2011年01月30日

菅直人はとりあえず源太郎を国外に逃がしとけば?

「TPP6月に結論」 菅首相、ダボス会議で明言 
EUとのEPA交渉年内に


 【ダボス(スイス東部)=神沢龍二】菅直人首相は29日午前(日本時間同日夜)、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で「開国と絆」と題して講演した。「第三の開国」を目標に、環太平洋経済連携協定(TPP)について「6月をめどに交渉参加に関する結論を出す」と明言し、事実上の国際公約とした。欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)交渉を年内に始める考えも表明した。

 日本の首相のダボス会議出席は、2009年の麻生太郎氏以来、2年ぶり4人目。菅首相は日本語で講演し、米格付け会社による日本の長期国債格下げや財政健全化には言及しなかった。首相は講演後、米国人投資家ジョージ・ソロス氏とも会談した。

 首相は講演の冒頭、反政府デモが拡大するエジプト情勢に触れ「ムバラク大統領は改革すると表明している。多くの国民との対話の中から、国民が広く参加する政権づくりをすると同時に政治的安定と市民生活の平静を取り戻すことを強く期待する」と表明した。

 TPP参加により打撃が懸念される国内農業の保護については「経済連携推進と(国内)農業の再生の両立は可能」と述べるにとどめた。

 外交・安全保障では、日米同盟を「アジア太平洋地域の平和と繁栄のための公共財」と表現し、民主党が09年衆院選マニフェスト(政権公約)で目指した「対等な日米関係」の考えを明確に修正した。中国との関係に関しては「日中両国は国際社会で大きな責任を担っており経済、地域の安定などあらゆる分野での協力関係を強めていく必要がある」と指摘した。

 「第三の開国」による貿易自由化の推進は格差や孤立の拡大を招くとも指摘。社会全体で「新しい絆」を創造し、持論である「最小不幸社会」を実現する姿勢も見せた。

【首相講演のポイント】

・日米同盟の重要性は一層強まりアジア太平洋地域の平和と繁栄のための公共財の役割を果たす

・中国との関係は極めて重要。日中はあらゆる分野で協力関係を強める

・経済連携、自由貿易の推進で「第三の開国」

・環太平洋経済連携協定(TPP)は6月をめどに交渉参加に関し結論

・欧州連合(EU)と年内に経済連携協定(EPA)交渉を開始

・経済連携の推進と農業再生の両立は可能

・開国に伴う格差や孤立の解消に社会全体で「新しい絆の創造」が必要

2011年1月29日 日本経済新聞


勝手に「公約」されては困りますね。てゆーかこの人は極悪「有害携帯サイト」でゲームをして数十万円の請求をもらって来る餓鬼ですか。みんなは悪いことをしてはいけないと言うのですが、とっても悪いことは誰にも咎められません。

もっとも、「国際公約」は「6月頃に結論を出す」ということで、どんな「結論」を出すとは言っていないんですから、6月になって「参加しないことにした」という「結論」を出しても悪いわけではありません。別に「TPP参加」が「国際公約」として既成事実化したわけではない、ということも出来るでしょう。

もっとも、「国内農業」への「打撃」や「格差や孤立の拡大を招く」ような事態が避けられないような形の「貿易自由化」といえば、それはもうTPPのことに決まっているわけで、「両立」とか「新しい絆」だのという、何のことやら意味のわかりにくい言葉は全てTPPの悪影響に対する対策の積もりであることが明らかである以上、菅さんとしては事実上TPP参加を約束してしまったようなものであると言えなくもありません。

幸いなことに、「講演を聴いた人からは「日本は毎年、首相が代わるので、約束しても意味がない」と冷ややかな声も聞かれた」(日テレ)ということですから、あまり真剣に捉えられていない向きもあるようですが、意地悪な人に言質を取られるようなことをしでかしてくれたことには変わりありません。しかし先ほどの「冷ややかな声」によれば、「首相が代わる」場合には「約束」を反古にすることが可能であるようです。

グリーなんかに騙されるような餓鬼からは携帯を取り上げるのが相当であるのと同様、かなり異論のある問題について勝手に「約束」して来るような人からは、そんな権限を取り上げるのが適当でしょう。そんなこともあって菅さんはムバーラク大統領を支持しています。

何事にも疎いくせに、てゆーか疎いからアメリカの言うことを聞くしかない菅さんのことですからアテにはなりませんが、雇用や格差の改善に「改革すると」称しているムバーラクさんに、菅さんはある種の親近感を抱いているのかもしれません。失脚寸前のムバーラクさんへの「親近感」の表明は、菅さんにしては珍しく優れた政治的センスの表明であると評価できます。2人とも同じ目に遭えばいいのです。

もっとも、現在のエジプトの状況はアメリカでオバマ大統領が誕生した「瞬間」や日本で政権交代がなされた「瞬間」に近いものがアラブ世界で起こっていることの一環なのかも知れません。世界中で信じられないようなことが起こり、盛り上がる「瞬間」があって、そして残念な結果に終わったりします。おかげでもう一度始めからやらなくてはならなくなりますし、何度でもやれるのです。
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2011年01月29日

都築の続きは

石原知事「当たり前」…国歌斉唱「合憲」判決


 国歌斉唱などを教職員に義務付ける東京都教育委員会の通達を違憲とした1審の東京地裁判決が28日の東京高裁判決で取り消され、都教委担当者らは安堵の表情を浮かべた。

 石原慎太郎都知事も28日の定例記者会見で「当たり前のこと。妥当だと思う」と述べた。

 都教委によると、1998年度の調査で、入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱の実施率は、全都道府県で最下位。危機感を強めた都教委は99年以降、都立高への指導強化に踏み切った。担当者は「学校運営の正常化を図るためにはやむを得なかった」と話す。

 これに対し、2006年の1審判決は都教委の通達や指導を違憲と判断。当時楽観視していた都教委は大きな衝撃を受けたものの引き続き都立高への指導を続けてきた。式典で起立しないなどの理由で処分を受ける教諭は今も後を絶たない。

2011年1月29日 讀賣新聞


石原さんは強制することが「当たり前」だと言っているようですが、このような言い方は議論を呼ぶものとなりそうです。東京高裁都築弘裁判長の判決は、「強制することが当たり前」とは言っていません。とはいえ、そう言っていないわけでもないんですが。

実際のところ都築さんの判決はかなり強引な議論を展開しているアクロバティックなものであると言ってよいでしょう。判決によると公務員は「全体の奉仕者」であることから職務命令に従う義務がある、ということのようですが、「職務命令」が「全体」の利益に沿うものであるかどうか、「全体」の利益とすべきは何か、という点については敢えてスルーしています。その結果として「全体」とは「上司の命令」のことである、という驚くべき結論が導かれているようです。

もっとも、都築さんといえどもそのような身も蓋もない話はしないようで、「職務命令」が「全体」の意志に基づくものであることを証明しようとしていますが、当然のことながらかなり無理のある仕方でそれを行なわざるを得ないのはこの際やむを得ないものであるとはいえ、いやしくも「判決」としては相当にみっともない結果になっているのは残念なことです。

都築さんが「全体」と言っているのは、なんと「国旗掲揚」や「国歌斉唱」は、「入学式などの出席者にとって、通常想定されかつ期待されるもの」であるという、何の根拠もない想定であります。「出席者」がそんなことを「想定」したり「期待」しているという証拠は何もありませんし、ましてやそれが行なわれないことが「出席者」にとって著しい不利益をもたらすというようなこともないようです。都築さんは自分が「フツーそういうことをやるんじゃない」と思ったことだけを根拠にしています。

更に「スポーツ観戦では自国ないし他国の国旗掲揚や国歌斉唱に、観衆が起立することは一般的」だとも言いますが、どこの観客が強制されて「スポーツ観戦」をしているというのでしょうか。観客は強制されて仕方なく「スポーツ観戦」をしているわけではありません。「スポーツ観戦」における下らない慣習に馴染めない人は運動場に行かなければ良いだけの話であり、立場上否応なく儀式に参列しなければならない教職員や生徒とは全く違うようです。

しかしながら、都築さんはこのような、些か意を尽くさない例を挙げて何を言ってしまったかというと、それは「別段強制しなくても普通やるでしょ」ということになってしまうのです。「通常想定されかつ期待され」、「一般的」なことなのであるとすると、これを「職務命令」をもって強制する根拠はありません。実際のところは「命令」や「強制」の存在自体が、それが「通常」でもなければ「一般」でもないことに基づいています。

このようにして都築さんは「職務命令」の正当性を証明することに失敗しているわけですが、それを受けた石原さんの方が事態を正確に把握しているようです。「国旗掲揚」や「国歌斉唱」を強制するのは「当たり前」である、何故ならそれは「通常想定されかつ期待され」たり「一般的」であったりするものではなく、「特定の思想を外部に表明する」ための極めて特異な行為であるからです。

都築さんのゴマカシよりも石原さんの非常識の方が正しいと言うべきでしょう。都教委は教職員に「特定の思想を外部に表明する」ことを求めており、「特定の思想」を持っていない人がそれを「表明」することが不可能であるが故に「命令」をもって強制せざるを得ませんが、その命令は被命者が「特定の思想」以外の「思想」を表明することを禁止することになるので、それは思想の自由の侵害となるでしょう。

石原さんもいい加減ですから都築さんの判決をもって「妥当」と評しているようですが、まあ途中の道筋はともかく結論は石原さんの意に添うものであることは間違いありません。内容的には「妥当」どころか「ひどいというより情けない」(星野直之)ものですが、しかし、その様な結論を導くのに情けなくてだらしなくてみっともない判決文を書く以外にどうしろというのか、と言われれば確かにその通りです。他にやりようはありません。特に定年後の生活を考えた場合、間違った結論を放棄するなんて考えることすら出来ません。晩節を汚したとか言われたって平気です。はてさて都築さん、次は何処に現れますやら。
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2011年01月28日

イケイケムバラク

国債格下げ「消費増税の催促」=与謝野経財相

 与謝野馨経済財政担当相は27日夜、BSフジの報道番組に出演、米国の格付け会社が日本国債の長期格付けを引き下げたことについて、「(消費増税を)早くやれという催促だ」と語った。同相は「日本の消費税はたった5%。スウェーデン25%、ドイツも20%。(日本には)まだ消費税という使ってない武器があると(世界の人は)今まで思っていた」と指摘、財政再建に向け消費税率引き上げが必要との考えを示した。 

2011年1月28日 時事


どうも「疎く」て困りますが、消費税を上げると始めのうちは税収が上がるから良いようですが、税収が上がっても賃金は増えませんから中期的には需要が減少することによってやはり税収は減少していくはずですから、7年くらいするとアイルランド並みの「A」くらいに下がっているかも知れません。与謝野さんのために申し添えればアイルランドの消費税率は「たった」21%です。食料品は0%ですが。

ドイツの消費税率は19%じゃなかったかな。食料品は7%、書籍も7%なのは、国民が菅さんや与謝野さんのような人ばかりになったら大変だからですが、スウェーデンでも食料品は12%ですから、単純に日本の「5%」と比較することは不可能なのが「疎い」人には分からないようです。

欧州では社会保障が充実しているようですが、これも別に消費税だけに頼っているわけではなく、企業に大きく負担させているということがあります。日本ではこれをやりやすい時に自民党が政権を担当していたおかげできちんとした仕組みが出来なかったのは残念なことですが、「社会保障」と「雇用」を後回しにして「財政再建」を先行させると一時的な効果の後に弊害が長く続きそうです。

もっとも、与謝野さんはそんな「弊害」があったからだからどうした、という顔をしていますし、菅さんにいたってはもう何が何だかわかっていないようです。もちろん、ビンボー人も「消費税」のことなど気にしなくても良いのかもしれません。ものを買う金などないのですから金持ちのフリをして心配する必要などはなかったのです。

高齢者の万引、約2万7000人で過去最多「動機は経済苦」


 平成22年に万引で検挙された65歳以上の高齢者は2万7362人に上り、65歳以上で統計を取り始めた昭和61年以降、過去最多だったことが27日、警察庁のまとめで分かった。全検挙者に占める高齢者の割合も26・1%と前年より0・4ポイント高くなっており、警察庁は高齢者を中心に啓発活動を強める方針。

 まとめでは、万引の認知件数は前年比1%減の14万8375件。検挙人数は0・4%減の10万4827人で、いずれもほぼ横ばいだった。しかし、刑法犯全体の認知件数が減少しているため、万引の占める割合は平成12年の2倍以上にあたる9・4%で、統計が残る昭和46年以降過去最高になった。

 検挙された人の年齢層をみると、14〜19歳の少年が2・7%減の2万8371人、20〜64歳の成人が0・1%増の4万9094人だったのに対し、高齢者の増加率は1・3%でもっとも高かったという。

 一方、万引の被害額は31億5546万円で9・6%減だった。警察庁は「高齢者の犯行動機をみると経済苦が目立っており、実際に食料品の万引が多い。現在の経済情勢が影響している面も否めない」と話している。

2011年1月27日 産經新聞


もはや万引は餓鬼の遊びではありません。それは「犯罪です」が、ほとんど「生活の手段」と化しつつあるところです。「啓発活動」で餓えをしのげるといいのですが、人は「啓発」を喰って生きているわけではありません。もっとも、ドイツ人が考えるように本を読むことも大事なことですから、以前は本の万引が多かったものです。しかしながらこのような「犯罪」によって多くの人が「餓死」を免れているのは大変に喜ばしいことです。

警察庁も「啓発活動」の折には食料品を配った方がマシですが、あまり今から大騒ぎをしない方が良いような気がします。喰うための盗みは今後ますます増加するでしょう。今は高齢者が中心になっているようですが、だんだん「低年齢化」していくのは目に見えています。凶暴化し、暴徒化する「消費者」を、いずれは力で押さえつけなければならない時がやってきます。

小売店でカラーボールのコントロールを良くするために野球部に求人をかけているうちは良かったのですが、売り場の通路ごとに警備員が配置され、警備会社に支払う経費の増大は商品価格に転嫁されますので、ますます購入は困難になる一方で、万引も難しくなっていくでしょう。食料の調達は採集狩猟時代と同様に命がけ、家族に涙の別れを告げて、買って来るとは言えません、勝ってくるぞと勇ましく。

かくして日本のビンボー人も鍛えられてきますが、オマワリさんも「水平撃ち」は昔の話、これからは遠慮なく実弾を発射します。万引をした人が店を出た瞬間に警官隊によって射殺されるようになったのはついこの間のことです。そこの十字路のコンビニでたった一つのおにぎりのために店員が人質に取られ、犯人と一緒に蜂の巣にされたのも記憶に新しいことですが、店内にいる人間が店員以外はすべて万引であると分かったとたんロケット砲を撃ち込むというのは、ちょっと食べ物を粗末にしているようです。空から肉まんと、何かのお肉が降ってきたよ。
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2011年01月27日

パパは何でもぶち壊す

鉄道駅に暴力を誘発するかのごときポスターが掲出されているのは誠に遺憾であります。しかも各社共同で、警察まで協力しているというのですから世も末です。

鉄道事業者共同でPR「暴力行為防止ポスター『暴力はすべてを壊す』」
12月10日(金)から各事業者の駅構内、電車内に掲出します!

社団法人日本民営鉄道協会
東日本旅客鉄道株式会社
東海旅客鉄道株式会社
西日本旅客鉄道株式会社
四国旅客鉄道株式会社
九州旅客鉄道株式会社
仙 台 市 交 通 局
東 京 都 交 通 局
横 浜 市 交 通 局
大 阪 市 交 通 局
東京モノレール株式会社
北総鉄道株式会社
愛知環状鉄道株式会社

 (社)日本民営鉄道協会、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、仙台市交通局、東京都交通局、横浜市交通局、大阪市交通局、東京モノレール、北総鉄道、愛知環状鉄道では、この度、共同で「暴力行為防止ポスター『暴力はすべてを壊す』」を制作し、平成22年12月10日(金)から、各事業者の駅構内、電車内に掲出いたします。
 今回の取り組みは駅や電車内におけるお客様同士のトラブルや、駅員や乗務員などの鉄道係員に対する暴力行為が増加している昨今の状況を鑑み、各鉄道事業者が連携して、お客様に対し暴力行為の防止を呼びかけるものです。飲酒する機会が多く、暴力行為が発生しやすい年末年始期に重点的にポスター掲出を行うことで暴力被害件数の減少を図り、お客様により安全・安心に鉄道をご利用いただける環境を実現していくことを目的としております。(詳細は下記のとおりです。)
 なお、ポスターの制作にあたっては、警察庁および国土交通省からの後援を受けております。

        記

1.タイトル 「暴力はすべてを壊す」

2.掲出期間 平成22年12月10日(金)から平成23年2月9日(水)までの2ヶ月間

3.ポスターで訴求するポイント
ヒビの入った写真とあわせて、「お酒に酔っての暴力行為が、あなたの大切なものをすべて壊してしまう」と強くメッセージを打ち出し、暴力行為を未然に防ぐことを目指します。
 また、暴力行為は犯罪であること、暴力行為に対して鉄道業界全体が結束して、毅然とした態度で対応することを強く訴えます。

4.事業者数 71社局(日本民営鉄道協会加盟会社・JR5社・仙台市交通局・東京都交通局・横浜市交通局・大阪市交通局・東京モノレール・北総鉄道・愛知環状鉄道)

5.掲出枚数 駅構内 約6,600枚・電車内 約49,000枚

以 上

http://www.jreast.co.jp/press/2010/20101204.pdf


現在のところこんなヤツで、しごいても大きくなりませんがクリックすると大きくなります。

暴力ですべてを壊せ.png

そういえば夏にも同じようなのがありまして、どういうワケか下着のような格好をした男性と女性とクソ生意気そうな餓鬼のポスター

http://www.jreast.co.jp/press/2010/20100702.pdf

これは「家族編」であって、現在掲出されているのは「職場編」ということになると思われます。しかしながら「暴力」を振るうと「家族」や「職場」を失うことになるぞという、考えようによってはかなり問題のある恫喝が、一般的に有効であるかどうかははなはだ疑問とせざるを得ません。そのようなものに縁のない人もいます。その様な人にとってこのポスターは、あたかも何か「大切なもの」が欠落しているかのように指摘されているような、極めて不愉快なメッセージとなる可能性があるでしょう。思わず暴れたくなるではありませんか。

もっとも、鉄道事業者各社によると、特に「中高年男性」が乱暴を働くことが多いんだそうで、これらのポスターもその層をターゲットとしているようです。したがって若い人や女性のことはまるで考慮されていません。例えばこれらのポスターの画像はいずれも「中高年男性」を中心として、その周辺に「妻」や「子ども」を配したのが「家庭編」、「部下」と「OL」を配したのが「職場編」ということになっております。

いずれも「中高年男性」は見た通り「中心」であり、その他の2者は「中高年男性」に従属する位置を占めています。もっとも、よく見ると「家庭編」の「夫」は「職場編」では「部下」をやっている人と同じ人に見えます。したがってこのシリーズでは「後期中高年管理職 ー OL ー 前期中高年部下=夫 ー 妻 ー餓鬼」という、「職場」と「家庭」を貫徹する序列関係が示唆されているようです。

何故「OL」が「部下」よりも上位であるかと言うと、「部下」は立っているのに「OL」は「管理職」の隣に座っているではないですか。この画像では「管理職」と「OL」はより近い地位にあるといえるでしょう。極めて疑惑を呼ぶ構図であるということが出来ます。「管理職」と「OL」との間に「大人の関係」が存在するかのように見えますが、これはモテない人が考えそうなこととは限りません。「家族編」における「夫、妻、子」の関係と「職場編」における「管理職、OL、部下」の関係がパラレルになっているのです。

それはともかくとして、これらのポスターでは「中高年男性」を中心化した「あるべき」様相が視覚化されていることによって、周縁化された2者から見て必ずしも面白いものではない可能性があります。上司との爛れ切った関係に悩む「OL」がいるかもしれませんし、もしかすると「セクハラ」概念の中心をなすような事態に被害者としての位置を占めていることもあるかもしれません。「部下」は会社帰りにこのポスターを見て上司の不当な叱責を思い出さなければなりませんし、「妻」はこれから「家庭」という牢獄に帰らなければならないことを思い知らされるのです。思わず暴れたくなるではありませんか。

しかしながらこのポスターは、その様な人々に不快感を与えることを目的としているわけではありません。ターゲットは飽くまで「中高年男性」なのですが、しかしながらこのポスターが「中高年男性」にとって不愉快でないというわけではありません。もちろん「家庭」や「職場」から排除された「中高年男性」にとっては不愉快極まるハリガミでしょう。しかし、たとえ「家庭」や「職場」に恵まれていても、やはりそんなに愉快なものであるというわけではないようです。

ポスターにはテクストが付されており、そこでは例えば「家庭」が

笑い声の絶えない温かな家庭。
大切な家族に包まれて過ごす豊かな時間。
夫婦や子どもにやさしく接してくれる近隣の友人たち。


とされ、「家庭」内に留まらない充実した私生活がうたわれている一方、「職場」についても

上司や同僚たちに信頼され、やりがいのある職場。
仕事を通じて、社会の中に築いてきた人間関係。


ここでも単に「職場」だけでなく、これまた充実した社会生活が謳歌されています。

このような「リア充」的な観点はしかし、それが「中高年男性」主観において表現されるとはいえ、多くの「中高年男性」の現実とはかけ離れたものであることは言うまでもないでしょう。てゆーか「笑い声が絶えない」ような「家庭」は全員揃って軽躁状態に陥っている疑いがありますから「近隣の友人たち」がお医者さんに相談した方が良いと思われますが、住居の「近隣」に「友人」と言えるようなものを持つ勤め人もそんなに沢山いないでしょう。むしろ「仕事を通じ」ただけの「人間関係」しか持っていなかったりするものです。そして思い起こせば「仕事を通じて」失った「関係」も多々あるのが実情です。まして「信頼」や「やりがい」は「職場」から失われて久しいものではないか。

そこでむしろ「家庭」や「職場」こそが「中高年男性」のストレスの原因であることでしょう。それがそんなに「大切」なものかどうか、むしろそこから逃げ出したくなるようなものではないでしょうか。しかしながらポスターのテクストは、それらが「あなたの大切なもの」であると断言してはばかりません。そして実際のところ、それは「中高年男性」の「大切なもの」に他ならないのです。

これは、「あなた」自身がそれらを「大切」に思うかどうかということには全く無関係です。むしろ「家庭」や「職場」とは「大切なもの」なのであり、そうである以上は「あなた」にとってもそれは「大切なもの」である他はないというべきでしょう。たとえ私的な、または社会的な充実した関係がなくても、てゆーかなければ尚更ですが、それは「大切なもの」となるしかないのです。

ポスターの画像は「家庭」や「職場」の「破壊」を描きます。「ヒビの入った写真」は「中高年男性」の欲望を反映しており、したがって「人目を引き」ます。「あなた」は駅のホームで自分自身の欲望に直面するのです。そうだ、「家庭」や「職場」を「壊して」しまえ。しかしその先はない、ということをポスターは教えています。それは「あなた」の「すべて」なのです。

したがって「あなた」は「大切なもの」を破壊しないではいられないのですが、破壊することは出来ません。考えてみれば、それは本当に「あなた」の「すべて」なのです。それは惨めな隷属状態かもしれませんが、それを破壊した先に待っているのはやはり隷属でしかありません。「あなた」にはもうどうすることも出来ないのです。これらのポスターがターゲットに呼び起こそうとしているのはより深い無力感であり、それこそが今日のところは「暴力」を抑止するでしょう。おそらくは明日も。どっちみちどうしようもないので、ポスターのテクストはこのように結ばれるのです。

明日もまた、いつもどおりの一日を過ごすために。


絶望の深淵を見詰めるような言葉ですが、それで「人身事故」が起こっても駅員が殴られるよりはマシというものです。しかしそんなことを言っていると本当に拳骨が駅員に向かって「飛んで来る」ことにもなりかねません。そして親切なことに、「人生を変えたい」と思った人がもし望むのであればどうすればいいのかも、ポスターにはちゃんと書いてあるのです。
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2011年01月25日

キック・アスの会惨状!

犯罪被害者の会が大会、補償制度求める決議採択


 全国犯罪被害者の会が23日、東京都内で大会を開き、結成から11年間代表幹事を務めた岡村勲弁護士(81)の退任が決まった。

 岡村さんは「被害者の権利も確立され、後は被害補償問題を残すのみ。裁判への参加制度ができても、生活できなくては真の救済にならない。新体制はその問題に取り組んでくれると思う」と期待を語った。今後は顧問となり、後任の代表幹事は、1995年に大阪府で看護師の妻が殺人未遂事件の被害に遭った林良平さん(57)が務める。

 大会では、被害前の生活を取り戻せる補償制度を求める決議を採択した。

2011年1月23日 讀賣新聞


アスの会の最近の活動といえば相変わらず「被害者と司法を考える会」への攻撃であります。
http://www.navs.jp/2010-11-05.pdf
http://www.navs.jp/2010-11-15.pdf

考え方が違うんですから攻撃したって良いようなものですが、自分たちだけが「犯罪被害者の運動」であるかのような表現は些か穏当を欠くと言うべきでしょう。まあ、アスの会の場合は「犯罪被害者の運動」といっても、実際には死刑存置運動の一部でしかありませんから、「死刑存置運動の一部としてでなければ犯罪被害者の運動というものは認められない」というのであればそれはそれで構いませんが別に。

実際のところ「被害者の権利」が確立されているのかどうか定かではありません。「被害者参加、損害賠償命令、少年審判の被害者傍聴、凶悪犯罪の公訴時効の廃止」が、果たして「被害者の権利の確立」であると言えるのかどうかはきわめて曖昧であります。しかしながら、被害者をして加害者に対する刑を加重する為の手段として利用させる道を開いた点では、一定の「成果」があったと言えるでしょう。

また、アスの会の活動は「死刑存置論」を極めて洗練した点で特筆されるでしょう。疑わしい証拠や思い込みに基づく存置「論」は一掃され、死刑存置の根拠は「報復感情」一本に搾られました。真面目な議論は隅に追いやられてしまいますが、簡単に論破されてしまうような「真面目な議論」は何の役にも立ちません。「感情」は議論に勝つことはないかも知れませんが負けることもないのです。死刑存置派が殺人者と同様の感情を持って目糞鼻糞を投げ合うものであることが明らかになったのはアスの会の活動の賜物であります。

岡村さんの退任に伴って、今度は「被害補償」に取り組むんだそうですが、これにはアスの会の今までの活動が裏目に出る可能性があります。従来は「被害者」としての特異性をもって死刑を主張したりしてきたわけですが、それが「支持」されて来たのは、当事者でない人が「被害者の気持ち」を理解したからではありません。

逆にそれは「被害者の気持ちがわからない」から、何だか知らないけどそれで気が済むんでしたら、というようなものだったのです。どうせ死ぬのは自分じゃありません。誰かが死ぬことで連中の気が済むんだったら、終身刑よりお金がかからない、という「利点」もあったりしますし、いいんじゃないのか。しかし税金で「被害者」に「補償」を行なうとなると話は別で、一般の人の「共感」を求めなければなりません。しかしそれは今までの活動の中であえて切り捨てて来たものに他なりません。

アスの会は見解の異なる被害者団体を排除し、日弁連と対立し新聞に抗議したりしていわば「タブー」となることによって政治力をつけているわけで、そういうやり方で「補償」要求も通ることとは思いますが、おそらくロクなことになりません。それはバックラッシュのきっかけとなり得ます。アスの会のお偉いさんはそれでもいいのかも知れませんが、個々の犯罪被害者にとってはアスの会が被害補償制度確立を求める運動の中心に立つことは望ましくありません。アスの会はおとなしく死刑存置運動だけをやっていれば良いのです。

もっとも、アスの会がいくら頑張っても、てゆーか頑張れば頑張るほど、死刑は一般の人々にとっては切実な問題ではなくなっていきますから、最近では法務大臣が批判されるのは逆に死刑を執行した時であったりします。その他には余りにも正直であった時ですが。

江田法相、死刑廃止「制度としていいのか。考える時期」廃止検討に言及


 江田五月法相は21日の閣議後の記者会見で、死刑制度について「世界中の状況から見ると、制度としてあることはいいのかどうかも、考えていく時期に来ているのかなという気はしている」と述べ、制度の存廃を検討する必要があるとの考えを示した。

 しかし、検討に何らかの結論が出るまで、執行を停止するかどうかは「よく考えてみる」と、明言を避けた。

 死刑自体については「取り返しがつかないというのは、そうなんです。命を奪うわけだから」と話した。江田法相は14日の就任会見で「死刑は欠陥を抱えた刑だ」と述べている。

 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調べでは、死刑が存続しているのは58カ国・地域で、廃止・長期停止は139。

2011年1月21日 産経ニュース


まあ単に信用されていないので批判するには及ばないのかもしれません。「制度の存廃を検討する必要がある」って、それはもうやっているわけです。江田さんは知らないのかもしれませんが、千葉さんが死刑を執行した後で「存廃を含め死刑制度の在り方を検討する省内の勉強会」を設置することにして、実際にその「勉強会」は存在しており、9月9日に第1回が開かれたそれにはアスの会の岡村さんも参加しています。

千葉さんの執行は、千葉さんのつもりではいわば「打ち止め」の意味もあったようで、少なくともその意味では「存廃の検討」の間は執行されるべきではないはずですが、江田さんはそこら辺全ての事情を全く認識していないようなのは驚くべきことです。しかし江田さんは「マニフェストに基づいて」取調べの可視化をすすめると言っているようですから、従来の疑わしい司法判断に基づいて「取り返しのつかない」死刑を執行することを停止する理由に困ることはないはずで、今更何を「よく考えてみる」のかサッパリ分かりません。多分、「取り返しのつかない」ことをあえてやってみるかどうか「よく考えてみる」んでしょう。

「取り返しがつかない」と言っても自分が死ぬわけではありません。とはいえ、下手なことを言うと自分自身に「取り返しがつかない」政治的な死が訪れるかも知れないのです。「世界中の状況」はともかくとして、民主党の状況ではある日突然アスの会寄りに政策を転換しないとも限りませんし、それについていけない人には粛正が待っているんですから「よく考える」ことが大切です。死刑存廃を「自分の問題」として一番「真剣」に考えているのは江田さんに他なりません。
posted by 珍風 at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

ごっくん飲み込めアロンアルファ

 負担の問題は、触れたくない話題かもしれません。負担の議論に当たって、行政の無駄を徹底排除することは当然の前提であります。それに加え、議員定数削減など国会議員も自ら身を切る覚悟を国民に示すことが必要だと考えます。国会で議論し、決定すべき問題であることは言うまでもありません。本日は、一政治家、そして一政党の代表として、この問題を与野党で協議することを提案いたします。そうした努力を徹底した上で、今の現実を直視し、どう乗り越えるか、国民の皆様にも一緒に考えていただきたいのです。1年半前、自公政権下で設置された「安心社会実現会議」は、持続可能な安心社会の構築のため、社会保障給付と負担の在り方について、「与野党が党派を超えて討議と合意形成を進めるべき」と提言しました。さらに昨年12月、自由民主党は、「税制改正についての基本的考え方」において、税制の「抜本改革の検討に当たっては、超党派による円卓会議等を設置し、国民的な合意形成を図る」としています。同じ時期に公明党が発表した「新しい福祉社会ビジョン」の中間取りまとめは、「健全な共助、健全な雇用こそ、福祉の原点」とした上で、充実した「中福祉・中負担」の実現を主張し、制度設計を協議する与野党の「社会保障協議会」の設置を提案しました。問題意識と論点の多くは既に共有されていると思います。国民の皆様が最も関心を有する課題です。各党が提案するとおり、与野党間で議論を始めようではありませんか。経験したことのない少子化・高齢化による生産年齢人口の減少は、かなり前から予測されていました。この大きな課題に対策を講じる責任は、与野党の国会議員全員が負っている。その認識を持って、熟議の国会を実現しましょう。よろしくお願いします。

施政方針演説 
2011年1月24日 産経ニュース


「国民の皆様にも一緒に考えていただきたい」とはいうものの、国民には選択肢はありません。「行政の無駄を徹底排除」には具体性はありませんが、国民から選択肢を奪う方策は大変に分かり易いものです。「議員定数削減」というのは、別に「国会議員も自ら身を切る」ことではないのです。それは国民の選択肢を切り落とし、国民の一部を「切る」ことに他なりません。

そのうえで菅さんは残った国会議員は同じ意見だろうと言っています。自民党や公明党と同じことを言ってるんだから大丈夫、というわけです。大丈夫かどうか知りませんが、同じ政策だから野党も賛成するだろう、すべきだ、というのが極めて甘い考えであったりするのです。

「国民」の方はといえば、この件についてはとっくに考えてあります。考えていなかったのは民主党がイキナリ裏切るということで、これには参った、というわけですが、相手が180度違うことを言い出すことを最初から想定していれば投票など出来たものではありません。

国民は保険金目当てに殺すつもりでいる相手と結婚したようなものですが、どうも菅さんにとって「政治」というのはそういうものらしいのですから困ったものです。殺すか殺されるかという極めて剣呑な新婚2年目ではありますが、所詮菅さんは2流どころの犯罪者なりたがりでしかないようです。

ここで見落とされているのは、菅さんが裏切るくらいですから他の人も裏切るだろうという点でしょう。自民党や公明党がどのような政策を持っていたとしても、それは「政治」にはほとんど無関係です。政策上の争いは本質的には存在しないのであるとすれば残るは権力闘争であって、基本的政策の一致にも拘らず野党は「熟議」の「お願い」を蹴飛ばす自由を有しています。

一方で菅さんはいわゆる「小沢系」の排除によって党内にも敵を作っているようですから、菅さんとそのお友達には野党及び与党の半分が敵対している、ということになります。これは菅さんたちがその愚かさによって奸計に引っかかり、気がついたら仲間が随分少なくなっちゃった、ということなのかも知れませんが、党内の権力を握る為に野党と協力し、いわば「外患」を誘致するということも考えられないわけではありません。

そういうわけで菅さんは野党にすり寄り、また自民党辺りも「小沢を排除すれば大連立も考えてやっても良い」などとキャバクラのおねいさんのようなことを言いますのでますますそうならざるを得ません。菅さんはマスゴミと話をつけているというウワサですが、マスゴミ「世論」は選挙の際にはあまりアテにならないものですから、解散ともなればほぼボロ負け確定ですが、それを「大連立」で救ってやるかどうかは野党のご自由です。連立話ほど裏切りの横行する世界はありませんし、支持率の切れ目が縁の切れ目です。菅さんの代りなら三原じゅん子さんにだって出来ます。

いずれにしてもアメリカや財界にとってはどっちでもいい話しです。国民の大多数を意思決定から排除することが大切で、その為には菅さんのように華麗に裏切るのも良いのですが、同じ政党が2つあって、どっちかを選ばせる方がリスクが少ないものでしょう。同じレコードのA面とB面をとっかえひっかえいつまでも聞かせ続ける、というわけですが若い人には何のことやらサッパリです。しかしCDの時代になってよいところは、それを粉砕するシュレッダーが身近にあるということなのです。
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2011年01月23日

誰も叫んじゃいないが

英BBCが謝罪声明 二重被爆者を笑った放送


 【ロンドン=伊東和貴】英BBCテレビのお笑いクイズ番組が、広島と長崎で二重被爆した故・山口彊(つとむ)さんを「世界一運が悪い男」などと冗談を交えて取り上げた問題で、BBCと番組制作会社は21日、連名で「(日本人視聴者の)気分を害して申し訳なく思う」と謝罪する声明を発表した。

 声明は「気分を害する意図は決してないが、日本人視聴者にとっての題材の微妙さを考えると、人々が適切でないと感じた理由は理解している」としている。

 番組は昨年12月17日に放映された。在英邦人の抗議を受けた在英日本大使館が抗議し、番組プロデューサーが今月17日付で「気分を害したことは非常に遺憾」とする書簡を大使館に送っていた。

2011年1月22日 asahi.com


BBCは日本人が観ているとは思わなかったんでしょう。不思議なことですが、イギリスにも日本人が結構いるにも拘らず、忘れちゃってたわけです。未だに外国人というのは邪魔になる時には目につくものですが、そうでない時には無視されているものなのです。

ところで「世界一運が悪い男」を実在の人物に限らないとすれば、それは「二重被爆し、長崎でエイズをうつされた人」でしょう。

コンドームの販売規制撤廃へ=長崎県


 長崎県は、18歳未満の子どもへのコンドーム販売規制を撤廃した県少年保護育成条例改正案を2月定例県議会に提出する。未成年の間で、望まない妊娠や性感染症が増えているほか、条例の形骸化を指摘する声が高まっていたことを受けた措置。


 条例で販売規制を明記しているのは全国でも長崎県だけ。1978年に施行された同条例では、第9条第2項で、罰則を伴わない努力義務規定として、避妊用品の販売を業者に自主規制するよう求めている。


 改正案では同項を削除。新たに、保護者らが性教育の責任を負うと強調する「責務」を第1条に追加する。


 規制撤廃をめぐっては、県が1月の県少年保護育成審議会で、賛成・反対双方の主張を勘案した今回の改正案を提示。撤廃に慎重な声も一部で上がったが、賛成多数で承認された。 

2011年1月22日 時事


この報道も、外国の人が見たらゾッとするような話です。もちろん長崎という場所はイギリス人でも知っています。ペイリンさんの「アフリカ」の例もあり、外国人の地理認識はアテにはなりませんから、「QI」の制作者あたりは「九州」全体を「長崎」だと思っているかもしれませんが、「長崎」という地名と、その大体の位置くらいは知っているでしょう。

したがって外国人も長崎の原爆資料館とかには行くかもしれませんが、ついでに「ナガサキ・モナムール」をやって来てた人がこの報道に接したら今頃あわてているに違いありません。しかし長崎県の名誉のために申し添えるとすれば、かの地に感染症が蔓延しているというわけではありません。

「エイズ動向委員会」によれば1985年から2009年までの累計では長崎県のエイズ患者数は18、人口10万あたり2.1であります。同じくHIV感染者数は30、人口10万あたり4.4です。そんなに多くはないようです。

まあ、大都市圏では「感染者数」は「患者数」の2〜3倍くらいありますから、「感染者数30」という数字は分ったものではありません。ああいう条例を放置していたくらいですから、県民一般の意識としては検査を受ける人も少ないのではないかと思われます。患者18人くらいだったら感染者40人くらいが適当なところかもしれません。もっとも、未だに現代医学の発達から取り残されて「蘭学」をやっている長崎県では、検査そのものが正確であるかどうかも分ったものではありません。

更にこの条例の存在は、エイズ患者が差別を受けるような環境の存在を示唆します。これは隠れた患者が存在している可能性があることを意味しますから、「患者数18」も信頼できる数字ではないのかもしれません。しかし一方では医学の未発達はこのような条例を許容する一方で患者の治療の機会が少ないことを意味しますから、治療を求める患者が他県に流出している可能性もあります。長崎県における「エイズ動向」は全くもって不明であるとしか言いようがないのです。

もっとも、「条例の形骸化を指摘する声が高まっていた」そうですから、そんなに心配しなくても良いのかもしれません。要するにそんな馬鹿げた条例はみんなで無視していたようなのです。長崎県民は意外とマトモだったようです。ただ審議会の一部には「切支丹」がいて「撤廃に慎重な声」を挙げていたようですが。

全国の自治体には「蘭学」や「キ印教」や「統一協会」や「摂理」や「創価学会」の影響を受けた条例が存在するようです。中には相乗りで悪影響を受けている宗教的ヤリマン状態の中国人女性などもいるようですから心にもコンドームが必要ですが、その様な条例なども「形骸化」するかも知れません。

法が「形骸化」するのはそれが遵守されないことによります。例えば長崎県の条例の場合は「努力義務」であって、また新たな「責務」を書き加えたようですが、これらなどはそもそもその「遵守」が期待されていないのではないかと思われます。強制を伴わない場合に「法」と言えるのかどうか、微妙なところであり、およそ法の体をなしていない落書きの類いであると思う人もいるでしょう。

また、罰則がある場合においても、実際に取り締まりが行なわれない場合は「形骸化」します。日本だと労働法関係が良い例であり、違法行為が当局によって公然と見逃されているので日本人は日本に生まれただけで「運が悪い人」に該当します。

このような場合には法を遵守しないことがそれ自体として利益となるようです。しかし道路交通法のいくつかの既定は安全のために存在する事になっていますが、違反しても実際には危険のないことが多く、大して得にはならないことが多いにも拘らずオマワリさんさえ見ていなければ遵守されません。法令違反による利益に対して相対的に危険が小さい場合はオマワリさんも見て見ぬ振りをすることがあります。自転車の3人乗りなどはそのような例でした。

近頃では「自転車は危険だ」キャンペーンを張っていますが、多くの人は危険な乗り方をしても事故に遭遇しないようです。まあ、事故というものは運転者や歩行者のその時その場での行為をその一部とする全体状況のアレンジメントによって発生します。特に事故が多い道、というものが存在するのはそのためですが、道路交通法が「行為の主体」を求めるもんですからオカシナ話になったりします。

また、全ての違反をいちいち取り締まることは物理的に不可能であることから、やはり「重大」な違反行為とそうでないものがあるというわけで、あまり重大でないものについては取締が行なわれにくいものです。そこで「形骸化」を防止するために警察が閑を見てキャンペーン的に取り締まりを強化することがあります。「集中取締」が行なわれたり、それに合わせて違反事例がマスゴミで報道されるような場合、その法律は「形骸化」の一歩手前にあると言えるでしょう。

また、いわゆる「児童買春・児童ポルノ」関係の違反行為は大袈裟に報道させているところです。「児童ポルノ」といっても、ヤクザが小学生の女の子をさらって来てヒドいことをしてビデオに撮っているのが捕まったりしているわけではありません。その様な行為は刑法上の罪に当たるものとして取り締まることが可能なのであり、「児童ポルノ禁止法」関連はほとんど全ての事犯がメディアの販売と合意のうえでの性関係です。この場合は「形骸化」するどころか新たな「犯罪」の制定を周知している段階であると思われます。もっとも、このように違反行為によって関係者の誰もが不利益を被らない法は、放っておけば「形骸化」するであろうことは言うまでもありません。

このような「形骸化」防止のためのキャンペーンは、オマワリさんがヒマなもんだからやっている、という面もあるでしょう。小人閑居して不善をなすの例です。この背景には重大犯罪の減少によって、実際に警察の業務に余裕が生じていることが挙げられます。ヒマだからといって遊んでいないで、要らないところにまで介入して来るのは仕事熱心なのですから結構なことでありますが、法がそのあるべき範囲に留まっている為には、重大な違反行為がある程度存在することによって取締当局の手が塞がっていることが必要であるようです。犯罪の減少は良いことのようにも見えますが、現状では「需給ギャップ」が問題となるのであり、凶悪犯罪を増加させる必要が叫ばれているのはそのためです。
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2011年01月21日

こちらは涜奉部

2011年1月20日『東京新聞』の「こちら特報部」は「米が望んだ菅首相? 漏洩公電“お墨付き”裏付け」という記事、元になったのはウィキリークスが公開したアメリカ外交公文書なんですが、この公電自体は既に昨年の11月末には報道されていたものです。

日本の民主党は自民党とは「全く異なる」という国務省東アジア・太平洋局のキャンベル補佐官の見解について、金星煥外交安保首席秘書官は意見の一致を見た。

 また、民主党政権が北朝鮮との予備交渉を行う際にはソウルおよびワシントンと協調することが重要だという点でも合意した。

 明らかに北朝鮮は幾つかの異なる チャネルを通じて「民主党のドアをノックしている」と金首席秘書官は述べた。

 岡田外相や菅直人首相といった重要な民主党中枢に直接に接触することが重要であるというキャンベル補佐官の指摘を金首席秘書官は認めた。
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原文:http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/249859

2010年12月13日 ウィキリークス・ウォッチ・ジャパン


これ、キャンベルさんと金さんが話し合ったのは2010年の2月ですから、「菅首相」ってのはオカシイんで、原文では当然「Finance Minister Naoto Kan」となっていますから「菅財務相(当時)」とかにした方がいいようですが。岡田さんの「外相」も「(当時)」でしょう。

まあ少なくとも2010年の12月13日にはみんな原文の翻訳を読んで知っていたわけで、別に新しいネタというわけではないのですが、昨今では菅直人さんが「お父さんが自民党の政治家ではなかったので仕方なく民主党に行って出世しただけの隠れ自民党員」であったことが明白になりつつある、というわけで、今更持ち出すのも意味のないことでもないんでしょう。

キャンベルさんの見解は、「民主党と自民党とは『全く異なる』」、それは困ったことだ、したがってアメリカも北朝鮮同様、自分に都合の良い「ドアをノック」するぞ、ついては民主党の中でも自民党とあまり異ならない「岡田外相や菅直人“首相”(今は)」と接触しよう、ということです。

で、「接触」した挙げ句が現在の惨状。

ところが「こちら特報部」、記事の後半では「識者」が「日本は追従・依存脱却を」と「言っている」わけですが、その「識者」というのがなんと若い方のナベツネさん。毎度バカバカしいことに、渡部恒三さんの息子で、アメリカの「戦略国際問題研究所」研究員として対米隷属を骨の髄まで叩き込まれて来たのは小泉進次郎さんと同じですが、進次郎さんより頭がいいので余計始末が悪いという、「白い天使」と呼ばれた悪魔の歯科医であります。

まあだいたい、「東京財団」というのがメリケン奴隷の総本山みたいなとこだったりするんですが、この若きナベツネさんが、明らかにアメリカの差し金によるものである「反政権交代」を正当化し、何故アメリカに隷属しなければならないのかをバカなジャップにも分かるように説明する、というのが「こちら特報部」の記事の主要な部分だったりします。

 東京財団上席研究員の渡部恒雄さんは「鳩山首相の方針がぶれたことが、米国の不信を招いた」とみる。鳩山氏は、東アジア共同体構想と普天間飛行場の沖縄県外移転を打ち出した。「あくまで日米同盟を基軸にするのか、それとも米国から距離を置くことを意味するのか。鳩山氏ははっきりしなかった。米国側は疑心暗鬼になったのではないか」
 
 一方、岡田氏に対する米国側の信頼は厚い。「岡田さんは米国に言いたいことは言うが、日米同盟を損なうようなことまでは言わない。米国側は、現実的な話が出来る相手だと思っている。沖縄返還に関する密約問題を、日米関係に傷をつけずに処理したことについても米国は高く評価している」。菅首相の周辺にも米国との関係で現実主義をとるスタッフが多いという。
 
 渡辺さんは「依然として、米国の経済力や軍事力は、アジアで重要な位置を占めていることは否定出来ない。今後とも日米関係を重視して行くほかない」と話す。ただ「対米追従」という言葉には隷属的なマイナスイメージがあるが、今後は、精神的な依存体質からは脱却し、大人の関係を築くべきだという。

 「鉤は東南アジアにある」というのが渡部さんの見方。「東南アジアは経済が急成長しているが、台頭する中国と、影響力を保持しようとする米国のバランスの上にある。東南アジアの国々は、適度なこのバランスの維持のために日本が積極的に関与してほしいと期待している。東南アジアと良い関係を築いてきた日本にはそれが可能だ」

 対中国については、「敵対するのではなく、米国と協力して国際社会に組み込む方向に持って行くことが重要だ」という主張だ。

新興国との関係も重要

 TPPへの参加は、米国主導ではない、アジア全体の経済発展という視点からもみる必要がある。インド、ブラジルなど日本と友好関係にある新興国はほかにもある。「日本は日米関係だけを考えるのではなく、日米を基軸にしつつも、新興国との関係にも積極的にコミットしていかなければならない」と指摘する。「それが、本当の意味での『平成の開国」といえるのではないでしょうか」

2011年1月20日 東京新聞「こちら特報部」


日本は「バランス」を崩さなければならないそうです。つまり米国と中国の「バランス」関係の中で、アメリカ側につく、ということで、中国に対しては「敵対するのではなく」反対側につく、というのは心のアセではなく言葉のアヤですが、友の敵は敵です。とにかく、どういうワケか知りませんが日本には「バランスの上にある」ことは許されないそうで、錘になんなくちゃいけないんだそうです。

何故かというとアメリカが弱いから、なんですが、全くもって尊い自己犠牲の精神です、あえて弱い方につくというのは。とても自分の意志で出来ることではありません。したがって当然TPPに参加しなければならず、それは「アジア全体の経済発展という視点からもみる必要がある」のです。現実を見てはいけないのだそうですが、これはどう見ても日本がアメリカに対して一方的に不利な話で、何が「大人の関係」なのかサッパリ分かりませんが、多分ソレは(例によって)イヤラシいものなんでしょう。例の「奴隷契約書」のことに違いありません。渡部恒雄さんは日夜口淫奉仕の訓練に励んでいるところですが、口から出まかせのところが口に出されるのとは違うところです。
posted by 珍風 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

われが名は春盗人と立てば立てただ一枝は折りて帰らん

連合、給与総額1%上げを 春闘、経団連は雇用優先崩さず


 日本経団連の米倉弘昌会長と連合の古賀伸明会長が19日午前、東京都内で会談し、2011年春闘が事実上スタートした。手当や福利厚生などを含む給与総額の1%引き上げを求める連合に対し、経団連は「雇用が最優先」との姿勢を崩さず、今後の労使攻防は厳しいものになりそうだ。

 古賀会長は会談で、1997年をピークに賃金が減少傾向にあると指摘。その上で「(人件費削減が続けば)低成長とデフレのわなから抜け出せない」と述べ、労働側への配分を増やすことこそが内需を活性化させ、経済全体を成長させると主張した。

 連合側は、厳しい状況に置かれている非正規労働者の処遇改善の必要性を強調。女性の活用促進も求めた。「低所得者層が増え、日本社会は底割れしている」との意見も出た。

 一方、米倉会長は「デフレの継続などで自律的な景気回復が見通しにくい状況が続いている」と述べ、厳しい経営環境が続いているとの認識を表明。経団連側はデフレについて、少子高齢化による国内市場の縮小やグローバル競争の激化などが原因と主張し、人件費を増やすことがデフレ解消につながるとする連合側に反論した。

 今春闘で連合は、賃金水準を一斉に底上げするベースアップ(ベア)の統一要求を見送る一方、給与総額の増額を要求。年齢や勤続年数に応じて本給を増やす定期昇給は実施を大前提としており、経団連は定昇維持については容認姿勢を示している。

2011年1月19日 中国新聞


実に何ともいい加減な記事で、中国の新聞かと思ったら中国の新聞ですが、記事の中の米倉さんの言い分には「雇用が最優先」なんてひと言も出て来ていません。『中国新聞』というのは日本語を解さない人が記事を書いているのか、記者の妄想が書いてあるのか、さもなければ特殊な用語を使っているかでしょう。

確かに、理由はよく分からないのですが春闘の世界では経営側が「雇用」と「賃金」をゼロサムの話にしているようなので、「雇用優先」というのは「賃上げしない」ことの婉曲な表現であるのかもしれませんが、いくらなんでも企業が「雇用を優先」しているとはとても思えない昨今、単なる慣用表現であるとしても現実と相反するような書き方は避けるべきでしょう。

実際にはこの中国記者さんは、17日に頸断連が発表した「経営労働政策委員会報告」を読んできたので、ちゃんと取材しなくても記事が書けると思ってしまったようです。「報告」にはちゃんと、「国内事業の維持には、賃金より雇用重視が必要」と書いてあるのですから、米倉さんはそういう風に言うに違いない。

まあそんなことも言ったかも知れませんが、「報告」をよく読むと、確かに「賃金より雇用重視が必要」であるにしても、「雇用」がそれほど「重視」されるわけではないようです。企業は膨大な内部留保を有していますが、これを賃上げや雇用に使うかというとそうではありません。「設備や将来の成長の原資に回す」としています。

要するに金はあるけど労働者に回す金などない、というわけですが、そのうえで「春闘」とか言うのを止めて「春の労使パートナーシップ対話」にしよう、などとそれこそ脳に春が来て梅が咲いたようなことを言っているのが気が利いていますが、この辺のトレポネーマな事情を、桜花を愛でる『産經新聞』が説明しています。

視界ゼロの雇用情勢 企業にたまるカネ、雇用にまわらず


 平成20年秋のリーマン・ショックの痛手から回復してきた日本企業が、国内の新卒者採用になお慎重な姿勢を崩していない実態が大学生の就職内定率から浮き彫りとなった。政府は法人税の税率を引き下げて企業の税負担を軽減し、採用拡大につなげたい考えだが、企業の採用に対する優先順位は高くなく、改善の道は依然、視界ゼロだ。

■カネはあるのに

 新卒者採用をしぶる日本企業も、資金繰りが逼(ひっ)迫(ぱく)しているわけではない。
 日銀調査によると、企業の手元資金を示す「現金・預金」(昨年9月末時点)は、前年同期に比べ5・0%増え205兆9722億円になり、過去最高を更新したほどだ。リーマン・ショックで打撃を受けた企業が、雇用調整や設備投資の抑制で、現金などの資金を増やしている姿が浮かぶ。
 それでも採用拡大に踏み切らない理由について、アナリストは「デフレが止まらず、人材に投資するリスクをとれない」という。人件費が膨れ収益を圧迫することを恐れているためだ。
 一方で消費が拡大する新興国では、家電業界や衣料品メーカーが現地採用を積極化している。採用枠が海外勢に占められれば、日本人枠は狭まる恐れがある。

■縮む市場、余る雇用

 国内では生産力を持てあましている。
 内閣府推計によると、日本経済全体の需要と供給の差を示す需給ギャップは、22年7〜9月期には年換算で約15兆円だ。それだけ需要が足りないことを示す。20年7〜9月期から9四半期連続で需要不足なうえ、18年10〜12月期まで9年半もマイナス続きで、ほぼ慢性化している。これが工場などの稼働を低下させ、失業率を悪化させる要因となっている。実際、雇用の過剰感も解消されていない。
 日銀の22年12月の企業短期経済観測調査(短観)によると、雇用が過剰だと考えている企業は、不足だと考えている企業よりも6%多かった。21年6月以降続く改善も、前回調査(22年9月短観)からの改善は1ポイントにとどまる。

■減税分も「内部留保」に

 政府は23年度から法人税の実効税率を5%引き下げる方針だ。生産拠点の海外流出に歯止めがかかり、9万人の雇用創出効果があると試算する。
 しかし、帝国データバンクの昨夏の調査によると、減税分の使い道で最も多かったのは、企業がためこむ「内部留保」(25・6%)だ。このままでは就職氷河期は長期化する。
 日本経団連の米倉弘昌会長は、昨年暮れに菅直人首相が法人税減税を雇用拡大に活用するよう要請した際「お約束できかねる」と突っぱねた。みずほフィナンシャルグループなど、「新卒」と「既卒」を区別しない採用方針を決めるなど企業ごとの取り組みも出始めたものの、その効果は未知数。「政府が職業訓練の充実など就職支援を充実させるべきだ」との声は根強い。
 実際に政府はこれまでも就職先未定者への職業訓練の実施や生活支援、採用企業への奨励金支給などを実施してきた。しかしその効果があがっていないのは、一向に改善しない雇用情勢が証明している。政府頼みにする時期はとうに終わっている。

2011年1月18日 産経ニュース


『産經新聞』のことですからどうして「需要が足りない」のかは書いてありませんが、「政府頼みにする時期はとうに終わっている」んだそうですから政府が法人税減税を撤回しても文句は言わないでしょう。むしろ法人税を上げてしまっても良いのではないか。

夢を見ながら梅園をさまよう風流人、米倉会長は「自社の発展を考えるのは労使の共通認識だと思う。労使一丸となってグローバル競争に打ち勝っていかねばならない」だとか言っていますが、雇用も賃上げもなし、というのが頸断連の姿勢です。したがって「会社が潰れる代りにお前等が潰れろ」とばかりにクビを切られるのも「一丸」のうちなのかも知れません。しかしよく考えたら労働者にとっては自分が潰れるよりは会社が潰れた方が良いのです。別の会社に行って、また潰せばいいのです。死んでしまっては何にもなりません。

そういうわけで「一丸」とか言っている「時期」も「とうに終わっている」わけですが、既に佐川急便の覚醒した労働者諸君は自らが雇用されている企業から千万単位での現金の獲得に、一時的にではありますが、成功しているようです。

着服:商品代金3470万円 容疑の佐川急便元店長、逮捕−−高崎署 /群馬


 高崎署は17日、配達した商品の代金として預かった現金約3470万円を着服したとして、埼玉県草加市稲荷5、佐川急便群馬店元店長、宮田新一容疑者(42)を業務上横領容疑で逮捕した。

 逮捕容疑は、10年6月18日、兵庫県姫路市の家電販売会社が注文した製品約500個の代金として預かった約3470万円を着服したとしている。

 同署と佐川急便によると、家電販売会社は商品の受け取り時に商品の代金を運送会社に支払う代金引き換えサービスを利用。通常は配達したドライバーが代金を受け取るが、多額だったため宮田容疑者が会社側に直接受け取りに出向いたという。

 着服容疑は数日後に発覚し、佐川急便は同26日に宮田容疑者を懲戒解雇、昨年11月に告訴していた。着服したとされる現金のうち1300万円は解雇前に返却されたが、残りは「借金の返済や、一獲千金を狙った競馬に使った」と供述しているという。

 佐川急便広報部は「今回の事件を重く受け止め、管理職の指導を再度徹底し、警察の捜査にも全面的に協力したい」とコメントした。【喜屋武真之介】

2011年1月18日 毎日新聞


「着服」の反対は「脱衣」ですか?違います。「強盗」の反対が「弱盗」ではないのと同じように。

強盗容疑:佐川急便社員2人を逮捕 同社品川店での事件


 東京都大田区の佐川急便品川店で昨年9月、現金が奪われた事件で、警視庁捜査1課は19日、いずれも同区内に住む同店営業課係長、祝田(いわいだ)秋光(42)と同営業課社員、松本光広(38)の両容疑者を強盗容疑などで逮捕したと発表した。祝田容疑者は容疑を否認し、松本容疑者は「間違いない」と認めているという。

 逮捕容疑は、9月24日午後4時ごろ、同区東糀谷6の品川店1階仕分け作業所の無施錠の裏口から侵入し、女性事務員2人に刃物を示して売上金約1100万円入りの収納袋を奪ったとしている。

 捜査1課によると、作業所内にいた祝田容疑者が松本容疑者に侵入するタイミングの合図を出していた。2人には借金があり、松本容疑者は「現金は折半した」と供述しているという。収納袋のうち最も現金が多い袋だけを数秒で奪う手口などから、内部事情に詳しい男らが関与したとみて捜査していた。

 佐川急便広報部は「従業員が逮捕されたことを重く受け止めている。捜査に全面的に協力し、従業員教育を徹底したい」とコメントした。【山本太一】

2011年1月19日 毎日新聞


とりあえず「借金」、といってもこのようなやり方で返さなければならなかった「借金」ですが、それを返すことが出来たのは何よりでした。危ないところであり、真剣な意味で「命拾い」をしたと言うことが出来るでしょう。死んでしまっては何にもなりません。

このような行為を世間では「春盗」とは言わずに、もちろん「対話」とも言わないわけですが、「横領」だとか「強盗」だとか、人聞きの悪いことを言うようです。しかしながら政府も連合も労基署も警察も「頼みにする時期は終わっている」んだとすれば「ダッシュ」で鍛えた足腰だけが頼りです。その意味では奪取に失敗した「店長」さんや「係長」さんは走り込みが足りなかったと言えるでしょう。佐川急便は「教育を徹底」して強健な労働者を育てましょう。年齢も年齢ですが。四十路を迎えるとですね、来るんですよ、足腰に。オジサンも体を鍛えておけ。心は美しくないし、立てば立てって、立たねーけどよ。意味違うし。
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2011年01月17日

デマの町・阿久根市の分裂と分割

阿久根市長選、864票の差が持つ意味〜早すぎる報道、新市政の課題


 16日、午後7時20分、一部報道が「西平良将氏、当選確実」の一報を他のマスコミに先駆けて報じた。投票締切は午後7時。開票は午後8時10分から。この発表のタイミングに他のマスコミはおろか、現地有権者からも驚きの声があがった。

 「以前、ポカがあったから、今回はかなり慎重にやりましたよ」と、現地記者は語った。以前のポカ(誤報)についてはともかく、開票前に当確を打つのは、よほど差が開いた選挙結果が出た場合である。しかしながら、フタを開けてみると、当選した西平良将氏(37)は8,509票、対して前市長の竹原信一氏(51)は7,645票。その差は864票で、1万6,244人の投票者数の約5%という僅差である。開票前の発表であるから、当確の根拠は出口調査によるもの。まさか、投票箱の中身を見るというわけにはいかない。


 実際に、期日前投票から出口投票を入念に行なったという。しかし、その中身は西平4、竹原1、無回答8という割合だったと現地記者はこぼした。結局、無回答のなかに竹原票が数多く含まれており、僅差の結果になった。

 やはりというか、現地では冷静に受け止めていた。7時過ぎの一報が知らされるも、両陣営に動きは見られなかった。どちらも互角の勝負とにらんでいたため、開票が進むまで様子を見たのである。しかし、報道では開票後、次々に「西平氏当確」の一報が報じられ始めた。その後、21時30分過ぎの第2回発表(7,600票で同数)になって大勢が決し、21時34分に開票が終了した。現地の状況を知らず、開票の結果まで見ない人々にとっては、あたかも西平氏が楽勝したかのような印象を受けるであろう。

 しかし、竹原氏が獲得した7,645票という数が何を意味するかを考えると、今後の阿久根市政が直面する難局が見えてくる。7,645票の数は投票者数の47%、選挙当日の有権者数では38%と3分の1を上回っている。リコールに必要な署名数を超える有権者が竹原氏を支持しているということになる。西平新市長が行なう対話を重視した改革は、有権者の約40%から厳しい目で見られることになるだろう。「竹原氏支持を声に出すと村八分にされる」(阿久根市民)という状況で、支持を続けてきた市民の意思と結束力は固い。


 さらに2月20日には、阿久根市議会の解散の是非を問う住民投票が行なわれ、その結果、解散となれば竹原氏を支持する市民グループから過半数の議席を獲得するだけの数の候補が擁立される見通しである。そして、西平氏を支援したとされている反竹原派市議には、市議会リコールの署名縦覧時に、およそ市民に選ばれた代表者たる市議として信じられないような行為、市民への圧力(後日、詳細を報告する)の事実も知らされている。

 そうした状況に置かれていることは、当選した西平氏自身、よく分かっていることとは思う。西平氏は市議会、市民との対話を重視すると訴えてきたが、その実、問題市議会との距離をどうとるかが課題となるであろう。
【山下 康太】

2011年1月17日 データ・マックス


記事の半分が「当確を打つのが早い」ことへの苦情で、これは察するに、他ならぬ「山下康太」さんがこれによって「西平氏が楽勝したかのような印象」を受けて、当然のことながら少々イヤな気分になったことへの腹いせだと思われますが、山下さんは社内でよほどエラいのかどうか知りませんが、個人的な文句を書いても良いことになっているようです。

書いたところで自分の間抜けを晒すことになるだけですからよく考えてから書いた方が良かったわけですが、この山下さんという人は記事を書く時は株式会社データ・マックスの「行政班」だったり、みんなの党の勉強会の講師をする時には「ネット事業部」という肩書になるようなのであります。しかし「ネット事業」というのが上記のような感じのものであるとすれば何だかずいぶんと気軽にやっつけられる仕事であるようにも思われます。

間抜けついでと言っては何ですが、山下さんが「リコールに必要な署名数を超える有権者が竹原氏を支持しているということになる」ということは、またもやリコールをするぞ、と言っていることになるわけで、「ネット事業部」では新市長に対して恫喝をかけることにした模様です。大変に負けん気が強いというか、悔し紛れというか、さすがは竹原さんを支持するだけのことはあります。

おそらく阿久根市民の大多数は近いうちにまた市長選があるという事態を受入れる気はないものと思われますので、2万に満たない有権者に再び混乱を持ち込もうという「竹原派」の思惑は歓迎されないような気がします。山下さんの「恫喝」は単なる不用意な発信であるとも考えられますが、市民がどう思うとかそういう余計なことをあまり気にしないのが「竹原派」が竹原さんを支持する所以でもあったりするようなのですからどうしようもありません。

当の竹原さん自身が「職員組合に負けた」などと現実と遊離した枯れすすきを歌っているくらいですから、康太が小唄を歌うのも無理はありませんが、確かに数の上では「リコール」が可能であると言えないことはないのですから、この際言っておこうという気分になるのも無理はありません。明日になったらさすがに考え直してしまって、言うに言えなくなるかも知れないのです。

それに加えて、山下さんによれば2月20日の議会リコールが成立したと仮定した場合に「竹原派」が最低でも9人の候補者を立てることになっていて、その際にはデータ・マックスが総力を挙げて収集した「反竹原派市議」の、「およそ市民に選ばれた代表者たる市議として信じられないような行為、市民への圧力」のいわゆる「事実」を「詳細に報告する」ぞ、ということのようです。

別にまあ、どうでもいいんですが、山下さんがこの「ネタ」を「詳細に報告する」主体として自分の文章の中に出現してしまったのは、ちょっとうっかりしてみたかったという以上の意味があるでしょう。あまつさえ「そうした状況に置かれていることは、当選した西平氏自身、よく分かっていることとは思う」などという脅し文句を並べるに至っては状況はかなり明白です。これから「阿久根市政」が「直面」する「難局」というのは、実際には専ら山下さんやデータ・マックスを含む「竹原派」の側が「難癖」をつけたりしてくる、ということのようです。この記事は「竹原派」による西村市政への徹底的な妨害が行なわれることを宣言したものです。

労働者や障害者が嫌いな竹原さんは幼稚なものの考え方をする人でしたが、それを支持する人も大したもので、負けたから邪魔してやるという姿勢は昔の少女漫画の悪役さながらであります。画鋲なんかを入れるんですよ。ああいう「悪役」はただ「悪役」として機能するためにそのように行動するのですが、阿久根市では大のオトナが本気になってそれを実行するというのですから今後とも目の話せない「見世物」ではありますが、こうなったらいっそのこと阿久根市を二分して、新たに「竹原市」を作るのもいいかも知れません。

竹原さんの考えというのは要するに障害者とか手のかかる「弱者」がいなければ良いのに、というものです。「竹原市」では障害者は漁業でエサとして利用するか、隣の「阿久根市」に送還することになるでしょう。市の職員、などというものも必要ではありません。「竹原市」には行政の世話になるような人はいませんし、いられません。医療すら必要ではなく、データ・マックスご推奨の健康食品が万病に効きます。お金がなくて買えない人は死ぬか、隣の「阿久根市」に捨てられます。健康食品が効果を現さない人も廃棄されます。つまり病人は全て追放されることになりますが、竹原さんは「強者」の楽園の真ん中で、いわば「象徴」として威張っていればいいのです。

もっとも、ただひとつだけ問題があります。「竹原市」は既に広島県に存在します。原則として市町村名は重複してはいけない事になっているのです。もっとも、合理的な理由によって先に存在する方の市町村が了承した場合はその限りではありませんが。ちなみに「三笠市」も北海道にあります。「豊田市」の例がありますが、個人名とか企業名が市名が重複する「合理的な理由」になるかどうかは定かではありません。そこで仕方なく「データ・マックス市」にすることになりますが、長いから「デマ市」にする方が良いでしょう。意味もちゃんと通るし。
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2011年01月15日

主は冷たい土の中に

江田法相:「死刑、欠陥抱えた刑罰」 執行命令に慎重姿勢−−就任会見


 江田五月法相は14日夜に首相官邸などで開いた就任会見で、死刑制度について「死刑という刑罰はいろんな欠陥を抱えた刑罰だと思う」と述べた。その上で「法定刑に死刑があり、裁判で選択して確定することもある。死刑だけ法相が執行命令するのはどういう意味があるのか、しっかり考えていきたい」と慎重姿勢を示した。

 江田法相は死刑執行について「普通の刑罰なら機械的に執行するが、死刑だけは法相が命令する。国民世論、世界の流れも考え、政治家として判断すべきもの」とした上で、「国民の皆さんが許されざる犯罪にけしからんとなるのはよく分かるが、人には寿命がある。それいけやれいけと執行するのとはやや違うと思う」と述べた。【石川淳一】

2011年1月15日 毎日新聞


いい歳をして「しっかり考えていきたい」そうですが、今まで何を考えていたのか、いささか疑問なしとしません。そのくらいのことはちゃんと考えてから法務大臣になるならなってほしいものであります。まあ、例によって「仮免許」の積りかもしれませんので、稚拙なハンドルさばきで轢死的に殺されてしまう人も出ることでしょう。

今のところ江田さんの言葉はどうとでも解釈できます。「死刑だけ法相が執行命令する」ことになっているのが「欠陥」である、という解釈も可能で、これだと死に神、てゆーか単なる殺人狂の鳩山弟さんと同じことになります。江田さん自身がこれに気が付いており、「それいけやれいけと執行するのとはやや違うと思う」といっていますが、自ら「やや」とか、「と思う」と言う程度の違いでしかなかったりするそうですから、もしかするとおおむね同じなのかもしれませんし、これから同じになる可能性を秘めていると言ってもいいのかも知れません。

どうも江田さんは死刑執行にあたって法務大臣は「国民世論、世界の流れも考え、政治家として判断する」という機能を負っていると考えているようです。時事通信社ではこれを「世論の動向などを踏まえて慎重に判断する」と解釈しており、これは「世界の流れ」の方をを切り捨ててしまうという、かなり思い切った判断をあまり「慎重」にではなく行った結果だとはいえ、現在の民主党政権の中に置かれた江田さんが転びそうな方向を示唆するものであるともいえるでしょう。

言うまでもなく「国民世論」は例の「85%」ということになっていますし、「世界の流れ」はみなさんご承知のとおりです。この二つは全く相反しているのであって、江田さんはその間でヤジロベーのようにフラフラしているものの、判断基準は明確です。「政治家として」判断するんだそうです。

菅政権における「政治家」の意味に注意すべきでしょう。それはある人のあり方でもなければ何かをするための手段のようなものでもありません。それは一つの「目標」であって、彼らにとっての「政権交代」とはその目標の達成であったわけです。そういう人たちが沢山いて、それが「政権交代」を成し遂げる力となりました。

こういう人たちは誰かほかの人の「手段」になってしまうことになっているのですが、現状で何が起こっているかというと、「手段」の人が「目的」の人を否定しています。なんというかいまどき大変に弁証法的であるのは結構な話ですが、手段を目的に置き換えてしまった点が歴史への反逆ではないかという気もします。

んなことはどうでもいいのですが、要するに江田さんは「政治家」であり続けるための「判断」をするであろう、と思われます。言うまでもなく江田さんの「政治家」としての地位に「世界の流れ」はあまり助けになりません。「世界の流れ」は人を「思想家」にしてくれるかも知れませんが「政治家」にはしてくれないのです。人を「政治家」にし、「政治家」であり続けさせるのは「国民世論」です。

そういう事情で江田さん期待できるのは死刑の「欠陥」とかいうものをカイゼンして死刑制度をブラッシュアップすることくらいでしょう。例えば高齢者には執行を差し控える、という方向が江田さんの発言から導かれます。キチガイとかもやめといた方がいいとか、冤罪の疑いのある人も執行しない。そんな当然のことから始めてみるのも一つの手ではあります。

死刑囚には執行前にオムツをはかせると何かと便利だ、というカイゼン案も出るかも知れませんが、死刑を廃止だの何だのということは期待できないようです。江田さんは「法定刑に死刑があり、裁判で選択して確定することもある」ことをことのほか重視しています。逆にいえば、「欠陥」は直すためにある。たとえば婚姻制度には「欠陥」があって、同性同士ではできないとかいうことがあるわけですが、それが婚姻制度そのものの廃止にはつながらないようなものです。同性でも結婚できるようにすれば、婚姻制度はより洗練されるのです。

そんな江田さんも取り調べの可視化には「積極的」なんだそうですが、一方で

内閣改造・閣僚会見


 間違い、許されない

 中野寛成国家公安委員長

 警察は国民の人権、生命、財産を守るための実力行使の機関。間違いはひとときも許されない。(首相からは)機密情報漏えい事案を踏まえ、再発防止策を講じるよう指示を受けた。サイバー犯罪など新たな脅威にも直面しており、時機を逸することない対策を講じる。北朝鮮による拉致は主権の侵害で、重大で悪質な人権侵害。被害者家族は高齢で救出は時間との戦い。全ての被害者の一刻も早い帰国に向けて一層の力を注いでいきたい。

2011年1月15日 時事


「事案」とかね、すっかりオマワリさんの言葉がイタにツいてきていますが、キチガイはともかく間違いは許さない、というのであればなぜ取り調べの可視化への言及がないのか、まったく理解できないわけですが、よく考えたら中野さんの言う「間違い」というのは「機密情報漏洩」なんかのことで、冤罪で死刑になったとかそういう意味ではないようです。

菅さんは取調べの可視化なんて余計なことはすっかり忘れているので中野さんに指示しなかったのです。それどころか菅さんは、結果として、なかなかの慧眼であります。この後早速、石川さんが自主的に取り調べの可視化を行ったことが明らかになりました。言わないことではありません。今頃は「カシカ」というキャラクターがスク水を着て毎日テレビに出てきていてもおかしくないところですが、そうなっていないのにはちゃんと理由があるというわけです。

菅さんはその独特の弁証法的運動において「一個戻る」という双六的なことになってしまったので、弁証法もアテにはなりませんが、それでもちゃんと「主」を殺そうとしてはいるのです。そしてその後には「自然」の流れに任せていれば「自分」がおさまるというものです。
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2011年01月13日

狂劣ばか様の轢死的使命

内閣改造、与謝野氏を要職で起用へ


 「私がいることにより、いろんな非難・中傷が平沼代表らのところに集まるのは不本意と思い、辞めることにした」(与謝野馨衆院議員)

 朝一番には離党の理由を「理念の違い」としていましたが、わずか2時間後、改めて会見した与謝野氏はもはや政権に加わる意欲を隠そうともしませんでした。

 「(菅首相の政策については)私がお手伝いできることがあったら陰ながらお手伝いしたい」(与謝野馨衆院議員)

 財政問題に造詣が深い与謝野氏をブリッジに、野党との協議を進めようとする官邸の意図がにじむ今回の離党劇、ですが・・・。

 「極めて頭のいい、政策マンとしてはなかなか大した方である。私はそれは認めます。ただ政治家としての行動、出処進退、そういうものに対する考え方は私どもと違う。私がきょう申し上げられるのはこれだけです」(自民党 谷垣禎一総裁)

 自民党からは自民党の比例選出からたちあがれ日本に移り、さらに民主党に協力姿勢を示した与謝野氏について、「議員辞職すべきだ」と激しい批判が噴出しました。野党の反発をあおるだけの結果となりかねない、与謝野氏の引き抜き。菅総理の思惑はどこにあるのでしょうか。

 「今、あの、いろいろ時間的な調整を行っています」(菅首相・12日)

 12日、内閣改造についてこう述べた菅総理が、日程についての方針を固めたのは11日の夜。

 「14日に内閣改造、24日に国会召集で調整してほしい」。福山官房副長官に電話でこう指示しました。17日の内閣改造を想定していた仙谷官房長官や福山副長官でしたが、「一日でも早く予算案などの審議入りを目指したい」という総理の強い意向と受け止めました。

 「多くの政党の皆さんにも理解をいただき、できればより多くの皆さんに賛成をいただきたいというのも、もうひとつの大きな要素であります」(菅首相)

 年初の会見で、これから審議入りする来年度予算案の修正をもちらつかせる、異例の発言を行った菅総理。ねじれ国会を乗り切るため、社会保障制度や消費税問題など、恒久的な政策課題について、野党を協議に巻き込むことで協力の道を開こうという腹が透けて見えます。

 ですが、菅総理はもう1つの打開策を描いていました。年明け、岡田幹事長や枝野幹事長代理が深夜、会合を繰り返す場面が目につきました。密議の場で行われていたのは、通常国会で重要法案を成立させるためのシミュレーションでした。

 例えば、「郵政関連法案は、参議院で否決されても衆議院で社民党などが賛成に回ることで、3分の2以上の賛成を得て再可決による成立が可能」などと菅総理に報告していました。

 「3分の2を使えば、国会はどうにでもなるんじゃないか」(菅首相)

 さらに菅総理は、周辺にこうも漏らしています。

 「こんな国会、ばかでも乗り切れる」(菅首相)

 一方で野党に政策協議という水を向け、また一方で、3分の2による強行突破を模索する硬軟そろえた作戦ですが、菅総理の言葉を聞いた政府高官や総理周辺は、強気とも楽観的とも受け取れる国会戦略にあきれたといいます。

 「3分の2を使うためには予算案の修正など、どれだけの妥協が必要か、総理は分かっているのか」(政府関係者)

 「(Q.長官自身が交代の方向になったと?)まぁ、そういうことです。(首相は)政治的なある種の大局判断をされたということだと思います」(仙谷由人官房長官)

2011年1月13日 TBS


まあ与謝野さんは右翼養老院の中では異彩を放っていましたし、菅政権は明確な増税路線ですから何の不思議もありません。菅さんも「共通性が高い」と言っています。もっともこうなると菅さんと自民党との違いは何だったのかよく分からなくなって来るわけですが、違いはありませんから大丈夫です。

石原さんは悔し紛れに「なんで沈みかかっている船に乗るのかね」と言っていますが、沈んでいる船から沈みかかっている船に乗り換えるのは「政治家の資質」として必ずしも間違っているとは言い切れません。しかしだからといって「これで彼は終わりだと思う」という予言が当たらないというわけでもないんですが。

それはそれとして、これからの国会は「ばか」がどう乗り切るのかが見物なんだそうです。「ばか」が言っているそうですからこれほど間違いのないことはありません。「ばか」が「ばか」であることは最近の7カ月で証明されているようですからこれも間違いありません。間違いと気違いは江戸の華です。

もっとも自民党と区別のつかなくなった菅政権には実際のところそれほどの苦労はないようなのですから、「ばかでも乗り切れる」ことは「ばか」でなくてもわかりそうなものですが、そんなことをつい口に出して言ってしまうところが「ばか」で、それが漏れてしまうのも「ばか」です。実際には政党というものは自らの政策が実現されればそれで満足する様なものではありませんから「ばか」の企みは意外と上手くいきません。野党に振り回されて何も出来ないのは目に見えていますが、何もしない方が良いくらいの政権なので何の問題もありません。

ところでさっきから「ばか」「ばか」と言っているわけですが、民主党の両院議員総会では「ばか」の独裁が宣言されました。岡田さんは「一枚岩というのはみんなで「ばか」になることだ」と言います。あんまりな話ではありますが、それに伴って今後は「ばか」のことを「ばか」などと言わずに尊称をもって畏れ謹みつつ呼称しなければなりません。これからは「偉大なる代表様」とか「百戦百敗の更迭の零勝」とか「奇声の政治家」とか「酒怠の色鮮やかな太陽」などと呼ばなければなりませんので気をつけましょう。

それでこの「ばか」は党大会で「歴史への反逆」がどうしたとかこうしたとか言っていたようで、どうして消費税増税が歴史的使命か何かになるのかよく分かりませんが、追い詰められると人は大袈裟なことを言うものであります。「ばか」なら尚更ですが、党大会の機能とは言うまでもなく活動方針案の採択であって、それが多数の異議申し立ての怒号をキレイサッパリ無視しつつ行なわれたのは民主党の偉大な領導者であり「ばか」多しと言われる同党のなかでも飛び抜けた資質を有する偉大なる代表様には誠に相応しい天晴な所業であると申せましょう。

なにしろ議論も質問も違憲も許さずに「案」がそのまま通ってしまいますので、「活動方針」の内容は先日報道された通りのものであります。

「政治とカネ」の改革明記 民主、活動方針最終案


 民主党の2011年度活動方針最終案の全容が4日、判明した。小沢一郎元代表や鳩山由紀夫前首相の資金問題を念頭にした「政治とカネ」問題や、歳費削減など「政治改革を徹底的に進めていく」と明記し、企業・団体献金の全面禁止を表明。「全員参加型で公平で透明な党運営」を期すなど「脱小沢路線」を打ち出した。参院で野党多数の「ねじれ国会」では「野党に粘り強く(協力を)働き掛ける」とした。

 1月13日に開かれる定期党大会で執行部が活動方針を提案し採択される運びだが、小沢グループの反発を招く可能性もありそうだ。

 最終案では冒頭、11年を「政権交代の歴史的な意義を再確認し、政権党として真価と力量を問われる年」と位置付けた。その上で「国民の信頼なくして政治主導の国づくりはできない」と政治改革に取り組む必要性を強調、政治資金規正法の順守も盛り込んだ。

 通常国会対応では「予算案と関連法案を3月末までに成立させることが第1の課題だ」と指摘。統一地方選については「政権基盤を地方からしっかり固めていく重要な選挙」と重視し、積極的に候補者擁立を図る方針を掲げた。

 「国民に開かれた政党」として、政策や政治の情報発信を強化し「徹底的に説明責任を尽くす運営を行う。必死の覚悟で『国民の生活が第一』とした政権の使命と責任を果たす」と明言した。

 当初案では予算関連法案について、野党側の抵抗を想定して「成立には相当の努力が必要」と記述していたが「弱腰と受け取られかねない」(党幹部)との理由で削除した。「政官癒着の排除や利益誘導政治からの脱却」との表現も削った。日本経団連など経済界への配慮とみられる。

2011年1月5日 中国新聞


「弱腰と受け取られかねない」ところを削除して空威張りする割には「経済界」には細やかな配慮を怠らないという、メリハリのきいたものになっているそうですが、再開したばかりの「企業・団体献金の全面禁止を表明」してみたり、「脱小沢」が「全員参加」であったりとワケが分からないのは、やはり「ばか」のなせるワザであるかウソが書いているかのどちらかですが、これは今年度の「活動方針」が菅さんの「政敵の粛正」に置かれていることを正しく認識すれば矛盾がないことが理解出来るでしょう。

これは個人的な怨恨とかクリーンとか透明とかに留まらない政治路線の対立ですから、党にとってこれほど大切なことはないんでしょう。「脱小沢」とは小沢さんがいわば代表している2009年マニフェスト路線に対する戦いであり、「反政権交代」の闘争の宣言なのです。

とはいうものの民主党のHPには相変わらず「国民の生活が第一。」と書いてあります。もっともそれは直ぐに消えてしまい、「元気な日本を復活させる。」が出て来て、「国民の生活が第一。」は二度と現れないようになっているんですが。それにしても「国民の生活が第一。」は出て来るわけで、これの読み方は「活動方針」に従わなければなりません。つまり「国民の生活が第一の敵」であり、それを克服してはじめて元気な「日本」が復活するのです。
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2011年01月12日

今夜はボイルド・ソーク

経済同友会「消費税17%に引き上げを」 
日本の将来像を提言


 経済同友会は11日、2020年の日本のあるべき国家像と、その実現に向けた具体策をまとめた提言を発表した。11年度中に税・社会保障の抜本改革案をまとめ、消費税率を17年度に17%まで引き上げるべきだと主張。道州制の導入や環太平洋経済連携協定(TPP)への参加、法人税の一層の引き下げも求めた。

 同日記者会見した桜井正光代表幹事は「課題多き日本に活力を取り戻すため、政府、企業、国民がそれぞれ主体性を持って構造改革に取り組まねばならない」と語った。

2011年1月11日 日本経済新聞


全く有り難い御託宣であります。「企業」にとっての「課題」と「国民」にとってのそれは違いますし、背反する事も多いので「それぞれ主体性を持って」、「構造改革」とかいうものにそれぞれの立場で対応することが大切である事は言うまでもありません。取り組んだり取っ組み合ったりするんです。

とはいえ、現状の「政府」にとっての「課題」が、どうやら単なる政権そのものの延命に搾られて来ているのは問題の単純化に資するところ大であります。「政権交代」が「政府」に残した教訓は、「国民」はあっちに投票したりこっちに投票したりしてアテにならない、ということであったようです。「国民」を頼りにしていたんでは政権はいつ倒れてもおかしくありません。

しかし「企業」、つーか財界は要望に応えてあげればちゃんと答えてくれます。お金もくれます。「国民」はあんまりお金をくれません。てゆーか「国民」にはあんまり余裕がないのでお金をくれようにもない袖は振れないのです。消費税を上げなくても「国民」は何か喰ったり呑んだりしてしまうだけですが、法人税を下げると「企業」からのキックバックが期待されるのです。

そういう事情があるのかどうか定かではありませんが、財界が「政府」を制圧してしまったのは明らかなようです。したがって桜井さんが何か無意味な事をホザイているのも報道する価値があるというものです。財界の望む事はいずれ「政府」によって実行されますので、国民はせいぜい覚悟をしておいて、出産を控えるとか、生まれて来てしまった分は殺処分するとかしないと、という大切な意味があるのです。

「国民」の立場からすると、消費税を社会保障の財源にするということは自分の所得が一回吸い上げられて目減りした上で戻って来る事しか意味しませんが、「企業」にとってはその経済活動の果実を「国民」の生活などには使わせないということになります。「国民」は気に入らないかもしれませんがそんな事は知った事ではありません。財界は「政権交代」を乗り切ったのです。

民主党の「企業献金の禁止」が単なる冗談であった事がわかったので経済団体にとって状況は楽観的です。それに民主党政権が倒れても、自民党さえ戻って来てくれればそれに越したことは無いんですからますます安心です。今年の干支にちなんで「狡兎三窟」とか言うわけですが、穴が三つとか何をイヤラシいことを言っているのかよくわかりません。しかし財界にとっては再度「政権交代」でも大連立でも民主崩壊でもどれでも構わないわけですから、ついつい浮かれて生意気にも「将来像」を「提言」してしまったりもするわけです。

そこで菅さんも、「狡兎」は死ぬ見込みがないようなので「走狗」はまだ烹られる心配が無いと思っているかもしれませんが、菅直人さんは伊達直人さんとは全然違うのと同じように韓信さんとも全く違うようです。菅不信とかいうのであれば別ですが。むしろ走狗は御主人様の身代わりに煮られたり焼かれたりするのが仕事です。それが「政府」が「構造改革に取り組む」ということの意味であって、せいぜい補身湯の栄養価を高めるように高級料理を食べておくのが「主体性」を持った取組みというものですが、汲み取りは強烈に臭そうです。
posted by 珍風 at 11:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

公務員もスットコドッコイ

政府、公務員スト権付与を見送り 民主と労組反発も


 政府は、検討中の国家公務員制度改革で、公務員にスト権を付与しない方針を固めた。政府筋が9日、明らかにした。人事院勧告制度の廃止と、労使交渉による給与決定を2012年度に先行実施。その後にスト権を付与する構えだったが、実際にストが発生した場合の国民生活への影響を考慮した。

 ただ民主党のプロジェクトチームは昨年12月にまとめた改革案で「一定の制限下での付与を検討するべきだ」と指摘。党の有力な支持基盤である公務員労組からも反発を招くのは必至で、調整が難航する可能性もある。

 公務員の総人件費削減を目指す政府、民主党は、人勧制度を廃止し、労使交渉の導入による賃金引き下げを目指している。

2011年1月10日 共同


公務員のスト権に関しては2002年のILO結社の自由委員会第329次報告において日本政府に対する勧告が出ていまして、

委員会は、スト権に関する数多くの原則の内、とりわけ、スト権は労働者とその団体の基本的権利であること、および次に挙げる少数の例外を除き、民間・公務双方の労働者に認められるべきであることを想起する;その例外は、軍隊および警察の構成員、国家の名において権力を行使する公務員、厳密な意味においての不可欠業務に従事する労働者、および国家の非常事態の場合である。この権利を奪われている、もしくは制約されているために自らの利益を守る重要な手段を失っている労働者は、その禁止もしくは制約を代償するための適切な保障が与えられるべきである。例えば、十分で全面的かつ迅速な、関係者がそのすべての段階に関与できる調停・仲裁手続きで、その裁定が一旦出されれば完全かつ直ちに実施されるような制度である。加えて、正当なストの実施に対して、労働者と組合役員は罰せられる(特にこの例においては、現在実施されているように、重い刑事罰や行政処分に処せられるべきではない これらについて詳説されている原則を参照のこと(ダイジェスト・パラ473-605)。したがって委員会は政府に対し、改革の一部として法制度に適切な改正が為され、これらの原則に則ったものとするよう勧告する。

ILO結社の自由委員会第329次報告
第285回ILO理事会(2002年11月21日)にて採択
連合国際政策局仮訳


更にご親切にも「委員会は政府に対し、政府はこの件についてILOに技術協力を求めることができるということを想起するよう求め」ていますから、要するに相談に乗るよと言っているわけですが、日本政府はちょっとアレだから手伝ってやんないとムリなんじゃないかと思われているのかもしれません。

これを受けて民主党の岡田幹事長(当時)は「重大な決意」をしたものですが

「ILO勧告無視の法案を強行するなら重大な決意で臨む」岡田幹事長

民主党の岡田克也幹事長、自由党の藤井裕久幹事長、社民党の福島瑞穂幹事長らは3日、小泉首相宛の「民主的で透明な公務員制度改革を求める申し入れ書」を福田官房長官に手渡し、公務員制度改革を進めるにあたりILO(国際労働機関)の勧告を最大限尊重し、関係労働組合などと十分に交渉・協議を行った上で法案をまとめるよう申し入れた。申し入れには、川端達夫・民主党公務員制度問題対策本部長、山岡賢次・自由党政治行政改革推進本部長、中西績介・社民党公務員問題対策特別委員長も同行した。

 岡田幹事長は、申し入れ後に行われた定例記者会見で、「諸般の状況を見ると、政府が法案の閣議決定を急いでいるように思われるので、3党幹事長名で総理宛にあらためて申し入れた。従来から申し上げているように、ILOは、日本政府案について『労働基本権を制約し、国際労働基準に反している』として内容の見直しを勧告しており、そうした勧告を一顧だにしない政府案には大きな問題があると考えている。もし閣議決定をこのまま強行するなら、野党3党は一致結束して国会審議にも重大な決意を持って臨まざるを得ない。政府は、ILO勧告を最大限尊重し、関係者との十分な交渉協議、合意を得るなどの手続きを経た上で法案を国会に提出すべきだと申し上げた」と報告した。

 野党側の申し入れに対し、福田官房長官が「職員団体などと十分協議した上で、納得していただいて決めたいと思っている。ILOにも日本の立場を説明している最中だ」などと返答。岡田幹事長や川端本部長らは「公務員が気持ちよく効率的に働く環境を作ることは、国の根幹にかかわる基本的で重要な問題なので、党利党略ではなく、連合や関係団体の意見を聞くべき。我々も何度でも伺う」「野党3党でILO調査団を派遣したが、ILOはわが国の公務員制度を、精緻に知った上で勧告している。『真摯に協議して進める』と言いながら、すでに3月28日に関連法案が内々に各省に流れているのは、おかしいのではないか」などと詰め寄り、官房長官も「極めて重要な問題だと認識している」と回答したという。

民主党 ニュース 2003年4月3日
http://www.dpj.or.jp/news/?num=3648


もう忘れたでしょう。ところでILOの勧告に対する当時の日本政府の回答は

公務員も勤労者であり、その生存権保障の見地から、人事院勧告制度等の代償措置が講じられているところである。 最高裁判所においても、労働基本権を保障する憲法28条の規定は公務員にも適用されるが、この権利は国民全体の共同利益の保障の見地から制約を免れ得ないものであり、また、労働基本権制約に対する適切な代償措置が講じられていることから、公務員の争議行為を禁止した法律の各規定は違憲ではない旨判示するとともに団体交渉権についても同様の判示がなされているところである。


もっとも、日本政府が「最高裁判所」を引き合いに出すことについて、ILOは法律が最初から間違ってるんだから判決なんてアテになんないじゃん、と言っているわけですが、まあ政府としては「人事院勧告制度等の代償措置」があるんだから良いんだ、という立場であったわけです。

民主党としてはスト権を付与する代りに「代償措置」をなくす事にしていたわけですが、菅さんは何を思ったのか「代償措置」を廃止して、しかもスト権を与えない事にしたようであります。これだとスト権を与えない「理由」というか「口実」というか何でもいいですが、それがなくなってしまう事になります。それはちょっと困った事になるのではないでしょうか。

まあILOが刺客を差し向けて菅さんの頸をはねるわけではないので、ちっとも困りゃしないのかも知れませんが、菅政権が事情をよく理解していないのは確かです。「代償措置」というものは本来あってしかるべきものが無い時にその代わりにあるものの事です。つまり「スト権を付与する」とか「付与しない」とか言っているわけですが、そもそもそれは別段「与えられ」なくても最初からあるものなのです。ウソだと思ったらストを打ってみればよろしい。

もっとも、争議権というのは正当なストの実施に対して労働者と組合役員が罰せられない、ということであって、「付与」というのはそういう事を意味するわけですが、それを言うなら日本では民間にも「スト権」は存在しません。公務員が「重い刑事罰や行政処分」で済んでいるのなら幸せな方で、民間、てゆーか山間部では埋められたりしているそうです。実際、往々にして団結権すら存在しないのですが、政府が労働者に権利などというものがあろうとはこれっぽっちも考えていない様なのですから無理はありません。

そこで「実際にストが発生した場合の国民生活への影響」は極めて憂慮すべきものとなるでしょう。実際にストが発生すると、国民は組合を結成したりストライキをやったりしてもいいんだ、と思ってしまうわけで、ついつい、自分もやろう、ということになりかねません。それは一部の人にとっては大変に困った事である、という事情は解らないわけではありませんが、僕は困りませんので「影響」大歓迎、ドントコイであります。
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2011年01月09日

マエバリ帝国の逆襲

前原外相、暗に中国に民主化迫る


前原誠司外相は、インドネシアが直接選挙で大統領を選び、言論の自由を認めることで尊敬を勝ち取っていると持ち上げることで、暗に中国に民主化を迫った。

同外相がワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で行った30分ほどの講演(英語)では、アジアに焦点が置かれた。同外相は9日まで同地に滞在する予定。

前原外相はアジアの「新しい秩序」に繰り返し言及。それを、「覇権ではなく協力によって」構築するべきだと述べた。また、「法による支配と民主主義を具現する制度的基盤」を作るべきだと呼びかけた。

明白に中国と結びつけることはしなかったが、前原氏は、民主化の成功例としてインドネシアを持ち上げた。同国は「直接選挙で大統領を選び、言論の自由を尊重することで民主国家としての政治的安定を享受している」ため、アジア地域を主導する国の一つとして尊敬されている、と指摘した。

中国については、米国に代わり日本の最大貿易相手国になったことに触れ、「国際社会と協調して平和的に発展」するよう訴えた。

前原外相は数百人の聴衆を前に、野党の代表だった5年前にワシントンを訪れたときに集まった人数はもっとずっと少なかったとジョークを飛ばし、「野党より与党の方がいいと実感している」と述べた。

講演後のクリントン米国務長官との会談では、両者とも同長官の言う北朝鮮の「挑発的行為」に対する懸念を表明した。前原外相は中国が示唆している6カ国協議再開について、北朝鮮が「具体的な行動」を起こせば、日本が受け入れる余地ができるだろうと述べた。ただ、その行動が何であるかは特定しなかった。

講演で環太平洋連携協定(TPP)に対する農家の懸念への対応方法を聞かれた同相は、日本の国内総生産(GDP)に農業が占める比率が1.5%にすぎず、国として残り98.5%に注目すべきだと答えた。

さらに、「貿易自由化を日本再生のきっかけにすべきだ」と強調。農業を守るための施策は失敗しており、農業従事者の平均年齢は66歳弱だと説明した。

また、6月をめどにTPP交渉に参加するかどうかを決めるとして、菅直人首相のスタンスを踏襲した。

記者:Peter Landers

2011年1月7日 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版


「数百人の聴衆」はマエバリのことを何だと思ったでしょうか。今は「与党」である「民主党」に属するらしい、このアヤシゲな東洋人を、彼自身の発言から日本の外務大臣であると確信することは極めて困難であるように見えます。おそらく彼はアメリカ政府の日本担当チームの一員であるとでも思ったのではないでしょうか。

その判断は正しくはないにしても真実をついたものであると言えるでしょう。マエバリは日本政府が直面すべき問題に関して不十分にしか認識していないばかりではなく、全くの他人事のように話します。

「TPPに対する農家の懸念への(日本政府の)対応方法」について尋ねられたマエバリは、日本の農業に置ける対GDP比が低いことを指摘し、「要するにどうでもいいことだ」と言わんばかりの態度を示しています。この発言は日本の農業従事者を怒り狂わせる可能性があるばかりではなく、同じ政府に属するはずの農政担当者に対しても著しく配慮を欠くものであると言わざるを得ません。

日本が島国でありその複雑な地形に展開している農業が、大規模機械化農業を念頭に置いた「大胆な農業改革」には適さないことは周知の事実であり、マエバリの発言は「死刑宣告」にも等しいものですが、一方で彼は、それは高齢者福祉の問題に過ぎない、と言っているようです。それは農地の、とりわけ山間部の農地の荒廃を意味することになりますが、マエバリは国土交通大臣として始まった彼の国務大臣としての経験から学ぶことが少なかったことも、周知の事実です。

彼は日本にTPPへの参加を要求するのとそっくり同じように、中国にも「民主化」を要求しています。その視点は全くアメリカのものなので、「聴衆」の混乱を招くことは避けられません。中国が「米国に代わり日本の最大貿易相手国になった」にも係らず、日本にとって日米同盟が「死活的な重要性を持つ」と語るとき、その意味は不明です。しかしながら中国の経済的な躍進が、アメリカにとっての日米同盟の重要性を増すことになる可能性はあるでしょう。

このアヤシゲな東洋人が「アメリカ」を主語として語っているように見えるのは、もしかすると東洋的な謙遜と傲慢の入り混じった態度で、頭の足りないアメリカ人に対して日本人が幼児に呼びかける時のように語りかけているのかもしれませんが、彼がアメリカの為に全力を尽くすであろうことは期待出来そうです。

マエバリにとっては日本農業の破滅もしくは「改革」は、アメリカ経済の主要な障害である「反米」的な日本の農業従事者の団体を解体を意味します。その後で農業がどうなろうとマエバリの知ったことではありませんが、これはかつて日本の国鉄「改革」によって労働組合に壊滅的打撃を与えたのと同様の効果をもたらすものとなるでしょう。もちろん、日本の農業生産がゼロになってしまうことはないと思われますが、「大胆に改革」された農業においては、それに従事する人は「賃金農奴」化することが予定されています。

ILOには農業従事者及び農村地域における手工業または関連職業に従事する賃金労働者の結社の自由を守る「1975年の農業従事者団体条約(第141号)」というものがあり、正式な名称を「農業従事者団体並びに経済的及び社会的開発におけるその役割に関する条約」と称し同時に採択された「農業従事者団体並びに経済的及び社会的開発におけるその役割に関する勧告」を伴っていますが、例によってこの条約は日本では批准されていません。
http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c141.htm

そればかりかこの条約はTPPに加盟もしくは加盟を希望している諸国のいずれにも批准されていません。労働者を使い捨てるなんてもっての他、死んだら畑の肥やしにでもしてしまおうという人たちにとって、農業は「穴場」となりえます。当該産業の特性はありとあらゆる労働規制を無視する口実になり得る一方で、それに従事する労働者を保護する仕組みは存在しません。いずれは何らかの措置が講じられる可能性はありますが、早期に参入して生き血を啜り、手早く儲けてとっとと撤退すべきフロンティアがここにあります。後に残るのは荒れた土地と飢えた人々です。

もっとも、「改革」された農業は餓死した労働者を勝手に肥料として畑に蒔くことを禁じるでしょう。遺伝子組み換え作物の導入とともに大量の化学肥料などの投入が義務づけられることになります。そしてそれらの薬剤に暴露された農業労働者の死体はさすがに危険すぎて手も出せないのです。腹が減っても共食いも出来ません。
posted by 珍風 at 19:20| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

グルグルポンでガラガラポン

首相の政治責任問われず=「政治生命懸ける」発言−仙谷官房長官


 仙谷由人官房長官は6日午前の記者会見で、社会保障制度と消費税を含む税制の抜本改革に菅直人首相が「政治生命を懸ける」と発言したことに関し、首相が示した6月までに方向性を出すことができなくても、野党の対応によっては首相の政治責任は問われないとの認識を示した。

 仙谷長官は「(方向性を出すことが)できない理由による。(野党が与野党協議に)応じない理由が無理筋であれば、少々の猶予はいただける」と述べた。 

2011年1月6日 時事


仙石さんの卓越した解釈によれば「政治家が政治生命をかけて申し上げていること」には「政治責任は問われない」そうですから菅さんが言っていることは全てウソですが、別に「責任」なんかどうでもいいです。しかし「生命」の保証は出来ません。

菅首相、党大会「反転攻勢のスタートに」


 菅直人首相は6日夜、13日の民主党大会とその前日の両院議員総会について「党として反転攻勢をするスタートにしたい」と述べた。

 内閣改造や党の役員人事、国会召集日などに関しては「スケジュールも含めて熟慮中だ」と述べるにとどめた。

 消費税を含む税制と社会保障の一体的改革に「政治生命をかける」とした自身の発言については「全力を尽くしてやるという意味だ」と説明した。

 首相官邸で記者団の質問に答えた。

2011年1月6日 日経QUICKニュース


例によって菅さんの自己注釈によれば、それは「全力を尽くしてやるという意味だ」そうです。どうせウソに決まっていますが、消費税増税のミッションに失敗すれば、たとえ「全力を尽くしました」と言っても財界の皆さんには許してもらえません。「結果を出せ」とか言われるに決まっているんですから、やはり「政治生命」はそれまで、ということになる雰囲気濃厚であります。

それにしても菅さんは相当大胆な「反転」を「スタート」したようです。

今夏までに公約見直し=民主幹事長


 民主党の岡田克也幹事長は5日夜、インターネットの番組に出演し、同党の2009年衆院選マニフェスト(政権公約)について「全体をもう一度見直し、できないこと、できること、やらなきゃいけないことをもう一回整理した方がいい。再来年度の予算編成に生かす」と述べ、今夏に始まる12年度予算編成に向け、同マニフェストに掲げた政策の一部見直しを行う考えを示した。

 岡田氏は「(マニフェストに)過大なところがあったと率直に認めないと(いけない)。全部やるべきだという議論はあるが、国民に対して逆に不誠実だ」と語った。

 菅直人首相も同日夜のテレビ朝日の番組で「実際にやってみて効果の薄いものなどについて見直さなければならない中身も当然ある。全体を見直すことは必要だ」と語り、公約の選別を行う意向を示した。

2011年1月6日 時事


菅さんは岡田さんと一緒になってマニフェストの「全体を見直す」んだそうです。岡田さんはマニフェストを「できないこと、できること、やらなきゃいけないこと」の三つに仕分けします。ところがこれはちょっとおかしいようです。マニフェストというのはそれで選挙を戦って有権者の支持を得たものですから、その全体が「やらなきゃいけないこと」になるはずです。なので、「できないこと」も「やらなきゃいけない」ので、もし「できな」ければ「できる」ようにしなければなりません。どうも岡田さんの「整理」はあまり整理されていないようです。

菅さんは「実際にやってみて効果の薄いもの」を挙げています。思わず、それは「実際にやってみて」から言え、みたいなことを言いそうになるわけですが、もとより菅さんや岡田さんの言うことに「責任」はないとのことですので、細かいツッコミはどうでもいいようです。要はマニフェストの「全体」を「見直す」と言っているということのようです。

しかしながら有権者は誰もマニフェストを「見直せ」とは言っていないようです。言われもしないのに「見直す」とは生意気です。それはこっちのやることであって、政権はマニフェストを実行していればいいのです。それでダメならこっちで取っ替えるんですから、菅さんは安心してやることをやっていれば宜しい。

もしどうしてもマニフェストを「見直す」というのであれば、それこそ「国民の皆さんに判断してもらう」ことが必要でしょう。有権者はマニフェストに投票したのであって、マニフェスト選挙というのはそういうことなのです。マニフェストに「民主党」という名前がついていたから民主党に票が入った、というべきで、その意味では「民主党」=「民主党のマニフェスト」であるのがマニフェスト選挙です。

したがって、菅さんやなんかががマニフェストを「見直す」というのであれば、これは当然菅さんたちが民主党を出なければなりません。カンカラ党でも何でも結成してお好きなマニフェストをでっち上げて民主党のそれに対置し、どっちがいいのか「国民の皆さんに判断してもらう」のが適当でしょう。

もっとも、菅さんたちも2009年当時は民主党のマニフェストに異議を唱えていたわけでもないようですから、カンカラ党のマニフェストも2年もしないうちに自らあっさりと放棄してしまう可能性が高いことには留意すべきでしょう。何しろ「責任」のない人たちですから、そのあたりは何とも言えません。明らかなことは、現民主党執行部にとって2009年の選挙は「バードカフェ謹製おせち」のようなものだったということです。ただひとつ違っていたのは、菅さんはワザとだったのです。
posted by 珍風 at 21:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

「合格点」の人材の雇用促進

菅政権はいよいよ雇用対策に本腰を入れ始めた模様です。

TPP交渉参加に意欲=菅首相


 菅直人首相は5日午後、都内で開かれた経済3団体主催の新年祝賀パーティーであいさつし、環太平洋連携協定(TPP)について「農業改革などの課題を乗り越えて突き進むことなくして、日本の再生はない」と述べ、交渉参加に意欲を示した。


 また、2011年度から実施する法人課税の実効税率5%引き下げを念頭に、「努力をして稼いだお金をため込むのではなく、有能な人材を雇用して、優秀な人には給料を増やしていく攻めの経営をお願いする」と経営者側に注文を付けた。

2011年1月5日 時事


昨年、頸断連とかどーゆー会?は法人税が減税されても雇用は増やさないよと、まあ連中としては至極当然なことを宣うたわけですが、菅さん今日はおなじみのニューオータニですから、ちょっと勇気が出たんでしょうか、少しばかりお願いをしてみた次第です。これは菅さんにしては大変な決断です。これが精一杯なのであり、さすがの菅さんもこれ以上は無理でしょう。

そこで菅さんの雇用政策は「有能な人材を雇用して、優秀な人には給料を増やしていく」ということであることが明らかになりました。これは財界にとっては極めて重い課題です。ほとんどゼロに等しいと言っても過言ではありません。菅さんが勇気を振り絞ったのは見上げたものですが、その結果は何もしていないのと正確に同値です。

菅さんの投げかけた「注文」は、全ての企業で既に行なわれていることばかりです。実際のところ、経営者は「有能」な人を雇用して、「有能」でない人を雇用しないように気をつけているところであります。時として「有能でない」人を雇用することがあるかもしれませんが、それは失敗なのであり、何も「有能でない」人をワザと雇っているわけではありません。

大多数の経営者は「優秀」な人の給料を増やすことにもやぶさかではありません。その一方で「優秀」でない人の給料を減らすことにも同じくらい熱心であります。ただ残念なことに、彼等の経営する企業には「優秀」な人材が極めて少ないか、あるいは全く存在しません。結果として従業員の給料は減ることになりますが、それは仕方の無いことなのです。

菅さんは経営者にとって実行することが極めて容易な要請を行ないましたので、これは雇用問題の解決に向けての大きな一歩となるでしょう。要するに今までと変わったことは何もしなくていいのですから、それに越したことはありません。

もちろん、雇用問題というのは、とりわけ「有能でない」人の雇用をいかに確保するかという問題であり、「優秀でない」人でも生きて行ける様な賃金を得ることが出来る為にはどうすれば良いかという問題でもあります。菅さんの「雇用政策」は、その意味では何が「雇用政策」なのかよく分からない程度には「雇用政策」ではありません。

しかしながら今日などはまだお正月なのであり、お正月早々喧嘩は差し控えよう、というのが日本古来の心がけでもありましょう。もっとも、これは誰に対してもというわけではなく、飽くまで仲良くしたい人との間の話ですから、正月早々喧嘩をふっかけることが全くないというわけでもないようです。

そこで今日はお互いに仲良くすることにして、財界の方でも菅さんにお年玉をくれてやることにしました。

消費税、TPPで決断と実行を=菅政権に「合格点」−経済3団体


 日本経団連、日本商工会議所、経済同友会の経済3団体トップが5日、都内のホテルで年頭記者会見を行った。菅直人首相が4日、消費税増税を含む税制改革の方向性や環太平洋連携協定(TPP)への参加の判断時期を「6月ごろ」と改めて言明したことに関連し、3団体首脳は「決断し、実行あるのみだ」(桜井正光同友会代表幹事)などと述べ、重要課題での首相の指導力発揮に期待感を示した。

 昨年6月に発足した菅内閣への評価は、「合格点」(米倉弘昌経団連会長)「まあ60点」(岡村正日商会頭)「いろいろあるけど50点」(桜井代表幹事)と、まずまず。米倉会長は「毎年、首相が変わるようではいけない」と指摘、国政の重要問題に落ち着いて取り組むため現政権を支持する考えを改めて明確にした。

2011年1月5日 時事


「60点」や「50点」が「まずまず」なのかどうか、その手の点数とは縁がなかった僕にはよく分かりませんが、というのはかなりウソですが、まあ「赤点」とかではないと。何だか知らないけど「合格点」なんだそうです。お正月ですからご祝儀みたいなもんかもしれませんが、滅多なことでは「有能」とか「優秀」とは認めない人たちの言うことですから、なんとなくエラくなった様な気がするかも知れません。

なんといっても「毎年、首相が変わるようではいけない」というのは、菅さんに対する最大の褒め言葉なのです。もっとも、評価が高いのは「消費税」とか「TPP」で、その時期を「6月ごろ」と明確に区切ったところらしいのですが、この点、なんというか勇気があるというか何というか、先の見え透いた話ではあります。

民主党はおそらく統一地方選挙で惨敗を喫することになりそうで、そうなると解散の「か」の字も「い」の字も「さ」の字も「ん」の字も出て来たりするわけです。ところで菅さんは去年の6月には、消費税増税に関して「国民の皆さんにしっかりと判断をいただく」とか言っていたわけで、しかもしれは「政治家が政治生命をかけて申し上げていること」なんだそうですから並大抵の覚悟ではありません。

これはつまり菅さんは統一地方選で負けた挙げ句、「消費税増税」と「TPP参加」を主張して総選挙に臨む、と言っていることになります。誠に勇気ある行いであるといえるでしょう。ほとんどキチガイです。

しかしながら、これで民主党政権がなくなったとしても、それは菅さんの「負け」ではありません。菅さんは小沢さんを排除して「権力を掌握」しようとしますが、小沢さんを排除した民主党が「有能でない」「優秀でない」人の集まりであることにも気がついていて、政権が維持出来ない可能性を想定し、その条件の下で自分が生き残ることを考えている可能性があります。その場合には選挙で勝とうとしないこと、民主党政権自体を潰してしまうことによって次の政権の誕生を助けること、そしてアメリカと財界に媚を売っておくことが自己の「政治生命」を延ばすために有効である、と考えるかも知れません。上手くいくとは思えないんですが、菅さんにしては上等です。
posted by 珍風 at 21:25| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

閑な男の年頭空缶コンメンタール

(註)またしても閑(かん)な男ですが、この間「日米同盟を二十一世紀にふさわしい形で深化」とか言ったかと思いますが、これがどうして「貧困」とかの問題と関係があるのかよく分かりませんよね。分からないように言ったんです。

これも、もう良いでしょう。1月3日の『讀賣新聞』の1面を見て下さい。ジョゼフ・ナイさんと薮中三十二さんの対談が載っています。私の言いたいことはこれと同じです。すでに「実感」しております。以上。

ナイさんとは昨年の10月19日にも会いました。CSISのハムレ所長なんかと一緒に来たんですけど、ほら、私は「空缶」だし相手は「無い」ということで、意気投合したもんです。2人で「バク」ってユニットを組んだんですよ。「空無」=「喰う夢」ってね。これでM1で優勝しようね、って言ってたんですけどね。惜しいことをしました。まあ、『笑点』の演芸コーナーに出るのが夢なんですね。それはそのうちナベツネさんに頼むからいいんですけど。

「二十一世紀にふさわしい形で深化」する「日米同盟」ってのは、もちろん自衛隊がどっか行って戦争するかもしれません。そういうことは当然含んでいるわけですが、それだけではないんです。「グローバル・シビリアン・パワー」って、ナイさん言ってますけど、「シビリアン」も、「日米同盟」のために働いてもらわなくちゃいけません。

だから「日米軍事同盟」というのは不正確なんですよ。「日米同盟」で良いんです。「軍事」に限らず、まさに全面的にアメリカの一部になる、ということです。「シビリアン」ってのは、あなたも私も全員です。軍人以外、非戦闘員のことですから。軍人もそうでない人も、日本国民一丸となってアメリカの「パワー」になりなさい。ナイさんはこう言っています。ナイさんが言うことは私が言うことだと思ってもらって構いません。別に言いたいことはスッカラカンのカンで、何も「無い」んですが。

ただしこれだけは言いたい。権力を掌握するぞ。後は何も要りませんから、それだけはひとつ、よろしくお願いしたいもんであります。

で、「シビリアン」ですが、これ「文民」って言いますけど、ムーミンの従兄弟じゃなくてね、一般市民のことですが、先ずは「文官」です。これには警察官も含むんですよ。軍隊と同じく「暴力装置」ですけど、そういう枠組みとはまた別に、「文民」とはオマワリさんです。それから一般の公務員もそうですが、それと国民の皆様。もちろん経団連も経済同友会も連合も「シビリアン」です。

そういうわけで「日米同盟の深化」というのが、「日米同盟」が日本国内に向けて発動することだってことであることがお分かりでしょう。外国とかじゃなくて、日本国内の「反米」に対して「防衛」しなければならない、ということです。滅多なことをすると「反米」とみなされます。既に民主党内にもみなされちゃった人がいますけど、困ったもんです。そういう人をやっつけるのが「グローバル・シビリアン・パワー」なんです。私は頑張ってるなあ、我ながら。

一般の国民の皆様も、「反米」とみなされるようなことになると、「文官」が「シビリアン・パワー」で対処する様なことになりますので気をつけましょう。「尖閣ビデオ」は「反米」じゃないですね。でも「公安外事3課捜査資料流出」とか「ウィキリークス」は「反米」です。小林麻央さんはちょっとビミョーです。「反米」かも知れない。山口組はどうなんでしょうか、「文民」は「反米」だと思っているようです。とにかく「日米同盟」は「深化」していくんですから、ビンボー人の皆様は四の五の言わずに自分が悪いんだと思うのが一番です。

でも先ずは「沖縄」です。ああいう、何を言ってるんだ連中は、ああいうのを許しておくと示しが付きません。「シビリアン・パワー」ってゆーか、ほとんど脅迫みたいなもんですが、まあお金とか、あとは色んな「市民」がいますから、多少ちょっとやんちゃな「パワー」とか、海の中は綺麗だとか、そういったものを使ってでも、とにかく、「日米同盟」を守って行くことが極めて重要なんであります。

「権力」ってのはだから、「日米同盟」の中で、私が美味い位置に座らせてもらってるってことですけど、御存知の通り私なんかまだまだです。解決しなければならない「反米」がいっぱいあるんですから。みんな「お」が付くんです。小沢、沖縄、お前らビンボー人。最後のはちょっと無理がありましたけど、おとなしくしていれば手荒な真似はしません。なんてね。
posted by 珍風 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

民主が導く「日干しの国」の実現

先が見えすいてきた、更にもう一つの年頭空缶

 新年あけましておめでとうございます。本年が、国民の皆様一人ひとりにとって素晴らしい一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

 菅内閣の発足から半年。成長と雇用による国づくりで元気な日本を復活させる。させるだって。何の話でしたっけ。私は気が短いですから、年の始まりに当たり、私が目指す国づくりの方針、理念を改めて提示したいと思いますが、短く済ませますからよろしく。

 一つ目の国づくりの理念、それは「平成の開国」です。これに関してはめんどくさいので、経団連会長新年メッセージより「平成の開国と力強い農業の実現」をご参照ください。同じです。以上。

ちなみに「日昇る国」なんだそうですよ。日日一升呑めるよい国です。それからここだけの話ですが、TPPで「困難」に直面するのは農林漁業だけではありません。環太平洋地域の労働環境は、欧州などに比較するとおしなべて「企業にとって魅力のある環境や制度」となっておりますが、「世界経済に占める割合と貿易に占める割合はともに25%を超える規模」を持つこの地域において各国が一致してこの環境や制度を守り、より企業にとって魅力のあるものにしていくことが重要です。ここらへんは経済同友会のをカンニングしました。

したがって安全保障面では、国内に貧困の問題など不安定で不確実な状況があります。二十一世紀は格差と分裂の時代ですから、日米同盟も二十一世紀にふさわしい形で深化させる、というのはそういう意味です。先ずは沖縄を潰す。

 私が掲げる二つ目の理念は、「最小不幸社会の実現」です。小さな不幸を広く薄くバラまきます。もっとも「薄い」かどうかは人によるわけですが、知ったことではありません。この点も経済同友会代表幹事の年頭見解「決断の年」を見て下さい。同じです。以上。

 私が掲げる三つ目の国づくりの理念は、「不条理を正す政治」です。「平成の開国」、「最小不幸社会の実現」のためには、国民の信頼に足る政治が不可欠です。当初の予定では先ず「国民の生活が第一」の政治を実行し、それによって国民の信頼を得て、大きな変革を推進する積もりだったようですが、私は気が短い性分なんで、国民の信頼なんか無くたって増税でも何でもやっちゃえばこっちのもんだ、何の為の権力だ、という政治家としての信条を実行に移したものです。

「不条理」には問題のすり替えとか他人のせいにするなどで対処してまいりましたが、残念なことに、「政治とカネの問題」に対する私たちの政権の姿勢に疑問が投げかけられています。そろそろバレつつあるようです。今年こそ公邸で新年会を断行したわけですが、冗談ではなく本当に「派遣村」のようなことになってしまいました。

小沢さんとこは3倍近い120人くらい来たようで、これも私の人徳の賜物でありますが、出席者数が「あっと驚くサプライズ」。しかしながら今年公邸にお集まり頂いた50人足らずの議員の皆さん、仮に今解散総選挙ともなれば全員落選失職間違いなしでしょう。「公邸開き」は「失業予定村」の様相を呈していたのですが、そんな政権の惨状をよそに、世の中では失業や孤立といった困難から立ち直ろうとする人に身を捧げる尊さ、地域で温かく支える力強さ、相手の視点で地道に応援する謙虚さ。献身的な姿に政権を失いつつある者として、死なないで済むのではないかとちょっと安心しました。苦しいときに支え合うからこそ喜びも分かち合えるのです。そんなことを言う資格がないことは分かっとりますよ。

 平成二十三年一月一日

内閣総理大臣 閑な男
posted by 珍風 at 12:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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