2009年03月01日

永遠の闇 迷い道くねくね

どうもヘンな名称であると思っていたんで、もっと気の利いた名称を考えるか、いつまでも「(仮称)」のままにしておくかと思ってたんですが、なんと(仮称)を取っちゃったようですね。そのかわり読みにくいので括弧によみがな付きの「宙(そら)の会」という表記がいちいち必要になります。「会の会」もセンスがないことをしたもんです。

時効:殺人事件「撤廃・停止を」 遺族の会初結成

 「殺人事件被害者遺族の会(宙(そら)の会)」の結成総会が28日、東京都千代田区の明治大学であった。殺人事件の時効撤廃・停止の実現と時効が成立した遺族への国家賠償などを求めていく。時効問題に特化した犯罪被害者の会の結成は初めて。5月には遺族だけではなく賛同者を集めた全国大会を開催する。
 ◇殺人16事件の20人
 宙の会には、国内外の16事件の遺族20人が参加。世田谷一家殺害事件(00年12月)で長男一家4人を失った宮沢良行さん(80)を会長に、上智大生殺害事件(96年9月)で次女を殺害された小林賢二さん(62)を代表幹事に選んだ。会によると、宙には「無限」という意味があり、時効の撤廃・停止の願いなどを込めたという。
 活動目的として(1)時効制度の撤廃・停止の実現(2)遺族の権利確立(3)啓発活動の推進−−を掲げた。刑事訴訟法を改正して時効の撤廃を求めるほか、時効成立後、国が容疑者逮捕などの責務を果たしていないとして民事上の責任を求めていく。海外の時効制度との比較や国民の意識調査などの情報を発信し啓発活動も進める。
 また、3月末までに時効制度の見直しを進めている法相勉強会の結果をみて、法務省などに嘆願書を提出。賛同者に対する署名活動の実施や会員の事件日に合わせた支援活動などを行う。
 宮沢会長は「冤罪(えんざい)はあってはならないが、犯人が罰せられない社会はなくした方がいい」と話した。
 ◇「時効は悲しく、苦しく、つらい地獄」
 「多くの人の力を得て、法の壁を越えたい」。迫り来る時効への危機感を共有する遺族が、法改正を求めて立ち上がった。趣旨に賛同する賛助会員も30人に上り、運動は広がりをみせている。結成後の記者会見では既に時効が成立した遺族や時効がない米国で肉親を殺害された遺族ら6事件の7人が現行制度の矛盾や理不尽さを訴えた。
 世田谷一家殺害事件で妹を失った入江杏(あん)さん(51)は「人のきずな、社会の支援があってここまでこられた。遺族同士手を携えられ心強く、ありがたい」と語った。長女を殺害され、05年に時効が成立した札幌市の生井(なまい)澄子さん(72)は「時効の午前0時まで解決の電話を待ち、その瞬間娘にごめんねと謝った。偶然だが、娘の名前(宙恵(みちえ)さん)の1字が使われた。娘が会の活動を頑張れと言ってくれているような気がする」と言葉を詰まらせた。
 兵庫県尼崎市で長女を殺害され08年7月に時効となった川田五十鈴(いすず)さん(61)は「時効は悲しく、苦しく、つらい地獄。犯人はいつまでも犯人であってほしい」と心情を訴えた。
 代表幹事になった小林賢二さんは「昨年9月の娘の命日に時効撤廃の声を上げてから、他の遺族から連絡が入り、半年で会の発足まで来た。同じ思いの人たちと活動を続けたい」と語った。
 「宙の会」の連絡先は〒101−0062東京都千代田区神田駿河台3の1の1大雅ビル7階(03・3292・4141、ファクス3292・4242、メールjikou74@nifmail.jp)。【宮川裕章、石丸整】
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 ■「宙の会」会員遺族の主な事件
札幌信金女性職員殺害(90年12月)※
米国ペンシルベニア州男性殺害(92年5月)
兵庫県尼崎市女性殺害(93年7月)※
長野県松本市女性強盗殺害(94年3月)
上智大女子学生殺害(96年9月)
名古屋市西区主婦殺害(99年11月)
世田谷一家4人殺害(00年12月)
新宿歌舞伎町44人死亡ビル火災(01年9月)
佐賀県鳥栖市男性会社員撲殺(04年2月)
広島県廿日市市女子高生刺殺(04年10月)
イギリス人女性英会話講師殺害(07年3月)
 ※印は時効成立

2009年3月1日 毎日新聞


「会によると、宙には「無限」という意味があり」ということですが、「会」によらなくてもそういう意味があることは僕が1月12日に指摘しておいたところです。毎日新聞の宮川さんや、石丸さんは「会」に聞かないとそういうことも分らないようでは困ります。ますます悪口を言われますよ。

もっとも、他の報道でも「宙」の字の説明については「会」の説明を引いているようですから、これは「会」が公式に僕の解釈を採用したものであると考えて良いようです。まあ、漢字の字義の話しですから、ナンボかよこせ、などという野暮なことは申しませんが、トラバとかコメントとか炎上とか、それなりに挨拶というものがあっても良いような気がします。

と言っても当ブログにおいてはコメントは承認制になっておりますんで、一口に「炎上」といってもナカナカ難しいとか、誰も読んでないとか、そういうことがあるわけです。しかし、seesaaブログには「アクセス解析」というサービスがあるわけで、それを見ると一番アクセスの多いページがコメントエラーのページなんですな。つまり読んでいる人よりも書き込もうとして失敗している人が多いという。実際僕自身もコメントに対してお返事を書こうとしてどうしてもエラーになってしまうことがあります。

だもんですから、もしかすると色んなコメントが殺到している可能性があるのですが、もっぱらseesaaのシステム上の事情により僕のところには届きません。ですから「のぞみ」という女の人(?)が「ファンになっちゃいました」なんて書いて来るから承認したんだとか、そういうことは一切ないわけです。是非とも誤解のなきようお願いしたいところであります。普段あまり新幹線に乗ったりもしませんし。

というようなことが最近気になっていたので書いておくわけですが、そういう事情がありますんで「宙の会」が礼を失した、という風には僕は考えておりません。心は宇宙のように広くてもサーバーはそういうワケに行かないとか、まあ、世の中ってそんな空間ですよ。問題は時間における「無限」ということなんでしたよね。

「永劫」という時間がありまして、これはかなり長い時間で、どのくらい長いかというと、「永」は、ウヨは嫌いだろうけどおまいらがカラオケで歌う歌の顔の長い作詞者、ではなくて、顔を含めた空間的・時間的に「ながい」ことをあらわし、「劫」は、この字は元来「去」という字と「力」という字の会意、「力づくで奪い去る」こと、それから転じてバカ殿やアル中みたいに「脅かす」意味ですが、サンスクリットの「Kalpa」の音訳「劫筑」(てゆうか字が出ないんですが、「筑」は本当は「工」のところが「其」で「凡」のところが「皮」である文字。

ケケ
其皮

という字ですが)から、とっても長い時間をあらわします。

僕はよく知りませんが、「すごくとってもひどくながい」ことをあらわす字はあるんですが、漢字に「無限」という概念があるのかどうか、ちょっと疑問です。「宙=無限の時間」の言い出しっぺにしては無責任な発言ですが、ながいものがどれだけ延長しても、それはながさが増し加わるだけで、決して「無限」にはなりません。とっても沢山になってくるとガンジス川の砂を数えたり(恒河沙)、数えられない(阿僧祇)と言い出したり、しかしその上にも「数」というものはあって、とっても大きな数(那由他)とか、もう考えられない程大きな数(不可思議)とかいうものがあり、ついには「無料大数」ということになるんですが、これとて10の68乗だか88乗だか120乗だか知りませんが、これ以上の数は存在しないというわけではありません。ただ名前がないだけです。

実は「宙」というのは、現在過去未来あの人逢ったならこの字は「時間」という概念そのものをあらわしているのであって、「無限の時間」という概念が「時間」の中に含まれるものであるとする限りにおいて「無限」をあらわしうる、ということを誰か伝えて。そして下手をすると地球のここら辺には「無限」というものはないのかも知れませんので、そうだとすると「宙」という字は「無限の時間」などは全く表現していないのです。

「無限」というのは西洋の神様の言い訳なのかも知れませんが、まあ、「宙=無限」とか言っておいて今になって「無限って字はないんじゃないの」とか言い出すのは二階にあげておいて梯子を外すようなマネですが、二階くらいだったら飛び降りても怪我はしませんから大丈夫です。飛び降りる気があればですが。もっとも二階にトイレは作ってなかったんだよね。

ナゾの陰謀集団「会の会」が何をやっているか知りませんが、「アスの会」が、その実体はともかくとして名目上は「被害者の権利の確立」を目指す「穏健な」集団であったのに比べると、「酎の会」は「時効制度の撤廃・停止」を目的としています。これは「被害者」が自らの権利を確立することを超えて、「犯人」を取っ捕まえて処罰する、という「被害者」並びに「遺族」とは直接に関係のないことを「要求」し始めたということです。もっともこれは「アスの会」においてその活動状況から推定されるところの明示されていない活動目的と矛盾するものではありません。「アスの会」においては隠されていたものが「註の解」においては明示されるようになった、というだけの話しです。

もっとも、今まで隠蔽されていた目的を明らかにすることが出来る程に、「会の会」の表向きの目的が達成されたという状況ではありません。「遺族」への「補償」はいまだ不十分なままであり、自身がどれだけ理解しているのか大変に疑わしい「アスの会」の「設立趣意書」にいうように「犯罪が社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者の権利を認め、医療と生活への補償や精神的支援など被害回復のための制度を創設することは、国や社会の当然の義務である」ところ、その「当然の義務」は果たされていないのが現状です。

しかしながら「誰もが被害者になる可能性がある以上」、誰もが「加害者」になる可能性があり、それもやはり「社会から生まれ」たものに他なりません。「被害者」と「加害者」は「社会」から「生まれた」双子であり、いくら仲が悪くても生みの親はひとつであり、その存在は相補的なものです。そしてこのような記述こそが、岡村さんの法曹としての訓練の賜物であり、これは「会の会」にとっては「甘っちょろい」ものであったでしょう。実際、「アスの会」は現行法の範囲内で死刑判決を増やしたかも知れませんが、その一方では「遺族」を法廷に引きずり出すなどのどうでもいいような活動に血道を上げたりもしていたのです。

このように言っての成果を上げると同時に限界を露呈した「アスの会」に対して今後活躍が期待されるのが「虫の会」というワケで、彼等こそ「処罰」の履行に特化した集団であり、その集団を更生する「被害者」や「遺族」個々人には腹の「虫」がおさまるという程度の「見返り」しか補償しない代わりに、その活動は恐るべき射程を持っています。

「会」によれば「冤罪(えんざい)はあってはならないが、犯人が罰せられない社会はなくした方がいい」そうですが、亀井静ちゃんがいうとおり、これは両立しないのです。全ての「犯人」を罰さなければならないという要請を優先させる場合には、一番マズいのは犯人が見つからなくて誰も処罰を受けないという状況です。そこで時効を廃止しようということになるのかも知れませんが、残念なことに時効を廃止したくらいでは「犯人」は捕まらないようです。

それでも「犯人」を処罰しなければならないとしたら、これはもう仕方がないのでテキトーに誰かを「犯人」に仕立て上げて処罰してしまうことになります。そうすれば「遺族」の腹の虫もおさまりますし、警察の顔も立つわけです。「悪いことをすれば必ず(誰かが)捕まる」ということを広く社会に示すことが出来るのです。

他方で「冤罪はあってはならない」とする場合には、ときとして「犯人」が捕まらないという事態に直面しなければなりません。これでは「遺族」の腹の虫はおさまらないかも知れませんが、世の中ではそういうこともあり得ます。これに我慢出来ずに時効制度を廃止するとしても、時とともに「犯人」に迫ることは困難になってゆくでしょう。

時効制度の説明として「処罰感情の減衰」がいわれ、「宙の会」ではそれを否定しているのですが、時間とともに失われていくのは「遺族」の「感情」だけではありません。「目撃者」の記憶なども年月とともに失われていくわけで、それだけ「犯人」」が「真犯人」であることを立証することが困難になります。まして「被告人」が「真犯人」ではない、ということを立証することはそれにも増して困難になることでしょう。

「駐の会」ではこの点について、客観的な証拠、例えばDNAの他にも「被害者の犯人を見据えた最後の網膜映像」だとか「科学ロボット犬」だの「現場の温度や湿度等から定量性のある何らかのデータを基に、その場の犯人映像が復元」などと時空を超越し宇宙にはばたく「妄想」を展開して「現実」に打ち勝とうとしているところはひそかに共感をよぶところですが、「網膜映像」は露西亜の諺、「ロボット犬」は「ドラえもん」と同じく助けに来てくれるあてはありませんし、「その場の犯人映像」に至っては妄想でしかないようです。肝心のDNAについても証拠として使用出来る物件の状態について基準が出来て来たようですが、かつての「万能の伝家の宝刀」のような伝説的な価値は失われつつあります。

「時間的に永遠」の価値を保持する証拠というものは、現在のところ無いに等しいのが現状です。時効制度の存在理由のひとつは、証拠価値の減衰による冤罪の発生を防止することであり、時効制度の廃止は冤罪の多発を当然に予測させます。まあ、冤罪でも何でも誰かが「犯人」ということで処罰されれば「虫の会」の腹の「虫」はおさまるのかも知れませんが、このような場合、他方で腹の虫がおさまらない人が多数出てくる可能性があることは言うまでもありません。

あまり世間では言わないことですが、時効というものがある理由のひとつは「処罰することの効果の減衰」です。時効事件の「加害者」が、裁判所が認定する「犯罪傾向」にかかわらず1回きりの犯罪で済ませていて累犯することがないことは、彼等が逮捕されることが困難であるひとつの理由であるとともに、彼等に「予防」的に処罰を下す必要性が低いことをあらわしています。そのような「犯人」を処罰出来ないことが、別段一般的な「安全」への脅威とはならないのです。

そこで時効制度の廃止は結局のところ「遺族」の「腹の虫」の問題でしかないということになりますが、腹の虫はともかくとしてその効果よりも弊害が大きいのではないかと思われます。もっともこれは冤罪を防止する観点から言えばそうなのであって、「腹の虫の会」のみなさんはどちらかというと冤罪の防止というようなことには関心がないように見えます。それならそれで構いませんから、会員同士でお互いに「犯人」になり合って、みんなで仲良く刑務所に入るというのはいかがでしょうか。中には「死刑」になって「宙吊り」にされて殺されてしまうしまう人も出るかも知れませんが、望むところなのではないでしょうか。


posted by 珍風 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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