2009年11月09日

公判性発達障害

東京駅の女性突き落とし、25歳男に懲役9年

 JR東京駅の女性突き落とし事件で、殺人未遂罪などに問われた無職太田周作被告(25)の裁判員裁判の判決が9日、東京地裁であった。井口修裁判長は「見ず知らずの第三者を無差別に狙ったもので極めて悪質」と述べ、懲役9年(求刑・懲役12年)を言い渡した。

 判決によると、太田被告は3月23日午後8時10分頃、東京駅中央線1番ホームで、殺意を持って、電車を待っていた女性(当時60歳)の背中を押して線路上に突き落とし、進入してきた上り電車に接触させた。女性は入院13日間のけがを負った。

2009年11月9日 読売新聞


というわけで讀賣新聞、「見ず知らずの第三者を無差別に」騙してやろうという「極めて悪質」な記事であります。もちろんこの裁判の被告人である太田さんは「広汎性発達障害」でありまして、そのことから責任能力の判定がこの裁判の焦点だったりしたわけですが、そこのところに全く触れない筆さばきは玄人も裸足で逃げるし素人は元から寄り付かないというだけのことはあります。

実際のところ「広汎性発達障害」の概念は難解であり、難しいから飛ばしちまえという読売さんのいささか思い切りがよすぎる英断も、まあ知能の程度のよっては無理もないことでありますし、よく分かりもしないのにいい加減な事を書いて恥をかくよりは、という「生活の知恵」のようなものであると言ってもいいのかも知れません。

しかしながら事が裁判ともなると、そのようにして「賢明に」問題を回避するというわけにはいきません。解らないでは済まされないのが裁判官のツライところであります。解らなかったら勉強しなければなりません。しかしながら最近では事情は異なるようです。解らない事を理解するための時間などないのです。で、やっちゃいました。

【裁判員 東京地裁】東京駅ホーム突き落としの男に懲役9年判決

 JR東京駅で3月、女性が線路に突き落とされ軽傷を負った事件で、殺人未遂罪などに問われた無職、太田周作被告(25)の裁判員裁判の判決公判が9日、東京地裁で開かれた。井口修裁判長は「極めて危険な犯行で、被害者が死ななかったのは奇跡に近い」として、懲役9年(求刑懲役12年)を言い渡した。
 公判では、捜査段階の精神鑑定で軽度の広汎(こうはん)性発達障害と診断された太田被告ついて、障害がどの程度、犯行に影響を与えたかが争点となっていた。
 井口裁判長は「太田被告の知能は正常な範囲内で、高校時代の成績や法廷での受け答えでも裏付けられている。犯行当時、自分が何をしたのか理解しており、責任能力が一般人より低かったとは考えられない」と指摘。「発達障害で責任能力が低下していた」として懲役4年以下の判決を求めていた弁護側の主張を退けた。
 判決によると、太田被告は3月23日午後8時10分ごろ、東京駅の中央線ホームで、東京都小平市の60代の女性を後ろから突き飛ばして線路に転落させ、入ってきた電車に接触させて頭に軽傷を負わせるなどした。

200年11月9日 産經新聞


「広汎性発達障害」は知能の障害ではありません。したがって「高校時代の成績」とか「法廷での受け答え」によって「知能が正常な範囲内」であるとかそういうことはこの際全く関係がありません。どうも井口さんは「広汎性発達障害」の概念を知らず、知るための努力もしなかったものと見受けられます。もっとも井口さんの置かれた状況が、ベルトコンベアに追われる工場労働者と比べて特に羨むべき点があるわけでもないこともまた事実であります。

粗製濫造を方針とし拙速を旨とする最近の司法に於いては、裁判官は極めて短時間に仕事をこなすことが要求されますので、いきおいその仕事はいい加減に流れ、どうでもいいやとばかりのやっつけ仕事になりがちです。しかも仕事には一定の「見栄え」というものが要求されます。知らないからといって「わかりません」などとはとても言えません。知らなくても知っている振りをしなければならないのが裁判官のツライところであります。知らないからといって勉強するための時間はありません。そのうえ彼等は愚かな裁判員諸君の面倒も見なければならないのです。

精神鑑定「分かりにくい」=裁判員、責任能力低下認めず−ホーム突き落とし懲役9年

 JR東京駅(東京都千代田区)のホームから女性を線路に突き落としたとして、殺人未遂罪などに問われた無職太田周作被告(25)の裁判員裁判の判決で、東京地裁(井口修裁判長)は9日、「見ず知らずの人を無差別に狙った極めて悪質な犯行」として、懲役9年(求刑懲役12年)を言い渡した。
 弁護側が主張していた責任能力の低下は認めなかった。判決後の記者会見では、精神鑑定について「分かりにくかった」との意見が出された。
 太田被告は捜査段階の精神鑑定で広汎性発達障害と診断され、量刑上どう評価するかが争点だったが、判決は被告の知能は正常範囲内で、何をしているか理解して行動していたと認定。「犯行時の責任能力が一般人より低かったとは考えられない」とした。
 会見には裁判員経験者ら5人が出席。精神鑑定の専門用語について、「難しかった。分かる範囲ではなかった」(60代男性会社員)、「分かりづらかった」(20代男性会社員)とする感想が出た。一方、証人出廷した精神鑑定医の説明は、「分かりやすく、自分なりに理解できた」(20代会社員女性)と評価する意見が多かった。

2009年11月9日 時事


その点、裁判員はお気楽であります。彼等は自分たちが当の裁判の争点について何も理解していないということを平気で告白します。それは井口さんだって解っていないんですから、60代や20代の会社員連中の「分る範囲」を越えるのも仕方のないことです。中には「自分なりに理解できた」という人もいるようですが、これなどお気楽の極北です。「自分なりに」という留保が止め処もなく不安をかき立てます。それは往々にして全く「誤解できた」というだけであったりしますが、自分では解ったつもりになっています。井口さんだって「自分なり」の「理解」だったらしています。ただ問題はそれが間違っていたというだけの話しです。

この誤謬と不明の合議体が、それでも結論、つまり判決に行きつくというのはちょっと感動的な光景です。何をどう「合議」して「結論」に至ったものであるか、全く想像がつきません。とてもじゃありませんが僕などの「分る範囲」ではありません。しかし「僕なりに」想像すると、「広汎性発達障害」というものは理解できないので無視することにしたものと思われます。幸いにして被告人は高機能であるかに見受けられるので、これを言い分けにして障害による責任能力の低下については思い切ってなかったことにしてしまおう。

またまた幸いなことに、「広汎性発達障害」については臨床的な知見が積み上げられているとは言い難いようなので、これがもし仮に裁判官による裁判における判決であったら、世間はころりと騙されてしまったかも知れません。しかしながら素人とは恐ろしいもので、この「判決」に何の根拠もないということをバラしてしまいました。裁判員は精神鑑定における概念を理解せず、したがって責任能力について判定することが出来ず、それ故に判決を下すことが出来ないのです。この「判決」は「ん〜、何となく、9年くらい?」と語尾を上げなければ読むことが出来ません。

井口さんとしてはこのようなだらしのない裁判員を横目に、一人で勝手に判決を書かなければならなかったものと思われますが、しかし井口さんは、たとえ間違っていても「論拠」というものを用意しています。それは被告人に対する最低の礼儀でもあります。ああそれなのに裁判員共は「難しくて分らなかった」などと言って平気な顔をしています。人の気も知らないで。

それでも他人に9年間の刑務所生活を命じるのですからどれだけ優れた人たちなのか想像もつきませんが、まあ裁判員などというものは大体そんなもんでしょう。頭の良い人は上手いことを言って逃げていってしまったんでしょうから、法廷に雁首を並べている人たちがあまり気のきかないタイプであることは容易に想像できるというものです。そういう人たちに「責任」などを問うてみても、「好きでやってるわけじゃネエんだよ」なんて怒られてしまうのがオチです。誰が発達障害だかよく分かりませんが、しかし考えてみればそれは全く言う通りなのですから手がつけられません。


posted by 珍風 at 22:24| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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