2010年07月30日

元気をもらう夏のお祭り

8月にも刑場を公開 「官僚が説得」は否定、千葉法相


 千葉景子法相は30日の閣議後記者会見で、存廃を含め死刑制度の在り方を検討する省内の勉強会設置と、東京拘置所内の刑場の報道機関への公開を、8月中にも実施したいとの考えを示した。

 千葉法相は、2人の死刑を執行した28日、「国民的な議論の契機にしたい」としてこの2件を指示したことを明らかにしていた。

 死刑執行を法務官僚側から説得されたとの一部報道に対しては「まったく当たっていない。法相を拝命することは当然ながら、そのような職責を負うと当初から念頭にあった」と述べた。

 かつて「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだったのに執行を命じるという姿勢は分かりにくい、との指摘があることについては、「廃止も一つの方向性だろうと考えてきた。それは決して変わるものではない」と、一貫して廃止の立場だと強調した。

2010年7月30日 共同


単なる「きっかけ作り」で殺されてはたまったものではありませんが、これといって大した理由がなくても人を殺して良いのが国家というものです。カボチャババア、クセにならなきゃ良いんですがね。

しかしながら、このようなことは古来から行なわれており、これを「血祭り」といいます。「血祀」または「血食」ともいい、生け贄を神に捧げることなんですが、『周礼』の「春官」に「血を以って社稷五祀五嶽を祭る」と書いてあるようですから、まあ通常の儀礼です。「社稷」とか「五祀」「五嶽」てのは地の神だそうで。

しかし「血祭り」という言葉は一般的には「戦いの前に敵の捕虜を殺して気勢を上げ、神に必勝を祈る」という意味で使われます。この場合は人間が生け贄になるわけですが、要するにそうやって気持ちをアゲるわけですね。

事の起こりは殷代だそうですから歴史と伝統を誇る由緒ある乱暴ですが、最初は占いで良い結果が出るまで羊のアタマを刎ね続けたそうです。その血を浴び、祭具に塗りたくって、も一度占ってみる。ダメならもっかいだもっかい。

そりゃ、そうやって何回もやっていれば、そのうち吉兆が出て来るに決まっていますが、もちろん当時のことですから、戦争捕虜を羊の代わりに祭祀の犠牲に供することに躊躇のあろうはずはありません。てゆーか捕虜というのはそのためにいたようなもんで。「羊」を「野蛮人」と同視する言い方があり、『看羊録』の「羊」はそのような意味です。もっともこの場合は「羊」の捕虜になった人が書いているんですが。

で、卜占のようなものもだんだん「信頼」されなくなって来るわけですが、大量の流血によるメンタルな効果は受け継がれます。そして今日の日本の死刑では血が流れることはほとんどありませんが、人の「死」そのもの、今まで喚いたりしていたものが沈黙の舞踏をひとしきり踊って急に静かになってしまう、その印象的な「死」が人々の心を多いに盛り上げて止みません。

昔の人は生け贄の血液から「元気をもら」ったりしていたようですが、衛生観念の発達した現代では、そんなことをすると「病気をもら」ったりもしかねないので、「血」にまつわる神秘的なアレコレは廃止になったようです。しかしながら奪われる命は「生け贄」の無力さを圧倒的に印象づけ、殺す側にとって、それは自らの「力」の自覚を高めてくれるものなのです。それは古代の血の儀式の最も洗練された形態でありながら、その本質の一半をしっかり受け継いでいるのでした。

そういうわけですから、「官僚」を庇うカボチャババアはすっかりヤラレてしまったのかも知れませんし、ことによると刑場から「元気をもらって」来ちゃったのかも知れませんが、「存廃を含め」というところに惑わされるわけにはいきません。「在り方」とは「存在の仕方」に他なりません。

法務省が死刑の「存廃」について真剣に検討することは期待出来ません。どのように存在させるかをちょっと考えてみよう、ということでしょう。死刑は彼等の「こころの栄養」です。死刑がなくっちゃ生きていけない。自分から手放すはずがありません。


posted by 珍風 at 14:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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