2010年09月04日

例えばこれだけ暑い日が続くと「今日は涼しい」と思ってしまうように

小沢氏発言の反響「率直」「改悪も予想される」


 検察審査会の在り方を疑問視した3日の小沢一郎民主党前幹事長の発言。「率直に言ったなという印象。プロが判断したことに素人が起訴というのはおかしいという制度上の問題を指摘する意見は多く、圧力をかける狙いではないだろう」と話すのはジャーナリストの田原総一朗氏。

 「国民には不愉快かもしれないが、代表選に国民が投票するわけではない。議員の過半数を握っている自信の表れが発言の背景にあるのではないか」とみる。

 一方、「政治資金オンブズマン」共同代表の上脇博之神戸学院大法科大学院教授(憲法)は「小沢氏を起訴相当とした議決がやや感情的な内容だったこともあり、制度を疑問視する一般的な意見が出てくることを恐れていた」と話す。

 その上で「制度は市民参加を実現させた意義のあるものだ。小沢氏の発言は、政治家を聖域化する形に制度を改悪することも予想させるもので、審査の対象者が言及するべきではないだろう」と述べた。

2010年9月3日 Sponichi Annex


大脇先生も「一般的な意見」が、まさか当事者から出て来るとは思っていなかったかも知れませんが、しかし、何故「審査の対象者が言及するべきではない」と言えるのかどうかよく分からない点もあります。

小沢さんを「起訴相当」とした検察審査会の議決について、大脇さんは今回は「やや感情的」と言っていますが、議決が出た当時はそのあまりの「感情的」ぶりに「びっくり」してしまっていたようです。

「絶対権力者」である小沢氏に「無断で」「隠蔽工作等をする必要もない」等として「起訴相当」の議決が出たのは、素朴な国民感情でいえば理解できなくもない。
だが、憲法及び刑事法の立場からすると、決定的な証拠とは言いがたい。

「疑わしきは罰せず」だからだ。

感情的な表現が随所に出てくるが、そのような感情に基づき「情況証拠」だけで「起訴相当」とするのは、無理があるのではないだろうか。

上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場 2010年4月28日
「検察審査会の小沢一郎「起訴相当」議決には2度驚いた!」


「驚いた!」の1度目は「起訴相当」の議決そのものであり、2度目はその「理由」なのですが、大脇さんはこの「議決の理由」について、「やや感情的」どころか「感情に基づ」いていることを指摘しています。

この「議決」はむしろ、徹頭徹尾「感情的」が貫徹されているのであって、「感情的」というよりも単なる「感情」を補助員がなんとか形にしたようなものであると言えるでしょう。半年も経たないうちに大脇さんの評価は大幅に甘くなったようです。

ところで大脇さんは同ブログの9月4日のエントリで2回目の検察審査会はもうちょっと丁寧に行なわれると書いています。

もし検察審査会が2度目の「起訴相当」議決をする場合には、1回目よりも議決書は詳細なものになるし、議決書の作成には「必ず」審査補助員に「補助」させなければならない。

……つまり、2度の「起訴相当」議決に強制起訴の効果を持たせている改正検察審査会法は、市民参加に特別の意義を与えただけではなく、刑事裁判の審理を意識して弁護士という専門家に「補助」させているのである。
その意味で、検察審査会の議決は、単純な市民感覚の表れではない。

上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場 2010年9月4日
は、この投稿で書いた以上のような内容である。
「小沢一郎氏の改正検察審査会法に対する発言への危惧」


「一般的な」規定ではそうなっていますが、1回目の議決に「補助」がつかないわけではありませんし、この場合は実際についています。「弁護士という専門家に「補助」させている」から「検察審査会の議決は、単純な市民感覚の表れではない」のであれば、1回目の議決だって「やや」であっても「感情的」とは言えないことになります。「補助員」の有無は議決の適正を保障するものではありません。

もっとも、検察審査会が「起訴相当」の議決(検察審査会法第39条の5第1項)をし、これに対し検察が公訴を起こさないとい打つうちを受けた場合にその当否の審査(第41条の2)が行なわれるのであり、これが「2回目」というやつですが、その際には

第四十一条の七  検察審査会は、起訴議決をしたときは、議決書に、その認定した犯罪事実を記載しなければならない。この場合において、検察審査会は、できる限り日時、場所及び方法をもつて犯罪を構成する事実を特定しなければならない。
2  検察審査会は、審査補助員に前項の議決書の作成を補助させなければならない。


ことが義務づけられているなっているのは大脇さんの指摘している通りであります。しかしながらこれは「できるかぎり」の話でしかありませんし、「審査補助員」については1回目の議決においても満たされていた条件ですから、「2回目」をそんなに信用しても良いものであるかどうかはやはり疑問です。

だいたい、んなこと言うんであれば、1回目の議決を「感情的」であると批判するべきではなく、ましてやそれを受けて「国会議員の刑事責任の問題と政治的・道義的責任の問題はそれぞれ別々に考えなければならない」などと言って側面から援護するべきでもありません。むしろ「1回目はいい加減なんだから気にしなくてよい」と言うべきだったのです。

もっとも、「単純な市民感覚」が「複雑な市民感覚」になったとしても、こんなことは要するに大脇さんが勝手に心配しているだけのような気もします。単純な怒りや嫌悪、あるいは複雑繊細な人情の機微に入ったところで、「感覚」は「感覚」でしかありません。

「市民感覚を司法に」検審制度の見直し論に千葉景子法相が反論


 民主党代表選に出馬した小沢一郎前幹事長が検察審査会制度への疑問を投げ掛けたことをめぐり、千葉景子法相は3日の閣議後会見で、「市民感覚を司法に生かしていくことが世の流れだ」と反論。小沢氏が提起した見直し論を突っぱねた。検審制度の是非が、代表選の新たな争点となる可能性も出てきた。

 小沢氏は同日朝のテレビ出演で、検審制度について「強制力を持つ捜査当局の判断を、素人が悪いとか良いとか議論する仕組みは、国民による検証の対象になる」などと指摘。自身への捜査結果の正当性を説明しながら、検審制度のあり方について問題提起した。

 放映後の開催となった会見で千葉法相は「発言の詳細は承知していない」と前置きしながらも「裁判員制度も、検審制度も国民が主権者たる責任を果たしていくためにある」と説明。「今はその制度が生かされるかどうかが課題だ。見直しはそれから先の話」と断じた上で「今は普通の市民の生活感覚から、司法というジャンルの社会問題を、解決していく場や、そうした手続きが大事ではないか」などと持論を展開した。

 政局がらみの質疑にはとかく慎重姿勢な千葉法相だが、今回の踏み込んだ回答ぶりは民主党内に憶測を呼んだ。菅氏支持議員は「検審の対象となっている小沢氏に制度をうんぬんする資格はない。法務行政の責任者として、そんな怒りを抑え切れなかったのではないか」と推測。一方、小沢氏支持議員は「政策論争の論点をずらし、党全体へのマイナスとなる」と批判した。

 代表選にあたり法相は「野党時代の自分たちは『ころころ総理が代わるのはおかしい』と主張してきた」(8月27日の閣議後会見)などと述べ、事実上、菅直人首相の再選支持を示唆してきた。3日の会見では参加記者から「今日の一連の発言は小沢氏への批判か」と突っ込まれたが「あくまで一般論です、一般論」とかわした。

2010年9月4日 神奈川新聞


そして、カボチャ頭の「一般論」によれば、「感覚」で充分なんだそうです。理性のかけらもないとはこのことですが、そんなものは最初から期待されてもいないのでした。これは大脇さんが思っているような「市民参加」ではなく、市民の「感覚」の動員です。事実を「できるだけ」詳細に特定したり、弁護士が「補助」しても、それはそもそも「感覚」をデコレートする以上のものではないんですから、大脇さんは自分の思い込みで制度に過剰な期待をかけてしまっているのかも知れません。

もっとも、「今後、改正検察審査会法が政治家に有利なように改悪される議論が大きくなるのではのではないか、と危惧」している大脇さんは、ここで言う「政治家」とはどんな「政治家」のことなのかはっきりしていないんだと思います。それを言うのであれば検察審査会制度が、現状で既に、ある(複数の)「政治家に有利なように」使われているのは明らかでしょう。大脇さんにしてこれですから、「市民感覚」がちっともアテにならない所以であります。


posted by 珍風 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。