2009年06月03日

スーパーマリオネットブラザーズのラズル・ダズル

『供養になった』 香取軽トラ事件 公判参加の遺族

 香取市の路上で千葉銀行員の沢田智章さん=当時(24)=をはねて殺害した少年(19)の公判に遺族として出廷した智章さんの両親は一日、法廷で直接、被告人質問をした心境について、代理人弁護士を通じてコメントを出した。
 父の容之さん(56)は「(質問内容は)争点ではないかもしれないが、聞きたいことを聞けた。公判に参加することが供養であり、智章のため全力を出せた」とした。法廷で「あなたが殺した人は二度と戻ってこない」と智章さんを奪われた怒りを少年にぶつけた母の美代子さん(52)は「気持ちが言えて良かった」と振り返った。
 一方、少年が公判で謝罪の言葉を述べたことについて、両親は「その場しのぎだ。真剣には受け取っていない」とした。
 遺族の代理人弁護士は、容之さんの質問で、少年から「少年だから死刑にならない」との供述を引き出した点を評価。「非常に高い成果が得られた」と述べた。

2009年6月2日 東京新聞


「少年だから死刑にならない」というのは全くの誤りなんですが、他人の考えというものは分り難いものです。もしかすると「少年だから死刑にならないけど、少女は死刑になる」とでも思っているかも知れません。もっとも少なくとも最近では「少年」は死刑になっていますし、「少女」の例はありません。

いわゆる「発言に至るまでの経緯」としては、被害者の父親の沢田容之さんが少年に「でかい事件を起こそうと思ったのか」と質問したのに対して被告人は「でかいことをすれば5年ぐらい(刑務所に)入っていられる」と答え、重ねて「死刑になったとしても人を殺したか」と質問したところ「少年だから死刑にならない」と答えたということのようです。

「5年ぐらい」というのは「でかい事件」の定義として適当なだけに、「少年だから死刑にならない」という間違った認識が惜しまれるところですが、被告人は「軽度の知的障害」があるようなのですから無理な要求をするもんじゃありません。検察側が「軽度」と認定してるのですから、実際には相当程度の障害があると考えるべきでしょう。

ところで、容之さんの「死刑になったとしても人を殺したか」という質問の真意はどのようなものなのでしょうか。要するに容之さんは検察側の人間なのだから検察側が死刑を求刑する予定のあることを表しているのでしょうか。それは多分そうでしょう。まあだいたいそんなところだと思います。

しかし一方では、この質問は諾否で回答できます。つまり大雑把に言うと次の回答のいずれかになります。

(A)「死刑になるのであれば殺さなかった」
(B)「死刑になったとしても殺した」

検察側としては(A)の答えを得ることによって死刑の犯罪抑止効果を主張することが出来ます。また、(B)によって被告人の「凶悪さ」の例証とすることが出来ます。つまり容之さんの質問はどのように答えても検察側の有利になるような罠となっています。

被告人の「少年だから死刑にならない」という回答は、(A)の裏返しです。「(少年だから)死刑にならない」が故に殺したのであれば、「死刑になる」のであれば殺さなかったことになるからです。被告人の「死刑になるのであれば殺さなかった」という陳述は死刑による抑止効果の存在を仮定させるように見えます。

もっとも「死刑になるのであれば殺さなかった」と言うことが出来るのは既に誰かを殺した人だけですから、何も「抑制」されていないわけで、ここから抑止効果の存在を証明することは出来ません。ただそんな感じを与えるというだけのことです。まだ誰も殺していない人が「死刑になるので殺さない」と言っている場合に、「死刑になる」という条件を解除したら人を殺した、という場合には「抑止効果」の仮説を証明できるかも知れません。日本ではこのようなテストを行うことに極めて消極的です。外国で行われたテストでは概ね仮説の証明に失敗しているのがその理由でしょう。

しかしながら、被告人の回答は(A)特有の効果の他に(B)の効果をも併せ持つものです。すなわち被告人は「少年だから(死刑にならない)」という点を予め知っていたとされ、その点で殺意が明白であってしかも狡猾である、という話しになって来ます。つまり(B)の回答を得た時の「凶悪生の例証」をも与えたことになります。遺族側の弁護士が被告人の回答に対して「非常に高い成果が得られた」と高評価を与えてるのも、もっともな話しです。

このように「高い成果」が挙げられたのは、検察側の質問の構成の巧みさによるものでしょう。質問は「でかい事件」から始まって次にはいきなり「殺人」の話題に転じます。この事件では結果として被害者は死亡していますから、この展開は不自然ではないようにも感じられますが、被告人の述べる「動機」から「でかい事件」は導き出せるものの、そこから直ちに「殺人」には結びつかないのが玉にキズです。「父親と一緒にいたくなかった」のは分りますが、お望みとあらば人を殺さなくても「刑務所」くらい入れてくれます。「でかい事件」はなにも殺人に限ったものではありますまい。被告人の述べる「動機」は「殺人の動機」とはなり難いようです。

したがって本来ならば第1の質問の次には、被告人が「でかい事件」として具体的にどのような犯罪をイメージしていたのかが問題になるはずです。それはどうしても殺人でなければならなかったのか。実際のところ自動車をワザと人にぶつけて大怪我でもさせれば、それはそれで結構「でかい事件」なのです。

このときに「でかい事件」として人の命を奪うことを想定していた場合に確定的な殺意といったものが存在することになりますが、もしそうでなければ被告人において殺意が存在したとはいい難いかも知れません。ただ単に「でかい事件」というだけでは、この辺のことは全く分らないのです。そして実は被害者遺族としてもこのあたりの「経緯」、すなわち「被告人がなぜ殺人までしなければならなかったのか」、つまり「被害者はなぜ殺されなければならなかったのか」という点は興味のあるところだと思います。

警察では取調べの過程で「誰でもいいから殺そうと思った」という供述を得ているのですが、これは被害者の死亡という結果に誘導された可能性があり、仮に幸いにして被害者が一命を取り留めた場合にも「殺そうと思った」という供述が得られるものであるかというと、それはちょっと疑問です。さらに「でかい事件」で「5年ぐらい」というのはある意味で間違ってはいないのですが、殺人を念頭に置いた場合、たしかに「5年ぐらい」というのは殺人の最低刑ではありますが、一般的にはとてもそのくらいでは済みそうにありませんし、仮に被告人が「少年だから死刑にならない」ことを思いめぐらす程狡猾であるならば、人を殺したらいくら「少年」でも「5年」じゃ出られんだろうというくらいのことは考えることができるはずです。「5年ぐらい」で出てくるつもりの人は殺人など志してはいけないのです。

「父親と一緒にいたくなかった」ので「刑務所に入る」ために「でかい事件」を起こした、「でかい」のは「殺人」だ、そこで人を殺した、というのが検察側のストーリーのようですが、これはかなり無理のある飛躍したストーリーであり、被害者遺族を納得させるストーリーでもないでしょう。重傷で、植物状態でも死んでいるのとは違います。なぜ人が死ななければならなかったのか。実際のところ「殺人」と「でかい事件」との間の距離は随分遠いような気がしますが、検察側の質問構成は第2の問いをすっ飛ばして「動機」と「犯行の結果」の間にある広大な空隙を強引に埋めて、てゆうか飛び越えてしまいました。

ここでの検察の目的は事実の検証ではなくて印象操作にあることは明らかですが、さすがに検察官自身がこのような粗雑な質問をしなかったところで、まだまだ日本の検察も捨てたものではないと思わなければならないのでしょう。そのかわり検察は被害者の遺族に質問をさせるんですから大したもんです。「遺族の代理人弁護士」とやらは、検察側に有利な供述を引き出したことで素直に喜んでいるようですが、要するに罠にかけただけで、被告人が何故人を殺したのか、「遺族」は何故息子を殺されなければならなかったのか、全然わからんちんです。「5年ぐらい」のつもりで息子を殺された「遺族」が納得しているのかどうか分かりませんが、「気持ちが言えてよかった」という美代子さんはともかく、容之さんも「聞きたいことを聞けた」と満足のご様子。

考えてみればよくある事故でも「殺人だ」とか言い出すのが「遺族」というものなのであれば、それも仕方の無いことでしょう。彼等はどうしても「仇を取る」というような観念に支配されがちです。しかしその事で彼等を責めることは出来ません。大切なものを失った人が、少し大時代だとはいえ「仇討ち」というフレームに依存して気持ちを安定させることは、これはもう仕方のないことでしょう。人間はそんなに理性的ではありませんし、理性的な言動を期待すべきでない局面というものがあるのです。

「謝罪の言葉」を「真剣に受け取ってはいない」というのも「遺族」としてはむしろ当然でしょう。てゆうか「謝罪」なり「反省」なりがゲームの駒になっている以上は「仇討ち」フレームで動いている「遺族」がそれを「受け取る」ことはゲームのルール上あり得ないのです。逆にルールを理解しないプレイヤーは検察がやんわりと「参加」を拒否するかも知れませんし、検察は被告人からの「謝罪」があった場合の心構えを「遺族」にレクチャーするかも知れません。

検察としては「被害者遺族」のこのような心理を巧みに利用する、といったところでしょう。もっとも実際には検察は彼等の「参加」など特に必要とはしていないのですが、検察の方針に利する場合に限って「参加」を認めているようです。しかしそれでもその利用の仕方は、星島さんのときの「スライドショー」と同様、見世物的なものでしかありません。とにかく「報道価値」があるところが検察にとっての「価値」です。しかしその「報道価値」は、「被害者遺族」が検察と独立した地位にあることを前提にしているのです。そうでなければ単なる「検察補助員」でしかありません。

この点では唯一、読売新聞だけがちゃんと書いています。

千葉の銀行員殺害、「どう思うか」両親が19歳被告に質問

 昨年11月、千葉県香取市内で千葉銀行員沢田智章さん(当時24歳)が軽トラックにはねられて死亡した事件で、殺人罪などに問われた建設会社員少年(19)の公判が1日、千葉地裁であり、沢田さんの両親が被害者参加人として少年に心情や謝罪の意思などを直接質問した。
 前回公判で予定されていた被害者参加人による質問は、少年の退廷で中止となったが、この日も少年は暴れて一時退廷させられた。再入廷後も「今日はもう無理。俺帰るわ」などと声を荒らげ、席を立とうとしたが、弁護人らになだめられ、ようやく証言台のいすに座った。
 刑務員5人に取り囲まれた少年に対し、まず、沢田さんの父、容之(やすゆき)さん(55)が検察官席から質問。「でかい事件を起こそうと思ったのか」と問いかけると、少年は「でかいことをすれば5年ぐらい(刑務所に)入っていられる」と答え、「死刑になったとしても人を殺したか」との問いには「少年だから死刑にならない」と供述。
 続いて母の美代子さん(52)が「(あなたが殺した)男の人のことをどう思うか」と質問すると、少年は「申し訳なかったです。すみません」と初めて謝罪の言葉を口にした。
 もっとも、「死んだ人は何もできないのに、5年で(刑務所を)出たら何をするのか」と聞かれた少年は「一人で他の仕事探す」と答えており、両親と兄弟は、その後の意見陳述で、「(少年は)反省がなく、更生は期待できない」などと、涙声で極刑を求めた。

2009年6月2日 読売新聞


「仕事を探す」と言っている人の「更生は期待できない」そうですから、みんな刑務所から出たら正業につかずにホームレスになるか犯罪でもやって生計を立てろというのが沢田家のご両親とブラザーズ一同の一致した意見らしいのですが、混乱している「遺族」の言葉尻を捉えてからかうのは良い趣味ではありませんね。僕は悪趣味です。でも読売記者さんだけは「遺族」の質問が「検察官席から」行われたことをちゃんと書いています。沢田容之さんは検察官の席から、検察官の意志を代行するものとして、要するに国家権力の一部として機能させられることになってしまったわけで、何ともお気の毒としか言いようがありません。傍から見ればこれも「二次被害」と言えなくもないようですが、うまく乗り切れば、そうすりゃスターも夢じゃない。


posted by 珍風 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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