2009年07月07日

「誰でも」いいから安心・安全

繰り返される「誰でも」=秋葉原、茨城…無差別殺傷で−パチンコ店火災

 「誰でもいいから殺したいと思った」。大阪府警によると、大阪市此花区のパチンコ店放火殺人事件で逮捕された高見素直容疑者はこう語ったという。過去の無差別殺傷事件でも、容疑者が同様に供述した例は多くある。
 昨年6月の東京・秋葉原の通り魔事件で、7人を殺害した罪などで起訴された加藤智大被告は「世の中がいやになった。誰でもよかった。社会が悪い」と供述したとされる。
 高見容疑者も「人生に嫌気が差した」と話し、その理由について仕事や金がないことを挙げているという。加藤被告は派遣社員として働き、職場への不満が動機につながったと供述した。
 同年10月に大阪市浪速区の個室ビデオ店で客16人が死亡した放火事件では、小川和弘被告が離婚や早期退職で人生に挫折し、当初は「生きるのが嫌」と供述したとされる。
 同年7月の東京都八王子市の駅ビルで女性2人が死傷した事件で、逮捕、起訴された菅野昭一被告も「大きな事件を起こして両親を困らせようと思った」と供述。対象は誰でもよかったと話したとされる。
 昨年3月の茨城県土浦市の8人殺傷事件でも、金川真大被告が死刑になりたいとの願望を抱き、「誰でもよかった」と実行に及んだとされる。

2009年7月7日 時事


高見さんはまだ6万円くらい持っていたそうですが、借金が200から300万円あるそうなのでマイナス294万円と言った方が良いのかも知れません。なかなかどうして大したお金持ちだと言えそうですが、人間そうなって来ると強盗殺人でも何でもやってお金を作ろうなんて考える人もいるかも知れません。

もっとも、その手の犯罪で200万とか300万というのはそんなに簡単な事ではありません。タクシーなんか襲っていた日には10万もいかなかったりするものです。4人くらいでは無理かも知れません。それに高見さんはどうもそういう「方向」には行かない人だったようです。そんな人であればこんな事はしないわけですが、おかげで何人もの強盗事件の被害者の発生を未然に防いだというわけです。

しかし例えばこんな話しもあります。

960人流血事態、解雇恨んだ漢族のデマが発端 英紙報道

大規模流血事態を招いた中国ウイグル族の暴動は、工場から解雇されたある漢族労働者がまいた「デマ」が、漢族とウイグル族の長年の葛藤を増幅させて起こったと、英タイムズ紙が6日付で報じた。
同紙によると、今年5月と6月に、広東省韶関にある旭日おもちゃ工場にウイグル族約800人が就職した際、解雇された漢族労働者のチュ某氏は、自分がウイグル族のために会社から追い出されたと思い、恨みを抱くようになった。

チュ氏は先月16日、「西北から来た(ウイグル族)6人が、工場で漢族女性2人に性的暴行をした」という内容をあるネットサイトに書き込んだ。ネットや人伝えにこのデマは一気に広がり、両民族間の感情は悪化した。このデマを信じた同工場の漢族労働者数百人が先月25日夜、ウイグル族労働者の寮に押しかけ、ウイグル族を暴行した。26日未明まで続いた争いで、ウイグル族2人が死亡し、両民族から計118人の負傷者が出た。

中国当局は、性的暴行のデマを捜査し、事実無根であるという結論を下して、先月28日、チュ氏を逮捕したが、時遅かった。ウイグル族が漢族に暴行されて死亡したといううわさが広がって、ウイグル族を刺激し、今やウイグル自治区の分離・独立問題に飛び火した。

2009年7月7日 東亜日報


これがどうも事の発端だと言われているんですが、要するにクビになった人が不満をウイグル族にぶつけたというわけです。民族対立がある場合、「誰でもよかった」は起きません。不満をぶつけるべきターゲットが決められています。ましてやウイグル族については中国政府当局は独立運動の存在を危険視して新疆ウイグル自治区に軍を派遣しています。ということはつまりウイグル族は被征服民であり、したがって劣等民族であり、だからこそ危険なのですからいじめて良いということになります。

したがって「繰り返される「誰でも」」の背景を問うのであれば、ひとつには誰かが不満を持った場合に気軽にそれをぶつけることが出来る対象が集団として存在しないということに求めることが出来るでしょう。「無差別殺人」とは文字通り「差別」が無いことです。

もっとも日本に「差別」がないわけではありません。被差別者に襲いかかる人も結構います。しかし高見さんはそういう気にならなかったようですし、マスゴミもそのような犯罪にはたいして「異常性」を認めません。それはあたかも「差別」の存在が正常な状態であるかのようです。実際、「多数派」に属する誰かが殺されるような「「誰でも」犯罪」に比べると、差別犯罪は「治安」を脅かさないのです。それはそういう犯罪を犯す人の内面の問題に留まるのであって、「社会問題」ではないのでした。

高見さんがガソリンをまいている間にウイグル族は「暴動」を起こしています。高見さんも「暴動」を起こしたのですが、残念ながら1人きりの「暴動」です。こういうのは普通あまり「暴動」とはいいません。しかし同様に不遇とか不満に対する対処の仕方なのです。漢族はこの「暴動」を「世界ウイグル会議」あたりが「金を出して」煽動したなどと言っているようですが、そんな事で暴動が起きるのであれば日本ではとっくにやっているはずです。お金で煽動が可能なのは客観的な条件と主体的な条件が揃っている場合だけなのです。

しかし「「誰でも」犯罪」をやっている間は「暴動」は起きません。貧困にさらされ、借金はあっても仕事がない、そんな人が「誰でもよかった」とか言って1人で出掛けて行ってそこらへんの人を殺したりしているうちは「暴動」は起きません。最もビンボーで絶望的な状況なあり、したがって最も尖鋭的な分子が途を誤って「「誰でも」犯罪」を敢行します。したがってこのような犯罪は「暴動」を未然に防いでいます。

「治安」は例えばこのようにして「維持」されるでしょう。それは個人的な問題が公共から排除されることによって小さな「暴発」を起こすことによってなのです。高見さんの「暴発」によって、たしかに4人の命が失われましたが、「治安」というのは別段そこらの人たちの命を守ることではないのですから全く問題ではありません。それは「尊い」、しかし「当然の」犠牲ですが、まあ、一種の「内戦」の「戦死者」なのかも知れません。捨て駒とも言いますが。


posted by 珍風 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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