2010年08月29日

アスはこっちだった!だから何なんだ!ムーミンのGFはノンノンだ!今頃はのんのん婆だ!

◆あすの会・松村恒夫さん『殺人の被害回復無理』

 「遺族の望みは、被害者を返してほしいということ。それができないなら死んで償ってほしい。きれいごとではない」。はっきりとした口調で死刑制度の存置を訴える。

 一九九九年に二歳の孫を殺害された。加害者はこの孫の兄と同じ幼稚園に通う子の母親だった。確定判決は懲役十五年。「同じ命なのに、被害者は命を奪われ、加害者は生きている」。事件から十一年が経過した今も、割り切れない思いを抱き続けている。

 死刑について「遺族は事件の前の生活に戻ることはできない。死刑は通過点にすぎないが、一つの気持ちの整理になるのかもしれない」と話す。被害者遺族には「執行ボタンを押させてくれ」という人も多いという。

 担当弁護士のもとに昨年、初めて加害者から手紙が届いた。今も封を開けていない。仮釈放のためのパフォーマンスとしか受け取れなかったからだ。殺人事件では、遺族の被害回復は無理だと考える。

 「遺族の多くは、加害者に更生してほしいと思っていない。反省は、ゆるしにつながらない。反省し真人間になっても『だから何なんだ』と言うしかない」

 刑場公開について、「国民が死刑に関心を持ついい機会だ」と思うが、「死刑は残酷」という形で国民に伝わることを懸念する。「死刑囚は告知され、死ぬ前に読経やミサも受けることができる。被害者はいきなり、もっと残酷な方法で命を奪われている。そうした事実にも目を向けてほしい」と話す。

 まつむら・つねお 1999年11月、東京都文京区で娘と幼稚園の母親仲間だった主婦に、2歳の孫娘を殺害された。全国犯罪被害者の会「あすの会」の活動に2001年から加わり、現在、副代表幹事。68歳。

2010年8月28日 東京新聞


なんとこの人が「アスの会」の副代表幹事だというのですからあきれたものです。松村さんの「事件」というのは「若山春奈ちゃん殺害事件」のことでして、当時『週刊文春』が被害者の家が経済的に裕福であることを指摘し、それに対して被害者の母親が文春側に謝罪高広告を求めて訴えを起こし、その結果文春は謝罪記事と被害者側の手記を掲載することになったんですが、その「手記」を書いたのが松村さんです。

この事件は公判の過程で加害者側で「動機」と言えるほどの「動機」が存在しなかったことが明らかになっています。加害者の山田さんは「無視された」とか些末なことを言うばかりで、殺害に至る決定的な「動機」は存在しなかったようです。いわば加害者と被害者の母親の相互関係の中でそういうことになってしまった、という色彩が濃厚です。

したがって被害者は春奈ちゃん、原因は被害者の周囲の人たちの関係状況、直接手を下したのは山田さん、という解釈が妥当であろうとも考えられますが、「誰か」が悪いことにしないと理解出来ない人は多いものです。てゆーか大体刑法というものはそうなっています。そこでやはり、直接の行為者である山田さんを「悪者」にしておく、というのはとりあえず仕方のないことでしょう。

この場合、山田さんは明確な利益関心をもって犯行を決断するような範例的な殺人犯とは大きく異なることになるわけですが、これも犯罪のヴァリエーションであり、そういうのもある、というだけのことです。

マスゴミも「誰か」を悪者にしないと書けないもんですから、文春は被害者の母親を「悪者」に仕立て上げたようです。原因は加害者において表象された両者の関係性であることから、これは視点によっては間違いではありません。もちろん被害者の母親と自己との関係をそのように思い込んだのは加害者の問題ですが、加害者がそのように思ったことについて相手方においてその契機が皆無であったとも言い切れないのです。

松村さんの活動は、このような特異な事件において「被害者側」の自己防衛として始まっています。文春を訴えるのはともかくとして、加害者側にも損害賠償請求を起こして認められ、毎月刑務所に請求書を郵送し、更には事実上不可能であると思われるその支払いが滞っていることを世間に訴えるなど、その活動は極めて攻撃的であり、加害者側を徹底的に葬り去ろうとするかのようです。

まあお金持ちなんでしょうけど、お金持ちというものは水に落ちた犬は叩き殺すくらいでないとお金持ちになれませんから、そういう性格なんだ、と言ってしまえばそれまでですが、あたかも加害者が生きていて何かを語り出すのを怖れるように見えないこともありません。世間では攻撃は最大の防御である、とか申します。

この求刑懲役18年、確定判決では懲役15年の事例において、松村さんがいまでも「極刑」を主張し、「アスの会」にまで加わって関係ない他の人まで殺そうとするのはどういうワケなのか、邪推の余地が大いにある、などと書くと訴訟を起こすぞ、金を取るぞ、ということなので、僕はそんなことは一言も言わないのはもちろんです。

そういうわけなので、松村さんの言っていることも、まあ、それなりです。「告知され、死ぬ前に読経やミサ」をやったところで殺害の残虐性が減少するとは思えませんが、松村さんにとっては事前告知は極めて重要なようです。監禁され、告知され、縛られて吊るされるのは、松村さんにとっては極めて満足の行く殺され方である、ということが出来るでしょう。

これは「アスの会」の考えの足りない一例でしかありませんが、松村さんはその「当事者性」を強調するあまり、「遺族の立場」で、かなりマズいことを言ってしまっているように思われます。

「遺族の多くは、加害者に更生してほしいと思っていない」そうですが、これでは「遺族の多く」が刑罰に関する議論に参加する資格がないことになってしまいます。たしかに死刑の場合は「更生」はちょっと難しいかも知れませんが、刑罰は何も死刑ばかりではありません。しかし多くの刑罰が受刑者の「更生」を目指しているところ、「遺族の多く」は刑罰の目的を否定しているところから、死刑でない場合は放免してしまうことを肯定するものと思われます。もっともこれは「遺族の多く」の意見ではなく、松村さんの思い込みでしかないと思われるので、世間の人々は安心してよいのです。

松村さんにおいては「反省は、ゆるしにつながらない」そうですが、これも個人的な意見に過ぎませんし、行刑は「遺族」の「ゆるし」に左右されるものではありません。「アスの会」に入っていない「遺族」が「ゆるした」からといって刑を免除されることはなく、また「遺族」が許さないからといって極端に刑が加重されることもないようです。もっとも、刑は法の範囲内である程度の幅があり、その幅の中でどのポイントを選択するかというところで「反省」と共に「遺族」の「ゆるし」の有無を一つの根拠にすることが行なわれていますが、これらは何となく同程度に採用されています。

ところが「反省し真人間になっても『だから何なんだ』と言うしかない」んだそうです。これはしかし、松村さんが「滑った」と考えてあげるべきでしょう。まあ、単なる「心情」をつい口にしてしまった、としてスルーしてあげるのがお年寄りに対して当然払うべき敬意というものです。しかしもし仮に、「アスの会」として一方の当事者の言い分だけを通すことを司法に要求するのであれば、均衡の観点から「『被害者はいきなり、もっと残酷な方法で命を奪われている』。だから何なんだ」と言うしかありません。
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2010年08月28日

アスの会の明日はどっちだ!あたしはたまごっちだ!

【刑場公開】視点・死刑を考える契機に 無機的な現場も身につまされた


 死刑制度について国民的議論を呼びかける千葉景子法相の指示で27日、東京拘置所の刑場が公開された。刑場の一部には立ち入りが許されなかったことなど、完全な公開とはいえないものだったが、これまで厚いベールの奥にあった「死刑」について、情報公開が進んだことは評価できる。

 千葉法相は先月、2人の死刑囚に対する死刑執行命令書にサインした上で、執行にも立ち会った。法相が死刑廃止論者だったこと、そして、就任から約10カ月間執行しなかったにもかかわらず、参院選で落選した後というタイミングで執行されたことには、分かりにくさも残った。

 ただ、今回の公開で、死刑囚の首にかけられる絞縄(こうじょう)もなく、踏み板も開かない、極めて無機的な刑場を見ただけでも、身につまされる思いがした。これを考え合わせると、実際の執行に立ち会うという決断自体が、相当重いものだったことは、想像に難くない。死刑囚の死を確認するスペースへの立ち入りが許可されなかったことも、そこが厳粛な空間であることを考えれば、納得もできる。

 世論調査では死刑制度を容認する声が85%以上と高水準にある。そして、法に明確に規定されている以上、執行命令書へのサインは法相の責務であり、執行も粛々と行われるべきだ。

 しかし、これまで死刑という刑罰について、どこか思考停止していた面はなかったか。死刑囚、被害者や遺族、執行のボタンを押す刑務官らの思いを斟酌(しんしゃく)することはあっただろうか。

 裁判員裁判のもと、国民が究極の刑罰の選択を迫られる日はそう遠くない。死刑への賛否はさておき、今回の刑場公開が、死刑について思いをめぐらせる契機になることが期待される。(酒井潤)

2010年8月27日 産経ニュース


酒井さんは「身につまされた」そうです。良いことです。「身につまされる」というのは「我がことのように感じる」という意味ですから、普通に考えると自分がここで吊るされることになった場合を想定した、と読むことが出来るでしょう。

ところがどうもそれは違うようなのです。酒井さんは死刑囚の立場に立ったわけではなく「実際の執行に立ち会うという決断自体が、相当重いものだったことは、想像に難くない」と思っただけでした。死刑囚にとっては誰が立ち会っているかということはどうでもいいことで、てゆーか目隠しをされているので見えないわけですが、酒井さんの想像力はあくまで「立ち会う」側にしか及ばないようです。

さすがに記者クラブの記者さんは僕みたいな有象無象とは違うわけですが、酒井さんとしては心は立会室に置いたまま死刑場を眺めて、「極めて無機的」だとか思ったようです。どうもここはやはり、ikaさんの言う「体験ツアー」をやるべきであったようです。なにも開き戸を開けとまでは言いません。記者さんたちには順番に目隠しをして、足も縛って開き戸の上に立たせて首に縄を掛けるくらいまでは「体験」してもらった方がいいでしょう。

押しボタン係もみんなで順々に体験すべきでした。電源を切っておけば大事には至らないでしょう。もし万が一のことがあっても、それは「死刑囚、被害者や遺族、執行のボタンを押す刑務官らの思いを斟酌する」ことを大いに助けるものと思われますので、法務省側が何といおうと「体験ツアー」を要求するか、その場で勝手に始めてしまうべきでした。

記者さんたちが「触るな」「喋るな」という「しけいじょうのきまり」を正しく守って「入るな」というところには入らずおとなしくお利口さんにしていたのは幼稚園の遠足以下としかいいようがなく、大変に残念なことです。一体何をしに行ったのか全く分かりません。そんなことで代表で画を撮って来ても、法務省が写真を撮って配るのと変わらないようです。

今回の「公開」では執行室の地下、いわゆる「ダンスフロア」ですが、ここに立ち入ることが出来なかったわけですが、酒井さんは「そこが厳粛な空間であることを考え」て「納得」してしまったようです。もっとも、ダンスフロアが「厳粛な空間であること」は、実は酒井さんが「考え」たことでもなんでもなく、法務省がそのように言って立入りを拒んだものでしかないのですから酒井さんには思考能力が存在しません。

そのくせ「これまで死刑という刑罰について、どこか思考停止していた面はなかったか」と書くのですから酒井さんは面白い人です。面白い人って好き。じゃあ何に「ついて」なら「思考停止」していないというのか、それは酒井さんの頭蓋骨の中の「無機的な空間」を公開してもらわないことには見当もつきません。

ダンスフロアは市民の立入りが許されない場所であるようです。考えるに、「死刑」が正にそこで行なわれるからでしょう。「執行室」と呼ばれる場所は装置に対象の身体をセットするところであって、人が死ぬのはその下です。落下による延髄損傷および頚骨骨折によって「即死」する、という説がありますが、実際には死亡確認まで15分以上を要します。更に念を入れて5分吊るしておかないと安心出来ません。

これを言い換えると、落ちて来たものを放置するから死ぬのであって、速やかに救命措置をとった場合にどうなるかは、これはやってみた人がいないもんですからよく分かりませんが、助かる可能性があります。死刑の「執行」とは、この救命措置をとらないことを意味します。それは致命的なダメージを与えることと、瀕死の状態にある人を不作為によって死に至らしめることの2段階によって行なわれるわけです。

仮に「執行室」でのセッティングがかなりマズくいった場合、殺害のほとんどのプロセスがこのダンスフロアで行なわれることになるでしょう。はっきり言って何が行なわれているのか知れたものではないのですが、そういった意味も含めて、今回のいわゆる「公開」は、ほんの入口から少し入ったところ、次の間あたりを見せただけで、こんなことで「評価」してしまうようでは、あたかも浮気調査に行って調査対象者が相手と目される人物とバーに並んで座っているところを写真に撮って来て「浮気の動かぬ証拠」だと言って得意満面な無能な探偵と変わるところがありません。

もっとも、多くの人々は死刑場の構造などに興味を持って調べたりしたことがないでしょうから、「次の間」でもちょんのまでも見ないよりはマシというものです。見られてはマズいと思う人がいれば尚更です。

刑場の公開について、全国犯罪被害者の会の岡村勲代表幹事は「公開の法廷で言い渡された死刑をどういう場所で執行したのか、刑場のことも含めて国民に公開するのは当然だ。ただし、死刑のあり方について検討する法務省の勉強会の中に絞首刑の場面を想像させることで、死刑制度の存廃の議論に踏み込むという考えがあるとしたら問題がある。死刑執行の手段と、死刑制度が必要かどうかという議論は別の問題だ。世論調査では国民の80%以上が死刑を支持しているし、被害者の遺族がいかに苦しみ続けているのかということに十分思いをはせて議論してもらいたい」と話しています。

2010年8月27日12時3分 NHK


「当然だ」とはいうものの、岡村さんはつい「絞首刑の場面を想像」してあわててしまったようです。人をぐるぐる縛って目隠しをして首にナワをかけて足元の床が開く、というのはあまり穏当なものではありません。不意に床が開く、というところが実に邪悪な仕組みになっているわけで、考えてみればマトモな人間のすることではない、とすら言えるでしょう。法務省がわざわざ絞縄を外したのはこのためなので、岡村さんは黙っていれば良いのに。

岡村さんとしては、千葉さんが「公開」したんだから「絞首刑の場面を想像」させることによって死刑廃止の気運を盛り上げようという目論見があるに違いない、と思っていたのでしょう。岡村さんの考えでは、「場所」を「公開」するのは構わない、しかし「場面」はダメなのです。それは通常人の激しく嫌悪するところであると岡村さんは考えており、そんなことを考えさせると死刑の存置が困難になると思っているのです。

しかし岡村さんはそれを真っ正面から批判してしまうのです。NHKの昼のニュースでそんなことを言うもんですから、視聴者は真っ昼間から「絞首刑の場面を想像」することになりました。あわてて「問題がある」とか言っても後の祭りです。岡村さんもたまにはマシなことをするものです。

そこで岡村さんは速やかに反省をして、夕刊の締切までにはもうちょっと落ち着いた対応をすることにしましたが、果たして上手にできたでしょうか。

◇国民は見て判断−−全国犯罪被害者の会「あすの会」代表幹事で死刑制度賛成派の岡村勲弁護士の話

 刑場公開は社会科見学のようなもの。「悪いことをすればここに連れてこられる」という教育的効果はあるが刑の執行を見せるわけではなく騒ぐことではない。そもそも隠す理由はなく、見せないからいろいろな憶測を呼ぶ。裁判員制度になり、裁判に参加する国民はあらゆるものを見て判断すべきだ。

2010年8月27日 毎日新聞東京夕刊


一生懸命に「社会科見学」だの「そもそも隠す理由はなく」だのと、自分の失策を誤摩化そうとしているようですが、とにかく「絞首刑の場面を想像」してシンコクな気分になるようなものではない、と言いたいわけです。他人の昼飯をまずくしておいて勝手な言い草ですが、残念なことに「騒ぐことではない」と言ってしまいました。そんなことを言うから岡村さんが「騒いで」いることが明らかになってしまうのです。まあ、あれだけ墓穴を掘ったんですから騒ぎたくなる気分も分かりますが、言えば言うほどドツボです。

そもそも岡村さんは「死刑執行の手段」には問題がある、と考えてしまっているようです。現状の「手段」は「残虐」に当たると考えているものと思われます。しかし岡村さんには「残虐」でない死刑執行の「手段」を考えることは不可能です。これはアタマが悪いからというわけではなく、それもあるかもしれませんが、一方ではあらゆる「殺人」を、その「手段」に関わらず「残虐」であると言わなければならない立場にあるからなのです。

だから「絞首刑の場面」がどうだとか「死刑執行の手段」がこうだとかとか言うべきではありませんでした。ここは無理にでも現行の執行手段は「残虐」ではない、という立場をとらなければならなかったのです。しかしそうすると、現行の死刑執行と同様の手段による殺人は「残虐」とは言えなくなってしまうんですが。犯罪を糾弾しつつ死刑を擁護するためには「残虐」ではない「殺人」を認めなければなりません。岡村さんが「騒ぐ」のも致し方のないことではあります。
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2010年08月27日

犬の入れ知恵は遠吠え

「専決処分は有効」と持論・阿久根市長が会見


 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は26日の臨時議会閉会後、市役所で記者会見した。不承認とされた専決処分について「議会にかければ有効という総務省の判断があるので有効だと考える」と改めて持論を述べた。一方、今後は定例会見を開くことを示唆。これまで対立してきたメディアには歩み寄る姿勢も示した。

 竹原市長は2日間の審議を振り返り「普通の人は議会は議論の場と思っているが、まったく違うことは間違いない」と指摘。自身の市議時代は議場で諮られるる前に物事が決まっていたとし「市民が注目すれば変わってくる」と述べた。

 住民団体による市長のリコール(解職請求)運動については「運動をしてくれることで市民が(市政に)関心を持つのはすばらしいこと」と受け止めた。

 マスコミとの対立も絶えなかった竹原市長。「定期的に記者会見を開くか」という質問には「(行政とマスコミが)一緒に社会を作っていく責任がある」とし「対話していただきたいなと思っています。よろしくお願いします」と応じた。

 会見では専決処分で選任された仙波敏郎副市長を「仙波氏」と呼んだ記者に「(不承認とした議会と同様に)私を副市長と認めないんですか。認めないんですね」と仙波副市長が詰め寄る場面も。竹原市長は「この人は確定した副市長」と強調した。

2010年8月26日 産経ニュース


仙波さん、泣いてみたり詰め寄っちゃってみたりとなかなかの役者振りです。いずれにしてもオマワリさんが容疑者を落とすあの手この手の応用でしょうが、千葉の小梛さんみたいな人も沢山いますから、このくらいの脅しでは通用しないようです。

ほとんどの報道では、記事の表記は「仙波氏」、あるいは「仙波「副市長」」というもので、「「仙波副市長」」と書いている人づきあいの良い新聞は産經新聞くらいなものです。ちなみに「仙波敏郎副市長を「仙波氏」と呼んだ記者」というのは讀賣新聞の人です。

とはいえ、市議会でも松元議員の「議長をはじめ、仙波副市長に対して『仙波さん』と言っている。敬意が足りない」という発言にもかかわらず、仙波さんを「副市長」に任命した専決処分は承認されませんでしたから、市議会でも「認めない」ようです。

どうも困ったものですが、仙波さんは阿久根に来て早々、市の職員が副市長として挨拶をしてくれないというので緊急課長会議を招集した程の人ですから、もしかすると自分は本当に阿久根市の副市長であると思い込んでいるのかも知れません。竹原さんに騙されたといえばそれまでですが、気の毒といえば気の毒なものです。

仙波さんは自分の地位のことで若干キレ気味ですが、自らまいたタネとはいえ、竹原さんもちょっとアテが外れた模様です。本当は「正義」の看板に「スポークスマン」をやってほしかったようなのですが、仙波さんが呼ばれ方にこだわってしまっているようなので、やはり自分で喋らなくちゃイケナイことになりました。「対話していただきたいなと思っています。よろしくお願いします」だそうです。

まあしかし、仙波さんは竹原さんの話し相手にはなっているようです。専決処分が議会で不承認とされても有効だから大丈夫、というのは仙波さんが言ったことのようです。たしかにこれは法の不備をついたうまい考えです。なにしろ仙波さんには85人の弁護団がついているそうですから、竹原さんは仙波さんを通して彼等にアドバイスを受けているようです。

総務省の解釈では行政の安定性確保の見地から議会で承認されていなかった専決処分は有効ですが、専決処分そのものが適法でない場合は当然に無効となるという見解です。そして専決処分の適法性の有無については裁判所の確定判決を待たなければならないそうです。

ところで専決処分の要件については地方自治法の179条で

普通地方公共団体の議会が成立しないとき、第百十三条但書の場合においてなお会議を開くことができないとき、普通地方公共団体の長において議会を招集する暇がないと認めるとき、又は議会において議決すべき事件を議決しないとき


とされており、竹原さんはどうも自分のやっていることがこの中で「議会において議決すべき事件を議決しないとき」に当たると思っているようです。しかしこれはちょっと字が読めなかったというべきでしょう。竹原さんはその理由を「議会は市長を信任していない」という点に求めています。

しかしその場合は、議会が「議決しない」ことにはならないでしょう。「議決」は行なわれます。多分「否決」することになるんでしょうが、「否決」だって「議決」に他なりません。竹原さんは漢字が読めないので、「議決」を「可決」のことだと思ってしまったようなのです。

まあたしかに「議」という字は画数が多いわけですが、竹原さんのように考えると議会が可決する見込みがない場合は議会を招集しないで首長が勝手に何でも決めてしまえば良いことになりますので、その通りにしちゃったようです。なるほど、「日当制」などという思いつきが出て来るわけで、竹原さんは議会というのが何なんだかわからないようです。

竹原さんは「議会は議論するところと思っている」と言っていますが、アヤシイものです。てゆーか竹原さんの言っている「議論」というのは、竹原さんに賛成すること、黙って可決すること、力添えし、補佐することのようです。世間ではそういうことを「翼賛」といいますが、どちらも画数が多いので見分けがつかないのも仕方のない面もあります。

法律は字で書いてありますが、竹原さんには読めません。おそらく仙波さんの「副市長」としての役割は、法律を読んであげて、それを「警察的に」解釈することであると思われます。この「解釈」について例えば、竹原さんのブログによれば、彼は8月23日の課長会で「仙波副市長に来ていただいてから、私たちは正義や民主主義のことをもっと深く考えなければならないと考えています」と語り、「私たち」というのは竹原さんと仙波さんですが、この2人の解釈した「民主主義」を説明しています。

一瞬一瞬、自分の持ち場ところで全体の正義を感じながらそれに届く努力を続ける。この努力が民主主義だと私は思います。


言葉に、全然違う意味をつけるのが仙波さんが導入した方法のようです。これは全体主義的な言語操作に極めて近いものであると言えるでしょう。したがって「副市長」という言葉一つとっても、そこには僕たちが思うような一般的な「意味」とは全く異なった概念がその語を「無意味するもの」となっている可能性が高いのですから、仙波さんが「副市長」であることを「認める」ことは極めて困難です。もっとも仙波さんが「認める」と言っているのは「認識する」ことではなく「承認する」ことでもなく、竹原/仙波さんの意味不明言語が無意味であることを否認することでしかありませんが。
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2010年08月23日

なれるとおいしいくさやのひもの

法相 刑場公開で議論の喚起を


千葉法務大臣は、死刑を執行する場である「刑場」を今月中に公開することについて「裁判員制度を実施していくにあたって、さまざまな判断をしたり、刑罰についての議論を深めるきっかけにしてもらいたい」と述べました。

千葉法務大臣は先月、死刑囚2人の死刑を執行したことを受けて、今月中に刑場の公開に踏み切ることを明らかにしています。これについて千葉法務大臣は、閣議のあとの記者会見で「8月中の公開に向けて、鋭意、準備を進めている。裁判員制度を実施していくにあたって、さまざまな判断をしたり、刑罰についての議論を深めたりするきっかけにしてもらいたい」と述べました。また、法務省内に発足させた死刑制度のあり方を検討する勉強会について、千葉法務大臣は、今月中に死刑制度の是非をめぐる論点を整理したうえで、来月、民間の有識者から意見を聞く場を設けたいという考えを示しました。

2010年8月20日 NHK


死刑場の公開の準備ってのはそんなに時間がかかるものなのでしょうか。僕の部屋なんかだと、「公開」するということになれば、まず3日は掃除に当てないと無理ですが、死刑場なんかは、いつでも使えるように常時整理整頓されているんだと思うんですが。それとも、実は普段は書類を入れた段ボールなどが山積みになっていて、執行の前の夜はみんなで徹夜して荷物を廊下に出すのかも知れません。

刑場に向かう道は段ボール箱の谷間になっている可能性があり、ある場合には箱を乗り越えて進まなければならないかも知れません。執行そのものが公開されないのでこの点について否定する材料が存在しないのが現状ですが、倉庫になってしまっているのであれば、それはそれで悪いことでもありません。

公開ということになると、単に荷物を部屋の外に出すだけではみっともないことから、他の部屋を整理してそちらに荷物を移動させる必要が生じるので、準備に時間がかかるのも当然でしょう。ついでにいらない書類やマズい資料をシュレッダーにかける作業も並行して実施されている可能性があります。安いシュレッダーだと6枚くらいしか裁断出来ません。

そんな風にして日がな一日紙をちぎっていると、そんなにまでして死刑場を公開しなければならないものなのか、ワケが分からなくなって来ます。千葉さんによれば、その大きな目的は「裁判員制度を実施していく」ことにあるようです。やっぱり裁判員制度です。だから言わないことではありません。誰に頼まれたわけでもないのに面倒くさいことを始めたものです。

しかし、もう始まってしまっている「裁判員制度」のために、何故今頃になって死刑場を見せなければならないのでしょうか。千葉さんは横浜弁護士会に所属しているのですから、ここは弁護士会のほうにもうちょっと分かりやすい説明をお願いしてもバチは当たらないようです。

昨年5月21日に裁判員制度が実施されてから、いまだに検察官から死刑が求刑された事件はないが、早晩、一般市民も、死刑の量刑判断という困難な場面に直面せざるを得ない。

2010年8月19日 横浜弁護士会 死刑執行に関する会長声明


なるほど、「裁判員制度を実施していくにあたって」、「早晩、一般市民も、死刑の量刑判断という困難な場面に直面せざるを得ない」ので、具体的なイメージがわきやすいようにし、もって裁判員の死刑判決を支援しようということのようです。「早晩」に向けて「今月中」に公開しなければならないので、このクソ暑い中閉め切った部屋で熱中症になり、死刑囚でもないのに死刑場が死に場所になるのもまた一興ですが、この分だと来月には死刑の求刑が行われそうなのですから、多少の犠牲はやむを得ません。

もっとも、裁判員が「死刑の量刑判断という困難な場面に直面」しなければならないという理由はありません。検察は死刑の求刑を行うかも知れませんが、それは彼等の仕事です。勝手に求刑でも吸茎でもやっていれば良いわけで、裁判員がそれに振り回されるいわれはありません。千葉さんや横浜弁護士会のいい方だと、あたかも裁判員は死刑の求刑が出たら死刑判決を出さなければならないみたいじゃんかよー。

間違えて横浜弁になってしまいましたが、これは悩ましい問題です。死刑は国家の大切な行事なのです。日本では「禊祓」とか言っているものです。「禊」と「祓」とは違うんだとか同じことだとかいうんですが、これらは多分、本来違ったものが後になって同じことになったんでしょう。

「禊」の起源神話は、黄泉の国でイザナミと「1日千人殺してやる」などの不穏当な口論をやらかしてきちゃったイザナギが、穢れを除くために水に浸かったものを嚆矢とするようですが、これはまあ、難しい話は色々あるようですが、要するに水浴であります。死のタブーに接触した「ケガレ」を浄化するわけですが、「ケガレ」か何かがどっか知らんとこに流れて行ってしまうというテキトーさが、この「禊」という語をさまざまな場面でいい加減に使用することを可能にしています。

一方で「祓」の起源は、いわばもうちょっとちゃんとしたものです。DQNの守護神であるスサノオが悪いことばかりするので全財産を没収の上追放したという話なんですが、ここでは現在の「犯罪」概念とはちょっと違うのですが災いをもたらす「天津罪」「国津罪」という逸脱行為が類型化されて整理・列挙され、それに対する手の込んだ処分が行なわれています。これは統治権力がシステムとして成立していることを意味します。

しかもこの「祓」は、「禊」を乗っ取っているようです。「大祓詞」によると「天津罪」とか「国津罪」はセオリツヒメが川から海に運び、ハヤアキツトヒメがそれを呑んじゃうと、イブキドヌシが異界の「根の国」の方に吹き飛ばしちゃって、「根の国」ではハヤサスラヒメがそれを負ってどっかに行っちゃうことになっているんですが、これは「禊」を多少詳述したもんでしょう。

各人が勝手に「ケガレ」を清めていた「禊」は、国家の行なう「処分」である「祓」に併呑された模様です。そしてアマテラスによるスサノオの「祓」は、この処分の主宰者としての天皇の地位を正当化するお話しになっています。

未だに死のタブーに触れることの処分については国家が横領したままになっており、それは一方では靖国神社になっています。それは常設の浄化装置であり、常設化することによって戦士による死のケガレへの接触をシステム内にビルトインします。なもんですから、これがあるおかげで、国を挙げて年がら年中ケガレまくっていても大丈夫なようになっているのです。

もう一つの形式が死刑であり、これは身体そのものを「どっかへやっちゃう」ことになるでしょう。これは「禊」をしていてうっかりして流されてしまうことにも似ていますが、正に文字通り「祓」=「払い」=「根の国」への追放のつもりであると見ていいでしょう。

したがって死刑は日本ではいわば「神事」であり、宗教活動です。それは憲法第20条第3項に対する重大な違反の一つですが、酋長のいる土人の国ではなかなか止められないようです。戦士の浄化装置を設けることも同様の憲法違反です。しかし宗教活動を担当している法務省は、この「神事」に民が関わることを本気で心配しています。民にはそんなことをする権利はないのであって、それはとっくの昔にアマテラスによって強奪されているはずです。

しかしながら、検察官が死刑を求刑し、裁判員がいわばそれを「承認」するのであれば問題はありません。問題なのは、国家が検察官を通して「祓」を命じているにも関わらず裁判員どもがその通りにしないことが考えられるという点で、そんなことは考えられません。死刑と言ったら死刑なのであり、それに反対することを抑制することすら想定を許しません。あたかも自然に「承認」されなければならないのです。

したがって法務省としては国民に「死刑」に慣れてもらうことが必要です。死刑場を公開して死刑を国民に親しみやすいものにしようというのも、そのような意味で行なわれることになるでしょうし、「刑罰についての議論を深める」のも良いことです。四六時中「死刑」について「議論」すること、いつも「死刑」という言葉を耳にし、「死刑」という文字を目にすることが大切で、何かというと口をついて「死刑!!」と言えるようになったらしめたものですが、あのポーズ、運動不足だと首は吊らなくても背中の筋肉が吊ったりするので、やはり日頃からの鍛錬は欠かせません。
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2010年08月20日

存在しないイヤんバ菅が 国民の生活を破壊しない/破壊する

鳩山さんの別荘に小沢さんがやって来たので、もう闇雲に期待が高まっているようですが、一方その頃菅さんはSFGとお話していたのでした。SFGってのはおそらく「セーラー服ギャル」のことです。

首相 自衛隊幹部と意見交換


菅総理大臣は、自衛隊トップの統合幕僚長ら幹部を、去年の政権交代後初めて総理大臣官邸に呼び、北朝鮮や中国など日本周辺の安全保障情勢について詳しい説明を受けるとともに、今後も定期的に意見を聞きたいという考えを示しました。

総理大臣が、自衛隊幹部から直接意見を聞くのは去年秋の政権交代以降初めてで、自衛隊の折木統合幕僚長をはじめ、陸海空自衛隊の幕僚長らが出席しました。冒頭、菅総理大臣は、ソマリア沖での海賊対策や、宮崎県で発生した口てい疫の問題などでの自衛隊の活動をねぎらったうえで「自衛隊の役回りはますます大きくなっている。自衛隊の最高指揮官としての自覚を持って役割を担っていきたいと考えており、きたんのない意見を聞かせてほしい」と述べました。そして菅総理大臣は、核兵器の開発や弾道ミサイルの配備を進める北朝鮮や、急速に海軍力と空軍力を増強し、日本近海で活動を活発化させている中国人民解放軍の動向などについて詳しい説明を受け、今後も定期的に自衛隊幹部から意見を聞きたいという考えを示しました。会談のあと、折木統合幕僚長は記者団に対し「最高指揮官である総理大臣と意見交換できたことは大変意義があり、非常に充実していた。必要に応じてこうした機会を持っていただければありがたい」と述べました。

2010年8月19日 NHK


なんだよ「制服組」かよ。菅さんは同席した北沢さんがセーラー服を着ていないことに関してどうでもいいことを言ったようですが、その裏では「北朝鮮」、しかも「核兵器の開発や弾道ミサイルの配備を進める」ところの「北朝鮮」について、そして中国、とりわけ「急速に海軍力と空軍力を増強し、日本近海で活動を活発化させている」中国について「詳しい説明を受け」た模様です。

これは映画の予告編と同じでして、キャストを見ると誰が悪役を努めているのか一目瞭然に分かってしまいます。「詳しい説明」を聞く前から「北朝鮮」は「核兵器の開発や弾道ミサイルの配備を進め」ている国であるとされているわけですし、中国は「急速に海軍力と空軍力を増強し、日本近海で活動を活発化させている」のです。SFGはそれらの国をそのように定義づけるのであり、それさえ分かってしまえば本編を観なくても大丈夫です。

もっとも、これはNHKがそのように定義づけているんですが、NHKとしてはこの際ですからSFGの考えるところを菅さんのみならず国民の皆さんにも、電波に乗せて電離層ではね返って地球上のいたるところに周知徹底せしめることが重要であると考えたようです。すなわち「北朝鮮」と中国に対する敵対関係について日本の内閣総理大臣と軍部が共通の意志を持っている、ということを全世界に知らしめなければならなかったのです。とりわけアメリカにそれとなく知らせておくことは極めて重要です。デムパよ届け。

そんな菅さんは、その前の日の18日にもおとなしく飯を食うことも出来ません。

首相「若者ため頑張る」 雇用問題で意見交換


 菅直人首相は18日夜、パソナグループの南部靖之代表、旅行大手エイチ・アイ・エス(HIS)の沢田秀雄会長と都内の日本料理店で会食し、若者の雇用問題について意見交換した。両氏によると、首相は「若い人に夢を託すような政権運営をしたい」と語ったという。

 首相は「日本のため、若い人のために頑張る」と意気込みを語り「君たちもベンチャー企業だが、自分もベンチャーという気持ちで頑張っている」と強調した。

2010年8月19日 産経ニュース


「若者ため頑張る」ということで、「意見交換」をしたようですが、その相手がどういうワケかパソナとHISです。「若者の雇用問題」を悪化させるのが仕事であるような人たちにニューオータニの
「紀尾井町藍泉」で食わせる飯があったようです。

菅さんはこの「ベンチャー」の人たちに迎合して「自分もベンチャー」などと意味不明のテケテケをヌカしたようですが、この「ベンチャー」の連中は、目の前で菅さんが「日本のため、若い人のために頑張る」と言っているのに、「自分たちも頑張る」とは言わないようです。

もっとも、この人たちが「頑張った」ところで、「若者の雇用問題」が解決する見込みは万に一つもないのですが、それにしても「俺も頑張るよ」とか言うだけは言ってみるのが世の中の所謂「交際」というものです。しかしこの「ベンチャーズ」は、「若い人たちが頑張ってこそ、経済が良くなる」などと言っただけでした。

自分たちが貧窮化し奴隷化した「若い人たち」にむかって「頑張れ」とは、これはまた随分とお気楽な、見ようによってはかなり「思い切った」発言ですが、さすがは爛染、八田克彦さんの料理の見事さに他のことはどうでも良くなった挙げ句、つい本音が出たようです。

しかし、南部さんや沢田さんのことですから、たとえコンピニの店長が食うはずだった期限切れの弁当を横取りして食ったところで、やはり同じようなことしか言わないに違いありません。悪いのはビンボー人や「若い人たち」であって、南部さんや沢田さんは「景気」の責任を感じるどころか、「日本のため、若い人のため」にどうにかしようなどという気はサラサラありません。

もちろん、そんな気持ちがあればあんな商売はしていないわけですが、これはむしろ呼ばれた南部さんや沢田さんの方が意外だったのではないでしょうか。まともな感覚を持った人であれば、「雇用問題について意見交換」するためにこのような人たちを呼んだりしません。

ちなみにパソナってのは、もちろんあの竹中さんとこです。竹中さんについては、僕は命が惜しいので全く書くことが出来ません。

死者

石井紘基(民主党議員)
長谷川浩(NHK解説主幹)
米森麻美(元日本テレビアナウンサー)
平田公認会計士(りそな銀行を監査)
鈴木啓一(朝日新聞)
石井誠(読売新聞)
野口英昭(エイチ・エス証券)
森田信秀(森田設計事務所社長)
姉歯元一級建築士の妻
斎賀孝治(朝日新聞)
赤坂俊哉(弁護士)


自殺する予定はありませんが自殺「させられる」予定はもっとありません。さりとて

植草一秀
太田調査官(国税調査官。りそなの脱税問題を調査中)


痴漢も困りますんで。もちろんパソナは脱法行為がビジネスである「ベンチャー」ですが、興が乗るとそれが「違法」の域に達するのも珍しいことではなくて最近でも

違法派遣:NTTコムに是正指導−−京都労働局


 情報通信会社「NTTコミュニケーションズ」(NTTコム)=本社・東京都=が運営する京都市内のデータセンターの管理業務を巡り、派遣期限(最長3年)のない専門業務の派遣を装った「違法派遣」や偽装請負があったとして、京都労働局がNTTコム社や派遣大手パソナの子会社など関係企業6社に是正指導したことが分かった。IT業界では重層的な下請け構造を背景に違法派遣が横行しているとされ、今回の是正指導でその一端が明らかになった。

 関係者によると、データセンターには顧客企業のサーバーが多数設置され、数人の派遣労働者が維持管理を担当している。

 派遣労働者は主に30代男性で、01年以降、パソナ子会社など派遣会社2社に雇用されている。名目上は「ソフトウエア開発」「OA機器操作」などの専門業務の派遣で、大阪ガスのグループ会社を通じ、データセンターの受付業務を請け負った日本ユニシスのグループ会社に派遣された。

 しかし実際の仕事は専門業務ではなく、掃除や電球交換などの雑務を含む一般的業務で、3年を超えて働く違法派遣の状態だった。さらにNTTコム社の社員が直接、派遣労働者に業務の指示をする偽装請負でもあったという。本来の業務請負契約は、請負会社が労働者を指揮して仕事をさせる。偽装請負は使用者責任があいまいになるとして、法律で禁止されている。

 京都労働局は昨年5月以降、情報の申告を受けて調査に着手。専門業務を装った違法派遣や偽装請負があったと認め、職業安定法や労働者派遣法違反にあたるとして先月中旬、文書で是正指導した。

 毎日新聞の取材に対し、NTTコム社など関連する6社はいずれも是正指導を受けた事実を認めた。NTTコム社は「現状は問題がない。再発防止に努めたい」とコメントしている。【日野行介】

2010年7月26日 毎日新聞


「横行」の「一端」を担っているようですが、まあこんなことはいつものことです。自殺や痴漢はイヤなので「悪徳企業」とは申しませんが、明らかに要注意企業であり、内閣総理大臣たるものが不用意にテーブルを囲むような相手ではありません。

もちろん南部さんが菅さんと会う以上は、「専門業務」ではなかろうが、派遣先の指揮命令によって電球の交換をしようが、ゴミを出しに行こうが、3年を超えようが「違法」にならないように、労働者派遣法の「改正」を求めるでしょうし、菅さん側から見ればそういうことを求められることが当然予想されます。菅さんはこのようなことを予想しつつ、敢えて会合を持ったことは間違いありません。

小沢さんが政権交代の原点に返ることを主張している間に、菅さんは政権交代以前に戻すべく奮闘中です。問題は、もし同じことをやるなら小泉進次郎の方が若いし、なんといってもコイヌミのココイヌミですから血筋が悪い/良いし、要するに自民党と同じなのであれば自民党の方が良いのです。それで困るのは菅さんだけでしょうけど、菅さんがやっていることは、菅さん自身が急に仕事を投げ出してその結果自民党に政権が戻ってしまったと仮定した場合と同じ効果をもたらします。ということはつまり、菅さんは既に政権を投げ出している/投げ出すために仕事をしている/仕事をすることによって投げ出している/仕事をしていない/引き継ぎの準備/サボタージュ/死んだも同然/死んでる/ウジ虫の合議制/ゾンビ/昔から死んでた/最初から死んでた/生まれつき死んでいた/生まれていない/生きていない/存在しない/非実在総理大臣/幻覚レストランのマスター/コイヌミが菅さんの皮をかぶっている/菅さんが小泉純一郎の皮をかぶっていたのでした。
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2010年08月18日

Recall your heart.

阿久根市長リコール、市民団体が署名集め始める
 阿久根対立


 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の解職請求(リコール)を目指す市民団体「阿久根市長リコール委員会」は17日、市選管から署名活動に必要な解職請求代表者証明書の交付を受け、署名を集める受任者に署名簿を配布した。本格的な署名活動は18日からの予定だったが、一部の受任者はこの日さっそくリコールに向けた署名を集め始めた。

 「これからが正念場。絶対に市長を解職に追い込みたい」。代表者となったリコール委員会の川原慎一委員長(42)は、署名活動の出発会で受任者らにこう呼びかけた。出発会は午後7時から市内の計8か所で開かれ、21〜85歳の受任者約520人に署名簿が配られた。

 早くも署名活動を始めた受任者の1人で介護福祉士の男性(41)は「司法判断や法律を無視する市長は見過ごせない。一日も早く署名を集めて市長をやめさせたい」と話し、知人の家などを回り、この日は約40人の署名を集めた。

 署名に応じた男性(76)は「親類に障害者がいるが、市長がブログで障害者の出生を否定するような文章を載せたことはどうしても許せない」と語った。妻(80)も署名し、「今まで『専決処分』という言葉すら知らなかった。早く穏やかなまちに戻ってほしい」と訴えた。

 これに対し、署名に応じなかった主婦(33)は「職員や議員の人件費削減や市民サービスの向上など、市長がやろうとしていることも理解できる」と話した。

 ◆副市長「何が問題」

 一方、竹原市長の専決処分で副市長に就任した仙波敏郎氏(61)は「臨時議会は25日に開かれ、人件費の張り紙をはがして懲戒免職になった男性職員も復職させた。争点はクリアしている。何が問題なのか」と、リコール運動を疑問視した。

 また仙波氏が5日の市課長会で「職員が運動に関与すれば厳しい処分がある」と訓示していたことがわかり、これについて仙波氏は「地方公務員法で公務員は運動できない。誤解を招く行動をしないよう注意しただけ」と説明した。

2010年8月18 讀賣新聞


リコールに必要な署名数は有権者の3分の1以上であり、約6700人分です。ちなみに竹原さんが再選されたときの選挙で相手候補の得票数は7887票ですから、リコーツが成立する可能性は充分にあります。

これに対して竹原さんは「正義の味方」仙波さんを勝手に連れて来ました。仙波さんは世間での評判が良かったので、大丈夫かと思ったのかも知れません。ところがこの仙波さんがトンデモない、てゆーか喋りすぎる。

「臨時議会は25日に開かれ、人件費の張り紙をはがして懲戒免職になった男性職員も復職させた。争点はクリアしている。何が問題なのか」


どれもこれもリコール対策として一時逃れに表面を取り繕っただけであることを自分で言ってしまう仙波さんご本人が「歩く弥縫策」だったりしますが、あんまり動くと糸が切れてバラバラになってしまうのではないかと、他人事なので心配ではありません。

そんな心配はともかく、リコールはかなり心配のようです。今度は職員を脅かし始めました。もちろん仙波さんは公務員の政治活動を禁止する地方公務員方の規定を指摘した一般論であるなどと誤摩化すわけですが、あいてがそうとばかりは受け取らないことは仙波さんの計算のうちです。

実際に5日以降、市職員の家族や退職者でリコールの受任者になっていた人が十数人辞退しているそうですから、先ずは計算通りの効果があったようです。もっとも、リコール委員会では受任者は400人くらいいれば良いと考えていたところ、17日現在で500人以上の受任者がいるようですから、その限りでは痛くも痒くもありません。

ただし、署名というのは自分の名前とか住所を書くことです。署名すると誰が署名したのか竹原/仙波さんにバレてしまうのです。竹原/仙波さんの職員に対する処分は理不尽であり、そのことを職員も知っていますから、職員の家族や親戚は署名を差し控える可能性があります。

警察が一般的に取り締まりを強化することによって市民に正当な権利の行使を思いとどまらせることがあり、この場合に警察の施策によって市民において発生する効果を「萎縮効果」と呼んでいます。この場合に大切なのは警察のやることは公正でもなければ法にかなってもいない、ということを市民が知っている時に大きな効果が得られるという点です。

この点、仙波さんにとって幸いなことは竹原さんによって市の環境が整備されていたことで、そのおかげで仙波さんはその資質を存分に活かしてのびのびと仕事をすることが出来ているようです。竹原さんも市役所に「警察」を導入した甲斐があったというものでしょう。

仙波さんの「恫喝」は、直接には市の課長級の職員に対して行なわれたものです。朝日新聞社の取材に対して仙波さんは「私のこうした話が外部に漏れること自体が問題だ」と言っていますが、これが所謂「守秘義務」というものでしょう。やはり不当な圧力をかけていることがバレるのはあまり気持ちのいいものでもないようです。

もっとも、これは課長級職員から直接に情報の漏洩があったものでもないと思われます。これは仙波さんの恫喝が功を奏したことによって明らかになったものであると考えられ、仙波さんの「計算外」の事態であった可能性があります。

「外部に漏れ」たのは、市の職員の家族が受任者を辞退した時に、その理由として委員会に対して述べられたものであると考えられます。つまり脅しを掛けるのが遅すぎたのです。もっと早くやっていれば、そもそも職員の家族が受任者になることもなかったのであり、不法な恫喝の事実が明らかになることもなかったでしょう。

これでわかるのが竹原/仙波さんのリコールに対する当初の見通しの甘さです。ことによると、「正義の味方」を連れて来て、ハリガミの人を復帰させ、議会を開くという、これらの弥縫策で充分に誤摩化せると、本当に考えていたフシがあります。

しかしながら「こうした話が外部に漏れること自体」が、情勢は竹原/仙波さんにとって予想外に不利な方向に進行していたことを示します。確かにこれは「問題」に他なりません。ご愁傷様です。

阿久根市内の情勢はこのようなものである可能性が高いと思われます。もっとも、世の中にはこんな竹原/仙波さんを支持している人も存在しているようなのは、世の中って広いんだ、ということを実感する数少ない機会ではあります。

そういう人たちは一時的な財政難が政治システムに致命的な損傷を与える十分な理由になると考えているようです。確かに「背に腹は代えられない」かも知れませんが、だからといって心臓と胃袋を取っ替えようというのも、これはまた随分とオッチョコチョイな提案であると言えるでしょう。もっとも、世の中には胃袋とチンポだけでこの世知辛い世の中を渡っている人も沢山いるようですから、大自然には人知では図り難いものがあるとしか言いようがありません。受任者の目標値に関する注記
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2010年08月17日

オマワリは死んでも治らない

阿久根市副市長「総務課などの職員は組合脱退を」


 鹿児島県阿久根市の仙波敏郎副市長は16日の課長会で、総務課、企画調整課、財政課の3課の職員を、市職員労働組合から脱退させる方針を明らかにした。竹原信一市長も了承したという。来年3月の組織改編での導入を目指し、労使合意をしたいとの考え。市職労を脱退しない場合は配置換えも検討するという。自治労県本部側は「地方公務員法に抵触する可能性がある」と反発している。

 仙波副市長は課長会で「近い将来、総務、企画(調整)、財政の職員はすべて職員労組からは出ていただきます」と発言。来月以降の団体交渉で提案するという。取材には「組織の中枢部に職員労組の方がいるということは守秘義務の点から問題があり、行政改革が進まなくなる懸念がある」と説明した。

 市によると、3課の職員は現在、計35人。課長などの管理職を除く29人が市職労に加入している。地公法によると、職員は職員団体(労働組合)を結成し、加入の自由が認められている。管理職は一般職員の労働組合に加入できないと定められているが、一般職員の加入を阻止する規定はない。

 阿久根市の場合、「管理職」の範囲を市公平委員会の規則で定めており、課長や課長補佐などが該当する。仙波氏は取材に対し、この規定を変える考えも示唆した。

 これに対し、自治労県本部の高橋誠書記次長は「公平委が規則を変えない限り、従う必要のない命令。団交は拒否しないが、最初から組合を抜けさせるなどと言っている人と話ができるのか。横暴だ」と話す。配置換えに言及した点についても、不利益な取り扱いを禁じた同法の規定に違反する可能性がある、と反発している。

2010年8月16日 asahi.com


市長の恣意によって特定部署に働く職員の組合加入を禁止することは、一般的に言って望ましいことではありません。仙波さんは理由として「守秘義務」を挙げていますが、これは労働者の団結権を制限する正当な理由になるほどに明確な概念ではありません。

しかしながら竹原/仙波さんの言うことから考えるに、「行政改革」という名目で竹原/仙波さんが一般職員に対して不利益な取扱をするにあたって、それは他に知られてはマズいような、正当な理由を欠く処分となる、ということが予想されます。

それだけではなく、それらの不当な処分に関して当該部署の職員には「守秘義務」がある、ということは、当該部署の職員に関してはそのような不当な処分が行なわれないことを示唆します。そしてこれは組合を脱退することによって、その職員は守られる一方、組合を脱退しない者には不利益な取扱がなされる、ということに他なりません。

これは不当労働行為に当たると思われますが、さすがは仙波さん、警察官の鏡です。オマワリさんは一般企業に再就職して「労務担当」になったりすることが多いものですが、仙波さんも何のことはない、他のオマワリさんたちと一緒です。「管理職」の範囲を変えて「名ばかり管理職」をつくるなどというのは民間ではありふれた違法行為でしかありません。「鏡」というのは、飽くまでその中でも「副市長」という多少は聞こえの良い椅子に座ってる、という意味です。何しろ他の人たちは裏方の汚れ仕事なんですから。やってることは同じですが。

組合を脱退して当該部署に勤務する職員が勝手に別の職員組合を作っても良いものかどうかは分かりませんが、おそらく竹原/仙波さんは当該部署職員を「名ばかり管理職」にして経済的にも「優遇」するんでしょう。その分他の連中の給与を下げるから大丈夫です。もっとも、組合としては強固な組合員が表向き組合を脱退して当該部署に潜入されるようにすることは可能でしょう。

これを恐れる竹原/仙波さんたちは、おそらく仙波さんの職業的知識に属する「思想」調査のようなこともして来ると思いますが、そんなものは偽装出来るので問題ありません。しかし組合が上記のような努力を怠る場合は中枢部署職員てゆーか名ばかり管理職と他部署職員の間の対立が先鋭化して業務に支障をきたし、市民に迷惑がかかることになる可能性があります。そして組合は一方的にその責任をおっかぶされることになりますが、それこそが竹原/仙波さんの狙いかも知れません。

竹原/仙波さんのやろうとしていることは憲法違反であり、こき使われるビンボー人に対する公然たる敵対行為ですが、仙波さんも「警察官らしい警察官である」とはいえ、晩節を穢すことかの浜田幸一さんに勝るとも劣るものではありません。本でも書いたらどうか。『日本をダメにしたオマワリの天下り』 『みっともない「生き方」をしよう!』 『センバ敏だう!』。
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2010年08月15日

鮨職人を顕彰する不倫の会

【仙台教諭殺害】「いつまでも生徒と先生…」教え子だった妻、“関係”に不満募らす

 仙台市の私立常盤木学園高の数学教諭、松本秀夫さん(当時56)が殴殺された事件で、殺人容疑で宮城県警泉署に逮捕された妻の美代容疑者(44)が、松本さんの行動を同容疑で逮捕された不動産会社役員、松山哲士容疑者(38)に携帯メールで連絡していたことが分かった。2人は不倫関係で、かつて松本さんの同高の教え子だった美代容疑者は、「いつまでたっても生徒と先生」などといびつな夫婦関係の不満を漏らし続けていたという。(夕刊フジ)

2010年8月14日 産経ニュース


なるほどですね。「ダブル不倫」という、今では極めて一般的な夫婦関係がなぜ陰惨な殺人事件にまで至ったか、『夕刊フジ』は夕刊ならではの憶測を勇敢に繰り広げています。それによると、教師という連中の矯正不可能な権威主義が自らの頭を潰すのに与って力あったということのようです。

報道によりますと、寿司屋の梅原さんが不動産屋の松山さんの指示によって犯行を行なったようで、松山さんの動機はおそらく「奥さんのため」だったのではないかということです。しかしながら奥さんの美代さんが被害者の行動を松山さんに知らせていたようですし、美代さんの意志に基づいて松山さんが指示し、それに基づいて寿司屋の梅さんが鮨を握る腕を金属バットに持ち替えて華々しい戦果を挙げた、ということだったのかも知れません。

すなわち梅さんを正犯として松山さんは教唆の関係にあります。ここで美代さんが松山さんに対して再教唆の関係があるのかどうかが問題であり、このあたり、美代さんの「犯罪責任」がどのようなものであったのか、今後の捜査に待たれる、ということになりそうですが、いずれにしても実行犯の梅さんは「悪い旦那の支配から奥さんを解放するため」だったからといって特に何か良い事をしたとか、褒められる、ということはないようです。

戦犯合祀、「問題ない」=仏極右党首らが靖国参拝


 フランスの国民戦線(FN)のルペン党首ら欧州極右政治家の訪日団が14日、終戦記念日を前に靖国神社を参拝した。同神社によると、外国の政治家の参拝はまれ。ルペン氏は参拝後、記者団に対し靖国のA級戦犯の合祀(ごうし)は「問題ない」との認識を示した。


 ルペン氏は「日本は自分の国を守って亡くなった方を非常に大事にしていると感じた」と強調。戦勝国が裁く「戦犯」の定義そのものに疑問を呈した上で、自身の参拝は「靖国神社は(戦死者が)正式に祭られている所だから、問題ない」と述べた。


 靖国問題がなお日本と近隣諸国のしこりとなっていることについては「戦争は65年前に終わったはずだ。フランスとドイツは和解した」と指摘した。


 一行は参拝後、境内に併設された戦史展示館「遊就館」を見学した。

2010年8月14日 時事


極めて卑近な例で言って松山さんはいわゆる「戦犯」、梅さんは一般の「戦死者」や「戦没者」に相当するところです。日本のマスゴミが松山さんの責任やら不倫やらを問題にするのに比べると、ルペンさんは明快であり、「「戦犯」の定義そのものに疑問を呈し」ています。松山さんだけ断罪され、梅さんが許されるどころか「よくやった」と褒められるということなど考えられないのです。「戦死者」は「戦犯」の指示に基づいて戦争を実行するものに他なりません。

犯罪者に対してどのような態度を取るかという点は、それはその人の思想信条ですから、ルペンさんがルパンさんのように犯罪に親和的であったとしても、それはあり得ることです。犯罪愛好家は日本にも多く、今回の犯罪ツアーは一水会の企画によるものです。「国民共同体の創出」を主張する一水会は「世界のあらゆる民族を尊重」するとか言っているようですが、「国内のあらゆる民族」を尊重しない点ではFNと同様であると思われます。

まあ、「国民」と「民族」の区別がつかない外国語は不自由なものですから、ガイジンの思想もなかなか難解ではありますが、いわゆる「愛国者」においては「国」を愛するあまり「nation」の資格審査がやかましいものです。概ね「少数者」を「国民」から排斥しようとするのですが、その結果国民の多くが「国民」になれなかったり、なるのに苦労したりすることが多いようです。

中でも「他民族」に加えて同性愛者が排斥されることになっている場合が多く、FNも同性間のパートナーシップを可能にするPACS(市民連帯協定とか民事連帯契約とか)の廃止を掲げているところです。まあこれには、婚姻に替わるパートナーシップとして異性間カップルにおいても歓迎されているところでありますから、その点もFNなどの気に入らない点かも知れません。いずれにしても「極右」においてはホモフォビア的態度が一般的のようですが、ホモソーシャルが戯画的にまで過剰である日本の「極右」において、彼等は自らが抑圧しているものを見せつけられることになるようです。

そういう人たちにとっては「お国のために死ぬ」こともろまんちっくな性的妄想の一部でありますから、靖国神社も青い目には「日本の”萌え”とかいうやつ」の一種だと思われている可能性があります。しかし実際に戦死した国民の多くがその手の性的嗜好を持っているかどうかは補償の限りではありません。

梅さんは騙されて先生の頭を潰したわけではないでしょうが、一方の兵隊さんは何か良い事をするんだ、あるいは何も悪いことはしないんだと思って出征していったのかも知れません。だとすると、これは例えばヤクザに騙されて何も知らないで覚醒剤などを運ばされるのと同じようなものだった可能性があります。

騙されるのは気の毒ですが、だからといって、いやキミのしたことは正しかったんだよ、などと言って二重に騙そうとするのは考えもので、単純に謝ってしまった方が良いようです。しかし愛国者の皆さんは梅さんだけが死刑になって、松山さんと美代さんが仲好く墓参りをして梅さんに「感謝」したりするのが「道義」にかなったことであると考えているようですから今日もスシが旨い。
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2010年08月14日

ネ申ノマの黄昏

我等がヒーロー、てゆーかヒール、小梛輝信さんはネ申『稲毛新聞』のトップニュースに出世なさいました。

小梛元議長が千葉市を訴える

 行政が個人の悪口公表は権限外
 無能力ぶりを証明した市長

   3百万円の慰謝料請求に狼狽

 先月号で報道したように、恐喝未遂事件で逮捕・起訴された小梛輝信元千葉市議会議長には、懲役3年執行猶予5年の判決が下されたが、小梛を担当した石井元弁護士は、弁護するどころか小梛に対して自白を強要したり、検事の言うことに従えば罪は軽くなるなど虚偽の指示をしたとして東京第二弁護士会に石井弁護士の懲戒請求をしていた矢先、今度は千葉市長を相手に訴訟を起こしている事実が判明した。訴状によれば、熊谷市長は職権で市役所幹部職員に対してアンケートを実施したが、権限外の行政指導で、あたかも小梛元議長が悪者であるという回答を引き出し、マスコミ各社に公表し、報道させたことは個人の名誉を毀損したことになると、国家賠償法に基づいて300万円の慰謝料を求め争っている。【文・佐藤正成】


   冤罪だ≠ニ主張する小梛元議長

 市会議員を4期務め、せっかく議長まで上り詰めたのに、現在はさしたる仕事もなく、自宅でひっそりと生活している小梛。逮捕されてから拘留中に強度の神経障害となり、耳が聞こえなくなり手術を受けたが未だ完治していないという。

 ようやく冷静さを取り戻し、事件のことを反省し振り返ってみると「オレは何も悪いことをしていない、冤罪だ」と言って憚らない。

 本紙は「盗聴の罠にハマッタ小梛」(2009年10月号)という見出しで事件を報道した。逮捕の直接の原因は、盗聴テープが最大の証拠になっている。

 市役所職員との会話盗聴・大成建設との会話盗聴。過去の判例では録音テープは改ざんが容易であり決定的な証拠とされないのが普通だが、なぜか小梛の場合テープが重要視された。

 恐喝未遂逮捕されたのは「町内にこんな人もいる」といって暴力団の名刺を見せた。見せるだけでは問題ないが、テープのやり取りが証拠となったようだ。

 伊藤安兼弁護士(やすかね法律事務所)は「会話は信頼の上で成り立つ。それを最初から何らかの目的をもって盗聴するということは信義に反する」と語る。


   権限外の調査

 小梛逮捕劇に便乗?した熊谷市長は、追い討ちを掛けるように市役所幹部職員千人に対して、職権で庁内ネットワークでメールによるアンケートを実施した。

 その質問内容は「過去5年以内に議長や議員から不適正な要求や圧力行為の有無」を問う質問である。

 熊谷市長は平成21年12月24日、記者会見でそのアンケート調査結果をマスコミに公表し報道させた。その内容は、あたかも小梛元議長は悪人であるかの如く、民間人になった元議長を行政が糾弾したことになる。

 熊谷市長が幹部職員のアンケート結果をマスコミに公表したことについて伊藤安兼弁護士は「議員と職員の関係について権限外の行政指導したことは明らかに逸脱した行為。アンケートは行政目的も明確ではなく、集計内容も前議長の悪口に終始しており、これをマスコミに公表したことは名誉毀損。千葉市の無能力ぶりを証明したようなものだ」と厳しく批判した。

 この第1回裁判は7月中旬に行われ、第2回裁判は9月14日に行われるが、成り行きが注目される。

 本紙はこの件で熊谷俊人市長にコメントを求めると「今後、裁判で適切に主張していきますが、元議長の恐喝未遂事件が社会に与えた影響は大きく、こうした行為は理解に苦しむものです」と回答してきた。

2010年8月8日 稲毛新聞


石井元弁護士が千葉市長を相手に訴訟を起こしたのかと思いましたよ。『稲毛新聞』は一部では「ネ申」と崇められているそうなのですから、佐藤さんもひとつそのつもりで、出来るだけでいいですから、せめて文章だけはマトモに書くようにお願いしたいものです。

名刺を「見せるだけ」なら「問題ない」のかも知れませんが、「住民の建設反対運動を偽装し、住民の中に暴力団員が存在する事を示唆して「なめんじゃねえぞ」と言うことは恐喝を企てる事に他ならないでしょう。佐藤さんは「盗聴」すなわち言葉による恐喝未遂行為の証拠が存在することが、何かとてつもなく悪い事のように書いていますが、なるほど小梛さんとその仲間達にとっては、それはとっても都合の悪い事ではありましょう。

石井さんに替わって弁護士は伊藤安兼さんです。この伊藤さんが単なる弁護士ではありませんが、なんでも司法書士資格取得のためのお教室に通っていたところ、講師の弁護士のネクタイが裏表だったので「こんなんだったら自分にも出来るんじゃないか」と思って弁護士になったんだそうで、まさにご自身のおっしゃる通り「志は気の帥なり」であります。

と、いうような事が本当に漫画で紹介されているんですから千葉は世も末ですが、
http://www.yasukane.jp/manga/index.html
漫画の中だけリープ21の伊藤さんは市原市の市議会議員もお務めだそうです。市原市の市議会議員に中にもネクタイをきちんと締められない人がいるようですが、市原市にも千葉市同様、立派な市議会議員が存在しているという事実は、局外者に取って誠に心温まる酒席の話題であります。

伊藤さんは、会話の録音は「信義に反する」とか言っていますが、会話の録音が行なわれた時点で「信頼」関係は既に損なわれていたと考えられ、それは録音された会話の内容から推定する事が出来るでしょう。もっとも、両者の信頼関係が崩壊するに至ったやりとりそのものは当然の事ながら録音されておらず、信頼関係の崩壊は推定に過ぎないともいうことが出来ます。そこで大成建設側は通常想定される信頼関係が存在するところ、信義に反して録音を行なった、と主張する事が出来る、と考えた模様です。

さすがに弁護士は考える事が違います。小梛さんのようなクライアントの要望に応えるにはこのように柔軟な頭脳を駆使しなければなりません。それが結果としてヤクザの難癖に類するものであったとしても仕方ありません。元々そうなんですから。もっともこのような話が法廷で通用するのかどうか知りませんが、少なくとも伊藤さんと会話するときは「信頼」は難しそうであり、「最初から」録音しておく事が必要なようです。

実際には伊藤さんはこんな恥ずかしい議論を法廷で持ち出さずに済むでしょう。争われているのは「盗聴」でもなければ「恐喝未遂」でもありません。そんな事を問題にしているのは佐藤さんであり、小梛さんではありません。小梛さんは、千葉市長に対して損害賠償請求をしているのです。

千葉市は小梛さんの事件を受け、以前から問題視されていた小梛さんの言動、すなわち議員がその立場を利用して行政側に不当な要求をしたりしたことがあったかどうか、確認をとったものです。中には小梛さんが市の職員に対して公共工事の発注方法を変更するように怒鳴り上げ、その結果その工事は小梛組が受注する事になった、という事例もありますから、そのようなことで行政の適正を阻害された事例を調査する事には正当な行政目的が存在するでしょう。

ところが伊藤さんは「議員と職員の関係」において不当な行政が行なわれることを防ぐ事は「逸脱した行為」であると言っています。それは市長の「権限」ではなく、市長はこのような事態を黙って指をくわえてみていれば良いんだそうです。まあ、前の市長はそうしていましたし、自分でもやっていたわけですが。あまり大きな声では言えないことですが、千葉市や市原市ではこういうのが市議会議員が真っ昼間から大きな声で言って憚らない見解なのです。

集計の結果が「前議長の悪口に終始」してしまうのは、これはもう仕方のない事です。小梛さんがネタを提供しているんですからどうしようもありません。「あたかも小梛元議長が悪者である」ように見えるのは、小梛さんがあたかも悪者であったからに他ならないとしか言いようがありません。問題の「アンケート」は千葉市のHPで公表されています。

「前議長等からの職員に対する要求行為に関する調査について」
http://www.city.chiba.jp/somu/shichokoshitsu/hisho/hodo/kisya/download/09122421.pdf

このアンケートは千葉市職員のうち管理職1009名を対象に行なわれ、そのうち524名から回答を得ています。調査の対象事象は「平成16年4月1日以降(約5年以内)に、前議長から受けた不適正と思われる要求と要求に伴う圧力行為の有無」と「前議長以外の市議会議員からの要求行為」です。

524名のうち小梛さんから「不適正と思われる要求を受けた経験があると回答した者」は29名です。「要求の対象となった事務」では「入札・契約」が16件と最多で、具体的には「道路本体工事と安全施設の分離発注を求められた」、「特定の業種から指名するよう要求された」、「特定の事業者の届出を早く受理するよう求められた」というような要求がなされていたようです。

「要求の際の圧力行為の有無」については「再三の要求や長時間の拘束」が10件、「怒鳴る・机をたたくなどの粗暴な行為」が9件のほか、「議会対応を困難にすることを示唆」、「人事上の不利益を示唆」などの、幾分か「知能的」な事案も数件存在します。

粗暴な行為等が多いのも分からなくはありません。要求に対して「不適正・不公正であり断れる」と、職員ですらが思ったものが13件も存在します。おそらく小梛さん自身も「無理」と思いながら要求した事例もあった事でしょう。そんな場合には「粗暴」なやり方がものをいいます。ところが一方では「要求に応えた」ものも4件あったのです。「不適正」な要求30件に対して4件ですから打率は.133。押しも押されぬ1割打者です。

ところでこの訴えは実は6月1日に起こされています。佐藤さんは小梛さんが「強度の神経障害となり、耳が聞こえなくなり手術を受けたが未だ完治していない」というような些末な事には詳しいようですが、この件「判明した」などと知らなかったふりをしているようですが、やはり仲間としてあまり筋の悪い訴訟の事を賑々しく書き立てるのは、さすがに憚られたのかも知れません。何故今になって書く気になったのかは分かりませんが、この件自体は『千葉日報』で既報であります。

千葉市長を名誉毀損で提訴  
小梛元市議長


 千葉市議会元議長の恐喝未遂事件を受け、同市が実施したアンケートをめぐり、小梛輝信元議長(67)=恐喝未遂罪で執行猶予中=は1日、結果を公表し名誉を毀損(きそん)されたとして、熊谷俊人市長を相手取り、精神的苦痛に対する慰謝料330万円を求める損害賠償訴訟を、千葉地裁に起こした。

 訴状では、アンケート結果の公表により小梛元議長が「回復しかけていた市民からの信用を再び失い、市政への復帰がますます困難となった」としている。

 小梛元議長は「大きい声を出したことはあるが、圧力とは思っていない。議員活動の一環。判決が決まった後、全議員を対象にせず、弱い者いじめだ」と述べた。

2010年6月2日 千葉日報


なんと小梛さんが被った不利益とは「市政への復帰がますます困難となった」ことなんだそうです。塀の中に行かなくても懲りない人は懲りないものです。市の職員を怒鳴ったり机をたたいたりして小梛組ために仕事を取って来るのは、小梛さんにとっては立派な「議員活動の一環」です。もちろん、小梛組だけでなく、『稲毛新聞』に広告を出したりしている会社は全て小梛さんの「議員活動」から利益を得ている疑いが濃厚である、てゆーかそのような悪いイメージがまとわりつくことになるのは避けられないのですが、佐藤さんが経営を度外視して小梛さんの支援を続けているのは現代のマスゴミの中においては奇跡と言うべきかもしれないとはいえ、なんというか極めて明解に間違っているところが、千葉という土地柄を良くも悪くも反映しているとかなんとか言うべきでありましょう。
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2010年08月13日

燃えろ都合のいい女

【児童虐待死】厳罰化新法などを求め、署名10万人、国会へ


 相次ぐ児童虐待の防止策を国に求め川崎市と神戸市の女性が別々に始めた署名活動への賛同者が合わせて10万人を超えたことが11日、分かった。署名のきっかけの一つになった大阪市の松本聖香さん=当時(9)=が虐待され死亡した事件以降、全国ですでに20人を超える子供の命が失われた。2人は新たな虐待防止策が一刻も早く確立されることを願い、歩調を合わせることを確認。集めた署名を9月の次期通常国会にそろって提出する。

 2人は、川崎市麻生区の会社員、成田浩子さん(34)=ひまわり署名プロジェクト=と神戸市灘区の主婦、藤原八重子さん(64)=児童の虐待防止を切に願う会。

 成田さんは昨年4月の松本聖香さん虐待死事件で、加害者が殺人罪に問われなかったことに疑問を抱き、活動を始めた。聖香さんが死ぬ直前、うわごとのようにつぶやいたとされる「ヒマワリを探しているの」という言葉から活動の名前を付けた。

 児童への虐待行為そのものを取り締まり、厳罰化を盛り込む新法「児童虐待致死傷罪」の制定のほか、児童相談所と警察などの関係機関の情報共有の徹底などを、インターネットや街頭で訴えてきた。

 全国で虐待事件が起こるたび署名は増え、7月は聖香さん事件の裁判や大阪市西区の2幼児置き去り死事件の影響で、一気に増加。8月9日時点で計約7万6千件に達した。成田さんは「事件の多さに悲しくなるが、署名してくれた人の思いを虐待防止策の実現に生かしたい」と話す。

 藤原さんは、奈良県桜井市の吉田智樹ちゃん=同(5)=が3月に虐待死した事件を機に活動を始めた。育児放棄(ネグレクト)されていた智樹ちゃんの体重は約6キロ。藤原さんは、生後4カ月だった孫とほぼ変わらないことに驚き、怒りと悲しみがこみ上げてきたという。

 活動では「親に見放された子供は社会が守るしか手だてがない」と呼びかけ、病院などからの通報に行政が迅速に対応できる態勢づくり、児相の増設・増員などを訴え、4カ月足らずで約3万3千件を集めた。

 5月5日のこどもの日には、「ひまわり」が関西で初めて実施した神戸市須磨区での街頭署名にも飛び入り参加。藤原さんは「以前から協力したいと思っていた。10万人のインパクトは大きく国を動かせるのではないか」と期待を込める。

 両者の請願書の内容は完全には一致しないが、成田さんは「虐待防止策の充実という目的は同じ。一緒に国会へ提出して訴えたい」と話している。

2010年8月11日 産経ニュース


「両者の請願書の内容は完全には一致しない」にも関わらず、成田浩子さんによれば「目的は同じ」なんだそうです。もう一人、藤原八重子さんという人もいるそうですが、こちらの方はどういう考えでいるのかよく分かりません。この記事では成田さんの方が主導権を握っているように見えます。

「ひまわり署名プロジェクト」という名称は松本聖香さんが「うわごとのようにつぶやいたとされる」言葉から採られているそうですが、成田浩子さんの言っていることは完全な「うわごと」のようです。「児童への虐待行為そのものを取り締まり、厳罰化を盛り込む新法「児童虐待致死傷罪」の制定」だとか「児童相談所と警察などの関係機関の情報共有の徹底」に何の意味があるのか、全く分かりません。

成田さんは「児童への虐待行為そのものを取り締ま」るんだそうですが、これはなかなか良いアイデアです。「虐待」は「取り締まり」の対象であり、「犯罪」として扱われるのです。したがって、虐待を行なう親は児童相談所に相談に行くときは覚悟しなければなりません。それは「自首」に他ならないからです。なにしろ児童相談所は警察と「情報共有」を「徹底」することになっているのです。「相談」しているとオマワリさんが来て手錠をかけるのです。もし「相談」に行くとすればですが。このようにして、先ずは親の「相談」件数が減少します。「件数」さえ減少すればそれは「防止策」が功を奏したものと言って言えない事もないでしょう。

「虐待」の通報者には更に重大な責任が課せられます。「通報」はもはや虐待されている児童を救うことを意味しません。それは隣人を「犯罪者」として警察に引き渡すことなのです。しかし、もしあなたが「通報」した人が、「児童虐待致死傷罪」を犯した「犯罪者」と認められなかったらどうなるでしょう。あなたは何の罪もない隣人を「犯罪者」と名指し、オマワリさんに手錠をかけさせ裁判官に審理させ、要するに現状ではこれだけでもう排斥されるに充分な境遇に追いやることになるかもしれないのです。このようにして「通報」件数も減少するでしょう。

成田さんの主張するところは、「虐待」の「発生件数」を減少させるのに確実な効果が期待出来ます。しかしながら成田さんによる説明はこのように明解なものではないようです。

署名の第1回提出について

〜ひまわりで今まで集めていた署名を
『第1回分』として次期国会へ提出します〜
 
 
当署名へのご支援、ありがとうございます。
産経新聞で報道されております通り、頻発する虐待事件への少しでも早い対策を願い
児童虐待の防止に向けた体制強化を求める署名(児童の虐待防止を切に願う会 藤原八重子さん)と連携の上で 今まで頂いたご署名を第1回分として提出することとしました。
提出を行ってもひまわり署名の活動は今後とも続けて参ります。
 
 
署名を開始してから厳罰化だけでは虐待は防げないという意見を何件か頂きました。
それについては私も全く同意見です。
ではなぜ厳罰化を第一に掲げているかというと
・現在は虐待をみてもその家庭の躾であるという意識がまだ根強い。
 →虐待を罪とすることで通報件数の増加を狙う
・今は家庭内になかなか立ち入れない警察が虐待に対して積極的に動けるような状態にして
  子供の命を守ることを最優先にする。
  …という意図があります。
 
虐待をなくすためには周囲の虐待への関心を高めること、何かあったときに
すぐに親子をサポートできる体制を整えることが必須だと思います。
ただ、それにはある程度の段階が必要なのではないでしょうか。
 
以前に聞いたものですが、
フランスのマクドナルドで4歳くらいの女の子が床にポテトを落としてしまったところ、
一緒にいた母親が激昂し、女の子の頭を床に擦り付けた。
それを見ていたある男性客が母親を止め、別の客が子供の保護を行っている間に
周囲の数名が通報の電話を入れていた…という話がありました。
 
もしこれが日本であれば?と考えると周囲の客が行えるのは店員への連絡程度で、
母親を止めるという行為にはなかなか及ばないのではないでしょうか。
これは国民性だけではなく、ひとりひとりの虐待に対する関心の高さによるものだと思います。
日本では子供を殴るのは親の躾であり当たり前と言う考えがまだまだ根強く残っています。
そんな中で「躾」に介入するのをためらうのは自然な流れだとも思います。
でも、私はその部分の認識を変えていきたいと考えています。
もし『虐待は躾であり当然』という考えが『虐待は問題行動だ』という考えに変わる人が増えれば、
虐待でいのちを落とす前に周囲が介入することがもっと容易になるのではないでしょうか。
もちろんただ罪とするだけではなく、親子を引き離した後での両者のカウンセリングや
親に対しての教育を行い、再発しないための環境を作る手伝いをするであるとか、
社会全体で有事の際にすぐに動けるネットワークを準備しておくこと
つまりは再発防止のためのシステム構築を行うというのが不可欠だと思います。
 
ただこれらを一気に行うことは現状では難しいと思います。
まずは着手しやすく、一番多くの人の認識を変えられる部分としての罰則化を
虐待減少のためのステップの一段目にできれば、と考えています。
 
どうぞ今後とも皆様のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。

2010年8月11日 ひまわり署名プロジェクト
http://blogs.yahoo.co.jp/maylibrids_hope/16333195.html


成田さんは「なぜ厳罰化を第一に掲げているか」ということについて説明を試みています。ここには涙ぐましい努力があります。しかし残念なことに「努力」しか存在しません。そして「努力」は、それに相応しい結果を上げることが出来ずにいます。なによりも成田さんが「不可欠」であると書いている「親子を引き離した後での両者のカウンセリングや親に対しての教育を行い、再発しないための環境を作る手伝いをするであるとか、社会全体で有事の際にすぐに動けるネットワークを準備しておくことつまりは再発防止のためのシステム構築を行う」ことと「厳罰化」が全然両立していないのが涙なくして読む事は出来ません。

「虐待を罪とすること」自体に「通報件数の増加」という効果が期待出来ないのはともかくとして、そのことによって「虐待をみてもその家庭の躾であるという意識」を「変えていきたい」というのは、いくらなんでも無理な相談というものです。その前に「躾=虐待」という「認識」がなければならないからです。

しかし、成田さんが「どういうわけだか」そこのところをすっ飛ばして話をしているので、何がなんだかさっぱり分からなくなるのです。「子供を殴るのは親の躾であり当たり前」は「虐待」に他ならない、ということをちゃんと書かないといけません。ところが、成田さんはそんなことを書こうともしないのです。

成田さんの議論を上記のように捕捉するとすれば、新たに「児童虐待致死傷罪」などというものを設定するよりも、民法第822条の親権者による懲戒権を廃止することが論理的です。仮にこれを放置したまま「児童虐待致死傷罪」を制定するとしても、「虐待をみてもその家庭の躾であるという意識」が変わることはありません。もちろん虐待者がこの罪による訴追に対して「懲戒権」をもって抗弁することは今まで通り全く可能です。

もっとも、いくら「懲戒権」でも「死」は国家の独占であるところ、餓鬼を殺してしまった場合には「躾」もなにもあったものではないでしょう。そして、事ここに至ってはじめて「児童虐待致死傷罪」が問題となり得ます。つまり、「児童虐待致死傷罪」は相当に重大な被害の発生を待たざるを得ません。「懲戒権」がある限り、どこにあるのかわからない「懲戒」の限度を踏み越えるまで、餓鬼は苛められるままなのです。「虐待」を「防止」するためには被害児は死ぬか、場合によってはそれ以上の損害を受ける必要があるわけです。

したがって成田さんの主張するところは無意味である以上に危険です。仮に成田さんが児童虐待の防止を目標としているのであれば、それは児童の死によってしか果たされる事がないからです。そして逆に、成田さんが児童の死を望まないのであれば、その目標は虐待を「死なない程度」に抑制する事でしかありません。これは被害児にとっては「生き地獄」となります。

押尾さんは地獄の入口にいるのかも知れませんが、餓鬼共は成田さんのおかげで生きたまま地獄を見る事が出来ます。これが成田さんの目標なのかどうか知りませんが、少なくとも「児童虐待致死傷罪」の制定によって「懲戒権」の撤廃は回避される事になるでしょう。それが成田さんの狙いであるかどうかはわかりません。しかし成田さんは自らの議論の展開が必然的に要請する「懲戒権の撤廃」について敢えて書くことはないようです。

成田浩子さんは34歳にもなってこのような大間抜けなので、産經新聞にしか報道してもらえないのも自業自得と言うべきでしょう。Gppgleの「ニュース」で検索する限りは「ひまわり署名プロジェクト」を報道しているのは上記の8月11日の記事、8月1日の産経大阪、そして7月22日の「産経抄」のみです。何か特別の関係があるのか知りませんが、それは何故か下村さんの事件の1週間前から始まり、ほぼ10日ごとに記事になっている、ということのようです。

ちなみに「ひまわり署名プロジェクト」の「紹介議員」は民主党の笠浩史さんです。笠さんは成田さんが大切な事をすっかり書き忘れているのをいいことに乗っかっちゃったようですが、品のない行いです。「一介の主婦&会社員」にすぎない成田さんの、素人故のバカに乗じて民法改正を阻もうとしているのに違いありません。もちろん「児童虐待」を「防止」しようなどという気はさらさらないでしょう。むしろたまたま突出した「重大事例」のみを「厳罰」で処置することによって「虐待」を全体として隠蔽し、保守しようとしているにちがいありません。まったく、アタマの悪い女性を利用するとは男の風上にもおけない卑劣漢ではないでしょうか。

可哀想なのは『サッチャー改革に学ぶ 教育正常化への道』や『教育激変 - 新教育基本法案がめざす「家庭」「学校」「日本」の10年後』に書いている、およそ「児童」に限らず何人の権利といえども尊重しないような、特に女性を道具のように扱って恥じない笠さんに、まさに道具として利用されている成田浩子さんであります。おそらくマトモに言葉を話したり、字を書いたり、署名を呼びかけたりするようなことは難しすぎるのでしょう。成田さんはこれを全部やっています。それも立派にやり遂げているようです。おそらく僕なんかが思っているほど低能でもないのでしょう。彼女は自分のやろうとしている事を知っているのです。言わないだけです。利口な人がワザと言わないでいることを言ってしまう僕が低能で池沼でくるくるぱーです。
posted by 珍風 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

ファシズムのおけいこ

森元首相長男を2番目に軽い処分…自民県連


 森喜朗元首相の長男、森祐喜元県議(45)が道交法違反(酒気帯び運転)容疑で逮捕されたことを受け、自民党石川県連は10日、議員協議会を開き、遊説局長などの役職を停止する処分を決めた。

 また、森元県議は離党の意思を、福村章幹事長に伝えており、離党届が提出されれば、県連は受理する方針。

 処分にあたっては、森元県議がすでに議員辞職しており、離党の意思があることから、6段階のうち2番目に軽い処分となった。議員辞職に伴い空席となった建設委員長の後任については、他会派との協議を含め福村幹事長に判断を一任する。

 馳浩県連会長は「県民の負託を受けて、規範となるべき立場にあるにもかかわらずこのような不祥事を起こし、県民におわびしたい」と謝罪した。

2010年8月11日 讀賣新聞


「規範となるべき立場」じゃないでしょ、「模範」でしょ。ったく、石川県の自民党ときたらどいつもこいつもですが、親分が親分ですから一日一つの言いまつがいが義務づけられているような、そんな空気を読みましょう。

それでも森祐喜さんは「バカ息子特権」によってドーピング検査も受けずに野に放たれ、さっそく一服したかどうかは定かではありません。日本における「セレヴ」パーティの第一人者、野口美佳さんによると押尾学さんの顔は「よく出来ている」そうですが、はやりイザとなると男は「顔」より「カオ」です。もっとも野口さんは森祐喜さんと「面識はない」んだそうです。

さすがはミカジョン、醜男の顔は覚えていないんでしょう。六本木でも森祐喜さんは「森喜朗の長男」でしかなく、パンツ屋すら覚えていなかったようですが、そうであってこその「バカ息子特権」です。

世の中には色々な「特権」があって、「金メダル特権」などというものもあるそうです。「モンドセレクション」の「最高金賞」ではそれほどのこともないようですが、オリンピックだとエラいんだということで、金メダリストたちが能もないのにご活躍の様は森祐喜さんと五十歩百歩とはいえ、どちらもお薬とは切っても切れない業界です。

もっとも、オリンピックなどはドーピングを解禁してしまえば、記録は伸びるし、潰しの効かない用済みの選手が生き延びてウロウロすることもないわけで、これは一考の価値があると存じますが、「バカ息子」の方はクスリで廃人になったのか遺伝のせいなのかよく分からないところが問題であります。

このような「バカ息子」や「スポーツバカ」の「特権」も「許さない」ための「市民運動」、「バカ特会」があったりすると面白いのですが、「在特会」などは本当に世の中のためにならないような「特権」は取り扱わないようなのは残念です。とはいえ、彼等が「特権」という言葉に目をつけたところは、バターココナツに「モンドセレクション」のマークを付ける程度の上手いアイデアであると言えないこともありません。

もっとも、警察は「バカ息子」ならずとも被逮捕者の人権に配慮した対応が求められるのと同様、「特別永住者」が他の外国人と比べて「特権」を有するのだとすれば、他の外国人も同様に取り扱うように主張すれば良いわけのところ、「特権」を云々する人はなんだか知りませんが逆に他人の待遇を悪くすることばかり考えていることが多いようです。まあ、「特権」が敵なのではなくて、敵を「特権」と呼んでいるわけですが。

不満の「風船」火がついた


異常事態にあることは、間違いない。市長の振る舞いが批判をあびる
鹿児島県阿久根市のことだ。でも、熱く支持する市民多数。理由を探しに、街を訪ねた。
「最も辞めてもらいたい議員」のネット投票を呼びかけたり、市職員の給与明細を公開したり、市議会を開かなかったり。
 2年前の初当選以来、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(51)は、強烈な言動や強引な政治手法で全国的な注目を集めてきた=77ページ。
 鹿児島県の伊藤祐一郎知事は、地方自治法にのっとり2度にわたって、議会が開かれない状態の是正を勧告したが、竹原氏はこれを無視。原口一博総務相も今年7月、「違法な状況が続くことは看過できない」と述べている。
 しかし、いまも彼を支持する市民は少なくない。その理由が知りたくて、阿久根市を訪ねた。


   妙な浮遊感覚える街

 阿久根市は、鹿児島県北西部に位置する人口2万4千人の港町だ。
 市中心部の商店街は、昼間だというのにシャッターが下りたままの店が多い。バス停のベンチにはおばあさん2人が腰掛けているが、その他に人影はない。竹原氏が呼び寄せたとされる画家があちこちのシャッターに少女や犬、サーフィンなどの絵を描いていて、それらが統一感なく目に入ってくる。35度近い気温と海からの湿気もあってか、妙な浮遊感を覚える。
 商店で店主らに話を聞くと、多くは竹原氏に好意的だ。
「改革のためには命も惜しくないと言っている。肝が据わっていていい」
「知事や裁判所の言うことまで聞かないのは、大したもの」
 彼らがそろって口にしたのが、市職員の給与(09年度)やボーナスを減額したことに対する称賛だ。
「官民格差を縮めてくれた。ブルジョアは『反竹原』だが、我々底辺の人間は、市長は自分たちのためによくやってくれていると思っている」(84歳男性)
「市の職員はもらい過ぎ。それを減らすだけでなく、市長は自分の給料も減らした。そこがえらい」(81歳男性)
 かつて漁業基地として栄えた阿久根市は、近年、水揚げが大幅に減少。高齢化による後継者難もあって農林業も低迷している。市民の年収は、「200万円前後の人が大半。社長の自分も300万円台」(水産関連会社経営)という状況だ。
 街全体が疲弊する中、市職員の平均年収は600万円と飛びぬけている。街でよく耳にした「いい家に住んで、いい車に乗っているのは市職員」という言葉も、あながちうそではなさそうだ。阿久根市には、
「市職員ばかりがいい思いをしているという不満が、ガスのように充満していた」(市内の自営業者、57歳)


   市民にすれば痛快

 この充満したガスに火をつけたのが、竹原氏だった。「官民格差の是正」を掲げて08年8月の市長選に当選。市職員の給与を公開すると、「やっぱりこんなに差があったのか」という市民の思いが燃え上がった。
 竹原氏が市職員と自身の給与のカットに乗り出すと、市民は拍手喝采。当初は竹原氏を支持していた牛之浜由美市議は振り返る。
「市民にすれば、痛快だったんです」
 出直し選挙で当選後は、保育料の半額補助やゴミ袋の半額化、固定資産税の引き下げなど、市民が効果を実感しやすい施策も次々と打ち出した。ただ、財源の裏づけがないという批判もある。
 竹原氏の選挙は、初当選のときも、再選されたときも、辛勝だった。
 4人が立候補した1回目の市長選は、竹原氏の5547票に対し、次点候補5040票とわずか507票差。再選された出直し選挙でも、竹原氏8449票に対し、相手候補は7887票。市民の半数近くが竹原氏に「ノー」を突き付けたとみることもできる。
 しかし、当の竹原氏にこの事実に対する謙虚さは見られない。


   議会なんかどこも一緒

 今月4日、夜9時を回った市役所で、就任間もない仙波敏郎副市長に話を聞いていると、竹原氏が現れた。市長室で向き合うと、国会を含め議会なんか全国どこでも一緒、議員には「欲」しかないなどと説いた。自分は社会の仕組みをよくわかっているという風だった。
 では一体、市長はいつから世の中をお見通しなのか。そう尋ねると、こう返ってきた。
「小学3年のときに、大人は何もわかっていないなと突然感じました」
 竹原氏については解職を目指す動きが広がっている。今月中旬からリコール請求の署名集めを始める市民団体「阿久根市長リコール準備委員会」の川原慎一委員長(42)はこう話す。
「市長は自分の考えを押し通そうとするばかり。議員や公務員に対する批判は理解できるが、(改革のためには)面倒でも通っていかなくてはいけない道のりがあるはず。それを飛ばしてしまう人間は、リーダーとしてはダメだ」
 川原氏の言う「道のりを飛ばす」ことの象徴が、議会だ。例年6月に開かれてきた定例会を開かず、その後市議らが臨時議会の開催を求めているにもかかわらず、開いてこなかった。地方自治法は首長に議会の招集を義務づけているが、竹原氏は「議会は自分の妨害ばかりする」と招集を拒んできた。


   竹原市長出現の素地

 この間、竹原氏は「独断」とも言える専決処分を連発。一般会計補正予算や、議会の同意が必要と法律で定められている副市長の任命など、その数は十数件に上っている。
 かつては竹原氏を支持していた市民団体「阿想会」の松岡徳博会長(56)は、こう言う。
「竹原氏は考えの異なる人に対する説明や説得の能力がない。議論をしたら負けるから議会を開かなかった」
 一方、竹原氏はこう言う。
「議会は議論の場ではない。市長は逆質問ができないなど、議論をしてはいけないことになっています」
 では議会は不要?
「議会って何ですか? 儀式なんです。あなたの質問は、儀式がいるのかと聞いているのと同じだ」
「リコール準備委員会」の川原委員長は言う。
「市長はリコールを阻止しようと、また市職員の給与カットを打ち出すなどして、市民の人気取りをしようとするかもしれない。市民の自覚が問われている」
「竹原人気」の背景にあるのは、経済苦に見舞われた地方都市と、そこに暮らす人々の閉塞感だ。竹原氏のような市長を生み出す素地は、どこの街にもある。
 竹原氏は今月5日、臨時議会の招集を決めたという。

編集部 田村栄治

2010年8月9日 AERA


竹原さんも「特権を許さない」ですが、「市民の会」ではなくて「市長」です。なにしろ竹原さんによれば「日本の地方議員は世界の超特権階級」(「住民至上主義」2010/06/24)で、鹿児島県議会議員に至っては「超 超 特権階級」(「住民至上主義」2010/06/25)なんですから、そこに「特権」が存在するかどうかは、もっぱら関係が友好的であるか敵対的であるかどうかにかかっています。

阿久根市でも、問題は地方経済の潰滅であり、地方でもどこでも発生している労働者の低賃金化です。しかしこれらを解決するためには、例えば民間企業の経済的自由を制限する必要もあるでしょうが、それを回避したい財界の意向も存在するでしょう。

竹原さんも土建業者の端くれであり、そして端くれでしかないのですが、端くれだけに、利害関係の意識は尖鋭であり、「問題」の解決を回避するために出来る限りの努力を払っているところです。そこで例えば、商店が儲からん、会社の給料が安い、などということを「問題」にするかわりに、それと「比較して」公務員の給与が高い、いわば「公務員特権」の存在を措定し、それを「問題」の代りに「解決」することにしました。

貧窮化が進行し、多くの人が今後ますます進行するであろうと考えている時に「特権」への攻撃が極めて有効であることは「在特会」の皆さんと全く同様、正しい認識ではあります。「市の職員はもらい過ぎ。それを減らすだけでなく、市長は自分の給料も減ら」すことによって、マイナス方向に「官民格差を縮めてくれ」ることは、この「底辺の」ご隠居さんたちにとっては何の利得にもならないのですが、文字通り「痛快」なわけです。痛いけど、気持ちいいから、まあいっか。

反「ブルジョア」的な「底辺の人間」の経済的不満を巧みに利用するあたりは、まずは教科書通りのファシズムの真似事と言って良いでしょう。ついでに言えば「RCサクセション」や「トンデモ」「陰謀論」などの「大衆文化」を引用したり、「人類の生命力」などという、これは「在特会」では国家そのものが代入されている箇所ですが、竹原さんは『ムー』でもかぶって来ちゃったのか知りませんが「国家」とは言いません。実はどっちでもいいんで、どちらも同じ「至高性のまがい物」です。こんなものを持ち出すあたりも笑っちゃうほど典型的なファシストの身振りをなぞっています。

もっとも、住民の方はというと得票率51.7%という、「ファシズム」にしてはちょっとお寒い状況であります。もっとも考えてみれば公務員だって商店のお客さんですし、その給与は地元の収入にもなるんですから、ある程度溜飲を下げたら、それ以上は困るでしょう。「また市職員の給与カットを打ち出すなどして、市民の人気取りをしようとする」ことが有効かどうかは不明です。だからといって竹原さんには他に出来ることもなかったりするのです。あとは海外侵略か、市内の反市長派の虐殺を始めるかしか手がありません。竹原さんの「人類」を動員した「悪い企み」は空回りしています。てゆーか、だいたい80代の爺さんにRCってどうよ。
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2010年08月09日

石川県で空飛ぶイノシシの被害

石川県警、森元首相の長男を釈放 近く書類送検


 石川県警小松署は8日、道交法違反容疑で逮捕した森喜朗元首相の長男森祐喜元県議(45)を釈放した。任意で取り調べ、近く書類送検する。

 森元県議は7日午前、小松市で酒気帯びの状態でワゴン車を運転、ハンドル操作を誤りコンビニに突っ込んだとして逮捕された。

 森元県議は8日午後7時ごろ、拘置された小松署を出て、詰め掛けた報道陣に頭を下げ「県民の期待に応えられず、大変申し訳ありませんでした」と謝罪した。

 7日付で辞職願を県議会議長に提出、受理された。

2010年8月8日 共同


石川県民の皆さんがどんな期待をしていたか知りませんが、一部ではある種の「期待」には充分に「応えた」とも言われております。といっても別に深い意味はなくて、いつかはこんなことをやるだろう、という程度の「期待」ですが。

マスゴミがこぞって「森元首相の長男」なんて書くもんですから、知らない人は未成年者かと思ってしまいます。やはり何というか、45歳になっても「誰々の息子」としか書いてもらえないのはどんなもんか。もっと知らない人は現在の首相は森元さんか、と思うのかも知れません。あの菅さんの存在感の薄さでは、そう思ってしまうのも無理はありません。

しかしながら森祐喜さんを「知らない人」がいるでしょうか。彼は日本の県議会議員の中でも指折りの有名人である事は確かです。下手をすると某無名自称俳優よりも有名かも知れません。彼の六本木界隈における押しも押されぬ存在感は、そのムダにデカい図体によるものばかりではないのでした。

したがって、仮に見出しに「森祐喜逮捕」などと出るならば、人々は全く正当に事態を誤解してしまう虞れがある、と言えるでしょう。僕だって5分間くらいは、おおついに来たか、などと、あらぬ「期待」を抱いたりしたものです。

結果としては石川県警はろくに調べもせずに放しちゃったみたいですから、世の中の裏側ではお父さん、てゆーかその他諸々のステークホルダーによるサタデーナイトフィーバーが繰り広げられたことは想像に難くありません。

そもそもゆうきクンが空を飛びたくなったのは5日(木)頃から、様子がおかしかったと言われております。

県議会事務局によると、この日は自分が委員長を務める県議会建設委員会で金沢・加賀地区の地域視察があったんですが、これを急遽欠席しています。翌6日には加賀地区開発促進協議会として経産省や国交省への要望に行かなきゃいけなかったのに、これもドタキャン。しかし以前から遅刻早退が日常茶飯事だったので、誰も特に怪しまなかったようです。

この日に何があったかというと、例の某無名自称俳優こと押尾学さんの「獄中ノート」が、『エッジ・スタイル』というギャル系ファッション雑誌に掲載されることが報道されましたから、森祐喜さんの耳にも5日には入っているはずです。何が書いてあるのか心配ではないですか。建設だ開発だといっている場合ではない。

元俳優・押尾 学被告が拘置所内で書いたという手記の一部を雑誌で公開


元俳優・押尾 学被告(32)が拘置所内で書いたという手記の一部が、雑誌で公開される。

2009年8月、合成麻薬MDMAを使用したとして逮捕された元俳優・押尾 学被告は、一緒にMDMAを使用した女性に適切な救命処置をとらず死亡させたとして、2010年8月6日現在も東京拘置所に拘置されている。

その押尾被告が心情をつづったノートが、7日発売の雑誌「エッジ・スタイル」で公開される。

ノートには、「2009年の8月以降、周りからつきあいを断たれ、以後の人生は、ただ転落の一途をたどった。真実を知らないくせに、沈みかけた船からは、真っ先にネズミがいなくなる。おれは今じゃ沈没したぼろ船と一緒」、「信実は一つ、その信実は曲げることはできない。おれは信条に生きてきた男です。自ら事実を曲げてしまうと、これまで歩いてきた自分の人生も否定することになる」、「一日一日を大切に生きたい。犯罪者の汚名を着せられて、『押尾 学』というブランドもはく奪され、死に物狂いで無罪を取る」などと、心情がつづられている。

およそ50ページにも及ぶという押尾被告の手記は、弁護士を通じ友人にあてた内容が多いという。

またノートには、ハリウッド進出を目指していた押尾被告らしく、英語で書かれたものもあり、「おれは自分のベストを尽くし、絶対にあきらめない」という意味の強気な文章がある半面、「もう生きていたくない。おれは疲れた」、「すべての希望は消えてしまった」、「今後の人生、わたしはどうなるのだろう。このまま終わりたくない。未来は明るいと思いますか?」と、かなり気弱な文章もあるという。

押尾被告の初公判は、9月3日、芸能人初となる裁判員裁判で行われる。

2010年8月6日 FNN


「周り」の人たちは「真実を知らないくせに」離れて行ったと書いています。まあ、どうだかわかりませんが、「真実」を知っていても離れるとは思いますが。「犯罪者の汚名を着せられ」たというのであれば、汚名を着せた人たちがまず「つきあいを断つ」のも当然というものです。

しかし、もうちょっと「反省の弁」みたいのを沢山織り込んだ方が裁判員の心証は良くなると思うんですが、どうもかなり「無罪」の確信があるようです。6日には公判前手続も終了したんですが、弁護側としては「救命は不可能だった」と主張する模様だといいます。

何故ならそこにいなかったから、という可能性もあるんですが、しかし、本当に彼が「無罪」だったとしたら、「無罪」であればなおさら、何故自分がこんな目に遭っているか考えてみれば、「無罪」が取れるかどうかおよその察しはつくと思いますが。

それにしても雑誌に載るのは押尾さんが書いたものの「一部」であり、発表されない部分があります。関係者としては押尾さんが何を書いているのか興味津々たるところがあるはずですが、それはともかくとして、一方その頃石川県では、森祐喜さんはこの6日の夜の自民党石川県連の懇親会も欠席しました。そして同日、森元さんはニュージーランドに出発します。

つまり8月5日から7日の朝にかけて森祐喜さんがどこで何をしていたのか不明であります。そして7日の朝になってイキナリ「酔っぱらって」饅頭と一緒に突っ込んでしまいました。

押尾さんが面白い文章を書いていて、森祐喜さんが大好きな物質を些か過分に摂取させられて消されかけた、というのは楽しい想像です。もちろん、押尾さんの独特な言語感覚は夙に知られており、いずれにしても「面白い文章」を書く人であることは承知していますが、しかし、いくら押尾さんでも下手なことを書くと「地獄の入り口」から、ものの例えとかじゃなく「地獄」に入ることになるのは理解出来るのではないでしょうか。

一方、9月3日までの初公判は関係者にとっては悩ましい1カ月です。マスゴミにとってはキャンペーン期間で、様々な報道がなされるでしょうし、出て来なくてよい話もポロっと出て来るかも知れません。そこで何をどう勘違いしたのかわかりませんが、森祐喜が公的な職務に就い目立っているのは望ましからず、と思う人も出て来る可能性があります。

別に死ねばいいのにとは言わないまでも、なるべくだったら日本にいてほしくない、しかしその前に県議会議員を辞めなければなりません。しかも世間に見放され、呆れられて無視されるような仕方で。例えば酒を飲んで車を運転して事故を起こすってのはどうか。そこで議員を辞職し、予定通り「空を飛んで」ニュージーランドに隠遁することにすれば、あそこは畜産国だから目立たないのではないか。電気柵で囲っておけば良いでしょう。

というようなことを想像するのはいつだって楽しいことです。そして恐ろしいことです。しかしその一方では、ありふれた平凡な「空想」であるともいえるでしょう。もっとも、森祐喜さんの写真を観ていると、単にコンビニの雑誌棚を狙って突っ込んだに違いないと思えてきますから男の顔は空白だらけの履歴書だ。
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2010年08月07日

沈黙の雌鶏

死刑制度の勉強会が初会合 メンバーは法務省に限定


 廃止を含む死刑制度の在り方を検討する法務省の勉強会の初会合が6日、省内で開かれた。千葉景子法相が7月28日の死刑執行後の記者会見で「国民的議論の契機にしたい」と設置を表明していた。

 千葉法相は「開かれた場で、幅広く外部有識者らからも意見を聞きたい」としていたが、メンバーは法相ら政務三役のほか、刑事、矯正、保護の3局長ら省内に限定した。外部有識者からは3回目以降、公開の場でヒアリングする。2回目の会合は8月下旬、3回目は9月上旬の予定。

 千葉法相は冒頭に「死刑制度の存廃についての考え方のほか、(死刑囚への)告知を含めた執行にかかわる問題、執行に関する情報提供の在り方などを検討していきたい」とあいさつした。

 死刑に関する勉強会は、2007年9月に再任された鳩山邦夫元法相が省内に設置したことがある。執行した事実と人数だけだった公表方法を変更、氏名や執行場所、確定判決の概要も明らかにするようになった。

 法務省の勉強会とは別に、民主党もワーキングチームの設置を決めている。

2010年8月6日 共同


共同通信さんは、勉強会のメンバーが「省内に限定」されているのが、カボチャババァの言ってる事と違うんじゃないのか、と言いたげであります。しかしながら、これは「省内」の「勉強会」なのであり「省内」の人が「勉強」するためのものですから、これは小学生が小学校で勉強しているのが特に不思議とすべきではないと思われるのと同様、メンバーが「省内」の人ばっかりなのは怪しむに足りません。

てゆーか、いるじゃないですか「外部有識者」は。あの人は法務大臣と「外部有識者」を兼務しています。しかしこれは、落選したくせに、とかそういうクダラナイ意味ではありません。千葉さんこそ、こと死刑制度の問題に関しては第一級の「有識者」であります。なんといっても千葉さんは弁護士として、また国会議員として死刑廃止に尽力され、そして法務大臣として死刑存続への重要な役割を果たしました。いわば死刑のオールラウンドプレーヤーです。

勉強会は「死刑制度のあり方」について「勉強」するんだそうですが、「あり方」とは「在り方」であり、存在の様式の事ですから、つまるところ死刑制度をどのように存続させるか、というのが「勉強会」のテーマです。カボチャババァによれば「死刑制度の存廃についての考え方」についても「勉強」しまっせ、ということのようですが、廃止議連から死の命令主体に「引っ越し」たカボチャババァは、この点についても幅広い見識を有しているというべきでしょう。

法務省の「勉強会」は、「死刑制度の存続の様式」を考えるために、まず「死刑制度の存廃についての考え方」を「勉強」するつもりです。これは死刑存続のための「理論武装」をしよう、ということでしょう。そんな場合、死刑廃止論の一通りの主張を知っておくのは大変に有益な事でありますから、誰か「外部有識者」に来てもらって教えてもらう事になりますが、あ、それ、ここにいた。

現在の法務省は、そのトップに「転び死刑廃止論者」を頂いているのです。この「転び」は「転び公妨」の「転び」ではなくて「転びキリシタン」の「転び」ですので間違えないようにしたいものです。そういえば『沈黙』をスコセッシが撮るはずなんですが、あれはどうしたんでしょうか。スコセッシは現在3D映画を撮っているそうですが何をやっているのか。企画そのものが「沈黙」したという噂もありますが、日本の「愛国者」諸君は映画の邪魔ばっかりしてないでこっちの企画を進めるように「圧力」をかける気はないか。それはともかく、カボチャババァは遠藤周作のこの小説の中で井上筑後守が演じた役割を演じようとしているのかもしれません。ちなみにスティーヴン・セガールの出演は予定されていません。

死刑存続論はその根拠を失っています。したがってその「理論武装」は死刑廃止論に対する対抗理論を構築するしかありません。ああ言えばこう言う、とも言いますが、それはどちらかというと理論構築というよりは「想定問答集」のようなものになる他はないでしょう。これは対抗すべき相手方の理論が先ず最初に存在する事を必要としますから、「死刑廃止論」の生きた見本であった千葉さんの存在はこのような作業にとって欠かす事が出来ません。そして一度「転んだ」者は最も尖鋭的な敵となるか、手先として働くのが昔からの決まりです。カボチャババァは井上筑後守になれるか、それともキチジローとして終わるか、なかなかの見物です。スコセッシが撮らないんだったらこっちを観て、帰りはキッチンジローでお食事だ。
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2010年08月06日

環状で冠状な感情の勘定

その武田邦彦さんを「お気に入り」の先頭に入れているのが他ならぬ我等がブログ市長、竹原信一とかいう男であります。

8月下旬に臨時議会招集、阿久根市長 手続き指示


 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は8月下旬に臨時議会を招集する方針を固め、5日、職員に告示の手続きを取るよう指示した。

 専決処分で2日に副市長に就任した元愛媛県警巡査部長、仙波敏郎氏(61)によると、招集の告示は盆明けになりそう。臨時議会では、市長が3月定例会以降、議会を招集せずに相次いで専決処分した条例改正や補正予算など18件の承認を求めるとみられる。

 ただ、国の制度改正などに伴う5件以外は反市長派市議の反対多数で不承認となる見通し。国の見解をまとめた行政実例によると、議会が承認しなくても専決処分は有効だが、専決処分を乱発した市長の政治責任を問う声は高まりそうだ。再び議会が混乱することも予想される。

 反市長派は、市議会を常時開会中の通年議会とする条例制定案や、半減にされた職員ボーナスを元の金額に戻す条例改正案など3議案を提案する。浜之上大成議長は「正々堂々と議論できるように議会を運営したい」と話した。

2010年8月6日 讀賣新聞


一部では人気者の仙波さんを、彼には相応しいとは思われない役職に就けてみたり、貼紙を剥がしただけで気分でクビにした係長を復職させてみたりと、リコールに向けて姑息な弥縫策を繰り返す竹原さんですが、今度は議会を招集するんだそうです。

人間目先の事に捕らわれがちですからそういうやり方も効果的なのかも知れません。しかし、報道などを見る限り「目先の事に捕らわれがち」な傾向は竹原さんを支持する阿久根市民の方々においてより顕著に見られるようです。たとえば「公務員の給料が民間と比較して高い」というのは「目先」の事実ですが、言われてしまうとその気になってしまう人というものはいるものです。ところが、それはもしかして民間の方が低すぎやしないか、とも考えられるでしょう。

したがって竹原さんの「目先」の弥縫策は、元々竹原さんを支持していたような人々には有効かとは思われます。しかし竹原さんからはなれて行ってしまった人から見ると、またセコいことをやって誤摩化そうとしているな、としか思ってもらえないのではないでしょうか。

讀賣新聞によれば、議会の招集は竹原さんにとって何らデメリットを生じないということであります。なんと「議会が承認しなくても専決処分は有効」なのだそうです。ちなみに「専決処分」という用語は地方自治法の180条に出て来るんですが、同179条の地方公共団体の長による事件の処分についても「専決処分」と言うことになっていて

第179条


普通地方公共団体の議会が成立しないとき、第百十三条但書の場合においてなお会議を開くことができないとき、普通地方公共団体の長において議会を招集する暇がないと認めるとき、又は議会において議決すべき事件を議決しないときは、当該普通地方公共団体の長は、その議決すべき事件を処分することができる。

2.議会の決定すべき事件に関しては、前項の例による。

3.前二項の規定による処置については、普通地方公共団体の長は、次の会議においてこれを議会に報告し、その承認を求めなければならない。


いわゆる「緊急の場合」、とはいえ「普通地方公共団体の長において議会を招集する暇がないと認めるとき」には専決処分をしても良いことになっているのですから、要するに首長はほぼ好きなように「事件を処分」することが出来る事になっています。常日頃トンデモのデパートのような深い思索に耽っている竹原さんには、そんな「暇」があるはずがありません。

第3項では「次の会議においてこれを議会に報告し、その承認を求めなければならない」とされていますが、そういえば「承認」が得られなかった場合にはその処分を無効とする、とは書いてありません。単に「承認」を求め、承認されなかったら、ああそうですか、で終わりです。議会にはなす術がありません。

そういうわけなので、議会を招集する事に決めた8月5日の竹原さんのブログは

 そもそも議員には全く責任がない。首長に全ての責任がある。たとえば住民からの訴えに対して「不当に損害を与えた」と裁判の判決が出れば首長が個人で損害を償わなければならない。
議員と市長は対等ではないのだ。にもかかわらず条例などは議員たちが多数決で決める一元代表制である。
決めるのは議員、責任者は市長。これが現実だ。今のように個人や仲間の損得や気分で議決する「感情の府」の議会が本当に必要だろうか。
住民のための合理的な行政運営の責任の上に、議員の機嫌取りまで首長に負わせるのは要求過剰というものだ。

2010/08/05 (木) 昔から日本の議員はバカばかり?!
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/


「決めるのは議員、責任者は市長。」なるほど大変なお仕事かも知れませんが、それが当たり前なので気に入らなきゃ辞めれば良いんじゃないかと思うんですが、これは制度そのものへの、まあ竹原さんの不平不満というものです。

しかしながら「今のように個人や仲間の損得や気分で議決する「感情の府」の議会が本当に必要だろうか。」というのは、これは議会の仮に現状がこういうものであるとすれば、それに対する批判であり、これは当然、本来あるべき議会の姿というものを想定しているはずです。

ところが竹原さんは別々の話をゴッチャにして、つまるところは議会を無視して良い、との結論に達するのです。これは見やすい詭弁でなければ知能の著しい低下の徴候であると言うべきでしょう。竹原さんが引用する「にわやま由紀」さんも「自己利益を保守・追求するような、いやしくあつかましい人間に、公の仕事をさせてはいけない」と書いていますが、「バカ」に「公の仕事」をさせてよいとは書いていないようです。

ちなみに、竹原さん界隈での「感情」という語の用法ですが、それは例えばこんな風なものです。

「竹原信一という男 BBS」とタイトルは変わりませんが、
人物像や政治手法の好き嫌い(感情論)や昨今の騒がしい空気を越えて、
根本的かつ幅広い角度から有意義な議論ができる掲示板を目指したいと考えています。

竹原信一という男
新BBS(掲示板)について
http://ossanndream.blog101.fc2.com/blog-entry-363.html


竹原さんのかなり問題のある「政治手法」に関する否定的な評価のことを「感情論」といいます。「感情」を否定的な意味合いで使用すれば反論を抑制出来ると思っているようです。

ところが「感情」に対する「感情」を上手く利用するのも知能犯のテクニックです。竹原さんもやめておけばいいのにいっぱしの知能犯を気取りたいようで、仙波さんを勝手に「副市長」ということにしてしまった7月27日のエントリは、そういう意味ではかなり気の毒なものです。

彼が強く意識するのは「公益」、その力の源は仙波敏郎氏個人ではなく人間の社会が本質的に持っている生命力である。人類の生命力が彼に意思と力を与えている。仙波氏には人類全体に対して為すべき使命があると感じる。

2010/07/27 (火) 茨の道を選ぶ者


ひと言も意味が分かりません。意味が分かる必要もないのですが。一番意味不明なのは「公益」ですが、これは最初からその指すところが話者と聴者の間で共有されていない、その隙間でのみ使用される無意味語の典型のようなものであり、竹原さんも普段からその無意味力を少々過剰気味に利用しているところであるのは、他のこの語を使用する人とあまり変わりません。

よりワケが分からないのは「人間の社会が本質的に持っている生命力」という、一種の観念論的なタワゴトですが、これがどうも「人類の生命力」と同義なのかそうでないのかよく分からないという、たいしたものなのです。竹原さんの目論見としては「人間の社会」という、これはその意味するところはコンテクストに依存するんですが、そのコンテクストがここでは不在であることからこれも意味不明ですけど、この不明な「人間の社会」を、不明をいい事に「人類」にズラし、なんだか知らないけどヤタラと話を大きくすることにあります。

これは、あまり上手くいっているとは申せませんが、典型的な詐欺師の口上です。あたかも「理念」のような事を語っているかの如くですが、実は内容のない「理念語」で煽動された「感情論」に他なりません。上手く乗せれば仙波さんは「人類全体に対して為すべき使命」を負っているのだ、と納得してしまうかも知れませんが、竹原さんは小規模な詭弁を弄するようなことはなんとかこなせるようですが、大風呂敷を広げる式の発言はだいたいスベッているようで、今回もその例に漏れていないのは残念至極であります。

しかしながら、これが口で言わせるとなかなか巧みなものである、という可能性を否定出来ません。「感情論」の世界ですからオーラルがイカせることはしばしばです。そして、もしかすると竹原さんはこの伝で仙波さんを乗せてしまったかもしれません。しかしもしそうだったとしても、これは竹原さんのオーラルテクニックが優秀であったのではなく、たまたま乗せる側と乗せられる側の「ノリ」が合致した、元より似たもの同士だった、という事かも知れません。仙波さんのようなタイプの「正義感」は「人類」とかの話に弱いことがあります。

極大から極小を自在に往還する、てゆーかデカいことを言うセコい人である竹原さんはリコール対策に余念がないようで、これはこれで見え透いているとはいえファンには堪らないんでしょうな。仙波さんが来たからちっとはマシになるだろう、とか思ってしまう人もいるかも知れませんが、リコールが成立しなかったら元に戻ります。てゆーかもっとヒドくなるんでしょうね。
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2010年08月04日

幼児死体の利用法

【2幼児遺棄事件】大阪市のセンターに抗議殺到 平松市長「どうして突っ込めなかったのか」


 近隣住民から虐待を疑う通報を3回も受けながら事件を防ぐことができなかった大阪市こども相談センター(児童相談所)に、全国から数百件の抗議が殺到していることが2日、分かった。鍵を壊して室内に入る強制立ち入り調査(臨検・捜索)を見送ったことなどへの批判が大半で、平松邦夫市長もこの日、「どうして突っ込めなかったのか」と担当者の対応に疑問を投げかけた。

 センターによると、2日までに電話だけで100件以上の抗議が寄せられ、「日中は電話が鳴りっぱなし」(担当者)の状態。ファクスやメールなどもあり、「対応が手ぬるい」など厳しい意見が大半だ。

 児童虐待防止法の改正で平成20年4月から、虐待の恐れのある家庭への強制的な臨検・捜索が可能になったが、21年度までの2年間に実施されたのは全国でわずか3件。今回のように保護者や被害児童を特定できなければ、前段階の任意の立ち入り調査すらできないなど、多くの壁が立ちはだかるためだ。

 センターの担当者は「抗議を真摯(しんし)に受け止めなければ」としながらも、「保護者や児童の特定ができず、緊急性の高さを認識できなかった。どうすればいいか答えが見つからない…」と無力感を漂わせる。

 ただ、立命館大学の野田正人教授(司法福祉論)は「本気でやれば近隣への聞き込みで居住者を特定できたはず。まず子供の安全を第一に考えるべきだった」と話している。

 一方、厚生労働省は2日、児童相談所が虐待の疑いがあると通告を受けたうち、子供の安全が確認できていない事例がないか、全国の自治体に把握するよう要請した。

 長妻昭厚労相は2日に開いた緊急会議で、事件について「もう少しやりようがあったのではないかと強く感じる」と述べ、強制立ち入りも念頭に対応を強化するよう求めた。

2010年8月3日 産経ニュース


あまり簡単に「近隣への聞き込みで居住者を特定できたはず」と言って良いものかどうかわからないんですが、興信所だったら直ぐ調べて来るかも知れません。まあ、色々と手があるようですが、僕は知りません。それらは企業秘密に属します。あまり表沙汰にしたくないようなテクニックも使うのかも知れません。お金もかかります、てゆーかお金もかけるでしょう。

したがって何でもかんでも「突っ込め」ば良いというものでもないのですが、季節柄人々はアツくなりがちです。「ワイやったらドアー蹴破って助けてやるわい」と怒る人も多いことでしょう。

私人がそういうことをする分には一向に構わないわけです。一般的に「突っ込む」ことは犯罪ですが、この場合は緊急避難に当たります。しかしながら公務員が市民の権利を無闇に害する事は宜しくありません。その行動は抑制的である事が期待されているのは当然の事です。そこで近隣住民としてはセンターの人が帰ってしまったら、緊急避難的にドアをぶち破ることが出来るでしょう。

こういうことを書くと「近隣住民は救助すべきだった」というように取られる虞れがあります。しかしこれは実際のところ無理な相談であり、近隣住民にそのような「責任」を負わせるわけにはいかないでしょう。状況の評価は「突っ込む」までは不可能であり、ことによると「緊急避難」と見なされない場合もあり得ます。緊急性の低い状況であった場合は近隣住民は当該居住者との関係が困難になる事が予想されますし、その場合居住者からの攻撃的対応も予想されるのです。

緊急性が著しく低い場合、たとえば母親がちょっと買い物に行くとガキが泣きわめく、といった場合では、近隣の住民の「突っ込み」行為は母親を強姦する目的で押し入ったとか、ガキを強姦する目的で押し入ったなどと解釈される虞れがあります。事は住居侵入では済まないかもしれません。

実際にネグレクトが存在するような、緊急性を有する場合でも、近隣住民は居住者に「逆恨み」される可能性があります。これは親に対する非難や批判という「攻撃」に対する「防衛」反応ですから、当然発生するものと考えることができるでしょう。

一方でセンター職員は私的な権利を侵害してはならないのですが、そのために色々と面倒な事があったりします。例えば「児童の福祉に関する事務に従事する職員」による「臨検、捜索等」をする場合は裁判所に行って「許可状」をもらってこなければならない、などということがありますが、これは権利保護のために必要な迂回というべきでしょう。少なくとも裁判所の判断を待っている間に死んでしまったわけではないのですから、「多くの壁」などの話をしている場合ではないようです。

しかしながら、一部には、これは警察が踏み込めないのが悪い、という、これまた話を明後日の方向に持って行こうとする意見もあるようです。

【なぜ虐待死は防げないのか】「父親に責任はないのか」「一刻も早く立ち入りを」 大阪2幼児放置に読者の声


 大阪の2幼児虐待死事件に関して、読者からたくさんの意見が届いている。

 2歳児の母という岐阜県の女性(41)は《児童相談所の職員が外から様子をうかがって帰ったというが、外からで様子が分かるはずがない。一番近くにいて様子をよく知る周りの住人が通報しているのだから、外からでなく実際に目で見て確認するところまでどうしてできないのか。不思議でなりません》。

 埼玉県の女性(32)は《納得いかないのは児童相談所が3回の通報で家庭訪問していたにもかかわらず、連絡が取れないとの理由で警察へ連絡しなかったことだ。警察がもっと踏み込めるよう法改正を求めます。強制介入には子供の名前と生年月日が必要だというが、あまりに無意味な条件は権利そのものを無意味にします》とつづった。

 オーストラリア在住の2児の母(45)は《豪では虐待通報で警察が飛んでくるし子供はすぐ親から引き離され安全な場所に隔離される。保育園でアジア人の乳児の尻に蒙古(もうこ)斑があったのを虐待と勘違いして通報した話もよく聞く。また、今回の事件では離婚した子供の父親に責任はないのだろうか。豪では親権を取らなかった親にも権利と義務がある。金銭だけでない養育の義務がある》と問いかけた。

 山形県の女性(61)は《「連絡をください」とメモを残して立ち去っても母親は連絡するわけがない状態なのです。他人に見せられない、見せた後がどうなるか怖いと思っている人が連絡するわけがない。やはり一刻も早く強制立ち入り調査をし、親も子も助けなくてはいけない。親が罪を犯す前にさまざまな援助があることを指導するためにも、強制立ち入りしてください》と訴えた。

2010年8月2日 産経ニュース


実は、現行法でも児童相談所長は警察署長に対して援助を求める事が出来ます。

(警察署長に対する援助要請等)

第十条 児童相談所長は、第八条第二項の規定による児童の安全の確認又は一時保護を行おうとする場合において、これらの職務の執行に際し必要があると認めるときは、当該児童の住所又は居所の所在地を管轄する警察署長に対し援助を求めることができる。都道府県知事が、前条第一項の規定による立入り及び調査又は質問をさせようとする場合についても、同様とする。

2 児童相談所長又は都道府県知事は、児童の安全の確認及び安全の確保に万全を期する観点から、必要に応じ適切に、前項の規定により警察署長に対し援助を求めなければならない。

3 警察署長は、第一項の規定による援助の求めを受けた場合において、児童の生命又は身体の安全を確認し、又は確保するため必要と認めるときは、速やかに、所属の警察官に、同項の職務の執行を援助するために必要な警察官職務執行法(昭和二十三年法律第百三十六号)その他の法令の定めるところによる措置を講じさせるよう努めなければならない。

児童虐待の防止等に関する法律


「警職法に定めるところの措置」というのは例えば

(立入)
第6条 警察官は、前2条に規定する危険な事態が発生し、人の生命、身体又は財産に対し危害が切迫した場合において、その危害を予防し、損害の拡大を防ぎ、又は被害者を救助するため、已むを得ないと認めるときは、合理的に必要と判断される限度において他人の土地、建物又は船車の中に立ち入ることができる。

警察官職務執行法


という、かなり強力なものであり、「警察がもっと踏み込めるよう法改正を求め」られてもこれ以上どうしろと言うのかよく分からないわけですが、なんでも警察が踏み込む事には民主党が反対したから、民主党が悪いらしい。

これには経緯があって、2007年の改正時に、第2条に次のような「責任」規定が追加されました。

第二条
6  児童の親権を行う者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を有するものであって、親権を行うに当たっては、できる限り児童の利益を尊重するよう努めなければならない。


これでもって親権に一定の歯止めをかけようとしたわけですが、自民党はこの極めて抽象的すぎる「責任」規定を利用して警察を動かそうとしたわけです。つまり誰かがこの「責任」を果たしていないと「警察官は」「認めるときは」、そこから児童虐待の存在とその切迫した危険を推認する事が出来ますから、「他人の土地、建物又は船車の中に立ち入ることができる」というわけです。

これではオマワリさんが勝手に何でもできる、その口実を増やすだけですから、こういう事に反対するのは当然なのですが、あたかも民主党のせいで警察が動けなかったので2人死んだかのように言うのは誤りです。

むしろ「児童虐待の防止等に関する法律」自体が、民主党と社民党の議員によって提起され、これの成立までには厚生労働省と自民党の相当の抵抗があったこと、自民党の議員が最も抵抗したのは第1条に「児童の人権」という文言を入れる点であったこと、そして2004年の改正でこの文言を入れるのと引き換えに第10条の大幅な改正によって警察への援助要請が児童相談所長と都道府県知事の「義務」とされたことを指摘しておきますが、悲惨な事件をここぞとばかりに利用して警察の権限拡大を狙う、死体から財布を盗むようなマネをしているのはどっちの奴だ、などという下品な事は指摘しない事にしましょう、
posted by 珍風 at 23:06| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

美代子アメリカ気分

流出サイトに道徳的責任=軍事機密公表で米国防長官


 【ワシントン時事】ゲーツ米国防長官は1日放映のABCテレビの番組で、アフガニスタンでの対テロ戦争に関する大量の米軍機密文書が内部告発サイト「ウィキリークス」に流出した問題について、流出情報を公表した「ウィキリークスは道徳的に有罪だ」と述べ、同サイトに責任があることを強調した。

 ゲーツ長官は、ウィキリークスについて「われわれを支援してくれたアフガン人を危険にさらした。彼らはどんな影響が出るか全く考えずに公表した」と批判した。また、「敵対勢力は多くのわれわれの戦術や技術を知ることができる」と懸念を示した。

 さらに、ウィキリークスは法的責任と道徳的責任を追及されると指摘。法的には司法省が判断するが、道徳的には「評決は有罪だ」と語った。国防総省は連邦捜査局(FBI)と合同で、流出問題を捜査している。

2010年8月1日 時事


「道徳的に有罪」とは、なかなか冴えた冗談ではありますが、誰が言っても面白いというものではありません。僕なんかが「道徳的に」どうたらこうたら言ったところで、鼻で笑われるだけでしょう。こういうジョークを言うには、それだけの実績の積み重ねというものが必要なのです。

そこで「流出」した情報から、たとえばガーディアン紙電子版に掲載されたアメリカの道徳的行為の数々を、大沼安史さんのサイトから「流出」させてみましょう。

〔そこに狙ったはずのタリバン最高幹部がいかなった! 山岳部の村を米軍B1爆撃機が2000ポンド精密誘導爆弾を6発で空爆攻撃。村人300人が死亡〕


 2007年8月2日、米軍の特殊部隊はアフガン北部ヘルマンド州のバグニ渓谷に、タリバンの軍事指導者、イクラス師とその副官に追い詰めた――と彼らは判断した。

 イクラス師を囲んでタリバンの最高会議が開かれると確信した特殊部隊は、バグラム基地のBI爆撃機を呼び寄せ、現場に2000ポンドGBU−31型誘導爆弾を投下させた。

 その際、バグラム空軍基地が出した声明は「周辺に、無実のアフガン人がいないことを確認後」空爆した、と強調した。

 しかし、今回、暴露された「戦闘報告」によると、爆撃後、24時間以内に、現地の村人たちが、米特殊部隊のシナリオとは違った証言をしていることが早くも明るみに出た。

 村人たちがロイター通信に語ったところによると、現地ではタリバンによるスパイの公開処刑があり、村人はそれを見るよう駆り出されていたというのだ。そこへ、米軍の巨大爆弾が6発、降り注いだ……。

 村人たちのよると、この空爆で、タリバンを含む最大「300人」が死亡した。

 特殊部隊が追っていたイクラス師は9ヵ月後の2008年5月、ヘルムンドの南で逮捕された。
 
 ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/26/afghanistan-war-logs-helmand-bombing
    


〔自動車爆弾に壊走した海兵隊中隊が逃避中、新婚間もない16歳の女性らアフガン民間人を19人を掃射して虐殺〕


 2007年3月4日のことだった。アフガン・ジャララバード郊外でのこと。

 アフガンに3週間前、到着したばかりの海兵隊の中隊(120人)が自動車(ミニバン)爆弾の攻撃を受けた。

 海兵隊中隊の1人が負傷しただけで済んだが、中隊は懸命になって現場を離脱、道路を走る10キロ近く逃げ、態勢を立て直した。

 この壊走の際、民間人の虐殺が起きた。逃走中の4人の海兵が、目の前に現れた現地住民に対し、機銃掃射を浴びせたのだ。

 刈り取った草のたばを抱えた新婚間もない16歳の女性や、道路を歩いていた75歳の店主ら19人が殺され、50人が負傷した。

 事件発生から1時間後、ジャララバードの現地当局者は海兵隊中隊に「民間人28人が死亡」と伝え、中隊に駐屯地に戻るよう求めた。

 中隊は2時間後、状況を確認しに現場に戻ったが、駆けつけたAPのカメラマンやテレビ局のデジタルカメラの映像を無理やり消去させた。

 この虐殺に抗議してジャララバードではその数日、抗議デモが続いた。
 
 この事件を知った米陸軍(海兵隊ではなく!)の某大佐は「大変な過ち」を犯したと責任を認め、犠牲者に遺族に1人あたり2000ドルの弔慰金を支払った。

 これに対して海兵隊側が反発、再調査を求めた。再調査は17日間、行われ、1万2000頁もの報告書がまとめられたが、闇に葬られた。海兵隊の数人が「訓戒」処分を受けただけだった。

 ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/26/afghanistan-war-logs-us-marines 



〔「白に青」ファイルより〕



 本ブログの第一報 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/07/post-4d12.html
 で、内容を詳しく紹介しなかった、米軍によるアフガン民間人虐殺――これを米軍用語で「ブルー・オン・ホワイト」というそうだ)事件を、ここに記すことにする。

 いずれも、これまで米軍によって、これまで蓋されていた事件。犠牲者のためにも――アフガン戦争の実態を知るためにも、「日本語化」しておかねばならない。

 以下はいずれも、ガーディアン紙 ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/26/afghanistan-war-logs-helmand-bombing による。


 〈タンク車に群がる人々に対して、ドイツ軍司令官の要請で、米軍のF15が出動、「純粋な武装勢力56人」を空爆で殺す……実は民間人最大70人が犠牲に〉

 2009年9月、アフガン北部クンダスで、燃料輸送車2台がハイジャックされ、群集が略奪を始めた。

 これを知ったドイツ軍司令官が空爆を要請。F15ジェット戦闘機が1機出動、「周辺に民間人がいないのを確認し」空爆攻撃を行った。

 「純粋な武装勢力」56人を殺害したが、その後の調査で、30〜70人の民間人が犠牲になっていることが明らかになった。


 〈ロケット攻撃と爆撃で民間人26人が死亡〉

 2008年8月30日、米軍特殊部隊「スコルピオン26」が、ヘルマンドの「タリバン」をロケット攻撃。空軍機も出動し、500ポンド爆弾を投下、「タリバン、24人」を殺害した。
 
 誤認だった。9日後、「戦闘報告」は、スマート爆弾のシステム・エラーで誤爆し、「26人の民間人」が犠牲になっていた。


 〈ポーランド軍 結婚式を砲撃〉

 2007年8月16日、ナンガー・ケール村で行われていた現地の人の結婚式に対し、ポーランド軍が砲撃を加えた。6人が死亡した。IED(路肩爆弾)の爆発に対する復讐とみられる。

 「戦闘報告」には、妊婦も負傷、お腹の赤ちゃんが死亡した、とあった。

 ポーランド軍兵士は帰国を命じられ、裁判にかけられたが、上層部の介入で判決を出すに至らなかった。


 〈フランス軍 こどもの乗ったバスを掃射〉

 2008年10月2日、カブール郊外のタンギ・カライ村で、フランス軍兵士が「輸送隊に接近してきたバスを掃射」した。

 子ども8人が負傷した。


 〈米軍、バスを掃射。乗客4人を殺害〉

 2008年12月12日、ガズニー北部の道路上で、米陸軍第506歩兵連隊第1大隊に対して、バスが接近。大隊の兵士一人が旗を振って停車を指示したが、従わないためマシンガンで掃射。乗客4人が死亡、11人が死亡した。

 バスの運転手は米兵を山賊と疑って速度を落とさなかった。それだけのことで……。

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/07/post-e9b2.html


単なる無断転載ですが、それを「流出」というんです。これだけで400人以上の民間人に「道徳的陶冶」を施していますが、「1人あたり2000ドルの弔慰金」というのが現地での虐殺相場であるようで、流出した資料によるとこれをなんと10万人分支払っているといいます。

こういうことをバラすのが「道徳的に有罪」なんだそうです。どっちが「有罪」だかわからないわけですが、「道徳」とは元来、共同体内の規範です。支配層には支配層の「共同体」がありますから、そこから見れば民間人を10万人殺すことは何ら問題を生じないことは明らかです。ただしこれを公にすることには問題があります。

いくら戦争でも民間人を殺害することを禁じる道徳的規範が存在します。これは近代国家の成立に際して支配層がその道徳の輪を被支配層に拡張して「国家共同体」というようなものがあることにしたわけですが、そのときに被支配層を少しは大切に扱うことにしたわけです。一種の取引のようなもんで、利害を共有していることにしなければ「共同体」というわけにはいかないもんですから。被支配層も仲間に入れてもらった、そのかわり今度から「国家」が共同体だから、ガイジンは違うわけです。

おそらく、この「国家共同体」の規範を交戦国が相互に尊重することによってガイジンの民間人に対する殺害も「やや」禁止を受けることになるでしょう。これは共同体間の道徳のようなものですが、同類を殺害し難いという人類一般の傾向と矛盾するものでもなかったので、広く受入れられているようです。

したがって、相手が外国の民間人であっても、民間人の殺害は自らの「国家共同体」内の被支配層に対する裏切りとなります。これが明るみに出ることは「国家共同体」が実際には支配層の共同体が被支配層に押し付けた仮構であることを暴露するだけですが、「国家共同体」が存在するとした場合にはそれを崩壊に導く「道徳的」な罪になるでしょう。

そこでゲーツさんは「国家共同体」の修繕に励むことになりました。むしろ臆面もなく「われわれ」と言い、被支配層をゲーツさんの「われわれ」に再び招待します。そして共同体的道徳感情という、あまり深い考えはないのに火がつきやすい野蛮な心性に点火し、アサンジさんを「われわれの道徳」の敵として名指します。これはつまり国家によるリンチへの呼びかけです。

一方その頃『タイム』誌の表紙は鼻のない女の人です。アメリカと同じくらい野蛮で偏狭なタリバンにやられたそうですが、これはまた違うルートから責めています。アメリカの被支配層は、今度はアメリカ国家と同じくらい野蛮で偏狭なタリバンに被害を受けた、いわば同胞として彼女を見ることになるでしょう。そして支配層への怒りがそのままタリバンに向かうようになることが期待されています。このようにして「国家共同体」意識と、それとは矛盾する被支配者としての意識をそれぞれ刺激されるのでワケの分からなくなって怒りを感じることが望ましいとされるでしょう。そんな気分になるのが戦争というものです。
posted by 珍風 at 08:43| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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