2009年12月31日

中国に追いつき追い越し殺しにいけ

英首相、中国の死刑執行非難…恩赦要請27回

 【ロンドン=大内佐紀】中国当局が、英国人アクマル・シャイフ死刑囚の死刑を執行したことについて、ブラウン英首相は29日、「寛大な措置を求める我々の度重なる要請が認められなかったことに驚き、失望している。最も強い言葉で非難する」との声明を発表した。

 BBC放送によれば、英政府は過去2年間で27回にわたり、精神疾患があるとされるシャイフ死刑囚の恩赦を中国政府に求めてきた。28日夜も、英外務省高官が駐英中国大使を呼び出し、刑を執行しないように求めたばかりだった。
 人権団体や精神疾患患者を支援する団体関係者は28日から夜通し、在英中国大使館を囲み、恩赦を求める運動を展開。シャイフ死刑囚の命運は英国で高い関心を集めていた。英国では死刑が廃止されており、死刑に対する忌避感が強い。

2009年12月29日 読売新聞


可哀想な大内さんのために申し添えれば、「死刑に対する忌避感が強い」のはイギリスに限ったことではありません。「EUは死刑制度のない世界を求めています」。EUは中国のような文明国におけるEU市民の生命だけではなく、日本のような野蛮国の猿のような住民の生命にも強い関心を示しています。

2009年7月28日に日本で3人の死刑が執行されたことに関する欧州連合を代表する議長国声明

EU News 216/2009
2009/07/30
欧州連合理事会
ブリュッセル
12502/09 (Presse 237)
P 88

<日本語仮訳>
欧州連合(EU)は、2009年7月28日に、山地悠紀夫、陳徳通、前上博の3氏に絞首刑が執行されたことに対して、深い遺憾の意を表する。
欧州連合は、いかなる場合においても、またいかなる環境下でも、極刑の使用に反対しており、全世界的廃止を一貫して求めている。我々は、死刑の廃止は、人間の尊厳を守るために、また人権の漸進的発展に不可欠であると確信している。欧州連合は、この刑は残酷かつ非人道的であると考える。死刑に抑止力があると証明されておらず、どの司法制度においても不可避である司法の誤りは、取り返しのつかないものである。よって、欧州連合全域において死刑を廃止している。
また、欧州連合は、2008年12月18日に、国際連合総会が死刑に関する決議を採択したことを想起する。これは、2007年12月に採択された決議を再確認するものであり、死刑の使用を続けているすべての国に対し、同制度の廃止を目的として、執行の停止を決定するよう要求している。
欧州連合は、世界各地における広範な人権問題に関する日本との協力を歓迎し、重要視している。欧州連合は、この機会において、死刑を法的に完全に廃止するまでの間、その適用を停止するよう日本政府にあらためて要求する。
欧州連合は、総選挙後に発足する日本の新政府を訪問し、日本における極刑の使用に関する欧州連合の見解を表明する意向である。

駐日欧州連合代表部


同様の声明は2008年にも2回出されています。ちなみにこの声明を出すのは大内さんによって「死刑に対する忌避感が強い」とされるイギリスではなく、EUの議長国であるスウェーデンであることは、讀賣新聞さえ読まなければ誰にでも分ることです。

そればかりではありません。中国外務省によれば、当の中国ではなんと驚くべきことに死刑制度を廃止する条件を探っているところです。

中国で英国人死刑執行 麻薬密輸罪

 【北京=朝田憲祐】新華社通信によると、中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市で二十九日、麻薬密輸罪で死刑判決が確定していた英国人アクマル・シャイフ死刑囚(53)に対し、注射による死刑が執行された。
 欧州メディアによると、中国で欧州の市民に死刑が執行されたのは一九五一年以来でほぼ半世紀ぶり。また国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの発表では、二〇〇八年の中国の死刑執行は少なくとも千七百十八人に上り世界最多。今回の執行で国際社会からの非難があらためて高まりそうだ。
 中国外務省の姜瑜副報道局長は二十九日の会見で、英国政府が反発していることに対し「麻薬犯罪撲滅は全世界の人たちの心の声で、いわれない非難だ」と強い不満を表明。「中英関係を損なわないよう誤りを正すべきだ」と述べた。
 また、死刑制度を維持していることについて「制度廃止の条件が整っていないためだ」と強調。死刑問題では抑制的で慎重な取り扱いをしているとした。
 シャイフ死刑囚は〇七年九月、タジキスタン発の航空機でウルムチに到着した際、空港でヘロイン約四キロを所持しているのが見つかり逮捕された。死刑判決は今年十月に確定。北京の英国大使館や人権団体などは、同死刑囚に精神疾患があるとして精神鑑定を申請したが、中国の最高人民法院(最高裁)は「精神状態に疑いを抱く理由はない」と却下。「死刑適用は麻薬犯罪防止に有益だ」としていた。
 中国では、日本人男性四人も麻薬密輸罪で死刑判決が確定しているが、いずれも最高人民法院が審査中で執行されていない。

2009年12月30日 東京新聞


一般的に政府機関の発言は慎重に取り扱うべきであって、あまり信用してはならないのですが、とにかく姜瑜さんによれば、どうして中国では未だに死刑をやっているかというと、それは「制度廃止の条件が整っていないため」なんだそうです。つまり条件さえ整えば死刑制度は廃止されるというわけです。

だからといって廃止するつもりがあるわけではないでしょう。「条件」のなかで最も影響力の大きいものは、おそらく中国政府における死刑廃止の意志であり、それは当面存在しないようですから近い将来に「条件が整う」ことは全く期待できません。にもかかわらず、この発言によって中国政府は、ついうっかりとして、死刑制度は廃止されるべきであるという認識を示してしまったわけです。

中国は2008年の2月に日本や北朝鮮その他と一緒になって国連に死刑存置の「口上書」を提出したりしていたものですが、実際には死刑制度に積極的な意味を見いだしていないようです。日本では、いわゆる「世論」と、昔森山さんが言ってた「死んでお詫びをする」、という、これは要するに西洋から観た「ハラキリ」文化をそのまま言っちゃっただけなんですが、そんなテキトーな「文化論」でもって死刑制度を維持したいわけですが、「世論」や「文化」が「正しい」とする説得力を持ちません。中国は死刑は廃止されるのが「正しい」という認識を示していますから、中国が日本に対して優勢なのは、なにも数をこなしているからというだけでもないようです。また来年こいばいいからなー。
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2009年12月29日

Do You Re-remember Me??

前田日明氏、民主から参院選に出馬へ 女優・岡崎友紀氏も

 元総合格闘家の前田日明(あきら)氏(50)が、来夏の参院選比例代表に民主党公認で出馬することが28日、わかった。前田氏は、8月の衆院選で民主党候補の応援演説を行うなど、同党との関係を深めていた。
 前田氏は昭和52年に新日本プロレスからデビュー。現在は総合格闘技「THE OUTSIDER」などをプロデュースしている。在日韓国人であることを公表しており、日本国籍を取得している。
 民主党は参院選比例代表に全国的知名度を持つ候補者の擁立を積極的に進めており、テレビドラマ「おくさまは18歳」などで知られる女優の岡崎友紀氏(56)も民主党公認で出馬する予定。

2009年12月29日 産経ニュース


岡崎友紀さんが「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」と言いいながら出て来たときにはみんなバツの悪い思いをしたものです。すっかり忘れていたもんですから。それだけに、当時は「ヒデエな」と思ったりもしたことを、私は忘れない。もっとも、考えてみれば岡崎友紀さんの事を思い出したのも、この曲の作曲者である加藤和彦が亡くなったからなのでした。

岡崎友紀さんといえば『おくさまは18歳』に始まるシリーズで当時大変人気のあった人です。このシリーズはいわば「大映ドラマ」のハシリともいえる作品群でありますが、岡崎友紀さんはこのシリーズ全5作において、4年にわたって主演をつとめられましたので、人は岡崎さんはいつまでたっても18歳だと思っていたものです。

『おくさまは18歳』1970年9月29日〜1971年9月28日
『なんたって18歳!』1971年10月5日〜1972年9月26日
『ママはライバル』1972年10月4日〜1973年9月26日
『ラブラブライバル』1973年10月2日〜1974年3月26日
『ニセモノご両親』1974年4月2日〜1974年8月27日

4年連続で主演なんて、今では全く考えられないことですが、このシリーズ終了直後から大映テレビは怒濤の「赤いシリーズ」に突入していくわけであります。これは山口百恵さんのシリーズとして記憶されているのですが、山口百恵さんの主演作としては2クールの中断を挟みながら3年、大目に見積もっても3年半です。シリーズとしてはその後も、あろうことか能勢慶子さんなどを起用して続いてゆくのですが、実際のところこのシリーズの主演は宇津井健さんに他なりません。とにかく4年というのは大変な事でして、山口百恵さんも及ばなかったという。

『奥様は18歳』は、佐々木守さんがたまたま網走で『週刊マーガレット』を見ていてみつけた本村三四子さんの漫画を原作としますが、ちょうどその頃佐々木さんは『お荷物小荷物』という、7人の登場人物の名前が「仁義礼智忠信孝」という「滝沢家」に、沖縄から中山千夏さんが来て復讐したり志村喬と結婚したり周りの人にインタビューしたりするかと思えば辺境最深部を往還して熊を取り戻しに来たりする、いわゆる「脱ドラマ」とかをやっていたものですから、岡崎友紀さんのシリーズにもその影響が垣間見られます。

「脱ドラマ」とはドラマの虚構性を強調するために「現実」をドラマ内に侵入させようとする手法の事かと思われますが、テレビドラマとして観れば大変面白いものです。しかしながらそういうことをやっているうちに、その「現実」が演出されているのではないかと疑われますし、そうなるとこれは虚構の入れ子構造でしかないわけで、よく考えてみれば別段なんということもありません。

そこで久世光彦さんなんかは逆に、「現実」にドラマを侵入させるでしょう。そして大映テレビはまた別の手法を取ろうとします。それが非現実性の過剰さというようなもので、あり得ないような話しをあり得ないような演出で見せることによって虚構性を際立たせようとする「大映ドラマ」の手法であるといえるでしょう。そして「脱ドラマ」から「大映ドラマ」への転換は岡崎友紀さんと山口百恵さんの間に存在したのです。一方で中山千夏さんの位置を、久世光彦さんにおいては例えば戸川純さんなんかが占めることになります。

ところで戸川純さんが芸能界を志したきっかけは『ゲバゲバ90分』なんだそうですが、この、数多くのショートコントを中心に90分枠で週1回放送するという、どう考えてもムリのある番組にも岡崎友紀さんはレギュラーで出演していて、鏡の中から出て来た手にカツラを取られたりしていましたからエラい事です。

今と違って当時はTVは面白いものだったのですが、そこには岡崎友紀さんがいたわけです。もっとも当時でも今と同じくTVは面白くないので、例えば『奥様は18歳』ならびに『なんたって18歳!』は、半年ずつ例の『おれは男だ!』とオンエア時期がかぶっているのですが、これなどはTVのつまらなかった例です。

てゆーか、同様に少女漫画を原作としながら、片や内緒で結婚してオマンコなどもなさっている女子高生のクリティカルなストーリーをクリティカルな手法で表現したのに比べて、千葉県知事様は若くして既にこじらせた童貞を竹刀で表現しようという古臭い象徴主義でしかなかったのですから、岡崎友紀さんの優位は当時からして明らかでありました。要するにそっちの方が面白かったのです。岡崎さんはいつまでも18歳ではないのでその後は環境問題などをテーマにしているようですが、森田さんは未だにあの当時のまま、身動きの取とれない自縄自縛の地獄の底から千葉県民に呪いをかけているのでした。

19歳の山本リンダが異様。
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2009年12月27日

裁判員裁判はそのうち盟神探湯を始めると思う

判決と求刑比のばらつき大 裁判員裁判、年内は18日で終了

 年内の裁判員裁判で実刑を言い渡された被告110人の判決と検察側求刑を比べると、平均79%で、従来の“相場”とされる「求刑の8掛け」だが、90%以上20人、半分以下6人と、ばらつきが大きいことが20日、共同通信の集計で分かった。一方、地裁職員が裁判員経験者の記者会見で質問に介入するなどしたケースは21件に上り、大きな課題となっている。
 年内の裁判員裁判は18日終了。同日までの集計によると、判決は50地裁(8支部含む)で計138件(被告142人、全員有罪)あり、実刑は(1)無期懲役1人(2)懲役15年以上12人(3)10年以上15年未満8人(4)5年以上10年未満72人(5)5年以上10年以下の不定期刑1人(少年被告)(6)5年未満16人。
 求刑との比較割合は、和歌山地裁の強盗殺人事件など求刑通り(100%)7人、99〜90%13人、89〜80%41人、79〜70%25人、69〜60%18人。
 また求刑の半分(50%)が5人(松山地裁の傷害致死や鳥取地裁の強盗致傷事件など)おり、求刑と最も差があったのは佐賀地裁の殺人事件の38%。最も多い割合は75%で、11人だった。

2009年12月20日 共同


平均が79%であるから、要するに「相場」に収束しているわけです。騒ぐほど「ばらつき」が存在するわけではありません。求刑と比較して89〜70%の判決は66人であり、6割が「相場」のプラスマイナス10%におさまっています。もちろん従来に比較すると「ばらつき」は大きいわけですが、それはむしろ検察の言うなりに判決を出していた裁判所がオカシイだけです。

裁判員による判決が求刑に比べて著しく低い場合、裁判員において「犯罪」に対する一定の観念を抱いており、実際に目の前に差し出された「罪」が、どうもイメージに合わないという事情があるのかも知れません。例えば「50%」の鳥取地裁判決は「強盗致傷」という怖い文字が並ぶ罪名ですが、実際には万引が見つかったので自動車で逃げようとしたらガードマンがしがみついて来て、そのまま低速で600メートルくらい走っていたらガードマンが軽傷を負った、という例です。「強盗致傷」というと刃物や銃器を持って押し入り、刺創や銃器損傷を負わせてそこらが血だらけ、という、正に「犯罪の華」と言って良いような印象がありますが、実態はこんなツマラナイものであったりするので注意が必要です。

「傷害致死」も世間で立派に通用しそうな罪名ですが、松山地裁判決の例では被告人が飲酒運転をしようとするところを止めようとしてその腕を掴んだ婆さんを振り払ったらひっくり返っちゃって、打ち所が悪くて死んでしまったものです。恥ずかしくて人前に出せないような「犯罪」、てゆーか一種の「事故」のようなものです。実際のところ障害の故意があったのかどうか極めて疑わしいのですが、暴行の故意があり、過失によって障害を負わせた場合は傷害罪を適用する事になっています。とはいえ、これはいわば微妙な領域ですから、判決において情状等を理由として減軽してもあまり不当とは思えません。

また、同じく50%のもので大阪地裁の覚せい剤取締法違反判決では、共犯のヤクザ3人と共に覚醒剤1.8kgを営利目的密輸しようとした人について、検察は「1.8kg」の密輸について4人それぞれに責任を問うという、雲助タクシーのような求刑を行ったところ、判決では被告人当人が担当した989gについてのみ問題にすることにしたもので、求刑10年と500万円に対して5年と350万円としました。この判決によって、全部で4人もいるのに半分を素人に押し付けたヤクザの卑劣さが輝きを増します。さぞ重かった事でしょう。ご苦労様でした。

もしかするとじゃんけんで負けたので一番重いやつを持つことになっただけかも知れません。ところで、求刑比「38%」の佐賀地裁判決は、60歳のお父さんが乱暴者の30歳の長男を薬で眠らせたところを掛矢で叩き殺した例です。被害者に落ち度があったということですが、家庭内や親族内での殺人の場合、被害者には多少なりとも「落ち度」があったりするものではないでしょうか。要はその「落ち度」が「客観的」に見て甚だしいものであると、その場にいた裁判員にも感じられたという事のようですが、その場にいなかった裁判員でない人の「客観的」な意見の中には、息子が息子なら親も親、遺伝か環境か知らないがこの親にしてこの子あり、いくら何でもハンマーで頭を潰すかよ、というものがあっても不思議ではありません。

その他求刑に比較して低いものでは京都地裁におけるアル中の長男(58)を絞め殺した86歳の母親について、5年の求刑に対して判決は3年執行猶予5年とした例もあります。年齢が年齢だけに実刑判決は即ち終身刑を意味する事になりそうですから仕方ないのかも知れませんが、やはりこのような例には裁判員の「同情」が集まるものとされています。確かに家庭という牢獄に閉じ込められて息もつけない、成人した子どもがやらかした事で親が糾弾されるという世の中ですから、今日は裁判員でも明日は被告人席に座っているかも知れない、というのが一般の人の感覚であろうと思われます。

これは家族の中の困り者を内部で自由に処分する事に関して、その「権利」を認めないまでも少なくとも同情的な傾向を意味します。いわば家父長の懲戒権に接近しようとしているわけですが、これは法の下の平等に反するものであり、日本の刑法でいえば削除された尊属殺人罪または尊属加重規定の反対解釈として慣例的に行なわれていた卑属軽減の復活であると言って良いでしょう。佐賀地裁判決は限りなく違憲に近いものであると言えるかも知れません。

まあ、親がそんな考えだから家庭内に諍いが絶えないんでしょうし、ついにはマイホームの居間を血の海と化すようなことにもなるでしょう。その意味で裁判員がこのような被告人に同情的であるのは全く理解可能です。しかしながら「市民」の感覚が検察もビックリの前近代的なものである点に、裁判員制度の困難が存在します。法体系が保護している権利について、一般人の「感覚」は理解する事が出来ません。「平等」とはとりわけ「弱者」や「少数者」について守られなければならないところ、少なからず「強者」であり「多数者」であることが一般的な「市民」の「感覚」とは相反するものである事は明らかなのです。そして裁判員制度の元での裁判は、攻守双方が「感覚」に訴求しようという退行的な傾向を持っています。

もっとも、判決における求刑との乖離が問題になるのはむしろ検察内部においてでしょう。特に判決が求刑の半分とか、それ以下になるようだと高等検察庁に報告しなければならず、検察ではかなり問題になるものです。このような場合にその原因として考えられるのは、要するに「感覚」のズレです。ところが現状では検察においても、専ら裁判員の「感覚」に迎合しようとしていたのであり、それがこのような乖離を生んだものであると言うことが出来るでしょう。しかしながら、検察としては形式的にも憲法に反する求刑など出来るものではありません。したがってある場合においては乖離を容認するか、裁判員にもうちょっとものを考えてもらうようにするか、どちらかしかありません。まあ、現状では、感覚に基づく判決を我慢してもらうしかないでしょう。担当検察官をあまり責めないであげて下さいね。
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2009年12月24日

艶っぽい嘘と無粋な騙しについて

「われらのテナー」と呼ばれたテノール歌手、藤原義江は恋多き生涯を送った。自伝で回想している。〈ぼくは彼女たちに嘘(うそ)をたくさん言ったが、一度だって騙(だま)したことはない〉と◆「嘘をつく」と「騙す」の違いは何だろう。艶(つや)っぽい方面には不案内で、語る資格を持ち合わせていないが、相手を傷つけないための嘘か否か、相手の身を案じるがゆえの嘘か否か、そのあたりが境界線かも知れない◆佐藤栄作元首相もいまは泉下で、「国民に嘘をついたが、騙してはいない」とつぶやいているか、どうか。沖縄返還交渉をめぐり、当時の佐藤首相とニクソン米大統領の間で交わされた有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書が発見されたという◆東西冷戦のさなか、米国の「核の傘」なくしては有事のときに、国民の生命と安全が守れない。被爆の傷跡に配慮しながら、万一の事態に備えるには――密約は苦渋の選択であったろう◆新聞記者は事実を伝えるのが使命で、「国益にかなう嘘は容認する」とは口が裂けても言えない。言えないが、過去の時代背景に分け入り、ついた人の心情に思いを致す嘘もある。

2009年12月24日 読売新聞


ああそうか。しょうがないなあ。「艶(つや)っぽい方面には不案内」ですって。ご謙遜を。モテるんでしょ?お金にゃ不自由してないでしょう。お金で何とかなる分には大いになさったとか。それでもやっぱり「不案内」ですかあ。まあ、ねえ。

例えば、僕なんかが、結婚してますけど、まあ、これでも。とにかくこう、女の子といい具合になってきてですね、「結婚してない」って言うとしますよね。こりゃ「嘘」です。まぎれもなく。それこそ何処へ出しても恥ずかしくない大嘘のコンコンチキだ。何ですかね「こんこんちき」って。

それで、これは別に、良いんです。良くないけど。これは僕が勝手に思ってるんですが、女の子がその言葉を待ってるんですね。なんかそんな気がするわけです。言うとね、もうやれるわけです。その気になってるんですよ。そういうサインてか、出すわけですよ。彼女が。そこで「嘘」を言うわけだ。

もちろん女の子バカじゃないですから、わかってるのね、それは。本当は結婚してるってことは百も承知なんですね。僕はこんな風だし、第一、僕指輪してますし。平気で指輪してますよ。で、平気で「嘘」言っちゃう。分ってるんですから。女の子も平気でね、ああそうですか、なんて。これはまあ、2人のためのその場限りの「嘘」ですけどね。

2人のため、2人で楽しくやるためです。女の子のためじゃありません。別に女の子の気持ちを楽にしてあげるために僕が悪者になるって話しじゃない。うーん、そりゃカミサンのためにはなりませんけど。とにかく「嘘」が見破れないような女の子には言いませんよそんなこと。そういうコには「結婚してる」ってはっきり言いますよ。それでダメならそれまでです。追っかけない、別に。逆に後になってから「それでもいい」とか言われちゃうと、ちょっとコワいですよね。

んでまあ、楽しく過ごしてまいりましたが、ってわけで、こう、こじれてきますってえと、執着しちゃうですよね。それで、「妻とは別れる」とか、つい言っちゃう。これは良くないですな。別れるつもりなんかないですよ、全然。皆さん色々おっしゃいますけど、こんなんでも夫婦生活が破綻しているわけではないんですよ、実は。意外ですか。あららら。

まあよくある話しで、「別れる事になってる」とか「離婚の話し合いを進めているところだ」とか言っちゃって、ズルズルと引っ張るんですが、別に別れるつもりもなし、当然そんな「話し合い」なんてしてません。こういうのは「騙し」でしょうね。多分女の子が「結婚」とか言い出したらもう関係は終わりですよ。結婚てのは終わってからするもんです。そうでもないか。

とにかく女の子が結婚を言い出したら、それは別れるかどうかなんです。試してるんですよ。てことは別れるという結果が出ても良しとしているわけだ。ここでズルズルするのは、やっぱり男の勝手。自分がまだつき合いたいもんだから、それは自分の都合だけを考えてる。自分だけのために、ありもしない離婚の約束が、僕とカミサンとの間にあるかのように言って、女の子を「騙す」わけです。

これはいつか騙しきれなくなりますから、当然、修羅場が待っています。ええ、待ってました。待ってましたとばかりに待ってましたね。まあとにかく、そんな場合に「苦渋の選択だ」とか言ってたら、僕はここにいませんね。死んでます。殺されてますよ。どっちにって、うん、あの場合は、いや、両方ですな。

それで、要するに、国は「嘘」を言っていたと、こう言いたいわけですか。でもあれは、「騙し」ですよ。「騙し」には終わりがないのね。バレたら更に騙す。「国民の生命と安全が」なんて、そんなこと考えてなかったでしょう。国民のために「苦渋」をなめたとか、そんなこと今になって何を言ってんだかわかりませんよ。被占領国だから仕方ないんでしょう。それならそう言えば良いんですよ。

宗主国の手先という立場の我が身がかわいい、自分の立場を守りたかっただけでしょう。そりゃあねえ、ホントに修羅場になっちゃいますからねえ。もちろん、殺されてたかも知れませんよ。国民にか、アメリカにか。両方でしょうね。

でも、アレだ、「過去の時代背景に分け入り、ついた人の心情に思いを致す嘘」ってのは、「新聞記者は事実を伝えるのが使命で、「国益にかなう嘘は容認する」とは口が裂けても言えない」という「嘘」のことですよね。こいつぁ上手い「嘘」ですな。たしかに上手いもんですが、「艶(つや)っぽい方面には不案内」なのは、モテないせいじゃありません。嫌われているんです。薄汚ねえから。
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2009年12月22日

世間はお互い様

犯罪者更生へ「社会奉仕」=刑期、一部執行猶予も−法制審部会

 刑務所の過剰収容対策を検討している法制審議会(法相の諮問機関)の被収容人員適正化部会は22日、比較的軽い犯罪者は社会での更生を促すため、保護観察処分の一環として社会奉仕活動を導入する案を了承した。また、実刑と執行猶予の中間的措置として、刑期の一部を執行猶予とする制度も了承した。

 法制審は来年2月、こうした案を千葉景子法相に正式に答申する。政府は早ければ来年の通常国会で刑法と更生保護法の改正を目指す。

 社会奉仕活動の対象は、保護観察付きの執行猶予判決を受けた成人の被告や、少年審判で保護観察処分を下された少年。道路や公園などの清掃、福祉施設での介護補助など地域社会に役立つ活動を行わせ、更生への意欲を高めるのが狙い。こうした制度は欧米諸国では広く実施されている。

 一方、刑期の一部執行猶予制度は、3年以下の懲役・禁固刑判決を受けた被告が対象。刑期を分割し、一定期間を刑務所で服役させた後に、残りの期間の執行を猶予する。社会奉仕制度とセットで導入し、執行猶予期間に社会奉仕活動を義務付けることができるようにする。

2009年12月22日 時事


「社会奉仕活動」を「刑務所の過剰収容対策」として導入する事を「被収容人員適正化部会」が話し合っています。いよいよ日本も刑務所が混んできたようですが、讀賣新聞によると「被収容人員適正化部会」のことを「罪を犯した人の再犯防止策などを検討している法制審議会(法相の諮問機関)の部会」などと称していますが、違います。「被収容人員適正化部会」はどう考えても「被収容人員」を「適正化」するための部会であって、「再犯防止策」を練るところではありません。讀賣新聞の書いてる事で正しいのは「など」というところだけです。

これは讀賣新聞が勝手に間違った事を書いているのかどうか知りませんが、例えば共同通信社では「犯罪者を社会の中で更生させる方策を検討していた法制審議会(法相の諮問機関)の担当部会」ということになっており、これなどは大変に味わい深い表現であると申せましょう。なるほど、確かに「収容」は「更生」を目的としていることになっているのですから、同じ目的を「収容」の外で果たす事が出来れば、「被収容人員適正化」に資する事になるわけです。なかなか上手い書き方であるとは思いますが、素直に「刑務所の過剰収容対策」と書いたからといって「収容」されてしまうわけでもありますまい。

そういうわけでこれは、あくまで「被収容人員適正化」が問題なのであって、「罪を犯した人の再犯防止策」の話しをしているわけではありません。ちなみに公園の清掃や老人介護などの「奉仕活動」が「更生」に役立つかどうか、という点について同部会の第16回議事録(平成20年7月4日(金))によれば

平成7年の2月に,保護観察官であります菅沼登志子という者が「社会内処遇における社会奉仕活動の研究」という論文を出しておりますし,保護観察官である染田恵の著作に係る「犯罪者の社会内処遇の探求」という論文もございます。このような形で研究をしていることは事実でございます。ただ,それが実際に例えば更生保護法第51条第2項第4号に当たるような,例えば処遇プログラムを基礎付けるときに実証した科学的な研究と同じレベルまでできているのかというと,それはなかなか難しいところでございます。
先ほども申し上げましたけれども,その菅沼論文によりますと,例えばイギリスの文献を当たりましたところ,なかなか社会奉仕が再犯率の面で効果が上がっているかというと,そうでもないというようなところもございます。あるいは,染田論文におきましては,これは科学警察研究所の研究をまた引用したりしているのですけれども,その科学警察研究所の係官,星野周弘という方の著作に係る「非行防止のための地域活動への参加と非行抑制因子の体得との関係」というような論文もございますが,これも実際には社会奉仕活動そのものを取り上げたわけではなくて,実際の世の中にいる少年たちが,これまで例えばクラブ活動をやったことがあるかどうかによって,非行因子との関係で顕著なものがあるのかどうか,要するに有効かどうかというようなことを検証しているのですが,そこにおきましても,実際には地域社会における健全育成活動や非行防止活動への参加状況は非行少年と非行のない少年とで大きく異ならないとされており,結論としては,一般的に地域活動への参加経験の有無や頻度によって非行をするか否かが直接的に決定されるとすることはできないというような結論が出ているというようなことがあります。現在どうしてもやるべきこととして,考えておるところとしては,このようなこれまでに行われていた研究の成果から社会奉仕活動あるいは社会参加活動に再犯防止あるいは改善更生に効果があるというところまではちょっとまだ認められていないので任意でやっているという,そのような状況でございます。

http://www.moj.go.jp/SHINGI2/080704-1-1.txt


効果はないようです。

そこでこの「案」によると、「保護観察付きの執行猶予判決を受けた成人の被告や、少年審判で保護観察処分を下された少年」の「特別順守事項」に「社会貢献活動」を加えるということのようですが、ただ単に執行猶予の人が「社会貢献活動」をやったからといって、それが「被収容人員適正化」につながるとは考えにくいものがあります。「社会貢献活動」によって「被収容人員適正化」の目的を果たすためには、刑務所内にいる人が外に出て来なければなりません。そうすれば収容人員は減少するわけです。

実際に諸外国で類似の制度を導入している例では、奉仕活動は刑罰の一種として、そのかわりに自由刑や財産刑を免除・減軽するものとして扱われています。要するにムショに入るかわりに施設で介護とかをします、あるいは罰金を払うかわりにゴミ拾いをします、ということが認められているわけです。

法制審議会案ではそういうことではなくて、執行猶予者のやる事を増やすように見えます。しかもそんな事をしても「再犯防止あるいは改善更生に効果があるというところまではちょっとまだ認められていない」んですから何にもなりません。保護観察中の人も、保護観察官や保護司といった人も、余計な仕事が増えるだけのようです。

しかしながら、このような「案」が、他ならぬ、「罪を犯した人の再犯防止策などを検討している部会」ではない、「被収容人員適正化部会」において検討されたということは、すなわち従来実刑に服せしめた人を保護観察付きの執行猶予に留めるということを意味します。これは執行猶予者に対する「厳罰化」ではありません。今まで実刑判決が出ていたものに執行猶予判決を出す、てゆーか出せ、ということなのです。

実際に判決を下しているのは裁判所であって、裁判官は独立して判決を書いている事になっています。しかし審議会案は裁判官が現状の量刑基準を変更する事を当然のように期待しています。法務省にとっては判決というものは思うがままに操作するべきものであるようです。裁判員の評議が裁判官に誘導されるものだとしたら、裁判官は法務省に誘導されているわけです。

そこで裁判官としては収容人員の適正化に鑑みて、従来実刑判決としていたものに対して保護観察付きの執行猶予判決を出す事になるでしょう。しかし保護観察処分の中に、意に添わぬ「社会貢献活動」に従事する事を義務づけられるという刑罰的な要素が加わったことによって、これは事実上「刑の執行を猶予する」ものではなくなってしまいます。その下には保護観察なしの執行猶予という選択肢しかありません。

これだと何らかの「刑」を執行するか、それとも単にその執行を猶予してしまうか、というどちらかしかない事になり、かえって選択の幅は狭くなっています。これはもしかすると最近裁判員どもが「保護観察」を「乱用」する事に対する措置なのかも知れませんが、刑務所の中にいようが外にいようが「更生」に対する効果の点では同じようなものなのですからどうでもいいことなんでしょう。ついでに言えば、そうやって介護に携わるべき執行猶予者が要介護状態だったりすることも稀ではないそうですから
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2009年12月20日

プラズマは労働者の怨念で発光する

パナソニック系の「偽装請負」認定 最高裁、直接雇用義務は認めず

 パナソニックの子会社で働いていた元請負会社社員、吉岡力さん(35)が、同社に直接雇用の義務があることの確認などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は18日、同社の雇用義務を認めた二審・大阪高裁判決を破棄し、吉岡さんの請求を棄却した。二審が命じた慰謝料90万円の支払いは認めた。
 この子会社は「パナソニックプラズマディスプレイ(旧松下プラズマディスプレイ)」(大阪府茨木市)。
 同小法廷は判決理由で、吉岡さんが工場でプラズマ社の指揮命令下にあり、実態は請負ではなく派遣労働だったと判断。「プラズマ社が労働者派遣法の規定に違反していた」として、「偽装請負」と認定した。

2009年12月19日 日経


日本経済新聞によると最高裁による「偽装請負」の認定が先ず何よりも大事件だったようです。成る程それはそれで大変な事なんですが、世間ではパナソニックの子会社が偽装請負によって不当な利益を貪っていたなんて事は百も承知であって、興味は別のところにあったわけです。

大阪高裁判決では松下プラズマディスプレイ株式会社とパスコ株式会社との間で締結された業務委託契約を無効とし、故に松下プラズマディスプレイと吉岡力さんの間に存在した使用従属関係の根拠を「黙止の雇用契約」に求め、よって松下プラズマディスプレイにおいて雇用義務を有するものと認めたものでしたが、最高裁判決ではこれを覆しました。

労働者派遣法の趣旨及びその取締法規としての性質,さらには派遣労働者を保護する必要性等にかんがみれば,仮に労働者派遣法に違反する労働者派遣が行われた場合においても,特段の事情のない限り,そのことだけによっては派遣労働者と派遣元との間の雇用契約が無効になることはないと解すべきである。


したがって違法な労働者派遣が行なわれる場合、それは派遣先の利益となるから行なわれるわけですが、もしそれがバレても、派遣先企業には何ら不利益が生じないというわけです。もちろんこれは「労働者派遣法の趣旨」に対する深い理解に基づいた判決であると言えるでしょう。また、件の業務委託契約における業務委託料は、松下プラズマディスプレイにとっては直接雇用による人件費を下回ることを条件とし、そこからパスコの利益等を控除した額を基礎として吉岡さんに給与等として支払われる金額を決定するものであるから、結果として吉岡さんの給与等の金額は事実上間接的に松下プラズマディスプレイが決定していたことになるのですが、最高裁判決では

被上告人がCから支給を受けていた給与等の額を上告人が事実上決定していたといえるような事情もうかがわれず,…平成17年7月20日までの間に上告人と被上告人との間において雇用契約関係が黙示的に成立していたものと評価することはできない。


とされており、黙止の雇用契約関係の成立を否定しています。まあ、商品の購入者が製造者の従業員の給料を決めてるという意味に取られるとワケ分かんないですが、派遣の場合は派遣先企業との契約が締結されてから派遣元と労働者との間で雇用契約結ばれるのが一般的ですから、派遣に限ってこのギロンは有りかなとも思うんですが。そこで最高裁の判決によると

偽装請負は違法である。

でも助けてやんねえよ。

派遣先はヤリ得ですよ。

大企業と竹中平蔵万歳。

というわけで、ビンボー人は違法でも何でもどっかで働かせておけば良いじゃねえか汝臣民ヨイトマケみたいな話しになるのですが、もっとも法解釈としては最高裁判決の方が素直であるような感じもします。最高裁としては規制秩序の番人ですから仕方ありませんが、吉岡さんについては松下プラズマディスプレイ側からの不法行為を認定することが出来たということも、バランス感覚として作用したかも知れません。また、仮にここで派遣先の雇用者責任を認定する判決を出すと、同時に進行している立法過程を阻害する虞れがあったかも知れないことも考慮された可能性があります。

労働者派遣法:「登録型」原則禁止に 改正原案を提示−−労政審

 労働者派遣法の改正を検討している労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)は18日、仕事がある時だけ雇用する「登録型派遣」の原則禁止などを盛り込んだ改正案の原案を示した。禁止が検討されていた製造業派遣については、長期の雇用契約を結ぶ「常用型派遣」を容認するとしている。厚労省は審議会の結論を踏まえ、改正案を来年1月の通常国会に提出する方針。
 原案は大学教授ら公益委員の案として示された。労働者の生活が不安定になりやすい登録型派遣は、通訳やソフトウエア開発などの専門業務を除いて禁止する。「派遣切り」が社会問題化した製造業については、常用型派遣だけを認める。このほか、禁止業務への派遣や偽装請負などの違法行為があった場合、派遣先が直接雇用を申し込んでいたとみなす「直接みなし雇用制度」が盛り込まれた。
 審議会では、抜本的な法改正を求める労働側委員と、反対する経営側委員が鋭く対立。答申のとりまとめが難航する可能性もある。【東海林智】

2009年12月19日 毎日


いちいち裁判所に持ち込んでこられるよりも「みなし規定」を法律に明記した方が良いわけです。また、現在このような案が出されているということ自体、現行法では違法派遣について派遣先の雇用者責任を問うことを想定していないということでもあります。最高裁判決は司法による救済が不可能である事を示すことによって、立法による制度制定を促進する効果を持ちます。

したがって折角出た判決ですから、この判決に対しては飽くまでその非を鳴らし、おめえらそれでも人間か、なんてヒドい世の中なんだ、とぶっ叩き、返す刀の切っ先を更生労働省の喉元に突きつけるのが正しい対応です。中川さんもなんかいじめて欲しそうな顔してましたしね。
posted by 珍風 at 16:09| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

その奥にある志や問題の本質

そうかと思うと西の横綱の周辺も最近賑やかであったりします。

阿久根市長の「障害者」ブログ、鹿児島県議会が非難決議

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、自らのブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」などと記述したことに対し、同県議会は17日午前、竹原市長に障害者や県民への謝罪を求める非難決議案を可決した。
 決議文は、ブログの記述について「これまでに築き上げられてきた障害者の方々の生きる権利や幸福を追求する権利を否定し、人間の生命の尊さをあまりにも軽んじていると受け止められ、極めて遺憾」と抗議し、関係者への謝罪と障害者福祉の一層の増進のため適切な努力をするよう求めている。
 県議会事務局によると、県議会が市町村長の発言などに対し、非難決議案を出すのは初めて。金子万寿夫議長は「異例なことだけに、竹原市長にはこの決議を重く受け止めていただきたい」と話している。
 竹原市長は14日の市議会の答弁で「ブログの一部だけを取り上げた批判」と述べ、謝罪を拒否している。阿久根市議会も18日、市長に発言撤回と謝罪を求める決議案を可決する予定。

2009年12月17日 asahi.com


たしかに県議会が市町村の首長に非難決議を出すなどという話しはあまり聞いたことがありません。しかしながら竹原さんはブログの一部だけではなくて全部読んでほしいと、こういうわけであります。この点、ブログ書きとしては特段に反対しなければならない主張ではありません。そこで問題のエントリの全文をここに引用する事は竹原さんが特に慶賀するところであろう事は想像に難くありません。

医師不足の原因は医師会

 医師不足が全国的な問題になっている。特に勤務医の不足は深刻だ。
医師が金儲けに走っている為だが、この体質を後押ししてきたのが医師会だった。

以下 池田信夫blogから引用
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f65bacae249f66488dc8bfc3e9fbe384
----------------------
かつて「医師過剰」の是正を繰り返し求めたのは日本医師会出身の議員だった。たとえば1993年に参議院文教委員会で、宮崎秀樹議員(当時)は
次は、大学の医学部、医科大学の学生定員の問題でございます。これに関しましてはいろいろ定員削減という方向で文部省と厚生省との話し合いができておりまして、一〇%削減、こういう目標を立ててやっているのですが、実際にはそこまでいっていない。[・・・]例えば昭和六十三年には十万対百六十四人だった。これが平成三十七年には三百人になるんです。三百人というのはいかにも医師の数が多過ぎる。
と医学部の定員削減を求めている。宮崎氏は日本医師会の副会長を歴任した。
−−−−−−−−−−引用おわり

 勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。
しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。

2009年11月8日 住民至上主義


竹原さんは「医師不足」に対して極めて独創的な解決策を提示しているところです。それは要するに質を度外視すれば医師を大量に世に送り出す事が出来るというものです。医療の質が低下することによって患者等が死んでしまうかも知れませんが、そんなことは構わないようです。おそらく竹原さんが想定する「医師」とは、多くの人が考えるように医療に携わる人ではありません。それは要するに「死亡診断書」を発行する資格を持つ人のことです。

ここで数の増加が必然的に質の低下をもたらすものであるか、などというギロンは竹原さんの興味を惹くものではありません。実は竹原さんは「医療」というものをあまり信用していない、というか、あまり必要のないものだと考えているようです。11月8日のエントリだけを引用すると、また「ブログの一部だけ」とか言われかねませんので、翌11月9日のエントリも引用する事が竹原さんの意にかなうものであると思われます。

神の領域

頂いたメール
------引用はじめ
未来を作るために。には、違和感を覚えました。全体主義的、若しくは、神がこの世にお作りになった仕組み的(自然の摂理)には、正しいのかも知れまんが、高度医療のために機能障害を持った子を授かり、その子の成長に関わり、高い精神性を求められている方々にこの言葉はあんまりです。(私の娘達w)?「老鮠鐚圓任后・・・w:ぢ正直な気持ちとして、人間は神の領域に(覚悟は持ち得無いながらも)立ち入ったのですから、人故に手に入れた高度な社会性でこれを乗り切らねば成りません。少なくとも、この世に生を得た者に対して。。ブログは日記であると共に、自らの意志で公共に発信するもの。そして貴方が市長という皆の希望と誇り、志を背負って人故の社会を作られるリーダーでいらっしゃる立場から、これを書いてはいけないと思います。少なくとも機能障害を持った子の親に成られた方の心を支える魂を見せなければ成りません。始めての手紙で不躾であったこと、お詫びします。社会への働きかけ、いつも尊敬しています。
--------引用終わり

厳しい生活の中で喘いでいる方々には慎重さを欠く見解に見えたかもしれない。
高度医療が多くの人々に高い精神性を追求せざるを得ない機会を与えているのは現実だ。この世は生ばかりではなく死によっても支えられている。しかも人間は生と死の境目をコントロールする技術を手に入れつつある。
原子爆弾同様に、使い方を知らないままこれを乱用すれば多くの人々に高い精神性が必要な厳しい生活を強いる。これでは残酷な社会を作る事になる。

日本が人口減少で消滅しつつある過程でするべきことは、先ず人口を増やす事であって高度医療で儲ける医者と業界を増やす事ではない。精神的にも健康な子供達が増えれば障害を持った子供達、体の弱った高齢者をより良く支える社会を作ることができる。高度医療にかけるお金の一部で人口を増やす事ができる。先ずは健康な人々が多く居なければ心を支える社会作りもできはしない。社会作りは人工的に意図的にしなければならない。メディア等に煽られての情緒的、成り行き任せであってはいけない。理不尽さを神や悪魔のせいにもできない。社会作りの全てが神の領域に踏み込む技術を獲得した人類の責任だ。

2009年11月9日 住民至上主義


竹原さんの言う「高度医療」にはあまり具体的な意味はありません。何故なら竹原さんにとって「医療」とは全て「生と死の境目をコントロールする技術」に他ならないからです。つまり放っとけば死んじゃう奴が医者にかかると生き延びたりすることを「生と死の境目をコントロールする技術」とか「高度医療」などの言葉で言い表しているのです。それは要するに竹原さん以外の人が普通に「医療」だと思っている事なんですが、竹原さんの透徹した視線の元ではそれは高度に神秘的な神の領域を侵す行為に他ならないのです。

そういうわけですから「障害を持った子供達、体の弱った高齢者をより良く支える」のは「高度医療」の存在しない「社会」とやらなのです。つまり産婆と藪医者しかいない「社会」のことですが。こういう「社会」では、「より良く支える」ということは見殺しにすることを意味するように思えてなりませんが、それはやっぱりそうであるようです。そのような「社会」に可能なのは「悲しみを引き受け」ることなんだそうです。もちろん人を悲しませておいてから、それを「引き受ける」わけです。おそらくその「社会」では「悲しみを」キレイさっぱり忘れさせてくれるんでしょう。

竹原さんとしては、こんな安易な「悲しみ」の方が「高い精神性」を要求する「残酷」さよりも望ましい事であるようですが、まあ、竹原さんがだらしないのは仕方ないとしても、これは「そんな障害を持った餓鬼を育ててるよりも一思いに殺しちまった方が楽だぜ」と言っているように聞こえてしまうかも知れません、いや、いくら竹原さんだって目の前にそういう人がいなければそんな事は言わないでしょう。いれば言いかねませんが。それよりも竹原さんが言いたいのは、医者にかかっても良い事はありませんよ、という単純なメッセージなのではないか。

やはり竹原さんの言う通り、ブログというものは続けて読む事が極めて肝要です。竹原さんはいわゆる「神の領域」に属する、竹原さんにとっては「高度」な医療に対して、ちゃんと対案を用意しているのであり、11月8日に始まるエントリの連鎖は11月11日のエントリにおいて驚くべき「結論」に達するのです。

メール紹介 健康1〜2

阿久根市長 竹原信一様
はじめまして。竹原市長の主義主張に目を開かれ、考えされられることも多く、心から敬意を表します。
ブログに書かれたことでどうしても意見を申し述べたく不躾ながら市役所のメールに送らせて頂きます。
今年13歳になる長男が、生まれて2ヶ月目に酷いアトピー症状が発生し、数年間、色んな病院に通い、様々な処方を受けましたが、結果的に水分摂取と食材の改善でアレルギーを克服することが出来ました。そのなかでEMという微生物資材を知りそれが身体の免疫強化、体内の有害物排出に大きく寄与してくれました。
(農業資材としてもしかしたら名前くらいはお聞きになったことがあるかも知れませんし、眉つばモノだと非難されたことを耳にされたことがあるかも知れませんが)
子供のアレルギーに付き合った結果、私自身が体質改善を果たしました。10年近く風邪をひかず事故の後遺症で膝や腹部の痛みが十数年続いていたのがほぼ完治しました。熟睡できるようになり目覚ましも不要になりました。

EMを摂取したことでより効率的に体内の排毒が出来たことは確かですが、人間は本来、とても強い抵抗力というか免疫力があることを自覚します。長男以下3人の男の子を授かりましたが、健康体となった彼らを見ていても、熱や怪我に強く回復力の早さを感じます。また、食事や日常生活、顔色などから彼らの健康状態を把握出来るようになりました。病気は必ずどこかに原因があると思います。

EMを代替医療として取り入れている愛知県の小澤医師が自身の書籍で「現代人の多くが、病気になったとたん、「自分は何も悪いことはしていないのに、私は被害者だ」という顔をする。しかし実はそうではない。病気とは発病するまでの個人の生活様式や乱れた食生活に原因があったからこその結果である」と書かれています。

なりたくて病気になる人はいないが、なるべくして病気になっているということを日ごろ子どもたちに言い聞かせています。ただし竹原市長もブログで何度も書いておられるように、現代の医学・薬学いやそれよりもっと大きな組織による恣意的な行為が存在していて、新型インフルエンザなどを含めて単純に個人の責任だけではないのでしょうが。

私は医食同源しかないと考え、休日に専業農家の手伝いをしながら空いた畑で家族のための野菜を作っています。無農薬無化学肥料は当然ですが、有機でやれば虫食いは当たり前という概念も消し去らねばならないと考えています。土や野菜が健康体であれば虫食いのない香りが高く長持ちするものが出来ます。健康体でなければ枯れて早く種子を残し次世代に生まれ変わろうとしますがストレスがなければ花も強い香りで長く咲いています。
EMを活用すれば従来の10分の1以下の費用で日常生活や農業生産を行うことが出来、生命体の本来の凄さや何ともうまく出来上がった自然の摂理をまざまざと見せつけられます。開発した比嘉教授は自治体の規模が現在の半分以下で済むと言われていますが、私自身も全く同感です。もちろんこれは竹原市長に何かをお願いするものでなく、EMの売り込みでもありません。

何故障害をもつことになったのか、何故癌になったのかが、どこからかやってきた突然の不幸の種によるものではないことに早く気づく社会にならなければいけないと思います。勝手にまとまりのない長文を送りつけましたことお詫び申し上げます。今後のご活躍に期待をこめて。
--------------以上---引用おわり

参考までにEMXについてhttp://homepage3.nifty.com/skis/em/em-x_frame.htm

2009年11月11日 住民至上主義


なるほどこういう事情があって、医療をこき下ろす必要があったわけなのです。「ガン」「心臓病」「肝炎」「喘息」などに効果があるばかりかガソリン車の燃費を「向上」させ、あろうことか「コンピューターやテレビの画面、電子レンジのガラス面、照明器具などにEM−X GOLDを吹き付けると、人体への電子障害の改善の効果がある」とされる「EM−X」についての評価は、まあ、ともかくとして、随分な「精神性」だか「精神なんとか」の域に達しつつあるようです。

全くの話し、8日のエントリだけ読んだ人は、竹原さんの考えは間違っていると思ってしまうかも知れません。しかし実際には、これは気の毒にも偽薬にはまってしまった人が一般医療を攻撃してそんなもの要らねえと言うばかりか、「EM−X」が「効果」を現さない「機能障害」については、「それは本来生きているべきではないんだから効かなくても良いのだ」と少しばかり乱暴な開き直り方をしてしまっただけなのでした。それに例えば、ある種の障害を持った人でも「医療」のお世話にならなくても市長とかになれる、という実体験に基づく自信というものもあったりするのです。
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2009年12月16日

アラシを呼ぶ モーレツ!ソ連邦の逆襲

自民、綱領改定に着手 「不必要なことせぬ政府」

 自民党は15日、政権構想会議を開き、目指す政策の方向性として「不必要なことをせぬ政府」「均衡財政」などを盛り込んだ2次勧告をまとめた。今後は首相経験者を交えた委員会を設置し、来年1月の党大会に提示する党綱領改定に着手する。「小さな政府」との言葉を使わない理由を伊吹文明議長代理は「小泉改革の小さな政府キャンペーンの是非を問う議論は意味がない」と語った。
 2次勧告は「旧ソ連の解体で自民党の立党目的の一部は達成された」と指摘した。民主党を「国家社会主義政党」と批判し「社会主義への祖先返りと対峙(たいじ)し、常に現在と将来の汗を流す納税者の立場に立ち、政策運営にあたる」と明記した。

2009年12月16日 日経


「自民党の立党目的」は「旧ソ連の解体」だったそうです。まるでもう自分の手柄のように言うのはどうかとも思いますし、そんな外国の事にかまけている暇があったら日本の事をどうにかした方が良いように思いますが、自民党は日本のために存在するわけではなかったので、これはこれで別に間違いではないようです。

おそらく現在の自民党にとって最大の問題は「旧ソ連」が「解体」してしまった事なんでしょう。「冷戦」とか言いますが、自民党にとっては決して冷たい時代ではありませんでした。むしろ「冷戦」こそが自民党のアイデンティティだったのであり、その中でこそ立場と役割を与えられていたのです。いわば本質と実存が一致していたわけですから幸福ですが、こういうのは「道具」としてのあり方ですから、用が済んだら捨ててしまうのが通常です。

もっとも最近では「エコ」とか「リサイクル」とか言いますんで、自民党も日本人の優れた環境意識の表現としてダラダラと存在し続けているようです。しかしこれはご当人たちにとっては全く不幸な事で、自民党としては自らの存在に悩む事になってしまいました。そこで、まあよくある事ですが、昔を懐かしむ事になったのも無理のない事です。すなわち昭和レトロあるいはイエスタデイ・ワンスモア。

セックスレスの奥さんが息子に執着するように、アメリカとの甘い蜜月時代の思い出に浸ろうとする自民党は「冷戦」の相手方として自分の「息子」を選ぶしかありませんでした。要するに「民主党」を「旧ソ連」に見立てることによって国内に冷戦構造を仮想します。ここにしか自民党の存在する事の出来る場所がないのですから仕方ありませんが、これは誤用された「バーチャル・リアリティ」です。自民党によればそれは「悪」ですが、より正確に言えば、それは自分の相手方としての「悪」を作り出してくれるのです。

存在についての懐疑から逃避するために現実を歪曲した認知の体制を作り上げるようなことは別段珍しい事ではなく、大抵の人はそれで何とかやり過ごしていますから、まあ別にいいんですが、あまり大声で認知の歪みを誇示すると誰にも相手にされなくなることは覚えておいて良いでしょう。もっとも奢ってあげたりすれば話しくらい聞いてもらえるわけで、2億5千万円の使い道はつまりそういう事でしょう。寂しいのは全くやりきれませんからね。

追い詰められ、非常に小さくミジメな自民党が現実の歪曲と自己正当化に終始してしまうのは哀れを誘います。「小泉改革の小さな政府キャンペーンの是非を問う議論は意味がない」と言っていますが、実際には「小さな政府」を志向している事は明らかです。ただ問題は、自民党はそれで負けたのですから、少なくとも「政権構想」とかを練るのであれば「小さい、大きいという基準が分からない」とか言って誤摩化してしまうのはちょっとマズいようです。もうちょっとちゃんと考えたらどうか、とも思いますが、自民党は既にそんな余裕のある気分ではありません。

余裕のなさというのは往々にして悲惨な結果をもたらすもので、自民党とて例外ではありません。てゆーか自民党は今やその好見本となりつつあります。なんと「納税者の立場に立」つんだそうです。そう言っちゃいました。そこで労働者諸君、諸君は「納税者」ではないのだ。国税徴収法が第2条において定義するところによれば「納税者」とは

国税に関する法律の規定により国税(国税通則法(昭和三十七年法律第六十六号)第二条第二号(定義)に規定する源泉徴収による国税を除く。)を納める義務がある者及び当該源泉徴収による国税を徴収して国に納付しなければならない者をいう。


労働者から「国税を徴収して国に納付しなければならない」のは雇用者としての企業です。自民党は、全くうっかりして、国民の大多数を占める被雇用者ならびに課税水準に達しないビンボー人を捨てて企業の立場に立つことを明言してしまいました。どう考えてもそんな事は言わない方が良いのですが、本音と陰嚢はポロリと出るものです。

ところで、「納税者」は既に自民党などには頼っていません。「国家社会主義」などというレトロを持ち出したからには「不必要なことをせぬ政府」は「夜警国家」のつもりなんでしょうが、いやしくも「納税者」くらいになるとそういう事はセコムに任せてあるのが現状です。セコムしてますか。セコムがあれば自民党は要りません。もっともセコムが発報してから40分も経たないうちに来てくれればの話しですが。あそこも大変な仕事ですから、「納税者」ではない人手が足りないようです。そこで自民党員諸君はみんなでセコムに入社してビートエンジニアになれば、それでもう自らの政治理念は実現したも同然です。自民党が狂気から逃れるにはそれしか道はありません。
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2009年12月14日

田母神俊雄の核爆発ディナーショー

おっと忘れるところだった。恒例の

前千葉市議長に有罪

 千葉市内のビル建設をめぐり、不動産業者らから現金を脅し取ろうとしたとして恐喝未遂罪に問われた前千葉市議会議長小梛(おなぎ)輝信被告(67)の判決公判が一日、千葉地裁で開かれた。角谷比呂美裁判官は懲役三年、執行猶予五年(求刑懲役四年)を言い渡した。小梛被告側は判決を受け入れ、控訴しないとしている。
 角谷裁判官は「選挙費用や住宅ローンで金銭に窮し、脅迫した。市議の権威、人脈を背景とし、犯行態様は執拗(しつよう)で悪質」と指摘する一方、「(市議として)相応の社会貢献を果たした」と執行猶予とした理由を述べた。
 判決によると、小梛被告は四月、ビル施工主の大成建設千葉支店の課長(40)や、ビル所有者とコンサルタント契約していた不動産会社社長(54)をそれぞれ自分の事務所に呼び出し、暴力団名が入った名刺を提示。「(要求に応じなければ)それなりのやつは出てくる」などと暗に金銭を要求した。これまでの公判で小梛被告は起訴内容を認める一方、実際には暴力団とのつながりがなかったことなどが明らかにされた。

2009年12月1日 東京新聞


市会議員が「相応の社会貢献を果たした」なんてのは、当たり前のことでしょう。それが仕事なんですから。他の人だって「(アイドルとして)相応の社会的貢献を果たした」り、「(ゴミ集めとして)相応の社会的貢献を果たした」りしていますし、「(会社員として)相応の社会的貢献を果たした」人も多いでしょうし、僕なんか(喫煙者として)税金を沢山払って大いに「社会的貢献を果たし」ているわけですが、まあ、大体の人は多かれ少なかれ「社会的貢献を果たし」ていますから、そんなことで執行猶予がつくんだったら警察は要るかも知れませんが刑務所は要らない。

もっとも悪梛さんの場合は、その「社会的貢献」とやらが「市議の権威、人脈を背景とし」て人を脅かす、という、考えようによっては相当に立派なものであったようなのですが、それにしても「実際には暴力団とのつながりがなかった」ことが「明らかにされた」てのは何のことなんですかね。「暴力団名が入った名刺」はたまたま悪梛さんの机の上にあったんじゃなかったっけ。そんなものが「たまたま」置いてある人に「暴力団とのつながりがなかった」というのは、いささか難解であります。僕んちにはそんなものありませんが。

もしかすると「たまたま置いてあった」てのは「嘘」ですか。悪梛さんはそいつを道で拾ってきたのでしょうか。後で誰かを脅かすのに便利だと思ったんでしょうか。稲毛辺りの道路にはヤクザの名刺がよく落ちてるわけだ。早朝など殺されたヤクザが道端に転がっているからポケットを探ればわりと簡単に入手できるとか。風情のある土地柄であります。

その他に「暴力団とのつながりがなかった」人がヤクザの名刺を持っている場合、自作ということも考えられるでしょう。名刺作成ソフトとか売ってますから、適当にこしらえてしまえばよろしい。それだとなんだか安っぽくなってしまって、とてもヤクザの名刺には見えないかも知れませんが、まあ堅気の人を騙すだけだったら大丈夫でしょう。もっともそんなことをしていてホンモノのヤクザにバレたら悪梛さんだって執行猶予なしの海底散歩ですが。

懲役3年、執行猶予5年
小梛元議長の恐喝未遂事件に有罪判決

 稲毛駅前ビル建設をめぐる問題で恐喝未遂事件で逮捕された千葉市議・同議長小梛輝信容疑者の裁判で12月1日、千葉地裁の角谷比呂美裁判長は「懲役3年、執行猶予5年」の有罪判決を言い渡した。
 判決理由について角谷裁判長は「選挙費用や後援会との飲食代、住宅ローンなどの支払いで金銭に窮していたことから大手ゼネコンの担当者に、反対運動が起きていると言いがかりをつけ、暴力団関係者を利用して脅迫したことは悪質である」と述べる一方で「被告は犯行未遂に終わり反省している。長年にわたり市議を務め、社会的に貢献した。地元市民のために有益な行動をしたことも否めない」として執行猶予付の判決をを言い渡した。この判決で小梛被告は「市民に大変申し訳ないことをした。深く反省しお詫びしたい。控訴はしない」と語った。
 駅前ビルの建設に当たり小梛容疑者から取材を依頼された際に、「大成建設がが住民説明をしないから取材して欲しい」と言われた。この時点で、小梛は「自分は次期議長候補になっているので下手な動きはできないから宜しく頼む」と言われたので、まさか脅迫するとは考えてもいなかった。まして、大成建設は本紙の取材をテープ録音し、警察に提出したため、家宅捜索の対象となった。
 大成建設が新ビルを建設したことにより隣接のビル違法建築となり、千葉市から改善命令が出ている。

2009年12月5日 稲毛新聞


そこで「ネ申」とかいう『稲毛新聞』ですが、相変わらずの書きっぷりです。まず、起訴後は「小梛容疑者」ではなくて「小梛被告」ね。一応基本です。青二才が生意気言ってすいません。もうちょっと勉強するように。まだまだだな。

独特の書き方が人気の秘訣です。始めの2つの段落は報道記事であり、そのあといきなり佐藤さんの「感想」だか「評論」だか「愚痴」だかに入ります。ここんとこの移行はシームレスに行なわれ、読者は知らない間に異次元の世界に放り込まれるので多少めまいを覚えますが、それにしても「小梛は」と来たもんだ。呼び捨てです。盟友を。いくら有罪判決が出たからといって。稲毛でも世間の風は冷たいようです。

で、佐藤さんが白状するところによると、「小梛」は、「自分は次期議長候補になっているので下手な動きはできないから宜しく頼む」と「言われた」そうで、この「言われた」は尊敬語のようにも見えますから呼び捨てとは矛盾しているようですが、実は佐藤さんが「小梛」に「言われた」という意味で、受動です。つまり正しくは「小梛は」ではなくて「小梛に」なんですが、佐藤さんは報道記事にまぎれて自分の愚痴を書くのに些かの遠慮があったのか、主語を曖昧にしているうちに自分でもワケが分らなくなったものと思われます。

で、つまり「小梛」は自分が「下手な動き」が出来ないので『稲毛新聞』に「下手な動き」を宜しく頼んだということのようです。だから佐藤さんは「下手」な記事を書いて「小梛」に協力してあげたわけで、「小梛」が「脅迫するとはかんがえてもいなかった」のでした。もしかすると「小梛」が「脅迫」するに至ったのは『稲毛新聞』が頼まれたことを不十分にしか果たせなかったせいなのかも知れませんが、佐藤さんは自分が至らなかったとかそういう風には少しも考えない様子です。

だから「家宅捜索の対象になった」のは、事の経緯からして当然としか言いようがないのですが、『稲毛新聞』では相変わらず大成建設を逆恨みしているところなんぞ、物の道理の分からない厄介な爺さんであります。

ところで11月の予告通り、2面にはあの田母神さんが登場して相変わらずいつもの歌を歌っているので、ファンの方は読んであげると良いでしょう。演歌なんかの世界では1曲当たると一生食えるようですが、田母神さんのあれも一種の「芸能」なんでしょう。今年に入ってから講演会をマネージメントする会社まで作ったようです。来年は松田聖子みたいに海外に進出したいらしい。まあ、飽きられても全国のアパホテルをツアーすれば食ってけるんです。佐藤さんも文章は諦めて一緒にドサ回りでもすれば良いのではないか。
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2009年12月12日

お子様クラッシュ

スタントマン熱演で「恐怖体感」交通安全教室

 スタントマンが交通事故を再現するスリリングな交通安全教室が、全国に広がっている。
 恐ろしさを間近で見せる「スケアード・ストレート(恐怖の直視)」と呼ばれる米国式の教育法を応用した手法で、事故防止への心理的効果が期待されている。
 10月に富山市内の中学校で開かれた交通安全教室。自転車のスタントマンが一時停止をせずに交差点へ進入、時速50キロの乗用車にはねられて地面にたたきつけられた。その瞬間、生徒たちは悲鳴を上げた。自転車通学する3年生の男子は「すごい迫力で、事故の怖さを実感した」。初めて導入した富山県警は「『絶対に交通ルールを守る』と言う子供が多かった」と手応えを感じている。
 スタントマンの安全教室は、1992年度に警視庁板橋署が初めて企画した。道交法改正で自転車の通行ルールが厳格化された2007年度、警察庁が安全教室のモデルに採用。さらに今年度はJA共済連が社会貢献活動として支援を始めたため、各地に広まった。
 スタントマンを派遣しているのは主に「スーパー・ドライバーズ」(東京都狛江市)と「シャドウ・スタントプロダクション」(同町田市)。今年は10月末までに東京、福島、新潟など20都道県で両社合わせて167回が開催された。スーパー社によると、安全教室への派遣は映画やドラマの仕事よりも多くなり、専門チームで対応している。雨宮正信代表は「やり直しができず、骨折などのけがを負うこともある」と話す。警察庁交通企画課は「事故の恐ろしさを実感してもらう方法としては有効」としている。

 ◆スケアード・ストレート◆
 米国で行われている代表的な例は、非行少年が受刑者らから犯罪の内容を聞き、刑務所生活などを見る教育。日本では、交通事故の被害者や加害者の講演などにも応用されている。

2009年12月7日  読売新聞


これと全く同じことが『クラッシュ』というSF作品の中で行なわれていたのを思い出すわけですが、この小説の登場人物は有名人の交通事故死を再現しようとします。彼等自身にとってそれは性的な意味を持つものでした。

おそらく自動車事故に対するわけの分からない衝動、いやそれに限らずありとあらゆる様々な欲望を自我に統合するための「持って行き場」として性的欲望が機能することが出来るでしょう。色々とヘンなことをするにしても、結局は要するにオマンコであるということであれば、読者としては安心することが出来るわけです。

しかしながら警察では、そんな「成人向け」の要素抜きで自動車事故の礼拝堂を打ち立てることが出来ました。「交通事故防止」の大義名分がセックスの代わりになります。そしてそれを正当化しうるのが「スケアード・ストレート」という更生メソッドなのでした。

「scare」は「脅かす」ことで、カラスを脅かすのが「スケアクロウ」ですが、「scared」が「恐怖」という名詞で「straight」が「直視する」という動詞で、しかも目的語が先に置かれているのは警察独特の英語であるようです。まあしかし、これは難しい英語です。一般的には「怖がらせて矯正する」、あるいは「ビビらせて真人間にする」というように解釈されています。「straight」を「規範を守る人」という意味に取るわけです。これは比較的新しい用法かも知れませんが、「直視」と解釈するよりはストレートです。

これは記事の中で解説されている通り、本来非行少年の更生プログラムとして行なわれたものです。具体的には悪ガキ共をホンモノのワルがうじゃうじゃいる重警備刑務所に連れて行って、囚人の中に放り出す、といっても単に放り出すと瞬く間にケツの穴を拡張されてしまいますから、そういうことのないようにしますが、要するに受刑者はなるべく脅かすように餓鬼共を大声で怒鳴り上げ、説教します。そして刑務所がどんなに恐ろしいところで、犯罪者の末路がどんなにミジメなものであるかを言って聞かせてビビらせます。そして餓鬼のうちに更生していればこんなことにはならなかった、とか言ってみせるわけ。

これがテレビで紹介されているうちは良かったのですが、詳細な調査の結果によるとこのプログラムは効果があったようです。もっともそれは再犯を促進する、という効果だったんですが。仮にこのプログラムが再犯を防止するつもりで実施されたのであれば、これは全くの失敗だったようです。

したがってこの失敗作を取り入れてしまうのは考えものなのですが、この「交通安全教室」の場合、対象は非行少年ではなくて何も悪いことをしていない餓鬼である点、目標が一度犯罪を犯したものが再び犯すことを防止することではなくて犯罪に比較すると当事者の意志的行為である割合が極端に低い交通事故の防止である点などにおいて、実は元の「スケアード・ストレート」とは似て非なるものであると言えるでしょう。要するに単なる思いつきであり、事故の実演が対象の興味を惹くから良いんじゃないか、という程度のものなのではないか。

しかしながら本家「スケアード・ストレート」における効果のなさ、というよりはむしろ負の効果については、それをもたらすメカニズムについて様々な仮説が考えられます。例えば他に模倣するモデルがいない場合は仕方なく「反面教師」を模倣せざるを得なくなるとか。もしかすると「スケアード・ストレート」は、ショックを与えることによって「反面教師」を強化しているのかも知れません。強い情動を伴って提示される「犯罪者」が、無意識のうちに餓鬼の行動を誘導してしまうことが考えられます。

交通事故においては、人は危険な状況にイキナリで食わすことになりますが、このような場合に同様のメカニズムが働くでしょう。なにしろイキナリのことですから、あまり落ち着いて考えていられる状況ではありませんので、強く刷り込まれた「事故の瞬間」に引きずり込まれてしまうかも知れません。もちろんそれは有効な回避行動をとることを抑制するでしょう。

バラードが提示したように自動車事故がそれ自体魅惑的である可能性は存在します。人はまるで魅入られたように電柱にぶつかっていったりするものです。その瞬間をあえて見せることによって事故の誘因力は決定的に強化される虞れがあるのであって、そう考えるとなるべくだったらこんな「交通安全教室」は止めておいた方が良いようなものです。

もっとも、これは既に17年くらいにわたって行なわれているということですから、その間にその効果については検証していなければなりません。通常は同じ学校で「クラッシュ教室」に参加するクラスと参加しないクラスに分けて、それぞれの餓鬼共を追跡して交通事故に巻き込まれる奴の割合に差があるのかどうか調べたりするんだと思うんですが、やってるんですかね。警察庁交通企画課の様子だと、何もしてない感じなんですが。効果の測定もせずにただ単にスタントマンの骨を折り続けているのでしたら無駄骨とはこのことですが、恐ろしいことに検証もしないまま定着してしまって、「専門チーム」まで組んじゃってる状況で引っ込みがつかないというのもよくある話しです。まあ面白いショーだとは思いますけど。事故が増えてもお巡りさんは困らないわけだし。
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2009年12月11日

労働組合は、ある意味、ゼンゼン怖い

上昇、てゆーか

労組組織率が18・5% 34年ぶり、わずかに上昇

 厚生労働省は10日、全国の労働組合の推定組織率(雇用労働者に占める労働組合員の割合)が6月末現在で対前年比0・4ポイント増の18・5%だったと発表した。1976年以降減少を続けてきたが、34年ぶりに上昇した。
 組合に入っていない契約や派遣などの非正規労働者が不況で大量に失業した影響で、分母となる雇用労働者が昨年から110万人減り5455万人となったのが主要因。
 一方、分子の組合員数は1万3千人増の1007万8千人。中でもパート労働者の組合員数は8万4千人増えた。
 厚労省によると、組合数は269組合(1・0%)減り、2万6696組合。企業の数が統廃合などにより減ったため。
 産業別でみると、卸売り・小売業(前年比7万4千人増)、運輸・郵便業(同3万4千人増)などで増加幅が大きく、大きく組合員数を減らしたのは公務(同3万2千人、3・1%減)など。
 中央労働団体別では、連合が対前年比6万4千人増の668万7千人。全労連は1万6千人減の64万7千人、全国労働組合連絡協議会(全労協)が4千人減の12万4千人だった。

2009年12月10日 共同


これは厚生労働省の「労働組合基礎調査」です。「1976年以降減少を続けてきた」というのは、1974年の推定組織率が33.9%だったものが1975年には34.4%に一旦上昇したところ、1976年には33.7%に下がっちゃって以来、ということですが、長期的には1949年の55.8%をピークに概ね下がり続けています。

その間に上り下がりは当然あったわけで、1959年には32.1%であったものが1960年代を通じて概ね上昇しており、1970年には35.4%にまで回復しています。その後は1975年に前年比0.5ポイントの上昇があったものの、昨年まで下降し続けてきたわけです。今回の組織率上昇についても、雇用労働者数の減少が主な要因であるとされていますが、1975年における組織率の上昇においても、雇用者数の減少が起こっています。

したがって今年0.4ポイント増えたからといってそれがどうしたというのか、まだ分らないわけですが、このくらい増えたからといって4年前、2005年の組織率18.7%を下回る水準でしかありません。1975年の組織率も同様にその4年前の水準に及ぶものではなく、数字の上からは今回の現象は34年前とあまり変わらないようです。

ただし今回は非正規労働者の組織率の上昇が特徴的であるようです。「パートタイム労働者」である労働組合員は70万人であり前年比8万4千人の増加であり、増加率は13.7%です。このうちおよそ6割、5万人以上がUIゼンセン同盟に加入したものです。一方でパートタイムおよび派遣労働者を含む非正規労働者がコミュニティ・ユニオンに個人で加盟することも多く、地域労組の組合員数も7.8%増加しています。

流通小売業とか外食産業などサービス業の労働者を多く擁するUIゼンセン同盟が同じ事業所に働いている非正規労働者の組織化にも積極的に取り組んでいるようで、それはそれで結構なことには違いありませんが、どういう経緯でそういうことになったのか、興味津々たるものがあります。

労組はどこへ6
「労使協調」両刃の剣に 欠かせぬ「耳障りな主張」

 紳士服大手「コナカ」(横浜市)に生まれた労組が、2番目の労組結成により、存続が危ぶまれている。
 同社初の労組「全国一般東京東部労組コナカ支部」は07年2月に結成された。全国の店舗で働く社員らが、過重労働への不満をブログに書き込むうちに団結。「名ばかり管理職」の存在を会社側に認めさせ、社員の未払い残業代など約13億7千万円を支払わせる成果を上げてきた。
 ところが08年2月、新たな労組「UIゼンセン同盟コナカユニオン」が結成され、全国の店舗に「暫定労働協約」と題された文書が送られた。文書には社長と組合委員長の連盟で「会社は、組合に加入しない者及び組合より除名された者は原則として解雇する」と記されていた。組合加入を雇用の条件とする「ユニオンショップ協定」を示す。
 協定締結には従業員の過半数が組合員でなければならならず、少数派組合の組合員には効力が及ばないとされる。しかし、送られてきた文書を見て、新組合に入らないと解雇されると誤解した人が続出し、コナカ支部に脱退届が相次いだ。一方、新組合の組合員は急増。コナカ支部の委員長と書記長は、職場で孤立して会社を辞めた。
 同支部は、上司が部下に対し「出世に響く」「昇進できない」などと言って、新組合加入を勧誘したケースもあると主張。現委員長の松田慎司さん(34)は「社員の団結を分断した」と反発する。
 コナカ本社は、労働協約締結について「コメントを差し控える」とする。コナカユニオンは、労働協約は「締結に向けて会社と話し合っている」段階と認めた。しかし、組合結成の経緯や活動については「組合員にきちんと説明しており、外部に説明する必要はない」とする。
 法政大学大学院の藤村博之教授(労働関係論)は「企業にとって労使は車の両輪。暴走を防ぐには、経営判断の追認ではなく、耳障りな主張もする労組が不可欠だ」と話す。(小室浩幸、山根祐作)

2009年11月10日 朝日新聞


その「経緯」については「外部に説明する必要はない」そうですので、「外部」で勝手に邪推する自由があるんでしょう。要するに株式会社コナカは全国一般「コナカ支部」を潰すためにUIゼンセン同盟に第2組合を作らせて、第2組合に入らないとクビになるかのような文書をまいて、偽計によって乗っ取り、「コナカ支部」の幹部を追い出したわけです。

同様のことが株式会社メガネスーパーや株式会社コムスンでも行なわれたようです。このように書くとUIゼンセン同盟がなんだかとても立派に見えるわけですが、たとえばこの間最後の「すかいらーく」が閉店した株式会社すかいらーくの労組もUIゼンセン同盟なんですが、そこでは初代労働組合委員長の伊東康孝さんが社長に就任していたり、三代目労組委員長はジョナサンの社長だったりという、まあ出世の階段であるということですが、この話しは委員長だった吉田弘志さんが言っていたことですから間違いありません。

そういう優れた組合なので組合員である名ばかり店長が過労死するくらいは憚りながらわりと普通のことです。しかし吉田さんは過労死があってから1年も経たないうちにとある雑誌で、ある意味「おバカ」なことを口走ってしまいました。

ある意味、店長は誰の助けもなく、全責任を負って店舗を切り盛りしていかなければならない孤独な存在です。忙しさも半端ではありません。しかし、本当にできる店長、つまり強い店長は、その中でも休みを取れるのです。なぜならば、しっかりマネジメントが出来れば1人でがんばっている店長を見て、誰かが『店長休んでください。私が代わりに働きますから』と言ってくれるからなのです。ここまで行くにはそれだけの人間的魅力がなくてはなりません。権限委譲のノウハウも必要です。『お前に任せるよ』と仕事をさせてもらえれば、やる気が芽生えます。そういう各人のやる気をマネジメントできるノウハウを身につける一助として、『人間道場』などの私たちの研修が機能すればこれほどありがたいことはありません。

2005年5月10日 j.unionレポート


言う吉田さんも吉田さんですが、載せる西尾さんも西尾さんです。「j.union」というのは西尾力さんが「労働組合を支援する」ために作った会社だそうですが、実際には主に、成果主義人事システムを導入しようとする経営側を支援する労働組合を支援するための会社です。ややこしいことこの上ない。

ところで西尾さんが下手に謙遜してみせたのが良くなかったのか、吉田さんはどうせ誰も読んでいないと思って言いたい放題だったわけですが、過労死した店長の奥さんはこれを見つけてしまいました。意外な読者の出現に西尾さんもビックリですが、困ったのは吉田さんです。奥さんは組合に質問状などを送ったのですが吉田さんはこれを無視してしまいました。そこで奥さんはついに組合を相手に民事調停を申し立てる事件になりましたので吉田さんは出世の階段から転落した模様です。いい「人間道場」になりました。

そういうわけなので労働組合の組織率が上がったとか、パートの組合員数が増えたといっても、それは地域労組の拡大に対する使用者側の防衛によるもののようです。パートタイマーが「支部」を作ったりする前に御用組合に入れてしまえというわけです。この場合、労組に入る方が入る前よりも悪くなる可能性が出てきますから、組織率の上昇も考えものです。

もっとも『毎日新聞』では11日の記事で例えば

 昨年末に派遣切りされ、若年の非正規労働者を中心に組織する「首都圏青年ユニオン」に入り、住居を確保した鈴木重光さん(37)は「自分たち派遣は何をされても黙っているしかないと思っていたけれど、理不尽なことには共に頑張ってくれる労組があるんだと思った」と語る。鈴木さんらは今月1日、東京都内で、働くことを語り合うイベントを開催し、非正規で働く若者も数多く参加した。「労組は怖いイメージ」などの声もあったが、「つながることでしか働き方を変えられない」「困った時に助けてくれる仲間」などと期待の言葉が多かった。


などと「感想」を紹介していますが、そういうのに限ってUIゼンセン同盟ではありません。それどころか「首都圏青年ユニオン」は「怖い」全労連系です。毎日の記事では「連合の組織局担当者」が「地道な組織化の努力が実った結果だと思う」と言っているのを紹介しているのですが、『讀賣新聞』によればそのくらいのことは厚生労働省でも言っています。もっとこう、「生の声」みたいのが欲しいな、東海林。パートさんの、ナマで。そんなこと書いたら連合出入り禁止だってか。
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2009年12月08日

公開とろりんちょ

「シンポジウム」とはギリシアの「シンポシオン」であり、その意味は「飲み会」のことです。そこでは酔っぱらいのタワゴトが大真面目に語り合われ、そして明日になったら誰も何も覚えていません。誰が何を言って自分がどう答えたのか、そしていつ終わってどう帰ってきたのか、全く分らないのですが、確かに言えることは頭がガンガンするんだ。

普天間移設の早期決着を=石破、アーミテージ氏らが議論−日米関係シンポジウム

 日米関係をテーマとするシンポジウムが8日、都内で開催され、自民党の石破茂政調会長、アーミテージ元米国務副長官らが出席した。席上、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の早期決着を求める意見が相次いだ。
 アーミテージ氏は普天間問題の決着が遅れた場合「日米合意が白紙に戻ってしまうのではないか。日米同盟、普天間問題が白紙になる」と懸念を表明。石破氏も、移設先を抱える同県名護市の来年1月の市長選に触れ、「安全保障を地域の選挙に委ねることは政府の責任放棄だ」と同市長選を待たずに鳩山由紀夫首相が現行計画を容認するよう早期決断を求めた。
 司会を務めたグリーン元米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長も「普天間基地を今後20年、30年このままにしておくのは残念だし、危険だ」と指摘した。
 一方、長島昭久防衛政務官は石破、アーミテージ両氏の意見について「非常に共通するところが大きい」とした上で、「日本の都合で海兵隊がどこ行け、あっち行けと本当に言えるかどうか」と疑問を呈した。

2009年12月8日 時事


各社が喜んで報道している「シンポジウム」ですが、これがただのシンポジウムではないわけで、まず酒が出ない。ふざけるにもほどがありますが、これは「オバマ政権のアジア政策と新時代の日米関係」と題して日本経済新聞社と米戦略国際問題研究所が共催したものです。

「米戦略国際問題研究所」ことCenter for Strategic and International Studiesは、日本の再軍備に尽力したことで勲一等旭日大綬章を授与されたアーレイ・パークさんが設立したシンクタンクです。もともとはどっかの大学に付属していたようですが、今では民間の会社ですから縁故入社のようなこともあるようで、小泉進次郎君という、現在海上自衛隊見学ツアーのガイドを務めている青年が一時在籍したことでも知られております。

「strategy」というのはみんなよく使う言葉ですが、難しい言葉であります。まあ、大きな目的のための方策みたいな意味でしょう。その目的のために個々の場面でどうしたら良いのかが戦術ということになるかと思います。反対に目的そのものはある原則から導かれるはずですから、「戦略」というものはその中間にあることになります。つまり原則に導かれる諸行為の階梯の真ん中へんです。

「目的」なしに「戦略」はありませんから、「戦略」を「研究」している人たちは、どにかくどっか外部から「目的」を受け取ってくることから始めなければなりません。また逆に、「戦略」の「研究」は「目的」に資するためにやっているのですから、その「研究」をしている人たちが何をやっているかを見ると「目的」が分ることになります。

実際に、この「シンポジウム」そのものが戦略的な行動のひとつです。誰が出席したかなどということはほとんど問題になりません。相応しい人物が出席するだけのことです。そして彼等は目的に沿った発言をすれば良いのですし、するからそこにいるのです。つまり「現行案に基づいて早期に解決すべきだ」とかなんとか言うわけです。言うことになっているのであって、民主党だろうが防衛政務官だろうがアーミテージだろうが石破だろうが同じことです。もしそういうことを言わないのであれば最初から呼んできません。

したがってこの「シンポジウム」は、実際には開催してもしなくても同じことです。もちろん日経ホールにとっては意味があります。ホールにニセの予約を入れてもポイントが貯まるかどうかは不明ですが、キャンセルされたりノーショーだったりするよりは、ムダでも良いから開催することが望ましいでしょう。お客さんも来ちゃうわけだし。

このようにしてお互いに気持ちよく義務を果たすことが大切です。しかし考えてみればそんなことは当たり前のことで、世の中は概ねそういう風にして動いているのです。何も特別なことはありません。みんながそれぞれ善良な市民であったというだけの話しです。僕だって今日も時間通りに会社に行ったんですが、誰も褒めてもくれませんし驚かれることもありません。

そこで報道価値とは何か、ということを改めて考えてみなければなりません。実はこの「シンポジウムを」報道させることに価値があったのです。誰もこんな「シンポジウム」が実際に行なわれたとは思わないでしょう。実際には記事が配信されただけなのです。それでも日経ホールにはホール使用料が入ることには変わりありません。とりあえず人を並べて写真を撮るだけでも、実際にシンポジウムを開くのとほとんど変わらないくらいの時間がかかるものなのです。
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2009年12月06日

孤島の鬼畜米国

対米交渉「もう限界」 岡田外相/「普天間」で県内聴取 政府決定へ参考

 米軍普天間飛行場の移設問題で、岡田克也外相は5日、仲井真弘多知事や伊波洋一宜野湾市長らと相次いで面談したほか、名護市で対話集会を開催し、「日米合意を白紙に戻すのは難しい」と県内各地で県外移設が困難との認識をあらためて示した。沖縄タイムス社の岸本正男社長との会談では、米軍再編の見直しについての対米交渉で、自身を直接の責任者とした上で「もう限界だ」と述べたという。会談後、岸本社長が本紙記者などの取材に答えた。岡田外相は帰任前に那覇市内のホテルで会見し、「日本政府の方向性を決めるのが先だ」と述べ、早期の政府方針決定が重要との見解を示した。

 岡田外相は伊波市長との面談で「現時点で彼ら(米国)が主張しているキャンプ・シュワブ沿岸部以外の選択肢はないと(言っている)」と説明。移設が頓挫すれば普天間飛行場の固定化を懸念した。

 在沖米海兵隊の辺野古移設でなく、グアム移設を訴えた伊波市長によると、岡田外相は「普天間を抱える市長が、もっと十分に検討するべきだというのはふに落ちない」と述べたという。

 同日夜の会見では「今後の沖縄の基地問題、とりわけ普天間問題について政府の意思決定の参考にしたいと考えている」と来県目的を説明。現行案についての見解について「このタイミングで言うべきではない」「WGで議論した中身はなぜ現行案になったかを検証するものでそれ以上でも以下でもない」とした。

 検証対象として自ら提示した嘉手納統合案についても「もともと難しい問題で、狭い道だと申し上げてきた」と述べるにとどめた。県民の民意については「今日だけですべてが測れない」とした。各会談は冒頭のみ公開や、全面非公開で行われた。

2009年12月6日 沖縄タイムス


岡田さんは沖縄に出掛けていって、誰かに「現行案」に賛成してもらい、ついでに民主党支持者を何とか説得しようとしたようですが、どちらも上手くいかなかったようです。「関係者」によるとルースさんが真っ赤になって怒ったとか怒らなかったとか、ライスさんはよく分からなかったとかいうんですが、「非公開」だっということは、岡田さんはアメリカの言い分を伝達に来ただけなんでしょう。それだけの話しなら新聞でも読ませた方が話しが早い。

ここだけの話し、実は日本の新聞はほとんど英語で書いてあります。英語を日本語で書いた、いわば「日字新聞」というようなものでして、4日の『産經新聞』「主張」では「国内政治の要因に外交・安保政策が左右されてはならない」といって日本の政治は立場の違いを越えてアメリカのために働かなくてはならないことを強調した上で

米側から見れば、さらなる迷走を重ねた上、国家の安全よりも連立政権の内部事情を優先させるかのような選択は二重の意味で失望と不信に拍車をかけただろう。


と、頼まれもしないのに「米側」の気持ちを慮って勝手に同情してあげています。ちょっと御節介というか、奴隷の割には身の程知らずの図々しさがどこへ行っても嫌われます。

4日の『中日新聞』ではアメリカの代わりに来年1月の名護市長選挙を心配してあげています。

ここで辺野古移設反対派が勝利した場合、日米合意の実現は遠のいてしまう。米国との関係をこじらせたうえに、普天間飛行場はそのまま残るという結果になる。
「最悪の展開だ。ただでさえ、米側は鳩山政権にあきれていたのに。1990年代のジャパン・パッシング(日本無視)が再び始まるかもしれない」。日米関係筋はこう漏らした。


「日米関係筋」というのが誰だか分りませんが、名古屋にそういう人がいるのかも知れません。とにかく、名護市で反対派が勝利すると、それは「最悪の展開」なんだそうです。随分とあからさまな恫喝というべきでしょう。もっともよく考えたら、それは少なくとも名護市にとっての「最悪」ではないようです。

もっとも同じ4日の『讀賣新聞』によると、そんな心配をする必要は全然ないはずであって、「米国も、沖縄県も、移設先の名護市も、現行計画による早期決着を切実に求めている」んだそうです。とはいっても「沖縄県」の誰が、また「名護市」のだれが「現行計画による早期決着を切実に求めている」んだかよく分かりません。実際『讀賣新聞』もその点についてあまり自信はないようで、

1月下旬に予定される名護市長選では、現行計画を容認する現職に、反対派の新人が挑戦する。仮に現職が敗れれば、県外移設を求める声が広がり、沖縄県の立場はより苦しくなるだろう。


ということですから、原因と結果を取り違えているような気もしますが、『讀賣新聞』がいう「名護市」には「名護市民」は含まれていない可能性が高いのです。「名護市」においては誰も「求めて」いないのかも知れないのに、「名護市」は「切実に求めている」んだそうですからワケが分りませんが、このぶんだと「沖縄県」は「沖縄県民」とは無関係で、「日本」は「日本国民」の住んでいるところではなかったりするんですが、こういうことは世の中には沢山あるそうです。

ところでほとんどどうでもいいことですが、この『讀賣新聞』は未だに「大連立」みたいなことを模索しているのがお笑いです。

重要な法案や政策については、自民党など野党に個別に協力を要請し、連携するといった工夫をすることで、政権を運営していく手法も十分検討に値しよう。


民主党にとって可能な選択肢の中には「現行案」でいく、というものも存在します。それによって社民党が政権から離脱することを容認しても、その代わりに自民党の助けが必要になるということは特にないのではないでしょうか。まあしかし、たまには思い出してくれる人がいるというのも、自民党にとっては生きていく上で励みにはなるでしょう。生きていかなくても誰も困りませんが。

とはいえ、日本政府が「どうしようか」なんて言ってるとアメリカも「現行案で良いじゃないかよ」と言うに決まっています。日本政府としては一度きちんと対案を作ってぶつけたほうが良いようです。その際にはやはり世論というものを考慮して、県外に移ってもらうのが良いでしょう。大阪だ神戸だという人もいますが、東京だってかまいません。そんなに日本に基地が必要であれば沖ノ鳥島に2人くらい常駐させておけば良のです。狭くて困るんだったらその「島」の「周囲」を「埋め立てて」もらうのも助かります。
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2009年12月03日

法の仮死か、取調べの瑕疵か

大阪・個室ビデオ店火災:死刑判決 遺族ら「当然」 小川被告、表情うつろ

 「生命をもって罪を償うべきだ」。2日、大阪地裁であった個室ビデオ店放火殺人事件の判決公判。秋山敬裁判長は小川和弘被告(48)に死刑を宣告し、その上で「無念を思うと暗たんたる気持ちになる」と、犠牲者16人の人生を1人ずつ紹介した。すすり泣きが漏れる傍聴席。法廷は、事件から1年以上たった今も癒えることのない悲しみに包まれた。【北川仁士、小林慎】
 犠牲者のプロゴルファー、坂本潔さん(当時53歳)の父正一さん(80)=徳島県美馬市=は判決を電話で聞き、軽くうなずいた。「死刑は当然。できれば死刑を告げられる瞬間を自分で聞きたかった」と声を詰まらせた。
 正一さんと妻信子さん(75)は事件後、体調を崩し傍聴は一度もかなわなかった。「60歳になったら帰ってくる」と話した潔さんとの最後の会話。思い出すたび胸を締めつけられた。1日には、大阪で暮らす潔さんの娘から「大学に合格した」と電話があった。正一さんは「判決はひと区切り。控訴せず、苦しみが終わってほしい。明日(3日)、潔の墓に参り、報告したい」と静かに話した。
 俳優、青木孝仁さん(当時36歳)の俳優仲間、井上茂さんはほとんどの公判を傍聴した。この日も法廷で判決を聞き「夢がある人々の命が奪われたと実感した。青木には『これからも一緒に芝居しような』って呼びかけたい」。また原大次郎さん(当時40歳)の兄健太郎さん(49)は「(被告が)生きて出所するのは悔しいから死刑を望んだ。弟は帰ってこないが一段落ついたと報告したい」と話した。
    ◇
 一方、小川被告は白いマスクに、黒色ジャンパーで入廷。秋山裁判長が約2時間にわたって判決理由を読み上げる間、うつろな表情で前を見つめたまま聴き入った。最後に「被告を死刑に処する」と言い渡されると、「一言言いたい」と弁護人に小声で伝えたが、制止されて退廷した。
 岡本栄市・主任弁護人は判決後「死刑にしなければならないという結論ありきの判決」と批判。「判決はティッシュに火を付ける行為を自殺の方法として不思議ではないなどとしているが、常識人の感覚ではない」と述べた。

 ◇納得できる量刑−−渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 自白の任意性について、判決は「威圧的な取り調べはなかった」と判断した。否認する状況を撮影したDVDを検証した結果と言える。判決は犠牲者の人生に言及し、命の重みを重視して死刑を選んだと言え、高く評価できる。裁判員裁判になった場合でも市民が納得できる量刑判断だ。

2009年12月3日 毎日新聞


またまた出ました、ぎしゅう先生であります。いきなり納得してしまいました。てゆーか、「納得」がこの先生のお仕事であります。納得したりしなかったりするのですが、先生は自分が納得したりしなかったりするのではありません。「市民」が「納得できる」とか「納得するか疑問」だったりするのです。先生の頭の中には小さな「市民」が一人住んでいて、納得したり納得しなかったりしているようです。先生はその「市民」の声を聞いてコメントを行ないます。いわゆる多重人格です。

先生の頭の中の小さな「市民」、いわば「小市民」は、傾向としては死刑判決が出た場合により「納得」しやすいようです。むしろ死刑判決でなければ納得しないようでもあります。判決ばかりか求刑においても死刑に出来るものはなるべく死刑にしろ、というのが「小市民」の「納得」のレベルです。いささか乱暴な傾向があるようですが、なにしろこれは先生の頭の中の「小市民」がそう言ってるんで、法律学者としての渡辺修さんには何の関係もないのです。もし「小市民」の言い分をそのまま伝えないようなことがあると、「小市民」は先生の頭の中で暴れて、先生は悪い夢を見たりするんでしょう。

そういうわけで先生は「死刑判決が出ればもうなんでもいい」という、ヤケクソの気分です。これでも普段は取調べの可視化を主張しているようなのです。この間も「英国や豪州の例でも録音・録画の導入で自白率が下がったことはない。冤罪防止のためにも取り調べ経過を検証できるようにすることが大切だ」なんて言っていたようです。

ところで小川さんが「否認する状況を撮影したDVD」は、否認するところを写したものでしかありません。どう考えても取調べの1シーンでしかなく、「取り調べ経過を検証」するという趣旨にはほど遠いものであると考えられます。

しかしこれはいわば「取調べの記念撮影」のようなものです。通常は調書を元にして被疑者に台詞をつけて、「自供」するところを撮影します。それは「取り調べ経過」ではなくてその「結果」を「演じた」ものなのです。小川さんについては、「自供」する様子を「再現」することは出来なかったようです。つまり一貫して否認していたわけですが、その場合には仕方がないので「否認」するところを「再演」してもらって、それを撮影します。

いずれにしてもこれは「記念撮影」ですから、極めて礼儀正しいものです。被疑者が喋るところを記録するのが目的ですから、取調官が大声を出したりして出しゃばって来ることはありません。「出たがり」というのはみっともないこととされており、あくまで主役は被疑者であるという原則が守られます。これはアダルトヴィデオと同じようなものです。原則として男優は表に出ず、カメラはもっぱら女優を見詰めており、カメラの前で女優は感じたフリとか逝ったフリとかの演技をするのです。それでも「本番」といわれたりしているんですが。

女優さんもスタッフと喧嘩したり、監督に怒鳴られたりしているのかも知れませんが、そういう様子はビデオには写されていないようです。取調べも同じです。仕込みの段階ではかなり「威圧的」であったとしても、出来上がった「作品」にはそんなところは写っていません。部分的な「可視化」とは「やらせ」に他ならならず、むしろ「不可視化」するための映像による煙幕でしかありません。

そんなものを観て「「威圧的な取り調べはなかった」と判断した」秋山敬裁判長にも困ったものですが、「否認する状況を撮影したDVDを検証した結果と言える」などと「納得」してしまうぎしゅう先生、常の「取調べの可視化」の主張はどこへやら、頭の中の「小市民」にすっかり降参してしまったようです。先生にはなるべく早く、この頭の中の狂った小人を追い出されて真人間に立ち返られることを望みますが、奴がいなくなったとして、先生の頭の中に何か残るものがあるのかどうかは疑問であります。『稲毛新聞』でも丸めて詰めときますか。
posted by 珍風 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

暗黒学園 空き教室の陵辱拷問授業

実は結構注目されています。

私立昌平高の教師特別研修:生徒のいない教室で授業、さいたま地裁支部が停止命令

 生徒のいない教室で模擬授業を週7回行わせるなどの「特別研修」を受けさせたのは退職強要にあたるとして、私立昌平高(埼玉県杉戸町)の国語教師、今村寛さん(50)が同校を経営する学校法人昌平学園(近藤好紀理事長)に研修停止などを求めた仮処分申請で、さいたま地裁越谷支部(佐藤美穂裁判官)は30日、「退職強要に利用されている証拠はないが、現在の研修は権限の乱用」と研修停止を命じる決定を出した。
 申請によると、今村さんは学校側による「授業力確認テスト」や生徒アンケートで点数が低かったことを理由に、昨年9月から特別研修に入るよう命じられた。授業から外され、生徒のいない教室での模擬授業や、席を離れるのに教頭の許可を求められるなどして自律神経失調症にかかったと主張していた。昌平学園は「研修は教師の問題点を改善する手段。模擬授業も指導力不足の教員には有効」と反論していた。
 決定は、特別研修が埼玉県の指導力不足教員に対する研修方法などと比べ「模擬授業に重点を置き過ぎている」と指摘。体調を崩した今村さんには「別の研修方法も考えられる」とした。
 同校は07年に経営法人が変わり、進学校を目指して方向転換を図っている。決定後、今村さんは「早く教室に復帰し、受験指導に傾いた学校の方向性を変えたい」と述べた。昌平学園の城川雅士広報担当は「今村さんの健康や内容に配慮して研修を改善したい」とコメントした。【平野幸治】

2009年12月1日 毎日新聞


ちょっと分りにくい記事なんですが、「体調を崩した今村さん」について、決定では「精神的に多大な苦痛を受け、体調を崩している」としており、精神的ストレスの存在を強く示唆しています。この辺は、単に今村さん自身が「自律神経失調症にかかったと主張していた」と書くだけでは全く不十分でしょう。このような書き方では、昌平高校側が今村さんに精神的なストレスを与えていたことを隠蔽してしまう虞れがあります。

また、決定では「現在の特別研修の継続には社会的相当性が認められず、命ずることは職権の乱用にあたり許されない」ということになっています。「社会的相当性が認められ」ないのです。つまり「とんでもないことしてる」と言っているのです。しかも「職権の乱用」です。「許されない」のです。この決定では昌平高校側のやり方に対して相当強度の非難がなされていると認められます。「模擬授業に重点を置き過ぎている」から「別の研修方法も考えられる」というような弱い調子のものではないのではないでしょうか。

もっとも、毎日新聞はほとんど同一の記事を数時間前に配信しています。

教師特別研修:「権限乱用」と停止命令 さいたま地裁支部

 生徒のいない教室で模擬授業を週7回行わせるなどの「特別研修」を受けさせたのは退職強要にあたるとして、私立昌平高(埼玉県杉戸町)の国語教師、今村寛さん(50)が同校を経営する学校法人昌平学園(近藤好紀理事長)に研修停止などを求めた仮処分申請で、さいたま地裁越谷支部(佐藤美穂裁判官)は30日、「退職強要に利用されている証拠はないが、現在の研修は権限の乱用」と研修停止を命じる決定を出した。
 申請によると、今村さんは学校側による「授業力確認テスト」や生徒アンケートで点数が低かったことを理由に、昨年9月から特別研修に入るよう命じられた。授業から外され、生徒のいない教室での模擬授業や、席を離れるのに教頭の許可を求められるなどして自律神経失調症にかかったと主張していた。昌平学園は「研修は教師の問題点を改善する手段。模擬授業も指導力不足の教員には有効」と反論していた。
 決定は、特別研修が埼玉県の指導力不足教員に対する研修方法などと比べ「模擬授業に重点を置き過ぎている」と指摘。体調を崩した今村さんには「別の研修方法も考えられる」とした。
 同校は07年に経営法人が変わり、進学校を目指して方向転換を図っている。決定後、今村さんは「早く教室に復帰し、受験指導に傾いた学校の方向性を変えたい」と述べた。昌平学園の城川雅士広報担当は「研修は退職強要ではないと認められた。裁判所の決定に従い、今村さんの健康や内容に配慮して研修を改善したい」とコメントした。【平野幸治】

2009年11月30日21:35 毎日新聞


どこが違うかというと、見出しが違うわけです。差し替え前の見出しでは「権限乱用」の文字が踊っています。実際に踊っていたかどうか知りませんが、見出しの文字というものは踊ることになっているのですから仕方ありません。ところが記事の中にそれに対応する内容がありませんので、これは宜しくありません。もっとも新聞社では編集上の判断として記事の内容を必ずしも反映しない見出しをつけつことがあります。先日の「温情判決」などはその例です。

そういうことがありますんで、見出しの変更は必ずしも記事の内容にあっていないからというワケでもないでしょう。何らかの意図があるものと考えられます。おそらくその「意図」は、もう1つの変更点と関係があるのかも知れません。1日になって、以下の文字列が記事からデリートされました。

研修は退職強要ではないと認められた。裁判所の決定に従い、


この後に「今村さんの健康や内容に配慮して研修を改善したい」というのが続くんですが、これは同校の「広報担当」てゆーか要するに教頭である城川さんの言葉であるとされていますが、この部分があるのとないのとでは印象がエラく違います。ない場合、これは今村さんが研修がキツくて病気になったからなんとかしておくれと言っている、という話しになってしまいます。ところが本当のところは、昌平高校が今村さんに苛酷な研修を課すことによって退職を強要しようとしたのではないかということが問題であったのです。

毎日新聞がほんの18文字ばかりを削除して挙げることの出来た効果は絶大なものです。改編後の記事だけ読むと「停止命令」が出たのですから昌平高校は完敗したように見えるのですが、実際には城川さんは学校側の主張すなわち退職強要の不在を認められたことを喜んでいます。朝日新聞の記事では「本校の主張がおおむね認められたと理解している」と発言したことになっています。東京新聞では「学校を良くしたいという取り組みが基本的に認められたと評価している」、読売新聞によれば「主張の一部が認められなかったのは残念」ということになっていますが、「一部」以外は認められているというわけですから同じことです。毎日新聞だけがおかしなことを書いているようなのですが、それは差し替えのときにヘンなところを削ってしまったからなのです。

まあ、こんなところで毎日新聞を救ってあげても仕方ないのですが、学校側は「現在の模擬授業はいったんやめる」(朝日)、「模擬授業は一度中止する」(共同)、「模擬授業はいったんは中止する」(読売)、「改善を図りたい」(東京)などとしていますので、決定に素直に従う様子は見えません。したがって毎日新聞で「裁判所の決定に従い、」という文言を削ったのは正しい判断であったというべきでしょう。昌平高校は取り敢えず別の手で退職を強要するか、ほとぼりが冷めた頃に「模擬授業」を再開する意向のようです。

ところで裁判所の決定は、この事例の背後に存在する、昌平高校では2年間で教職員をほぼ丸ごと入れ替えてるに等しい大量の退職者を出しているという顕著な事実をあえて考慮に入れなかった点で不当なものではあります。まあこの場合はその点については考えに入れなくても「エア授業」に対する停止命令を出すことが可能であったのですから仕方ないのかも知れませんが、学校側の反応を見る限りでは近い将来に同じ問題が発生する種をまいたようなものです。

ところで毎日新聞によれば昌平高校は「進学校を目指して方向転換を図っている」そうですが、実際に目指しているのは「進学校」ではなくて「進学塾」ではないかという話しもあるわけですが、今村さんは「受験指導に傾いた学校の方向性を変えたい」と言っているそうです。学校側は経営方針に従おうとしない教員を排除しようとしたわけですが、このような場合に簡単に解雇できればこういう問題は起こらなかったと思う人もいるでしょう。そりゃそうだその場合は不当解雇など別の問題が起こるんですから。

現状ではそうなった場合に学校側にはほとんど勝ち目はありません。そこで学校側としては能力評価をわざと低くしてみたり、苛酷な研修を課したりして、対象者が自発的に退職するように誘導することになります。もちろん実際に職務遂行能力が著しく劣る場合には解雇もやむを得ないわけですが、いくら解雇規制をユルくしても、「考え方の違い」などを理由とした恣意的な解雇は許されないでしょう。そしてその場合に主観的な要素の強い「能力」の評価が、恣意的な解雇を目的として意図的に低くされる可能性は極めて強いものです。

極端な自由解雇の主張は「覚醒剤を合法化すれば覚醒剤犯罪はなくなる」とか言っているのと似ています。まあ、末端使用者の場合、覚せい剤取締法違反行為は違反者自身に向けられるのですから別にいいんですが、解雇は他者に向けれなされる行為なので、あまり暢気なことも言っていられません。実際には解雇は強者から弱者に向けて一方的に行なわれるものですから、規制はあって当然でしょう。

そのような規制をかいくぐるために雇用者が労働者を虐待するような場合、問題は別です。それはむしろ社内問題であったりします。例えば昌平高校の例では経営方針を変えるに際して教員側と合意を形成する努力を怠って来た形跡があります。大量の退職教員の存在はその表れでしょう。いかなる方針で経営を進めるにしても、円滑かつ効率的に行なうためには合意の形成がなされていた方が良いことは言うまでもありません。もっとも経営者が自分のやろうとしていることの正当性に自信が持てず、合意を取り付ける期待が低い場合は別です。そういう場合には、止めておけばよいというだけのことです。

そして栄光では今村さんの例のような紛争を解決することの出来る仕組みも持っていないようですが、これも経営者の自身の欠如の表れです。「文句があったら止めればよい」というのは大変に威勢の良い話しに聞こえますが、こんな経営者が行きつくところは失業者を大量に発生する「社会全体の不幸」である「ブラック企業」であり、紛争の表面化であり、社会的信用の低下です。

「進学校を目指す」のも良いのですが、その当の学校が全国的に有名な「ブラック学校」では優秀な生徒が来たがらないかも知れません。もっとも株式会社栄光に心配するに足るだけの「社会的信用」なるものが存在していたのかどうかは知りませんが、この調子でお続けになるつもりでしたら、「高校のフリをしたヘンな塾」というものになっていくんでしょう。
posted by 珍風 at 20:59| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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