2010年05月03日

そう簡単じゃない、てゆーかムリだし

『公判前手続きが課題』 最高裁長官 指摘


 最高裁の竹崎博允(ひろのぶ)長官は、三日の憲法記念日を前に記者会見し、まもなく施行一年を迎える裁判員制度について「どの事件でも裁判員が誠実、積極的に職責を果たし、良いスタートが切れた」と評価し、裁判員を務めた人々らに感謝を述べた。

 一方、公判前整理手続きの遅れを課題として指摘。「被告の拘置期間が長くなり、(公判までの時間の経過が)証人の証言などの証拠価値を低下させる。的を絞った審理計画を立て、早く審理に入ることが課題」とした。

 DNA型の再鑑定で再審無罪となった足利事件に絡んでは、四月から、刑事裁判官三人とDNA型鑑定の専門家による共同研究に着手したことを明らかにし「科学的知見の重要性をあらためて認識した。再び誤りが起きないよう取り組む必要がある」と強調した。

 また、兵庫県明石市の花火大会事故や尼崎JR脱線事故での強制起訴につながった検察審査会の権限強化については「検察官の起訴独占主義を見直した制度だが、有罪と認定する裁判所の判断とは全く無関係。『検審(の起訴)だからこの程度でも有罪』という問題ではない」と述べ、裁判所の判断基準は従来と変わらないとの考えを強調した。

2010年5月3日 東京新聞


裁判は実はちっとも早くなっていないようです。もちろん早ければ良いというわけではありませんが。現状の制度では「公判前整理手続」という形式で、裁判の主なところは非公開でやってしまう事になっており、それ自体問題なんでしょうが、やはり非公開とはいえ裁判は裁判ですからそれなりに時間をかけて慎重にやるべきでしょう。多少時間がかかるのは仕方ありません。そこのところまで早くやれ、ということでは、日本の裁判は非公開の上拙速、という最低の状態になるわけです。

竹崎さんによれば昨年5月以来、3月末までに

裁判員対象事件での起訴   1662人
うち判決が出たもの      444人
裁判員となった数     約2600人
選任手続きに参加した人の数 1万6千人超

ということですが、まあそんなもんでしょう。ところで、公判までの数ヶ月の時間の経過が、「証人の証言などの証拠価値を低下させる」というのであれば、時効が廃止されて50年くらい時間が経過した場合の「「証人の証言などの証拠価値」はどうなっちゃうのか、そこらへんの意見も聞いてみたいもんです。

ともあれ、いわば制度外でなんとか裁判制度の内実を維持しようという法曹三者の努力によって裁判員制度は「大きな混乱もなく運営でき」ているようです。少なくとも裁判員制度実施以前の程度にはやろうとしているようですから、竹崎さんは「遅い」とか言わないで、みんなの努力を少しは認めてあげるべきでしょう。

もちろん公衆向けの会見ですから、「国民の積極的な姿勢」が存在するかのように語るのは大切な事ですし、それが存在しなければしない程重大さを増すので、その辺の事は各地の裁判官や検察官、弁護士に至るまで事情は理解している事と思います。実際には呼び出された人のうち出頭した人は83%ですが、いかなければ過料10万円也ですからわかったものではありません。一般的には「積極的な姿勢」というのは「金を払ってでも」という態度のことを言うようです。この過料というのをなくしてみないと「姿勢」は不明です。

ただし竹崎さんも、制度全体に対する評価ということになると判決まで至った件数がおよそ4分の1と少なすぎるし、判決が確定したものとなるともっと少なくなりますから、「安定した評価」はできない、と正直に語っているのであって、「良いスタートが切れた」というのは些か端折り過ぎた報道のようです。

それどころか会見が進むにつれて裁判員制度の困難さが浮かび上がって来ます。足利事件に話題が及ぶと

刑事裁判というのは過去のある事実が残した痕跡から事実を再現、再認識する作業。本来科学的な作業だが、その科学的な意味というのが最近ますます純粋科学というか、自然科学的に非常に大きなウエートをしめるようになった。今回の事件はまさにその典型だ。最新の科学的な知識によって誤りが証明された。改めて刑事裁判における科学的な知識にきちんと取り組んでいく仕組みを検討しないといけないと思っている。個人的なことを言うと、刑事裁判に携わってきた者として、かなり前から科学的知識の重要性を意識に置いていたつもり。特に最近の科学技術の発達は非常に急速であって、よほど意識して取り込むようにしないと、刑事裁判が最新の科学知識から取り残されるおそれがある。

2010年5月3日 asahi.com


刑事裁判はにわかにその本来の「難しい」相貌を取り戻します。竹崎さんは若干自然科学にばかり関心が向きがちですが、それは事の一部に過ぎません。しかしそれでも、てゆーかだからこそ、ついて行くのが大変である事がわかります。職業的な裁判官にしてそのような状態であれば、裁判員にはちょっと無理でしょう。

さらに話が大阪母子殺害事件に及ぶと、更に別の方面からも困難な課題が指摘されます。

「合理的な疑い」を的確に表現するのは、一般論として極めて困難。具体的な事件の中でこういう可能性がある、こういう恐れがある、蓋然(がいぜん)性がある、具体的な事件において他の現実的な可能性の問題という評価でなければ、一般的抽象的にこういう場合が合理的な可能性だとは言いにくい。それをいくら探してもおそらく答えは出てこない。一つ一つの事件における現実にありうる別の現象、ある痕跡から推認されるものが唯一これであるか、それともほかに可能性があるかという具体的な状況の中でないと、その程度を言い表すことはできないと思う。

2010年5月3日 asahi.com


これは考えようによってはより「難しい」話です。実のところ職業裁判官の有利な点は、判例の知識や実際の裁判に従事することによって、ある場合における「他の現実的な可能性」のストックを保持している点にあります。これは裁判員には決定的に欠けている点でしょう。自然科学的な事は、まあそっち専門の人であれば何とかなりますが、こっちの「専門」は裁判官に他なりません。

「やっぱり多角的にものを見る。自分の意見だけじゃなくて、人の意見をどう理解していくか」なんて言っていますが、素人の集まりではそもそも「意見」が出てこない、「ありうる別の事象」が思いつかないんですからどうしようもありません。

実際に話題になった事件に即した質問に答えることによって、竹崎さんは裁判員制度の困難について多くを語り、遂には「そう簡単でないということだけ分かって頂ければ」と降参してしまいました。「そう簡単でない」って、あんたね。

世間ではふぐを調理して他人に食わせるには免許が必要ですし、自動車の運転にも免許が必要です。人を殺してしまう虞れのある行為に従事する事は、普通は制限されているものなのです。裁判員だけが免許もなく白昼堂々衆人環視の中で人を殺して良いことになっているのは愉快な例外としてその趣味の人には受入れられるかもしれませんが、刑事裁判が自動車の捜査や魚類の解体に比べて「そう簡単」であるという保証はないようです。

もしかすると竹崎さんはその辺りを極めて気軽に考えているのかもしれません。それが可能であるかどうかはともかくとして「多角的に見ることで誤差率を減らしていくのがこの制度」なんだそうです。裁判には「誤差率」が、つまり誤審ですが、それが存在すること、それもかなり無理な制度を導入してでも減らさなければならない程度に存在することを竹崎さんはしれっと認めています。そのくらい常識だろうと言わんばかりですが、はい、常識です。すいませんでしたっ!


posted by 珍風 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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