2010年05月29日

ターミナル・ケア

民主党、支持離れ懸念…福島消費者相罷免で


 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、鳩山首相が28日、社民党党首の福島消費者相を罷免したことについて、民主党には懸念が広がっている。

 参院選の選挙戦略の練り直しが迫られるほか、混乱を招いた首相の支持がさらに低下する可能性があるからだ。連立重視の小沢幹事長と首相の距離が広がるのではないか、との見方も出ている。

 「しげちゃん、誠に申し訳ない。だけど、今までのよしみもあるし、選挙はお願いします」

 小沢氏は28日夜、社民党の重野幹事長に電話でこう述べ、福島氏が罷免となった事態をわびるとともに、参院選での選挙協力は続けたいとの意向を示した。

 小沢氏は今回の騒動について、周辺に「閣僚人事は政府の話だ」と話すなど、無関心を装ってきた。しかし、28日には国会内の幹事長室で輿石東参院議員会長と会談、関係者と電話で社民党の情勢について協議するなど、水面下で調整に動いた。表だって動き、「内閣に小沢氏が手を突っ込んだ」との批判を浴びるのを回避したかったようだ。

 党内では、「辺野古回帰」や罷免という決着に、小沢氏はいらだちを募らせている、という見方が出ている。小沢氏周辺は「『県外移設』は3党連立の時に約束したようなものだし、首相も沖縄で『県外』と言った。そもそも5月末という期限を設ける必要もなく、首相の独り相撲で党が信頼を失った」と首相を批判する。

 小沢氏周辺に限らず、党内では首相の対応に不満の声がくすぶっている。

 民主党幹部は、社民党の連立離脱を回避するよう首相に求めてきた。社民党の連立離脱は政権基盤を不安定にするうえ、参院選での社民党との選挙協力が不透明になるからだ。25日には山岡賢次国会対策委員長、26日には輿石氏がそれぞれ首相官邸を訪ね、首相に社民党との連立の重要性を説いたが、結局、首相は受け入れなかった。

 党副幹事長の一人は28日、「福島氏の主張には一理ある。ついこの間まで首相がこだわっていたことを言って罷免されるのだから、首相の方が分が悪い」と語った。平田健二参院国会対策委員長も28日の記者会見で、「辺野古回帰」について、「首相が説明をする必要がある」と首相の説明責任の必要性を強調した。

2010年5月28日 讀賣新聞


もう何が何でも鳩山さんの悪口を言わなければならないようで、そのためには小沢さんの口も借りようという、「なりふり構わぬ」讀賣新聞であります。人間本気になると、大抵はブザマです。

確かに社民党が連立を離れると、民主党にとっては参院選が大変なんですが、現時点では、すなわち辺野古移設という形を一旦出した段階では、そうでなくても選挙は大変なわけです。「福島氏の主張には一理ある。ついこの間まで首相がこだわっていたことを言って罷免されるのだから、首相の方が分が悪い」という「党副幹事長の一人」の発言は讀賣新聞の罠ですが、利権とかいうものに縁のない有権者の多くは「辺野古回帰」ではない解決を期待しているものと思われます。

期待していなかったのは讀賣新聞とかそういう人たちであって、今頃になってエラそうなことを書けた筋合いではない筈なのですが、マスゴミはとっくに世間の信用を失っているので平気なものです。とにかく讀賣新聞としては、鳩山さんが民主党のためにならないことした、馬鹿め、ということが書ければ何でもいいわけです。

しかしながら、事態は讀賣新聞が期待するほどには楽観を許さない状況です。今回の事態によって、参院選は民主党にとって厳しいものとなりました。鳩山さんはナショナリズムを下手に刺激したように見えます。ある程度の票が民主党からは失われることになります。しかし、その票はどこに行けばいいのか。実はその受け皿は用意されています。

ここで福島さんが署名でもしようものなら、社民党はそれで終わりです。しかし福島さんが署名せず、鳩山さんが彼女を罷免したことは先ず第一に社民党にとって有利です。これで社民党としては存在意義があることになります。そして民主党に対する批判票が入って来る見込みもあります。そして民主党にとっては、流失した票の幾許かが社民党に流れることが予想されますので、小沢さんは所謂「しげちゃん」に話を通したようです。

この過程の動き方によっては、社民党が離脱することによって、政権を「左」方面から引っ張る力が強くなる可能性があるのです。小沢さんが詫びを入れたのに対して「しげちゃん」が「イヤだよあかんべ」と言ったという話しは聞きません。このようにして社民党を切り離すことによって批判票を再回収してしまうことが出来るのです。その代償として自らが変わることがあるかもしれませんが、それは小沢さんの予想の内でしょう。

これは別に変わった手ではありません。自民党の方が早いです。自民党も「新党」、てゆーか左右にサテライ党を持っています。しかしこれも、民主党の左右に国民新党と社民党を配置した連立政権の布置がヒントになっていたりします。

讀賣新聞系のテレビニュースによると「社民党を切れば支持率が上がる。小泉純一郎になれるかもしれない」などと気違いじみたことを囁いた「首相周辺」が存在するそうです。「小泉純一郎になる」ことがなんかステキなことであるとでも言いたげなところを見ると、この「首相周辺」というのがどういう「周辺」なのか大体想像がつくというものですが、まあマエハリ(業界では「マエハリ」であり、「マエバリ」と濁らないそうです。ますますもって都合がよろしい)とかその辺の恥部か、それに近いあたり、もしくは「周辺」にいる讀賣新聞あたりのヨタ記者でしょう。

ところがこのマエハリあるいはそれにくっついた恥毛記者の、せいぜい「社民党がどっかに行けばいいのに」という程度の単純な発想は乗り越えられているようです。ナベツネさんは民主党の退潮によって「左翼」を排除した「政界再編」が行なわれることを期待しているかもしれませんが、今のところ小沢さんはその話に乗らなくても大丈夫でしょう。しかしその一方で社民党は小沢さんの話には乗るしかないのです。しかも今回の「罷免」によって社民党はより「強く」なっていますので、「わずか10議席余の社民党」に「振り回され」ざるを得ないんですからナベツネさんも死ぬに死ねないわけです。健康を祝しましょう。
posted by 珍風 at 02:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

進め70億 The earth is a fireball.

天安門事件、じゃなかった哨戒艦「天安」事件ですか、この船のまことに時宜を得た沈没によってアメリカは予期通りの成果を収めようとしているようです。

在日・在韓米軍の安定駐留確保=再編計画を着実に履行−米安保戦略


 【ワシントン時事】オバマ米政権が27日発表した国家安全保障戦略は、日韓両国との同盟関係を深化・発展させるとともに、「地球規模の安全保障上の課題に取り組むため、対等な関係を原則に、両国での米軍駐留の持続可能な基盤を確保する」と表明した。具体的には触れなかったものの、沖縄県の米軍普天間飛行場移設を含む在日米軍再編計画を着実に履行していく方針を示したものだ。

 同戦略は日韓両国について「地域的または地球規模の問題を解決したり、われわれが価値を共有する民主主義を促進したりする上で、ますます重要な指導国になっている」と指摘。その上で、オーストラリアなどを加えたアジア・太平洋地域の同盟国と、地域の安定のほか、大量破壊兵器拡散やテロ、サイバー攻撃への対処などに関して連携していくと明記した。 

2010年5月28日 時事


「地球規模の安全保障上の課題」てのは鳩山ご夫妻の影響で火星人が攻めて来るというようなことを想定しているのかと思ったらそうでもないようです。今や戦争は二国間の守るだ攻めるだという話しではなくなっているということ、それどころか国家間のものですらなくなっているということです。

アメリカとしては世界的な覇権を維持しつつ、弱小国やローカルな勢力や個人による「大量破壊兵器拡散やテロ、サイバー攻撃」がこれからの21世紀の戦争の「新たな課題」となるでしょう。例えば、反米感情を持つ住民の存在する地域は重要な意味を持つことになります。

在外米軍の再編成計画の中で在韓及び在日米軍を縮小する案が存在し、例えばアメリカの前政権時には在韓米軍については2016年に全地上軍を撤退させるというような話もありましたし、沖縄の海兵隊のグアム・テニアン移転もその文脈で存在していたのですが、したがって、どうもオバマ政権としてはそういうことをしようという気はないということで、いわば天安艦事件はその些か乱暴な意思表示であったとも言えるでしょう。

日本も「ますます重要な指導国」なんだそうですから、日本の国家的プレゼンス、てゆーかアメリカにいーこいーこしてもらえるかどうかご心配の向きは一安心というところですが、日本としてはアメリカと協力してその国民と戦え、と言われたようなもんですからこれからも苦労が絶えません。

日米共同声明全文


 日米安全保障協議委員会(SCC)メンバーの岡田克也外相、北沢俊美防衛相、クリントン国務長官、ゲーツ国防長官が連名で28日、発表した共同声明全文は次の通り。


 2010年5月28日、SCCの構成員たる閣僚は、日米安全保障条約の署名50周年に当たる本年、日米同盟が日本の防衛のみならず、アジア太平洋地域の平和、安全及び繁栄にとっても引き続き不可欠であることを再確認した。北東アジアにおける安全保障情勢の最近の展開により、日米同盟の意義が再確認された。この点に関し、米国は、日本の安全に対する米国の揺るぎない決意を再確認した。日本は、地域の平和及び安定に寄与するうえで積極的な役割を果たすとの決意を再確認した。さらに、沖縄を含む日本における米軍の堅固な前方のプレゼンスが、日本を防衛し、地域の安定を維持するために必要な抑止力と能力を提供することを認識した。SCCの構成員たる閣僚は、日米同盟を21世紀の新たな課題にふさわしいものとすることができるよう幅広い分野における安全保障協力を推進し、深化させていくことを決意した。

 閣僚は、沖縄を含む地元への影響を軽減するとの決意を再確認し、これによって日本における米軍の持続的なプレゼンスを確保していく。SCCの構成員たる閣僚は、同盟の変革と再編のプロセスの一環として、普天間飛行場を移設し、同飛行場を日本に返還するとの共通の決意を表明した。

 閣僚は、このSCC発表によって補完された、06年5月1日のSCC文書「再編実施のための日米ロードマップ」に記された再編案を着実に実施する決意を確認した。

 閣僚は、09年2月17日の在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定(グアム協定)に定められたように、第3海兵機動展開部隊(MEF)の要員約8千人及びその家族約9千人の沖縄から米領グアムヘの移転は、代替施設の完成に向けての具体的な進展にかかっていることを再確認した。グアムヘの移転は、嘉手納以南の大部分の施設の統合及び返還を実現するものである。

 このことを念頭に、両政府は、この普天間飛行場の移設計画が、安全性、運用上の所要、騒音による影響、環境面の考慮、地元への影響などの要素を適切に考慮しているものとなるよう、これを検証し、確認する意図を有する。

 両政府は、オーバーランを含み、護岸を除いて1800メートルの長さの滑走路を持つ代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する意図を確認した。

 普天間飛行場のできる限り速やかな返還を実現するために、閣僚は、代替施設の位置、配置及び工法に関する専門家による検討を速やかに(いかなる場合でも10年8月末日までに)完了させ、検証及び確認を次回のSCCまでに完了させることを決定した。

 両政府は、代替施設の環境影響評価手続き及び建設が著しい遅延がなく完了できることを確保するような方法で、代替施設を設置し、配置し、建設する意図を確認した。

 閣僚は、沖縄の人々が、米軍のプレゼンスに関連して過重な負担を負っており、その懸念にこたえることの重要性を認識し、また、共有された同盟の責任により衡平な分担が、同盟の持続的な発展に不可欠であることを認識した。上記の認識に基づき、閣僚は、代替施設に係る進展に従い、次の分野における具体的な措置が速やかにとられるよう指示した。

 【訓練移転】
 両政府は、二国間及び単独の訓練を含め、米軍の活動の沖縄県外への移転を拡充することを決意した。この関連で、適切な施設が整備されることを条件として、鹿児島県・徳之島の活用が検討される。日本本土の自衛隊の施設・区域も活用され得る。両政府は、また、グアムなど日本国外への訓練の移転を検討することを決意した。

 【環境】
 環境保全に対し共有された責任の観点から、閣僚は、日米両国がわれわれの基地及び環境に対して、「緑の同盟」のアプローチをとる可能性について議論するように事務当局に指示した。「緑の同盟」に関する日米の協力により、日本国内及びグアムにおいて整備中の米国の基地に再生可能エネルギーの技術を導入する方法を、在日米軍駐留経費負担(HNS)の一構成要素とすることを含め、検討することになる。閣僚は、環境関連事故の際の米軍施設・区域への合理的な立ち入り、返還前の環境調査のための米軍施設・区域への合理的な立入りを含む環境に関する合意を速やかに、かつ真剣に検討することを事務当局に指示した。

 【施設の共同使用】
 両政府は、二国間のより緊密な運用調整、相互運用性の改善及び地元とのより強固な関係に寄与するような米軍と自衛隊との間の施設の共同使用を拡大する機会を検討する意図を有する。
 【訓練区域】
 両政府は、(沖縄本島東の)ホテル・ホテル訓練区域の使用制限の一部解除を決定し、その他の措置についての協議を継続することを決意した。

 【グアム移転】
 両政府は、09年2月17日のグアム協定に従い、3.MEFの要員約8千人及びその家族約9千人の沖縄からグアムヘの移転が着実に実施されることを確認した。このグアムヘの移転は、代替施設の完成に向けての日本政府による具体的な進展にかかっている。米側は、地元の懸念に配慮しつつ、抑止力を含む地域の安全保障全般の文脈において、沖縄に残留する3.MEFの要員の部隊構成を検討する。

 【嘉手納以南の施設・区域の返還の促進】
 両政府は、嘉手納以南の施設・区域の返還が、「再編実施のための日米のロードマップ」に従って着実に実施されることを確認した。加えて、両政府は、キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)の「インダストリアル・コリドー」及び牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の一部が早期返還における優先分野であることを決定した。

 【嘉手納の騒音軽減】
 両政府は、航空訓練移転プログラムの改善を含む沖縄県外における二国間及び単独の訓練の拡充、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告の着実な実施などの措置を通じた、嘉手納におけるさらなる騒音軽減への決意を確認した。

 【沖縄の自治体との意思疎通及び協力】
 両政府は、米軍のプレゼンスに関連する諸問題について、沖縄の自治体との意思疎通を強化する意図を確認した。両政府は、ITイニシアチブ、文化交流、教育プログラム、研究パートナーシップ等の分野における協力を探究することを決意した。

 安全保障協力を深化させるための努力の一部として、SCCの構成員たる閣僚は、地域の安全保障環境及び共通の戦略目標を推進するに当たっての日米同盟の役割に関する共通の理解を確保することの重要性を強調した。この目的のためSCCの構成員たる閣僚は、現在進行中の両国間の安全保障に係る対話を強化することを決意した。この安全保障に係る対話においては、伝統的な安全保障上の脅威に取り組むとともに、新たな協力分野にも焦点を当てる。

2010年5月28日 沖縄タイムス


ちゃんと「北東アジアにおける安全保障情勢の最近の展開により、日米同盟の意義が再確認された」って書いてあります。兵隊さん有り難うまんまと死んでくれて。韓国の皆さん、ここんとこが「靖国神社」ですよ。

「第3海兵機動展開部隊(MEF)の要員約8千人及びその家族約9千人の沖縄から米領グアムヘの移転は、代替施設の完成に向けての具体的な進展にかかっている」などと脅迫し、さらに「グアムヘの移転は、代替施設の完成に向けての日本政府による具体的な進展にかかっている」と念を押したところで、実際のところ辺野古への移転は困難ですが、そうであれば尚更そこへ行く必要があります。

歓迎されていない所にわざわざ出掛けて行って、歓迎させる、さもなくば殺してしまえというホトトギスなやり方がアンジェリークとアメリカの悪いクセなので、テニアンみたいに来て下さいと行っているような場所には行きませんし、いち早く尻尾を振った大阪にも行きません。橋下さんてのはその辺分かって言ってるのかどうか。

ところで鳩山さんが考えていたのは、おそらく本当に「国外」です。

「国民は国を守る発想持つべき」 鳩山首相

 鳩山由紀夫首相は26日夜、日本の安全保障に関し「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と危機感を示した。同時に「それが自然かどうかという発想は国民一人一人が持ち続けるべきではないか」と指摘した。

 記者団が米軍普天間飛行場移設問題に絡めて「(常時)駐留なき安保という考え方は変わったのか」と質問したのに対し、「その考え方はいま封印している」とした上で根底の考え方として言及した。官邸で記者団の質問に答えた。

2010年5月26日 共同


鳩山さんの考えは、憲法を「日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を保持する」というふうに変えて、自衛隊を軍隊として位置付け、日本としての軍事的プレゼンスを強化して東アジア地域における日本にとっての安定を図る、ということであって、この人は全然ブレません。「外国人参政権」なんかもこの文脈で出て来ます。

もっとも、これはアメリカによると「伝統的な安全保障」の話であって、その限りで地域の「アメリカにとっての」安定とは相容れない可能性がありますから、日本のいわゆる「右派」が気に入らないのも分かります。

一方、アメリカが「新たな協力分野」と称しているのは、いわば「地球規模の」総国家と総人民の対立みたいな局面なんですが、現在の政権を構成する政党は各々真逆の方向からではありますが、この対立を緩和する方向性を保持しているようですから、その限りにおいてはやはり21世紀型の戦争国家には相応しくないんでしょうな。しかしまあ、民主党にも自民党はいますから。
posted by 珍風 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

進め一億フェラレッスン イクぞ一億どぴゅっとイクぞ

このブログには変☆態☆中☆年しかおらんのじゃ!!

と言って振り返ると誰もいない。

社説  首相沖縄再訪 決断先送りのツケは大きい


 昨年末に現行案での決着を図らなかったツケはあまりに大きい、と言わざるを得ない。前途は多難である。

 鳩山首相が沖縄県を再び訪問し、米軍普天間飛行場の移設先を名護市辺野古周辺にする意向を仲井真弘多知事に伝えた。辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に代替施設を建設するとの日米の大筋合意を受けたものだ。

 だが、知事は、辺野古移設について、「大変遺憾で、極めて厳しい」と難色を示した。

 仲井真知事は当初、辺野古に代替施設を建設する現行案を容認していた。だが、首相が決断を先送りし、沖縄で県外移設を求める世論が高まる中、県内移設は困難との立場に転じてしまった。

 1月の名護市長選で、移設受け入れに反対する稲嶺進氏が当選したことも状況を厳しくした。

 昨年末に首相が社民党の反対を押し切り、現行案での実施を決断していれば、その後の展開は全く違ったはずだ。致命的な判断ミスであり、首相の罪は重い。

 鳩山首相は会談で、米軍の訓練の県外への分散移転などを通じて沖縄の負担軽減に努める考えを強調した。緊迫する朝鮮半島情勢を踏まえた米軍の抑止力の重要性も指摘し、知事の理解を求めた。

 日米合意ができても、沖縄県や地元の反対で行き詰まる事態を避けるためには、簡単ではないが、引き続き知事を説得し、翻意するよう求める必要がある。

 鳩山政権発足以来の8か月余、司令塔不在で普天間問題が迷走を重ねる中、政府と沖縄県や名護市との信頼関係は冷え切っている。政府はまず、この関係を地道に立て直さなければなるまい。

 住宅密集地にある普天間飛行場を人口の少ない県北部に移す。米海兵隊8000人をグアムに移転し、普天間など米軍6施設を返還する。一連の日米合意の実施が相当な地元負担軽減になることを丁寧に説明することも大切だ。

 普天間飛行場の辺野古移設にはほかにもハードルがある。社民党が強く反対していることだ。

 民主党内には、社民党に配慮して、月末に予定される政府案決定の先送りを求める声もあるが、そんな無定見な対応は許されない。昨年末の二の舞いになる。

 民主党は衆参両院で400議席超を有する。それが、わずか10議席余の社民党に振り回され、国の安全保障にかかわる問題が決められないようでは、国益に反する。鳩山首相の決断力と指導力が厳しく問われよう。

2010年5月24日 読売新聞


讀賣新聞がこう書いているのですから間違いありません。「首相が決断を先送りし、沖縄で県外移設を求める世論が高ま」ったのであり、それが鳩山さんの「腹案」だったのかどうか知りませんが、「世論の高まり」が発生し、その結果「仲井真知事」が「県内移設は困難との立場に転じてしまった」り「移設受け入れに反対する稲嶺進氏が当選した」りなんかしたわけです。

したがってこれは「わずか10議席余の社民党」の問題ではないことになります。ナベツネさんがそう言っているのですから間違いありません。昨年末の段階で鳩山さんが「現行案での実施を決断してい」たとすれば、それは社民党ではなくて「世論」を押し切ることになっていたわけです。たしか「公約」だったわけですよね。

ちなみに『読売新聞用字用語の手引』において「世論」と「民意」をどのように区別しているのか、僕は知らないんですが、なんかビミョーなものがありそうです。まあ今日は「世論」と書いているようですが、多分「民意」よりは「弱い」意味を持たせているんではないか。「世論」という言葉に何か後ろめたいものがあるんじゃないですかよく知りませんが常日頃の行いが悪いので。

讀賣新聞がもっぱら「わずか10議席余の社民党」のせいにしたがっているのは、問題の所在が「世論」という言葉に隠蔽された「民意」にある、ということを他ならぬナベツネさんが正しく認識していることを表しているでしょう。伊達に歳喰ってません。僕ではなくてナベツネですが。讀賣新聞の社説はなかなかどうして老獪です。普通に読めば馬鹿が書いているとしか思えませんが、僕が助けてあげなければやっぱり馬鹿です。

これは鳩山さんの失敗ではなくて敗北であり、それは有権者の敗北であるということ、そして鳩山さんは負けたもんだからこっちに投げて来る、ということです。鳩山さんは「沖縄県外に住む日本の国民の皆さん方に対しても、基地問題と安全保障の問題について自分自身のこととして考える機会をぜひ少しでも作っていただきたいとお願いいたすところでもございます」と言っています。

てゆーか鳩山さんは27日に知事会を開いて「沖縄県外に住む日本の国民の皆さん方」に強制的に基地問題を投げかけて来ます。どっかの阿呆がうっかり手を挙げるとそこで「基地問題」が発生しますが、誰も手を上げなければ「政府の意向」は頓挫です。これこそ産經新聞の危惧するところです。

【主張】米軍普天間基地 「辺野古」で合意まとめよ


 沖縄を再訪問した鳩山由紀夫首相は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「名護市辺野古の付近にお願いせざるを得ない」との考えを初めて仲井真弘多知事に伝え、これまでの経過を謝罪した。

 辺野古付近は現行計画と重なり、修正する場合でも現行計画に伴う環境アセスメントを遅らせないことで日米間では一致している。首相は事実上、現行計画に戻ることを表明したといえる。

 地元も受け入れた経緯があり、米側が「最善の案」とする現行計画は最も現実的といえる。迷走の末とはいえ決断を支持したい。

 だが、その実現には多くの課題が残っている。仲井真知事は「極めて遺憾で厳しい」と県民の強い反対意見を背景に首相の提案を批判した。政府側は連立与党内の意見も一致していない。

 問題はこれらに加え、具体的な建設場所や工法が秋まで先送りされたことだ。日米両政府は辺野古移設を軸に共同文書を28日に発表し、協議を継続する。5月末までに決着すると国民に約束した首相は、責任を果たすべきだ。秋まで待つ理由はない。直ちに辺野古移設の実現に取り組むべきだ。

 首相は知事に対し、韓国哨戒艦沈没なども念頭に「東アジアの安全保障環境に不確実性がかなり残っている」と指摘し、「在日米軍の抑止力を現時点で低下させてはならない」と述べた。海兵隊の機能維持には県内移設が必要だとする説明は当然である。

 そもそも、首相の米軍の抑止力への認識不足が県外移設への固執と迷走を招いた。県民に期待を抱かせた一因として知事が指摘した民主党の「沖縄ビジョン」も、米軍基地の大幅縮小などを掲げたものだ。安全保障への根本的な姿勢が問われている。

 首相は普天間以外に、米軍訓練に伴う漁業の操業制限区域の緩和など、沖縄県側の要望を尊重する姿勢を示している。

 だが、4年前の日米合意には、すでに海兵隊員8000人のグアム移転や嘉手納飛行場以南の米軍施設返還も含まれている。いずれも重要な沖縄の負担軽減につながる内容だ。普天間問題の決着が遅れるほど、米軍再編に伴う負担軽減の実現にも支障をもたらすことを認識する必要がある。

 耳に聞こえのいい軽減策を並べるより、辺野古への移設決着が最優先の課題だ。

2010年5月24日 産經新聞


いつになく鳩山さんを「支持」するほど、何を焦りまくっているのかと思いきや。

どうしても、いかなる変更も加えずにいわゆる「現行案」が実現されることが、誰かにとっては必要であるようです。この「誰か」というのはアメリカである可能性があります。しかしながら「米側が「最善の案」とする現行計画」はアメリカの「理想主義」かも知れませんが、クリントンの夫の妻が「日米両国の利益にかない、運用上、政治上、持続的な解決策」と言っているものが「現行計画」と一致するかどうかは状況次第でしょう。むしろアメリカ側の意向は別としても、「現行案」の寸分違わぬ実現を願っている人が日本側にいるようです。その人たちはもちろん「沖縄県側の要望を尊重する」必要すら感じていません。とにかく何が何でも「辺野古への移設決着が最優先」なのです。今回有権者が敗北した相手とはそのような人々でしょう。そして少なくとも鳩山さんはその中には入っていなかったようです。

じゃあどこに入っているのかというと、これがまたよく分からないのですが、とにかく「これからみんなに米軍を撒くから、各個撃破したりされたりするように」という話のようです。鳩山さんはそんな乱暴なことは言っていないのかもしれませんが、そうなりました。
posted by 珍風 at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

肛虐裁判員すすり泣き

時の流れは早いものです。13年前のママは減量、援助金も。

裁判員 3人に2人がストレス

裁判員制度がスタートして21日で1年になります。NHKが裁判員を務めた人たちにアンケートを行った結果、3人に2人が、人を裁くことなどに心理的な負担やストレスを感じていることがわかりました。

NHKは、この1年間に全国の裁判所で裁判員や補充裁判員を務めた4000人以上のうち、連絡先のわかった330人にアンケートを行ったところ、65%に当たる215人から回答を得ました。このなかで「裁判に参加して心理的な負担やストレスを感じた」と答えた人は、3人に2人に当たる67%に上り、このうち15%は「今でも心理的な負担を感じている」と答えました。その状況を具体的に記入してもらったところ、40代の女性は「自分の判断が正しかったのかどうか迷い、日常生活で動悸(どうき)がするようになった。車の運転が負担になり、パートを辞めた」として、強いストレスが原因で生活や仕事に支障が生じたことを明かしています。また、アンケートでは「判決に市民感覚が反映された」と答えた人は85%に上り、ほとんどの人が制度導入の趣旨を実感していることがうかがえます。さらに、判決を決める際に何を重視したかを複数回答で尋ねたところ、「犯行の悪質さ」が62%、「被告の更生可能性」が56%に上りました。「裁判官が、何を重視していると感じたか」という質問に対しては、「犯行の悪質さ」に次いで、「過去の刑の重さ」が2番目に入り、裁判員たちが、プロの裁判官以上に被告の立ち直りや再犯の防止を重視していると考えていることがうかがえます。

2010年5月21日20時42分 NHK


これは、NHKのHPに掲載されたものであり、概ね19時のニュースで放送されたものに準じる内容になっています。まあ、「準じる」というのは、そのものではない、という意味ですが。時は過ぎ、僕の頭はパーになって行きますのでちょっとアレですが、21時の「ニュースウオッチ9」では、上記についてはその一部を大越さんが補足的に述べるだけになっています。

「ニュースウオッチ9」の裁判員制度発足1周年を受けての企画は、なんとかいう女の人、というのは、名前はちゃんと放送されていたのですが、あまりにも気の毒なのでここには書くわけにはいきません。なんだか数字のつく名前でしたが、それから「後から前から」。

これがオリジナルの表記なのであり、間違っても「あとからさきから」などと読んではいけません。何だかわかりませんが、とにかく、その女の人がやたらと上から目線で被告人の「人間性」がどうのこうのと偉そうなことを宣うという、些か、いくらなんでも、そりゃちょっとどんなもんか、などと、決して言うべきではないようなシロモノでありまして、失礼ながら若干吐き気を催したとしても、それはあながちその女性の容貌に起因するものではなかったりするのです。

そんなことはどうでもいいのですし、いや、その女性はなかなか好感の持てる女性だと思います。「後」、じゃなかった裁判員さえ「経験」しなければ、と思わずにはいられません。実際のところ、裁判員は「いい経験」だったかもしれませんが、怪我には注意したいものです。

「いい経験」というのは大越さんが言っていたのであって、僕が言い出したことではありません。NHKは19時から21時までの間に「ストレス」から「いい経験」まで、地球の裏側までの旅をしてきたのです。上記の20時42分配信の記事は、その途中経過に過ぎません。そして旅は遠いのですから余計な荷物は捨ててしまうことにしてしまったとしても、徳川家康に怒られることもないでしょう。

たしか、19時のニュースでは、泣いちゃった裁判員の話が出て来たはずです。なにしろ頭がパーなのでよく覚えていないんですが、有罪にすべきか無罪にすべきか迷って泣いちっち、ということだったと記憶しています。誰か録画でもしている人がいたら聞いてみて下さい。

ところがこれはヘンな話で、迷ったら無罪、というのが推定無罪原則です。何故泣かなければならなかったのかわかりませんが、おそらく葛藤があったものと思われます。多分、有罪の確信が得られないにもかかわらず有罪判決への圧力が存在したのではないでしょうか。

裁判員裁判で無罪になった例は今のところありません。ところがどうも、裁判員を泣かしてまで有罪判決を出しているのが実態であるようなのですから、無罪判決が出ないのも当然です。出さないんだから出ません。出さないのは痛いから、ではないと思いますし、そんなことをしていると便秘になったり大変なことになってしまいますが、むしろ「垂れ流し」になっているというのが現状に近いでしょう。

開きっぱなしになってはエラいことですが、これは一種の虐待のようなものです。そんな言い方はちょっとアレだというのであれば、「意に反する苦役」であります。そして「意に反する苦役」に服させられる唯一の条件として、憲法では「犯罪に因る処罰の場合」を挙げています。

ここで解釈です。この「犯罪」は「苦役」に服せられる当人が犯した「犯罪」でなければならないとは何処にも書いてありません。そこでたとえば裁判員が、誰か他の人の犯した「犯罪」によって「処罰」を受けることに何の不都合もありません。裁判員とは他人に苦役をなすり付けることによって放免される囚人なのです。六川葉子さんの気楽な上から目線にみえるご発言も、その裏には極限状態に叩き込まれた人間の赤裸々な姿が垣間見えるのであり、やたらと悪口を言ったりするもんではありません。
posted by 珍風 at 22:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

世界人類が薬漬けでありますように

煙草に続いて今度はお酒だそうです。「飲み放題」って外国にもあるんですかね。

「飲み放題」に制限を=アルコール規制指針−WHO総会


 【ジュネーブ時事】世界保健機関(WHO)の年次総会は20日、公衆衛生上の課題を討議する委員会で、過度な飲酒による健康被害などを防ぐための規制措置を盛り込んだ指針を正式に承認した。指針は、飲み放題・安売りの制限など、規制措置を講じることも促している。

 今回の指針は、法的な拘束力を持つ条約と異なり、すべての規制措置を実施することを強制されない。ただ、WHO総会の場で、国際的に承認されたことから、各国でアルコールに関連した規制の動きが広がりそうだ。

2010年5月20日 時事


世界の製薬業者の委員会WHOでは、21世紀の新たな禁酒法への足がかりとして、先ずは「指針」という形を取ることにしたようです。お酒は煙草などとは比較にならないくらい、ほとんど全ての人の文化と歴史に密接な関連を持っていますから、そんなに簡単ではないのです。

しかし業界では「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」で確かな手応えを得ています。人々の暮らしを変えさせることは、意外と簡単なのです。喫煙は世界のほとんどの地域において大した歴史がある習慣ではないのですが、その代わりにそれは特別な場合に限られない通常の習慣行為として日常に溶け込んでいました。しかし製薬業界は、現在ではこの習慣をマイノリティまで追い込むことに成功しています。

喫煙に比べると、飲酒の周縁化は業界にとって確かに大きな挑戦です。困難のひとつは、飲酒行為がほとんどの文化でそもそも周縁化されているという事実です。要するに昼間から堂々と酔っぱらっている人は滅多にいないか、いたとしても忌み嫌われているのが普通なのです。

ところが、ある場合において飲酒行為が「解放」されます。概ね近代的な資本主義産業における労働が終わったときが「解放」の時です。それはいわば市場化されていない時間であり、人々が資本主義社会における「周縁」に近づき、そこから出て行こうとする時間/場所なのです。

しかしながら、人々がこのような補完的な行為を行なって、所謂「中心を活性化する」のは、必要なことでもあり、別段大した問題でもないのです。出て行こうとしても実際に出て行くわけではありません。たまにそこから本当に出て行っちゃう人もいますが、そういう人は知りません。出てしまったら今度は戻って来るための門は閉ざされるのです。

問題はますます困難さを増す人生において増大する心理的マネジメントのマーケットなのです。人々は仕事の合間に喫煙し、仕事が終わるとお酒を飲んで、自らの心理的マネジメントを行なっています。業界にとってこれは将来性のある巨大なマーケットなのです。

既に多くの人が煙草を捨てて抗鬱剤に切り替えています。あたかも煙を吐いているよりもきれいな錠剤を飲み下すほうが健康的であるかのようです。そして酔っぱらってクダを巻いたりゲロを吐いたばかりの人とキスしたりするよりは、手のひらのお薬を飲んで済ます方がスマートに見えるかも知れません。

もっとも、大抵の人にとってお酒も煙草もそれ自体の刺激によって大量に摂取するというわけにはいかないものです。概ね、人々は摂取量を自分でコントロールしています。急性アルコール中毒による死亡例は、そのほとんどが飲酒量を自らコントロール出来ない状況で起こっています。

業界はこのセルフ・コントロールを手中にしなければなりません。実際のところ、その錠剤に何が入っているのか、人々は知ることがないでしょう。何だかわからないままに業界の友である医師の処方のままに飲んでしまうのです。現代ではナースですら自分が飲んでいる薬が何であるかを知りません。一般の人々から心理的健康の自己調整の手段を奪うのはいともたやすい事でしょう。

煙草産業などは金を使って製薬業界に対して敵対的な研究を援助しているとされていますが、実は煙草業界も酒造業界もとっくの昔に業界の一員です。日本たばこ産業株式会社は医薬品部門を持っており、子会社として鳥居製薬株式会社があります。ビールのキリンはキリンファーマという製薬会社を有し、焼酎で有名な協和発酵と合併して協和発酵キリンになりました。もっとも、サントリーは製薬部門を手放しており、医薬品への考え方の違いが両者の経営統合を破談に導いたのですが。哀れなサントリーはサバイバルの道を自ら閉ざしました。

てゆーか、むしろ製薬業界の方が酒造業界の息子であり弟であるようですが。しかし時代は変わりました。今や酒浸りの時代ではありませんし、お酒の飲めない人にも薬を飲ませなければなりません。そしてそれは全く可能なのです。世界は精神的に問題を抱えた人々で溢れています。歴史と未来と業界がそうさせるのです。グローバルなマーケットである精神病院としての世界が業界の手の届くところにあるのです。もちろん業界の闇の兄弟のことだってちゃんと考えているのです。
posted by 珍風 at 22:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

彼は闇の組織の暗躍によってどう修正されたか

総務相、道州制推進基本法に意欲 来年の法案提出目指す


 原口一博総務相は19日午前、日本経団連の御手洗冨士夫会長との会談で、経済界から導入要望が出ている道州制について、来年の国会での推進基本法案提出を目指して議論を加速させる考えを表明した。

 道州制については、経団連が今年4月にまとめた成長戦略にも基本法制定を明記しているが、民主党は昨年の衆院選時の政策集で「将来的な道州の導入も検討」「地域の自主的判断を尊重する」との表現にとどめていた。

 原口氏は19日の会談で「ほとんど経済成長を経験したことのない人が社会に出る時代。これまでのしがらみを捨てなければならず、道州制などは大きな課題だ」と指摘。その上で、政府が6月に地域主権改革の基本方針を定める「戦略大綱」についても「この道州制の議論も盛り込んで、来年の法案につなげたい」と経済界の意向も反映させる考えを示した。

 原口氏は会談後、記者団に法案の具体的な内容について「これからの議論だ。(道州制を希望する地域が)手を挙げる方式でやりたい」と述べた。

2010年5月19日 共同


原口さんは黒服を着た世にも恐ろしい「闇の組織」との闘争に敗北したようで、今では「組織」の言いなりになったようです。もしかすると僕たちが原口さんだと思っているのは原口さんではなくて、「闇の組織」の構成員が原口さんに化けているのかもしれません。本物の原口さんは「闇の組織」の地下室で人面犬にされているのです。

しかしそんなことを言い出せば松下政経塾に入った頃から「闇の組織」の一員ではなかったかという気もしますし、「原口さんの顔をした犬」というのも普通の犬類と見分けがつきそうにありません。とにかくその「闇の組織」の犬、じゃなかった原口さんは財界が追求している「道州制」に向けて一歩踏み出すことになりました。

もっとも、「議論を加速させる」といってもそんな「議論」をしているのは「闇の組織」の構成員とか準構成員とか組長とか若頭とかチンピラだけです。原口さんは「やるか、やらないかだ」と言っていますが、別にやらなくても誰も困りません。便所虫は困るのかもしれませんが、便所虫が困っても、やはり誰も困りません。

その便所虫も「道州制」をもって「究極の地域主権の姿」だとか言っているようですが、はっきりいって意味が分かりません。単位を都道府県より大きくすることがどうして「究極」になるのか、単純に納得がいきません。「向こう三軒両隣自治」とか「自宅自治」ぐらいになれば、さすがに「究極」と言っても良いでしょう。「自分自治」になると「地域」の概念に当たらなくなる虞れがあります。もっとも人によっては1人で広大な「地域」を占めるような例もありますが。

てゆーか、問題は「地域自治」ではなくて「地域主権」なのでした。この場合の「主権」の意味がよく分からないのですが、「究極の地域主権」というと「連邦制」のようなものを連想せい、ということになるのではないでしょうか。「究極」の「主権」なんだから「地域」は国家になるしかないでしょう。しかし「道州制」は「連邦制」ではありません。蓮舫さんもそう言っています。

いや、言ってない。便所虫の言うことですからいずれにしても大した意味などないのかもしれませんが、「道州制」が財界にとってはメリットが存在することは理解できますので、もしやる気ならその手の「議論」は不要でしょう。公務員の削減なり資本の広域化なり、いわゆる「無駄」を省くことがが地域住民にとってどのようなメリットがあるのか、何の説明もしないうちに「地域」とやらが住民を無視して勝手に「手を挙げる」のは考えものです。

しかし考える必要もないのかもしれません。地域住民に下手に「説明」なんかしたらゼッタイ出来ねー、というのが極めて明敏な「闇の組織」の見通しであると思われます。上手く説明しても出来なさそうなのですから、さっさと法案を提出してやりたがっている「地域」に手を挙げてもらって、万事はなるべくこっそりとなし崩し的に事を進めるのが唯一可能な方法である、というのが「事業仕分け」の話題の影で行なわれた犬面人と便所虫の合意であったようです。これだと最終的には州として自立出来る経済的基盤を持たない地域が最後まで「手を挙げ」ない可能性がありますが、そこは補助金でコントロールするわけですね。ご立派な「主権」であります。
posted by 珍風 at 20:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

五色の衣と短足な人々

太っている時には可愛かった女の人が一念発起して痩せたりするとかえってアラが目立ってしまうことがあるのは残念なことです。例えば、特に名を挙げることは控えますが、「友近」という名で知られている由紀子さんはDHCのCMに出ていらっしゃいます。

このCMでは最初に脚部を映すのですが、これはなかなかどうして見物であります。先ずは掛け値なしの美脚と申し上げてよろしいでしょう。僕が言うのですから間違いはありません。何が間違いないのかよく分かりませんが、取り敢えずここまではよろしい。問題はその次です。

カメラはどういうつもりか、容赦なく友近さんの全身像を映してしまいます。そしてそれはギャグなのです。多分そうだと思うのですが、あれは芸としての身体です。そんなものがあるとしてですが、体で笑いを取っています。

世の中には「体を張って」いる女性は沢山いると思いますが、体で笑いを取る人はそんなに沢山いません。いや、いるのかもしれませんが、友近さんのやり方は佐々木希の後ろで月をやっている人とは違って、ヒネリというものがあったりします。それは痩身では解決することの出来ないプロポーションの問題であって、しかもパーツを先に提示することによってギャップがより強調できるような、そんな希有な身体なのです。

このような、いわば「特権的肉体」としての友近さんの身体の傍らには、しかし、どう見ても余計であるような1人の中年男子の、「笑いを取る」という点ではむしろ極めて平凡な身体が存在します。それは友近さんの身体によって惹起された笑いの、いわば「持って行き場」として機能してます。女性の身体を笑うことの居心地の悪さを救うために。

この、笑いをコンサバに回収する焦点として、いなくてもいいのにいるのが世界的に有名なドン小西先生その人なのです。

鳩山首相のファッションセンスが批判の的に


東京(CNN) 最近行われた世論調査で、支持率が前月から9ポイントマイナスの24%、不支持率が67%となり、支持率の急落に頭を悩ませている鳩山由紀夫首相(63)だが、こうした中、その独特なファッションセンスまでもが批判の的になっている。

日本のファッション評論家、ドン小西氏はCNNの取材で、この鳩山首相のファッションについて「1980年代風で時代遅れ」と、手厳しく批判した。

小西氏が着目したのは、国民と直接対話する「リアル鳩カフェ」を官邸で開催した際に鳩山首相が着用した赤、黄、緑、紫、青の5色にチェック柄が入ったシャツ。小西氏はこれを「80年代か90年代風の服装だ」と評して、こうしたシャツを着ることから見ても、支持率が示すとおり考え方が時代遅れで古いことが分かるとコメント。大きな危機に見舞われている日本が、こうした首相で乗り切れるのかとの危惧(きぐ)の念ものぞかせた。

小西氏によると、鳩山首相の長い「ファッション犯罪歴」の中で今回の5色シャツは最も新しい「犯罪」だとして、さらに首相が別の機会に見せた服装――多彩色のシャツ、藤色のコート、そして小西氏が「ファッションの過ちの最たるもの」と評したハート柄のシャツにピンクのブレザーといった着こなしも批判している。

約50年間にわたり政権をとってきた自由民主党を破り誕生した民主党政権だが、沖縄基地問題への対応などを原因として国民の評価はここ数カ月で急落している。

首相のシャツに対する批判の声があがっていることについて、東京在住のコンサルタント、キース・ヘンリー氏はCNNに「取るに足らないことに見えるが、実は深刻な状況であることを示すサインだ」と述べている。「こうしたことに注目が集まるのは、メディアや国民が首相の政策実行能力を見限ったからだ。国民はもはや首相の政策に関心を持たなくなっているのだ」

2010年5月17日 CNN


このネタはこの2、3日ヘビーローテーションです。「日本のファッション評論家、ドン小西」ことデザイナーの小西良幸さんは、日本のTVにも出演して鳩山さんの服装の難点をあげつらい、服飾的見地からして鳩山さんが首相に相応しくないことを力説していらっしゃるのです。

ところでこのネタの初出は、14日のasahi.comかと思われます。

5色、ハート柄、酷評 鳩山首相の私服に米欧メディア


 【ニューヨーク=山中季広】鳩山由紀夫首相の私服の趣味を米欧メディアが相次いで批判している。「目を疑う色彩感覚」「時代遅れの1980年代風」と、どれも手厳しい。

 米CNNテレビは13日、東京発で「鳩山首相の服のチョイスに集中砲火」と報じ、市民を官邸に招いた4月の「リアル鳩カフェ」で着た赤、黄、青、緑、紫の5色のシャツや、週末の会合などで時々身につけるハート柄のシャツなどをやり玉にあげた。

 ファッション評論家ドン小西氏に取材し、「80年代か90年代の服装で時代遅れ。一国のリーダーがこんな服装じゃいけない」との論評を紹介。東京在住のコンサルタント、キース・ヘンリー氏はCNNに「首相のシャツはささいな問題に見えて実は重大。今の日本で首相の着た服や、通うレストランばかりがうんぬんされるのは、人々が首相の政策実行力を見限ったから。市民の関心は政策から人物へ移ってしまった」と述べた。

 CNNの記者は、5色シャツ姿の写真が載った「週刊朝日」4月23日号を手に街頭に出て、市民の声を拾った。

 AFP通信も13日、「80年代風の派手すぎるシャツが鳩山首相の支持率を一層下げるかもしれない」と報道。CNNと同じ5色のシャツを取り上げ、やはりドン小西氏にインタビューして「あんなシャツを着ないよう止める人が周囲にいなかったのが不思議」「あのシャツ1枚で民主党は終わった」といったコメントを紹介した。

 首相の私服姿は欧米ではそんなにひどく映るのか。ニューヨークのファッション専門大学で男性用デザインを教えているマークエバン・ブラックマン教官は、朝日新聞の取材に「この5色シャツはたしかにひどい。でも鳩山首相はスラリとした体格なので、着こなしによってはエレガントに見せられる。私なら、明るい色のカシミヤか絹のセーターに渋めのジーンズを勧めたい」と話した。

2010年5月14日 asahi.com


日本でも小西さんは「ファッション評論家」であると思われているようですが、この日はダーティ・時事が内閣支持率を20%割ってみせた日です。朝日の記事はそれに対してあたかも追い討ちをかけるが如きですが、「米欧メディア」が揃いも揃って「ドン小西氏」のコメントを求めていることに、特に不思議は感じていないようです。てゆーか、朝日は日本にいながらどうして「米欧メディア」を通してしか小西さんのコメントを掲載することが出来ないのでしょうか。

まあ、日本では小西さんはあまり真剣に受け取られていないという事情もあるでしょう。あの格好はどう見ても、良く言えばトリックスター的です。もしかすると所謂グローバルなコンテキストにおいては別段の評価もあり得ると考えられないでもありませんが、分ったものではありません。

とはいえ、小西さんに対する評価が低いというわけではないようです。たとえば、小西さんは前「イスライエル親善特使」です。世界に冠たるイスラエル国においては小西さんにおける何事かを高く評価し、彼を「親善特使」に任命したのですから、時と場合によっては小西さんは相当に高く評価されていると言うことが出来るでしょう。

それがどのくらい「高い評価」であるかというと、小西さんの次の「イスラエル親善特使」が押しも推されぬ森田健作千葉県知事その人であることから大体想像がつく、というものですが、まあ、要するにつまりその程度です。おそらくイスラエルという国が時として極めて議論の的になるような行動をするわけですが、そういう場合においてもこの人なら文句を言わないだろう、というような「高い評価」を受けているものと考えられます。

小西さんは、日本では「ヘンなオジサン」かも知れませんが、世界ではそのような評価を得ている大層立派な人物であると考えれば、CNNやAFPが相争って小西さんの元にファッションについてお伺いを立てに馳せ参じるという事情も理解できます。鳩山さんについて「着た服」が「うんぬんされる」のは、例のネクタイを除けば実は今回が初めてなのですが、その仕掛人として小西さんは正に適任であったと言えるでしょう。

鳩山さんは奥さんの買って来たものを黙って着ている可能性があるのですが、そういうことに余計な頭を使わないのかもしれません。実際、鳩山さんの問題は単にスタイリストを雇うことによって無駄な税金を使っていないということだけなのです。だからといってヘンなシャツを着ても良いということにはならないのかもしれませんが、だからシャツがヘンなんだと言うことは全く正当でしょう。

ファッションに無頓着であることは悪いことではありません。もしかすると良いことなのかも知れないのですが、それに対して他人の服装を批判するのは、考えてみれば無条件にカッコ悪いといっても良いでしょう。少なくともあまりみっともいい話しではないようです。小西さんは「セクシーでアヴァンギャルドなスタイルを提案」しているのかもしれませんが、ご自身はどうも見てのとおり、セクシーでもなければアヴァンギャルドでもないのが残念至極です。どちらかというと友近さんの身体の方がセクシーで、しかもアヴァンギャルドなのではないかと、これは真剣にそう思うのですが、あまり褒めることになってはいないようですし、褒める気もありません。
posted by 珍風 at 03:33| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

全国ガバガバ女子高生

ひょうたん島、じゃなかったグアムのドン・カマチョとの会見が阻止されたと思ったら、全国の知事さんを集めるそうです。

普天間問題で緊急知事会、首相要請受け開催へ


 全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)は13日、鳩山首相から普天間飛行場移設問題への協力要請を受け、緊急の知事会開催を決めた。

 27日を軸に調整している。

 麻生会長によると、13日昼に首相官邸で首相と会談。沖縄に集中する米軍基地の負担軽減策について各知事に協力を求めるため、首相から知事会の開催を依頼された。首相自身が出席し、協力を要請するという。

 麻生会長は同日夕、福岡市内で「訓練の分野で沖縄の負担を少しでも減らそうという点については、みんな理解すると思う」と述べた。ただ、「(新たに)どこで訓練をするかという具体的な話は、知事会として結論を出す性格のものではない」と話した。

2010年5月13日 讀賣新聞


どうせだから全都道府県に受入れてもらって、ただし迷惑だから1自治体について滞留は1日、危険なので夜のお楽しみは無しで夜間は次の県に移動、という形が望ましいと思いますが、どうもそういうわけにはいかないようです。てゆーか連中は移動途中で民家を襲って糧食を確保したり猟色を恣にする可能性があります。

おそらくみんな「理解」だけはするはずですが、騒動のタネを引き受けるところはないでしょう。またもや当然の如く空振りに終わるのは目に見えています。てゆーか見えていると思います。

普天間「迷走」も有意義?=首相

 「普天間に全国民が関心を持ってもらうことで、安全保障問題の重要性が浮上してきた。それはそれで意義のある話だ」。鳩山由紀夫首相は13日夜、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関し、記者団にこんな認識を示した。

 普天間をめぐる鳩山内閣の「迷走」が連日報道され、4月には自身の後援会メンバーを前に「メディアが動きすぎ」と不満をぶつけた首相。だが、結果として有権者の関心も高まり、マスコミ報道の「効能」も認めた格好だ。 

 首相は「国民が安全保障を自らの問題、地域の問題として発想してもらえることは大事なことだ」などと語った。

2010年5月13日 時事


鳩山さんという人は「海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった」などというとんでもない皮肉を言いますからダーティ・時事も油断は禁物です。「結果として有権者の関心も高まり、マスコミ報道の「効能」も認めた格好」だなんて暢気なことを言っている場合ではありません。「国民が安全保障を自らの問題、地域の問題として発想してもらえることは大事なこと」なのです。沖縄や徳之島のように。


そこへいくと大阪のお人よしは単純明快であります。

橋下知事「基地移設で優先順位高いのは関西」


 沖縄県の米軍普天間飛行場の機能や訓練の分散移転に向け、鳩山首相が全国知事会に協力を求める意向を示したことを巡り、大阪府の橋下徹知事は13日、「受け入れの優先順位が高いのは、米軍基地のない地域。一番高いのは関西だ。政府から要請があれば、関西で回答を出さないといけない」と述べ、関西での受け入れを検討すべきだとの考えを示した。

 6月の近畿ブロック知事会議でも問題提起するという。

 橋下知事はこれまでも、沖縄の負担を全国で分かち合うべきだとして、負担軽減策を全国知事会の場で協議するよう主張。

 地元・関西空港への一部機能の移転に関しても、「国から提案があれば、議論は拒否しない」などと発言していた。

 この日、府庁で報道各社の取材に応じた橋下知事は「おねだり集団だった知事会が、国と対等な関係になれるかの試金石。(沖縄以外の地域で受け入れるという)回答を出さなきゃ、知事会は解散だ」と話した。

2010年5月13日 讀賣新聞


関空を持て余しているようですが、橋下さんの思想は例によって明快です。すなわち「米軍基地のない地域」には米軍基地がなければなりません。といっても、別に米国の軍事力を背景にして「国と対等な関係」になろうなどという大それた考えがあるわけでもないようです。

単に、日本全国がくまなく米軍基地で埋め尽くされる必要があるようなのです。石原さんなどは「地政学」がどうたらこうたらと分かったようなことを言っていますが、日本全土を米軍基地と化すのであれば「地政学」上の問題は存在しません。あとは広大な「基地」内部の配置の問題です。

もっとも、こと志しと違って高層マンション建築計画まで存在するりんくうタウンがアメリカ兵向け慰安街となるのは、ヘンな意味で面白そうだと思う人もいるかも知れません。各地に没落した計画都市が存在しますが、森田さんも成田空港に米軍を誘致してソープ街である栄町を幕張新都心に移転するなどということを考えつくかもしれません。ちょっと遠いようですが。

いずれにしろ、日本を兵隊さんと娼婦の島にしてしまおうという橋下さんのクール極まる提案には、いつまでたっても「現行案」とやらにこだわっている産經新聞も賛成してくれるかもしれません。それは「現行案」の拡大版なんですから、少なくとも「理解」は示してくれるでしょう。住民やアメリカ軍が賛成してくれるかどうかは分かりませんが。

アメリカ軍としては日本基地の拡大は兵員の爆発的増加を意味しますから、日本の高校生を、成績の悪いビンボー順に男子は米軍入隊、女子はオマンコ拡張訓練を経てりんくうタウンや幕張新都心に配属ということになりますが、若い連中は犬よりも英語が不得意なのですから困ったことになりそうです。

そこでいっそのこと知事会が解散するのも良いことです。橋下さんが1人で解散宣言をすれば大丈夫です。「残党」46人が「本家知事会」を名乗って別のユニットを組んだりするかも知れませんが、橋下さんは解散した「元祖知事会」の管理人をやっていればいいのではないでしょうか。
posted by 珍風 at 09:18| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

ゼッコーチョーに背負い投げ

「谷は11月講道館杯で復帰を」柔道連盟


 全日本柔道連盟の吉村和郎強化委員長は11日、夏の参院選比例代表への立候補を10日に表明した女子48キロ級の谷亮子の復帰時期について「講道館杯に出ないとオリンピックどころじゃない。ランキング制ができたから今まで通りじゃないことを認識してほしい」と話し、11月の講道館杯全日本体重別選手権への出場を要望した。

 谷は昨年10月に第2子を出産。銅メダルの北京五輪以降は実戦から遠ざかっている。吉村委員長は谷が講道館杯を欠場すれば、強化指定のランクを落とすことを明言。「そうなれば(来年初めの)欧州の大会も出られないし、パリ(来年の世界選手権)もなくなる」とし、2年後のロンドン五輪出場が難しくなることを示唆した。

2010年5月11日 共同


まあその「ランキング制」導入の「功労者」が、他ならぬ谷亮子さんなのですから「今まで通りじゃない」ことは解ってると思いますが、何しろスポーツ選手のことですから、何も分かっていないかもしれません。まあ何にしても「精神力」とかがもてはやされる世界の人ですから、あえて無理なことを言い放ったりするのが「根性」があるといって褒められます。あまり人の言うことを真に受けてはいけません。

谷さんとしては自分の役割を「スポーツファン」へのアピールであると考えていると思います。谷さんにして何事かを「認識」しうるとすれば、北京オリンピック出場の経緯、あるいはルックスなどの点からして、ご自身が世間一般からさして好意的に受入れられているわけではないという可能性を理解できると思われるのですが、一部の「スポーツファン」層に限ってはまだまだ人気があるのかも知れません。この特異な集団が谷さんの「票田」です。

したがって柔道を優先して政治を軽視するかの如き発言も「票田」のレベルには合っています。なるほど国政選挙の候補者としてはちょとアレかもしれませんが、一般のスポーツ愛好家の意識は輪をかけてアレアレですから、何の問題もありません。そして谷さんはおそらくロンドンに行かないのですが、それはアレアレ的に言えば「エラくなったから」であるということになるのです。

問題があるのは谷さんをひっぺがされたトヨタ自動車ならびに全日本柔道連盟の方です。もっともトヨタは現在のところ政治どころの騒ぎではないのかも知れませんが、かつては企業ぐるみで自民党を支持し、奥田さんや張さんが自民党と一緒になって社会を破壊したりしていたのは記憶に新しいところです。一方でスポーツ界もドロドロでイロイロと繋がりがあるようですから、オリンピック出場選手は自民党から出ることに決まっていたものでした。

谷さんの出馬は、旧政権の各界への締め付けが緩んでいることをアピールしています。世が世であれば谷さんが民主党から出ることなど許されません。このことによって自民党がアメリカの傀儡として作り上げて来た独裁体制、あまりにも長く続いたのでそれこそが「近代日本国家」そのものであると勘違いしている人さえいるという体制が崩壊しつつあることが示されました。

マスゴミはこのような事態を寿いで、もっぱら谷さんの「ロンドンで金」発言をつつき回しているようですが、議員にならなきゃ金メダルが取れるとでも言うのか、てゆーかこれって実は、選挙に出ない場合でも田村さんが言うはずの、しかも批判もされるはずの発言なんですけどね。スポーツ選手などを擁立することについては他所でもやっていますし、中畑さんなんかは平気で「頭がサエない分、体で勝負」などと言っていますから今年は乱闘国会だ。民主党にも谷さんの背負い投げが必要です。谷さんは「体で勝負」と言ってもエッチな感じが全然しないんですから大丈夫。

そういえば杉村太蔵さんもまたもや出て来るようで、彼はテニスの国体優勝経験のあるスポーツマンですが、頭もサエませんが体もプロ級とは言えないのにガキだけはいます。殺しかけたようですが、本当に殺してしまう人もいますから、それに比べれば立派なものです。しかし谷さんとこにはガキが2人もいるのです。

それにしても谷さんの「地球を覆うほどの愛」とかいう発言が何のことやらさっぱり分かりません。例のウィディングケーキのことでしょうか。どうして誰もツッコまないのか。谷さんにツッコみたくない気持ちは分かりますが、谷佳知さんに亮子さんの「愛」について聞いてみたいような気もします。もっともこれは、ナベツネが喋らせないだろうと予想してのことです。本当はあまり聞きたくありません。
posted by 珍風 at 11:40| Comment(3) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

ポスト・ポストモダン・マンコ

30年来の疑問が氷解したという人もいるでしょう。いないか。

【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 鳩山政権を蝕む「反国家」の思想


 国家といいたくないから市民社会といい、国民ともいいにくいので市民というような感覚の指導者が日本には少なくない。往時の自民党の大幹事長が“私は国民というより市民という表現を好む”といった趣旨のことをテレビで語っていたのを思い起こす。

 鳩山由紀夫氏が首相になるしばらく前まで「地球市民」という言葉を多用していたと友人から聞かされた。“日本は日本人だけが住まうところではない”と書いた鳩山氏の文章を読んで強い違和感を覚えたことは私にもある。

 ≪国家や共同体の価値認めず≫

 首相の言葉遣いがあまりに軽佻(けいちょう)浮薄、閣僚の発言もばらばら、一体、指導者が日本をどこに導いていこうとしているのかがまことに不鮮明だ、というのがマスコミによる現政権批判の常套(じょうとう)句である。

 そうだろうか。永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓制度や人権侵害救済のための法案などがいずれ上程される可能性がある。東アジア共同体の創成といった構想も打ち出されている。これらを眺めるだけでも、民主党の政治家たちが胸中に秘めている思想の在処(ありか)にはある特定のベクトルがあって、彼らがめざす日本の将来像は決して不鮮明なものだとは私には思えない。むしろ思想は鮮明なのではないか。

 国家とか共同体といったものに価値を求めず、国家や共同体に拘束されない自由な「個」を善きものとみなす思想である。主権国家という空間、国民国家が紡いできた歴史、つまりは空間的、歴史的な「境界」概念を希薄化させ、むしろ境界意識を無効化させることが「個」としての「市民」には欠かせないという規範である。

 この規範が「ポストモダニズム(超近代)」なる思想である。思想としては曖昧(あいまい)で多義的に過ぎよう。しかし、むしろ定義が曖昧で多様な意味と感覚を盛り込めるがゆえに社会の「雰囲気」を包容的に示し、しかもこの概念には、問わず語りに社会の向かうべき方向性までが暗示されている。

 ≪現実性欠いた東アジア共同体≫

 特定の領域と領域内に住まう人々のうえに君臨する唯一の合法的な権力が国家であり、武力とナショナリズムをもって自国を防衛するという主権国家の時代が「モダン」である。対照的に「ポストモダン」の時代においては、経済や立法や防衛などについては主権国家の意思決定にかえて国際的な枠組みや条約が強力となり、内政と外政の区別が曖昧化し、かかる状態を求むべき規範とする思想がポストモダニズムである。

 確かにEU(欧州連合)においては単一市場が形成され、単一通貨ユーロと共通通商政策が導入され、これらを保障するEU法が国内法に優先する超国家的統合が実現されつつある。安全保障面からみればEUは「不戦共同体」となったかの感がある。人々はナショナリズムから遠く離れ、「個」としての市民的自由のありようのみが問われるべき関心となっている。

 しかし、日本はEUの一員ではない。日本はナショナリズムと反日を国是とする「モダン」の国々を近在に擁する。ナショナリズムと反日の海の中で、日本がひとりポストナショナリズムの涼しい顔で船を漕いでいるという奇妙な構図が東アジアである。東アジアの地政学的状況は、欧米とは異なる。にもかかわらずポストモダニズムそれ自体が「善きもの」として日本人に受け入れられ、これが欧州はもとより東アジアにおいても妥当性をもつかのごとくに思考されてしまっている。

 東アジア共同体は、共通通貨と恒久的安全保障枠組みの形成をめざすという。可能とは思われない。日中関係、日韓関係は半世紀近くをかけてなお氷解していない。氷解していないどころか、中国は尖閣諸島の領有に並々ならぬ意欲をもち、韓国は竹島の不法支配をますます強固なものとしている。東シナ海の制海権はほどなく中国に握られよう。北朝鮮の核ミサイル保有宣言もそう遠い日のことではあるまい。

 ≪夫婦別姓で家族の解体へ≫

 永住外国人の地方参政権は、地方自治体の反国家的行動の抑止を難しくさせる権利となるかもしれない。選択的夫婦別姓制度は血族・姻族・配偶関係を不透明なものとし、家族という共同体の基礎を毀損(きそん)してしまいかねない。人権侵害救済法は、「反差別」の名のもとに黒々とした情念をたぎらせる反国家集団の排除を困難とし、時に権力の内部に彼らを招き入れてしまう危険な可能性がある。

 現政権の政治家たちが抱く国家像は不鮮明のようでいて、多少とも遠目からこれを眺めれば、ポストモダニズムという危うい思想を現実化するためのいくつかの提言から成り立っていることがわかる。日本の近現代史において稀なる国家解体の思想である。

 現代に生きる日本人の多くが多かれ少なかれ抱えもつ「わが内なるポストモダニズム」を真摯(しんし)にみつめ、国家共同体としての日本に改めて覚醒(かくせい)しなければならないと思うのである。(わたなべ としお)

2010年5月4日 産經新聞


「ポストモダニズム」という「「反国家」の思想」が存在するのだそうです。そうか、「ポストモダニズム」というのは「「反国家」の思想」だったのか。確かにまあ、「国家」とは「大きな物語」ではありますが。

しかしだからといって、これで「ポストモダニズム解った!」と思って他の人に言ったりしない方が身のためでしょう。渡辺さんの「ポストモダニズム」は、通常言われている「ポストモダニズム」とはちょっと違うようです。普通に言うところの「ポストモダニズム」というと、渡辺さんのおっしゃる「国家や共同体に拘束されない自由な「個」」に対する批判から始まっておりまして、決してそういうもんを「善きものとみな」したりしていないんで。だいたい「「境界」概念を希薄化させ、むしろ境界意識を無効化」してしまったら、「個」も「境界」を失ってしまうはずでしょ。

実際に「モダン」の文脈においては近代国家の「主権」と個人の「自由」が繋がっています。このような議論は明治時代の自由民権運動の頃にやっていた話なんで渡辺さんのようなお若い方がご存じないのも無理はないのですが。「武力とナショナリズムをもって自国を防衛する」のが「モダン」だとしたら、個人もまた「防衛」のために憲法を制定する、というのが「モダン」な立憲主義です。

多分「拓大で一番モボだと言われた男」渡辺さんにとっては「ポストモダニズム」は「思想としては曖昧(あいまい)で多義的」なもんだから「多様な意味と感覚を盛り込める」シロモノなんだそうですから、嫌いなものを何でも「ポストモダニズム」と呼んで良い事になっているようです。てゆーか語の意味とはその使用であるとすれば、実際に「ポストモダン」という言葉はほとんど例外なく他人に対する悪口として使用されているわけですから、その限りでは渡辺さんも、さして大きな間違いは犯していない、と言うことも出来るでしょう。言ってあげました。感謝されてしかるべきです。本当は渡辺さんの言ってる事は単に間違いです。

それどころか、「「モダン」の国々」も何をやっているのか分ったものではありません。中国は「一国二制度」とか言って「国家」の「主権意志」は、言ってみれば「シゾイド化」しています。渡辺さんの気に入るかどうか知りませんが民主党も一部で「一国二制度」が言われていますが、中国の方が一足先に「ポストモダニズム」化する可能性があります。そして「ポストモダニズム」化した中国は、仮に日本を勢力下に置いても、天皇制を含めて「国家共同体としての日本」に手を触れる事なく統治しうるのです。もはやローカルな「国家共同体」には意味がなくなるのですから。

まあ、産經新聞としては、特にその「正論」というコラムに関しては、間違っていない事など一言半句も載せてはいけないという内規があるようですので、これはこれで良いんでしょう。世の中には「ワシントン・タイムズ」もあれば「ワシントン・ポスト」もあるんですから、「モダンタイムス」があって「モダンポスト」がないという手はありません。本当にあるんですよこれが。
http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/exstage.jp/g/US-32206/index.shtml

実際には渡辺さんは「ポストモダニズム」どころか「モダン」も把握していないのですが、それはご自身が「モダン」どころか「プレモダニスト」だからなんでしょう。「ポストモダニズム」は「モダン」がエラくて「プレモダン」はバカだとか言って差別するような「境界」を「無効化」してくれるかもしれませんから、渡辺さんもそう悲観しなくて大丈夫です。それどころか世間は、若いお嬢さんを中心に「血族・姻族・配偶関係」とか「共同体」という近代の神話を、雑誌片手に乗り越えて近代以前に回帰するかのようではありませんか。

「パワーもらいたい」お伊勢参りが大ブーム


 三重県伊勢市の伊勢神宮への参拝者が急増している。

 内宮(ないくう)、外宮(げくう)を合わせ、昨年は800万人に迫った。今年も4月までで424万人に上り、統計が残る1896年以降で最多だった1973年の859万人を上回る勢いだ。雑誌やインターネットなどで「パワースポット」として紹介されるようになり、女性や若者の参拝者が増えたとみられる。神宮司庁も「最近の増加ぶりには驚いている」と話している。

 ◆式年遷宮PR効果も◆

 伊勢神宮の参拝者は、20年に1度の式年遷宮(せんぐう)の年とその翌年に急増しており、過去最多の73年も遷宮の年だった。それ以外の年は500万〜600万人台にとどまっていたが、遷宮の6年前の07年に700万人を超えると、08年は750万、昨年は798万人とうなぎ登りだ。その勢いは今年になっても全く衰えない。

 伊勢市や市観光協会などによると、3、4年ほど前から、女性誌などが「パワースポット」を特集するようになって、伊勢神宮でも女性や若いカップルが目立つようになり、観光案内所にも参拝の方法や手順を尋ねる若者が増えているという。

 パワースポットは、「元気をもらえる場所」「癒やされる場所」などとされている。たくさんの巨木がある伊勢神宮は、東京の明治神宮や宮崎県の高千穂神社などと並んで、多くの雑誌やネットのサイトで、「日本有数のパワースポット」として取り上げられている。

 大型連休に訪れた東京都目黒区の松本香子さん(39)は、「ファッション雑誌のパワースポットをテーマにした特集に心が動かされ、パワーをもらおうと思って、約20年ぶりに来ました」と話し、夫と子ども2人と一緒に参拝した。

 神宮司庁は「遷宮に向けて、東京や大阪などの大都市を中心にPRに力を入れており、様々なメディアで取り上げられる機会が増えたからでは」としているが、「それでも、このところの増え方にはびっくりしている」と驚きを隠さない。

 ただ、パワースポットとして取り上げられていることについては、「全国の神社にパワースポットという目が向けられているが、神宮は今も昔も変わらない。古来から続く神宮の姿に触れてもらえれば何よりだ」と話している。

 ◆式年遷宮=20年に1度、伊勢神宮の内宮、外宮の正殿や別宮など、60以上の社殿と神宝などをつくり替え、ご神体をうつす神事・祭事で、約1300年前に始まった。次回の第62回遷宮は2013年10月に、ご神体がうつる「遷御(せんぎょ)」が執り行われる。

2010年5月9日 讀賣新聞


「1896年以降」は、伊勢神宮の参拝は20年ごとの遷宮の時が多いわけです。特に1973年には最大の859万人を数えました。その次の遷宮は1993年で、839万7千人。ところが今年は遷宮の年でもないのに、4月までで既に424万人です。この数字にはゴールデンウィーク期間の参拝数は入っていませんし、これから夏休みやお盆休みという観光シーズンもあるわけですが、それも入っていません。

おそらく「雑誌やインターネット」のお蔭もあるかもしれません。神宮司庁も2013年の遷宮に向けての宣伝を怠っていません。しかしそれにしても今年は多いというのです。もしかすると今年が「おかげ年」に当たることが関係しているのかもしれません。

伊勢神宮への集団参拝である「お蔭参り」は、江戸幕府による天下統一、てゆーかいわば(渡辺さんが言いたがる)「国民」の「統合」の直後から始まります。その顕著な記録は1650年、慶安3年に始まりますが、これは「慶安御触書」の翌年です。その後「お蔭参り」はほぼ60年おきに反復されます。すなわち

1705年(宝永2年)370万人
1771年(明和8年)200万人
1830年(文政13年)427万6500人

文政の頃には60年周期の「おかげ年」が意識されていますが、その後は1867年の「ええじゃないか」が「お蔭参り」の類似現象としてあったものの、明治維新による国家神道化によって次の「おかげ年」1890年には「お蔭参り」は発生していません。

その次の「おかげ年」は1950年であり、アメリカ占領下の神道指令もあってやはり「お蔭参り」の発生を見ていません。その後の1953年から「式年遷宮」が行なわれ、以後伊勢神宮は20年ごとの遷宮を国家神道復活による「国民」統合のイベントとしているのは讀賣新聞の記事が強調しているとおりです。

「おかげ年」は遷宮とは異なる周期で訪れるものであり、国家神道の「PR」とはとりあえず関係がないようです。この辺は2012年の参拝数が有意に落ち込むかどうかに待たなければなりませんが。しかしながら今年は国家神道とその呪縛及びその反動から離れた初めての「おかげ年」であると言うことが出来ます。それに、俗にいう「パワースッポット」云々は、「今も昔も変わらない」とする国家神道の「モダン」な「物語」よりはよほど「古来から続く神宮の姿」に近いのかもしれません。

と、いうような事が画策されているのではないかという可能性があるのですが、わかったものではありません。なんかそういう神道系の陰謀論ってウケませんか。だめですかそうですか。渡辺さんの「ポストモダニズム」よりもよっぽど「ポストモダン」だと思うんでうけど。しかし「パワースポット」って言っても、名張市の近くでしょ。だからどうだというわけではないのですが、逆の「パワー」を感じるので僕は行きたくないです。まあ若いお嬢さんにでも誘われれば行くに決まってますが。そんなこと言ってもダメですか、やっぱり。
posted by 珍風 at 20:26| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

和田さんの頭の中のスパゲティ

またもや和田秀樹さんが話題であります。
http://worstblog.seesaa.net/upload/detail/image/31536089.JPG.html

和田さんといえば「商業主義に流されたわけでもないのに流されているとしか思えないような本を書く」という一種の天然モノですが、今回も何か大変に興味本位な面白い事を喋っているようです。

日本人の精神構造の変化が モノ売れない時代つくった
インタビュー「消費崩壊 若者はなぜモノを買わないのか」第2回/精神科医・和田秀樹氏に聞く


   「周りの人が買わないから、自分も買わない」。こんな人たちが近年の日本には増えていると、精神科医の和田秀樹氏は指摘する。ひたすら周囲に自分を合わせようとする「統合失調症」の傾向を持った人が増加したためだ。
   これは国が豊かになり、「周りと同じようにしていてもそれなりに幸せになれる」と日本人が思うようになったことが原因だ。このような精神構造の人は、消費に向かわせる「仕掛け」をしない限りこれからもモノを買わないだろうと、和田氏は警告する。

他人がユニクロ買えば自分はブランド買わない

――「モノが売れない」と最近よく言われます。日本人がモノを買わなくなったのは、以前と比べて精神構造に何か変化が生じたのでしょうか。

和田 ご質問にお答えする前に、日本人の性格の傾向をお話ししましょう。どの先進国でも共通していますが、原因がはっきりしない精神病である「内因性精神病」は2種類しかありません。ひとつは「シゾフレニア」、つまり統合失調症で、もうひとつは「メランコリー」、すなわちうつ病です。統合失調症になると、他人が気になって誰かに嫌われたり無視されたりするのを恐れ、ひどくなると「みんなが悪口を言う」「私は誰かに狙われている」と妄想するようになります。一方、うつ病は、自分が悪いと強く責めたり、重い病気にかかっていると思い込んだりします。
   私は、精神状態が正常な人でもある程度、統合失調症あるいはうつ病の傾向があると考え、人間の性格傾向はいずれかに分類できると仮説を立てました。そのうえで、前者を「シゾフレ人間」、後者を「メランコ人間」と名づけたのです。私が観察したところ、日本は、1955年より前の世代はメランコ人間が多いのですが、徐々に両方が混じっていき、1965年生まれ以降はシゾフレ人間が多くなってきました。

――シゾフレ人間の増加と、モノが売れないことにどのような因果関係があるのでしょう。

和田 シゾフレ人間は、とにかく周りのことが気になります。主体性がなく、ブームに流されやすい。みんなと同じでいたいので、今日のように周囲の人が買い物を手控えると、自分も同じように買わなくなる、というわけです。ほかの人がユニクロの服を買っている時に、自分だけ高級ブランド店に行こうとは思いません。ブランド品を持って周りから「浮く」ことが耐えられませんからね。
   逆に、周りが買えば自分も買うことになります。60年代後半以降に生まれた「シゾフレ」が20〜30代に成長した90年代は、音楽で売り上げ100万枚以上の「ミリオンセラー」が続出しました。ヒット曲がさらに売れる「メガヒット」が顕著になります。それ以前は、100万枚を売り上げるのは珍しいことでしたし、山口百恵ですらミリオンセラーはありませんでした。

――ただ、90年代と今とを比べると、今の方がモノは売れていないのではないでしょうか。90年代も若者のシゾフレ化が進んでいたと思いますが、どう違うのでしょう。

和田 繰り返しになりますが、シゾフレの特徴は「周りにあわせる」です。いわゆるバブル景気の頃は、周りがモノを買うから自分も買い、高価なブランド品にも無理して手を出していたのです。
   今日では、40代半ばより若い世代は「シゾフレ多数派」で、日本社会全体でもマジョリティーになりつつあります。日本に限らず海外でも、国が豊かになればシゾフレ化は進みます。周りと同じようにしていれば食べていけるのですから、わざわざ「他人と違うことをしよう」と思わなくなるからです。一方、昔の日本に「メランコ人間」が多かったのは、国自体が貧しくて競争に勝たないと食べていけないような社会だったからだと考えられます。

「消費が美徳」と教育できるかがカギ

――では、メランコ人間に消費をけん引してもらうことは可能でしょうか。

和田 メランコ人間は、生真面目で頑張りすぎるほど働く一方、自分の価値観にこだわって他人と一緒を嫌がります。周りを気にせず、ブームにも影響されにくいのです。
   おっしゃるように本来であれば、たとえ周囲がモノを買わなくても自分が欲しいと思えばお金を使うメランコ人間の購買行動には期待できるでしょう。多くのシゾフレ人間がモノを買わない方向に傾いている今日でも、メランコ人間の性格であれば惑わされないはずです。ところが、メランコ人間は現実的・理論的でもあるため、今日の不況や年金問題など社会保障への不安から、今後の人生設計を考えて出費を抑え貯蓄に走っていると思われます。

――そうなると、やはり今後増えていくシゾフレの人たちを消費に向かわせることが重要だと思いますが、方策はありますか。

和田 「個人消費を増やす」ための施策として、私の提案は2つです。ひとつは、「お金を使った方が得」と思わせるような税制に変えること。例えば、サラリーマンの所得税率を引き上げる代わりに「必要経費」を認めてはどうでしょうか。所得税率が2倍になるけれど、食費や家賃など生活費にかかわる支払いも、きちんとした領収書さえ出せば経費として所得から差し引きます。お金を残しておけば高い税率がかかってしまいますから、「使ったほうがマシ」という心理がはたらくのではないでしょうか。これは、多額の財産を子どもに残そうとする傾向にある日本の「お金持ち」も、消費に向かうきっかけになるのではと思います。

――もうひとつは何ですか。

和田 教育です。昔は貯蓄や生産が美徳でしたが、「消費が美徳」という教育に切り替えるのです。シゾフレ人間は、周りがお金を使い出せば自分も同じ行動をとりますから、「みんながお金を使わないと国はどんどん寂れていく」と教育し、理解させる。

――しかし、昔から日本は節約や「清貧」をよしとしてきましたから、その考え方を180度転換するのは大変ではないですか。

和田 確かに、難しい。バブルのときですら「消費が美徳」ということはありませんでしたからね(笑)。
   しかし、日本の製品の質や生産技術が向上してきたのは、モノを買う消費者の要求水準が高かったからです。単に生産性を伸ばせ、技術を磨けと言ったところで、「客がいないモノは伸びない」のです。国がどこまで本腰を入れて、消費の重要性を教育できるかによるでしょう。
   シゾフレ化した社会を多少メランコに戻す教育も考えられます。そのひとつは、「みんな一緒がよい」というのを改め「競争も大事」と教育することです。昨年、ハイブリッド車がヒット商品となりましたね。不況の世の中でも、「環境に優しい」というように、買うことに意義があると認めれば購入するのがメランコの人たちです。「感情の老化を防ぐために遊んだり買い物をすれば、医療費は減り病気になりにくい」などと理屈に合った動機づけがあれば、メランコ人間は回りに流されることなく消費するでしょう。
   日本を含む先進国は、将来的に人口の減少が予想されますから、このままいけば消費が増える見込みはありません。一方生産性は高まっていますから、このままでは生産と消費のギャップは広がるばかりです。これまでのように生産性アップの取り組みではなく、消費を増やす施策が必要です。

2010年5月2日 J-CASTニュース


これがもう絶不評なんですが、和田さんはブログにおいて、自らに対する批判を(またもや)2つに分けておられます。
http://ameblo.jp/wadahideki/entry-10524353859.html

1.若者がお金を使わなかったのは、使えないくらい貧しいためであり、それをまったくわかっていないで、いい加減なことを書くな

2.ものを買わない人間を精神病扱いするな


で、「1」の点については

1に関しては、確かに、このインタビューがいきなり、「以前と比べて精神構造の変化があったのか?」という質問だったので、今の若者の貧困の問題という当たり前の問題に触れることができなかった。


としています。インタビュアが悪いと言いたいようです。もっとも和田さんは一応精神科の看板を出しているのですから、専門外の「金欠病」について尋ねてもらえると思うのは間違いです。そういう事について言いたかったら、相手を遮ってでも無理に言わないと喋らせてもらえません。喋っても載せてもらえるかどうか分かりませんが。

「当たり前の問題」をさしおいて「以前と比べて精神構造の変化があったのか?」などと言い出す相手が何を望んでいるのかを知る必要がありますし、「なんで俺のとこに取材に来るのか?」と考えてみる必要もあります。そうすれば「当たり前の問題に触れる」ことが極めて困難であることが分かるはずです。いや、インタビュアは全力でそれを阻止にかかるかもしれません。「真のアサーティブネスとは」とか暢気な事を言っている場合ではなかったのです。

まあ、やはり宣伝ということは大事ですから、筋の悪いインタビューでも喜んで受けなければならないのも仕方ありませんが、下手な言い訳はカッコウのエサとなりがちなので注意しましょう。

「2」の方に関する言い訳も、さらに残念な事になっているようです。

2に関してだが、これはインタビューの記事を読んでもらえばわかるように、正常な人間にも統合失調症よりの側面もあるし、うつ病的な側面があると明記しているように、ものを買わないわかものを精神病扱いした覚えはない。


まあ、恐らく本当に「覚えはない」んでしょう。ところが和田さんはその後に直ぐ続けて

統合失調症型と呼ばれることで、それだけ腹が立つということは、統合失調症というのはそれだけ忌み嫌われていることを意味する。


などと書いていますから、買い物をしない人が和田さんによって「統合失調症と呼ばれ」ていたことは確実なんですが、和田さんは精神分裂病を統合失調症に言い換えた事に関する文句を書き、これが仮に「うつ病型」だったらそんなに怒んないんだろうと来ます。要するに「2」の批判をする人は精神障害者を差別している、という反論の仕方です。

これだと和田さんは「ものを買わないわかものを精神病扱い」していることになるんですが、自分ではその「覚え」がないのです。和田さんは何が何だかわからなくなっているようです。お若いのにお気の毒な事です。しかしこれは、和田さんがやっている性格類型論そのものに問題があるようです。

「内因性精神病」を基にした性格類型はクレッチマーあたりに始まると思われます。例のこれですね。
http://worstblog.seesaa.net/article/15981828.html

当時は「精神分裂病」と「躁鬱病」と「癲癇」が「内因性精神病」だったわけですが、「内因性精神病」というのは要するに「原因不明」ということです。原因が不明でもいいのですが、ここで「病気」は「何処」に存在するか、という疑問が生じる事があります。病気には心臓の病気や胃の病気があるのですから、「精神病
」だって「どっか」の病気でなければなりません。そしてどうも、「内因性精神病」の「座」は「人格」そのものに置かれたようなのです。

このことによって精神病でもって性格を分類する事が可能となりました。クレッチマーはこれを「体質」にまで拡大しますが、「精神病」は「存在」そのものを浸す病となったのです。病理法による性格類型論によって「精神状態が正常な人でもある程度、統合失調症あるいはうつ病の傾向がある」と言うことは、なるほど確かにある「性格」を「精神病扱い」していないのかもしれませんが、精神病のある症状を「性格扱い」するのです。これを要約すると、「性格とは症候である」ということになります。

和田さんとしてはこのようにして「正常」と「異常」の境界を曖昧にしようとしたのかもしれませんが、実際に医療に携わらない人が言いそうな事です。そんな事をしても精神障害者に対する差別はなくならないでしょう。逆に、和田さんがやって見せているように特定の「性格類型」に対する差別が先鋭化するかもしれません。

ところで、「性格」についてのこのような議論が成り立つのは「内因性精神病」が「内因性」である限りにおいてです。事実、「癲癇」についてはその原因が特定されることによって「内因性精神病」からは外されました。和田さんの類型論にも使われていません。そして現在では「統合失調症」や「うつ病」も、その物質的な「座」が明らかになりつつあるようです。もはやそれらは「存在の病」ではなくなりつつあるのであって、「内因性精神病」という概念自体がそのうちなくなってしまう事になるでしょう。

どうせ和田さんの書くヨタ本ですからどうでもいいんですが、考えてみればJ-CASTはそんなものにも微かに「使い道」がある、ということを見いだしたのかもしれません。それはアヤシゲな前提に基づいたいい加減な議論であり、そこから混乱した提言をデタラメに引き出して来ます。和田さんの脳の器質的障害の正体は不明ですが、「「みんな一緒がよい」というのを改め「競争も大事」と教育する」などと言い出します。ところが「競争」とは「みんな一緒」の土俵にのぼる事なんですからワケが分かりません。「内因性」であるはずの「性格」が「教育」でどうにかなると考える根拠も不明なんですが。

まあしかし、「性格」なんてものはどうでもいい事です。和田さんも「メランコ人間」に消費を促すとか言ってますが、それは「環境」とか「健康」などのヨタ本業界のキーワードに「流される」ようにするものであって、「シゾフレ人間」向けの施策となってしまっていますが、別に気にしないようです。分類も区別もあったものではありません。

「性格」とは、要するに脳の弱点でしょう。ある人はお腹が弱かったり別の人は呼吸器だし僕なんかアッチの方だしそうでない人は顔が不得意であるように、みんな脳の具合が幾分かヘンだ、というだけの話です。脳にヘンなところのない人もいるかもしれませんが、それも数々の「ヘン」の中のひとつとしか認められていないようです。そして多分、脳の具合があまり悪いようだと「病気」になったり、「日本は、1955年より前の世代はメランコ人間が多いのですが、徐々に両方が混じっていき、1965年生まれ以降はシゾフレ人間が多くなってきました」と「妄想するようになります」。
posted by 珍風 at 12:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

海行かば大君の辺にこそ死なめ帰って寝るわ

「最低でも県外」どこへ、沖縄県民に失望と怒り


 沖縄の思いは、結局踏みにじられた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、就任後初めて沖縄を訪れた鳩山首相は4日、「県内に一部を移設せざるを得ない」と認め、おわびの言葉を口にした。

 昨夏、この地で「最低でも県外に」と力強く語ってから約10か月。国外、県外への移設に期待を持たせた揚げ句、たどりついたのはやはり県内だった。おわびを繰り返す首相に、県民には激しい怒りと深い失望感が広がった。

 午前11時過ぎ。首相は県庁6階の知事応接室で、仲井真弘多知事と対面した。黄色のかりゆしウエアを着た首相に、「よくお似合いですよ」とほほ笑みかける知事。首相は愛想笑いを浮かべたが、目はどこかうつろだった。知事のあいさつが終わり、立ち上がった首相は「県民のみなさんに、おわびしなければならないという思いで来ました」と断り、県内移設への理解を求め始めた。

 会談の内容はテレビで速報され、あっという間に県内に広がった。「公約違反が明らかになりましたあ」。県庁前で開かれていた市民集会の司会者がハンドマイクで絶叫すると、約300人の参加者は降り出した雨のなか、首相が出て来るのを待った。だが、公用車は正面玄関を避け、裏口へ。「逃げた」と怒声が飛んだ。

 「あなたは『最低でも県外』と言った。政治家の言葉は重いんですよ」。普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校で開かれた住民との対話集会では、住民と向き合う形で席に着き、辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせられ続けた。発言者を見ながら、じっとメモをとる首相。集会が終わった後、会場にいた宜野湾市の会社員国政美恵さん(55)が県外移設を求めるメモを手渡そうとして首相に近づき、警察官が止めに入るなど一時、騒然とした。

2010年5月5日 讀賣新聞


この怪しい動きについて、讀賣新聞もさすがに無視は出来なかったようですが、あまり書きたくないようです。オマワリさんに止められて終わったように読めるように書いてあります。実際に起こった事とはまるで異なる印象を与えようとしているわけですが、まさに讀賣新聞の面目躍如たるものがあります。

ところがこれを書いた記者さんのつもりでは、恐らく書きたかったのは「騒然とした」というところでしょう。記者さんは「火に油」の注がれ具合に注目し、火加減を見計ろうとしています。メモがどうなろうと握手しようとそんな事には興味がありません。そこで「激しい怒りと深い失望感が広がった」り、「怒声が飛んだ」り、「辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせられ続けた」り、「騒然とした」りすることになります。

讀賣新聞の深い慮りによれば、このような「騒然」たる事態は鳩山さんの失策によって惹起されたものであります。なんだかとにかく人が怒ってるんだから何かマズい事をしたような気がするわけですが、だからといって何がどうだから「失策」であるのかは分からないままです。

そこでどういうわけだか毎日新聞が社説で解説してくれる事になりました。

 鳩山首相は、先月21日の党首討論で、移設先の検討にあたって、移設先地元よりも米政府との協議を優先させる意向を明らかにした。日米合意の現行案を修正したQIP方式による「辺野古回帰」案が浮上したのはその前後である。

 現行案にこだわる米側の意向に配慮して「辺野古の海」への基地建設に回帰し、米政府と一緒になって基地の県内たらい回しを押しつける−−首相発言は沖縄県民にそう映っているに違いない。

2010年5月5日 毎日新聞社説:首相の沖縄訪問 今さら「県内移設」では


これではまるでアメリカが悪いように読めますが、注意が必要です。毎日新聞がそんなことを言っているのではありません。毎日japはそんな悪いことは言わないのです。毎日新聞が問題にしているのは、鳩山さんの一連の行動によって、アメリカが基地を押し付けているように「沖縄県民に映っている」ことなのです。

どうも鳩山さんは「白旗宣言」をしたり謝ったりしているうちに、改めて背後にアメリカが存在する事を気づかせてしまったようなのです。毎日新聞が「マズい」と思っているのはそこんとこなのです。おそらく議論の余地のある「抑止力」という言葉について、毎日新聞は明確な概念を持っています。

「日本の安全保障」における「抑止力」としての米軍という考え方は、米軍をあたかも日本のために存在するかのように位置付けることによって逆にアメリカの存在を隠蔽しようとするのですが、本当はどっちがどっちの「抑止力」なのかよくわかりません。毎日新聞の「抑止力」概念は、同様の役割を鳩山さんに求めているようです。それは日本の政府はアメリカの盾にならなければならないということなのです。

そこで例えば讀賣新聞の記者さんは、鳩山さんがいかに立派な盾となり、いろいろ飛んで来たり浴びせられたりしているかというところを書いて、誠に天晴な盾ぶりを褒め、その武勇を讃えているのです。主君の馬前で死することこそ武士の本懐であります。まあ俺が死んだ後は殿様うまくやってよ、ヨロシク、というようないい加減な話ですが。
posted by 珍風 at 11:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

マグマ大使に燃料補給

沖縄怒り、鳩山氏「うそつき」普天間移設


 鳩山由紀夫首相(63)が4日、就任後初めて訪れた沖縄県で、米軍普天間飛行場の県内移設を初めて明言した。飛行場周辺住民との対話集会で「納得してもらえないと理解している」と謝罪したが、「うそつき」と突き上げられ、高校生にも「具体的な話がない」と切り捨てられた。地元に理解を求めるどころか、火に油を注ぐ結果に。鳩山首相は今後も沖縄おわび行脚を続ける意向だが、「最低でも県外」とした“公約違反”がはっきりし、責任を問う声が強まりそうだ。

 鳩山首相は仲井真弘多知事と会談し県内移設を要請した後、普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校を訪れた。周辺住民と意見交換したいと、自ら望んだ対話集会。約1時間、15人との質疑だったが、首相への怒りがほとんどだった。

 「あなたは最低でも県外と言った。政治家の言葉には重みがある。一部でも県内なら県民は納得しない」「県民の怒りはマグマのように噴き出す」と無責任さをなじられた。「政治主導でなく官僚のいいなり」「県内移設はご自身が成し遂げた政権交代の意義を、すべて否定するもの」と、政権の売りも否定された。

 鳩山首相はメモを取り、意見を聞いた。6年生を担当する教師に児童が書いた手紙を渡されると、神妙な表情になった。反対派のイメージカラー黄色と同色のかりゆしシャツだったが、気持ちは通じ合わなかった。「理解は得られないと思うが、お願いせざるを得ない」と、繰り返した。

 終盤は首相の言葉が住民の声にかき消された。「県外で行動したいと思っているが、すべて県外に移設するのは現実には極めて困難。本当につらい。みなさんもつらいと思うが…」と話すと「うそつき」「東京に持っていけ」の声で中断された。「声が小さい」と、怒鳴られることもあった。

 だが、その一方で「最終的な政府の決定はされていない」と、あいまいな言葉もあり、女子高生の喜屋武誉(きゃん・ほまれ)さん(16)に「首相の姿勢に具体的なものは何もない」と突き放された。終了後、国政(くにまさ)美恵さん(55)が首相に歩み寄り、SPに阻止される場面もあったが、メモ用紙に「県内移設は認めない」という趣旨の手紙を書き渡し「信じていいか」と聞くと、首相はなぜかうなずいたという。

 県外移設からの180度転換。7日には、一部移設を目指す鹿児島県徳之島の3町長と会談するが、こちらも拒否の見通し。1人迷走する鳩山首相だが、「5月末までの決着を目指す考えに変わりない」と明言した。意地か、開き直りか。窮地に陥ってもまた1つ、自分でハードルを上げた。【中山知子】

2010年5月5日 日刊スポーツ


「うそつき」って、緒川たまきさんに言ってもらいたいもんです。緒川たまきさんといえばウクレレで、ウクレレといえば高木ブーかと思うかもしれませんが、今日のところはパイティティの洞口依子さんです。ロトチェンコのポスターを猫にかぶせたりしている洞口さんですが、ちなみにこのポスターは「ラン・ドッグ・ラン」という北欧の誰も知らないバンドにも使われておりましたので、知らない人も多いでしょう。
rodchenko.jpg

それにしても
普天間問題はどうなってるというのだ。
沖縄の友人のつぶやきに
これは沖縄だけの問題ではなく
あきらかに日本全国民が考えなきゃ
ならないような問題だと思うのだけど。
沖縄の海に潜ったことあんのかなあ。
基地の街に住んだことあんのかなあ。
って思っちゃうよ。

2010年5月1日 のら猫の独り言『のら猫小路日記』


大抵の人は沖縄の海にもグッタリ、基地の街も済んだ事にしているので「抑止力」という言葉に何らかの意味があるかのように思っているようですが、それはそうと、それでどうなっているかというと、ああなっているわけですが、鳩山さんは取りあえず怒鳴られにいきました。女子高生に突き放されたり、多難な人生を歩んでいるところです。

もっとも、女子高生に嫌われる事にかけては僕の方が数段上を行きますので僕の人生も多難のようですが、少なくとも女難はないようなので何の自慢にもなりません。ところで、中山知子さんは鳩山さんの行動を「火に油を注ぐ」と言います。実際、「県民の怒りはマグマのように噴き出す」んだそうですから、油の方はちゃんと注がれたようです。

「火に油」は矛盾した行動ですが、鳩山さんはより自覚的に矛盾を推し進めようとしてるようです。いきなり黄色いかりゆしに着替えて来たりするのです。これは極めて不可解な行動であって、鳩山さんが「窮地」に陥っているのか他人を「窮地」に追い込もうとしているのかのどちらかです。

更に興味深いことに、会社員国政美恵さん55歳が「メモ用紙に「県内移設は認めない」という趣旨の手紙を書き渡し「信じていいか」と聞くと、首相はなぜかうなずいた」というのですから事態は微妙です。別の報道によると

退席間際の首相に、制止をふり切って駆け寄った同市真栄原の国政美恵さんは、ノートを破り取って急ごしらえした手紙を手渡した。「県外を貫いて」。そう声を掛けると、首相は「はい」と答え握手した。その言葉を信じたいと願う。

2010年5月5日 沖縄タイムス


何か囁きあったり握手までしたそうです。女子高生はダメでも熟女にはイケてる鳩山さんです。ちなみに国政さんは乱入する変なオバサンではなくて「心に届け女たちの声ネットワーク」の共同代表の1人ですから大丈夫の人です。変なオバサンは紙にウンコをなすり付けて持って来るかもしれませんが、国政さんはそういうことをしないのです。てゆーか、危険はないということを鳩山さんが知っていた可能性があります。相手が誰だか分かっていたのかもしれません。

そういうわけで火には油が注がれました。あとはこれが「マグマのように噴き出す」かどうかというところですが、もしもそんな事になったらそれは鳩山さんの責任なのです。ならなかったらもっと責任問題ですが。次は徳之島に給油活動に行くそうです。インド洋には行きません。
posted by 珍風 at 11:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

そう簡単じゃない、てゆーかムリだし

『公判前手続きが課題』 最高裁長官 指摘


 最高裁の竹崎博允(ひろのぶ)長官は、三日の憲法記念日を前に記者会見し、まもなく施行一年を迎える裁判員制度について「どの事件でも裁判員が誠実、積極的に職責を果たし、良いスタートが切れた」と評価し、裁判員を務めた人々らに感謝を述べた。

 一方、公判前整理手続きの遅れを課題として指摘。「被告の拘置期間が長くなり、(公判までの時間の経過が)証人の証言などの証拠価値を低下させる。的を絞った審理計画を立て、早く審理に入ることが課題」とした。

 DNA型の再鑑定で再審無罪となった足利事件に絡んでは、四月から、刑事裁判官三人とDNA型鑑定の専門家による共同研究に着手したことを明らかにし「科学的知見の重要性をあらためて認識した。再び誤りが起きないよう取り組む必要がある」と強調した。

 また、兵庫県明石市の花火大会事故や尼崎JR脱線事故での強制起訴につながった検察審査会の権限強化については「検察官の起訴独占主義を見直した制度だが、有罪と認定する裁判所の判断とは全く無関係。『検審(の起訴)だからこの程度でも有罪』という問題ではない」と述べ、裁判所の判断基準は従来と変わらないとの考えを強調した。

2010年5月3日 東京新聞


裁判は実はちっとも早くなっていないようです。もちろん早ければ良いというわけではありませんが。現状の制度では「公判前整理手続」という形式で、裁判の主なところは非公開でやってしまう事になっており、それ自体問題なんでしょうが、やはり非公開とはいえ裁判は裁判ですからそれなりに時間をかけて慎重にやるべきでしょう。多少時間がかかるのは仕方ありません。そこのところまで早くやれ、ということでは、日本の裁判は非公開の上拙速、という最低の状態になるわけです。

竹崎さんによれば昨年5月以来、3月末までに

裁判員対象事件での起訴   1662人
うち判決が出たもの      444人
裁判員となった数     約2600人
選任手続きに参加した人の数 1万6千人超

ということですが、まあそんなもんでしょう。ところで、公判までの数ヶ月の時間の経過が、「証人の証言などの証拠価値を低下させる」というのであれば、時効が廃止されて50年くらい時間が経過した場合の「「証人の証言などの証拠価値」はどうなっちゃうのか、そこらへんの意見も聞いてみたいもんです。

ともあれ、いわば制度外でなんとか裁判制度の内実を維持しようという法曹三者の努力によって裁判員制度は「大きな混乱もなく運営でき」ているようです。少なくとも裁判員制度実施以前の程度にはやろうとしているようですから、竹崎さんは「遅い」とか言わないで、みんなの努力を少しは認めてあげるべきでしょう。

もちろん公衆向けの会見ですから、「国民の積極的な姿勢」が存在するかのように語るのは大切な事ですし、それが存在しなければしない程重大さを増すので、その辺の事は各地の裁判官や検察官、弁護士に至るまで事情は理解している事と思います。実際には呼び出された人のうち出頭した人は83%ですが、いかなければ過料10万円也ですからわかったものではありません。一般的には「積極的な姿勢」というのは「金を払ってでも」という態度のことを言うようです。この過料というのをなくしてみないと「姿勢」は不明です。

ただし竹崎さんも、制度全体に対する評価ということになると判決まで至った件数がおよそ4分の1と少なすぎるし、判決が確定したものとなるともっと少なくなりますから、「安定した評価」はできない、と正直に語っているのであって、「良いスタートが切れた」というのは些か端折り過ぎた報道のようです。

それどころか会見が進むにつれて裁判員制度の困難さが浮かび上がって来ます。足利事件に話題が及ぶと

刑事裁判というのは過去のある事実が残した痕跡から事実を再現、再認識する作業。本来科学的な作業だが、その科学的な意味というのが最近ますます純粋科学というか、自然科学的に非常に大きなウエートをしめるようになった。今回の事件はまさにその典型だ。最新の科学的な知識によって誤りが証明された。改めて刑事裁判における科学的な知識にきちんと取り組んでいく仕組みを検討しないといけないと思っている。個人的なことを言うと、刑事裁判に携わってきた者として、かなり前から科学的知識の重要性を意識に置いていたつもり。特に最近の科学技術の発達は非常に急速であって、よほど意識して取り込むようにしないと、刑事裁判が最新の科学知識から取り残されるおそれがある。

2010年5月3日 asahi.com


刑事裁判はにわかにその本来の「難しい」相貌を取り戻します。竹崎さんは若干自然科学にばかり関心が向きがちですが、それは事の一部に過ぎません。しかしそれでも、てゆーかだからこそ、ついて行くのが大変である事がわかります。職業的な裁判官にしてそのような状態であれば、裁判員にはちょっと無理でしょう。

さらに話が大阪母子殺害事件に及ぶと、更に別の方面からも困難な課題が指摘されます。

「合理的な疑い」を的確に表現するのは、一般論として極めて困難。具体的な事件の中でこういう可能性がある、こういう恐れがある、蓋然(がいぜん)性がある、具体的な事件において他の現実的な可能性の問題という評価でなければ、一般的抽象的にこういう場合が合理的な可能性だとは言いにくい。それをいくら探してもおそらく答えは出てこない。一つ一つの事件における現実にありうる別の現象、ある痕跡から推認されるものが唯一これであるか、それともほかに可能性があるかという具体的な状況の中でないと、その程度を言い表すことはできないと思う。

2010年5月3日 asahi.com


これは考えようによってはより「難しい」話です。実のところ職業裁判官の有利な点は、判例の知識や実際の裁判に従事することによって、ある場合における「他の現実的な可能性」のストックを保持している点にあります。これは裁判員には決定的に欠けている点でしょう。自然科学的な事は、まあそっち専門の人であれば何とかなりますが、こっちの「専門」は裁判官に他なりません。

「やっぱり多角的にものを見る。自分の意見だけじゃなくて、人の意見をどう理解していくか」なんて言っていますが、素人の集まりではそもそも「意見」が出てこない、「ありうる別の事象」が思いつかないんですからどうしようもありません。

実際に話題になった事件に即した質問に答えることによって、竹崎さんは裁判員制度の困難について多くを語り、遂には「そう簡単でないということだけ分かって頂ければ」と降参してしまいました。「そう簡単でない」って、あんたね。

世間ではふぐを調理して他人に食わせるには免許が必要ですし、自動車の運転にも免許が必要です。人を殺してしまう虞れのある行為に従事する事は、普通は制限されているものなのです。裁判員だけが免許もなく白昼堂々衆人環視の中で人を殺して良いことになっているのは愉快な例外としてその趣味の人には受入れられるかもしれませんが、刑事裁判が自動車の捜査や魚類の解体に比べて「そう簡単」であるという保証はないようです。

もしかすると竹崎さんはその辺りを極めて気軽に考えているのかもしれません。それが可能であるかどうかはともかくとして「多角的に見ることで誤差率を減らしていくのがこの制度」なんだそうです。裁判には「誤差率」が、つまり誤審ですが、それが存在すること、それもかなり無理な制度を導入してでも減らさなければならない程度に存在することを竹崎さんはしれっと認めています。そのくらい常識だろうと言わんばかりですが、はい、常識です。すいませんでしたっ!
posted by 珍風 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

オイコラ可視化

取り調べ可視化、部分的導入も=千葉法相


 千葉景子法相は2日のNHKの番組で、取り調べの録音・録画(可視化)について、「範囲を決めて行うことも一つの考え方だ」と指摘し、全事件を対象とせず殺人などの重大事件に限定して導入することもあり得るとの考えを示した。

 可視化の実施時期については、「検討を精力的に進めて、できるだけ前倒しで実現したい」と述べた。

2010年5月2日 時事


なぜ「殺人などの重大事件に限定」するなどという案が出て来るのかよく分かりませんが、たしかに殺人の冤罪ともなるとマスゴミも報道せざるを得なかったりしますが、痴漢やなんかの軽微な犯罪であれば世間の目は誤魔化せるかもしれません。

もちろん、痴漢などが「軽微」な罪であるかどうかは議論の分かれるところかもしれません。被害者にとっては必ずしも「軽微」とは感じられないかもしれません。しかしながら法相が「重大事件」意外での冤罪について、これを「軽微」なものであると考えていることは確かです。そのように考えることの出来る根拠のひとつは、やはり当該犯罪そのものの「軽微」さにあると思われます。

もうひとつの理由は職務質問に関するものです。警察庁では「軽微な」犯罪から「社会の秩序を乱す行為」というちょっとした逸脱行為にまで業務範囲を広げようとしています。これは要するにしばしば行なわれている違法な職務質問に正当性を与えようとするするものです。職務質問は行政警察行為として司法警察行為たる捜査と区別され、その意味で「取り調べ」ではないとかゆーのかもしれませんが、職務質問の結果犯罪が発覚した場合、職務質問によって得た証拠は使用できますから、「取り調べ」と同等の価値を持つことになるでしょう。

職務質問によって刑法犯が発覚したとされる例は年に15万件程あることになっており、警察ではその効果を評価しているところですが、「取り調べ」を可視化することになれば、当然職務質問も可視化される必要があります。

実際には民間有志によって職務質問の可視化が実施されている例があることは皆さんご存知であると思われますが、警察ではこれに強い抵抗を見せているようです。職務質問は警察にとって大きな武器でもあり、一方では弱みでもあるわけです。

職務質問が違法なものであった場合、そこで得られた証拠は能力を失います。そして「軽微な」犯罪においては職務質問で得られた証拠がほとんど全てであったりするのですが、その証拠能力が喪失することによって無罪となってしまう虞れもあり、実際にそうなった事例も存在するのです。「軽微な」犯罪においては職務質問が果たす役割は大きなものであり、そこで違法行為があったことが立証されることは致命的なのです。

一方殺人などの重大犯罪においては、たとえその発覚のきっかけとなった職務質問が違法なものであったとしても、証拠は他にも存在するでしょう。職務質問の違法性は大勢に影響しないのです。しかしそれよりも、職務質問において疑われた「何らかの犯罪」は「軽微な」犯罪であったと主張することによって、全ての違法な職務質問が闇から闇に葬られることになるでしょう。

「範囲を決める」ことによって取調べの可視化は骨抜きにされます。これを放送したNHKでは、この番組について記事化する際にこの発言をカットし、「できるだけ前倒しでやっていきたい」という点を強調しています。とはいっても導入時期を確言したわけではありませんので、NHKの報道は何の役にも立ちません。

取調べの可視化については、民主党のマニフェストに明記してあるわけですが、事態はマニフェストにうたうこととは全く逆に進行しています。それは「冤罪を防止する」ことが目的だったはずです。

49.取り調べの可視化で冤罪を防止する

【政策目的】
○自白の任意性をめぐる裁判の長期化を防止する。
○自白強要による冤罪を防止する。
【具体策】
○ビデオ録画等により取り調べ過程を可視化する。
【所要額】
90億円程度


実際には「冤罪を防止する」どころか、取調べの可視化もせず、証拠の管理のあり方も見直さずに時効撤廃に走りました。DNAがどうしたとか言っていますが、容疑者の身柄さえ確保すれば容疑者のDNAが遺留品から発見されるようにするのは簡単なことなのです。現状では冤罪はより発生しやすくなっていますが、これが近く行なわれる参院選と無関係であるとは考えられません。

但木さんは二言目には「被害者が」とか言うわけですが、そのような言説の方が有権者にはウケるものと考えられています。被害者や遺族はTVでよく見かける顔なのであって、お涙頂戴ネタの一種ですが、その中でより「生」に近いもののひとつなのです。これは被害者をバカにしてるわけじゃなくて、そのようなあり方において有効であるということなんですが、これが現在の環境なのであり、有権者の大多数の意識はこの環境にある程度決定されているはずです。与党としてはこのような有権者にはそれなりの対応が必要とされることは言うまでもないでしょう。

じゃあ「善良な市民の感覚」の方はどうなるんだ、という話になるんですが、あれは自分で言い張っているだけですから関係ありません。政策評価もしくは政策の結果の評価を別にして「政治とカネ」の問題だけで投票行動が左右されるかどうかは、実は微妙です。てゆーか小沢さん辞めた方が良いという「世論」が多くて内閣支持率が下がっても、投票予定に民主党を挙げる意見は多いので、実は何も起こっていないと言っても良いでしょう。

そして例えば、何年か後にでも取調べが可視化されるとしたらそれは民主党政権の下以外ではないだろうと考えざるを得ないのですが、実はそれも参院選の結果次第であって、自民党グループ各党が最終的に敗北し、民主党に対する批判が左に流れる虞れのある場合にのみ、警察及び検察が折れることになるでしょう。
posted by 珍風 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。