2010年11月30日

膾の出来事

テロ情報掲載本、出版禁止 東京地裁が仮処分 
掲載者の申し立て受け


 インターネット上に流出した警視庁が作成したとみられる国際テロの捜査情報を出版社「第三書館」(東京・新宿)が出版した問題で、東京地裁は29日、流出文書の全文を掲載した書籍に名前や顔写真を掲載されたイスラム教徒数人の申し立てに基づき、同社に対し、出版と販売を禁止する仮処分を決定した。代理人によると、同地裁の田代雅彦裁判長は「書籍は申立人らのプライバシー権を侵害している」とした。

 代理人によると、同地裁は(1)書籍は公共の利害に関する事項にかかるものといえるか(2)公益を図る目的があるか(3)申立人が回復不可能な損害を被る恐れがあるか――を検討。「仮に情報流出を問題にするとしても、公人ではない申立人の個人情報は公共の利益にかかわるといえず、公開が公益を図る目的によるものではないことは明らかだ」とした。

 その上で「書籍が出版されれば、プライバシーが侵害され、損害の回復は著しく困難」と判断。インターネット上で同じ情報を取得することができる状況にあるとしても、「個人情報をみだりに公開されない利益はなお失っていない」と結論づけた。

 書籍は25日に約2000部が出版された「流出『公安テロ情報』全データ」。全469ページに外国人の捜査協力者らの個人情報など捜査資料114件が掲載されている。

 代理人によると、仮処分の申し立ては28日付。代理人は29日時点でも複数の書店で書籍が販売されているとして、出版物の取次各社に対し、書籍の流通・販売を自粛するよう求める文書を配布した。

 また申立人の一人は同日、代理人を通じてコメントを公表。「本件の元凶は警視庁にあるのに、当事者自身は一向にそれを認めようとしない。捜査協力者が容疑者扱いされたこと自体が理不尽で悲しい出来事だ」と警視庁の姿勢を批判した。

 一方、仮処分の申し立てを受け、「第三書館」の北川明社長は日本経済新聞社の取材に対し、「弁護士と相談して対処したい」と話した。

 警視庁は「流出したのが内部文書かどうかも含めて調査中」としており、第三書館側に抗議などはしていない。

2010年11月29日 日本経済新聞


警視庁では表立った動きが出来ないようですが、よく考えたら「協力者」がいるのでした。「協力者」はどこまでも「協力」させられるもののようでありますが、「協力者」の中には「イスラム教徒」もいるかも知れませんし裁判官なんかもいるようです。持つべきものは友であります。

警視庁の対応は迅速であり、「調査中」などと暢気に構えているフリをしてウラではイロイロとテをマワして出版を差し止めてしまいましたが、「協力者」の「協力」に報いるには当然の処置でありましょう。

「協力者」の方は「捜査協力者が容疑者扱いされたこと自体が理不尽で悲しい出来事だ」と言っていますが、「捜査協力者」というのは例えば「テロ」などの「犯罪」の「容疑者」に近い、あるいは仲間であると見なされたから「協力者」なのでありまして、そもそも「容疑者」の一人であり得なければ「協力」など期待すべくもありません。誰が一般の無関係な人に「協力」を頼むでしょうか。「捜査協力者=容疑者」で間違いありません。

もっとも全ての「容疑者」が「捜査協力者」であるわけでもありません。「容疑者」を「捜査協力者」に仕立て上げることは「理不尽」ではないかも知れませんが「悲しい出来事」ではあるでしょう。そういうことが起こらないように祈りの気持ちを込めて見つめあう二人を朝の冷たい海は鏡のようにうつしていたのであります。

しかしながら世間では「容疑者」のことを「犯人」だと思ってしまっている、てゆーか警察がそのように発表してそのように報道させるんで、世間がそう思わされている面もあり、これは日本の治安の維持に多いに一役買っているところでありますが、しかしながら本来「容疑者」が何か「悪いこと」をしたと限ったものではありません。「容疑者」の人が世間からヘンな目で見られるとしたら、その「元凶は警視庁にある」のです。警察庁にもありますが。

とはいえ、「捜査協力者」は警察から見ればエージェントですが、「テロリスト」の側から見れば敵側のスパイに他なりません。「スパイ」の立場というものは悲しいものであります。誰も喜んでやりたがらないので映画ではカッコいいところばかり見せているようですが、実際には綺麗なネエちゃんにモテたりフェラ等の特典に与ったりするわけではなく、双方から狙われてゴミクズのように捨てられるのがオチです。

そこで「協力者」も別に喜んで「協力」しているワケでもないでしょう。おそらく公安に何らかの「弱み」を握られたりして仕方なく「協力」しているであろうことは想像に難くありません。それはカモのようなもので、白いカモのように涙に濡れて歩いていくのです。そしてその「弱み」というのは何らかの小さな悪事である必要すらないのかも知れません。この国で外国人として暮らすこと、オマワリさんに目を付けられていることを世間に知られることそれ自体が「弱み」となり得ます。「差別」と「偏見」こそがオマワリさんの強い「協力者」なのですし、このような社会的資源は日本には豊富に存在するのですから各国から引き合いが来ております。
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2010年11月28日

本に載っていれば手出しが出来ないという判断は的確か

流出「公安テロ情報」出版 第三書館、実名や顔写真掲載


 警視庁などの内部資料とみられる国際テロ関係の情報がネット上に流出した問題で、流出データを収録した本が出版された。警察官や捜査協力者の住所や氏名、顔写真などがそのまま掲載されている。出版した第三書館(東京都新宿区)は「警察の情報管理のルーズさを問題提起したかった」としている。

 タイトルは「流出『公安テロ情報』全データ」(469ページ)で、25日発行。データは編集部が作成した項目に整理されているが「内容には手を加えてはいない」という。

 第三書館によると、書籍取り次ぎ大手には「個人情報が含まれている」として書店への配本を拒まれたが、一部書店からは直接注文が入っているという。ネットでは購入できるサイトもある。

 第三書館の北川明社長は、「流出により日本の情報機関の信用が失墜した。イスラムを敵視する当局の姿勢も浮き彫りになった」と説明。個人情報を掲載する是非や著作権については「すでに流出しているデータである以上、出版の重要性が勝る。警察は自らの情報と認めておらず、我々には流出情報として出版する権利がある」としている。

 実名や顔写真などを掲載された都内のチュニジア人男性は「情報を漏らした警察よりもひどい。書店で売られたら生きていけない」と話した。

 専門家によると、警察の文書であっても創作性があれば著作権が認められるが、情報提供者の名前を抜き出したメモや捜査の人員配置を記した計画書など事実を列挙した文書であれば、創作性がないと判断され、著作権は認められない可能性が高いという。

 警視庁は流出発覚から約1カ月が経過した現在も「内部資料かどうか調査中」として、内部資料とは認めていない。ある警察幹部は「書籍になればより多くの人の目に触れることになり影響は大きい。情報流出の原因を突き止めるしかない」と話した。

2010年11月27日 asahi.com


出版した理由として、この記事では「警察の情報管理のルーズさを問題提起したかった」とか言っています。そういうことも言ったのかもしれませんが、時事通信社の記事によれば「ジャーナリストとして捜査の違法性を問題提起した」となっておりますし、毎日新聞では「被害者はテロリストとして扱われた捜査協力者。誰が被害者なのかを明らかにする必要がある」とも言っていると書いてあります。

「捜査の違法性」について書きたいと思うかどうかはともかく、マスゴミ各社の記事には「忠良なる」外国人が登場して文句を言っています。「書店で売られたら生きていけない」そうですが、警察にマークされている可能性が濃厚であることを分かっているのかどうか、仮に「テロ事件」などが発生したら冗談ではなく「生きていけない」事態に立ち至るはずなんですが。お人よしも良いところであります。

マスゴミ報道を好意的に解釈すれば、警察に対してこれほど無防備な、あまり悪いこともしていないと思われる人ですら「流出情報」に載っている、つまり警察がその身辺を探ったり、いつでも身柄を確保出来るように監視していたりするんだ、ということが分かります。これは普段のほほんと暮らして、犯罪報道などがあるとお茶など啜りながら「悪いヤツがいるもんだねー。死刑だな、死刑」などと暢気に炬燵でTVをやっているような僕たちみたいなもんでも、立派に警察の監視対象になっているかも知れない、という警告に他なりません。

今回は「国際テロ関係」のファイルですから、英語一つ満足に喋れないような人のことは載っていないのかもしれませんが、外国人であったり失業者であったり雇用が不安定であったり未成年者であったり精神障害者であったり女性であったりすると、いつ何時どんなメに遭うか分からないと言えるでしょう。あなたの身柄は簡単に拘束出来ます。
chikan.jpg
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2010年11月26日

TVに顔を出しておけば安全であろうという判断は的確か

裁判員「命奪うのは大人と同じ刑に」 石巻少年死刑判決


 少年に初めて死刑が求刑された裁判員裁判で、市民と裁判官が選んだのは極刑だった。宮城県石巻市で男女3人が殺傷された事件。25日の判決後に仙台地裁で会見した裁判員は、5日間にわたる審理の過程で感じた悩みを交え、「厳しかった」と振り返った。

 判決後、6人の裁判員のうち「4番」と「6番」の2人の男性が、匿名を条件に記者会見に応じた。4番の30代会社員は、カメラ撮影にも応じた。死刑判決に加わった裁判員が、撮影に応じたのは初めてのことだ。

 「自分の中で、この子に対して、何が一番良いのかと考えた」。年齢を公表しなかった6番の男性は、そう語った。4番の男性は「人の命を奪うのは年齢を問わず、大人と同じ刑で判断すべきだと思った」と話した。

 目の前の少年に、立ち直る可能性はあるか−−。結論に至るまでは2人とも思い悩んだという。

 「心の言葉で話してほしい」。公判での被告人質問。4番の男性はまず、少年にそう語りかけた。少年の心に迫ろうと、母親への思いや社会復帰ができた場合の考えなどを続けざまに聞いた。「涙を流して答えてくれた。つくられた言葉ではなく、少年の思いの中から出してくれた言葉だと思った」と振り返った。

 法廷では少年のほかに、その母親、元交際相手、被害者の遺族といった、ときに涙しながら語る証人らに直面した。「それらを自分の中に収めて結論を出さなければならないんだと思ったとき、厳しかったです」

 死刑選択の基準とされる永山基準については裁判官から説明を受けた。だが、「基準より、被告、被告の母親、被害者の方々の思いを一番重視した。私は被告の心の言葉を求めたし、その時の自分の思いを重視した」と明かした。

 「どんな結論を出しても、被告と被害者、どちらからも恨みや納得できないという思いを持たれる。怖くて、一生悩み続けるでしょう」

 一方、6番の男性は、結審後の土日の休みは、友人や家族と一緒にいることが耐えられなくなった。「何かの拍子にしゃべってしまいそう」。そう思い、図書館にこもって裁判を報道する新聞記事を読んだり、公園で1人で求刑について2〜3時間も思案にくれたりした。自分の中に判断基準が欲しかったが、時間がたつにつれ、どうしていいか分からなくなった。だから、判決の日を迎えることが「嫌で嫌でしょうがなかった」。

 「少年にかけたい言葉」を問われると、2人ともしばらく目線を落とし考え込んだ。6番の男性は、言葉を絞り出すように話した。「自分のやったことをまず反省してくださいと言いたい。なぜこのような判決になったのか考えてほしい」(篠健一郎)

2010年11月25日 asahi.com


「なぜこのような判決になったのか考えてほしい」というのは上出来ですね。そりゃあなたたちがそういう判決を出したからでしょう。別の人が裁判員をやっていたら別の判決が出ていた可能性があるのであって、これは原則として裁判員の関わらない裁判でも同様です。一つ一つの判決は重いものですが、一定の幅の中で変動する余地があり、実際にはかなり偶発的なものです。その意味では判決の責任は一重に裁く側にあり、被告人の側にはありません。

もしかするとわかっていないのかも知れませんが、分かっているのかも知れません。「6番」さんは分かっていて意識的に「責任逃れ」の発言をしてしまった可能性があります。てゆーか「6番」さんは自分が人を殺すことの重圧に耐え切れないようで、「自分がお前を殺すハメになったのはお前のせいだ」と言いたくなってしまったのではないでしょうか。よくある話です。

記事によると「4番」さんは「6番」さんとは好対照をなしているかのようです。人一人殺すのに「どんな結論を出しても、被告と被害者、どちらからも恨みや納得できないという思いを持たれる。怖くて、一生悩み続けるでしょう」というのですからかなり気楽です。要するに「どっちでも同じ」と言っているわけですが、人を殺しておいて「一生悩み続ける」というのは、死刑判決を出した後だけに相当に甘いもんだという感じもします。怖がっているそうですが、会見で顔を出すのはどうなのか。危険があるのであれば、顔写真が回されることになるわけです。何かあったときにテレビ局が困らないというだけのような気もしますが。

裁判ですから法律というものを参考にしなければならないような気もしますが、「少年だからといって罪が軽くなる法律がおかしい。重大事件なら大人と同じ刑が科されるべきだ」(河北新報)とのことですから、あまり法律とか「法の理念」だとかいう込み入ったことには関わらないで済ませた模様です。それよりも「その時の自分の思いを重視した」そうですから、裁判員も割合と簡単そうです。

これは何も「4番」さんが悪いわけではなく、死刑制度の存在によって刑罰の意味というものが混乱したままになっているのが原因です。「更生」だとか何だとか言うわけですが、更生を目的としない死刑が存在することによって、全ての刑罰は「死刑の軽いヤツ」になります。理念としては目的刑なのかも知れませんが、素人たる裁判員にとっては応報刑論で全ての刑罰を無矛盾に理解する方が簡単でしょう。

このように理解される場合全ての行刑処分が応報的に理解されるのであり、「少年の更生」のような話は理解することが不可能になってしまうのは当然です。「法律がおかしい」と言われても困るわけですが、死刑制度を認める以上「法律がおかしい」と言わなければなりません。現行の法律を「おかしい」という人が「自分の思い」で裁判員をやっているという状況も危険極まるものであるとはいえ、「4番」さんの言っていることは論理的です。

もっとも、そうであるならば「心の言葉で話してほしい」とかいうのは完全に余計なことで、面白半分に被告人をいじくり回したもののようにも見えます。しかしながら判決では被告人の「反省」の度合いなどについて一言書くことになっております。「4番」さんは「涙を流して答えてくれた。つくられた言葉ではなく、少年の思いの中から出してくれた言葉だと思った」と言っているようですが、判決文では「反省の言葉は表面的だ」とか「反省には深みがない」という事になっていますから分ったものではありません。しかし「4番」さんの「思い」はどうでも良いのであって、被告人に反省の弁を述べさせた上でそれを否定する、というのが死刑判決を出すための必要な手続であり、これは死刑に目的刑の衣をかぶせて行刑制度の矛盾を覆い隠すための「だいじなおやくそく」ですから、別に面白半分ではありません。

いずれにしても、「結論」に向けて自らを順応させていく努力というものが認められます。自分の出した結論ではありますが、多数決で負けることがあり、結論が評議に先立って存在した可能性も否定出来ませんが、「自分の中に判断基準が」なかったり、あったとしても「その時の思い」だったりするにも関わらず、やはり結果的には人殺しに加担することは避けられません。しかしまあ、そんなもんです。クヨクヨすることはありません。他人の一生を5日で判断するんですから気にしても仕方ありません。死刑のある国では人の命は軽いんです。被害者のも、被告人のも、裁判員のも、僕のもだ。体重は最近重いぞ。
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2010年11月24日

早漏思想または痒い

「日本社会は他人の足を引っ張る社会」…鳩山さん、それって責任転嫁では?


 「正面から評価しないで、批判するような文化が日本には横溢(おういつ)している」

 鳩山由紀夫前首相は23日、都内で開かれた「新しい公共」をテーマにしたシンポジウムで、現在の社会情勢を批判した。

 NPO法人などへの寄付が増えないことに触れた鳩山氏は「裕福な人を評価し、その人が喜んで寄付しようという社会風土ができていない」と分析。「人の幸せがうらやましい、みんな足を引っ張ろうという、世の中に思えてしようがない」と述べた。母親からの巨額の「子ども手当」受領で、首相辞任に追い込まれた責任を世間に転嫁するような発言だ。

 鳩山氏は「人の幸せを自分の幸せに感じることのできる社会を作りたいな、というのが一番言いたかったことだ」と語った。

2010年11月23日 産經ニユウス


お久しぶりの鳩山(兄)さんですが、相変わらず暢気なことをおっしゃっているようです。それにしても産經野郎は目出たい収穫祭の日だというのにもうちょっと気の利いたことは書けないんでしょうか。

もっとも、『産經新聞』では今日も小堀桂一郎さんが中国のバカな漁船を「宣戦布告」と言わんばかりの珍説を古臭い假名遣ひで御開陳に及び、あまりのことに「我々」とか「全て」という字にまでふりがなを振られてしまうという、相当に無茶な紙面を構成しておられるようですから、今更何が書いてあっても誰も驚きません。

とはいえ、鳩山さんも鳩山さんであります。鳩山さんちにお金が沢山あることはみんな知っていますが、誰も足なんか引っ張っていません。もしかすると産經野郎が引(ひ)っ張(ぱ)っているのかも知れませんが、「喜んで寄付しようという社会風土」がなければ寄付をしないというのでは、産經野郎が言(い)うのとは別(べつ)の意味(いみ)で「責任転嫁」であると言われても仕方がありません。

実際には「寄付」をしないから「裕福な人が評価」されないような気もしますし、青木擴憲さんのような人が「足を引っ張って」いるようでもあります。青木さんなどはビンボー人の「足を引っ張る」どころか「頭を押さえつけ」たり「首を切断」するために政党を作らせたようですが、そういうのは「寄付」とは言いません。政治趣味かも知れませんが、どちらかというとビジネスの一環です。

「寄付」のようなことをしているようですが、それも同様の目的をもつ団体向けでありますから利己的な目的にのみ従っているとしか思われませんし、それだけならまだ良いのですがよせば良いのに「第一人者」監修の間違った知識を広めようとしているのですからほとんど犯罪です。「わが国伝統の家庭教育を復興し、より良い日本を再構築する」と称する「日本家庭教育協会」も、ゴミ同然のDVDを山ほど押し付けられてさぞ迷惑でしょうが、それは普段の行いが悪いせいですから辛抱して1枚ずつ電子レンジでチンしていくしかありません。

青木さんも一部(いちぶ)では尊敬(ばかに)されている立志伝中の人物(なりあがりもの)ですから教養(きょうよう)がないのは青木さんの責任(あたま)ではないのですし、産經野郎も新聞記者(へたれ)の中(なか)では一番(いちばん)学校(どうぶつえん)の成績(いち)が悪(おお)い組(くらす)でしょうから何(もんく)を言(い)っても無駄(りかいふのう)でしょうが、考(かんが)えてみれば『産經新聞』の読者(もんもう)も同(おなぐんだん)じようなもんなんでしょうから人(たにん)の幸せ(ばか)を自分(ちんぷ)の幸せ(ばか)に感(まん)じることのできる社会(せっくす)を作(や)りたいな。
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2010年11月23日

不当老荘行為または青き卑下の虐殺

そうこうしている間に、竹原さんと「日本創新党党首」が産經新聞紙上で意気投合しているのが目につきました。

往復書簡】地方自治の実態とは ブログ市長VS日本創新党党首

 鹿児島県阿久根市や名古屋市で、首長と議会の対立が有権者を巻き込んだリコール(解職・解散請求)手続きに発展するなど、地方行政に異変が起きている。「ブログ市長」と呼ばれる阿久根市の竹原信一市長(51)は地方議会や公務員制度改革で専決処分を乱発し、議会との衝突が絶えない。地方自治の改革はなぜ激しい対立を生むのか。竹原市長と、改革派首長といわれた山田宏・元杉並区長(52)=現日本創新党党首=が地方自治の実態を語った。

2010年11月2日 産經ニユース
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101102/lcl1011022242008-n1.htm


とは言うものの、実際にお二人が「語っ」ているのは「地方自治の実態」というよりは「痴呆自慰の変態」というようなものでして、竹原さんが

そもそも公務員という特別な身分は必要ありません。民間と同じ仕事をしているのに、なぜ公務員だけ身分が保障されているのでしょうか。
 逆に仕事のブレーキになっているなら、市役所まるごと民間に任せて、業績が悪ければ会社を代える形をとるべきです。私に対するリコール運動は、改革に反対する労働組合が中心です。職員が解雇されてもいい状態を作り、組織の健全さを維持して役所が社会を最優先する形に改めなければなりません。


と「語」れば、山田さんも

 民主党政権になっても地方分権は進みません。権限だけでなく税源移譲が必要で、公務員削減と並行して進めるしかありません。国がやっていたことで地方ができるものは地方に任せ、公務員を減らす。その分、税源も移譲していく。10年もやれば地方分権は着実に進みます。公務員制度改革ではなく、単純に公務員を減らすことが重要になってきます。


と答える山のこだまの嬉しさよ、あとは言えない二人は首切り。

竹原さんは「職員が解雇されてもいい状態を作」ると「組織の健全さを維持」できると言っていますが、なんでそうなるのかワケがわかりません。いくら市役所の職員がクビになってもトップが竹原さんでは「健全」とはほど遠いことになるのは明らかなのですから、竹原さんの言っていることは単に間違っていますが、山田さんになるともう間違ったり正しかったりというレベルではなくなっています。なんだか知りませんが「単純に公務員を減らすことが重要」なのです。理由はありません。

いずれにしても「労働者という特別な身分」においては「なぜ身分が保障されてはならないないのでしょうか」、というところがよく分からないわけですが、だからといって「公務員」もそんなに「保障」されているというわけではありません。「公務員」であろうが「民間」であろうが実際には原則として労働者諸君の身分は「保障」されていません。山田さん式に「単純に」言えば、「保障」されていない故に喧嘩をしてもよいことになっています。ただし「公務員」の場合は喧嘩を始めると周りの人が迷惑をする、ここで「周りの人」というのは一般の住民とか、もっとエラい人を含む本当に「周りの」人たちですが、そういうワケであまり喧嘩をしないようにしてあるようですが、それだけのことです。

竹原さんも「公務員だけ身分が保障されている」わけではないという実例を2つも身の回りに置いていながら全然わかってないところが実に嘆かわしいわけですが、その点山田さんはさすがです。ほとんど似たり寄ったりです。「民間」だろうが「公務員」だろうが、とにかく「削減」、「減らすことが重要」だというのですが、「国がやっていたことで地方ができるものは地方に任せ」たら、国が一ヶ所でやっていたことを各地方自治体でやることになりますから、地方公務員の数は増えなければなりません。しかしその辺の「複雑」な計算は山田さんが追いかけて行けるレベルではないようですし、その必要もないようなのです。

ところで尖閣諸島のおかげですっかり忘れられていた日本明神礁、じゃなかった日本狭心症が最近注目されているのは、なにも山田さんのヘキサゴンな脳具合が面白がられているというワケではなく、専らスポンサーが話題作りをしてくれているからだといいます。

AOKI労組が救済申し立て 「違法な勧奨で8割脱退」


 大手紳士服店チェーン「AOKI」を展開するAOKI(横浜市)の労働組合「AOKIグループユニオン」は16日までに、組合員が会社側から違法な脱退勧奨を受けたとして、神奈川県労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てた。

 同ユニオンの上部団体UIゼンセン同盟によると、今年6月には約1640人いた組合員のうち、8割を超える約1380人がこれまで4カ月間に脱退したという。審査で不当労働行為が認められれば、県労委が救済命令を出す。

 UIゼンセン同盟神奈川県支部によると、AOKIの複数の店舗を統括するマネジャーが6月下旬ごろから、同ユニオンの組合員に対し「組合を脱退しないと異動させる」「退職してもらうこともある」などと脱退を求めていた。今月2日の団体交渉でAOKI側は「違法なことはやっていない」と主張したという。

 AOKIホールディングスのホームページなどによると、1958年に長野県で「洋服の青木」として創業。紳士服販売の大型店舗を全国にチェーン展開して会社規模を拡大させ91年、東証1部に上場した。売上高は業界2位。グループ全体に従業員が約2660人いる。

2010年10月16日 共同


去年はやはり紳士服の「コナカ」が、UIゼンセン同盟とグルになって全国一般東京東部労組コナカ支部を潰しにかかっていましたが、「AOKI」ではそのUIゼンセン同盟さえ容赦なく排除しようとしています。この「AOKI」を運営する株式会社AOKIの持ち株会社である株式会社AOKIホールディングスの会長が青木擴憲さんで、この青木さんが山田さんたちにお金を遣っていることが『週刊朝日』に出たりしています。

まあ、山田さんの言っていることと青木さんのやっていることに矛盾はありませんから、言行一致で大変に感心なことではあります。もっとも、青木さんは労働者が就業時間外にも息をしていたりすることが気に入らないのかも知れませんが、それよりも民主党を指示する連合の中心であるUIゼンセン同盟が自分のところに浸透しているのはもっと気に入らないことでしょう。経営者の政治趣味でワリを食う労働者諸君は気の毒ですが、そんなことなら労働組合はいろいろありますから、全国一般とかだったら青木さんも文句を言わないかも知れません。

いや、青木さんもその知性は山田さんや竹原さんとあまり変わりませんから、そういうことも大いにあり得ることです。たとえば青木さんが思想問題を語れば即ちこのような惨状を呈すること請け合いなのです。

AOKI:青木擴憲会長「老荘思想から今の日本の教育を」家庭教育DVDを日本家庭教育協会に寄贈


 衣料品事業などを展開するAOKIグループが24日、老荘思想研究家の第一人者、田口佳史さんを監修に迎えて制作したDVD「親子で学ぶ人間の基本 中国古典で読み解く人間の本質」3500セット(約1億円相当)を、一般社団法人「日本家庭教育協会」に寄贈した。青木擴憲・AOKI会長は「老荘思想から今の日本の教育がどうあるべきか考えてほしい」と語った。

 DVDは、創業50周年を記念して08年に制作されたもので、4000年にわたり受け継がれている中国古典思想の「四書五経」を基に、基本的な道徳や礼儀、生きるうえでの知恵や姿勢を家庭で学べるよう、田口さんがイラストと共にわかりやすく解説。俳優の江守徹さん、市毛良枝さんがナレーションを担当した。AOKIグループは「わが国伝統の家庭教育を復興し、より良い日本を再構築する」という同協会の設立趣旨に賛同し、寄贈した。

 贈呈式は東京都港区の「アニヴェルセル表参道」で行われ、日本家庭教育協会会長補佐でセコム会長を務める木村昌平さんは「将来の日本を思う志をいただいたと思います。日本に3000強ある図書館に寄付し、普及に努めたい」とお礼の言葉を述べ、DVD監修を務めた田口さんは「現代社会は子育ての根幹に対する質問に応えられていない。学校教育で重要なことは、子供が理解できるかできないかではなく、江戸時代でやったように人間の基本を教えるべき」と理念を語った。

2010年9月24日 毎日新聞デジタル


田口佳史さんが「老荘思想研究家の第一人者」というのはどうかと思われますが、実際には株式会社イメージプランという企業研修屋さんであり、山田さんに頼まれたのか山田さんを騙したのか知りませんが例の「杉並師範館」の理事長におさまっているところです、来年の3月までは。青木さんによれば「四書五経」は「老荘思想」なんだそうですが、これは田口さんが言ったことをそのまま繰り返しているだけなんでしょうが、さすがは「第一人者」、いくらなんでもそれはどんなもんか。

四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」ですが、五経はもと「詩経」「書経」「儀礼」「楽経」「春秋」であって、後に「楽経」が失われてその注釈である「楽記」が、「儀礼」の注釈である「礼記」に収められて一本化される一方で、哲学的なバックボーンとして「易経」が取り入れられた段階で儒学に対する老荘思想及び道教の影響が決定的になったようです。

まあ一応「バックボーン」ですから、そのことをもって儒道一元を主張するのは勝手とはいえ、やはり儒教の中で「老荘思想」は後付けの理屈でしかありません。そう考えると「四書五経」がイコール「老荘思想」みたいに言うのは間違いでしょう。とはいえ、間違いと気違いは江戸の華ですから落語でも聞いていれば良いようなところ、青木さんは「人間の基本」に1セット3万円という値段をつけて売ろうてえんですから、やはり「学校教育で」「人間の基本」が「理解できな」かったことは間違いありませんが、それはあまり「重要」ではないんだそうで、まあ誰もこんなDVDは観ないでしょうから教育上の悪影響も少ないでしょう。
posted by 珍風 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月22日

空笑する警官または笑われる警官

裏金証言元警官 総務課長に任命 阿久根市


 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は22日、群馬県警の裏金づくりを証言した同県警元警部補の大河原宗平氏(57)を総務課長兼選挙管理委員会事務局長に任命した。同市では市長解職の賛否を問う住民投票が12月5日に行われ、大河原氏はその事務を指揮する。2008年9月の竹原市長就任後、総務課長は5人目。

 竹原市長は22日朝、辞令を交付し「ここは戦場です。正義の通る社会に変えるため志を持った同志として戦いましょう」と訓示した。記者会見した大河原氏は「正義が貫けるなら勉強させてもらいたいと思って引き受けた。与えられた仕事を粛々と正義を貫いてやりたい」と語った。竹原市長は記者団に「正義感も能力も高い。いい仕事をしてもらえると期待している」と話した。

 大河原氏は群馬県警在職中の04年、公務執行妨害容疑で逮捕され懲戒免職処分を受けたが「裏金づくりを拒んだことで事件をでっち上げられた」として前橋地裁で免職処分の取り消しを求めて係争中。11年3月18日に判決が予定されており、勝訴確定の場合、同県警に戻るかどうかは「判決が出た時点で考える」と話した。

2010年11月22日 西日本新聞


「正義」という「言葉の意味」が阿久根市では極めて難解なものになっているようです。他の土地の人は「普通選挙」こそ「正義」だと思うのかも知れませんが、ここ阿久根市においては「正義」というのは「不正選挙」をやる事である可能性があります。

阿久根市の選挙管理委員会では、書記を停職処分にしています。この書記は総務課選挙係長を兼務していたのですが、つまらないドジを踏みまして、竹原さんによって商工観光係長に異動されたものですが、選管の意向によって書記の身分は残りました。そこで竹原さんは自らの独裁装置とした賞罰審査委員会に改めて処分を決めさせたということのようです。

同じ件で2回処分する事になるのでどうかと思われますが、竹原さんはあまり気にしないようです。てゆーかそういう事をするために賞罰審査委員会のメンバーを構成してあるという雰囲気が濃厚であります。

それで今度は総務課長兼選挙管理委員会事務局長を取り替えることにしたようです。前任者は「家庭の事情」によって「自己都合」で辞めたそうです。阿久根市の事なら何でも知っている「データ・マックス」によれば「家庭の事情」というのは癌に苦しむ奥さんの看病ということですが、それは確かにそうなんでしょう。

もっとも、癌というのは昨日今日罹るもんでもありません。前任の課長さんが退職の意向を示していたのはいつ頃の事だったのか、なんでも知っているはずの「データ・マックス」も教えてくれません。ことによると退職のタイミングがあまりにも悪すぎる/良すぎるということもあり得ます。

というのも、仙波さんは「後任を市職員から登用しようとしたが、すべての課長に断られた。住民投票が始まっており、公募する時間はない」(共同通信)ので「民間をあたった」(データ・マックス)、てゆーか簡単に知り合いを連れて来てしまっているわけですが、この「時間」については退職日を「調整」することによって「なくす」ことが可能なのです。

なお、大河原さんは免職処分の取り消しを求めているところ、阿久根市総務課長に就任した事で処分取り消しの利益を放棄したように見えてしまうのは上手くないような気もしますがどんなもんでしょうか。もっともこれは今回の大河原さんの雇用がどういう話になっているかにもよります。住民投票に対応するためだけの短期間の契約であるということも充分に考えられます。

なにしろ市の総務課長ですから、いい加減な事で勤まるものではありません。「大河原宗平さんを支える会」の塚越勝史事務局長は、当然大河原さんと普段よく会っていたりしてその人となりを知っていると思われますが、「総務課長が勤まるかも疑問」と、割合ハッキリとその総務課長としての資質や能力に疑問を呈しています。

大河原さんの訴訟に関わる弁護団の弁護士さんは、さすがに塚越さんみたいに忌憚のなさ過ぎるような事は言わないわけですが

元警部補の阿久根市課長採用、弁護士「残念」


 群馬県警の裏金問題を指摘したために不当に逮捕され、懲戒免職になったとして、県などを相手取り、復職などを求める訴訟を起こしている元県警警部補、大河原宗平氏(57)が鹿児島県阿久根市の総務課長に採用されたことを受け、弁護団は19日、前橋市内で記者会見を行った。

 弁護団の清水勉弁護士は、「行政の素人ができる役職ではなく、引き受けないよう説得し、本人も16日までは『分かった』と言っていた。本人と連絡がとれず、本当に決断したのか分からない」と戸惑いを隠さなかった。16日には「もし復職できたら警察官に戻りたい」と明言したという。

 そのうえで清水弁護士は「裏金問題とともに警察官の労働基本権を認めるよう主張してきたのに、労働基本権を否定する行動をする市長の下で働くのは大変残念」とした。大河原氏は取材に「お答えできません」としている。

 訴訟は今月5日に結審しており、来年3月18日に判決が言い渡される予定。

2010年11月20日 讀賣新聞


「行政の素人ができる役職ではなく」というあたりに気遣いというものが伺われますが、言っている事は塚越さんと同じですから、どっちが良い人でどっちが悪い人だという事ではありません。要は「総務課長をやるわけじゃないだろ」ということを、言わないようにして言っているものと思われます。お世話になった仙波さんに頼まれて、止むなく選管をやりに行ったんでしょう。

「裏金」がどうしたとか言っていますが、所詮はオマワリさんです。世話になった先輩には逆らえません。警察官には警察官の仲間意識があり、それはどうしても社会から浮いてしまう彼等にとってかけがえのないものです。それは「労働基本権」なんてものよりも余程重視されるのです。だいたい労働基本権などを重視するようでは警察官になれません。

もちろん、オマワリさんの「正義感」というものは竹原さんの障害者皆殺し浄化思想と親和性の高いものである事は言うまでもありません。仙波さんや大河原さんは、現実の警察組織から排除されるほどに理想的な警察官であっただけのことであり、「暴力装置」のもっとも優秀な「暴力部品」であったと言えるでしょう。

竹原さんは市役所の部品を「暴力部品」と交換して行政を「暴力装置」にする積もりかも知れませんが、独占的に集約され組織化された暴力、域内で唯一の暴力がそれ自身の負荷によって自壊するとしたら「腐敗」するか「発狂」するかすることになるのかも知れません。どっちにしてもロクなことにならないようですが、「腐敗」の道を自ら断ち切るとすればこれはもう相当に大変なことになるような気もします。一人でなってもらう分には害は少ないんですが。
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2010年11月21日

すべての愛国者は東大左翼の危険性除去を!または零能力者谷垣禎一の嘘

同級生の仙谷氏批判?=「うそ、何とも思ってない」−自民・谷垣氏


 自民党の谷垣禎一総裁は19日夜、大阪市内で講演し、「学生のころ、革命家を気取るような同級生もたくさんいて、大部分の左翼は国家権力と戦っているんだから、うそをつくことも仕方がないと考えていたと思う。今の内閣にも国会でうそをつくことを何とも思っていない人がいる」と語った。谷垣氏は名指しを避けたが、東大の同級生で学生運動に参加していた仙谷由人官房長官を念頭に批判したものとみられる。

 谷垣氏は「(菅政権の閣僚は)おそらく『自民党の政治家も(与党時代に)うそをつきながら政治をしていた』と思っている」と指摘。「だけど、(私は)いつも心の中で『ふざけるなよ。おれたちはもっとまじめにやっていたぞ』と思っている」と強調した。

2010年11月19日 時事


谷垣さんは大学を出ている事を鼻にかけているようで、「学生のころ」の「友人」とか「同級生」の話が頻繁に出て来るようであります。大学、といってもたかが東大ですからどうせたいした「友人」とか「同級生」もいないわけですが

現政権は「ウソが許される」シニカルな思想 谷垣氏


 自民党の谷垣禎一総裁は25日、都内で講演し、鳩山由紀夫前首相の資金管理団体の偽装献金事件をめぐる国会答弁や仙谷由人官房長官の答弁を念頭に「今の政権は国会答弁を甘く見ている。学生当時に新左翼だった友人は『権力と戦うのだから多少のウソぐらいは許される』と言っていた。非常にシニカルな思想が今の国会運営から現れてきているのではないか」と批判した。

2010年10月25日 産経


この東大というところは、世にも恐ろしい「左翼」の巣窟であるらしく、例えば今では自民党の総裁をやっている谷垣禎一さんという人も立派な「左翼」であります。19日も「左翼」らしく完璧なウソをつきました。ウソもこのくらい思い切って吐くと、周りの人はもうお口をぽかんと開けて何も言えなくなってしまいます。盗人猛々しいと言うかなんと言うか知りませんが、これはもう「極左」と言っても良いのではないでしょうか。

まあもっとも、自民党も今では野党なんですから、多少無理を言えば「国家権力と戦っている」と言って言えない事もありませんので、「うそをつくことも仕方がない」と考えていたとしても不思議ではありません。東大の人は政権側にいない限りはウソをつくものである、というのが谷垣さんの意見なのです。

そこで谷垣さんは「おれたちはもっとまじめにやっていたぞ」というウソを言うのですが、しかしこれは余りにもアカラサマな嘘っぱちで、こんなことを言うのはただの「左翼」です。そこでウソを二重鉤括弧に入れたもう一つウソをつくことにしました。「心の中で『ふざけるなよ。おれたちはもっとまじめにやっていたぞ』と思っている」というのがそれですが、二重鉤括弧内はウソなので、それを「心の中で思っている」というのも当然ウソです。ウソをウソで包み込むあたり、「極左」の面目躍如たるものがあるではありませんか。

僕は東大を出ていないし「菅政権の閣僚」でもなければ寿司職人でもないんですが、「『自民党の政治家もうそをつきながら政治をしていた』と思っている」者の一人であります。僕以外にも「おそらく」そう「思っている」人はいるかも知れませんから、谷垣さんの極左発言には「『ふざけるなよ』と思っている」人も多いのかもしれません。もっとも、ある種のウソや隠し事は「自民党の政治家」でも人によっては教えてもらっていないこともあるやに聞いておりますので、谷垣さんは「極左」でもなんでもなくて単に「無知」なだけである可能性を否定するわけではありません。そこで例えばこの発言はウソなのか無知のなせるわざなのか

「県外得策でない」 普天間移設で谷垣氏


 【東京】自民党の谷垣禎一総裁は18日の会見で、米軍普天間飛行場移設について「今後考えていくべきことは普天間の危険性除去をできるだけ早い時期にできるかだ」とし、「(移設先を)県外と言っても、それを探すのに長らく(普天間を)固定したままになることは県民のために得策ではない」と述べた。

 移設先は「私どもは(名護市)辺野古沖に移すのが唯一の現実的な解決と言ってきたが、鳩山内閣でそういう方向性をむちゃくちゃにした」と指摘。「自民党時代と、(民主党に)かき回された後では判断の前提状況が違う」と述べた。

 知事選後は「難しい判断だが、沖縄と誠意を持って話し合いの道を探る姿勢が必要だ」との認識を示した。

2010年11月20日 沖縄タイムス


自民党政権の時代に「辺野古沖に移すのが唯一の現実的な解決」などとウソをついたのが普天間飛行場問題をこじらせている原因なのですから、「鳩山内閣」のせいだというのもウソです。いずれにしてもそれは「私ども」の「方向性」なのであって、それは「私ども」以外の人にとっては「唯一」でもなければ「現実的」でもなければ「解決」ですらないというシロモノだったりします。それは皆さんが好きな例えで言えば電ノコでひと思いに首を落とす代りに足一本にしておこうというような、情け深い提案なのですが、一つの問題を「解決」するために別の問題を起こす事を世間では「得策」とは言わないようです。もっともこのような「常識」を谷垣さんは御存知ないようで、これではまるで谷垣さんはウソつきでしかもバカ、ということになってしまうのですから全世界の「極左」もこれにはビックリです。まあしょうがねえわな、東大だから。そういう僕はもちろん東大なんてものには受かりましたよ。入りませんでしたけど。川越とか朝霞とか遠いからイヤです。え、アレは違うんですか?
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2010年11月18日

オナ軍団の暴力クラウド

仙谷官房長官、抗議受け謝罪 「自衛隊は暴力装置」


 仙谷由人官房長官は18日の参院予算委員会で、自衛隊を「暴力装置」と表現した。質問者の自民党の世耕弘成氏から抗議を受け、「実力組織」と言い換えた上で「不適当だった。自衛隊の皆さまには謝罪します」と述べた。

 仙谷氏は、公務員の政治的中立についての答弁で「暴力装置でもある自衛隊、ある種の軍事組織だから特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と発言した。

2010年11月18日 共同


仙石さんは「オトナの事情」で言い換える事になりましたが、別に間違ったことを言ったわけではありません。「自衛隊」が「軍隊」であるかどうかということもこの際どうでもいい事で、警察も「暴力装置」です。「警察予備隊」として発足した「自衛隊」は「予備暴力装置」なのかも知れませんが、言い換えるとすれば「実力組織」なんてのよりも「自暴隊」の方がカッコいいと思います。

まあ考えてみれば、ヤクザの人に「お兄さんは暴力団の人ですか?」などと言うとやはり怒られてしまうようですから、「暴力」という言葉は人の心を揺さぶるものである事は間違いがありません。したがってこれからはヤクザの事も「実力団」と呼ぶ事が必要です。なんか「実業団」みたいですが。

もっとも、「政治」というものは「暴力」の隠蔽工作の一揃いのことなのかも知れないのですから、こともあろうに「国会」の場で「そんなこと」を言うのは「いくらなんでも」ちょっとアンタ、という世耕さんの気持ちも分からないでもありません。もしここで仙石さんが「言い換え」をしなかったら、おう、暴力上等だ、やんのかコラ、という流れにもなりかねません。

しかしながら一般の市民は警察という暴力装置とガチの勝負を強いられています。ひとたまりもなく潰される予定の白浜政広さんは、それでも敵をハッキリと「警察」と名指しています。弁護士は死にたくないので「真犯人」がやった、などと言って逃げていますが、暴力装置と命がけの死闘を繰り広げている人もいるんですから、国権の最高機関たる国会の場で国権の最低表現が展開されたとしても不思議ではないでしょう。

とはいえ、世耕さんはよりエレガントな暴力がお好みなのです。「自暴隊」が治安出動などをしなくても済むように、自民党は大日本帝国から継承した微細な暴力のネットワークを活用して来ました。それは「土地の顔役」だとか「ヤクザ」の人たちも含み、本格的な「暴力装置」と密接に結びついて社会の隅々にまで浸透している、表立たない「暴力」の装置、てゆーか最近は「クラウド」とか言うそうですが、雲を掴むような話で申し訳ありません。

なにしろ「喰らうど」と言うくらいですから「自暴隊」いや「自衛隊」もこいつに喰われちゃっているのは言うまでもありません。自衛隊が以前から「特段の政治的な中立性」なんざちゃんちゃらおかしい、という状態である事はよく知られています。あそこには思想信条による差別が厳然と存在すると伝えられております。例えばその昔、自民党と公明党の仲が悪かった頃には、創価学会に入っているような自衛隊員はみんな北海党の果てに飛ばされていたものでした。

実際にはそれは「国家の暴力装置」ではなくて「自民党の暴力装置」だったわけですが、もちろんそれは「自民党を守る」ことが「国を守る」こととイコールであったからに他なりません。この場合の「国」とはアメリカの事ですから注意が必要ですが、近頃では民主党もだいぶアメリカの言うことをよく聞くようになって来ているのですが、急に御宗旨を変えると言うのもやはり大変なようで、「自衛隊」は未だに「自(民党防)衛隊」の意識から抜け切らないようです。

「国家の暴力装置」が必ずしも「政府の暴力装置」ではなかったりもするわけですが、それが「野党の暴力装置」だったりするのはやはり剣呑な状態であると言わざるを得ません。クーデター、ということもよくある話で、「喰う出たァ」なんて食いしん坊の「オナ軍団」みたいで困ったもんですが、その時になって軍団に「実は僕たち暴力装置だったんです。今まで黙っててゴメン」と謝ってもらってもどうしようもありません。
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2010年11月16日

投影検殺恐怖大劇場

【初の死刑判決】元最高検検事の奥村丈二中央大法科大学院教授「控訴の勧めは不要」


 「裁判員が真摯(しんし)に考え、結論として『死刑』といういちばん重い決断をしたというのは、一般の裁判員の人でも事件に真摯に向き合ってきちんとした判断ができるということを示した。

 裁判長が控訴を勧めたというが、これは異例だ。死刑判決した裁判官が以前にも控訴を勧めた例はあったが、今回は裁判員の判断を尊重するなら、あえて被告人にそういう必要はなかった。被告人自身が控訴を取り下げることもあるため、裁判官として上級審の判断を仰いでほしいという判断だったのだろうが、裁判員の判断は重みがあり、こういう発言はしないほうがよかったと思う。

 営利目的で強盗に及んだ強盗殺人で、遺体を損壊して遺棄した動機、犯行の態様の悪質さを見れば、死刑判決自体は妥当だ。ただ、裁判員制度は個人として負担が重すぎる。裁判所にメンタルヘルスの窓口があること自体、過酷なつらい仕事だということは裁判所も理解しているということだ。国民も国会も、裁判員制度を再検討する時期がきている。

2010年11月16日 産經ニュース


死刑判決が直ちに「きちんとした判断」とされる論拠は明らかではなく、常人の判断を超えるものであると言えますが、奥村さんが「元最高検検事」であったことを考えれば納得がいきます。奥村さんにとっては検察の求刑通りの判決が「きちんとした判断」なのです。これはかなり「身勝手」な考え方のようにも見えますが、検察というものがそういうものであることは今では広く知られているところです。

そもそもこの事件は検察にとっては「もし被告を死刑にできないなら、今後死刑になる者はこの国にいるのだろうか」という程の「重大事件」だったのです。検察としてはこの事件を通じて死刑制度を裁判員裁判という新たな制度の中で既成事実化しようとしていたことが伺えます。そして実際のところこれには自信があったようで、「耳かき」の方は捨てちゃえ、という判断がなされました。

この「自身」の根拠は、おそらく何にもまして「残虐性」にあったのではないかと思われます。もちろん、「動機」や「被害者数」、「遺族感情」を蔑ろにするわけではありませんが、「生きたまま首を切断する」という犯行様態のインパクトを検察は最大限に利用し、「猟奇的」、「鬼畜」などの裁判員の興味をことさらにかき立てるような表現で効果の最大化を図った模様です。

判決文は検察のセンセーショナリズムを素直に受け止めたものであり、「およそ人間が想像しうる殺害方法で最も残虐で、被害者の恐怖や肉体的苦痛は想像を絶する」という絶妙のレスポンスでこれに答えているわけですが、仮に「絶妙」でなくても「レスポンス」というものは概ね何かに「答え」ているものであることを考えると、我ながら何を言っているのかよく分かりません。

もっとも、電ノコで首を切断するという手段が、そんなに大袈裟に言うほど秀逸なものであるかどうかは疑問とせざるを得ません。首の切断の場合、意識は急速に失われるものと考えられますから、その「肉体的苦痛」はそれほどでもない可能性があります。少なくとも足の方から徐々に詰めて行くというような、より「残虐でない」方法に比較すると苦痛はそれほど大きなものではないような気もします。

だからといって実際に殺害行為に及ぶまで、てゆーか及ばれるまでの被害者の恐怖は相当なものであると考えられます。ここでの「残虐さ」はしかし、それに引き続いて実際に電ノコで首を切られる事とは一応別個に考える事が出来ます。つまりこのような仕方で脅かすとすれば、実際に殺害しなくてもそれは充分に「残虐」である事になるのですが、判決では脅かす事と殺害を一体のものとして考えているようです。

しかしながら殺害の手段が与える「肉体的苦痛」が大きなものではない可能性がある以上、この「殺害」の「残虐性」の在り所は実は「殺害前」にあるのであって、それは「殺害方法」そのものの「残虐性」ではない、と考える事が出来そうです。むしろ「殺害」においては、その「残虐性」は被害者が「残虐」な経験をするということではない、ということかもしれません。それはむしろより視覚的であり、客観的なものです。

もとより犯罪の事ですから、あまり客観的な視点というものを意識しないでしょう。もしそこに予想外の「客観」などというものが存在すれば直ぐさま取っ捕まえてさっさと「主観」にしてしまうまでです。しかし「生きたまま首を切断する」ことの「残虐性」は、首を切断される人の苦痛の中にではなく、「生きたまま首を切断されるのを見る」ことにあると思われます。さっきまで生きて泣いたり喚いたりしていた人が首の切断という決定的な操作によって疑いようもなく「死ぬ」のを見ること、人体がその形態を失うことによって生と死のギャップを乗り越える速さ、それが「残虐」であると思われるのです。

検察としてはこの「残虐劇」を裁判員にいわば「見せる」こと、目の当たりにするように想像させることによってその目的を果たしたようです。裁判員はストレスを感じ、それは被害者に投射されたのです。それは確かに「残虐な」犯罪であったといえるでしょう。しかしながらその「残虐さ」を「被害者の恐怖や肉体的苦痛」と結びつける事は厳密さに欠けると言わざるを得ません。この「残虐さ」は、状況を想像してみて初めて味わいうるものであり、被害者にとっての「残虐さ」とは別なものです。むしろこの「残虐さ」における「被害者」は検察の「残虐劇場」につき合わされる裁判員諸氏に他ならないのではないでしょうか。

したがって、「殺害手段の残虐性」をもって死刑判決の根拠とし、「残虐性」を「被害者の苦痛」によって定義するのであれば、この判決には瑕疵があると思われます。裁判長が控訴を勧めるのももっともで、「今回は裁判員の判断を尊重」したのですから判決は死刑で出しているものの、一応は責任ある立場として「上級審の判断を仰いでほしいという判断」は正当なものでしょう。むしろ判決の瑕疵を放置するまでに「裁判員の判断は重みがあ」るとされるのであれば、それはかなり穏当でない事態であると言わざるを得ません。

もっとも、奥村さんはそんな、何が何でも裁判員の判断は重視されるべきだと言っているわけではないでしょう。今回はたまたま求刑通りの判決を裁判員が出してくれたからそう言っているだけのようです。そしてその点では、職業裁判官は裁判員とは比べ物にならないくらい信頼性が高いのですから、「裁判員制度を再検討する時期がきている」ことになるのも仕方のない事です。おそらく、奥村さんがこういうことを言うところを見ると、今回の判決における検察の勝利も僅差で辛勝、というところだったのかも知れませんが、奥村さんがどうしてそんな事を知っているのか。
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2010年11月12日

国際エロ女子高生

 「守秘義務」とは何か。尖閣諸島沖の中国漁船衝突をとらえた映像を流出させたと、海上保安庁の職員(43)が、名乗り出たことで、あらためて論議が起こっている。違和感を覚えた読者もいるのではないか。
 ▼すでに今月初め、衆参約30人の国会議員が視聴し、その後取材に対して、コメントしていたではないか、と。「大変鮮明に衝突の状況が写っている」「(船長が挑発しているような…)のがあったね」等々。映画の宣伝で、著名人や評論家が試写会でもらした感想を利用する場合がある。
 ▼同じように国会議員のコメントは、国民の映像に対する興味を大いにかき立てた。それなのに、彼らに守秘義務違反を問う声は起こらなかった。実は、国会議員には、守秘義務に関する罰則が適用されないのだという。ついでに言えば、国家公務員以上に厳しい守秘義務がある裁判員に選ばれることもない。
 ▼では、「義務」とセットで語られる「責任」はどうだろう。仙谷官房長官は会見で、「政治職と執行職のトップの責任のあり方は違う」と述べた。この理屈に従えば、今回の事件で、海上保安庁の鈴木長官の監督責任は免れないものの、馬淵国土交通相の責任は問われないことになる。
 ▼そもそも中国人船長の釈放について、「那覇地検の判断」と、検察に責任転嫁したのが始まりだった。その後も、ビデオ映像の非公開の判断を含めた「弱腰外交」が、中国、ロシアに付けいるすきを与え、国益を損なってきた。その責任には、菅首相、仙谷官房長官ともにほおかぶりしたままだ。
 ▼民主党政権の「政治主導」によって、政治家の「無責任化」は進む。国力低下もなんのその、気楽な稼業ときたモンダ。

2010年11月12日 産経抄


「ときたモンダ」じゃねーよ。てゆーか「モンダ」がカタカナなのはもちろん何か意味があってのことだと思いますが、僕にはその「意味」が全然わかりません。ちなみにこれはもちろん「ドント節」が元ネタ、作詞は青島幸男ですが、「サラリーマンは気楽な稼業ときたモンダ」などという表記はしていなかったはずです。

まあ、別にいいですけど、世界で一番気楽な稼業は「産経抄」子ということで間違いはなさそうです。「映画の宣伝で、著名人や評論家が試写会でもらした感想を利用する場合」は、映画の見所を見せてしまうこととは、やはり相当に趣を異にするようですから、子の書き方に「違和感を覚えた読者もいるのではないか」。

映画業界が「守秘義務」つーか映像の「漏洩」に過剰なまでに敏感になっているのはご存知の通りです。映画の上映前にはわざわざその「敏感」を露呈して恥じるところがないのも良く知られているところ、「興味を大いにかき立てた」くらいで「守秘義務違反を問」われることになるのでは大変です。下手に友達に映画の感想を喋って、その映画に対する「興味を大いにかき立てた」りしたら、頭がカメラになった野郎が殴りに来るに違いありません。

むしろ僕が知りたいのは「カメラ野郎」の動向です。産經野郎は「流出により国民の「知る権利」に応えた」(2010年11月11日「主張」)などとヌカしているんですから、ついでにカメラ野郎の活動に関する国民の「知る権利」についても擁護したいものです。もちろん産經野郎はこのような問題について極めて自覚的です。

公安が女子高生を監視? 水着盗撮容疑で埼玉県警警部を書類送検


 埼玉県警は12日、女子高校生の水着姿をビデオカメラで無断撮影したとして、県迷惑行為防止条例違反などの疑いで、県警警備部公安2課課長補佐の男性警部(57)を書類送検し、減給100分の10(3カ月)の懲戒処分にした。警部は同日付で依願退職した。
 
 書類送検容疑は8月2日午後0時半ごろ、同県川口市の市民プールであった国体の水泳県予選でプールサイドにいた高校生の女子選手2人を観客席の通路から無断でビデオ撮影したとしている。

 県警によると、カメラは職場の備品で、勤務日の昼休み中に撮影目的で会場を訪れていた。

 県警監察官室は「再発防止のため、幹部職員への指導を徹底している」とコメントした。

2010年11月12日 産經新聞


今さら驚くような話ではありませんが「公安が女子高生を監視」しています。人の集まるところには立派な一眼レフに高い望遠を付けている中高年がいますが、彼等は公安であるか変態であるかのどちらかです。これは一人のオッサンがその両方を兼ねていたという、珍しいんだか普通なんだかよく分からない例です。ちなみにデモとか演説とかやっているところにもカメラ野郎がいますが、これは変態ではない公安か、変態である公安が変態でない仕事をしているものであるかのどちらかであります。

いずれにしても公安の写真撮影が「犯罪」扱いになったのは希有な例でしょう。おそらく、この課長補佐57歳さんは「開き直り」が足りなかったのでしょう。こういう場合はあわてたりしないで、自分は職務中であって「高校生の女子選手2人」は「国際テロ」に関係のある疑いのある可能性があるかも知れないみたいなようなのである、と言い張ればフツーのオマワリは手も足も出ないはずです。

事実、ぼんやりと道を歩いていたりすると、その近所でデモでもあればほぼ確実に撮影されています。繁華な場所にお勤めの皆さんなどは、ちょいと所要で外出した際などにはこのような場面に遭遇することが多いかと思いますが、そのような場合には水着姿の女子高生でなくてもカメラ野郎があなたを狙っているのです。たとえあなたが美人OLでもなく、単なる中年のハゲデブであってもです。

このような写真は公安野郎のズリネタの他にどのように用いられているのか分かったものではないのが現状です。殊にハゲでデブでしかもチビなあなたの写真は、ズリネタ以外の用途に使用されている疑いが濃厚であるといえるでしょう。まあ、世の中は広いですから、そんなあなたの素敵なスナップに湯気立つ濃厚な白濁液をぶっかけている人が公安に一人もいないという話も聞いたことはないんですが。

自分の写真がそういうキモい目に遭っていないかどうか是非確認したいものだ、というのが「国民の「知る権利」」の重要な要素であります。「汁権利」という人もいますが、そんな人のことは知りません。そういう意味では、最近になって急に「知る権利」をいつになく重視しておられるご様子の産經野郎は、警視庁から流出したと言われる「国際テロ」関係文書についても「知る権利」の立場からこれを擁護し、その拡散を助け、内容をすべて新聞紙上に掲載して僕みたいなイケメン野郎の御真影が変態の腐れ体液に穢されることから守るべきでしょう、ときた「モンダ」。
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2010年11月11日

蜥蜴牧場で皮かむりを正さず

たまにはフォークの先に刺さっているものを凝視してふと我にかえってみる必要があるようです。

新種のトカゲ、ベトナムの料理店で発見
               

Brian Handwerk
for National Geographic News
November 10, 2010

 ベトナム料理で人気のトカゲが実は新種(学名:Leiolepis ngovantrii)だったと判明した。しかもすべての個体がメスで、オスとの交尾を必要とせず単為生殖するという。

 ただしそれほど珍しい存在ではなく、トカゲ全種のうち約1%は単為生殖により繁殖できる。メスが自発的に排卵し、遺伝情報がまったく同じ子を産むという。



 カリフォルニア州リバーサイドにあるラ・シエラ大学の爬虫両生類学者で調査活動にも参加したL・リー・グリスマー氏は、「ベトナムではごく普通の食材だ。南部のメコン・デルタ地帯のレストランでメニューに載っている。われわれも店内で出会った」と話す。



 ベトナム科学技術アカデミーのゴー・ヴァン・トリ(Ngo Van Tri)氏はある日、バリア・ブンタウ省のレストランで売られている生きたトカゲを目にした。みんな奇妙なほどよく似ているので気になり、知人だったグリスマー氏と、その息子でアメリカ、カンザス大学の爬虫両生類学博士課程に在籍するジェシー・グリスマー氏に画像を送ってみたという。



 グリスマー父子は、メスのみの単性種ではないかと考えた。一見して雌雄で体色がまったく異なるバタフライアガマ属のようだったが、画像ではオスがどこにもいなかったからだ。



 そこで親子はホー・チ・ミン市(旧サイゴン)へ飛び、生きたトカゲを“電話予約”してレストランへ向かったが、待っていたのは失望だったという。「オートバイで8時間もかかったのに、酒に酔った店主が予約を忘れてすべて調理してしまい、1匹も残っていなかった」とリー・グリスマー氏は振り返る。同氏は他のプロジェクトでナショナル ジオグラフィック協会研究・探検委員会(CRE)から資金提供を受けたこともある。



 運良く同じトカゲを提供するレストランが見つかり、地元の小学生も捕獲を手伝ってくれたため、最終的に約70匹が集まった。グリスマー親子が調査したところ、すべてがメスと判明したという。



 新発見のトカゲは腕部に並んだ大きな鱗と趾下薄板(しかはくばん:足の裏にある大型の鱗板)が特徴的で、新種と判断する材料となっている。



 どうやら2つの近縁種を父と母に持つハイブリッド種である可能性が高い。2つの異なる生息環境の移行帯で起こる現象であり、例えば新種トカゲが生息するビンチャウ・フックブー自然保護区(Binh Chau-Phuoc Buu Nature Reserve)は低木林と海岸砂丘の間に位置している。「このような場所では、2つの異なる環境に生息する種が出会ってハイブリッドが生まれることがある」とグリスマー氏は説明する。



 母親から受け継がれる「ミトコンドリアDNA」の遺伝情報を検査した結果、母方は「Leiolepis guttata」種と判明した。父方はまだ確認できていない。



 グリスマー氏によると、新発見のハイブリッド種は野生の個体数が激減しているわけではないが、絶滅する可能性があるという。 


 
 ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館の名誉館長で爬虫両生類学者のチャールズ・コール氏は、「ハイブリッド種は絶えやすいという説もある。代を重ねても遺伝的多様性が生まれないからだ」と第三者の立場で指摘する。「種の長期的な存続には、遺伝的多様性が欠かせない」。



 この研究は「Zootaxa」誌オンライン版で2010年4月22日に公開された。 


2010年11月10日 ナショナルジオグラフィック・ニュース


うっかりして自分の右手を食べていたら大変ですが、それが「絶滅の可能性のある新種」だったりするとその味わいもまた格別であるといえるでしょう。興味深いのはホー・チ・ミン市のグルメ状況で、店のオヤジが酔っぱらって予約を忘れていたというんですが、いい加減なものです。

もっとも、この店の主人は、カンザスとかいうアメリカの田舎からやって来る異端キリスト教徒の鬼畜が自分の店で「トカゲの踊り食い」に舌鼓を打つ、という予想に耐えられなかったのかもしれません。それは生きたトカゲを貪り喰って地を汚し人の命を奪う恐ろしい舶来の魔術の儀式なのではないでしょうか。アメ公の勝手にさせてなるものか、全部調理してしまい、怖いからお酒飲んじゃえ、という人間として極めて自然な反応だったという可能性もあります。

僕はベトナムに行ったこともなければトカゲを喰ったこともないんですが、「絶滅する可能性がある」というのでは今後はその料理も高嶺の花となるかもしれません。なんでもキモチイイこともなしに単為生殖するんで親の完コピが生まれて来るんだそうですが、そういうことしてると種としては弱いようなのです。

そうでなくても近所の餓鬼共に簡単に捕まってしまうという、生存にはいささか不利な形質をお持ちのご様子なのですが、一方では食材として珍重されることによって人間様の家畜同様の境遇に甘んじることによって存続する可能性もあります。アメ公やなんかに喰い散らかされることによって種としては生きのびることが出来るのかもしれません。

かつてアメ公はベトナムに大挙して押し寄せ、腹一杯トカゲを食べたとのことですが、この「トカゲ・グルメ・ツアー」の中継地として有名なのが沖縄であります。日本の民主党では、Leiolepis ngovantriiの絶滅が危惧されていることを憂慮して、党の国会議員の沖縄旅行を禁止しました。

民主 沖縄行き自体禁止 知事選で岡田幹事長


 【東京】沖縄県知事選に関し党所属国会議員の応援を制限している民主党の岡田克也幹事長が、行動を制限する方向にルールを変更し始めている。

 岡田氏は2日の常任幹事会で、県外の党所属国会議員について「沖縄入りしいずれかの候補者を応援することは行わない」とする党方針を説明した。しかし、8日の川内博史衆院議員との面談の席では、沖縄に行くこと自体を禁止すると説明した。伊波洋一候補の総決起大会に出席し会場で紹介され手を振った川内氏の行動を「応援しているとも受け止められかねない」と指摘し、川内氏に「警告」を発した。

 川内氏は、沖縄に行くこと自体や、候補者の集会に参加しても支援を呼び掛ける行動をしなければ党方針に反しないと解釈しており、9日の常任幹事会で再度岡田氏に確認した。

 岡田氏は「李下に冠を正さず(疑われるようなことは初めからしない方が良いの意)だ。ルールは変えていない」とだけ答えた。

 川内氏は常任幹事会後「岡田氏は途中で急にルールを変更している」と不満を示した。瑞慶覧長敏衆院議員も9日、岡田幹事長と面談し、県知事選の運動制限基準があいまいで県連内に困惑が広がっているとし、基準の明確化を求めた。

2010年11月10日 琉球新報


「李下に冠を正さず」ってのは『古楽府』の「君子行」に見える言葉ですが、こんな故事があります。

斉の国に虞姫(ぐき)という、「心配姫」とか「クヨクヨ姫」という名前の女の人がいて、威王の寵愛を受けていたんですが、あるとき、王の家臣が悪事をはたらいていることに気がつきました。本当に悪事が存在したのか、「クヨクヨ」の「心配」の取り越し苦労なのか、実のところ分かったものではないのですが、とにかく王にひと言言っておいた方が良いと思ったんで、注意しておくことにしたんですが、王は女が政治に口出しするとは生意気だ、と思ったのか、また例の「クヨクヨ」が始まった、ウゼェ、と思ったのか知りませんが、虞姫を捕まえて牢屋に入れちゃいます。

その時の言い訳が「王様のような立派な人物は大きな問題が起こる前に未然に防がないといけません。権謀術数の渦中でいつ陥れられるか分からないんですから他人から疑いをかけられるようなことがあってはなりません。例えば瓜の畑の中で靴を履き替えてはいけません。瓜泥棒の容疑をかけられます。李の木の下で冠を直してはなりません。李の実を盗んだと思われてしまいます。特捜部のお調べを受けるようなことになったら大変です。いくら本当のことを主張しても絶対に聞き入れてくれません。証拠なんてあってもなくても同じことです。そら秘書が捕まった言わんこっちゃないわ」

途中で話がおかしくなりましたが、「クヨクヨ姫」がその後どうなったのかはともかく、後に威王はイケメンの鄒忌の奨めは聞き入れて自分を批判する意見には褒美を採らせることにしたんですからホモかもしれませんが、諫言を容れるというのは古来から名君の条件であります。

「クヨクヨ姫」の言うことももっともなようですが、それならば先ず自分が王様に忠告などしないのが一番なのですから、やはり浅はかな考えとしか言いようがありません。岡田さんもその容姿は奇怪にして鄒忌に遠く及ばないものの、考えの浅いことでは虞姫とタメを張ります。実際のところ川内さんのようなのが民主党の「遺伝的多様性」を確保しているので、「処分」などと言い出すのも愚かなことでしょう。現在の執行部の遺伝子が党全体に蔓延したら、煮ても焼いても喰えないので絶滅するしかありません。アメ公に飼育してもらうつもりなんでしょうけど頭の中はプリオンで一杯だ。
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2010年11月09日

いきぎもたたり

経団連会長、TPP参加で労働力として移民奨励


 日本経団連の米倉弘昌会長は8日の記者会見で、「日本に忠誠を誓う外国からの移住者をどんどん奨励すべきだ」と述べ、人材の移動が自由化される環太平洋経済連携協定(TPP)への日本の参加を、改めて促した。

 米倉会長は「将来の労働力は足りず、需要をつくりだす消費人口も減る」と述べ、積極的な移民の受け入れが必要との考えを強調した。

2010年8月19日 讀賣新聞


さすがは米倉さん、頸断かと思ったら意外に慧眼であります。バカなマスゴミはTPPといえばお百姓さんの問題だと思っているようですが、賢明なる米倉さんはちゃんと労働問題に焦点を当てています。

「日本に忠誠を誓う外国からの移住者」なんているわけない、と思うかもしれませんが、そう思う人は米倉さんの企業家としての精神を見習うべきです。皆さんは裸足の土人に靴を売りに行く人の話を聞いたことがあるでしょう。これはそれと同じことです。

「日本に忠誠を誓う外国からの移住者」が始めから存在するわけではありません。「外国からの移住者」を「日本に忠誠を誓う外国からの移住者」にしてしまえば良いのです。そもそも、もとから日本にいる人でも「日本に忠誠を誓う」と決まっているわけではないのであって、米倉さんはそのことをよく知っています。その点では日本人でも外国人でも同じことなのです。

もっとも、「日本に忠誠を誓う」つもりであれば、外国人ならびに日本人の労働者諸君は、その「日本」が「忠誠を誓う」対象についてよく識らなければなりません。「日本」への「忠誠」というのは間接的なものです。それは中継地なのです。「日本」を経由する電車には別の行き先がありまして、その電車は「日本」を通過してしまわないという保障はありません。

亜細亜大学の石川幸一教授によれば、TPPでは労働に関して

労働については、労働協力についての覚書が締結されている。覚書では、ILO(国際労働機構)加盟国としての義務の確認、「労働における基本的原則と権利に関するILO宣言およびそのフォローアップ」についての約束の確認、労働についての国際的な約束に一致した労働法・労働政策・労働慣行の確保、労働法制・政策策定における主権の尊重、保護貿易のために労働法・労働政策・労働慣行を定めることは不適切であること、貿易と投資の奨励のために労働規制を緩和することは不適切であることなどを規定している。さらに、労働に関する協力を行うことと照会所の設置、協議なども規定している。協力には非政府組織の参加が呼びかけられている。

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の概要と意義


「保護貿易のために労働法・労働政策・労働慣行を定めることは不適切であること」が「覚書」で決まっているようです。すなわち労働者を保護する制度は「非関税障壁」と見なされることになります。アメリカがこれに参加する場合は、TPPに参加するすべての国がアメリカの労働慣行に従わなければならなくなるでしょう。

ここで「非政府組織」と書いてあるのは労働組合のことですが、このような問題について「非政府組織」が参加することは義務づけられていません。参加は「呼びかけられている」のであり、呼ばれたからといって出掛けて行っても門前払いを喰うかどうかは定かではありません。

したがってここでも、農業と同様に、TPPに参加する準備が出来ているのか、という問題があります。日本の労働会はアメリカと頸断連によく抗しうでしょうか。この点について米倉さんの観測は極めて明快であり、頸断連から見て何の問題もないからイケイケ、というものであるようです。

そして僕も米倉さんの慧眼を賞賛しないわけにはいきません。日本の「労働運動」というのは今や「派遣村」である、というところまで後退しているのであり、しかも「国民の生活が第一」の民主党は、「国民」ではない労働者の「生活」はとっくに「仕分け」てしまっているのです。

“脱派遣村”へ対策強化 年末まで住居や就業の相談


 政府は9日、年末年始に「派遣村」ができるような事態を避けるための会合を開き、仕事のない生活困窮者を対象とした生活相談や住居相談、就業支援対策を年末に向け強化していくことを確認した。

 内閣府や厚生労働省、総務省の担当者が参加。昨年末、東京都が失業者らに食事や宿泊先を提供した「公設派遣村」について「年末年始の対応だけでは限界がある」と総括。今年は11、12月、全国各地で職業紹介や生活保護相談を一カ所で受け付けるワンストップ・サービスや就職面接会、就職支援セミナー、住居・多重債務相談などを開くことが報告された。

 厚労省の小宮山洋子副大臣は会合後の記者会見で「派遣村が必要とならないよう、(役所が開いている)12月28日まで周知に全力を挙げる」と話した。

 2008年末に東京・日比谷公園で、支援者らが年越し派遣村を開催。昨年末は国が費用を負担し、都が「公設派遣村」を設置したが、石原慎太郎都知事は5日の会見で、「昨年のような協力はできない」と明言している。

2010年11月9日 共同


賢明なる石原さんがやりたくなければやってくれなくて結構ですが、民主党政権も「派遣村」を潰すためのアリバイ作りに懸命のようであります。もっとも、それは「12月28日まで」のことであって、あとは大掃除をしたりお屠蘇を祝うのに忙しいようです。29日以降の「年末年始」はどうするかというと、どうせ対応したところで「限界がある」から最初からやらない、という極めてサッパリした「対応」を行なう模様です。

「役所が開いている」時期に「限界」があるんですから、「年末年始の対応」にも「限界」内で意味があると思うのが人情ですが、そんなことを言う人は小宮山さんの気持ちがわからない人です。小宮山さんが28日まで「全力を挙げる」と言っているのは、人事を尽くして天命を待つということです。つまり、もし天命によって充分に天候が悪く、しかも「派遣村」も存在しない、ということになれば人が死んだりするわけですが、それで良いのです。

今度の冬から、労働者は順番にふるいにかけられます。冬を正社員で過ごす人、バイトで過ごす人、派遣で過ごす人、派遣を切られる人、無職の人、その中で餓えと寒さに強い人、弱い人。春になれば過労死さえもたらす激しい労働についてゆけない人は既に切り捨てられて、てゆーか単に死滅しています。

これは大変便利なアイデアですし、収容所で誰かが「仕分け」して、しかもガス代をかけるのに比べると極めてリーズナブルです。これからの環太平洋地域の標準政策として提案しても良いくらいです。「死体の処理が新たな雇用を創出する」とでも言っておけば満点でしょう。「死体はビンボー人が食べちゃうから政府の財政的負担はゼロ」も付けてくれれば特典として人の生き肝がついて来ます。
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2010年11月07日

海・その曖昧

尖閣ビデオ流出犯人、石垣・那覇海保内部か


 沖縄県・尖閣諸島付近の中国漁船衝突事件の映像が、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」上にハンドルネーム「sengoku38」名で公開された問題で、検察当局は6日までに、映像が海保から検察側に提出されたビデオと同一と断定。検察内部からの流出はほぼないとの結論に達した。これによって、映像は海保側から流出した疑いが極めて強まり、海上保安庁は石垣海上保安部(沖縄県石垣市)などの集中調査に乗り出した。

 中国漁船衝突映像をネットに流した「sengoku38」は海保内の人物か、もしくはその“協力者”である疑いが濃厚となった。

 海保や検察当局によると、映像は石垣海保で証拠資料として編集。同様の映像は第11管区海上保安部(那覇)にも一時保管されていたとみられ、海上保安庁は石垣海保や11管から流出した可能性が高いと判断した。

 海上保安庁は6日までに調査員13人を現地に派遣。ビデオ編集や保管にかかわった職員らから事情を聴く一方、パソコンのハードディスクなどの履歴を調べている。

 海上保安庁などによると、現場で巡視船などが撮影した数時間に及ぶビデオ映像は、石垣海保に持ち帰り、オリジナルのマスター映像のすべては那覇地検に証拠として提出した。

 石垣海保では、この映像をコンピューターで約44分のものなど十数本に編集し、公判用などに那覇地検に提出。この際、コピーをして石垣海保内で保管している。11管にも送ったとみられるが、既に廃棄したという。

 44分のビデオ映像は、那覇地検から福岡高検、最高検にも送信されたが、これまでの検察当局の調査で、内部からの流出はほぼないことが分かっている。検察当局は今後、外部からの侵入や不正アクセスの可能性についてもさらに調べるが、現状で検察側から映像が流出した可能性は、ほぼ100%消えた。

 衆院予算委員会の映像提出要請を受け、10月18日に馬淵澄夫国土交通相(50)が海保に情報管理の徹底を指示、石垣海保では映像を金庫に保管したが、以前は金庫を使用していなかったとみられる。

 問題の映像には実在する海上保安官の名前や、状況説明用の字幕が入っており、始まりの部分に「進路規制から揚網途中まで」との字幕が入り、「メモリカードが満杯になるので(人名)カメラに引き継ぎ」などの字幕も入っていることから、編集がほぼ終了した段階のものが流出したとみられる。検察当局は、今後もあらゆる可能性をさぐった上で、早ければ週明けの8日にも調査結果を公表する方針でいる。


2010年11月7日 産経ニュース


今日中に「あらゆる可能性をさぐ」るんだそうですが、日曜日なのにご苦労な事です。検察では「内部からの流出はほぼない」と言っているそうですが、検察の言うことですから分ったものではありません。さすがの『産經新聞』も「ほぼ100%消えた」と書いていますから、検察内部から出た可能性は0%〜99%程度存在するようです。

まあ問題は出口ではなくて背後関係でしょうから「sengoku38」の「正体」が誰であっても一向に構いません。この動画は4日にアップされたそうですが日付が5日に入るや否や報道が開始され、事実上このビデオはマスゴミによって大っぴらに「放送」されていたようなものですからみんな観ることが出来ました。用意周到、と言う感じがしないでもありません。段取り八分であります。

まったく国民の皆さんは自分が「国際テロ」の関係者として密かに便所の「流出」音まで盗聴されているかも知れないのに、そっちの「流出」の方は忘れてしまったのでしょうか。警察といえば無関係の人を平気で捕まえて来る人たちですから、あなたがそういう目に遭っている可能性は「ほぼ100%」存在すると見ておいた方が良いようです。是非ともそっちの内容も放送してもらいたいものであります。

とはいえ、お船の喧嘩も見れば面白いものであると言えるでしょう。日本人たるもの大陸や南の島から船に乗ってやって来た人たちの子孫でありますから、このビデオにはDNAを揺さぶる「海の魅力」が満載なのです。「海原」って良いもんですね。千里万里。海はお母さんかお父さんか知りませんが、加山雄三や村木賢吉がもてはやされるのも理由のない事ではありません。

とりわけ6分割中の5本目における、警報もけたたましい「みずき」さんの「幅寄せ」は海難事故の魅力、てゆーかその難しさを十二分に表現しているものであると言えるでしょう。どっちが「悪い」んだかよく分かりません。おそらく「みずき」さんは取舵で「閩晋漁5179号」の左舷に接近しています。並走して撮影されたビデオはその左舷船首部分を撮影していますが、これは多分「よなくに」とぶつかった痕を見たかったものでしょう。

大したダメージは受けていないようですが、その後、ビデオを見る限りでは漁船が取舵に接近して来るように見えます。その航跡から左に曲がって来たように見えるのですが、航跡が短いのでよくわかりません。漁船は「みずき」は右舷船尾部と接触しており、それはカメラのある地点よりも後部ですから、「みずき」は漁船を追い抜かしつつあったようです。しかしながらその時点での「みずき」の舵がどっちに向かっていたのかわかりません。ビデオは「みずき」自身の航跡を撮影していませんし、「衝突」時点では航跡が煙で見えなくなっています。したがって「みずき」が回避行動をとったのかどうか、ビデオから一目瞭然に見て取る事が出来ません。

この辺が誠に「海の魅力」であり、まあ「本物」の迫力であると言ってしまっても良いのかもしれませんが、本物にしても偽物にしても中国としては文句の一つも言わなければならない立場に追い込まれてしまいました。どっちが「悪い」にしても日中関係は当面「悪く」なる格好ですが、前原外相にとっては「悪くない」展開であるといえるでしょう。

民主党のマエバリたる前原さんは、とかくそのマエバリの下からナニゴトかが「流出」してしまうという大変不潔なイメージがガムテープの糊のようにへばりついています。今回は旨いこと「本物ビデオ」でもって「偽メール」の雪辱を果たした、と思ってんだべ。

本当の尖閣

日本の通天閣

どうした八ッ場ダム
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2010年11月05日

DX超合金重装漁船神経症

尖閣映像含む大量のDVD見つかる 埼玉・川口駅


 埼玉県警によると、同県川口市のJR川口駅改札近くで5日午前8時半ごろ、段ボール箱に入った約300枚のDVDが置かれているのが見つかり、数枚には尖閣諸島の漁船衝突事件の様子と見られる映像が録画されていた。インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」の映像と同じ内容とみて調べている。段ボール箱には民主党政権を批判するチラシも20〜30枚入っていたという。

2010年11月5日 asahi.com


元々「コメント」を必要とする「映像」ではあったようです。そこでコメンタリー付きで設置してあったようですが、まず、一旦流出して公開された映像が入っていたDVDにどれほどの意味があるのかは現時点では不明です。むしろ、「「ユーチューブ」の映像と同じ内容」では足りない、というべきでしょう。「民主党政権を批判するチラシ」と同梱されていたところを見ると、むしろこの「段ボール箱」は「民主党政権」が置いて行ったものである可能性すら存在します。

いずれにしても、あの映像の流出が「中国脅威論を煽る」ためにするものであるとすれば、これは大変な事です。あれは、ほとんど「脅威」ではありませんでした。言ってみれば少々愉快な映像ではあったかもしれません。

しかしながらそんなことを言う僕はもちろん「ビデオ」の視点に立ってしまっています。つまり大船に乗って「中田君」に色々教えてあげたりするような気分になってしまっているのです。ここで翻って、あの漁船に乗っていた漁民の立場になってみれば、あの状況はとても「愉快」だとか言って笑っていられる場合ではないのではないでしょうか。

おそらく、中国漁船の行動はどう考えても危険なものですが、その「危険」はどちらかというと漁船自身の危険であるように思えます。映像で見る限り、漁船の乗員は案外平気なようですが、僕があの漁船に乗っていたら小便をチビっていたに違いありません。

6つに分かれたうちの4つ目が「よなくに」の衝突ですが、「よなくに」が漁船の右舷方面から追い抜かして漁船の針路を横切るかたちで左舷方面に来たところを漁船に突っ込まれているように見えます。すなわち「よなくに」の左舷後部に漁船が突っ込んで行くように見えるのですが、これは漁船が追い抜かされたうえに進路を横切られたんでアタマにキたのではないか。

もちろん、本気で突っ込めば漁船の負けです。海の上で負けるというのは直ちに死を意味しますから、そこら辺は漁船の船長さんも考えているんでしょう。「よなくに」を追うようにぶつかっていますから、衝撃はそれほどでもなかったかもしれません。しかし船の大きさがだいぶ違うようですから、乗っているものにとってはコワい事はコワいものと思われます。

つまり、中国には荒っぽい漁師がいる、ということのようですが、日本の漁師も荒っぽそうです。てゆーかオカの者が考えるに荒っぽくない漁師という人がいるのかどうかよく分からないわけですが、「アブナい人」だといえば確かにそうかもしれません。

とはいえ、中国が「ああいう国」だとも言えないでしょう。てゆーかもしそうだったら東アジアの現代史はもっと面白くなっていたはずなんですが、残念な事にそうなっていません。漁師さんの少々乱暴な行動をもって一国家の行動を推測しようとすることにはちょっと無理があるようです。

まあ例えば「えひめ丸事件」のような採るに足らない「単なる事故」に比較すると中国漁船の行動は極悪非道なものなんでしょう。もちろん、蛮勇を奮って巡視船に神風的に特攻をかけた「該船」の行動はあまり褒められたものではないわけですが、それは「脅威」というよりは馬鹿げた振る舞いに類するものであるとされる可能性が高いのであって、海上である事を別にすれば、それは「そこらのバカ」が「アブナイ」ことをしているものと選を異にするわけではないようです。

もっとも、「脅威の存在」というものが、客観的に「脅威」が存在するというよりは、何物かを「脅威」であると感じる側に依存するところが多いものである事を考えれば、「アブナイ漁船がいる」という「脅威」を感じる、というのは「そこらのバカ」というか近所のアブナそうな人を警戒しようとする「地域安全マップ」に似た感受性によるものであるということが出来るでしょう。

「脅威」は漁師さんの性格によるのでもなければ軍事力の増強にあるのでもありません。ある国への「脅威」はその国民の程度に応じて「存在」するようなのであり、ここで問われているのは「流出」を仕掛けた側の「程度」と、仕掛けられた側の「程度」なのでした。そして「日本」に相応しい「脅威」は「漁船」ぐらいが関の山であるとしても、それはもうそういうことなんだからしょうがないじゃないですか。
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2010年11月04日

検察に心理的圧力をかけた可能性を否定し得ないエントリ

証拠改ざん放置の検事異動へ 対応一任の公判部長も 


 法務・検察当局が、大阪地検特捜部の元主任検事から証拠改ざんを告げられながら半年間放置、懲戒処分(減給)を受けた刑事部の国井弘樹検事を近く、捜査現場から外し法務総合研究所に異動させる人事を固めたことが3日、関係者への取材で分かった。

 改ざん可能性の報告を受けながら特捜部に対応を一任した谷岡賀美公判部長を大阪高検検事に、取り調べが問題となった郵便制度悪用事件を特捜部副部長として指揮した田中素子名古屋地検特捜部長を大阪地検交通部長に異動させ、体制刷新を進める。

 名古屋地検特捜部長の後任には、東京地検刑事部の浦田啓一副部長が有力視されている。

 関係者によると、国井検事は昨年5月、厚生労働省文書偽造事件の捜査に刑事部から参加、厚労省元係長上村勉被告(41)=公判中=の取り調べを担当。

 厚労省の元局長村木厚子さん(54)=無罪確定=が同7月に起訴された後、元主任検事前田恒彦被告(43)=証拠隠滅罪で起訴=から上村被告のフロッピーディスクのデータを改ざんしたことを告げられたが放置。村木さんの初公判直後の今年1月末になって、ほかの同僚や上司に報告した。

2010年11月4日 共同


これは橋下さんへの応援でしょう。橋下さんと検察は「育児休暇」への反対で一致しているわけですが、この処分を見れば誰でも「公務員は優遇され過ぎている」と思うに違いありません。「民間だったらクビ」とは正にこのような人たちのことを言うのです。

もとより、不幸にして名前が挙がってしまった人たちだけが悪いわけではないでしょう。てゆーか、世間では検察など信用されていません。検察が死刑を求刑するんだったら無期懲役にするのが人情というものです。検察は被告人を殺したかったら無期懲役を求刑すれば良かったのではないか。

と、いうような著しい「不信感」が存在すると思われますので、裁判員諸氏におかれましても、指紋だろうがDNAだろうが検察が持って来るものは先ず第一に信用しない、第二にも信用しないことになると期待されているわけですが、斯様なイメージの低下のきっかけとなった国井さんやなんかを単に異動しても、またどうせほとぼりが冷めた時にはちゃっかりと現場に復帰しているんだろうと思われても仕方がありません。

というのも、田中さんの後任が浦田さんであるらしい、というところでこの「体制刷新」というのが全然「刷新」でも何でもないということが明らかになってしまっているのです。浦田さんといえばいわゆる「安田事件」という、あろうことか弁護士の活動を封じるために事件をでっち上げた「事件」で有名な人ですが、「アドヴァイス」を「指示」と言い換えたり「対処方法」を「対抗方法」と言い換えたりするという、正に言葉の錬金術で世界を変えてしまう手品師であります。

すなわち、本年十二月六日、被告人が所属する港合同法律事務所に対する捜索差し押さえが執行されたが、右捜索差し押さえの立ち会い人になった同法律事務所所員の弁護士大口昭彦は、捜査員の制止を振り切り、無断で当該捜索差し押さえの執行状況を8ミリビデオカメラで撮影し、誠に遺憾ながら、右大口が撮影したと思料される映像が「安田事務所のがさ入れ。21人おった仕事に励む捜査二課の若者たち」「この捜査官の顔みてみ。まるでガキやで」などの文書を付して、現在インターネット上に公開されている。「常に深い教養の保持と高い品性の陶冶につとめ、法令及び法律事務に精通しなければならない」(弁護士法第2条)とされている弁護士資格を有する大口がこのような非違行為を平然と行い、捜査妨害を積極的に主導したものとは検察官としても信じたくないし、ましてや被告人と意を通じてこのような威圧行為を企てたと断じているわけでもない。しかしながら、いずれにせよこのような非違行為に大口がなんらかの形で関与していることは疑問の余地がなく、また同事務所所属の事務員高田章子は捜索差し押さえを終了して退所しようとする捜査員に塩を振りかけ「二度とくるな。ばかやろう」などと怒号したのであって、かかる捜査妨害、捜査関係者に対する威圧行為を平然と行う関係者の下に被告人を復帰させれば、被告人においてこれらと意を通じ、今後公判で証人尋問が予定されている関係者の誹謗、中傷をインターネット等で流し、自己に不利益な証言をしないように心理的圧力をかける可能性も否定し得ない。


これは浦田さんの筆による安田弁護士保釈申請却下理由書のよく知られた一節であります。ここに名を挙げられている人たちによると、実はかなりの事実誤認が含まれているようでありまして、その証拠の「ビデオ」が存在する事もちゃんと自分で書いていたりするのが呆れたものですが、検察官の仕事というのは別に「事実」などを相手にしているわけではないのですから仕方がありません。とはいえ、浦田さんはここで「安田さんは別に悪い人じゃないが周りに悪い人がいるからダメ」と言っているわけですが、安田さんってそんなに周囲の影響を受けやすいヤワだったかどうか、浦田さんが一番良く知っているはずなんですが。

しかし浦田さんが一番心配しているのは、安田さんが周囲の悪い人と「意を通じ」ることによって「誹謗、中傷をインターネット等で流し」、「心理的圧力をかける」「可能性も」「否定し得ない」という、相当に気の弱い思い過ごしであったりするのですから、「事実」を相手にしない言葉の錬金術師でも、「自分」を相手にしてしまうものなのです。「関係者」に影響されやすかったり「インターネット」で「心理的圧力」を感じてしまうのは、図らずも浦田さんの自画像なのでした。というわけで浦田さん、これでも「圧力」になりましたか?
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2010年11月02日

殺人者たちのいるところ

【耳かき殺人 裁判員判決】「死刑回避のため被告の事情に傾く」…新潟大法科大学院の西野喜一教授


 元判事で新潟大法科大学院の西野喜一教授の話「死刑にしたくないので、被害者側の事情に比べ、被告側の事情をことさら大きく取り上げているように感じる。裁判官裁判なら、2人以上殺害して死刑になっていない例は少なく、死刑の可能性が高かったと思う。裁判員のストレスが大きいために死刑を避けたのならば、今後も同じ理由が続く可能性があり、刑事司法にとって問題ではないか」

2010年11月1日 産経ニュース


西野さんは『裁判員制度の正体』を書いた人ですが、『産經新聞』では死刑判決が出ないからといって裁判員制度そのものに文句をつけることにしたようです。調子のいい話しではありますが、西野さんはなかなか正直でよろしい。逆に言えば「被害者側の事情」を「ことさら大きく取り上げ」るのは、単に「死刑にしたい」からなのだということがよく分かります。

「裁判官」は、てゆーか少なくとも西野さんは人を殺すことに一向に「ストレス」を感じないか、極めて小さな「ストレス」しか感じないようなのですが、西野さんによれば裁判官は被告人を死刑にしたくて仕方がないものとされているようです。

この辺りは個々の裁判官においては異論のあるところではあるとはいえ、西野さんによると死刑判決は「被害者側の事情」に偏ったものであることになりますから、仮に「被害者側の事情」と「被告側の事情」をより公平に「取り上げ」ることが出来るとすれば、死刑判決は減少するはずである、ということが出来ます。

もっとも、ここで西野さんが「被害者側の事情」と言っているのが、「被害者遺族」の「事情」のことであるとすると、それを「ことさら大きく取り上げ」ることには若干の疑問が生じるでしょう。「遺族」は「極刑」を求めていたわけですが、語の正確な意味から言って「極刑」とは極めて特殊なものなのです。

おそらく「遺族」にとって「被害者」は「特別な意味」を持つ存在であると考えられますが、それは彼等の個人的な感情でしかありません。「極刑を求める」というのは、いわば「自分だけ特別扱いしてくれ」と言っているのと同じであり、これは感情としては理解出来ますが、「ことさら大きく取り上げ」るべきものであるとは言えないでしょう。

特にこの事件のように、被告人側の動機においても「感情」が大きな要因となっている事件においては、「被害者側」の「感情」のみを「ことさら大きく取り上げ」て死刑判決を出してしまうと著しく公平を欠くことが目立つものですが、「死刑にしたい」からといって「被害者側の事情」に偏した判決を出している近年の判断は「刑事司法に問って問題」であると言えるでしょう。

しかしそれにしても、「裁判官は意味もなく人を殺したがっている」ということをこれほどはっきりという人もなかなかいません。西野さんは「何を隠そう自分もそうだ」と言っているようなのですが、そうでなければ『産經新聞』に取材してもらえません。まあ世の中にはアブナイ人もいるということですが、このような人の言い分を「ことさら大きく取り上げ」るのも、世に警鐘を鳴らすという意味では『産經新聞』の存在意義も決して小さいものではないと言えるのではないでしょうか。ないでしょう。とにかく裁判所の周辺の一人歩きは危険です。

しかしだからといって事は裁判員制度に限った事ではありません。いやしくも「国民」である限りは死刑判決に関与しているのであって、「ストレス」を感じざるを得ません。そして西野さんはこの「ストレス」を問題にしているのですが、死刑制度を維持する以上は国民はこの「ストレス」を克服しなければならないのです。

もっともこの「ストレス」があるおかげで、殺人事件というのは比較的珍しい事象に属することになっているのですが、死刑制度を維持するためなら人の命など軽いものです。そういうわけで、「そう固くならずにもっと気楽に殺しあおうよ」というのが西野さんの提案であるということになるようです。それはもしかしたら楽しい世の中になるのかもしれませんが、出来たら新潟大の中だけでやってもらいたいような気もします。
posted by 珍風 at 05:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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