2009年09月19日

美しい日本語を味わう

「悲しみ全く変わらず」=千葉女児殺害から1年、母が手記

 千葉県東金市で昨年9月、保育園児成田幸満ちゃん=当時(5)=が殺害された事件から21日で1年が経過するのに先立ち、幸満ちゃんの母多恵子さん(38)が18日、手記を公表した。手記の全文は以下の通り。


 あの日から、1年が過ぎようとしておりますが、悲しみ、寂しさ、悔しさは全く変わっておりません。

 戻ることができるなら、あの日に戻ってやり直したい、いつもいつもそう思っています。

 裁判のめどがつくには、まだまだ時間がかかりそうです。

 今日まで、多くの皆さま方のおかげで生きてくることができました。本当に、ありがとうございました。

 まだまだ皆さま方にご負担をかけてしまうと思いますが、どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

 平成21年9月18日 成田多恵子。


 ◇同事件では、殺人や死体遺棄などの罪で無職勝木諒被告(22)が起訴され、公判前整理手続き中。弁護団は被告宅から幸満ちゃんの指紋が見つかっていないなどとして、公判で無罪を主張する方針を明らかにしている。

2009年9月18日 時事


もうすぐ1年ですが、まだ1年ではありません。考えてみればヘンなタイミングです。連休前という報道各社の都合に配慮したのかも知れませんが、それなら1年を経過した後の連休明けでも問題はありません。もっともこれは1年経過したからとか、していないからどうとかいう事でもありますまい。日付で人の気持ちが変わるわけではありません。しかしそうであれば事件発生後1年を記念したコメントに何の意味があるのか。これは当然、弁護側が無罪を主張する方針を明らかにしたことに対するものです。

勝木被告、無罪主張へ=「自白は誘導、犯人でない」−千葉女児殺害・弁護団

 千葉県東金市で昨年9月、保育園児成田幸満ちゃん=当時(5)=が殺害された事件で、殺人と死体遺棄、未成年者略取の罪で起訴された無職勝木諒被告(22)の弁護側は14日、「誘導された自白であり、犯人ではない」として、公判で無罪を主張することを明らかにした。

 主任弁護人の副島洋明弁護士が千葉地裁(栃木力裁判長)での公判前整理手続き後、記者団に語った。

 副島弁護士は、県警の家宅捜索で勝木被告の自宅から幸満ちゃんの毛髪や指紋は見つかっていないと指摘。幸満ちゃんの衣服が入っていたレジ袋から検出された指紋については、不鮮明で勝木被告と同一とはいえないとした。

 幸満ちゃんの体重と同じ重さ18キロの人形を使った弁護側の実験で、連れ去り場所とされる交差点から330メートル離れた被告宅まで運ぶことは難しかったとし、目撃情報がない点も不自然とした。

 捜査段階の自白は、勝木被告には知的障害があり、捜査官の誘導に迎合したと主張するとした。供述内容を理解する能力について、独自に被告の精神鑑定をするという。

2009年9月14日 時事


全裸の餓鬼の死体を気づかれずに運ぶのは可能かも知れませんが、人形を使った実験というのは「拉致現場」から「殺害現場」への運搬の実験であり、単に18kgの荷物を運ぶのではなくて手足をばたつかせ声を上げて抵抗するであろう生きた幼児を周囲に気づかれずに運ぶという神業をやってのけられるかという点。また被告人の部屋に被害者の毛髪や指紋、したがってその存在した形跡のない事、「殺害現場」とされる浴槽に抵抗の形跡がないこと。レジ袋の指紋については、衣服を詰める前に被害者を5分間水中に沈めていた後の、したがってふやけた指の指紋が残るものか、残るとしてその証拠能力如何が問題となるでしょう。

特に被告人において知的障害があり誘導に迎合した可能性がある事は相当マズイことになりそうです。物証がなくほとんど唯一の証拠である「自白」がそんなあやふやな事では困ります。そしてもしかすると実際に困っているのかも知れません。母親の「手記」は警察ならびに検察側の「困惑」の表現である可能性があります。

被害者の遺族というものは通例でも中立ではあり得ず、心理的に検察官に依存しがちであって、検察側としてはそれを利用するであろうことを考慮すべきでしょう。また一般的に言って子どもが殺害された事件において親は有力な容疑者なのであって、一時的にせよそのように取り扱われるはずであり、たとえ無実であっても容疑をかけられ続ける事が相当なプレッシャーとなる事は容易に想像できるはずです。したがって多恵子さんが勝手に「手記」を書いて発表したというよりは、これは検察の指示に従ったものであると思われます。

検察側としては相変わらず「被害者」への「同情」を煽動する事を狙っています。ったく、「裁判員制度」なんてものがあるのに困ったもんですが、「犯人」に「謝罪」を要求するような文言は含まれていません。奥床しいといえば奥床しいものであるとも言えます。控えめな表現というものは常に好意を持って迎えられるものです。もっともそれは往々にして自信の喪失の表れであったりします。いつもは法廷に「遺族」を引っ張り出して検察の求刑よりも重い「求刑」を出させたりしている検察にしてはたしかにこの「手記」のトーンは異常であり、もしかすると勝木さんが犯人ではない可能性がヒソカに見えてきてしまっているのかも知れません。

ところが「裁判のめどがつくには、まだまだ時間がかかりそうです」というところなどは、弁護側が無罪を主張する事を非難する意味合いを持っているかのようにも読めます。検察側としては当たり前でしょう。「拙速審理」を目指す政府の方針としても無罪主張は困った事です。しかしこれも被告人が犯人ではないという心証を検察自身が持っていると仮定すればなかなか味わい深い文章となります。

なお、言うまでもなく多恵子さんは容疑者としては2番目くらいになっていると思われますが、僕は犯人探しは不得手なので何とも言えません。しかし「あの日に戻ってやり直したい」というのは一体何をやり直すというのか、たしかにツッコミどころはないわけでもないのですが、これは検察としては一種の「保険」みたいなものとして置いてあるのではないかというような邪推は可能です。いずれにしても無駄のない良い文章であり、まったくもって美しいとさえ言ってしまっても別に構わないようなものです。検察が手練の小説家ぞろいなのも頷けるというものです。


posted by 珍風 at 23:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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