2009年06月30日

マスもかけない児童ポルノ法

「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」とやらがその対象を極端に拡大することでどのような目的に使用されるものであるか、その手の法律の適用として大変分りやすい例がここにあります。

植草被告の実刑確定へ

 電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた元大学院教授、植草一秀被告(48)の上告審で、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は、植草被告側の上告を棄却する決定をした。植草被告を懲役4月の実刑とした1、2審判決が確定する。決定は25日付。
 裁判を通じて、植草被告側は「被害者は被告を犯人と間違えた。被害者や目撃者の証言は信用できない」などと、一貫して無罪を主張。しかし、1審東京地裁、2審東京高裁はともに、被害者らの証言の信用性を認め、実刑を言い渡していた。
 1、2審判決などによると、植草被告は平成18年9月13日夜、品川−京急蒲田間を走行中の京浜急行車内で、女子高生のスカート内に手を入れる体に触るなどの痴漢行為をした。

2009年6月27日 産経ニュース


植草さんはブログも分りやすいので好きですが、裁判も分りやすい。最近では痴漢冤罪への批判の高まりに対して警察もそれなりの姿勢を示そうとしているようですが、植草さんの件は違うようです。これはそもそも痴漢事件ではないんでしょう。まあ、小向美奈子さんと同じようなことです。ヤバいことを言ったり書いたりすると葬られるんですよ。

植草さんのブログは並ばなくても観れるんで、そういうところも好きですが、それはともかく、そんなことを言っても世間の人々は聞いてくれないようです。「おとなしくしてりゃあ、いいんだろう」というのが一般でしょう。児童買春とか児童虐待とは違い、「単純所持」それ自体は「被害者のない犯罪」ですが、お薬とか草とか見つからないで楽しんでいる人は多いし、世間にはパチンコの桿菌とかフーゾクで基盤とか、どーも黒に近いグレーゾーンがいっぱいあるわけで、気にしない人も多いでしょう。

一方マスゴミでは2歳の娘の「児童ポルノ写真」を「製造」したとかゆー、こりゃまたシュミとしては随分とエクストリームな、それだけに手広く販売して大もうけ、なんて話しじゃないんですが、そういう「変わったニュース」を大量に報道しておるようです。大もうけする前に捕まったのかな?だとしたらこの「事件」、どうやって発覚したのか。

まあ実際にはこの法律、報道を見る限りではその適用例は高校生とか中学生を対象としているのがほとんどであり、買春はともかくとして、異常や変態とは言えません。中学生や高校生くらいだったら性交の相手として正常の範囲内でしょう。お金を出さないと相手にしてくれないというのも困ったもんですが。まあ皆さん自分の魅力を磨いて下さい。

ひとつの問題はこの法律に「児童」という語が使用されていることで、日常的に目にする「児童」という語は小学校で使う言葉です。これは学校教育法で小学校の生徒を「児童」ということになってるんで、中学校だと「生徒」になるんですが、そのせいで「児童」という言葉は小学生を連想させることになります。しかしここでいう「児童」は18歳未満の者であり、これは「児童福祉法」や「児童の権利に関する条約」における「児童」と同じです。このように「児童」の語はその意味に混乱がありますから、「児童の権利に関する条約」などは「子ども」に置き換えることも多いようです。「児童ポルノ法」ではあえて「児童」の語を使用することによって意図的に誤解を招いているのかも知れません。

したがって「児童ポルノ法」改正案に文句を付けると「小学生にイタズラする人」と同様に変態扱いされたりしかねないのですが、実際には、少なくとも葉梨康弘さんによれば宮沢りえさんの『Santa Fe』も対象らしい。てゆうかこの葉梨という人は「とてつもない」ことを言っているようです。

「児童ポルノかも分からないなという意識のあるものについては、やはり廃棄をしていただくのが当たり前だと思います」

「かも分らない」ものはその対象になるんだそうです。法案成立前から拡大解釈の余地を大幅に残す不用意な発言にビックリですが、これが元警視庁キャリアの言うことなんですから呆れたものです。しかし翻って考えれば、オマワリさんというものはお偉いさんから下っ端までこういうものの考え方をするするものなのです。警察出身者は国会議員としての資格にいささかの疑問ありとせざるを得ません。重要な意思決定に参画させるのは危険です。しかもこの人は世襲(三世)です。ロクでなしである点においてはバカ殿やアホ太郎に比べても遜色のない毛並みの良さです。

というわけでこの改正案が通ったら、途方もない拡大解釈が行なわれます。それに加えて日本人は萎縮するのが大好きですから、大変ですよ。「児童」に見えるとヤバいというので、若く見えるモデルは全員失業です。「ロリエロ隊長」とか言ってると覚醒剤で捕まります。巷にはどう見ても間違えようのない婆さんのヌードとかばっかりになっちゃいます。川島なお美とか離婚したらまたもや脱ぐと思うね。見たくないです。みんなオナペットに不自由します。オナニーが出来ないのは困る。この点を強調すべきです。マスもかけない児童ポルノ法。

あしたのために
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「児童ポルノ法」ってつまり頭脳警職法ですから、もちろん「デートもできない警職法」に敬意を表しているわけですが、かないませんな。ちゃんと韻を踏んでるんです。耳に心地よく口にして快い。1日じゅう言っていても飽きません。それに比べてなんですか「マスもかけない児童ポルノ法」って。みんなで言う時はアタマに半拍の休符を置かなければならないではないか。ダメだなあ。そのわりにはタイトルに使ったりして、結構気に入ってるのではないか。バカです。
posted by 珍風 at 10:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

幼女と少女が共謀罪

「児童ポルノ」というのは「児童」に「特殊な関心」を寄せる人たちが興味を示す分野です。例えば常日頃から他人の「権利の保護」などには関心を寄せない人たちが、こと「児童」ということになるとビンビンになっている様子は、その人たちにおいて「特殊な性癖」が存在する事を仮定しなければ理解し難い珍現象であるといえるでしょう。

そこで我等が日の丸弁当の包み紙『産經新聞』が、「児童ポルノ」の「単純所持」の「規制」がなぜ「不可欠」であるのか、親切丁寧に説明をしているところですから、熟女にしか興味がない人も読んでおいた方が良いと思われます。

【主張】児童ポルノ 根絶へ所持規制は不可欠

 インターネットなどを通して氾濫(はんらん)する児童ポルノが国際的な問題となっている。
 日本では10年前にできた児童買春・児童ポルノ禁止法で、18歳未満の青少年を含めた子供のわいせつ画像については、撮影などの製造や提供、販売目的の所持などは禁止されている。
 ところが、個人的趣味などとして持つ「単純所持」には法規制がない。根絶には画像を入手する者への歯止め措置が不可欠であり、国会は審議入りした与野党双方の改正法案の調整を急ぎ、早期成立を目指してほしい。
 児童ポルノ犯罪の拡大には目を覆いたくなる。最近では2歳長女のわいせつな写真を撮影した母親らが逮捕される信じがたい事件も起きている。画像は1枚数千円程度で買い取られていたという。教職者がかかわる事件も目立つ。
 警察当局は、ネット上の児童ポルノ投稿サイトへの広告掲載を仲介した広告代理店を同法幇助(ほうじょ)容疑で摘発するなど取り締まりに力を入れている。警察庁は先ごろ、被害児童のカウンセリングを含めた総合的な対策も発表した。
 児童ポルノ犯罪の検挙件数は昨年、過去最悪を更新した。だがネットで流れる画像だけでは被害児童の特定が難しく、摘発は氷山の一角とされる。配信に海外のサーバーを使うなど摘発逃れの手口も巧妙化している。違法サイトへ接続させないシステム構築も検討されているが、対策にはネット接続業者など民間の協力も必要だ。
 単純所持をフリーに認めているのは主要国(G8)では日本とロシアだけで、米国などからは、捜査協力上も日本に所有自体を禁じる法規制を求める声が強い。
 与党提出の改正案は、単純所持を原則禁止し、「性的好奇心を満たす目的」の所持には罰則を科すとしている。これに対して民主党案は、芸術表現や家族写真なども規制対象になりかねないとの懸念から、有償や常習的な取得に限って罰則を科す「取得罪」の新設などを盛り込んでいる。
 海外ではポルノ撮影を目的とした児童誘拐まで起きている。知らぬ間に画像が流れた子供たちの精神的被害も深刻だ。
 与党案も民主党案も、子供を性的対象とすることに反対の立場であることは一致している。子供たちを卑劣な犯罪から守る。そのための法規制強化であることを忘れないでほしい。

2009年6月27日 産經新聞


「近頃こんな事件があったよ」とか「警察はこんな事をしているんだ」というようなことを適当にまとめただけの無駄な文章がダラダラと続き、なかなか本題に入らないのは決められた字数を満たすためですから仕方ありませんが、試験に出して「この文の趣旨を述べよ」というような問題を出すと「児童」の正解率5%程度の「奇問」に属するような、難解にして高度な「主張」ではあります。

しかし文章が悪いのは何も書いている人のアタマがとてつもなく悪いから、というわけではありません。少なくともそれが理由の全てではないでしょう。一部ではあるかも知れませんが。むしろこの文章は「書くべき内容がない場合にどうしたら良いか」という、いやしくも文章を書いてお金をもらっている人が一度は直面する難問に対するひとつの回答となっています。そしてそれはとにもかくにも一応はやりおおせたぞ、という程度にはなっていないわけではありません。

そこでひとつのポイントは「ネットで流れる画像だけでは被害児童の特定が難しく」というところです。どうしてこんな事を書いてしまったのか分りません。多分「検挙は増えているけどそれでも氷山の一角だ」ということの「理由」のつもりで書いたんでしょう。しかし、画像から被害児童を特定する事が困難であるのが事実であるとすると、これは「根絶へ所持規制は不可欠」という見出しとは矛盾することになってしまいます。「児童ポルノ」画像の存在が被害児童に結びつかないのであれば、単純所持を規制しても何にもなりません。もっともこれは「児童ポルノ」の「規制」が児童の権利保護を目的としているものと仮定した場合の話しですが。

公明党の丸谷佳織議員は「小学生のころ撮られた画像が出回ることを脅威に感じる女性」を紹介しているところですが、画像から本人を特定することが困難であるとすれば、この女性の心配も少しは緩和されるかも知れません。てゆうかこの場合、小学生の頃に虐待があったことが問題なんですが。どういう虐待があったか知りませんけど。もっとも昨今では何でもかんでも「児童ポルノ」認定してしまいますから、虐待と結びついていない画像、かつては普通に撮影されていた写真なんかも「児童ポルノ」扱いにすることによって被写体となった女の子を「性的被害者」にしてしまうことも可能であります。社会の視線がその子を「ポルノガール」にしてしまうわけですから、この手の「懸念」は広範囲に広がる虞れがあります。

まあ、このような混乱を極めながらも、なぜ「所持規制は不可欠」であるかということについては、明確な「主張」があるのです。バカにしちゃいけない。ちゃんとあるんだ。それは「単純所持をフリーに認めているのは主要国(G8)では日本とロシアだけで、米国などからは、捜査協力上も日本に所有自体を禁じる法規制を求める声が強い」というものであり、これは極めて明解です。アメリカの要請があるのであり、そうであるからにはそれ以上の説明などは不要なのです。

もっとも説明しようとしても説明出来ないでしょう。憲法に保障された権利を大幅に侵害するにも関わらず、そうすることで他の権利を守る有力な手段とはなっていません。更に創作物まで規制するということになれば、これは侵害される権利と引き換えに保護される権利などどこにもないのですから、これは単なる政府による国民の権利侵害でしかなく、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。ちゃんと説明すれば誰もが納得いかないものでしょう。黙っているに越したことはありません。

「主要国(G8)では日本とロシアだけ」であることはもちろん何の理由にもなりません。例えば死刑を存置しているのは主要国(G8)では日本とアメリカだけで、EUなどからは、死刑廃止を求める声が強いようですが、日本政府ならびに産經新聞にとってはこれが死刑廃止の理由とはならないようです。ここで問題となっているのは「死刑」でも「児童ポルノ」でもありません。「死刑」において日本政府はアメリカと同じことをしているのに、「児童ポルノ」ではそうではない。これはマズいではないか、ということのようです。

したがってこれは警察行政においてもアメリカの要請に従わなければならないということなんですが、もちろんアメリカは欲張り、てゆうか日本には何を要求しても自民党が言うことをきいてくれるので色々なことを命令して来るんで困りますが、「児童ポルノ」は海賊退治と共謀罪のつなぎみたいなもんです。「児童ポルノ」と「海賊」には「貧困」という共通の背景があり、根本的な解決を回避して強制力によってシステムの破綻を抑え込むのがアメリカのいかにもアメリカ的なやり方です。そこで次には当然「共謀罪」が議題に上ります。おそらく「児童ポルノ 根絶へ共謀罪は不可欠」という「主張」が、各新聞に載ります。

防犯カメラ付き自販機いたずら、19歳会社員を現行犯逮捕

 愛知県豊橋市の岩田運動公園に置かれた、防犯カメラなどがついた清涼飲料水の自動販売機(おたすけ自販機)にいたずらがされていた事件で、県警豊橋署は28日未明、同県高浜市、会社員の男(19)を器物損壊の疑いで現行犯逮捕した。
 同署の発表では、男は28日午前1時15分頃、おたすけ自販機のセンサーライトをハンマーでたたき壊したところを、張り込み中の豊橋署員に逮捕された。男は「監視社会に対する反感があった」などと供述しているほか、おたすけ自販機に対する過去4回のいたずらについても自分の犯行と認めており、同署で裏付けを進めている。
 おたすけ自販機は、犯罪の被害に遭いそうになった人のため、110番通報ができたり、警報ブザーや赤色回転灯が作動したりする機能が付いている。同県警と清涼飲料水メーカーが共同で開発して、昨年10月に設置した。
 その後、同月から今年5月まで4回にわたり、自販機に「市民監視反対」などとスプレーで書かれたり、防犯カメラが外されたりする被害が続いていた。

2009年6月28日  読売新聞


4回も壊されるまで放っといたのは「背後関係」とか調べてたんでしょうけど、なかったようですな。単なる個人の抗議行動です。しかし例えば、この「会社員」の友人が雑談の中で「監視社会に対する反感」を共有していた場合に、その友人も取っ捕まえることが出来るのが「共謀罪」です。「反感」の「単純所持」が犯罪を構成するのです。ある種の感情や思想を抱くことを「犯罪」とみなすことこそ、もし可能であれば究極の「監視社会」ですが、「児童ポルノ」の「単純所持」への処罰規定は、ある種の性的嗜好そのものを「犯罪」と見なす意味で「共謀罪」のひとつの特徴を先取りしようとしています。そこで教訓は「いたずら」は一人でやるに限るということです。
posted by 珍風 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

親分は反抗する 子分も反攻する 気分は労働者

株式会社セブン-イレブン・ジャパンに対する排除措置命令に関して、マスゴミ各社ではこれを「捨てられる弁当がもったいない」というような問題として報道しているようです。たしかにそりゃもったいないかも知れませんが、売れ残った弁当は道端で暮らしているような人たちに配ってしまっても構わないわけです。商人ならともかく、マスゴミまで「売れ残り=廃棄」だと考えているようでは、遠からず「廃棄」処分の対象となることでしょう。

しかしながらこの点は、セブン-イレブンの営業方針に関わって来ます。同社のいう通り、それは「お客様にとって欲しい時に、欲しい商品が、欲しいだけある状態を維持する」というなんだかとってもコンビニエンスなものなのですが、これは「お客様にとって欲しい時」というのが販売可能な時期の終了間際であっても、それがどの商品であっても「欲しいだけある」、といっても無限においておくわけにはいきませんが、相当量の在庫がある状態を「維持する」ということです。

これはまあ、具体的には棚在庫を常に切らさないというようなことになるんでしょう。したがってある商品の「廃棄」数量は、その商品の規定された棚在庫数量と同一になるはずであり、常にそれだけの「廃棄」が出ることになります。これはセブン-イレブンのビジネスモデルの本質であって、加盟店側ではこれを変更することは出来ません。したがって「廃棄ロス」を減らす努力を加盟店に求めることが出来るとすれば、それは上記の標準廃棄量を上回る部分に限られるのであって、「加盟店の仕入れが多すぎるから廃棄が出る」などと言っているような人も「廃棄」対象です。

加盟店にとっては捨てる弁当の行方や「見切り」よりも「廃棄」そのものによって生じる「廃棄ロス」が、強制された損害として経営を圧迫していることが問題だったわけで、この点については当の株式会社セブン-イレブン・ジャパンの方がより理解しているとしても、それは当然です。

2009年6月23日
報道各位
株式会社セブン-イレブン・ジャパン

加盟店様をバックアップする新たな支援策について
加盟店様における廃棄ロス原価の15%を本部が負担いたします

株式会社セブン-イレブン・ジャパンは、厳しい経営環境を加盟店様と本部が一体となって乗り越えるべく、本部による新しい加盟店様支援策として、2009年7月度より、各加盟店様における廃棄ロス原価の15%を本部が負担することを、本日決定いたしました。

        記

1. 支援策の概要
◇ 各加盟店様における廃棄ロス(食品廃棄)原価の一部を本部が負担

2. 実施時期
◇ 2009年7月度より

3. 本部負担の割合
◇ 廃棄ロス原価の15%

以上


もちろんこれは「見切り」が行なわれることを防止するためにやるんですが、今まで損害を加盟店に押し付けておいて「支援」とはいい気なものですし、フランチャイズチャージ率に比べてだいぶ少ないようですが、逼迫した加盟店にとってはないよりもマシなのかも知れませんし、焼け石に水なのかも知れませんが、一定の譲歩を引き出したことはたしかです。この負担割合は今後より上昇させる余地が十分に存在するでしょう。

この「支援策」の導入が図られたウラには、セブン-イレブン・ジャパンとしては「見切り」は認めないゾ、という従来の姿勢を変更するつもりはさらさらないのが分ります。ということは販売価格に関する支配権を手放さないということですし、構造的に「廃棄ロス」を発生させる営業方針を変更する予定もなければ、各加盟店の仕入れ量、各時点における在庫量についての支配権も保持するつもりであるということになります。

したがって公取委も「加盟店に与える不利益を軽減させる効果はあるだろう」としながらも「命令で命じた内容とは直接的には対応しない」と言っています。要するにセブン-イレブン・ジャパンは直接関係ないことをやって誤摩化そうとしているというわけです。そりゃそうで、こんな「支援策」をやるんだったら話しが公取委に行く前にやっておけば大事にはならなかったんですが、脅し上げれば黙るだろうというヤクザな気分の対応でやってきたのが運の尽き。

オオゴトになってからこんなケチな対応をしてくるのもイカニモですが、個人に対してはヤクザな応対をしてみたり、本当にヤクザが出て来たりするのが企業というものです。井坂さんはスミこそ入っていませんが、いや入っているのかどうか僕は知りませんが、強きを助け弱きを挫く、利のためには命も惜しまない太くて立派な親分さんです。命って、他の人のですが。

親分さんが「優越的地位」を維持しようとしているので、子分、てゆうか組員、じゃなかった加盟店はセブン-イレブン・ジャパンの指揮命令下にいることになります。井坂さんが「彼奴を殺れ」と言ったら直ちに飛んでゆかなければなりません。さすがにそんなことは言いませんが、いや言わないと思うんですが、しかしフランチャイズ契約においては甲だの乙だのは対等の独立した事業者であることになっているにも関わらず、本部としては加盟店を本部の方針に従わせなければメリットがないようです。

コンビニFCの「ビジネスモデル」というのは、要するにフランチャイジーを雇用関係と同じような指揮命令下に置きながら、リスクを全面的にこれに負担させ、尚かつ使用者としての責任を回避するというスグレものなのです。公取委の命令はフランチャイザーを保護する立場から出されていることに注意すべきです。セブン-イレブン・ジャパンがこの「親心」を理解せずにグレるのであれば、事は公取委が心配している通りに「労働問題」になる可能性があるので、そうすべきでしょう。「環境」とか「もったいない」はそういうことを隠すために出てくるんだったらすっこんで肥溜めでも浚っていやがれ。
posted by 珍風 at 11:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

自民党は東国原総裁に命を捧げよ

橋下知事:東国原知事出馬の条件「しゃれとしか思えない」

 大阪府の橋下徹知事は23日、宮崎県の東国原英夫知事が自民党の古賀誠選対委員長からの衆院選出馬要請に「次期総裁候補なら」との条件を付けたことについて「本当に言ったんですか? しゃれとしか思えない」と笑い飛ばした。大阪市内で報道陣に答えた。
 橋下知事のパーティーに東国原知事が駆けつけるなど両知事は親密。「断る理由として言ったとしか考えられない。公認をもらうのも大変なのに、いきなり総裁選とは」と語った。
 一方、自身の国政転出の可能性に関しては「国会議員になれという府民からの期待は皆無。自民党も公明党も僕が国会議員に向かないと知っている」と否定した。【稲垣淳】

2009年6月23日 毎日新聞


橋下さんは「国会議員に向かない」なんて謙遜なさってるようですが、全く心配ありません。国会議員の大半は国会議員に向いていません。特に自民党はほとんどの議員は最初から適性がないようですし、公明党に至っては党そのものが国会に向きません。

橋下さんによれば初代そのまんま東さんの発言は「しゃれ」なんだそうですが、県知事だって「しゃれ」でやっているとしか思えませんから、それはそうなんでしょう。「しゃれ」ですから退職金が半分になっても痛くも痒くもありませんが、それでも2000万円くらいは頂こうってんですから流石であります。もっとも任期の半分くらいでほっぽり出しちゃおうという話しであれば半額でも当然なんですが。

もちろん、おとなしく田舎の知事におさまっているつもりなどないでしょう。「いつの日か『東征』を」とか言ったそうですが、概ねいつの日でも盛んに「東征」を敢行してTVに出まくっております。いくらなんでもそろそろ見飽きたのでもう勘弁してもらいたいところですが、なんといっても全国に自分を売り込むために知事になったのですから、本来の目的を見失わない点は立派なものです。

自民党内には「しゃれ」が分らない人もいるようですが、何か自分たちがよっぽどエラい人だとでも思っていたのでしょうか。残念ながら自民党はその程度なのです。だいたい東さんに出馬要請に行ったというだけでレベルの低さが露呈してしまっているんですから手のつけようがありません。全部黙って内緒でやれば良かったのかもしれませんが、このテの下らない騒ぎで周囲の関心を惹こうとするのが自民党の真髄ですからこれで良いのです。これでも「メディアジャック」とか言えば大人の人がやることのように聞こえるではありませんか。

しかしこれはまあチャンスといえばチャンスです。自民党の動きは歓迎すべきものです。遠慮は要らないから大阪府や千葉県や東京都のノータレン共にもどんどん声をかけていただきたいものです。知事を辞めさせるまでは自民党でやってくれます。自民党は珍しく国民のために働いてくれるのです。あとは自民党の命運を賭けて連中を立候補させることになります。選挙で落とすのは国民の仕事ですが、自民党にとっては負けてもノータレン共の働きが悪かったせいにすれば良いのですから気が楽です。八方丸くおさまるとはこのことです。まかり間違って東さんが総裁にでもなれば自民党は再起不能です。ブームは次の国政選挙まで続かないでしょう。「人気」首長の国政進出万歳。みんなで東さんに声援を送りましょう。声援だけ。
posted by 珍風 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

子分親分エロ気分

定価販売は正当=「多数の加盟店値引き反対」−セブンイレブン

 弁当などの値引き制限について公正取引委員会から排除措置命令を受けたセブン−イレブン・ジャパン(東京)は22日、都内の本社で井阪隆一社長らによる記者会見を開いた。値引きマニュアル作成などを求める命令に対して井阪社長は、弁護士らの意見を踏まえ「中身を精査した上で受け入れるか受け入れないかを含め検討する」と述べた。
 会見で同社長は「命令を受けた事実、指摘を受けたことは真摯(しんし)に受け止める」としながらも、値引きの弊害などを強調。「多くの加盟店が値引きに反対している」とも述べ、定価販売を促す正当性を訴えた。
 また、本部の一部担当者に加盟店指導の「行き過ぎがあった」ことは認めた。しかし、商品の値引きが広がれば、同じ商品でありながら価格が違う物が混在してブランドイメージが崩れる上、価格競争も激化すると指摘。さらに、「本部が加盟店より優越的地位にある」とした公取委の判断に対しても「あくまで対等だ」とし、否定的な見解を示した。

2009年6月22日 時事


セブン-イレブン・ジャパンの「公正取引委員会からの排除措置命令に関する弊社見解について」という文書によれば、同社は一般的な「見切り」販売の存在そのものを否定しているようで、あたかも以下のような特異な例をもって加盟店側の求める「値引き」であるかの如き主張を行っています。

弊社のOFCらが、加盟店様に対して、見切り販売を制限したと認定された事例の中には、以下のような事例も含まれているのではないかと考えております。
@ デイリー商品が売れ残った場合、これを1円や10円に値下げして、加盟店様自らが購入するという事例
Aお客様を呼び込むために、あらかじめ見切り販売を行うことを前提として大量の発注を行い、毎日特定の時間に繰り返して見切り販売を行うような事例


そして「上記のような正常な商慣習に照らし合わせ合理的な行為といえない事例について、これを認めないとする書面を内容証明郵便で送付した」としています。

しかしながらAについては、集客増加を目的とした値引きを前提としていても、グロスで適正な粗利率を確保していれば「正常な商習慣に照らし合わせ合理的な行為」であるといえます。勿論このような場合、「適正な粗利率」がどの程度であるかは小売店の判断による決定権があるでしょう。

@は「正常な商慣習に照らし合わせ合理的な行為といえない」かも知れませんが、このようなことが行われるのはセブン-イレブン・ジャパンとの加盟店契約に「正常な商慣習」とはいい難い内容が含まれているのが直接の原因であり、加盟店が経営を防衛するために行う「合理的」な判断であるといえるでしょう。

もっともいかなる理由にせよ「見切り販売を制限」し、「これを認めないとする書面を内容証明郵便で送付」したりするのは明らかに本部における「地位の優位性」に基づく行為であって、同社が主張するような「対等な立場」が存在しないことを示しています。またこの「優位性」の存在によって、同社が主張するところの「多くの加盟店オーナー様から、見切り販売に対し反対の意見」の存在も本当に加盟店の意見であるとは考えられず、著しく信憑性を欠くものです。

なお、同文書では見切り販売によって「ディスカウントストアやスーパー等との価格競争・値下げ競争に巻き込まれる可能性」があり、「中長期的に加盟店様の利益にはなりません」としていますが、セブン-イレブン・ジャパンでは見切りによらずとも既にそのような「価格競争」に巻き込まれています。

セブン-イレブンなど/メーカー食品、クーポン利用で10円〜50円引き

セブン-イレブンとイトーヨーカ堂グループは、6月22日〜7月10日、日本国内の有名ブランド食品フェアを開催する。
目当ての商品のネットクーポンをネットダウンロードして印刷。レジでの清算時に利用できる。商品によって、10円〜50円引きとなる。
クーポンは、セブン-イレブン、イトーヨーカドー、ヨークベニマル、ヨークマート、ザ・ガーデン自由が丘で利用できる。

2009年6月22日 流通ニュース


もっともこの「クーポン」による値引き分は営業費として処理されるはずですから、セブン-イレブン・ジャパン本部のチャージには影響がなく、100%加盟店側の負担となります。つまり「加盟店様の利益」だけが損なわれる場合には、同社としては「価格競争」による値引きをむしろ積極的に加盟店に押し付けるようです。

コンビニエンスストアにおけるフランチャイズ契約の問題、要するに上記@のような「正常な商慣習に照らし合わせ合理的な行為といえない事例」を発生させる土壌は、デイリー商品の廃棄ロスを「クーポン」や「商品券」同様に営業費として加盟店側に負担させる「商習慣」にあります。この点について同社は「廃棄ロスを加盟店様が負担することとしているのは、どの商品をいくつ発注するかの決定権が加盟店様にあることと密接に関係しております。」などと、今さら指摘されるまでもない当然の事柄を引き合いに出してケムに巻こうとしています。

わざわざ言われるまでもなく直営チェーンではない独立した小売業である加盟店は、普通の小売店同様に「どの商品をいくつ発注するかの決定権」が当然に存在します。通常の場合であれば商品を廃棄した場合、売上原価率が上がって粗利率が下がることになります。もっとも小売業による果実は粗利益から営業費等を差し引いたものになるはずでありますから同じことに見えるのですが、セブン-イレブン・ジャパンは粗利益からチャージ収入を得ているため、本来売上原価に含まれるべき廃棄ロスを営業費に転嫁することによってリスクを全面的に加盟店側に負担させています。これは営業による果実を対等に分け合うどころではなく、横から手を出してかすめ取り、ふんだくるような仕組みであって、同社が言うような「強固な協力関係によって共存共栄を目指す」ものであるとは考え難い状態です。

これは同社の運営方針が「お客様にとって欲しい時に、欲しい商品が、欲しいだけある状態を維持する」ことであるためで、同社としても「廃棄ロスを最小限にする」とはしているものの「廃棄ロスをゼロにする」とはいくらセブン-イレブン・ジャパンでも口が裂けてもいえないシステムなのです。つまり「最小限」であっても「廃棄ロス」の負担は確実に存在し、それは全額加盟店に押し付けられるのです。

この契約では見切り価格=原価であっても本部チャージ額は廃棄した場合と変わりません。しかし見切り価格が原価を割る場合、加盟店にとってはそれでも少しでも売上にした方がマシなんですが、本部にとっては廃棄した方が利益になるようになっています。じゃあ見切り価格が原価を下回らないように加盟店側で気をつけることにすれば良いのですが、驚いたことにセブン-イレブン・ジャパンの加盟店は商品の仕入単価を知らないんだそうです。これでは気をつけようにも気のつけ方がありませんが、本部ではこれを知られたくないようです。究極的にはこれが見切りを認めようとしない理由なんでしょう。

セブン-イレブン・ジャパンではこのようなシステムを背景に、全くもって無駄としかいいようのない下らない商品を加盟店に押し付けます。千葉県における例については「千葉県の情報発信ブログ」に譲りますが。

http://ch10670.kitaguni.tv/e1143413.html
http://ch10670.kitaguni.tv/e1092046.html
http://ch10670.kitaguni.tv/e993906.html

「譲った」のであって「押し付けた」わけではありませんが、「女子大生」ともども食欲をそそらない商品であります。ところがセブン−イレブンでは今月も静岡県では静岡県立大食品栄養科学部の市川陽子准教授のゼミ生(伊藤望さん21歳他4名)が考案した「野菜っていいら!しぞーか弁当」を、栃木県宇都宮市では宇都宮文星短大地域総合文化学科の(男子を含む。ケッ)18人の学生と共同開発の「とちぎ健康づくり応援弁当」を、宇都宮市以外の栃木県では佐野短期大の学生(女子!)による「とちぎ娘が作ったうまいもの弁当」を、いずれも相も変わらず580円という高価格で販売中ということなので呆れてしまいます。

実際このご時世に580円は、いくら「女子大生」でもオジサンの手は出ませんし、男が混じってるんなら尚更です。安くなったら買うかも知れませんが、これは「買い控え」ではなくてお金がないだけなのですからセブン-イレブン・ジャパンはビンボー人にヘンな言い掛かりをつけるのは止めにしてもらいたいものです。そういえば千葉県の「栄養士のタマゴが考えた食育弁当」だが、森田健作に喰わせてマスゴミに取材させた以上は、どの弁当を何個生産して幾つ売れてどのくらい廃棄したのかきちんと公表してもらいたいものです。そんなことしちゃ女の子がカワイソウか。オジサンが慰めてあげよう。でも女子大生の写真付き弁当って、「ブルセラ商法」ですよね。下半身を直撃です。お腹壊さないように気をつけよう。
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2009年06月22日

そんなくだらないことをするのは栄光に違いない

「生徒なし授業」の中止申し立て  埼玉の教諭、退職強要と

 生徒のいない教室で「模擬授業」をさせられ退職を強要されたとして、埼玉県杉戸町の私立昌平高校に勤務する今村寛教諭(49)=同県鷲宮町=が18日、高校を運営する学校法人「昌平学園」を相手取り、さいたま地裁越谷支部に、模擬授業の中止などを求める仮処分を申し立てた。
 申立書によると、学校側は4月から、国語担当の今村教諭を通常の授業から外し、特別研修と称する模擬授業を実施。今村教諭は副教頭らが在室する中で50分間、「授業を始めます」「教科書を読んでください」などと発声し授業のまね事をした。
 記者会見した今村教諭は「2カ月以上、一人芝居をやってきて教師を辞めたいと思ったこともある」と話した。今村教諭は1985年から同校に勤務している。
 弁護士によると、この2年間で昌平高校の教職員計75人が退職した。同校によると、大手学習塾「栄光ゼミナール」を運営する法人の社長が昨年6月、昌平学園理事長に就任した。
 同学園は「模擬授業は教諭のスキルアップのため」などと説明している。

2009年6月18日 共同


今村さんは「授業力確認テスト」が200点満点で112点、生徒による「授業アンケート」の結果が平均点より1点少なかったので「特別研修」を命じられたようです。この「特別研修」は今年の4月から1年間にわたって行われる予定だったわけですが、「模擬授業」が週7回、ということですから1日に1回か2回あるわけです。これは管理職の前で行われるそうですが、「スキルアップ」のためにどのような指導が行われているのかよく分かりません。「副教頭」がそれを行うのでしょうか。てゆうか教諭を指導する人の「授業力」がどのように「確認」されているのか定かではありません。

しかし指導対象者からの「アンケート」の結果はあまり芳しくないようです。授業に復帰することなく退職した例が2年間で75人というのがその結果です。75人というと普通の高等学校1校分の教職員数かそれよりもちょっと多いくらいです。普通に考えればこれは失敗に他なりませんから、現在も「研修」を継続しているのは不自然です。小池仁校長がよっぽど怠慢か低能であれば別ですが。もっともこの大量退職こそが「研修」の目的であるとすれば、未だに「研修」が行われているという事態も納得出来ますし、「授業力の指導力」がどうなっているのか不明確なのも当然です。「研修」の中で小池校長が「あなたが教師をするのは社会全体の不幸」と言ったそうですが、この発言も目的に適った極めて合理的なものであると評価出来ます。

この高校、元は福岡県にある東和大学の付属高校だったのですが、この本体の大学が経営難である模様で来年には廃校になります。福岡県内に短大と高校と中学、なぜか埼玉県内にも短大と高校があったんですが、福岡の中学は廃校予定であり、埼玉の高校も処分することになりまして、2007年に株式会社栄光に譲渡されました。その高校というのがこの昌平高校です。

株式会社栄光というのはかの有名な栄光ゼミナール、電車のドア上額面の何だかエラそうな上から目線のコピーの字数が年を追うごとに減少していくというアルジャーノン状態に陥った学習塾をやっている会社です。つまり塾が学校を経営してしまっているわけです。てゆうか気分はもう進学塾です。現在の昌平高等学校のHPに掲げられているキャッチフレーズはなんと「現役合格主義」です。

まあ、大学進学が目的であれば高校に行かずに予備校だけ行っていれば良いという考えもありますが、そうはいっても高校であることは間違いないんですから、この学校に通っても「高校に行かない利点」というものはありません。しかし完全に進学塾化してしまおうというこの学校には「高校に行く利点」というものもありません。

教職員にしても進学塾の従業員とは業務内容がだいぶ異なります。学校には授業以外にもクラブ活動とか余計な仕事が一杯あるんですし、それがまた「余計」とは言い切れないところに学校の妙味があったりもするのですが、そのような状況で塾と同様の仕事をすることはちょっと困難でしょう。

今村さんの場合はどうも野球部、ソフトテニス部、軽音楽部の指導や生徒会、文化祭の指導、同窓会などを通じた地域交流などの、いわば「余計」というか「妙味」というような部分で尽力して来た人で、要するに株式会社栄光の経営方針とは真っ向から対立するような教師生活であったといえるでしょう。事実、栄光はこの高校に乗り込むや直ちに今村さんに寮の夜勤管理を命じ、授業から外しています。これが既に退職強要の第1段階でしょう。今村さんはそれでも参らなかったので「特別研修」の対象とされたわけです。

株式会社栄光の措置は今村さんを退職に追い込もうとするものであることは明白で、城川雅士教頭が「サービス向上のために教える技術を高めることが大切だが、負担に感じて退職した先生は確かにいた。研修は退職強要ではない」としているのはウソでしょう。しかしながら一歩譲って城川さんが「サービス向上」を真剣に考えていたとしても、塾と学校では「サービス」の内容も違うはずであり、そのへんを株式会社栄光が理解しているかどうかもアヤシイものであるといえるでしょう。すくなくとも広告を見る限り、この会社は求められるサービスを提供するよりも自分でサービスだと思い込んでいる商品を顧客に押し付けるような体質が感じられます。

実際に卒業生や在校生が今村さんを応援しているようですから、栄光は顧客ニーズとのギャップが存在することを真剣に考慮すべきではないか。このようにして退職に追い込まれた教員が公立学校で採用された例もあると聞きますが、一方でその穴埋めに採用されているのは大層ご立派な先生方であるようです。

「指導」で生徒ら丸刈り、写真を年賀状に 高校側が謝罪

 埼玉県杉戸町にある私立昌平高校(小池仁校長)の1年生のクラス担任が「生徒指導だ」として一部の男子生徒の頭を丸刈りにする際、「2009・元旦 うし」という年始のあいさつになるように髪を切ったうえで写真を撮り、年賀状にしていたことが分かった。実際に、クラスの全員あてに年賀状として送っていた。
 担任は30代の男性。期末試験でカンニングしたことへの指導だったというが、保護者は「子どもが悪いことをしたとしても、ひどすぎる」と批判。高校側は今月になって生徒に謝罪した。
 高校側によると、昨年12月の期末試験で、男子生徒11人のカンニングが発覚。指導として丸刈りにして反省を促したという。その際、9人についてはまず、それぞれの髪を「2」「0」「0」「9」「・」「元」「旦」「う」「し」の1字になるように切った。その後、教室内で、各自の頭に描かれた数字や文字がよく見えるように前かがみにさせた。さらに前後2列に並ばせ、「2009・元旦」「うし」というメッセージにして撮影。最後に、生徒たちの頭をすべて丸めて帰宅させ、5日間の謹慎処分とした。
 教諭は写真を年賀状としてプリントし、クラス40人全員の自宅に送ったという。「昨年の反省を元に今年は飛躍します。○○○(担任の名字)の逆襲」との添え書きもあった。受け取った生徒の一人は「年賀状にして送るとは聞いたが、まさか本当とは思わず、びっくりした」と言っている。
 昌平高を経営する学校法人昌平学園の法人本部事務局は「教諭は反省しているものの配慮が足りなかった」として処分を検討中という。

2009年3月18日 朝日新聞


この記事を読むと「くだらない」とか「バカじゃね?」とか思うかも知れませんが、それはきっと朝日新聞が「偏向」しているからなんだそうです。しかし「偏向」していない産經新聞によれば事態はもっと嘆かわしいものです。

カンニングの罰で生徒の髪を「元旦 うし」と刈って記念撮影 埼玉

 埼玉県杉戸町の私立昌平高校(小池仁校長)で、1年生のクラス担任の男性教諭が男子生徒9人の髪を「2009・元旦 うし」と刈り、並ばせて写真撮影していたことが分かった。担任は写真を年賀状にプリントして使用していた。保護者は学校に抗議、担任や校長はクラスの生徒に謝罪した。
 同校によると、髪を刈られたのは平成20年12月の期末試験でカンニングをして謹慎処分になった11人のうちの9人。
 カンニングが発覚したことを受け、担任は反省の意味から丸刈りになった。さらに、謹慎処分が明けて登校した9人にも「丸刈りをしないか」と誘い、9人とも応じた。
 担任は「2009・元旦 うし」の1字分になるように1人1人の髪を刈り、教室に並ばせて写真を撮影。写真を年賀状にしてプリントしてクラス40人全員の自宅に送った。年賀状には「昨年の反省を元に今年は飛躍します。◯◯◯(男性教諭の名字)の逆襲」との添え書きをしていた。
 昌平高校を経営する学校法人昇平学園の城川雅士法人本部事務局長は「あってはならないこと」として、男性教諭を処分する方針。

2009年3月18日 産經新聞


なんと先生、自分から丸刈りになっちゃったようです。でまあ、みんなでアタマを刈って、それだけじゃつまんないから文字の形にして、並んで写真を撮ろう。ここまではほのぼのとウスラバカの香りが漂ういい話しではあります。しかしこういうオフザケはラブホで撮った剃毛写真同様、その場に留めておくのが賢明です。これをクラス全員に郵送するとなるとウスラバカも本格的なバカになって来ます。「30代」という年齢もちょっとどうかと思われます。20代だったらまあ「しょーがねえな」というくらいのことなんですけどねえ。

教職員が丸ごと入れ替わる程の状況の中では、このような行為は慎みたいものです。おそらく穴埋めに採用されたこの先生は教職員間のそのような緊張感を感じることが出来ず、極めて気軽にバカをやったものと思われますが、いわんこっちゃないタレコミか何か知りませんが明るみに出てしまいました。その背後にある問題状況が明らかになったのが今村さんの仮処分申し立てだったんでしょう。

学校と塾とではたしかにマーケットは重なっているんですが、それだけに求められるものは全く異なります。教職員は「学校」の「サービス」を提供するように訓練され、それで生徒のニーズを満たしていると考えているのですが、栄光は「塾」のそれを求めており、「塾」において満たされるニーズで十分だと考えているようです。しかし栄光が電車の広告で指摘しているように、学校では「絶対評価」で塾では「相対評価」であるとすれば、学校経営に参入する場合には、塾とは180度異なったアプローチが必要とされることを認めるべきでしょう。しかしながら一般的に学校経営に参入する経営者は自分の考えが正しいことを証明するためにやって来る場合が多いのですから、ロクなことにならない道理です。どうでもいいですが来年の年賀状は「虎刈り」で決まりですね。続きもあるでよ。
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2009年06月19日

だから脳は死んでるんだって

臓器移植法改正案:衆院可決 一歩前進、時期尚早 一人でも多くの子救って

 ◇提供側の苦悩知って
 臓器移植法改正案A案が18日衆院で可決され、現行では禁止されている15歳未満からの臓器提供へ向けて進み始めた。移植を待つ子を抱える家族や支援グループは「参院でも可決して」と期待を寄せるが「時期尚早」との声も出ており、A案可決は複雑な波紋を広げている。【内藤陽、金子淳、田中裕之】
 「長かったね」。NPO法人「日本移植支援協会」北海道支部長の斉野亮介さん(35)=札幌市豊平区在住=と妻の真由美さん(39)は長女朱里(あかり)ちゃんの遺影がある仏壇に手を合わせた。朱里ちゃんは生まれつき重度の心臓病などを抱えていた。国内で心肺同時移植ができないため渡米したものの「移植適応外」で移植できずに、00年2月に1歳で他界した。
 その後、道内で臓器移植のため、海外渡航した子どもは少なくともほかに2人いるといい、斉野さんは「海外渡航は本当の最後の手段。わが子を救うため、わらにもすがる気持ちです。(A案可決は)一歩前進。一人でも多くの子どもの命を助けてほしい」と期待する。
 十勝管内豊頃町出身の自衛官、山保幸己(さんぽこうき)さん(32)=横浜市在住=の長男一己(いっき)ちゃん(1)は5月23日、米カリフォルニア州の病院で心臓移植手術をした。手術費用の不足分は募金で集め、4月15日に渡米したが、手術までに時間がかかり、体力が低下したことなどから、術後の状態は安定していないという。
 豊頃町在住の祖父の登さん(57)は「国内で早く移植できれば、一己にも周りにもこんなに負担が増えることはなかった。いろいろな議論があると思うが、A案が通れば喜ばしい」と話す。
 一方「北海道交通事故被害者の会」代表の前田敏章さん(60)は「臓器の提供を受ける側の立場ばかりクローズアップされ、提供する側の苦しみが見逃されている」と批判する。
 A案では、本人が生前に拒否していない限り年齢にかかわらず家族の同意で臓器提供が可能とされるが、前田さんは「家族は、臓器提供に同意しても断っても『これで良かったのか』と悔やむ。臓器提供するか聞くこと自体が非情。もっと議論する必要がある。参院は良識の府として廃案にしてほしい」と訴えた。
 北海道大学病院で臓器移植手術を担当する古川博之教授は「子どもの臓器移植にも道を開くというが、親の同意が必要ですぐに子どもの臓器移植が進むかは難しい」と指摘する。

 ◇推進と反対、両派が会見−−東京
 脳死を人の死とする臓器移植法改正案A案が衆院で可決されたのを受け、A案の推進派、反対派がそれぞれ東京都内で記者会見した。
 「(議員が投票する)札一つずつが、子どもの命のように見えた」。拡張型心筋症のため昨年12月に1歳4カ月で亡くなった一人息子、聡太郎ちゃんの遺影を手に国会で傍聴した中沢奈美枝さん(34)は、推進派の会見でそう振り返った。「聡太郎のことと同時に、脳死になった子の親御さんの気持ちが頭に浮かんで。母として同じ気持ちだと思う」と、涙を浮かべて話した。そして「救える命を救い、どんな立場の人もきちんと医療を受けたと納得できる制度が生まれてほしい」と話した。
 「胆道閉鎖症の子どもを守る会」の竹内公一代表も「一緒に活動をしてきた仲間が、推進派と反対派に分かれてしまった。悲しくつらいが、いつか分かり合えると信じたい」と複雑な表情で語った。
 一方、反対派の会見で、東京都大田区の中村暁美さん(45)は「脳死の子は死んでいない」と体を震わせ訴えた。娘有里(ゆり)ちゃんは2歳8カ月の時、原因不明の急性脳症で「臨床的脳死」と診断された。中村さんは「亡くなるまでの1年9カ月間、温かく成長する体があり、娘を一度も死んだと思わなかった。今回の可決は心外」と怒りをあらわにした。
 「臓器移植法改悪に反対する市民ネットワーク」事務局の川見公子さんは「参議院の良識に期待し、A案が弱い人の命を奪わないよう今後も頑張りたい」と強調した。【奥野敦史、河内敏康】

 ◇脳死8年…身長伸び状態安定
 「A案が成立すると、うちの子どものような生き方が認められなくなるのではないか」。長男みづほ君(9)が「長期脳死」の女性=関東在住=は、A案の大差での可決を知り、肩を落とした。
 みづほ君は00年、1歳のとき、原因不明のけいれんをきっかけに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認できなくなった。旧厚生省研究班がまとめた小児脳死判定基準の5項目のうち、人工呼吸器を外して自発呼吸がないことを確かめる「無呼吸テスト」以外はすべて満たした。
 それから8年、人工呼吸器をつけて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増えた。
 「今後も移植が必要な人は、どんどん増えるだろう。さらに臓器が足りなくなれば、死の線引きが変わり、私たちの方へ近寄ってくるかもしれない」と不安を口にする。
 みづほ君は、以前は入退院を繰り返すこともあったが、この1年間、状態は安定している。
 女性は「この子は『延命』しているのではない。こういう『生き方』をしている。参院の審議と判断に期待したい」と話した。【大場あい】

2009年6月19日 毎日新聞


みずほ君の場合は大脳の機能は停止していると見られますが、脳幹は生きているようですから「植物状態」であって「脳死」ではないような気がします。改正案が成立したからといってイキナリ「心臓抜き」を持った白衣の人たちの一団がやって来て泣き叫ぶ家族の抗議を尻目に何でも必要なものを、血まみれの「部品」を引きずり出して持って行くというわけではないのですが、ここんちのお母さんが「私たちの方へ近寄ってくるかもしれない」と心配しているのは、臓器移植というものが置かれている状況をよく表現しているといえるでしょう。

臓器移植はそれを必要とする患者と臓器を「提供」しようとするドナーとの「意志の一致」というような美しい物語を必要としています。もっとも「物語」だからといって別段「ウソ」というわけではありません。それはいわゆるひとつの「理想」のようなものです。しかし実際には臓器移植には「美しい物語」の背後に、脳死状態に陥るリスクと移植医療にアクセスする可能性に関する経済的な問題があります。どうもやはり金持ちがビンボー人の臓器を取り上げて来ることになるようです。保険適用でも自己負担額は月当たり10〜20万だとされています(2007年3月2日  読売新聞)が、月に20万も支払って、そのうえご飯を食べられる人はそんなに沢山いるわけではありません。「健康を得ること、生存することは憲法で保障された権利であり、何人もこれを侵すことはできない。したがって、そのための治療を選択・希望することは個人の自由に属し、尊重されるべきである。」(臓器移植批判に対する反論集http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_4/qa.html)のは確かですが、そういう気の効いたことをヌカすのは全ての医療が無償で提供されるようになってからでも遅くはないようです。

しかしながら現状ではドナー本人の意思表示が必要とされていることによってこの「物語」はかろうじて維持されているかのようです。問題はこれによって臓器が足りないこと、そしてそもそも「意志」の主体と見なすことが困難とされている年少者の臓器が全く手に入らないことです。改正案はこの問題をずいぶんと思い切った仕方でクリアしてしまおうというもののようですが、それにしては「思い切り」が足りないようで、それがまた新たな問題を引き起こそうとしているようです。

例えば本人の拒否がない限り家族の同意によって移植が可能ですが、古川教授は家族の同意が得られないことを心配していますし、逆に家族の方ではそんな判断を迫ることが「非情」だと訴えます。このような状況で考えられるのは、移植医療に熱心な医師のいる病院では家族に相当な圧力がかかるのではないか、そして逆にあまり移植に関心のない病院の場合は「家族の同意」の確認など最初から行わない、という極分化した対応が行われる可能性です。甚だしい場合は「臓器を取られる」覚悟でないと特定の病院にはかかれない、ということにもなって来るでしょう。

ここで「割り切って」しまって、脳死の場合は誰にも断らずにどんどん臓器を引っこ抜いて使って構わない、ということにすると医療従事者の負担が減りますし、家族に心理的葛藤を経験させずに済みます。しかしながらそんなことをすると家族からの抗議がなされる場合が当然想定されますし、異議申し立てを織り込んだ制度設計なんてしないものです。

この異議申し立ての可能性は移植医療に関する経済的不均衡が解決されることによってある程度減るものと考えられますが、全くなくなるものとは考えられません。これは要するに「生死観」に関わる問題なんでしょうが、何よりも「身体観」の問題であるようです。中村さんちの有里ちゃんは「亡くなるまでの1年9カ月間、温かく成長する体があり、娘を一度も死んだと思わなかった」そうです。脳死においても身体的統合は保たれているのですが、そういうものを人は「死んだ」とは考えにくいものなのです。

もちろんこのような場合、「有里ちゃん」は何も感じず、なにも考えず、夢見ることもないわけですから人格的統合としては既に失われてしまっているのですが、身体はそこに存在し、体温があってあまつさえ成長さえするのです。それは「有里ちゃん」ではなくなっているかも知れませんが、「有里ちゃん」の「格好をした」ものであることは間違いありません。それを「有里ちゃん」ではないと思え、というのは難しい相談です。おそらくこれは回復可能性とは無関係です。

というのも人間は「人間の格好をしたもの」と関係しているからでしょう。「人間関係」とは「人型の対象」との関係に他なりません。つまり別段「割り切ら」なくても、それは「カラダの関係」なのです。例えばヘンな話、人を射殺する練習をするのには丸い標的ではダメで、人型の、近年では等身大の写真を使わなくてはなりません。いくら的に弾を当てる練習をしていても、「人型の対象」が目の前に出て来ると撃てなくなるものなのです。標的だろうが写真だろうが人間は「人型の対象」に共感するようなことになっているようです。

したがって家族が「死」を受容するには、意識や人格よりも身体の生命徴候の消失が重要です。もっと言えば身体的統合の崩壊、てゆうか崩壊しちゃうと色々と問題が出て来ますからその徴候くらいで良いでしょうが、その段階が必要とされます。まあ要するに心電図をモニターしてるとわかるわけだ。徐々に弱くなって、突然数回続けて早い心拍があって、次いで完全に止まるとかそういう心臓死の過程を目にすると、だいぶ納得がいくものです。脳死の場合はそういうプロセスがないので何だか死んだような気がしないわけで、そこから臓器を取り出すとなると、そのせいで「死んだ」ような気がする人もいるでしょう。

移植に関わる問題は臓器の血液循環なんで、心臓死してしまったら使えなくなるわけですが、心臓死しなければ家族が納得しないとすれば、一度心臓死させてしまい、直ちに人工心臓装置につないで強制的に循環を回復して臓器を維持するようなことも考えられるような気もしますが。3分くらいでやんなきゃダメなんだっけ?ちょっと無理なようだ。そうだとすれば移植を前提とした医師と患者家族との協議の中で脳死をもって個体の死として扱うことについて納得してもらうしかないでしょう。「法律でそうなってるから」というようなことでは「同意」は得られないでしょうから、実際にはそうするしかないのではないか。そういう交渉をする機会が増えることにはなりますが、この改正案が通ったからといって移植用臓器の供給が爆発的に改善される見込みはありません。どっちにしろこっちには回ってこないからいいけどさ。こんなんでよければ心臓くらい持ってけば。ついでに脳もどうだ。ちったあマシになるかもよ。
posted by 珍風 at 22:28| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

吉川クンもびっくり 森田新党で政界砕片

読売新聞は活字を大きくしてもまだ紙面が余るようで、例によってどうでもいい記事を書いてみたりするようですが、どう考えても紙の枚数を減らした方が得策です。読売の読者はベージ数なんて数えていないと思いますよ。

自民支持層に「麻生離れ」…過半数が「指導力不足」

 読売新聞社の緊急全国世論調査では、日本郵政社長人事を巡る麻生首相の対応が内閣支持率下落の引き金となり、足元の自民支持層でも「麻生離れ」が進んだことが鮮明になった。

 鳩山邦夫・前総務相の更迭と西川善文日本郵政社長の続投については、自民支持層に限ってみても、「更迭する必要はなかった」58%、「(続投は)納得できない」55%と、ともに過半数を占めた。「政府・与党内の混乱は首相の指導力が不足しているからだ」と思う人も56%を記録した。
 こうした不満を反映し、自民支持層の内閣支持率は63・4%と前回調査(5〜7日実施)の71・3%から7・9ポイント下がった。「麻生首相と鳩山民主党代表のどちらが首相にふさわしいか」で麻生氏を挙げた人は64%(前回72%)、鳩山氏は15%(同12%)となった。
 次期衆院選での民主党への政権交代について、自民支持層では「実現できる」は28%(同25%)に増え、「そうは思わない」は59%(同67%)に減った。政権交代をより現実的にとらえる人が増えている。
 「麻生離れ」は、連立を組む公明支持層でより強く表れた。前回は8割弱だった内閣支持率は5割弱まで減り、不支持率の4割強とほぼ並んだ。「党首力比較」で麻生首相と答えた人は前回の8割弱を大きく割り込む5割強で、鳩山代表は1割から2割強に増えた。
 自民党にとって深刻なのは次期衆院選への影響だ。
 比例選での投票先を見ると、自民支持層で自民党に投票すると答えた人は78%で8割を切った。民主支持層で民主党に投票すると答えた人は90%で、自民支持層が揺れているのは明らかだ。
 民主党は、衆院比例選での投票先で、昨年9月の麻生内閣発足以降最高となる42%を記録するなど、「代表交代効果」を維持している。ただ、衆院選後の望ましい政権の枠組みで、「民主党中心の政権」は27%(同20%)に大きく増やしたものの「政界再編による新しい枠組みの政権」31%(同34%)には届いていない。

2009年6月16日 読売新聞


単なる「麻生離れ」であればアホ太郎をどっかに捨てちゃえば良いわけです。すでに自民党ではそのつもりですから読売新聞なんかが心配してあげる必要はいささかもありません。なにしろどう見ても負けそうな「都議選」の「責任」が今から問われているのですから何も言うことはありません。アホ太郎は黙って口を曲げていれば静かな余生が過ごせるというものです。

この記事ではどういうワケだが「自民党支持層」の動向ばかりを追っています。全ての数字は「自民党支持層」のものであると考えて良いでしょう。たしかに「自民党支持層」のクセに「自民党に投票すると答えた人は78%で8割を切った」というのは重大な問題かも知れません。しかし投票もしないのに「支持している」という人も何だかわかりません。地元の自民党候補者に投票するからと言って「比例選」では別の党に投票するのでは「自民党支持」とはいえないかも知れません。それは単に候補者個人を支持しているだけではないのでしょうか。

しかしまあとにかく、これは実際に何を支持しているのかはともかくとして主観的には「自民党を支持している」と答えた人の数字です。もっとも最終パラグラフは巧妙です。「衆院比例選での投票先で、昨年9月の麻生内閣発足以降最高となる42%」というのは、母集団全体の中の「42%」なんですが、「衆院選後の望ましい政権の枠組みで、「民主党中心の政権」は27%(同20%)に大きく増やしたものの「政界再編による新しい枠組みの政権」31%(同34%)には届いていない」というのは「自民党支持層」の中での数字である可能性があります。

記事ではその辺りを曖昧にしていますので何ともいえませんが。しかしながら選択肢に「政界再編による新しい枠組みの政権」などという余計なものが存在するのは読売新聞ならではの個性的な世論調査であると言えるでしょう。そうまでして「自民党」を下野させたくないのがいかなる理由によるものなのか、ここには書いてありませんので何だか知りませんが、どうも「内閣支持率は63・4%」なんて書いてみたかったようなのです。

これはもちろん「自民党支持層」の数字であり、全体では読売の調査ですら22.9%であって、他の調査では20%を切ろうという勢いなのですから、いくら「自民支持層の」と書いてあったとしてもこれはティッシュギャルのティッシュタイムでしかありません。ギャルならともかく「自民党支持層」のオナニーなど見ても埒があきません。内閣支持率が63.4%なのも政界再編が31%なのも、全て「自民党支持者」の話しです。確かに「内閣支持率」も「政界再編」も前回よりも落としていることは分りましたが、それは全て「自民党支持者」の知られざる、知りたくもない世界の中の出来事なのです。一般の国民の皆さんにはほとんど無関係であります。

内閣支持下落23%、総務相更迭「必要ない」65%…読売調査

 読売新聞社が13〜14日に実施した緊急全国世論調査(電話方式)で、麻生内閣の支持率は22・9%となり、1週間前の前回調査(5〜7日実施)の29・5%から6・6ポイント下がった。
 不支持率は67・8%(前回61・0%)だった。鳩山邦夫・前総務相の更迭を「必要はなかった」と思う人は65%、日本郵政の西川善文社長続投に「納得できない」は67%に上った。郵政問題での首相の判断が支持されていないことが浮き彫りとなり、西川社長の責任問題が再燃する可能性もある。
 政府・与党内の混乱については「首相の指導力が不足しているからだ」と思う人は70%に達した。
 支持率は民主党の小沢一郎・前代表の公設秘書が政治資金規正法違反事件で起訴された3月末の調査以降は回復傾向にあった。今回は明確に下落に転じ、衆院選の時期など、今後の政局にも影響を与えそうだ。
 内閣を支持しない理由では「首相に指導力がない」38%(同28%)が大幅に増えて最も多く、首相の指導力には強い疑問が示された。
 日本郵政が「かんぽの宿」を一括売却しようとした手続きには「問題があった」が81%を占めた。
 郵政問題での混乱は、麻生首相や自民党への評価にも影響した。
 「麻生首相と鳩山民主党代表のどちらが首相にふさわしいか」では、鳩山氏は46%で前回44%を上回り、前回33%だった麻生氏26%との差を広げた。政党支持率は民主29・2%(前回27・7%)が自民25・0%(同28・5%)を逆転した。
 次期衆院比例選の投票先については、民主は42%(同39%)に上昇し、自民は25%(同29%)にとどまった。
 次期衆院選で民主党は政権交代を「実現できる」との答えは45%(同41%)で、「そうは思わない」44%(同49%)と同水準だった。

2009年6月15日 読売新聞


「22.9%」を四捨五入して「23%」なんて涙ぐましいものがありますが、これが調査の全体的な結果であり、「自民党支持者」だけを対象にした記事をどうしても書かなければならなかった理由もここにあります。「麻生首相と鳩山民主党代表のどちらが首相にふさわしいか」という質問に対する回答について、鳩山さんについては「今回/前回」の順で書き、アホ太郎については「前回/今回」の順で書くことによって鳩山さんが2ポイント上げている間に何故かアホ太郎が7ポイント下げるという衝撃的な結果をなんとか和らげようとしているのも大変勉強になったりします。やはり追い詰められると底力というものが出てまいります。

しかし問題はそういうことではなくて、記事ではさらっと流している部分が大切です。それはおそらく、読売の調査ですら政党支持率が逆転してしまったというところでしょう。わざわざ「自民党支持者」だけを対象にした記事を書いて底上げした数字を示さなければならなかったのも頷けます。読売ですら25%。しかしそれだけならまだ我慢も出来ようというものです。

「次期衆院比例選の投票先」が困ったことになりました。政党というものは「支持」よりも「票」が欲しいものです。民主党の「支持」は29.2%ですが、投票してくれる人は42%もいるのです。一方、自民党に投票してくれる人は25%で、支持する人も25%です。これは自民党が浮動票を失ったことを示します。自民党は公明党や共産党のように基礎票だけでやっていかなくてはならなくなりました。この困難な局面を打開するには方法はひとつしかありません。党名を「自由民主党」から「完全無所属」に変えれば良いのです。これで得票は倍増します。このような優れたアイデアがとっくに党内から出ていたことに注意しなければなりません。この功績により次期総裁は森田健作さんで決まりです。他の人よりとりわけて品性下劣だとか知性愚劣だとか男性弱劣だとかいうわけでもありますまい。電動竹刀二段階変速です。
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2009年06月15日

国政「への影響」はない。国政「との平行関係」だよ

船橋市というとインフルエンザで有名ですが、次の日曜には市長選挙があるのです。現職に挑む絶望的に弱い3人という構図なので誰も見向きもしませんが。そこへいくとさすがは千葉市は政令指定都市です。全国が注目の結果は下記の如しであります。

当 熊谷俊人  170,629票(53.47%)
  林孝二郎  117,560票(36.84%)
  結城房江   30,933票( 9.69%)

これはまあ、ほとんど2007年の参院選における各党候補の得票率と変わりません。千葉市長選には船橋の門田さんみたいなわけのわからない候補者がいないので結果は極めてクリアーです。すなわち

参院選千葉選挙区千葉市得票数と得票率
 
 民主、社民、国民新 215,301票(53.52%)
 自民、保守系無所属 152,598票(37.93%)
 共産         34,414票( 8.55%)

ほとんどこの通りです。共産党の得票数が下がっているのに得票率が上がっていますが、これは千葉市長選の伝統的な投票率の低さによるものです。今回の投票率は43.5%で特に高いとは言えないのですが、これでも前回より6.3ポイント上昇しています。なんと前回は37.2%だったんで、3人に1人くらいしか投票していなかったのでした。外山恒一が来れば文句無く当然確実です。昨日は雨が降ったにもかかわらず投票率が上昇したのですから、有権者の関心の高さが伺えるのかも知れません。

もっともあの阿久根市長選の投票率は82.59%ですから、高ければエラいというわけでもないようです。そもそも有権者数が2万人弱のところと74万人のところではいろいろと事情も異なります。狭い田舎では集団的圧力によって投票率が高い一方で、同じ圧力によって投票行動をも左右されますので、高い投票率がそのまま望ましいとは考えにくいものです。それに千葉市長選には思わず笑ってしまうような珍妙なキャラクターも登場していませんでした。

千葉市における共産党の勢力は3万人くらいのようです。もっとも知事選では八田さんの得票は2万2千くらいだったので、本当はそのくらいかも知れません。共産党は今回も独自候補を立てて世間の非難を浴びていたようですが、大勢に影響はありませんでした。そのかわり共産党は「ああ、3万取った」とか増えたとか減ったとか思うことが出来るわけです。何の役に立つのか分かりませんが。

仮に共産党が独自候補を立てず、その票が熊谷さんに入ったとするとほぼダブルスコアです。与党支持者は投票した人の3分の1、全有権者の中で投票所まで足を運んで自公に投票してくれる人は16%ということです。6人に1人くらい。しかもこの中には自民党支持者と公明党支持者がいて、公明党支持者は信者ですから比較的投票率が高いわけで、自民党に投票する人は更に少なくなる見込みです。

麻生首相「都議選で負けると、極めて深刻」

 【千葉市長選】与党は敗因に「推薦候補は収賄罪で起訴された前市長が推した副市長」(細田博之自民党幹事長)と地元事情を挙げたが、静岡県知事選、東京都議選へと「ドミノ倒し」が続き政権交代の流れが強まることへの危機感は募っている。細田氏は、日本郵政の社長人事をめぐる鳩山邦夫前総務相の更迭劇の影響について「あるかもしれないが、分からない」と表明したが、幹部の1人は「投開票日2日前の辞任は痛かった」と分析した。

 麻生太郎首相はこの日、東京都議選の応援のため自民党立候補予定者の事務所を訪問。「この都議選で負けると、極めて深刻な事態になる」などと述べた。都議選で敗れれば「麻生降ろし」が再燃しかねない情勢で、与野党では都議選と衆院選との同日選が取りざたされている。

2009年6月15日 Sponichi Annex


細田さんは無理矢理にでも「政治とカネ」の話しにしたがっているようですが、悪いクセが抜けないようです。日本郵政のことを反省するのも良いのですが、もう後の祭りだし、千葉市に限っては一昨年の政党別得票分布に変化が無く、そのままの結果が出たことを考えると、直近の事象にとらわれ過ぎるのも考えものです。おそらく多少の変動はあるにしても、与党は参院選の当時から回復していませんし、だから解散も出来ませんでした。

ところで鳩山(弟)さんが飛び出して「自称完全新党」を結成し、敵陣の背後から回り込んで民主票を切り崩したりするのかどーかというウワサですが、まあ自民党としては他に手は無いかも知れません。そうなると鳩山(弟)さんはむしろ民主党政権における右派と連携して社民党の影響を相殺することになるでしょう。つまり引きちぎれるまで左右から引っ張り合って民主党を解体してしまうのが自民党のためにもなるわけです。「日本国民」と「諸国民」のためにはなりませんけど。
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2009年06月13日

「平和を愛する諸国民」なんていない、と言う平和を愛さない国民はどこの国民だ

憲法審査会:規程、衆院で可決 与党、野党分断狙う

 衆院は11日の本会議で、衆院憲法審査会の委員数など運営手続きを定める審査会規程の与党案を、自民、公明両党などの賛成多数で可決・制定した。野党各党は反対した。ただ、与党は今国会で審査会委員を選任しない方針で、野党が過半数を占める参院では、規程制定の動きはない。国会で審査会が動きだすのは、次期衆院選後にずれ込む見通しだ。
 憲法審査会は、07年5月の国民投票法成立を受けて衆参に設置された常設機関。憲法改正の発議前に、改憲原案を審査し、各院本会議に提出する。審査会規程は、与党の国民投票法の強行採決に野党側が反発し、制定が先送りされてきた。来年5月の同法施行まで改憲案の提出・審査はできず、与党が制定を急ぐメリットは少ない。与党側の強い姿勢には衆院選を控え民主党との対立軸を明確にするほか、護憲の共産、社民両党と民主党との野党共闘のもろさをあぶり出す狙いがある。
 11日に制定された規程は(1)審査会の委員数は50人(2)国会開会中・閉会中を問わず活動できる(3)議事は出席委員の過半数で決める−−などと定めた。【木下訓明】

2009年6月12日 毎日新聞


鳩山邦夫さんを追い出していよいよ切羽詰まったアホ太郎政権ですが、「民主党との対立軸」が「改憲」ではとても選挙は戦えないような気もしますが。「北朝鮮に攻め込むから改憲するぞ」というマンガそのものでしかない呆れたウワゴトに国民がついて来るかどうか。

民主党の鳩山さんが改憲派であることに抵抗を感じる人は「護憲の共産、社民両党」に投票することになるかも知れませんが、自民党の票が増えるわけではありません。「野党共闘のもろさをあぶり出す」ことは結果として「野党共闘」の中の「護憲」成分を増やす結果になります。

実際には「野党」同士はおろか民主党内部でも「改憲」については意見が分かれていますし、それは自民党の内部でも同様です。「改憲」をこのように政局に用いるのもどうかと思いますが、考えてみれば他の利用法はありません。先の総選挙でいい気になってしまった自民党を始め、一時は「改正案」が出て来たりしたもんですが、どれもこれも箸にも棒にもかからないようなシロモノで、「押しつけ」でも何でも今の方がまだマシだとしか考えられない惨状を呈していたのは記憶に新しいところです。

ところで「押しつけ」論を振り回す人は、当然英文の「THE CONSTITUTION OF JAPAN」が「ホンモノ」で日本文の「日本国憲法」はその翻訳だと思っているんだと思いますが、そういう人に限って英語が読めないのは渡辺昇一さんに限ったことではないようです。もちろん米国留学の経験がある鳩山(兄)さんも例外ではありません。

彼の「憲法会思案の中間報告」の中で「楽観的な国際認識」として挙げられていた、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」というところですが、「改憲」論者によれば世界中どこを見渡しても「平和を愛する」国家が存在しないことをもって、この文を単なる誤謬として片付ける傾向があるようです。ところがこれは「国際」認識を記述した分ではありません。

「国際」というのは国家と国家の関係のことですが、憲法前文で「信頼」をおくことにしているのは、どっかの「国家」ではありません。それは「諸国民」であって「諸国家」ではないんですから、そんなことは分り切ったことではないかと思われるのですが、世の中には「国家」と「国民」の区別がはっきりしていない人がいるものです。例えば「ナショナリスト」などはそのような迷妄にとらわれている可能性があります。

英語だと「the nations」が「諸国民」と訳せますが、「nation」の語は政治的共同体そのものおよびその構成員に使用出来ます。だからといってどうと言うわけではなく、「改憲」派諸君が日夜枕頭において熟読玩味すべき「THE CONSTITUTION OF JAPAN」では、「平和を愛する諸国民」は英語で「the peace-loving peoples of the world」です。「peoples of the world」が「諸国民」だというのは、かなり曖昧な翻訳であるとしか言いようがありません。ちょっと「和風」にアレンジしてみました、といったところでしょうか。日本人は憲法に「people=人民」が登場するのを嫌ったのです。

まあ、ちゃんと訳すと「全世界の平和を愛する人民」とか?「人民」がヤだったら「全世界の平和を愛する人々」にすればよろしい。このように意味を明確にすると、全世界の平和を愛するとはいい難い諸国家の行動はこの文と矛盾しません。中国がガス田で北朝鮮がミサイルでもいいわけで、「国家」はあまり平和を愛好しないものですから、そんなものには最初から「信頼」をおかないことにしているというだけの話しです。ちなみにこれは「国連」に価値を置くものでもありません。ネーションがユナイテッドしてもアテにはならないのです。しかしそれらの国に住んでいる人々の中には平和を愛好している人もいますから、「日本国民」はそういう人たちを「信頼」するという、そういう意味になっております。

ちなみに「日本国民」は「We, the Japanese people」であって、ネーションでもナショナルでもパナソニックでもありません。憲法を制定する人民は国家に論理的に先行するので「国民」とは言わないのですが、日本人民と全世界の人民の信頼と連帯が憲法前文のテーマです。前文のもっと前の方に出て来る「諸国民」は「all nations」であり、「平和を愛する」ほうの「諸国民」とは別の言葉ですから、これには誤解の余地はありません。これではまるで非国民のようなものですが、これはいわば非国民の、したがって国境を越えた一種の政治的共同体の理念のようなものです。そっちから見ると「改憲」論者は「ガイジン」ですからガイコクに帰れ。
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2009年06月11日

ようこそ日本の戦場はこちら

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秋葉原殺傷事件:「悲劇繰り返さないで」献花たえず

 「二度と同じ悲劇が繰り返されないように」。東京・秋葉原の17人殺傷事件から1年を迎えた8日、事件現場の交差点には早朝から、被害者を悼む人たちが次々と訪れた。歩道には「安らかにお眠り下さい」とメッセージが書かれた花束などがたくさんささげられ、惨劇がもたらしたつめ跡の深さを改めて示した。【神澤龍二】

 東京都日野市の女性会社員(26)は06年夏、新宿駅構内で階段から転倒した際、殺害された東京芸大4年の武藤舞さん(当時21歳)が抱きかかえて近くの交番まで連れて行ってくれた。女性は妊婦だった。武藤さんは何度も「大丈夫ですか」「歩けますか」と声をかけてくれたという。
 その際は名前を聞けなかったが、ニュースで武藤さんの顔を見てショックを受けた。現場で8日、献花し「こんなに優しい人がいるのかと思った。こんな形でお礼を言うことになるなんて」と声を詰まらせた。殺人罪などで起訴された加藤智大被告(26)については「正直許せない気持ちでいっぱい。一刻も早く死刑にしてもらいたい」と語気を強めた。
 高校で武藤さんと同級生だった都内の女性会社員(22)は現場で手を合わせ「舞ちゃんはピアノが上手ですごく明るい子だった」と振り返る。事件は携帯のニュースサイトで知った。「武藤さんの名前を見て信じられなかった。1年がたち、ようやく事件と向き合えるようになった」と言葉少なに語った。
 交差点近くに職場がある派遣社員の女性(35)は、事件の10分後に現場を通りかかった。「自分も被害者になったかもしれない。わずかな時間で人の運命がこんなにも変わってしまうのか」とショックを受けたという。「私も(被告と同じ)派遣社員で境遇は一緒だが、不満を社会のせいにする考えは身勝手だ。どんな理由があっても人の命を奪うことは許せない」と話した。
    ◇
 加藤被告は逮捕後、約3カ月間の精神鑑定を経て、「刑事責任能力がある」と判断され、昨年10月に殺人や殺人未遂などの罪で起訴された。今月22日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で検察官や弁護人が立ち会って初公判前に争点を絞り込む第1回の公判前整理手続きが行われる。

2009年6月8日 毎日新聞


加藤クンクンの事件から1年目だということですが、この1年でマスゴミの姿勢も驚く程変わりました。別に変わっていませんが。昔は「遺族」が「犯人を死刑にしろ」と言っていたのですが、今ではそれを言うのは階段で転んだ人やなんかです。

「遺族」は心理的な危機に直面しているので多少おかしなことを喋っても、それは仕方のないことですし、他の人から見てもそれは十分に理解出来ることです。ところが最近ではこのような「記事」で主役を演じるのはむしろ「遺族」ではありません。むしろクローズアップされるのはエキストラ、文字通りの「通行人」なのです。エキストラにセリフが与えられ、レンズが向けられますが、しかしそれは彼等や彼女たちがエキストラであるという資格においてなのです。

ところで数年前に「なぜ人を殺してはいけないのか」という「問題」が流行したことがありました。そのときには説得力のある「回答」を提出することが出来た人がいなかったようなのですが、まあ考えてみればそれも当然です。

この「問題」は、よくある問題の一般的形式から具体例を抽出したものだったのです。一般的な問題とは「法による禁止は倫理的な悪と等価であるか」というものであり、投げかけられた問いは「あなたはなぜ『法による禁止は倫理的な悪と等価である』かのように語るのか」というものでした。つまり「なぜ『人を殺してはいけない』のか」というのが正しい文法です。

しかしこの問い方だと、問われた者は自らが無意識に前提している、しかもよく考えると間違っていそうな命題を白日の下に晒されるのですから、その答えは防衛的にならざるを得ません。つまり「人を殺してはいけない」という命題を自明のものとして、さてその「なぜいけないのか」を一生懸命に考えてしまうのでした。

これはまあ、「小難しい問題」です。「回答」が出ないことに特に問題はありません。おそらく答える必要もありません。答えが得られたからといって人殺しを止めるとか、答えを出せないとみんなが人殺しを始めるというわけでもないようです。多分これはどうでもいい問題です。

一方でそれよりずっと前に、実用的な人たちは正しい問題を設定していたものです。その問題というのは「なぜ人は人を殺さないのか」というものです。もちろん、実用を旨とする人たちですから、この問題設定は次のような課題と結びついています。「どうすれば人は人を殺すのか」。

アメリカ軍の研究によれば「人を殺してはいけない」という命令は無意味です。いくらかの人は命令にも関わらず人を殺しますが、多くの人はこのような命令と関係なく人を殺さないし、殺すように命令しても殺さないのです。多くの兵士においてろくに使いもしない鉄砲をぶら下げて歩いていたり、敵に当たらないように発砲して多くの弾薬を無駄に消費するという、エコロジカルでない行動が見られたことが明らかになりました。

地球にやさしいアメリカ軍当局にとってこのような現実は驚くべきものでした。これこそ地球温暖化の元凶に違いない。そこで軍はこの問題を深く憂慮し、広範な調査の結果一般的に人間は人間を殺すことに強い拒絶感を持つことを見いだしたので、これを克服する条件について研究しています。

その結果、第2次大戦で15〜20%でしかなかった兵士の発砲率はベトナム戦争においては95%にまで達する成果が上がりました。洗練された心理的アプローチが兵隊さんをターミネーターのような殺人機械に変えたのです。二酸化炭素の排出量が人間並みで、使えなくなると微生物によってほぼ完全に分解されるこのエコ仕様のターミネーターは、しかし戦地から帰って来ると故障することが多いようです。アメリカは壊れたターミネーターと、それから壊れていないターミネーターがウロウロしているトゥモローランドです。大変剣呑なようですが戦争やってる「普通の国」です。

戦場における麻薬の無料配布に関するワクワクするようなウワサとは無関係に、人が戦場で殺しを行うことが出来る条件はだいたい次のようなものであるとされています。

権威者の要求
 つまり上位からの命令が存在すること。
 いつも近くにいて尊敬に値し社会的に正統とされる権威に基づく明確な命令が存在することが望ましいのですが、注意しなければならないのはそんな立派なもんじゃなくてもエラい人の命令には従ってしまうものだということです。

集団による免責
 集団に編成されていること。
 集団からの圧力が働くと同時に匿名性による責任の分散が起こりますんで殺しもスムース&マイルド。

対象との距離
 対象への共感の消去。
 人種的民族的優越感とか相手は悪い奴なんだとか機械的手段による「標的」の非人間化。対象が遠くにいたり見えなかったりという物理的な距離も相手への共感を失わせます。

この点、日本人はバカなアメリカ人が比べて民族的優越性を示すことが出来ます。アメリカ軍による研究がある程度まとまったのはベトナム戦争前後の話しですが、日本民族の優れた知恵はこれらの心理的テクニックを日常行政の中で既に応用していたのです。連中が大掛かりなミサイルとメインフレーム・コンピュータで作り出している「距離」を、日本人は一枚の壁で実現し、集団的匿名性を幾つかのボタンで済ましています。そして殺害行為は司法によって判断され大臣によって命令されたきわめて正統的な要求に従っています。

死刑は戦闘であり刑場は戦場です。確かに敵は極めて無抵抗な状態に置かれていますが、戦場における主要な問題が敵の抵抗よりもこちら側の兵士における殺人への障害を乗り越えることである限りにおいて、そこはもっとも模範的な戦場なのです。

しかしこの戦場にいるのは警察官、検察官、裁判官、刑務官、法務大臣、弁護士、死刑囚、被害者、遺族といった輝かしき英雄ばかりではありません。秋葉原の「通行人」は「エキストラ」ですが、それは正確な意味において「エキストラ」なのであって、彼等は「臨時に」駆り出される裁判員=兵士なのです。英雄にはなれないかも知れませんが、殺人への障壁を立派に乗り越えた優秀な兵士であり、少なくとも当人はそのつもりであり、それを誇りとしています。

臨時召集兵にとって「権威」と「集団」と「距離」が丸ごとマスゴミによって与えられていることに注意すべきであり、毎日新聞の愛国的な報道姿勢をもっと評価すべきでしょう。もっとも中には自ら「集団」を編成して喜んでいる部隊も存在します。32万の署名は伊達や酔狂やクルクルパーではありません。戦場には「女神」がいたりするものです。ドラクロワが描いた革命の戦場で三色旗を掲げて民衆を導くおっぱいを出した女の人とか。女神のもとに参集する集団的熱狂を組織する磯谷富美子さんはもちろん現代の死のジャンヌ・ダルクです。おっぱいは出しません。

フランスのはマリアンヌ、イギリスのはブリタニアです。
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2009年06月07日

32万人の殺意無き殺人者と恐怖の殺人裁判員

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足利事件と同じDNA鑑定、92年の飯塚事件も再審請求へ

 1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑判決が確定し、昨年10月に刑が執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚の弁護団が、今秋以降にも福岡地裁に再審請求する方針であることが5日わかった。
 久間元死刑囚は無罪を主張していたが、最高裁は2006年9月、DNA鑑定の信用性を認めた。弁護団は「足利事件」と同じDNA鑑定法だったこともあり、鑑定の不備を柱に再審を求めるとしている。ただ、当時の試料は残っておらず、DNAの再鑑定はできないという。
 久間元死刑囚は92年2月、小学1年の女児2人(いずれも当時7歳)を車で連れ去り、殺害して山中に遺棄した疑いで94年9月に逮捕された。遺体周辺から採取された血痕のDNA鑑定が一致したことが逮捕につながった。
 飯塚事件の鑑定法は足利事件と同じく、DNAの配列の一部だけを目で見るなどして調べる「MCT118型検査法」を採用。弁護側は「鑑定は不正確」として無罪を主張したが、最高裁は鑑定結果の信用性を認めた。

2009年6月6日 読売新聞


冤罪事件では摩訶不思議なことが次々に起こるものです。特に証拠物件の動きは正にイリュージョン、華麗なワザで度肝を抜き、おなじみのインチキまがいでクラクラさせるのが警察のお家芸です。証拠物件は忽然と現れ、いつの間にか消え去って跡形もありません。どんでん返しと目くらまし、遺族と心理学者の乱痴気騒ぎ

飯塚事件、再審請求へ  DNA新証拠提出目指す

 福岡県飯塚市で1992年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑が確定、昨年10月に執行された久間三千年元死刑囚=当時(70)=の遺族が今秋にも再審請求(死後再審)する方針を固めたことが5日、弁護団への取材で分かった。弁護団は菅家利和さん(62)の再審無罪が確定的となった足利事件と同様、DNA型鑑定をめぐる新証拠の提出を目指す。
 弁護団によると、飯塚事件は足利事件とほぼ同時期に、同じ「MCT118」という検査法で、DNA型鑑定が実施された。被害者の遺体に付いた血液と元死刑囚のDNA型が一致したとされ、確定判決の根拠の一つとなっている。
 血液は残っておらず、足利事件のようにDNA型を再鑑定することはできない。ただ血液から抽出された犯人のものとされるDNA型はMCT118の「16−26」タイプで、元死刑囚の遺族のDNA型と比較するなどして誤りを見つける。
 「16−26」タイプは足利事件の旧鑑定で、被害者の衣服に残った体液や菅家さんのDNA型とされたが、再鑑定では異なる結果となった。
 確定判決によると、元死刑囚は92年2月、飯塚市内の路上で小学1年の女児2人を車に乗せて誘拐し、首を絞めて殺害するなどした。94年の逮捕以降、一貫して無実を訴えていた。

2009年6月5日 共同


えーっと、「MCT118」ってのはDNAの中で一定の塩基配列が繰り返して出現する箇所のひとつで、その箇所では16の塩基からなるパタンが何回か繰り返されているんだそうです。その繰り返しの回数によって幾つかの「タイプ」に分けることが出来るので、これは血液型なんかよりもっと細かく分けられるのです。それで個体識別を行うんだそうですが、このリピートの回数も親となる2個体それぞれから受け継いでいて、その各々の回数の組み合わせが「タイプ」ということになる。例えば「16−26」というのは、この繰り返しが16回と26回であって、お父さんから受け継いだのが16回だか26回だかどっちかで、お母さんから受け継いだのがそっちではない方。で、それは電気泳動させた写真を見るんだが、「目で見て」てゆうか写真の濃度のピークをコンピュータで判定したりするようですけど、草gメンバーもかなわないアナログの世界です。

つまりDNAの個体識別情報には両親に関する情報が含まれているわけで、両親はそのまた両親の情報を持っていて、仲が悪かろうが相続争いをしようが近親相姦をしようが親戚みんなで情報を共有していますから、「元死刑囚の遺族」のDNAのタイプを調べると、元死刑囚が「16−26」というタイプでありうるかどうかが分ることになります。従って警察が「もう試料がありません」と言っていても、証拠物件、てゆうか生きてる人間、てゆうか遺体の状況によっては死んでる人間も含まれますが、それは沢山あるというわけです。

久間さんの家族や親戚のDNAは、いくら警察でも隠したりなんかは出来ないようです。取調室でいじめると供述を変更させることが出来るかも知れませんが、DNAを取っ替えるのはちょっと無理でしょう。まあ、久間さんの遺族を片っ端から取っ捕まえてどんどん焼却炉に放り込んで灰にしてしまえば何とかなるかも知れません。窮鼠猫を噛むとかいいますから窮した犬が人を咬むこともあり得ない話しではありませんが、そういう事態には報道価値があるというのが古くからの教えです。

実際にこういうことが起きているのでして、つまり久間さんがさっさと殺されたのは、彼が「久間さんのDNA」という第一級の証拠品を保持しているからに他なりません。もっとも、試料がないのであれば久間さんのDNAと比較することが出来ないのですが、当時の技術レベルの問題もあって久間さんが「16−26」であるかどうかもアヤシイもんなのです。もし久間さんが「16−26」でなければ、決め手となっていた証拠の価値は喪失することになります。

本の半年前の生々しい冤罪処刑の事実は、死刑制度に関する議論に影響を及ぼす虞れがあり、てゆうか読売新聞あたりはそのような危惧を抱いているようで、6日の1面から早速「死刑 第4部」を始めたのは俊敏であります。見出しは

「極刑を」32万人署名
  闇サイト殺人
  「誰でも良かった」に不安募る

というもので、これは例の磯谷さんちの署名のことですが、6月5日現在で署名が321,379人になったんだそうです。なったって構わないようなものですが、この記事は1面トップでは飽き足らず社会面のセンターにまで続きます。社会面の方の見出しは

「社会守る…「やむなし」
  オウム弁護人、保護司ら「極刑を」
    闇サイト事件署名32万人

そういうわけで記事全体としては抑止効果論に依拠しているようなのですが、しかし、「不安」はあまり強調されていません。確かに1面に掲載されている書面に添付された2件のコメントは「ひょっとしたら自分が殺されていたかもしれない」とか「娘が毎日帰宅するまで、気がかりでなりません」などと、それなりに不安がっているようでもあります。もっともこういう「不安」は、事件が起きれば誰でもちょっとは感じるもので、そのときその場の気分のようなものでしょう。こういう気分がそのまま長期間強く続くようだと逆に問題です。ちょっと病院へ行ってお薬もらって来た方がいいかも知んない。

一方、社会面には署名した人のうち弁護士や保護司、そして裁判員候補者の主婦が登場しますが、このように多少なりとも「顔」の見える人たちは、自分の身がアブナイとかそういう切迫した「不安」というものをあまり感じていないようです。その場の気分で署名してしまった人たちとは違って、この人たちはもうちょっと聞ける「言葉」があるようです。そしてそれは読売新聞としては「社会を守るためには死刑判決が必要だ」ということのようです。

例えば弁護士さんは「闇サイト事件で死刑判決が下されなければ、女性が夜道を歩くことが命がけになってしまう」と言っています。次いで保護司さんは「ためらいもなく人を殺害するような行為には、死刑という相応の罰があることを、裁判所が示す必要があると思った」と思ったそうです。そして裁判員候補者の40歳代主婦は「社会のために危険の芽を摘む意味で、私が死刑を求めてもいいのではないか」と言ったのかどうかよく分かりません。この分は主婦が語ったとされる「」で括られた文に続く地の文なのです。まあ確かにオバサンのまとまりのない話しを簡潔にするためにそういう書き方をする場合もあるでしょう。

いずれにしてもこの「取材」記事は巧みに構成されていると評することが出来るでしょう。始めに弁護士さんが「他人の不安」を心配してみせ、次いで保護司さんがその心配に答えて、大丈夫日ノ本には死刑というものがある、裁判所はそのことを世間に示すべきだと言います。そして最後にその「裁判所」に「半ば属する」裁判員候補者が、「社会のために」死刑判決を出そうという決意を表明するのです。

要するに話しはここまでなのです。読売新聞によれば死刑というのは裁判で死刑判決を下すことに他なりません。本当はもっと先に色々あると思うんですが、そういうことは気にしなくて良いようです。国民は判決のところまで関わっていればよろしい。実際に確定死刑囚には極めて限られた人しか面会出来ませんし、刑の執行は役人だけが立ち会って秘密裏に行われ、後から発表されます。それはほとんど無いのと一緒です。あたかも死刑などは存在しないかのようなのです。

しかし存在しないわけでもないらしいのですが、そんなことはあまり関係ありません。要するに確定死刑囚は「どっか」に行っちゃうわけです。実はここだけの話し、そいつは殺されちゃうんですし、それは国民みんなで殺しているんですが。署名をしたり、裁判員となって死刑判決を出せばいっそう積極的に殺していることになります。さすがに「誰でも良い」わけでもなさそうですが、無実の人も殺されていますから、実際には犯人という名目で殺すことが出来れば「誰でも良い」ようです。

しかし上品で清潔なファミリー向けの読売新聞ではリアルな殺害シーンをカットします。映画とかでは、例えばホテルの部屋でキスするところで止めても、その後でオマンコをなさっていることは分ります。どうせ誰がやっても同じようなものになるのでいちいち撮影しなくても良いのです。しかし読売新聞では、もっと前で切っちゃいます。2人で食事をしているあたり、いやメニューを見て注文したあたりで切っています。これではとてもその後にオマンコがあるとは想像し難い。飯を食ってるくらいでそういう関係を疑うようだと逆に問題です。ちょっと病院へ行ってお薬もらって来た方がいいかも知んない。

まあ、判決だけで執行はしない、という手もありえます。実際に冤罪ぽい人については、はっきりとそういう扱いになっていたし、ある時まではそれに近い状態だったようです。ところがある時点から積極的に執行し、それに見合うかのように判決もどんどん出すようになりました。そのタイミングは「世論調査」で死刑容認が「8割」という数字が出るよりも前です。「世論」は後付けであって、「国民の支持」などは無関係にそうなったのです。「世論」は操作された、というよりはむしろ引っ張られました。引っ張られることが可能だったのは「不安」によりますが、それは「犯罪に対する不安」ではありません。

「不安」感は不安だけにフワフワしていますから、そこに何かを持ってくればその型にはまります。不安感に形式を与えるのが「政治」で、そこは競争です。そして「犯罪」の型を持って来た方が勝ったのです。いろいろ考えると麻原彰晃さんほど「社会のため」に貢献した人はいません。もうちょっと丁寧に扱ってはどうか。例えば風俗営業だと今や従業員は本籍を記載した身分証明書を提出しなければならないんですが、それはオウム事件直後にそのような営業所に軒並み警察の調べが入ったことによります。書類を出させてみるとオウムはともかく年齢をサバ読んでる奴の多いことったらありません。そんなわけで今や得体の知れないオジサンやオバサンは明らかにアヤシイ店以外にはいないわけです。「社会のため」ですね。

しかし「犯罪への不安」に流し込まれた不安感は急激に悪化した経済生活および将来におけるその見込みへの不安を中に含んでいますから、自らが犯罪者となる不安というものがその中にはあるのです。そしてそれは要するに「自分が人を殺す」ことへの不安です。「死刑」を問題にするときに、それが誰かを殺すことに他ならないことを直視させると、この「不安」に触ってしまいます。したがって国家権力の「判決」を支持したり、制度としての「死刑」を支持したり、権力の一部に参加させてもらったりする「気持ちの良い」ところだけを強調しなければなりません。

しかし権力は国民の「支持」によって動くわけではなく、必要に応じて「支持」を動員しますし、たまたま裁判員となって権力に参画したように見えても、そこではもはや自分というものはありません。裁判員の守秘義務は個人としてのあなたと裁判員としてのあなたを切り離します。強制的に徴用された裁判員としての部分を死ぬまで隠し通さなければならないのです。それはあなたの一部ではなく、国家のものになったからです。

さっきの記事に出て来た主婦さんは、記事の「」の部分では、「裁判員として死刑を選択することを想像したら、死刑がとても重い意味を持つものとして自分に迫って来た」と言います。ちなみにこれは彼女が近所の署名を集め始めた後の話しです。困ったことに死刑を軽く考えていた当時から署名を集め始めていたようなのですが、記事によれば彼女は

「子供たちに安心な社会を残したい」とも思った。


そうです。「とも」という表現の含蓄を深く味わうべきでしょう。この直前に、先に引用した「社会のために危険の芽を摘む意味で、私が死刑を求めてもいいのではないか」が書いてあります。これは「子供たちに安心な社会を残したい」と矛盾しません。したがってここで「とも思った」という表現はおかしいのです。「とも」で受ける文言は、それ以前の文言と矛盾していることが必要なのです。しかし、ここで「とも」で受けられている「」とじのセリフの直前におかれたのは、彼女の言ったことをまとめた「と想定される」地の文に過ぎません。

したがってこの「とも」の「含蓄」とは、彼女の「複雑な心境」のようなものです。軽い気持ちで署名を集めていた主婦が裁判員として自ら判決を出せる可能性が出て来たところで、彼女は一挙に複雑化してしまったのです。まあ一般に「複雑な心境」というのはアンビバレンツのことを言いますが、そういうことです。誰か裁判官が「死刑判決」を出すのは構わない。しかし自分が殺害を指示するというのはどんなもんだろう?

裁判官が出す「死刑判決」に国民としての参与意識が無い点において彼女を批判するのは簡単ですが、これは普通のことです。国民は国家のやることに責任を感じていません。形式としては「そういうことになっている」としても、国家の行動は国民の意思とは無関係です。そこで裁判員候補者になると、ある程度の心理的地震が発生します。心の中で力関係が変動して揺れるのです。国家による殺人を軽く認めていた自分が国家として殺人を行わなければならなくなったのです。この「揺れ」のマグニチュードが「とも」です。読売新聞のプロパガンダは、この「とも」をいかに回収するかにかかっているのです。

ちなみに、署名を集めて回っていたので近所でも有名な彼女が裁判員候補者に選ばれたのは、単なる偶然、でしょう。それは全くランダムに行われます。偶然だよ偶然。そう思うべきであり、実際にそうなのであり、そうでしかあり得ません。
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2009年06月06日

スマート・パトロール v.s. ミスター・DNA

No!Japan375.jpg

去年こんなことを書いたもんで、見に来る人がいっぱいいます。

久間さんは最後まで無実を訴えて来たのです。物証も自白も一切ありません。動機も不明です。あるのは目撃証言と、「ほぼ一致」するというDNA鑑定です。そもそも「久間さんがやったに違いない」という世評が余りにも多すぎるので、目撃証言の信憑性はそんなに高いものではありません。「ザリガニおじさん」はもともと偏見に晒されていたようです。目撃証言がそのような偏見によるバイアスがかかっていなかったと考える根拠はありません。

DNAについては、科警研の鑑定と帝京大の鑑定が対立しているほか、久間さんの車から発見された血痕についても被害女児のうち1人のものと一致するだけであり、もう1人の分がどうなっているのか、疑問とせざるを得ません。というのもDNA鑑定については「犯人が1人と仮定すれば」久間さんと一致する、としているのです。車から発見された血痕からは被害者のうち1人のものしか特定できていませんから、もう1人の被害者はどこへ行ったのでしょうか。もう1人の被害女児の痕跡が発見されない以上は「犯人が1人」という「仮定」は決定的ではありません。しかし「犯人」と久間さんを結びつけるのは「犯人が1人」という「仮定」以外には存在しないのです。

したがって久間さんは冤罪であるか、すくなくとも共犯が存在することが考えられます。久間さんは不正確な事実認定によって死刑判決を受け、それが執行されてしまったものであります。素人目に冤罪っぽいと思われるのには、このほかにこんな話題もあるせいかも知れません。

本事件の4年前に、やはり同じ小学校の当時1年生の女児が行方不明となることがあり、この女児が最後に目撃されたのが久間さんの自宅で遊んでいたところだったのです。当時久間さんも当然調べられましたが、決定的な証拠は出ませんでした。ところが久間さんが逮捕されてから、つまりこの女児が行方不明になってから6年後になってから急にこの女の子のジャンパーとトレーナーが山道で発見されたのです。

これは本事件の傍証でしかありませんが、以前よく探したのに見つからなかった物証が急に出て来たりするのは、冤罪の世界ではわりとよくあることなのです。ましてやこれは本事件の物証ではありません。以前の事件のものです。本事件の捜査過程で出て来ても不思議ではない、いや、出てこなければならないはずのものなのですが、何故か、久間さんが逮捕されてから出て来たのです。

にもかかわらず福岡地裁陶山博生裁判長は死刑判決、福岡高裁小出享一裁判長も死刑判決支持、最高裁の滝井繁男裁判長にいたるまで一貫して久間さんの殺害を支持しました。これは大変に不自然です。久間さんは無実の罪で殺された可能性があります。あるいは久間さんの死刑執行によって共犯者が明らかになる可能性がなくなったのかも知れません。何があったのか、もはや知る術はないのです。

http://worstblog.seesaa.net/article/108749997.html


当時は「もはや知る術はない」かと思ったんですが、意外とそうでもないようです。

<足利事件>菅家さん釈放 同時期のDNA鑑定、最高検が証拠保存指示 再審請求に備え

 菅家さんを釈放した異例の事態を受け、最高検は4日、足利事件と同時期にDNA型鑑定した事件について、被害者の着衣など関連証拠を保存するよう全国の地検に指示する方針を明らかにした。足利事件以外で再審請求が出た場合に備えるためという。

 4日、記者会見した最高検の鈴木和宏刑事部長は、保存の対象について「旧型のDNA鑑定をした事件。今の鑑定のような精度の高いものは除く」と述べ、範囲を限定する考えを明らかにした。「一両日中に指示する」としたうえで「何年前のものまで保存されているかは分からないが、残っているものを保存する」と説明した。

 また同日、伊藤鉄男次長検事をトップに最高検検事ら数人で構成する検証チームを設置した。鹿児島県議選を巡る買収事件と富山県の強姦(ごうかん)事件で冤罪(えんざい)が判明した07年以来の異例の措置で、全証拠・記録を調べ、原因を究明し問題点を明らかにする。菅家さんは任意捜査段階の91年12月、自白し、1審第6回公判の92年12月、否認に転じるまで自白を維持しており、なぜ認めたかが検証のポイントになる。【岩佐淳士】

2009年6月5日 毎日新聞


もっとも、あまり期待することも出来ないのかも知れません。なにしろ現在の法務大臣は久間さんの殺害を指示した張本人なのです。「検証」ったって、「何故冤罪が発生するか」を調べるのも「検証」かも知れませんが、「どうしてバレちゃったか」を反省するのも「検証」です。

「可視化」足利事件受け焦点に 法相「全面導入難しい」 取り調べに支障

 栃木県足利市で一九九〇年、女児が殺害された「足利事件」で、無期懲役の刑執行が停止された菅家利和さん(62)の釈放を受け、森英介法相は五日の閣議後の会見で、捜査手法の見直しに触れ、取り調べの全面的な録音・録画(可視化)の導入について、現段階での検討は難しいとの見解を示した。民主党は全面可視化を求めており、裁判員裁判の開始を前に可視化の問題が大きな争点になりそうだ。

 森法相は、可視化の導入に「全面的に義務付ければ被疑者に供述をためらわせて取り調べ機能を損ない、真相解明に支障をきたす。現段階では全面的に容認する方向での検討は難しい」と述べた。足利事件では、DNA鑑定の問題に加え、捜査段階で菅家さんに自白を強要した疑いも浮上している。

 足利事件と同じ精度の低いDNA鑑定が有罪の決め手となった事件として、九二年に福岡県で女児二人が殺害された「飯塚事件」がある。実行犯とされた久間三千年死刑囚は無実を主張していたが昨年、死刑を執行された。弁護団は名誉回復の意味合いが強い死後再審の申し立ての準備を始めている。
 森法相は、飯塚事件を再検討するかどうかについては「個別事件のことは控える」とした。

2009年6月5日 東京新聞


半年くらい前に日本が世界に誇る冤罪処刑が行われたのはほぼ確実です。ところで日本人の多くが死刑存置を支持しているのは「安全に対する不安」の故であるという説があるようですが、アヤシイものです。犯罪には3つの「不安」があるのです。即ち犯罪に巻き込まれ「被害者」となることへの「不安」、何かに追い詰められて「加害者」になってしまうことへの「不安」、そして全然関係ないのに「犯人」にされてしまうことへの「不安」です。これらは全て、実際に誰かの身に起こっていることです。

ところが森さんをはじめとする日本政府は、死刑を廃止する様子はなく、その一方で冤罪を防止しようという気持ちもないようです。したがって誰にでも冤罪の可能性はありますし、それで殺されてしまう可能性も大いにあります。これは大変に危険なことです。そして「不安」を持つ人は「危険」に対して敏感なはずです。ところがこの点について「不安」を感じている人はあまりいないようです。もし「不安」を感じていたら、取りあえず死刑は止めにしといてもらわないと気が気じゃありません。ところがそういう人は少ないようなのですから、多くの人は別段「不安」など感じていないのではないかと思われます。

そういえば、誤審・冤罪の可能性を強調する死刑廃止派の主張に対して、死刑拡張派としては冤罪を防止する仕組みを作ることによって死刑制度により説得力を与えようとするかと思えば全然そういうことに熱心でなかったりします。死刑拡張派はとにかく死刑の数と範囲を拡大するだけで、質的にもうちょっと立派なものにしようとか、文句のつけようもない程ちゃんとやろうという発想は持たないようなのです。滅茶苦茶な連中です。

どうも死刑はそのような問題意識とは違うところにあるのではないか。拡張派やその支持者はそこに「正義」のようなものは求めていないようです。死刑というのは最初から無実の人が殺されようともヘッチャラな、なんかそういうものです。おそらくそれは単なる「力」であると考えられているのではないか。強い力と共に在り、その力の拡充に奉仕することの喜び。そして力に屈服し、盲従し、諦めることが「美徳」というものです。それでつまりもし仮に人が「お前が犯人だ」と名指されたら諦めて従わなければなりません。「冤罪」とは、その力が自在に力強く働いていることを示す吉兆なのであって、それは死刑とは表裏一体です。冤罪を防ごうとすることは死刑を廃止することと同様に「力」を削ぎ、弱めることなのですから、やるわきゃない。ちょっと手荒なやり方で「強要」した方が良いのかも知れません。
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2009年06月05日

ちょんわの幻想

自民、地方選が関門 連敗なら「麻生降ろし」も

 麻生太郎首相の衆院解散戦略に、三つの地方選が「関門」として立ちはだかっている。6月14日投開票の千葉市長選、7月5日の静岡県知事選、7月12日の東京都議選で、いずれも情勢は楽観できず、自民党内では「ドミノ倒し」の懸念も。仮に3連敗すれば都議選後の「麻生降ろし」も現実味を帯びてくる。
 「千葉、静岡でうまくいかないとむちゃくちゃになる。都議選にも大きな影響を与える。好き嫌いもあるやろうけど、そこは棚に上げてよろしくお願いします」。3日の自民党参院議員総会で、谷川秀善参院幹事長は協力を要請。細田博之幹事長はこの日の公明党との会合で、3地方選を「衆院選の前哨戦」と位置付けた。
 千葉市長選の与党系候補は、収賄罪で起訴された前市長時代の副市長。事実上の後継とされ、自民党内からも「情勢は厳しい」との声が漏れる。2日には千葉県選出の国会議員が集まり「基礎票を固めれば逆転できる」とてこ入れを確認したが、「投票日までに追いつくかどうか微妙」(参院議員)との見方も。
 静岡県知事選は、自民党の坂本由紀子参院議員が立候補を表明。民主党は大学学長に出馬を要請している。3日の自民党津島派幹部会では「大学学長が出馬すれば大変だ」と警戒する声が出た。
 3月から5月に実施された主な地方選で、与党系は千葉、秋田両知事選で勝利したものの、名古屋、さいたま両市長選では民主系候補に敗北。仮に千葉市長選、静岡県知事選を落とせば4連敗となる。自民党幹部は「両選挙に負ければ衆院選までドミノ倒しだ」と危機感を募らせる。
 都議選に関し、自民党選対幹部は「与党で過半数を維持できると思うが、民主党に第1党を奪われる恐れはある」と分析。公明党幹部は「民主躍進の文字が躍れば打撃は大きい」と不安を隠さない。
 衆院選の投票日を8月2日に設定すれば、解散は都議選前に、8月9日なら都議選直後も可能になる。情勢が悪ければ、7月28日の会期末ぎりぎりに解散、9月6日投票も視野に入る。
 都議選で敗北すれば「麻生首相で戦えるのか」との不満が拡大するのは確実だ。自民党の加藤紘一元幹事長は「首相交代論のきっかけになる場合もある」と指摘。古賀誠選対委員長は2日の講演で「10月の選挙もあり得る」と述べ、解散前の首相交代の可能性をにじませた。

2009年6月4日 中国新聞


千葉県知事選で「与党系」が「勝利」したというのは「客観的な」事実ではあるかも知れませんが、実際のところそれで千葉市長選において「与党系」が安心できるかというとそうでもありません。森田さんが一言でもいいから本当のことを話してくれればともかく、あの人はああいう人ですから、森田さんの得票は市長選における「与党系」の得票の予測に役に立つわけではないのでした。

県知事選のとき、千葉市における森田さん(自民)の得票数は151,774票、得票率は43.07%でした。これに西尾さん(元自民)や白石さん(公明)を含めると、きわめてザックリと「与党系」ということになるのかも知れませんが、その得票数は実に214,425票、60.86%に達します。ちなみに主に民主党が推していた吉田さんは115,029票32.65%、共産党系と目される八田さん11,239票6.49%でした。

しかしこの数字をもとに、千葉市では「与党系」が60%を獲得できる、安泰だバンザイ、というわけにはいかないのは専ら森田さんの責任です。生まれてから一度も本当のことを言ったことのない森田さんのおかげで、元来「与党系」ではない票まで騙されて森田さんに入ってしまっています。騙される方が悪い、などと無慈悲なことを言う人もいますし、確かに騙された人は普段の心がけが良くないような気もしますが、とにかく森田さんの票は近所のそば屋の天丼のエビ天のように衣の方が多いような状態になっているようです。

そこで直近の国政選挙である2007年の参議院議員選挙の状況をちょっと覗いてみたのですが、困ったことに千葉には最初から森田さんそっくりな人がいたのです。即ち保守系無所属の元俳優で最近映画のプロデュースをしたという人が。

その人は「本間進」といいまして、1954年銚子市生まれ拓殖大学出身、1976年すなわち22歳にして曽根中生監督の『嗚呼!!花の応援団』でデビュー、翌年公開のシリーズ3作目『嗚呼!!花の応援団 男涙の親衛隊』では、なんと3代目「青田赤道」として主演を張るという、最初のうちだけ順風満帆のキャリアの持ち主です。

この映画は当時一世を風靡した漫画作品、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』を原作としますが、まあ、なんというか箱根よりこっちの人間から見ると大変に「大阪的」なものです。加藤周一さんはこの作品に描かれた世界を「およそ人間のなりうる最も下等な状態」を評したとも言われていますが、一方では「応援団という組織をなかなか忠実に表現している」という評価も貰っているという、毀誉褒貶の激しい作品のようです。もっともこれらの評価は別段お互いに矛盾するものではありません。要するに「応援団はおよそ人間のなりうる最も下等な状態」である、ということです。

本間進さんの輝かしい経歴も、作品との幸運な出会いが重要なファクターとなっています。なにしろ本間さんは拓殖大学応援団長だったのです。泣く子も黙るとはこのことです。なんたって「人間のなりうる最も下等な状態」です。森田さんの「剣道二段」は「自称」、てゆうか「ウソ」に他ならなかったのですが、本間さんはホンマもんです。『嗚呼!!花の応援団』には特撮とかCGに頼らないホンモノの応援団が出て来る、というのがこの作品のウリの、少なくともそのひとつだったようです。

(ところが匿名子によると応援団長はおろか応援団員でもなかったという説がありまして、そうなると本間さんはますます森田さんに近づいてゆく、ということになる可能性がありますが、もちろん何の自慢にもなりません)

従ってこのシリーズを自らの主演で終焉させた後、同じく曽根中生監督が漫画を原作にした映画『博多っ子純情』に出演した後は作品に恵まれず、てゆうか「応援団」が出てくる話しなんてそんなにないわけですが、「もっとも下等な状態」から更に転落した日々が続くかと思いきや、1983年には千葉市議会議員になっちゃいます。ところで俳優としての本間進を手軽に干渉できるのは、彼が市議会議員を1期つとめあげた後からです。すなわち『マルサの女』(1987)、『マルサの女2』(1988)、『マルタイの女』(1997)などの伊丹十三作品に立て続けに端役で顔を出しているのが確認されます。

また、その間1991年には千葉県議会議員となる一方、1996年には自らエグゼクティヴプロデューサーをつとめてリメイク版『嗚呼!!花の応援団』を製作します。監督は前シリーズの出演者であり殺陣師、高瀬道場を主催する国士舘大学卒業生高瀬将嗣さんです。あの「映画秘宝」に連載している人。なんだかアンソニー・パーキンスが生涯『サイコ』を追究していたのと似ているようでもあり、全然進歩がないようでもあります。アンソニー・パーキンスの場合は必ずしも自ら好き好んで「追究」していたわけではないのかも知れませんが。

キャリアがただひとつの作品に集約されてしまう、てゆうか本間さんの場合本当にひとつしかないんですが、そういったイメージの硬直化をきたしている点において、本間さんは森田さんに良く似ています。そして「安心のまちづくり 地域交番の強化を」から始まるその政策も、森田さんと瓜二つであると言って良いでしょう。本間さんこそ「千葉のモリケン」なのです。

この本間さんが2007年の参議院議員選挙に出たわけです。千葉の人たちはあーゆーふーだからどーせ本間さんは当選したんだろうと思うかも知れませんが、そうでもありません。地元千葉市における彼の得票数は35,073票であり、得票率は8.72%にすぎません。さすがに最下位ではありません。下から4番目です。千葉選挙区の定数は3名ですから、候補者が6人であれば当選していたところです。しかし残念なことに候補者は8人もいたのです。

この時の当選者は千葉選挙区で得票数順に長浜博行さん、石井準一さん、加賀谷健さんの3人でした。千葉市でもこの3人がトップ3ですが、順位は微妙に異なります。すなわち

加賀谷 健  (民 主) 98,725票 24.54%
長浜 博行  (民 主) 86,541票 21.51%
石井 準一  (自 民) 75,798票 18.84%
白須賀貴樹  (自 民) 41,727票 10.37%
本間  進  (無所属) 35,073票  8.72%  
浅野 史子  (共 産) 34,434票  8.55%
青木 和美  (社 民) 17,019票  4.23%
いわぶち美智子(国民新) 13,016票  3.24%

千葉市では加賀谷さんの順位が高く、石井さんの順位は低下しています。傾向としては千葉市では県全域と比較して民主党の得票が多かったようです。一方その頃本間さんは、千葉市の中でも地元の中央区の得票は多いのですが、選挙区全体では浅野さんに負けています。これは千葉県民が「タレント」候補に対して厳しい評価を下した、というよりは本間さんがかつて芸能人であったことも知らないような失礼な人の方が多いためであると思われます。県全体での本間さんの得票数は130,364票4.94%でしかありませんでした。

それで今度の千葉市長選は「与党系」候補は前副市長の林孝二郎さんですが、参院選で「与党系」に行った票を林さんが獲得するとして、ついでに本間さんの分も林さんに回すとすると、林さんの分は37.93%しかありません。熊谷俊人さんは「野党系」ですから、上の民主党、社民党、国民新党の分が期待できます。53.52%。共産党は勝手にやるそうですが、8.55%は無理かも知れません。県知事選での6.49%が固いところなんでしょう。この差分はほぼ熊谷さん行きです。

こうなると「野党系」楽勝に見えますが、連合とかゆー連中が林さんを支持しているようなのが気がかりな点かも知れません。実に4分の1という得票率を誇る加賀谷さんは東京電力の労組出身ですから、その得票の中には連合もしくは東電の組織票が含まれており、それは今回林さんに回ることになっています。これは東電及び関連企業関係の票ということになりますが、どのくらいになるかよく分かりません。しかし単純に考えると、共産党が6%、残り94%ですから47%の得票で勝てます。そこで「与党系」は「野党系」から6%をふんだくってくればいいのです。例えば先の参院選における6%とは2万4千人くらいの話しです。ちなみに東京電力グループの全従業員数が約8万人。その4分の1以上が千葉市に在住しているとはちょっと考えられませんな。まあ、あとは熊谷さんが若い、31歳だというので「この次で良いんじゃない?」と思うかどうかなんですが、世の中は「この次まで我慢できねえ」という気分なのねんのねん。ちょんわちょんわ。
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2009年06月03日

スーパーマリオネットブラザーズのラズル・ダズル

『供養になった』 香取軽トラ事件 公判参加の遺族

 香取市の路上で千葉銀行員の沢田智章さん=当時(24)=をはねて殺害した少年(19)の公判に遺族として出廷した智章さんの両親は一日、法廷で直接、被告人質問をした心境について、代理人弁護士を通じてコメントを出した。
 父の容之さん(56)は「(質問内容は)争点ではないかもしれないが、聞きたいことを聞けた。公判に参加することが供養であり、智章のため全力を出せた」とした。法廷で「あなたが殺した人は二度と戻ってこない」と智章さんを奪われた怒りを少年にぶつけた母の美代子さん(52)は「気持ちが言えて良かった」と振り返った。
 一方、少年が公判で謝罪の言葉を述べたことについて、両親は「その場しのぎだ。真剣には受け取っていない」とした。
 遺族の代理人弁護士は、容之さんの質問で、少年から「少年だから死刑にならない」との供述を引き出した点を評価。「非常に高い成果が得られた」と述べた。

2009年6月2日 東京新聞


「少年だから死刑にならない」というのは全くの誤りなんですが、他人の考えというものは分り難いものです。もしかすると「少年だから死刑にならないけど、少女は死刑になる」とでも思っているかも知れません。もっとも少なくとも最近では「少年」は死刑になっていますし、「少女」の例はありません。

いわゆる「発言に至るまでの経緯」としては、被害者の父親の沢田容之さんが少年に「でかい事件を起こそうと思ったのか」と質問したのに対して被告人は「でかいことをすれば5年ぐらい(刑務所に)入っていられる」と答え、重ねて「死刑になったとしても人を殺したか」と質問したところ「少年だから死刑にならない」と答えたということのようです。

「5年ぐらい」というのは「でかい事件」の定義として適当なだけに、「少年だから死刑にならない」という間違った認識が惜しまれるところですが、被告人は「軽度の知的障害」があるようなのですから無理な要求をするもんじゃありません。検察側が「軽度」と認定してるのですから、実際には相当程度の障害があると考えるべきでしょう。

ところで、容之さんの「死刑になったとしても人を殺したか」という質問の真意はどのようなものなのでしょうか。要するに容之さんは検察側の人間なのだから検察側が死刑を求刑する予定のあることを表しているのでしょうか。それは多分そうでしょう。まあだいたいそんなところだと思います。

しかし一方では、この質問は諾否で回答できます。つまり大雑把に言うと次の回答のいずれかになります。

(A)「死刑になるのであれば殺さなかった」
(B)「死刑になったとしても殺した」

検察側としては(A)の答えを得ることによって死刑の犯罪抑止効果を主張することが出来ます。また、(B)によって被告人の「凶悪さ」の例証とすることが出来ます。つまり容之さんの質問はどのように答えても検察側の有利になるような罠となっています。

被告人の「少年だから死刑にならない」という回答は、(A)の裏返しです。「(少年だから)死刑にならない」が故に殺したのであれば、「死刑になる」のであれば殺さなかったことになるからです。被告人の「死刑になるのであれば殺さなかった」という陳述は死刑による抑止効果の存在を仮定させるように見えます。

もっとも「死刑になるのであれば殺さなかった」と言うことが出来るのは既に誰かを殺した人だけですから、何も「抑制」されていないわけで、ここから抑止効果の存在を証明することは出来ません。ただそんな感じを与えるというだけのことです。まだ誰も殺していない人が「死刑になるので殺さない」と言っている場合に、「死刑になる」という条件を解除したら人を殺した、という場合には「抑止効果」の仮説を証明できるかも知れません。日本ではこのようなテストを行うことに極めて消極的です。外国で行われたテストでは概ね仮説の証明に失敗しているのがその理由でしょう。

しかしながら、被告人の回答は(A)特有の効果の他に(B)の効果をも併せ持つものです。すなわち被告人は「少年だから(死刑にならない)」という点を予め知っていたとされ、その点で殺意が明白であってしかも狡猾である、という話しになって来ます。つまり(B)の回答を得た時の「凶悪生の例証」をも与えたことになります。遺族側の弁護士が被告人の回答に対して「非常に高い成果が得られた」と高評価を与えてるのも、もっともな話しです。

このように「高い成果」が挙げられたのは、検察側の質問の構成の巧みさによるものでしょう。質問は「でかい事件」から始まって次にはいきなり「殺人」の話題に転じます。この事件では結果として被害者は死亡していますから、この展開は不自然ではないようにも感じられますが、被告人の述べる「動機」から「でかい事件」は導き出せるものの、そこから直ちに「殺人」には結びつかないのが玉にキズです。「父親と一緒にいたくなかった」のは分りますが、お望みとあらば人を殺さなくても「刑務所」くらい入れてくれます。「でかい事件」はなにも殺人に限ったものではありますまい。被告人の述べる「動機」は「殺人の動機」とはなり難いようです。

したがって本来ならば第1の質問の次には、被告人が「でかい事件」として具体的にどのような犯罪をイメージしていたのかが問題になるはずです。それはどうしても殺人でなければならなかったのか。実際のところ自動車をワザと人にぶつけて大怪我でもさせれば、それはそれで結構「でかい事件」なのです。

このときに「でかい事件」として人の命を奪うことを想定していた場合に確定的な殺意といったものが存在することになりますが、もしそうでなければ被告人において殺意が存在したとはいい難いかも知れません。ただ単に「でかい事件」というだけでは、この辺のことは全く分らないのです。そして実は被害者遺族としてもこのあたりの「経緯」、すなわち「被告人がなぜ殺人までしなければならなかったのか」、つまり「被害者はなぜ殺されなければならなかったのか」という点は興味のあるところだと思います。

警察では取調べの過程で「誰でもいいから殺そうと思った」という供述を得ているのですが、これは被害者の死亡という結果に誘導された可能性があり、仮に幸いにして被害者が一命を取り留めた場合にも「殺そうと思った」という供述が得られるものであるかというと、それはちょっと疑問です。さらに「でかい事件」で「5年ぐらい」というのはある意味で間違ってはいないのですが、殺人を念頭に置いた場合、たしかに「5年ぐらい」というのは殺人の最低刑ではありますが、一般的にはとてもそのくらいでは済みそうにありませんし、仮に被告人が「少年だから死刑にならない」ことを思いめぐらす程狡猾であるならば、人を殺したらいくら「少年」でも「5年」じゃ出られんだろうというくらいのことは考えることができるはずです。「5年ぐらい」で出てくるつもりの人は殺人など志してはいけないのです。

「父親と一緒にいたくなかった」ので「刑務所に入る」ために「でかい事件」を起こした、「でかい」のは「殺人」だ、そこで人を殺した、というのが検察側のストーリーのようですが、これはかなり無理のある飛躍したストーリーであり、被害者遺族を納得させるストーリーでもないでしょう。重傷で、植物状態でも死んでいるのとは違います。なぜ人が死ななければならなかったのか。実際のところ「殺人」と「でかい事件」との間の距離は随分遠いような気がしますが、検察側の質問構成は第2の問いをすっ飛ばして「動機」と「犯行の結果」の間にある広大な空隙を強引に埋めて、てゆうか飛び越えてしまいました。

ここでの検察の目的は事実の検証ではなくて印象操作にあることは明らかですが、さすがに検察官自身がこのような粗雑な質問をしなかったところで、まだまだ日本の検察も捨てたものではないと思わなければならないのでしょう。そのかわり検察は被害者の遺族に質問をさせるんですから大したもんです。「遺族の代理人弁護士」とやらは、検察側に有利な供述を引き出したことで素直に喜んでいるようですが、要するに罠にかけただけで、被告人が何故人を殺したのか、「遺族」は何故息子を殺されなければならなかったのか、全然わからんちんです。「5年ぐらい」のつもりで息子を殺された「遺族」が納得しているのかどうか分かりませんが、「気持ちが言えてよかった」という美代子さんはともかく、容之さんも「聞きたいことを聞けた」と満足のご様子。

考えてみればよくある事故でも「殺人だ」とか言い出すのが「遺族」というものなのであれば、それも仕方の無いことでしょう。彼等はどうしても「仇を取る」というような観念に支配されがちです。しかしその事で彼等を責めることは出来ません。大切なものを失った人が、少し大時代だとはいえ「仇討ち」というフレームに依存して気持ちを安定させることは、これはもう仕方のないことでしょう。人間はそんなに理性的ではありませんし、理性的な言動を期待すべきでない局面というものがあるのです。

「謝罪の言葉」を「真剣に受け取ってはいない」というのも「遺族」としてはむしろ当然でしょう。てゆうか「謝罪」なり「反省」なりがゲームの駒になっている以上は「仇討ち」フレームで動いている「遺族」がそれを「受け取る」ことはゲームのルール上あり得ないのです。逆にルールを理解しないプレイヤーは検察がやんわりと「参加」を拒否するかも知れませんし、検察は被告人からの「謝罪」があった場合の心構えを「遺族」にレクチャーするかも知れません。

検察としては「被害者遺族」のこのような心理を巧みに利用する、といったところでしょう。もっとも実際には検察は彼等の「参加」など特に必要とはしていないのですが、検察の方針に利する場合に限って「参加」を認めているようです。しかしそれでもその利用の仕方は、星島さんのときの「スライドショー」と同様、見世物的なものでしかありません。とにかく「報道価値」があるところが検察にとっての「価値」です。しかしその「報道価値」は、「被害者遺族」が検察と独立した地位にあることを前提にしているのです。そうでなければ単なる「検察補助員」でしかありません。

この点では唯一、読売新聞だけがちゃんと書いています。

千葉の銀行員殺害、「どう思うか」両親が19歳被告に質問

 昨年11月、千葉県香取市内で千葉銀行員沢田智章さん(当時24歳)が軽トラックにはねられて死亡した事件で、殺人罪などに問われた建設会社員少年(19)の公判が1日、千葉地裁であり、沢田さんの両親が被害者参加人として少年に心情や謝罪の意思などを直接質問した。
 前回公判で予定されていた被害者参加人による質問は、少年の退廷で中止となったが、この日も少年は暴れて一時退廷させられた。再入廷後も「今日はもう無理。俺帰るわ」などと声を荒らげ、席を立とうとしたが、弁護人らになだめられ、ようやく証言台のいすに座った。
 刑務員5人に取り囲まれた少年に対し、まず、沢田さんの父、容之(やすゆき)さん(55)が検察官席から質問。「でかい事件を起こそうと思ったのか」と問いかけると、少年は「でかいことをすれば5年ぐらい(刑務所に)入っていられる」と答え、「死刑になったとしても人を殺したか」との問いには「少年だから死刑にならない」と供述。
 続いて母の美代子さん(52)が「(あなたが殺した)男の人のことをどう思うか」と質問すると、少年は「申し訳なかったです。すみません」と初めて謝罪の言葉を口にした。
 もっとも、「死んだ人は何もできないのに、5年で(刑務所を)出たら何をするのか」と聞かれた少年は「一人で他の仕事探す」と答えており、両親と兄弟は、その後の意見陳述で、「(少年は)反省がなく、更生は期待できない」などと、涙声で極刑を求めた。

2009年6月2日 読売新聞


「仕事を探す」と言っている人の「更生は期待できない」そうですから、みんな刑務所から出たら正業につかずにホームレスになるか犯罪でもやって生計を立てろというのが沢田家のご両親とブラザーズ一同の一致した意見らしいのですが、混乱している「遺族」の言葉尻を捉えてからかうのは良い趣味ではありませんね。僕は悪趣味です。でも読売記者さんだけは「遺族」の質問が「検察官席から」行われたことをちゃんと書いています。沢田容之さんは検察官の席から、検察官の意志を代行するものとして、要するに国家権力の一部として機能させられることになってしまったわけで、何ともお気の毒としか言いようがありません。傍から見ればこれも「二次被害」と言えなくもないようですが、うまく乗り切れば、そうすりゃスターも夢じゃない。
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2009年06月02日

天皇伝説 南国の対決

阿久根市長選 「ブログ市長」竹原氏が再選

 2度にわたる市長不信任案可決に伴う鹿児島県阿久根市の出直し市長選が31日投開票され、ブログなどで議会や市職員を批判し「ブログ市長」と呼ばれた前市長の竹原信一氏(50)が、反竹原派の市議らが擁立した新人で元国土交通省職員の田中勇一氏(56)を破り、再選を果たした。1日の選管告示で市長に復帰する。2期目も議会攻撃などを続けるとみられ、市の混乱は今後も続きそうだ。
 竹原氏は選挙中も「仕事内容に見合わず、市民に比べて給与が高過ぎる」と市職員を批判し、争点化を図った。人件費を削減し給食費を無料化するなどと訴えた。過激な言動には批判もあったが、改革が遅れがちな議会や市職員への不満を幅広く取り込む形になった。
 これに対し、田中氏は「ビジョンなき改革は、破壊に過ぎない」と竹原氏の市政運営を批判。混乱が続く市政の正常化を訴えたが、出馬表明が今年4月と出遅れたこともあり、浸透できなかった。
 選挙中「市民が議会と市役所を監視できる環境を整備する」などと訴えた竹原氏に、反竹原市議らは反発を一層強めていた。議会は反竹原派の市議が過半数を占めており、今後も市長と議会の衝突が予想される。
 投票率は82.59%で、前回を7.09ポイント上回った。当日有権者数は1万9876人だった。【福岡静哉】

 確定得票数次の通り。

当8449 竹原 信一=無前<2>

 7887 田中 勇一=無新

 ◇「大変なことになった」肩落とす市職員
 再選を決めた竹原前市長は午後9時半すぎ、事務所で支持者と万歳三唱。記者団に2期目の抱負を聞かれると、笑顔は消え「市長という職が続くだけ。特別な感慨はない。責任者はあくまで市民の皆さん」と、淡々と語った。市職員に対しては「自治労は阿久根から出ていってもらう」と容赦なく攻撃した。
 50代の男性市職員は「大変なことになった。やりたい放題の独裁になってしまう。市政に具体的な弊害が出てからしか、有権者は選択の誤りに気づかないだろう」。

2009年5月31日 毎日新聞


なかなかどうも接戦であります。562票差。とはいえ有権者数およそ2万人という中での話しですから、これはこれで大した数字なのかも知れません。竹原さんはすっかり気を良くして「自治労」に敵意を剥き出しにしているようで、阿久根市民の諸君もそうなのかも知れませんが、竹原さんは市の「人件費を削減」する一方で民間の「人件費」についても非常に立派な御意見をお持ちですから注意した方が良さそうです。なんたって「経営という観点から見る」人ですから、経営者ではないそこらの一般市民共とは無縁なようです。

そういう意味では竹原さんは新自由主義の最後の徒花なのかも知れませんが、自分ではそう思ってはいないようです。それどころか「モーフィアス」だと思っているらしい。もっとも、「国がおこなう人工的な福祉に依存する体質は民族の自然回復力を劣化させる」などと書いているところを見ると典型的な新保守主義を援用した新自由主義者でしかないようなのですが。

もっともその「保守思想」たるやはなはだちょっとアレなシロモノです。はなゆーさんのところで竹原さんのブログ『阿久根市時報』から2007年6月7日のエントリ
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607
が晒されていましたけども、「天皇制に敵対的スタンス」なのかどうかは議論の分れるところです。少なくとも現在の「皇室」には「敵対的」なのかも知れませんが、「天皇制」そのものに対して「敵対的」なのかどうかは分ったものではありません。

で、竹原さんの「天皇について考える」というのは、内容としてはアレです、例の孝明天皇暗殺、その子を大室寅之助クンにすり替えるという話しをやっています。で、天皇は「数十万人」の日本女性を売春婦として海外に売却したと。売却するのは勝手ですが、天皇が中心となってそれを行って蓄財したという話しをするためには、その「天皇」は「すり替えられた」、いわばニセの「天皇」である必要があるわけです。別に「ニセモノ」でなくてもそういうことをすることは可能なのですが、要は明治以来の日本のあり方はどうにも弁護のしようがない、これはもう致し方の無いものとして置いておいて、しかしながら「天皇制」だけは擁護しなければならない。そこで悪いことをした「天皇」は本当はニセモノであるということになると大変に都合がよろしい。

しかしそれにしてもいくら何でも大室さんちを「どこの馬の骨ともわからない家系」はヒドいと思います。仄聞するに、大室寅之助は南朝系の血筋を引いているやに伺っておりますが。ともあれ、これはよく聞く、ありがちなネタですし、『阿久根市長選』の「お気に入り」にはその手のサイトが列挙してありますからどうにもなりません。たしかに、まあ、一種の、「保守」、みたいなもんなんでしょうけど、その「思想」は正に「徒花」に相応しいだけのことはあるようです。

その「思想」は『阿久根市時報』でお楽しみ頂けますが、それによれば、「社会主義、共産主義は全人類を一括管理する世界革命を目指している。全人類の公務員化すなわち奴隷化である。」ということのようなのですが、その3日前には「適材適所が阿久根を変える。人には平等も自由もありはしない。生まれた時から全てが違う。社会の有るべき姿は設計しなおす必要がある。主義や権利といった個人的妄想の暴走を許し、放置あるいは利用するから今のようになっている。」ということですから、竹原さんは立派な「共産主義者」に違いありません。竹原さんのブログは、いわば「真理」の宝庫です。「宇宙」なんかもよく出て来るし。例えば「志の低い市民は同程度の人間を選んでしまう。」とか。

まあ、最新のエントリが5月21日の「竹原市長が失職してから職員の態度が悪くなったと聞く。」という「情報源」も定かではない伝聞がちょっと書いてあるだけなのが失笑ものですが、選挙を前にちょっと脅かしておきたかったんでしょうね。しかし全体としては文章といい、コンビニで500円で売っているような「異端」加減といい、竹原さんは田母神さんのレベルには十分達していると思われます。てゆうか田母神さんもアレでそこそこ喰えているらしいのが笑っちゃいますが、世の中は相当に甘いようです。それを考えると竹原さんは田舎に埋もれさせておくにはまことに惜しいタレントであるともいえるでしょう。出来たら公選法違反で有罪としていただき、それを機に東京に出て来てはどうか。阿久根市などと違って道端に食べられるゴミも落ちているからきっと大丈夫です。

竹原さんの扱っている「天皇」ネタは渡辺文樹さんの映画『天皇伝説』でも取り上げられていたものですから、ご覧になった方も多いでしょう。僕も観たんですが、クライマックスのところで画面が見難くて、何が起こっていたのかよくわからんかった。でも渡辺さんのやりたいことは分ったので、誰かお金を出してあげてちゃんと撮れるようにすれば面白いアクション映画になったと思います。もっともそうなると、主演を交替しろとか、監督も交替しろとか、脚本も変更だとか、ついには元の企画が雲散霧消することになってしまう虞れもあります。しかし阿久根市では市長がこのネタをまるっきり鵜呑みにしているようですから、渡辺さんは直ちにフィルムと映写機一式を担いで子どもも連れて阿久根市に乗り込むことが出来るでしょう。先ず上映、しかる後に巧いこと言って阿久根市の貧しい予算の中から制作費をふんだくってリメイクしまってはどうか。たぶん竹原さんは出すと思うな。阿久根市で撮影するという条件で。それじゃまるっきり違うものになってしまいそうですが、沖縄を舞台にした『網走番外地』だってあるんだから良いと思う。
posted by 珍風 at 10:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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