2009年05月30日

戒厳令の昼夜兼行不眠不休

敵基地攻撃が可能であるというのはアホ太郎が言う通り鳩山一郎さんの意見だそうです。

わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。

1956年2月29日 衆議院内閣委員会 鳩山総理答弁船田防衛庁長官代読


他国の領土内の基地を攻撃することまで「憲法の趣旨」に反しないということですが、鳩山さんはそれでも尚かつ「改憲」を主張していたところをみると、彼の発想が「自衛」を超えたものであることが容易に想像されます。

もっとも鳩山一郎さんは「誘導弾などによる攻撃が行われた場合」について言っているようなのですが、現在では「専守防衛」の範囲がなし崩し的に拡大され続けた結果、敵基地攻撃論も先制的自衛権の問題として考えられているのであって、鳩山一郎さんの50年前の答弁を引き合いに出すのはアホ太郎らしい的を外した発言です。こんなことで何処を「攻撃」することやら。

コイヌミ内閣が成立させた「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」によれば「武力攻撃事態等」とは第2条により

武力攻撃事態 武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態をいう。

武力攻撃予測事態 武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。


とある通り、武力攻撃を受けなくても「事態が緊迫」していれば「武力攻撃予測事態」ということになります。このような場合について同法の第3条には

武力攻撃予測事態においては、武力攻撃の発生が回避されるようにしなければならない。


ということになっていますから、政府は「事態が緊迫」さえすれば「他に手段がないと認め」ることによって「武力攻撃の発生が回避されるように」するために「誘導弾などの基地をたたく」ことをしても良かろう、という見解を取りたいようです。すなわち現代の「敵基地攻撃論」とは、武力攻撃を受ける以前に、防衛名目での先制攻撃を行う条件を追究しているところであり、例えば某「北朝鮮」国が、日本まで飛ばせるミサイルに核弾頭を搭載した段階で「武力攻撃に着手した」とみなす、とか、もっと早い段階で「着手」を認めるとか。存在するだけで「脅威」だ、連中は軍事力を保有しておる、こっちを攻撃するつもりに決まってる、それは「着手」だ。

このような議論が日本では行われている、というよう事を「北朝鮮の核実験」の後でことさらに強調した結果、日本政府としては朝鮮民主主義人民共和国に対して防衛的先制攻撃を仕掛ける意思を表明した事になったようです。なにしろ核兵器は中国やロシアにもあるんですが、「北朝鮮」のそれだけが「敵基地攻撃論」の対象になるんですから、「北朝鮮」にとっては相当「事態が緊迫」してきました。

そこで当然、「北朝鮮」側も「先制自衛権」を行使して日本の「基地」を攻撃することになります。しかし日本政府は日本には先制攻撃を行うだけの軍事力がないことを嘆いているので、攻撃の意志はあっても力はないそうです。そこで「北」としてはもうちょっと日本政府を激励するために、日本への攻撃の規模、すなわち日本が今後増強すべき軍事力の程度についてのガイドラインを示すことにしました。いわゆるお買い物メモです。

日本全土が報復圏内と北朝鮮警告 敵基地攻撃能力論に反発

 【北京29日共同】北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は29日、自民党内で敵基地攻撃能力保有論が取り上げられ、麻生太郎首相が法的な可能性に言及していることなどを「再侵略の野心の表れ」と非難、「日本が再侵略戦争を起こすなら、全土が報復打撃の圏内となる」と警告する論評を掲載した。朝鮮中央通信が伝えた。
 論評はまた、「日本の主要都市である東京、大阪、横浜、名古屋と京都には、日本の人口の3分の1以上が住み、工業の基幹部分が集中している」とした上で、「強力な反撃が行われれば、日本は修羅場になるだろう」と強調した。

2009年5月29日 共同


それによると「敵」の攻撃力は「日本全土」を対象としており、特に、どういうワケか知りませんが「名古屋」をも含めた「主要都市」に打撃を与える、ということになっています。そこで少なくともこの5都市を同時、あるいは順次攻撃する能力があるか、今後そうなるように頑張る、その辺を目安に日本も頑張れ、というのが「目標」になることになります。

まあ実際に日本が先制攻撃を行うようなことになってしまうのであれば「修羅場」になってしまっても構わない、「修羅場」おもしれえじゃねえか、東京と大阪と宮崎と千葉は是非頼む、特に東京は千代田区辺りを念入りにやってくれ、という人もいるかも知れませんが、「戦争」というのはいわばそんな「乱暴」なものではなかったりもしますので過剰な期待は禁物です。世の中そんなに甘くはありません。

専制的自衛権論に基づく敵基地攻撃論やら非武力的侵害行為に対する自衛権行使論などは何よりも「国内の軍事的緊張」を高めようとしています。「北朝鮮」に典型的でありアメリカ合衆国においても顕著な「準戒厳状態」の常態化がその目標であり、もちろんアメリカから兵器とかを購入することも大事ですが、国民の権利保障を一時的に停止する「非常事態」を継続することによって事実上「改憲」と同様の効果をもたらすものです。これはイデオロギー的な「改憲」論よりもより実用的であると言えるでしょう。もっとも日本では「平時」でも憲法の一部はしょっちゅう「停止」しているような気がしますけど。
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2009年05月27日

南北朝鮮の反日策動に鉄槌を

このところ調子良く飛ばしているのは北朝鮮のミサイルばかりではありません。「自民党国防部会の防衛政策検討小委員会がまとめた提言案」というものが「情報源」を明確にしない形で「明らかになった」(共同通信)のが24日、「年末の防衛計画大綱改定に向け、自民党国防部会がまとめた素案概要」がどうしたはずみか「分った」(産經新聞)のが25日です。んで26日には自民党はこの「提言案」の「要旨」を「大筋」で「了承」しました(産經新聞)。まあ「了承」するから「明らかになった」り「分った」りするわけで、「了承」するつもりがなければ最初からそんなことにはならなかったはずです。

それでこれに呼応するかのように、北朝鮮の方では25日に核実験などをやったわけですが、なんだか絶妙なタイミングであるようにも見えますが、ちょっとオカシイような気もします。世の中には「以心伝心」とかジンクロニツィタートとかいうものがあるそうですが、そういうことでは説明のつかない微妙な「ズレ」が気になるところであります。

24日の報道はやや早まったかのような印象を与えます。先に核実験が行われるのあれば構いません。そうであれば「敵基地攻撃」を議論したりするのも、「北」の「無法な」行為への当然の「対応」であるかのように見えます。例えば中谷さんはそういうふうに語っています。

攻撃的ミサイル防衛を 中谷元防衛庁長官

 自民党の中谷元・元防衛庁長官は26日、同党の会合で、北朝鮮の核実験を非難し「北の核の小型化が実現すると(核を搭載した)ミサイルが我が国本土に着弾することになる。安全保障上の現実的な脅威だ」と指摘した。その上で、「待ち受け型だけでなく、アクティブ(攻撃的な)ミサイル防衛も考えるべきだ。(ミサイルを発射する)敵基地攻撃を検討しなければいけない」と述べた。

 中谷氏は会合後、記者団に、「イージス艦に巡航ミサイルを搭載して(弾道ミサイル発射を)阻止するのは憲法の範囲内だ。座して死を待つようなことではいけない」と語った。

2009年5月26日 産經新聞


死ぬときくらい横になっていた方が楽だと思うんですが、「座して死を待たない」というのは今年の流行語大賞を狙っているのかも知れません。そうでなければこれは「提言案」からの引用です。24日に「明らかになった」ものを26日の文脈に置き直そうとしているわけですが、今更あわてても遅いと思います。

中谷さんが苦労を強いられるのも、共同通信社の早漏が原因でしょう。翌日になって産經新聞が急いで「分った」を出したのも共同通信のミスをカバーする必要に迫られたものと思われます。一方、時事通信社はかなり無理矢理です。

敵基地攻撃、法的に可能=能力保有には言及せず−麻生首相

 麻生太郎首相は26日夕、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できるということは昭和30年代からの話だ」と述べ、法的には可能との認識を示した。ただ、能力を保有すべきかどうかには言及しなかった。首相官邸で記者団に答えた。
 自民党内には、北朝鮮の核実験を受け、攻撃能力の検討を促す声が出ているが、首相の発言はこうした動きを後押しすることになりそうだ。 

2009年5月26日 時事


「自民党内」の「攻撃能力の検討を促す声」は「北朝鮮の核実験を受け」たものではなく、それに先行してしまっているのですからこの記事は誤りです。もっとも2年半前の「北朝鮮の核実験」のことだという説明は可能です。核実験が2回目で良かったね。

しかし何も24日に記事を出した共同通信が悪いとか、そういうことが言いたいわけではありません。共同通信としては予定通りに配信したんだと思います。問題にすべきなのは北朝鮮の許し難い裏切り行為です。北朝鮮は断りもなく核実験の日程を変更してしまったのではないでしょうか。

この非難されるべき背信行為の背景には、23日の韓国の盧武鉉前大統領の自殺があったことが考えられます。これこそ「不測の事態」だったのでしょう。これによって「北」の核実験がニューズヴァリューを失う可能性が考慮されたのかもしれませんし、逆に適当なタイミングで核実験を行うことによって自殺事件によって窮地に立たされる李大統領に救いの手を差し伸べることになる、という計算もあったかも知れません。

いずれにしても核実験は24日の記事が出る前に行われるべきだったのでしょう。どうして急に「早急な憲法改正」なんて言い出すのかというと、ちゃんと仕込みがあったのでした。それが韓国の都合で25日になってしまったようです。とはいえ北朝鮮は全体としては日本と韓国の現政権の「国益」にかなうようにしてくれているのですから、あまり悪口を言うのもナンですが、よく言われるように連絡を密にしなければならない、ということが改めて思い起こされる事件でした。まあ要するに悪いのは韓国だ、韓国を攻撃しろ。
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2009年05月25日

流血の大惨事 民主党内で激突!

裁判員制度の発足にともない、報道各社では事件報道の新たな指針を取り決めていることが「わかった」。

裁判員制度で大わらわ 新聞各社が「自主規制」を開始

 裁判員制度のスタートを5月に控え、大手新聞各紙は事件報道をガラリと変えることになった。「逮捕段階から、容疑者をまるで有罪のように報道されると、裁判員はあらかじめ偏見を持ってしまう」という注文が司法当局から出たため、各紙とも記事のスタイルを根本的に見直すことになったようだ。
 朝日新聞では、昨年中にすでにガイドラインをまとめている。その主な柱を5つ紹介しよう。
 * * *
(1)情報の出所を明らかにする
 これまで逮捕容疑は、「調べによると、殺害した疑い」などと情報の出所を隠し、まるで真実であるかのように書いてきた。これは、「警察の捜査は間違いない」という警察ベッタリの幻想にすぎず、裁判員に偏見を与えかねない。そこで、逮捕容疑は警察の見立てにすぎないことをハッキリさせるため、「警視庁赤坂署によると、殺害した疑いがある」と情報源を明示することにした。
(2)発表であることを強調する
「赤坂署は佐藤容疑者を逮捕した」といった警察の広報のようなスタイルを改め、「赤坂署は、佐藤容疑者を逮捕した、と発表した」と書き改め、警察と距離を置いていることを強調する。
(3)認否を書く
 容疑者が否認していても、これまで記事上に書かれることはなかった。これでは不公平なので、「捜査本部によると、容疑者は否認している(あるいは『認めている』)」などと書くことにした。
(4)「わかった」はできるだけ使わない
 新しい捜査状況を特ダネとして報じるとき、「容疑者が殺害を認めていることがわかった」などと断定調で書いてきた。この「わかった」スタイルは、警察の取り調べ内容を真実と決めつけているのでできるだけ使わず、「警視庁によると、容疑者は殺害を認めているという」などと書く。淡白な表現になるので、裁判員に強い偏見を持たせないで済む。
(5)容疑者の言い分を書く
 警察一辺倒だった取材を改め、弁護士も積極的に取材し、容疑者の言い分を書く。
 * * *
 読売新聞でも、ガイドラインを昨年からスタートさせている。朝日と違うのは、情報源の出所をよりハッキリさせるため、「赤坂署副署長によると、容疑を認めている」などと情報源をより特定した報道を心掛けている点。逮捕後、起訴されず釈放された場合は、「誤認逮捕」の疑いがあるから、名誉回復のためにも必ずその事実を報道することにした。また、前科前歴を報じる点は、朝日が「原則報じない」という立場に対し、読売は「裁判員に与える影響が強いので注意が必要」と指摘するにとどめ、前科前歴報道そのものはやめないようだ。
 一方、毎日新聞は今年1月から見直しを始めているが、先行する2紙ほど厳密なガイドラインではなさそうで、「毎日らしいアバウトさが特徴的」(社会部記者)という。
 こうした大手3紙の動きを追って、地方紙に記事を配信する共同通信も3月から同様のガイドライン運用を始めており、これで新聞メディアはおおむね事件報道の見直しに着手したといっていい。
 大手紙の社会部デスクはこうした報道の見直しの動きについて「『見てきたかのように書く』と言われてきた新聞のいい加減さを見直すいいチャンスなんです」と歓迎しており、「これほど事件報道が根本的に見直されるのは、えん罪事件を垂れ流した報道姿勢を改めようと、『呼び捨て』ではなく『容疑者』を付けるよう見直した20年前の改革以来の出来事」と語る。
 しかし、こうした動きはなにも新聞メディアの自覚から生まれたわけではない。裁判員制度を導入する最高裁は「事件報道は裁判員にとって百害あって一利なし」という考えから、公判が始まるまでは供述内容などを報道できないよう法的規制をかけるという立場を捨てていない。その対抗措置として「自主規制」のために生まれたのが、今回のガイドラインなのだ。
 これらの事件報道の見直しは緒に就いたばかり。紙面の変化をしっかりとウオッチしておきたい。

「サイゾー」4月号より


まあ事件報道というのはほとんどが警察発表をそのまま書いてあるんで、「情報源」はかなり「ハッキリ」しているんですが、あまりにもそのまま書いちゃうんで主語が「警察は」のままになっちゃってるわけです。事件記事の文章の動作の主体はほとんど「警察」です。「事件」の発生そのものすら、現象としては「警察がそれを発表した」という形でしか現れません。

ですから簡単に言えば、従来の記事の全体を括弧でくくって、その前に「○○警察署は、」と書いておいて、括弧を閉じてから最後に「と発表した。」とでも書いておけば良いようなものです。「オマワリが言うには、」「だそーだ。」でも構わないでしょう。なんだか「熱く」ない記事が書けそうで、そろそろ衣替えの季節ですが、省エネとか地球温暖化とかそういう意味でもクールなことは結構なことです。

読売新聞社は「容疑者や被告が真犯人であるとの予断を与えないよう、情報源の明確化を打ち出した」と得意気です。これは情報源が明確でない場合、記事の文章の主体が新聞自体ということになることから、読者に「予断」を与える虞れがある、という意味です。報道各社は読者が新聞屋の言い分をそのまま信用するものだと思っているのです。そして残念なことにそういう読者は多いのかもしれません。なんといっても新聞というものは熟慮の上、洗剤目当てに特定の銘柄を選択して比較的長期にわたって利用を継続するものですから、信用しなければ損をしたような気がするものです。

その点では、家にヤクザが来て契約させられて配達されて来る、という新聞の売り方にもある程度問題があるような気がします。そうは言っても、例えば読売新聞などはあまりにもオモシロいので読み続けたい、出来たら毎朝家にまで持って来てもらうと便利だ、という人もいるでしょう。例えばこんなオモシロい記事が載るんですからヤメられません。

鳩山民主、「開かれた党」に立ちはだかる黒い目隠し扉

 民主党本部(東京・永田町)の役員室入り口のガラス扉に張られた目隠し用の「黒いフィルム」が、にわかに注目を集めている。
 鳩山代表が「開かれた党運営」の象徴としてはがすよう指示したが、保安上の理由などで実現していないからだ。
 役員室には鳩山氏のほか、小沢代表代行、菅代表代行、岡田幹事長らの個室があり、担当職員が常駐している。フィルムが扉の大半を覆うように張られたのは、小沢代表時代の2008年1月。前年秋に自民党との大連立騒動が持ち上がり、報道各社がガラス越しに役員室内を撮影したことなどが理由だった。その後、小沢氏の党運営が不透明だという批判が強まるにつれ、「黒フィルムは小沢体制の象徴だ」とやゆする声が出ていた。
 鳩山氏はこうした小沢氏の「負のイメージ」を払拭(ふっしょく)しようと、記者団のぶら下がり取材に毎日応じるなど、風通しの良さをアピールしている。フィルムも就任直後にはがすよう指示したが、「セキュリティーの問題がある」などと反対されている。党内では「小沢氏の影響力を排除できるかどうか、鳩山氏の指導力の試金石になるかもしれない」という見方も出始めている。

2009年5月24日 読売


これは傑作ですから日本新聞協会はこの記事を書いた記者を表彰すべきです。「開かれた党」と聞くや否や入口の扉を見に行くところが何とも言えません。確かに短兵急ですが、なんだか微笑ましい情景のようにも思えます。混迷する政局に正に一服の清涼剤というか、記者の軽量材ぶりがうかがえます。

そこで彼は「黒いフィルム」を目にしたわけです。急いで見に行ってそれを注視したので「にわかに注目を集めている」のです。「集めている」のは記者の右の目と左の目の「注目」です。なぜそんなことになったのかといえば、彼はその扉に真正面から衝突したものと思われます。

したがってここまでは「情報源」はかなり明白です。「情報」を「取得」した「情景」を目の当たりにするかのように明らかなのです。そしてここまで分っていれば、記事全体の「情報源」も自ずと明らかではありませんか。それは強打した記者の頭部に他なりません。

「情報源」としてはかなり疑わしいWikipediaによれば讀賣新聞は「特に事件報道では裁判員制度を意識し、警察発表ではニュースソースを明らかにするなど、官の情報に頼らない記事を書いている」んだそうですが、政治記事でも「官」とか何とかの「情報」に頼らない記事を書いています。特にこの記事は何の「情報」にも頼っていません。全て記者の「見たこと」と「聞いたこと」で書かれています。

「「黒フィルムは小沢体制の象徴だ」とやゆする声が出ていた」というのはどっから出ていたのか。記者の頭の中です。アタマをぶつけたので耳鳴りがする、それが衝突の物理的ショックと心理的ショックと相まって、このような幻聴となって彼の頭の中に響き渡ったのです。彼が間違いなくそれを「聞いた」ことは確かです。他の人には聞こえませんが。

「党内では「小沢氏の影響力を排除できるかどうか、鳩山氏の指導力の試金石になるかもしれない」という見方も出始めている」ようなのですが、それが「党内」の誰だか分らない、というのはもっともな話しです。しかし「党内」というのは「党に属する誰か」であるとは限りません。それは「党の建物の内部」のことなのではないでしょうか。おそらくそうでしょう。全ては民主党本部内の役員室入口の扉の前で起こったのです。そこでひっくり返った読売記者が、そのような「見方」をすることにしたのです。ガラスに頭をぶつけて怪我をしたところから「試金石」なんて言葉を思いついたんでしょう。ガラスから石英を思い出し、黒石英は試金石ですから、黒いフィルムを貼ったガラス扉が「試金石」を連想させるのは全く自然なことです。記者さんの頭が「金」であったのかどうかは定かではありません。

もしかしたら「金玉」も打ってしまったのかもしれません。それは大変に辛いことです。けど、新聞屋さんは「偏見を持たせない」ための書き方を色々考えたようですが、何のことはありません。普段やっている「偏見を持たせる」ための書き方の逆をやれば良いだけのことですから簡単です。ちゃんと意識してそのように書いているんですから間違いありません。マスゴミの民主党に関する報道は特に見本となるようですから、引き続き讀賣新聞を取り続けると何かの参考にはなるでしょう。思うに社会部と政治部では全てが逆転しているのです。例えば普通の人は透明なガラス扉にぶつかってしまうことがありますが、政治部さんでは黒いフィルムを貼ったそれにぶつかってしまうのです。「常識」を超えたなんらかの「真実」というものがそこには確かに存在します。しません。
posted by 珍風 at 06:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

戦争の孫たち

自民安倍氏、動き活発 “再登板”視野か

 自民党の安倍晋三元首相が安全保障政策で積極的な発言を続けるなど動きが活発だ。首相「再登板」への意欲も指摘されるが、首相として臨んだ二〇〇七年の参院選惨敗は政権運営を難しくした要因。「政権を放り投げたイメージをぬぐい去るのは、なかなか難しいだろう」(安倍内閣の閣僚経験者)と冷ややかな声も多い。
 「社民党の人に『教育基本法を改正し、防衛庁を省に昇格させ、憲法改正を掲げる安倍首相が辞めて本当によかった』と言われた。私にとってはこれ以上ない褒め言葉。今、ファイトを燃やしている」。安倍氏は二十二日の講演でも敵基地攻撃能力の保有の必要性を強調、憲法改正に取り組む姿勢を示した。
 再登板自体については「野心を持つことは自重しなければならない」と慎重な発言を繰り返すが、「保守系議員には期待する声は少なくない」(党関係者)という。
 町村信孝前官房長官が十四日の派閥総会で民主党代表選を皮肉って「自民党でも、もう一度(総裁を)やりたいという方がいらっしゃったが、そういうことはなかった」と発言した際には、思わず隣の安倍氏を見る出席者もいた。
 町村氏に他意はなかったようだが、その夜の会合では若手からは「安倍氏へのけん制か」と議論が沸騰。同席した安倍氏は黙って話を聞いていたという。
 派閥では、町村氏が会長に就任した人事を機に、町村氏と「降格」された中川秀直元幹事長との確執が深刻化。中川氏の影が薄くなるにつれて安倍氏の存在感が高まった。二十一日夜には森喜朗元首相、町村氏らと衆院選日程をめぐり意見交換。若手から「政局の行方を教えてほしい」と会合に呼ばれることも多い。

2009年5月23日 中国新聞


辞めたことを褒められて喜んでいるあたり相変わらずのバカ殿ぶりです。やはりバカは死ななきゃ治らないという古人の言に耳を傾けるべきでしょう。どうも社民党の人は伝統を重んじる気風が足りません。「辞めてよかった」のではないのです。辞めずに無理をしてもう1年やっていれば、今頃はバカ殿はこの世にはいなかったのかも知れないではないですか。

しかしどうもバカ殿は「座して死を待つ」気分にはなれなかったようです。別に立ったままで死を待っていただいても一向に構わないのですが、一般に「安全保障政策」というのは国家の「安全保障」であり具体的には国家の権力者の「防衛」に他なりませんから、それは例えばバカ殿の生死に関わることでもあるといえば言えないこともありません。

新防衛大綱自民提言案のポイント

 自民党国防部会小委員会の提言案ポイントは次の通り。
 一、専守防衛の範囲で座して死を待たない防衛政策として敵基地攻撃能力が必要。情報収集衛星や通信衛星、巡航ミサイルなどを有機的に組み合わせることで実現可能。
 一、積極的に宇宙を利用し早期警戒衛星、情報収集衛星を研究、開発。イージス艦の弾道ミサイル対処能力の強化、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の導入促進。
 一、自衛隊の位置付けの明確化、軍事裁判所設置などの早急な憲法改正が必要。
 一、自衛隊出身の首相秘書官配置など首相補佐機能を強化。
 一、武器輸出3原則を見直し。武器関連技術の輸出禁止先はテロ支援国家、国連決議対象国、紛争当事国などとする。

2009年5月24日 河北新報


そこでバカ殿の命を守るために「憲法改正」までが「必要」なんだそうです。どう考えても医者に行って薬でも貰って来た方が良いと思いますが、バカ殿はお医者様で黙殺の茹でも治らない重篤な病に罹っているようです。しかしこの病気にかかっている人は新型インフルエンザの患者よりも多く、もっともそんなに感染力が強いのかどうか知りませんが、たとえば例の酔っぱらいも病床を並べる仲間です。しかしこれは伝染するよりも「遺伝」したり「世襲」するものであるかのようです。キーワードはお祖父ちゃんだ。

しかしそのような楽観的な国際認識は、冷戦の進行の中でたちまち蹴散らされ、警察予備隊、保安隊、自衛隊が生まれ、政府の憲法解釈も、祖父鳩山一郎内閣のときまでには「九条は自衛のための戦力の保持まで禁ずるものではない」というところに落ち着いた。


「楽観的な国際認識」というのは日本国憲法前文の「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」、というところや第9条の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」という箇所のことで、憲法を「蹴散ら」したお祖父ちゃんの孫は鳩山由紀夫ちゃんです。

由紀夫ちゃんは憲法第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という部分を「現行憲法のもっとも欺瞞的な部分」だといってこれを削除し、憲法に「安全保障」という章を設けて、その中に「日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を保持する」という条文を置くことによって「自衛隊の位置付けの明確化」を図ろうという、週明けにでも自民党の国防部会に参加しても遜色ないほどの軍国主義者です。

もっともだからといって、民主党が政権を取ると直に憲法が「改正」されるというわけでもありません。自民党の中にも過激な改憲論者もいればそうでない人もいるし、民主党も同様です。それぞれ身内に色んな都合を抱えている中で、殊に近い将来に自民党の総裁にバカ殿が返り咲く可能性はほとんどありません。なんといっても参院選大敗の「戦犯」です。あの家系はどうも運の悪い人たちなのではないか。

仮に自民党と民主党の「大連立」などという事態になったとしても、改憲が日程に上ると党は割れます。おそらく自民党も割れます。つまり自民党議席数+民主党議席数で改憲の発議、ということにはならないでしょう。事態は改憲論者が考えたがるほどたやすいものではない可能性があります。

しかしながら今になって急に自民党が人気のない「改憲」とかを言い出し、同時に世界日報あたりが「野党第一党の民主党の鳩山由紀夫代表に事態打開の指導力を期待」したりするのか。これはおそらく自民党からの民主党に対する攻撃です。それは小沢さんの場合と同様、「民主党も自民党と同じ穴のムジナじゃないか」というやり方を取るものです。どちらも同じ黒幕のウシ君とカエル君だ。

これはまあ、事実ではあるんですが、民主党を「まとまりがない」と批判するとき、それは何よりも「改憲」問題を廻る党内の不一致のことだったりするのです。すなわち民主党が政権を維持する限り「改憲」は遠のくというのもまた事実でしょう。

自民党の戦術としては「改憲」に対する民主党代表の姿勢を糾すことによって「護憲」勢力および戦争の嫌いな国民の票を民主党から引き剥がすことにあります。このような人たちは民主党につくことによって民主党を政権政党とし、その内部における改憲派を抑制して国民生活のための政策を実行させることが出来ます。民主党が政権を取るとしたらそのような部分を取り込んだからなのです。そうしない場合、現在の自公政権とその政策が継続されます。もっとも社民党とか共産党とかがもっと「左」の方から民主党を引っ張ってやる必要もあるような気もしますが。まあその辺は民主党が苦しくなって助けを求めるまで休養でもいいカモ知んない。
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2009年05月22日

死ぬのはいつも他人ばかりだから安心、だった

relax.jpgさていよいよ「裁判員制度」が始まりました。これはヤバい。しかし誰にとって「ヤバい」のかというと、他ならぬ関係各位にとって一番「ヤバい」ようなのです。あまりのことに全員が全員キがヘンになりました。

「安心して参加して」 法相が裁判員の意義強調

 国民の司法参加をうたった裁判員制度が21日、施行された。森英介法相は同日午前、法務省で会見し、「これまでの『お上の裁判』から『民主社会の裁判』へと司法が大きく変わる」と意義を強調。「(国民参加で)治安や犯罪被害、人権などの問題を、私たち一人一人のこととして考えるきっかけになり、より良い社会の実現に役立つ」と訴えた。
 刑事裁判に参加する国民には「肩の力を抜いて、自然体で、安心して参加していただくよう希望します」と呼びかけた。
 国民の消極的意見の一部に、死刑判断への不安があることについて、「ある意味当然だが、現に死刑制度があって社会の秩序が保たれている。乗り越えて参加していただきたい」とコメント。「裁判員制度の導入をきっかけに(死刑についても)意識が高まり、国民的議論が起こることはむしろ歓迎するべきことだと思う」と付け加えた。

2009年5月21日 産經新聞


森法相は今までの裁判は「民主社会の裁判」ではなかったのだと言い出しました。ところで日本では法制度上「民主主義」を原則としておるところ、司法もまた例外ではありません。ところが「これまで」は「民主社会の裁判」ではなかったというのですから、従来行われて来た「裁判」とやらは、実は日本の法体系の原則に則ったものではなかったようなのです。したがって全ての判決はその効力を否定されることになりました。全部最初からやり直しです。めんどくさいですが仕方ありません。

「死刑の判定などとんでもないと思うのは、ある意味で当然」だというのは、ある意味でもない意味でも当然ではありますが、「現に」「社会の秩序が保たれている」かどうかは疑問なしとはしません。まあ、たまに物やお金を盗られたり人が殺されてみたりするようだがそれも「秩序」のうちだ、というのであればしょうがないですが。なあるほど大局的な見地とはそういうものかと思うだけです。もっとも犯罪も、それが発生した場合に定められた仕方で処理されるならば「秩序が保たれている」というべきでしょうが、その場合に犯罪を処理する仕方に「死刑」が含まれていなければならないということにはなりません。「現に死刑制度があって」、ときとして死刑が行われる場合に「秩序が保たれている」と言うことが可能ですが、死刑制度がない場合に死刑が行われないときにも同様に「秩序」は保たれているのではないか。

このような訳の分からないお話で「乗り越える」というのは難しい相談です。もっとも何を「乗り越える」のか今ひとつ明らかではありませんが、いずれにしても「参加していただきたい」というのは口先だけのデタラメで、「参加しろ」という仕組みになっているのですから森さんの言うことが全然アテにならないのは今日も昨日も同様であります。

まあ、世の中には「乗り越え」ちゃった人もいるんでしょう。そういう人は「肩の力を抜いて、自然体で、安心して」誰かを殺したりすることが出来るようです。どうもなんというか「ある意味」たいへんにうらやましい境地というか、人間ここまで来たらオシマイだという気もしますが、やはり6人も殺していると余裕というものが生まれてまいります。「一人殺すも二人殺すも同じこと」なんて申しますが、6人となるともはや「ベテラン」の域に達していますから、僕たちのような素人から見るととんでもないようなアドバイスを行ったりするもののようです。

産経などがあまり書きたがらないことのようですが、さすがの森さんも「死刑制度を国民の約8割が支持している」ということになっている件については「率直に言って随分高いと思う」と言っています。より率直に言えば怪しいくらいに高すぎるんですが、森さんのこの発言はそのことではなくて、各種の世論調査等によって裁判員制度において死刑判断への抵抗が強いことが政府広報室の「調査」結果に比して矛盾するんじゃないかという感想を述べたに過ぎないでしょう。しかし森さんだってよく考えたら、その「8割」の中の3割程度が「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と考えていることに気がつくはずですし、「状況が変われば」の中には例えば裁判員制度というものが出来る、というようなことも含まれるものであるということも分るはずなんですが。

もっとも森さんは「肩の力を抜いて、自然体で、安心して」という暢気な人です。まあ色々あるだろうけどここはひとつ、つき合ってもらって言う通りにして貰えんだろうか、イヤとは言わせねえ。要するに他人の気持ちなどあまり考えない人のようですが、そういう人は意外と多いものです。

裁判員制度:「死刑判決は全員一致で」新潟県弁護士会

 新潟県弁護士会(和田光弘会長)は21日、裁判員裁判の死刑判決について、裁判官と裁判員による評議で多数決によって決めるとしていることに反対し、全員一致となるまで慎重に評議するよう求める決議を発表した。死刑制度の見直しも求め、国に送付した。
 同弁護士会は08年2月、裁判員制度施行の延期を求める決議を全国の弁護士会で初めて行っている。【黒田阿紗子】

2009年5月21日 毎日新聞


たしかに「多数決」は問題ですが、「全員一致」も同じくらい問題です。「全員一致となるまで慎重に評議する」って、仕事や家庭の事情のある人が少しばかりの日当でやるようなことではありません。てゆうか自分以外の全員が「死刑」だと言っているのに自分だけがそれに反対している場合、多数決ならそれで済んじゃいますけど、あくまで「全員一致」ということになるとかなり強力で露骨な圧力が加わることが予想されます。で、結局は、自分の意見を変えるわけだ。圧力に負けて。自分を曲げて他人を死刑台に送るのと、自分は反対を貫いたけど多数決に負けて人を殺すことに加担する結果になったというのと、どっちがツライのか想像もつきませんが、新潟県弁護士会ではその辺についてどのように考えているのでしょうか。

逆に自分だけが賛成しなかった結果として量刑が変わることになったとすると、それもオカシナことになるような気もします。たった1人の意見が結果を左右するというのは仕組み全体としてどうなのか。てゆうかおそらく、「死刑判決は全員一致で」という人は最終的に「全員一致」に至らなかった場合のことを本気で考えていないのではないでしょうか。趣旨としてはおそらく、全員が確信を持って死刑台におくることが出来るものだけを死刑にするようにすれば良い、ということだと思いますが、そんな理想的なタイプが現実に存在するという保証はありません。それで予想される結果は裁判員のトラウマ体験です。それだけではありません。不本意であろうと何であろうと結果に責任を持たなければならないんですが、「多数決」の場合は他の人を説得できなかった責任ということになるのかな?「全員一致」の場合は自分を偽った責任を一生負うと。それが後で冤罪だったと分ったら、なんて考えると楽しくて夜も眠れません。

あ、ついでに
まず、参加した裁判員が裁判官に自由に物を言うこと。経験したことを言葉にし、制度の課題を見直していくこと。それが問題を抱える刑事裁判を変え、司法全体を変えていく一歩になる。

2009年5月22日 毎日新聞

とか書いていた毎日新聞社会部長小泉敬太さんは、その「一歩」ごとに他人の運命を誤る可能性のあることをもうちょっと考えましょう。てゆうかこの手のお気楽な発言が、立場上「裁判員制度」を擁護しなければならない職責を持った人に散見されるのは興味深い現象です。

◇安心してほしい−−仲家・地裁所長

 仲家所長は「設備を整え、重大な裁判を運営するパートナーである裁判員や候補者の方々のおいでをお待ちしている。負担を軽くする工夫をしているので安心してほしい」と呼びかけた。そして「裁判員を経験した皆さんが『裁判がよく理解できた』『評議で自分の意見を言えた』などの実感を持ってもらえるよう努力したい」と抱負を述べた。

2009年5月22日 毎日新聞 福岡都市圏版


いや、別に遊びに行くわけでもなければオマンコしにいくわけでもないので「パートナー」とか言わないでもらいたいものです。「負担を軽くする工夫」は有り難いものかもしれません。しかし「『裁判がよく理解できた』『評議で自分の意見を言えた』」なんてことで満足してもらって良いんですかね。これはむしろ「パートナー」ではなくて単なる「見学」とか、「研修」とかいうもんでしょう。まあ実際には素人ですから、裁判員をやった結果が「裁判がよく理解できた」というものであったり、「評議で自分の意見を言えた」ことが非常に満足感を与えるものであったりすることは当然考えられるんですが、そのわりには連中のしでかすことの結果というものは人が死んだり閉じ込められたりというものであって、これは裁判員の「実感」に比べてあまりにも重大すぎるような気がしますけど。

◇迅速的確に立証−−清水・地検検事正

 清水検事正は「裁判員が確信を持って判断できるようになれば、人を裁くことへの不安も解消されるはず。迅速で的確に立証したい」と決意を表明。「公判だけではなく、自らも捜査して起訴すべきかどうかを判断するのが職務」とした上で「容疑者・被告の人権などにも十分配慮し、証拠のない者は起訴せず、有罪の確信があり、真に処罰する必要がある者のみ起訴してきた」とアピールした。

2009年5月22日 毎日新聞 福岡都市圏版


すいません同じ記事の続きです毎日新聞ばっかりでごめんなさいでも「容疑者・被告の人権などにも十分配慮し、証拠のない者は起訴せず、有罪の確信があり、真に処罰する必要がある者のみ起訴してきた」ってオモシロいでしょ?オモシロくない?僕はこの発言は「単に」オモシロいものと思いましたのでここに引用させていただきました。「容疑者・被告」はおろか目撃証人の「人権など」にも「十分配慮」していることはよく知っているつもりです。10分くらいはそのことについて思いを致す、と。

裁判:強制わいせつ無罪判決 「目撃証言と髪型が違う」 捜査手法にも疑問呈す 福岡地裁

 帰宅中の女性(当時21歳)の身体を触ったとして強制わいせつ罪に問われた男性被告(40)の判決が19日、福岡地裁であった。林秀文裁判長は「事件当時の被告の髪形と被害者が目撃した犯人の髪形には看過できない食い違いがあるなど、被害者の犯人識別供述には信用性がない」として、無罪(求刑・懲役2年)を言い渡した。

 判決によると、被告は06年11月4日午後6時すぎ、福岡市西区のマンション1階の郵便受け付近で、帰宅中の女性の胸や尻などを触ったとして起訴された。

 林裁判長は「被害者は、犯人の髪形が真ん中分けであることを明確に記憶していた」としたうえで、「犯行時刻直前に被告が買い物をしたスーパーの防犯ビデオではリーゼントだった」と髪形の食い違いを認定。さらに「スーパーから現場に到着できる時刻から犯行開始までに1、2分しかなく、髪形を変える(時間がない)問題なども生じる」と指摘した。

 また、警察官が被害者に被告を見せて確認させる「面通し」「面割り」についても言及。複数回行ったが、いずれも被告だけを見せたことに触れ「目撃者に暗示を与え、予断や先入観を生じさせる危険性がある」と、手法に疑問を投げかけた。

 被告の弁護士は「本人は裁判所に感謝していた。判決は『単独面割り』という手法に警鐘を鳴らした点に意義がある」と話している。福岡地検の吉浦正明・次席検事は「判決文をよく検討して上級庁と協議のうえ適切に対応したい」とコメントした。【和田武士】

2009年5月20日 毎日新聞


問題はこの清水さんが、これだけ裁判員制度への不安と疑問が渦巻く中で平気な顔をして「迅速」とか言える、その辺の神経が極めて興味深いものがある、ということです。「迅速」と「的確」が両立し得るのか、というのは清水さんに親切な問題設定です。いままで別段「的確」であるとは限らなかった「職務」が、「迅速」を求められる中でその「的確」さをより確かならしむるのは如何にして可能か、というのは清水さんが我が意を得たりとまたもや喋り出すには格好の質問です。間違いなく小一時間は聞かされます。

まあ確かに裁判員諸君は市井の労働者であり生活というものがあるのですから「迅速」は望ましいことでしょう。しかしながら「迅速」はなにも裁判員諸君の都合を考えてのことではありません。時と場合によっては国民を徴兵してそのまま帰らない、というようなことを平気でやる国家がてめえらの都合なんて考えてくれると思うか?事情は全く逆です。「迅速」の理由付けのために裁判員が存在するのです。分かりやすく言うと「迅速」とは証拠の制限のことです。検察側が審理を完全にコントロールするのがその目的であり、最終的には司法の廃絶を目指します。検察の「求刑」がそのまま「判決」となるような門田さんのパラダイスであり検察の約束の地では完全なベルトコンベア式の犯罪処理が実現します。検察にとっては裁判官はそのプロセスに介入するノイズでしかありません。裁判員は検察にとってそれ自体がノイズを減衰してくれる可能性がありますが、さらに裁判官による証拠調べを妨害する機能も備えています。公判前整理手続によって採用される証拠は調べる余地もない程に確実なものとなっているのですから、もはや裁判員も裁判官もお飾りです。したがってやっぱり西内裕美さんが全部担当しても差し支えはないのですが、彼女は今年は「婚活ロボット」になってしまいましたんでどーもちょっとナンだ。
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2009年05月20日

有罪病

まさか「禁煙」がファシズムであるわけはありません。単にファシストが「禁煙」にその活動領域を見いだしただけです。おかげで自動販売機でタバコを買えなくなった僕は、毎日コンビニで21世紀の「タバコ屋の看板娘」の顔面の品評を行ったり、その他色々な拾い物をして帰ることになりました。いや、「拾い物」ったってちゃんと料金は払っているわけですが。「看板娘」に免じて。

そこでたとえばこの間などは「別冊宝島」の『「死刑」と「無期懲役」』などという「センセーショナルな」書物を、煙草だけじゃ看板娘に悪いんじゃないかと思って買ってしまったりしたわけです。880円もしたのです。どうしてコンビニ娘の前で見栄を張らなければならないのかよく分かりませんが、煙草ばかりではなくて何か他にも買う、というのが「禁煙ファシズム」の思わぬ効果です。それにしても880円です。くどいようですが880円です。それがつまり「禁煙」です。880円が「禁煙」の効果のアルファでありオメガであり、それ以上は何もありません。年は18番茶も出花の「看板娘」は相変わらず「看板」のままです。夜陰に乗じて持って帰るわけにはいかない点においては「看板」に及びません。

そういうわけですから、その本に書いてあることが「看板娘」の「笑顔」のようなものであるとしても、それはそれで致し方の無いものであります。しかしながら男というものは、そんなところに「幻想」を抱いて毎朝毎晩タバコを買いにいくのです。おまけにタバコを渡す時、変な目つきの「不審者」ですが、それでもお店には大事なお客です。なんたって880円ですから。

そういうことですから、門田隆将などという人が思いつく限りのデタラメを吹聴しているとしても、僕たちは「看板娘」の「笑顔」にほだされてついつい許してしまったりするべきなのです。

検察側は弁護人から請求されれば、都合の悪い証拠(「類型証拠」と呼ばれる供述録取書など)もほぼすべて、開示しなければならなくなったのです。

これまでの裁判では、検察は被告人を有罪にするために自分たちの都合の良い証拠だけを出していればよかった。いくら弁護人が証拠開示を要求しても、裁判長が「その必要はありません」と言って終わりだったのです。

たとえば、ある殺人事件があって、A、B、Cという関係者の供述録取書があったとします。

検察にとって都合が良いのはAの供述だけで、B、Cは被告人に有利な証言をしているとします。

これまで検察はAの録取書だけを証拠提出し、後は知らんぷりをしていたわけです。そういうことが、「公判前整理手続」によってできなくなったというわけです。

これは不当捜査が発覚する可能性が飛躍的に高まる可能性を意味します。だから私は冤罪は減るのではないかと考えています。


別冊宝島1619『「死刑」と「無期懲役」』
「『死刑志願の男』星島被告を無期懲役にした官僚裁判官の『限界』」
門田隆将インタビュー


しかし困ったことに、これを買ったときにはコンビニのレジにいたのはむさ苦しい男子バイトであったのが運の尽きです。「看板娘」は20時までしかいないのでした。20時以降は真面目に学校の勉強などをしているのに違いない清純派の「看板娘」であります。本当は違うのかもしれませんが、とにかく三流大学山岳部の男子バイト君よりはマシというものではありませんか。

門田さんは「検察側は弁護人から請求されれば、都合の悪い証拠もほぼすべて、開示しなければならなくなった」と言っています。ここで当然「ほぼ」というのはどういう意味であるのか問いつめたいところですが、無精髭の残る男子バイト君に問いつめるのもうんざりです。しかしだからといって、弁護人が「検察に都合の悪い証拠」の存在自体をいかにして知ることが出来るのか、という点については、朝になってから早番の「看板娘」にきいてみたいような気もします。

検察側に「都合の悪い」証拠は、そもそもその存在すら否定されるおそれがあります。そんな「供述録取書」などは「ない」と言ってしまえば終わりなのではないでしょうか。もちろん弁護側は、自己に有利な証拠を収集することが可能です。しかしその場合、たしかに門田さんのいうとおり「裁判長が「その必要はありません」と言って終わり」だったりします。それは裁判長が職権でその証拠については証拠調べをしないことが可能になっているからです。

しかしながら門田さんが賛嘆する「公判前整理手続」においては事情は全く異なります。この場合裁判長は職権で新証拠の証拠調べをすることが可能です。しかしこれは例外であり、従来は証拠調べをしないことが「例外」であったのとは180度違うことになります。

刑事訴訟法第316条の32 公判前整理手続又は期日間整理手続に付された事件については、検察官及び被告人又は弁護人は、第298条第1項の規定にかかわらず、やむを得ない事由によつて公判前整理手続又は期日間整理手続において請求することができなかつたものを除き、当該公判前整理手続又は期日間整理手続が終わつた後には、証拠調べを請求することができない。

2 前項の規定は、裁判所が、必要と認めるときに、職権で証拠調べをすることを妨げるものではない。

 
つまり新たな証拠調べは原則不可、となったのであって、これだと「不当捜査が発覚する可能性が飛躍的に」低くなる「可能性を意味」するはずですから、門田さんの言うこととは全く逆です。「公判前整理手続」は、検察が不利な証拠を隠そうとしているのであれば、それを容易にする仕組みです。門田さんの言っていることは全くの虚偽です。

この点について公平を期す「振り」でもするつもりであれば、検察には弁護人からの請求の有無にかかわらずすべての証拠の開示を義務づけ、証拠の隠蔽が発覚した場合には無条件で被告人は無罪とするくらいの仕組みを作るべきでしょう。すくなくとも「公判前整理手続」を行う前のすべての証拠を裁判員に開示することが必要です。つまり「公判前整理手続」を、最低限でも裁判員には公開することが必要でしょう。

公開されない「公判前整理手続」においては、検察による不利な証拠の隠蔽が行われたかどうかも検証不可能です。「冤罪が減る」どころではありません。そして門田さんがそんなことを言うのは刑事訴訟法第316条の32の規定にあえて言及しないことで可能となっているようなのですが、これは単なるウソでしかありません。

門田さんは「評議の内容を漏洩すると、罰則(6ヶ月以下の懲役50万円以下の罰金)が定められていますが、これは制度の大きな問題点の一つです」と言いながら、この「大きな問題点」が解決されるまで延期しようじゃないか、などということは言いません。これは口先だけの言い逃れであるようで、このような「大きな問題点」にもかかわらず「裁判員制度」自体には何の問題もないと考えているようです。

まあこの人は「官僚裁判官」が「常識外れの判決」を出すので「正義や道徳というものが大きく後退した」ことを嘆き、「裁判員」がいわゆるその「常識」に沿った判決を出して「正義や道徳」なるものを回復すると期待しているようですから、もとより「裁判員制度」には大賛成であり、ちょっとした瑣末の「大きな問題点」などを顧慮しないとしても仕方のないところがあるのかもしれません。

ところが「常識」というものが一人一人違ったりするものですから、「非常識」だとか言われても困るわけですが、とにかくご本人は「誤解のないようにあらかじめ説明しておくと、私は「あらゆる事件を厳罰化すべし」と考えているわけではありません」なんだそうですが、「誤解」が生じるのも無理はない、と思わせるものがないわけではありません。「官僚」だか何だか知りませんが、門田さんが「非常識」だと思う判決というのは、門田さんが考えるのよりも「軽い」判決のことなのです。

つまり「非常識」というのは「軽すぎる」という意味であり、判決が「重すぎる」故をもって門田さんから「非常識」呼ばわりされた判決はないのです。つまり彼の「批判」は「厳罰化」の方向においてなされているのであり、門田さんが「「あらゆる事件を厳罰化すべし」と考えている」のだと思っている人がいるとすれば、それは誤解でもなんでもありません。とはいえ門田さんは「それは誤解だ」と言っているのですから、誤解でも良いですが、言ってみればそれは「正しい誤解」です。

まあしかし誤解でも六回でも何回でも構いませんが、それは単に門田さん自身が多少なりともカッコつけて世の中を渡ってゆくのに邪魔になるかどうかという程度のことに過ぎません。カッコつけたところで自ずと限界があるのは致し方ありませんが、純然たるウソまでついて「裁判員制度」を擁護するのはあまりカッコいいとは言いかねます。

実は「公判前整理手続」については、門田さんはこのインタヴューにおけるが如き「積極面」を見いだしたのが何時のことなのか見当もつきません。彼にもブログというものがありますから、アイデアの一半でも書き記してあるやに思いきや、そこに見いだされた「公判前整理手続」についての言及は以下のようなものだけだったのです。

これまで法曹三者によって、思いっきりチンタラ時間をかけておこなわれてきた日本の裁判が否応なくスピードアップされていくのです。
その秘密は裁判員制度の副産物とも言える「公判前整理手続」にあります。


まあそりゃ「公判前」に「整理」するんだから「スピードアップ」くらいするでしょうよ。百歩譲って「チンタラ」が悪いことでなんとかしなきゃなんないとしても、しかし「冤罪が減る」なんて一言も書いてありません。ですから門田さんは「公判前整理手続によって冤罪が減る」なんて言ったおぼえはない、宝島社の編集が勝手に書いたことだ、と言えば言えたのですが、だいぶ時間が経ったようです。てゆうかブログでは特にこの本についてエントリが存在しており、その中で「宝島社の勝手な編集によって自分の主旨と異なる記事となっている」ようなことは書いていませんでしたから、門田さんとしてはこの思いつきが気に入っているようです。

しかし何が哀しくて門田さんが明らかなマチガイを主張して、またもや無用の「誤解」を招いているのか、理解することは至難であります。裁判官が「官僚」だと言って非難されるのに検察官はそうではないとういうのも理解の範疇を超えますが、考えてみれば検察側の求刑通りの判決を出していれば門田さんの「常識」には合うようですから、裁判官も裁判員も要らないじゃん。まあアクセサリーにはなりますか、こんなアタシでよかったら。
posted by 珍風 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

家族だんらん病

えっ!「新型プリオン」?あ、「新型プリウス」?紛らわしいな、止しなよ、どうせ売れないんだから。パニクっちゃう蟹喰っちゃう。

週内にも対策切り替え=「季節性と変わらず」−新型インフルエンザ・舛添厚労相

 新型インフルエンザの感染者が急増した18日、舛添要一厚生労働相は同省内で記者会見し、政府の専門家諮問委員会から新型インフルエンザは季節性と大きく変わらないとの報告を受けたとして、週内にも対策を切り替える方針を示した。軽症患者の自宅療養などを検討する。
 舛添厚労相は、致死率の高い鳥インフルエンザを前提とした政府の行動計画は実態に合わないとし、「軽めの症状に合わせた形の対応に変えたい」と述べた。
 行動計画は現在の「国内発生早期」段階では、軽症者も含めて患者全員の入院を定めているが、今後は軽症者の自宅療養を認める方向。また、感染の疑いのある人が発熱外来だけでなく通常の病院を受診できるようにすることや、感染者と接した人にタミフルを予防投与する原則の見直しも検討する。 

2009年5月18日 時事


このいわゆる「養豚場病」てゆうか「豚風邪」、今のところ肉屋の要請もあって「新型インフルエンザ」とか言ってますがいずれはちゃんとした名前を付けなければいけないので多分「メキシコ豚風邪」になるんだと思いますが、そんなに重い病気ではないということのようです。もっとも外国では死亡例もあるわけですが、まあ、そんなに死ぬわけでもない。

そこで発生が100人台というところで早くも病床が不足するとか、一般の医療機関で診療を拒否られるとか、保育園まで休むと会社へ行かれないじゃないかなどの「都市機能の麻痺」といった問題がイキナリ露呈して来ました。これで一人でも死者が出たら手が付けられなくなるでしょう。

一般に軽い風邪くらいで会社を休んだりしませんから、「自宅療養」といっても餓鬼以外はウィルスを散布しながら仕事に行ったりしかねません。商売敵のところに行って咳をして帰って来る、なんてのもアリかもしれません。常々思うんですが、ウィルスにとって宿主を殺してしまうというのはあまり得策ではない。まあ自然界では死体というものはより多くの個体に開かれた資源ですが、人間様の場合はそうではありません。人間界にようこそおいで下さったウィルスにとって病原性の低さは有利な武器です。

そういうわけで今後みんなでインフルエンザにかかることになるようです。すでに近所でも「手ピカジェル」とかマスクは売り切れてましたねえ。手前関東ですが。まあ調子が悪かったら会社休んじゃいましょう。大丈夫です、外出自粛だ。マスゾエさんの言う通り、これは「家族だんらん」のよい機会です。日本の厚生労働省はこのインフルエンザを「家族だんらん病」と呼ぶことを正式に決定する予定です。クビになっちゃえばもっと「家族だんらん」です。そのうちに隠れていた「家族」であるネズミさんとも仲良くなってさっぱりとした骨になっちゃうまでみんな一緒だ。
posted by 珍風 at 05:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

注文の多い頸断連

民主党の代表に鳩山由紀夫さんが選出されたことについて「歓迎」しているんだそうですが、それは要するに従来通り小沢さんの悪口を言っていれば良いというだけのことです。一方、与党の期待通りに鳩山さんが小沢さんの「傀儡」であるとすると、民主党の基本政策は変わらないことになりますから、実際にはそんなに「歓迎」してもいないのではないでしょうか。歓迎すると言っておきながら箒を逆さに立てたりしてるに違いない。

厚労省分割「社会保障」「生活」の2省新設…首相検討へ

 麻生首相は15日夜、首相官邸で開いた有識者らとの「安心社会実現会議」の第3回会合で、厚生労働省を医療・介護・年金などを所管する「社会保障省」と、雇用対策や少子化対策などを所管する「国民生活省」に分割すべきだとの考えを示した。
 年内にも発足する消費者庁とあわせ、国民生活を重視した中央省庁再編成に取り組む考えだ。
 首相は、「単に厚生労働省を二つに分割するというのではなく、国民の安心を所管する省を強化するという発想で考えてみたらどうか」と述べた。厚労省を分割する場合、「私の考えでは、『国民生活省』『社会保障省』と、いろんな表現がある」とした上で、〈1〉厚労省が所管する医療・介護・年金などの分野は「社会保障省」とする〈2〉厚労省所管の雇用、保育行政などに、内閣府所管の少子化対策や男女共同参画などの一部政策も含めて「国民生活省」とする――との案を示し、「もう少し詳しく詰めてみないとわからないが、そういった形で分けるべきではないか」と述べた。
 会議の席上、渡辺恒雄委員(読売新聞グループ本社会長・主筆)が、厚生労働省を「雇用・年金省」と「医療・介護省(庁)」に分割することを提言したのを踏まえたものだ。
 首相はさらに、2001年に自治省、郵政省、総務庁が統合して発足した総務省について、「巨大だ。分けて、役人の数は増やさないということもやった方が効率的になる」と述べた。厚労省、総務省が再編されると、01年に再編・発足した現在の中央省庁体制が抜本的に見直されることになる。省庁再編案は次期衆院選に向け、自民党の政権公約に盛り込まれる可能性がある。
 首相が、厚労省を分割し「社会保障省」や「国民生活省」の創設を検討する考えを表明したのは、少子高齢化や雇用、子育てなど、国民が感じる「不安」の要因が複雑化する反面、こうした政策分野を担当する行政組織が厚生労働省や内閣府など複数の省庁にまたがり、縦割り行政の弊害が懸念されているためだ。
 一方、01年に厚生省と労働省が統合して発足した厚生労働省は、09年度一般会計当初予算が25兆円という巨大官庁で、担当する行政分野も医療から年金、労働行政まで多岐にわたる。最近では、同省の外局の社会保険庁の年金記録漏れ問題が社会保障行政に対する国民の信頼を失墜させた経緯もあり、政府内でも、特に予算・業務が偏在する厚労省の組織見直しを求める声が出ていた。

2009年5月16日 読売新聞


民主党としては一応基本政策として「国民の生活が第一。」を掲げているところであり、新代表のものとでもこれは変わらないものと見ることができます。そこでアホ太郎としても「国民生活」を重視する、といっても「第一」じゃないんですが、取り敢えずは今までよりも「重視」しよう、という姿勢を示さざるを得ません。そこで民主党新代表決定直前に何か言っておかなければならなかったようです。

といっても、厚生労働省が大きいので分けるとか、単にそういうことでして、そうすることで何がどうなるというのか全く分らないところが「取り敢えず」の所以でありますが、かつて「ホワイトカラーエグゼンプション」のことを「家族だんらん法」なんて、ハゲにしては珍しく気のきいたジョークを本気になって飛ばしていたオッサンが相変わらず厚生労働相をつとめているところを見ると、何もどうする気もないようです。

一方の民主党の「国民生活」関連の政策は、たとえば「正規労働者と非正規労働者の均等待遇」「時間外勤務手当の引き上げ」「最低時給1000円」「高等教育の無償化」などというものであります。これらの「国民生活」に大きな影響を及ぼす諸制度の整備においては、日本では世界に類を見ない惨状を呈しているようなのですが、自民党が何年政権を担当していても一向に改善される様子がないのが現状です。

これらの諸政策は、おそらく財界及び官界ならびに特定外国の意に添うものではありませんので、自民党はやろうと思ってもできませんし、出来ないことを合理化して「しない」ことにしていますから、もはや何も期待できません。自民党自身も、誰も何も期待されていないことは自覚しているのでせいぜい相手の悪口を言う、何でも反対する、こっそり不器用にマネをする、というタイヘンな「責任政党」ぶりをいかんなく発揮しているのは周知のことであります。

そこで例えば財界の諸君も、政権交替を見越して民主党に様々な「注文」をつけているわけです。

民主党代表選:新代表に鳩山氏 「目指すべき国の実現方策示して」 経団連会長ら注文

 民主党の新代表に鳩山由紀夫幹事長が選出されたことを受けて、日本経団連の御手洗冨士夫会長は「責任政党としての目指すべき国の姿とその実現方策を早急に示してほしい」との談話を発表した。
 経済同友会の桜井正光代表幹事は「早急に政権公約作成に着手し、民主党の政権担当能力を示してほしい」と注文。日本商工会議所の岡村正会頭は、鳩山氏の勝因について「結党以来、党の『顔』として実績を積み重ねたこと、堅実な手腕に期待が寄せられた結果だ」と評価した。【三沢耕平】

2009年5月17日 毎日新聞


頸断連の便所によれば民主党はもはや「責任政党」ですが、選挙については「政策論議が十分には行われなかった」としており、頸断連としては代表選挙を通じて民主党の「政策」の転換が行なわれることを期待していたことを思わせます。「経済政策」について「企業の金儲けが第一」の与党と「国民の生活が第一」の民主党とで協議をしろ、なんて「注文」をつけていますが、要するに「国民生活」が「第一」になると困る、と言っているに過ぎません。

与党やマスゴミは小沢さんがカネがどうしたとか西松だのお粗末だのと喚くかも知れませんが、民主党の政権公約もとっくに存在するにもかかわらず桜井さんが「早急に政権公約作成に着手し」ろ、と「注文」している通り、民主党の「国民の生活が第一。」という公約を是認しない勢力が存在します。そういう人達は「国民」ではないのかも知れませんし「非国民」なのかも知れませんが、それどころか単なる外国人である可能性すらあります。アホ太郎は国民に支持されていません。民主党の敵は現与党ではなくてそういう人達なのであって、これは自民党なんぞよりは相当に強力なものですから、広範な国民の支持を背景にしても苦戦が予想されますが、それは別に国民の生活を国の生産力に比して順当なものにする、というだけのことなんで、日本はよっぽど悪い神が取り憑いた「神の国」なんでしょう。
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2009年05月14日

「8マン」対「ぼうがい同盟」 すべての寂しい夜のために

80%X.jpg先日、死刑存置派が80%というのは大袈裟実際には50%程度でしかない、ということを書きました。80%というのは見ようによっては相当に水増しされた数字だったわけですが、気になるのはどうして水増しすると80%になるのか、というところです。

低支持率、「非常に残念」=16年五輪招致でJOC

 日本オリンピック委員会(JOC)が12日開いた総務常任委員会で、東京が目指す2016年夏季五輪開催に関し、国際オリンピック委員会(IOC)調査による支持率が56%にとどまったことが話題になった。水野正人JOC副会長は「残念だが、IOC評価委員会が作成する報告書に記載される。これを踏まえてどう活動するかを考えないといけない」と語り、今後はIOC委員に対する国際的活動がより重要との認識を示した。
 この日、東京の招致委員会が4月に実施した電話調査で全国の支持率が80.9%に上ったと発表されたが、IOCの調査は今年2月。水野副会長は「(もっと早くから)十分に支持率を上げる活動ができなかったことは非常に残念」と話した。

2009年5月12日 時事


IOCが調査した数字がIOCが作成する報告書に記載されるのは当然のことで、残念でもなんでもありません。候補都市は候補都市である以上は招致したいわけですから、「支持率」を大目に見積もりがちであることが考えられますから、IOCとしては招致委員会が調査した数字などは一切信用することなく独自に調査を行うに決まっています。

東京五輪支持率、IOC調査は56% 招致委は70%

 2016年夏季五輪の東京招致への世論支持率について、国際オリンピック委員会(IOC)が2月に実施した調査では56%だったことが、関係者の話で分かった。東京オリンピック招致委員会が1月に実施した調査では70%だった。
 IOCは16年五輪招致を目指す東京、シカゴ(米)、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード(スペイン)の4都市について、2月に世論支持率を調査した。4月、IOC評価委員会が東京を視察した際、東京招致委側に支持率を伝えたという。
 東京招致委は1月、調査会社のモニター3千人に東京五輪開催の希望の有無を聞いたところ、希望が70%だった。関係者によると、その直前にも同様の調査をしたが、公表したのは2度目の調査結果だけだという。
 石原慎太郎知事は「IOCの調査とか、聞いてみると500人とか限られた人数を対象にした調査で、支持率が本当に見極められるか心細い」と話している。
 08年6月公表のIOCの支持率調査では、東京が59%で4都市で最下位だった。

2009年5月2日 朝日


そこでIOCの調査による「支持率」が56%でしかなかったことは、10日も前に明らかにされていたのでした。ちなみに昨年6月に発表された同様の調査では59%だったので、3ポイント低下しています。ちなみにこれは4都市中最下位。石原さんは「500人とか限られた人数を対象にした調査で、支持率が本当に見極められるか心細い」とかわけのわからないことを言っていますが、IOCとしては各候補都市について同じように調査をしているはずですから、サンプルが少なくても比較の上ではあまり問題にならないようです。

五輪招致の成否に関わる数字が明らかになったにも関わらず、12日には招致委員会による独自の勝手な何の効力もないどうでも良い数字がわざわざ公表されたのはどういうワケだか知りませんが、これが、というかこれも、というか奇しくも80%であります。

【五輪招致】東京五輪の支持率8割超 招致委が世論調査

 2016年の夏季五輪招致を目指す東京オリンピック・パラリンピック招致委員会(会長・石原慎太郎都知事)は12日、4月21〜23日に行った電話などによる世論調査で、開催支持率が過去最高の80.9%に達したと発表した。
 前回(今年1月)が70.2%、前々回(平成19年12月)が62%だった。
 調査は招致委が民間調査会社に委託、全国15〜69歳の4000人を対象に無作為抽出するなどして電話とインターネットで行った。電話では80.9%、インターネットでは72.6%が開催を支持。ただ、都内在住者の支持率は電話が73.5%、インターネットが69.7%で全国よりも低かった。

2009年5月12日 産経


どういうワケか調査を繰り返すごとに「支持率」が上昇していくのがIOCの調査結果と矛盾していて面白いものです。1年以上かけて8ポイント上昇させたものが、今度は4カ月で10ポイントも上がってしまったのも極めて不自然です。

ちなみに、調査方法が全然違うと思われますので、招致委員会の数字とIOCの数字を比較することは全く無意味です。時事通信では「東京の招致委員会が4月に実施した電話調査で全国の支持率が80.9%に上ったと発表されたが、IOCの調査は今年2月」であると書いていますが、これを書いたのは「アスリート」なのかも知れません。これを比較して「2カ月で24ポイント上がった」とか思ってるんでしょうか。

水野副会長は思っているようです。「(もっと早くから)十分に支持率を上げる活動ができなかったことは非常に残念」なんだそうです。2カ月早く活動していればIOCの調査結果が80%になったはずだとでも思っているのでしょう。ミズノはよくやっていけるもんです。商売というのは不思議なものであります。

しかしながら招致委員会の調査とIOCの調査を比較したい場合、無理矢理にであればできないこともありません。

16年夏季五輪:東京都民の69.7%が開催「希望」

 16年の夏季五輪・パラリンピック招致を目指す東京の招致委員会は12日、4月に実施したインターネットによるアンケートで、都民の69.7%が五輪開催を「希望する」と回答したと発表した。前回調査(1月)より1.1ポイント増えたが「希望しない」も2.6ポイント増え25.7%に上った。
 調査は国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会が視察した直後の4月21〜23日に調査会社を通じ都内1000人、都外2000人を対象に実施。全体では72.6%が「希望する」と答えた。
 同時に行った初の電話調査では都内(対象200人)の支持率は「賛成」(55.5%)、「どちらかといえば賛成」(18.0%)を合わせ73.5%だった。IOCが2月に実施した調査では都内の支持率は56%だった。【林哲平】

2009年5月12日 毎日新聞


ここでは電話調査において「賛成」が55.5%であり、IOCの調査結果と近似した数字を出しています。したがって招致委員会の調査結果は「どちらかといえば」という曖昧な選択肢を用意して水増しをしている可能性があります。逆にIOCはそのような曖昧な選択肢を用意していないのかも知れません。

これにはおそらく理由があって、IOCが「支持率」を調べるのは、主に反対者が実力を行使して運動会の運営に支障をきたしたり、選手の安全が確保できなかったりする可能性を考慮していると考えられます。したがってIOCにとっては「不支持率」が重要視されるでしょう。このような目的がある場合、調査対象を「支持」「不支持」「どっちでもいい」に分けて「不支持」がどのくらいいるのかが問題になるでしょう。

この点、日本では少数派の意思表示はほとんど行われませんから、「不支持」が多いからといって別段危険はないかも知れません。一方で選手の安全に関しては、東京においては招致運動の中心人物がそんなことにはまるっきり無関心であるどころか弱い選手は死ねばいいのにくらいに考えていることは昨日見た通りです。

僕なんかは強い選手も死ねばいいのにくらいに考えているのでお互い様といえばお互い様です。いずれにしても「支持率調査」にはそういう意味があるので、東京のそれが低いからといって安心はしていられません。招致委員会は「どっちでもいい」=無関心層をさらに2分して「支持」の水増しを図っているわけですが、「不支持」が何らかの行動に結びつかない日本の特殊事情を考慮するならば、「支持率の低さ」は招致の障害にはならないかも知れません。

むしろこの「80%」という数字には国内世論への対策のために操作された数字ではないかという気もします。「死刑」の場合と同様、なんとなく「8割」という数字が一人歩きしたりするものです。なぜなら「8割」というのは「ほとんど全部」なのです。

これは八割がたそう言えます。例えば世間では「段取り八割」とか言うことがあります。「段取り八分」とも言いますね。「段取りは恥部」とは言いませんが。まあ、何だか知りませんがそういうことを言いたがる、そういうことを言うのが好きな人はいるものです。とにかくそういう言い方があるのであって、仕事は段取りの善し悪しでほぼその成否が分かれる、というのがその意味です。「ほぼ」ではありますが「決定的」なポイントが「八割」と言われるわけです。

このような意味に類似の「8」の使い方には、「村八分」があります。これを字義通り解釈して「葬式」と「火事」の2項目と「成人式」、「結婚式」、「出産」、「病気」、「新改築」、「水害」、「年忌法要」、「旅行」の8項目に分けて説明する例もありますが、こじつけでしょう。この場合も「ほぼ」仲間はずれなのであり、完全に交流を遮断しているわけではありませんが、その排除は「決定的」です。

そこで、「死刑」だの「五輪誘致」だのという意見の対立が存在する問題について、その対立の一方に与するものから、それが支持する意見への賛同が80%を占める、という言明がなされる場合、それは慣用的な数字感覚を利用して実際に人々の意見を変えさせる圧力として利用されている可能性があります。その内実は、「死刑」の場合とオリンピックの場合ではそれぞれ50%とか56%くらいです。いくら何でも実際にはそのくらいのもんでしょう。しかし積極的賛同が半数をちょっと超すくらいになると、曖昧な態度や条件付きの態度を加えて30%程度は操作することができるようで、その場合に圧倒的多数または「総意」の外見をまとうことになるようです。そうすることで積極的賛同者が増加することが見込まれているものと思われます。
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2009年05月13日

何を今さらMr.ローレンツ

collaboration.jpgこの佳き日に、実に長たらしい駄文をご紹介できるのは望外の喜びであります。

無償の行為の価値
石原慎太郎・東京都知事

 2016年オリンピックの東京招致のために先般のIOCの評価委員の来日等このところIOC関係者との顔合わせが多いが、彼等との会話の中で確認される共通しての悩みがある。それはどの種目においても次の世代のトップアスリートたらんとする若者たちの数がめっきり減ってきたということだ。つまり先進国の若者ほど、つらいことは嫌がる、故にもスポーツでの肉体のことさらの苦痛を避けたがる。
 仮に何かの種目のナショナルチームのメンバーとなっても、コーチや監督による指導が厳しいと音を上げて止(や)めてしまう選手が多いと。
 かつてとは違って何かの種目で優勝したりすればテレビのコマーシャルから口もかかって大層な実入りともなる時代ではあるが、なお。
 45年前の東京オリンピックでは銅、次のメキシコ・オリンピックでは銀、そしてミュンヘンでは念願の金メダルを手にした男子バレーボール・チームの名監督、松平康隆さんの慨嘆だと、東京オリンピックでは銅に甘んじたために、女性チームの金に比べて男は銅かということで賞賛もされなかった男子チームを、まさに八年間臥薪嘗胆(がしんしょうたん)し大胆な戦略と緻密(ちみつ)な戦術の下で金メダルを獲得した報償に男子チームが手にしたのはなんと僅(わず)か十万円の報償金だったそうだが、今では選手個人でとてつもない額のコマーシャルへの出演料を手にすることが出来てもなおだ。
 IOCのロゲ会長は私と同じヨットマンでもあるが、会食の折私が打ち明けた悩みにヨーロッパでも全く同じだと慨嘆していた。それはオーバーナイトのタフな外洋レースに若い乗り手がめっきり少なくなったということだ。
 かつて沖縄復帰記念に創設された沖縄レースはアジアでも有数の、この日本では最もタフで危険なものだ。沖縄から黒潮の洗う暗礁だらけのトカラ列島を縫い、さらに太平洋に出て北上する千五百キロに及ぶこのレースは、風向きによっては巨大な三角波と闘い、さらには太平洋に出来る冷水塊と闘い、強い海流を計っての高度なナビゲイションの必要なレースだが、海の激しい変化にまみえながらの試合運びには自然と人間の戦いの尽きせぬ味合いがある。しかし最近では敬遠されて参加艇が全くない。
 数年前何隻かの船が発奮して出場すると聞いて、私も腕を鳴らして加わろうとしたら、結局どの船も土壇場でキャンセルしてきた。訳を質(ただ)したらわが艇と同じように若いクルーがいない、一番若い乗り手が六十代ということでは、三角波の中でのロデオに似たフォアデッキ・ワークはとてもおぼつかない。ということで久し振りのレースは実現しなかった。
 スポンサーつきの賞金のかかったレースにはプロの乗り手も見つかるが、アマチュアだけのタフなレースには若者の乗り手がほとんど無い。昔は「花の初島大島レース」ともいわれ五月連休の海の名物だった、オーシャンレースの乗り手にとっては垂涎(すいぜん)の、僅か一夜がかりのレースでも今では若者に敬遠されて衰退の一途だ。
 これは全(すべ)てのアマチュアスポーツに共通してみられる現象で、アマチュアスポーツという、いわば無償の行為の人生における意味合いがその無償性故に淘汰(とうた)されつつあるということだろう。
 ならば行為の無償性というのはそれほど価値の乏しいものなのだろうか。もし敢えてそれを試みた時に味合うものは決して無償の味気無さなどではなく、むしろある賞金を手にすること以上にしみじみした達成感に他ならない。
 真冬の冷たく長い夜を徹してのレースでようやく明けてくる空を眺めながら、“俺はなんでこんなことをしているんだろう”という慨嘆の末に、かじかんだ足でようやくゆるがぬ土を踏みしめながら味合う、あの虚脱感の底にそこはかとなく味合う達成感こそが人生の糧に違いあるまいが。
 何度も引用してきたが、動物行動学の泰斗コンラッド・ローレンツがいっているように、『若い頃肉体的苦痛を味合ったことの無い人間は、長じて不幸な人生を送ることになる』、という人生の原理を最も簡単に確かに習得出来る術はスポーツに違いないと思うが。
 オリンピック招致のキャンペーンとしてかつてのオリンピアンたちの述懐を短い劇シリーズにして放映しているが、団体スポーツだろうと個人プレーの種目だろうと、選手同士や監督やコーチとの関わりの中で、選手たちは互いに競い合ってつらさを克服することでこそ人間同士の連帯や信頼を獲得していくのがよくわかる。
 かつての名監督、松平康隆氏が私に語ってくれたいくつかの感動的な挿話の中で最も心を打ったのは、すでに東京オリンピックの際に世界的スパイカーとしてその世界で名を覇していた南選手が、金メダル獲得のためには女子が心掛けた回転レシーブどころか、正面から床に転がって顔を床で打ちながら行うレシーブ練習を、自分はあくまでアタッカーなのだからそんな必要は無いはずだと反発拒否し、合宿から抜けるといい出したのを、松平監督はならば勝手にしろと突き放した。
 南は自宅の妻に俺はこれから家に帰るからと電話したのだが途中のどこかの公園で立ち止まってしまい、考えた末に監督に詫(わ)びて再び合宿に戻ったという。
 そしてその南は、既に盛りを過ぎていたろうがミュンヘンのオリンピックでの準決勝の対ブルガリア戦で、すでに2対0とリードされていた土壇場で起用され奇跡の逆転の牽引(けんいん)車となったのだった。
 現代の若者たちにとっての至高の価値とは何かは知らぬが、自らの肉体を自らの意思でしごいて鍛えるという、無償の行為がそれぞれの人生にとってどれほど価値あるものかということを、一体どうやって彼等に伝えたらいいものだろうか。

2009年5月4日 産経


賄賂が横行する程来て欲しいオリンピックですが、なるほど考えてみれば儲かる人は儲かるんでしょうけど、主要なプレイヤーである選手達は「無償」なんですな。いわば究極の無給労働、近代オリンピックは資本家の夢の具現化なのでした。

石原さんにとっての至高の価値とは概ねそのようなものらしいのですが、どれほど価値のあるものかということはわかったものではないのですが、石原さんは「しごく」のがお好きなようであります。やっぱり男の子です。

「しごく」というのは漢字で「扱く」と書くのですが、例によって大辞林によれば

(1)細長いものを握ったり指で挟んだりして、強く押さえつけるようにしながら、その手や指をこするように動かす。「槍(やり)を―・く」「帯を―・く」「あごひげを―・く」


という意味です。「細長いもの」をだ、「握ったり指で挟んだり」するんだって。しかもそれを「強く押さえつけるようにしながら」、あんまり強くすると痛いですけど、「その手や指をこするように動かす」てえんですから、こいつはもうたまりません。是非ともひとつお願いしたいものであります。

石原さんのいうような「自らの肉体を自らの意思でしご」く、というのは要するにつまりご想像のような行為のことを指します。そういうことをすると「自らの肉体」の「細長いモノ」が「鍛え」られて「太長く」なるものなのかどうか、僕自身の豊富な経験からするとちょっと疑わしいのですが、まあ確かに「無償の行為」であると言われてしまえばその通りです。この際ですから「練習になる」などという言い訳はしません。

ところで「しごく」には、なにやら別の意味もあるようです。

(2)きびしく訓練する。「合宿で新入部員を―・く」
(3)ひどくいじめる。


一転して非常に迷惑千万この上ない、キモチいくないこの用法が一般化したのは1965年のことで、東京農大のワンダーフォーゲル部が始めたものです。この年の5月、部では合宿を行ったのですが、登山経験のない新入生の和田昇君がついて来れないので先輩達は登山靴で足や尻を蹴ったり、ピッケルやロープで殴ったりしていました。

一説によるとベテランでも8時間の行程を5時間で踏破するというハードスケジュールだったようで、只でさえ慣れない山道を蹴飛ばされながら強行軍で駈けさせられていた和田君が疲れ切って倒れれば親切な先輩達は生木で背中や胸を強打し、ほとんど抱えるようにして連れ歩いたそうです。

下山後意識不明となって入院した和田君は肺水腫と肺炎による呼吸困難に陥り、血を吐きながら死んでしまいました。司法解剖の結果、背部に直径15センチ程の外傷、眉間から鼻にかけての顔面に大きな打撲傷があった他、全身の打撲と内臓の腫脹、特に下半身全体に打撲傷、下腹部からの出血が認められました。

この部では死亡した和田君の他にも2名の1年生が重体に陥っています。事件の首謀者とされた部OBで当時会社員の監督や部の主将は自分たちも1年生から同様の「訓練」を受けて来た、と弁解のようなことを口にしたものの、同部の暴力的な体質が抜き難く悪しき伝統と化していることを証拠立てるだけに終わったようです。

結局主将は退学処分となり、上級生17人は無期停学、裁判では監督、主将、副将など7人に有罪判決が出ましたが、これが世間では大変に話題となり、このような虐待を行うことを「しごく」と言うようになったといわれております。

名前がついたおかげでこのようなことがより広範に行われるようになったのはご存知の通りです。未だに学校などではスクールシューティングなんかより部活で死んだり植物人間になったりする人の方が多いのですから世の中進歩しません。同様の事件が後を絶たないわけですが、中でも1979年から2006年にかけて6名を殺害した「戸塚ヨットスクール」の例などは、被害者が13歳や15歳の少年や精神障害が疑われる人であることから、その陰惨さもひとしお「味合い」深いものがあります。

もちろん石原さんは「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長であらせられますから、スポーツという虐待と殺害の形式については積極的に理解を示すものでありますが、そんな石原さんが呼ぼうとしているオリンピックには死の匂いが漂っています。まあ「アスリート」などという連中が無料で死のうと生きようとどうでもいいんですけど、死体は重くてクサいからどっか余所で死んでくれや。
posted by 珍風 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

ケンカに強くなる法 三十六計走為上

 麻生太郎首相が11日夕、小沢一郎民主党代表の辞任表明を受け、記者団に語った内容の要旨は次の通り。


 −辞任の受け止めは。
 党首討論の2日前にいきなり辞めるということになったので、正直驚いた。何の理由で辞めるのか、よく分からない。
 何について責任を取ろうとしたのか。党内事情の説明はあったが、党内事情とは選挙事情ということなのか。わたしの理解を超えていた。国民としてみれば疑問が残る。

 −2009年度補正予算案の審議中だったが。
 党首が辞めようと辞めまいと、政府・与党としては、できるだけ早くとお願いしている。補正予算の審議に影響が出るということはない。

 −衆院解散・総選挙への影響は。
 解散・総選挙は、補正予算が通ることが大前提だ。小沢さんの辞任と直接関係することはなく、もろもろのことを考えて判断する。

 −自民党内には補正と関連法案の成立後に解散という意見もあるが。
 消費者庁(設置)法案を吹っ飛ばしてでもやるという意見を自民党内で聞いたことがない。消費者庁、ソマリア(沖の海賊対処法案)といった重要法案は、(補正)予算とは直接関連していないが、極めて重要な法案だ。

2009年5月11日 時事


世の中にアホ太郎の「理解を超え」るようなことは沢山あると思いますが、そこを分ったフリをしてかえって恥をかくのがいわゆるフロッピーのいつものやり方であります。そこを考えれば今回は正直に「よく分からない」と言ったところは褒めてあげても良いようなものですが、しかしアホ太郎は本当は分っているんだよ、と言いたがっているようです。

アホ太郎は「辞任」というものが何かについて「責任を取る」ためのものである、という前提から出発しており、その限りで「理解を超えていた」としているんですが、アホ太郎はワザと誤った前提から出発してバカなフリをしてみせたつもりでしょう。

もちろん小沢さんは「何が何でも、ここで勝たなければならない」から辞任したというわけですから、これは攻撃的な意図を持った積極的な行動であることはフロッピーディスク程度の容量しかないアホ太郎の脳髄でも理解可能なはずですが、アクセスタイムの遅いアホ太郎は急に攻撃されて困ってしまったのでした。しかし困ったような顔をするのはみっともないので取り敢えずオトボケでかわしてみたところです。

ところでバカ殿に理解できてアホ太郎に理解できないのは「責任」が一文字であるという「国民としてみれば疑問が残る」ようないわゆるひとつの「定説」ですが、アホ太郎は「責任」が何かマズイことをしでかした人がその収拾をつける、という以上の意味を持つことも分っていません。代わりに大辞林を引いてあげます。

せきにん 【責任】
(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。「―を果たす」「保護者としての―」
(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。「―をとって辞職する」「だれの―でもない」「―の所在」「―転嫁」
(3)〔法〕 法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。


アホ太郎が言っているのは(2)の意味です。この意味の場合には他動詞「取る」が付いて「責任を取る」というように用いるのが慣用ですが、これは派生的な語義であって、「責任」とは第一義的に(1)の意味、「任務」とかそういう意味です。これは「果たす」を付けることが多いようですね。「説明責任を果たす」なんて言うじゃないですか。もっとも小沢さんはそっちの責任は果たしたような気がしますが。世間の言う「説明」というのは刑事被告人における「反省」のような使い方をするようなので何とも言えません。

そこで(1)の意味における「責任」については、小沢さんは明確に述べているところです。

民主党を中心とする新しい政権をつくり、「国民の生活が第一」の政治を実現して、経済、社会を根本から立て直すこと。そして、政権交代によって、日本に議会制民主主義を定着させること。その2つが、民主党に課せられた歴史的使命であり、私自身の政治家としての最終目標にほかなりません。


したがって「何について責任を取る」のかは分らなくても、「どのような責任を果たす」ためであるのかは明白なんですが、アホ太郎にとってはそういうことは「理解を超えてい」るんだそうです。気の利いたことを言ったつもりで図らずも政治的責任感の貧困を露呈してしまったのはさすがであります。やはりホンモノにはかないません。

しかしアホ太郎としても「党首討論」で攻撃してやろうと言う出ばなをくじかれたので困惑の体でしょうが、一方民主党としては、もはや党内で「ぐずぐず言う」ことは許されないことになりました。小沢さんの辞任は「民主党内の森田式偽装自民党員」の動きを牽制する意味もあるようです。

一方、「世論調査」は小沢さんを攻撃するためにほとんど限界まで民主党支持の数字を落としてしまいましたから、今後はそれは現在よりも上げざるを得ません。他方アホ太郎の支持は上がりようがないようですから、近く総選挙をやると自民党にとっては不利です。アホ太郎はまたもや解散から逃げまわり、場合によっては又もやクビをすげ替えなければならなくなるかも知れません。

ところで「責任」という字に拘るとすると、アホ太郎でもこのくらいの字は読めるようで、例えば昨年の所信表明演説では8回もこの言葉を使っているところ、民主党に「責任」を求めたのがひとつありました。

日米同盟と、国連と。両者をどう優先劣後させようとしているか。民主党には、日本国民と世界に対し、明確にする責任があると存じます。


アホ太郎はこの自分の所信表明演説をあたかも次期政権への質問コーナーにして朝野の失笑を買っていたところですが、民主党としてはこの「責任」をかなり明確に果たしていると考えられます。そのあげく民主党の支持が上昇してアホ太郎内閣の支持が下がるのですから、人には座ってはいけない椅子というものがあるわけですが、検察まで動員して民主党を揺さぶらなければならなかったのは、どうもこの点を「明確」にした故であると思われます。

実際に明けて12日の産經新聞の「主張」では「小沢代表辞任 判断遅すぎ、信頼を失う 後継選びで基本政策を競え」と題して

今国会で、民主党はソマリア沖での海上自衛隊を主体とした海賊対策に強い疑問を示し、海賊対処法案の早期成立に応じようとしていない。
 在沖縄米海兵隊のグアム移転をめぐる日米両国の協定締結承認案には、反対の方針をとっている。日米同盟や国際協調行動にかかわる具体的な政策対応で、民主党の政権担当能力を疑わせる事例が進行している。
 新代表選びに手を挙げる候補者は、こうした基本政策に関する論争を避けてはなるまい。


と政策の変更を要求していますし、読売新聞の社説「小沢代表辞任 世論に追い込まれた末の退場」においても歩調を合わせて

 民主党の弱点とされる外交・安全保障政策の論議も、避けてはなるまい。インド洋での海上自衛隊の給油活動やソマリア沖での海賊対策などで、より現実的な政策を打ち出し、政権担当能力を示すことが必要ではないか。


として全く同様の政策変更を求めています。コイツラ出来てるんじゃないか、というような不潔な関係です。しかしながら産経は辞任そのものについて「小沢氏と一心同体である公設第1秘書が、政治資金規正法上の違法行為を犯したとして逮捕・起訴された事件である。当初から小沢氏の政治的かつ道義的な責任は明確であり、代表辞任は遅すぎたと言わざるを得ない」としているんですし、読売も「世論に追い込まれた末」なんていってるんですから、小沢さんが辞任したのは外交政策とは関係がないのでした。小沢さんが辞めたからからといって外交政策を変えなければならないというのは全く繋がらない、おかしな話しです。

いかに混乱した文章に見えようとも、この辺が「政権交替」を阻止しようとする人たちの本音なのであって、園田さんの「生活とか仕事」はどうでもいいのですが、戦争に賛成しない限りはマスゴミは今後とも民主党にツラク当たるんだそうです。同時に早くも民主党内の分裂の種をまこうと必死になっているわけだ。Bの付く愛国も大変だね。不埒な「反米」勢力の動きが心配でなりません。え、あのマエバリまで言いなりにならないのか、なんて。

米外交筋「外交政策に影響か、非常に関心」…小沢代表辞任で混迷民主

 【ワシントン=小川聡】小沢民主党代表が辞任を表明したことについて、オバマ政権に近い米外交筋は、「民主党の外交政策に影響が出るかどうか、非常に関心を持っている」と述べた。

 小沢氏を巡っては、在日米軍について「第7艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分だ」と発言し、在沖縄米海兵隊のグアム移転に関する日米協定承認案に反対するなど、日米同盟の根幹にかかわる政策で「反米的」とも取れる言動があり、米側に警戒感が広がっていた。
 また、2月に行われたクリントン国務長官との会談より、中国共産党の王家瑞対外連絡部長との会談への対応がよかったとして、「小沢政権が誕生したら、親中国的になるのでは」との声も上がっていた。
 ただワシントンでは、民主党内で日米同盟擁護派と見られていた前原誠司副代表が先月に訪米した際、海兵隊普天間基地の移設案の見直しに言及したため、「民主党政権になったら日米関係がガタつくことは避けられない」とショックが走った。
 このため、米民主党系の日米関係筋は、「(小沢代表辞任後も)民主党の外交政策に関する不透明性は変わらない。誰が代表になるとしても、民主党と米政権の対話を広げることが急務だ」と指摘した。

2009年5月11日  読売新聞
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2009年05月10日

ひろゆきが堂々アブナいテロ宣言!

民主政権「1年でつぶせる」=園田氏

 自民党の園田博之政調会長代理は10日、長崎市内で講演し、「もし民主党が政権を握ったら1年以内につぶせる自信がある。必ずつぶせるが、その間にわれわれの生活や仕事はめちゃくちゃになってしまうので、自民党は結束して(政権交代を)許してはいけない」と語った。

 また、民主党が示した2年間で約21兆円の財政出動を伴う緊急経済対策について「みんな民主党には期待していないが、あまりにも幼過ぎる。財源はどうするのか」と批判した。

2009年5月10日 時事

やっぱり「世襲」というのはエラいものです。どんなに下らないことを言ってもちゃんと報道してもらえるようです。もっとも園田さんは、一応自民党「政調会長代理」ですから、まあ実際にエラいのかも知れませんが、世襲だからエラくなれたのかも知れません。そうは言ってもお父さんは博之さんを自信の後継として指名したわけではなかったのです。後継の座は継母と争うことになったのですが、それで勝ったんだから「世襲」といっても自分の力だ、という言い方も出来るかも知れません。いずれにしても園田直さんがあえて後継に指名しなかっただけのことはあります。いくらなんでもこんなこと言ってるような人を、いくら息子だからといって。

園田博之さんは早くも「政権交替」が起きることを認めてしまいました。マスゴミが何を言っているか知りませんが、いや知っていますが、自民党の「政調会長代理」にとって「政権交替」はもはや避けることの出来ない情勢であると認識されているようです。少なくとも園田さんは「民主党が政権を握る」可能性が高いものと見ており、それは党内のそれなりの地位によってアクセス可能な何らかの情報に基づくものであると思われます。

その場合「1年以内につぶせる自信がある」んだそうですが、これは希望的観測とか虚勢とかそういうものである可能性があります。少なくともこの発言は「講演」で行われたものであり、おそらくそれは自民党の支持者でありもしかすると園田さんの支持者であるような方がその聴衆の大部分を占めている場所であると思われます。このような場で自民党が野に下る、というような見通しを語った場合、多少の強がりやいい加減な「自信」を見せておかなければその場がおさまらないことは言うまでもないでしょう。

とはいうものの、「政権交替」とか言ったところで園田さんにとっては「生活や仕事はめちゃくちゃになってしまう」というようなことでしかないようです。しかし園田さんの「生活」とか「仕事」がどうなろうと、正直あまり興味がわきません。こんなことを書くと他人の暮らしに無関心な冷たい人間だと思われてしまうかも知れませんが、どうせ僕は冷たい人間です。実際のところ自民党と公明党の政権で「生活や仕事はめちゃくちゃ」になっちゃった人も多いのですから、園田さん個人の「生活」のために政権交替を「許してはいけない」と言われても困ってしまいます。

もっとも園田さんの「われわれ」というのの中には、園田さんのお話を謹聴している聴衆の皆さんも含まれるのかも知れません。聴衆の皆さんも「政権交替」によって「生活や仕事はめちゃくちゃになってしまう」ものであると思われます。つまりこの聴衆連中は自公政権によって「生活や仕事」が潤っている人たちであるようなのです。やっぱり世の中は広いもので、そんな人たちが少数ながら存在するのです。そういう人たちは現在の政権に自分たちに都合の良い政策をとってもらうことによって多大な利益を得ているというわけで、なるほどそれでは「政権交替」は困りものですが、残念なことにそんな連中の利害も国民の大多数の共感を得るというわけにはいきません。

しかしながらいかに「世襲」の「政調会長代理」であっても、そんな内輪の話題が報道価値があるものなのかどうか疑問なしとはしません。そんな話しは仲間内でやっていれば良いので、わざわざ他人に聞かせるようなことでもないようです。そこで園田さんのお話は単に内輪向けのものではなく、広く国民一般に開かれた内容を持っているのであるかもしれず、だからこそこうして報道されているのではないか、ということも考えられることであります。

そうなると園田さんの「われわれ」には僕たちなんかも含まれることになります。もっともその中には、既にもう「めちゃくちゃ」な域にまで達している人も含まれます。そういう人達も含めて、民主党が政権を取った場合に、「生活や仕事はめちゃくちゃになってしまう」のであるぞ、と園田さんは言っているのです。すなわち既に「めちゃくちゃ」な人はもっと「めちゃくちゃに」、そうでない人はそれなりに。

文脈からして、この国民一般の「生活や仕事」が「めちゃくちゃになる」ことは、自民党が民主党政権を「つぶす」にあたって、「その間」に起こることになります。仮に「つぶす」ことをしないならば、「めちゃくちゃ」にはならない、ということになります。要するに自民党は民主党政権を潰す過程において国民の生活を更にもっと「めちゃくちゃ」にするであろう、とこの自民党幹部は言っているわけです。

つまり園田さんは「政権交替」が起こった場合、自民党は「生活や仕事」を「めちゃくちゃ」にすることをもって国民に報いるであろう、それがイヤだったら政権交替などが起こらないように皆で気をつけておれ、ということを言ったのでした。これは要するに脅し文句であり、国民に対して脅し文句を並べなければならないほど自民党が追い詰められられている、ということでもあります。

もっとも、政権を追われた場合に、自民党がどのような手段で国民の暮らしを「めちゃくちゃ」にするのであるか、それは明らかではありません。てゆうかそんなこと明らかにできるわけありません。政権の座についている間は、国民の生活が「めちゃくちゃ」であろうが、仕事が「めちゃくちゃ」てゆうか仕事がなかったりしても、それは少なくとも合法的な手続で行われたことの結果です。「政権」とは園田さんとかその聴衆のような一部の人々のために法律を作ったり改正したり、検察を思うがままに操ったりして国民全体をまったく「合法的」に「めちゃくちゃ」に出来る、ということであり、実際にそうしてきました。しかし他の党に政権を取られたらそういう手段は使用できません。

したがって、自民党が下野した場合に国民生活の脅威となるのであれば、それは非合法的な手段をもってするしかありません。どうするつもりなのかよく分かりませんが、なんだかアブナそうであります。どっかで爆発が起こるとか、不審な火事が発生するのかも知れませんし、ある種の人々が次々と謎の「自殺」を遂げたりするのかも知れません。つまり内乱とか騒乱、現住建造物等放火、激発物破裂、往来危険、汽車転覆等、殺人、強盗、爆発物使用、あるいは「検察若しくは警察の職務を行い、若しくはこれを補助する者、法令により拘禁された者を看守し、若しくは護送する者又はこの法律の規定により調査に従事する者に対し、凶器又は毒劇物を携え、多衆共同してなす刑法第九十五条 (公務執行妨害及び職務強要)に規定する行為」がおこなわれる可能性があります。

法律や行政的な制度などで国民生活を「めちゃくちゃ」にすることはもうできなくなるわけですが、世の中には「ウラ」があり、物事は法律通りには動かないものであったりします。そして「ウラ」の動きはその主体と目的が常に明らかにされるとは限りません。それは単なる普通の「犯罪」のように見えるかもしれないのです。そしてたしかに自民党は「ウラ」の取り扱いにかけては一日の長がありますから、園田さんの「脅し文句」が、ただの「文句」に留まるに過ぎないと断じることは楽観的に過ぎます。

というわけで、「政権交替」の暁には、自民党は日本を物情騒然たる状況に叩き込むことを宣言しています。これは「政権交替」を条件として「継続又は反覆して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれ」が存在することを意味します。したがって政権交替後に「破壊活動防止法」第4条に規定するところの刑法犯が発生した場合は、それがいかに単純な犯罪の外見をとっていたとしても、直ちに自由民主党を同法の規制対象とする必要があるのです。
posted by 珍風 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

逃亡するパチンコ日本一!

来週にも全国のパチンコ店に配備されそうな森田健作さんですが、実はとっくに千葉から逃げ出していたようです。それも居辛くなったから、というわけではなく、どうも最初から彼はそこには存在しなかったらしい。

森田健作知事の確認団体、自民党衆院東京都選挙区第二支部に移転か?


ある方からの情報提供です。

わたし自身も、電話をして確認しましたが、森田健作さんが代表を務める「自由民主党東京都衆議院選挙区第二支部」と、「森田健作政経懇話会」、そして「元気モリモリ、千葉を日本一にしようの会」は、電話番号も全く同じになってしまいました。

一体どうなっているのでしょうか?取材を進めていこうと思います。

下記の東京都と総務省のサイトに記載された二つの団体の政治資金収支報告書を見て、事務担当者は別名なのですが、その筆跡は同じ方のものだと理解できます。つまり、「自由民主党東京都衆議院議員選挙区第二支部」と「森田健作政経懇話会」とは、住所も事務所も電話番号も実質的な事務担当者も同じであり、2つの政治団体はメビウスの輪のように全く表と裏とが区別できない表裏一体のものだったと理解できます。

http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/shikin/19report/pdf/jimin/ji_205.pdf
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000024968.pdf

さらに驚いたことには、「元気モリモリ、千葉を日本一にしようの会」の電話は移転のため番号が変わり、新しい電話番号は03−5250−6603に変わっていました。

さとうが、043−202−3730にかけたところ、「移転のため番号がかわりました。新しい番号は「03−5250−6603」です、と反応していました。

そこで、かけてみたら「森田事務所です」と女性の方が出られました。

 つまり、「元気モリモリ、千葉を日本一にしようの会」の電話番号は前記二つの政治団体と同じものとなっていたのです。表裏一体だった政治団体複合体は3つの名称を持った更に奇妙な政治団体複合体に生ま変わってしまったと判断できます。

公職選挙法違反の更なる馬脚を露わした電話番号の変更だと理解できます。「千葉を日本一にしようの会」=自民党支部との構図ができていることから、森田健作氏は今回の千葉県知事選挙との関係においてすら、自民党との金銭的なしがらみに支配されていたことが露呈されてしまいました。

ただし、三つの政治団体を一つにまとめたことから、政治資金規正法違反の疑惑をこの政治団体複合体に閉じ込めて、支部解散と共に疑惑の証拠自体も消滅させようとする可能性も指摘できます。民主党の小沢党首の政治団体の家宅捜査をしたのであるのなら、それとは次元が異なるほど酷いこの三位一体政治団体複合体について、証拠隠滅の恐れがあるとの理由で検察司法には裁判所の令状をとって家宅捜査も行って欲しいものです。


広島瀬戸内新聞ニュース
http://hiroseto.exblog.jp/10189987


そこで僕もさっき「043−202−3730」に電話してみたところ、「移転のため番号が変わりました」のは同様だったのですが、「新しい番号は03ー5250ー5400」になっていました。おそらく「03−5250−6603」にガイアとかピーアークなどからの電話が殺到したのでしょう。番号を換えた模様です。5月8日22時現在、この番号は留守電にも対応していません。今後ともこの事務所の電話番号は逃げまわる可能性がありますから、森田さんに用事のある人はその都度自分で確認して電話をかけることが必要でしょう。

この事務所は今ではすっかり寂れた「千葉銀座」通り、悪名高い「Qiball」の近くにあったはずですが、もはや消滅したようです。まあ選挙事務所ですから、いつまでもあるわけでもないでしょうけど、「千葉を日本一にしようの会」というものが千葉県民の間で存在したわけではなかったのです。それは「自民党衆院東京都選挙区第二支部」の現地事務所であって、工事現場の事務所が工事が終わるとなくなるように、なくなったのでした。

実際に森田さんの演説を歓呼の声で迎えていたのは「千葉を日本一にしようの会」、というよりは自民党の千葉県議の後援会の皆さんであったという話しもあります。もちろんこの人たちに聞いてみれば「私は「千葉を日本一にしようの会」のかいいんであります」と答えるのかも知れませんが、その「会」の本部が東京に移転してしまっては不便でしょうがないでしょうな。まあ、主要な「会員」が東京に住んでいる、とか東京で活動している、ということであればそれも仕方ないかもしれませんが。

てゆうか今では「千葉を日本一にしようの会」のHPそのものが消滅しています。すなわち当該「会」のホームページ
http://www.morimori-chiba.jp/
および、「「元気モリモリ、千葉を日本一にしよう会」と連携して活動を行っています」と称する「森田健作後援会」のホームページ
http://www.mori-ken.jp/pass.html
は現在では存在しません。

したがって今のところ存在するのは、千葉県との繋がりは野球チームだけしかない「森田健作オフィシャルWEB」
http://www.mori-ken.jp/main.php
それから自民党千葉県議後援会の皆様および「自由民主党東京都衆議院選挙区第二支部」だけなのです。森田さんは「完全無所属」の名目だけのアリバイを捨てて省みないようです。

しかしながら常日頃バカにされがちの千葉県民としては、スカした「東京の連中」に千葉県のことをとやかく言われたくないと思うこともあるでしょうし、自分とこの知事の事務所に電話するのに市外通話になるのは納得がいかないかも知れません。それで県内在住の方はいっそのこと森田さんのご自宅を訪問してみるという手もあります。なんでも芝山町に在住ということでありますが。

もう1つの県民だまし現場(フライデー5/8)


「もう1つの県民だまし現場」(フライデー5/8)によると、

千葉県山武郡横芝町の農村の一角にある森田氏の豪邸は、本人が自宅と言うものの、近隣住民は「住んだのは最初の半年、その後は月1〜2回」「別荘として使っているようだ」「近所付き合いも挨拶も全くない」「農場は隣のおばあちゃんに丸投げ。畑に入るのはテレビの取材が入る時くらい」それを裏付けるかのように、森田農場の看板が落ちて2つに割れたまま放置されている写真が掲載されている。

近隣住民は「地元は横芝」とアピールする森田知事に不信感を募らせているという。

また同誌は、
「森田知事が完全無所属だと訴えていた印刷物などの証拠が残っている限り、公職選挙法違反に問われる可能性はある」など、元最高検察庁検事の土本武司氏のコメントも紹介している。


森田健作氏を告発する会
http://morikenaccusers.blog42.fc2.com/blog-entry-41.html


どうやら森田さんは千葉県に住んですらいなかったようです。森田さんにとっては千葉県は「別荘」であり「家庭菜園」でしかなかったのでした。まあ、お金がある人は家が何軒もあって結構なことですが、別荘地の知事になるのでしたらみんな長野県や栃木県の知事にならなければならなくなってしまいますし、首都を那須に移転するという話しもにわかに現実味を帯びて来ます。

そんなことになったら「大麻博物館」は潰されてしまうかも知れません。しかし心配するには及びません。森田さんは仮にも千葉県知事なんだそうですから、知事公舎にいる可能性があります。千葉県の知事公舎は千葉市の中心から程よく離れた場所、千葉テレビと千葉刑務所にほど近いところにあります。だいたい刑務所があるというのは町外れということですが、あまり離れた田舎ではなく、それでいて街中でもないという、そのへんです。ちなみにもう少し離れた地点に火葬場がありまして、その向こうは人跡の稀な山中であり、未だに竪穴式住居などが建っていたりします。知事公舎の住所は名前だけはいっちょまえに「中央区」だとかいってますが

千葉県千葉市中央区都町1丁目7

というのです。どういうわけかネットで調べても分りませんが、Google Mapでも公開されています。似非千葉県民で似非無所属の贋県知事が本物の知事公舎でどのツラ下げて眠っているのか、見ると目が腐ります。
posted by 珍風 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

このロープで綱引きするなよな

lostcity.jpg小さい版。小さすぎたかな?iPodシャッフルとか100円ライターに貼付けましょう。

日本ではおよそ8割の人が死刑制度の存続を望んでいる、ということになっているのですが、読売新聞がどこに住んでいるのか年は幾つなのか男か女か仕事は何をしているのか全く不明な何人かの人物に「調査」を行った結果、自分が「裁判員になった場合」に、死刑を「選択する」と答えた人は「63%」であった、ということのようです。

裁判員になったら「死刑も選択」63%…読売調査

 読売新聞社が4月25〜26日に面接方式で実施した裁判員制度に関する全国世論調査で、裁判員になった場合、死刑に相当すると思えば死刑を「選択する」と答えた人は63%、「選択しない」は23%だった。

 5月21日から始まる裁判員制度によって、刑事裁判が「良くなる」と思う人は48%で、前回2006年12月の53%からは減った。ただ、今回も「悪くなる」27%(前回23%)を大きく上回り、世論は裁判員制度が始まることを前向きに評価した。
 これまでの刑事裁判の判決については、「適切だと感じたことが多い」は34%にとどまり、「軽すぎる」が50%、「重すぎる」は4%だった。裁判員制度への評価には、国民が裁判に参加することで、判決と国民の処罰感情との隔たりが縮まるという期待も込められているようだ。
 制度の仕組みについては、「よく知っている」4%、「ある程度は知っている」45%を合わせると49%となり、前回の30%から大幅に増えた。
 しかし、裁判員として裁判に「参加したい」と思う人は18%(同20%)にとどまり、「参加したくない」は79%(同75%)だった。参加したくない理由(複数回答)では、「刑の重さを決める量刑を的確に判断する自信がない」の53%が最も多かった。制度の導入には「賛成」34%、「反対」62%だった。
 同じ質問をした04年5月は「賛成50%―反対40%」で今回は賛否が逆転した。制度開始が目前となり、認知度が高まったことで、裁判員の責任への負担感と不安を強める国民意識が影響していると見られる。

2009年5月3日 読売新聞


もっとも、世の中には金輪際裁判員なんかやるつもりは毛頭ない、という人もいることと思われますから、そういう人は自分が「裁判員になった場合」にどうするつもりであるかを答えることが出来ないはずです。そこで、この「63%」という数字を評価する場合には、それが母集団から「何が何でも裁判員にならない人」を除いた分の「63%」であるはずであることに注意すべきです。

ところがこの「調査」では、「裁判員なんかに絶対なるつもりはない」人がどのくらいいるのかは分らないのです。したがってこの「63%」に何の意味があるのかというと、何の意味もありません。

この「調査」では、裁判官として裁判に参加「したい」か「したくない」かを問うているに過ぎません。仮に裁判員制度というものが、やりたい人だけやれば良いというものであれば、このような設問でも意味を持ちますが、裁判員というものは当人の希望とは全く無関係にやらせられるものであることから、裁判員を希望するかどうかを問うことには無意味です。これは例えば「税金を払いたいかどうか」をきくことに似ています。

ここで仮に「裁判員になった場合」を想定して回答することが出来るのが「「参加したい」と思う人」に限られるものだとすると、「63%」というのはわずか「18%」のうちの「63%」ですから、なんと全体の11.34%でしかないことになります。

しかし、裁判員が制度として「義務」であるとされていることから、これを希望しない人も自分が「裁判員になった場合」を想定して回答することが期待されるかも知れません。このとき「63%」は全体の63%ということになりますが、このような場合、自分が「裁判員になった場合」を想定することそのものを拒否する意味で「選択しない」と回答する人が出てくる可能性があるでしょう。

この場合は、このように裁判員となることを希望せず、尚かつ裁判員となった場合を想定しての質問にも否定的に回答する人を排除できませんし、このような人物が裁判員となることを回避できずに心ならずも裁判員となった場合に、どれほどの確率でどのような行動をとるか、というようなことは全く分りません。

しかしながらこの「63%」という数字を最大限に、すなわち母集団の63%のことであると解釈する場合、これは死刑制度存続を支持する人々の割合を示すものであるともいえるかも知れません。世間では2004年の「基本的法制度に関する世論調査」による「81.4%」という数字が死刑存置派の割合であるとされていますが、ここでは18ポイントも低下しています。

もちろんこの2つの「調査」の間には4年という時差がありますから、より正確を期すならば今年のうちに行われる(はずの)「基本的法制度に関する世論調査」の結果を待つべきなのかも知れませんが、今もし仮にこの2つの「調査結果」を比較した場合に、「自分が選択する」という局面では死刑存置派の2割が脱落する、ということが推察されます。

すなわち8割と言われる死刑存置派世論のうち、5分の1くらいはどっか知らない所で死刑をやってる分にはカンケーないからいいや、という人であって、いざ自分が関わることになると二の足を踏む、という、イイカゲンとも人間らしいともいえる人たちであるようです。

これは少なくとも人を安心させるものであると言えるでしょう。死刑存置派だからといって、何の恨みもなく一文の得にもならないのに目の前にいる人間に死を宣告できるような人であるとは限らないのでした。これはついカッとなって自分の手で殺してしまうよりも、ある意味ずっと難しいことなのです。

もっとも、「基本的法制度に関する世論調査」による死刑存置派「8割」という数字も多少疑問のあるものです。というのも、その「調査」の質問はこんなふうなのです。

死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか

(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである (6.0%)
(イ)場合によっては死刑もやむを得ない  (81.4%)
わからない・一概に言えない       (12.5%)


(ア)が強い死刑廃止の意見であるのに対して、(イ)は随分と消極的な「賛成」でしかありません。「場合によっては」ですよ。「やむを得ない」ときたもんだ。気の弱い人はみんな(イ)を選択するようになっています。すなわち選択肢が誘導的です。これではとても「8割」なんて信用できませんし、2割くらい「怖じ気づく」人がいても、そりゃあ当然です。

事実、この「調査」では(イ)を選んだ人に対して次のような質問も用意しています。

将来も死刑を廃止しない方がよいと思いますか、それとも、状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよいと思いますか。

(ア)将来も死刑を廃止しない             (61.7%)
(イ)状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい(31.8%)
わからない                      (6.5%)


「将来」ということでふるいにかけることによって、31.8%が脱落します。「未来永劫にわたって場合によっては死刑もやむを得ない」と考えている人は全体の50.22%ということになります。これが比較的強硬な死刑存置派の割合であって、残りの約半数は即時又は将来に死刑が廃止されることを受け入れているか、態度を決めかねています。もちろん「将来」というのは「明日」とか「来週」でもいいわけです。こういう人たちは「明日から死刑は廃止ということでどうでしょう」というような相談に乗ってくれそうです。「わからない」人には分るように説明してあげれば良いでしょうし、「一概に言えない」人も話せば分るかも知れません。

おそらくこの「比較的強硬な死刑存置派」が、単なる死刑の「存置」に留まらずこれを「拡張」しようという積極果敢な考えの持ち主である可能性があります。読売の「調査」に戻ると、「これまでの刑事裁判の判決については」、「「軽すぎる」が50%」だったそうです。今までの判決では軽すぎるからもっと死刑を増やせという人が、やはり全体の半分いるそうですから、「基本的法制度に関する世論調査」の結果とあわせてみると、積極的な死刑存置派は死刑拡張に向かい、消極的な死刑存置派は将来的な死刑廃止に向かっています。そしてその勢力は現在のところ拮抗しているようです。オーエスオーエス。

もっとも読売の「調査」によれば状況は憂慮すべきものであるといえましょう。「「参加したくない」は79%」であり、その理由は「「刑の重さを決める量刑を的確に判断する自信がない」の53%」であるそうです。全体の42%の人が自信のなさを訴えています。まあ、やったこともないしせいぜい「ある程度」しか知りもしないことに無闇に「自信」を持っている人というのも困ったものではありますが、この「自信がない」人たちが自信のない故をもって「死刑を選択する」と答えなかった人たちである可能性はあります。しかしはっきりと「死刑を選択しない」という人は23%でしかありません。ということは「自信がない」くせに死刑を選択する可能性のある人がいるということになります。何だかよく分からない人たちが五里霧中のうちにおずおずと差し出して来る死刑判決ですが、まあこういう自信のない人の方が扱いやすいんですよ。但木敬一元検事総長も言っています。

そこで、何より大切になるのが評議のプロセスです。評議は多数決制ですが、全員が納得するまで時間をかけ、裁判員が「みんなが納得した上での結論なのだ」という気持ちが持てるようにすることが大切です。


「納得」とか「空気」とかいうアレですな。
posted by 珍風 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

GWに夢のコラボ実現!?

いや、実はこれがやりたかったんですよ。少年の頸を絞めて、僕は何か物足りませんでした。私ばかりでなく周囲の背景達も、不思議に緊張をゆるめませんでした。彼等はこの上に、まだ何事を待ち望んでいるのでありましょう。
「そうだ、紅の一いろだ」
僕はハットそこに気がつきました。このすばらしい画面には、たった一つ、紅の色が欠けています。そこでもう当然、「TOKYO(赤丸)2016」が、そして直ちに敬愛するやきとりさんの貼ってある「あれ」が思い浮かんだわけですが、無断で引用するのは憚られるので、少年の頭の上の扇になっちゃった。マゼンタはどうしても必要だったのですが、少なからず間の抜けた画像になってしまいました。この度、幸いにしてやきとりさんより救いの手が差し伸べられたんで、こうなりました。よかった。

TOKYO2016LOSTCITY.jpg

それではスペシャルサンクスです。5色の輪っかをバラして紐にして束ねてしまったのは榮久庵憲司さん。首吊り少年は ミューラー博士の『泰西美少年縊頸図録』より「非定型的縊頸」のうちほぼ定型に近いものを選びました。榮久庵さんの「水引」をモノクロにして髑髏まで付けて「死」のイメージを付与し、コピーのご提供まで頂いたのは勿論やきとりさん。僕は縦のものを横にもしないので横のものを縦にしただけです。

この画像の使い途としては、パソコンのデスクトップに貼っても良いですし、ケータイの待ち受けにも最適であります。プリントアウトしてご自宅の戸口に貼っておけば、「エホバの証人」や悪徳リフォーム業者の訪問を避ける事が出来るかも知れません。口やかましい親戚や別れたい恋人を遠ざけるのにももってこいです。Tシャツにプリントするのもオシャレです。それを着て街を歩けばコワいものなしです。下半身に何も着ていなければ効果は倍増するでしょう。

そしてこの図柄は「マンガ弁当」にもたいへん相応しいものです。つまり何故赤色が必要だったかというと、それは梅干しを入れたいからにほかなりません。黒ごまなどを使って髑髏を表現してあげるとお子様が喜びます。幼稚園の先生に呼び出されて折檻されたり、色々あるから楽しいのさ。

ところで英語の「collaborarion」には「利敵協力行為」という意味もあるらしい。敵とコラボしちゃうわけです。たしかにお互いに異質であればある程「協働」する意味があるのかも知れません。しかしマエバリなぞは「利敵行為」を繰り返しているように見えますが、「敵」とはそれほど「異質」であるわけでもないようです。むしろ全然「同質」に見えます。ああいうのは「コラボ」とは言わないようです。多分、自民党は世襲ばっかりでエラくなれそうになかったから余所にいるだけでしょう。高坂先生に教わったのではないか。世襲といえば、井上陽水の娘はもうちょっとお母さんに似るわけにはいかなかったのかね。
posted by 珍風 at 10:37| Comment(4) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

サミット奴隷 オリンピック死

提訴:「パワハラで退職」 前総料理長が「万世閣」に1000万円求め /北海道

 パワーハラスメント(地位を利用した嫌がらせ)などで自律神経失調症になり、退職を余儀なくされたとして、「洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラス」(胆振管内洞爺湖町)の前総料理長、大坂祐一さん(53)=伊達市=が4月30日、経営会社「万世閣」と浜野浩二社長に慰謝料など1000万円を求め、札幌地裁へ提訴した。

 訴状によると、浜野社長は北海道洞爺湖サミットの前後(08年4〜7月)、厨房(ちゅうぼう)責任者だった大坂さんを「お前は使えない」「原価オーバーした分は自分で払え」などと追及。大坂さんは自律神経失調症と診断され、8月に退職したとしている。

 万世閣は「パワハラを行った事実はない」と話している。

 万世閣を巡っては、大坂さんを含む元調理師ら15人が3月に未払い賃金計1億3000万円の支払いを求めて札幌地裁に提訴している。【水戸健一】

2009年5月1日 毎日新聞


ホテルというところは総支配人とか総料理長の権力が強いものだとされて、オーナーが口を出す事を極端に嫌います。これはあながち悪い習慣ではなく、どうしても数字だけに目が行きがちなオーナーの専制を許しているとサービスのレベルの低下をもたらし、長期的には損害になる、というようなことがあるわけです。

もっとも最近では短期的な、というか単年度での利益を出すことに集中するのが当たり前のような考えになって来ておりまして、総支配人や総料理長とオーナーとの確執が絶えない場合があります。これは両者の利害が対立するところでして、サービスにはコストがかかりますし、料理の質の維持のためには原価率が上昇する場合もあるのですが、それはオーナーに取っては脅威です。経営が破綻した場合、オーナーはホテルを手放さざるを得なくなるかも知れません。

しかしながらサービスレベルを維持することによって、総支配人や総料理長を始めとしたスタッフは、ホテルのオーナーが変わったとしても、提供するサービスの維持のためにそのホテルで継続して勤務する事が出来る可能性があります。ホテルというのはオーナーが変わっても営業を続ける場合が多く、「会社が潰れる」ことはスタッフの雇用が失われる事を必ずしも意味しないのです。逆に金銭的利益の追求に走ってサービスレベルの低下や、あろうことか食中毒などの例を出してしまう事があるならば、総支配人や総料理長にとってはもはや他のホテルに移って同様の地位で働く事が不可能になるほどの、大きな痛手となります。

そこでオーナーとしても、料理の原価率に関しては「原価オーバーした分は自分で払え」とはいうものの、実際にその分の金額を総料理長から取り立てるとは限りません。もちろん仕入れ先にはちゃんと支払いをしないわけには行きません。そこで結局のところは「弱い」ところに目をつける事になります。それは要するに他社と平行して取引関係を結んでおらず、常に一社専従で次の取引先を探すのに大変な苦労をしなければならないうえに、不当に安い料金で取引を強いられているために会社との関係を解消された場合には直ちに喰うに困るが故に極めて柔軟にこちらの言う事を受け入れてくれそうな相手です。

洞爺湖サミットの「残業代未払い」 元料理長もホテルを提訴

 北海道洞爺湖町のホテル「洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラス」の元料理長(53)が、昨年7月の北海道洞爺湖サミットで残業が増えたのに残業代が支払われなかったほか、社長からパワハラを受けてうつ病になり退職を余儀なくされたとして、ホテルを経営する万世閣(洞爺湖町)と浜野浩二社長に1000万円の損害賠償を求める訴訟を30日、札幌地裁に起こした。
 訴えによると、ホテルにはサミットの約2カ月前から、警備関係者が多数宿泊。元料理長の時間外労働はサミット開幕まで毎月150時間を超えたが、残業代は支払われなかった。また、浜野社長から「おまえなどいつ辞めてもいいんだぞ」などとののしられた。
 同ホテルをめぐっては3月、ほかの従業員らも未払い残業代の支払いを求めて札幌地裁に提訴している。

2009年4月30日 産経


労働者の賃金については、いまだにそれは究極のクッションです。どの業界でもそうなんですが、ホテル業界などでは営業時間の長さなどからとりわけ著しいものがあります。この例は厨房の方の話しですが、フロントなんか24時間営業ですから。

もっともホテルがホテルとしてのクォリティを維持し得る程のニーズがあるのかどうか、というところがそもそも疑問です。「競争」とかいうわけですが、そもそも不要なホテルがいっぱいある。国内では婚礼を含めニーズが消滅しつつありますし、外国の客も大したものではありません。「スミスフィールドインフルエンザ」の感染者が出ないのは良い事ですが、意外と日本は「生物学的に」孤立しているようです。今やエレクトリカルでサイバーでインターネットなのかも知れませんが、「生物学的な」交通がない限りホテル屋さんは商売上がったりです。

いずれにしてもお客さんが来たところで、スタッフは無休で長時間労働を強いられる事になるようです。サミットが残していったものが「残業代未払い」だったわけです。しかもそこに宿泊していたのは国民を守るはずの「警備関係者」です。おそらくSECOMの連中と、あとはオマワリさんですかね。無給労働によって調理された料理に舌鼓をうって奴隷のサービスを受けていたのは。

この分では東京にオリンピックが来るような事になれば大変な事になります。ホテルは潤うかも知れませんが、そこで働いている人たちにはびた一文回らないどころか、死ぬほど、下手すると死ぬまでこき使われるような結果になります。日本でオリンピックをやるということはそういう事なのです。サミットやオリンピックは日本の労働者を虐待します。そして虐待に耐えられなくなって暴れる人のためには自分でやったり他の人にやられたりする「首吊り」が用意されていますICOの筋肉バカ連中にとっては、それも「トレーニング」だと思ったり、「クビを鍛えた方が良い」とか思うのかも知れませんが、そういうバカは世界でも少数派であると期待されています。でも僕は親切なのでバカにも分る図解。英語はアヤシイです。

hangedcity.jpg
posted by 珍風 at 17:00| Comment(3) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月01日

テメーラ・サンライズ

 おはこんにちばんは!

(拘置されてから1年以上たつが、毎日何を考えているか)
 ま、色々。

(犯行当時から心境の変化はないか?被害者に特別な思いがわくことはないのか?)
 永久不変。99%無の境地。何を感じる?何もないだろう?

(裁判では責任能力の有無を問われるが自分ではどう思うか)
 問題なし。そもそも計画たてんだろ。あったら。

(裁判では話さないと伝えられているが、完全黙秘するつもりなのか)
 100年の沈黙を約束しようぞ。イヤガラセですヨ!

(弁護士は責任能力がないとみているようだが、死刑になれないのではないか)
 お前らバカか?全人類を殺されても、死刑にしないなんてことないだろ?いくら愚かな人間といえど。ま、俺を死刑にしねーんなら、俺がテメーラを死刑にしてやんよ。どっちみちするしかねーだろ?それとも死にたい口か?

2009年4月30日 茨城新聞


これは茨城新聞社が土浦荒川沖8人連続殺傷事件の容疑者で起訴されている金川真大さんに出した手紙のお返事(の「要旨」)です。茨城新聞は数項目の質問を用意し、それに対して金川さんがいちいち律儀に答える、という形になっています。つまり()内は新聞社側の質問項目です。金川さんが書いた文章自体は質問番号についてそれぞれ回答を記してあるだけで、写真によるとこんな感じ。

おはこんにちばんはっ!!

1.ま、色々。
2.そんな事、言ったおぼえはない。世(以降写真に写ってない)
3.つまらないから。じゃ死のう。
4.2に同じ。行けねーから。フツ(以降写真に写ってない)
5.永久不変。99%無の境地。何を感じる?何もないだろう?
6.問題なし。そもそも計画たてんだろ。あったら。
7.100年の沈黙を約束しようぞ。イヤガラセですヨ!
8.お前らバカか?全人類を殺されても、死刑にしないなんてことないだろ?いくら愚かな人間といえど。ま、俺を死刑にしねーんなら、俺がテメーラを死刑にしてやんよ。どっちみちするしかねーだろ?それとも死にたい口か?


3は、「なぜ死刑を望むのか」という質問に対する答え。また、2及び4については、写真では金川さんの文が途中で切れており、茨城新聞の記事中でも触れられていないので何の事やら分りません。何を言ったおぼえがないのか、どこに行けないのか、茨城新聞が教えてくれないのでした。茨城新聞は「本文中には一部不適切な表現も含まれていますが、金川被告が手記を寄せるに当たり、原文を掲載するよう希望がありましたので、表記は原文のままといたしました。」と断っていますが、「原文を掲載」していないじゃないか。質問が8つだけだったのかどうかも不明であります。

まあ2とか4は死んで「魔法」なり「ファンタジー」なりの「世界」に「行きたい」とかそういうような、それこそキティちゃんのようなファンシーな一面を覗かせるような事が書いてあったのではないかと推量する事は可能です。

金川さんに対しては各社が接見して色々と書いているところですが、直筆の文章を筆跡付きで紹介しているのは茨城新聞くらいだけだったかな。いずれにしても「心の闇」とか「身勝手」とかいうお決まりのパタンから逃れるものではありません。

精神鑑定によると金川さんは「自己愛性人格障害」なんだそうですが、これはアメリカのDSMーWの診断基準によれば

1.誇大な感覚
2.限りない空想
3.特別感
4.過剰な賞賛の渇求
5.特権意識
6.対人関係における相手の不当利用
7.共感の欠如
8.嫉妬または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.傲慢な態度

のうち5つ以上が当てはまる場合をいいます。一方この疾病概念はWHOの診断基準ICDー10では採用されていません。つまりその「成人の人格及び行動の傷害」に「自己愛型人格障害」という項目はありません。「人格障害」そのものが社会規範との関係で存在するようなので、文化によって「障害」であったりそうでなかったりすることがままあるわけです。

しかしながら金川さんの「特別感」のようなもの、「自分を特別な存在だと思う」という点については、あながち「思い込み」ではないような気もします。世間は、てゆうかマスゴミは彼を「特別な存在」として扱っているのですから、彼が自分の事を特別だと思ったとしてもそれは誤りではなくしたがって障害とはなり得ません。

むしろ金川さんはマスゴミが乱用する「モンスター」としての犯罪者、というテンプレートに添う形で行動しているように見えます。マスゴミにとってそれは「死刑」という結論を導く安易な道具でしかないかも知れませんが、金川さんはそれを自己のアイデンティティとして盗用する事にしたようです。それは敵対的な「現実」に対抗するための武装のようなものです。

したがって金川さんについてマスゴミが「モンスター」扱いをしたとしても、それは金川さんの思う壷であって、いわば彼の「犯罪」の一部を実行してるに過ぎません。「身勝手」だとか言われるのは織り込み済みであって、死刑になるのも「犯罪」のうちです。そこで問題は金川さんがどういうワケでこういう生き方をする事に決めたのか、ということなのですが、マスゴミの報道や司法の手続の中ではそれが明らかにされる事はないでしょう。吊って終わりではなく、その辺をよく調べるために継続的な調査と観察が望まれるところでしょうが、そんな事は真面目な人の考える事です。日本にはそんな真面目な人はいません。それどころか「世論」を挙げて彼を死刑にする事に賛成してしまうのではないでしょうか。それが彼の「犯罪」を完成させる事に気がつかないわけではないでしょう。逆にそれは無意識のうちに「現実」への敵意を金川さんと共有している人が沢山いるということなのかも知れません。8割の国民が金川さんを応援しているらしいのですが、頼むから殺し合いはテメーラだけでやってくれ。
posted by 珍風 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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