2009年01月17日

犬に論語豚に真珠

犬が人を咬んでもニュースにはならないとされていますが、決してそんなことはありません。

事故:犬にかまれ、小6けが 自宅敷地で突然襲われる−−日光 /栃木

 13日午後4時25分ごろ、日光市倉ケ崎の市立小6年の男子児童(12)が自宅で犬にかまれた、と父親(48)から119番があった。少年は左脇腹や左足の2カ所をかまれ、約2週間のけが。
 今市署によると、午後3時55分ごろ、学校から帰宅した児童が自宅敷地内に茶色の犬(体長約60センチ)が入り込んで、2頭の飼い犬とじゃれているのに気付き、近付いたところ、突然襲われたという。児童から携帯電話で連絡を受けた父親が、自宅に戻って通報した。
 犬は赤と茶、黄色のチェック模様の犬用の服を身につけていた。署員が逃げた犬の行方を探している。【山下俊輔】

200年1月14日 毎日新聞


犬が犬を撃ってもニュースになったりします。

巡査が大型犬を射殺、愛知  通行人ら襲われる

 10日午後9時40分ごろ、愛知県稲沢市増田東町の畑内で、大型犬に、飼い犬を連れ散歩していた男性(39)と男性警察官2人が襲われ、男性巡査(25)が所持していた拳銃を2発発砲し、射殺した。3人にけがはなかった。
 稲沢署の調べによると、大型犬は犬種は不明だが、茶色で体長約125センチ、体高約74センチ。首に鉄製のくさりをしていた。
 同署に同日午後8時50分ごろ、付近の住人から別の飼い犬が大型犬にかみ殺されたと通報があり、警察官2人が出向き、この大型犬を発見。大型犬はその後、飼い犬を連れていた男性や、ミニパトに乗り込み警察官を襲うなどした。
 同署は「放置すると男性の命に危険が生じると判断し発砲した。拳銃の使用は適正だった」としている。

2009年1月11日 共同


そこで人が犬に噛み付いたらニュースになるかというとこれが、あんまりならないんですな。

裁判官「あなたが殺した」と質問  神戸地裁で被告人に

 交際していた女性に暴行を加え死なせたとして、傷害致死罪に問われた無職島一央被告(44)の初公判が14日、神戸地裁(岡田信裁判長)であり、裁判官が被告に「あなたが殺したんでしょう」と質問。弁護士が「予断を持たせるような発言は慎んで」と批判する場面があった。
 この日の被告人質問で、左陪席の荒金慎哉裁判官は「『被害者が死んだ』と(被告人が)言っているが、あなたが殺したんでしょう」と発言。最終弁論の中で高島健弁護士が「これは殺人事件でなく傷害致死事件。裁判員制度の開始を控えており、予断を持たせるような発言は慎んでいただきたい」とくぎを刺した。
 高島弁護士は閉廷後「裁判員が聞いていたら、量刑が重くなる可能性もあると考え、思い切って指摘した」と話した。
 検察側は「常習的に暴力を振るってきた」と懲役10年を求刑。弁護側は寛大な刑を求め即日結審した。判決は22日。
 論告によると、島被告は昨年9月10日未明、無職森本正美さん=当時(31)=のマンションで、森本さんを殴るなどして死亡させた。

200年1月14日 共同


「死んだ」か「死なせた」か「殺した」かの違いは大きな意味を持っています。被告人は暴行を加えていたら「被害者が死んだ」と言っており、検察もそれを認めて傷害致死罪で起訴しているところです。報道ではこのような場合に「死なせた」と書くのです。一方で「殺した」とする場合、これは故意の殺人を意味し、日本ではこれは殺人罪に該当します。

もっとも被害者にとってはどれも同じようなものであるとも考えられます。あるいはさんざん殴られて結果的に死んでしまうよりは一思いに殺してもらった方が楽だったかもしれませんが、その辺は定かではありません。ましてや本人ですらない遺族にとっては「被害者の不在」という事実そのものを自らの「被害」としていますから、ますますどうでもいいことであると思われます。もしそうであるならば、被害者が裁判に参加することは望ましいことではないでしょう。

ましてや「宙ぶらりんの会」では公判が開かれていない、いや容疑者も逮捕されていなければ取調べも行われていない段階から「死刑」を主張するくらいですから、そのような人たちにとっては「殺人」と「傷害致死」や「過失致死」の区別なんか最初からないんでしょう。まあ、何でも「結果」が重視される世の中ですから、もしかするとそれはそれで構わないのかもしれません。その場合には助かるものも助からない人が出る可能性があるのですが、その場合は「アスの会」や「宙ぶらりんの会」の会員が増えるんですからかえって好都合です。

血も涙もない人たちは別として、もちろん世間では傷害致死や過失致死の場合であっても、関係者の責任を強調する意味で「殺した」という表現をする場合もあるでしょうが、それは日常の慣用的な言い方です。検察側が時に扇動的な論告の中でこういうことを言い出すことが考えられますが、裁判官としては表現に注意を払うべきでしょう。

法律というのは要するに言葉ですから、この点で極めて荒っぽい言葉の使い方をした荒金慎哉裁判官には慎重さが求められます。まあ左陪審ということで、彼はおそらく駆け出しの若造の判事補ですから、将来があることと思いますので、あまりキツいことは言いたくありません。ワザとこんなことを言ったのでしたら裁判官失格ですが、うっかり言ったのであれば裁判官としての、てゆうか法曹としての適性がありません。世の中にはもっとマシな仕事がいくらでもありますよ。今ちょっと無いか。どっかの農場でブタを飼う仕事があるとか。口は災いの元ですから動物相手の仕事がいいかもしれません。

こういうことを書くと「バカブロガーがいたいけな判事補に『ブタでも飼ってろ!』」という具合になりますから言葉には気をつけたいものです。ブタに失礼だし。それにしてもいくら相手が青二才とはいえ裁判官に噛み付く弁護士というのは珍しいものです。高島健というお名前だそうで、こういう人はもう「健さん」と呼んじゃいましょう。

しかし、バカな判事補が「うっかり」人前で言ってしまったようなことを、特例判事補や判事が「こっそり」やることも考えられます。これこそ「故意」と「過失」の違いですが、「うっかり」は裁判官連中が実はウラで何を考えているかを垣間見させるものなのかもしれません。その意味では健さんが裁判員制度を念頭に置いているのは当然です。この制度においては「評議」が密室で行われ、その内容は懲役刑または罰金刑の脅しによって守られているからです。裁判官連中が「一般市民のみなさんの感覚」を歪め、自分の思う通りの判決が出るようにあらゆる手を使うことは目に見えています。

とはいうものの、裁判官が「一般市民のみなさんの感覚」を無批判に取り入れてしまうのも、これもまた困ったもんで。

横浜地裁:「刑務所に入った者と友達、考えられぬ」 裁判官が発言

 横浜地裁の鈴木秀行裁判官(56)が傷害事件の公判で、現場にいた被告の友人が別事件で仮出所中であることに触れ、唐突に「刑務所に入った人間と友達というのは普通考えられない話」などと発言していたことが分かった。弁護人は「出所者の立ち直りを阻害する暴言で、人権感覚に欠ける言動」として、鈴木裁判官に対する懲戒処分を促す上申書を14日、地裁に出した。
 鈴木裁判官は、傷害罪で起訴された横浜市の自営業の男(32)の公判を1人で担当。上申書に添付された地裁作成の調書によると、昨年12月18日の初公判で、被告への尋問で友人について「一体どういう関係ですか」「弁護士でも刑務所に入った人間いるけどね。私の知り合いで。当然、付き合いなくなりますよね」とも言った。
 上申書は「被告に更生を説諭すべき裁判官が、公開の法廷で刑務所帰りの者と付き合うべきでないという趣旨の発言は許されざる暴言」と批判。裁判員制度を控え「司法への信頼を揺るがす問題発言」とも指摘した。
 鈴木裁判官は74年司法試験合格。札幌地家裁室蘭支部長、東京高裁判事などを経て06年1月から横浜地裁部総括判事。この被告に対し今月、懲役1年6月の実刑判決を言い渡した。【杉埜水脈】

2009年1月14日 毎日新聞


弁護人は「刑務所から出所した人の立ち直りは期待できないと言っているようなもの。裁判官としての立場からは許されない暴言だ」と怒っています。もっとも鈴木秀行さんが言っているのは、先の三下判事補が傷害致死罪と殺人罪の区別がつかないのとはちょっと違います。鈴木さんはある意味で単に事実を指摘しただけであるといっても良い面があります。

実際のところ知り合いがブタ箱に入ったということで、出てきても交際を避ける例は少なくないようです。それが鈴木さんの言うように「当然」なのかどうかは知りませんし、そもそも鈴木さんに友達というようなものがいるのかどうかも僕は知りません。しかし一般に受刑者が収監中に離婚されていたり、出所後も交際範囲が狭小するばかりか就職等においても差別を受け、つき合ってくれるのはムショ仲間だけだったりして、それがまた次の「仕事」に繋がっていく、ということがあります。

そこで「再犯率」を問題にするのであれば出所後の社会関係に注目する必要がある、といってもこれは制度的にどうなるもんでもありません。特に「友人」が私的に交際することを止めることを禁止するというわけにはいきません。しかしながら上記のような事実があるということから、そもそも「再犯率」を問題にするほど刑罰というものは再犯を防止する効果があるのか、ということになります。

鈴木さんはこのような刑罰の「効果」について「身をもって」認識しています。実際に鈴木さんは「刑務所に入った」「知り合い」の「弁護士」との「付き合い」をやめております。これは「暴言」というよりは貴重な「証言」でしょう。そして仮に鈴木さんが「再犯」の発生を望まないのであれば、彼は「当然」に懲役刑と財産刑を選択出来る場合は罰金刑を科し、又は執行猶予をつけるなど、可能なかぎり被告人を刑務所に入れることを避けているはずであり、多分そうしているんでしょう。そうに違いありません。

裁判官一般が「人権感覚」において「一般市民」よりも特に優れているという証拠は何もありません。しかし裁判官には職責上「一般市民」よりも優れた「人権感覚」が要求されます。しかしながら鈴木さんの例は裁判官といえども「人権感覚」においては「一般市民の感覚」とさほど遊離していないか、それ以下である可能性を示唆しています。裁判員制度においては「一般市民」と裁判官の「人権感覚」が極めて低いレベルで補強し合うことになるでしょう。

その一方で裁判官の中には根拠もなく誰に頼まれてもいないのに罪を重く観ようとする荒金さんのような人もいるようです。そして多くの「殺人事件」において「殺意」の有無は重要な争点になっているのですが、一般に「検察寄り」と見なされる裁判官が、ちょっとした一言で裁判員の判断に影響を及ぼす可能性が指摘されているところです。しかし荒金さんの例では検察ですら傷害致死罪で訴えているところなのであって、もしかすると裁判官には「検察寄り」どころか検察以上に重罪化のバイアスが存在するのかもしれません。やはり何といっても「重大犯罪」や「凶悪犯罪」を担当する方がエラいわけですが、状況によっては担当事件が「殺人」になるか「傷害致死」になるかはもっぱら裁判官自身が決定出来ることだったりします。

いずれにしてもこのような「問題」は裁判員制度によって改善される可能性はありません。裁判員の参加する裁判では、裁判員が呆れ返ったり不愉快な思いをしたりするかも知れませんが、それも余所で喋ったら刑務所に入れられて友達を失ったりすることになっていますから、現状のレベルの「司法への信頼」は維持されると思われます。しかし「司法への信頼」が揺らぐ、という「上申書」の指摘は残念ながら当を得ていません。そんなものは存在しないからです。ところが下手に裁判員を辞退するとイザというときにヒドイめにあうのではないか、という程度には今でも「信頼」されているようです。


posted by 珍風 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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