2009年09月03日

「珍風さんとはお友達でいたいの」 そんな「愛」なんてあるかよ

 現代の日本人に好まれている言葉の一つが「愛」だが、これは普通〈love〉のことだ。そのため、私が「友愛」を語るのを聞いてなんとなく柔弱な印象を受ける人が多いようだ。しかし私の言う「友愛」はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の「博愛=フラタナティ(fraternite)」のことを指す。 
 祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。 
 クーデンホフ・カレルギーは、いまから86年前の大正12年(1923年)『汎ヨーロッパ』という著書を刊行し、今日のEUにつながる汎ヨーロッパ運動の提唱者となった。彼は日本公使をしていたオーストリア貴族と麻布の骨董商の娘青山光子の次男として生まれ、栄次郎という日本名ももっていた。 
 カレルギーは昭和10年(1935年)『Totalitarian State Against Man(全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義とナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。 
 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。 
「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」 
 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。 
「人間は目的であって手段ではない。国家は手段であって目的ではない」 
 彼の『全体主義国家対人間』は、こういう書き出しで始まる。 
 カレルギーがこの書物を構想しているころ、二つの全体主義がヨーロッパを席巻し、祖国オーストリアはヒットラーによる併合の危機に晒されていた。彼はヨーロッパ中を駆け巡って、汎ヨーロッパを説き、反ヒットラー、反スターリンを鼓吹した。しかし、その奮闘もむなしくオーストリアはナチスのものとなり、彼は、やがて失意のうちにアメリカに亡命することとなる。映画『カサブランカ』は、カレルギーの逃避行をモデルにしたものだという。 
 カレルギーが「友愛革命」を説くとき、それは彼が同時代において直面した、左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だったのである。 
 戦後、首相の地位を目前にして公職追放となった鳩山一郎は、浪々の徒然にカレルギーの書物を読み、とりわけ共感を覚えた『全体主義国家対人間』を自ら翻訳し、『自由と人生』という書名で出版した。鋭い共産主義批判者であり、かつ軍部主導の計画経済(統制経済)に対抗した鳩山一郎にとって、この書は、戦後日本に吹き荒れるマルクス主義勢力(社会、共産両党や労働運動)の攻勢に抗し、健全な議会制民主主義を作り上げるうえで、最も共感できる理論体系に見えたのだろう。 
 鳩山一郎は、一方で勢いを増す社共両党に対抗しつつ、他方で官僚派吉田政権を打ち倒し、党人派鳩山政権を打ち立てる旗印として「友愛」を掲げたのである。彼の筆になる『友愛青年同志会綱領』(昭和28年)はその端的な表明だった。
「われわれは自由主義の旗のもとに友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」
 彼の「友愛」の理念は、戦後保守政党の底流に脈々として生きつづけた。60年安保を経て、自民党は労使協調政策に大きく舵を切り、それが日本の高度経済成長を支える基礎となった。その象徴が昭和40年(1965年)に綱領的文書として作成された『自民党基本憲章』である。
 その第1章は「人間の尊重」と題され、「人間はその存在が尊いのであり、つねにそれ自体が目的であり、決して手段であってはならない」と記されている。労働運動との融和を謳った『自民党労働憲章』にも同様の表現がある。明らかに、カレルギーの著書からの引用であり、鳩山一郎の友愛論に影響を受けたものだろう。この二つの憲章は、鳩山、石橋内閣の樹立に貢献し、池田内閣労相として日本に労使協調路線を確立した石田博英によって起草されたものである。 

「私の政治哲学−祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印」鳩山由紀夫


歴史的な「Fraternity」とは中世から近世にかけて社会の流動性が高まってきた頃に発生した俗人による宗教的組織であって、まあ一種の「信徒団体」のようなものですが、宗教性を軸として様々な社会階層を包含しており、相互扶助組織としての性格を持ち合わせていたようです。

このようなキリスト教的「友愛」を日本に持ち込んできたのが鈴木文治さんで、彼は1912年に「友愛会」という労働者の団体を作りました。これは「相愛扶助」を目的に掲げていて、やはり相互扶助組織として出発したのですが、当時の労働状況はそんな暢気なものではなかったので「友愛会」は労働組合化し、1919年には「大日本労働総同盟友愛会」に、1921年には「日本労働総同盟」になりました。

この「日本労働総同盟」は1920年代に何回かの分裂を通じて「純化」してゆき、気がついたら「反共」「労使協調」を称える「右翼」になっていきます。1932年には「日本労働組合会議」を結成、この頃から「日本労働総同盟」から分裂していった「左翼」はどんどん弾圧されて潰される一方、「総同盟」は戦時政策に協力して生き残ります。最終的には1940年に自発的に解散して「産業報国会」に合流し、「聖戦に協力するためにストライキを絶滅させる」とか「お国のためには血を流せ」とか言い出します。

戦後は「日本労働組合総同盟」として再生し、1947年の2・1ゼネスト後には「全日本産業別労働組合会議」と共に「全国労働組合連絡協議会」を結成するもアメリカの占領政策の転換に応じて脱退、1950年には左派が「日本労働組合総評議会」に参加したために分裂、ますます右派的になり、1964年には「総評」を脱退してきた「全日本労働組合会議」などと「全日本労働総同盟」を結成します。

この「同盟」が民社党系のナショナルセンターであり、「労使協調」「中産階級化」「左右の全体主義に反対する」を唱え、現在の「日本労働組合総連合」の主流派を形成します。「連合」結成後も「同盟」は「友愛会」として存続し、2007年に「友愛連絡会」として解散するまで、「友愛」の名は残されていました。

と思うのはまだ早い。実は「友愛」は未だに残っています。「総同盟」時代からの最重要の単産である「全国繊維産業労働組合同盟」、いわゆる「全繊同盟」、後に他業種の組合を抱えることになりカタカナとなって「ゼンセン同盟」、現在は「全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟」という長ったらしい名前になっていますが、これの現在の略称が「UIゼンセン同盟」であり、「UI」とは「友愛」のもじりです。

ちなみに「全繊同盟」から出て「同盟」の会長になった宇佐見忠信さんは右翼のナショナルセンター「日本会議」の代表委員であり、「UIゼンセン同盟」は「連合」の見解に反して徴兵制を肯定する立場であります。もっとも「連合」会長の高木剛さんは旭化成を経て「UIゼンセン同盟」会長にして「同盟」の後継組織としての「友愛会」の副会長でしたが。

「友愛」は日本の労働運動の主流派を占め、その政策は「労使協調」です。「労使協調」というのは、まあ要するに労使で密約を交わすことであって、組合員=正社員の権利を保護する代わりに非正規労働を導入する、そのかわり組合は非正規労働者を組織しない、というようなことです。いわゆる「格差」の影には右翼労働組合が大きな役割を果たして来たことは否定できません。

組合活動が企業内での出世と密接に関係していたりするのも特徴で、中小企業の場合だと10年前の組合委員長が今社長だったりするので油断が出来ません。中執ともなればほとんど経営者のようなつもりでいますから、何の役にも立ちません。

民主党では民社協会あたりの人々が「友愛」派ですから、鳩山さんの「友愛」にも大賛成でしょう。まあ、ちょっと違うのかも知れませんが、ほとんど同じことであるのは鳩山さんの文章からも一目瞭然であります。民社協会の「友愛」も、もともとはキリスト教精神に基づいてお互いに助け合おうというようなものだったわけですが、それが瞬く間にファシストとなり、長じては新自由主義の鬼のような同伴者となって暴威をふるったのでした。てゆーか、そもそも明らかに力の差のある場合に「友愛」が成り立つかどうか、これは男と女の間に「友情」が成り立つかどうかなんて話しよりもよっぽど分かりやすいようです。


posted by 珍風 at 23:59| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。