2009年11月29日

福祉戦争の惨禍

相談業務 子の命守る 預け入れ130人回避 慈恵病院側 国に支援訴え 赤ちゃんポスト

 親が育てられない子を匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営する熊本市の慈恵病院の蓮田太二理事長は28日、同市役所で記者会見し、切羽詰まった母親らの相談に応じるなかで、預けるのを思いとどまってもらうなど、2008年度までの2年間で130人を守ることができたと明らかにした。
 ゆりかごをめぐっては、熊本県の検証会議が07年5月の運用開始から2年5カ月間に51人の子が預けられた事実を公表したが、それをはるかに上回る命が救われたことになる。蓮田理事長は、望まぬ出産や妊娠に悩む女性のためにも、匿名で24時間相談を受ける施設を各都道府県に一つずつ整備することなど国の支援をあらためて求めた。
 会見は、ゆりかごの課題を議論した熊本県の検証会議(座長=柏女霊峰(かしわめれいほう)淑徳大教授)が26日に最終報告書をまとめたことを受け、田尻由貴子看護部長も出席した。
 慈恵病院には、ゆりかごの開設以来、電話を含めて年に約500件の相談が全国からあり、助産師3人が24時間対応しているが、蓮田理事長は会見で「(預けることを思いとどまるなど)相談業務で救われた赤ちゃんは、預け入れられた数よりもはるかに多い」と強調。じっくり相談に乗ることで氏名や居住地を聞き出し、母子のケアにつなげていることを明かした。
 匿名で預かることには「安易な子捨てを助長する」と検証会議の最終報告書でも指摘されたが、蓮田理事長は「匿名性がなくなると相談に来る人がいなくなる」と語る一方で「匿名性を排除することは子どものアイデンティティー(自らの出自を知る権利)のためにも不可欠」とも述べた。田尻看護部長も「入り口は匿名でも実名化していく。そんな相談技術が大切」と話した。
 ゆりかごは、蓮田理事長がドイツの取り組みを参考に国内で初めて導入した。

2009年11月29日 西日本新聞朝刊


「相談技術」なんだそうです。「匿名性がなくなると相談に来る人がいなくなる」という懸念は当然でしょうが、「最終報告」では「「命を救う」というより、「養育をつなぐ」仕組み」であると言い張っているようです。しかしこれは、柏女さんが本気で言っているとは思えないような言い草であります。

報告書では盛んに「倫理観の劣化を懸念」しているようですが、仮に「倫理観」が「劣化」した親がいるとして、子どもがそのような親の手元に放置された場合にどのようなことが起こりうるか、柏女さんはよく知っているわけです。確かどこかで、彼は虐待の例について何か言っていたはずです。例えば市町村で子育て支援サービスをしていたものが、都道府県による一時保護せざるを得ない状況になると、それは都道府県において行なわれるので相互の連携が取れない。その結果一時保護が終わって家庭に帰ってくるときには市町村ではそれが分らない、そうこうするうちに「虐待死」が起こってしまう。あるいは市町村が児童相談所に一時保護を頼んでいるうちに殺されてしまうような例があるという、そういうことをどっかで言っていたわけです。

したがって「「顔の見える相談」には限界がある」と言いながら「匿名性を排除する努力が重要」だと言うのであれば、これはもう「虐待死」の発生を期待しているものと考えるのが当然です。なるほど「匿名」は「最善の利益」にはつながらないのかも知れません。そして「最善」か然らずんば「死」を、というのは、自分についてはそういうことを言うのも勝手ですが、赤ん坊に押し付ける話しじゃありません。

もっとも、「出自を知る権利」に関連して、柏女さんはどっかでこんなことも言っているようです。

今は虐待を受けていた子どもが多いので、関係をとるのがすごく難しくなってると思いますね。職員は大変だと思いますよ。私が学生時代のときには、親が亡くなっているけれど懐かしい思い出を持っている子たちがいたし、あるいは苦しめられた経験もない代わりに、親のことを何も覚えてない子たち。それはそれでまた、自分の人生を作って行くことが出来るけれども。今は親がいる。それで虐待されて、ずっと傷つけられて痛めつけられて来た。

http://yotuba-project.net/col01-03.html


虐待されるくらいなら親のことなど何も覚えていない方がまだマシというものです。柏女さんの現場での経験によれば、「アイデンティティー」のために酷い目に遭うことは必ずしも望ましいことではないようです。

ただし、「現場」といってもそれは児童養護施設とか児童相談所での経験です。一方で「赤ちゃんポスト」は病院が運営しています。幸いにして児童相談所などの制度に引っかかれば「虐待死」は比較的例外的な事象に属するのかも知れません。概ね餓鬼共はそこそこ元気でやっているはずです。しかし病院ではそうではありません。もとより病院ですから、来る餓鬼共は病気であるか怪我をしているか死んでいるかです。といってもそんなに頻繁に殺されているわけでもないでしょうが、まあそういうのばっかり見てるわけです。そして多くの虐待の例は柏女さんの方面とは関わりを持っていない可能性があります。

つまり柏女さんが相手にしている親子と、病院が相手にしている親子とは、わずかに重なり合う別の集団をなしているのではないでしょうか。柏女さんは、「赤ちゃんポスト」に関しては隣接する、しかし別個の領域の専門家であるに過ぎません。参考のために検証会に加わるのは構いませんが、座長を務めるのはどうかと思われます。

てゆーか、これは専門家の存在しない領域です。いわゆる「捨子」は、養護制度の中では漸減しつつある例外でしかなかったのですし、それは「捨てられた子」の問題として存在したに過ぎませんでした。今回初めて「捨てた親」が登場したのであって、これは全く新たな問題なのです。そしてワケの分からない問題に直面させられた柏女さんは、そういう目に遭った人が概ね呈するような反応を見せてくれました。

「倫理」ってのは、要するに柏女さんの「宗教」です。寺に育ち、それに反発したらキ印教に行ってしまったような柏女さんに幼少の頃から染み付いた宗教的価値観が偽装したものでしかありません。ワケがワカメだったので慣れ親しんだものがついつい出て来てしまったのでしょう。こういうのを「お里が知れる」と言いますが、なんと千葉だとか。

そういうわけなので、柏女さんとしては、この「親」に関する新たな問題を自分の専門に引きつけて解決しよう、てゆーか従来の問題の構成の中でしか考えられなかったわけですが、当然お仕事の都合もあるでしょう。「赤ちゃんポスト」が全国的に広がることを「容認」するならば、医療機関に主導権を奪われる可能性があるのです。児童相談所は病院から相談者を回してもらうようになってしまう。そしてそれは「親」のニーズにも合致しています。それはなにも「匿名性」だけではありません。例えば同病院では多数の相談事例があり、それについて「最終報告」では「医療機関という安心感やメディアやネットで情報を得やすいこと、相談無料であること」をその理由として挙げています。病院は魅力的なのです。

そこで柏女さんが採用した方針が「赤ちゃんポスト」を児童相談所と同じくらいに不便で魅力のないものにする、ということだったのは甚だ残念なことですが、児童相談所の「不便」については制度上の問題の他にその数の少なさ、専門職員の不足などの問題があって、これらに関しては児童福祉に必要な予算を割いてもらうことで解決が可能だったりします。そうであれば柏女さんが自分の領域を拡張する余地はあり過ぎるほどある。そのためには余計な手を差し伸べる奴はとにかく叩き潰して、餓鬼を殺し続けて予算を獲得するという、まるでもうテロリストのような気分になってしまうのも無理はありません。


posted by 珍風 at 22:36| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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