2009年06月11日

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秋葉原殺傷事件:「悲劇繰り返さないで」献花たえず

 「二度と同じ悲劇が繰り返されないように」。東京・秋葉原の17人殺傷事件から1年を迎えた8日、事件現場の交差点には早朝から、被害者を悼む人たちが次々と訪れた。歩道には「安らかにお眠り下さい」とメッセージが書かれた花束などがたくさんささげられ、惨劇がもたらしたつめ跡の深さを改めて示した。【神澤龍二】

 東京都日野市の女性会社員(26)は06年夏、新宿駅構内で階段から転倒した際、殺害された東京芸大4年の武藤舞さん(当時21歳)が抱きかかえて近くの交番まで連れて行ってくれた。女性は妊婦だった。武藤さんは何度も「大丈夫ですか」「歩けますか」と声をかけてくれたという。
 その際は名前を聞けなかったが、ニュースで武藤さんの顔を見てショックを受けた。現場で8日、献花し「こんなに優しい人がいるのかと思った。こんな形でお礼を言うことになるなんて」と声を詰まらせた。殺人罪などで起訴された加藤智大被告(26)については「正直許せない気持ちでいっぱい。一刻も早く死刑にしてもらいたい」と語気を強めた。
 高校で武藤さんと同級生だった都内の女性会社員(22)は現場で手を合わせ「舞ちゃんはピアノが上手ですごく明るい子だった」と振り返る。事件は携帯のニュースサイトで知った。「武藤さんの名前を見て信じられなかった。1年がたち、ようやく事件と向き合えるようになった」と言葉少なに語った。
 交差点近くに職場がある派遣社員の女性(35)は、事件の10分後に現場を通りかかった。「自分も被害者になったかもしれない。わずかな時間で人の運命がこんなにも変わってしまうのか」とショックを受けたという。「私も(被告と同じ)派遣社員で境遇は一緒だが、不満を社会のせいにする考えは身勝手だ。どんな理由があっても人の命を奪うことは許せない」と話した。
    ◇
 加藤被告は逮捕後、約3カ月間の精神鑑定を経て、「刑事責任能力がある」と判断され、昨年10月に殺人や殺人未遂などの罪で起訴された。今月22日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で検察官や弁護人が立ち会って初公判前に争点を絞り込む第1回の公判前整理手続きが行われる。

2009年6月8日 毎日新聞


加藤クンクンの事件から1年目だということですが、この1年でマスゴミの姿勢も驚く程変わりました。別に変わっていませんが。昔は「遺族」が「犯人を死刑にしろ」と言っていたのですが、今ではそれを言うのは階段で転んだ人やなんかです。

「遺族」は心理的な危機に直面しているので多少おかしなことを喋っても、それは仕方のないことですし、他の人から見てもそれは十分に理解出来ることです。ところが最近ではこのような「記事」で主役を演じるのはむしろ「遺族」ではありません。むしろクローズアップされるのはエキストラ、文字通りの「通行人」なのです。エキストラにセリフが与えられ、レンズが向けられますが、しかしそれは彼等や彼女たちがエキストラであるという資格においてなのです。

ところで数年前に「なぜ人を殺してはいけないのか」という「問題」が流行したことがありました。そのときには説得力のある「回答」を提出することが出来た人がいなかったようなのですが、まあ考えてみればそれも当然です。

この「問題」は、よくある問題の一般的形式から具体例を抽出したものだったのです。一般的な問題とは「法による禁止は倫理的な悪と等価であるか」というものであり、投げかけられた問いは「あなたはなぜ『法による禁止は倫理的な悪と等価である』かのように語るのか」というものでした。つまり「なぜ『人を殺してはいけない』のか」というのが正しい文法です。

しかしこの問い方だと、問われた者は自らが無意識に前提している、しかもよく考えると間違っていそうな命題を白日の下に晒されるのですから、その答えは防衛的にならざるを得ません。つまり「人を殺してはいけない」という命題を自明のものとして、さてその「なぜいけないのか」を一生懸命に考えてしまうのでした。

これはまあ、「小難しい問題」です。「回答」が出ないことに特に問題はありません。おそらく答える必要もありません。答えが得られたからといって人殺しを止めるとか、答えを出せないとみんなが人殺しを始めるというわけでもないようです。多分これはどうでもいい問題です。

一方でそれよりずっと前に、実用的な人たちは正しい問題を設定していたものです。その問題というのは「なぜ人は人を殺さないのか」というものです。もちろん、実用を旨とする人たちですから、この問題設定は次のような課題と結びついています。「どうすれば人は人を殺すのか」。

アメリカ軍の研究によれば「人を殺してはいけない」という命令は無意味です。いくらかの人は命令にも関わらず人を殺しますが、多くの人はこのような命令と関係なく人を殺さないし、殺すように命令しても殺さないのです。多くの兵士においてろくに使いもしない鉄砲をぶら下げて歩いていたり、敵に当たらないように発砲して多くの弾薬を無駄に消費するという、エコロジカルでない行動が見られたことが明らかになりました。

地球にやさしいアメリカ軍当局にとってこのような現実は驚くべきものでした。これこそ地球温暖化の元凶に違いない。そこで軍はこの問題を深く憂慮し、広範な調査の結果一般的に人間は人間を殺すことに強い拒絶感を持つことを見いだしたので、これを克服する条件について研究しています。

その結果、第2次大戦で15〜20%でしかなかった兵士の発砲率はベトナム戦争においては95%にまで達する成果が上がりました。洗練された心理的アプローチが兵隊さんをターミネーターのような殺人機械に変えたのです。二酸化炭素の排出量が人間並みで、使えなくなると微生物によってほぼ完全に分解されるこのエコ仕様のターミネーターは、しかし戦地から帰って来ると故障することが多いようです。アメリカは壊れたターミネーターと、それから壊れていないターミネーターがウロウロしているトゥモローランドです。大変剣呑なようですが戦争やってる「普通の国」です。

戦場における麻薬の無料配布に関するワクワクするようなウワサとは無関係に、人が戦場で殺しを行うことが出来る条件はだいたい次のようなものであるとされています。

権威者の要求
 つまり上位からの命令が存在すること。
 いつも近くにいて尊敬に値し社会的に正統とされる権威に基づく明確な命令が存在することが望ましいのですが、注意しなければならないのはそんな立派なもんじゃなくてもエラい人の命令には従ってしまうものだということです。

集団による免責
 集団に編成されていること。
 集団からの圧力が働くと同時に匿名性による責任の分散が起こりますんで殺しもスムース&マイルド。

対象との距離
 対象への共感の消去。
 人種的民族的優越感とか相手は悪い奴なんだとか機械的手段による「標的」の非人間化。対象が遠くにいたり見えなかったりという物理的な距離も相手への共感を失わせます。

この点、日本人はバカなアメリカ人が比べて民族的優越性を示すことが出来ます。アメリカ軍による研究がある程度まとまったのはベトナム戦争前後の話しですが、日本民族の優れた知恵はこれらの心理的テクニックを日常行政の中で既に応用していたのです。連中が大掛かりなミサイルとメインフレーム・コンピュータで作り出している「距離」を、日本人は一枚の壁で実現し、集団的匿名性を幾つかのボタンで済ましています。そして殺害行為は司法によって判断され大臣によって命令されたきわめて正統的な要求に従っています。

死刑は戦闘であり刑場は戦場です。確かに敵は極めて無抵抗な状態に置かれていますが、戦場における主要な問題が敵の抵抗よりもこちら側の兵士における殺人への障害を乗り越えることである限りにおいて、そこはもっとも模範的な戦場なのです。

しかしこの戦場にいるのは警察官、検察官、裁判官、刑務官、法務大臣、弁護士、死刑囚、被害者、遺族といった輝かしき英雄ばかりではありません。秋葉原の「通行人」は「エキストラ」ですが、それは正確な意味において「エキストラ」なのであって、彼等は「臨時に」駆り出される裁判員=兵士なのです。英雄にはなれないかも知れませんが、殺人への障壁を立派に乗り越えた優秀な兵士であり、少なくとも当人はそのつもりであり、それを誇りとしています。

臨時召集兵にとって「権威」と「集団」と「距離」が丸ごとマスゴミによって与えられていることに注意すべきであり、毎日新聞の愛国的な報道姿勢をもっと評価すべきでしょう。もっとも中には自ら「集団」を編成して喜んでいる部隊も存在します。32万の署名は伊達や酔狂やクルクルパーではありません。戦場には「女神」がいたりするものです。ドラクロワが描いた革命の戦場で三色旗を掲げて民衆を導くおっぱいを出した女の人とか。女神のもとに参集する集団的熱狂を組織する磯谷富美子さんはもちろん現代の死のジャンヌ・ダルクです。おっぱいは出しません。

フランスのはマリアンヌ、イギリスのはブリタニアです。


posted by 珍風 at 11:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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