2010年01月29日

不可視化される可視化

可視化研究会、5日から=捜査手法の向上も議論−警察庁

 警察庁は28日、有識者による「捜査手法、取り調べの高度化を図るための研究会」を来月5日に立ち上げると発表した。取り調べの録音・録画(可視化)のほか、おとり捜査や司法取引、通信傍受などの導入と拡充について議論し、2年後をめどに結果をまとめる。
 研究会は中井洽国家公安委員長の委嘱機関。委員は、久保正行元警視庁捜査1課長や前田雅英首都大学東京教授(刑事法)、小坂井久弁護士をはじめ、元検事や元裁判官、ジャーナリストら12人。

2010年1月28日 時事


時事の記者さんには中井蛤さんの言うことがよく理解できなかったようです。すなわち「取り調べの録音・録画(可視化)」と、「おとり捜査や司法取引、通信傍受などの導入と拡充」との関係が理解できず、単に「ほか、」で繋いで併記してしまいました。時事通信は蛤さんの言うことを良く聞いて、「可視化研究会」なのにどうして「おとり捜査や司法取引、通信傍受」が出てくるのか、よく理解しなければなりません。

とはいっても、実際のところそれは相当に困難です。蛤さんによると「可視化だけでは捜査能力が低下する」んだそうですが、理解し難いギロンです。どうして取調べの様子を見られると捜査能力が低下するのか、全然分りません。時事の記者さんは自分の分らなかった事は書かないで済ませた様子ですが、それもひとつの見識というべきでしょう。

普通に考えると、自白に依存した、不可視の密室での拷問類似の手法による取調べを中心とした「捜査」なんかをやっているから「捜査能力が低下」しているのではないかと思われます。冤罪などがよく話題になり、取調べのあり方に問題があるとか言われているわけですが、これは他方からいえば真犯人を取り逃がしている事に他ならず、警察の捜査能力が低い事の表れなのですから、警察は可視化の導入とは無関係に、今現に捜査能力が低下「している」ことを率直に認めるべきでしょう。

そう考えると取調べの可視化の導入そのものが、警察にとっては大変に有り難い事に捜査能力を向上させるきっかけになるでしょう。「新しい捜査手法」などは警察官にとって荷が重すぎます。日本の警察は未だに容疑者を吊るして箒尻でひっぱたいているレベルに留まっているのですから、少なくとも19世紀のレベルにまで引き上げてあげるのが先決です。

ところで「蛤一家」は総勢12名であります。先ずは警察OBの皆さん。

 岡田薫(元警察庁刑事局長)
 久保正行(元警視庁捜査1課長)

そして検察OB、てかヤメ検弁護士の皆さん。

 高井"ライブドア"康行
 本田守弘(元内閣官房司法制度改革推進室長)

そして司法からは一種の名物男といいますか、裁判員制度海外研修組でまだ最高裁に行ってないこの人。

 山室"次は俺だ"恵

この人、編著書に『刑事尋問技術』てのがあります。弁護士では犯罪被害者の司法参加に賛成した

 番敦子(日弁連犯罪被害者支援委員会副委員長)

さんがいらっしゃいます。また、いわゆる「ジャーナリスト」として

 桝井成夫(元読売新聞論説委員)

こちらは「犯罪の低年齢化と、性犯罪も含めた凶悪犯罪の急増傾向」などというデタラメの張本人で「裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会」のメンバー。続いて学者様からは、先ずはこの人がいなければ始まらない、警察庁御用達の

 前田雅英(首都大学東京教授 刑事法)

の他、仲間由紀恵ではなくて

 仲真紀子(北海道大教授 心理学)

「心理システム科学」だそうですが、『目撃証言の心理学』という本に論文載せてます。それと、この人がどうして来てるのかよく分からないんですが

 大沢真理(東京大教授 社会政策)

専門はジェンダー政策。 ちなみに日弁連からは2名、

 小坂井久
 竹之内明

ほとんどオマワリさんの味方に囲まれて寂しい限りですが、日弁連会長声明によると「あらゆる機会を通じて可視化の早期実現を求めるべきものと考え」て委員を出したそうです。どう考えてもこの「研究会」は「早期実現」を阻むためにやっているとしか思えませんし、声明の中で明らかにされた「立場」において

取調べの可視化は、緊急の課題であり、他の捜査手法の導入如何にかかわらず実現されるべきものであること。

上記研究会の存在や議論状況を理由として、取調べの可視化の立法や運用による実施を遅らせるべきではないこと。


と述べている以上は「上記研究会」が「取調べの可視化の立法や運用による実施を遅らせる」為に存在する事を認識しているはずなんですが。

ところが日弁連では「同研究会は、2010年1月頃から1年程度行われ」るもんだと思っているようです。しかし実際には「2月頃から2年程度」という話しでありまして、宮アさんが「1」と「2」の区別がつかなくなったか、騙されたかのどちらかでしょう。今年で66歳になる宮アさんですが、まさか数字がわからなくなるお年とも思えません。

いわゆる「研究」の実践として、先ずは見えないところで日弁連を罠にかけて騙すところから始まったわけですが、ともかくもこうした「研究会」なるものが出来るということは、警察はむしろ可視化を逆手に取って最大限に利用するつもりのようです。よくよく考えてみれば、取調室以外ではカメラもマイクもありませんから、代用監獄があれば「捜査能力が低下」する心配なんてこれっぽっちもないのです。
posted by 珍風 at 09:49| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月25日

わたしのリーク体験

北海道新聞東京編集局国際部の高田昌幸さんの『ニュースの現場で考えること』では「「リーク批判」に対する新聞の「言い分」」
http://newsnews.exblog.jp/13562517/
というエントリで、日本を代表する新聞社2社の花形記者によるリーク体験を引用しています。

先ずは産經新聞の社会部長でいらっしゃる近藤豊和さんの、リークの裏にあるちょっといい話し。

 捜査畑で辣腕(らつわん)をふるったある検察幹部は、何かを問い掛けると、「足で稼いでこい」と言うだけだった。別の検察幹部は、同僚記者が雨中に官舎前で待っていると、ずぶぬれの足元を見て靴下を手渡し、何もしゃべらずに、玄関の中ににまた消えたという。
 「検察のリーク」「検察からの情報による報道の世論誘導」…。こうした指摘の根拠を知りたい。

2010年1月21日


根拠は近藤さん御自身です。そして讀賣新聞論説委員の藤田和之さんの涙なくしては聞けないリークの苦労話。

 「関係者」の中でも、検察官の壁は特に厚い。無言か、「知らない」。寒風吹く中、質問内容を忘れるほど震えつつ5時間待った結果が、わずか数十秒のこうしたやり取りだ。その繰り返しである。
 政治家も、記者と同じ取材を1週間やってみればよい。その上で「検察リークを確認した」と言うなら、その言葉に耳を傾けよう。

2010年1月23日


お寒かったでしょう。まあ、その甲斐はあるんでしょうけど。お二人とも、実は「リークはない」と言っているわけではありません。近藤さんの同僚が雨の中を立ち尽くし、藤田さんだか誰だかがお寒い中で5時間も待っていたというのも、ただただリークを待っていたからに他なりません。

仮に検察官がリークをしないものであれば、こんな苦労、てゆーかはっきり言って時間のムダですが、そんなことをしている必要はありません。どっか別のところに取材に行くとか、帰って寝ちまうとかすればよろしい。雨が降ろうが寒かろうが、それはムダな動きでしかなく、同情の余地もありませんし、そんなバカなことをやっている連中の給料を払うために新聞代を払うのは真っ平です。

しかし実際にはリークは行なわれるのであり、だから悪天候にもかかわらず記者さんたちは待ち続けます。それは決して簡単なことではありません。しかし連中には、お役人様からおこぼれを頂戴して紙に書くくらいのことしか出来ないので仕方がないのです。その他のことは不可能なのであって、事は単に簡単だとか大変だとかいうことではありません。可能な事と不可能な事があるのです。

しかし、マスゴミがリークをそのまま書いているとすれば、それはやはりある意味で「簡単」なことです。検察官はそうはいきません。彼等はマスゴミと違って、聞いたことをそのまま喋っちゃうのではないのです。記者さんたちが外で待っている間、検察官たちは暖かいところでお茶を飲みながら談笑しているわけではありません。

おそらくその間に、リーク情報が作られます。今日は何かを話してあげられるかどうか、話してあげるとしたらどんなことを言うのか。検察官たちは取調室から出て来てそのままを記者に放り投げるようなぞんざいな事はしません。たとえ短くとも、彼等の情報は思惑と利害のこもった温かな手作りの創作物なのです。それを頂戴するとき、記者さんたちは喜びにうち震え、暑さも寒さも忘れて、喜び勇んで口にくわえて社に帰り、丁寧に傷つかないように、そっとそのまま書いちゃうのでした。そんなもの犬にでもくれてやれば良いようなもんですが、犬が犬から貰ったんだからどうすれば良いのか。川に向かって吠えるなよ。
posted by 珍風 at 05:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

少女が大人になるまで

国家公安委員長「リークある」に中立危ぶむ声

 再審裁判中の足利事件に関連し、捜査機関からの“リーク”を「ある」と言い切った中井国家公安委員長の発言に波紋が広がっている。

 鳩山内閣が昨年12月に閣議決定した「捜査情報を外部に漏らすことはない」という政府答弁書と矛盾するだけでなく、民主党の小沢幹事長の資金管理団体を巡る事件の捜査が進む中での発言には、警察を管理する国家公安委員会のトップとして、その「政治的中立」を危ぶむ声もあがっている。

 「今の自供、自白中心の捜査、そして捜査当局から一方的にリークされる記事しか書かないマスコミ。そういう中では、冤罪(えんざい)被害はこれからも出ると思っています」

 中井委員長は22日の記者会見で、宇都宮地裁で開かれている足利事件の再審裁判の感想をそう語った。

 小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の事件について、東京地検の捜査が進むさなかの発言だったため、報道陣が「今もそういうことか?」と質問すると、中井委員長はリークがあるという根拠は示さないまま、「ずっとそうじゃないか。一度、被疑者になったら徹底的になるじゃないですか」などと続けた。

 陸山会事件の報道を巡っては、昨年11月、鈴木宗男衆院議員が「(陸山会事件に関連して)検察当局がリークによって世論形成を図っているのではないか」とする質問主意書を政府に提出。これに対し、鳩山内閣は昨年12月の政府答弁書で「検察当局は捜査上の秘密の保持について格別の配慮を払ってきた」とした上で、「捜査情報を漏らすことはない」としており、中井委員長の発言は、この政府見解と矛盾している。

 中井委員長の職責についても、報道や情報公開の問題に詳しい右崎(うざき)正博・独協大教授(憲法学)は「閣僚としての自覚が足りないのではないか」と指摘し、「国家公安委員会は警察の政治的中立を保つためにある。そのトップが、身内をかばっていると受け取られかねない発言をすること自体、政治干渉のそしりを免れない」と批判する。

 現場の捜査幹部からも戸惑いの声が出ており、関東地方の警察本部の捜査幹部の1人は「事件捜査のために身を削るような努力をしており、情報漏れには細心の注意をはらっている。それをリークだといわれると、悲しい思いがする」と語った。

2010年1月23日 讀賣新聞


いったいどこで「波紋が広がっている」のかと思ったら右崎教授と「現場の捜査幹部」だけのようです。右崎さんは「報道や情報公開の問題に詳しい」そうですが警察法には全く詳しくないようで、「国家公安委員会は警察の政治的中立を保つためにある」と言い張っていますが、国家公安委員会については警察法の第2章で定められており、それが何をするためにあるかということが第5条に書いてあります。

第5条 国家公安委員会は、国の公安に係る警察運営をつかさどり、警察教養、警察通信、情報技術の解析、犯罪鑑識、犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し、並びに警察行政に関する調整を行うことにより、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする。


「警察の政治的中立」なんて何処にも書いてありません。それは「個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持する」ためにあるのです。そしてその目的からして、中井さんが「今の自供、自白中心の捜査、そして捜査当局から一方的にリークされる記事しか書かないマスコミ」について憂慮する発言を行なうことは間違ってはいません。

日本新聞協会では裁判員制度に対応して「犯人視報道」をしないんだとか言っていますが、暴走王の惨刑新聞ならずとも民主党に関しては足並みを揃えて「犯人視報道」をしておりますし、検察からのリークがなければ書けないような記事を書いています。

正確に言うと、リークではないというのであればマスゴミは勝手に「犯人視」してでまかせを書いているのであり、「犯人視」していないというのであれば検察のリークに基づいて記事を書いていることにならざるを得ないのが現在の報道の実態です。

まあ、広がっているのは「波紋」ではなくて検察不信の方でしょうけど、右崎先生が検察と一緒になって信用を失いたいのであればそれでも構いませんが、宇都宮地検元検事の森川大司さんも、これには大いに一役買っているところであります。

おそらく不用意に録音を残したことで検察関係では散々謝るハメになっていたと思われる森川さんですが、菅家さんには謝罪しなかったようです。まあ、有罪の確信が本当にあったのであれば、「人間性」はともかくとして、そういう態度でも構いませんが、果たして確信があったのかというと、これは実は極めて怪しいもんです。

弁護側「菅家さんに3つの事件の自白パターンが似ていると言いましたね」

森川元検事「テープに入っていればその通りです」

弁護側「証人は、(平成4年)2月13日の初公判前の2月4日と7日に『自白がパターン化している』と聴いていますが、初公判より前に(パターン化に)気づいていたのですね」

森川元検事「言っているならそうです」

弁護側「初公判前に、菅家さんの別件の自白が虚偽と考えたことはありますか」

森川元検事「虚偽と考えたことはありません」

2010年1月22日 産経ニュース


あたかも確信があったようなことを言っていますが、実際にはとんでもありません。森川さんは、菅家さんの供述では、その事件でも「女の子がしゃがんでた」という話しになっているので、これを不自然だとは思ったようですが、そこで不自然に感じられないように供述を操作しているのです。

森川 うーん、前にも話したと思うけれども。

菅家 はい。

森川 君がその、女の子をね、見つけるとき、どの事件もね、みんな女の子しゃがんでるんだよね。

菅家 やはり…。

森川 ちょっと違うんじゃない? 違うのはないかい?

(沈黙・8秒)

菅家 しゃがんでたような気がするんですよね、みんな。

森川 じゃあね、有美ちゃんのことね、ちょっと思い出してもらいたい。

森川 分かるかな? 有美ちゃんの事件って言って、分かるかな? どの子だったかね。

菅家 はい。

森川 有美ちゃんね、連れ出す前のことなんだけど、誰かと遊んでいたでしょう? これだけ。もうそれ以上のことは僕はもう言わない。誰かと遊んでいたでしょう? 君がどうしても思い出せないんじゃないかなという気がするからね、うん、それ以上のことは僕もう言わない。(沈黙・6秒)それだけ言っとく。

(沈黙・4秒)

森川 よく思い出してもらいたい。それが誰であるか、どういう人であるか、ね。僕の口からはね、言わないでおくけど。

(沈黙・5秒)

森川 そしてね。

菅家 はい。

森川 まあ、その次だからすぐ分かるだろうけど、遊んでいるところを連れ出した、という状況はないだろうか? 誰かと遊んでいたところを。

(沈黙・4秒)

菅家 もしかしたら、駐車場で、女の人がなんか、まあ、いたような気もするんですけども。

森川 それからね。

菅家 はい。

森川 考え、もう一回考えてもらいたいのは、声かけたね、かけ方が、またあの声のかけ方がね、今まで君が説明したのとね、したとおりだったのかどうかね。もうちょっと別のことがなかったのか、君がいきなりこう駐車、自転車でね、そば行って、声かけたんだって言うけど、もうちょっと別のいきさつがなかったかどうか?

菅家 別の。

森川 うん、そこを思い出してもらいたい。

菅家 はー(ため息)(沈黙5秒)そのことは分かんないです。

森川 うん、だからね、だからね、これと関係してくるから、いいかい。

菅家 はい。

森川 誰かと遊んでいなかったかなと聞いている。誰かというのが大人か子どもかね、あるいは男か女かね、どんなことをしていたかね、それは僕は一切言わない。

(沈黙7秒)

菅家 遊んでいたとすれば、女の、女の子だと思うんですけど。

森川 女の子だと思う。

菅家 はい。

森川 うん、どんな子が、君、少し、その遊んでいた情景っていうかねえ、それが少し記憶に残ってるかな?

(沈黙1分37秒)

森川 あのね。

菅家 はい。

森川 その女の人っていうのね、遊んでいたとしたら女の人っていうようなことね、いうんだけども、その女の人っていうのは少し、そういうイメージが残っているわけなのかな?

菅家 はー(ため息)(沈黙25秒)その人が駐車場の方へいた、駐車場ですか?

森川 うーん…女の人が1人? 2人?

菅家 1人のような気がしたんですけど。

森川 駐車場?

菅家 はい。

森川 駐車場っていうのは、あのー、あれ? 駐車場の方っていうのは、あのー、パチンコ店の建物の、この西側の方でしょう?

菅家 はい。そうです。

森川 うん。西側の方っていうのは、有美ちゃんがいたところ? 違うの?

菅家 えっと有美ちゃんがいた、いたところだと思うんですけど。

森川 有美ちゃんがいた側か。

菅家 はい。

森川 ふーん、1人?

菅家 確か、1人だと思ったんですけど。

森川 うーん、女の人っていうのは、子ども? 大人?

菅家 うーん、大人のような感じ。

森川 大人?

菅家 だと思うんですけど。

2010年1月21日 共同


菅家さんも、なにしろ自分で経験したことではないので困っているのですが、大変親切な森川さんが「誰かと遊んでいたでしょう?」とか、「遊んでいるところを連れ出した、という状況はないだろうか?」という具合に、どんどんヒントをくれるので大助かりです。ところが菅家さんは、森川さんが思い描いているストーリーが読めなかったようで、森川さんが3回目に、ややはっきりと「誰かと遊んでいなかったかなと聞いている」と言ってから、ようやく「遊んでいたとすれば、女の、女の子だと思うんですけど」と答えています。

菅家さんはここまで来ても「遊んでいたとすれば」などと仮定の話しで語ってしまっており、森川さんの意を汲もうとしません。森川さんの辛抱強さは特筆すべきでしょう。まさに検察官の鏡であります。こうでなくては冤罪被害は出せません。冤罪というのは中井さんが考えているように、そんな簡単にできることではないのです。そこには森川さんのような検察官の「身を削るような努力」が見いだされなければなりません。

もっとも、森川さんがありもしない「記憶」の話しを始めることによって菅家さんの混乱を招き、1分37秒にわたる気まずい沈黙が訪れると、さしもの森川さんの忍耐力も限界に達してしまいました。菅家さんは「女の子」と言っていたのに、森川さんは「女の人」と言ってしまったのです。森川さんは「女の子」よりも「女の人」が好きなようで、それはそれで結構なことではありますが、それに続くやり取りの挙げ句、ついにはこの「女の人」が「大人」になってしまいました。

これは、一緒に遊んでいたのが「女の子」であれば、菅家さんがそのうちの一方を選択したのは何故か、というようにお話をつなげていくところなんですが、自分の理想の女性、思い描く「大人の女の人」に身も心も奪われていてた森川さんにはそんな寄り道をする余裕はなかった模様です。

これは「虚偽と考えたことはありません」どころか、明らかに虚偽と分ったうえで、それが虚偽であるように見えないように虚偽を上塗りし、自分の思うとおりに粉飾を施しているものであると言えるでしょう。したがって森川さんの法廷における証言のほうが「虚偽」であったと考えられ、これは偽証罪に当たる可能性があるのです。

ここで森川さんが、「テープに入っていればその通りです」とか「言っているならそうです」というようなことを繰り返し、あたかも取調べについて記憶がないようなふりをしていることの意味が明らかになります。これは単に森川さんが不誠実であるから、というだけではなく、偽証罪の成立要件が主観的なものであるからです。つまり偽証罪における「虚偽の陳述」とは、客観的事実に合致していないことではなく、当人の記憶に反した陳述のことであるからです。

もっとも、森川さんがそんなに気を遣わなくても、偽証罪は刑事犯であって、訴訟を起こすことが出来るのは検察だけなんですから安心です。異議を連発して森川さんを全面的に支援した検察に限ってそれだけは絶対にありません。したがって、謝罪を要求し続けた菅家さんが正しいのです。森川さんはだんだん声が小さくなっていったと言います。もうちょっといじめたら地金を出してしまって、ご当人にとっても検察にとっても極めて不都合なことも口走ってしまったかもしれなかったんですがね。
posted by 珍風 at 16:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

限定ミッション「暴走せよ!」

エヴァか何かですか?

なりふり構わぬ民主 検察威嚇も見え隠れ、可視化法案 政府・与党には異論も

 民主党が取り調べを録音・録画する刑事訴訟法改正案(可視化法案)の提出を突然打ち出したのは、小沢一郎幹事長の資金管理団体の土地購入事件が重大局面を迎え、検察当局への牽制(けんせい)を狙ったためのようだ。党執行部は「捜査情報の漏洩(ろうえい)(リーク)問題対策チーム」を発足させるなど、なりふり構わぬ“暴走”を続けており、政府側は困惑を隠さない。可視化法案が政権内の新たな火種になる可能性もある。(山田智章)

 「連日過剰な報道が繰り返されるが、国民もようやく本質がなんであるか気づきつつある。可視化法案を出すべきだという意見をいただいている。執行部もきちんと対応していきたい」
 輿石東(あずま)参院議員会長は20日午前、参院議員総会で唐突に可視化法案の提出をぶちあげた。平田健二参院国対委員長も同日午後の記者会見で「できるだけ今国会で成立する方向で検討するのは当然だ」と語った。
 もともと可視化法案について、中井洽(ひろし)国家公安委員長・拉致問題担当相が昨年10月の記者会見で法案提出まで2年かかるとの見通しを示しており、政府・与党の今国会提出予定法案リストにも入っていなかった。
 にもかかわらず、輿石氏が可視化法案を持ち出したのは、法案を検察当局の揺さぶり材料にしようとした可能性が大きい。ある党幹部は「衆院選のマニフェスト(政権公約)に沿っているだけだ」ととり繕うが、別の党幹部は「幹事長室がすべて音頭をとっている。検察への対決姿勢のひとつだ」と打ち明ける。
 輿石氏は、16日の民主党大会で小沢氏から「幹事長の表向きの仕事は任せる」との指名を受け、党務ナンバー2にのし上がった。よほどうれしかったとみえ、その後は小沢氏擁護に奔走。19日は東京・赤坂の小沢事務所を訪ね、「党は一致して支える」と激励。報道陣には自らのホームページに寄せられた小沢氏激励のメールのコピーを配った。
 輿石氏ら党執行部は検察当局のリークを流布することにも熱心だ。高嶋良充筆頭副幹事長は「検察がマスコミに情報をタレ流している。基本的には世論操作だ」と断じるほどだ。
 このような党執行部の“暴走”に政府・与党から困惑の声も上がる。
 ある閣僚は可視化法案提出の動きを聞き、「そんなバカな話があるか」と絶句。党中堅は「与党が数の力で小沢氏のためにやっているとみられ、集中砲火を浴びてしまう」と不安を隠さない。国民新党の下地幹郎政調会長も「このタイミングで可視化の問題を表に出すと誤解を招く。何で言うのか」と苦言を呈した。
 このような声を受けて、鳩山由紀夫首相は20日夕、可視化法案について「政府として提出は考えていない。事件が起きたからといって反作用的に行動すると検察批判と受け止められる可能性がある」と慎重な姿勢を強調。さらに「党もここは捜査の行方を冷静に見守るべきだ。あまり熱っぽく行動することは控えた方がよい」と党執行部の動きを牽制してみせた。
 さすがの輿石氏もまずいと思ったらしく、「私は『冷静に検討を』と言っただけだ」とトーンダウンした。だが、輿石氏らは20日夜、小沢氏を囲んでちゃんこ鍋をつつき、小沢氏擁護に向け、決意を新たにした。捜査の進展次第では再び暴走し始める可能性は否定できない。

2010年1月21日 産經新聞


産經新聞の「なりふり構わぬ“暴走”」も例によって好調であります。「本質がなんであるか」、国民は気がついているのかも知れませんが、産経さんは気がつきません。いや、気がついても金輪際気がついたとはいわないんでしょうけど。

「牽制」でも何でもこの時点で刑訴法改正法案を出すのも悪いタイミングではありません。検察は人を捕まえて来てはああいったこう言った泣いたの喚いたのと虚偽情報をリークし、その度に弁護士が否定するということが繰り返されていますから、そろそろみんな呆れ返ったり、親戚に検察官がいることを隠したり、検察官の家族だというだけで食料品を売ってもらえなかったり、検察官を志す若者を親が泣いて止めたりしているのではないか。

ところでいわゆる「牽制」というのはこの「可視化」法案と、原口さんが言っていたクロスオーナーシップ規制あたりが主なところだと考えられますが、まずこれらはそれ自体別に間違ったことをしようというわけではありません。むしろ大いにやった方がよろしいでしょう。これらも、自民党長期政権下では不可能であったことであって、これをやらなければ何のために民主党にやらせているのかわかりません。

てゆーかむしろ「牽制」しているのは検察の方なのね。牽制っつーか阻止しようとしているわけですが。刑訴法改正なんてトンデモナイですよ。このようないわば「国策捜査」、てゆーか「国策」じゃないな。「官策」じゃないかという人もいるわけですが、「奸策」と言う人もいる。まあ、こういう場合はもちろんですが、そうでなくても一般の刑事事件でも日本の捜査当局には大して能力はないようです。概ね「大体の感じ」くらいでやっちゃってて、それが司法まで貫徹してますから、そんな、「可視化」なんてされたら、オマワリさんは何をどうしたら良いのか分りません。

というわけで民主党による検察とマスゴミに対する「牽制」と見えるものが、実は逆に「牽制」される当のものであったことを考えてみれば、法案提出は検察にとっては藪蛇であります。「故事ことわざ辞典」に載っけたいくらいの、実に的確な例として歴史的な意味を持つといって良いくらいでしょう。山田智章さんのペンにも力が籠るというわけです。

検察としては、当然鳩山さんみたいな「事件が起きたからといって反作用的に行動すると検察批判と受け止められる可能性がある」という反応を引き起こすことを想定している、てゆーか鳩山さんが言わなければマスゴミにそういう風に書いてもらうわけですが、そうであれば尚のことこの時点で刑訴法を改正してしまうのが良策と言えましょう。

国民新党は、「このタイミング」だろうがどのタイミングだろうが、静香ちゃんなどは取調べの瑕疵には目をつぶっても取調べの可視化には反対ですから。大体あの人の死刑廃止論は冤罪の可能性、というよりはその「必要性」を前提としています。さすがは元オマワリさんの体験の重みってやつですが、静香ちゃんがそう言うんだったら、やっぱり可視化は一刻も早くやった方が良いわけです。今日も誰かが無実の罪に陥れられようとしているのであって、石川さんなんかはそのほんの一例でしかないのでした。
posted by 珍風 at 11:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

どさくさ最高裁

白木勇最高裁判事が就任会見 裁判員「真価問われる」

 昨年12月17日に死去した最高裁判事涌井紀夫氏の後任として15日付で就任した前東京高裁長官の白木勇氏(64)が同日、最高裁で記者会見し「大変な激務だが、気力、体力を振り絞り、公平誠実を旨にやっていきたい」と抱負を語った。
 裁判員制度については「順調な船出だが、まだ事実関係に大きな争いのある事件はない。真価が問われるのはこれから」と言及。足利事件、布川事件と相次いだ再審開始確定には「(誤判防止には)先入観を持たず、虚心に事件に向き合うしかない」と述べた。
 白木氏は刑事裁判の経験が長く、2002〜06年には東京高裁裁判長としてKSD事件の村上正邦元労相や、元オウム真理教幹部土谷正実被告(45)=上告中=のほか、埼玉の愛犬家連続殺人の控訴審などを担当した。
 白木氏は東京大卒。70年判事補。最高裁刑事局長兼図書館長、水戸、東京各地裁所長、広島高裁長官などを経て、08年11月から東京高裁長官を務めた。愛知県出身。

2010年1月15日 共同


名探偵諸氏の御意見には反するかも知れませんが、「cui bono?」は刑事事件に適用するには適当ではありません。小説ならいいんですが。探偵小説って目次の前とかに登場人物の一覧が載っていますが、あのように最初からプレイヤーを限定して、その中でさあ犯人は誰でしょう?という分には別に構いません。それは「動機」を無闇に重視する立場なんですが、もちろん犯人の「動機」は文学としての探偵小説の重要な興味のひとつです。

ところが実際の刑事事件ではプレイヤーが限定されていませんから、被害者の死亡によって利益を得る人がいくらでもいることもあるでしょう。そんな人生はイヤですが、人間生きてると色んな関係を持って様々な人に迷惑をかけているわけですから、これはわりと普通のことです。全く殺されないのが不思議なくらいで。

そこである人に「動機」が存在することはその人が犯人であることの決め手にはならないのが実際のところであって、証拠に基づいてことの真偽を決することになります。この場合「cui bono?」は余計な先入観を与えるものとなるでしょう。白木さんは「先入観を持たず、虚心に事件に向き合う」と言っていますから、証拠を重視して、一件もっともらしく見える推定や動機に関する憶測などは排除するに違いありません。

藤沢放火殺人:2審は逆転有罪判決、民事を追認 東京高裁

 神奈川県藤沢市で93年に洋装店員、飯島美穂さん(当時25歳)の遺体が焼けた自宅アパートから見つかった事件で、殺人と現住建造物等放火の罪に問われた元会社員、佐々木慶被告(32)に対し、東京高裁は27日、1審・横浜地裁の無罪判決を破棄し、懲役15年(求刑・無期懲役)を言い渡した。白木勇裁判長は「被告側は自殺と主張するが、ありえない。被告はこれまでも飯島さんに危害を加え、現場にいた唯一の人物であり、犯行は認定できる」と指摘した。被告側は上告する。
 事件は93年12月に発生。飯島さんと当時同居していた交際相手の佐々木被告が「飯島さんが放火後に包丁で自分の首を刺し、心中を図った」と主張し、検察はいったん不起訴とした。しかし、遺族が被告に損害賠償を求めた民事裁判で00年に「殺人」と認定されたのを受け、再捜査、逮捕・起訴するという異例の経過をたどった。民事裁判では約9700万円の賠償を命じる判決が01年に確定し、刑事裁判の行方が注目されていた。
 事件当時、室内には飯島さんと佐々木被告しかおらず、(1)誰が首を刺し、放火したのか(2)被告に犯行の動機があったと推認できるか−−が争点だった。
 判決は、検察側が提出した死因などの鑑定結果を「信用できないというものではないが、その通りというまでの証明力があるとまではいえない」と一定の疑問を示しつつ、「(前日に別れ話がまとまったことを)喜んでいた飯島さんがその翌日、心中するとは考えがたい。被告が刺したことにより移動の自由を失った後、放火がなされたと合理的に推認できる」と検察側の主張を認めた。
 そのうえで「飯島さんが一大決心して別れることになって、放火して殺害したもので許しがたい犯行。だが、当時若くて未熟で無期懲役を選択するには躊躇(ちゅうちょ)がある」とした。【坂本高志】

2004年9月27日 毎日新聞


いや、佐々木さんは「怪しい」かも知れませんが、鑑定結果については「信用できないというものではないが、その通りというまでの証明力があるとまではいえない」としてその証拠価値を否定しているんですから、要するに証拠はないわけです。なるほど「喜んでいた飯島さんがその翌日、心中するとは考えがたい」かも知れませんが、あり得ない話しではありません。しかし白木さんはこのような推定のみに基づいて有罪判決を下し、よせばいいのに「許しがたい」なんて怒ってみせていますが、もちろん怒ったからといっていい加減な判決が補強されるわけではありません。

遠山の金さんみたいに「動かぬ証拠」を突きつけて「おうおうおう、黙って聞いてりゃ寝ぼけた事をぬかしやがって!」とか怒るんだったらカッコいいんですがね。証拠もないのに怒っちゃったんじゃどうしようもありません。何事もフィクションの通りにはいかないものです。ともあれ、佐々木さんが真犯人かどうかは分りませんが、白木さんが嘘つきであることは確かなようです。

仮に佐々木さんが真犯人だとすると相当に凶悪なわけですが、一方で白木さんは行きずりの強姦殺人者が殺害後にふと思いついて誘拐を装って身代金を略取し、その動機は縁もゆかりもない児童相談所の職員を脅迫するためであったというワケの分からないことを言う坂本正人さんには、一審の無期懲役を覆して死刑判決を出しています。もっともこれは坂本さんも「死刑じゃなかったんで、刑が軽すぎると思ったから」控訴したんだとか、またまたワケの分からないことを言っていたわけですが。

これと比較すると佐々木さんの量刑は被告人が「当時若くて未熟」だから、というよりは白木さんが「未熟」で、あまり判決に自信がなかったんじゃないかとも考えられます。自信がなくても15年は15年です。白木さんはあまりマトモな裁判官ではなかったようです。

そんな若くもないのに未だに未熟な白木さんに殺されたのは、この坂本さんの他にも栃木・妻と知人殺人事件の長勝久さん、春日部中国人夫婦殺害事件の薛松さんがいますが、1人殺害で死刑の坂本さんの例を除くと、別段特殊なものはないようです。

そんな白木さんが今回晴れて最高裁判所判事となられたのは、白木さんが現長官の竹崎博允さん、さだまさしファンの山室惠さんに次いで陪審制の研修のためにイギリスに派遣されたからに他なりません。民主党では、特に小沢さんが裁判員制度の「見直し」を言っているわけですが、司法では勝手にやっているようです。というのも内閣は他のことで忙しかったので。裁判員制度に関しては、まずは検察側の一勝というところでしょうが、「真価が問われるのはこれから」だぜ。
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2010年01月18日

野蛮人が水着姿でトテチテタ

平沼・元経産相:「蓮舫議員、元々日本人じゃない」 事業仕分け巡り発言

 平沼赳夫元経済産業相(岡山3区)は17日、岡山市内で開いた政治資金パーティーのあいさつで政府の事業仕分けを批判し、仕分け人を務めた民主党の蓮舫参院議員について「元々日本人じゃない」と発言した。平沼氏は、次世代スーパーコンピューター開発費の仕分けで蓮舫議員が「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と質問したことは「政治家として不謹慎だ」とし、「言いたくないが、言った本人は元々日本人じゃない」と発言。「キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」と続けた。

 平沼氏は取材に、「彼女は日本国籍を取っており人種差別ではない」と説明した。蓮舫議員のウェブサイトによると、蓮舫議員は67年、台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、85年に日本国籍を取得した。【石川勝義】

2010年1月18日 毎日新聞


言いたくなければ言わなければ良いようなものですが、本当は言いたかったの言ってしまいました。さすがは平沼さん、こういうことを言って似合う人というのは滅多にいるものではありません。「新党」を作るんだとか言っていますが、こんなことで大丈夫なんでしょうか。

もっとも「新党」とかいっても、自民党が右派方面にアイデンティティを確立して行こうとしている中で同じようなことを小規模にやろうということになりかねませんので、果たしてやる意味があるのかどうかわかりません。まあ頑張ってほしいものであります。

ちなみに相手が日本国籍を取っているからといって「人種差別ではない」ということにはなりません。それどころか、概ね「人種差別」問題は同じ国籍を持った人々の間に存在することが多いようです。てゆーか日本人と台湾人とでは「人種」が違うんですかね。平沼さんとしてはそもそも差別が何か悪いことだとか、そんな認識は最初からないでしょうが、ちょっとマズいことを言ったかな、くらいには思ったようです。しかし平沼さんは台湾の人は首狩り族の生蕃で人食い「人種」だと思ってるんでしょう。そんな平沼さんのことですから、ことのついでにキャンペーンガールに対する差別までやっちゃったことに気がつきようもありません。

ところで蓮舫さんはお父さんが台湾の謝哲信さん、お母さんが日本人の斎藤桂子ですけど、1985年に国籍法が改正されたとき、第2条が「子は、次の場合には、日本国民とする。 一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。」ということになりましたんで、そのときに台湾と日本の両方の国籍を有することになりました。で、国籍法第14条によるとそういうときは22歳までにどっちかを選択しなければならないことになっているので、日本国籍を選択して斎藤さんになったわけです。

一方で国籍法は「日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる」としていますが、これでは日本国民は日本に帰化することが出来ません。出来なくても困らないのですが、蓮舫さんの場合は「日本国民ではない者」ではなかったので、「帰化」には当たりません。気分的には物心ついてから国籍法の改正によって日本国籍を取得し、それから自分で選択したのですから、蓮舫さんとしては自分の意志で日本人になったわけですが、こういうのは「帰化」とは言わないようです。

いずれにしても平沼さんにとっては「帰化」であろうとなかろうと、「元々日本人じゃない」んですからどっちでも構わないんでしょう。元々日本人じゃないんだから、いつまでたっても「日本人」じゃありません。平沼さんの定義する「日本人」がいかなるものであるか存じませんが、少なくとも国籍とはあまり関係がないようです。

「元々」というのも、いったい何時からの「元々」であるのか、生まれたときからか、蓮舫さんは1985年以後の生まれであれば問題がなかったのか、江戸っ子みたいに三代くらい遡ればいいのか、それとももっと遡らなければならないのか不明であります。この辺り、あまりウルサイことを言い出すとまた羽毛田さんに文句を言われますので気をつけた方が良いでしょう。

そんな平沼さんの良いところは、お友達の亀井さんなどと違って、こんな誤魔化しを言わないところでしょう。

亀井金融相、参政権「帰化して行使を」

 亀井静香郵政・金融担当相は15日の閣議後の記者会見で、永住外国人への地方参政権の付与について「帰化をして(参政権を)行使すればいいと思う」と改めて慎重な姿勢を示した。鳩山由紀夫首相は関連法案を18日召集の通常国会に提出する意向だが、亀井氏は「3党の連立合意の中に入っていない。それぞれの党で議論するところから始めないといけない」と反論した。

2010年1月15日 NEKKEI NET


亀井さんはこんなことを言っていますが、せっかく国に頭を下げて「帰化」さしてもらっても、日本国籍は取得できますが「日本人」としては認めてもらえないようです。選挙権があろうと被選挙権があろうと国会議員になろうと「元々日本人じゃない」からダメなんだそうです。何がダメなのかよく分かりませんが、それが「差別」というものなんですから仕方ありません。少なくとも国会では差別が歴然と残っているようですから前田日明さんもよく考えた方が良さそうです。

「帰化」の対義語が実は「生蕃」なんだそうです。てゆーか本来「帰化」は「君主の教化に服すること」を意味し、「生蕃」というのは君主に服さない人々のことを指します。そこで本当は「生蕃」の反対語は、支配者に服従するようになった人々ということで「熟蕃」ということになります。蓮舫さんは「熟女」と「熟蕃」の両方を兼ねています。一方「帰化」の反対語は存在しません。「帰」の字は本来の居場所からどこかへ行っていたものが戻って来るというよりも、その元の意味は「追」+「帚」で「嫁に行く」意味であり、「帰順」の「帰」です。つまり「帰」らないでいる状態が普通の「元々」の状態です。いわばそれが「生」です。「生ビール」とかの「生」です。

それで人がいちいち自分で帰順してくるのを待っているのも面倒ですから、国家は被支配者が餓鬼を生んだらそれを最初から「帰化」しているものと看做すようになったわけで、それが「元々日本人である」ということの実情です。自分から進んで「日本人」になったわけではなく、知らないうちに押し付けられたようなものですから本来あまりアテに出来ないような気もしますが、「保守」とか言っている人は概ね誰かが何かを自分の意志で選択したりすることを嫌います。それよりも誰かから押し付けられたものの方を重視することになっていますが、この「他者」の正体は必ずしも明らかではありません。明らかではありませんが、とにかくなんだか圧倒的に強い物のようで、その証拠に何かを押し付けて来る、というわけで堂々巡りなんですが、この堂々巡りのサークルにおいて現実の強者からの圧力を受け入れる一方で弱者に対しては抑圧をくわえるというような、一種のエネルギーの交換が行なわれているようです。

ところで「キャンペーンガール」の件ですが、蓮舫さんは第14代クラリオンガールです。ちなみに初代はもちろんあのアグネス・ラムちゃん。50歳になっても「ラムちゃん」と呼ばれる「世界一」の女性ですが、彼女を始めとして90年代までの日本の巨乳界を牽引して来たクラリオンガールの中で蓮舫さんは若干異質の存在であったともいえましょう。ビートたけしさんによると「歴代クラリオンガールで最も写真集が売れなかった」そうです。

ちなみに蓮舫さん以前の歴代クラリオンガールの中で現在でも芸能活動を続けているのは宮崎萬純さんと烏丸せつこさんくらいですか。おっぱいは出ていても顔が平べったいあの烏丸さんですが、平沼さんは烏丸さんに謝らなければいけません。散々にやっつけられそうな気もしますが。ついでに台湾の人食い「人種」からもらった大綬景星勲章も返上した方が良いでしょう。
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2010年01月17日

釈放しちゃうぞ

それにしても大新聞というものはエラいものです。世界一の巨大新聞では16日の1面トップはもちろん石川さんの逮捕ですが、同じ1面の左の方には民主党のせいで日米同盟が揺らいでアメリカが困っているとか書いてあります。別に日本がアテにならないんだったら沖縄の基地をさっさと台湾にでも移してしまえばいいんですからどうでもいいですが、天下の讀賣新聞の手にかかれば小沢さんのいわゆる「疑惑」の件で「cui bono?」という点についてはたった1枚の紙で余すところなく明らかにされているというわけです。

最近は老眼なので新聞を離して眺めていることによっていわばこのような「大局的な視点」を獲得することが出来るのも「年の功」というものですから、若い人は口惜しかったら早く老人になりなさい。ちなみに「cui bono?」はキケロによって引用されたカシウスの言葉で「誰が利益を得たか?」ということです。推理の基本、てゆーか探偵小説によく出て来る言葉です。

ところがこの格言、実際には探偵小説とは異なり、このような場合に検察側の動きを説明するときには有効かも知れませんが、刑事事件において犯人を特定する場合にはあまり役に立たないようです。そんな「推理」でヘンな先入観を抱えてしまうよりも証拠から詰めていくのが実際の捜査の原則となります。

茨城の強盗致死、時効寸前に逮捕の3人不起訴に

 茨城県牛久市で1995年、ホテル経営者男性が縛られ、死亡した事件で、水戸地検は15日、時効成立の約1か月前に強盗致死容疑で逮捕され、処分保留で釈放されていた男性3人を不起訴(嫌疑不十分)にしたと発表した。

 不起訴となった、千葉県松戸市和名ヶ谷、無職松本武男さん(71)が取材に応じ、「取り調べでどなりつけられ、生きた心地がしなかった。謝罪もなく、許せない」と語った。事件は18日午前0時、公訴時効(15年)を迎える。
 ほかに不起訴となったのは、いずれも千葉県内の70歳代の無職男性2人。
 山下輝年・次席検事は「証拠が不十分で、公判を維持するのが難しいと判断した」と述べた。逮捕については「事件の関与を示す情報が複数出てきた。捜査するだけの価値はあった。追及すべきところは追及するのが取り調べで、問題なかった」との認識を示した。
 これに対し、松本さんは「刑事から『警察をなめてはいけない。ウソをついている』と言われ、悔し涙が出て寝られなかった。地検で机をたたかれ、『窓から入ったのか、玄関から入ったのか』と20日間にわたり聞かれた」と語った。
 「20日間は20年くらいの気持ちだった。何でこんな目に遭うのかと思った。(取り調べで)あれだけ攻められたら、ウソを言ってでも楽になりたいと考えた。それでは向こうの思うつぼだと思いとどまった」と揺れ動いた心境を吐露した。
 逮捕後にDNAを採取された。「妻も呼ばれ『人一人が死んでいる。起訴しようと思えばできる』と脅された」と憤る。「とにかく謝ってほしい。人間らしく扱ってもらいたかった」と怒りが今も収まらない。

2010年1月16日 読売新聞


捕まえてはみたものの証拠がなかったので釈放され、不起訴となりました。これは当たり前の話しかも知れませんが、実際にはなかなかこういう具合には参りません。今回は時効が迫っていたので、それまでに「証拠」を用意できる見込みが立たなかったようです。

もちろん茨城県警では「証拠の王」を手にするために最大限の努力を怠らなかったことは、彼等の名誉のためにも特筆しなければなりません。なにしろ逮捕の根拠とされる「事件の関与を示す情報」というのは匿名の投書だったりしますので、自白を取らないことには話しになりません。警察ではアタマから犯人と決めつけた取調べが行なわれ、配偶者を恫喝し、検察では机を叩いて威迫するなど、やるべきことは全て行なわれています。

しかしそれでも分ってくれない人というものはいるもので

釈放の3人は不起訴 茨城・牛久の強盗致死事件

 茨城県牛久市で平成7年1月、飲食店兼ホテル経営、松田行雄さん=当時(68)=が自宅で両手を縛られて死亡した事件で、水戸地検は15日、強盗致死の疑いで、昨年12月に逮捕された後、処分保留で釈放された千葉県在住の70代男性3人について、嫌疑不十分として不起訴処分とした。同地検の山下輝年次席検事は「客観的証拠に基づいて判断した結果、有罪となる確信は得られず、公判維持は困難と判断した」と話した。
 事件は7年1月17日午後6時半ごろ発生。松田さんが牛久市南の自宅で、両手を縛られ、うつぶせで倒れているのを妻(74)が発見。松田さんは病院に運ばれたが、翌18日に死亡。自宅からは腕時計(約30万円相当)がなくなっていた。
 県警は70人態勢で捜査に当たったが長期化。だが、昨年、捜査関係者に匿名の投書が複数寄せられ、県警は公訴時効まで43日と迫った12月5日、強盗致死容疑で3人を逮捕した。3人は容疑を否認し、同月25日に処分保留で釈放された。
 県警は「時効までに事件の全容を解明できなかったのは無念。被害者のご冥福を心からお祈りします」としている。
 松田さんの長男の衛さん(47)は「時効で見逃してしまうところに不満がある。真相を明らかにするためには時効の壁がある。被害者や遺族を助けられないのはおかしい。時効を撤廃してほしい」と、悔しさをにじませた。

2010年1月15日 産経ニュース


こう言っては被害者の遺族に気の毒ですが、その言い分は「時効さえなければ長期の取調べで自白に追い込めたのに」という風に解釈できます。とは言っても、証拠もないのに、てゆーかないから勾留は延長されていますし、まあ、やろうと思えば別件逮捕とかも出来ると思いますが、勾留が20日になった段階で時効まで1カ月を切っており、そのような時間的な制限の中で他に証拠が一つもない状態ではそれも困難でしょう。

それでも不起訴に至るまで更に20日を要したのですから、しつこいものです。警察をなめてはいけません。これで時効さえなければ逮捕されていた3人を立派な一人前の犯罪者に仕上げることが出来たはずです。まことに惜しいことをしました。

この事件においては捜査は行き詰まっており、仮に時効を撤廃した場合には今回逮捕された3名をなんとかして起訴する方向に持って行く以外には手の打ちようがありませんが、それは冤罪の可能性が極めて高いものであると言えるでしょう。衛さんは遺族の身でありながら時効撤廃の危険性を裏面から指摘した点は見上げたものですが、「冤罪でも良いから誰か挙げてくれると助かる」みたいなことをかなりはっきりとおっしゃってしまったのは些か不適切な発言ではないでしょうか。こんなことを口走ってしまったことが世間に知れると遺族は正常な社会生活を営めなくなる可能性もあります。産經新聞に限らず、マスゴミは遺族の談話を報道するにあたっては慎重でありたいものです。
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2010年01月15日

社会のぼったくり新風俗ドールソープ

日本最初のテレビ女優は誰あろう原泉さんです。名前を見てもわからないという人もいるかも知れませんが、まあなんというか、いろんな映画とかテレビドラマに出てくる婆さんですよ。代表作は、当ブログとしては映画では『丑三つの村』における古尾谷雅人の母親役、テレビでは『ニセモノご両親』の岡崎友紀の婚約者の祖母役を挙げておきましょう。

それでもまだわからない人にはわからないんですが、日本初のテレビドラマとされるのが1940年4月13日にNHKが実験放送した『夕餉前』というドラマで、どうもこれは母子家庭の母親とその息子と嫁入り前の娘との3人ですき焼きを食うという話らしいのですが、その母親役が原泉さんです。設定が若干『丑三つの村』と似ていますが、首を飛ばされたりはしません。

ちなみに2回目の実験放送におけるドラマ『謡と代用品』には中村メイコさんが出演していますから、テレビの歴史などというものは意外と浅いものですが、日本でテレビの本放送が始まったのが1953年。2月にNHK、わずか半年遅れて8月には日本テレビ放送網が放送を開始しています。ところが、免許を取るのは日テレのほうが早かった。

これはもちろん、読売新聞社社主の正力松太郎さんがA級戦犯のくせになぜか釈放されてCIAのエージェントとして活躍していたから、てゆーかその重要なミッションのひとつがテレビ放送だったからなんですが、世間では正力さんのことを「プロ野球の父」、「テレビ放送の父」、「原子力の父」などと言うんだそうです。碌な餓鬼がいません。

ともあれ、このように日本のテレビ放送は最初からアメリカの占領政策の一環であり、その目的を達するための最も効果的な仕組みとして新聞社の系列化に置かれたのでした。要するに反共のマルチメディアです。

といっても別段メディアのクロスオーナーシップは正力さんが発明したわけではないんですが、郵政省のご指導とマスゴミ各社の思惑によって全てのテレビ局は5大新聞社の傘下にあるか、新聞を傘下におさめるか、極めて密接な関係を保持しています。

総務相が新聞社の放送局への出資禁止を明言

 原口一博総務相は14日の外国特派員協会での講演の中で、現在のメディア集中排除原則を改正し、新聞社のテレビ局への出資を禁止する法案を国会に提出する意思を表明した。
 「クロスメディアの禁止、つまり、プレスと放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、そこには多様性も民主主義の基である批判も生まれないわけであります。これを、法文化したいと考えています。」原口氏はこのように語り、マスメディア集中排除原則を法案として提出する意向を明らかにした。
 アメリカを始めとする先進国の多くでは、言論の多様性やメディアの相互チェック能力を担保するために、新聞社が放送局に資本参加する「クロスオーナーシップ」を制限したり禁止する制度や法律が設けられている。しかし、日本のメディア集中排除原則では、基本的にテレビ、ラジオ、新聞の同時保有を制限するにとどまっている。これが日本のメディア市場が、5つの全国紙と全国放送網の系列が圧倒的シェアを維持したまま固定化され、過去50年にわたり新規参入がまったく行われていない原因の一因となっている。
 原口氏はまた、政府の介入を招きやすい原因とされてきた、総務省が直接放送事業者に放送免許を付与している現行制度の改正にも触れ、「長い間の政権が、総務省というむき出しの権限を持っている機関を直属に、そこが直接放送局の免許を与える、非常に言論の自由、報道の自由、放送の自由に対して、シグニフィカント(有意義)な存在、この存在を解体することがある意味、私の努めであるとそう考えているわけです」と語り、現在の放送行政のあり方を根本から変えていく姿勢を明確に打ち出した。
 民主党は昨年8月の総選挙前に公表した党の政策集で、クロスオーナーシップの見直しや放送免許を付与するために政府から独立した第三者機関(日本版FCC)を創設する政策を明らかにしていた。しかし、放送行政を担当する総務大臣が、新聞社が放送局に資本参加する「クロスオーナーシップ」の禁止を明言したのは、これが初めて。

2010年1月14日 ビデオニュース・ドットコム


言論の多様性を担保するためにはこれはやらなければならない事であると思いますが、果たしてちゃんとやるのかどうかはわかりません。マスゴミへの牽制である可能性もあります。もしこれをやられると新聞社にとっては大きな打撃となる可能性があります。

日本の新聞社がなかなか潰れないのは宅配制度のおかげではなく、クロスオーナーシップの効果であると思われます。これは今やネット以外では誰も見た者がいないという産経新聞において顕著ですが、他の新聞でも似たり寄ったりではないか。逆にTBSと人的な交流はあるものの資本関係がなく、比較的テレビ局との関係の薄い毎日新聞の部数が少ないというのもそのせいかも知れません。ちなみにこの2紙は同じ販売店で扱っているようです。

もっとも新聞発行はテレビ放送と比べればはるかに参入が容易であり、発行形態にこだわらなければ、それこそ稲毛新聞のようなことも可能ですから、超巨大な5紙を中心とした体制が崩れたところで誰も困りませんから、やっちゃって構いません。

おそらくターゲットは大新聞社でしょう。テレビについては「緩和」するんだそうです。

マスメディア集中排除原則緩和へ 総務相「地方に配慮」

 原口一博総務相は5日の記者会見で、複数の放送局の支配を禁じている「マスメディア集中排除原則」を緩和する方針を明らかにした。経営が悪化する地方のテレビ・ラジオ局を支援するため、出資比率の制限を緩める方針だ。

 排除原則は特定事業者が数多くのメディアを支配するのを防ぐためのルール。原口氏は言論や表現の多様性を担保する原則は重要だとしながら、不況下で地方のテレビ・ラジオ局の経営が困難を抱えているとも指摘。「地域の文化であり、経営にも配慮する必要がある」と述べて、原則緩和の必要性を示した。

 排除原則についてはすでに、テレビ・ラジオ放送局の兼営や、テレビ・ラジオを最大12社まで保有できる「認定放送持ち株会社」の導入など段階的な緩和が進んでいる。一方、国内の放送業界は広告収入の大幅減や地上デジタル放送の完全移行に向けた設備投資が重荷になり、2008年度決算は業界全体で初の赤字になった。

2010年1月5日 asahi.com


背景としては小沢さんの疑惑をめぐる一連の報道があるのはもちろんですが、相手をマスゴミに絞ったところに民主党の現状認識が伺えます。要するに検察の動きには中身がなく、やっていることはリークによるネタの提供なのであり、主役はマスゴミであって、専らムードを醸成することが目的なのです。そしてそれは自民党時代と変わらぬ「政治とカネ」をテーマにしています。ただ問題は、自民党の「政治とカネ」を問題にしたときは、別件での怒りの矛先を向け変えたんで、それはダミーだったんですが、民主党はそれほど怒りも買ってないしまだ失望されてもいないようです。つまり性欲もないのにダッチワイフを差し出すようなもので、あの馬鹿面には萎えちゃいます。
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2010年01月13日

ヤン坊キー坊天気予報

夫婦別姓だと家庭が崩壊するという人の心理はよく分りませんが、この点について普段から何を考えているのかよく分からない千葉県あたりの御意見をちょっと聞いてみたいと思います。負数同士を掛けるとプラスになると言うではないですか。そこで去年千葉県議会が採択した意見書によると

選択的夫婦別姓のための民法改正に反対する意見書

民主党を中心とした新政府は、選択的夫婦別姓の実現のために民法を改正する法案を次期通常国会にも提出使用とする動きがある。

選択的夫婦別姓は民主党の党是と言えるもので、衆院選マニフェストのもととなった民主党政策集「INDEX2009」に、「選択的夫婦別姓の早期実現」が掲げられている。

フリードリヒ・エングルスは、1884年に著した「家族・私有財産制度・国家の起源」の中で、“資本主義社会を崩壊させ、社会主義国家を実現するための最も有効な手段として、社会生活の最小単位である「家族」を崩壊させ、私有財産制度を消滅させる”としている。

民主党中心の政府は、「夫婦別姓、子供も別姓」となる選択的夫婦別姓制度導入により、家庭崩壊が叫ばれて久しい日本社会の家族に、とどめの一撃を加えようとしている。

「夫婦も別姓、子供も別姓」社会は、まさしく「国親思想」、「子供は国家のもの」とする社会主義・全国主義国家である。

「子供は国家のもの」とする社会主義・全体主義国家の発現の典型例が、ポルポト政権下のカンボジアで行われた大量虐殺である。国家が子供に親殺しを命じた結果が、あの大量虐殺であった。

我が国は、個人主義の行き過ぎによる弊害を避け、共同体の中でそれぞれの役割を持ち分け、その上で個人を尊重するという社会風土を培ってきた。これは、家族、地域共同体、国家、ひいては地域共同体の構成員たる人間に必要な信念であり、人類共存の途を拓くものである。

よって、国会及び政府においては、本来極めて特定の勢力による主張に、ただ形だけ安易に同調することなく、人類、地域、国家の成り立ちを十分に考察し、選択的夫婦別姓のための民法の改正を行わないよう、強く要望する。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。


『家族・私有財産・国家の起源』から説き起こす重厚な出だしは好調ですが、そこでエンゲルスの主張として言及されている箇所は間違いですな。いくらエンゲルスでも家族が「崩壊」すると私的所有が消滅するなんて言わないでしょう。逆は言いますがね。

ちなみに日本の民法では「親族法」と「相続法」を合わせて「家族法」だと言っているんですが、これは諸国家の民法典の考え方からすると異例だといいます。しかしこのような法律を持つ日本ではエンゲルスの議論がより理解されるのではないでしょうか。

いずれにしても千葉県の人々は理解していないようで、最初からこの調子ですからその後はグダグダです。社会主義なのか全体主義なのか個人主義なのかよくわかりません。個人主義が「行き過ぎ」るとポル・ポト政権みたくなるというのもかなり無理な相談です。

たぶん嫌いなものを列挙しただけなんだろうと思いますが、餓鬼がカレーライスからニンジンとタマネギを排除するようなもんでしょう。しかし「共同体の中でそれぞれの役割を持ち分け」なんて言っている分にはポル・ポトさんとも相性が悪いわけでもないようです。餓鬼がニンジンを残す場合は細かく刻んだりして分らなくすると平気で食べちゃうものです。

やはり千葉県に期待した僕が間違っていたようですが、これは千葉県オリジナルの文書なんでしょうか。そう願いたいものです。しかし例えば外国人参政権に反対する意見書を可決した県議会の中には、意見書案を自民党本部から貰って来たものもあるようですから、わかったものではありません。

外国人参政権、14県議会が反対 「保守」掲げ自民主導

 47都道府県のうち14県議会で、昨年の政権交代以降、永住外国人の地方参政権の法制化に反対する意見書を可決したことが、朝日新聞の調べでわかった。このうち7県はかつて、賛成の意見書を可決している。いずれの可決も自民県議が中心になった。夏の参院選や来春の統一地方選に向けて、民主との違いを際だたせようとする狙いがある。

 反対の意見書を可決したのは秋田、山形、茨城、埼玉、千葉、新潟、富山、石川、島根、香川、佐賀、長崎、熊本、大分の県議会。主に自民党議員が提出し、昨年10〜12月に採択された。

 意見書は、首長や地方議員は地方公共団体の住民が選挙するとの憲法の規定をもとに「日本国民でない外国人に選挙権を付与することは憲法上問題がある」としている。

 全国都道府県議会議長会によると、2000年までに30都道府県が参政権を求める意見書を可決した。在日本大韓民国民団(民団)の要望や、「憲法は永住外国人に地方選挙の選挙権を与えることを禁じているとはいえない」との95年の最高裁判決が影響した。

 島根県議会は地元選出の竹下登元首相が日韓議員連盟会長で法制化推進派だったこともあり、95年に賛成の意見書を可決。昨年12月には一転して反対の意見書を可決した。小沢秀多県議は「保守を掲げてきており、絶対に譲れない問題」と説明する。統一地方選は小差で当落が分かれることが多く、法制化で外国人の投票が実現する影響を懸念する声も党内外にあるという。

 自民党石川県連幹事長の福村章県議は「政権交代で状況が変わった」と話す。「かつて賛成したのは、法制化が現実的ではなかったから。賛成を要望した人の顔を立てておけと安易に考えていた」

 衆院選の大敗後、自民の谷垣禎一総裁は「保守」を掲げて党再生を目指す。党本部は「問いあわせがあった県連には可決された意見書を送っている」と話す。反対の意見書を提出した埼玉県の自民県議は、党本部から意見書案を入手したという。「民主は中がバラバラだから」と、民主を揺さぶる狙いがあったとも話す。

 民主党は政策集で地方参政権の早期実現を掲げ、昨年12月に小沢一郎幹事長が「通常国会には現実になるのではないか」と発言した。

 民団の地方参政権獲得運動本部の徐元テツ(テツは吉を並べる)事務局長は「前向きだった竹下元首相や小渕恵三元首相が亡くなり、自民では国威発揚の風潮が高まって法制化の流れが変わった」と指摘。「変化は残念だが、本音が現れた感じがする」と話す。

 法務省によると、国内には永住外国人計約91万人が暮らしている。(福井悠介、渡辺志帆、野村雅俊)

2010年1月8日 asahi.com


ついこの間まで政権を取っていた自民党にだけは「憲法違反」についてものを言う資格がないとも言えるのですが、「改憲」を掲げる野党である自民党が現行憲法を盾にして反対しなければならないというのも情けない話しではあります。

もちろん憲法解釈に基づく反論は、少なくともエンゲルスの誤解から始めるよりは幾分かマシなものであると言えるかも知れません。もっとも例の1995年2月28日の最高裁判決は、現行の制度を違憲状態であるとして安定性を壊すことなく、立法行為によって制度を変更することをも違憲ではないとしたものです。要するに外国人に参政権を付与しても付与しなくても憲法違反ではない。

憲法の方はともかく、讀賣新聞などは

永住外国人に地方選挙権を認めれば、北朝鮮、韓国、中国などが自国出身の永住外国人を通じて、日本政府の方針とは異なる主張を地方から浸透させようと、影響力を行使できる余地が生まれる。

「外国人参政権 小沢氏の発言は看過できない」(2010年12月15日 讀賣新聞社説)


なんて心配をしているようですが、別段外国人に参政権を認めなくても、14の県議会で「日本政府の方針とは異なる主張を地方から浸透させようと」しているのですから心配には及ばないでしょう。もっとも外国人参政権はアメリカが警戒しているであろう東アジア共同体構想と繋がるものですから、自民党の動向が「アメリカなどが自民党を通じて影響力を行使」しているものであるとすれば、讀賣さんとしてはもう心配していいものやら悪いものやら分りません。アメリカに忠誠を誓わないものがいるという意味では、日本人も日本における「外国人」に他なりません。「国民」は自民党支持者の「名誉白人」に限られなければなりません。道理で千葉県にいっぱいいるわけだ。
yankee.jpeg
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2010年01月11日

静香ちゃんの吐瀉物

「夫婦別姓」子の姓は統一…民法改正案
結婚女性も18歳から

 法務省が通常国会に提出を予定している選択的夫婦別姓制度の導入を柱とする民法改正案の概要が明らかになった。
 焦点となっていた別姓を選んだ夫婦の複数の子の姓は、夫婦どちらかの姓に統一する。法務省は近く与党内の調整に入り、3月に改正案を閣議決定したい考えだ。
 別姓を選択した夫婦の子の姓について、民主党が野党時代に繰り返し議員立法で国会に提出した民法改正案は、兄弟姉妹で姓が異なることを認めていた。これに対し法相の諮問機関である法制審議会は、1996年の答申で、兄弟姉妹の姓を統一するべきだとして見解が異なっていた。
 選択的夫婦別姓が持論の千葉法相は、民主党案の提出を主導していたが、子供の姓を統一する案を採用したのは、「家族の一体感が失われる」との批判に配慮し、法案成立を優先したためと見られる。
 民法改正案では選択的夫婦別姓導入のほか、〈1〉女性が結婚できる年齢を現行の16歳から引き上げ、男女とも18歳にそろえる〈2〉婚姻届を出していない両親の子である「非嫡出子」の法定相続分が法律上の夫婦の子である「嫡出子」の半分となっている格差をなくす〈3〉女性の再婚禁止期間を現行の離婚後180日から100日に短縮する――ことも盛り込む方向だ。ただ、与党内では、国民新党の亀井金融相が夫婦別姓の導入に反対の考えを明言しているほか、民主党の中にも保守系や若手を中心に慎重な考えを持つ議員が少なくない。
 法務省の政務三役は近く政策会議を開き、改正案を確認した上で、関係閣僚や与党との調整を本格化させる考えだ。亀井氏が民法改正案の提出に基本政策閣僚委員会で反対すれば、鳩山政権としては改正案の提出を断念する可能性もある。

2010年1月11日  読売新聞


民主党政権のやんなきゃならないことの中で家族法の改正について、今のところ讀賣新聞が最も熱心に報道しているようです。選択的夫婦別姓については本日は讀賣の独走状態です。いつ「明らかになった」のか明らかではありませんが、これでも1面トップ記事ですから。まあ連休でもありますから、最終日のためにとっておいたものでしょう。

5日には親権制限案のことが報道されており、これは各社によって記事が配信されているところですが、讀賣では比較的詳しく記事にしていたようです。もっとも「懲戒権」(第822条)の削除については書いていませんでしたが。まあ、これは書くと反発する人が多いわけですが。

家族法は極めて身近な習慣、てゆーか要するにミクロな暴力を規律するものであって、その変更は場合によっては誰かの力を具体的に削ぎ、別の誰かに力を与えるものになりますから、当然のことながら力を削がれる方の人からはほとんど感情的な反発を招く可能性があります。もっとも親御さんたちがみんながみんな「懲戒権」の乱用をほしいままにしているわけではありません。それは可能性として開かれた力であって、実際には行使されないにしても想像された自己の力能の一部なのです。

なもんですから政府としても「批判に配慮し」たりなんかしなければならなくなったりしますし、讀賣新聞の記事によれば反対している人も色々いる、特に亀井さんが反対しているから大丈夫、みたいな書き方ではあります。

その亀井さんの意見というのは、去年の10月に語ったとされるところによれば「夫婦になるのに、別姓でなければならないという心理がよく分からない。夫婦、子供で姓が違う。家がアパートみたいで、表札が全部違う形になるのがよいのか」といったようなものです。この御意見そのものに関しては、「別にそれでもいいんじゃないの」としか言いようがありません。「それが」じゃなくて「それでも」ですから。選択制なもんで。「心理がよく分からない」のは自分の能力の限界だと思って諦めてもらうしかありません。

そんなことはどうでもいいのですが、おそらくこの記事のテーマは政権内の「不協和音」なのかも知れません。実際に亀井さんは民主党のマニフェストのいくつかに明確に反対しています。そして政治の世界、てゆーかマスゴミでは未だに「不協和音」というのは悪い意味で使われているようです。一方音楽の歴史は協和音の拡張と不協和音の解放の歴史なんだそうです。実際のところはどうなのか分りませんが、現代の聴衆は少なくとも解決されない不協和音の不安定さが続くことに問題を感じたりしないものです。

それは例えてみれば「表札が全部違う形」であるような状態なのかも知れませんし、国民新党が政権に入っているような状態なのかも知れませんが、音楽でも家族でも国会でも「不協和音」はそれ自体として排除されるべきものであったためしはありません。古典的にはそれは解決を要請し、解決を導くものですが、強引に不協和音程を排除してムリヤリに協和音を奏でようとした人たちと、彼等の協和音が意外と不快音だったりする点については亀井さんが一番良くご存知でしょう。

それでは英国ソルフォード大学音響研究センターのトレイバー・コックス教授の広範な研究による世界の110万人が選ぶ不快音トップ20

1. 嘔吐 ― 嘔吐している人が漏らす嗚咽や吐しゃ物が吹き出す音。
2. ハウリング ― マイクをスピーカーに近づけすぎたときに出る騒音。
3. 何人もの赤ん坊が同時に泣く声
3. こすれ音・きしり音 ― 線路と車輪のきしり音など
5. ノコギリの切断音
6. バイオリン
7. 放屁(おなら)音
7. 1人の赤ん坊が泣く声
9. 昼メロドラマの中の言い争い
9. 電気幹線のブーン音
11. タスマニアデビルの吼え声
12. 猫のヒステリックな鳴き声・さかり声
12. 咳
12. 携帯の着信音
15. ドアのギーギー音
16. 犬の吼え声
16. 鼻水をすする音
16. 黒板に爪を立てて引っ掻いたときに出る音
16. 発泡スチロールが擦れる音
20. 歯医者のドリル

http://rate.livedoor.biz/archives/50341684.html


もっとも世の中は広いので「ドアのギーギー音」を素材に音楽を作る人がいるかと思えばそれに合わせて踊っている人も。


ゲロのバレエはないんですかね。
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2010年01月09日

恐怖の鉄拳

基地移設 シンポジウムで議論

東京都内で開かれた安全保障に関するシンポジウムで、防衛省の長島政務官は、沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市への移設は困難だという認識を示したのに対し、自民党の石破政務調査会長は、安全保障上の観点からほかの選択肢はないと強調しました。
この中で、防衛省の長島政務官は、普天間基地の移設問題について、「名護市への移設よりも、いい案を出さなければアメリカ側が受け入れるのは難しく、日本政府として知恵を絞っていきたい」と述べました。そのうえで、長島政務官は「名護市への移設は、地元での反対運動で自民党政権下でも前に進まなかった。市長選挙の結果にかかわらず、この問題は非常に困難だ」と述べ、24日の名護市長選挙の結果にかかわらず、名護市への移設は困難だという認識を示しました。これに対し、アメリカを訪問してグレグソン国防次官補らと会談し、9日朝に帰国した自民党の石破政務調査会長は「アメリカ側とは、名護市への移設がベストだという認識で一致した。安全保障上の観点からもこれ以外の選択肢はない。また、安全保障の問題を地方の選挙に委ねるべきではない」と述べました。

2010年1月9日 NHK


しょーこりもなく又もや「シンポジウム」であります。もう騙されません。どうせ美酒も美少年も出てこないんです。そのかわりに出てくるのは例によって例の如く長島さんと石破さんです。なんかこの人たち、「シンポジウム」の常連であります。何か良いことでもあるんでしょうか。もしかすると「シンポジウム」の後に「シンポシオン」があるのかも知れん。

今回のシンポジウムは、「オバマ・鳩山時代の新たな日米関係〜課題と将来〜」と題するもので、主催はなんと泣く子も黙る、黙っている子は泣き出すという拓殖大学です。おっかねえ。拓大の「海外事情研究所」というところが主催していて、会場は拓大の文京キャンパス、参加費は千円ね。

この必要以上に旗色の鮮明なシンポジウムのプログラムによると「第1部」が「鳩山政権と日米関係」ということになっておりまして、シンポジウム会のアイドルともいわれている2人が30分ずつ喋ることになっています。

10:30〜11:00「鳩山政権の外交・安全保障政策」長島 昭久/防衛大臣政務官
11:00〜11:30「日本のあるべき外交・安全保障政策」石破 茂/自由民主党政務調査会長

報道された発言はこの「第1部」におけるものでしょう。ここは2人1組で、まあ長丁場の漫才みたいな構成になっているようです。いわば長島さんが「課題」、石破さんが「将来」を受け持って、この日の基調をなすスピーチを行なっているんでしょう。すなわち「課題」は「名護市はムズい」、「将来」は「でもそれでやるんだよ」というわけ。

ちなみに第1部はこの後質疑応答が1時間の後休憩、午後は13時半から第2部「日本の外交・防衛政策と日米関係の将来」ということで「徹底検証〜鳩山政権と日米関係〜」と題して拓殖大学海外事情研究所所長の森本敏さんが1時間にわたってぶちまくり、昼食後の聴衆を心地よい居眠りに誘いますが。一応これがメインディッシュのつもりのようです。

そしてデザートは恋、じゃなかった第3部「日本と世界」と題して各新聞社のパティシエどもが15分ずつのスイーツを並べることになっています。

「日本と世界」  伊奈久喜/日本経済新聞論説委員
「日本とアメリカ」加藤洋一/朝日新聞編集委員
「日本の海外協力」高畑昭男/産經新聞論説委員

長島さんも石破さんも森本さんも夫々ある程度のタレントではありますが、特に報道しなければならないものであるかどうかは疑問です。長島さんは政務官ですが、こういう人がこういう場にいると、話しが「反民主」とか「反与党」にならないわけで、何かと便利ですがそれだけです。石破さんは、そういえば以前防衛大臣だったことのある人だね。

マスゴミ各社は好き好んで自民党寄りの報道をしているように見えますが、考えてみれば新聞でもTVでも実際に報道の方向性に影響力のある中堅どころは、マスゴミが自民党政府によるコントロールを受けて来た、「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」に始まる環境の中で出世して来た連中ですから、中堅だか忠犬だかよくわかりません。彼等は「党」に忠誠を誓ったのであるし、裏切り者には恐ろしい制裁が待っているに違いありません。たぶん拓大の、空手部あたりから鉄拳制裁を受けるんですよ。そして、誰もが逃げたがっている場合に制裁の恐怖は頂点に達するものなのです。
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2010年01月07日

謹賀新年毒電波

新聞紙をかぶると避けられる

「新聞社が誤解を誘導」 阿久根市長、防災無線通じ批判

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が5日夜と6日朝に市の防災行政無線で年頭のあいさつを放送し、障害者を巡る自身のブログ記述にふれ、「ブログ記載から1カ月近く遅れて騒動が始まった。新聞社が文章の言葉尻だけをとらえて意図的に誤解を誘導するキャンペーンを行った」とマスコミ批判をした。
 竹原市長は医師不足に関する昨年11月8日付のブログで「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」と記述。12月に新聞が報じたことで問題化し、障害者団体などから抗議を受けた。
 年頭のあいさつは録音放送で3分程度。市民によると、「明けましておめでとうございます」で始まり、「新聞記事と日教組などの組織行動には悪意を感じている」などと批判した後、「給与削減などにもかかわらず、市役所職員の態度は良くなった」などと続けたという。
 防災行政無線を使った市長のあいさつは約8600世帯にある受信機から流された。防災情報だけでなく、行政事務連絡にも使われ、市総務課は「市長の行政事務連絡の一環なので問題はない」としている。
 総務省九州総合通信局(熊本市)は「目的外使用の可能性もあると考え、念のため市から内容を確認したが、特に電波法に触れるようなものではなかった」と話している。

2010年1月6日 asahi.com


一応、これは「竹原信一 後援会」の「さつま通信(上之原 稔)」さんご推奨の記事です。「最近は朝日新聞が比較的公正な報道をしてくれますから助かります。」なんだそうです。それに対して讀賣新聞は、どうもそのいわゆる「公正」ではないらしいのです。新聞社が何らかの特定の「見地」というものを持つことによって記事が「公正」でなくなることが悪いことなのかどうかよく分かりませんが、まあ「公正」といってもこれは「竹原信一 後援会」が言うところの「公正」ですから、そんな汚名を着せられた朝日新聞も気の毒であります。

ところで電波の目的外使用というのは電波法52条でいわれているものであって、

第52条 無線局は、免許状に記載された目的又は通信の相手方若しくは通信事項(放送をする無線局(電気通信業務を行うことを目的とするものを除く。)については放送事項)の範囲を超えて運用してはならない。ただし、次に掲げる通信については、この限りでない。
1.遭難通信
2.緊急通信
3.安全通信
4.非常通信
5.放送の受信
6.その他総務省令で定める通信


そこで阿久根市の防災行政無線の免許状が極めて特殊なものでない限り、その「目的」は「防災」すなわち災害に関する情報の提供と行政事務等の「広報」ということになっているでしょう。今回の放送については、「年頭のあいさつ」であり、施政方針の説明を含むものであったようですから、これは「広報」に当たるわけです。もちろん「施政方針」の内容によっては「災害情報」にかかわるものとなる可能性もあります。

なので放送すること自体は「目的外使用」ではないのですが、その放送の中に、どう考えても「防災情報」にも「行政事務連絡」にも当たらない内容が含まれていたことは間違いないようです。どうもこの「市長の年頭のあいさつ」の中で、市長は突如として私生活上の悩みの御開陳に及んだのです。

もっとも市長のブログが市の行政の一部として行なわれていたり、阿久根市の政策として障害者を殺して回っているとか、その準備をしているというのであれば話しは別ですが、市長のブログに関する「騒動」は、1カ月遅れようが2カ月ぶりに蒸し返そうが、それは「竹原信一という男」の個人的な問題に過ぎません。この件に限って言えば、新聞社が日教組と一緒になって「悪意」ある「組織行動」を取っていたとしても、それは竹原さんが個人的に処理すべき問題であって、市の広報のための施設を利用して愚痴るべきものではないでしょう。

阿久根市総務課によると、市長が自己の個人的なブログでの記述への批判に対して反論することは「市長の行政事務連絡の一環」なんだそうですが、言うことをきかないとクビだ、といって脅かされているようなのですから、彼等が間違ったことを言うのも当然です。総務省九州総合通信局としても、あくまで「市から」事情を聞いただけらしいので、信頼できる情報に基づいているわけではありません。

もっとも、竹原さん自身は先日の衆院選の際にそのブログで特定候補に対する支持を表明した件で、ブログは単なる個人的な意見の表明であるから問題ない、という結論を阿久根市選挙管理委員会に出させていますから、総務課も苦労します。まあ、人に使われてお金をもらうというのは、そういうことです。

総務課が竹原さんの気まぐれを糊塗するのに一生懸命な一方で、竹原さんにとっては法に違反することなどは別段気にすることでもないようです。これは自治体首長としてはユニークな考え方かも知れませんが、民間の経営者などの間ではわりと一般的なことでしょう。ちょっと以前の話しですが、ミートホープ株式会社とか船場吉兆なんかの偉大な経営者の方々と同じくらいには立派なものです。公私混同とかイエスマンで周囲を固めるとか法の軽視とかは、このような会社を潰す経営者に共通のパタンと言って良いのですが、残念なことに自治体は潰れないそうですから、竹原さんはああした連中と肩を並べるというわけにはいかないんので安心です。
posted by 珍風 at 11:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

2億4千万の目潰し

ま、またもや白人どもが

捜査協力、EUに拒否権 署名の協定、死刑廃止論背景に

 日本政府と欧州連合(EU)がこのほど署名した刑事共助協定(条約)に「共助を要請した国で死刑の可能性がある犯罪については捜査協力を拒否できる」との規定が盛り込まれていることが4日、分かった。死刑制度がないEU側が要求したもので、実質的にEU側だけが拒否権を持つことになる。殺人事件の容疑者がEU側に逃げた場合など、国境を越えた重大犯罪の捜査に影響が出る可能性も否定できず、論議を呼びそうだ。
 協定は昨年春から交渉を開始。関係者によると、この中でEU側は共助要請を拒否できる「自国の重要な利益が害される恐れがある場合」として「要請国の法令の下で死刑を科しうる犯罪」の明記を求めた。EU加盟27カ国はいずれも死刑制度がなく「死刑制度は廃止すべきで、死刑の可能性がある事件の捜査に協力できない」という趣旨の意向を示したという。

2010年1月5日 NIKKEI NET


外務省によるとこの手の条約・協定には以下のものが存在するようです。


刑事に関する共助に関する日本国とアメリカ合衆国との間の条約
(略称 日・米刑事共助条約)
平成15年8月5日 ワシントンで署名
平成16年5月19日 国会承認
平成18年6月21日 東京での批准書の交換
平成18年6月23日 公布及び告示(条約第9号及び外務省告示第358号)
平成18年7月21日 効力発生


刑事に関する共助に関する日本国と大韓民国との間の条約
(略称 日・韓刑事共助条約)
平成18年1月20日 東京において署名
平成18年5月17日 国会承認
平成18年12月27日 東京において批准書を交換
平成19年1月4日 公布及び告示(条約第1号及び外務省告示第3号)
平成19年1月26日 効力発生


刑事に関する共助に関する日本国と中華人民共和国との間の条約
(略称:日・中刑事共助条約)
平成19年12月1日 北京で署名
平成20年5月16日 国会承認
平成20年10月24日 批准書交換
平成20年10月27日 公布及び告示(条約第11号及び外務省告示第577号)
平成20年11月23日 効力発生


刑事に関する共助に関する日本国と中華人民共和国香港特別行政区との間の協定
(略称:日・香港刑事共助協定)
平成20年5月23日 香港で署名
平成21年7月3日 国会承認
平成21年8月25日 外交上の公文の交換
平成21年8月28日 公布及び告示(条約第6号及び外務省告示第453号)
平成21年9月24日 効力発生


刑事に関する共助に関する日本国とロシア連邦との間の条約
(略称:日・露刑事共助条約)
平成21年5月12日 東京で署名


刑事に関する共助に関する日本国と欧州連合との間の協定
(略称:日・EU刑事共助協定)
平成21年11月30日 ブリュッセルで署名(EU側)
平成21年12月15日 東京で署名(日本側)



やはり何というか地球名物三大死刑大国中国米国日本が仲良きことは美しき哉。もっとも「死刑大国」と言えば中国もそうでしょうが、なんといってもサウジアラビアとかあっちの方が断然優位に立つわけですが、世間ではイスラーム圏をマトモに扱ってくれません。とにかく「先進国」には入れてくれないようです。

しかしそれを言うならアメリカだって福音派にアタマをやられた連中の宗教国家であるとも言えそうですし、日本も近代国家とその家族制度を宗教化した新興宗教としての国家神道の影響が未だに強いとも言えますから、あまり他人様のことをとやかく言えた義理ではないような気もします。まあ、迷信に支配されたところでは死刑が盛んなのかも知れません。

だからといってパッチョロの連中が迷信を脱しているかどうかというと、これは些か疑問ではありますが、まあナチスなどはポスト・クリスチャニティの現象のような気もしますし、だからといってキリスト教に回帰することなく、少なくとも法制度などはほぼ完全に世俗化しているのではないか。

国家が脱聖化されると、それにあまり大層な力を与えることに納得がいかなくなるでしょうから、死刑が廃止になるのも当然の勢いでありましょう。それはやると効果があるとかないとかというよりは、そこまでやらせるのは適当でない、という感覚になるのではないか。

なにしろ連中はかつては散々迷信をほしいままにして来た歴史がありますから、新大陸の田舎者や東洋の土人の迷信につき合わされるのは真っ平だと思し召しではありましょうが、今回協定を結んでくれるというのであります。ただし条件があると言う。

この条件たるや日本人にも極めて理解しやすいものです。例えば未亡人を火にくべる習慣のある土地から未亡人が日本に逃げて来たとして、相手のところの人が「その女の人を燃やすんですから下さい」と言ってきた場合に、それは断ります、というようなことでしょ。

しかし、まあ、気に入らなければそんな協定は結ばなければ良いだけの話しです。少なくとも「殺人事件の容疑者」にとってはどっちでも同じことです。日本政府にとって望ましいのは、死刑制度の必要性と正当性についてEU側を説得できることですが、なんか独特な文化的なアレらしいから。向こうにとってはエキゾティズムでしかありません。

とはいえ、中国の場合は極めて世俗的なような気もします。アソコの場合は世俗的な権力が正に権力であるというその理由において平気で沢山人を殺しているようにも見えます。つまり権力とは神様やら何やら神秘的なワケがあってエライのではありません。人を殺すから強いのです。
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2010年01月04日

仁義なき戦い/ガルシアの首

フジモリ被告、禁固25年が確定=市民虐殺で最高裁判決−ペルー

 【サンパウロ時事】在任中の2件の市民虐殺事件で殺人罪などに問われた元ペルー大統領、アルベルト・フジモリ被告(71)の控訴審で、最高裁刑事法廷は3日、禁固25年と被害者遺族への賠償金支払いを命じた一審の判断を支持する判決を下したと発表した。裁判は二審制で、これにより同事件での実刑が確定した。
 2009年4月の一審判決は、極左ゲリラ対策を推し進めたフジモリ政権下で人権侵害や違法行為も辞さない「汚い戦争」が展開されたと指摘。軍特殊部隊が市民15人を殺害した「バリオスアルトス事件」(1991年)、大学寮内から10人を拉致・殺害した「ラカントゥータ事件」(92年)を「人道に対する罪」と非難した。
 弁護側はフジモリ被告の無罪を主張したが、一審判決は、被告が側近による実行命令を容認し、関係者の処罰を免れさせた「間接犯」として責任があると糾弾。控訴審でも判事5人が全員一致で一審判決を支持した。

2010年1月3日 時事


「間接犯」というのは「間接正犯」でしょうか。間接正犯では犯罪者は他人の行為を「道具」として利用して自分の犯罪を実現しますが、「道具」として利用された行為はそれ自体としては適法であるか、犯罪意志がなかったりするのです。

例えばヤクザの藤森組において組長として泣く子も黙る「フジケン」こと藤森謙也が手下である組員に命じて、敵対する武闘派ヤクザ「輝く極道」事務所に殴り込みをかけて組員数名を拉致し、建設中の児童公園のコンクリート製の山の下に生き埋めにして殺した、などという場合は、確かに藤森組組員はフジケンの「道具」として使用されたものの、彼等の行為自体が違法なものであるために、フジケンは「間接正犯」に当たらないことになります。

アルベルト・フジモリさんの場合も、藤森組の例と類似しているのですが、実行行為を行なった者が軍の特殊部隊であり、一般的に軍が大統領命令によって国民を殺害することはそれ自体として適法ですから、フジモリさんは軍の適法な行為を利用して殺人を行なったということになるでしょう。

同様の事例でも日本の法律ではヤクザがやると「共謀共同正犯」、国家がやると「間接正犯」になるようです。もっとも国家の場合はおとがめなし、という場合がはるかに多いのですが、落ちた政敵は徹底的に追い詰めるというのは良い習慣です。仮にペルーにおける「間接犯」が「関節正犯」であるとすると、間接だって「正犯」なんですから25人殺して禁固25年は軽くないかという気がしますが。まあ、とりあえず今度お会いするとおきは96歳ですか。多分生きてると思うな。

ちなみにペルーは国事犯を除く通常の犯罪に関しては死刑を廃止していますが、フジモリさんに追い出されたアラン・ガルシアさんは死刑を復活しようとしています。表向きは一応7歳以下の強姦致死罪が対象のようですが、ガルシアさんの政府は別の法案において死刑の対象を「武装していない市民の殺害に関与した反政府武装勢力の指導者」にも拡張することを提案し、あわせて死刑の範囲を広げることを禁止している米州人権条約からの離脱を提案しています。

これら一連の死刑拡張法案のターゲットがフジモリさんの処刑にあるという可能性もないわけではありません。おそらくそれが死刑の本来の利用法です。しかしながらガルシアさんはつい半年前にジャングルの天然資源をアメリカに利用していただくために、土人を40人ばかり血祭りに上げてやったところです。一度は辛酸をなめたガルシアさんも、次のときにはフジモリさんと同様に殺人罪で訴追を受ける可能性があるわけで、自分の生命を危うくしかねない死刑拡張に対するガルシア政権の態度の変化が注目されます。
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2010年01月02日

おせちもいいけど死刑もね

死刑求刑、無罪主張事件審理へ…裁判員2年目

 裁判員制度は、2年目の2010年、検察側の死刑求刑が予想される重大事件や、被告が起訴事実を否認する事件などの審理が大幅に増えるとみられる。

 制度初年の09年は、被告側が犯行を認め、刑の重さが争われる事件が大半だったが、死刑求刑事件や無罪主張事件では、より慎重な審理が求められ、公判回数も増えることが予想される。
 社会的な関心も高いこれらの事件の審理がうまくいくかどうかは、制度定着への試金石になりそうだ。
 検察側が裁判員裁判で初めて死刑を求刑する可能性があるのは、鳥取県で昨年2月に2人が殺害された事件。初公判は今年2月23日に開かれ、3月2日に判決が言い渡されることが決まった。
 法定刑が「死刑または無期懲役」と定められている強盗殺人罪が成立するかどうかが争点の一つとなる見込みだ。
 裁判員制度の開始前に全国で行われた模擬裁判では、死刑求刑事件は取り扱われていない。あるベテラン刑事裁判官は「裁判官による評議では、死刑求刑事件は3人の意見が一致するまで議論を続ける気持ちでやってきた。裁判員裁判でも、評議に加わる全員が十分に意見を出し合ってほしい」と話している。

2010年1月2日  読売新聞


日本だってやろうと思えば出来るじゃないですか。「制度初年の09年は、被告側が犯行を認め、刑の重さが争われる事件が大半だった」そうですが、それは検察が「疑わしき」を起訴しなかっただけです。とはいうものの今年からは、検察もいつもの通り冤罪を量産するつもりのようです。

それにしても「審理がうまくいく」というのはどういう意味なんでしょうね。何がどうなれば「うまく」いったことになるんでしょうか。まあ、判決が出ない、というような事態になったとすれば、それは「うまく」いかなかったことになるんでしょうけど、そんな事態には立ち至りそうにありません。判決は必ず出るでしょう。いったいどんな判決が「うまく」てどんな判決が「うまくない」のか。どんな判決が出れば「制度」が「定着」したことになるんでしょうか。

というわけで讀賣新聞は年が明けようが正月だろうが相変わらずですが、この記事で言及されている鳥取県の事件というのは、米子市の会計事務所の取締役影山博司さんが、昨年2月21日に事務所の社長石谷英夫さんと、同居の女性大森政子さんを相次いで殺害し、翌日までに2人の預金通帳及び現金数万円を奪ったという事件です。

これは会社内の人間関係の中で起こった事件であり、「強盗が人を死亡させた」というよりは人を殺した後で思いついて金などを取りに行っちゃったもののように思われるので「強盗殺人罪が成立するかどうか」は怪しいところです。それでも殺人罪に問われることは間違いないでしょうし、2人も殺しているのですから、実は「強盗殺人罪が成立するかどうか」に関わりなく「死刑を求刑する可能性」が存在します。

そこでこの記事では、見出しに反して死刑がどうたらということは実はどうでもいいことであり、検察が「強盗致死傷」で訴えたところを裁判員どもがそれを認めるかどうかが、いわゆる「うまくいく」かどうかを決定するというのがその主旨です。つまり裁判員が検察の求刑をそのまま認めるのであれば、それは「うまくいった」ことになり、裁判員制度が「定着」した、と評価されることになります。

しかしそれにしても「2人」というのは、じっさい困ったことです。死刑を支持しようという「世論」の中には「応報刑」的な意見も存在すると思いますが、被害者が複数存在すると「応報」というわけにはいかなくなってしまういようです。なにしろ被告人は1人しかいませんし、住友生命によれば「一人にひとつずつ 大切な命」ですから、被告人の生命が被害者に行き渡りません。

1人殺せば殺人者ですが、100人殺せば大量殺人者です。やっぱりイナバ、100人でも同じことです。しかし「目には目を」式の「応報」が成り立つのは、1人が1人を殺した場合に限られます。2人の生命被害に対して1人の生命で購うというわけにはいきません。この場合は被害者1人に対して加害者0.5人の生命で満足しなければならないことになり、1人で殺された場合に比べて不公平です。被害者が3人4人と増加していくと、この不公平はより顕著になります。

「応報」という場合、1万円盗ったら1万円返せ、ということを意味します。2人からそれぞれ1万円ずつ盗ったら、盗った人は2万円を出さなければなりません。1万円だけ出して2人で分けなさいというわけにはいかないでしょう。しかし生命というものはそういうわけにはいかないのであって、いくら被害者が死んでいるからといって失ったものの半分とか3分の1でチャラ、というのは生きている者の勝手な理屈でしかありません。

そこで被害者が複数の場合には、加害者の家族や親類に連座させて「応報」の条件を満たそう、という発想もあるでしょう。しかし被害者と加害者の関係は1対1の関係であって、被害者が何人いようともそれぞれが加害者との関係を結んでいますから、連座という形で「代理」を立ててもらっても何にもなりません。適当に数を合わせればそれで良いというものではないでしょう。

どうして同じ奴に殺された彼奴と俺とで扱いが違うのか。なぜ彼奴には殺した奴の命で、俺には何もしていない奴の古女房の命なんだ。おかしいではないか。もちろん、被害者がこのような不満を持たないように、お互い内緒という条件で「実はあんたには犯人の命で購いますが、アチラの方には犯人の家族ので納得してもらってますよ」と、両方の被害者に言うことは可能です。なに、別に生命を紙に包んで渡そうというわけじゃありませんから、バレやしません。どうせ相手は死んでるんだし。

極めて身近な「犯罪」においては「応報」が成り立つ場合があるでしょう。100円のものを盗んだ人は100円を返す、というのが「応報」であって、そのような「犯罪」に対してはそのように対処することによって被害を解消することが出来るでしょう。万引をする餓鬼を捕まえると、「金払えば良いんだろう」と餓鬼が、あるいはそのいわゆる「モンスターペアレント」が「開き直る」ことがあるやに伺いますが、これなどは「応報」の考え方に基づいた解決を提案しているものであると言うことが出来るでしょう。

同様に殺人であっても、1人を殺した人は1人分の生命を自ら支出することによって、いわば「釣り合い」を回復することが出来るかもしれません。しかし複数となるとそうはいきません。それは「応報」の絶対的限界です。したがって死刑制度の存在を正当化するにあたって応報刑論ほどそれに相応しくないものはありません。

とはいえ、いずれにしても刑罰は刑罰論よりも先に存在します。既に存在する刑罰に対して色々な刑罰論を当てはめてその存在意義を論じても、それからはみ出す刑罰の現実が存在するでしょう。現行の刑罰制度を説明しようとするそのようなギロンが「うまく」いかない原因として、刑罰を犯罪との関係において考えてしまうことが挙げられるかもしれません。刑罰が行なわれるために犯罪は必ずしも不可欠ではないのかもしれません。むしろ犯罪は権利の侵害を許容させることが可能な条件のひとつなんでしょう。
posted by 珍風 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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