません。もっとも、人間不慣れなことをした場合は、けっこうバタバタしてもその間の記憶がなかったりしますから、星島さん本人も自分がそんなに上手くやったんだと思っているのかもしれません。

この点について検察は「自由に動ける人を刺すのとは、比較にならないほど残忍で冷酷な犯行です」としていますが、犯行の様態が全く別様であってもやはり「残忍で冷酷な犯行です」と言いますから、あまりあてになりません。単なる修辞と言うべきでしょう。つづいて星島さんはいわゆる第3の意味における「人間の存在を消す」に取りかかるわけですが、ここでも検察は感興の赴くままに間違いをおかしています。

星島さんは「他に類が見られないほど、細かく刻みました」んだそうです。しかし「5月28日、下水道管を下流にたどると、被害者の最初の遺体として肋骨(ろっこつ)の一部が見つかりました」んだそうです。検察の詩に一点の曇りがあるとすればまさにこの点であって、要するに星島さんは不徹底でした。もちろん検察の「他に類が見られないほど、細かく刻みました」というのは単なるウソです。「他に類」はありますが、他の類の人は骨については注意して処理していたものです。星島さんは骨まで「細かく刻」もうとした点において「他に類が見られな」かったかもしれませんが、検察が言うほどそんなに持ち上げるほど画期的なことをしたわけでもないようです。

検察は「人間」を「人格」「生命」「人体」という3つの意味に分節した上で、あえてそれらをゴッチャにして、「性奴隷」から「透明化」までを一本の線の上にキレイに並べるべく技巧を尽くしました。しかしそれも単なる印象操作にしか過ぎません。詩人に騙されてはいけません。連中は狡猾です。涙声になったり鼻をすすったりする時には要注意です。なにしろ彼は被告人の「火傷を負った身体」に言及する時には、さっきまでの「人間」というイメージを分裂させた様々な「意味」などは全く忘れてしまい、それは単なる「無意味な」ただの火傷でしかなくなってしまうのです。

しかし火傷がただの火傷なら殺害もただの殺害であるかというとそうではないところが不思議です。それは「従前の日常生活では決して表に現さず、法廷でも見せることがなかった被告人の真の人間性」を証しするものとなるのです。ところが被告人は火傷の方も「従前の日常生活では決して表に現さ」なかったことを考えれば、「真の人間性」には「火傷」も含まれるものと考えられます。「火傷」があるくらいで人を殺されてはかないませんが、人を殺したくらいで「真の人間性」を云々されるのもかないません。火傷はその「かなわない」とこをやけに目立たせる傷です。

僕としては詩人ではないので、火傷はただの火傷だし殺人はただの殺人だとしか思えません。生命のない人格などあり得ないし、人格のない生命は御免被りますが、生命のない人体は生ゴミです。火傷に人格を支配されるのもイヤですが、人体のない人格もありえないと思っています。検察のようにあっちこっちと様々な言語表現の規範の間で軽やかに戯れるというのは出来ない相談です。もしかするとアタマがカタいのかも知れませんが、なるほど検察は柔軟です。

「被告人は罪を認めています。しかし自首したわけではありません。口先の言葉とは裏腹に、何の反省もしていないのです。」とは見事としか言いようがありません。被告人に「反省」を求めるような甘ったれた「遺族」は以て瞑すべしでしょう。検察にいわせれば「自首」していない以上「反省」などはあり得ないのです。「自首」したかどうかという、後からは変更不可能な過去の事実に基づいて現在の「反省」が判断されます。死刑を求刑する時には。

「本件では、被害者を姦淫するには至りませんでした。しかし姦淫するに至らなかったのは、被告人が供述するように「できなかっただけ」にすぎず、刑種を選択する上で考慮すべき有意な差とは考えられません。」これはかなり強烈です。もはや「既遂」と「未遂」の間に何の区別もありません。それは単に偶発的なことに過ぎず、意味のある違いではないのです。意図が問題であり、結果は問われません。欲情をいだいて女を見た者は姦淫したのと同じです。死刑を求刑する時には。

今日の検察は軽妙にして柔よく剛を制し剛よく理を制す、とどまるところを知らぬ弁舌はつかみ所が無いという風でしたが、これでも星島さんが「過去に類を見ない、人を人と思わぬ、悪質極まりない犯罪」をやったということになるようです。被告人は「人間の顔をした悪魔」なんだそうです。まあTVとかに出て来る「悪魔」は概ね「人間の顔」をしていますが。しかしそれが「もはや矯正の余地はありません」ということの理由になるようです。死刑を求刑する時には。

なんだかよくわかりませんが、しかしとにかく何が何でも死刑を取るぞ、という闇雲に盲滅法な意気込みだけは伝わってきます。なんたって若い女性のバラバラですから、世間受けしそうな事件なのです。死刑を拡張するにはまたとない機会です。ただ惜しいことには検察はムードで押せ押せとばかりにあまりにも気の抜けたデマカセばかりのいい加減な求刑をしてしまったようです。いつもはこんなんじゃない、と思いますが。よく知りませんけど。
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2009年01月25日

慰めの報酬はお一人様28円

議員歳費3割カットを=自民・古賀氏

 自民党の古賀誠選対委員長は24日、福岡県みやま市で講演し、麻生太郎首相が国会議員歳費(月額約130万円)の削減に言及したことに関連し、「国民の生活にしわ寄せが来ているのだから、30%くらい(の削減)は決めないと理解は得られない」と述べ、引き下げが必要だとの認識を示した。
 また、定数削減についても「衆院も参院も多過ぎる。われわれも思い切って削減しないといけない」と語った。

2009年1月24日 時事


「国民の生活にしわ寄せが来ている」ことに何らかの対策を取ることと、国会議員の歳費や人数を減らすこととの間には直接の関係はありません。確かにいくらかお金が浮くのではないかという気もしますが、その浮いた分がどこに使われるのかということを決めるのは国会自身です。

ちなみに「約130万円」の「30%くらい」というのはおおよそ「約40万円くらい」ですから、衆参合わせて722人の議員に対して月に2億8千万円くらい、年に35億円程度の「節約」になるようです。あまり大した金額ではありません。

警察庁は「安全・安心なまちづくりの推進」だといって街にスパイカメラを設置したりスパイ住民を育成したりするために47億円くらい使うそうですから、そういうことを止めにすればそのくらいのお金は直ぐに浮いてお釣りが出ます。

もっとも35億円僕一人にくれるというなら、これは大した金額ですから考えないこともありませんが、これは国民1人あたりにすると28円くらいになりますか。「味カレー」とか「グッピーラムネ」とか「キャベツ太郎」が買えますね。餓鬼には喜ばれそうだ。

しかし大人の人は、28円と引き換えに消費税を上げるそうですから、足し算や引き算が出来る人は古賀さんが安い買い物をしようとしていることを「理解」すべく慎重に考えてみたいものです。こっちにとっては差し引きは大きなマイナスですから、パンダの絵のついた「ひとくちおやつカルパス」も買えません。

とはいえ古賀さんは議員定数の削減も言っていますから、金額の見積もりはまだ早いかもしれません。もっとも何をどのくらい減らすつもりなのか不明ですから、現時点でどの程度の支出削減効果があるのかは全く分りません。そのかわりと言ってはナンですが、議員定数自体の「効果」もよく分かりません。

定数削減によって少数党が議席を失う可能性があります。少数というのは「大地」とか「国民新」とか「社民」とか「共産」であって、その中で最大の日本共産党ですら衆議院での議席は9しかありません。世間ではこんな虫けらのような連中はいてもいなくても同じだと思うのかもしれませんし、見つけ次第にひねり潰すのが世の中のためだと思う人もいるでしょう。

アホ太郎にしても古賀さんにしても太田さんにしても虫けらをひねり潰すことにかけてはバルサン並みの執念を燃やしていると考えられます。新党大地などはアイヌ同様自民党に「同化」可能ですし、国民新党も定数削減の暁には頭を下げて自民党に戻るしかありません。ところが社民党や共産党はそうもいかないようです。社民の方は民主党に吸収される可能性もありますが、共産党には困ったもんだ。

昨年の2月という段階で派遣労働の問題を指摘し、規制強化を求めたことで評判男になったのが日本共産党委員長の志位和夫さんでした。昨年末には経団連やトヨタ会談していますが、大政党にはああいうことが出来ません。もしかするとああいうことをしない約束で大政党になっているのかもしれませんが、その後の展開は派遣問題が顕在化する一方でしんぶん赤旗が部数を延ばしてみたりと、共産党には有利に展開しておるところです。

そこで国会の定数削減は共産党がターゲットになります。そのように意図しなくてもそうなります。したがってそのように意図せざるを得ません。これは共産党そのものというよりは、それによって表面化してきた「民意」を切り捨てることを意味します。ある意味共産党と競合する公明党の太田さんがこれに熱心なのも、単に自民党に追随しただけであるとは思えないものがあります。

歳費削減で浮いたお金、定数削減で浮いた分、そして消費税増税で増えた収入、これらの予算の使い方は「民意」を切り捨てた後で検討されることになります。一方、切り捨てられた「民意」は、国会に代表されない以上は別のチャンネルで自らを表明する必要があり、それはデモとかテロとかビラ配りですが、これらの行動は全て警察による取り締まりの対象になり、その必要は増加するでしょう。したがって浮いた分を何に使うことになるのか、およその見当はつくことになります。再び地下活動と非合法活動の時代がやってきます。ますます小林多喜二を読まなくてはならないようです。

一方古賀さんは「朝から晩までテレビに出て、国会議員の責任感や使命感を持たない人が多すぎる」と言っています。誰か古賀さんをテレビに出してあげる必要があります。「朝から晩までテレビに出て」いる人の方が当選しやすいことは定数がどうであろうと変わらないんですが、定数を削減すると「テレビに出て」いない人は落選することになるでしょう。定数削減は「責任感や使命感を持たない人」の割合を増やします。古賀さんはTVに出たいばっかりにアタマがヘンになってしまったようですが、正真正銘のキチガイはTVに出してもらえなくなりますのでなんとかした方がいいでしょう。
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2009年01月22日

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ少女の屍

少女の死体を振り回す人たちに人の心というものがあるのか?僕は少しくらいはあると思いました。例えばこのようなことを報道しないことにおいて。

有害サイト規制は違憲=言論の自由を優先−米最高裁

 【ロサンゼルス21日時事】米連邦最高裁は21日、子供をインターネットのポルノサイトから守ることを目的とした「児童オンライン保護法」に関し、言論の自由を保障した合衆国憲法修正第1条に違反するとして施行を禁じた連邦高裁の決定を支持する判断を示した。法施行を強く求めたブッシュ前政権の訴えは退けられ、これにより、1998年の法成立以来、約10年間に及ぶ法廷闘争が決着した。
 同法は、有害情報を掲載する商用サイトの管理者に対し、未成年者へのアクセス制限を義務付けている。高裁は、親が有害サイト閲覧排除ソフトを導入すれば、被害を防げると指摘していた。
 施行反対派の有力団体「米自由人権協会」は最高裁の判断を歓迎し、「国民がインターネットを通じて何を閲覧するかは政府ではなく、個人とその家族が決めることだ」と主張した、
 ただ、最高裁は深刻化する児童ポルノの政策、配布、所有については「言論の自由の対象とはならない」との判断を下している。

2009年1月22日 時事


なんちゃって報道されているわけですが、その数は極めて少数です。「児童ポルノ」の扱いが気になるところですが、ここではアメリカの最高裁はプロらしいところを見せています。つまり「「言論の自由の対象とはならない」ものを「児童ポルノの政策、配布、所有」に限定する点においてです。

木枯らしに負けてもうすぐ死ぬはずのアグネス・チャンを始めとする人たちは「児童ポルノ」を突破口としてインターネットという言論のチャンネルを封鎖しようとしているところですが、アメリカ最高裁は連中の攻撃に対して考え得る限り最大に有効な防御をしています。連中が「実効支配」している「児童ポルノ」については批判させ、断罪させておけば良い。ただし連中が好きなように振る舞える領域はそこだけに限定するというわけです。

刑法領域では「やってはいけないこと」を列挙するのが決まりです。そうすることによって、そこに挙げられていないことをする権利が守られるのであって、それが「法治」というものです。ですから法律にも書いていないことを条例で「禁止」したりするようなことは、本当はやっちゃいけません。ましてや役所などが勝手に「方向を打ち出」したりすべきではありません。

「児童ポルノ」をアグネスのワンダーランドとして残したのは一歩後退かもしれませんが、連中の狙いがアジアの少女を救うことにあるわけではない以上、そこに閉じ込められた連中の活動は徐々に衰退していくことが予想されます。いや別に僕だってアグネス・チャンがアメリカで活動しているわけではないことは知っていますが、彼女の魅力は巨乳と、宗教がいいかげんながら最悪の形で出会って極めて抑圧的に作用するという、その「象徴」として現れるところがカワイイので愛用しているところであります。朝日に匂う姥桜花。

もっとも日本ではむしろアグネス達が「児童スナッフ」を利用していることが知られています。ここでは少女の死を利用して感情を動員する「児童ポルノ」は、逆の意味で連中の活動領域となっているようです。マスゴミも当然これに加担しているようで、例えば上記の記事と同じことを報道した朝日新聞は素直にねじ曲がっています。

米最高裁、ネットポルノから子ども保護する法律に違憲判断

 [ワシントン 21日 ロイター] 米連邦最高裁判所は21日、インターネットのわいせつ画像を未成年者に閲覧させないようにするに制定された連邦法が表現の自由に反するとして、違憲の判断を下した。
 この法律は、アダルトサイトを利用するユーザーがクレジットカードかアクセスコードなどを利用するよう、サイト運営者に義務付けており、違反すると最高6カ月の禁固か1日5万ドル(約446万円)の罰金が課せられる。
 同法は、通信品位法という別の法律が表現の自由に抵触するとして、最高裁により違憲判断が下されたことから、1998年に新たに導入された。
 裁判では、書店やオンライン雑誌の出版社などで作る原告団がアダルトコンテンツから未成年者を保護しようと規制を設ける議会の動きは表現の自由を侵害するなどと主張していた。

2009年1月22日 asahi.com


「児童オンライン保護法」を「ネットポルノから子ども保護する法律」としており、これがまずイキナリ歪曲ですが、気がとがめたのか「閲覧させないようにするに制定された」などと文章が乱れています。悪いことは出来ないものです。「有害サイト」という表現を用いてあえて幅を持たせた時事通信社の記事と比較するとその狙いは明白ですが、「原告団」も「書店やオンライン雑誌の出版社など」としており、これではまるでエロ出版社とエロ書店の集まりのような印象を与えようとしています。「米自由人権協会」という表現をとった場合との効果の違いはいわずもがなでしょう。

時事の記事が「言論の自由」の問題として書かれているのに対して、朝日ではポルノ屋が勝ったぞ、みたいな書き方をしているわけですが、翻って考えれば、これも少女の自殺すら利用して言論弾圧に与した以上、ひとつのスジの通し方であるともいえるでしょう。こんなところで日和ったんじゃ女の子が可哀想です。もっともこれではまだまだ屍体の弄び方がたりません。見習いたまえ。

ついでに切り株。
posted by 珍風 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

復讐少女を返り討ち

ところで世の中には「時間の経過によって証拠が散逸」しないと思っている人がいます。たしかに「散逸」するどころか、3カ月も前の「事件」が今になって急に「分った」りすることも世間ではよくあることのようです。

さいたまの中3女子遺書残し自殺  中傷同級生の実名挙げ

 さいたま市立中学3年の女子生徒=当時(14)=が昨年10月、携帯電話の自己紹介サイト(プロフ)で中傷の書き込みをした同級生の実名を挙げ「復讐はきっちりしますからね」などと書いた遺書を残し、自宅で首をつって自殺していたことが19日、分かった。
 同市教育委員会は同日、市立中の校長とともに記者会見し「7月のいじめ発覚後、書き込みをした同級生2人に謝罪させるなどの対応をとった。生徒はその後、欠席せずに登校し学校行事にも参加しており、いじめと自殺は直接結び付きにくい」と説明している。
 市教委によると、遺書に日付はなく「プロフにあんなことを書いた○○(同級生の名前)、復讐はきっちりしますからね」「(中学校は)大嫌い」などと書かれていたという。
 生徒は昨年6月に横浜市から転入。同級生が同7月、自分のプロフに「転校生はうまくすれば不登校になる」などと書き込んでいた。
 書き込みを見つけた生徒は両親に報告し、7月中旬に6日間欠席。中学側が調査し、書き込みを認めた同級生の女子2人が生徒に謝罪した。
 生徒はその後、登校を再開。10月9日夜、成績について父親にしかられ、翌10日朝に自殺しているのが見つかった。遺書は、両親が遺品を整理していて11月に見つけたという。

2009年1月19日 共同


フランスでは「復讐という料理は冷めてからの方が美味い」といいます。何でも食べ物の話しにしてしまうのがいかにもおフランスなわけですが、日本人としては魚肉を生で食べる習慣がありますし、冷ましたビネガーライスの塊の上に生肉を乗っけてソイソースをつけて一口で食べたりします。これらの奇妙な料理は最初から冷めているし、何時間も放置しておくと腐ります。日本のワサビには殺菌作用や防カビ作用があるといいますが、フランスのソースにもどうやら防腐作用があるようですから、今のうちにオバマにぶっかけておいた方がいいかもしれません。

自殺が10月、遺書の発見が11月ですから、この件は少なくともおよそ2カ月も冷凍保存されていたようです。今になってこれを引っ張り出してきてチンしたのはどういうワケなのか、よく分かりません。塩谷さんにもよく分かっていないようです。

文科相、改めて携帯電話規制を 中3自殺受け

 さいたま市立中学校3年の女子生徒(当時14)が昨年10月に自殺し、背景にネットいじめがあった可能性が指摘されている問題に関連し、塩谷立文部科学相は20日の閣議後の記者会見で「学校では携帯電話を使わせないといった方向性を打ち出したい」と述べ、学校に携帯を持ち込ませないよう改めて教育現場に求めていく考えを示した。
 文科省は「学校への携帯持ち込みは原則禁じる」といった明確なルール作りを求める通知を昨年7月に各教育委員会に出している。塩谷文科相は女子生徒の自殺とネットいじめの関係は「さいたま市教委が調査中」としたうえで「ネットや携帯を通じた犯罪やいじめの多発は憂慮すべきで、指導を徹底していきたい」と話した。

2009年1月20日 NIKKEI NET


なにしろ「女子生徒の自殺とネットいじめの関係」があるのかどうかは「さいたま市教委が調査中」なんですから、結局のところ塩谷さんはいい加減な根拠に基づいて口からでまかせを言っています。しかしもちろん単なるでまかせを何の考えもなく口から出力していると考えるのは塩谷さんに失礼でしょう。塩谷さんがテキトーこいて誤摩化している間に、田舎の方ではさいたまの自殺が「分る」のと歩調を合わせて色んなことをしているのを知ることは、塩谷さんの名誉のためにも大切なことです。

青少年の携帯ネット制限 兵庫県審議会が支持 

 県の青少年愛護審議会(今井鎮雄会長)は二十日、青少年の携帯電話のインターネット利用に、フィルタリングを義務化するなどの内容を盛り込む県青少年愛護条例の改正について審議した。県民から寄せられた意見を参考に、県の改正方針を支持した。
 十八歳未満の青少年が携帯電話の契約をする際、有害サイトへのアクセスを制限するフィルタリングを事業者に義務付ける法律が四月に施行される。だが保護者の申し出があればフィルタリングを解除できるため、県は特別な理由がなければ解除できないよう条例を改正する。
 県民から寄せられた意見の多くが、携帯のネット利用制限に賛成だった。また「フィルタリングよりも、小中学校への携帯電話の持ち込みを禁止すべき」「フィルタリング技術は不完全」などの意見もあった。
 審議会は「試行錯誤で一歩を踏み出していくしかない。条例制定を、学校や家庭で『なぜネット制限が必要なのか』ということを話し合うきっかけにすべき」などと県の改正方針を支持した。
 条例ができるまでにフィルタリングが解除された携帯電話が対象外となる点について、県は「事業者の自主的な取り組みを促すキャンペーンを展開したい」とした。
 県は県民の意見や審議会での議論を踏まえて条例案をつくり、二月の県会定例会に提案する予定。年内の施行を考えている。(森本尚樹)

2009年1月21日 神戸新聞


「学校や家庭で『なぜネット制限が必要なのか』ということを話し合うきっかけ」なんだそうです。田舎者はこの手のことを言うことが多いようですが、「そもそもネット制限は必要なのか」ということを話し合ってはいけないのです。まず命令があって、それを受けて納得するように努力するのが正しい兵庫県民の姿です。もう一発地震が必要です。

これなどは、もしかすると自殺が「分った」のを受けて急いで「審議」したのかも知れませんが、看板を作るとなると2日くらいじゃ出来ません。

こどもは「脱ケータイ」…賛否の中、福岡・芦屋町が宣言

 福岡県芦屋町は20日、町内の小中学生が携帯電話を持つことを原則禁止する「こども、脱ケータイ宣言」を行った。
 携帯電話の有害サイトから子供を守るのが狙いで、強制力はない。自治体が所持の是非まで踏み込むのは珍しく、町内では賛否の声が上がっている。
 宣言は町役場会議室で行われ、波多野茂丸町長や中島幸男教育長、町議会、PTA連絡協議会の代表らが出席。町職員の代表が「子供を携帯依存やネット犯罪から守るのは家庭の責任」などとする宣言文を朗読した。続いて、波多野町長が「宣言に賛否両論あるだろうが、大人が率先すべきと考え、行政が行動を起こした」と決意を表明した。
 この後、職員らが宣言文を記した看板(縦1・8メートル、横0・8メートル)を役場玄関の柱と、町立芦屋中の校門横のフェンスに設置。町内8か所にも順次取り付けるほか、ポスターも商業施設など13か所に張り出す。
 町と町教委は約5年前から、小中学校での携帯電話使用を禁止している。しかし、全国で学校外で使用した児童・生徒が犯罪に巻き込まれるケースも増えていることから「学校外での使用もなくさないと犯罪被害を防げない」と判断。児童・生徒の携帯電話所持の是非について家庭で話し合うきっかけにしてもらうためにも、宣言を決めたという。
 文部科学省児童生徒課によると、児童・生徒の携帯電話所持を巡っては、東京都や群馬県太田市、佐賀市などが持たせないよう保護者に呼びかける運動を展開しているほか、広島市は有害サイトへの接続を禁止するフィルタリング(選別)を条例で義務づけている。しかし、自治体が今回のような宣言を出すケースは極めて珍しいという。
 ◆宣言文◆
 ▽ケータイを持たない勇気!持たせない愛!
 ▽心が通う対話や温かなかかわりが、さわやかな子どもを育てます!
 ▽子どもを携帯依存やネット犯罪から守るのは、家庭の責任です!

2009年1月20日 読売新聞


こっちも「児童・生徒の携帯電話所持の是非について家庭で話し合うきっかけ」なんだそうです。「きっかけ」が好きな連中でせす。特にその必要もないのにそんなことを「話し合う」ことを要求されるのは迷惑以外の何ものでもないでしょう。まあ誰もそんなこと話し合ったりしないんでしょうけど、どうして町からそんなことを話し合うことを求められなければならないのか、家庭で話し合ってみましょう。

この看板は20日にはもう出来ていて、写真も載っています。20日に「宣言」をして看板を設置するのは前から決まっていたことです。したがってこれは自殺事件への反応ではなく、どちらかというと自殺事件の「解凍」のほうをこれに合わせてもらったと見るのが自然でしょう。つまり携帯電話に原因を帰することの出来そうな青少年の自殺事件は、直近で3カ月前だったというわけです。もっと最近のがあれば当然そっちを使うことになります。

もちろん携帯電話がなくてもクラスメートをいじめたり自殺に追い込んだりすることは可能です。僕の若い頃だってみんなやっていたもんです。近頃の若いものは携帯電話がないとイジメひとつ満足に出来ないというわけでしょうか。実に嘆かわしいことであります。芦屋町では、今後イジメは「心が通う対話」や「温かなかかわり」を通して行われるようになるそうです。これは大変に「さわやか」なことですから、自殺する人も大木の枝にぶら下がったり谷底に身を投げたりして自然とふれあいましょう。

いじめられた人が自殺するのは、いじめられている関係から抜け出せないからでしょう。お互いに知らない人同士で「心が通う対話」や「温かなかかわり」がない状態ではイジメも起きにくいようです。韓国では有名人がネットでいじめられて自殺しているようですが、有名人には逃げ場がありません。同様に学校に縛りつけられた餓鬼にも逃げ場はありません。逃げようとすれば不登校しかなく、しかもいじめる側はそこまで見通しており、そのことを被害者は知っていますから、何処にいても逃げられないのです。

韓国では実名で会員登録しないと記事にコメントもつけられないようですが、それでもしつこく侮辱してくる人がいたのでした。てゆうかさいたまの例だと書いた人も分っているわけだし、一般にイジメというのは被害者が加害者を特定出来る場合がほとんどであり、この例でも加害者の実名が挙げられていたのでした。イジメ行為が成立するような不均衡な力関係では、実名が相手に分ることは必ずしも加害行為を抑制する効果を持たないようなのです。つまり強い方が弱い方を攻撃するのには何の支障もないというわけです。

この意味では携帯電話なんか禁止している暇があったら学校を禁止した方が良いようですが、餓鬼の携帯料金といってもバカになりませんから、親御さんは政府が「方向性を打ち出」したりすることを歓迎するかも知れません。政府としては親御さんの収入を減らしてくれたのですが、今度は支出の方も減らしてくれようというわけです。そして大変ありがたいことにはその次に税金を増やしていただけるという期待もあるのですから、何でもかんでも大歓迎です。このようにいじめられてもその自覚がないお人よしは更にもっといじめられるわけですが、たいていの場合は自殺する懸念もないのが取り柄です。
posted by 珍風 at 20:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

さっそく忘れられた「忘れない」

公訴時効廃止のキャンペーンが全国的に展開しているようですが、中にはだいぶムリをなさっている向きもあるようで。不器用ですから。

旧山香町殺傷事件から7年…癒えぬ遺族の心

「お父さん。これからも見守ってください」。吉野さんが眠る墓前で手を合わせる遺族=16日午後
 旧山香町日指(現杵築市)で建設業吉野諭さん=当時(73)=夫婦が自宅で留学生グループに襲われ、吉野さんが死亡した事件は、十八日で発生から七年。大事な家族の命を突然奪われた遺族の悲しみは癒えることはない。犯人五人のうち、主犯格の二人は逃亡したままで、怒り、悔しさ、恐怖心など複雑な心情も入り交じり、今も苦しみ続けている。
 「笑顔を浮かべても、あの日以来、心の底から笑えたことは一度もない」。遺族の一人はうつむいた。事件のことは一日たりとも忘れることはできない。毎晩、親族の動向や健康状況などを心の中で吉野さんに報告し、「お父さん、これからも見守ってください」と就寝している。
 犯人に胸などを刺され、瀕死(ひんし)の重傷を負った吉野さんの妻(78)は、今でも傷が痛み、頭痛がするという。遺族は日が暮れると、誰かが家に侵入してくるのではないかと恐怖にさいなまれている。
 捕まった犯人三人のうち、刑が確定しているのは一人だけ。二人は上告中。「あまりに長すぎる。いつまで待てばいいのか」。当初、「三人とも死刑になってほしい」と強く願っていたが、遺族の一人は「量刑が重いのに越したことはないが、死刑になったとしてもお父さんは帰ってこない。そう考えると悲しくなる」と今の心境を吐露する。「遺族にとって“やられ損”の一言です」と強調した。
 法務省では現在、殺人など重大事件を対象に、公訴時効制度の期間延長や廃止に向けた検討が進められている。山香の事件では、主犯格の二人は国外に逃げたため、時効は停止することになるが、遺族は「残された家族の苦しみは、決して消えることはない。時間がたてば、犯人だけが苦しみから解放されるということがあってはならない」と訴えた。

※旧山香町夫婦殺傷事件
 2002年1月18日午前2時すぎ、就寝中だった吉野さん方に留学生5人が強盗目的で押し入り、吉野さんの腰を包丁で刺して死亡させた。3人が捕まり、07年の福岡高裁判決では、それぞれ無期懲役と懲役15年、懲役14年となったが、懲役14年の男以外、2人の男については検察側が上告した。懲役15年を言い渡された男自身も上告。主犯格の朴哲(28)、張越(30)の両容疑者は事件後、中国に逃亡した。吉野さんは生前、留学生の世話をしていたことから「恩人殺し事件」として国外でも報道された。

2009年1月19日 大分合同新聞


ほとんど見事なまでのこじつけ記事であるといえるでしょう。遺族にとって「やられ得」の事件があったら面白いのですが、そういうことは滅多にないようです。たいていの殺人が「遺族にとって“やられ損”」なのは当たり前でしょう。とはいっても当たり前のことが見逃されがちなのが現代社会、すなわち古今東西のあらゆる人が「現代=今」だと思っている時代の世の中の常です。

しかしこれは時効廃止のキャンペーン記事なのでした。大分には適当な「事件」がないのに、キャンペーン記事を書かなければならなかった記者さんに、先ずは同情を禁じ得ません。「法務省では現在、殺人など重大事件を対象に、公訴時効制度の期間延長や廃止に向けた検討が進められている」ことに言及することはしましたが、この事件では「主犯格の二人は国外に逃げたため、時効は停止することになる」んですから何にもなりません。しかたなく「時間がたてば、犯人だけが苦しみから解放されるということがあってはならない」という「遺族」の言葉を紹介してみたものの、盛り下がることおびただしい。

こんなことなら「法務省では云々」など書かなければ良かったのですが、それを書かないのであればこの記事を書く理由がありません。つまりこのパラグラフはこの記事のヤマなのです。それがこのザマだ。何事もムリは禁物です。

ところで国外に逃げた人について言えば、この件の場合中国で捕まればあっちで裁判が行われて死刑になるのではないかと思われます。しかし中国との間には犯罪者引渡しに関する協定がありませんから、日本に引き渡される可能性は薄いでしょう。

各国では各国の都合によってそれぞれ好きな国と協定を結んでいます。日本が協定を結ぶことが出来ているのはアメリカと韓国だけです。中国とは協定がありませんから、日本は日本にいる中国の「政治犯」を中国政府に引き渡すほど腐ってはいないようです。同様に他の国では日本に自国民を引き渡すと死刑になる可能性があるので、そんな国と協定を結ぶほど頓珍漢ではないようです。

つまり死刑制度を存置していると国外に逃亡した容疑者は得をするようですが、逃げている間は時効が停止されているのですから、結論としては「別にかまわないのではないか」ということにしかならないでしょう。読めば読むほどテコヘンな記事です。もしかしたらワザとこんな破綻した記事を書いているのかもしれませんが、そんなワルいことはしないでしょう。

こんなことになるのもキャンペーンを無理矢理実際におこった事件に絡めて書いてみよう、などとちょっと粋な気分になってしまったのが敗因です。人には向き不向きがあるのです。社説か何かにするのが簡単です。社説に下らないことを書きたくなかった大分合同新聞の見識には敬服しますが、若い記者に無理難題を吹っかけるのはパワハラです。

「時効」見直し 法治と感情、均衡どう取る

 殺人など重大事件の公訴時効のあり方について、法務省が見直す方向で検討を始めた。時効の廃止を含めて3月までに報告書をまとめるという。
 公訴時効は、犯罪が終わった時点から一定の期間が経過すれば、起訴されない制度だ。刑事訴訟法二五〇条に規定されている。
 時間の経過で事件の証拠が散逸し、犯罪の証明が困難になる、社会や被害者遺族の処罰感情も時間の経過で薄れる−などが制度の根拠とされる。
 犯人も長い逃亡生活で罪の意識や「いつ捕まるか」という不安にさいなまれることで一定の制裁が加えられている。そういった説明もされている。
 しかし、被害者遺族には時効は「逃げ得」にしか映らない。「親や子を殺害された家族の悲しみや苦しみは、どんなに時間がたっても消えない」「草の根を分けてでも犯人を捕まえてほしい」。肉親の命を奪われた遺族の訴えは切実だ。
 社会が被害者遺族の無念さに心を寄せ処罰感情を共有するのは、ある意味、自然でもある。
 全国犯罪被害者の会が昨年11月、時効廃止を求める決議を行ったのも「時効は犯人の逃げ得を許し、社会正義に著しく反する」との理由からだ。
 見直しは、こうした被害者遺族の声に応えるためでもあるが、2005年施行の改正刑訴法で、殺人などの「死刑に当たる罪」の時効期間は15年から25年に延長されたばかりだ。
 この時の改正は、DNA鑑定など科学捜査の著しい進歩で、血液や体液など犯人特定につながる証拠の保全がこれまでよりはるかに長い期間、可能になったことなどを受けたものだ。
 捜査環境の変化に応じて時効のあり方も見直されるべきではある。しかし、前回の法改正から5年足らずの間に時効期間のさらなる延長が必要なほど、捜査環境が変わったとは思えない。
 その意味でも、今回の再見直しは時効期間の延長ではなく、時効制度そのものがいまの時代に必要かどうかを根本から考え直す場ととらえたい。
 その際、留意が必要なのは、議論が被害者遺族や社会の処罰感情に偏りすぎないようにすることだ。感情論で法制度を見直すのでは、私たちの法治社会そのものを危うくしかねない。
 時効廃止によって生じる半永久的な長期捜査の人的、財政的な負担をどうするのか。犯人逮捕の実効が上がるのか。そうした現実的な議論は欠かせない。容疑者の人権への配慮も必要だろう。
 とはいえ、時効が結果的に犯人の「逃げ得」につながるような制度であってはならない。国民感情も納得しまい。
 法治と感情の均衡をどう取るか。難題ではある。時効制度を廃止するにせよ、残すにせよ、感情論に流されない慎重な議論と判断を求めたい。

2009年1月19日 西日本新聞


「どうとる」って、コーヒーじゃあるまいし、どうにもこうにも取りようがありません。そこでもうひとつ、これは解説記事なのかなんなのか、ようするにこれは「公明党に関するニュース」になるんですかジャンルがよく分からない記事です。

犯罪被害者本位の議論深めよ
法務省も勉強会開き、対応を検討


公訴時効の見直し
 公訴時効の見直しについて、法務省が今月から勉強会を始めた。今年度内の報告書作成をめざす。
 刑事司法にとって公訴時効の問題は難問の一つである。制度の存在理由は理解できるが、一方で、犯罪被害者の立場に立つと、やりきれない思いが募る。
 刑事司法は歴史的に見ると、裁かれる側・加害者の「権利・利益の保護」が中心だった。しかし現在は、犯罪被害者の「権利・利益の保護」が要請される時代である。公訴時効の見直し論議の中では、犯罪被害者の視点を十分に配慮してほしい。
 刑事裁判には裁かれる人の人生を大きく変えるほどの力がある。それを支える刑事司法は裁判に誤りが起こらないような工夫が凝らされている。公訴時効もその一つである。
 いかなる犯罪も公開の刑事裁判で有罪が確定しないと処罰されることはない。犯人が逮捕された後、裁判所に対し、刑事裁判を求める公訴の提起(起訴)ができるのは検察官に限られ、しかも、犯罪行為が終わった時から法が定める一定の期間が経過すると、たとえ犯人が分かっていても検察官はその事件について起訴をすることができなくなる。これが公訴時効という制度であり、殺人事件など死刑に当たる罪は25年、無期懲役・禁固に当たる罪は15年となっている。この間、犯人が国内で逃げ通すことができれば、処罰されることはない。犯人の「逃げ得」を認めるような制度である。
 しかし、伝統的な考え方では、時間の経過によって証拠が散逸し、被害者と社会の処罰要求も希薄化するとの理由のほか、一定期間、起訴されなかったという事実状態を尊重することも公訴時効の必要性とされてきた。日弁連も、時間の経過によって無罪証明が困難になる恐れもあるとして公訴時効の見直しには慎重姿勢を示している。また、公訴時効がなければ、警察に大きな負担がかかり、それは税負担として国民にも返ってくるとの指摘もされてきた。

あるべき刑事司法探れ
 しかし、犯罪被害者の目にはどう映っているのか。全国犯罪被害者の会は昨年11月30日の大会で、「殺人事件など重大な事件の被害感情は、時の経過により薄くなることはなく、むしろ日に日に増していく。殺人犯等が時効により何の処罰も受けないで良いと考えるような社会的コンセンサスも存在しない」として、「殺人事件など重大犯罪について、公訴時効の廃止を求める」と決議した。
 公明党の神崎武法常任顧問は昨年(2008年)11月14日、衆院法務委員会で、公訴時効制度の根拠とされた時間経過に伴う証拠散逸について、DNA鑑定の精度向上など科学捜査の進展なども考慮に入れるべきであると指摘した上で、「重大犯罪について公訴時効を廃止することも検討してはどうか」と問題提起をした。
 公訴時効の見直しの中で、あるべき刑事司法の姿を探る議論が行われるよう期待したい。

2009年1月20日 公明新聞


「刑事司法は歴史的に見ると、裁かれる側・加害者の「権利・利益の保護」が中心だった」というような事実誤認もありますが、「刑事司法は裁判に誤りが起こらないような工夫が凝らされている。公訴時効もその一つである」というあたり公明党にしては上出来で、西日本新聞で「社説」を書いているほどの人は見習ってもらいたいものです。だからといって創価学会に入れということではないのですが、もう入っているのかもしれませんが、公訴時効があるのは何故かという点、「裁判に誤りが起こらないような工夫」という解釈は良い解釈です。

この記事では公訴時効を説明する「伝統的な考え方」や日弁連の見解も紹介しています。そのうえで公訴時効を「見直す」唯一の根拠として「犯罪被害者の立場」を挙げています。これはまことにスッキリとした記事であるといえます。時効の廃止は「被害感情」に立脚しているのであって、西日本新聞のように「留意が必要なのは、議論が被害者遺族や社会の処罰感情に偏りすぎないようにすることだ。感情論で法制度を見直すのでは、私たちの法治社会そのものを危うくしかねない」などと中途半端なことはいいません。「均衡」なんか取れないし、取るつもりもありません。

最初から「感情論」で「法治社会」を「危うく」するのが目的です。「法治」の目的が公権力との関係において個人の権利を守る仕組みであるとすれば、「裁かれる側・加害者の「権利・利益の保護」こそが「法治」です。そこではなるほど「被害者遺族」などは「放置」されるのかもしれませんが、だからといって公権力が「遺族」を利用し、「遺族」が公権力の側に立つのであれば、「遺族」の「権利・利益」は法によって保護される根拠を失います。なんだか可哀想なようですが、「遺族」がそのような立場に甘んじているのであれば仕方がありません。権力に尻尾を振って自分の目的を果たそうとするのも良いのですが、権力というものは利用されるままにはなっていませんから逃げ足だけは早くしておいた方がいいでしょう。もっとも逃げ場なんかありませんが。中国ではどうか。

そういえばどちらさんも「アスの会」のことは書いているのに「チュウの会」のことは全然書いてないので、アレはやっぱり「アスの会」の支部か何かだと思われているのか、たった10日でキレイさっぱり忘れられたのか、宙っとぼけられちゃったのか、なんだか可哀想なようです。
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2009年01月17日

犬に論語豚に真珠

犬が人を咬んでもニュースにはならないとされていますが、決してそんなことはありません。

事故:犬にかまれ、小6けが 自宅敷地で突然襲われる−−日光 /栃木

 13日午後4時25分ごろ、日光市倉ケ崎の市立小6年の男子児童(12)が自宅で犬にかまれた、と父親(48)から119番があった。少年は左脇腹や左足の2カ所をかまれ、約2週間のけが。
 今市署によると、午後3時55分ごろ、学校から帰宅した児童が自宅敷地内に茶色の犬(体長約60センチ)が入り込んで、2頭の飼い犬とじゃれているのに気付き、近付いたところ、突然襲われたという。児童から携帯電話で連絡を受けた父親が、自宅に戻って通報した。
 犬は赤と茶、黄色のチェック模様の犬用の服を身につけていた。署員が逃げた犬の行方を探している。【山下俊輔】

200年1月14日 毎日新聞


犬が犬を撃ってもニュースになったりします。

巡査が大型犬を射殺、愛知  通行人ら襲われる

 10日午後9時40分ごろ、愛知県稲沢市増田東町の畑内で、大型犬に、飼い犬を連れ散歩していた男性(39)と男性警察官2人が襲われ、男性巡査(25)が所持していた拳銃を2発発砲し、射殺した。3人にけがはなかった。
 稲沢署の調べによると、大型犬は犬種は不明だが、茶色で体長約125センチ、体高約74センチ。首に鉄製のくさりをしていた。
 同署に同日午後8時50分ごろ、付近の住人から別の飼い犬が大型犬にかみ殺されたと通報があり、警察官2人が出向き、この大型犬を発見。大型犬はその後、飼い犬を連れていた男性や、ミニパトに乗り込み警察官を襲うなどした。
 同署は「放置すると男性の命に危険が生じると判断し発砲した。拳銃の使用は適正だった」としている。

2009年1月11日 共同


そこで人が犬に噛み付いたらニュースになるかというとこれが、あんまりならないんですな。

裁判官「あなたが殺した」と質問  神戸地裁で被告人に

 交際していた女性に暴行を加え死なせたとして、傷害致死罪に問われた無職島一央被告(44)の初公判が14日、神戸地裁(岡田信裁判長)であり、裁判官が被告に「あなたが殺したんでしょう」と質問。弁護士が「予断を持たせるような発言は慎んで」と批判する場面があった。
 この日の被告人質問で、左陪席の荒金慎哉裁判官は「『被害者が死んだ』と(被告人が)言っているが、あなたが殺したんでしょう」と発言。最終弁論の中で高島健弁護士が「これは殺人事件でなく傷害致死事件。裁判員制度の開始を控えており、予断を持たせるような発言は慎んでいただきたい」とくぎを刺した。
 高島弁護士は閉廷後「裁判員が聞いていたら、量刑が重くなる可能性もあると考え、思い切って指摘した」と話した。
 検察側は「常習的に暴力を振るってきた」と懲役10年を求刑。弁護側は寛大な刑を求め即日結審した。判決は22日。
 論告によると、島被告は昨年9月10日未明、無職森本正美さん=当時(31)=のマンションで、森本さんを殴るなどして死亡させた。

200年1月14日 共同


「死んだ」か「死なせた」か「殺した」かの違いは大きな意味を持っています。被告人は暴行を加えていたら「被害者が死んだ」と言っており、検察もそれを認めて傷害致死罪で起訴しているところです。報道ではこのような場合に「死なせた」と書くのです。一方で「殺した」とする場合、これは故意の殺人を意味し、日本ではこれは殺人罪に該当します。

もっとも被害者にとってはどれも同じようなものであるとも考えられます。あるいはさんざん殴られて結果的に死んでしまうよりは一思いに殺してもらった方が楽だったかもしれませんが、その辺は定かではありません。ましてや本人ですらない遺族にとっては「被害者の不在」という事実そのものを自らの「被害」としていますから、ますますどうでもいいことであると思われます。もしそうであるならば、被害者が裁判に参加することは望ましいことではないでしょう。

ましてや「宙ぶらりんの会」では公判が開かれていない、いや容疑者も逮捕されていなければ取調べも行われていない段階から「死刑」を主張するくらいですから、そのような人たちにとっては「殺人」と「傷害致死」や「過失致死」の区別なんか最初からないんでしょう。まあ、何でも「結果」が重視される世の中ですから、もしかするとそれはそれで構わないのかもしれません。その場合には助かるものも助からない人が出る可能性があるのですが、その場合は「アスの会」や「宙ぶらりんの会」の会員が増えるんですからかえって好都合です。

血も涙もない人たちは別として、もちろん世間では傷害致死や過失致死の場合であっても、関係者の責任を強調する意味で「殺した」という表現をする場合もあるでしょうが、それは日常の慣用的な言い方です。検察側が時に扇動的な論告の中でこういうことを言い出すことが考えられますが、裁判官としては表現に注意を払うべきでしょう。

法律というのは要するに言葉ですから、この点で極めて荒っぽい言葉の使い方をした荒金慎哉裁判官には慎重さが求められます。まあ左陪審ということで、彼はおそらく駆け出しの若造の判事補ですから、将来があることと思いますので、あまりキツいことは言いたくありません。ワザとこんなことを言ったのでしたら裁判官失格ですが、うっかり言ったのであれば裁判官としての、てゆうか法曹としての適性がありません。世の中にはもっとマシな仕事がいくらでもありますよ。今ちょっと無いか。どっかの農場でブタを飼う仕事があるとか。口は災いの元ですから動物相手の仕事がいいかもしれません。

こういうことを書くと「バカブロガーがいたいけな判事補に『ブタでも飼ってろ!』」という具合になりますから言葉には気をつけたいものです。ブタに失礼だし。それにしてもいくら相手が青二才とはいえ裁判官に噛み付く弁護士というのは珍しいものです。高島健というお名前だそうで、こういう人はもう「健さん」と呼んじゃいましょう。

しかし、バカな判事補が「うっかり」人前で言ってしまったようなことを、特例判事補や判事が「こっそり」やることも考えられます。これこそ「故意」と「過失」の違いですが、「うっかり」は裁判官連中が実はウラで何を考えているかを垣間見させるものなのかもしれません。その意味では健さんが裁判員制度を念頭に置いているのは当然です。この制度においては「評議」が密室で行われ、その内容は懲役刑または罰金刑の脅しによって守られているからです。裁判官連中が「一般市民のみなさんの感覚」を歪め、自分の思う通りの判決が出るようにあらゆる手を使うことは目に見えています。

とはいうものの、裁判官が「一般市民のみなさんの感覚」を無批判に取り入れてしまうのも、これもまた困ったもんで。

横浜地裁:「刑務所に入った者と友達、考えられぬ」 裁判官が発言

 横浜地裁の鈴木秀行裁判官(56)が傷害事件の公判で、現場にいた被告の友人が別事件で仮出所中であることに触れ、唐突に「刑務所に入った人間と友達というのは普通考えられない話」などと発言していたことが分かった。弁護人は「出所者の立ち直りを阻害する暴言で、人権感覚に欠ける言動」として、鈴木裁判官に対する懲戒処分を促す上申書を14日、地裁に出した。
 鈴木裁判官は、傷害罪で起訴された横浜市の自営業の男(32)の公判を1人で担当。上申書に添付された地裁作成の調書によると、昨年12月18日の初公判で、被告への尋問で友人について「一体どういう関係ですか」「弁護士でも刑務所に入った人間いるけどね。私の知り合いで。当然、付き合いなくなりますよね」とも言った。
 上申書は「被告に更生を説諭すべき裁判官が、公開の法廷で刑務所帰りの者と付き合うべきでないという趣旨の発言は許されざる暴言」と批判。裁判員制度を控え「司法への信頼を揺るがす問題発言」とも指摘した。
 鈴木裁判官は74年司法試験合格。札幌地家裁室蘭支部長、東京高裁判事などを経て06年1月から横浜地裁部総括判事。この被告に対し今月、懲役1年6月の実刑判決を言い渡した。【杉埜水脈】

2009年1月14日 毎日新聞


弁護人は「刑務所から出所した人の立ち直りは期待できないと言っているようなもの。裁判官としての立場からは許されない暴言だ」と怒っています。もっとも鈴木秀行さんが言っているのは、先の三下判事補が傷害致死罪と殺人罪の区別がつかないのとはちょっと違います。鈴木さんはある意味で単に事実を指摘しただけであるといっても良い面があります。

実際のところ知り合いがブタ箱に入ったということで、出てきても交際を避ける例は少なくないようです。それが鈴木さんの言うように「当然」なのかどうかは知りませんし、そもそも鈴木さんに友達というようなものがいるのかどうかも僕は知りません。しかし一般に受刑者が収監中に離婚されていたり、出所後も交際範囲が狭小するばかりか就職等においても差別を受け、つき合ってくれるのはムショ仲間だけだったりして、それがまた次の「仕事」に繋がっていく、ということがあります。

そこで「再犯率」を問題にするのであれば出所後の社会関係に注目する必要がある、といってもこれは制度的にどうなるもんでもありません。特に「友人」が私的に交際することを止めることを禁止するというわけにはいきません。しかしながら上記のような事実があるということから、そもそも「再犯率」を問題にするほど刑罰というものは再犯を防止する効果があるのか、ということになります。

鈴木さんはこのような刑罰の「効果」について「身をもって」認識しています。実際に鈴木さんは「刑務所に入った」「知り合い」の「弁護士」との「付き合い」をやめております。これは「暴言」というよりは貴重な「証言」でしょう。そして仮に鈴木さんが「再犯」の発生を望まないのであれば、彼は「当然」に懲役刑と財産刑を選択出来る場合は罰金刑を科し、又は執行猶予をつけるなど、可能なかぎり被告人を刑務所に入れることを避けているはずであり、多分そうしているんでしょう。そうに違いありません。

裁判官一般が「人権感覚」において「一般市民」よりも特に優れているという証拠は何もありません。しかし裁判官には職責上「一般市民」よりも優れた「人権感覚」が要求されます。しかしながら鈴木さんの例は裁判官といえども「人権感覚」においては「一般市民の感覚」とさほど遊離していないか、それ以下である可能性を示唆しています。裁判員制度においては「一般市民」と裁判官の「人権感覚」が極めて低いレベルで補強し合うことになるでしょう。

その一方で裁判官の中には根拠もなく誰に頼まれてもいないのに罪を重く観ようとする荒金さんのような人もいるようです。そして多くの「殺人事件」において「殺意」の有無は重要な争点になっているのですが、一般に「検察寄り」と見なされる裁判官が、ちょっとした一言で裁判員の判断に影響を及ぼす可能性が指摘されているところです。しかし荒金さんの例では検察ですら傷害致死罪で訴えているところなのであって、もしかすると裁判官には「検察寄り」どころか検察以上に重罪化のバイアスが存在するのかもしれません。やはり何といっても「重大犯罪」や「凶悪犯罪」を担当する方がエラいわけですが、状況によっては担当事件が「殺人」になるか「傷害致死」になるかはもっぱら裁判官自身が決定出来ることだったりします。

いずれにしてもこのような「問題」は裁判員制度によって改善される可能性はありません。裁判員の参加する裁判では、裁判員が呆れ返ったり不愉快な思いをしたりするかも知れませんが、それも余所で喋ったら刑務所に入れられて友達を失ったりすることになっていますから、現状のレベルの「司法への信頼」は維持されると思われます。しかし「司法への信頼」が揺らぐ、という「上申書」の指摘は残念ながら当を得ていません。そんなものは存在しないからです。ところが下手に裁判員を辞退するとイザというときにヒドイめにあうのではないか、という程度には今でも「信頼」されているようです。
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2009年01月14日

自民党準構成員国民会議

去年の11月24日の産經新聞では「大阪の教育を考える 府民討論会」がだいぶ盛り上がった、という虚偽の報道をしていましたが、それもそのはずで、これは橋下知事の指定だったのでした。

橋下知事メール「暴力団(という発言)は、狙いました」

 大阪府の橋下徹知事が府幹部と送受信している「知事メール」について、府は13日、朝日新聞の情報公開請求に基づいて112件を新たに開示した。文面からは橋下知事の「過激発言」の背景にしたたかな計算もうかがえる。橋下知事は14日、メールを1年間保存するなどの公開基準を発表する予定。
 今回、開示されたのは昨年2月から12月中旬までのメールの一部。10月分は既に市民団体に公開されている。
 「国は暴力団(という発言)は、狙いました」
 昨年12月3日に送信したメールにはこんな一文がある。直前の11月28日、国の公共事業に負担金を支出していることについて「上納させられて、それこそ暴力団組織以上のえげつなさ」と批判し、大きく報道されていた。
 11月16日に府教育委員会幹部らに送信したメールでは「今こそ一気に攻勢をかける時です。僕の判断を信じてください」と書いている。府教委特別顧問の藤原和博氏が提案した「民間人校長の採用」などを実行に移すよう促したものだ。実際にその2日後、府教委が民間人校長の公募を発表し、話題になった。
 11月2日のメールでは、同24日開催の「大阪の教育を考える 府民討論会」について41行にわたって詳細に指示。「会場はあふれさせ、社会事件としてください」と参加人数を制限しないよう要請。「参加していない保護者に取り残され感を感じさせることが重要」「日本人は、乗り遅れることを極端に嫌がります」と説明している。
 府はあいまいだったメールの公開基準について、知事から複数の幹部らに送信したメールは公開対象とし、専用フォルダに1年間保存することを明文化する方針だ。(春日芳晃)

200年1月14日 asahi.com


チンピラと暴力団の喧嘩などはどうでもいいんですが、あれは「社会事件」にしなければならなかったのです。しかし本当に「事件」になっては困るので、オマワリさんに守ってもらいました。橋下は「事件」を「演出」しようとしたようです。いっぱしの「宣伝相」気取りです。もっともゲッベルスは屈折しまくったコンプレックスの塊で脚の悪いチビですから、単にアタマが悪いだけのラグビー野郎とは残念ながら格が違うようです。

そのかわりと言っては何ですが、橋下さんは「大衆心理」の「分析」のようなことを言い出したようです。「分析」といっても自分自身が「俗悪」の塊で頭の悪いゲスですから、自分のことを省みれば良いわけで、極めて簡単です。しかし彼はそんな「簡単」も実行せずに、どっかで聞いてきた誰かのでまかせで済ませてしまいました。

「日本人は、乗り遅れることを極端に嫌が」るんだそうです。これは単にウソです。そんなに「極端に」嫌がるのであれば、駅のホームは定刻の5分前には満杯になっているはずです。ところが実際には駆け込み乗車が後を絶ちません。これは「間に合えばそれに越したことはないが間に合わなくてもしょうがないか」という態度の表れです。なんともいい加減な話しで、「乗り遅れることを極端に嫌がる」ような真面目な人は少ないようです。もっとも橋下さんは自分がいい加減なもんだから他の人は真面目なんだろうと思ったのかも知れません。そんなこたぁない。

まあ彼の言いたいことも解らないわけではないんで、要するにこれって「新体制運動」のマネでしょ。「バスに乗り遅れるな」ってやつです。マルクスはどこかで全ての偉大な世界史的事件と世界史的人物はいわば二度現れるというヘーゲルの言葉を引用していましたが、その後でなにか書き間違ったようです。一度目は喜劇として、二度目は吉本新喜劇として、とつけ加えるのが正しかったのです。

近衛文麿さんはヒトラーのコスプレをしたことで我が国コスプレ史に残る歴史的人物ですが、「社会主義論」を雑誌に載せて怒られたり、「新体制」と言ってみたり投げてみたり、「大東亜戦争は共産主義社の陰謀だぜ!」と言い出したり、そのキャラクターはあたかも奥深い喜劇のような人物ではありますが、しかし絶対に悲劇にはなりません。自殺したからといって悲劇になるわけではないのです。

これのマネをするとなると、これはもうひどいことになるのは目に見えているような気がします。新体制だか身体性だか耐震性だかよく分かりませんが、煽ってるんだか煽られてるんだかもよく分かりません。それでも何か「運動」とかそういうものに乗っかろうというつもりであることは確かです。

渡辺元行革相:離党表明 橋下・大阪府知事「主張に賛意」

 大阪府の橋下徹知事は13日、自民党離党を表明している渡辺喜美元行革担当相と11日に大阪市内で面談したことを明らかにした。政界再編をにらんで連携を求めた渡辺氏に、橋下知事は「ただちに渡辺さんの運動に乗っかることはできないが考え方はごもっとも。ぜひ日本を変えてほしい」と伝えたという。
 橋下知事らによると、面談は渡辺氏側からの打診で実現。渡辺氏は地域主権の確立などを掲げる国民会議を設置する構えを見せており、この構想などについて4時間ほど話し合ったとみられる。橋下知事は昨年1月の知事選で自民・公明の支援を受けており、「大阪府の政治状況として自民・公明との関係がある」と、渡辺氏の構想に知事自身が名前を連ねて同調することは否定。麻生政権を支えることを伝えたという。
 ただ、橋下知事は渡辺氏の主張自体は支持する考えを示し、「渡辺代議士の意図は霞が関解体に尽きる。大いに賛成。僕は考え方、軌を一にします。意気込みや手法、考えていることは全部賛成です」と話した。【平川哲也】

2009年1月13日 毎日新聞


橋下さんは今どき珍しいアホ太郎支持者であるとされていますが、烏川耕一と一緒に安木節を踊るわけではなく、自民党を支えているだけです。自民党を「離党」した渡辺さんとは4時間も話し合ったようで、これが男と女なら抜かずの6回くらいの時間ですが、橋下さんと渡辺さんも激しく何回も意気投合した模様です。その結果、橋下さんは渡辺さんの「会議」と称するシロモノには加わらず、しかし賛意を表し、なおかつ自民党支持に留まるということになりました。おそらく内外呼応して自民党の危機を救うつもりなんでしょうが、これでは渡辺さんの「離党」の意味がありません。これじゃまるで渡辺さんは自民党の「出店」みたいなもののように見えます。折角の「事件」が台無しですな。
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2009年01月12日

おおぞらに宙ぶらりんのDNA

たしか1973年頃に日本専売公社(当時)が「宙」という銘柄を発売しまして、これで「おおぞら」と読ませるんですが、はたして「宙」を「おおぞら」と読めるか否かという議論になってたのを記憶しています。結局のところ「読めない」という結論になったようで、専売公社では銘柄名を平仮名の「おおぞら」に変えてしまいました。

ところがこの30年以上前の煙草を未だに保有していてオークションに出している人がいたりするので驚きました。下の写真はそのオークションから無断で引用してきた「宙」の写真。虚空に吸い込まれていきそうな、なかなかステキなデザインです。25本入りなんだね。
oozora.jpg

とはいうものの今では東北大学出版界の会報が「宙(おおぞら)」だったり、腐女子におなじみの宙出版も「おおぞら」と読ませますから、専売公社は何か損をしたような感じもありますが、まあ時効でしょう。

「時効」よ止まれ:未解決事件の遺族、撤廃求め発起人会 東京・千代田

 殺人など凶悪事件の時効撤廃・停止を求める遺族会「宙(そら)の会(仮称)」の発起人会が10日、東京都千代田区で開かれ、全国の遺族に賛同と参加を求めるメッセージ文を発表した。
 発起人は▽世田谷一家殺害事件(00年12月)の宮沢みきおさん(当時44歳)の父良行さん(80)▽みきおさんの妻泰子さん(当時41歳)の姉入江杏さん(51)▽上智大生殺害事件(96年9月)の小林順子さん(当時21歳)の父賢二さん(62)ら5人。この日は4人が集まった。
 メッセージ文は時効について「被害者と犯人を比較した場合、あまりにも矛盾かつ残酷(な制度)だ」とし、殺人など凶悪事件の時効撤廃を訴えた。また、犯人のDNAに人格権を与えて起訴する制度による時効停止が「差し迫る時効を前にした遺族にとって喫緊の問題」と主張。既に時効になった遺族に対して、「無念の思いを遺族の叫びとして、時効撤廃の運動に参加を」と呼びかけている。
 遺族会は、賛同者に2月10日までに連絡するよう希望している。連絡先は〒101−0062千代田区神田駿河台3の1の1大雅ビル7階「宙の会」(03・3292・4141、ファクス3292・4242、メールjikou74@nifmail.jp)【石丸整】

2009年1月11日 毎日jp


こちらでは「宙」と書いて「そら」と読ませるようです。もう何でもありのエニシング・ゴーズであります。大きくても小さくても空は空、どこまで行っても何もないのが取り柄ですが、うちのコンピは「そら」と入力すると「宇宙」と出してくれるので、1文字遡って「宇」の字を消すのが面倒です。「ちゅうのかい」だと「宙の会」になります。その「宙」は無限の時間を表すとも申します。「時効撤廃」にかけているんでしょうけど、時効を廃止するのがいきなり無限の世界に飛び立ってしまうのが何とも大袈裟です。

いくら無限と言っても、その起点には血腥い事件があったり、恨みつらみを永久に引きずって行こうというわけですから、実際には「そら」から連想されるさわやかな印象は微塵もないんですから、名称が「(仮称)」になっているのはもっともな話しであります。しかし往々にしてこの「(仮称)」というのがいつまでも取れなかったするものですが、しかしそれにしても、どうしてみんな同じような名前を付けるんでしょうか。「あすの会」といい「そらの会」といい、会の名称の付け方のセンスは同じです。「宙の会」の場合は実際の「発起人」というかオルガナイザーは小林賢二さんらしいのですが、どうもウラで糸を引く「会の会」があるに違いない。

時効撤廃・停止を求める遺族会「宙(そら)の会」発起人から 〜殺人事件被害者ご遺族の皆様へ〜

 なぜ!私たち遺族はこのように苦しまなければならないのでしょうか。
 殺された本人のことを思うと、無念の極みだろうと胸が締めつけられる日々です。この思いは15年・25年の歳月で薄れることなど全くありません。しかし、刑事訴訟法には時効制度が存在し、15年・25年の月日が流れると犯人は何らの刑罰を受けることなく、堂々と!社会の中で生きてゆけるのです。命の尊さについて、被害者と犯人を比較した場合、あまりにも矛盾かつ残酷です。
 殺された者は再び生きて返ることはありません。しかし、この世に正義が存在するなら、犯人に対し被害者の生命の尊厳に替りうる鉄槌(てっつい)を与えて当然と考えます。そのようにならなければいつまでも殺人という犯罪は無くならないと思います。
 私たちの犯人への憤りは増すことがあっても薄れることはありません。他方、このような殺人事件が一件でも少なくならないかという強い願いがあります。その根底には、殺害された者そして遺族となった私たちと、同じような無念の生涯を味わっていただきたくないという思いがあります。そのためには、時効制度を撤廃し、人を殺害したら死刑に至るという条理が保たれてこそ叶(かな)うものと考えております。
 加えて、現在、未解決殺人事件の中で、DNA等で犯人を特定する資料が残っている事件については、現在の法律をよくよく精査していただいて、起訴に持ち込んでいただきたい。そして、時効の停止を図っていただきたいと強く希望いたします。
 日進月歩で科学が発達し、微物から犯人を特定できる時代になりました。さらに科学が発達する期待の中には、被害者の犯人を見据えた最後の網膜映像が抽出できないか、或(ある)いは、犬の嗅覚以上の科学ロボット犬が開発されないか、さらには、現場の温度や湿度等から定量性のある何らかのデータを基に、その場の犯人映像が復元できないかなどと、一般の人には笑い話でも私たちは真剣な思いで想像してしまいます。微物の鑑識技術の向上や、DNA分野における民族性・地域性が年々明らかになってゆく報道に接して、さらなる科学捜査の発展に大きな期待を抱いております。
 このように発展する科学捜査を考える時、DNAでは犯人を4兆7千億分の1の確率で特定できるのに、時効によってそのデータがゼロ評価になることについては全く理解できないところです。犯人がどこの誰か判らなくても、DNA等で犯人を特定できる資料に人格権を与えて、その人格権を有する者を起訴して、時効を停止する措置は、差し迫る時効を前にした遺族にとっては喫緊の問題です。
 一方、すでに時効になった事件の遺族も、今なおやり場のない消えることのない憤りを持ち続けております。その無念の思いを遺族の叫びとして、時効撤廃の運動に参加し、法律を改正することによって、被害者の“死”は無駄では無かったと墓前に報告出来ればと考えます。
 以上のような遺族のそれぞれの思いを一つの力に結集して、これまで漫然と時効制度を事実上放置してきた国政担当者及び法務当局に対し、“遺族だからこそ”殺害された本人の代弁者として“雄叫び”を上げようではありませんか(殺害された家族の無念の慟哭=どうこく=を声枯れるまで訴え続けたい)。そして、殺人事件に対する「時効撤廃」、さらに、これまでの事件に対する「停止措置」を求めて、遺族の会を立ち上げたいと思います。
 時はこうしていても刻一刻と過ぎてゆきます。時効問題について、昨年9月9日小林賢二、12月13日宮沢良行、12月27日入江杏が訴えたところ、すでに多くの方々から励ましのメールや手紙を頂いております。法務省も少しずつ動き始めようとしています。ご遺族の賛同を得て2月下旬には「第一回遺族会」を、そして5月上旬には賛同者を含めた「全国大会」へ進みたいと考えております。
 ご遺族の皆様の、ご理解とご協力を賜り遺族会参加をここにお願い申し上げる次第です。

時効撤廃・停止を求める遺族会「宙(そら)の会」発起人


「被害者の犯人を見据えた最後の網膜映像が抽出できないか、或(ある)いは、犬の嗅覚以上の科学ロボット犬が開発されないか、さらには、現場の温度や湿度等から定量性のある何らかのデータを基に、その場の犯人映像が復元できないか」というところが面白いのですが、どれも可能性としてはあり得るものの、犯罪の証拠としてはいかがなものか。被害者が最後に見た人物が犯人であるとは限りません。現に犯罪が行われた時点における環境の「何らかのデータ」を誰がどうやって保存するのかよく分かりません。「科学ロボット犬」は『ターミネーター4』に出る予定です。シュワちゃんの顔をした人面犬仕様になる模様。

まあ考えてみればDNAにしても、そのDNAの人物と被害者もしくは被害現場等との何らかの関係を示唆するものではありますが、必ずしも「犯人」を特定するものであるかどうかは疑問です。更には「犯人」であるとしてもそれが「殺人」であったのか「傷害致死」であったのかというあたりはDNAや網膜映像や環境データからは分からないはずで、ましてやロボット犬なぞの感知するところではありません。

この点については「虫の会」は「人を殺害したら死刑に至るという条理」を強調するのみで「殺害」についてやれ「殺意」がどうしたとかいう細かいことには気を遣わない「宇宙」のような心の広さをみせていますが、やはり「死刑」というところが大切で、単に時効制度を廃止するのではなくて「死刑拡張」のための「会の会」の運動の一部として機能することが明確に述べられています。

そこで「宙」という字は誰かのクビにナワをかけて「宙づり」にすることにもかけてあることが分かります。何とも含蓄の深い名称であり、その卓越したセンスには素直に脱帽したり脱力したりしたいものですが、だからといってこんなチョイと気の利いた味な名付け親としての「会の会」というものがある、と言っているわけではありません。なんだか面白い陰謀論みたいで捨て難いのですが、「会の会」という名前にはセンスがありません。

しかしそれにしても「会の会」の陰謀は恐るべきものです。たとえば「チュウの会」の「遺族」は「法律を改正することによって、被害者の“死”は無駄では無かったと墓前に報告」するつもりのようですが、「遺族」の感情としては法改正が行われると被害者が殺されたのが「無駄」でなかったことになるのでしょうか。まことに恐るべき洗脳であります。まるでもう被害者が殺されたのは時効を廃止するためであるかのようです。

しかしそんなこと言うんだったら、法改正がなされたとして、それに最も貢献したのはむしろ犯人の方でしょう。何といっても能動的に動いたのは犯人の方ですから、こっちの方にも感謝の念を表することを忘れてはならないでしょう。他方被害者の方も、殺されることに甘んじることによって死刑の拡大に貢献することが出来た、ということですが、墓の中の被害者がそんなことを言われて満足するとはとても思えません。死人に口なしですから別に良いわけですが、被害者をも手段と見るだけの覚悟がなければ死刑拡張運動なんざ出来やしませんやね。
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2009年01月11日

南無妙法蓮華地獄極楽極楽便所天国

労使にワークシェア導入求める=自民・町村氏

 自民党の町村信孝前官房長官は10日午後、札幌市内で街頭演説し、労働時間の短縮を通じて仕事を分かち合うワークシェアリングの導入に連合などが慎重姿勢を示していることについて「自分たちの賃金を下げたくないというのが組合の本音だ。あまりに冷たい」と批判した。
 また、「トヨタやキヤノンのような超一流企業が真っ先に雇用調整するのはどう考えても健全ではない。互いに助け合うのが日本のいい姿だ」と述べ、経営者側にもワークシェアリング導入など雇用確保に向けた努力を求めた。

2009年1月10日 時事


連合なんかが、冬の札幌の街頭で「あまりに冷たい」と言われるほどの立派なことをやってるかというとちょっと疑問です。たしかに便所虫は「暖かい」のかも知れません。彼は派遣切りについて「非常に遺憾。個人として同情している。企業として最大限の努力をしていきたい」と言っています。なるほどこういう言い草は聞いている人の体温を上がる効果がありそうです。

便所虫が「ワークシェアリング」だの「同情」だのとヌカス前に、日研総業ユニオン大分キヤノン分会を含む、当のクビになった派遣労働者の組合が便所虫宛の「公開質問状」を渡そうとしたんですが、便所虫はこれを「暖かく」拒否したものです。何といっても真っ先に派遣を切っちゃったのは他ならぬキヤノンとかトヨタなんですから、そんな「質問」を受けたりするのは御免でしょう。この日はお正月ですから、「同情」したりして少し「良い人」になる予定なのですから、目の前に自分のやらかした事にウロウロされるのは迷惑千万です。

そのうえこの日は派遣規制についても「労働政策審議会で法制の見直しをしていけばいい」などと「一定の理解」を示したというわけです。もちろん規制が強化される前にさっさと切ってしまったんですから便所虫は平気ですが、これから切る予定の経済同友会とか日商はあまり平気でもないようですからこれに反対をしております。便所虫もお仲間の都合くらい考えたいものです。

しかしながら桜井さんや岡村さんが何と言おうとも、便所虫としては派遣法制の見直しは不可避と見ており、無闇に抵抗するよりもむしろ労働政策審議会で資本側がイニシアチヴを取ってしまうこと、連合に対しての取引材料として「ワークシェアリング」を使うことを考えています。彼の目標はまず第一に製造業への派遣の維持であり、登録型派遣の禁止を容認する可能性があります。

しかし町村さんが札幌の聴衆の身体が蓮華のように裂けるほどの冷たい言葉を吐くように、「ワークシェアリング」を制度として導入する目処が立てば便所虫に取っては極楽です。「労働者の賃金を下げたいというのが便所虫の本音」です。町村さんは便所虫の責任を問うことなくちょっとだけ「苦言を呈する」くらいに留めているのはいかにも下女然としています。政府の責任は、というとそれは便所虫に協力することです。一方、国民には餓死か賃下げかの選択を迫ります。「あまりに冷たい」と言えるでしょう。

おそらく便所虫の言う産業横断的同一労働同一賃金抜きのワークシェアリングは、賃下げに留まりません。長期的には「正規労働」の崩壊を狙ったものです。それは労働者が全員派遣とかパートとか請負になるという、まるで天国のような世の中に他なりません。天国というのが言い過ぎならば天国に一番近い社会です。おそらく「非正規」労働者は複数の職場の掛け持ちになるでしょうし、少数の基幹的業務に従事する「正規」労働者はホワイトカラーエグゼンプションによって限度のない労働に従事して、みんな早目に天国に行けるのですからありがたいことでございます。
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2009年01月09日

先ずは「恐怖」を分け合おう、話しはそれから

春闘:御手洗会長、ベア困難を強調 雇用安定へ努力−−労使フォーラム

 09年春闘に向けて労使代表らが議論する日本経団連の「労使フォーラム」が8日、東京都内のホテルで始まった。基調講演した御手洗冨士夫会長は、連合がベースアップ(ベア)を求めていることに対し「今年の労使交渉は極めて厳しいものになる」と述べ、ベアは困難との認識を改めて強調した。
 御手洗氏は「世界経済の回復に相当の期間を要する」と強い危機感を表明したうえで、「企業内労使関係の真価が問われている。(労使が)一丸となって難局打開に向けて挑戦すれば道は開ける」と、労働時間を短縮し雇用を確保する「ワークシェアリング」も選択肢として検討する意向を示した。
 また、深刻化する雇用情勢に関連して「(経営者は)雇用の安定に最大限の努力を注いでほしい」と、安易な採用内定取り消しなどを避けるよう求めた。フォーラムは9日までで、連合幹部や企業の労務担当役員らが講演する。【谷川貴史】

2009年1月8日 毎日新聞


春闘にあたってまずは便所虫、下らないゴミをまき散らして世の中にイタズラに無駄な議論を巻き起こすことにしました。一部マスゴミは例によってこれを歓迎し、なかには橋下知事による完全な誤解に基づく言及を援用する様子もあるようです。

まあ確かにワークシェアリングも別に悪くはないのですが、それには幾つかの条件が整備されていることが必要です。特に賃下げを伴う場合は賃金体系の変更が必要ですが、ジョブシェアリングによって業務を複数の労働者で分け合うということになると同じ仕事をして報酬が違うわけにはいきませんから、同一労働同一賃金となる道理です。また、完全に正規雇用にした上での話しであるのであればともかく、非正規あるいは流動的な労働を念頭に置く場合には、これを企業間あるいは産業間、雇用形態間に横断的に適用しなければなりません。

実際にワークシェアリングが雇用創出効果を発揮するためには、時間外労働の問題も障害となっています。一定程度の残業手当がなければマトモな生活が成り立たないような給与体系をまず改めなければなりません。これは場合によっては実質的に賃上げとなる可能性もあります。しかしさらに障害となっているのは「サービス残業」の存在でしょう。これは10の賃金で14の仕事をさせる仕組みで、本当は15支払わなければならないところを誤摩化しているんですが、これをシェアすると2人に7ずつ払わなければならなくなります。

おそらく便所虫が考えているのは、このときに2人に7ずつの仕事をさせて給料は5ずつ払う、ということであると思われます。どさくさまぎれの不当な賃下げに他なりませんが、産業横断的な同一労働同一賃金の原則によってこれは防止されあす。ところが便所虫は「同一価値労働・同一賃金や産業横断的な賃金という議論にはくみしない」と明言していますから、これはワークシェアリングについて真剣に考えた上で言っていることではなく、単にその効果としての賃下げだけを狙った発言であると断言出来ます。便所虫のアタマの中では「ワークシェアリング=賃下げ」であって、これは「リストラ=解雇」に匹敵する誤解です。英語が不得意なのは仕方ありませんが、これでは橋下と同レベルかそれ以下です。

まあ、橋下なんぞより更に悪辣であるとか、やっぱり橋下のアタマは悪かったとか、こんなことで引き合いに出される橋下も可哀想ですが、あれは多分ワザと「ワークシェアリング」という言葉を意味もわからず使ってみせているんですが、しかしあまりバカにも出来ません。橋下の虫並みかそれ以下のアタマの中では「ワークシェアリング=非正規雇用の拡大」ということになっているようなんで。それぞれにワークシェアリング似よる効果の一半ではあり得ますが、資本側が美味しいとこだけ取ろうとしている現在のワークシェアリング議論には一顧だにする価値もありません。

ついでに賃下げをしても大丈夫な条件というものもありまして、年功を排して同一労働同一賃金にした場合にある程度の年齢の労働者は困るわけですが、何に困るかというと餓鬼の「中高等教育費」、家賃にしろローンにしろ「住宅費」、親の介護を含む「医療費」というあたりでしょう。これらは公費によって相当程度個人の負担を軽減あるいはなくすことが出来ますし、出来なければ賃下げはむしろ企業にとっても経営環境の更なる悪化につながります。しかし賃下げをした場合には個人所得税の税収は減少しますし、個人消費の低下による消費税収入の減少を増税で補うのにも限度がありますんで、企業の税負担を上げないといけないのね。これもワークシェアリングを実施しようとする時に満たされなければならない条件のひとつでしょう。

便所虫がどうでもいい無駄話をしている間にも、ビンボー人には「餓死か過労死か」という厳しい現実が迫っているわけですが、こういう状況から労働運動が活性化することが重要でしょう。便所虫の発言をみる限り、労働側が一定の力を持つことは、仮にワークシェアリングを成功させようとするならばその場合には絶対に欠かせない条件となるでしょう。なあ便所虫、ワークシェアリングはそんな甘いもんやおまへんのや。もっと真面目にやれ。

その意味では「てつしマン」やどっかの市議会議員など、自民党員を中心とした「派遣村」に対する誹謗中傷の類いは連中の怯えを素直に表現したものとして評価出来ます。みんな彼らを批判するようですが、不安にかられた連中が恐怖のあまりガタガタ言うのを眺めるのもまた一興です。ビンボー人だって「不安」だし、ジタバタするし、この10何年というもの景気の善し悪しとは関係なくいつクビになるかわからなかったし、連中はそんなビンボー人をみてほくそ笑み、それを利用してきたのではなかったか。彼らの「危惧」を杞憂に終わらせてはなりません。人様の期待には応えましょう。
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2009年01月07日

ホワイトハウスにもがっかり

ヴァージン・トラベル保険がイギリスで行った調査によると、イギリス人が実際に行ってみて一番「がっかり」した外国の観光地はエッフェル塔だそうです。以下2位から10位まで

ルーブル美術館(パリ)
タイムズスクエア(NY)
ランブラス通り(バルセロナ)
自由の女神(NY)
スペイン階段(ローマ)
ホワイトハウス(ワシントン)
ピラミッド(エジプト)
ブランデンブルク門(ベルリン)
ピサの斜塔(ピサ)

一方イギリス国内ではストーンヘンジが1番がっかり。ビッグペンは10位だそうです。日本の観光地が入っていないのは良いところが多いというよりも「がっかり」する機会が少ないだけでしょう。そう何回も海外に観光に出掛けられるものではないことを考えると、「がっかり」でも何でも来させてしまえばこっちのもんです。

エッフェル塔にロケット弾?=イスラエルが宣伝アニメ

 【エルサレム6日時事】パリのエッフェル塔やロンドンの英議会時計塔(ビッグベン)にロケット弾が降り注ぐ−。イスラエル外務省は6日までに、同国のパレスチナ自治区ガザ攻撃に理解を得るための宣伝アニメーションを作成し、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公表した。
 約30秒間のアニメは、英仏独3国を象徴する建造物の前に次々とロケット弾が降り注ぎ、それぞれの前にいる男性が怒りをあらわにしながら、ついに着弾の衝撃で倒れるという内容。最後に「イスラエルのスデロト(ガザ境界付近の町)では、人々が過去8年間、このような感じで暮らしています」とメッセージが表示される。

2009年1月6日 時事


この、『チーム・アメリカ』の冒頭のシーンを彷彿させる面白そうなアニメが見つからないんですが、削除されちゃうもんなんでしょうか。いずれにしてもエッフェル塔やビッグベンはあまり評判の良いところではないようなのですからどうでも良いでしょう。てゆうか、そのアニメを見たフランス人やイギリス人はどう思うんですかね。

「我々のとこにカッサムが飛んでくるのは理不尽だ。我々には攻撃を受ける理由がないではないか。イスラエルにはあるが。しかし仮に我々がイスラエルを支持するのであればこの映像が現実のものとなる可能性もある」

もしイスラエル外務省が上のような読みの結果問題のアニメをひっこめたんだとすれば賢明であります。ところで問題のアニメが見つからない代わりに、こんなのを見つけました。これはイスラエル外務省が製作したものであるかどうか知りませんが、おそらく『重力の虹』にヒントを得たものと思われます。

Sex in Sderot


ところでオバマさんがこの件について何も発言してくれないので「がっかり」している人もいるようですが、なにしろオバマさんが当選した当日にイスラエルはガザ地区の空爆をやってます。イスラエルによるとロケットが飛んできたのでその報復だということですが、これはやはり「当選御祝」の熨斗がついていたんだろうと思われます。脅しですな。なんだかヤクザっぽいです。

この翌々日、オバマさんは早速エマニュエル夫人の夫を大統領首席補佐官にしました。このラーム・エマニュエルさんはユダヤ教徒であって、湾岸戦争ではイスラエル軍にボランティアとして参加、軍用トラックのブレーキを修理していたそうです。どうやらその時にブレーキを外してきちゃったようですが、極めて親イスラエル的な人物であることは確かでしょう。

そこでおそらくオバマさんも対イスラエル政策に関しては従来のアメリカの方針からのドラスティクな「CHANGE」は期待出来ないような気がします。黒人でリベラルっつったって外交は別です。相手が黒人だというだけであらぬ期待を抱くのは昔のギャルだけでしょう。僕は「黒人のギャル」のほうも好きですが。
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2009年01月05日

サツのタイムマシン

殺人など重大事件、時効を撤廃含め見直し…法務省

 法務省は3日、殺人などの重大事件の公訴時効を見直す方向で検討に入った。刑事訴訟法は殺人など「死刑に当たる罪」の時効期間を25年と定めているが、期間の延長や時効の撤廃も含めて検討する。
 今月中旬に法務省内に刑事局を中心とする勉強会を設置し、3月に報告書をまとめる方針だ。
 勉強会での具体的な検討事項としては、重大事件に限り時効を撤廃することの可否や時効期間を40〜50年に延長したり、遺族らが裁判所に請求した場合は、時効の進行を停止する制度を設けたりすることなどが想定されている。
 公訴時効は犯罪が終わった時点から一定の期間を経過したら起訴できなくなる制度で、〈1〉時の経過で遺族や被害者の処罰感情が薄れる〈2〉証拠が散逸して公正な裁判の実現が難しくなる〈3〉捜査機関が長期捜査に伴う様々な負担から解放される――などが、時効の存在する理由とされている。法務省によると、2007年中に時効が成立した殺人事件は58件に上る。
 これに対し、「全国犯罪被害者の会」が08年11月の大会で「被害感情は時の経過で薄くなることはなく、むしろ日に日に増していく」として、時効廃止を求める決議を行った。00年12月に起きた東京都世田谷区の一家4人殺害事件の遺族らも08年12月に記者会見し、時効制度の見直しを訴えるなど、被害者の側から公訴時効見直しを求める声が強まっている。
 一方、証拠の散逸についても、近年DNA鑑定など科学捜査の進歩で、証拠の長期保全が可能になっているという事情もある。04年8月に東京都足立区の小学校の元警備員の男が26年前に女性教諭を殺害したとして警視庁に自首し、供述通り遺体が見つかるなど、時効成立後に犯人が殺人を自供するケースもあり、「真犯人だと科学的な裏付けが取れるのに時効後だから起訴できず、悔しい思いをする捜査員は多い」(法務省幹部)という。
 法務省では、時効見直しに対する遺族らの要望が強まっていることに加え、今年5月の裁判員制度開始で、一般国民が刑事裁判に参加することから国民の間で時効制度への疑問を解消する意味でも議論を整理する必要があると判断し、勉強会の設置を決めた。
 ただ、公訴時効の期間は05年施行の改正刑事訴訟法で「死刑に当たる罪」は15年から25年に延長されており、同省内には改定に慎重な意見もある。

2009年1月4日 読売新聞


えっと、たしか「アスの会」は去年の5月に殺人の時効廃止について自民党の司法制度調査会に要望していました。で、何かと評判の良い毎日新聞が同月25日から7月にかけてキャンペーン記事の連載をしたりアンケートをとったりしていたのでした。「アスの会」としては死刑執行の量的増大と死刑判決の質的拡大を運動の成果としてうまい飯を食うだけでは飽き足らず、朝日新聞に噛み付いたりして死刑に批判的な言説に圧力をかけ、てゆうか今や死刑拡張論者の唯一のよりどころである感情論がその存在意義ですから、まともな議論に反論するとかそういうことではないのでどうでもいいんですが、更により一層の死刑対象者を増やそうというわけで、11月には時効廃止を求める「決議」を出したんです。すなわち11月30日の第9回大会決議の第3として

殺人事件など、重大犯罪について、公訴時効の廃止を求める。
  殺人事件など重大な事件の被害感情は、時の経過により薄くなることはなく、むしろ日に日に増していく。殺人犯等が時効により何の処罰も受けないで良いと考えるような社会的コンセンサスも存在しない。
 時効は、国家が、加害者の逃げ得を保障することになり、被害者にさらに苦しみを与え、二次被害を与えるものに他ならない。そこで、殺人事件などの重大な犯罪について、公訴時効の廃止を求めるものである。


というわけですが、「重大犯罪」の定義がありませんから何のことやらわかりませんが、まあ、「死刑にあたる罪」と同じように見なしてあげても構わないかも知れません。

もっとも、「重大な事件」の「被害感情」だけが「日に日に増していく」という保証はありません。「重大」じゃない「事件」の「被害感情」だって「日に日に増していく」ことがないとは言い切れません。単なる窃盗といえども場合によっては被害者の人生を一変させるような効果をもたらす可能性がありますし、「被害」の「重大」さはかなり主観的なものです。「アスの会」は「とるに足らない犯罪」の「被害感情」については無視するようです。「アスの会」の「主観」によって「重大」ではないと判定された犯罪の「被害」を言いつのっていると、「つまらないことでガタガタ言うんじゃねえ」と怒られてしまいます。

もちろん、いかなる犯罪といえども犯人が「時効により何の処罰も受けないで良いと考えるような社会的コンセンサス」は存在しないかも知れませんし、「公訴時効」が「国家が、加害者の逃げ得を保障することになり、被害者にさらに苦しみを与え、二次被害を与えるもの」でないという保証はありません。「公訴時効の廃止」を求めるのに、それを「重大犯罪」に限定する理由は特に見つからないようです。

そこで「アスの会」は「公訴時効」そのものを問題にしているわけではないようです。掏りかっぱらい空き巣狙いコソ泥などの「ケチな」犯罪は最初から相手にしていませんし、そんな犯罪の「被害」にガタガタ言うような「ケチな」被害者連中も相手にしていません。これはあくまでメジャーな犯罪のメジャーな被害者の、いわば「エリート被害者」の大所高所からの大変に尊重すべき、「特権的被害者」としての当事者からの貴重なる御意見なわけですが、その目指すところは「公訴時効」の「見直し」ではなく、あくまで「死刑」の拡張なのです。

ですからここで「時効の存在する理由」などについて云々することは全く余計なことです。「アスの会」は何も、「公訴時効ってのはおかしいんじゃないか」なんてゆう大胆な主張をしているわけではありません。ただ単に死刑を増やしたいだけであり、今現に起きている犯罪では彼らの望む死刑には足りないので昔の事件を掘り起こそうと言っているだけなのです。

ところで毎日新聞のように「アスの会」と連携が取れていない読売新聞の記事は混乱を極めています。「時効成立後に犯人が殺人を自供するケース」などを挙げるのはむしろ逆効果です。もしかするとわざとやっているのではないかと疑われるほど的外れです。このケースは時効がなければ未だに犯人が分からなかったと思われるケースであり、公訴時効の制度があることで始めて真相が明らかになった例です。こういうことを書いてはいけませんね。おっちょこちょいだなあ、はっはっは。

「DNA鑑定など科学捜査の進歩で、証拠の長期保全が可能になっている」というところもメチャクチャです。「証拠の長期保全」がちゃんとやってある場合に「DNA鑑定など」が可能になるのであって、きちんと保管されていない場合はいくら科学が進歩しても無理なものは無理です。「科学捜査の進歩」がタイムマシンの発明にまで至るのであれば話しは別ですが、人類はまだそこまで進歩していないようです。

しかし時効が廃止されるとして、問題になるのは真犯人ではない容疑者の不在証明もしくは消極的事実の証明でしょう。これは容疑者が犯人でなければそれだけ時間の経過とともに困難を増すものと思われます。これが物件証拠の不在もしくは保全の不全と組合わさった場合、時効の廃止もしくは延長は冤罪の危険性を高めるものと想像されます。それは「疑わしきは罰せず」の刑事裁判の原則と相反するものとなる可能性があります。時間が経てば経つほど「疑わしい」だけで罰することになりかねません。

もっとも「アスの会」の関心がもっぱら「被害感情」に立脚しており、それが真犯人でも何でもとにかく誰かを罰することによって満足されるものであるならば、彼らがそんなことに興味がないのも当然です。しかし法務省としては死刑を増やすのはともかくとして、やはり誰でもいいから吊るしてしまえというわけにはいかないでしょう。幸いにして別に「被害者」ではないのですから、無闇に血に飢えることなく常識的に考えてもらって、お役人らしく難しい言葉でのらりくらりとかわすのが賢明でしょう。
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2009年01月04日

この惨劇はご覧のスポンサーでお送りします

イスラエル軍、ガザに地上侵攻=「テロ設備」への打撃狙う−ハマス抗戦、長期化も

 【エルサレム3日時事】イスラエル軍は3日夜、パレスチナ自治区ガザへの地上部隊投入に踏み切った。イスラム原理主義組織ハマスによるロケット弾攻撃阻止を理由としたイスラエル軍のガザ攻撃は、地上侵攻の開始でさらに深刻な局面を迎えた。民間人を含む犠牲者が増えるのは確実で、150万人のガザ住民の人道危機が一層悪化することが懸念される。
 現地からの報道によれば、イスラエル軍の戦車は境界フェンスを越えガザ北部に突入し、ガザ市やベイトラヒヤ、ジャバリアなどに展開。ハマスも迫撃砲で反撃し、激しい戦闘が繰り広げられているもようだ。
 AFP通信などによると、イスラエル首相府は声明で、作戦は「ハマスのテロ設備に強烈な打撃を与え、南部地域での安全保障の状況を長期にわたり改善する」ことが目的だと説明。「軍はハマスのロケット弾が発射されている地域を占拠する」としている。
 同軍の声明によれば、作戦には空軍の支援を受けた歩兵、戦車、砲兵など「多数の部隊」が参加している。軍報道官は地元テレビに「これは学校の遠足ではない。多くの日数がかかるだろう」と述べ、作戦の長期化を示唆した。

2009年1月4日 時事


イスラエルはガザ地区への送電を遮断、暗闇となったガザ地区に乱入しました。もちろん「ハマスのロケット弾が発射されている地域を占拠する」だけが目的ではありません。そのくらいのことは直ぐに終わってしまうでしょう。「これは学校の遠足ではない。多くの日数がかかる」そうですから、全地区に渡って民家に押し入って住民を壁にへばりつく肉片に変えたり、通行人を戦車で潰してベーグルにはさんで喰うものと思われます。

そこで虐殺支援企業をパレスチナ情報センターのサイトによってご紹介しましょう。これらの企業の商品を購入してヤクザ者ハマースとそれを支援する一般人ならびにそこらにいる連中ををひとり残らず根絶やしにしようではありませんか。
http://palestine-heiwa.org/choice/list.html

スタバ

スターバックスの会長ハワード・シュルツは、イスラエル軍がパレスチナのジェニン、ナブロス、ベツレヘムなどに侵攻し破壊と虐殺を欲しいままにしていた 2002年 4月、シアトルのシナゴーグにおいて、パレスチナ人を非難しイスラエルへの支持を訴えるスピーチを行い、観客からスタンディング・オベーションによる喝采を受けたとのことです。
スターバックスの会長ハワード・シュルツは活発なシオニスト (用語解説) です。1998年には、彼のシオニズムへの貢献を讃え " The Jerusalem Fund of Aish HaTorah " から " The Israel 50th Anniversary Tribute Award "(イスラエル50周年記念賛辞賞)が授与され、イスラエル外務省も彼のイスラエルに関するPR活動を賞讃しました。
日本においてスターバックス・コーヒーを展開しているのは、株式会社サザビーです。株式会社サザビーの代表取締役・鈴木陸三氏は、石原慎太郎氏の学生時代からの友人であり選挙参謀でもあったという経歴の持ち主です。株式会社サザビーは、スターバックス・コーヒーの他に、
SAZABY (サザビー)
Afternoon Tea (アフタヌーン・ティー)
アニエス b.
なども手掛けています。


東京都民はイスラエルを応援するスターバックスを運営するサザビーを経営する鈴木に応援されている石原を応援しています。

マックまたはマクド

マクドナルド会長兼 CEO の Jack M. Greenberg は、シカゴのアメリカン・イスラエル商工会議所の名誉会長です。
またマクドナルドは、 様々な活動や資金援助を通じてイスラエルを支援する " Jewish United Fund "(ユダヤ人基金) 及び、" Jewish Federation "(ユダヤ人協会)の主要な企業パートナーだとのことです。
" Jewish United Fund " と " Jewish Federation " は、イスラエル政府がパレスチナ人を追放して略奪した地域を開発するための資金も提供しています。
マクドナルドは、アメリカ政府が 2001年のアフガニスタン攻撃時にプロパガンダとして行った、恥知らずな「上空からの食糧ばらまき作戦」( " Humanitarian Daily Ration " 人道的配給)にも参加していたとのことです。


ベーグルサンドは?そういえばコストコでは狂ったようにベーグルを売りまくっていますが、なんのつもりでしょうか。あそこもスポンサーさんですかね。ところでベーグルという輪っかパン、あれは決してそんなに美味いもんではありません。日本のお嬢さんはその独特の風味と食感を利用して食べ過ぎを防いでいるようです。

コークなんて誰も呼ばない

コカ・コーラ社は、イスラエルに対する様々な形での援助に対して、イスラエル関連団体やイスラエル政府から表彰されています。
またコカ・コーラ社は、イスラエル政府がパレスチナ人から略奪した土地に工場を建設する予定です。そこにはすでに、インテルの工場があります。建設予定地の al-Manshiyya 村では、イスラエル政府によって 300軒あった家が全て破壊され 2000人のパレスチナ人が追放されました。
コカ・コーラ社の製品は多肢に渡りますが、まず、コカ・コーラが販売されている自動販売機で売られている商品がコカ・コーラ社のものであると判断できます。店頭では商品ラベルを確認すれば判断できます。日本で販売されている代表的な商品としては、
コーラ、ファンタ、スプライト、爽健美茶、ジョージア(コーヒー各種)、リアル・ゴールド、アクエリアス、紅茶花伝、Qoo、ミニッツ・メイド(フルーツ・ジュース各種)
などがあります。


日本コカ・コーラ社の確かな情報によれば保存料と合成香料以外なら何でも入っているとウワサの黒い毒水。あまり確かでないウワサでは原料は石炭、あるいは人間の死体が入っているともいいます。まあそんなことはビルにテナントで入っている高級レストランではよくある話しです。

DKNYとかそーゆーの

エスティ・ローダーの会長ロナルド・ローダーは、熱烈にして活発なシオニスト活動家 (用語解説) です。彼は、イスラエルによるパレスチナの軍事占領への強硬な支持を広言してきました。また、パレスチナ難民の故郷への帰還も許してはならないとの立場を貫いているとのことです。
エスティ・ローダーの関連ブランドには、Clinique(クリニーク:コスメ関連)、DKNY(ダナ・キャラン・ニューヨーク:ファッション関連)、Origins(オリジンズ:コスメ&リラクゼーション関連)、Tommy Hilfiger(トミー・ヒルフィガー:ファッション関連)などがあります。


「DKNY」って「ドキュン」と読むんだと思ってました。だってDQNが着てるから。

ネスレ、昔は「ネッスル」って言ったな

ネスレは、その多額の投資がイスラエルへ多大な貢献をしているとして、1998年ネタニヤフ首相(当時)から "Jubilee Award" を授与されました。
ネスレの製品は多肢に渡りますが、代表的なものに、Nescafe(ネスカフェ:インスタント・コーヒー)、KitKat(キットカット:チョコレート)、Maggi(マギー:調味料)、Buitoni(ブイトーニ:パスタ&ピザ)、Perrier(ペリエ:ミラネル・ウォーター)、Vittel(ヴィッテル:ミラネル・ウォーター)などがあります。


キットカットに牛の血が入っているかどうかはともかく、カカオ豆には幼年奴隷の血がしみ込んでいるは間違いありません。

インテル

インテルは、最も大きなイスラエル支援企業のひとつです。
1999年、インテルはイスラエル政府によって略奪されたパレスチナ人の土地に工場を建設し、そこから大きな利益を得ています。インテルの工場が立つ al-Manshiyya 村では、300軒あった家が全て破壊され 2000人のパレスチナ人が追放されました。
Intel は、主にコンピュータの主要なパーツである CPUを生産販売している企業です。製品名は、Pentium(ペンティアム)やCeleron(セレロン)などです。


インテルは言ってる「インテル入ってる」と。残念ながら。

マイクロソフト

イスラエル軍によるジェニンへの侵攻と虐殺が行われていた 2002年 4月、マイクロソフトは、イスラエルのテルアビブ付近の高速道路脇に「心からイスラエル国防軍への感謝を捧げます」と書かれた広告を多数掲げました。
マイクロソフトは、ブッシュ共和党政権への献金にも励んでいます。その献金額は、並み居る競合を押え、毎年、共和党政権献金企業トップ5に食い込んでいます。
2005年10月、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長はイスラエルを訪れ、シャロン首相(当時)やオルメルト産業貿易相(現首相)を表敬訪問し、現地マイクロソフトの従業員や財界人と会合を持ちました。また、「イスラエルのハイテク部門は世界市場で重要な役割を果たすだろう」と語り、イスラエルとの協力体制の強化を約束したとのことです。


インテルやマイクロソフトを回避するのはきわめて困難です。しかし連中の裏をかくことは出来るかも知れません。つまり連中が「違法」だとか言って騒いでいるような行為は、それがどのような動機によるものであっても、イスラエルがやってる虐殺をほんの少しばかり妨害することになると思えば、何か良い事をしたような気になれます。それは同時にあなたの出費も抑えることができるわけで、まさに「一石二鳥」です。

IBM

IBM は、イスラエルがパレスチナ人を本格的に迫害し始める以前は、自社のパンチカード・マシンをナチスに売り込み、ユダヤ人の判別とユダヤ人を収容所に連行するための鉄道の効率的な運行を容易にすることでナチスによるユダヤ人問題の「最終解決」に多大な貢献をし、密かに巨利を得ていたことが明らかとなっています。
ナチスによるユダヤ人絶滅計画が頓挫して間もなく、1948年にイスラエルが建国を宣言すると、IBMはすかさずイスラエルに進出し、現在に至るまでイスラエルでの事業展開に多大な投資を行っています。
IBM の商品は多岐に渡りますが、最も身近な商品はパーソナル・コンピュータでしょう。ほかにも IBM の身近な商品としては、ソフト・ウェアがあります。代表的なものに、「ホームページ・ビルダー」「インターネット翻訳の王様」「デジカメの達人」などがあります。また IBM は、同社のパーソナル・コンピュータに Windows をインストールして販売している一方で、 Mac に使われている CPU ( PowerPC )の製造もしています。


ちょっと話しが古いね。今やマックのCPUはインテルだよ。テクニカルな方面に詳しい人はウィンテルやIBMに依存しないコンピュータを自作したり出来るでしょう。よく売ってるCPUはAMDのものですね。それからもちろん中古品を買うとか、いっそのこと盗んでくるとか、そういう粗雑なやり方でも連中にお金が行かないわけだから、それもアリってことでどうでしょう。

ディズニー

ディズニーは、"Walt Disneys Millennium exhibition"(ウォルト・ディズニー・ミレニアム博覧会)という催しにおいて、イスラエルの首都をエルサレムとして提示しました。しかし事実としては、エルサレムはイスラエルによって国連安保理決議 194・242・252 を始めとする数々の決議を堂々と無視して 1967年以来 30年以上に渡って不法に占領され続けている土地に過ぎません。
イスラエル外務省は、イスラエルの首都を「エルサレム」として提示するというこのアイデアに対して 180万ドルを与えました。これは、エルサレムが占領中の土地であるにも関らず首都であるかのように宣伝して既成事実化しようと目論むイスラエル政府のキャンペーンの一部として行われたものであるとのことです。


「イスラエルの首都」は「エルサレム」だと思ってた?。学校で習う世界地図だとそうなってますよね。でもそれは例によってウソです。そんなウソが通じるのはアメリカの首都がニューヨークだと思っている大部分のアメリカ人と学校で帝国書院の世界地図からデタラメを吹き込まれた全ての日本人だけです。

国連で承認されているイスラエルの首都はテルアビブです。もちろん各国の駐イスラエル大使館もここにあります。在イスラエル日本大使館もテルアビブにあります。

そこで「イスラエルの首都はエルサレムだ」と言明するとイスラエルが180万ドルくれるようです。さあ今すぐプラカードに「イスラエルの首都はエルサレムだ!(振込口座なんとか銀行かんとか支店普通預金口座番号どーたらこーたら口座名誰々)おいらにもディズニーと同じだけ180万ドル下さい」と書いてイスラエル大使館に出掛けましょう。口座のない人は現金で、受け渡し日時は大使館員と相談のこと。大使館の場所は東京都千代田区二番町3番地、東京メトロ有楽町線「麹町」駅下車、5番出口を出て左手すぐセブンイレブン横の信号に立ち、旧)日テレビルの方向を向き、旧)日テレビルとインドカレー屋『アジャンタ』の間の道を東に50m程直進して右手が大使館です。駅から歩いて1分。ただし今日まで休みでしたごめんなさい。明日になったらレッツゴー。180万ドルはあなたのものです。まあ、明日の為替レートを見て、レートの良い日に出掛けるのも一案です。
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2009年01月03日

「正月特訓」?

ハマスへの武器密輸監視を  停戦目指し米大統領

 【ワシントン2日共同】ブッシュ米大統領は2日、パレスチナ自治区ガザを支配する強硬派ハマスがイスラエルへのロケット弾攻撃を停止した上で、武器がガザに密輸されないよう監視する制度の確立が停戦の前提と述べ、実現に向けた外交努力を強める意向を表明した。ホワイトハウスが3日放送のラジオ演説の内容を公表した。
 イスラエルが大規模なガザ空爆に踏み切って以来、大統領本人の見解表明は初めて。停戦の兆しが見えず、民間人犠牲者が増えているため、重い腰を上げた格好だ。
 大統領は、ハマスがすぐにイスラエル攻撃を再開するような停戦には意味がないとの立場を確認。ハマスが攻撃をやめた上で、ハマスへの武器供給を取り締まる制度の確立が必要と述べた。
 監視制度の具体的内容は不明だが、米政府は境界を接するエジプト側からガザに武器が流れているとみており、境界における人や物資の往来監視の強化などを検討しているとみられる。

2009年1月3日 共同


ハマスを一方的に非難=市民の犠牲には「遺憾」−米大統領

 【ワシントン2日時事】ブッシュ米大統領は3日の週末ラジオ演説で、イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザに対するイスラエル軍の空爆を取り上げ、「最近の暴力はハマスによって引き起こされた」とハマスを一方的に非難した。ホワイトハウスが2日、演説内容を公表した。今回の軍事行動をめぐって大統領が公の場で発言したのは初めて。
 ブッシュ大統領は、2007年6月にガザを制圧したハマスが恒常的に停戦を破り、イスラエル領内にロケット弾を撃ち込んでいたために、同国が軍事行動を起こしたと米国民に説明。「ハマスのテロリストたちは民間居住区に隠れ、無実の市民を危険にさらしている」と述べ、イスラエル擁護の立場を鮮明にした。ただ、空爆で市民に犠牲が出ていることには「遺憾」の意を表明した。
 その上で大統領は「米国は意味ある停戦の実現に向けた外交努力を主導している」とし、ハマスへの武器流入停止を監視するメカニズムを伴う停戦合意が必要だと強調した。

2009年1月34日 時事


共同通信によるとブッシュは「停戦を目指して」いるそうですが、時事通信によればハマースを「一方的に非難」しているようです。もっともハマースによるロケット砲の攻撃は、アメリカやEUや日本の介入によるハマース主導の政権の崩壊以後強化されたもんですが、その報復はガザの全面的な破壊でした。

ガザの「インフラの大部分破壊」  国連の調整官

 【ニューヨーク2日共同】エルサレムに駐在する国連のロバート・セリー中東和平特別調整官は2日、パレスチナ自治区ガザ地区の情勢についてビデオ中継で記者会見し、イスラエル軍の空爆でガザの「インフラの大部分が破壊された」と指摘、約150万人が深刻な食料や燃料不足に直面しており「人道上、即時停戦は死活問題になっている」と述べた。
 即時停戦に向け、さまざまな動きが出ているが、調整官は「(中東和平交渉仲介役の)4者(米国、ロシア、欧州連合、国連)と国連安全保障理事会の役割が非常に重要」とした。
 特にガザに唯一残っている国連の役割を強調。ガザを支配するパレスチナ強硬派ハマスとも接触を続け、ロケット弾攻撃と武器密輸の中止を働き掛けているとした。

2009年1月3日 共同


ブッシュの「意味ある停戦」というのは「ハマースの殲滅」と「イスラエルの勝利」であり、この目的が達成されるまで民間人が何人くたばろうが「遺憾」で済ませることにしたようです。しかしこの様子ではハマースより先にガザ地区の住民が全滅しそうですが、そういうことをあまり気にしないのがブッシュの悪いクセです。てゆーかそんなことを気にしていては戦争なんぞ出来ません。そもそも自国民の犠牲すら厭わないのが国家というものです。ましてアメリカの兵隊が戦っているわけではありません。他の国の人なんて知るものか。

直接当事国になっていない点を除けばこれは全くイラク戦争の繰り返しになりかねません。ブッシュは靴を投げられて貴重な教訓を得ました。かなり酷いことをしても我が身に降り掛かるのは紳士用革靴一足程度であり、それもけっこう上手くよけられるものなのです。オバマさんは今なにしてるんでしょう。1000本ノックで靴をよける特訓を受けているのでなければ良いのですが。戦争がアメリカにとって「不況対策」になったりすることを考えるとちょっとね。
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2009年01月01日

とんでもない麻生の一族

 新年あけましておめでとうございます。
 今年は、平成二十一年。今上陛下、御即位二十年であります。国民とともに、心からお祝い申し上げたいと存じます。来年はどうなることかわかったものではないので、今年は特に心を込めるように。「国民とともに」ということはつまり私は「国民」の中には入っていないのです。特に言うまでもないことですが、私は「国民」とは違うんです。他人のネタを盗んでもいいんです。なにしろ今年は私の即位二年目です。
 この二十年間、「国民」は別として私は、平和と繁栄を続けてまいりました。毎日うまい酒を飲み、葉巻をくゆらしておるところであります。街に出ては間違いだらけの御託を並べ、失業者には独りよがりの説教をし、順風満帆(じゅんぷうまんぽ)とはことのことであります。「国民」はバブル崩壊、金融危機、小泉改革、安倍政権福田政権麻生政権など、いくつもの未曾有(みぞうゆ)の困難にも見舞われたようですが、知ったことではありません。
 「国民」どもにはアメリカ発の市場放任主義の当然の結果が身にしみておるようであります。他のどの国よりもアメリカに追従してきた日本が、「アメリカ並み」の野蛮国に転落するのも時間の問題す。しかし、適切な対応をすることにより、私は自分の被害を最小に抑えることが出来ます。
 「国民」どもの、景気や生活に対する不安。これを取り除くようなことは政府は一切致しません。そして、世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、麻生家です。
 振り返れば、麻生家は、これまでも、自らの選択と努力によって、日本という国を利用し、変化させながら、発展してきました。近代に入ってからも、二度の大きな危機に直面しながら、そのたびに、新たな道を切り拓き、驚異的な成功をおさめてきました。
 百四十年前。1868年。明治の先人たちは、戊辰戦争という内戦の中で、新年を迎えました。しかし、麻生家は大庄屋となって百姓どもを過労死するまで酷使し、曾祖父麻生太吉が石炭産業に乗り出して財を成すまでになりました。
 次に、六十年前。昭和の先人たちは、戦争によってすべてを失い、占領下の新年を迎えました。しかし、麻生家の財産によって私の母方の祖父である吉田茂が首相となりました。
 私は「底力」には自信があります。ぶっちゃけこれは「経済力」ですし、残念ながら「知力」ではないのですが、これまでのやり方を踏襲(ふしゅう)し、金にものを言わせて日本という国のピンチを自らのチャンスに変える。実体経済(じつぶつけいざい)が低迷(ていまい)すれば物見遊山(ものみゆうざん)に興じ、破綻(はじょう)が起きても自分だけはちょっとした怪我(かいが)で済むように、困難を必ず乗り越えることができるという思惑(しわく)が、私にはあります。
 私が目指す日本は、「国民」どもの「活力」が私を富ませる日本。私が「安心」して暮らせる日本です。日本は、これからも、麻生家のために働いてもらわなくてはなりません。ここは私の「シマ」です。
 五十年後、百年後の日本が、そして世界が、どうなっているか。未来を予測することは、従兄弟の野田昌宏にとっても困難です。吐いた唾は飲めねえから滅多なことは言えません。
 しかし、未来を創るのは、私です。日本や世界が「どうなるか」ではなく、私が日本を、「国民」どもを「どうするか」です。焦眉(しゅうび)の問題に対する有効な措置(しょち)の有無(ゆうむ)については、その詳細(ようさい)についてここで述べることは頻繁(はんざつ)になるおそれがありますので申し上げません。
 ただひとつだけ、「国民」どもは受け身でいればよいでしょう。私が望むべき未来を切り拓く。そのために、黙って耐えること。カバチ垂れたり、アヤをつけるようなマネはしないことです。私のヤサをシケバリしようなんざ100年も1000年も早えんだよ。
 私は、決してケツを割るつもりもなければ辞めるつもりはありません。辞めなければならなくなるので総選挙もしません。私はそんなこと認めません。おちょくらないようにお願いしておきますよ。
 新年にあたり、あらためて、国民の皆さんのご理解とご支援を、お願い申し上げます。下手に出るのも今のうちです。
 本年が、皆さんお一人お一人にとって、すばらしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げる次第です。祈りはしますが、「一人一人にとってすばらしい一年」は私にとっては損害なんで、なにしろ他人の生き血を吸う一族、一人一人になったらこっちの思う壷、まとまって来られるとナンなので、まとまって来ないようにしなさい。

平成二十一年一月一日

内閣総理大臣 麻生太郎ちゃん
posted by 珍風 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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